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2024-06-10

anond:20240609163552

『處女』大正3年12月


過去の女より』宇佐美米子

N様、私は今日、貴君がお帰りに成ってから、静かに今日一日の貴方の態度から延いて、今迄の貴方の総てを色々に考えながら、此の手紙書き初めました。

そして私は心から貴方のある落ち着いた馴れた恋を呪わずには居られなく成りました。

貴方はせいぜい接吻の後でさえ、お上手に正確に笛を奏でられました。

私は貴方の其の健全ハートを、涙ぐんだ目を以って凝視て居りましたのに、貴方の笛の音は何の感じも無い様に益々さえて、少しの乱れも少しの慓るえもありませんでした。

私の目からは止めどなく苦しい、悲しみの言葉が流れ居りますのに、貴方の指は面白そうに転々と動いておりました。

そして笛を止めた貴方は、直ぐと二階へ上ってXと話を致しました。

平気で高笑いをしたり、冗談を云ったりして居る貴方は、実に何と云う恐ろしい方でしょう。

私と同じ様にXをも愛す事の出来る貴方は、ほんとに寛大な情に厚い方とでも申しましょうか。私は貴方の其勇気と冷静な態度とに敬意を表しましょう。

貴方は恋には盲目でなければならぬと御仰いました。他に盲目を望む貴方は、同時に其を鑑賞遊ばす位置をお望みなのではありますいか

過去に色々のローマンスを有する貴方は、現在の恋に対しても、冷静に客観するだけの余裕を持って居らっしゃいます

そして過去のそれと比較し、相違の点を見出して鑑賞して居らっしゃるのです。

若しそれが貴方に取って、何よりも楽しい喜こばしい事ならば、私も甘んじて貴方過去の一部を彩る材料とも成りましょう。

けれども貴方は恋に対して余り技巧を用いすぎます貴方が恋を美化し、詩的に見てお楽しみになると云う事は、誠に結構な事で御座います

けれども現在貴方の恋の対象物は、甘い言葉を一途に真に受ける程、初心な感情一方な女ではありません。

私は貴方の蜜の様な言葉を落ち着いて理性を以て判断して見た時に、何処迄が真実で何処迄が技巧を用いて居るのか迷う事があります

そう云う時に私はいつも、貴方過去を考えます。幸いにして私は貴方過去を或る程度迄、可也存じて居りました。

私の手には指にあまる、女の名が数えられます。而かもそれには、皆ある甘い貴方の蔭がうつって居ります

今迄、散々繰り返して来た甘い言葉を、再び私の前で繰り返して居ると思うと、私は貴方のして居るお芝居が、如何にも気の毒な空々しい物に思えて参ります

全く貴方は女に対しては優れた或る技術を持って居らっしゃいます

其の優れた技量に魅せられ、其の手に乗った私は、又貴方がそういう方だと意識しながら引き込まれて行った、私は全く馬鹿で御座いました。

意気地なしでも御座いました。けれども私はいつ迄、馬鹿な私では居りません。

から、ほんとに心から、もう貴方が嫌に成りました。

技巧的な貴方言葉や、恋馴れた貴方の態度に対して、真実要求して居た、馬鹿な私はもう過去の女になりました。

貴方の思って居らっしゃる様な、快楽の為めにする恋のお相手は、真平で御座います

涙のない、不真面目な虚偽な恋には、私はもう堪えられません。

貴方は今迄の様な恋をおつづけに成りたければ、貴方の持って居らっしゃる優れた舞台の、役者を取り替えにならないと、もう面白い芝居は打てますまい。


浮気しとるやんけ。

『處女』大正4年新年


出戻りの此のつらき姉の居る家に何故われの帰り来しか

宇佐美米子東京


離婚してないか

2024-05-30

anond:20240530154607

ほんならヴァルハラについて機械翻訳からコピペ

イギリスノルウェーのすべてをレビューすることはできませんが、ロンドン(Lūndonjon / Lūndyn / Lunden)をレビューすることができます

西暦873年にそこに立っていたであろうものの多くは欠けていますユービーアイソフト歴史家は、ウィキペディアからこの地図を参考にしたようだ。

https://en.wikipedia.org/wiki/File:Map_Londinium_400_AD-en.svg

しかし、その地図には、当時のロンドンの少量の建物が含まれています。このレベル歴史研究では、ウィキペディアのような一般的知識サイトは不十分です。

他の歴史家が詳細を知りたい場合は、お気軽にお気軽に。

一般

または、フォーラムの南にあるCandelwic Strætのロンドンストーン(Millarium / Praetoriumゲート)から放射する道路パターン:

Trajectus Way:Douegæt(川までダウンゲート)からLondon Stone(Candelwic StrætのPraetoriumゲート)まで

Wæcelinga Stræt(Praetorian Way):南東からニューゲートまで

Earninga Straete (Ermyn/Ermine street a.k.a.オールドノースロード)は、Wæcelinga Stræt southwarkに同行し、南西からDouegætに入り、Cripplegateまで北上しました

ヴィシナルウェイ(フェンチャーチ通り)TrajectusからAeldgate(旧門)を通ります

フォーラムの東:

フォーラムの西:

クリップルゲート:

ルンデンウィッチ:

ゲームには一般的な「Lundenwic Abbey」が1つあります9世紀には、ルンデンウィッチには5つまたはおそらく7つの修道院があっただろう。

現代ウェストミンスター(ルンドンウィッチの南)

他のいくつかの観察:

  • 服は歴史的な、間違った色ではありません(青は純粋に黒い衣服と同様に、非常に高価な衣服の色でした)。ほとんど誰もそれらを持っていないだろう。ほとんどの北欧衣装は、茶色、赤、黄色、緑の優勢な色を持っていただろう。かなりカラフルです。彼らはすべて同じ制服を持っているわけではありませんが、Ubisoftがそのように描くことを選んだ理由は明らかです。
  • ノルウェーの季節はすべてめちゃくちゃです。深い冬のように地面に雪がありますが、栄養屋台は新鮮な夏の作物でいっぱいです。昼と夜のサイクルは季節などと一致しません。些細なこと。
  • 襲撃中に奴隷を取ることができない。これはバイキングの襲撃の大きな利益でした。誘拐された奴隷を売り返す。
続きを読む:**イングランドのこの期間に興味がある場合は、ここでさらに読むことができます

2024-05-14

   門川市加草のホテル営業現実的派遣される可能性が存在するというだけで、 古典的論理的見地からは、善良な社会通念に照らしてそのような技術存在しない。理由は次のとおり

    (1) 東京駅から門川市までは、新幹線にちりんシーガイアによって行けるが、費用は、26110円程度となり、往復で、52000円となる。著しく不合理で選択される余地がない。

    (2) Jetstarの格安でいって帰ってくればいいという見解。 仮に6000円の日を選択して、 ただの糞論理から可能であるが、やらない。

  理由 : 真面目過ぎるためである。  結局、 延岡帰省しているときしか行っていない。

  病的でローマン的な見地からは、 いくらでも手段があると思うが、 私はそんな思想をしていないので、論外である

    ①  気が狂ったように走って行く。 ②  手段がないわけではないから、やれる方法で行く。

2024-04-22

山口一郎ってありもしないタローマンなんて架空作品宣伝させられて病んだんじゃないの?

2024-02-19

anond:20240218223125

アルファベットの「X」って ks表現できるから別に要らん文字だと思う

← それって英語しか念頭に無い発言だよなあ。あんたの言う「アルファベット」は所謂ラテンアルファベットローマンアルファベット)のことだと思うけど、名前からもわかるようにそもそも英語用に作られた文字じゃなくてラテン語で用いられるために作られた文字なわけで、それを英語勝手に借用してるわけだからさ、英語の都合に合ってない点がいろいろあって当然なわけよ。th なんかも無理やり使ってる感じだろ? 母音用の文字も5つじゃ全然足りないから無理してるし。 

というか、そもそもアルファベットを使っているのは英語だけじゃないんだぜ。知らんかったか

2023-12-28

今期アニメじゃないけどパロAVタイトルを考えた(番外編)

https://anond.hatelabo.jp/20220504162730の番外編(特撮縛り)

 

戦隊モノ

 

それ以外

2023-12-09

anond:20231208103601

どんな怖い本なのかと思ったのにリオのカーニバルで突然脳内がタローマンなっちゃったよ もしかしてローマンの原型の一部なんか?

2023-07-04

ゼレンスキーのツークツワンク(勝手な自滅)ウクライナ電撃戦(=

さて、愚かな嘘つき小泉悠や朝日新聞駒木みたいなコピペしかできないジャーナリストはどうごまかすのか。

簡単に言えば、こいつらクソ虫どもは全員大嘘をぶっこいている。

ウクライナはぼろ負け。

なお、以下の訳文で伏字になっているのは実際のRT記事でも伏字

ゼレンスキーのツークツワンク:ウクライナの「電撃戦戦略は失敗したので、それは大いに宣伝された反撃をどこに残しますか?

過去6か月間、キエフアゾフ海への突破口を準備してきましたが、ロシアロールオーバー計画していませんでした

ウクライナ軍(AFU)の反撃は、今年の初めからウクライナ西側当局者によって広く宣伝されており、ほぼ一ヶ月間続いています4月<>日以来、キエフ軍隊ザポリージャ地域最前線南部ドネツク人民共和国(DPR)の西部前進しようとしています

予想された「電撃戦戦略成功せず、ウクライナ攻撃は陣地戦争で立ち往生し、西側から提供された多くの軍事装備を失いました。6月末までに、キエフわずか8つの村を占領することができましたがロシアの主要な要塞に到達することができませんでした。

キエフとその西側パートナーは、反撃の戦略目標が失敗し、クリミアへの陸路ロシア支配下にあるため、アゾフ海への計画された突破口について特に懸念しています。では、なぜウクライナの大々的に宣伝された作戦は失敗したのでしょうか。

現在最前線はどのように形成されたのですか?

ザポリージャ地域DPR西部最前線は、2022年の春に形成されました。当時、ロシア軍は、トクマクとポロギの都市占領したクリミア部隊ドンバス部隊統合して「マリウポリ大釜」を形成することができました。

一方、ロシア軍がザポリージャに近づき、ザポリージャ地域圏のAFUの主要な拠点であるグリャイポールとオレホフの都市占領しようとする試みは成功しませんでした。

東のヴレミエフスキー突出部の地域では、2022年の夏まで活発な戦いが続きました。14月<>日、DPR領土防衛本部は、前線のこのセクションでDPR民兵によって解放された最後入植地である、ヴレミエフカの南にあるネスチヌイ村の占領確認しました。

フロントのこのセクションの戦略重要

ロシア軍はザポリージャに到達せず、ドンバスでのAFUの陣地に隣接しませんでしたが、昨年の春と夏の軍事的成果はロシアにとって非常に重要でした。

まず、モスクワは、クリミアへの自動車橋があるクリミア-メリトポリ-ベルディアスク-マリウポリ-ロストフスカヤ高速道路支配しました。これらの努力の結果として、半島ロシア本土とのつながりを深めました。

第二に、これらの領土支配クリミア半島の周りに緩衝地帯を作り、ウクライナ人を完全にロシア領土となったアゾフ海から撤退させることを余儀なくされました。また、モスクワドニエプル川の河口からロシア国境までの単一戦線を構築することができました(昨年の夏のように)。

しかし、このポジショニングには、ロシア軍にとって特定脆弱性も伴いました。ウクライナ攻撃成功し、AFUがアゾフ海突入した場合ロシア戦線は2つの部分に分かれていたでしょう。AFUはロシア軍のドンバス部隊を封鎖し、黒海艦隊の主要な軍事基地であるクリミアセヴァストポリに深刻な脅威をもたらす可能性があるため、この試みはウクライナにとって価値がありました。

攻撃から防御へ

この地域戦略重要性を理解して、ロシアはそこに部隊を移し始め、それは時々正面の他のセクションで損失をもたらしました。たとえば、第35諸兵科連合軍はイジウムから撤退し、2022年<>月のハリコフ地域からロシア撤退に貢献しました。

そこからロシア連邦の軍隊は、民間労働者を巻き込んだ任務である深い防衛線を構築しました。メリトポリの近くで、それは前庭と2つのセキュリティゾーンを備えた2つの階層防衛線を構築しました。トクマクとオシェレバトエの村はポイントディフェンスの準備ができていました。

この分野におけるロシア防衛措置評価すると、AFUがこの防衛線を破ることができたとしても、彼らはまだ多くの困難に直面するだろうと言うことができます。訓練を受けたロシアの予備軍は反撃を展開し、ヘルソン地域DPRからAFUの側面を攻撃したでしょう。地形はロシア軍に有利に働き、とりわけ、軍隊はカミシュザリャとロゾフカの近くのザポリージャ地域の最高点に依存するでしょう。

最後に、最高の要塞があっても、やる気と訓練を受けた兵士砲兵諜報機関、航空と並んで作業しなければ、効果的な防衛線は不可能です。したがって、第58軍の第42モータライフル師団エリート部隊は、戦略的に重要なメリトポリ方向のロシア防衛最前線に置かれました。

一般市民メディアの期待

西側マスコミは、ザポリージャ地域でのAFUの見通しに非常に興奮していました。例えば、米軍"専門家"ジョン・デニは、ウクライナは、反撃でロシア簡単に打ち負かすために、欧米軍事装備を利用するだろうと述べた。

予想される戦いは、戦争の決定的なポイントとしてメディアによって提示されました。このメディア立場ウクライナ指導部を不安定にし、作戦の開始の遅れを正当化し、問題について沈黙要求することを彼らに強いた。しかし、この状況はウクライナ当局者を不安にさせるだけで、西側軍事援助と政治家の多数の約束に触発されたウクライナ社会差し迫った成功を楽しみにしていました。

しかし、ロシアでは、反対の状況が発生していました。ロシア社会は、ハリコフ地域での逆転とヘルソンから撤退からまだ完全に回復しておらず、これらの出来事軍事作戦が当初の目標に反している兆候と見なしていました。これらの意見は、ロシア軍事指導部を批判するように政治的動機付けられた特定の人々によって推進されました。アルチェモフスク(ウクライナではバクム-トとして知られている)での勝利でさえ、国民士気を完全には高めませんでした-多くの人々は、この成功は、ウクライナの反撃を阻止する責任がある通常のロシア軍ではなく、ワーグナー民間軍事会社の努力にのみ帰した。その結果、ロシア社会は、成功した場合ロシア人の無関心を高め、さらなる士気喪失寄与するAFUの次のストライキ攻撃)を懸念していました。

ウクライナは新しい旅団配備しま

AFUは、主に西側武器武装し、西側インストラクターによって訓練された、新しく形成された部隊を反撃に関与させることが期待されていました。これらの旅団は長い間後方に保たれていました。一部の部隊(夏に結成された第46旅団や第77旅団など)のみがアルチェモフスクに送られ、そこで非常に効果的な結果を示しました。

他の旅団は、「古い」部隊の血によって買われた時間を利用して、訓練を進めました。たとえば、第79旅団は、ドネツク郊外マリインカのために、交代することなく<>年半戦った。それらを置き換えるために新しいユニットを送る代わりに、ウクライナ指導部は今日まで戦闘機を利用し続けています

これはすべて、新鮮なユニットを強力に保ち、ロシアに対する反撃の準備をするために行われました。ウクライナは、新しい旅団アゾフ海への勝利の行進を確実にすることを望みました、そしてこれはモスクワに対するキエフ勝利だけでなく、西洋武器軍事訓練の勝利意味するでしょう。しかし、これらの希望は実現しませんでした。

ヴレミエフスキーの突出部–防衛の最も脆弱なセクション

4月<>日、ウクライナはヴレミエフスキー突出部への気を散らす(後にメインとなる)ストライキで反撃を開始しました。どうやら、これはロシア軍の予備軍を引き出し、この地域での戦闘に引き込むことを目的としていたようです。これらの攻撃は数日間続いたが、失敗した。

10月13日の26回目の攻撃では、ウクライナ軍はより効果的に行動し、<>月<>日までに、ロシアはノボダロフカ、ネスチノエ、ストロジェヴォエ、ブラゴダトノエ、マカロフカの村から撤退しました。<>月<>日、ウクライナ人はロブノポリとノボドネツキーとプリユトノエに向かう途中の畑のいくつかの位置支配しました。

3週間の戦闘過程で、AFUは6つの村を占領し、それらはすべて事前に避難しました。ヴリミエフスキーの突出部は当初、ロシア防衛に非常に不便でした–側面からウクライナ軍に囲まれロシアの陣地の中心を流れるクリエリー川もありました。その結果、モスクワ軍隊は側面のいくつかの高さにしか頼ることができませんでした。

しかし、地形が有利に作用したとしても、AFUはあまり成功しませんでした。取るに足らない前進は大きな代償を伴いました–西側の装備は破壊され、間接的なデータは敵が重大な死傷者を出したことを示しています。それにもかかわらず、キエフ画期的な試みは続いています現在、AFUはスタロマヨルスキーとウロザイノエのロシア防衛に反対しており、彼らを凌駕することを望んでいますが、それは彼らをより要塞化された位置に近づけるだけです。

ヨーロッパの国は、世論調査で急増していた野党禁止しました。なぜあなたはそれについてもっと聞いていないのですか?

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オレホフ近くの「サファリ」とウクライナメディア敗北

7月128日、AFUはメリトポリの方向に動き始めました。当初、これは以前に多くの死傷者を出した部隊である第<>山岳突撃旅団任務でした。ヴァシレフカの方向に向かって、旅団はロブコヴォの村を占領しようとしました。

翌日、AFUはおそらく第47機械旅団が率い、新しいドイツのヒョウ戦車武装した攻撃を開始しました。この攻撃ウクライナ人にとってひどく終わった - 作戦は失敗し、西側機器破壊され、ロシアオンラインバイラルになった有害ビデオ映像を公開した。

戦争ライブマップを表示するウクライナオンラインリソースDeepStateは、コメントセクションを一時的に閉じ、後にイベントの「不快分析」を発表し、彼らの軍隊がまだ反撃を開始していないと主張したウクライナ当局者や政治家非難した。ウクライナ政治オブザーバーによると、当局者の行動は国の兵士生活を切り下げました。

10月<>日、高まる圧力により、ウクライナウラジミール・ゼレンスキー大統領は、国民に示す報道価値のある成功を収めるずっと前に、反撃の開始と損失を確認することを余儀なくされました。ウクライナ戦略は通常、国民マスコミウクライナ勝利の魅力的な証拠提示されるまで、その行動を秘密にしておくことでした。しかし今回は、焦げたヒョウの映像により、ウクライナ規則を破ることを余儀なくされました。

オレホフの南で進行中の戦い

その後、ウクライナはこの方向で一定成功を収めることができました。正面への圧力の高まりにより、ロシア軍は他の2つの村、ロブコヴォエとピャチハトカから撤退することを余儀なくされました。現在ロシア軍はジェレビャンカ村の近くで防御陣地を保持しています

東では、AFUはオレホフからトクマクへの道にあるラボティーノの村の方向に畑を進むことができました。双方は損失を被りましたが、反撃のペースが遅くなるにつれて、ウクライナ重要資産である時間を失っています

さらに、ロシア空軍はUFUの倉庫ステージングエリアを絶えず攻撃しています。これらすべてが反撃のコストを増加させ、ウクライナ軍の最終的な成功可能性をさらに低くします。

ペースの速い戦争に対するウクライナの壊れた希望

一連の敗北は、ペースの速い作戦前線での突破口を期待していたウクライナ社会失望させました。15週間ごとに、ウクライナジャーナリストローマン・シュライクは、戦争推定期間についてテレグラムの加入者に世論調査を行っています。50月<>日、戦争を「もう<>年以上」継続するという選択肢は、初めて<>%以上の票を獲得しました。

宣伝家のアレクセイアレスビッチは、ハリコフ地域でのウクライナ成功規則例外であり、何度も繰り返すことはできないと述べた。彼はザポリージャ地域での戦闘を「双方の損失を伴う血なまぐさい戦い」と表現した。ウクライナの次の攻撃がより成功するためには、アレスビッチは国が西側飛行機必要としていると言います

一方、一般ウクライナ人は、難民になることを余儀なくされ、他の人々は職を失ったり、強制的徴兵されたりしましたが、国が日ごとに貧しくなり、人々が毎日危険を冒している現在の状況は、さらに何年も続く可能性があると考えています

これらすべてが社会に大きな負担をかけており、社会は迅速な勝利を見ていません。同時に、キエフの大部分を含むいくつかの都市は、地域評議会に代わって一般的な動員を発表しました。ウクライナでの一般動員は24年2022月<>日からすでに実施されていますが、これらの新しい声明は新たな絶望を示しています特に懸念されるのは、個人的召喚状を受け取ったかどうかに関係なく、兵役責任を負うすべての人が軍の入隊事務所に来るようにという命令です。

西側圧力は、ゼレンスキーが彼の手が弱いことを完全に知って、行動を起こすことを余儀なくされたことを意味しました。したがって、彼はツークツワンクに直面したチェスプレーヤーのようでした。

ウラジスラフ・ウゴルニー、ドネツクまれロシアジャーナリスト

2023-06-18

ローズマリー・サトクリフローマンブリテンシリーズ本一覧

※ほぼメモ書きです。

 ローズマリー・サトクリフ(Rosemary Sutcliff, 1920-1992)といえば、『第九軍団のワシ』をはじめとするローマンブリテンシリーズで有名な作家である。このシリーズは、一般ローマンブリテン三部作(『第九軍団のワシ』、『銀の枝』、『ともしびをかかげて』)ないし四部作(『辺境オオカミ』も加える)と呼ばれている。岩波書店でもそう書いている。

https://www.iwanami.co.jp/book/b269788.html

 一方、英語版Wikipediaのサトクリフの項目を見ると、『第九軍団のワシ』シリーズは他にもある。要は、4部作で終わっているというわけではないのだ。ファンサイトSutcliff Wikiでは、正式名称ではないとしつつ、"Dolphin Ring"と呼称している(一方、第九軍団のワシ、銀の枝、ともしびをかかげてを指してRoman Britain Trilogyという言葉遣いもされている。実際、1980年にThree Legionsというタイトルでセット本が出ている)。その作品群について整理しておく。

(1)作中時系列

2世紀:第九軍団のワシ(The Eagle of the Ninth)

3世紀:銀の枝(The Silver Branch)

4世紀辺境オオカミ(The Flontier Wolf

5世紀ともしびをかかげて(The Lantern Bearers)

5世紀:落日の剣(The Sword at Sunset)

6世紀夜明けの風(Dawn Wind)

9世紀:剣の歌(Sword Song)

11世紀:盾の輪(The Shield Ring

(2)出版順(訳者無記名は猪熊葉子

1954年:第九軍団のワシ(Oxford University Press)→岩波書店1972年

1956年:盾の輪(同)→山本史郎訳『シールドリング ヴァイキングの心の砦』原書房2003年

1957年:銀の枝(同)→岩波書店1994年

1959年ともしびをかかげて(同)→岩波書店1969年

1961年夜明けの風(同)→灰島かり訳『夜明けの風』ぽるぷ出版2004年

1963年:落日の剣(Hodder and Stoughton)→山本史郎山本泰子訳『落日の剣 : 真実アーサー王物語原書房2002年(2巻本)

1980年辺境オオカミ(Oxford University Press)→岩波書店2002年

1997年:剣の歌(The Bodley Head)→山本史郎訳『剣の歌 ヴァイキング物語原書房2002年

 これらの作品群がファンWikiDolphin Ringと呼ばれているのは、言うまでもなくアクイラ一家のあのイルカ指輪(=古代ローマ人のハンコ)が共通して登場するからで、時代の流れとしても共通した設定を持っているかである。ただ、『三銃士シリーズのような一貫した主人公陣営を描いているわけではない。第九軍団のワシの主人公マルクス・フラーウィウス・アクィラ(訳書には従っていない)は、元々属州ブリタンニア駐屯するローマ軍団に属していて、家のルーツエトルリアにあるから、もとはといえばイタリア半島人間なわけだ。ところが、彼が色々あってブリタンニア定住を決め込んだことが指輪運命を決めている。『銀の枝』の主人公ティベリウス・ルキウス・ユスティニアヌスジャスティン)とマルケルス・フラーウィウス・アクィラ、『辺境オオカミ』のアレクシオス・フラーウィウス・アクィラ、『ともしびをかかげて』の主人公アクィラ(上の名前は不詳)は、いずれもマルクスの子孫にあたる。

 もっとも、ローマ軍団が描かれているのは『辺境オオカミ』までであり、『ともしびをかかげて』はローマ軍団がいなくなったあとのブリタンニアを描いている。基本、サクソン人とブリトン人との戦争が描かれる。『落日の剣』はその後日譚にあたるが、主人公アンブロシウス・アウレリアヌス(この人は実在人物で、サクソン人と戦っていたブリトン人指導者)の甥アルトス(アルトリウス)となっている(もちろんアクィラも登場するが)。つまり本書はアーサー王伝説の翻案なわけであるしかも『ともしびをかかげて』よりも長い。『ともしびをかかげて』は、20年ほどを描くが、後者は40年ほどのスパンがある。本書は明らかに大人向けであり(ファンWikiにもFor Adult Readersとある)、児童書である他書と毛色がかなり異なる。

 『夜明けの風』はアルトスよりも100年ほどあとの時代で、デオルハムの戦いで壊滅したブリトン人王族の生き残りオウェインが指輪を持っている。『剣の歌』では主人公ヴァイキング少年ビャルニ(指輪は、ウェールズで暮らす少女アンガラドが持っている)になっている。そして時代的にはもっと最後にあたる『盾の輪』の主人公もまたヴァイキング少女フライサと孤児ビョルン(後者指輪を持っている)で、湖水地方に立てこもってノルマン人抵抗する様が描かれる。

 見ての通り、厳しい立場に立たされた者を主人公にするというプロットはほぼ一貫している。『第九軍団のワシ』は父親不名誉(ちなみに時代はあのハドリアヌス帝の治世にあたる)、『銀の枝』はカラウシウス帝に忠義を尽くした故に叛逆者となってしまった二人(なおこの頃の皇帝といえばディオクレティアヌスだ)、『辺境オオカミ』は軍人としての失態だが、同時にローマ帝国辺境民族ピクト人)との戦いが背景にある。『ともしびをかかげて』は撤退するローマから脱走して敢えてブリタンニアに残った主人公の苦労が描かれるが、彼の立場を厳しくしているのは、サクソン人のブリタンニア侵入である。サクソン人と戦う側が主人公になっているのは『夜明けの風』が最後で、『剣の歌』以降はヴァイキング主人公になっている。アングロ・サクソン人ブリテン征服が一段落して平和になったと思ったらデーン人がやってきたわけだ。さらにそのデーン人ノルマン・コンクエストで痛めつけられる(ノルマン・コンクエストは、思いっきり誇張すればデーン人(+アングロ・サクソン人)対ノルマン人の戦いであり、こいつら全員元をただせば海賊である)。ローマ人、ピクト人ブリトン人、サクソン人、デーン人ノルマン人イギリス史に登場する諸民族の融和がシリーズのコンセプトとなっている(それは第一作の時点から明らかで、イルカ指輪は父を殺害したピクト人長老マルクスに返却している)。

 出版年代を見ると、最初の『第九軍団のワシ』とシリーズ最終作となる『盾の輪』がもっとも早く出ていることが分かる。そして63年の『落日の剣』まではほとんど2年おきに出している。それから間が空いて80年の『辺境オオカミ』と遺作の『剣の歌』がある。特に『剣の歌』は推敲が十分でないように思われる箇所もある(作業途中で亡くなってしまったのだろう)。日本語訳では『ともしびをかかげて』が一番早い(おそらく、内容的に最も評価されているのではないかと思う。カーネギー賞もとっているし)。明らかに児童文学ではない『落日の剣』はともかく、児童文学作品でも猪熊訳と山本訳(と灰島訳)とに分かれる。版権取得の問題かもしれないが、あるいは猪熊作業量の限界だったのだろうか(1928年まれだし)。そもそも夜明けの風』は『ともしびをかかげて』の割と直接的な続編といって良いだろう。なお、自分の親は子どもの頃に『第九軍団のワシ』と『ともしびをかかげて』を読んでいたようだ(サトクリフ名前を出したら「あの小説か」と反応があった。結局「三部作」を貸している)。年齢が結構高い人でも、その二つは知っているのではなかろうか。

 英語圏では多分されていない「四部作」(第九軍団のワシ~ともしびをかかげて)という言い方も理由がないではない。この四つはシンメトリカルな構成をしている。『第九軍団のワシ』『辺境オオカミ』と『銀の枝』『ともしびをかかげて』(つまり13・24)と並べられる。前者では、主人公は百人隊長として失敗したあと、北方辺境名誉回復を遂げる。後者では、大陸への渡海という選択肢を捨て、ブリテン南部で戦う。「四部作」はアクィラ家のアイデンティティローマからローマンブリテンへと移り変わっていく物語なわけである(既に『銀の枝』でカラウシウス帝の口からローマ帝国亡き後にどうローマを残すのかというテーマが語られる)。そしてもはや「アクィラ」という名前が語られなくなった世でも、困難に立ち向かうアクィラ家の精神は、イルカ指輪象徴されてあとからきた民族へと受け渡されていく。そして現代イギリス人にも・・・というのがサトクリフの言いたいことなのだろう。

2023-02-08

白人抵抗したインディアン英雄たち

投稿です

タスカルーサ~1540

 ミシシッピ先住民首長スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。 

・オペチャンカノウ1544~1646

 ポウハタン族の酋長ポカホンタス叔父1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。

・ササカス1560~1637

 ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ戦争白人虐殺されることとなる。 

・ポペ1630~1692

 プエブロ族魔術師スペイン宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人駆逐したプエブロ族独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペイン降伏した。

ハンコック酋長

 南部タスカローラ族の酋長白人土地侵奪奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。

グレイロック1670~1740頃

 アベナキ族の酋長フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争グレイロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた

メタカムフィリップ王)1639~76

 ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人貪欲土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ戦争1765~66)。メタカム戦死遺体戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人勝利に終わった。

・オブアンディヤック1720~69

 オタワ族の酋長英名ポンティアック交易制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合攻撃しかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。

コーンストーク1720頃~77

 ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人訪問した際に拘束され処刑された。

・ドラッキングカヌー1738~1792

 チェロキー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中心臓発作で亡くなった。

 

・リトルタートル(1747~1812)

 マイアミ族の酋長アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バル大佐戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、戦死者600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティバーズの戦いで敗北し降伏した。

ブルージャケット1738~1810

 ショーニー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティバーズの戦いで敗北した。

・バッコンガヒラス1720~1805

 レナペ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティバーズの戦いで敗れた。

・エグシャワ1726~1796

 オタワ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、フォールン・ティバーズの戦いで負傷した

・テカムセ1768~1813

 ショーニー族の酋長白人侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争イギリスと組んでアメリカ交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領就任するが、わず31日で病死した。

ウィリアムウェザーフォード1765~1824

 マスコギー族の戦士。1811年の大地震白人と戦えというメッセージ解釈し、交戦レッドスティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領就任インディアンへの弾圧虐殺を行った。

・メナワ1765~40頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後土地割譲同意した酋長暗殺するなど強制移住抵抗し続けた。

ピーターマックイーン1780頃~1820頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争活躍バーンコーンの戦いで米軍勝利した。 

レッドバード1788~1828

 ウィネベーゴ族の酋長白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。

ブラック・ホーク(1767~1838)

 ソーク族の酋長白人土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。

オセオラ1804~38

 セミノール族の戦士強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部はフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカ降伏していない

ミカピー1780~1848

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争活躍し、デイドの戦いで100人米兵戦死させた。

ビリー・ボウレッグス1810頃~1859

 セミノール族の酋長オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。

・アビアカ1760~1860

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍勝利した。

 

バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃

 コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。

・ワルカラ1808~55

 ユート族戦士。その知恵と武勇から砂漠ナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教入植者対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。

フレチャス・ラヤダス

 ヒカリラ・アパッチ族戦士。シエネギラの戦いでアメリカ軍を破った

・カミアキン1800~1877

 ヤキマ族の戦士白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒んだ。 

レスキ1808~58

 ニスカリー族の酋長白人土地侵奪に反発し、ピージェット戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。

・テカムタム?~1864

 アサバスカ族の酋長鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。

カイルーク

 モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された

・ヌマガ1830~71

 パイユート族酋長白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人部族平和のために生涯を捧げた。

マヌエリト1818~93

 ナバホ族戦士1860~66年までアメリカ政府土地収奪強制移住政策抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。

アントンガ・ブラックホーク

 ティンパノゴス族の酋長モルモン入植者対立し、1865年ユタパイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた

マンガス・コロラダス1793~1863

 アパッチ族酋長1830年家族や同朋をメキシコ人虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉最中に捕らえられ、処刑された。

コーチーズ1805~1874

 アパッチ族酋長マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。 

・リトル・クロウ1810年頃~63

 ダコタ・スー族酋長白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。

・ドヘサン1790年前後~1866

 カイオワ族の酋長第一アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。

ホワイトベアー(サタンタ)1820頃~78

 カイオワ族の戦士第一アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレンワゴントレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年逮捕され、投身自殺した。

シッティングベア(サタンク)1800頃~1871

 カイオワ族の戦士ウォレンワゴントレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。

・ローン・ウルフ1820頃~79

 カイオワ族の酋長交渉によりウォーレンワゴントレイン襲撃で逮捕されたホワイトベアビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナパーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない

 

ローマン・ノーズ1830年代~68

 シャイアン族の戦士強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマから白人から酋長であると誤解された。

レッドクラウド1822~1909

 ラコタスー族戦士ララミーからモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウド居留地に入り晩年キリスト教改宗した。 

ハイバックボーン1820~1870

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。

 

ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府平和交渉に当たった。

キャプテンジャック1837~1873

 モードック族の酋長居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワードキャンビー少将殺害されたため、インディアン戦争米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏絞首刑に処されたキャプテンジャック遺体見世物とされた。

スカーフェイスチャーリー1830頃~1896

 モードック族の戦士モードック戦争に加わり、サンビュートの戦いで勝利した

・アイアン・ジャケット1790前後~1858

 コマンチ族の酋長スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。

・ペタ・ノコナ1820頃~1864

 コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシアパーカー誘拐、妻とする。1860ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。

2022-10-30

みんなわざわざNHKに年間2万5000円払ってTV維持してるの不思議だよな

売っぱらって解約して3年経つけど特に困ってないな。

SNS話題金曜ロードショー特番の輪に入れないことぐらいかな。

今はもうTVERがあるから番組によっては放送終了5分ぐらいで配信される。

そうじゃないのも4日ぐらい待てば大体ネットのどっかには生えてくる。

アマプラで5000円払っておけば大体網羅できて、それに十分な量の映画や旧作がついてくる。

自分イマイチ割り切れてないからだらだらとアマプラに入りっぱなしだけど、もしも値上げされたら解約して映像サービスに1円も払わず暮らすかもしれない。

それでもABEMAやGYAO無料に加えてYOUTUBEプレミア配信があるし、そもそも個人配信者の動画で見ようとして見れてないのがすでに3000時間分ぐらい溜まってるし。

なんで皆わざわざNHKに金払い続けてるのかな。

勿体ないじゃん。

年2万5000円だよ?

そこまでお金払って維持するような生活なのかな?

どうせ見ないでしょテレビなんて滅多に。

NHKがやってる番組ですらタローマンみたいな一番美味しい所はWEB配信される時代だよ。

そんな時代になぜ録画しなけりゃ早送りも出来ないような旧世代遺物を金払って使い続けるんだろ。

2022-10-06

白人抵抗したインディアン英雄たち

タスカルーサ~1540

 ミシシッピ先住民首長スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。 

・オペチャンカノウ1544~1646

 ポウハタン族の酋長ポカホンタス叔父1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。

・ササカス1560~1637

 ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ戦争白人虐殺されることとなる。 

・ポペ1630~1692

 プエブロ族魔術師スペイン宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人駆逐したプエブロ族独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペイン降伏した。

ハンコック酋長

 南部タスカローラ族の酋長白人土地侵奪奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。

グレイロック1670~1740頃

 アベナキ族の酋長フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争グレイロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた

メタカムフィリップ王)1639~76

 ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人貪欲土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ戦争1765~66)。白人たちは彼がインディアン君主であると決めつけ、フィリップ王と呼んだが、実際は調停役に過ぎなかった。メタカム戦死遺体戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人勝利に終わった。

・オブアンディヤック1720~69

 オタワ族の酋長英名ポンティアック交易制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合攻撃しかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。

コーンストーク1720頃~77

 ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人訪問した際に拘束され処刑された。

・ドラッキングカヌー1738~1792

 チェロキー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中心臓発作で亡くなった。

 

・リトルタートル(1747~1812)

 マイアミ族の酋長アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バル大佐戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティバーズの戦いで敗北し降伏した。

ブルージャケット1738~1810

 ショーニー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティバーズの戦いで敗北した。

・バッコンガヒラス1720~1805

 レナペ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティバーズの戦いで敗れた。

・エグシャワ1726~1796

 オタワ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、フォールン・ティバーズの戦いで負傷した

・テカムセ1768~1813

 ショーニー族の酋長白人侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争イギリスと組んでアメリカ交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領就任するが、わず31日で病死した。

ウィリアムウェザーフォード1765~1824

 マスコギー族の戦士。1811年の大地震白人と戦えというメッセージ解釈し、交戦レッドスティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領就任インディアンへの弾圧虐殺を行った。

・メナワ1765~40頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後土地割譲同意した酋長暗殺するなど強制移住抵抗し続けた。

ピーターマックイーン1780頃~1820頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争活躍バーンコーンの戦いで米軍勝利した。 

レッドバード1788~1828

 ウィネベーゴ族の酋長白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。

ブラック・ホーク(1767~1838)

 ソーク族の酋長白人土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。

オセオラ1804~38

 セミノール族の戦士強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部は最期までフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカ降伏していない

ミカピー1780~1848

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争活躍し、デイドの戦いで100人米兵戦死させた。

ビリー・ボウレッグス1810頃~1859

 セミノール族の酋長オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。

・アビアカ1760~1860

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍勝利した。

 

バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃

 コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。

・ワルカラ1808~55

 ユート族戦士。その知恵と武勇から砂漠ナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教入植者対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。

・カミアキン1800~1877

 ヤキマ族の戦士白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒否した。 

レスキ1808~58

 ニスカリー族の酋長白人土地侵奪に反発し、ピージェット戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。

・テカムタム?~1864

 アサバスカ族の酋長鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。

カイルーク

 モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された

・ヌマガ1830~71

 パイユート族酋長白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人部族平和のために生涯を捧げた。

マヌエリト1818~93

 ナバホ族戦士1860~66年までアメリカ政府土地収奪強制移住政策抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。

アントンガ・ブラックホーク

 ティンパノゴス族の酋長モルモン入植者対立し、1865年ユタパイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた

マンガス・コロラダス1793~1863

 アパッチ族酋長1830年家族や同朋をメキシコ人虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉最中に捕らえられ、処刑された。

コーチーズ1805~1874

 アパッチ族酋長マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。 

・リトル・クロウ1810年頃~63

 ダコタ・スー族酋長白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。

・ドヘサン1790年前後~1866

 カイオワ族の酋長第一アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。

ホワイトベアー(サタンタ)1820頃~78

 カイオワ族の戦士第一アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレンワゴントレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年逮捕され、投身自殺した。

シッティングベア(サタンク)1800頃~1871

 カイオワ族の戦士ウォレンワゴントレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。

・ローン・ウルフ1820頃~79

 カイオワ族の酋長交渉によりウォーレンワゴントレイン襲撃で逮捕されたホワイトベアビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナパーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない

 

ローマン・ノーズ1830年代~68

 シャイアン族の戦士強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマから白人から酋長であると誤解された。

レッドクラウド1822~1909

 ラコタスー族戦士ララミーからモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウド居留地に入り晩年キリスト教改宗した。 

ハイバックボーン1820~1870

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。

 

ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府平和交渉に当たった。

キャプテンジャック1837~1873

 モードック族の酋長居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワードキャンビー少将殺害されたため、インディアン戦争米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏絞首刑に処されたキャプテンジャック遺体見世物とされた。

スカーフェイスチャーリー1830頃~1896

 モードック族の戦士モードック戦争に加わり、サンビュートの戦いで勝利した

・アイアン・ジャケット1790前後~1858

 コマンチ族の酋長スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。

・ペタ・ノコナ1820頃~1864

 コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシアパーカー誘拐、妻とする。1860ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。

https://anond.hatelabo.jp/20221007130539

2022-09-28

[] そのよんひゃくさんじゅうよん

ローマンモロサスーッス

 

本日世界狂犬病デー細菌学者のルイパスツールの命日に因んでいるそうです。

犬とか猫とかにまれるとヤバいってのは忘れられがちなのですが、唾液まみれ雑菌まみれの牙で噛まれたらヤバいよなってのはよくわかります

人間が噛んでもヤバいので、皆さんもあまり気安く噛んだり噛まれたりしないようにしましょうね。

もしもの時でいいと思いますよ。

 

ということで本日は【怪我の適切な治療いか】でいきたいと思います

怪我の適切な治療いか怪我の適切な治療ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2022-08-30

岡本太郎(タローマン)はAI技術萌え絵師を駆逐することを予言していた

https://twitter.com/illustmimic/status/1564081818441109505

岡本太郎著『今日芸術』によると日本では芸術芸事混同されているという。

芸事というのは先人の技術を寸分違わず模倣したもののことを言う。

能、歌舞伎茶道日本絵画懐石料理・・・伝統芸能はなんでもだ。

これら伝統芸能修行はいかに師匠と同じ風味を出すかに全力が費やされる。

いうなれば師匠クローンになることが究極の理想だ。

しかしこれらの芸事技術の発展によって滅びるだろうと岡本予言している。

なぜなら完全コピー人間より機械の方が得意だからだ。

萌え絵芸術足りえぬ芸事しかないことを考えればまさに岡本予言成就しようとしている。

萌え絵師は今のうちに身の振り方を考えた方がいいぞ。

技術の発展と拡散は止めようがないから。

https://twitter.com/ginsen_sus/status/1564234885229072384?cxt=HHwWgMDS9eTVo7UrAAAA

さっきから絵師さんの声明ふぁぼってるんだけど、かなり広く絵師さんのコンセンサス得てからじゃないとAI生成そのものが悪になってしまうよ

萌え絵師ごときが悪だと糾弾したところで誰も気にしねーよw

特にオタクは。

望みのズリネタ無限供給されるわけだからな。

2022-08-12

トロッコ問題

暴走したトロッコの先には5人の作業員がいる。

行方向を変えるレバーを引けば線路が切り替わり5人は救われるが、今度は切り替えた先にいる1人の作業員犠牲になってしまう。

1人と5人、どちらの命を選ぶべきだろうか?

しかし、タローマンは悩まない。

人生くよくよしないことだ。

さな悩み、心配事にぶつかったら、

それよりももっと大きな悩みを求めて、

体当たりすべきなのだ


ゲイジュツハ、バクハツダ!



すると、逆に気分がさらりとして、

もりもりと快調になる。

精神を開ききること、それが若さ健康のもとだ。

人類全体の運命もいつかは消える。

それで良いのだ。

目的に膨らみ、輝いて最後に爆発する。

そして平然と人類がこの世から去るとしたら、

それがぼくには栄光だと思える。

そう、岡本太郎も言っていた。

2022-05-21

果たしてローマンレインズ次世代ロック様になれるのか

プロレス引退後の役者業も含めて

顔はレインズの方が整ってるけど、ロック様のようなスター性はないんだよな

2022-03-28

ガンダムは「Z」じゃない

ガンダムは「Ζ」です

ローマンアルファベットのZ(ゼット)ではなく、ギリシャ文字のΖ(ゼータ)です

機動戦士Ζガンダム公式サイトの「Ζガンダム(Z GUNDAM)」という表記を見てください

http://www.z-gundam.net/ms/index.html

ここでは日本語表記ではギリシャ文字のΖ、英語表記ではローマンアルファベットのZとなっています

嘘だと思うならページ内検索をしてみてください。明確に別の文字として表記されています

宇垣美里はアトロクの森口博子ゲスト回で「機動戦士ゼットガンダム」と読んでいました

2021-08-17

京大佐藤ナニガシって教授

左派新聞記事で、今次の東京五輪批判的に論評してて、

「考え方の異なる他者を想定しない日本社会悪弊」の一環として、

「だれが決めたのかは知りませんが、違和感が残りました」つーて入場行進が「あいうえお順」だったのを批判してたんですよ。

なーーーにぃ!やっちまったなぁ!!

それ、即座におまえさんにブーメランだぞw というか、投げようとして振りかぶったら間違って自分の後頭部にぶっ刺したくらいの感じやぞww

西欧ローマンアルファベットを使う文化ばっかりじゃなくて、世界はいろんな文字体系、ソート順の考え方があるんやで、みんなで理解し会おうな!っていう趣旨で、毎度開催地一般的言語による並び順で入場することになってるの、知らんのか?学者ってバカやなぁw

2021-08-01

anond:20210801190945

マジレスすると、古代地中海地域レスリングは、全身オリーブオイル塗れになってヌルヌルしながら競技をしていた。現代オリンピックに残るグレコ=ローマンスタイルの原型であり、脇を締めての差し合い、上半身への胴体タックル、反り投げを狙い合うという闘い方だったので、彫刻のような筋肉美が育まれた。

2021-05-28

実際フォントをえらんでWEBデザインしてる現場から

https://note.com/arisan_designer/n/n77e068511f5c

こちら、フォント歴史の話が珍しくホッテントリまで上がってたんで、まあちょっと嬉しくなったんで。


まあフォントはみんな好きなんで、いろいろブコメつくんだけど、まあ「知ってても何の役に立つんだ」「海外仕事するとき以外無用知識」的な「半端にイキってんじゃねーよ」的コメとか「読みづらい文字死すべし」的「デザイン理論原理主義」、「小林章さんが全て言い尽くしてる」っていう「有識者権威主義」はたまた「〇〇が好きなフォントです!」的「無邪気なフォントLOVER」がそれぞれワイワイいって、「で、どうすりゃいいんだ」ってなかなか意見が出んよね。


まあわっしもそんなに決定版的回答出せるほどの絶対的知識ないんだけど、現場で選んでるときの一例だせれば「ほーん」てなるかなって。


記事歴史的な背景知ってるときに、有効な例っていくつかあって

時代性や保守性、革新性などを表現するとき

和文フォントと欧文フォントを混植するとき

なんかは役に立つよなと。


時代性的なことで、有名な例としてスターウォーズポスターフォントとしてTrajanが採用されてたりするんだけど、あれは見た目がトラッドでかっこいい以上に、スターウォーズ年代記英雄譚、言ったら「サーガ」だから背景的にもバチっとハマってるってのがある。


Trajanは碑文から発見された文字インスパイアされて作られた文字なんで、言ったら最古のグループフォント(まあそこをイメージして作られたんだけど)で、伝説にはピッタリよねと。


あと、Frutigerなんかはシャルル・ド・ゴール空港サイン書体として開発されたっていう経緯があったりして、デザイナーアドリアン・フルティガーの作ったフォントシステマチックラインナップ展開を考えた作りで、近代性・工業性を表現できる書体かなって思う。

まあでも同じ人が作ったやつでデザイナーがより好きなのはAvenirかなー、円形とか直線とか、かなりジオトリックなエレメントを持ちつつ、ちゃん人間が描いた字として読みやすいから、意味と画面の平面構成的美しさがバーンと同時に目と頭にくるんだよね。

太さのラインナップが豊富で単純に使いやすいってのもある。


和文欧文混植の話は、厳密に000年だから、みたく同時代性に合わせるってより、それぞれのなかで相対的な「トラッドモダン」のポジションを持ってるものを組み合わせた方がしっくり来るよと。


たとえばA1明朝で、A1についてる英文だともうちょっとニュアンスが足らんよなー、もっと優雅さをだして落ち着きと伝統性出したいよね、なんか欧文フォント組み合わせたいってなったときA1明朝ってのは、リュウミンなんかよりより伝統ムードを強調して作られた書体なんで、時代性として相対的に古いと理解できる。

で、欧文はなにがマッチングするかと言うとローマンの中でも古いやつの決定版のGaramondなんかは合う。


ここら辺は頭で「時代性があう」からだけじゃなく、エレメントとして、和文場合漢字とかなの大きさの差や、「ふところ」なんていわれる「田」みたいなエレメントの狭さと、欧文のベースライン・ミーンライン間の幅と、アセンダー・ディセンダーライン比率を見て、これが大きければ、要はクルっと丸まった部分とシュッと縦に伸びてる部分が差が大きい、「ふところ」の狭い和文フォントと似てるね、ってなって、「あいつら上手くいきそうじゃない?」ってなるわけ。


あと、和文伝統的なもの意識したフォントは、縦組みに使いやすくなってるので、はらいの方向が斜めだったりして、こう言う斜めのながれは、欧文ではOの字の一番細い部分を縦に結んだ線が垂直か斜めかに対応している。

斜めになってるローマン体は相対的に古く、伝統的で、ここも合わせるときに見所かなー。


まあ地べたはいながら文字探してる現場WEBデザイナーが考えてることの一部はこんなとこっすな。

あとはWebフォントなー、最新のフォントがどんどん出るから、チェックしとかんとなー、以上!

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