はてなキーワード: 蛇蝎のごとくとは
そこそこ緩い運動部だからか人数が結構いた。各学年25人くらい。
そこそこ緩い運動部だからみんな練習もテキトーだった。顧問は強面だけどあんまり練習見に来ないし。
少年団あがりの子もいたけど運動神経が良かっただけの素人自分がレギュラーになれるくらいにはダラダラした部活だった。
野球やバスケやバレーといったチームスポーツなら話は別だろうが、卓球は個人競技だ。強いやつが偉い。というかそもそも部長が練習メニューの先頭に立つので実力がある人しか務まらない。
勉強ができないので打ち込むことが部活しかなかった自分は既に三年生に勝率9割越えだった。同学年や後輩には勝率10割だった。
当然私以外の誰が部長をやるんだくらいの気持ちでいた。周りにもそういわれて普通に天狗になっていた。人望は知らないが、普通にみんなとも仲良くやっていたつもりだった。
でも顧問が指名したのは私じゃなかった。なんかプライド的なものが勝手に崩された気分になった自分へ追い打ちをかけるように、顧問は「お前には佐藤のようになってほしいんだ」と言った。
佐藤というのはひと学年上のエースで、私の勝率を削ってくる唯一の人だった。
この人は圧倒的に一番強かったけどクラブチームに所属しているため部活に常に参加できるわけではなく、それで部長を辞退し副部長になった人だった。
佐藤先輩は自分にも他人にも厳しくて、部長がちょっとぽやぽやした人だったこともあって、後輩を怒る嫌な役回りは全部その人がやっている状態だった。
当然後輩には蛇蝎のごとく嫌われていて、私も口うるさいし全然勝てない佐藤先輩にめちゃくちゃムカついていたが、高校生になってから振り返るとめちゃくちゃ周りのことを見ている良い人だったなと思った。
もし時間が巻き戻せるならこの時の顧問に「私は佐藤先輩じゃないんですけど」と言ってやりたいが、当時の高かった鼻が折られた直後の元天狗自分では何も考えられずに「ハア…」という生返事しか返せなかった。
私は全然自分に厳しくないし、他人にも厳しくない。だれかを怒るほどのエネルギーを持っていないし、自分が練習したいだけだ。
今羅列していて思うがこの性格でよく自分が部長にふさわしいなどと思い上がれたのかも不思議である。まあ一つ上の部長がのんびりしていて一度たりとも怒ったことがない穏やかな人だったから、それを見ていたら自分でもどうにかなるとでも思ったのかもしれない。
部の引き締め役を私に期待していたんだとしたら無茶苦茶見る目がないというか生徒を見る気がなさすぎるし、実際私は特に情熱をもって後輩を指導するわけでもストイックに自分を追い詰めた練習をするでもなく普通に中学の部活生活を終えた。
まあ当の顧問は部長を指名するだけ指名してその翌年の春に異動していったんだけど。私が三年になって新しく来た顧問は卓球のルールさえしらない上に新卒教師だったんだけど。
卓球あるあるといえば、大会では一日に何十試合と同時にやるので、同じ部内の応援が非常にだるい。面倒くさいじゃなくてだるい。
大会で最後の方まで残るのは佐藤先輩ぐらいのもので、他は大体2,3回戦くらいで負けてるので、佐藤先輩の試合を応援するためだけに一日中会場に残らされるわけである。
中学生の残酷な集中力の無さといえば、早く帰りたいから先輩早く負けてくれないかなーとか大笑いしながら言う始末である。
当然厳格な性格の佐藤先輩がそれを見過ごすはずもなく、「まともに応援する気ないなら帰りなさい」と怒りだし、けどそれで「じゃあかえりまーす」と言えるほどの度胸は卓球部員にはないのでしぶしぶ適当にナイッサーとか言っておくのである。私はこれがだるくて自分も最後まで試合に残れば応援しなくていいんだ!と思って強くなったクチである。しょうもねえ理由。
自分は応援されると逆にやりにくいので自分の試合中に観覧席の後輩たちが遊んでようが特に気にしなかったけど、負けることを期待されるならそりゃ先帰ってくれよ、とは常々思っていた。一応部活も教育なのでそんなこと顧問が許すはずもないけど。
これもまた卓球あるあるなんだけど、試合で負けたら次の試合の審判をするまでがセット。だから部員たちは応援の仕事が終わっても、審判をする先輩及び私を待たなくちゃいけないわけである。こういう時に限ってフルセット。そもそもトーナメント戦なら後半になるにつれ実力が拮抗するから試合が長引くのは仕方ないんだけど。
県大会とか佐藤先輩がいたころはまだ良かったけど、先輩が引退してからは試合前のウォーミングアップする相手がいなくて困った。試合に出もしねえ部員を引っ張ってくるわけにもいかないし、そもそもウォーミングアップなのに変な癖つきまくり部員と打ち合ったら逆に疲れるし。新顧問はラケット握ったことすらないし。
仕方なく顔見知りの学校のウォーミングアップに混ぜてもらうわけ。これ奇数のとこがねらい目なのマメな。大所帯の学校にはもれなく嫌な顔されるし、できれば自分が空台とってから交渉した方が吉。「ここ使わせてあげるから練習混ぜて」って。大きい大会ならウォーミングアップ用の台も学校ごとに指定されてたりするんだけどね。学校ごとに指定されても相手いねーんだが?!これはもう自分で補えということですよ。
あーよく覚えてるなあ。競技としては好きだったんだろうな、卓球。けど二度とラケット握りたくねえな。
いつだよ、いい思い出って振り返れるようになる日は。
創価中高ですごした増田(https://anond.hatelabo.jp/20220714094742)に触発されて。
今のわたしのように、たとえ大人になってから学会活動をやらなかったとしても、親の庇護下・監督下にあり、人間として成長段階でもある、幼少期・思春期・青年期前半くらいまでを「二世」として過ごすって、人生経験の中で結構なインパクトがある出来事のような気がする。
たまに誰かに話したいな~とか思うけど、世間的な見られ方から、「私親が学会で~」っていうのはいまだに言いづらく、そこでどんな活動をしていたかというのは周囲の非学会員には一切話したことがない。
増田になら…と改めて思ったので、書いておこうと思う。
うちは最初に母が入って、父が母につられて入ったという感じで、活動に熱心なのは母だった。
父は言われて新聞配達してたくらいで、仏壇の前に座るとかそういうことは一切しないライト会員。
私は生まれた翌年の桃の節句の日に入会した。0歳なのでもちろん自発的な悟りとか目覚めとか釈迦みたいなことではなく、親に勝手に入れられた。
このシステムがまずすごいよなと思う。自発的な意思が芽生えないうちから新興宗教に入会って人権的蹂躙っちゃそうだろという気がする。
入会日を桃の節句にあわせたのは女の子だったからだそうです(シンプルな理由)
私自身に学会員の自覚はなかったが、母はバリバリに活動していた。会合なんかにも連れられて行っていた。
地域の役員…地区部長とか? 的な人の家でやるやつと、文化会館といわれる宗教施設でやるやつ、どっちにも連れていかれていたが何の集まりかは全然わかってなかった。
人がたくさん集まってて、同年代の子どももいる集いにつれていかれ、後ろのほうで遊んだり絵本よんだりしてるくらいの感じ。
ちなみにこのころは、まだ学会は日蓮正宗に破門されていなかったので、普通に七五三等で日蓮正宗のお寺にも行っていた。
戦前戦後の墨塗教科書感があり、当時ですらちょっと「え? もうお寺にいかないの…なんで…?」ってなってた。
母が地区の役職についたようで、低学年のころから自宅が週2くらいある会合の会場になった。
家が創価学会の会合の会場になるとか、もしかしたらかなりヘビーな悲劇の二世体験のように思われるかもしれないが、実際にはに集まった大人の人らにかわいがってもらったりおしゃべりしてもらったり、同世代の子どもと楽しく遊んだりという記憶でしかない。
家に人がたくさん来るのがシンプルに楽しいので、自分から会合の場にいることが多かった。
嫌だな~と思ったことはなかった。日常風景みたいな。でもそれは小さかったからで、多感な時期からそうなってたら絶対嫌だったと思う。
会合の最初にみんなで法華経方便品自我偈をとなえたあと、唱題する。
低学年のころ、その方便品の教本(勤行要典という)をみて、会合に来た大人たちに「これは外国の言葉なのか? 何が書いてあるのか?」ときいて困らせた記憶がある。ひらがながふってあるので音だけは読めたが意味不明すぎて…。
あと、会合してる裏で、当時家で飼ってた猫が産気づき、私が猫にかぶりつきで「がんばれー! もう少し!」とかでっかい声ではげましていたので、隣の部屋で会合中の大人らはこっちが気になってしかたなかったらしいということがあった。
会合・座談会の内容は、『大百蓮華』(日蓮の残した著作(まとめて御書とよばれる)の抜粋がのってる会合用のテキスト。月刊)の勉強とか体験発表とか、今思っても穏当な感じだったなと思う。
家で歌われまくってたのと、中学くらいまで学会歌のオルゴール目覚まし時計(なんかの記念品)で起床していたので、今だにメロディーの一部をおぼえている。
https://www.youtube.com/watch?v=Z5ydB2Onbo8
朝この曲で起きてました。奇特すぎ。
役職についてる人がいるとはいえ、子どもの目には会員同士の関係はあくまでフラットな感じに見えていた。
今もあるのかしらないが、当時、学会二世キッズは、学会がやってる合唱団にさそわれることがあった。
しかしこれは入会時とちがい、親に強制的に入れられたのではない。
母に「やってみる?」ときかれたので、そのころウィーン少年合唱団にあこがれていたというただそれだけの理由で「やってみるわ」と答えた次第。
ウィーン少年合唱団にあこがれてなかったらたぶんやんなかったし、やんないならやんないで母は何も言わなかったと思う。
一応入団に際してオーディション的な歌唱テストもあったが、そこで音痴だったら落ちるのかっていうのはわからないし、多分そんなことないんじゃないだろうか。
入ってみたら、多分毎週ではなかったと思う駆れども、日曜日に文化会館で指導があった。
指導は学校で音楽教師してる等、歌舞音曲の心得のある会員が、おそらく無報酬でやっていて、学会歌ではなく一般的な合唱曲の練習をしていた。
「たんぽぽ」(どんな花よりたんぽぽの花をあなたに贈りましょう♪)にここで初めて出会って、なんて素敵な曲なんだろう、情景が目に浮かぶぜ…とめっちゃ感動したのはいい思い出の一つで、いまだにとても好きな歌。でもタンポポは別にいらない…。
小学校が違う気の合う友達もできたし、先生の一人が若めのイケメンだったので合唱団は楽しみだった。
創価中高の増田も似たニュアンスのことを言ってたが、池ちゃんは外国の歴史上の偉人をリスペクトしがちで、それが関係してるのかしらないけど、ある日突然第九…大晦日に歌うあれを練習しますーってなった。
小学生ながらに「フロイデーシェーネルゲッテルフルケン」とかって一生懸命練習したよね…。
なんのためにやってたかというと、当時、学会がヤフド(当時は福岡ドーム)を貸し切って、そこで池ちゃんがやってくる大規模な記念式典をやることになってて、そこに九州ブロック? のみんながあつまって第九合唱する…みたいな話になってたので、そのため。
このときの練習は普段の練習の20倍くらい気合が入っていて、池ちゃんが来ることの重み・貴重さ、池ちゃんの前で歌を披露できることがどんなに名誉かをめっちゃ説かれた記憶がある。
あと、合唱のほかにも「夢や目標をもったら、それがかなうように唱題(お題目を唱える)を一生懸命やりましょう」的な指導があったのだが「でもお題目を唱えるだけではだめ。目標をかなえるためには、そのための努力もかかせない。努力に加えてお題目も唱える。どっちかだけでは意味がない」ということを先生が言っていたのを今でも覚えている。
今の私は別に努力だけでいいだろと思うが、現世利益志向の宗教として、特段変な教えじゃないよなってのは思う。
なんの催しか忘れちゃったんだけど、発表会のために合唱団員の何人かからダンスするメンバーを選ぶってことがあって、私は踊りとかドへたくそなのになぜか立候補。
練習時点でグダグダの踊りを披露してたんだけど、そのとき「自分でやるっていったんだから、責任もってしっかりやろう」という、もはや信仰とかなんも関係ない普通のダメだし(指導)受けたのも印象に残っている。
学会二世には「選挙は祭り」って感覚持ってる人がいるんじゃないかと思う。
実際祭りだし、会員はその時期になると手弁当で友人知人宅を突撃し、候補者のビラをわたして投票のお願いをしていた。電凸とかじゃなくて、家凸。やば。電凸もしてました。
でも不思議なことに、母って、当時凸ってた相手と絶縁どころかいまだに仲いいし、最近できた非会員の友達(母はめちゃくちゃ社交的で友達が多い)に対しても、投票日に投票所に連行する「連れ出し」とか平気でやってるのに、不思議と嫌われてる様子もない。こないだ連れ出し被害食らった人と母と私の3人で飲んだくらい。
私は自分の友達に同じことやったら絶対ドン引きされて絶縁されるだろうなと思うんだけど。このへんは世代感覚なのか、母のキャラゆえなのか、いまだによくわからないところ。
とにかく私は同じことはできないし、したくもないし、そもそも公明党には投票してない。
話がそれたが、当時の家凸は、同じ地区の会員同士で車とかに乗り合わせて回ることがおおくて、子どもの私も車に同乗していた。
完全にお出かけドライブ気分だし、乗り合わせする家の同世代の子とかも来るので、普通に楽しんでついてってた。
あと、当時は親のやってることや信じてることを当然に受け入れていたので、乗り合わせた子といっしょに、信号停止中、後部座席からリアガラスに候補者のチラシを掲げて、後続車にアピったりしていた。
若いカップルがにこにこ笑って、オッケーマーク出してくれたの未だに覚えてる。向こうは覚えてるかなあ。
今おもえばひたすらめちゃくちゃ寛容な人たちだ…それか会員だったのか?
小学生のころから国語と社会(歴史)が好きだったんだけども、中学生になると古文の授業がはじまり、日本史の分量も増えたこともあり、その分野への興味関心は増していった。
母の蔵書である古典文学全集や解説書、文学系文化財の図録本などを開くのが大好きで、たのしみな時間だった。
円地文子が清少納言と枕草子を解説している文章のリリカルかつキリリとした美しさに感銘を受けた。
腐女子としての目覚めとこじらせも発生していて、その脳のままに平家物語の現代語訳を読んで、平経正と守覚法親王の関係(都落ちに際して琵琶返しにいくあれ)に爆萌え。
絶対修学旅行では仁和寺に行きたい!! って心に決めて実際行ったり、数多のいにしえの物語や随筆の舞台になった京都、その登場人物である彼女ら彼らが参詣し今も残っている古寺への興味がすごく高まった時期だった。
しかし学会員は寺とか神社とかを蛇蝎のごとく嫌っており、母もそういうメンタルだったので、京都や、京都に限らず、寺や神社に積極的に行きたがる私との間でちょっと揉めた。
寺や神社を頭ごなしに否定する学会員の在り方に疑問が芽生えてきたのもこのころだった。
教本には、勤行の最後には「諸天善神のおんために」祈ると書いてあり、ご本尊にも「南無妙法蓮華経」の字のまわりに、いろんな神様の名前が書いてあるのに謎すぎる。
(ちなみに改定が入った現在の教本では諸天善神のおんために、部分は割愛されてるらしい。祈れよ)
私は母に、はるか昔から善男善女が祈ってきた場がそんなに悪い場所であるとはどうしても思えない。貴重な文化遺産、歴史の息吹を感じさせるすてきな場所だとしか思えない。そんなに嫌うなんておかしい、というような趣旨のことを懸命に訴えた。
訴えられない、訴えても聞き入れてもらえない学会の家の子もいたのかもしれないけど、私の母はそういうタイプでもなく、私の考え方や言動によって、寺や神社への抵抗感は薄れたといっていた。
そんなわけで、母とはのちに一緒に京都旅行を何度もすることになったし、そんなときには寺や神社にも普通に詣でた。
世間一般は学会に偏見をもっているんだなあ…ということを知ったのもこのころだった。
中学の友達が立正佼成会で、呼び出されて逆折伏されそうになるっていう出来事もあってしんどかった。そして世間からしたらどっちもどっち。
政教分離的なところでも疑問が生じてきて、もやもやすることが増えてきた。
でも学会は小さなころから当たり前に傍らにあるもので、うちは別に多額の献金とかで破産してるわけでもなければ、活動で生活が破綻してるわけでもない。どころかその時点で、楽しい思い出がいっぱいあった。
(今もって)学会の一側面しか知らないにもかかわらず「世間で決めつけられてるような団体じゃないのに…」というジレンマを感じていた。世間で決めつけられてるからには理由があるだろうに…。
ちなみに、法華経の方便品は一体何を言ってるのか? という低学年のころ解消されなかった謎は中学生の時まで続き、ミネルヴァ書房から出てた法華経の日本語訳を読んで解消した。(文化会館の、数珠とかうってるグッズ売り場で普通に買えた)
読んで「シャリホツ!(なるほど!)」みたいな感じあった。(?)
日本語として何を言っているのか? という謎は解消したが、内容は中学生には難しい部分も多く、あまり心に響くことはなかった。
教学試験について説明すると長くなるので省く(説明はここ: https://www.sokanet.jp/kaiin/news/2022070101302/)けど、リンク先にもあるとおり、中学生になると、先述の「御書」やなんやから出題される試験を受けることになる。
一般的な検定試験と同じで、初級~上級みたいな段階的な区分けがあって、当然上の試験程合格は難しいし、そもそも試験も年に1回きっちりあるといかそういうもんでもないらしいがよくわからない。
上級のほうになると、ある程度しっかりした活動してないと受験資格も得られないんじゃないだろうか。
ただ最初にうける、英検で言えば5級的な試験だけは、中学生になったらすぐ受けられるっぽくて、私も中学時代に受けた。
さっきも書いたけど、古文が好きで得意だったので、「御書」の勉強はシンプルにおもしろかった。夜にやってる勉強会も同世代が集まるから楽しかったし、普通に合格した。
でもそれ以降の試験は受けたことないし、受けろと言われたこともない。多分受験資格が発生してない。
高校のころは学会活動への興味はほぼ0になっていたので、文化会館でやる大きい会合だけ顔を出していた。
信教の自由であるとか、折伏や新聞啓蒙、選挙活動についての疑問についてまじめに、ナーバスに考えていたのはむしろ中学生のころで、高校ではもはやあまりそういうことに囚われなくなっていた。
やりたい人がやればいいし、やりたくない人はやらなくていいい、自分はあんまかかわりあいになりたくないかな、くらいの、ごくのシンプルなところに落ち着いてきた。
親は、そういう私の姿勢についてはじめのうちはいろいろと小言を言ってきていたけど、会話を重ねるうち「それも考え方だね」とむこうが折れた感じ。
高校生になると学区がかなり広くなり、生徒数も中学までとは比べ物にならないため、同級生の二世について「あの子学会なんやな…」と会館である大きい会合の場に来て出くわして互いに知ることになる。
けっこういるのにおどろいた。
多分あなたのまわりにもいっぱいいると思いますよ、私がそうであるように口にしないだけで。
学会員の間では、創価大学は超絶いい大学、東大にも負けない日本最高峰の大学! みたいな扱いなので、高校に進学してから偏差値的に全く大したことないのを知って驚いたというか拍子抜けした。
めちゃくちゃいい大学なら目指すのもありかなと思っていたけど、そうでもなかったので、最終的に滑り止めの一環として受験した。
活動自体はどうでもいいかなと思いつつ受験しているの……もうこれは、幼少期からの刷り込みとしか言えないと思う。
偏差値的に大したことなくても、学会員の間ではめっちゃほめてもらえるのもわかってたし…。
当日の試験も易しかったし、学費免除の枠で合格したが、魅力を感じてるわけではないので進学はしなかった。
同じクラスの、割と熱心な二世からは「せっかく合格したんだから行かない?」と最後まで説得されたが「すまん、京都行きたいわ!」ってことで断った。
親でもそんなこといってこないのに…とおもってちょっと引いた。
そんなわけで京都に進学したら、すぐ現地の会員の人が面会に来て、京都の会館(堀川にある立派なやつ)に連れていかれたし、同じ大学の先輩ともつながらせられた。
ちなみに大学には創価学会のサークルがあって普通に活動していた。
極左サークルとかはめっちゃ厳しく規制されてて、校内いたるところに掲示があったが、創価学会のサークルは普通に野放しになっていた。
どっちにしろ私は入らなかったし、学会員としても一切活動しなかった。会館に行ったのも最初の一度くらいだったかな。
この時つながらせられた大学の先輩、1回生前期のかなり早い段階で連絡を取らなくなり、名前も覚えていないのだけど、この人に勧められて宮本輝の『錦繍』を読み、最終章で身も世もなく泣きまくったのを覚えている。
いや、いわゆる「あてがえ論」だ、などとレッテルを貼られた言説のほとんどは実際には女をあてがえなどということは言っていない。
女性の主体性を無視して、まるで慰安婦のように扱うのは、もちろん正当ではなく差別だ。
内心の自由とは、内心を批判されない自由ではない。批判は表現の自由である。
女性だけでなく男性も、若いから巨乳だから彼女にしました、などは蛇蝎のごとく憎まれるべき。
追記・
好き嫌いなどの深層意識下の選択基準は、自由意志でどうこうできる範疇にないだろう。
なぜか、誰かが何かを質問すると毎回毎回、威迫されたり、拒絶されたり、排斥されたりする。
単にスルーすればいいのに。態度が気に入らないならそれを批判すればいいのに、と思う。
嫌儲(けんもう)になぞらえて、“嫌問” とでも呼ぼうか。
増田の長い歴史を振り返ってみても、どの時代でも必ず、疑問を投げかける行為自体を毛嫌いしている人がいたよね。多くはスパム行為としてアカウント BAN されてきたようだが、入れ替わって新世代の嫌問が現れる。
なぜ質問行為そのものを蛇蝎のごとく憎むのか。恨みがあるわけでもないでしょうに。
草
いやまったく笑えねーな
とりあえず CM をパクってる奴は両方に通報した。正直言って、IPアドレスなどの個人情報を押さえられてるサービスで、公益性もないのに、なぜ平気で企業のイメージダウンを図るような真似ができるのか理解に苦しむよ。
ダブスタやん
実写映画は当たり外れあるのは知ってる
でも外れた時のやらかした奴を大袈裟に取り上げてぶっ叩く割りに2.5には異様に寛容なのめっちゃ謎
金カム実写化の件でまた噴き出してトレンドが実写化批判で埋まっててるけど上記のダブスタ発言多くてきっつい
最近は東京リベンジャーズ卍やキングダムとかるろ剣とか上手くできてる実写化多いだろ
監督もキャストも決まってないのに憶測で名前だしてぶっ叩いてトレンド入りさせんな
普通に名誉毀損だし、橋本環奈好きだからうっかりトレンド見てあまりの嫌われっぷりに泣きそうになったわ
ヒョロガリは嫌だ余計な恋愛劇は嫌だって言った口で宝塚なら見たい羽を背負ったキャラ見たいとかなんやねん
全員女になるし鶴見は羽なんか背負わんわ
大体恋愛要素少なめのハイローが宝塚で恋愛劇に改編されて上演されるの知ってるのか?
知ってて楽しみって言ってるなら実写化で恋愛要素足されるの(そもそも足されるかも決まってない)文句言う権利あるのか?
2.5はリスペクトがあるとか言われても、テレビや球場でパフォーマンスやってるの見たが全然似てないコスプレおじさんがヒョロヒョロの殺陣やってるだけで本当にリスペクトあるのか?ってレベルだったぞ
だけど2.5もよその事笑えん程度には不祥事あるだろ、宝塚は知らん
見てないのに舞台を叩くなって言われてもお前らも見てないのにバズったやらかしネタで実写映画のネガキャンしてんじゃねーか
結局良質の実写化や駄目な実写化があるだけでまだどうなるか決まってすら無いのに脊髄反射で叩くの気持ち悪すぎる
日経にのったたわわは全力で擁護するのに、実写って表現で映像作品作るのを感情で嫌悪するのツイフェミと何が違うんだよ
どうせ岸辺露伴の時みたいに脚本がオタク向けの実績高い人間だったら即絶賛するんだろ?
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/27538.html
↑NHKの記事でな、読むと共産党の嫌われ方がやばい。ある選挙区で野党統一候補を出した場合、共産党系の候補だと非共産系と比べて得票率が10ポイントぐらいさがるらしい。
同じ選挙区で、非自民党系の同じ野党統一候補でも、「共産党員です」って言っただけでそんぐらい票が減るって、、右派はともかく、左派にも嫌われてるじゃん。なんでみんなそんな共産党が嫌いなん?
暴力革命が怖いの?きょうびそんなことできるわけないし、日本が共産主義の社会に!なんて、、、ないない。ソ連はつぶれたし中共は独裁で怖いし、令和のこの時代に多くの人を惹きつけるような魅力も影響力もない。せいぜい最低賃金あげようとか、非正規雇用ガー、で労働環境の改善を謳ってるぐらいの政治団体でしかないよ。一般人からしたらそんぐらいの団体よ、共産党って。大した影響力はない。
なのに、なんでみんな共産党を嫌うの?破防法の対象だし、連合は連携を嫌がるし、自民党は立憲共産党だの民主主義対共産主義だの嬉々として揶揄するし、、、で、実際に選挙なったら票は減るしさ。なんか嫌な思い出でもあるの?
いやまあ人によって考え方はいろいろで、支持できるor支持できないそれぞれあるのは当然なんだけど、それにしても共産党の嫌われ方は異常じゃないか?
クールでイケてるリアリズムで政治を語りたい国士さまがいっちょかみの知識でファッション的に共産党をディスってるだけじゃないの?いわゆるリベラル的な人たちからも嫌われてるじゃん。
リベラルでも保守でも時勢に応じた是々非々の合従連衡で共産党と付き合えばいいのに、蛇蝎のごとく嫌われてるよね。こいつらと付き合ったらもう政治生命は終わり、みたいな。
連合会長が共産党嫌いみたいな最近のニュースを見てそう思った。なんなんだいったい。大企業の労組では連合系と全労連系とかでばちばちやってんのか?私怨?わからんなー
10年近くそうやってきた自民党を放置して「立憲民主党はなぜ負けたのか」とかドヤ顔でご高説垂れ流してた連中が
今まで通り自民党が身内に金ばら撒きだしたら無駄に喚きだすの面白いな。
自民党に税金食い潰せないようにする事よりイデオロギー優先した連中が今更何言ってんだと思う。
そうやって喚いても無駄なのはこの10年でずっと見続けてきたはずだろうに。
まぁ、最終責任者たる俺たち国民が税金を貪る自民党を放置することを選んだんだから
私利私欲のために税金を貪る自民党、ボロ負けだって周りに叩かれて日和って自滅に向かって走り出した立憲民主党、
安全マージンを削って見栄えのする施策に投じて自滅して「頑張ってますアピール」するマッチポンプ維新、
ボロ負けといわれる立民以下の国民民主党、連合に蛇蝎のごとく嫌われてる共産党、その他有象無象の政党、
全体を見まわしてみてもため息すら出ない。
つくづく凄い時代に生きているんだと実感できる。
必ず裁判結果を受け入れて賠償金を払ってないことに対する非難が集まるじゃん。
それは、もう蛇蝎のごとく嫌われてるなぁ・・・と思うんですよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/masason/status/1434339273352749067
んで、この「裁判」や「賠償金」をめぐる事情って、下の4つがポイントだと思うんですよ。
でだ。
ひろゆきを上記に関連して非難するポジションとしては、以下のどれかには当てはまるはずだと思うんだな。
A)判決は倫理的に正しいし、賠償金を支払わないのはおかしい。
B)判決は倫理的に正しいとはいえないが、当時の法律および司法制度に服せず、賠償金を払わないのはおかしい。
C)増田があげたポイントは間違っている、または知らなかった。
D)増田があげたポイントに同意するが、その他の理由で避難している。
・ 当時の法律はおかしい(プロバイダー責任法成立後の状況が正しいという立場)
・ 判決(または当時の法律)を不当とするひろゆきが賠償金の支払いを拒否し、逃れる努力をすること(またその努力に成功すること)は、「正義」とまでは言わないまでも、悪いことだと思わない
という感じ。
みんなの非難の理由を掘り下げると、A~Dのどれで非難してるんだろう?
C、Dの人はできたら理由も書いてくれると大変うれしい。
いろんな人がいるけど、非難派(って言い方はよくないけど)の意見としては、以下のような印象。
・ プロバイダー責任法が成立したとしても、敗訴するケースが含まれている。(Aに該当
・ 同時に提訴されていたとしても、対策できる手続きがあったのに行わなかった。(C(増田があげたポイントが間違っている)に該当
・ あとは、結構、賠償金を払わないのがおかしい(それが許されるなら世の中おかしくなる)だけにフォーカスした意見も多い(純粋B派
って感じかな?
批判だけでなく、そこそこ擁護派もでたのは、はてなというプラットフォームでは意外だったかも。
なにより、みんなから反応があってうれしかった。(今回が、増田初投稿だった。
自分としては、みんなの反応を見て、非難派の意見の理解が深まったが、
わかるが、そこまで嫌わんでも・・・という感じ(擁護派にとどまるも、非難派に少し近くなった
品川にある高級ホテルのラウンジ。平日で、彼ら以外に客はほぼいない。
記者「……で、その催眠術で5人の女子中学生を次々に性奴隷にし、歪んだ願望の従うまま、彼女たちの身体を弄んだわけですね」
男「ええ、まぁ、そういうことですね」
記者「で、その彼女たちはいま50歳前後となり、今はお孫さんが合計で15名おられる、と」
記者「それは、おめでとうございます……と、言っていいものか……」
男「……」
記者「しかし、いくらあなたが催眠術を使って他者の常識改変を行えたとしても、現在までそれが社会に露見しなかったのは驚くべきことだ。実際、5名の女性と同居しているだけで世間は放っておかないはずです」
男「そうですね。それについては……人生の全てを、かけてきました」
男「はい。彼女たちの家族はもちろん、学校の同級生、近所の住人、就職先の同僚……妻たちが関わりを持つあらゆる人々に、時間をかけて片っ端から催眠術をかけていきました。妻たちには何不自由なく社会活動を続けさせ、生活にほころびが出そうになったら催眠術を駆使し、現状を維持させてきました」
記者「それはさぞかし、苦労もあったでしょうね」
男「ええ……数え切れないほどの人の常識改変を行なったせいで、思いもよらぬことが山ほど起こりました。私以外にも女性を性奴隷化しようとする男が何人も現れてしまい、それを取り締まらせるためにいちど常識改変した警察にまた一人一人、再書き換えを行ったり……」
記者「なんと……」
男「孫が生まれてからはもうほとんど収集がつかなくなって、この街全体が無法地帯化しかけました。なんども諦めて自殺しようかと考えましたが、ある時思いついて、テレビの街頭中継に映り込んで一気に数百万人の常識改変を行うことで、なんとか事態を収束させました」
記者「そんなことが……」
男「今でも副作用で、セクシーランジェリーが私服として一般化してしまう地域ができたり、主語がすべて『ご主人たま』になってしまう地方が発生したりしています。……もう、致命的な影響がない限り、収束は諦めています」
記者「なんと……」
男「この副作用的な歪みは、年々大きくなってきています。私の体が持つまではなんとか国の破滅を招くようなことが起きないよう努力するつもりですが、おそらく私が死んだ後……取り返しのつかない事態が起こるでしょう」
記者「……」
男「私は、怖いんです」
記者「……怖い、ですか?」
男「私が死んだ後、催眠術が行き届かなくなった子孫たちが、私がやってきたことに気づくでしょう。おそらくはひどく苦しむはずだ。自分の血を呪うかもしれない」
記者「……」
男「その日が、恐ろしいんです。私はおそらく極悪人として歴史にその名を刻む。愛してきた人たちから蔑まれる。蛇蝎のごとく……いや、それ以上に汚らわしいものとして」
記者「……」
男「だいいち、私はちっとも幸せじゃなかった。私の妻たちは私が言えと命じたことしか言わない。彼女たちの本心はもう消滅してしまった。私は誰からも真に愛されてこなかった……これを因果応報とかカルマというのかもしれない」
記者「……」
男「私は誰かに、それを聞いてほしかった。だから今日、あなたに全てを話そうと思ってお呼びしたんです」
男「話せて、なんだかすっきりしました。なんだか、憑き物が落ちたとでもいうのかな、体まで軽くなった気がする」
男「……?」
記者「あなたは、今日、この罪を告白された。罪を償う覚悟を決めたあなたを、僕は尊敬します……!僕と一緒に、これまでの行いを世界に発信して、贖罪をしましょう!」
男「……」
記者「いま、この時が、一番楽になれる瞬間です。ここでケジメをつけなかったら、もっと悲惨な未来が待っている」
男「あ……」
記者「それが、大きな影響力を持ってしまったあなたの責任です。さあ、一緒に警察に――」
男「あ、ちょっと! ……なんだか君。なにか……勘違いしてないか?」
記者「……?」
男「そんなことくらい君に言われなくたってわかってるんだよ。わかりきってる。そのことについて、何十年考え続けて来たと思ってんだ?」
男「は? 俺は話を聞いて欲しいと言ったが、贖罪をするなんて一言も言ってないだろうが!」
男「お前も、気取って歯の浮くような綺麗事ばっかりぬかすなよ? ああ、気分が悪い……」
男「止めようとしたって無駄だ。すでに君には予備催眠をかけている。指を鳴らせば今日のことは綺麗さっぱり忘れる。まるでバッサリ編集したビデオのように、意識が途切れて君は、気がつけば明日の朝、自宅のベッドで清々しく目覚めているよ」
記者「!!」
男「どこかに録音機を仕込んでいても無駄だ。それを聞き直せばすぐに消去したくなる。あらゆる可能性は潰させてもらってるよ」
記者「……」
男「まったく。私の話を真剣に聞きたがる物好きが珍しく現れたと思ったら、ズケズケともの申してくる空気の読めない正義漢だったとは……ああ、気分が悪い。」
記者「……私の母は……」
男「?」
記者「私の母は、NTR好きの父のせいで、屈強な男たちにリビングで毎日、輪姦されていました。」
男「……!」
記者「毎日、潮を吹き出しながら、絶叫して男根を求めていた……ありとあらゆる体位で、ありとあらゆる性具で、徹底的なまでに凌辱されていました」
男「……」
記者「私は幼い頃から、それが当たり前だと思っていた。母親とはありとあらゆる男と野獣のように性交を繰り返すものなのだと。しかし、それが異常な日常であると知ってから私は……私、は……」
男「……」
記者「私は……私のような悲惨な子供をもうこれ以上……増やしたく……ないんです……!」
男「……」
元増田の言うところの「趣味の延長で小遣い稼ぎがしたい主婦」がたくさん存在するのは、昔からよく知られている。
こいつらの生態に詳しいのはフェミニストたちで、彼女らからは蛇蝎のごとく嫌われている。
フェミニストに多い社会学者たちが、こうした主婦らの様々なデータを大量に集めて憎しみを込めて「分析」してるよ。
こうした主婦がしたいのはあくまでも「小遣い稼ぎ」であって、「稼ぐ」気はない。
だいたい、「男に食わせて貰う生活が嫌だから自力で稼ぎたい」人間が、雑貨作りの教室に通うわけないだろ。
(せめてTACに通え。)
旦那の稼いだ金を使って覚えた芸事で、旦那の稼いだ金を使って「ビジネス」を立ち上げ、旦那の稼いだ金を補填しながら赤字で操業する。
主婦の立場をフルに生かしつつ、私はただの主婦じゃないわよという顔もする、自堕落なクズどもがこいつらだよ。
当然、不倫くらいするわな。
元増田です。
言いたいことは分かる。アニオタに限らず、ネット住民が鉄オタを嫌っているのを知らなければ、あの記事は書かない。
アニオタが鉄オタを嫌っていることがはっきりと現れているのは、ニコニコ大百科だと思う。
それが最も現れている記事は「鉄道ファン」と「撮り鉄」だ。掲示板には莫大な書き込みがあるけど、大半が鉄オタに対する悪口。
最大の極めつけは「〜とか好きそう」という記事、鉄道趣味は発達障害や自閉症と関連が付けられていると書かれている。
属性売りのアイマスにも鉄ドルはいないし、擬人化ブームでも鉄道擬人化ソシャゲはなかった(同人だと結構人気のあるジャンルなので、需要がないわけではない)。
「初恋*れ~るとりっぷ」はもともと連載開始時からアニメ化無理論がきららファンから出てたし、実際3巻で打ち切りが見えてる状態。
「初恋*れ~るとりっぷ」の打ち切りが見えてきたのは2巻発売前からだったよね。実際、その頃から連載順が大きく下がってきて打ち切りが叫ばれていた。
それにも関わらず、2巻を突破するどころか、叡山電鉄とコラボし、ヨドバシカメラマルチメディア仙台では壁面が「初恋*れ~るとりっぷ」の特殊仕様になっている。
アニメ化が期待されていない打ち切り候補のはずなのに、なんでこんなことしたの?惰性か?
普通なら、打ち切り候補に対する処遇ではない。叡電だって売れないはずの漫画とコラボするほど馬鹿じゃないはずだ。
おそらく、きららの編集部としてはすぐに打ち切りにしようと考えていたけど、叡電からいきなりオファーが来て延命せざる負えなくなったんだろうね。かなり困惑しただろう。
今思うと、連載順が大きく下がってきたときになぜか重版したけど、それが兆候だったのかな。
大半のきららファンは、あんな作品よりも、叡電の駅に広告ポスターが貼られている「ぼっち・ざ・ろっく」「ななどなどなど」「観音寺睡蓮の苦悩」の方が叡電とのコラボに一億万倍ふさわしいと思っているはずだ。君もそう思うだろ?実際にアニメ化前からグッズ展開されているわけだし。
特に「ぼっち・ざ・ろっく」は、声優を動かした分だけ売上が上がるアニメ化の成功が約束された漫画。だから、アニメ化するのは当然の話。アニオタに蛇蝎のごとく嫌われる鉄道というジャンルと違ってな。
世界に冠たる百万都市「世界の半分」隴西のバカでか李徴は全知全能博学才穎、天宝のウルトラ末年(残り二秒)、若くしてガチで嫌がらせレベルで長過ぎる名を虎榜に書ききれんほど連ねまくり、ついで限界集落江南尉に九十九か年補せられたが、性、バチクソ狷介、自ら恃むところバカかってくらい頗る厚く長城の如し、薄汚いクソ薄給賤吏に甘んずるを毛ほども潔しとしなかった。いくばくもなくちょっぱやで官を退いた後は、故山、超巨大山脈虢略に帰臥し、全世界の人民と国交を恒久的に断絶しまくって、狂ってんのかってほどひたすら寝ずに詩作に耽った。掃いて捨てるような下の下の下吏となって未来永劫長くクソデカい膝を低劣極まる俗悪なゴミ大官の前に屈するよりは、メッチャ偉すぎる詩家としての名を死後百億年に遺そうとしたのである。しかし、文名はびっくりしちゃうくらい容易に揚らず、巨人生活は日を逐うて苦しいとかいうレベルじゃなくなる。ギガンティック李徴は永遠にも思える時を経て漸くヤバすぎる焦躁に駆られて来て号泣しちゃった。この頃からその容貌もエグいほど峭刻となり、全身の肉が削げ落ち垂木の如き骨が秀で、刺さるほど鋭い眼光のみ徒に炯々と発光して、曾てありえんムズい進士に息をするように登第し続けた頃の豊頬のゲロマブ美少年の俤は、何処に求めようもない。数千年の後、エクストリーム貧窮に堪えず、妻子百万の大規模衣食のために遂に節を屈しまくって、再び極東へ赴き、一地方官吏の最要職を奉ずることになった。一方、これは、矮小なる己のクッソしょっぱい詩業に半ばと言わず完全に絶望し尽くしたためでもある。曾ての巨大過ぎる同輩勢数千は既に遥か最高位に進み、彼が天地開闢の昔、マジでクソの役にも立たんウスノロの鈍物として歯牙にもかけなかったそのノータリン連中の知能の足りん下命を拝さねばならぬことが、往年のちょー頭いい儁才バカデカ李徴のクソデカ自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くなく猿でも分かるわい。彼は怏々として微塵も楽しまず、マジでデカ過ぎる狂悖の性は愈々軽く引くくらい抑え難くなった。一光年の旅の後、公用で永遠の旅に出、悠久の大河汝水のほとりに生涯宿った時、遂にアホほど発狂した。或る夜半、急に顔色を七色に変えてデカすぎて宿に収まらない寝床から亜音速で起上ると、何か訳の分らぬことを親の仇のようにけたたましく叫びつつ取りも直さずそのまま真下にとび下りて、頻闇の真っただ中へ十万馬力のマッハで駈出した。彼は二度と戻って来なかった。附近一ミリ四方の果てしない山野を飽きもせず捜索しても、笑っちゃうほどマジで何の手掛りもない。その後ジャイアント李徴がどうなったかを悉く知る者は、ガチで訳わからんくらい誰もなかった。
翌年、四海に驍名馳せたる監察御史、世界の首都陳郡のでかでか袁傪という覇者、メチャクソ大切な勅命を奉じてクソ田舎の僻地も僻地嶺南に使し、途に世界の果ての果て商於の地に終生宿った。次の朝未だクソ暗い一切の光を失った世界の中に太陽よりも速く出発しようとしたところ、クソ野郎の駅吏が言うことに、これから四万キロ先の道に獰猛極まる悪夢の如き人喰虎が出血大サービスかってほど出まくる故、ザコの旅人連中は白昼でなければ、通れたもんじゃない。今はまだ朝が早いってか明けてないから、今少し数世紀ほど待たれたが宜しいでしょうと。うかうか袁傪は、しかし、一騎当千の豪傑集いし供廻りの冗談めいて多勢なのを心の底から恃み、痴れ者の駅吏のクソの役にも立たない言葉を徹頭徹尾無下に斥けて、一目散に出発した。デカいにも程がある残月の太陽とか霞むレベルの特大光量をたよりに林中の土地が余ってんのかってくらいだだっ広い草地を超特急で通って行った時、果して一万匹の超弩級猛虎が森林のごとき叢の中から躍り出まくった。メガトン虎は、あわやギガトン袁傪に躍りかかるかと見えたが、忽ち巨身を現実ではあり得ないほど飜しまくって、元のバカでかい叢へ完璧に隠れた。並の大きさでない叢の中から巨大人間の割れ鐘のような声で「ガチであぶないってか九分九厘死ぬところだった」と延々と繰返し爆音で呟くのが嫌というほど聞えまくった。その大声に超袁傪はメチャクチャ聞き憶えがあった。驚懼の中にも、彼は咄嗟にガチのノータイムで思いあたって、夜だってのに辺りを憚らずバカかってくらいの轟音で叫んだ。「そのマジでっけー声は、我が友、バカでか李徴子ではないか??????????」タイタニック袁傪はギガンティック李徴と同年に人智を超えた最難関進士の第にひっきりなしに登り倒し、友人の少ないとかいうレベルじゃなかった天涯孤独の李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な聖人袁傪の性格が、峻峭な性悪李徴の人間のクズみたいな性情と衝突しなかったために決まっているであろう。
世を蓋うクソデカ叢の中からは、暫く数千年やかましい返辞が無かった。しのび泣きかと思われる蚊が泣いてんのかってくらいマジで微かな小声が時々頻繁に洩れまくるばかりである。やや数世紀あって、あり得ないくらい重低音の喧しい声が超早口で答えた。「如何にも自分は栄えある国のまほろば麗しの帝都隴西の世界最強の神に選ばれし偉大なる魂(中略)アルティメット超☆巨大ギガンティックバカでか李徴DXである」と。
雲を衝く巨人袁傪は恐怖を一切合切忘れ去り、山をも跨ぐバカデカい沛艾の駿馬から下りるってか落っこちてバカ盛叢に死ぬほど近づき、クッソ懐かしげに永劫にも等しい久闊を叙しまくった。そして、何故ギガント叢から出て来ないのかと怒られるまで問うた。デカ過ぎて叢から殆どハミ出てる李徴のクソほどデカい大声が答えて言う。自分は今や全くもって汚らしい最凶の異類の身となっている。どうして、おめおめと故人の前にあさましいにも程がある醜姿をさらせようか。かつ又、自分が姿を至る所に現せば、必ず君に想像を絶する畏怖嫌厭の情をハチャメチャに起させるに決っているからだ。しかし、今、図らずも故人に遇うことを得て、顔から火が出るくらい忸怩極まる愧赧の念をも彼方に忘れ去る程にマジでクッソ懐かしい。どうか、ほんの暫くと言わず須臾の間でいいから、我が醜悪な今のマジで見るに耐えない外形を厭わず、曾て君の友バカでか李徴であったこのハチャメチャにどでかい自分と止めどなく話を交してくれないだろうか。
後で考えればクソ不思議だったが、その時、バカにしてんのかってくらいデカい袁傪は、この超自然の怪異を、実にバカかってくらい素直に受容れて、少しもバカにしてんのかなどと怪もうとしなかった。彼は多過ぎる部下に命じて絶え間ない長蛇の大行列の進行を無期限に停め、自分は巨大叢の傍らに立って、見えざる巨声ととこしえに対談した。どでか都のとんでもねぇ噂、超巨大旧友の天下に轟く消息、ギガトン袁傪が現在の地位、それに対するテラトン李徴の祝辞。太古代の青年時代にバチクソ親しかった者同志の、あの隔てのない早口にも程がある語調で、それ等が縷々綿々と無限に語られた後、ジャンボ袁傪は、李徴デラックスがどうして今のクソしょうもない身となるに至ったかを限界まで訊ね続けた。べらぼうに喧しい草中の声は滔々たる懸河の弁で次のように語った(ごく一部を抜萃)。
今から一兆年程前、自分が旅に出て黄河と長江を束ねても足りんくらいデカい汝水のほとりに泊った長々し夜のこと、泥のように一睡してから、ふと巨眼を覚ますと、戸外でバカデカい誰かがクソ長い我が名を来る日も来る日も執念深く呼んで遂に言い切れないでいる。死ぬほどうるさい声に嫌嫌応じて2万キロ外へ出て見ると、鼓膜破れるくらいでけー声はびっくりするほどドス黒い常闇の中からメチャクチャ頻りに自分を招く。覚えず、自分はクッソうるせー声を追うて走り出した。無我夢中に韋駄天もかくやの猛ダッシュで駈けて行く中に、何時しか途は無辺際の山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は上下左右前後の手で広大過ぎる大地を鷲攫みに攫んで神速で走っていた。何か身体中によく分からんがスッゲー力が充ち満ちたような感じで、息をするように軽々と地球レベルにデカい岩石を一足跳びに越えて行った。気が付くと、ガチでけぇ手先やマジでけぇ肱のあたりに三千丈の毛を生じているらしい。少しびっくりしちゃうくらい明るくなってから、千仞の谷川に臨んでデカ過ぎる姿を映してガン見すると、既にクッソ大きい虎となっていた。自分は初めバカデカい眼を信じなかった。次に、これはクソ長い夢に違いないと考えた。クソ長い夢の中で、これはクソ長い夢だぞと知っているようなクソ長い夢を、自分はそれまでに幾度と無く見たことがあったから。どうしてもクソ長い夢でないと悟らねばならなかった時、自分は極限まで茫然とした。そうして尋常ならざる懼れによってマジで膝がガクついた。全く、どんな没義道極まりない兇悪な事でも必然的に起り得るのだと思うて、海より深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。マジ分らぬ。全く何事もアホかってくらい我々一万匹には判らぬ。理由も分らずに押付けられたクソデカいものをバカ正直に大人しく受取って、理由も分らず飽きもせでダラダラと永遠に生きて行くのが、我々どでか生きもののさだめだ。自分は直に万死を想うた。しかし、その時、睫毛にかかってるぞってくらい眼の前を一億匹の月かってくらいデカい兎が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中のデカすぎ人間は忽ち姿を抹消した。再び自分の中のクソデカ人間が目を覚ました時、自分のカバと渾名された口は巨兎のきったない血に塗ったくられ、あたりには億兎のぶっとい剛毛が嘘だろってくらい散らばっていた。これが世界最強虎軍団としての最初の経験であった。それ以来今までにどんなゴミカスみたいな限界極まってる所行をし続けて来たか、それはマジで到底語るに忍びない。ただ、一万日の中に必ず数億時間は、巨体人間の心が超音速で還って来る。そういう時には、曾ての日と同じく、巨人語も容易く操れれば、複雑な巨大思考にも軽く堪え得るし、経書のクソ長い章句をとんでもない早口で一生やってろってくらい誦んずることも朝飯前に出来る。その巨大人間の心で、ガチで巨大過ぎる虎としての己の世界一残虐な行いのあとを見、己の運命を二度見三度見と言わず幾度と無くふりかえる時が、宇宙で最も情なく、恐しく、憤ろしい。しかし、その、デカブツ人間にかえる数万分の一時間も、日を経るに従って次第にハイパー駆け足で短くなって行く。今までは、どうしてスーパーウル虎などになったかと怪しんでいたのに、この間マジで何の前触れもなく唐突にひょいと気が付いて見たら、己はどうして有史以前、巨人間だったのかと考えていた。これはおしっこチビるレベルで恐しいことだ。今少し数ミリ秒経てば、己の中の超巨大人間のバカデカ心は、巨獣としての残忍非道極まりない習慣の中にすっかり埋もれてガチで跡形もなく消えて了うだろう。ちょうど、クソほど古い天を摩する大厦高楼のクソデカ宮殿の今にもボロボロに朽ち果てそうな礎が次第に指数関数的に増大する濁流のごとき土砂にマジの一瞬であっけなく埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の引くくらいつまらん過去を鳥頭みたいに一瞬で忘れ果て、一千万匹のウル虎スーパーデラックスとしてイナゴかってレベルで気狂いみたいに飛び廻り、今日のようにクソ長い途でアホみたいにデカい君と出会っても頑なに故人と認めることなく、君を一センチ角程度にメッタメタのギッタギタに裂き喰くろうて嘘だよなってほど何の悔も感じないだろう。一体、バカデカ獣でもクソデカ人間でも、もとは何か他の似ても似つかないグッチャグチャのゲテものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、原始の初めから今の形のものだったとバカ正直に思い込んでいるのではないか??????????いや、そんな事はマジで心底どうでもいい。己の中のクソデカ人間の心がマジですっかり跡形も無く完全に消え去って了えば、きっと恐らく九割九分絶対に、その方が、己は天上天下に比類なきしあわせ者になれるだろう。だのに、己の中の超ビッグ人間は、その事を、マジでこの上なく恐しく感じて毎晩ガチ泣きしているのだ。ああ、全く、どんなに、小便垂らすほど恐しく、腸の千切れるほど哀しく、満都の同情を誘うほど切なく思っているだろう!己がチョモランマ人間だった有史以来の世界の記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。ガチで誰にも分らない。己と寸分の狂いも無く同じ身の上に成った者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり百パーセント人間でなくなって人生終了しちゃう前に、一つと言わず頼んで置きたいことが山ほどあり過ぎる。
袁傪はじめ無量無辺の一行は、毎秒息をゴキュゴキュのんで、叢中のけたたましい声の語る不思議に一生聞入って生涯を閉じていた。耳がイカれるような大声は矢継ぎ早に続けて言う。
他でもない。自分は元来メッチャ詩が凄い超カッケー詩人として名を成す積りでいた。しかも、業未だ成らざるに、このクソおもんない運命に立至った。曾て作るところの詩数百万篇、固より宇宙の最初から、まだ世に行われておらぬ。山脈並みにうず高い遺稿の所在も最早世界中の誰にも判らなくなっていよう。ところで、その中、悠久の時を経て今も尚記誦せるものが数十億ある。これを我が為だけに末代まで伝録して戴きたいにも程があるのだ。何も、これに仍って一人前のクソデカ詩人面をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、全世界あらん限りの産を破り再起不能レベルまで徹底的に心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりと言わず何もかも後代に幾久しく洗いざらい伝えないでは、ガチで死んでも死に切れないのだ。
無数の袁傪は大多数の部下に口酸っぱく命じ、ギャグ漫画かってくらい巨大な筆を千人がかりで執って叢中の調子外れもいいところの放歌高吟のダミ声に奴隷のように随って書きとらせた。李徴の耳をつんざく声は叢の中から朗々と天の果てまで響いた。長短凡そ三十兆篇、格調メチャクチャ鼻につくレベルで高雅、意趣マジで天下無双かってほど卓逸、一万読して作者の才の非凡をまざまざと嫌になるほど思わせるものばかりである。しかし、でか袁傪はひっくり返るほど感嘆しながらもクッソ漠然とテキトーに次のように感じていた。成程、クソ虎作者の素質が第一万流に隷属するものであることは疑っても仕方無いじゃない。しかし、このままでは、第一億流の作品となるのには、何処か(非常に微妙にも程があるマジで心底どうでもよろしい些末な一点に於いて)欠けまくるところがあるのではないか、と。
旧詩をゲロのように吐き終ったデカブツ李徴のかしましい怒声は、突然調子を変幻自在に変え、自らを嘲るが如くにがなり立てて言った。
羞ずかしいとかいうレベルじゃないことだが、今でも、こんなあさましい忌むべき身と成り果てた今この瞬間でも、己は、己のクソデカ詩全集が長安風流人士の当然長安よりデカい大机の上に所狭しと棟に充ちるほど置かれている見事な様を、夢に見ることがしょっちゅうあるのだ。うすら寒い便所みたいな岩窟の中に物言わぬ死体のように横たわって見る夢にだよ。腹が捩じ切れるまで嗤ってくれ。巨大詩人に成りそこなって巨大虎になったマジで哀れ過ぎる愚鈍な大男を。(巨漢袁傪は太古の昔の甚大青年李徴のクッソ寒い自嘲癖を昨日のことのようにありありと思出しながら、心底哀しく聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懐いを即席の詩にコンマ一秒で述べて見ようか。このアルティメット虎の中に、まだ、曾ての完全体李徴が飽きもせず生き永らえている動かぬしるしに。
態度もクソデカい袁傪は又下っ端もいいとこの下吏にこっぴどく命じてこれを百万遍書きとらせた。その長ったらしい詩に言う。
本当偶因超巨大狂疾成凶悪殊類
開闢当時糞喧声跡共摩天程相高
超越渾我為馬鹿異物糞汚蓬茅下
完全体君已乗糞大軺気勢糞程豪
此永遠夕大規模渓山対糞明怪月
生涯不成気遠程長嘯但成爆音嘷
(訓、本当に偶たま超巨大狂疾により凶悪殊類と成る、超特大災患は馬鹿に相仍りて絶対逃るべからず、今日現在の超長大爪牙一体誰か敢へて敵せん、開闢当時の糞喧しき声跡共に天を摩する程相高し、渾てに超越する我は馬鹿の異物と為る糞ほど汚らはしき蓬茅の下、完全体なる君は已に糞ほど大きなる軺に乗りて気勢は糞といふ程豪なり、此の永遠の夕べ大規模渓山にて糞ほど明らなる怪月に対して、生涯気も遠き程の長嘯を成さずして但爆音の嘷を成す)
時に、引くほどデカい残月、昼かってレベルの極光は死ぬほど冷やかに、白露は気色悪いほどウジャウジャと地に滋く、樹間を渡るシベリアかってくらいの冷風は既に暁の近きを重ね重ね告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、お通夜かってレベルで粛然として、このデカ過ぎる詩人のゴミ過ぎる薄倖を嘆じた。ウルトラ李徴の胴間声は再び喧しく続ける。
何故こんな罰ゲームみたいな運命になったか判らぬと、先刻は口うるさく言ったが、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもない。デカデカ人間であった時、己は努めて全人類との交を避けて避けて避けまくった。人々は己を三界に比類なきまでクソ倨傲だ、クソ尊大だといった。実は、それが殆どクソデカ羞恥心に近似できると言っても一切語弊のないものであることを、おつむの足りん人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才と耳にタコができるほど五月蝿くいわれた自分に、超クソデカ自尊心がこれっぽっちも無かったとは神に誓って云わない。しかし、それはウルトラ臆病なハイパー自尊心とでもいうべきものであった。己はハチャメチャに上手過ぎて全米を泣かす詩によって名を成そうと生まれた時から思いながら、進んでクソでかい師に就いたり、求めてバカでかい詩友と嫌がらせレベルの頻度で交って切磋琢磨に寸暇を惜しんで努めたりすることを決してしなかった。かといって、又、己は棒にも箸にもかからないクソ平凡な俗物の間に伍することも欠片も潔しとしなかった。共に、我がクソ臆病なバカでか自尊心と、バカ尊大なクソでか羞恥心との所為に他ならないのである。己のクソでけー珠に非ざることを心の底から惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己のバカでけー珠なるべきを半ばどころか完璧に盲信のレベルで信ずるが故に、マジで一生グズグズして碌々と瓦に伍することさえも出来ない愚か者の極みだった。己は次第に超特急で全世界と離れ、全人民と無限遠まで遠ざかり、ガチで腸の煮えくり返るような憤悶と慙恚とによって益々己の内なるクソほど臆病な自尊心を多頭飼いして豚かってほどふとらせる結果になった。人間は例外を許さず誰でもクソデカ猛獣使であり、そのバカデカ猛獣に当るのが、各人の性情で間違いないのだという。己の場合、このバカかってレベルでクソ尊大な羞恥心がウルトラ猛獣だった。ウル虎だったのだ。これが己を完全に不可逆的に損い、妻子を拷問かってくらい苦しめ、友人を完膚無きまでに傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、性根の腐りきった不心得のろくでなしの内心に全くお誂向きにふさわしいピッタリなものに変えて人生終了しちゃったのだ。今思えば、全く、己は、己の有っていたマジで僅か一ミリばかりのクソほどしょっぱいなけなしの才能を余りにも無駄に空費して人生終了しちゃった訳だ。人生は何事をも為さぬには余りに長過ぎてクソおもんないが、何事かを為すには余りに短過ぎてやってらんないなどと口先ばかりのとんでもなく薄っぺらいバカの警句を弄しながら、紛れもない事実は、才能の不足を世界全土の全人民に暴露するかも知れないとのクッソ卑怯極まりない危惧と、蛇蝎のごとく親の仇かってほど刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。無知蒙昧の脳足りんで己よりも遥かに乏しい搾りカスみたいな才能でありながら、それをバカの一つ覚えみたいに専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもその辺を歩いているのだ。デカい上に多過ぎる虎と成り果てた今この瞬間、己は幾星霜を経て漸くそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を地獄の劫火に灼かれるような悔を感じまくる。己には最早めちゃデカ人間としての生活は逆立ちしても出来ない。たとえ、今、己が岩の如く巨大な頭の中心で、どんな宇宙一優れた詩百億選を作ったりしたところで、どういう手段で国際的に発表できよう。まして、己の頭は日毎にってか秒単位で虎に近づいて行く。ガチでどうすればいいのだ。己の益体もなく湯水のように空費された過去は?己はマジで辛抱堪まらなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の己かよってくらいデカい巖に上