2016-07-18

ハリポタ放送されるたびに思うこと。

ハリポタ地上波放送されるたびにスネイプ聖人ジェームズ畜生扱いする人がよくいる。

個人的見解だけどハリーポッターには聖人畜生もいなくて、ただどんな登場人物も結局のところ一人の人間であった、という話だと思う。

中心的な人物には皆美点と欠点があってだからこそ根強いファンの多い作品だと思うのに、単純なラベル分けで終わってしまうのではあまりもったいないと思う。

主人公最大の庇護者でまるで神のようだったダンブルドア過去のあやまちに苦しみ結果的に死を招く(直接的にそれで死んだわけではないけど)人間であったし、最大の敵として立ちはだかるヴォルデモートもまた人間だったと思う。

原作ではハリーとの短い問答の末、たった一度の呪文でごく普通人間と同じように死んでいる。正直映画肉弾戦ありのやたら長い戦闘シーンと塵になって消えるところはやり過ぎだと思った。

同じようにジェームズも十代の頃は自分の才能に酔ったどうしようもない馬鹿だったころもあるけど、ヴォルデモートと戦うために不死鳥騎士団に入り、実際に四度彼と戦っている。

少なくともジェームズマグルまれ差別することはなかったし、リーマスが狼人間と分かった後も差別しないどころか彼のためにアニメーガスにまでなった。

マグルまれも狼人間自分自身ではどうしようもできないことで、しか後者には危険が伴うにも関わらず受け入れたジェームズは本当に良くも悪くもグリフィンドール生だったと思う。

一方スネイプは命がけで二重スパイの重責に耐え、逃げることも投げ出すこともしなかった勇敢な人だ。

ただその一方でマグルまれに対する扱いは酷いものであったし、リリーには何もせずとも、自分の友人がリリーの友人であるマグルまれの生徒に呪いをかけることを止めもしなかった。リリーに頼まれたとしても。

ジェームズたちにスネイプから自作呪いをかけることもあった(騎士団リーマス発言から)。

教師になってからスリリンへの依怙贔屓はまあひどいものだったし、ハリーなんて何もしてないのに最初の授業からいびられるという……。

それでもスネイプは愛した人のために命を懸けたし、その人が死んだ後も彼女の忘れ形見を守るためには手段を選ばなかった。

あんまり言われてないけど死の間際でもただそのために行動したところってものすごいことだと思う。普通助けてくれとか恨み言のひとつも言ってしまいそうにならないかな。

ダンブルドアには組み分けは早急過ぎたんじゃ、とも言われてたけど、手段を選ばないところもドラコを庇うとこや依怙贔屓なんかの身内意識の強さもまさに良くも悪くもスリリン生らしいと思う。

映画ではサクッとスルーされたけど超やなやつだったハリーのいとこのダドリーは7巻冒頭で和解してるし、ペチュニアおばさんはなんともいえないほんの一瞬の別れがあるし、ルーナは最高なので映画もいいけどみんな原作もいいとこいっぱいあるからみんな読もうぜ

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