はてなキーワード: ハリーとは
LGBTの結婚を認める認めないとか憲法改正すべきかについてとかいった問題に対してどう思うか・賛成か反対かを問われたときに、心の何処かでどっちが正義なんだろうかということを考えてしまう自分がいる。
例えばLGBTの結婚について、不道徳だし子供も産めなくなるわけだから認めんなというA案、人が人を愛するのにをOKとNG決めるとか頭おかしいんじゃねえかというB案があったとする。自分は考えた末にA案(またはB案)の立場だなと思っても、本当に自分はそう思っているのか?と自分で自分を疑う気持ちがある。A案が妥当だと思いながらも、でもB案が言うことも一理あると思うような、AとBのどちらがより現実的で妥当なのかを逡巡している感じではない。
A案のほうが理屈っぽい感じがするし、理屈っぽいほうが頭良さそうでかっこいいし、とかそんな感じでA案を支持しているだけじゃないのか?
実のところLGBTがどうあって欲しいというビジョンなんて全く無くて、ただ自分はカッコよく見られたいまたはカッコいいと思いたいという欲望が根底にあって、だからその欲望を満たすためだけに、特にそんなこと思ってもいないのにA案を支持しているだけなんじゃないのか?
その問題自体に大した興味はなく、それに対しての立場表明なんて自分をカッコよく見せて自分がカッコいいと思うための道具として使っているだけに使っているだけじゃないのかと、そんな事を思ってしまう。
そして、そんな疑心暗鬼を隠すために、A案こそが正義だ!なんて思っているんじゃないか。正義という言葉を使ってみたり、自分こそが正義なんですみたいな態度をとることでええかっこしい本性を隠そうとしているんじゃないのか、知らず知らずのうちに自分で自分を誤魔化そうとしてるんじゃないのか。これまで自分のことは何となく正義だと思っていたけど、そんなことは全くなくって、今までの判断は無意識の内に行ってきた醜い自己防衛本能なんじゃないのか。そんなことを思ってしまう。
実際、日本がどうあってほしい、これからどうなってほしいという事は全く考えていない。ゴールの方向性すら決まっていないのだから、諸々の問題に対する立場はその場その場で変わり、そしてそれらの立場の方向性は矛盾しまくっている。勧善懲悪的な映画を見てそれを額面通りに真に受けて育ってきたのだ。正義の熱血ヒーローやダーティーハリーのようなダークヒーローっぽく見えるか、または死んで当然のクズ野郎に見えるか。どちらかしか判断できない短絡的な価値基準を根底に、そしてそれを自覚せずに日々を生きているんじゃないのか。そんな気がしてしまう。
ハリポタが地上波で放送されるたびにスネイプ聖人ジェームズ畜生扱いする人がよくいる。
個人的な見解だけどハリーポッターには聖人も畜生もいなくて、ただどんな登場人物も結局のところ一人の人間であった、という話だと思う。
中心的な人物には皆美点と欠点があってだからこそ根強いファンの多い作品だと思うのに、単純なラベル分けで終わってしまうのではあまりにもったいないと思う。
主人公最大の庇護者でまるで神のようだったダンブルドアも過去のあやまちに苦しみ結果的に死を招く(直接的にそれで死んだわけではないけど)人間であったし、最大の敵として立ちはだかるヴォルデモートもまた人間だったと思う。
原作ではハリーとの短い問答の末、たった一度の呪文でごく普通の人間と同じように死んでいる。正直映画の肉弾戦ありのやたら長い戦闘シーンと塵になって消えるところはやり過ぎだと思った。
同じようにジェームズも十代の頃は自分の才能に酔ったどうしようもない馬鹿だったころもあるけど、ヴォルデモートと戦うために不死鳥の騎士団に入り、実際に四度彼と戦っている。
少なくともジェームズはマグル生まれを差別することはなかったし、リーマスが狼人間と分かった後も差別しないどころか彼のためにアニメーガスにまでなった。
マグル生まれも狼人間も自分自身ではどうしようもできないことで、しかも後者には危険が伴うにも関わらず受け入れたジェームズは本当に良くも悪くもグリフィンドール生だったと思う。
一方スネイプは命がけで二重スパイの重責に耐え、逃げることも投げ出すこともしなかった勇敢な人だ。
ただその一方でマグル生まれに対する扱いは酷いものであったし、リリーには何もせずとも、自分の友人がリリーの友人であるマグル生まれの生徒に呪いをかけることを止めもしなかった。リリーに頼まれたとしても。
ジェームズたちにスネイプから自作の呪いをかけることもあった(騎士団のリーマスの発言から)。
教師になってからもスリザリンへの依怙贔屓はまあひどいものだったし、ハリーなんて何もしてないのに最初の授業からいびられるという……。
それでもスネイプは愛した人のために命を懸けたし、その人が死んだ後も彼女の忘れ形見を守るためには手段を選ばなかった。
あんまり言われてないけど死の間際でもただそのために行動したところってものすごいことだと思う。普通助けてくれとか恨み言のひとつも言ってしまいそうにならないかな。
ダンブルドアには組み分けは早急過ぎたんじゃ、とも言われてたけど、手段を選ばないところもドラコを庇うとこや依怙贔屓なんかの身内意識の強さもまさに良くも悪くもスリザリン生らしいと思う。
映画ではサクッとスルーされたけど超やなやつだったハリーのいとこのダドリーは7巻冒頭で和解してるし、ペチュニアおばさんはなんともいえないほんの一瞬の別れがあるし、ルーナは最高なので映画もいいけどみんな原作もいいとこいっぱいあるからみんな読もうぜ
年間200本の映画を観るぼくがオススメする7つの映画と7人の映画監督 - 私を構成する映画監督 - - Hikikomotrip
信頼できる映画評を各人間を見分けるにはコツがいる。見ればわかる程度のアレもいるが。
一番わかり易い見分け方は、まずライムスター宇多丸のラジオ映画評番組(正しくは番組内の一コーナー)「ムービー・ウォッチメン」を聞くことだ。
信頼出来ないやつはそこで述べられた評言をまんまパクる。咀嚼せずにパクる。宇多丸はラッパーだけあってキャッチーでクリティカルなフレーズを次々と考案してくれるので、使い勝手が良い。
そういうのをアホは何も考えずに右から左で流すだけだから、「それってどういう意味なんですか?」と聞かれたときにうまく対応できない。
感想や評論のパクりが悪ってわけじゃない。むしろ、それが有用だと思えばどんどんパクるべきだ。
しかし、それにはあくまで自分の感性や理性というフィルターを通して自分なりに噛み砕いたうえで、自分の言葉として精製する過程が必要だ。
それがアホにはできない。
たとえば、コレ。
この人がぼくに与えてくれたのは「ヒップホップ」。彼の映画の作り方はとってもヒップホップの思想に近いと思うんですね。サンプリングやオマージュを多用するパッチワーク的方法論はまさにヒップホップそのもの。ぼくがラップが好きなのは彼の映画が好きだからなのかもしれません。
じゃあお前、ウンコとオシッコは似たようなプロセスを経て製造されるけど、オシッコほど喜んでウンコまるのみできる自信あんの???
こういうのは圧倒的リファレンスを有し、かつ日本ヒップホップ界のレジェンドである宇多丸が言うから重みがある(別にタランティーノを形容してヒップホップ的と評したのは彼が初めてではないし最後でもない)のであって、そのへんのやつが言うと「え? 具体的にどういうこと?」と疑問が湧いてしまう。タランティーノ映画観てて「あ、このBGM、『アラモ』だな」とか「あ、このシーン、『修羅雪姫』だな」とか思うか?本当にタランティーノにヒップホップ魂を感じているのか?ちなみにタランティーノ映画で流れるヒップホップってせいぜいウータン・クランくらい(っていうかRZA)だぞ。
いやいやタランティーノは我々の知らない引用ネタをさも知っているものかのように見せるのが巧くて……と言うのだったら、手法として最もヒップホップ(=引用のパッチワーク)的な『ジャッキー・ブラウン』が肌にあわないってどういうわけ?
結局、ヤクザか狂人が出てきて人が無残に殺される映画が好きなだけってなら最初からそう言えば?
そもそも宇多丸リスペクトしてんなら『ハート・ロッカー』以外の気に入った映画も劇場で複数回観ろや!
こういう何も考えずに宇多丸にフリーライドして周囲の評判を稼ごうとする人を業界では「紫の服の人」と言います。
用例:
映画会社社員A「このまえ公開された◯◯なんですけど〜ネットにひどいこと書かれてて〜見て下さいよこのブログ〜」
広告会社社員B「ん〜???ああ、このブログね。これは「紫の服の人」だから気にしなくていいよ」
というところで、本日の増田、お開きです。最後に増田がおすすめする本当にキモチいい七人の監督の七作を紹介してお別れです。
周防正行:『舞妓はレディ』と『終の信託』以外全部。入門編は「シコふんじゃった。」。シコったあとで『Shall We Dance?』を見ればこの監督独特のリズムに慣らされる。
キャスリン・ビグロー:『ハート・ブルー』と『ゼロ・ダーク・サーティ』。最初に観るなら『ハート・ブルー』。それを最後にしてもいい。
北野武:ヤクザ映画全部観た後でまだ北野武を知りたいと思う余力が残っていれば『みんな〜やってるか?』あたりも。『アウトレイジ』は単発として間口は広くても北野映画の入り口にはならないと思うので『BROTHER』あたりで覚悟をきめておこう。
タランティーノ:一通り全作観終わった最後に『デス・プルーフ』。この監督はフィルモグラフィー順に観るのが良い。よって入門編は「レザボアドッグス」
ポン・ジュノ:全部。入り口としてなら『グエムル』。度胸と覚悟と自らのゲスさに自信があるなら『殺人の追憶』から入ってもいい。
園子温:ない。七人のなかで一番優先順位が低い。強いて挙げるなら『地獄でなぜ悪い』(スラップスティック好きなら)と『冷たい熱帯魚』(とにかくエグい救いのない話が好きなら)。
クリント・イーストウッド:全部。ただ順番があって、西部劇諸作飛ばしていきなり『許されざる者』を、『許されざる者』や『ダーティ・ハリー』飛ばしていきなり『グラン・トリノ』観ても感動はしてもよく飲み込めないと思う。気軽に楽しみたいなら『インビクタス』や『ジャージー・ボーイズ』あたり。
http://anond.hatelabo.jp/20150810210848
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20150810210848
id:aukusoe 今日はトイレと自席を行ったり来たりハリーポッタリー!
6点
id:metroq こんな雑なお題じゃ回答出来なインリン・オブ・ジョイトイ
すんま孫正義
3点
2点
3点
なぜサマーウォーズじゃないんだ!
7点
id:baikoku_sensei そうはいかんざき!
オヤジっぽさが良い
8点
id:Moodykajigaya どっこいショット
どっこいセイバーなら8点だった
4点
id:pkm2015 今からマスをかき増田
2点
id:festerfester 何か用か九日十日
なんか違うけど努力賞
3点
1点
id:sabacurry はてブするブク
ブクってミサイルの?
4点
おっちゃん忙しいから新しく※してもらってももう反応できないよ!
参加してくれた人はありがとう!またね!
中学(田舎の公立)の同級生の50人の女の子のうち、なんと10人弱が高校もしくは短大で妊娠したのだ。
おいおい、おいおい。バカか。まあ、頭悪かったもんな。ってバカにしてた。
さて、月日は流れ、わたしは32才。
このまま結婚できないのかなと思い始めてる。
海外旅行して、コンサート行って、舞台観て、映画見て、ゲームして、マンガ読んで、小説読んで、遊んでる10年の間に、
あのコ達は子供を産んで、育てて、人によっちゃ離婚して、たぶん早い子だともう子供は中学生なんじゃないかな。
10代で出来婚なんかでできた子供なんて、言っちゃなんだが、育ち悪くて頭悪い子になりそうだし、
旦那さんだってきっとそんなに稼ぎもよくないだろうし、パートしないといけないかもしれない。
わたしは子供は中学から私立に入れたいし、結婚10周年にはハリーのエタニティリングがほしい。離婚なんかしたくない。
それに中途半端にパートで稼ぐくらいなら、専業主婦の方が得だと思ってるし。
この感情は、もうすぐ子供産みにくくなるから、本能からの指令なのかしら?
これを書いた増田だが、ただ殴り書いただけなのにちょっと反響があってしまって責任を感じている。
http://anond.hatelabo.jp/20150513013343
だから今回はちゃんと俺の言いたいことが伝わるようにまとめてみたよ!
あ、タイトルは注目を集めるためにつけただけで、本気でそう思っているわけではなので悪しからず。
本気ではないが、半ばそう思っているけれど。
俺はナルシストだ。
そして品がない。
育ちも悪いしコミュ障だし、人の気持ちもわからんしデリカシーも無い。
見る度に、チックが別れた女房と息子に会いに行くシーンと、インデペンデンス号が墜落するシーンと、ハリーの自爆間際の走馬灯とで3回泣く。
俺の読書体験を要約すると、『スレイヤーズ』にハマって呪文詠唱覚えたり『星の王子さま』に感動したり『それから』を読んで代助のガキっぽさに読んでるこっちが真っ赤になったり『キノの旅』を読んで1巻目のプロローグとエピローグ暗記したり『猫の地球儀』に号泣したり『世界の中心で愛を叫ぶ』に号泣した後で本屋に平積みされてる『ジョン・レノンにだまさされるな』をワクワクしながら手にとって20ページほど読んでそっと棚に戻したり『いちご同盟』に号泣したり『バトルロワイヤル』に号泣したり『殺×愛-きるらぶ-』に号泣したり『天使の卵』に号泣したり『アルジャーノンに花束を』に号泣したり『涼宮ハルヒの憂鬱』を読んでわけもわからず激怒したり『ゼロの使い魔』読んでルイズに恋に落ちたり『フルメタル・パニック!』に号泣したり『とらドラ!』に号泣したり『永遠の0』に号泣したり『生贄のジレンマ』に号泣したり、まあだいたい号泣している。
こうして振り返ってみると読んでる本に脈絡ないなと思う。
ふらっと本屋で20ページぐらい立ち読みして、面白いなと思った本を買って読むからだろう。
あとは気分で話題になってるのを読んだりする。
テレビで『風立ちぬ』やったらしいから原作読んでみようか、とか。
夏目漱石とか太宰治とか川端康成とか谷崎潤一郎とか、国語の教科書に載ってるような文豪の作品も気が向いたら読んでみたりする。
ゲーテとかシェイクスピアとかカフカとかも、読んでみたことはある。
その中で、この人の書いたものは全部読まなきゃダメだ!って思わせてくれたのは秋山瑞人だけなんだよな。
『イリヤの空、UFOの夏』を読むと、
「ぼくは笑わない」
榎本の瞳の中に、どこか臆病な光が滲む。
「なぜそう言い切れる」
何度読んでもここで泣く。
これこそが文学だと思う。
さて、自己紹介もすんだところで俺の陳腐なブンガクロンの話でもしようか。
俺がむかっ腹が立って仕方がないのは「読書を教養を蓄えるための苦行と考えている人間」これに尽きる。
読書は面白いからするのであって、苦しむためにするわけじゃない。
ミステリが好きな奴は犯人探しにうんうん頭を悩ませるのが好きなんだろ?
重厚な哲学書みたいなのが好きな奴は、難しい話を読むのが好きだから読んでるんだろ?
読書が好きな奴にとっちゃ、当たり前だよな。
まさか、スタバでMac広げるノリで、ファッション感覚で分かりもしない純文学読んでる奴なんていないよな?
世の中には少しはそんな奴いるんだろうけど、こんな所でまで文学にあーだこーだ言う物好きの中には居ないだろう。
だからこの文章を読んでる人は、俺の嫌いな人間じゃないはずなんだ。
で、なんで読書が苦行と結びつくかと言うと、いわゆる「タメになる名作」って奴が歴史の洗礼を受けて生き残った、古い小説になることが多いからだ。
古い小説には、現代に生きてる人間にとって見慣れない表現が多く使われている。
当時の人にとって「ぐいぐい読ませる美しい名文」の集まりが、読書経験の少ない人には、まるでお経かなんかみたいに見えてしまっているわけだ。
だから「教養の無い人間にとっての、教養のための読書」は苦行になる。
そして、少し本を読んでるってくらいの俺にとっても、やっぱり明治の文豪の書いた文章は、血の通ったものには見えないんだ。
俺の思考、心、俺自身を構成する言葉の一部とは思えないんだよね。
なぜならライトノベルは、俺の心を作っている言葉、そのもので書かれた物語だからだ。
俺の体の中にある思考や心を、本という形で取り出した物だからだ。
文学かじってるような奴らは、『不朽の名作』なんて小っ恥ずかしい妄想を本気で信じてやがる。
断言してやるが、そんなもんはこの世に1作品足りとも存在していない。
全て名作は朽ちていくんだよ。
それは、作品に込められたメッセージが古くなるのではなくて、俺達が読めなくなるんだよ。
俺達には手が届かない。
だからどんな名作だって、その名作の本当の味を味わうことはできないんだ。
ショパンがその手で響かせていたピアノの音色を、俺達が耳にすることはできないように。
失われてもはや取り戻せない。
だけど、俺達はその片鱗だけでも、味わうことができる。
きっと完全ではないが、味わえる。
だって、人の心には百年でも千年でも、最も深い所に変化はないからだ。
そう信じるに足る何かがある。
眩いだろう。
なんか胸がときめくだろう。
ナルシスティックな気分になるだろう。
何十年かしたら、今読まれているラノベは苦労なしに読めない物語になっていくのだろう。
教養のための本になっていくのだろう。
それでいいんだよ。
そしたらまた別の何かが読まれるさ。
そうして俺達は滅びていく。
俺達の感動は、俺達の号泣は、俺達のナルシスティックな情動は、受験生を一喜一憂させる国語の試験の点数に押しつぶされて消える。
俺達が滅びた後で、意識高い系のインテリ気取りが20世紀末から21世紀初頭にかけての文学として、読み解くのに苦労するものとして、ラノベを語るのだろう。
それがちっとむかつくってだけだ。
中学生の頃に第1巻が出て、数年前に完結したハリポタに、今の今更、激ハマリ。
2巻まではリアルタイムで読んでたし、映画もぼちぼち見てたけど、
今夏USJのハリポタエリアに行くための予習をせんとして、1巻から読み直したわけですよ。
そしたらもーはまってはまって。
4,5、6、7巻でどんどん素敵な青年へと成長していく。
かっこいい。
ほんとにハリーかっこいい。
ずっと日向だけを歩いてきたヒーローじゃなく、いじめられたり悩んだり落ち込んだり怒ったり。
自分の頭で考え、信念を持って行動するハーマイオニーも本当にかっこいい。
ロンはユーモアたっぷりでちょっと子供っぽいところもかわいい。
ウィーズリー家でおばさんが出してくれる料理のおいしそうなこと。
ステーキキドニーパイや、朝のベーコンエッグ、焼きたてのソーセージ。
イギリスのご飯はおいしくないなんて言われるけど、たぶん素朴でシンプルな家庭料理はすごくおいしいんじゃないかな。
ネビルやルーナなんかのちょっと変わった友達に光を当ててるのも好き。
今、5クールめの炎のゴブレットを読んでいるけど、気づかなかった複線にまた気づく。
読めば読むほど好きになるな。
主人公の女の子が最初の0話で生まれ(0歳)、最終話の25話(25歳)で結婚するような話(以下、ややこしいので話数は0話始まり、つまり話数が主人公の年齢と同じ数字とかんがえる)。
今まで、同じアニメ内で海に行く話やクリスマスの話など、季節系のネタをやるというのはよくあったけれども、もし一話で一年進むアニメがあるとすると、同じアニメの同じキャラクターによる小中高の入学式や修学旅行や卒業式、はたまた七五三や成人式などの年齢にとらわれる時期ネタというのができる。
さらに、主人公が成長していくという成長アニメはよくあるけれども、もし一話で一年進むアニメがあるとすると主人公の内面だけでなく、外見まで成長していくアニメということになる。そんなアニメはなかなかないと思うし、主人公の成長を父性的・母性的な感覚で見守るように見れるアニメになれるのではないかと思う。
「30分アニメで1年を描くということは、2分~2分半で1ヶ月分を描くということか? そんなの無理だ!」と思われそうだけど、そういうわけではなく、1年の中でメインとなる話を2,3抽出してその話を主に描くというイメージ。例えば7話(7歳)なら、小学校入学ネタと七五三ネタの2つをメインにもってきて、他の時期の話は短い時間で簡単に描くという感じ。サザエさんだって30分の間に3話分やってるし、現在放送中のアニメ、『デンキ街の本屋さん』の10話ではバレンタインとホワイトデーを両方描き、さらにその前の9話のCパートではクリスマスの話をやっていたので、これだけで30分で数カ月分描けるということが分かる。
それでも、「その話は1話で数ヶ月じゃないか! 1話で1年なんて無理だ!」と思う人もいそうだけど、『琴浦さん』というアニメの1話では最初の10分で15年を描いたので、30分で1年ならもっと余裕をもって描けるだろう。他に思いつくのは、映画だけど『おおかみこどもの雨と雪』は2時間で13年間を描いていた。
そもそも、自分がこういうアニメを見てみたいと思ったきっかけは、30秒で60年ほどの年月を描いたディズニーリゾートのCMを見たからであって、30秒で60年が描けるなら30分で1年も十分にできると思う。
さらにいうと、1話で1年進むというのは自分はアニメぐらいでしかできないのではないかと思っている。実写ドラマでは無理だ。数年後みたいにいきなり話がとぶのではなく、前回の話の終わりと次回の話の始まりの間隔は数ヶ月しか差がないので、いきなり年齢にあわせて役者を変えるとなると非常に違和感があるだろう。やるとするなら、26年間の撮影が必要になり、非現実的だ(ハリウッド映画の『ボーイフッド』という作品は、12年かけて撮影してたというから、もちろんありえなくはないが)。
では、漫画だとどうだろう? 漫画でもできなくはないが、場面転換が少し多くなるので難しいのではないかと思う。4コマ漫画ならできなくはないかもしれないが、個人的にシリアスな話も入れて欲しいので4コマ漫画はあわないのではないかと思う(『琴浦さん』を例にあげといてそれはないだろ! とセルフツッコミ)。小説はできるかもしれないが、内面だけではなく外見の成長が大事な作品となるのでやっぱりあっていない。
シミュレーションゲームやアドベンチャーゲームならできるかもしれないが、操作が面倒だ。
もちろん、だからといってアニメだったら簡単にできるというわけではない。他のアニメ作品と比べると、主人公を演じる声優は0歳から25歳までを演じ分ける必要があり、非常に難しい役どころとなる。主人公は女の子と考えたのも、男だと声変わりがあるので無理だと思ったからだ(こんなこと言うと、野沢雅子ならできる! とか、緒方恵美ならできる! 山寺宏一なら! 石田彰なら! とか言われそうだけど)。キャラクターデザインも同じく0歳から25歳で描き分けなければいけないので大変だろう(女の子なので身長だけでなく、胸の大きさも重要になってくる)。作画や原画担当としても、主人公が描き慣れるということもないため、他のアニメと比べて難しいだろうと思う。だけど、それでもやっぱりアニメでしかできない話だと思うので、やる価値は十分あるだろうと思う。
話の構成としては、0話で誕生し、3話か4話で幼稚園入園やはじめてのおつかい、6話で卒園、7話で小学校入学と七五三、12話で修学旅行と小学校卒業、13話で中学校入学、15話で卒業と高校受験、16話で高校入学、18話で卒業や大学受験、19話で大学入学と自動車免許取得、20話で成人式、21話でインターンシップや就活、22話で卒論、23話で就職、25話で結婚という感じ。
上記で書いてない話は、他のアニメでもよくある水着回や温泉回、はたまた季節系イベントのクリスマスやバレンタイン回をつければいいし、最終話で結婚の話なら結婚相手との出会いや告白の話も必要になってくるだろう。
シリアスな話を描くなら、ちょっと遠出してみたら迷子になる話、仲の良い友だちの転校、交通事故、失恋、就職難、それと25年も生きていれば身近な人の誰かは亡くなると思うので、葬式の話をやるのもいいと思う。
後、女の子の成長を描くうえで個人的にかかせないと思うのが初経の話。初経の話といえば、ないしょのつぼみだと思うのだけど、あれが小学校5年生の話なので、11話ぐらいになるだろうと思う。ただ、1クール目の最後の話は12話になるので、12話のほうがいいかもしれない。ただ、そうなると修学旅行や卒業の話と12話にいろいろな話を詰め込む必要があるので難しいか。いや、修学旅行の話は前半でさっさと終わらせて、後半で初経と卒業ネタを織り交ぜた話にすれば・・・。少なくとも、2クールではなく、1クールになるようであればそうすべきだろう。
なんてことをよく妄想しているのだけれども、自分には2クールアニメを作れるような金も人脈も能力もないし、将来それらが身につく未来も全くもってイメージできないので、その事実にふと気づくと落胆する。なんとかして実現できる方法はないかなと思って、調べてみると、アイデアをだせばそのアイデアを実現することができるかもしれないクラウドファンディングの Dmet idea というサイトを見つけたのだけれども、なんだかこのサイトで求められているアイデアと違う気がしてだしてない。一番可能性がありそうなのが、小説として書いて人気になってアニメ化するという展開になることだけど、先ほども書いたように小説向けではないと思うし、文才もない。何より、自分の場合、確実に最後まで書けない。
本当、仕事中にふと、(13話はこういう展開にすると面白いではないか。それと、結婚相手は子どもの時に出会ってたという話にしたら面白い。だから9話はこういう話にして・・・)なんてことが頭に浮かんで困っている。
最後に、自分はそんなにアニメに詳しいわけではないのでもしかしたら知らないだけですでにあるかもしれないので、もしそういうアニメがあるのなら教えてください。
そうそう、一つ書き忘れたことがあった。キャラが歳を取らないサザエさんなんかでは、「いつの間にかカツオより年上になってた」なんて言われることがよくあるが、一話一年のアニメとなると、「こないだまで自分より年下だったのに、いつの間にか自分より年上になってた」という逆転現象が起こる。こんなアニメはそうそうないんじゃないかと思う(とはいっても、自分が子どもの時は、ドラゴンボールの孫悟空がいつの間にか自分より年上になっていたが、それはちょっと違う)。というわけで、例えば『渡る世間は鬼ばかり』は自分の思うイメージと違う。
後、いくつかトラックバックとブコメを頂いたのでちょっと返信する
・「主人公の成長を父性的・母性的な感覚で見守るように」と言いながら
「女の子なので胸の大きさも重要」だの「水着回や温泉回」だのと言ったエロ目線も当たり前のように加わっていて
「父親になったつもりで疑似娘と近親相姦したい」と言う願望丸出しできめえ
確かに、「水着回や温泉回」という例をだしたのは少し浅はかだった。個人的にはそういう展開は他のアニメでも求めてないが、ニコニコ動画や2ちゃんねるのコメントを見てるとよく求められてる印象があったので、例にだした。
ただ、そもそも、『エロ目線』といわれるなら、『初経の話』のほうだと思ったのだけど、そちらのほうに触れられていなくてちょっと驚いている。
こういうこと言われることは考えたけど、ある程度キリよく考えたらそこを最終話にするのがいいと思った(自分だって結婚がゴールと考えてるわけではない)。人生のすべてを描くために80話ぐらいやったら確実に後半マンネリ化するだろうしね。
浦島太郎とか
いや、それは違う。最終話で「数年後」となる話とあまり変わらない。
アニメではないけれど、「ハリーポッター」シリーズも1作で1年だった。映画も2年に一度くらいのペースだったので、ハリー役の役者が成長していて時間を感じることができてたなあ。
なるほど。ハリーポッターは確かに近いかもしれない。読んだことないけど。
ありがとう。探してみる。
帰ってきたら100ブクマ超えてた。こういう作品を見てみたい人が多いんだろうな。と思っていいのだろか。ブコメ見てると似たような作品の紹介コメントが多そうだけど。
以下、気になったブコメの返信。
・リチャードリンクレイターの「6歳のボクが大人になるまで」と同じコンセプトですな。
・映画だけど、6才のボクが、大人になるまで。が面白いんじゃないかな
これは、本文でも言及した、『ボーイフッド』のことですね。見てませんが自分もちょっと気になってます。
自分のイメージでは、最初のうちは、母親がほぼ主役的立場という感じでいいと思ってる。特に0話は特別な数値だし、母親が主役だから『0話』としたといろいろいいわけがつく。
・それだったら小学生以下を無視して13歳~25歳で1クールのほうがよくないか、とも思う。キャラクターデザインも中、高、大、社の4種類以下で済むし。
・キャラデザや予算など課題はあるけどアリだと思う。でも小学校入学から高卒までで1クールにした方がいい。赤ちゃんや園児時代は回想で充分だし。
1クールだと誕生~小学校卒業までだと思ってたけど、そうじゃない案が多いのか。意外。
これなんなんだろ、と思ったら「手軽に「娘の結婚式に出るのお父さん」の気分になりたい」なのか。なるほど。
確かに、そういう感じかもしれない。ブコメの中では一番的を得ているコメントだと思った。
いや、個人的にはテクノロジーの進化は描かなくていいと思ってる。ガラスの仮面や名探偵コナンみたいに、作中の時間ではさほど時間がたっていないのに、最初の話では携帯電話なくて、最近の話では携帯電話があるという話があるけど、その逆。近年の0歳~25歳を描くイメージ(できるだけ普遍性はもたしたほうがいいとは思うが)。
一話一年って縛りだから一つのイベント最大20分で決着付けなきゃいけないじゃん。尺とれば面白くできるような話もぶつ切りみたいになって絶対つまらないと思う。
そうかな? ドラえもんやちびまる子ちゃんだって30分の中で2話やってるけど、面白い話も多いよ。もちろん、自分が考えてるストーリー構成案もある程度話題になるとは思うけど、多くの人に面白いと思ってもらえるかどうかは自信ないけど。
いや、一年で大の仲良しの友だちがそうころころ入れ替わるとも思わないし、入れ替わらない話にすればいいだけだと思う。
今回、いろいろブコメでいろんな作品が紹介されていて、でてくるかな? と思ったけどでてこなかった作品で、小学3年生から小学6年生までを描いた50話で1年進む『おジャ魔女どれみ』という作品が昔あったけど、あれだって友だちは入れ替わるわけじゃなかったし(増えはしたけど)。話それるけど、おジャ魔女どれみの続編(高校生編)のライトノベルは気になってるけどまだ読んでない。
誰も見てないと思いますが、小説家になろうで小説として書き始めることにしました。
前から気になっていたアニメ制作が舞台の小説の『ハケンアニメ!』を読んでいると、一話で一年進むというアニメがでてきました。
なんか前書いたやつがブクマ300超えちゃったみたい。コメント読んでないんだけど、調子に乗って、ぼくがこれはラノベよりひどいなと思った有名な人気小説を紹介したいと思う。
どれも超人気作品なのでぼくの感覚がおかしいだけなのは十分わかってはいるのだけど、こう思うひともいるってことで。本気でラノベのほうがマシだと思っている。こういう小説を好んで読んでるくせにラノベ批判してるやつらって頭おかしいんじゃないのって思う。
というか、そもそもフォークナーやナボコフを原書で読むような日本に1万人いるかもわからないガチの文学オタクのひとたちがわざわざラノベだけを指定して批判するなんてことがありうるのかってことなんだけど。世界レベルの傑作を読んでしまうと、ラノベも一般層向けの大衆文学も大差ないよねって話になるわけで、ラノベはだめで一般層向けの大衆文学はすばらしいなんて話には絶対にならないと思うんだが。
ラノベはたしかにくだらないが、一般層向けの大衆文学だって同じようにくだらない。一般向けの大衆文学を擁護するくせに同じ大衆文学カテゴリーのラノベを批判するのは意味がわからない。どっちも同じだよ?
でははじめます。
ひどすぎて絶句する。プロの小説とは思えない。こんなものが大量に売れる日本は終わってるなと思わせてくれる。ぺらっぺらで何もない。ラノベ1冊読むのに40分かかるぼくが20-30分で読み終わる程度のうすーくかるーいゆるふわ小説。
>http://www.amazon.co.jp/dp/457551344X/>
「愛美は死にました。しかし事故ではありません。このクラスの生徒に殺されたのです」我が子を校内で亡くした中学校の女性教師によるホームルームでの告白から、この物語は始まる。語り手が「級友」「犯人」「犯人の家族」と次々と変わり、次第に事件の全体像が浮き彫りにされていく。
<<
重松清って有名だからどんなもんじゃいと思って読んでみたが、ほんとにしょうもない。こういうくだらないの読んでなにかいいもの読んだ気になっちゃうのはどうなんだろうな。まあ小中学生までかな。ラノベのほうがまし。
>http://www.amazon.co.jp/dp/406274998X/>
死んじゃってもいいかなあ、もう…。38歳・秋。その夜、僕は、5年前に交通事故死した父子の乗る不思議なワゴンに拾われた。そして―自分と同い歳の父親に出逢った。時空を超えてワゴンがめぐる、人生の岐路になった場所への旅。やり直しは、叶えられるのか―?「本の雑誌」年間ベスト1に輝いた傑作。
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アホか! と叫んでしまう。「みずみずしい感性」ってこんなものかよ。エンタメのだめさが如実に表れている。こういうのを読んでいい話だと思っちゃうひとはあぶないのでは。『半分の月がのぼる空』でも読んだほうがまし。
>http://www.amazon.co.jp/dp/4087484920/>
そのひとの横顔はあまりにも清洌で、凛としたたたずまいに満ちていた。19歳の予備校生の“僕”は、8歳年上の精神科医にひと目惚れ。高校時代のガールフレンド夏姫に後ろめたい気持はあったが、“僕”の心はもう誰にも止められない―。第6回「小説すばる」新人賞受賞作品。みずみずしい感性で描かれた純愛小説として選考委員も絶賛した大型新人のデビュー作。
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評価が高かったから読んでみたが、ほんとにしょうもない。少年漫画か! と言いたくなる、糞みたいな人間関係とストーリー展開。主人公はさっさと死ねと思った。例外中の例外『神様のメモ帳』のほうがまし。
>http://www.amazon.co.jp/dp/4062761386/>
生後五ヵ月の娘の目の前で妻は殺された。だが、犯行に及んだ三人は、十三歳の少年だったため、罪に問われることはなかった。四年後、犯人の一人が殺され、檜山貴志は疑惑の人となる。「殺してやりたかった。でも俺は殺していない」。裁かれなかった真実と必死に向き合う男を描いた、第51回江戸川乱歩賞受賞作。
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日本語訳がひどすぎるという話は知ってる。それにしてもひどすぎる。ファンタジー大好きなぼくでも全然内容が頭に入ってこなかった。かといって原書読もうとも思えない内容だった。要するに俺TUEEE小説。これだったら「さすおに」こと『魔法科高校の劣等生』読んだほうがよい。
>http://www.amazon.co.jp/dp/4915512371/>
ハリー・ポッターは孤児。意地悪な従兄にいじめられながら11歳の誕生日を迎えようとしたとき、ホグワーツ魔法学校からの入学許可証が届き、自分が魔法使いだと知る。キングズ・クロス駅、9と3/4番線から紅色の汽車に乗り、ハリーは未知の世界へ。親友のロン、ハーマイオニーに助けられ、ハリーの両親を殺した邪悪な魔法使いヴォルデモートとの運命の対決までの、息を飲む展開。9歳から108歳までのファンタジー。
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ハヤカワepi文庫は積極的に集めているのだけど、そのなかでもしょうもなかった作品がこれ。まずタイトルがアホ。原題はこんなんじゃないのだが、日本人向けにあほなタイトルにしたらしい。もうね、日本人はなめられてるよ。内容はほんとにくだらない。アホかって千回叫んでしまう。
>http://www.amazon.co.jp/dp/4151200436/>
「君のためなら千回でも!」召使いの息子ハッサンはわたしにこう叫び、落ちてゆく凧を追った。同じ乳母の乳を飲み、一緒に育ったハッサン。知恵と勇気にあふれ、頼りになる最良の友。しかし十二歳の冬の凧合戦の日、臆病者のわたしはハッサンを裏切り、友の人生を破壊した。取り返しのつかない仕打ちだった。だが二十六年を経て、一本の電話がわたしを償いの旅へと導く―全世界八〇〇万人が涙した、衝撃のデビュー長篇。
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やたらとネットで絶賛されてるので読んでみたが、ほんとにしょうもなかった。構成は下手だし、描写もなんだかなあ。もっとヘビーでまともな文学はいくらでもあるよ。ケッチャムは有名になりすぎちゃったね。一部のカルト的人気でおさまっていればよかったのに。萌えラノベのほうがましなのは言うまでもない。
>http://www.amazon.co.jp/dp/459402534X/>
1958年の夏。当時、12歳のわたし(デイヴィッド)は、隣の家に引っ越して来た美しい少女メグと出会い、一瞬にして、心を奪われる。メグと妹のスーザンは両親を交通事故で亡くし、隣のルース・チャンドラーに引き取られて来たのだった。隣家の少女に心躍らせるわたしはある日、ルースが姉妹を折檻している場面に出会いショックを受けるが、ただ傍観しているだけだった。ルースの虐待は日に日にひどくなり、やがてメグは地下室に監禁されさらに残酷な暴行を―。キングが絶賛する伝説の名作。
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言わずと知れたノーベル賞作家なのだが、まあつまらないものはつまらない。でも海外のサイトのおすすめ文学みたいなリストにはよく入ってる。ちょっとよくわからない。これだったらフォークナー読んでたほうがずっといい。モリスンは調子に乗りすぎ。ラノベのほうが読みやすいしおもしろい。
>http://www.amazon.co.jp/dp/4151200576/>
元奴隷のセサとその娘は幽霊屋敷に暮らしていた。長年怒れる霊に蹂躙されてきたが、セサはそれが彼女の死んだ赤ん坊の復讐と信じ耐え続けた。やがて、旧知の仲間が幽霊を追い払い、屋敷に平穏が訪れるかに思えた。しかし、謎の若い女「ビラヴド」の到来が、再び母娘を狂気の日々に追い込む。死んだ赤ん坊の墓碑銘と同じ名のこの女は、一体何者なのか?ノーベル賞受賞の契機となった著者の代表作。ピュリッツァー賞受賞。
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しょうもなさすぎる。イシグロはブッカー賞作家なのだが、ブッカー賞作家でいえばクッツェーの足元にも及ばないと思う。ぼくは世界的な作家ではモリスンとイシグロが大嫌い。ラノベ読んでたほうがまし。
>http://www.amazon.co.jp/dp/4151200517/>
優秀な介護人キャシー・Hは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。生まれ育った施設ヘールシャムの親友トミーやルースも提供者だった。キャシーは施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度…。彼女の回想はヘールシャムの残酷な真実を明かしていく―全読書人の魂を揺さぶる、ブッカー賞作家の新たなる代表作。
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純文学だが、とにかくつまらない。これ以上つまらない小説は存在しないのではないかというくらいにつまらない。文体がうつくしいというが、個人的にはそこまでいうほどかなと思う。なんか置きにいってキレイに整えているだけで、文章におもしろさを感じないんだよな。純文学にもラノベ以下のがあったんですねえ。
>http://www.amazon.co.jp/dp/4101030073/>
祖父と母との過失の結果、この世に生を享けた謙作は、母の死後、突然目の前にあらわれた祖父に引きとられて成長する。鬱々とした心をもてあまして日を過す謙作は、京都の娘直子を恋し、やがて結婚するが、直子は謙作の留守中にいとこと過ちを犯す。苛酷な運命に直面し、時には自暴自棄に押し流されそうになりながらも、強い意志力で幸福をとらえようとする謙作の姿を描く。
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と、いろいろ中身のない愚痴を言ってみたけど、これらはどれも超人気小説なのであり、世間で評価されてるわけで、グダグダ言ってるぼくがおかしいのは間違いない。つまり、逆に言えば、自分が平均的な人間だと思うなら、ここで挙げた小説を読んでみたら楽しめるかもしれないってことだ(『ビラヴド』『暗夜行路』以外は)。ただ、ぼくみたいな人間も一部にはいるというのはたしかなことで、そういう人間にとっては、これらの人気小説よりもラノベのほうが価値がある。ちなみにぼくはべつにラノベばっかり読んでる人間というわけではない。
ラノベを擁護したいのは、一般層向けのくだらない大衆文学しか読まないような人間がラノベを馬鹿にしていたからだ(前も書いたのだけど、かれらはカントやヴェーバーやアドルノなど文学部で絶対に読むような本すら読んでない。そんな無教養な人間が多い)。きみの読んでる小説もラノベと大差ないのだがねといいたいのだけど、いちいち突っ込みいれてたらなんかけんかになるしいえない。というわけでここで書いたわけ。
いや、ほんとにラノベとその辺の大衆文学に差はないよ。基本的にどっちもくだらないのが多い。そしてラノベにも見るべきものはあるってこと。そんなシンプルな話なんだが、なんで議論になるのか。ひとによってはぼくみたいに、ラノベ>ノーベル賞作家の作品ですらあるわけ。ラノベだからくだらないってのはおかしな話だわな。
ラノベを見下したいやつらってなんなんだろうね。上でも書いたけど、文学オタクがラノベを見下すってほとんどありえないことだよ。だってまず最初から相手にしてないんだから。ラノベを見下しているのは大衆文学のファンなんだよね。ラノベも大衆文学の一部なのに。読み捨てのエンタメ同士仲良くしろよって思う。
言っておくけど、べつに釣りではないよ。いつも思ってることを書いてみただけ。
タイトルで完結してるけど。
けっこう前に、金曜ロードショーでやってた「ハリーポッターと賢者の石」を見たのだけど、微塵も面白くなかった。
今まで「ハリーポッター無視世界」に生きてた私、このハリーポッターシリーズの一作目を、そらもう期待して期待して見た。
面白いに決まってる!
私が今までハリー無視世界に生きてたのはただの「流行りものへの無意味な反抗心」が原因だったから、もういい大人(三十路)だし私も、もういいじゃないか、流行っているもの、みんなが見ているものはきっと面白いんだワ、と素直に流行りものの娯楽を享受することにしたのだった。
で、ハリーポッターだった訳なのだけど、もうびっくりするくらい全然楽しくなくて、見てるのが退屈で、全部見ることを諦めてしまったくらいだった。
でもまだUSJのハリーポッターアトラクションは長蛇の列だ、という話をきいて、私は世間からぽつん、と取り残された気分になる。
あんなのをみんな面白いって思ってるんだって思っている。不可解でさみしい。
周りをみても、ハリーポッター面白い、という人ばかりで、そんな人たちに「私は面白いと思えない」とはどうしても言えなくて、ヘラヘラしてる。
でももう興味が持てないなあ。
ベクター: http://www.vector.co.jp/
言わずと知れた老舗ソフトウェアダウンロードサイト。毎日更新されるコンテンツは「新着ソフトレビュー」くらいなのに毎月7800万PVの高○○を誇る。(巷で人気のはてなは全サービスで2億PV/月らしい!ワーオ!)ベクターの広告掲載料はPVあたり0.05円だとか。今は…、…といった企業の広告が掲載されている。
世間に高い印度象を与えた遠隔操作ウイルスバスター事件に対するHIT-BITの印象はどうだったろうか。スーパーハッカーが自己満足のために起こした事件とか?
スーパーハカーといえばやはり遠隔操作。遠隔操作でCDトレイがガコンガコンだろうか。そう考えるとEjectコマンドユーザー会なんか完全にブラックハット集団だろ……何人いるのか知らないけど
この騒動の中で耳慣れないソフトウェアが複数登場した。例えばこういうものだ。
我々が普段ホッテントリで目にするアプリとは何か違う。例えばサーバ→鯖→マカレルのような発想と同じ匂いを感じずにはいられない。それに「パケット警察」よりも"SoftEther社のパケット監視ツール"と言われたほうがピンと来る。
ベクターにはこういったゆるキャラ的名称を持つアプリケーションが数多く登録されているのである。
私は空気読みができる人間だ。つまり何が言いたいかを改めて申し上げると、エバーノート活用法と聞けば、自分の時間を犠牲にしてでもライフハックMethod収集に勤しむ意識高い系ライフハッカーや、Markdown対応と言われればナンでもカンでも有り難がる技術系アーリーアダプターの方々や、はてブなどのソーシャルメディアに居を構える人たちと、ベクターユーザはどこか違うということを思わせる印象操作である。
増田一族の皆さんは日本で一番使われているWebブラウザをご存知だろうか? ……その通り、IE9である。ところがだ・私は10年以上、隔週一度の頻度ではてなブックマークを利用してきたが、いまだにIE9のハック記事がホッテントリ入りしたのを知らない。ちなみにOperaもない。
ベクターで人気のアプリケーションで「めもりーくりーなー」をご存知だろうか。不要になったメモリ領域を回収するシステムメンテナンス系ツールなのだが、実態は大量にメモリ確保をするものだ。Windowsはメモリが不足すると使用頻度の低いメモリ領域をシステムディスク上のスワップ領域(仮想メモリ)に追いやり、物理メモリを確保する。それが空きメモリ復活のからくりである。
遠い昔、メモリ最適化ツールとして「ただ数を足したり引いたりするだけのプログラム」が持て囃されたことがあったが、めもりーくりーなーのコア部分はメモリ確保のAPIコールをするだけで済んでしまうので、足したり引いたりほども難しくはないのである。
そんなツールが人気のベクタソフトウェアライブラリというと誤謬(ごびゅう)があるかもだが、そんなベクターが月あたり7800万PVである。ワオ。「そんな」とか言えない。そんなベクターからは毎日収録ソフトのアップデート通知が来るが、再インストールとほぼ同じ手間をそうそう小まめに行う人間がいかほどいるだろうか。注目ソフトウェアを取り上げる「ベクターソフトウェアニュース」ははてブと違って1日1回の更新だし、メールマガジン「ベックル」だって手作業での編集だ。それでもはてな2億PVに対してベクター7800万PVなのである。それを620万のUUが支えているので、1人あたり12PV余り稼いでいる計算になる。今のはてなは2億PVに対し4000万UU(U'ェ'U)→1人あたり5PV。情報の更新量で言えば個人ブログのスターダム層とあまり変わらないのではないだろうか。MLBに例えるならブログ界の野茂英雄とも言える旧イケハヤ書店さんが今年3月に100万PV/50万UU達成を記念して焚き付けを行なっていたが、同程度の情報更新量とするとイケハヤ100万パワーとベクター7800万パワーの差は一体何なのか。火事場のクソ力vs平時のキン肉マン並みの差である。(ちなみに超人界の神々が1億パワーであることもご考慮いただきたい)これは何か常連にしか見えない㊙コンテンツがあるとしか思えない数値である。
(そういえばはてなダイアリーからニコニコのブロマガにもらわれて行ったベックルハリー先生は、映像でもお見かけする機会が増えて、以前より増してご活躍のようですね。ニコニコ静画のコンテストで新作の絵師さんを決めたそうで気になります)
注: 「めもりーくりーなー」はCodeZine「マンガで分かるプログラミング用語辞典」やマンガでわかるJavaScript / Javaプログラミング、最近ではnoteでも連載中のクロノス・クラウン 柳井 政和さんの著作です。実際にはメモリー最適化のためのニーズに合わせたUIを備えているため、前述した原理だけのアプリケーションではありません。
ベクターはおかげさまで25周年!今年が平成26年、つまり平成も25周年を過ぎたところ。ベクターは日本の年号が「平成」に変わったのと同時期に創業した会社なのであります。平成の始まりは1988年2月。その頃あなたは何をしていましたか? まだ生まれていませんか?それとも友達が続々とファミコンを手に入れていく中、1人だけMSXを買ってもらってデータレコーダーで5分かけてロードした後、ただひたすらゴジラと戦う3DダンジョンRPGや、アスキーや徳間書店の雑誌に載っているプログラムリストを打ち込んで、F5を押しては"Syntax error"を出すという流れ作業の話をして「ふーん」と言われるだけの交友関係に何かコレジャナイ感を感じていた頃でしょうか?もしかしたらアイドルから一転してラ・ムーを結成した菊池桃子さんとHelloみかんに衝撃を受け、自称親衛隊を辞めようかどうしようか、辞めるとしたら世間的に許されるのかどうかと迷っていた頃……という方もいらっしゃるのではないでしょうか? そのころベクターはもう走り出していたんですね!!!!!!!!!!!!!<3
199x年から始まったソフトウェア・ライブラリサイト「Vector」の累計ダウンロード数は、1999年に1億DLを達成した後、毎年1億(ときたま2億)ずつ堅調に増加して今年19億DL達成。
本業がオンラインゲーム事業になってしまったベクターだが(「創星紀アステルゲート」大好評サービス中)、ソフトウェアライブラリは依然として健在だ。7800万PVを支える620万UUに7800万のベクター体験を提供している。(わーお)
ベクター体験と言えば、最近では「XPフォーエバー」が人気だった。XPが意味するユーザー・エクスペリエンス(UX)が後発OS(というかiOS)に受け継がれた現在においても、WindowsXPは走り続けているらしい。そして走り続けなければならない。定年退職と同じだ。ゴールが年々遠のいていくんだ。プログラマー定年説だって昔は30歳だった。それがいつの間にか35歳定年説になっている。40歳になる日もそう遠くはないだろう。30歳が若くない?そんな言い分が通用するのはアイドルとスポーツ選手とプログラマーくらいのものではないのか。政治家なら40歳で若手。そもそも一日中イスに座りっぱなしで政治家ほども動かず、身のこなしと言えば手を動かすくらい、チェリーの黒軸キーより重いものは打つことがない仕事がなぜ「体力勝負」と言われるのか。「プログラマーやってたんで体力には自身があります!(*°∀°)=3」とか引越し業の面接で言えんの?1日じゅう立ち仕事で刃物を扱ってる床屋の主人を差し置いて体力自慢できんの?
私は空気読みができる人間だ。落ちのない小話がそう何度も通用するとは思わない。本題に戻ろう。
さて、増田一族の皆さんはベクターのご当地ゆるキャラをご存知だろうか。その名も「べく太」である。心優しき少年ではあるが学校での成績がずば抜けて悪く、テストでは全問不正解の上、自分の名前を「べく犬」と書いてマイナス点をもらう奇才ぶり。友達はそこそこいるが、成績の悪さや自身のずっこけエピソードにより、知らない人にも名前を知られている有名人気質。得意科目は射撃とあやとり。手に座布団を持ったスタンディングポジションから就寝までの速さを競う競技昼寝の速さにおいて世界クラスの実力を持つ。いつも((ミ゚o゚ミ))の影にいるため主人公とは思われない彼だが、劇場版長編「のび太の結婚前夜」ではアレをナニされても決してああはしないという彼の秘められた人間性が描かれている。
そんなのび太が最も輝いていたのがシステムメンテナンス系ツールの紹介記事であった。
他とは比べ物にならないほど豊富にあるハードウェアの性能を引き出すため、Windowsの世界ではさまざまなチューンナップ技術が磨かれてきた。メモリ最適化、レジストリクリーニング、ディスクキャッシュの最大化、RAMディスクの利活用、ビジュアルテーマ/アニメーションの無効化、IEの常駐、スタートアッププログラムの削減、サービス系プログラムの無効化、EXEの圧縮、RARの活用、標準ツールよりも高度なサードパーティ製ディスクデフラグ&メモリデフラグ……、やることはいっぱいだ!でもこんなに手間をかけられるWindowsはかわいいなあ!そうやってPCチューンの腕を日々/.J で研鑚しあうマイルドハッカー達は磨き抜いたファイルコピーのスピードに一喜一憂したものである。
特にベクターには日本人により日本語で説明された扱いやすいメンテ系ツールが数多く登録されていた。使い方を誤れば手塩にかけて育ててきたWindowsに打撃を与えかねない分野であるため、「日本人にとっての分かりやすさ」は重要視される要素だ。そんな分かりやすいツールをさらに親しみやすく紹介する子供だましが紹介記事におけるべく太の役目である。
今ではべく太も良く読まれた記事のランキングでしかお目にかかれなくなってしまった。今や世間は萌え擬人化を通り越してゆるキャラブームである。いやブームさえ通り越して文化である。べく太はゆるいというよりマイルドなためかこのブームに乗っかろうという動きはまだ見せていない。これは残念なことである。(はてなもゆるキャラ路線をやめてしまうのだろうか)
ところどころかいつまんで述べたため、いくぶん主題がぶれた印象はあるが、
そんなベクターのユーザにリーチすることを考えないで、一足飛びに海外にロンする発想はちょっとチョンボしすぎなんじゃないの。その前にIEのセキュリティ問題で右往左往する人たちを相手にするのが先でしょ。そのあとは日本人口のメイン層である前期高齢者な。
情報社会を牽引する立場のソフトウェア開発者とは言っても、テストコード書いてこまめにリファクタリングしていくらでもデプロイしては動作確認できる人たちばかりじゃないの。一次請けから渡された画面設計書をメンバーに一人一枚ずつ手渡してアサイン完了、がんすけで開発スケジュールを引きつつ「これでどうだ?」とメンバー一人一人と納期交渉をするSEもいるの。ソースコードとほぼ同じ内容なので、スケジュールには含まれ得ない詳細設計書を「まぁ気持ちは分からんでもないが本来はそういうもの」という理由で実装前提出させたりするの。すべてが決まって検討課題がメンバーのメンタル面だけになった時点でキックオフ・ミーティングを始めるのが開発フローになっていたりするの。
これに対して事あるごとに穏やかな語り口で「私は雑用ですから」とつぶやくSEもいて、彼の場合は画面設計書をメンバーひとりひとりに渡して顔を伏せつつ実に申し訳なさそうな口調で「これぐらいでお願いできませんか」と納期交渉をしつつがんすけ2でスケジュールを引く人でした。
そんながんすけをダウンロードできるのもベクターソフトウェアライブラリなのである。がんすけ / がんすけ2 / (窓の杜にもあるよ) / (公式です)
話がそれたので本題に戻そう。
タイプは違うが、両者とも大差なくマッチョメンであった。SEなのに。ここから少し余談を挟むが、その後面接をしたとある派遣会社の派遣プロマネもマッチョマンであったが、マッチョメンに出会ったのはそれくらいなので特に私の人生がマッチョメンで占められているという話でなはい。
私も筋トレすれば強くてたくましいSEになれるのかな、、、
いやスケジュールが押したからって突然開催されるようになった朝会に、シドニアの騎士のOPを歌いながら入ってくるようなSEは私の目指すところではないな。戦いの場への入場曲はもういいので設計をして下さい、設計を。適切な設計で工数を減らすのは、あなた方の役目でしょ。あなたの敵はここにはいません。何も打ち砕かなくていいのです。そんなことよりぴょんぴょんしましょう。ぴょんぴょんのほうがメンタル的に優しくていいです。ぴょんぴょんですよぴょんぴょん。
このままで、果たして定年までぴょんぴょん続けられるのかな……。定年……って何歳だっけ……。
元々は55歳か。それが20年で60歳になって……さらに20年経って65歳が当たり前になったのね。じゃあ、あと20年したら70歳が定年かぁ……今働き盛りの人たちは70歳から年金受給者だね☆ 平均寿命が延びたぶん定年がずれていくということは「人は働くために生まれる」というのがこの国の常識なんだろうね。(だって政治家は自分を選んでくれた選挙区の空気を読んで法律に反映させる役職でしょ?) そんでもって現在の定年が65歳、日本人の平均寿命は80代前半。最高齢が110代なので医療福祉諸々の発展で平均寿命と定年があと30年延びる可能性も?95歳で定年!?いやいやいや……そのころには日本人の人生観も変わってるだろうから……いやいやいや……変わってるかなあ。
だったらプログラマーは何歳定年説になっているんだろう。IE9をシェアNo.1に押し上げるような職場に勤めていれば何も心配ないのかな……また大きなパラダイムシフト──という言葉がもうずいぶん久しぶりだけど──が起きてプログラマー定年が上がるのかな……パラダイムシフトじゃ上がらないかな……ライブラリとツールのほうが大事かな……(大体、オブジェクト指向だって末端のアプリケーションエンジニアにとっては「例にならえばいいだけのもの」だったし)……何かを速く便利に自動化するツールよりも、テストコードを書けばそれに合うライブラリを探してきてくれるエージェント指向システムが実現されないかな。今のところ再利用可能なコードを探す手段はドキュメントを検索するのと、ソーシャルふにゃふにゃで誰かに教わることくらいしか無いし。そんなパラダイムシフトが早いとこ起きないかなー起きればいいなー「お前が起こすんだよ」とか言う奴ぜったいいるだろうけどおれはおこせないしなー。
結局、定年って定まってないんだよね。不定年だよ。定年は不定年。同じ境遇の人間が多数いればその都度社会が対策とってくれるだろうし、先のことを気にしても仕方が無いよね。──ってことでハラオチ。
そんな私のベクター体験を元に、ベクターユーザからも訴求されそうなはてなブックマークUIを考案するのが本稿の主題である。
(Dan the full stuck engineer.)
Shared by iNotes - Sync Note with iOS
http://anond.hatelabo.jp/20091123023409
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BA%B4%A1%B9%CC%DA%B4%F5
-*米・最も美しい顔100 -米国映画専門サイト「インディペンデント・クリティクス」が主催する「2010年最も美しい顔100(MOST BEAUTIFUL FACES 2010)」の33位に選ばれた。日本人として初のランクイン。 --二宮和也(嵐)との熱愛報道(2011年5月) -2010年4月に収録されたTBS系バラエティー番組「ひみつの嵐ちゃん!」にゲスト出演し、意気投合。昨年冬までに本格交際に発展した。2人は佐々木の自宅でほとんど一緒に暮らしている状態であり、事務所も交際を否定しなかった。 +これまで噂になった人物は、 +-押尾学 - 本人によるコメント無し。事務所も否定しなかった。 +-EXILEのTAKAHIRO - 本人によるコメント無し。事務所も否定しなかった。 +-杉山ハリー - 本人によるコメント無し。事務所も否定しなかった。 +-深田恭子 - 本人によるコメント無し。事務所も否定しなかった。 +-二宮和也(嵐) - 本人によるコメント無し。事務所も否定しなかった。
http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1271485
+-西麻生バー店長Y - 本人によるコメント無し。事務所も否定しなかった。
いろいろ言われているけれどさ。
結構使い古された演出手法だよね。
人の死の演出を印象深いものにしようとすると、大抵は2種類になる。
(A)はアルマゲドンでブルース・ウィリス演じた「ハリー」のようなもの。
お涙頂戴だったり、男気に溢れたり、まぁドラマ的な演出で記憶に刻む。
「ここはおれにまかせろー」とかそういう奴。
見てる方も死への心構えができるし、死を重要なものとして演出するから、気持ちが納得する。
(B)は、戦争映画をあまりみない私の映画知識ではぱっと浮かばないんだが、
アニメ・マンガなら「銀河英雄伝説」や「ファイブ・スター・ストーリー」なんかが当たる。
主要と思われる人物や「良い人」が実にあっさり死ぬ。
時には、「死んでいた」と言う報告のみだったりする。
これが意外にクル。
特に仮想ヒーロー物に慣れてると、人の死=イベントなので、なんでもない死は準備のないところにぐさりと刺さる。
なんでこんなの書いてるかと言うと、これを読んだから。
http://d.hatena.ne.jp/kkobayashi/20110130/p7
重要な人や良い人を、盛り上げることなくあっさり殺せばいいだけ。
逆に言えば、今回マミさんは死ぬ直前にフラグを立ててしまったので、ショックが和らいだくらい。
そういう方が、きっと心理的に効果が高かったと思う。
カモーンベイビー。締めくくる技。
やばいわー。最高だわー。
これ最高。最高すぎる。
低音最高ですわー。
俺には世界がある。
俺には闇がある。
全てがうまくいってるように思えた。
また君にけしかける。
未来が待ち受けている。
構わない、何があっても構わない。
皆が俺をほめたたえてくれる。
皆が俺に注目してくれる。そんな夢を見たっていいじゃない。
午後の紅茶とか飲みたい。ポテトチップスは手が汚れるからスルーだ。
爪が伸び過ぎてるのもだめね。キーボードカバーが傷つくからね。
そう、俺はノートパソコンの戦士なのだ。
やめてばっかり、このまま人生すらもやめちゃうのかしら。
ハリー「黙れマルフォイ!」マルフォイ「黙るフォイ!」
もう大変だよ。エクスクラメーションマークの大感謝祭だよ。
暗い目をしてたってこの星のリズムは君に笑顔降らすから。きっときっときっと
みんな苦しんでるんだよ。それでも生きてるんだよ。僕は苦しんでないけどね(大爆笑)
m9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーッハハハハヒャヒャヒャヒャ
そんなこと言える俺は地獄に堕ちるのでしょうか。
俺は神は信じない!!その割りには神神いってるけど!!
んん、まずまずだ
わっしょいわっしょい。
国敗れて山河あり。
どうでもいいけど笑ってくれよ。
笑わせる力を持ってるんだろ。
ふわあああああああああああああ
浮かぶ。浮かぶよムジンクン。
最高にハッピーな気分はどこまでも続いていくのさ。
腹に消えてった金ですらも、ぶっこわれるほど破壊されていくのさ。
twitter,もっと自由にやらせてもらうぞ。
そんくらいがちょうどいい。
ちょうどいいとこにいたい。
行くところまでいきましょうか。
なんでもいいけど早くブッ倒せよ、魔王。
アナゴさんが宿敵。
ぶるああああああああああああああああああああああ
なんとなく湧いてくる降ってくるイマジネーションと共にI £ονё Υου.....φ(´I`● )。
because I love you.希望ならあふれんほどに。
びっくらこいた!
やっぱり咲いた、友の花。
少数精鋭でございます。
確かなものは欲望だけさ。100%の確率なのさ。
どうでもいいけどさっさとそのふざけた幻想をぶち壊してくれよ。
いっぱいいっぱい。とはこのことか。
正直いってつまんないよ、ああ、へぇ、そう、だから?
だから何ーーーーーーーーーーーwwwwwwwwwwwwwwwww
つまんないのはみんな一緒でしょ。えぇ?そうでもない?
ふふふ。だから何?だからなんだっつーのよおおおおおおおおおおおおおお
なんでオカマ口調になってんだよおおおおおおおおお
要するにこんなダメダメな文章を書く奴は
頭がマジでいっちゃってるんじゃないのっつー話。
いいからさっさと出ていきなよ。
愛たい。ごごごごご・・・・・・・・・・・・・
それでも愛は止まらない。笑っているよ、石像が。
僕は僕になる。いちいちうるさい小僧だなぁ。
オーガニックが過ぎるのもー
ああ、どうでもいい歌だ。宇多田ヒカル。
ピギャーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ジャンクフードでも食ってろってか。
カップ麺でも食ってろってか。
路頭に迷ってホームレスか。どうでもいいんだよ。
基本的にどうでもいい話を続ける俺。
俺は文章を書いていたいよ。
だから俺は書く。タイピングする。
タッチタイピングの技術も身につけた。大丈夫、これで大丈夫だ。
一気に進み出す。俺は絶対に見逃さない。何をするにも希望っつーもんが必要でしょうが。
手遅れならそれはそれでいいのよ。俺はしゃべり続けていたいのよ。
希望なら腐るほどある。夢なら腐るほどある。その結果がこれだよ!!
じゃどうする?興味もないね!ロンがハリーに嫉妬している事なんてどうでもいいね!
どうにもならないことなんてどうなってもいいこと。ブルーハーツの人が行ってましたよ。
くっだらねぇって、つまんねぇんだって、チラシの裏にでもかいてろって、
ポテンシャルならまだ十分に発揮していない。
封神演義 武成王死亡
鋼の錬金術師 ヒューズ死亡
例外として
ターンAガンダムのハリーオード⇒ただし御大のシナリオでは死亡予定
Fateのアーチャー⇒設定上しかたないが、一々泣ける死亡シナリオ
という事はあったが、いかんせんトライガンで懲りたはず・・・だった。
が、
やめて当たらないでぇぇぇぇ!!!!って叫んでます。
しかしあえて書きましょう。某東原伝説までいかないが、外れることを証明したいし。
牛さんどうかころさないでくださいおねがいします。
ウルフウッド死亡時は、立ち読みしたとき泣いた。家で思い出してないた。きもいといわれてもいいw
悪の道具として生まれ改造、導き手、大事な身内(夫人はどうなるか知らんが)というキャラ立ちが
ウルフウッドと似てるのはいいとしても、死亡エンドぉぉぉぉはどうか回避してくださいおねがいします。
それにとりあえず生き残らないとキンブラ外伝が読めないとおもうんだ!
某ヘルシングの執事は死亡したけど外伝ry)とかいうのは断じて知らない。
20100310追記
とかかいたけど、
やっぱ大総統死んだーーーーーーーーorzorzorzorz
死に際がかっこいいYO・・・でも泣きたいよ・・・
なんでこごとく死に様が無駄にかっこいいんだ萌えキャラ達よ・・・
前回↓が途中で切れたため、その段落から改めてつづきを貼ります。
http://anond.hatelabo.jp/20081101232814
さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18年5月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940年から1948年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなんと37年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。
「ホームページに載っている」と、また典拠をあいまいになさっていますね。アクセス日時を明記して、該当のURLを示すことも論文のルールとして確立しています。典拠となる論文の題名も該当ページも省略されていますが明記するのが普通です。先行研究の要約と著者の意見の区別がつかないのも問題です。先行研究の要約にオリジナリティはありません。先行研究について論じたいのであれば別でしょうが、先行研究を手がかりに、何かを主張したいのであれば、引用でも注でも根拠となる史料(この場合は「機密資料」)の該当部分を明記するのが論文のルールです。ちなみに孫引きは基本的にしてはいけません。原典にあたらずに引用元の編集が正確であるとは言えないからです。つまり、読む側からすると、根拠が示されていないがために、その主張を認めることはできません(学問のルールにおいては、主張する側に立証責任があります)。
ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2,第3の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
繰り返しますが、根拠のない推測は論文の中では無価値です。さて、戦った結果、無条件降伏して占領(=支配)されました。その後、戦争をせずとも、サンフランシスコ講和条約を結んで独立できましたし、奄美諸島も小笠原諸島も沖縄も返還されました。
さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。
しつこく繰り返しますが、風が吹けば桶屋が儲かる式の主張に説得力はありません。「国家間の問題も話し合いによって解決」とのことですが、イラク戦争やグルジア戦争は話し合いではありません。「百年、2百年」の根拠も示されていません。「人種平等」を推進した国際連合を結成したのは、勝った「強者」の国々でした。
一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返
また、「・・・・・・という人」、さらに「・・・・・・と思っているのであろう」ですが、藁人形を叩いても論文に説得力は生まれません。論文で心情の吐露をしても説得力は増しません。私の立場を表明しておきますが、人の生を無益だとする考え方には賛同しないことと、批判的検討を行うことは両立すると考えています。
東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。
自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。
国を主語にしたのですから、そのように表明している公式見解くらい示してください。個々の語りについても、他者が参照できる形で提示されないものは論拠になりません。最後まで「侵略」の定義がなされないままでしたね。
戦時中のアジア諸国と日本との関わりについては以下の諸論文を参照。
吉川利治「タイ国ピブーン政権と太平洋戦争」『東南アジア研究』19(4)、1982年、363-387ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/56071/1/KJ00000133800.pdf
大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、347-377ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf
中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要(東京大学)』151、2007年、149-217ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf
黒田展之・小林裕一郎「シンガポール華僑粛清事件裁判記録(1)」『法と政治(関西学院大学)』49(2/3)、1998年、327-337ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0001061933
同「シンガポール華僑粛清事件裁判記録(2・完)」『法と政治(関西学院大学)』49(4)、1998年、575-614ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0000592111
谷川榮彦「太平洋戦争と東南アジア民族独立運動」『法政研究(九州大学)』53(3)、1987年、361-398ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870
日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。
「事実を丹念に」見せるのが実証的研究です。この「論文」はそうではありません。
「嘘やねつ造は全く必要がない」心の底から同意します。
以上、お目汚し失礼しました。もっと勉強しなければ……
(追記)日本の新聞記事へのリンクを貼り忘れていたので追加します。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci
http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html
ネタバレ注意です
友や校長の協力を得てヴォルデモートの影を打ち破りゴブレットを手に入れようとしたときあのマルフォイが立ちはだかる。
「貴様は…、いつもいつもそうやって!なぜ己のつとめを果たそうとしない!」
「何のことだ!」
「死んだ方がましだ!」
二人の魔法が炸裂し互いの杖が砕け散ってしまう。
「お前には拒否する権利はない!
なぜなら、お前はあのお方の息子…、魔王ヴォルデモートはお前の父親だ!」
「嘘だあぁぁぁ!」
もはや魔法はいらなかった。拳と血が飛び交う。
リーゼントの崩れたマルフォイが馬乗りになって叫ぶ。
「透明マント、箒、ゴブレット。お前は何か一つでも自分の力で手に入れた物があるのか!?」
「僕には友達が居る」
「ふはははは、笑わせるな。彼らはプレゼントなんだよ。」
「ハリー考えてみろ、マグルの世界ではいじめられっ子なおまえがなぜこの世界でヒーローになれた!?
一人も友達がいなかったお前がどうして仲間に囲まれている!?」
「何が言いたい!?」
「この世界は、お前の父親がお前に託した最高で最大のプレゼント、「魔法の世界」なんだよ!
この世界はお前のために用意されお前のために存在する!俺たちもお前のお友達もな!
つまり、お前の父親、あのお方は「神」なんだ。」
「ふざけるな!ロイもシャーマイオニーもダンブルドア先生も作り物だというのか!?」
「ダンブルドアは少し違う、あいつはあのお方に造られた物の中で唯一反抗した物だ。
あいつはお前がこの世界を支配するのが気に入らないらしい。」
「だったらお前はなぜ僕を殺そうとするんだ!?」
「俺の役目はお前の友達になることだった。だがお前はそれを拒否した。役目を失った俺はどうしたらいい!?俺は何のために生まれてきた!?
そして悟ったんだよ。どうしたらいいのか。