はてなキーワード: 糖蜜とは
東南アジア(マレーシア、インドネシア)に行くと普通にあるよ。
マレーシアで「ケチャップ(「ソース」の意。発音は「キチャプ」に近い)」と言えばまず ケチャップマニス(Wikipedia)のことで、
大豆から作るあまりしょっぱくなくて薄甘い糖蜜くらいの固さのソース。トマトっ気ゼロ。
現地には他の種類の「ケチャップ」もあるらしいけど自分は知らない。
知り合いのマレーシア人は20歳でアメリカに来るまで「トマトケチャップ」は見たことがなかった、と言ってたよ。
「トマトケチャップ」はアジアのあのあたりに東インド会社持ってた国のどれかが、自国でなんとか「ケチャップ」を再現しようとした結果だよね。
糖蜜ってどこで買えるん?
梅酒や杏(あんず)酒のような甘い果実酒が好きだ。でも本物の果実酒とは違う気がする。市販されているそれらの酒は、ほとんどが梅や杏をホワイトリカー(廃糖蜜を主原料とした焼酎)に漬けて製造したものだろう。果実の甘味や香りはするけれど、アルコールの味や香りはホワイトリカー由来の物だ。それが果実酒として本物ではないと感じさせる。
しかし、ワインは赤でも白でも安物でも本物の果実酒だと感じる。それはアルコールがブドウ由来だからだ。もしもブドウをホワイトリカーに漬け込んで酒を造ったとしたら、それはワインともブドウ酒とも違うまがい物の酒となるだろう。しかし、漬け込む果実がブドウでなければ果実酒と認められるのだ。これはおかしいのではないか。
酒の歴史は人類の発祥よりも古い。エチルアルコールはブドウ糖の発酵で生成されるので、理論的には果物が腐らず発酵するだけで酒ができるのだ。よって文明や知性が酒造に必要とは必ずしも言えない。日本には猿酒という伝承があり、猿が木の洞(うろ)に果実を貯めて造った酒のことを言う。サルナシはその伝承から名付けられている。海外では伝承ではなく実際に動物が酒に酔う姿が観測されている。それも霊長類に限ったことではない。アフリカゾウがヤシ酒を飲んだり、ヘラジカが発酵したリンゴで酔ったりするそうだ。アフリカ大陸にはマルーラという糖度の高い果物があり、様々な野生動物がマルーラで酔っ払っている姿をYouTubeなどの動画サイトで見ることができる。
野生動物が様々な果実酒で飲酒を堪能しているのに比べて、私の果実酒文化はなんと貧しいことだろうか。ホワイトリカーで作ったまがい物の果実酒で我慢しているなんて。思うに、人類は文明の発祥とともに多様な果実酒文化を失ったのではなかろうか。
農耕と牧畜の発展により世界四大文明が生まれて、食糧供給をコントロールする社会が生まれるとともに穀物由来の酒も発明された。その最初が黄河文明の黄酒である。コメやキビを原料とした酒で、紹興酒は代表的な黄酒である。黄酒でも日本酒でもビールでも、ブドウ糖の無い穀物をわざわざ糖化させてまでしてアルコール醸造してきたのはその方がメリットがあるからだろう。果物ではなく穀物で酒を造る利点として、生産量・生産効率・保存性・主食への転用がざっと考えられる。
さらに果実酒の衰退を加速化させたものとして蒸留の発明が考えられる。蒸留技術はアリストテレスが師プラトンから受け継いだ四元素説の応用から生まれた。ちなみに蒸留に熱力学の理解は不要であり、四元素説の言葉を用いて以下のようにカッコよく説明することができる。
蒸留とは水(アクア)の形相(エイドス)【冷・湿】となって水中に溶解している酒精(スピリタス)を、火(イグニス)の力で空気(エア)の形相(エイドス)【熱・湿】へ転換させて高純度の酒精(スピリタス)を抽出することである
閑話休題。蒸留技術がシルクロードを通じて伝搬したことで、果実を発酵させなくても蒸留酒に漬け込むだけで果実酒を造れるようになった。日本も例外でない。倭寇の時代に焼酎が伝えられ、梅酒は江戸時代に誕生したと言われている。梅の焼酎漬けではなく、梅そのものを発酵させて醸造した事実はないかを調べてみたが、残念ながらわからなかった。そもそも、梅はブドウに比べて糖度がずっと低いので、アルコール発酵させるのは困難だろう。
日本にワイン以外の本物の果実酒はなかったのだろうか。そもそも、国産ワインが登場したのは明治時代と歴史が浅く、それ以前にワインが作られなかったのも不思議だ。ブドウは古事記で登場する程に歴史のある果物であり、黄泉平坂でイザナギが黄泉醜女に投げつけたという伝説がある。他に古事記で登場する果物に、柿・桃がある。どちらも糖度の高い果物でアルコール発酵可能なはずだが、柿酒や桃酒などというものは見聞きしたことはない。そもそも、歴史上存在したかどうかもわからなかった。焼酎漬けではない柿酒や桃酒などという代物があればぜひ飲んでみたいものだ。
どのお話だったか忘れたけど工業生産されてるある食品がダメな理由として「原料に廃糖蜜(いわゆるMolasses)を使ってるから」っていうのがあって、ヽ(・ω・)/ズコーってなったな。
栗田さんズが例によって二三人で口揃えて「”廃”とか気持ち悪い」「本来廃棄するものでしょ?」「人間の食べるものじゃないよ!」とか言ってて「いや、ただの言葉ですやん...日本人以外には通じない理屈ですやん...精白糖以外の砂糖は食っちゃいけない理屈になりますやん...」ってなったな。
ほんとこの知り合いの劇画原作者、知識ひけらかすわりに理解が浅薄というか、全てのことを言葉だけで理解してるようなところがあって、基本他人をバカにしてるくせに権威者の言ったことは頭から丸飲みにするようなとこあるよね。
母親 「まぁ、この子が自分からストロングゼロを飲むなんて…」
T村 「いつも飲んでいるストロングゼロとは雲泥の差だ」
M谷 「炭酸がレモンの香りと混ざって、とっても爽やかだわぁ!」
K子 「プルタブがプシュッリポン(ry」
N松 「しかしよぅ、山岡の旦那。これは市販のストロングゼロとは全く別物だぜ?一体どんな魔法を使ったんだ?」
廃糖蜜の醸造アルコールは使わず、無農薬栽培の酒造好適米を使って原酒を造り、連続蒸留しました。
更に、風味も合成甘味料や香料は使わず、レモンやライムを独自に調合した、本物の果汁を使っています」
T井 「ひええ、たかがストロングゼロに、そんなにお金と手間をかけるとは…!」
O原 「いやはや、何と贅沢な…」
Y岡 「ストロングゼロは、手間隙と金を惜しまなければ、本当に美味くなるものなんだ。
だけど、殆どの人はその手間と金を惜しんでコンビニで買って飲んでいる。
だから本当の美味さを知らないんだ。嘆かわしい事だよ」
K泉 「ふむ…確かに、ストロングゼロは、平成のヒロポンといった感じがするからなぁ」
例えば、この成分表示表を見て欲しい。氷結のストロングゼロのウォッカ入ってるんだけど、毎日ではないけどかなりのペースで飲むと死ぬ」
M谷 「何ですって!そんな危ないものがストロングゼロに入っているの!?」
Y岡 「それだけじゃない、ここに書いてある(中略)これもやはり、例えば月曜日とかだと氷結でストロングゼロ飲んでって感じで飲んでるから死ぬ」
T井 「こんな危険なものを、どうして売る事ができるんだ!?取り締まるべきだろう!?」
Y岡 「それは、労働環境のストレスが原因なんですよ。この国の労働条件はどうかしているとしか思えない」
K子 「私達は、知らず知らずのうちに、猛毒と同じ様なものを飲んでいたのね…」
中学生の頃に第1巻が出て、数年前に完結したハリポタに、今の今更、激ハマリ。
2巻まではリアルタイムで読んでたし、映画もぼちぼち見てたけど、
今夏USJのハリポタエリアに行くための予習をせんとして、1巻から読み直したわけですよ。
そしたらもーはまってはまって。
4,5、6、7巻でどんどん素敵な青年へと成長していく。
かっこいい。
ほんとにハリーかっこいい。
ずっと日向だけを歩いてきたヒーローじゃなく、いじめられたり悩んだり落ち込んだり怒ったり。
自分の頭で考え、信念を持って行動するハーマイオニーも本当にかっこいい。
ロンはユーモアたっぷりでちょっと子供っぽいところもかわいい。
ウィーズリー家でおばさんが出してくれる料理のおいしそうなこと。
ステーキキドニーパイや、朝のベーコンエッグ、焼きたてのソーセージ。
イギリスのご飯はおいしくないなんて言われるけど、たぶん素朴でシンプルな家庭料理はすごくおいしいんじゃないかな。
ネビルやルーナなんかのちょっと変わった友達に光を当ててるのも好き。
今、5クールめの炎のゴブレットを読んでいるけど、気づかなかった複線にまた気づく。
読めば読むほど好きになるな。
http://anond.hatelabo.jp/20131116224742
やばいやばいと思って何か出来ることはないかと調べていたら、糖蜜というのに出会った。
そしたら、今回のPMSはイライラとかの精神症状が全く出なかった。
他の症状は、生理前日くらいに頭痛と体の痛みとだるさがちょっと。
この辺はイライラのPMS発症する前からあったことだけれど、今回はすごく楽だった。
糖蜜の何がいいのかと言うと、どうやらマグネシウムとカルシウムらしい。
マグネシウムはカルシウムを取りすぎると排出されるので、カルシウムがいいらしいといってカルシウムばかりとるのは良くない。
糖蜜にはいっているカルシウムとマグネシウムはちょうどいいバランスみたい。
あとは漢方もすこしまえからはじめてるけど、糖蜜とり始めてからの方が圧倒的に調子が良い。
日本だと糖蜜って農業資材だけど、輸入物の食品用が売ってる、アマゾンでもある。
日本だとてん菜糖とか、サトウキビ以外の原料の砂糖も多いから、
それから、日本で「糖蜜』って言ったときに、黒砂糖を煮詰めた黒蜜をさすこともあって、
こっちは一応砂糖なので、栄養価は黒砂糖を作るときに出たゴミの方に行っちゃってるっぽい。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C5%FC%CC%AA
意外にミネラル分が豊富にあるように思われがちだが、ほとんど取り尽くされた後なので破壊されて残っていない
ってあるんだよね、だから本当に栄養があるんだか、プラセボなのかちょっと疑問も残る。
みんながみんな効くわけではないだろうけど、
元増田です。
トラバ貰ってなんだかちょっと楽になった、ありがとう、なんにも解決してないけど。
カフェイン&アルコールはもう数年断ってる、前回の妊娠期からずっと。
お菓子も食べないから砂糖も料理にはいっている分しかとってない。
豆乳は女性ホルモンみたいなのがいっぱい入ってるからか、飲むと生理が遅れるんだよね...
基本早寝早起き(時々よる一回起きるけど)。
運動はしてないなぁ...これか!
漢方は効いているのかどうかまだわからないけれど、まだイライラは出ていない。
生理開始からのみはじめたのでまだPMSの時期にかかってないから効果があるのかまだわかんない。
あと、糖蜜? Blackstrap Molassesがいいとか読んだのでこんど試してみる。
漢方医にちゃんと会って診察してもらってだしてもらった。
婦人科には行ってない、こんど行く。
子どもがいるのでPMSだからといって毒親になるのは恐ろしいので
出来る対策はとっていきたいと思ってる。
今更ながら、「米のとぎ汁乳酸菌」というのを知った。
米のとぎ汁をペットボトルに入れて蓋をして一週間放置する。できたものが臭かったら失敗、酸っぱいにおいなら「米のとぎ汁乳酸菌」の出来上がり、というものらしい。これを飲んだり部屋に撒いたり庭に撒いたりすると、この中に含まれる光合成菌が放射能を分解するのだそうだ。
僕は一応理系の人間なので、まずは「マジありえない、馬鹿馬鹿しい」と思った。と同時に、似非科学批判をかじった人間なので、「これ信じる人も結構いるんだろうな」とも思った。「米のとぎ汁乳酸菌」の記事を読み進めると、「EM」という言葉が出てきた。有名で代表的な疑似科学だ。僕は苦々しい気持ちになった。
EMについては、すでに沢山の方々が批判を書いておられるので、ここではEMの非をあげつらうことはしない。以下に書くのは、僕とEMとの、個人的でささやかな、しかし長い期間の関わりについてだ。EMやコメのとぎ汁乳酸菌についての検証や批判を読みたい人は、このページを閉じて別のところに行った方がいい。
初めて「EM」に触れたのは、僕が中学生の頃だった。母がどこからかEMというのを仕入れてきた。世の中の割と多くの母親が、「化学」や「合成」よりも「自然」「天然」を好むのと同じく、僕の母もそういう人であった。母は毎晩米をといで、とぎ汁とEM菌と糖蜜をペットボトルに入れて蓋をし、家族が入り終わった後の浴槽に浮かべるようになった。そうして出来上がった汁を「発酵液」などと呼んでいたが、母はそれを庭やトイレに撒くだけでは飽き足らず、洗濯にも使うようになった。洗いあがったタオルを触って、母は「柔軟剤使ってないのにふわっとしてるでしょ?」と訊いてきた。言われてみればふんわりしているような気がしないでもなかったので、「うーん、そうだね」などと曖昧な返事をした。しかし、菌は菌である。発酵液の臭いは、糖蜜の甘いにおいに何とも言えない酸っぱいにおいが重なっていて、あまり嗅ぎたい臭いではなかった。その上、僕の家では入浴剤を入れた風呂の残り湯を翌日の洗濯に使っていたので、洗いあがった洗濯物は他所では嗅げない独特の臭いがしていた。僕は小学生のころから、洗濯だけは自分のものを分けて洗っていたので、服についてはEM洗濯の被害を免れたのだが、EM洗濯をはじめてからは自分専用のタオル類も自分で洗うようになった。
EMを使っている母は楽しそうに見えた。環境に良いコトをしているのがうれしかったのかもしれない。僕はそんなにEMのことは好きになれなかったが、楽しそうにしている母を見るのは悪くなかった。その後僕は(EMとは無関係のところで興味を持って)生物学を学べるところに進学した。進学が決まったころ、母が「学校で習ったら、菌のこと教えてね」と言ってきて、僕は快く返事をした。
僕が進学して、非リアながらも楽しいスクールライフを送っているあいだに、母はEMを個人の趣味から団体での活動へとシフトさせていった。僕と違って母は顔が広く、何人かの知人女性たちと一緒にEMの活動を推進しはじめていた。
進学してからしばらくして、母が僕にEM関係の頼みごとをしてきた。自治体に提出する、EMの影響について実験したレポートを添削してほしいという事だった。僕は菌の種類やBODなどについてようやく学んだところで、教科書や図書館の本を参考にしてレポートを読んでみたが、そのレポートは、凡そ科学とはかけ離れたものであった。実験といっても、比較対象もなくデータの単位もあやふやでデータ数も少なすぎた。未熟ながらも科学者としては、「この実験からは何の結論も言えない」としか言えなかった。だがレポートの結論は「EMは有効」と決まっていた。それで僕は、「この実験からEMが有効であるという結論は導けない」ということをオブラートに包みながら母に言った。母を失望させるのはしのびなかったが、科学者(の卵)としての良心にも嘘はつけなかったので、これが僕の当時の精一杯の対応だった。しかし結局そのレポートが議会で承認されたのか、母のEM活動はさらに拡大していくことになった。
やがて僕は一人暮らしを始めた。高速のインターネット環境を手に入れ、ネットの海をひとしきり漂った挙句、とある疑似科学批判のコミュニティにたどり着いた。僕は一応科学者の端くれを自認していたし、マイナスイオンなどの詐欺的な疑似科学的言説に憤りを感じてもいたから、コミュニティに参加(ROM専だったけど)し、そのなかの議論を観察し続けた。当然ながらそこには、EMに対する批判もあった。
僕はそれまで、EMが批判されていることを知らなかった。僕自身はEMを胡散臭く感じていたし、好んでもいなかったけれど、たとえEMで川が綺麗にならなかったとしても汚くなることもないだろうし、多少なりとも良い点があるのならば別にいいんじゃないか、と思っていた。母が推進しているEM活動に対して、きっぱりと批判の対象にしてしまうのが怖かったのかもしれない。少なくとも、他の疑似科学みたいにお金を儲けたり人を殺したりしているわけじゃない、と。
でも僕は知ってしまった。疑似科学と人の善意が交わると嫌なことが起こったり、困ったことになったりする。しかも善意だから、批判しにくいこともあるし、批判された方も自分の善意を否定されたと感じて素直に受け入れられない。特に子供がかかわってくると問題は複雑になる。
時々は実家に帰る。風呂場には今もEMのペットボトルが転がっているし、食器洗いを手伝うときはEMを混ぜ込んだ茶色い食器用洗剤を使う。台所の隅には生ごみのコンポストがあり、蓋を開けるとあの何とも言えない異臭が漂う。母は一時期、電磁波を遮断するというEMブレスレットをつけていたこともあったし、あの有名な「水からの伝言」を持っていたこともある。そういうものを見かけるたびに、皮肉を混ぜ込んだうえオブラートで包んだ僕の意見を伝えてきた。そのためかわからないが今では母はもう僕にそういうものを勧めてくることはなくなった。
母は知人にEMを配布したりしているのだが、それに同行したことがある。その知人には一人暮らしを始める娘さんがいて、母は彼女にもEMを渡していた。彼女は笑顔で受け取り、「これを入れるとトイレが本当に臭くならないんですよね」と言った。僕よりも若い娘さんが、一人暮らしの部屋でEMを使う。そのことを考えると、とても奇妙な心地がした。
僕は今も母のEM活動を静観しつづけている。EMは母の日常に完璧に溶け込んでいる。そしてもはや母一人の活動ではなく、親戚や知人や自治体、さらに周辺の自治体や団体にまで影響範囲は拡大している。僕にはそれを止める力はないし、母との関係を悪くしたくもない。
ネットで疑似科学を叩けても、母には何も言わなかった、僕は卑怯者かもしれない。
だけど今の僕には何もできない。