はてなキーワード: オーケストラとは
(その①の続き)
http://anond.hatelabo.jp/20160404011015
二次創作の変動を分析する上で、まずは同人誌即売会(以下、同人イベント)のサークル数の推移を取り上げる。
2015年に開催された同人イベントの参加サークルを調査したところ、艦これで活動する総サークル数(2015年に一度でもジャンル「艦これ」で同人イベントに参加した個別サークルの総数)は約4100サークルであり、男性向け単独ジャンルとしては東方Projectの約5700(※)に次ぐ規模となっている。
(※)東方Projectの個別サークル総数の計算には、夏コミ及び冬コミを含めていない(一部で手入力の作業が発生するため、コミケの艦これだけでも集計が大変で、労力が続かなかった……)。また、東方季奏宴や東方駿河祭など一部集計できなかったイベントなどもあり、東方の個別サークル総数はおよそ1000~1500程度上乗せされるものと推定される。
この数字は2014年集計の約4300サークルと大差ないことから、艦これで活動するサークル数はすでに安定期に達したことが読み取れる。
また、各地の同人イベントの艦これサークル数の推移を確認したところ、こちらは2014年の調査から引き続き艦これサークルは減少傾向にあることが分かった。
2014年後半~2016年初頭にかけて開催されたイベントをいくつか取りあげてみても
・コミックトレジャー(オールジャンル):381(第25回)→372(第26回)→319(第27回)
・駆逐してやる!~なのです:65(第4回)→32(第5回)→16(第6回)
・我、夜戦に突入す!:375(第2回)→312(第3回)
・砲雷撃戦!よーい(東京):1010(2015年9月開催)→686(16年1月開催)→945(5月開催予定)
となっており、単独のオンリーイベントでも、また比較的強いとされたオールジャンルイベントでもその傾向は変わっていないことが分かった。
直近の傾向では、「神戸かわさき造船これくしょん」が唯一第1回開催から継続して拡大し、最大オンリーの砲雷撃戦に次ぐ規模となっているほか、5/8開催の「砲雷撃戦」もサークル数はやや減少傾向にあるものの900サークル規模に回復している。
その一方で、比較的健闘していると思われていた「艦娘まりんふぇすた」が今年3月の第3回開催を最後に閉幕となったほか、北方棲姫オンリー「ほっぽこれくしょん」がわずか4サークルでの開催となるなど即売会によっては落差が激しく、大規模イベントへの集約化が今後進む可能性は高い。(神戸や砲雷撃戦の傾向から、もしかするとすでに進みつつある可能性もある)
これらは、コミケの艦これサークル数推移とは逆行する動向であり、コミケにおける艦これの盛況からすれば直感的には理解しづらい。
ただし、コミケにおいてもC88(2015年夏コミ)で艦これの申し込み数が一度減少した(当選率が上がったため、サークル数自体はわずかに増加した)こともあることから、今後の推移は単純に予測できない。
また、個別の即売会の参加サークル数が減少する一方、コミケのサークル数は一応の増加を見せていることから、コミケへの集約が進んでいるとも考えられるが、同様の理由でまだ考察に耐えるだけの情報は不足していると言わざるを得ない。
収集していた投稿数の推移を確認すると、月ごとに変動があるとはいえ、
○週間平均投稿数
・2014年下期:3,650枚
と減少傾向が続いていることが判明した。
特に、特筆すべきイベントの少なかった2015年9月~11月は週間平均投稿数が3,000枚を下回っており、その中でも10月の第4週はついに2,500枚を割り込んでしまった。
pixivにおいてはほぼ同規模であった東方Projectの投稿数が年間を通して今なお週間平均3,500枚以上あることと比較すると、2014年から続く弱含みの傾向は一貫して続いていると考えられる。
また、この傾向は前述の同人サークル数の推移とも一致し、加えてpixivの投稿数とサークル数の間には比較的強い相関があることから、二次創作における創作者の層は次第に薄くなりつつあると推察される。
閲覧数については、2015年6月6日以降に閲覧数に何らかの上方修正がかかったため、それ以前のデータとは単純な比較が困難である。
それ以降のデータでは、8月第2週(コミケ開催週)の週累計3,000万閲覧をピークに緩やかに減少を続け、現在はほぼ横ばいとなっている。
「pixiv1000user」などの固定タグの登録作品も減少傾向にあることから、特定の作品に閲覧が集中しているというよりは、全体的な傾向と言える。
pixivにおいては、艦これは投稿数、閲覧数ともに、何らかのイベント(コミケなど)に沿って増加する傾向にあるが、年月を追うごとにイベント時も平時も段階的に減少している傾向にある。(平時の投稿数を比較すると分かりやすい)
また、キャラクター「鹿島」の登場により一時期二次創作が活発になったが、pixivの動向を分析をする限りでは、実体としては既存のキャラクターの人気が爆発的に「鹿島」に移ったに過ぎず、投稿数や閲覧数の大幅な増加は見られなかった。
集計していた投稿数を分析したところ、「ニコニコ動画」の投稿数も減少傾向にあった。
2014年10月時点での投稿数は週平均で約500作品あり、アニメの放映された2015年2月には一時1,200作品を越える投稿があった。
しかしながらその後は一貫して減少を続け、2016年3月現在では約300作品に留まり、2014年の最小値を30%以上下回っている状態が続く。
ニコニコ動画で比較的人気の高い東方が約1,000(※)、アイドルマスターが約800(※※)、刀剣乱舞が約400であることと比較すると、規模は比較的小さくなってしまった。
(※)「ゆっくり」は東方の派生作品であるが「ゆっくり実況」は集計に含めていない、また同じく派生作品である「クッキー☆」に関しては異論も強いようなのでここでは集計に含めていない
(※※)シリーズごとにタグもあるようだが「アイドルマスター」タグのみを集計
特徴的な傾向としては、投稿作品のうち実に6割以上がMMD作品となっていることが挙げられる。(ニコニコ動画でのMMD作品は東方や刀剣乱舞に目が行きがちだが、実はそれらのMMD作品よりも艦これのMMD作品週間投稿数の方が多い)
このことから、未だ一定数の創作層がニコニコ動画に残留していることが読み取れるが、pixivと違って2015年は外的要因による投稿数の大きな変動も少なかったことから、現在の傾向はこれからも続いていくと思われる。
閲覧数に関しても、現在は週間で1万再生を越える動画は平均10作品で、投稿数と同じような減少傾向を示している。
唯一考察が困難な点が、これらの傾向とは裏腹に[艦これ]タグのPV数が未だ上位に存在していることである。
(http://www8328ue.sakura.ne.jp/index.php)
本来的にはタグのPV数と検索後に出てくるであろう艦これの動画閲覧数は正の相関関係をもつはずだと思われるが、実際にはそのような関係は読み取れない。
タグPV数の算出方法を熟知しているわけではないので考察は控えるが、一見するとタグ検索だけを行って動画を閲覧しないという不可思議な事態が起こっているように見え、腑に落ちない結果に思える。(どなたか詳しい方がおられれば、ご意見をいただきたい)
以上から、艦これの二次創作において、ニコニコ動画という場は主流から外れてしまった感が強い。
艦これの独擅場と言われた「ニコニコ静画」は、若干切り崩しが進んだ感はあるものの、閲覧数ランキングにおいては今なお強い勢力を保っている。
その一方で、投稿数はpixivと同様に下落傾向にあり、投稿者と閲覧者で乖離が進んでいるようにも思える。
これは、コミュニティの特徴として、ニコニコ静画は作品そのものよりも投稿者自身に人気がつく傾向にあることに由来していると考えられる。
実際にランキングの上位の作品を見てみると、見覚えのある常連投稿者の作品であることがほとんどである。(艦これに関しては、およそ5人の投稿者でランキング上位が占められていると言っても過言ではない)
やや特殊なコミュニティではあるが、「ニコニコ静画」の傾向もこのまま大きな変動はないものと考えられる。
人気の推移を分析する上で、匿名掲示板の動向は指標としてはいささか不適切であると考える。
匿名掲示板はそのコミュニティごとに作品の扱いが大きく異なり、一概の分析が非常に困難であると言わざるを得ない。
例えば、おーぷん2ちゃんねるでは艦これ関連の話題は比較的抵抗なく取り扱われ、ブラウザゲーム板などは艦これに関するスレが大部分を占めている。
旧来の2ちゃんねるでも比較的似たような傾向であるが、一部で(詳細は述べないが、様々な理由により)従来ファンだった層がいわゆるアンチに転化してしまったという特殊な事情を抱えるスレも少なくない数あり、分析にあたっての取り扱いを一層困難なものにしている。
また、ふたばちゃんねるは更に事情が複雑で、複数ある「虹裏」の中には艦これの話題を扱うのが非常に困難な場所も存在する。(これも詳細は述べないが、様々な理由によるものである)
ふたばちゃんねるには艦これの話題を専門に扱う「艦これ板」も存在し、特定の話題を専用に扱う専門板の中では最大の規模を誇っているが、近年はやや人数の減少傾向が見られる。
ふたばちゃんねるでは、算出方法は不明であるが、現在その板を見ている人数が目安として表示され、イベント時を除く平時で、艦これ板のピーク時間帯の人数は板設立当初で400人規模、昨年の夏ごろでおよそ350人程度であり、現在は300人程度となっている。
同じくふたばちゃんねるで東方の話題を扱う東方裏板では昨年のうちに人数が150人程度から200人程度まで増加しており、一方で刀剣乱舞板は10人を下回っていることに鑑みれば、やはりそれぞれのコミュニティの性格というものが強く表れてしまうことが分かる。
以上のような理由で、人気の動向を分析するにあたり、匿名掲示板などの分析は行わないこととした。
また、Twitterに関しては、未だ定量的に分析する手段が確立されておらず、今回も分析から除外した。
長くなってしまったが、以上の結果をまとめると、次のような事実が浮かび上がってくる。
・公式関連の人気は今なお強い。
・二次創作関連の人気は停滞気味で、下落傾向が見られる。
・公式関連でも書籍は縮小気味で、二次創作と似たような推移となっている。
・Vita版やコラボグッズなど、新規性の高いものには人気が集中する
つまり、
大きく分けて、公式関連と二次創作関連で人気の二極化が進んでいる
ということになる。
これは意外な結果だ。
かつては「公式関連は展開が遅い」「グッズの絵柄が既存のもので新規性がない」「二次創作は好調が続いている」と言われていたが、現在の状況を分析した限りでは、むしろ公式関連に人気が集中している。
このような傾向になった理由を考察してみると、主因はここ最近の公式関連の矢継ぎ早な展開にあるように思われる。
Vita版やアーケード版の発表、更にはコラボグッズの展開など、ここ最近は公式関連の発表が相次いでおり、にわかに活気づいているという印象を受けた方は多いと思われる。
上述の分析結果を見るに、いずれも人気なのはVita版やアーケード、オーケストラコンサートなどの、艦これにこれまでなかった新規性の高い出来事が中心となっており、人気となったコラボグッズも、従前の公式グッズとは違い、新規に描き下ろされた絵を使用したものであった。
一方で同じ公式関連でも書籍が下落傾向にあるのは、書籍そのものが「前の巻の続き」という継続性の強いものであって、2015年は新規展開による目新しさというものがなかったためではないかと思われる。
また、二次創作関連は上記の分析結果を総合する限りでは、2014年末~2015年初頭にかけてのアニメ放映時期がピークであったと推察される。
稀に2013年末をピークと見る分析もあるようだが、これはこの時期に艦これの二次創作が爆発的に増え、増加量、言い換えれば勢いがすさまじかったとこによるものだろう。
実数をベースに見れば、最大値は2014年末~2015年初頭で、いくつかのピークを形成しつつも段階的に縮小しているというのが現在の状況だ。
かつては艦これの二次創作は乏しい公式展開を各々が補完しようとしたために流行したとも言われたが、これが事実であるとすれば、公式関連の矢継ぎ早な作品供給が見られる現在の状況で徐々に二次創作から公式作品へ人気の再移行が進むことは一定程度理解できなくもない。
しかしながら、主因はむしろ二次創作人気の高い作品が競合していることにあると考えている。
かつて東方Projectが二次創作を席巻した際は、二次創作にいおいて東方に変わる有力な作品というものが少なかった。
現在はその東方Projectが尚健在であり(一部増加傾向が見られるという報告すらある)、「アイドルマスター」も未だ強く、比較的新しい作品としては「ラブライブ」が驚異的な強さを誇る。
即売会の状況を見ても、東方Projectは博麗神社例大祭(春:4000サークル規模、秋:1500サークル規模)、東方紅楼夢(2000サークル)、東方名華祭(400サークル)、北⑨州東方祭(400サークル)など大規模な即売会が毎年開催され、ラブライブも単独即売会で500サークルを集める規模に成長した。(これは艦これ即売会二番手の「神戸かわさきこれくしょん」よりも規模が大きい)
他にも「グランブルーファンタジー」の即売会である騎空祭が一定の成功を収めたり、女性向けでは「刀剣乱舞」がコミケで1600サークル、単独即売会で5000サークルを越えたりと、二次創作の人気は競合状態にある。
様々なジャンルを掛け持ちするサークルも多いが、その分各ジャンルにつぎ込める労力は分散することになるため、競合が多いほど各ジャンルの規模が頭打ちになりやすいことは容易に想像できると思う。
個別の創作活動に影響が出るため詳細は伏せるが、集計したサークル数のデータを分析していると、艦これから東方Projectやアイドルマスター、ラブライブ、おそらく女性を中心に刀剣乱舞への移動も見られ、一部には艦これからの流出が超過となっているジャンルも存在し、艦これ二次創作関連の縮小が続く要因になっている惧れもある。
以上をまとめると、大雑把に「公式関連は増加、二次創作関連は減少」ということになる。
また、公式関連の人気と二次創作の人気は必ずしも一致しないという原則も再確認できた。(仮にこれが成り立たないとすれば、今ごろ世の中は「パズドラ」の二次創作だらけである)
そして、最も重要なことは艦これの人気を議論する上で、人によって見ている指標が異なっていることを認識しなければならないということだ。
ある人は公式関連の動向を見て人気を議論し、また別の人は二次創作関連の動向を見て議論している ―― このようなことが起こっているからこそ、冒頭に述べたようにファンの間でも認識の差が生まれるのではないだろうか。
「艦これはピークをすぎた」という発言は、必ずしもいわゆるアンチによる発言とは限らない。
一方で「艦これは人気絶頂」という発言も、盲目的なファンを装った荒らしの発言とは限らない。
これらは「対象としているもの」の違いで両立し得ることが、この分析結果から理解できたのではないかと思う。
また、いわゆるアンチや荒らしなどは、このような一見したギャップを突いてきて、議論を混乱させようとしてくる惧れもある。
正確な知見をもつことがこのような荒らしの排除に繋がり、「艦これ」の発展に繋がっていくと信じている。
(了)
世に出てすでに3年近くが経過しようとしているブラウザゲーム「艦隊これくしょん ~艦これ~」。
ここ最近は、ローソンやすき家とのコラボが行われたり、本家ブラウザ版ゲーム以外にもPS Vita版やアーケード版のゲームが発売あるいはロケーションテストが実施されたりと、その人気は未だ衰えを見せていないように思える。
しかしながらその一方で、Twitterや匿名掲示板などでは「艦これの人気はピークを過ぎた」という発言も見られ、首を傾げるような思いをした方は私以外にもいるのではないだろうか。
いわゆるアンチ層の発言ならばともかく、個人の区別が可能なTwitterなどで熱心なファンからもこのような声が聞かれることもあり、ファンの間でも何らかの認識の違いが生じているように思える。
例えば、新規参入層と古参層との間の単なる感覚的なずれなのか、それとも何らかの指標として数字に表れてくるものなのか。
そう思って艦これの人気動向を分析していったところ、艦これの人気はある種の「二極化」が進んでいることが判明した。
・主として艦これの版権を持つ版元が関わる公式関連(ゲーム、書籍など)
・主にファンが中心として活動する二次創作関連(pixivやニコニコ動画など)
の動向を分析する。
公式関連の動向を分析するにあたり、まずはブラウザゲーム本編を取り上げる。
猫予報官氏(https://twitter.com/nekoyohou)による「艦これ」登録者数の推移を表すグラフが公開されなくなって久しいが、現在の登録者数は2016年1月時点で約370万人程度となっている。
要所ごとに数字を取りだして見ると、
となっており、2014年~15年の平均月間増加数は約8.3万人/月、アニメ放映期間中の3ヶ月は倍の約16.6万人/月、その後から現在に至るまでは約7.7万人/月と、増加量はやや落ち着いたとはいえ、今なお新規登録者数は増加していることが確認された。
このペースを維持した場合、登録者数は2016年5月にも400万人を突破するものと見込まれる。
次に、DAU(Daily Active User:日間の総ユーザーログイン数)とMAU(Monthly ~:月間の総ユーザーログイン数)の検証に移る。
DAU、MAUともに運営公式からの発表は昨年以降発表されていないが、有志の検証結果(http://togetter.com/li/933974)を元に算出すると、MAUがおよそ35万~40万人/月と推定できる。(つまり、毎月40万人程度のユーザーが少なくとも1日は艦これで遊んでいる)
最盛期のMAUが100万人、DAUが50万人程度だったことに鑑みれば大分落ち着きを見せたともいえるが、絶対数として未だ40万人規模の人数が少なくとも月に1度はゲームにログインしている以上、ゲーム本編の人気はなお高いと言えるのではないかと考える。
また、このMAU:40万人という数字は、2015年に検証されたMAU:40万~45万人と比較しても大差なく、現状は新規参入と引退者の割合は拮抗してある種の平衡状態を保っているものと推測される。
一方でDAUの算出は困難であるが、ゲーム内イベントの開催頻度に大きな変化もないため、最盛期のMAU/DAU比と同一の比率を維持していると考えるならば、おおよそ18万人程度と予想できる。
しかしこれは算出根拠としてはあまりにも推測根拠に乏しく、この予想DAUは信用ある数字とは到底言えないことを記しておく。
延期に延期を重ね、2016年2月についに発売となったVita版「艦これ改」は、累計販売数が20万本を突破した。
Vita発売ソフトの平均販売数が2万程度であることから、当初経済アナリストに予想されていた50万本には届かないものの「艦これ改」はVita発売ソフトの中でも屈指のヒット作となったと言える。
○50万本台
・マインクラフト(約59万本)
○30万本台
・ゴッドイーター2(約35万本)
・ペルソナ4(約30万本)
○20万本台
・SAW -ホロウ・フラグメント-(約24万本)
となっており、DQやFFなどの息の長い人気シリーズにも次ぐレベルのヒットであったと言える。
2015年以降に発売した書籍について、POSの情報から推定累積販売数を掲載している情報サイト(http://book-rank.net/rank/rank.cgi?mode=find&word=%8A%CD%82%B1%82%EA&booktype=2)のデータを用いて検証する。
いくつかの書籍を取り上げてみると、
・ 9巻:40,650 (初週販売数:24,400 2015/03/14発売)
・10巻:34,300 (同18,150 06/15)
・11巻:37,150 (18,050 09/14)
・13巻:24,300 (10,050 2016/03/14)
・ 5巻:45,300 (29,000 2015/05/15)
・ 6巻:32,450 (22,800 10/15)
・ 7巻:24,300 (10,050 2016/03/14)
○艦々日和
・ 3巻:11,350 ( 6,250 2015/03/20)
・ 4巻: 8,150 ( 4,150 09/26)
・ 2巻:18,450 (10,250 2015/07/09)
となっており、初週販売数、累積販売数ともに下落傾向にあることが判明した。
(発行日が新しい書籍ほど累積販売数が少なくなるのは時間経過という観点から当然であるが、このような書籍は大体発売後2~3週が売り上げのピークとなる傾向にある)
2014年以前の情報をまとめているサイト(http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n338043)も確認したが、この傾向は当時からすでに緩やかに始まっていたことが分かる。
一般に巻が進むほど購入者は少なくなること、また艦これは書籍の種類が豊富で人気が分散しやすいことを考慮すればある程度の販売数下落は容易に想定されうることではあるが、果たしてそれだけに帰結できるかと問われると、大いに疑問の余地はある。
・ 4巻:33,050 (13,150 2015/08/07)
・ 5巻:29,500 (14,150 2014/12/27)
・ 6巻:26,350 (11,100 2016/01/27)
・ 6巻:28,850 (13,150 2015/08/07)
・ 7巻:22,220 (22,200 2016/3/25)
・ 1巻: 5,550 (5,550 2015/01/24)
・ 2巻:12,350 (6,250 2015/04/25)
・ 3巻: 8,450 (5,050 09/26)
・初陣:53,700 (15,000 2015/06/01)
となっており、現在の書籍販売数は東方シリーズやFateシリーズに近い数字となっていると言える。
その他、特筆すべき事項としては
・「ローソン」とのコラボにおいて、首都圏を中心にコラボグッズが配布期間の終了を待たずして配布上限に達した店舗が多数見られたこと
・「すき家」とのコラボにおいて、コラボ初日に20人程度の行列が形成される店舗があり、一部店舗ではメニューの一部が売り切れになったこと
・3周年記念オーケストラコンサートの一般発売分が、初日に完売したこと
などを挙げておく。
これらは定量的に扱うことは困難ではあるが、定性的に見てもなお客観的に検証可能であることから列挙した。
(その②に続く)
先日、渡辺宙明のコンサートを見てきたのだが、ヒドイ内容だった。
プレトークで関係している役者が昔を語ったり、演奏する曲にまつわることを話すまでは良い。
しかし、ファン代表みたいなかたちでアニメ監督(だれ?感が半端ない)が登壇してたけど、
せっかくのキカイダーやイナズマンの主役を務めた伴大介からうまく話を引き出している感もなく。
なんで登壇したの?という感が否めない。
正直、もうちょっとインタビュアー経験者を用意してくれと思った。
あと本編では以外と思われそうだが、演奏もこれまたヒドイものだった。
後にCD化するようなので興味があれば聴いてみるといいと思うが、
肝心のブラス隊(主にトランペット)がけっこうポカをやっている。
キメどころを外すのはさすがにいただけなかったな。
また、コンサートでは情報公開されたいた歌手で成田賢以外でもシークレットゲストとして
そうそうたるメンバー(水木一郎、MoJo、串田アキラ)が歌うことになったのだが、
そのうちMoJoは「とつぜん歌うことになったから私服だよ!」みたいなことを言っていたが、
それ以外の歌手は衣装を着ていたところを見ると仕込みなのは丸見え。サプライズ感ゼロ。
しっかり事前に渡されたパンフレットに歌う曲の歌詞カードをしっかり挟んであるし。
せっかくのオーケストラ編成なんだから、オリジナルの歌手に歌わせて
アレンジバージョンとして聴かせることに徹すればいいのにと思ったのは私だけだろうか。
特にCD化するんだったら、大合唱パートなんていらないと余計に思うんだけど。
あと参加していないが、聞いた話によるとコンサート後のパーティーもひどかったらしい。
一般観客として来ていたプロの演奏家が、登壇者の関係者としてあいさつしようとして断られたり(ツイッター情報)、
会費も5000円らしいが、受付態度もひどくどういう段取りかも説明しないヘボスタッフだったようだ。
また出てきた料理もたいしたレベルでもなく飲み重視で店員もいたがセルフと注文取りの間の対応だったようだ。
行く人はその辺の事情を飲んだうえで行くといいだろう。
みんなが思っているよりクラシックは身近で安くて楽しめる場所。
そこそこ名が知れたプロだってうまくチケットを買えば一回4000円ぐらいからコンサート聞けるんだぜ。
半年契約みたいな感じで、何とか定期コンサート半年分で2万円とかで出てるものです。
あのね、服装なんて気にしなくていいの。GパンでOKだから。Tシャツで聞きに行ってもいいのよ?ほんとに。
(まあ、あまりにもみすぼらしいのはNGだけど…。とはいえど、普通に外歩ける服装だったらOK)
下手にハイレゾ(笑)機器そろえるより全然楽しいから。マジで。
そしてもう一つ知ってほしいのが
名の知れたオーケストラじゃなくて、何とか記念オーケストラとかだったら、奏者一人に払われているお金は
高くて3万~5万。安いところだと1万ぐらいのところもある。これでプロだよ。
ちなみに、1万だと下手すると最低時給下回ります。
一番の原因はみんなが聞きにいかないからチケットが売れないの。だから、どんどん値段を下げるしかないの。そういうことなの。
あとね、奏者だけじゃなくて、スタッフだって買いたたかれているよ。
割と普通のどこかの会社員がプロの演奏会のそこそこ重要なスタッフや企画を書いていたりする世の中なんだよ。
だって、それだけじゃ食っていけないし、専業で雇うだけの仕事量も作れない。だって売れないから、儲からないから。
2008刊 時雨沢恵一
主人公セロン ロクシェ首都にある第4上級学校の3年生 寮生 マクスウェル冷凍食品会社社長(母40)の子。母子家庭 妹がいる
7/4 終業式 夜行列車
5 実家 家族と会う ラリーから演劇部合宿の手伝いに誘われる
ニコラス 遅れてやって来た助っ人 長髪男
ラリーとナタリアが幼馴染だったという事が発覚し一緒にランチ。
校庭の隅にある古い倉庫 地下の採光窓 の奥に 人影が
隠し事があるかの様な怪しさを感じ
奥へ行く道と
人が住んでいる気配のある小部屋に
老人(男)を見つけた スーベーイルの言葉も話す
道の奥から 誰かの ソイツらを殺せ という命令口調の声が飛んできた
老人は声に従って 殴りかかってくるのが 留める
取り押さえられたと知り逃げる 足音
タレコミでスーベーイル人がこの学校倉庫の地下に隔離されていると聞かされて、調査に偽装身分で学校へ潜入していたそうだ。
終戦後に帰るに帰れずスーベーイルに住み続けていたところ、
兄であるマードックに見付けられ地下室に隔離されて過ごしていたという。
せっかくなので、ここ1年間で見た白泉社の漫画が原作のアニメの感想書きます。男だけど。
参考にしたサイトをよく見ずにいたら別の雑誌のが含んでしまいました。こりゃ大失態だ。
だいぶ昔のアニメなので、あらすじを見てもあんまり思い出せません。
ヒロインの女友達が、ヒロインの彼氏役の人を好きになってしまったことくらいしか覚えていません。
「知らないことは罪なこと」と突きつけらた気がしてとても胸が苦しくなったことは覚えています。
ヒロインの彼氏役の男の子みたいに、女の子を手玉にとるというか、弄ぶような人生も悪くないなあと思いました。
それから、曲がいいですね!特にエンディング曲の「オオカミハート」がとっても大好きです!気持ちが明るくなります。
Aメロのちょっとおとなしい感じ、Bメロのちょっと上がってまた戻ってちょっと上がってく感じ、そしてサビの弾むような感じがいいです!
「ポン!」ってところ、アクセントが効いててたまんないっす。
後でコード調べてメロディー耳コピしてエレクトーン演奏したいくらいです!
僕はヨナみたいな、ああいう志を強く持った女性を付き合いたいんです!
都を追われ、幼馴染のハクや、知識が豊富なユン、そして龍の力を受け継ぐ者たちと合流しながらその目的を果たさんとする彼女の姿を見ると、一生ついて行きたくなります!!どうか私も旅の一行に連れて行って!!!
それから曲がいいですね!
まずは第1クールオープニングの、オーケストラのメインテーマについて。とても大好きです!ストリングスがメインでめっちゃかっこいいです!
ゆったりとしたメロディーから、ストリングスが「トゥルルルル」って下がって曲調がガラリと変わって、激しくなるところが大好きです!
後でコード調べて各パート耳コピしてエレクトーン演奏したいくらいです!
次に第1クールエンディングの「夜」について。これまた大好きな曲です!切ないメロディ、歌詞が胸に響きわたります!
「雪が〜」で始まるサビ、たまんないっす。コード調べたら、なんとまあ素敵なコード進行なんでしょう!!半音下がる感じがいい感じっす。
後でコードちゃんと読んでメロディー耳コピしてエレクトーンで演奏したいくらいです!!
気が向いたら書きます。でも大好きです!たけおクンみたいな恋がしたいです!!
気が向いたら書きます。でも大好きです!ゼンみたいな恋がしたいです!!
彼女が入っていたのはオーケストラのインカレサークルで、楽器はバイオリン。
始めたのは大学に入ってからだったけれど、もともとピアノをやっていたのもあってカンをつかむのがうまく、また周りのようすを見てコミュニケーションをとるのがとてもうまい子だったので、すぐにその学年の主要メンバーになった。
キャリアの短さにもかかわらず、大学2年で自分たちが運営を行うころには、副代表を任せられることになった。
伝統があり、みな熱心に練習に励んでいるそのサークルには、すでに引退した3、4年の有志も積極的に参加し、前代や前前代の運営の先輩も、気軽に相談にのってくれる。
副代表になった彼女は、その当時は4年生だった前代表のAーー同じバイオリンだーーに運営の相談に乗ってもらううちに、その頼りがいと人望にひかれていった。しかし、彼女は小学校から高校まで女子校で育った箱入り娘で、自分のその気持ちが「恋心」とまでは自覚していなかった。
ただ、先輩がいかに素晴らしい人間かを同じ高校から同じ大学、そして同じサークルにはいった一番の女友達へと語り続けた。
「ほかの先輩や同期をみてると、まるで女をモノか何かだと思っているようなことを言う時があって、冗談だとしても嫌になるんだけど、A先輩は絶対そんなことしないんだよね。大人なんだ」
「Bくんが私のことを好きだなんて考えてもみなかった」
彼女はモテなかったわけではない。とても美しい子だったが、いかにも箱入り娘然としていたため、ちょっかいをかけられるだけの男がいなかったのだ。
「私、男の人に告白されたの初めてなんだよね……もうこの年齢だし、Bくんは悪い人じゃないし、私のことを好きだって言ってくれてるし、付き合ってみるだけ付き合ってみようかな。Xはどう思う?」
「あなたがしたいようにするのが一番いいよ」
そうして彼女はBに「よろしくお願いします」という返事をした。
「それ、本人から聞いたの?」
「ううん、Cくんが教えてくれた」
Cは、彼女たちの代のコンサートマスター。子供のころからバイオリンに親しみ、音大に通いながら、何が気に入ったのか、彼女たちのサークルに顔を出している。運営にも深くかかわり、彼女がサークルの中でもっともよく話す男子でもある。
「Bくんとはまだメールのやりとりしかしてないの。でも、やっぱり馬が合わない気がしてきて……。A先輩から告白されたのではないから、別にA先輩とつきあうわけではないけれど……やっぱり交際はやめたいと思ってる。だって、私もA先輩のことが好きだって気づいてしまった。こんな気持ちのままじゃ付き合えない」
「そうね、あなたがしたいようにするのが一番いいわ」
彼女はBに正直な気持ちを話した。これが問題だった。Bはかなりプライドが高いタイプで、彼女の判断を認められず、連日の電話・メール攻撃を始めてしまったのだ。サークルの練習中にも彼女に厳しく当たるようになり、見かねた先輩たちが注意すると、さらにそこに食ってかかった。運営メンバーの審議により、Bはサークルを追放されることになった。
彼女は大きなショックを受けたが、さらにショックを受けたのがAだった。Bは、Aがサークルに勧誘した後輩だったからだ。Aもサークルを去り、彼女との連絡を一切断った。
「Cくんがね、泣きながら謝ってきたんだ」
彼女はぽつりと言った。
「Cくんが? どうして?」
「俺がわざわざA先輩の気持ちを言わなければって」
「そういえば、Cくんはどうしてそんなおせっかいをしたわけ」
「それがね、Cくんも私のことが好きだから、Bみたいなやつじゃなくて、人間的に尊敬できるA先輩と付き合ってほしかったって言うのよ」
「はあ……」
「男の人も、恋愛にかんしてそういうめんどくさいことをするんだね」
「ね、なんか女々しいよね。私、本当に疲れちゃった。というか、正直男の人が怖くなってきた」
「えー、Xと? そんなの楽しいに決まってるから、このままずっと恋人できなそう」
こうして私たちはこの一件を境にさらにさらに親密になり、友達の壁を越え、社会人になる歳には一緒に暮らし始めた。彼女にはこの後も何人もの男性が寄ってきたが、彼女はそのたびに「今好きな人がいるので」と私を選んでくれた。
彼女と一緒に過ごす5回めのクリスマスを終えて、5回めの年越しがやってこようとしている。
彼女の家族は、年末年始に本家に里帰りすることになっているので、年越しの私はいつも一人だ。
彼女との暮らしは、多少の波風はあれど満ち足りていて、何の不満もない。
でも一つだけ、気になっていることがある。
それは、あの事件のときにCをけしかけてA先輩の気持ちを伝えさせたのが私だということを、彼女が知ったときに、どういう反応をとるかということだ。
知ってもなお、私に「好き」と言ってくれるだろうか?
まあ、ぺらぺらと内幕をしゃべった腰抜けのCには彼女と二度と連絡をとらないと約束させたし、私さえ言わなければいいことなのだが。
フランスの漫画家ジョアン・スファール Joann Sfar は、シャルリー・エブドに2004年夏から2005年9月まで"Mon cahier d'éveil"(僕の情操教育ノート)という作品を連載していた。
その後、今年1月のシャルリー・エブド襲撃事件を受けて、ハフィントン・ポスト フランス版ブログに"Si Dieu existe" というイラストエッセイを発表。以下はその連載第2回、"Un concert pour Cabu"の日本語訳である。
イラスト部分は実際にハフィントン・ポスト フランス版でご覧いただきたい。
http://www.huffingtonpost.fr/joann-sfar/dessins-sfar-cabu-hommage_b_6658718.html
なお、ページ番号は連載第1回からの通し番号となっている。
これはお葬式じゃない。
13
カブっていう大した奴
いま君は泣いていないけど、それは君が砂漠みたいに乾いちまったからなんだ!」
14
それは本物のイスラム教じゃない。
みんなが正しい、そしてみんなが間違っている。
というのもイスラム教徒は信者をとりまとめる最高機関を持ってないからだ。イスラム教に教皇はいないんだ!
それゆえに独裁者達や過激派は、論破されることもなく、イスラム教を不当にも自分のものにすることができてしまう。
フランスでは、人道的なイスラム教徒を代表する人たちがテロリズムに対して抗議したけれど、その抗議の正当性は、世界的に認められたどれかのイスラム教の機関から来ているわけではなかった。
このところ僕は、「"イスラム教を改革する"必要があるんじゃないか」とみんなが口にするのを聞いている。
数え切れない程のイスラム教徒はいるけれど、彼らが信奉する戒律について、正当性があるのか無いのかを一刀両断で決めてしまえる「誰か」は存在しない。
15
「"バチカンII”ってアラビア語でどう言えばいいんだろう?」
目下のところ、僕は神経過敏になっている。
「もうしたよ」
16
僕たちがその姿を絵に描く権利があるにせよないにせよ、ムハンマドは剣を持ったただ一人の預言者だ。これは圧倒的大多数のムスリムの、寛大で平和な日々からとても隔たりがある。
逸脱した暴力は、この独特なイメージ、武器を持った神の使者のイメージの下に結集しようとしている。
そうだね、改革が必要だ。でも改革をもたらすのは誰だろう?フランスにはそのための充分な手立てがない。イスラム教を和らげるためにムスリムが声を上げるなら、その運動はペルシャ湾岸から起こらなければならないだろうし、そうすれば豊かなオイルマネーを活用できるに違いない。
もちろん、敵は原理主義者だ。そして今日、僕たちの言うことを聞いてもらうには、とてつもないイマジネーションと力強い声が必要だ。
僕はムスリムに心から敬意を表する。今日の暴力の第一の犠牲者はムスリムだ。そして、「コーランが推奨する聖戦は、何よりもまず心の中の悪魔と戦うことだと考えなければならない」と発言する勇気をムスリムは持っている。
それでも自己批判しろという声がムスリムには突きつけられている。
18
僕は、夜明けの光に照らされた雨の中のカブ夫婦の姿を思い出す。シャルリー・エブドの訴訟中のことだった。最後にカブへ挨拶したのは僕の映画の撮影の直前だった。僕たちはオデオンのそばのイタリアンレストランに居合わせたのだった。
僕が最後にヴォランスキと食事をしたのは半年前、サン・ジェルマンだった。
3週間前、僕はおばと会いにリュニベルシテ通りへ行ったのだけど、その時、サン・ペール通りの角で、20メートル離れたところにヴォランスキを見た。彼は僕を見ていなかった。僕は急いでいたので、彼を抱擁しには行かなかった。
19
カブを見る時はいつも連想的に、トレネの歌を聞かなければいけないぞ、と思ったものだ。僕はトレネのシャンソン全集を持っている。フレモー版だ。
「君はこんな時にも自分について話そうとしてるのか」って?
そうさ。ストレスを感じたワンコが自分のキンタマをなめて安心しようとするように、僕は自分のスタイルにしがみついて、昔の手帳に書いた話を自分に繰り返してみなければならない。そこに一つの意味を見つけるために。立っているために。僕はシャルリーをやめた。ハリケーン・カトリーナの日だ。ロマンチックで自己防衛的な理由だった。洪水に沈んだニューオーリンズ、それはもう僕にはひどすぎる出来事だった。
そして僕は私小説的なものやフィクションへ避難しようとして、時事ネタときっぱり別れようとしたが、やり損ねた。
ニューオーリンズの音楽が死んだカブのために演奏されている。それは僕の記憶を呼び起こす。僕は洪水の泥に埋まったファッツ・ドミノのピアノのことを考えている。
21
「シャンソンが好きなのかカブに聞いた。カブは答えた。トレネが好きなのだと。」
カブの友人達はブラッサンスの仲間達に似ている。ヒゲを生やし、肘に革をあてたコーデュロイを着ている。もちろん、彼らは涙で目を赤くしている。彼らは反レイシストの、反狩猟の、反闘牛の、古株の活動家だ。気のいい男子たちで、勇敢な女子たちだ。移民の為に、書類の無い入国者のために、そして誰もがこの国が立派だと感じられるように、彼らはずっと暴れ回っている。
今日、僕は、このとても優しくとても過激な人たちが、警察の活動のおかげで安心させられてしまっているのを見る。
22
マダム・カブは僕に語る。カブはなんでも引き受けて、絵でもポスターでも描いたし本も書いた。ある日彼が罪悪感を感じたのは、フライドポテトの移動販売のトラックの店先に絵を描く時間が無いことだったそうだ。
フレッド・マヌーキアンと楽団は続けてキャブ・キャロウェイの「ミニー・ザ・ムーチャー」を演奏する。
僕に起きる可能性のあること、僕を守ってくれるかもしれないことの中で一番美しいもの――
聴衆に挨拶するや、カブの兄弟がファンファーレを鳴らし、僕はマヌーキアンの楽団とファンファーレにサンドイッチみたいに挟まれているのに気付く。僕が描いているのは、オフィクレイドの音色が僕の真っ正面で鳴った時のエモーションだ。すまない、僕はずっと泣いている。オーケストラのおかげで泣き顔は隠れたから、僕は運が良かった。
P13. カブ Cabu(1938ー2015)、P18. ヴォランスキ Wolinski(1934-2015) いずれもシャルリー・エブド襲撃で殺害された漫画家。
シャルリー・エブドの漫画家達については鵜野孝紀氏のコラムが詳しい。http://books.shopro.co.jp/bdfile/2015/01/bd-19.html
P12.フレッド・マヌーキアン Frédéric Manoukian Big Band のリーダー。
P13.カブの兄弟 Michel Cabut氏。 https://youtu.be/ZX7rZCpl0x4?t=2m23s
P18.「僕の映画の撮影」 スファールの2本目の実写監督作"La Dame dans l'auto avec des lunettes et un fusil"と思われる。2015年夏公開。
P20.「手帳」 スファールはcarnet(手帳)というイラストエッセイのシリーズを刊行している。"Si Dieu existe"は11冊目の"carnet"となった。
P21. ジョルジュ・ブラッサンス Georges Brassens(1921-1981) フランスの歌手。https://youtu.be/84SMQ4Gyz5o
なお、このコンサートはテレビとラジオで放送され、ラジオ音源をFrance Interのサイトで聞くことができる。
http://www.franceinter.fr/emission-un-cabu-extraordinaire-soiree-speciale
おととい
ff6のオペラをゲームシーンみたりオーケストラみたりしてた。youtubeで。
きのう
昴ソリチュード読みつつ、a-haのtakeonmeの関連動画から
→ボヘミアンラプソディ
→ウィー・アー・ザ・ワールド
→マン・イン・ザ・ミラー
と聞いていった
さんざん暴虐尽くしたアメリカがこんな歌をうたってると思うとなんか皮肉っぽかったけど、
マイケル・ジャクソンのヒール・ザ・ワールドの方はまあ本人もアレだしと思ってちょっとはいいかなと思えた
もともとヒール・ザ・ワールドは中学生のときに英語の授業で聞いたくらいで、
ウィー・アー・ザ・ワールドほどのインパクトはなかったんだけどね
サビ弱いしね
でもまいけるがあなたと私と全人種のためにって歌ってるとなんか思うところがあるよね
この「小学生向けの教材に読書感想文のテンプレが存在する…賛否分かれるTL - Togetterまとめ」を見て、
書いてみた感想としては、あのテンプレートから一切はみ出しちゃダメとか、
別の書き方をしたいと言う児童にまでテンプレで書けという指導をされると困っちゃうけれども、
原稿用紙を前に途方に暮れる位だったらあのテンプレートで書いた方がいいと思う。
かなり書きやすかった。
私は、悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲というゲームをプレイしました。
このゲームを選んだのは、このゲームがAmazon.co.jpやその他のゲームレビューサイトで高い評価を受けているという事を知ったことと、
木彫パルティータというこのゲームのBGM曲をオーケストラが弾いているのを見て気に入ったからです。
このゲームは、ドラキュラ伯爵と人間の母の間に生まれた吸血鬼であるアルカードが主人公の物語です。
そして、アルカードは、人間を守るために父ドラキュラを倒します。
私がこのゲームをプレイして一番心に残ったところは、アルカードが、敵のサキュバスに自分の母が人間に殺されるところを悪夢として見させられたところです。
この悪夢の中の母は敵が作った幻なので、人間に味方をするアルカードを騙そうと、人間に復讐しなさい、人間を殺しなさいなどとそそのかします。
ですがアルカードは、曇りなき眼で見定めて、これが敵の幻であると見破ります。
私はこの部分をプレイして、母が幻であると見破れるアルカードはすごいなあと思いました。
なぜなら、もし私がアルカードと同じような体験を立場だったらと考えると、
復讐は何も産まないと言葉では分かっていても、目の前の母の言葉をそのまま信じて、人間に復讐をするだろうと思うからです。
私は、このゲームから、いくら母や先生の言うことであったとしても、それをそのまま信じて行動するのではなく、立ち止まって考え、
復讐は何も産まないといった真理と矛盾する事を母や先生が言う時には、その母や先生はサキュバスの生み出した幻であるという事を学びました。
去年からスポクラに通ってるんだけど、歳がタメとか同じくらいの4人と仲良くなった。みんなアラサーちょい手前くらい?
最近一緒によく遊んでるんだけど、私以外みんな育ちが良くて頭がめちゃくちゃいい。
会社もすごい有名なとこで、車とかネットとか薬とか、私でも聞いたことあるようなとこで働いてる。
実家は都会の真ん中で一戸建てが当たり前。仕事と遊び用で2台は持ってる。冷蔵庫にビールとかウイスキーがある。
家族で海外旅行に行くし、歌舞伎や文楽、オーケストラ、宝塚とかも行ってる。塾も大学も親の金で行ったみたい。
絵を見たり音楽聞いたら自分の言葉で感想とか言えるし、知識もすごいある。(この時代はこういう絵が流行ったとか)古い本とか映画もよく知ってる。ご飯とかお酒も。
特産品なんか知らなかったけど教えてもらったし、磨きとかシングルモルトって言葉も教えてもらった。
買い物に行ったらオシャレで質のいい物を選んでるみたい。私には分からないけどいい物みたい。
そんで「クソめんどい」とか「はぁ?」とか全然言わない。悪口なんか言わない。
私は誰でも入れる短大を出て社員が10人くらいの運送屋で事務やってる。手取りは13万。これでも給料上がったんだけど、奨学金を返さなきゃいけない。
古い団地にビッグダディみたいな見た目の父親(土木作業員・パチンカス)、老けたギャルみたいな母親と住んでる。
親戚も地元のツレもみんな土方とかの仕事で、はっきり言ってDQN臭がすごい。短大卒業して事務やってるだけでスゲーって言われるレベル。
親戚と歩いているとなんか恥ずかしい。私もDQNに見えてるのかもしれない。
うちに車はない。会社の白ワゴンかユニックしか乗ったことない。お酒は発泡酒かチューハイ。旅行は海水浴かディズニー。日本から出たことない。絵も音楽もよく知らない。小説とかも読んだことない。文楽なんてぶっちゃけ全然知らなかった。
一緒に取った写真を見ると、私だけすごい子供っぽい。若いとかじゃなくてガキっぽい。
ほとんどタメなのになんでこんなに差があるんだろう。
生まれた家のせいにしたい。でもどんな家に生まれても頑張る人は良い大学へ行くし良い会社に入る。教養とかも自分で身につけられる。
私が遊んでる間に彼らは頑張ってただけの話。
誰も私を馬鹿にしない。私だけが知らなかったり追いつけない話題になったらさりげなくどんな話をしてるか教えてくれる。
私のことを「面白い人」と言ってくれる。
みんな優しい。それが余計に辛い。
…みたいな感じの書き方だったら信じただろうなあ。
本を読まない割に語彙が多すぎるよ。
そこで歳の近いメンバー男女4人と仲良くなった。全員、20代半ばだ。最近ちょくちょく遊びに行っているが、私以外、みんな育ちが良くてアタマが良い。
会社もすごい。有名乗り物メーカー、大手の通信会社、インフラ、製薬……私でも聞いたことのある会社で働いている。
実家は都市部の住宅街に、一戸建てが当たり前。仕事とレジャー用で、最低2台車がある。冷蔵庫にはビールやウイスキーがある。
家族で海外旅行に行ったことがあるし、歌舞伎や文楽、オーケストラ、宝塚に連れて行って貰っている。塾代も大学費もみんな出して貰ったようだ。
絵を見たり音楽を聞くと、自分の言葉で感想が言える。知識もスラスラ出てくる。(この時代はこういう絵が流行った、とか)古い本や映画もよく知っている。ご飯もお酒も詳しい。特産品とか知らなかったし、磨きとか、シングルモルトといった言葉も、彼らから教えて貰った。
買い物に行くと、お洒落で質の良い物を選んでいるようだ。私は分からないけど、周りが言うには良い物らしい。
それに、誰も「クソめんどい」とか「はぁ?」とか、言わない。悪口を言わない。
私は、名前を書けば誰でも入れる短大を出て、従業員数10名にも満たない運送屋で事務員をしている。手取りは13万弱。これでも昇給した方だが、奨学金の返還がある。
郊外の古い公団住宅に、ビッグダディみたいな見た目の父(土木作業員・パチンカス)、ヨレヨレに老けたギャルみたいな母と同居している。
親戚も地元の友達も皆3K仕事をしてて、はっきり言ってDQN臭がすごい。短大卒業して事務やってるだけでスゲーと言われるレベル。
親戚と歩いていると恥ずかしい気持ちになる。私もDQNに見えてるのかもしれない。
うちに車はない。会社の白ワゴンか、ユニックしか乗ったことがない。お酒は発泡酒かチューハイ。たまの旅行は海水浴かディズニー。日本から出たこともない。絵も音楽もよく知らない。文学小説も読んだことない。文楽なんて話題にすらなったことがない。
集合写真を見ると、私だけ異様に子どもっぽい。若いんじゃなくて、幼い。
殆ど歳は違わないのに、どうしてこんなに差があるんだろう。
生まれ育った家庭のせいにしたい。でもどんな家に生まれ育っても、頑張る人は良い大学へ行くし、良い会社に入る。教養だって自分で身につけられる。
私が遊んでる間に彼らは頑張っていただけの話。
そう思い知る度に、自分の程度の低さが沁みてきて暗澹とした気持ちになる。
誰も私を馬鹿にしない。私だけが知らなかったり追いつけない話題になると、さりげなくどういう話をしてるか教えてくれる。
私のことを「面白い人」と言ってくれる。
みんな優しい。それが余計に、辛い。
アニメシンフォニアというアニメの曲をオーケストラでやります。
というプロ団体で急に曲変更が起きた問題でくわしく解説しているサイトがないからここで記載します。
よくJASRACで許可降りてるのになんでダメなの?みたいな話があるからその辺から
JASRACは曲を演奏したり出版する際の許可をとって集金を代行するのが業務なんだけど
今回のように進撃の巨人の元曲をオーケストラにする場合には「編曲」という行為がはいるんだ
そして編曲「していいか」どうかの権利というのはJASRACは管轄しないで直接許可を作曲者にとってねというのが
澤野 弘之さんとポニーキャニオン音楽出版ってとこが権利を持っているのでまず可能性があるとすればソコ
だからまずオーケストラに編曲して演奏しますっていうのを澤野さんに確認しなきゃいけないの。でも普通の人に
澤野さんの連絡先なんてわからない「これが第一の問題」作曲者に連絡取れるパイプなんて普通持ってない
ポニーキャニオンに連絡して「編曲していいですか?」「演奏しますね」「アマチュアではなくプロの公演です」
っていうのをやらなきゃいけないの。だけどまぁこのへんで指摘が入るのは考えられる
アニメだと制作委員会制をとったりするから更に権利関係が複雑で放送時点は出版社や放送局が権利があってDVDに
なったりすると今度は制作会社が権利があったりするので最終的な演奏の許諾に関する権利関係の責任の所在があいまい
で誰かが許諾しないとNGが出たりするだから一般的に出版されてない楽譜に編曲して更に演奏するってなると許可を得る
のに数年かかったり最終的にNG出たりする。
https://www.nitroplus.co.jp/license/
①実はまどか☆マギカは当初の権利関係のスタンスがすごくクリアだった。
商業としてはかなり特例の「著作物転載のガイドライン」を定めていて、ファン活動であれば引用はOK
ですよってスタンスをとっていたの
②ここに目をつけたのがアマチュアの、ワルプルギスの夜オーケストラ
ファン活動として1000人くらいを動員する活動として「正式」にできたという経緯
指揮者の志村健一が実績を持った上で商業的な成功を見越して、正式にプロ活動としてコラボするから許可が出るというわけ。こでが0ベースの商業としての持ち込みだったらOKでたかは定かではないと思うな。それが公式のまどかマギカオーケストラにつながっているわけです。
■今回の騒動におけるまとめ
一度前例ができれば出版社や許可保有の会社も法務部含めてそういうことへの許可申請のラインができるのだけど、いきなり降って出た話ってそういうのが許可できなくてオクラ入りになる場合が多い
・じゃあなぜ返金とか対応できないの?
アマチュアの演奏家とかだとわかると思うけど実質運営団体として実績がない社団法人って吹けば飛ぶような運営方針だと思うんだよね。オーチャードホールなんて結構な費用のするホールだから多分返金したら利益が出ないばかりか演奏会が成り立たず実質運営者の赤字活動になってしまう。アマチュアならばまだしもプロ活動だとそれは避けたい。たとえ炎上してでも演奏会を決行せざる得ないし返金に応じないというのも仕方がないということ。
元増田です。
課題曲程度だと、教育的配慮が優先されるから減らすべきところも減らさずユニゾンつけまくったり、
ただでさえ分厚すぎる中音域と薄すぎる低音域のバランスが滅茶苦茶で聞くに堪えない。
オケだと中音域の厚みを担うのはホルンとヴィオラくらいしかいないので、プロはともかくアマチュアの手にかかると往々にして「ダシの効いていない」演奏になりがちだから、中音域が充実している吹奏楽は恵まれていると思っていた。
でも実際聴き込んでみると「過ぎたるは~」な気がしてきた。なんというか、中音が厚過ぎると着膨れしたような、輪郭のぼやけた、大味でいささかクドいサウンドになる感じだろうか。
吹奏楽の低音はユーフォ・チューバ・コンバス・トロンボーン・ファゴット・バスクラ・バリサクと一見充実しているように見えるけど、フルート・オーボエを除く残りの楽器がほぼ全て中音だと考えたらやはり足りないってことか。
でもクラと立ち位置を交換するとなると、音域の問題から2声あるアルトのうちの1つをソプラノに変えるってことだよね?
サクソフォンオーケストラを見る限り、ソプラノはピーピー・キーキーにならない「旨味のある」音を出すのが難しそうで、結構ハードル高いんじゃないだろうか。
今どきモツだベトだ言って聞いてくれる人もお年寄りが増えた。
個人的にも、現代音楽の聴きやすいモノのほうが若い感性には応えられると思う。
その間口を全部吹奏楽が持ってっちゃってるってのはそのとおりかな。
クラシックは一生かかっても演奏しきれないくらい沢山の名曲があって、一度好きになれば死ぬまで病みつきになれるのが魅力だと思う。
反面、その全てが職業演奏家によるパフォーマンスを前提にしていて、尚且つオケに慣れ親しんでいる人達がそういう曲だけで満足しちゃっているのが問題なんだよ。
それがオケの敷居を高くし、特に若い人の間口を大いに狭めているという意味で。同じことはカルテットのような弦楽合奏にも言える。
とはいえ、アマチュア演奏家や若い音楽ファンでも気軽に楽しめる新曲なんて、なまじ過去の名曲があるせいで単純に見劣りするだけというのはある。
でも大河ドラマのOPとか、ああいうののもう少し簡単な曲なら結構いい線行きそうな気はするけど。
まあ長い年月の淘汰を生き残って愛聴されてきたというのが名曲の名曲たる所以であり、そういう逸品がゴロゴロしているのは、他のジャンルから見たら羨ましいのかも知れないが、現実はそんな喜ばしいことばかりじゃないというか。
そこら辺わかってる作曲家は加減をしっかりつけたり、比重を変えたりして吹奏楽ならではな色彩を出せているんだけどね。
課題曲程度だと、教育的配慮が優先されるから減らすべきところも減らさずユニゾンつけまくったり、
ただでさえ分厚すぎる中音域と薄すぎる低音域のバランスが滅茶苦茶で聞くに堪えない。
最近サクソルンオーケストラっちゅーもんがあるぐらいにはサックスは管楽合奏で重要な地位を占めとる。
個人的にはサックスとクラリネットの立ち位置交換するのもありだと思ってる。
これのおかげでピッチ合わせに長時間取られる団体多し。むしろ人数を減らすべきだと思うよ私は。
一方の吹奏楽は、とにかく取っ付き易さと親しみ易さが印象に残る。
そうね。今どきモツだベトだ言って聞いてくれる人もお年寄りが増えた。
個人的にも、現代音楽の聴きやすいモノのほうが若い感性には応えられると思う。
音楽における自分のホームグラウンドはと質問されたら、自分の場合はクラシック、それもオーケストラだと即答する。
そんなクラオタ兼アニオタの自分は、当然のごとく「響け!ユーフォニアム」にハマり、作品にこもった熱気に当てられてしまった。
とにかくモブを含めた登場人物全員を愛おしく感じたとか、長年アニメを見てきて初めての経験だと思う。
また、オケで目にする管打楽器の人たちはこんな青春時代を送ってきたのかーとか、高校で体育会系な部活だった過去の自分にもあるあるだなーとか、感慨もひとしおである。
そしてアニメをとっかかりに、海兵隊とか錨を上げてとか、アルヴァマー序曲とかカタロニアの栄光とか、吹奏楽で名曲とされている作品もいくつか聴いてみて、オケとの様々な違いを興味深く感じ取った。
以下備忘録ではないが、ニワカなりに感じた差異を書いていこうと思う。
ツッコミ大歓迎。
オケの場合は、こう言っては何だが、弦・管・打の間で殆ど序列と言っていい原則がある。
即ち弦で言いたいことの多くを言い切り、管はそれを補う彩り、打楽器に至ってはスパイスみたいな位置づけである。別の言い方をすれば、オケは弦楽合奏に管打楽器を後付したと考えると分かりやすい。
勿論これは作曲家の個性にも依存していて、ベートーヴェンやブラームスなどで顕著な一方、ラヴェルやリムスキー・コルサコフなどではより管打楽器の色彩感を強調しているが、それでもこの原則はかなりしっかり守られている。
結果、分かりやすい見方でいうと、各楽器の音符の数に大きな差が出てくる。それどころか、楽器によっては出番がないなんてことも起きる。
例えばオケの第一ヴァイオリンの何が一番って、間違いなく音符の数である(第二ヴァイオリンが二番)。
しかもこの中で定席はトランペットとティンパニのみ、他の楽器は終楽章まで出番がないだの、一発だけだの、そもそも曲の編成に含まれないなどザラである。
少なくとも音符の数に極端な差はなさそうに見える。
というか、トランペットやトロンボーンがこんなに色んなところで吹いているなんて驚きである。チューバはまんまオケのコントラバス的な存在だし。
もっと驚いたのは、どんなに静かな場面でも、大抵何らかの打楽器が鳴っていることで、オケではまず考えられない。
その代わりと言っちゃアレだが、ダブルリードとホルンとコントラバスの存在感は正直微妙。てかオケの方が難易度高い代わりに美味しさも桁違いだと思う。
楽器間の音符の数は比較的公平とはいえ、吹奏楽の中核セクションはクラとサックスな気がする。
声部でいうとクラ3バスクラ1、アルト2テナー1バリトン1が曲を引っ張っている感じか?
ちなみにオケでは登場年代が新し過ぎたり、弦と決定的に合わない(弦の響きを消してしまう)などの理由から完全にゲスト扱いのサックス勢だけど、吹奏楽では不可欠な楽器じゃないだろうか。
吹奏楽のサウンドに艶とか柔らかさといった要素を付加しているのは、間違いなくサックスだと思う。
オケの管楽器は原則1人1パートでアシはオプション扱い、本来は入れずに済ませるべきという雰囲気がある。
吹奏楽はそこら辺、少な過ぎは困るけど多い分には別に・・・という感じに見える。
これは編成の制約が少ないことを意味するので、ちょっと羨ましい。
弦のピチカートの上に消える寸前の虚ろなクラリネットソロがあると思えば、大人数の弦を含むオケ全員で奏でる音の爆発まで、凄まじい落差がある。
ピュアオーディオのリファレンスに使われるのも道理で、オケのフォルティシモとピアニシモが両方遺憾なく再生できれば、多分不可能はない。
一方の吹奏楽は、とにかく取っ付き易さと親しみ易さが印象に残る。
オケ曲のような難解さはあまりなく、気軽に楽しめる感じである。
それだけ取っても、市民バンドと言ったら吹奏楽に軍配が上がる気がする。
色々書いてきたけど、自分が吹奏楽に転向するかというと、多分ノーである。
アニメ「響け!ユーフォニアム」を通して見る揺れる心
http://seagull.hateblo.jp/entry/2015/05/11/144400
こちらを見てて、滝先生が「生徒に目標を決めさせる場面が誘導尋問的である」という指摘に「そう!そうなんだよ!」と思った吹奏楽経験者です。
自分は中高大とアマチュア吹奏楽続けてた(就職後時間が取れなくて止めた)んだけども、中高はいわゆる弱小で、大学も中高に比べれば雲泥とはいえ、まあそこまで上手くはなかった感じの人間です(全国大会にはほぼ縁のないレベル)。
でまあ滝先生にモヤモヤする点って、それが効果的かつピーキーな手法だからなんですよね。
そもそも吹奏楽(オーケストラもだけど)同時に演奏する人数がやたらに多い。
ロックバンドですら「音楽性の違い」とか様々な理由で解散するのに、50人からの人数(しかもまだお互いの意思疎通・合議能力に乏しい高校生)をまとめ上げるのは大変。
その上、「部活の外の人たち」は「コンクールの結果」でしか部活の価値を判断してくれない。
短期間で「コンクールの結果」を出すためにはああいうやり方が効率的ではあるんですよね。
ただねえ、中高の部活って、「迷ったり・失敗したりする」事も大事な財産だとも思うのですよね。
特に高校生ともなれば、自主的に色々やってみたくもなる年頃で(高校生だと演奏会で身の丈に合わない曲を選んで轟沈なんてことも結構ある)、それを先生がキリキリ誘導しちゃうのが正しいのかっていうところはすごくモヤモヤするわけです。
もちろん、生徒たちの意思をサポートできる知識とか人脈とかはすごく大事なんですけど、結果として路頭に迷ってたからといって、圧倒的な手腕でひとつの方向に導くのが「正解」なのかどうかってのはまあ「答えのない問い」ですよね。だからモヤモヤする(それとは別に滝先生みたいな「デキる人」の表面だけ見習って、生徒を地獄に叩き落す勘違い指導者が少なからずいる、って問題もあるんだけどそれは別問題なのでおいておく)。
実際問題として、「顧問の先生に導かれて結果を叩き出した」生徒たちの少なくない人数は、高校卒業後音楽から離れます。
まあもちろんそれはある意味当然の事(高校の部活は吹奏楽に限らずおおむねそんなものではある)なのだけども、「彼ら彼女らが高校で自分が今後音楽にどう向き合っていくかを考える機会と知識」をきちんと得られた結果なのだろうか、ってのは色んな吹奏楽経験者を見ていて疑問に思うところなのでした。
結局先生にのせられて部活を続けて、「その先を自分がどう歩くか」を考える機会も材料も得られなかったんじゃないのかって。
ま、回答はありません。でもねえ、全国大会に出る吹奏楽部だった人でも、吹奏楽のCD(今はCDに限らんけど)を買ったりする人って少数派だったりとか、吹奏楽のプロの音源ってびっくりするほど多種多様にあるのに、売れているCDはアマチュアのCDばっかりだという現状とか、肝心の全国大会でもトップレベルの学校がいまだに非音楽的な曲カットをしていたりする現状だとか考えてると、「結果」ってなんだろうなーと思うわけで。
そもそも音楽に客観的に定量的に決められるような「結果」なんてないんだから当たり前ではあるんですけどね。
あくまで吹奏楽コンクールは演奏技術のみを競う場ですから(だから音楽的にひどいカットをしても基本減点されない)。
なんかモヤモヤに引きずられて話がそれました。すいません。
で、原作の誠実なところは「このモヤモヤにはすっきりした回答なんぞない」というところをきちんと描こうとしているところだと思います。
同じ音楽を扱った作品でも「BECK」とかだと勝負に普通に勝ってしまうわけですけど(あれは基本的には、プロが「客ウケ=動員数」という基準で勝負してる話だからそれでいい。作者の「本当にいい音楽は誰にでも伝わるはずだ」という暴力的な音楽観はヒシヒシ感じるけど)、この作品は「結果」ってのがそんなに分かりやすいものではない事をきちんと踏まえている。
だから滝先生も全面的に作中で肯定されるわけではない(はず、原作一巻を読む限りでは)し、かつ、群像劇として多種多様な価値観の人々が「設定された目的のために協力はしても考え方を相容れることはあんまりない」という方向で話が進みます。
このモヤモヤについて、見る人が色々考えてくれるといいなあと、私も思う次第です。
他にも作中の曲についてとか原作者が楽曲のスコア見てなくて事実誤認してる部分とか色々言いたいことはあるんだけど、最後にひとつだけ。
「吹部」っていう略称は、大学の「回生」並に関東・東北(多分北海道も)では通用しないから気をつけろ!
ただし、「ブラバン」はブラバンで熱心な吹奏楽部員の神経を逆なでする(brass bandは本義的には金管楽器と打楽器の編成を指すので)から気をつけろ!
ちょっとだけ追記しておくと、
そもそも「コンクール全国大会出場」と「コンクールに出場して思い出作り」の二択しかないのがおかしいって指摘はきちんとしておいた方がいいですね。例えば演奏会に力入れたいからとかマーチングに力点置いてるからとかでコンクールに出ないって選択をしている学校も少数だが存在するし。ここには滝先生の「吹奏楽部はコンクールありきだ」っていう偏狭さがあるともいえるわけです。あえて極端な二択を提示することで、ほかの選択肢を考慮する余地を奪うって言う詐欺師の常套手段です。
極論、そういう様々な選択があってモヤモヤする音楽活動ってやつを、コンクール一生懸命やって技術的に上手くなるっていう否定しづらい名目で塗りつぶしてるともいえる、んだよね。滝先生は。
自分がやりたいこと、今までもなかったし、これからもないんだろうなあ。
とりあえず、就職活動は、内定のもらえそうなIT業界中心に回っている。
所属している学生オーケストラの、12月の演奏会に出たいから、夏くらいまでには就活を終わらせたい。それより先のことは考えられない。
父親は東証一部上場企業(メーカー)に勤めているため、東証一部上場企業(IT以外)に入れとうるさい。
しかし、アルバイトもゼミナールも受からず、彼女も一度も作れなかった僕が、東証一部の物凄い倍率から選ばれるとは想像もできない。既に何社か受けたが落ちた。
来年4月からの未来は想像できないし、内定をもらった企業でしか働けないのだから、企業選びなど悠長なことは言えない。
来年4月からは生きている気がしない。まあ死んでもしょうがないかな、くらいに生きている。
まだ若いんだから、ちゃんと考えないと後悔するとたまに言われるが、全然わからない。
5年前に比べれば、腰が痛くなったし、全力疾走したら吐きそうになるし、僕は5年前の自分よりはしっかり老いているのに?
まだ先が長いから、先のことを考えろというのも、よくわからない。
先が長いかどうかは僕が決めるのであって、今すぐ僕はこの人生を終わらせることだってできる。
大したことのない人生だったから、これからも大したことがないだろうし、どうでもいい。
アフリカの生きたくても生きられない子供の分を思って生きろ、とか言うかもしれないが、どうして僕が顔も名前も知らないアフリカの子供の分まで生きなければならないかわからない。