http://www.nintendo.co.jp/3ds/interview/eshop/vol1/index.html
チキン任天堂は従来の方法通り、3dsのアップデートはユーザーが能動的に行う必要があるだろう。
更新の通知を読む(これを読まなかった時点で更新に気づかない)→本体設定の更新ボタンを押す→許諾で「はい」「いいえ」を選択する・・・ETC
のクソメンドクサイ手順を乗り越えるライトユーザーは少数派だろう。
せめてAppStore程度の貧弱なもんでいいから検索させて下さい。
http://www.nintendo.co.jp/3ds/interview/eshop/vol1/index3.html
何がみれるかわからないって、ミステリーツアーじゃないんだからさ・・・。せめて一週間部程度はアーカイブしようよ。
今更ゼビウスかー。
はぁ。そうですか。
おそらく継続的にサービスを更新・運用しユーザーの体験を向上させる能力もやる気も
ということで、超悲観的に感じています。
今すぐ消費税の公平性の話をしよう - 赤沢 良太 (アゴラ) - Yahoo!ニュース
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110602-00000002-agora-soci
この記事を読んで、世間の消費税の問題点の的外れさが気になったので書く。
世間一般的に消費税のことが語られるとき、次の2点が論点に出ると思う。というかこればっかりだ。
確かに理論的にはこの通りだ。が、それは机の上でのお話に過ぎない。ここで挙げる問題点に比べたら逆進性なんて小さな問題でしかない。
現実を見たらこんな理想論はどこにもない。消費税なんて無くなってしまえ、と思うに違いない。
まず最初に消費税の仕組みをおさらいしよう。ただし、理想論でのお話だ。
消費税に関しては、消費者は税の負担を追うけれど直接納付するわけではない消費税は間接税だ。では誰が納付するか(納税義務を負っているか)というとその消費税を預かった事業者である。
事業者は預かった消費税を消費者の代わりに国に納付するわけだけれど、事業者自身もモノを購入するような消費者の一面を持っており、消費税を支払っている。
事業者Aが支払った消費税はまた別の事業者Bが納付するわけだから、その分2重に納付されてしまわないように、自分が預かった消費税から自分が支払った消費税をさっ引いて国に納付することになる。
このように事業者間で消費税のリレーが行われ、末端の消費者が負担した消費税が国に入金される、というのが消費税の仕組みである。
机の上のパズルとしては非常に合理的に見える。
このようにして、「消費税ってのはうまくできてるんだよ」という説明で終わってしまっているが、それはある特殊な前提があった上でのお話だ。
その前提は、
というものだ。すべての取引に消費税がかかるのであれば、先ほどの仕組みは簡潔でスムーズにわかりやすい。
「えっ、違うの?」と思う人も居るかもしれない。消費税が全然理解されていない、いい証拠だと思う。
しかし、消費という感覚にふさわしくないとか、政策的な目的などから、消費税が課せられない取引が存在する。
給料の支払いや土地の売買、社会保険診療だったり、住宅家賃だったりが代表的なところだと思う。
これらの取引には消費税が課せられないが、これらを生業とする事業者はそこら中に存在する。
とある大家さんがいて、マンションの賃貸(消費税ナシ)と事務所の賃貸(消費税アリ)をやっている。
先ほどの消費税が国に入金されるまでの流れにこの大家さんを当てはめてみると、大家さんは、事務所家賃で預かった消費税から自分が払った消費税をさっ引いて納付するわけだが、大家さんが支払った消費税はマンションの修理代だったり、事務所の修理代だったりするわけだ。
ここで、「アパート修理代の消費税はさっ引いていいのか?」と疑問を持って欲しい。
事務所修理代についての消費税はそれに相応な事務所家賃という形で預かることになる。まさしく「預かったんだから納付する前にさっ引くよ」なのだ。
だが、アパート修理代についてはどうだろう。消費税を払うことは払うが、預かる消費税も存在しない。まさしく、大家さんが消費税を負担しなければならない状態になるのだ。
これを、アパート修理代の消費税をさっ引いてしまったら「預かってないけどさっ引くよ」という訳のわからないことになってしまう。
こういった問題があるため、消費税の納付額計算上もさっ引かせないように仕組みを作っているが、取引量を考えるとそんな個別に区分けなんてすることができないので、なぁなぁにされている。
基本的に、真っ黒以外は事業者有利なところでやっているのが現実だ。
消費税は↑のような面倒な区分集計をしないと納税額が計算できない。ちっちゃな事業者には大変でしょ?ということで「免税事業差」やら「簡易課税制度」やらがあります。
消費者の代わりに事業者がまとめて納付するんじゃなかったの?
百歩譲って小規模事業者保護がアリだとして、取引規模で判断する小規模事業者なんて、会社をたくさん作れば一社あたりの取引規模は自由に操作できる。
現実、取引規模を小さくしたペーパーカンパニーで人件費を計上して一切納税せず、本体の会社じゃその人件費分を業務委託費だとかいってさっ引く消費税を作って納税抑えるとか。
消費者が負担したと思ってるお金は実は事業者の懐に入ってた、とかどんな詐欺制度だよ。
それに、消費税は赤字でも納税が出るから滞納されやすい。滞納されたんじゃ税収増になんてならない。
こんな状態で税率を上げようとか言ってるのはバカかと思う。
こういう問題点が全然表に出てこない。増税論者も現実を知らずに、理想論だけでお話ししてる。
そして一般国民はそもそも消費税の仕組みさえ理想論以上のことを知らないで賛否を迫られてるとか。
なぜ増田で書いたのか。良くある話だけど、身バレしたくないのと、自分のブログでやるよりもみんなに見てもらえるかなぁと思ったから。
どうして…どうしてそこまで
仕事や私生活に自尊心を持てるような、充実している人がどう思っているのかは知らない。
だけど、派遣仕事で食いつなぎ、部屋に帰れば誰かが待っているわけでもなく、ぼそぼそと帰り道のコンビニで買ってきた弁当を食べながら大して面白くもないテレビを見て、布団に入り、次の朝にはまた必要なのかどうかもわからないスーツを着て会社に向かい、正社員の人からは「まあどうせ派遣の人らだから」と正式なメンバーだとは認められずに軽んじられながら、でもここで腐った気持ちを外に出してしまったら次の仕事に響くかもしれないし、ほんとうにもしかしたら万が一安定した正社員として雇ってもらえる目もあるかもしれないとニコニコしながらできるだけ期待以上のものをあげられるようにと努力し、それでも結局「仲間」には入れてもらえず、部屋に帰ってやっぱり誰も待ってない部屋でぽつんと昔読んだ本を読みなおしてみた時に迫ってくるどうにもやりきれない気持ち、監獄に閉じ込められたまま、この先なんの喜びの可能性も感じられない人生が続いていくことを想像する気持ち、本当に行き止まりにあたったような気持ち、そんな気持ちに定期的に襲われてしまう私のような社会人にとって、今日みたいな国会のバカバカしさは、なぜかわからないけれども悔しくて悔しくて、もう本当に死んでしまいたいと思ってしまうようなものだった。
今日のあの国会の、不自然に太っていたり、不自然に幼い顔をした、あの選良とされている人たちの真剣な表情で行われるバカバカしい茶番劇、あれを見たら、どうにもこうにももう逃げ場も何もあったものじゃない。なにも変わらない。この生活はずっとなにも変わらない。ずーっとずーっと変わらないんだ。という気持ちでいっぱいになった。
このままずっと、誰にも愛されず、誰にも気遣われず、なにかのきっかけで死ぬまで、この一人きりの寒くてみすぼらしい惨めな部屋で朝起きてなんの承認も得られない職場に向かって、夜には帰ってコンビニの弁当を食べて、面白くもないテレビを見て、寝るだけ。国会では、どこが重要なんだかまったくわからないことであんなに騒いでいる。
どうせどこぞのヨタじゃないの?と思ったが、
どこに書いてあるんだい ヽ(; Д )ノ 見えないよ。
一応、「(そんな事例も)あったという」みたいな、なんか又聞きみたいな雰囲気の文はあるな。
それが本当なのかを福島まで調査しに行き、妊婦さん全員に話を聞いて「そんな事例はなかった」なんて証明するのは現実的じゃない。
言ったモン勝ちだわ。
「一般的にムラというものにはそんな同調圧力があるのだ。まったくもって不可解で非効率的な人間の集まりなのだ」とdisるのが流行ってるような気が。なんでだ? 俺もムラの住人なんだけど、不快極まりないんだが。
この文章は、自信がないと書けないよね。
一晩たって来てみたら、へんなレスがついてた(;´Д゛)なんだこりゃ
いやそれ嘘でしょ、という断られ方を久しぶりにされたな。
なかったことにするとして、怒るのは誰?
国際世論とかそういうの?
それなら、
嫁さんが実家の用事とかで家にいない日に、
1時間以上かけてじっくりとTENGAでオナニーするのが楽しみで仕方ない。
amazonにお急ぎ便でTENGA発注する瞬間なんかすげぇ興奮してる。
別にセックスレスでもなんでもないし、嫁さんとのセックスも気持ちいいんだけど、
ふーすっきりした。
営業成績が悪いせいかもしれんが、「お前、最終的にはなんとかなると思ってるだろ・・・そんなに甘えて要られては困る」ってよく上司に言われる。
サラリーマンでノルマがあれば誰でも言われれるセリフだと思う。
でも、実際その通りだよね。なんとかなるんだよね。だから、上記のセリフ言われてもどうとも思わなくなってしまった。(本来は自己啓発でもしたいのだが)
だって、ノルマ未達成が続いても会社をクビになるだけ。その時は、コンビニでアルバイトすればいいだけだし。
コンビニのアルバイトの給料だけで生活が苦しければ、生活保護を受ければいいだけだし。
生活保護を受けてもどうしようもなく、絶望したら死ねばいいだけ。
ほら、なんとかなっちゃった。
略奪とか他の犯罪が増えていなければ統計的に強姦も増えていないんだろうと予想しておりんす
共通言語っていろいろなパターンがあるんだよね。音声や効果音、文章表現にも絵にも現れてる。
そういった共通言語を、人はいつ覚えていくんだろう。他社との交流がないと、それって学べないよね。
そういう意味において、テレビってすごく啓蒙的というかコモンセンスを育むための重要なツールになってると思う。
ただ最近のテレビの何が深いかって、無闇矢鱈と言語での反応を聞かせてくるところにあるんじゃないかな。
笑い声とかならまだいいんだけど、タレントが結果として解説を挟んでくる様式になっているのがうるさいんだろうな。
昔やってた珍プレー好プレーとか、めちゃイケなんかだと、視聴覚的記号表現をうまく使ってると思う。
ああいう番組編成のほうが個人的には好きだなー。結局そんなに見ないわけだけど。
まあテレビの表現はさておき。漫画とか小説とか絵画とか、それを消費する対象が個人である場合、どのようにコモンセンスは育まれるんだろう。
だってその消費を同時期に一緒に体験する他者がいないわけでしょう。それでも大体分かることがある。
いや違うなあ。これは厳密に共通言語を対象にしているわけじゃない。というか、テレビの時に上げた共通言語とは別物のことを意識してる。
もちろん、テレビと似たような共通言語もある。でも、それとは別に、その表現物と消費者との間に接触を重ねるごとに生まれる共通言語というものもあるんじゃないかな。
いわば、個人と表現物との間に生まれた共通言語だ。個人と他者という横の広がりではなく、個人と対象物という縦のつながり。
むろん、そう言ったつながりが様々な表現者の間に広がって横に広がることもあると思う。ガンダムや東方などに見られる同人活動における解釈の共通性みたいなものだ。
共通言語の閉鎖性。言葉や解釈って閉じていれば閉じているほど面白いものになるんじゃないかなあ。傍から見れば腐臭を放っていたり理解出来ないものになるんだろうけど。
むやみに共通化しなくてもいい気がするなあ。
一貫性もクソもないな。終わり方がわかんない。