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2023-12-28

今期アニメじゃないけどパロAVタイトルを考えた(番外編)

https://anond.hatelabo.jp/20220504162730の番外編(特撮縛り)

 

戦隊モノ

 

それ以外

2021-08-07

東京五輪を機に丸大不買するのはニワカ

2002年5月から20年近く丸大食品不買している古参です。

丸大食品不買のコツ書いておきますのでご参考に。

 

 

それでは皆さんよき丸大フリーライフ

 

追記

https://anond.hatelabo.jp/20210807215837

>もうさ、お惣菜買うのを止めて挽肉で生きて行けばいいんじゃね?

ミートサプライはひき肉も出している。丸大から逃げられない

http://blog.livedoor.jp/sanyu_gas/archives/54750768.html

大豆ミート丸大進出しているので危険

2019-01-08

Netflix聖闘士星矢プリキュア特撮の感慨と映画多様性の長いなんか

瞬を女性キャラ化した作り手のもう男だけで戦う時代じゃないという言葉に対して海外ファンセーラームーン画像をあげたって話を見てこの前の男の子プリキュアを思い出した

去年男の子プリキュアという話題に"子供価値観に影響するのに子供向け作品多様性のなさが続いてきた""やっとプリキュアから変わる兆し""女児向けだけじゃなく男児向けもそうなっていけば"的な戦隊ライダー比較しての内容が散見されてそれは普段偏見思い込みステレオタイプもの判断することの恐さや知ることの大切さでジェンダーを語る勢界隈のみなさまのツイートでもありそこに人間一種の業を見たようで軽くだけどもそこそこの衝撃を受けた

男の子プリキュアになれるようになったそのことに対して挙げられていたのが戦隊レッドリーダーサポート役にされるピンク弱い女性を守る男性としてのライダーといった特撮ヒーロー像でまた加えて女は魔法で戦う魔法は女が使うもの的な偏った女性像を今に残す(としている)魔法少女作品への苦言のようなものありさながらおっいつの時代の話してんだ?というような様相でそれらからそのみなさまが少なくともスーパーヒーロータイムテレビの前にいないであろうことは想像に難くなくそしてその自覚あられるはずでだけどもそんな自分の持つ子供作品像が像として客観的に語れるほどの経験に即したものではないという前提でもって"今に至るまでの子作品"をよく知らないはずの世界のことを主観による感想意見としてでなくそ世界の"事実"として嘆き"偏見の影響や知るということへのきっかけの重要さ"で説くその姿の皮肉さに人間どうにもならねえことはどうにもならねえんだなあというある意味人間への絶望のようなもの垣間見たようなそんな気になったし単純に興味深くも思った

恨み節ではあるけれどそれ自体が良い悪いという話ではない)

興味深かったのはそういえばと自分の一番古い戦隊記憶でさえ既に"女性ピンク"じゃなかったことに思い至ったからでもあり確認したら最初ピンクじゃない女性戦士が生まれたのは紅一点がシリーズではなく作品毎の個性となったのと同じ1985年女性戦士ピンクがいない戦隊1988年レッドじゃないはじめてのリーダー鶴姫が1994年シンケンジャー2009年でそして"女の子っぽさ""かわいらしさ"は弱さではないと示した桃園ミキちゃん1982年だった

ちなみにタックルちゃん1975年女性ライダーが生まれ龍騎2002年で15年以上前で当時映画館行ったけどそんな前でしたかね・・・というきもちに包まれ

彼女たちの存在はか弱い女性ヒーローが守るそれは"男性が強く""女性は弱い"なんて役割だけに駆られたものじゃなく"個"として大きな力を与えられたもの責任矜持からである証明体言し続けるものでありというかむしろ大きな力に対して正しくあろうと考え悩み倒れ打ちのめされたとえその力が手から離れたとしても確かに力強く立ち上がりより強くあろうとするそんな全てのヒーロー尊いと思うんですよ私は(早口

ただ好きなだけの自分の思い出とくわしくもない浅い記憶を照らしてもその程度は思い当たるところを考えると呆けたように口開けて見ていたブルースワットシュシュトリアンも多様性という面では多くの歩みの中のひとつとして少しずつでも前に進んでいるその象徴でもあったのかなあだとか魔法少女たちにしても思い返せば今では女の子定型として語られるそれらもその時代時代にして桃園ミキちゃんのように女の子という概念を強さとしてまたお転婆なんて気にしないわというような奔放な女の子像を投影して肯定的に強くキラキラと描くことで象徴としての姿を獲得して今に至るわけで家庭環境なんかの描き方や当然価値観も時勢において変化していて今回のプリキュアも劇的な快挙というより歩みを重ねての自然な結果だったのかもなあとかそんなことを考えていたのを聖闘士星矢の話で思い出したのだった

また性別においての役割に対する自分意識の薄さは子供の頃から作品によってどちらの性別が戦う姿も守られる姿も目にしていてそれが影響しているからかもしれないなんてことも思ってもいてそれは恐らく多様性が語られる上でここ最近名前あがりがちなブラックパンサークレイジーリッチオーシャンズ8が一方の肌の色や性別バランスだけから見るとむしろひと昔前の"白人""男性のそれと変わらないというようなそれとも関係していてそれは矛盾じゃなくそれこそが多様性におけるまさにカウンターパンチであり同時に今では偏っているとされる過去作品群をもそのまま個性として肯定内包し得る可能性を持ってもいて作品内をただ多様化することを是とするだけでは過去のまた例に挙げた作品でさえふるい落としかねないことからそこに加える形で全体の中で既存価値観ありきで同じ方法論をとることで多様性の雄となった認知と許容のパイを増やすそのやり方はいくらもたくましく見えるように思えるしそこでの聖闘士星矢に対するセーラームーンセーラームーンあげだまで同じチャンネルで続いて流れる戦隊ライダーなぎさほのかふたりはプリキュアニチアサなんじゃないのかと思ったのだった

問題なのは作品の中で一定立場人間が偏って役割につくことではなく作品を越えたところでの役割においての共通する偏りで必要なのは一方の価値観を描くことの優劣や是非を問うことではなくどちらもが個性として選択、許容されるということを示すことでだからこそ今回のプリキュア男の子が、イレギュラー的であっても戦隊レッド仮面ライダー女性でも"なれる"と示されたことはそれぞれのシリーズ史において前述したような主人公がその性別であることから役割だけではなく作品シリーズとしての"個性"として存在しているというのを改めて示すものでもありそれはきっと大きなことなのかもなあというようなことをぼんやり雑煮を食べながら考えたので記念に文字にしたのであった

雑煮白味噌だった

おいしかった

おしまい

リュウソウジャーとてもたのし

 
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