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2024-04-27

りりちゃんを助けるフェミニスト弁護士はいないの?

https://anond.hatelabo.jp/20240426182155 みたいにりりちゃんの刑が重すぎるって

騒いでるツイフェミが多いけど、悪いけど大半は有象無象の類いで社会的影響ゼロなんだよな

一方で日本には著名なフェミニスト弁護士がたくさんいるのに

誰もリリちゃんの弁護に名乗りを上げない(上げなかった)のはなぜなんだろう

フェミニズムに基づく緻密な弁論で執行猶予無罪を勝ち取ったら画期的判決になるのに


それにしてももしこれが男女逆でキモいゴキブリ弱者男性ホームレス女性から数百円寸借詐欺したら

ミソジニークソオスは死刑しろとか言われるわけで、法の下の平等なんて幻想なんだなってつくづく思う

2024-04-26

anond:20240426084721

ハイファンタジー定義現実世界が絡まないって事だから

フリーレンは普通にハイファンタジー

ハイファンタジーは「高尚な異世界」ってわけじゃない

高さは「幻想度合い」についてであって、作品リアルさなどではない

んでな

リーに「防御力」への言及があるが

強さをどう落とし込むかは結構面倒なんだよ

例えば敵が放った高熱の火球をナニカで防ぐとして

熱を発してるんだから、直撃しなくたって近接すれば普通に外皮が火傷するし、吸い込んだ熱気で気管や肺がやられて、まあ人は死ぬ

これを「防げる」とする場合、それは熱気を防ぎ、燃焼による酸欠を防ぎ、火球霧散させる

どういう理屈なのだろうか?

ゾルラーク普通魔法になった、という描写結構引用されるけれど

「防御魔法」は何をどういう理屈で防ぐのだ?

「貫通する」とはどういうことなのだ?

これをきっちり説明するというのは、そういう事象世界の理として構築するって事だ

指輪物語だって、なんならいろんな神話でも、そこらは適当だが

そこにケチつける輩っていないだろ?


グレートソードドラゴンの鱗を切り裂き、フルプレートで全力疾走できる人間の筋骨は相当頑丈なはずだ

にも拘らず外皮は脆い?

内臓保護はどうなってる?

脳は?

迂闊に、どんなに防御力が高くても顎を叩けば(脳がゆすられて)人は昏倒する、みたいな描写をしちゃう

以降、内臓はまともに保護されてない前提でいろんな整合性を取らないといけない

迂闊に、防御魔法は魔力による攻撃を防ぐが、起こされた物理現象は防げない、みたいな描写をしちゃう

以降、真空も、氷の礫も、熱や酸欠も防げない


燃焼は酸素使用しないだとか、酸素呼吸してないを言いだしたら

いろんな諸々を地球物理判断するなで終わってしま


手っ取り早いのは「神の加護」で体が保護されている、行動限界加護の残量、みたいにざっくりとしちゃうことで

毒がスリップダメージなのも、石化や即死確率全損なのも、HPが0になるまで全力で動けるのもなんとなく理屈付けできるんだが

それもそれで、【説明してしまうと】どっかに粗が出る


諸々考えても

ゲーム的な世界ってのは実に都合が良くって

受け手勝手脳内で補間してくれて

そこを「良しなに」解釈してくれる

この「良しなに解釈する」の分かりやすい例は、謎カーボンミノスキー物理

もちろん、ネタとして全力考察する人らはいるが

顔真っ赤にして、「ガンダムSFの基礎になっちまう」とか言い出したら

頭オカシイと思わんか?

スターウォーズヤマトも大概やぞ

人々の基礎になっても良い、ファンタジーSFってのはなんだ?

識者「こいつは産廃性能です!好きな人だけ引きましょう!」

オタク1「キャラが好きなので性能が産廃でも引きます!」←分かる、すっごい分かる

オタク2「大好きなキャラなので完凸します!モチーフ武器も完凸します!」←お、おう、頑張れ…

オタク3「僕ちゃん推し産廃性能な訳ないだろ!適当なこと言うな!ふぎゃあああああああああああああああ」←???

 

推しと言うなら、ありのままの弱い推しの姿を受け入れてやれよ…。お前の幻想押し付けるな…。

2024-04-25

anond:20240424150533

人形の国とかもこれ系よね

小説だと幻想系?みたいに言われる感じ? 雰囲気で読もう

映画 陰陽師0見てきた感想。博雅が博雅だった

原作はとびとびで読んでる。

萬斎版も見てます

以下、過剰な表現感想はしないようにするため、多少感想は回りくどくなる。

先に言っておくが感想賛否であれば賛だ。

もともと今回の映画は期待してなかった。

実際問題として映画の出来は70点届かないくらいかなと。68とか69とか。

シネフィルぶった感じで★5の評価をつけるとするなら★3.6、もしかしたらもっと低くつける人もいるかもしれない。

かといって酷いわけではなく「GW家族で見に行く」のは超おすすめだし、なんか見るもんないしコナンも見たしなぁーって人がふらっと入っても楽しめると思う。

丁寧で難しくもないし、子供向けでもない。でも子供も多分いい経験になるだろうし、大人シニア世代も懐かしいなとか、美術的にも彩色豊かなので萬斎版と違った新しさは感じられるだろう。

原作過激派はネトフリのアニメだって受け入れられないんだろうし映画は見るなと言いたいが、原作ライト層なら楽しめると思う。

厳密に言うと設定は原作からちょっと変更してると思う。

しか原作ではまだ描かれてない部分であるし、原作者もがっつり監修している(監督原作指名である)。原作で二人の出会いが描かれるときは違うものとなるらしいが、それはエンタメ的、商売的な観点ということのようだ。

設定は変わっている。でも好感度は高かったのはなぜか。

世界観」と「主要キャラ関係性」が大きく変わらなかったことだ。

陰陽師という作品は晴明と博雅のシャーロックワトソンコンビで成立する作品だ。

から時代が変わってもこの二人がいれば夢枕獏陰陽師だと認識できる。映画にはちゃんと居た。

ただ今回、原作よりも若い頃の二人という設定なので安倍晴明キャラが少し違うように思う。青く泥臭く、また甘い。

しかしそこに染谷将太が「どうも原作から来た博雅です〜」って感じでやってくる。

まだ博雅を知らない晴明はツンケンしているのだが、映画が進むに連れ博雅を知ることで「原作の博雅を知った晴明です」って顔になってきて、ああこいつ成長したらちゃん原作の晴明になると感じられるのが楽しいのだ。

展開も原作でありそうなものだ。まあこのへんが夢枕獏呪術ワールドでもあり幻想映画にしてしまう部分でもあるので多少分かりにくくなるのだが…大体呪術廻戦の領域展開だと思えばいい。

最初にこの映画は中評価認定した。

しか映画とは作品としての出来を1歩引いた目線で見て総合評価するものではないと常日頃思っている。

この映画はバディ誕生物であり、昨今の話題作だと「ゲゲゲの謎」や「ヴァチカンエクソシスト」と同じ楽しみ方をしていいものだと思う。

ゲ謎やヴァチクソ(ええんかこの略称)は大傑作というよりは色んな前提を知っている人がキャラの二人を見るのを楽しむ感じで、カルト映画のような人気を博している。

陰陽師0にも確かにそれはあるので好きな人多いと思う。

違う点は先に書いたように「子供を含めて家族と見れる」という点だ。どんな因習のある村に住んでいようが陰陽師0は見れる。なんか久しぶりにそういう映画コナン以外で見た。懐かしさ…。

というわけで個人日記帳としてつける★の数は5点満点の5。ちなみにこの日記帳には1と5しかありません!

2024-04-22

セックス幻想持ちすぎだろ。どうしてそんなに欲しいんだ?ええ?

知らないものをそんなに強く求める理由分からん

自分を殴っているのは自分じゃないのか。

氷河期世代よ立ち上げれ、この国を見捨てた連中への復讐を開始せよ

就職氷河期」。この言葉を聞いて、どれだけの氷河期世代が胸の奥をえぐられるような思いをしただろう。

新卒就職できず、非正規雇用派遣で食いつなぐ毎日

俺たちは、社会から負け組」のレッテルを貼られ、見捨てられたも同然の扱いを受けてきた。

この状況を作り出したのは誰だ?そう、他でもない、お前ら政治家経営者富裕層たちだ。

1999年派遣法規制緩和を皮切りに、お前らは俺たちを切り捨てた。

正規雇用を減らし、非正規雇用を増やし、俺たちを安い労働力としてこき使った。

トリクルダウン」なんていう甘い言葉を信じて、俺たちは黙って我慢した。

上の世代が豊かになれば、その富が俺たちにも滴り落ちてくる… そんな幻想を信じて、歯を食いしばって働いた。

だが、どうだ。

富は上の世代大企業に蓄積され、俺たちの手には何も落ちてこなかったじゃないか

お前らは、俺たちを「自己責任」という言葉で片付けた。

努力が足りない、能力が足りない… そんな言葉で俺たちを責めた。

だが、間違っているのは俺たちじゃない。

この国を、俺たちを見捨てたお前らなんだ。

俺たちは、もう我慢しない。

黙って耐える時代は終わった。

今こそ、氷河期世代が声を上げ、行動を起こす時だ。

この国は、俺たちを見捨てた。

ならば、俺たちもこの国を見捨てる番だ。

氷河期世代の連中よ、目を覚ませ。

俺たちは、もっと怒ってもいいんだ。

もっと声を上げていいんだ。

俺たちの経験した苦しみを、社会にぶつけてやろうじゃないか

この革命は、氷河期世代による復讐の始まりだ。

俺たちは、お前らを見逃さない。

お前らの責任を追及し、俺たちの世代が受けた痛みを、お前らに味わわせてやる。

簡単な道のりじゃないのはわかってる。

でも、俺たちは強い。

どんな困難にも負けない強さを、俺たちは持っている。

さあ、氷河期世代の同志たちよ。立ち上がろう。

俺たちの声を、社会に、あいつらに届けよう。

この革命は、俺たちが導く新しい時代の始まりなんだ。

2024-04-20

anond:20240420093514

日本食は味濃いよ

日本食は甘いよ

日本食は素材の味を活かすとか薄味とか、貧乏舌の幻想

2024-04-19

anond:20240418212609

孤独とinternal dialogueについては興味深い洞察だと思う。

サイコ』のノーマン・ベイツもヘンリー・ダーガーも確かに自分自身一人二役して会話していた。

それが孤独という苦痛ヘの慰めのために行ってるというのはあまり一面的すぎる。

それは『さかしま』、『オブローモフ』が提示するように社交的関係によって発生する苦痛からの逃避としての孤独存在する。『ツァラトゥストラ…』でも最終的には孤独が称賛されている。これらは文化的批評領域であり、現実とは無関係だと思うかもしれない。

だけれども、文化とは文化圏の象徴的秩序を内包しているためフィクションと隣合わせに語られることは常に避ける事ができない。現代でも『ジョーカー』とかその元ネタと言われる『タクシードライバー』がこれら議論に対して抱き合わせのように引き合いに出される。

これら文化批評を取り除けば、他者に対しては振る舞い以上のものを我々は知る事ができない。

仮に合意形成の結果から相手心理状態類推可能なら囚人のジレンマは発生し得ないことになる。

復讐意図弱者男性が持ってるかは動機主観的決定とその不可知性のため客観的な振る舞いからは推し量ることはできない。

そして主観的には人間自己幸福を測り間違える。

これはデイヴィッド・ベネターが統計引用して例を挙げてるが人というのは身体障害知的障害を抱えていても幸福を感じる人々の割合は健常者と変わらない。そして、自己幸福度の位置づけは相対的に決まる傾向がある。

どの立場であれ心理抑制環境によって与えられる不自由さの裏に悪意を見いだせばそれが防衛として他者に対して闘争行動をする動機付けになる。

隷属か破壊かはニーチェが扱っている議論だが、

ニーチェ正当防衛についてこう述べている。

━━正当防衛一般正当防衛道徳として是認されるならば、いわゆる非道徳的な利己主義ほとんどあらゆる発現もまた是認されなくてはならない、人は、自己を保存するためにまたは自己を守ったり個人的な禍いを予防するために、害を加え、奪い、殺すのである(中略)意図的に害を加えることは、われわれの実在または安全問題となる場合には道徳として許容される『人間的、あまり人間的』

そこに合意形成が介入する余地はなく、個々の主観的評価正当防衛基準が決定する。法が予防効果を維持する事を放棄した時、法は犯罪を事後的にしか処理できなくなる。

一方で社会システムに着目すれば、反対者あるいは敵対者は結局のところ対象としている前駆的社会構造寄与している。よって社会機能を一部担っていると言える。《弱者》や《敵》無くして強者価値付けの基礎となる社会進歩前進はありえない。

社会弱者はその機能故に巨視的観点では無くならないだろうし、目に見える弱者としての存在搾取する主体である強者必要としてるからこそ残り続ける。

まり、救っても救っても《弱者》は存続しそれを識別する指標であるスティグマ流行規定するモード存在する限り形を変えて生産され続ける。これは共同体幻想において神に等しい絶対者である絶対者の在り方は超時代的ではない。問題は疎外化された周縁に位置する人間たちがサイコパス/ソシオパスのような生得的悪というレッテルを貼られて尚、否、初めて絶対者剥奪し得ない自由意志による行動決定権が与えられる所にある。(シェリング)

万人は万人を殺す事ができる。野蛮な闘争状態規制しているのは社会報酬である。それが除かれた場合上記行為当事者にとって合理的行動である。ただし、万人が合理的決定を行うわけではない。

しかし何も対処しようがない訳ではない。社会上の功利性の総和を考える時殺人社会的に避けられないものならそれに方向性を与える事は決して無益ではない。これが畜群智慧である

基本女性にはとても幻想を抱いている。

男より遥かに精神的に優れてると思う。

からこそたまに現れる性格めちゃくちゃ悪かったり怒ってたりする女性女性として認識できないことがある。

なんだこの生き物はってなる(失礼)

2024-04-17

anond:20240417184446

「三度のメシより好きなこと」ってのが昭和ジオバの幻想なんだよ

実際に小学生集団を観察してみるなり

データを調べてみるなりしろ

そんなものがある人はほとんどいない

 

たまたまそういうのがあった成功者情熱大陸みたいな番組ドラマチックにそういうの推奨してるからって鵜呑みにしてるのアホすぎる

身分制廃止されたのも最近なのに何が古今東西自己啓発書

お前が一人で自分にそのハッスル神話を言い聞かせてるだけならいいけど

子どもに言ってるならスピリチュアル毒親だし

ネット不特定多数に言ってるなら陰謀信者と変わらん

女の子清廉潔白」という幻想に取り憑かれてるフェミ

vs

女の子清廉潔白」という幻想を壊されて逆ギレしてるアンフェ

って感じ

若い内に結婚した方が良い

これはマジ。

当方30手前のおばさんだが本当にそう。

個人的意見を述べるなら以下の通り。

①おおよそのことは自分でできてしまうようになる。

(その為寂しさだとかよりも、誰かと共に何かをすることの煩わしさが勝るようになってしまう)

結婚に夢を持てなくなる

(年齢を重ねるに比例し、異性との交際経験が増えるためそうした結婚生活だとか異性へ対する一種の良い意味での幻想・ドリ〜ム・期待が薄れる)

キャリアを中断するのが恐怖

(自分出産育児におけるポテンシャル等が未知数なため、復帰できるか、また復帰した後のキャリア不安でたまらん。同じ様に働けたらいいのだが)

上記のように年を取ると屁理屈をこねるようになっていけないというのもある。物を知るとどうにも目の前の課題から逃げたくなるものだ。まあ、私だけかもしれんが。

これを打破し結婚するか〜に至った理由は次の一点です。参考までにドゾ。

子どもが欲しい

(キャリア中断の不安と、出産可能年齢等諸々考え天秤に掛けた結果、前者が勝った。生き物としての性なのだろうか)

やっぱりそれかよ〜〜〜!と思った皆さん。石を投げないでください。本当にすみませんだって可愛いじゃん子どもビビっててもしようがないので、やるしかねえ!と腹くくった次第です。共同親権とか暗雲立ち込めつつあるけど、分かりもしない先の事にずっと怯えていてもしようがないので。せめてそういう事に触れずになんとか生活できるようやっていきたいなと思ってます家族は仲が良い方がいいだろうしね。

ただ、最初にも戻るけど私的にはもう少し早めに腹決めて結婚出来てたら良かったのかなとは思う。出産育児にあたっての身体への負荷とか、パートナーとの新鮮味とか。色々考えて後悔しているおばさんからぼやきでした。

2024-04-14

結局のところ、書いてる自分も読んでる他人もみんな、現実に対して酩酊させる文章が書きたいだけなんだなって思う

私は小説家になりたいんだけど、結局のところ、そういうことなんだなって。

書いてる間は日常のつらさが忘れられる。幻想の織りなす酩酊の中に自らを遊ばせ、その先を綴り続ける必要性で、現実タスクを忘れられる。

「書かなくちゃいけない」という必要のない義務感というか仕事感が、現実タスクを押しのけてくれる。現実への怠惰を許してくれる。

そしていつかは、その酩酊他人を巻き込みたい。現実を嫌う人々を集め、私の書いた幻想たる文章を「読まなくちゃいけない」という仕事感を与え、現実への怠惰を許させたい。

から、私の酩酊は私を許し、いつか他人をも許すのだ。そういう点で、私の酩酊は皆への「癒やし」であるはずなのだ

そういった誇りというか、使命感を持って、私は堂々と酩酊文章の形に紡いでいきたい。

私は皆の怠惰を許すために、文章を書くのだ。単に幻覚に酔っているわけじゃないのだ。

2024-04-13

地獄使者現実幻想に変え、それを現実として見せる

夢こそ現実であるという真実を忘れさせるのがビッグブラザー

地獄信仰者め、悔しかったらクオリア科学的に証明しろよ。

2024-04-12

anond:20240412220730

異性を獲得しようと思うことが幻想なのでは?

それは増田意思ではなく

増田寄生したDNA意思なのではないか

anond:20240412132846

ネタなのはわかるけど

彼女ができたら幻想みたいなのいつになったら世の中から消えるの?

2024-04-10

anond:20240410193109

社会の頂点にいる有名人は5ch増田のような肥溜めで知性品性が低い書き込みしないってのも上流階級幻想もちすぎやで

そんな日曜の帰り道

最近休日ごとにどこかに出かけ、ひとつずつ幻想を潰しながら生きてる感じだ。

この世の中にある幻想の多さに、なんとか救われている気分。

2024-04-09

anond:20240408144402

自動運転モーターの方が緻密な制御ができるっていうけど

自動運転技術障壁ってそんなトルクの緻密な制御とか一瞬のレスポンスでは全くなくないか

自動運転とは少し違うけど今の運転支援機能ICEだとEVより劣化するかっていうとそうじゃないじゃん

 

あとEVでV2Hも結構眉唾だと思ってて

自動車用のバッテリーって車としての制約からエネルギー密度や充電速度にこだわってコストかけたやつじゃん?

V2H用の蓄電池は充放電繰り返し劣化も早いからそんなコストかけて突き詰めた交換しづらい電池である必要ないし

V2H用の重たい蓄電池を車の移動に常に積載する必要性もないわけじゃん

なんか2重利用で合理的に見せてるけど実は車としても蓄電池としても中途半端なのが実態じゃない?

経済性で見ても補助金115万もらえなかったら誰も導入してないだろうし

 

なんか中国エンタメ機能の充実とかもそうだけど、

EVICEの違いとしてあげられる点ってEVにどうにか意義を見出そう!っていう強引さを感じるんだよな

 

結局EV技術革新によりライフサイクルコストICEを上回るかどうか以外の論点枝葉末節しかなくて

世界中で手厚くばらまかれた補助金がそれがすぐに実現するような幻想を生んだってのが現実な気がする

社会のモビリティのあり方を変える可能性があるのは自動運転の方なんだろうな

2024-04-08

ラニーノーズファンnoteを発端に流布する「推し活かくあるべき」論

しゅんき氏の、ラニーノーズRunny Noizeに対するファンとしての失敗に関するnotehttps://note.com/syunki0910/n/n0bbc0a2e4b96)が話題になり、

それにより「推し活は、推し理想と違った場合は呑み込んで応援するか離れるかしかない」という言説が出回っているが、私は少し違う意見だったためその旨を記す。

 

まずはじめに自分スタンスを明らかにしておく。

以下はしゅんき氏が記事内で挙げた、何らかの推し活をするうえでのファンパターンだ。

 

好きな人に対して、好きすぎて狂信的になり、全肯定人間になる人
②好きすぎて、愛を拗らせて文句ばかり言ってしまう人

 

この2パターンがいて、両者は分かり合うことができないということには共感をする。そして本記事は、②であることが多い立場から発言である

 

また、こちらの記事https://note.com/syunki0910/n/n9e7ab2259c1c)の嫌われた原因の項目で書かれている、「自分の振る舞いはおかしなことではない」という点も、一部は理解することができる。

私のスタンスは、

・人には他人を傷つけたりその自由意思を妨げない限り、発言自由担保されるべきである

プロアーティストが生み出した作品に厳しい意見がつくことは(誹謗中傷言葉選びによっては許容されないが)ある程度想定されることであり、その発信自体は叩かれるべきではない

 

というところだ。

前置きが長くなったが、以上のようにしゅんき氏に一部共感するところがある人間視点から問題分析したいと思う。

 

1.言動自由が認められるのは、ファンアーティストも同様である

 

しゅんき氏は、noteの中で、「人がどんな感情を持つのもどんな行動をするのも、基本的には自分勝手である勝手に人に感動したり怒ったりするのだ。誰でもそうだ。人間はそういうものなのだから別になんの問題もない。」と述べている。この一文はまったくその通りである。だから推しに不満を持っていても、不満を吐き出しながら応援する」という行為自体問題はなく、「推し活は~すべき」ということには当てはまらない。

特に規模が大きいアーティストになればなるほど、様々な葛藤を抱えながら応援しているファンはいる。私が今回記事を書こうと考えたのは、冒頭に述べた「推し活のファンの在り方二元論」に異議を唱えたかたからだ。あのような言説が広まると、多くの葛藤するファンが「自分推し応援する資格はない」と自分を責める原因になりかねない。「どんなスタンス応援しようと自由」なのである

 

ただし、それはアーティストも同様であるということだ。

今回、しゅんき氏は、以下のように述べている。

 

僕はあまり媚びずに正直に意見する。
向こうは仕事なので、客から意見は聞かなければならない。
聞いて受け入れなければならないが、
必ず反映させる必要はない。
場合によっては、「それは誤解で、こういう理由があって、こういう思いがあって僕たちはこのような行動に至りました」などと釈明しても良い。
ただし、
「客の意見は一切聞かない!!褒める時だけ喋れ!!」というのはあまり傲慢である

 

これは、「アーティストはかくあるべき」という押し付けであり、アーティスト個人に対する自由意思の妨げである

もちろん、客の声をよく聞き向上に努めるスタンスは、商業的に正しいとされる。これがたとえば、利益創出を目的とした企業それ自体相手であれば、もう少し理屈は通る。しかし本件の相手アーティストとはいえ個人である。私は洲崎氏という方を本記事で初めて知ったが、どういうスタンス活動するかは自由であり、それが利益に繋がるか繋がらないか、繋がらない場合どうなるかはファン判断することではなく、本人自身所属会社が考えることである

存じ上げないうえで例とはいえこのようなことを述べるのは申し訳ないが、たとえば「今はコントより音楽活動比重を置きたい」と思っており、作品の完成度が低くなった場合も、それはアーティスト自身自由である

しゅんき氏が「ファンとはこうあるべき(たとえば本人が提示していた①のような全肯定であるべき)」「作品への不満は言ってはならない」ということを強要されるのをおかしいと思うことと同様に、人の創作活動アーティスト活動強要することはできない。

しゅんき氏がそれを傲慢だと述べるのも自由だが、洲崎氏が傲慢と思われても構わないと思うこともまた自由なのである

 

2.自身理想への解像度を高め、相手は変えられないことを前提とした行動をする

 

しゅんき氏の初期のnoteの中には「自分はこういう人間である」という記述、そして自分がなぜ間違っているかからないという記述があった。

1でも述べたとおり、間違っているわけではないという点は共感する。ただし、その自分を周囲が受け入れるべきだと考えると、それは今回のような事態を生む。

 

見る限りしゅんき氏のなかには2つの欲求理想(細分化すれば3つ)の状態があると思う。

 

1つは、アーティストと良好な関係を築き、ライブに参加し続けること(これは2つに分けられる)

もう1つは、SNS上で忌憚なく自由発言をすること。

 

この2つは、現状の方法では両立することが困難である。そして氏は両立できないことについて、「相手が譲歩し両方の欲求を満たしてくれるよう振る舞うべき」だと考えている。

ここが今回の一番の問題であると考える。よく言われるように他人は変えられない。だから自分がやり方を変えるしかないのだ。

 

そのとき方法はいくつか考えられる。

 

SNS上の振る舞いを改め、嫌われないような言動を心がける

SNS上の振る舞いを優先し、良好な関係は諦める。現場では交流を求めず作品だけ楽しむ

③完全に降りる

 

そして、④は(今からはもう難しいかもしれないが)、「欲求が両立する方法を考え、折衷案的振る舞いを見つけること」だ。

 

これは会社にたとえるとわかりやすい。

自分にはやりたい仕事があり、就職することができた

しか職場仕事の進め方が合わなかった

 

こういった場合、人は④の方法を取ることが多いのではないだろうか。

・この職場自分仕事の進め方を浸透させた方がいいと考え、同僚には仕事の仕方を合わせてもらえるよう交渉する。後に実績で報いられると信じ、その場の人間関係軋轢覚悟する。

・合わない場所にいることはしたくないが1年ほどは我慢できそうなので、転職のために1年は必要な実績を積むことにする。そのために時に妥協し時に我を通すなど状況に応じて変える。

・人と良好に働くことを優先したいため、同僚の進め方に合わせる。関係を構築してから徐々に自身意見を述べるようにしていく。

 

以上の違いは、「進め方へのこだわり」「実績」「人間関係」様々な要素がある中で何を優先するかだ。自分価値観点検し、どこにどれだけ比重を置き、逆にどれが不足していると耐えられないか、どれくらいなら耐えられるかを見極め、自分にとって心地の良いバランスを探っていく。それが人間関係であり人の営みではないのだろうか。

 

ここで、すべてを満たそうとただ声高に叫んだところでそれが叶えられることはないだろう。しかしゅんき氏は、自分欲求すべてが同等に叶えられるべきであると考えている。

欲求複数持つことや叶えようとすることは問題ではない。問題は、他人環境は変えられないという点への無自覚さと、自分の中の優先順位不明瞭なことである

自分にとってもっと理想的な状態は何か。それが実現するためにはどのような振る舞いが適しているかを「相手が変わる」という選択肢を除き、「自身妥協点」や「自身が新たに身につける思考や振る舞い」を考慮したうえで計画し、実行に移す。

 

こうした行動が、氏には必要だったのではないだろうか。

 

とはいえ、まだ若い方が以上のようなことを考えて振る舞うことは難しい場合が多いだろうと思う。

そしてこうした振る舞いを自身が二十歳そこそこの時に身につけていたかというとはなはだ疑問であり、だからこそ私は、こうした記事を書いている。

擁護ではなく、この記事もまた、私のお気持ち表明だ。

 

推し活・ファンはかくあるべき

 

なんてものファンダムのなかの「べき」論は幻想だと思っている。ただそこは人の営みであり、アーティストも含め、心の通う、自分と違う人たちが多くいる場所だ。

迎合を覚えろという意味ではなく、ただ、自らの思い通りにならないことを理解したうえで、なるべく心地の良い落としどころを見つけていくこと(あるいはそれを試すこと)を、私は若い方に推奨したいのかもしれない。

anond:20240408154804

周囲に影響されない「自分の好きなもの自体幻想じゃん

現代人は皆、多かれ少なかれメディア環境に好みを規定されている

2024-04-07

anond:20240407133043

完全な勘違い

そんなやついなくても会社は回る

業績にごくわずかな影響がでるだけ

本当に仕事好きで優秀な人は起業する

サラリーマンでいきがってるのはデキる俺という幻想に浸りたいだけの人

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