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2018-08-09

anond:20180809115207

「ああいイベントなんやから仕方なくねーか。

あいイベントにならない為にLGBTの人は玉虫色の服着てパレードしたりしてんねんで。

そこらへん50万人の参加者全員が意識統一して社会活動デモしなきゃ変わらんで。

2018-05-10

しばき隊界隈の「どんな人間も豚を差別することはできないのと同様、オタク差別することもできない」ツイートのその後をちょっと調べていた。

https://togetter.com/li/1220501

いかにもしばき隊らしい差別意識満載の発言で、まぁ言えることは「鏡を見ろ」くらいなもんなんだけど、その後の擁護の流れがなんとも。

「豚や牛などの動物にも人間と同じ権利があり差別されるべきではないという趣旨発言であり、文意を汲み取らずないキモオタどもプギャー!」

ということらしい。

一見するとあらゆる生命配慮した素晴らしく先進的な思想であり、人類進歩最先端にいるオレたち最高!みたいな「ニッポンスゴイ系ネトウヨ」の裏返しみたいな高揚感を得られる思想だ。スゴイ。

ただ、もしこの発言をまともに受け取ろうとすると一つ大きな矛盾にぶち当たってしまう。

我々人類は、動物人間の間に「差別」を設けることで現代の豊かな社会を作り上げているという現実だ。

例えば牛や豚はには自由恋愛は認められていない。繁殖邪魔からだ。

生命身体自由も与えられてない。加工肉として出荷するためだ。

思想自由移動の自由ももちろん無い。

我々人類はこれらの「差別」によって素晴らしい恩恵を受けている。

・安定した食料供給ができるようになり、飢えから解放された。

栄養状態改善により、病気やケガへの耐性が強くなった。

食糧確保の手間が減ることで、豊かな文化的生活を追求することができるようになった。

などだ。

現代人口73億人は、これらの「差別」がなければ成立しなかっただろう。ビバ「差別

我々人類動物の間には明確な違いがあり、人としての権利人権人間にだけ与えられるものだ。まともな常識ある一般人ならそう考える。

この前提を壊した先にあるのは人類の窮乏化だ。

動物への人権付与」が実現されたときに、現代の73億人は維持できなくなるだろう。人間権利大事か?動物権利大事か?というイデオロギーの間で人が死ぬ状況は、理想のために国民虐殺したポルポトと何が違うというのか。

さて、では今度は「動物差別されない社会理想だけど、現実に目を向けて動物差別は今までどうり黙認するよ」という、まるで憲法九条みたいな玉虫色解釈論で現実をやり過ごそうとしたとき何が起こるか。

 ”世界には「有用差別」が存在する”

という現実と向き合わざるを得なくなってしまうのだ。

差別って良くないよね?でも現実には差別によって社会は豊かだよね!」という社会を前にして

「男女の雇用差別って良くないよね?でも現実には女は妊娠するから雇わない方がいいよ」という声にどう対抗するのか?

真面目に差別に取り組んでいる人たちは「人権とは人類のみに与えられた権利」という大前提を外さない。

なぜなら差別を受けている人たちとは、まさしく「人権」を侵されている人々であり、「人権」の貴重さを身をもって知っている人たちだからだ。

人権は時に簡単に奪われ、取り戻すために大量の血が流れることもある貴重な宝である

そんな貴重な人権を、たかツイッターの論戦を擁護するために容易く動物に与えようとする人たちが「人権を守れ!」と叫んでいるという。

一体どんなジョークだというのか?

2018-05-07

anond:20180507204856

相手のある文章あんまり変えないけど、増田みたいに不特定多数に向けた文章だと途端に玉虫色になるなー俺の場合

一人称すら統一してない

2018-04-13

巷にはメンズエステかい

巷にはメンズエステ(メンエス)とかいビジネスがある。

検索すると色々なWebサイトがヒットするが、どこも似たような作りとなっている。システムスケジュール、予約、アクセス等々、いわゆる性風俗サービスサイトと作りはほとんど同じ。システムをみると、60分10000円くらいか時間に合わせて値段は様々だ。

「メンエス」で検索するとヒットするのが、いわゆるレビューページ。様々なメンズエステでの体験毎日のように更新されている。これも作りは、性風俗サービスレビューページとそっくり。書いてある内容というか文体もよく似ており、具体的なサービス内容がぼやかされていることがあるのも似ている。確かにWebサイトにはあまり明確なことが書いていない。強調されているのは「癒やし」「治療目的としたものではない」「性的サービスは一切ない」とか。「アクセス」もぼやかされていて、「最寄りの駅から電話をしてください」とあるのが定番だ。

性風俗サービスにも、性感マッサージエステと称するジャンルがあり、オイルなどによるマッサージと抜きがセットとなっている。この場合ほとんどの店は派遣型か、受付所で手続きして近くのホテルサービスを受ける、

いわゆるホテヘル型になる。店舗型のエステはあまりいたことがない。さらに、シティホテルビジネスホテル宿泊すると、出張マッサージを呼ぶことができる場合がある。シティホテルならホテルマッサージ師が常駐しており、時間が合えばすぐに部屋で施術を受けることもできる。小規模なホテル場合、あるいはオイルマッサージ場合は、派遣型となり、電話で予約をすると、どこかから施術者がやってきて、オイルなどによるマッサージサービスを受けることができる。この場合性的サービスは一切ない。他、高級ホテルなら、ホテル内に「SPA」があり、同様のサービスホテル内のSPAで、あるいは宿泊する部屋で受けることができる。

街角にあるマッサージ屋、サウナでのマッサージホテルでのマッサージ出張のオイルマッサージ、性感エステなどを利用したことはあるが、メンエスは仕組みがよくわからないため敬遠していた。非常に疲労し体がだるいある日の午後、時間だけはあり余っていたので、思い立って都内にあるメンエス電話をしてみた。電話の受付は女性。開始時間施術時間リクエストして予約をする。予約の時間になったら、最寄りの駅のX口から電話をしてください、ということだった。その時間指定された場所から電話をすると、サービス提供する場所をより詳しく説明してくれる。この対応女性であった。場所は、近くのマンションの一室のようであり、簡単に見つけることはできない。どこどこの交差点についたらまた電話して、というやり取りを繰り返し、マンションの近くまで来たところで、建物名・部屋名が明かされた。なお、今回の場合Webサイトに具体的な住所・建物名・部屋名の記述はなかった。

指定されたマンションオートロック式で、部屋番号を呼び出して建物の中へはいり、エレベータで部屋のある階まで移動した。新しめのマンションのように思える。部屋の前でアホンを押すと、しばらくしてドアが解錠され、日本人女性が一人で現れて入室するように促された。玄関はいるとすぐに小さなキッチントイレ、浴室があるような単身用のマンションである。部屋には、施術者の女性マッサージ師のような衣装でたっていだけで、他の人はいない。間接照明のため薄暗いリビングには、小さめのソファがあり、床にマッサージ受けるための敷物があるだけ。ソファに座り、最初に代金の精算をおこなった。ここで、ひとつ予想外のことがあった。90分のサービスで事前に金額を聞かされていたものの、部屋で示された用紙には、プラス3000円で「VIPコース」「ラグジュアリーコース」(場合により呼び方が異なる)があり、それをお勧めされた。ただし、具体的に何がVIPラグジュアリーなのかの記述説明はない。特に考えもなく、追加の金額を加えて支払いをした。その後、流れについて簡単説明がある。これは単純な話で、最初に一人でシャワーあびるシャワーが終わったら体を拭き、準備された場所に横たわって施術を受ける、施術が終わったらもう一度シャワーを浴びる、というだけ。シャワー用には、貴重品袋が用意されていた。シャワーの間、施術者は準備をするという。

浴室は単身者用の部屋によくある狭い湯船の浴室で、ボディーソープ、あかすりスポンジなどが準備されている。そして、シャワーを浴びた後に履く、パンツ。これは、オイルマッサージであれば、出張マッサージでも用意されていて、シャワーの後にはそれだけを身につけてベッドに横たわるものだ。使い捨てのものであり、なぜだかわからないがTバック、というか後ろはほぼヒモであり、前もどうにか隠れる程度の下着だ。普段そのような下着をつけることのないおっさんには違和感がありまくる。

さて、シャワーをあびて、露出過多な使い捨てパンツを掃いて部屋に戻ると、施術者が衣装を変えていた。変えていたというよりは、脱いでいた。全裸ではない。透け気味のキャミソール姿である過去ホテル出張のオイルマッサージを受けた際には、施術者が着てきた着衣を脱ぐことは一切なかった最初から性風俗であると謳っている性感エステの場合、着衣からまり、流れでトップは裸、全裸など様々である。「性的サービスは一切ない」はずのメンエスとは、健全なオイルマッサージと、性感エステの間に漂う玉虫色存在なのだろうか、と思いつつ、施術は進行していく。メンエスとは一体なんなのかという謎に、少しだけヒントが与えられた気がした。

最初は、うつ伏せで、オイルを使ったマッサージ下半身からはじまる。なぜだかわからないが、敷物の周りには、床に横長の鏡が設定されてい、自分が横になってマッサージを受けている様子をチラ見することができる。マッサージこのような設備必要だろうか?ということはともかく、「今日はお休みですか」「どちらからお越しですか」などのマッサージあるある会話をしつつ、淡々とオイルによるマッサージが行われる。一通り、足裏からふくらはぎ、ふとももまで下半身をオイルにより摩擦したところで、施術者は体勢を変えて、うつ伏せの頭側へ移動してきた。そのまま、うつ伏せの頭の上にほぼまたがるような体勢で、背中の上側から上半身マッサージがはじまる。このような不思議な体勢によるマッサージははじめて経験した。なお、施術者はキャミソールパンツのみであり、いわゆる頭と下半身は近い。布一枚。接触をするわけではないが、もやもや、する。趣味についての会話をしながら施術は進行し、後半は仰向けでマッサージをうけた。最初に、施術者は上半身の首やデコルテのあたりをマッサージしてくれる。さらに、下半身側に移動して、今度は仰向けの体勢で下半身周りのマッサージをする。「これがリンパを流すってやつや!」と考えながら、そして全身オイルまみれになりながら、足の付け根の周辺のマッサージがおこなわれていく。ここまで完全に受け身であり、マッサージからそれは当たり前なのである。十分にリンパがながれたくらいのところで、時間となり、マッサージは終了した。もう一度シャワーを浴びて、オイルを流し、少し休みお茶などを飲んでから、着替えて部屋をでた。少し体が軽くなった気がする。

部屋を出る前に「VIPコース」というのは、普通コースと何が違うのか?と尋ねてみると、衣装が違う(脱ぐ脱がない)のだということであった。別の店でも同様の説明を受けた。

オチはない。

2018-03-06

anond:20180306114700

貴方には最後元増田

現状最大の加害者鉄道会社ですと言いながら増田キーボードファイトか?全く理屈が通ってないな。

現実デモしてるわずか数人の方がよっぽど言行一致してる。この時点でお前がまがい物であることは明らか。


無論、現実デモしてる人は尊敬に値する。そんなことは当たり前。

というか、私とキーボードファイトしてるあなたは何者?

それに、少数派が正しいかもしれないと言ったところで多数派が正しくないことにはならない。

多数派が正しくないことにはならないが、少数派が正しくないことにもならない。

法的に結果が出て、運用されて何年もたつのにお前が認めるように賛同者がいない、

毎日たくさんの被害経験者が救われてる。どっちが正しいかなんて二秒考えなくてもわかる。

法的に玉虫色の結果が出て、何年もたつのトラブルが絶えない。

どっちが正しいかわかっちゃうのは2秒も考えてないからでしょ。

貴方目的は私を中傷するだけみたいだから、もう相手しない。

2018-03-01

anond:20180301141106

え?逆でしょ

これが黒人専用車両だったら問答無用NGだけど、

女性専用車両は主目的避難所であって、副次的性差別なっちゃってるという玉虫色状態から、ずーっと揉めてるんでしょ。

2018-01-31

ポリティカル・コレクトネスをおべんちゃらにしないために

だいぶ乗り遅れてしまったのですが、まあいいかと思いつつ済ませていたら、悶々と思いを抱き続けることになったので、もし同意していただける人がいらっしゃったらと思って書くことにします。

はあちゅうさんの告白年末放送された「ガキの使いやあらへんで」の特番の影響もあって、日本においてもポリティカル・コレクトネスについてだいぶ議論されるようになってきました。議論が起こること自体は、自分としてはいことなんかじゃないかと思っています

そして、ポリティカル・コレクトネスによって提起されている思想信条についても基本的自分賛同しています人種民族によって差別をしないこと、性的差別をしないこと、セクハラパワハラやその両方をしないこと、LGBTQの人も同等の権利が認められるようにし、偏見を解消していくこと……私はこうしたことについては賛同しています

けれど、日本でのポリティカル・コレクトネスの語られ方――こういう言い方だと大雑把過ぎるかもしれませんが――例えば、以下のような記事を見て、すごく違和感を覚えたのです。

http://shiba710.hateblo.jp/entry/2018/01/09/073000

ぜひ読んでもらいたいのですが、簡単に言うと年末放送された、ダウンタウンさんの年末恒例の番組ガキの使いやあらへんで」の特番浜田雅功さんがエディー・マーフィーの顔真似をするために「ブラックフェイス」をしたのが「笑えない」と述べておられます音楽ジャーナリストの方のブログなので、まあそういうこともあるかなと思っていましたが、先日、朝日新聞の論壇時評の委員を務めていらっしゃるような方もこちらのブログを参考文献として挙げていたので(ちなみに私は朝日新聞批判論者ではありません。肯定派でもありません)、そこまでなのかと思いました。ポリティカル・コレクトネス日本でこうやって語られてしまうのは、私としては「どうなんだろう」と思ったのです。

先に挙げたブログについては大きく言って二つ、違和感の覚えることがありました。一つ目は「笑えない」と断じていることです。自分は笑えない、その意識を持たないとダメなんじゃないかとおっしゃっているように私は読みました。けれど、ポリティカル・コレクトネス海外提唱されることになった背景を考えてみれば、すぐに分かることだと思うのですが、いじめやいじりが「笑えない」のではなくて「笑えてしまう」ということ、その残酷さを考慮しないと、本当の意味ポリティカル・コレクトネス提唱するものは、そこに根付いていけないのではないかと思うのです。もちろんのことですが、「笑っていい」ということではありません。でも、日本では「笑えない」という啓蒙的なアプローチをすること自体が本当の意味での理解を生まないのではないのでしょうか。

それに関連して二つ目ですが、こうした記事が分断のマッチポンプになっているのではないかということです。ブラックフェイスは様々な視点で見て多くの人に誤解されうる表現です。私はそれが今回、指摘されることになったのはいいことだったと思っていますし、日本民法テレビとしては不適切だったと思います

では、あのシーンが、もしくはあの番組自体が、人種差別的なメッセージがあったかというと、そんなことはないというのも大抵の人は分かっているのではないでしょうか。重ねていいますが、だからブラックフェイスをやっていいということではありません。でも、あのシーンで「笑った」人はそれなりにたくさんの方がいると思うのです(松本さんは後日「浜田が悪い」と言っていましたが、らしいコメントだと思いました)。そして、そういった人々が人種差別意識を持っているかというと、そういうことではないと思うのです。

けれど、先に挙げたようなブログ掲載されて話題になることで、笑った人と「笑えない人」の分断を生むことになります。私も笑った人間の一人です。ブラックフェイスから、即座にアレルギー反応のように自分感情拒否したわけではありませんでした。罪を犯した側からこうしたテーマについて提起するのは分かる気もするのですが、自分は罪を犯さなかったとわざわざ言う人の言論には正直、違和感を覚えてしまます。そして、結果として、そういう意見人種差別意識がまったくない人に対しても線を引き、分断を増加させていくことになるのではないかと思うのです。

一昨年のアメリカ大統領選挙について海外から報道を見ていましたが、私はなぜドナルド・トランプ大統領が勝つことになったのか、腑に落ちていませんでした。けれど、今回の一件を見ていて、すごく分かる気がしました。「ガキの使いやあらへんで」の特番ブラックフェイスに笑った私は、いわゆるポリティカル・コレクトネス陣営から見れば、人種差別主義者ということになるのかもしれないと思ったのです。

そして、先ほどのブログ執筆者と別の方が対談されている原稿掲載されていて、更なる違和感を覚えました。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54106

引用します。

——

柴 テレビ話題では、2017年大晦日放送された『絶対に笑ってはいけない アメリカンポリス24時』でのブラックフェイス問題が、年明け早々、世界中の主要メディアで報じられるという事態が起こってますね。

宇野 うーん、あれに関する国内擁護コメントとかを見てると、ちょっと絶望的な気持ちになってくる(苦笑)。

柴 というと?

宇野 簡単に言うと、あれを擁護するということは、「これから日本文化的鎖国をしていこうぜ」って話でしょ?

かに文化的鎖国をしたところには様々な既得権存在していて、そこで生活をしてきた人はその構造を変えたくないんだろうけれど、さすがにもう無理なんじゃないかな。

柴 ネットによって一瞬で世界に広まっちゃいますしね。

宇野 それもあるし、多くの日本人が誤解しているように思えるのは、ポリティカル・コレクトネス問題って、別に政治的社会的問題だけじゃなくて、逆らうことのできない商業的な要請でもあるんですよ。

好成績を続けている『スター・ウォーズ』の主要キャラクター女性黒人若者なのもそうだし、去年世界で最もヒットしたアメコミ映画が『スパイダーマン』でもヒーローが総結集した『ジャスティス・リーグ』でもなく、単独女性ヒーローの『ワンダーウーマン』だったのもそう。

ポリティカル・コレクトネス配慮しない作品が、だんだんお客さんから見向きされなくなってきてる。

――

引用ここまでです。

アメリカではもう白人だけのアイドルグループはありませんし、映画ドラマにおいて人種的多様性を反映させることは前提になっています。それを日本安易に当てはめようとすること自体が私としては拙速過ぎるのではないかと思うのですが(将来的にはそれを考えないといけない事態もあると思います。そして、『ワンダーウーマン』の議論についても割愛します)、一番違和感を覚えたのは「ちょっと絶望的な気持ちになってくる」という言葉でした。

例えば、日本におけるヘイトスピーチを見た時、確かに私も「絶望的な気持ち」になります。けれど、それを第三者に伝えるときに私は「絶望的な気持ち」という言葉を使いません。いろんな人がいますし、どんな可能性があるかも分かりません。もっと複雑で込み入ったニュアンス、嫌な言葉で言えば、玉虫色言葉を使うのではないでしょうか。隣人を含めたテーマです。ポリティカル・コレクトネスはそれを変えていく運動でもありますが、本当に自分問題になった時に「絶望的な気持ちになってくる」といったような“威勢のいい”言葉を使うことはないのではないでしょうか。けれど、「ガキの使いやあらへんで」や『スター・ウォーズ』といった、自分からは飛距離のある場所では、そうした言葉を使ってみせる。それっておべんちゃらのように聞こえてしまます

伊藤詩織さん、ひいては司法問題LGBT婚姻についての問題――程度の問題ではないですが、「ガキの使いやあらへんで」よりも私たちが考えなきゃいけない問題はまだまだあります

ガキの使いやあらへんで」の特番でのブラックフェイスはやってはいけないことでした。けれど、もっと語りにくいけれど、考え、話し合って、変えなきゃいけない問題があるのだと私は思っています。そこには時間軸も入ってくると思います明日からすぐに変わることはありません。1年後にかわっている保証はありません。では、いつ変わるのでしょうか? そのために必要なのは威勢のいい言葉ではないと思います

2018-01-19

anond:20180118235433

証拠がないからなー。

何年か前に韓国新聞サイトで「強制連行したという証拠も、していないという証拠もない。今後も出ないだろう。だから政治的玉虫色の決着をするしかない」という意見を見て、韓国にも物の分かってる人がいるなあと思ったものだけど、それだけに今回のちゃぶ台返しにはがっかりした。

被害者証言絶対嘘とは言わないけど、盲目的に信じることもできんよ。

いくら日本侵略軍だったとはいえ、冤罪かぶせる危険性に対して鈍感でいいわけじゃないでしょ。

セカンドレイプを許せんのと同じくらい、痴漢冤罪だって許せんよ。

「これは女性人権問題」って口にする奴は、言外に「男性人権なんてどうでもいい」と言ってるので、そんな奴に人権を云々する資格はないよね。

本来人権とは性別関係なく持つものからな。

なのでそのへん曖昧にした決着で仕方ないと思うんだけど、「それじゃ許さん。全面的自分たちの言う通りにしろ」ってんならもう知らんよ。

証拠のある事件ですら、被害者が100兆円払えって言ったって払われるわけじゃないし、1日百回土下座しろって言ったって認められるわけじゃないでしょ。

普通法律裁判所判断範囲内でしか贖罪必要ないし、今回はそれが政府間の合意だっただけの話だよね。

ましてや日韓基本条約賠償してるしなー。

条約結んだとき慰安婦のこと知らなかったから、って、そんなこと言い出したら後からいくらでも「この件は知らなかったから」って金をせびれるじゃん。

現に徴用工でやり始めてるし。

2018-01-11

anond:20180111122136

そうなんだよねぇ。

セクハラ経験者としては、「関係の病」と捉えるのではなく「構造の病」と捉えてほしいところではある。

この仏語訳を読んで内容には十分納得できたし理解もできる。でも強者サバイバー意見というのはどうしてもあるけどねぇ…。

何が正しいということではないから、まぁそんな玉虫色感想にならざるを得ない。

あと昨日の報道の切り取られ方には、割と明確にPCへのバックラッシュ的悪意があったのではとは邪推しておきたい。

2017-12-10

エロ系の規制議論で噛み合わない理由

最も根源にあるのは

エロ特別視するか、特別視しないかだと思う

そこが噛み合わず議論がぐちゃぐちゃになってるケースを割りとよく見る

 

世間が最も特別視しているものが「死」「殺人」だ

死が絡むと他のルールとはかなり変わってくる

 

「死」の次に来るのが「暴力」「性」の二大巨塔(国に依るが)

ここらへんはもう国によっては表現すら危ない領域

暴力表現」「性表現」が規制対象になる

自分子供の頃は「死>暴力=性」だったと思うんだが、ここ15年は「死≧性>暴力」くらいに感じる

特に何かと先進的な欧米

 

これは世界的に女性社会進出が進んだからなのか

それとも「性の否定」に対する反論が難しいからなのかわからん

時代は少しずつ禁欲的になっていってると思う(推進派の手によって)

そういうわけで、現在は「性」「エロ」を特別視するかしないか玉虫色状態共通認識が取れない

それで議論がぐちゃぐちゃになっていると思う

 

ちなみに自分特別視したくない

死>暴力=性 がしっくり来る

特別視しない派から特別視する派へは話が通じないのでもはや戦うしかなくなってくる(逆も然り)

2017-10-10

下心なしの男女間の友情は成立するのか

人によるっていう玉虫色の答えでFAかな・・・

俺男だけど相手がかわいかったりきれいだったりしたら絶対下心出ちゃうから、よっぽど見た目が自分の好みじゃない女性じゃないと、下心なしの友情は無理

2017-10-05

エロマンガ先生

他人から好意に鈍感というよりは、牽制といったほうが正確だとおもう。ニュアンス的に。

一言で言い表せないような、玉虫色で、微妙位置にある感情なので、自分表現力ではそれを言い表すには足りてないとは思う。

今までの人生自尊感情が育ってこなかった、成功体験が乏しかったため、ちょっとした「どうせ俺なんて」がデフォになっている。

自尊謙遜卑下謙虚職務能力自己評価犯罪に対し過剰に警戒する社会非モテとして迫害されてきた高校大学、そういうった社会的個人的人生経験的なミクロマクロが入り混じった結果、そうなっている。

(いや職務能力自体はそれなりに高いと自他共に評価されてるんですけどね(イキリ))

それらが入り混じった結果、「中の下」くらいの自意識になっている。

仮に自分が誰かに好意を抱かれたとしても、それを正確に把握することはできないだろう。この犯罪に対する高度警戒社会だ。犯罪者になりたくない。冤罪をふっかけてきているのかも知れない。自分自身にも犯罪に対する警戒はある。

恋愛市場から降りる人たちの理由に「犯罪に巻き込まれたくない」「犯罪者にされたくないし、犯罪を犯してしまいたくない」といったのも、潜在的に大きいんじゃないかと思っている。

それはシンプルに、住んだり通りかかったりするとき治安が悪い地域を避けるのと似ている。

イケメン無罪

キモオタ有罪

2017-09-26

anond:20170926091729

八方美人玉虫色提案を出すので表面だけだと素晴らしいけど、当然コスト納期フィードバックされるので、ハッキリ言ってポピュリズム特化型。

責任転嫁と癇癪によるちゃぶ台返しが得意技。

人心掌握系に特化

2017-08-29

特定の条件下の話ができない人が多い

薄々気づいていたけど、特定の条件下での話ができない人がかなり多い

世界的に多い

 

「◯◯という条件下で、殺人することをどう思うか?」という問に

殺人はよくないことだ」と答えてしまうようなタイプ

「◯◯という条件下」がすっかりスルーされてしま

 

他の例もみてみよう

「もし雨が降ったら休もう」→「雨も降ってないのに何休もうとしてるんだ」

「もし俺が◯◯だったら、好きになると思う?」→「あなたは嫌い」

「この動物は人を大量に殺したので殺処分しました」→「動物可哀想

「彼はアメリカまれだが、赤ん坊の頃から日本に住んでいる」→「日本語上手ですね」

「ここに白いリンゴがあったとする」→「白いリンゴなんて存在しない」(これはスルーじゃなくて前提の破壊だね)

 

特に正義感ぶった人、あるいは正義感を持った瞬間に多い気がする

思想信条に触るからだろうか? 自分の都合の悪い条件を排除しているのか、はたまた条件をスルーする能の機構存在するのか

ただ、ロジックを扱う職業ITコンサル化学学者など)、ストーリーキャラクターを生み出す職業では大分少ないと思う

自分が気づかなかったのは、周りにそういう人がたまたま少なかったからだ

避けてたのかもしれないけど

 

これは色々なシーンで弊害が出る。

 

議論弊害が起こる

・小難しいストーリーや、キャラの心情を理解してもらえない(創作への不理解、万人向けほど薄味になる)

タブーが生まれる(仮定の話が何もできない)

差別が生まれ

・癇癪を起こす、不必要に怒る

メタ的なギャグが通じない

 

どうしても「例えば」「仮に」「この場合」などの話ができないと

意味の半分も伝わらないので、なかなか制御は難しい

制御しようとするのが間違いなのかもしれない、できないものはできないのだから

仮定の話を抜きにして話す術」や「相手の順応性を見極める力」が重要になる

 

ただ、これのおかげで世の中の政治家や、個人主義主張玉虫色になりがちというのが残念だ

どう仮定を用いてもタブーには触れられないので、本質を語るのはどうしても密室になってしま

重要意思決定オープンにできなかったり、特定の少人数で行われるのはそういう理由があるのではないだろうか?

 

___

 

追記

 

条件下の話において、「どんな場合でも」という返答は、条件を無視していないと思う。

ちょっと上手い例えが用意できなかったと反省

「どんな場合でもではないこと」が用意できればよかったんだが。

 

相手文脈理解してもらえるとか、自分の想定している話の前提を理解してもらえる、などと期待すると思わぬしっぺ返しを食らう

これは政治家なんかがよくやらかしている

面白いのは、議論が得意とされる国ですら似た現象が起きていることだ

複雑な構造を伝えるのはそもそも難しいし、頑張って伝えようとすると長文になり読んでもらえなくなる

はいつも同じ前提ではない反論を受けるたびに「またやってしまった」と相手自分に対して憤りを感じる

自説が否定されたことではなく、議論破綻したことがやりきれなくなる(逆に上手く反論してもらえると喜ぶ)

 

ブコメでも感じたこと

「逆に自分もやってしまっているかもしれない」という観点は今まで弱かったと思う

相手と同じ前提に立った意見を言えているか、これから意識してみたい

(あまり意識すると、質問攻めになってしまうからこれも難しいんだけど)

 

ところで、私はブログなんかでもいつも伝わりづらいことや、仮定の話をしてしまう(しかも分かりづらい)

これは理解されるのを半ば諦めてしまっている独り言に近いんだけど

たまに「わかる」「スッキリした」と褒めてもらったりバズることがある

そんな時ちょっと嬉しい

 

_

 

追記2

 

何かえらい伸びたな

説明が下手ですまない。正直これは自分でも書いてて下手だなと思っていたw

もうちょいちゃんと書けばよかった・・・でもそうすると伸びないのか

でもマジメにコメントしてくれる人多くてありがたい。もっとボロクソに言われると思った。

 

リベンジ

秋葉原アンケートしたら、男性の90%がアニメ好きでした」 → 「男はアニメすきだからね」

「X総理経済政策は素晴らしいが、軍事政策は良くない」 → 「そうだ、早く辞任するべきだ」

「N動画の有料会員数は5年で50万人から250万人に増え、今年は5万人減った」 → 「N動画は最悪だ、皆酷いと思っている」

 

うーん

2017-06-11

白紙に戻せぬ遣唐使教科書の読み比べ)

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない」

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの筆者です。

id:netcraft3さんに「このままシリーズ化してほしい」と言われたんですが、そのつもりはないです。歴史学に対してろくな知識もないから恥をかきそうだし、人気の増田国会ウォッチャー)みたいに注目をあびるのは恐ろしいです。

  

なので今回で最後になるかもしれませんが、ひとまず「遣唐使」について見ていきましょう。

山川出版社『詳説日本史』の「遣唐使」という項は、次のように書かれています。全文引用します。

618年、隋にかわって中国を統一した唐は、東アジア大帝国をきずき、広大な領地を支配して周辺諸国に大きな影響をあたえた。西アジアとの交流もさかんになり、都の長安(現、西安)は世界的な都市として国際文化が花ひらいた。

東アジア諸国も唐と通交するようになり、日本から遣唐使は8世紀にはほぼ20年に1度の割合で派遣された。大使をはじめとする遣唐使には留学生・留学僧なども加わり、多い時には約500人の人びとが、4隻の船にのって渡海した。しかし、造船や航海の技術はまだ未熟であったため、海上での遭難も多かった。遣唐使たちは、唐から先進的な政治制度国際的文化をもたらし、日本に大きな影響をあたえた。とくに帰国した吉備真備や玄昉は、のち聖武天皇に重用されて政界でも進出した。

朝鮮半島を統一した新羅とも多くの使節が往来したが、日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた。8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった。一方、靺鞨族や旧高句麗人を中心に中国東北部建国された渤海とは緊密な使節の往来がおこなわれた。渤海は、唐・新羅との対抗関係から727(神亀4)年に日本に使節を派遣して国交を求め、日本も新羅との対抗関係から渤海と友好的に通交した。

これはひどい遣唐使派遣再開が何年だったかという記述がありません。

そもそもこの派遣が再開であるという基礎知識すら、この教科書では把握できません。ページを戻って第2章「1,飛鳥の朝廷」の「東アジアの動向とヤマト政権の発展」という項では、「倭は630年の犬上御田鍬をはじめとして引き続き遣唐使派遣し」たとあるのですけど、その後にしばらく派遣を中断した時期があることは記載なし。

一時期は中断していたからこそ、702年の派遣再開に歴史的意義があります。第1回の遣唐使派遣が630年ですから、何と、まだ大化の改新をやっていない時代ですよ? それくらい古い時代から派遣していたにもかかわらず、多くの教科書8世紀初頭の出来事として遣唐使のことを説明するのはなぜでしょうか。それは再開というターニングポイントを重視しているからです。本書もそれに従って、「3,平城京時代」という単元に「遣唐使」の項を配置しています。それならば、中断・再開の経緯について説明を載せるべきです。

  

ちなみに、他の教科書では、遣唐使派遣再開についての説明が次のようになっています

7世紀前半にはじまった遣唐使は、天武・持統天皇時代にはしばらく中断されていたが、702年久しぶりに難波津を出発した。」

東京書籍日本史B』(日B 004)

「また政府は、8世紀のはじめに遣唐使派遣して、669年以後とだえていた唐との国交を回復した。」

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

「日本は唐の文化積極的にとり入れようと意欲をもやし、ほぼ20年に1度くらいの割合で遣唐使派遣した。」

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)

白村江の戦いののち、30年あまりとだえていた唐との国交が、701(大宝元)年の遣唐使任命によって再開され、以後、遣唐使がたびたび派遣された。それまで、半島から渡来人新羅などに学びながら、ある程度の国家体制を整えてきたが、この年の大宝律令とともに、唐との直接交通を始めたのである。」

桐原書店新日本史B』(日B 011)

律令制度を整えた朝廷も、702(大宝2)年に遣唐使を復活させ、唐の文物制度摂取につとめた。[中略]

こうしたなか、朝廷は新都の造営や貨幣鋳造、国史の編纂などを次々に実行して、中央集権体制にふさわしい国家づくりに励んだ。」

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

引用者注教科書のページを戻って「白村江の戦い国内体制の整備」の項では、白村江の戦いののち、遣唐使が「669年を最後に中断した」という記述あり。]

この中では、桐原書店ダントツに優れていると思います

遣唐使が中断していた理由もわかるし、大宝律令の制定と遣唐使の再開という2つの出来事を結びつけて理解することができます

  

三省堂記述おもしろいです。私は前回、この教科書について、「時代の流れがよくわかる」「時系列にしたがった記述が多い」というようなことを書きましたけど、ここでもその特徴が出ています

大宝律令の制定、平城京への遷都、貨幣鋳造、国史編纂というのは国内政治です。一方、遣唐使新羅・渤海との関係は、外交政策です。普通教科書はこれを別項に分けますが、三省堂はこれを同じ項にまとめて一つの時代様相として語っているのがすごい。

  

東京書籍実教出版も、中断・再開に触れています。その点は『詳説日本史』より絶対にマシです。

  

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)は、教科書のページ数が少なくて、内容もぺらぺらに薄いです。『詳説日本史』と同様、これでは大雑把に奈良時代の初め頃だったということしか分かりません。(しかも正確には702年に派遣再開されたので、これを奈良時代出来事と把握すると誤りになります)

  

  

  

東大入試でよくわかる遣唐使

東大入試2003年)は、遣唐使の本質にせまる問題を出しています

次の(1)~(4)の8世紀の日本の外交についての文章を読んで、下記の設問に答えなさい。

(1) 律令法を導入した日本では、中国と同じように、外国を「外蕃」「蕃国」と呼んだ。ただし唐を他と区別して、「隣国」と称することもあった。

(2) 遣唐使大伴古麻呂は、唐の玄宗皇帝元日朝賀(臣下から祝賀をうける儀式)に参列した時、日本と新羅とが席次を争ったことを報告している。8世紀には、日本は唐に20年に1度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。

(3) 743年、新羅使は、それまでの「調」という貢進物の名称を「土毛」(土地の物産)に改めたので、日本の朝廷は受けとりを拒否した。このように両国関係は緊張することもあった。

(4) 8世紀を通じて新羅使は20回ほど来日している。長屋王は、新羅使の帰国にあたって私邸で饗宴をもよおし、使節と漢詩をよみかわしたことが知られる。また、752年の新羅使は700人あまり大人数で、アジア各地のさまざまな品物をもたらし、貴族たちが競って購入したことが知られる。

  

設問:この時代の日本にとって、唐との関係新羅との関係もつ意味にはどのような違いがあるか。たて前と実際の差に注目しながら、6行以内で説明しなさい。

これの答えがピンポイントで載っている教科書があります

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)です。これ以外は、どの教科書も上記引用した『詳説日本史』と似たり寄ったりの内容ですからいくら熟読をしても答案を書くことが難しいと思います。(三省堂のぞく。後述)

8世紀に入ると、日本は20年に1度の回数で大規模な遣唐使派遣した。日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢であり、使者正月の朝賀に参列し、皇帝を祝賀した。[中略]

一方、日本の律令国家内では天皇皇帝であり、日本が中華となる唐と同様の帝国構造を持った。日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけており、従属国として扱おうとした。

白村江の戦いののち、朝鮮半島を統一した新羅は、唐を牽制するために日本とのあいだにひんぱんに使節を往来させ、8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった。やがて対等外交を主張したが、朝廷はこれを認めず、藤原仲麻呂新羅への征討戦争を準備した。一方で、新羅民間交易に力を入れ、唐よりも日本との交流が質量ともに大きくなった。現在の正倉院に所蔵されている唐や南方の宝物には、新羅商人仲介したものが多いと考えられる。[後略]

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)

以上に準拠しながら、私なりに要点をまとめておくと、次のとおりです。

  

(1)は、日本が唐から律令を学び、その中華思想の影響を受けたことを言っています。つまり、日本はみずからが「中華となる」という「帝国構造」を作ろうとしたのです。「日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけ」て、彼らを野蛮だと侮蔑し、従属国として扱おうとしました。ですが、唐だけは別格です。あのような大国を敵にまわすと、恐ろしいことになりかねません。そういう遠慮があって、唐のことだけは尊重して隣国と呼びました。

(2)は、「日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢」をしていたということです。唐の臣下となって朝貢する国々の中にも、その立場にはランクがありました。日本と新羅はともに唐の臣下だったのですけど、日本は新羅より格上の臣下になろうとしたのです。

(3)は、日本と新羅関係悪化について述べています新羅が「8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった」ので、その間は関係がうまくいっていました。しかし、新羅が「やがて対等外交を主張」するようになったから、両国関係はこじれてしまったのです。それが最終的には藤原仲麻呂が「新羅への征討戦争を準備」するくらいにエスカレートします。

(4)は、日本と新羅政治的には対立しつつも、経済的には交流が盛んだったという内容です。「新羅民間交易に力を入れ」ました。「新羅商人仲介し」、日本へ「唐や南方の宝物」をもたらしたのです。それは貴族たちが競って購入したがる垂涎の的でした。現在「正倉院に所蔵され」ている宝物も、そういうルートで輸入したものが多いのです。

  

教科書の読み比べをすることの目的は、なにも入試対応するためだけではありません。

例えば『詳説日本史』には、最初引用したとおり、「日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた」とか、「8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった」という記述があります。この短い記述が伝えようとしていることの本当の意味は、『新日本史B 改訂版』(日B018)のような他の教科書と併読することにより、はじめて正確に把握できるのです。

  

ところで、この教科書の著者は、東大の先生が3人、京大の先生が1人です。本書だけに載っているネタを使って入試問題がつくられたのは、そのへんの事情もあるのかなと勘ぐってしまます

もしくは、これは2003年入試問題ということだから、ちょうど講談社の『日本の歴史シリーズ2000年2003年)が発行されていた時期ですし、そちらの内容を意識しているのかもしれないですね。一応、そっちのシリーズから引用しておきましょう。

国内及び新羅などの諸国に対する時と、唐に対する時とで天皇の顔を使い分けるという、まことにすっきりしない状況でもあった。このような努力・苦心を払って日本が手に入れようとしたのは、東アジアの有力国としては新羅より格が上、という地位の確認であり、また初期の遣唐使が唐の高宗蝦夷を見せたことに示されているように(『日本書紀』斉明五年七月三日条)、日本は隼人蝦夷などの異民族をも支配下にいれた大国かつ君子国であるという評価であった。いわば唐を盟主とする諸国の中での相対的に高い地位を求めるとともに、自らの小帝国であることを唐に認めさせようとしたのである。(石母田正天皇諸蕃』)

  

坂上康俊『日本の歴史05巻 律令国家の転換と「日本」』

さきにもふれたように、「日本国」は唐帝国との公的な外交関係では「天皇」の称号を用いることができず、実際には二十年に一度の使い――遣唐使――を送る唐の朝貢国位置づけられていたと考えられるが(東野治之「遣唐使船」朝日新聞社、一九九九年)、国号「倭」から「日本」に変え、「天」をつけた王の称号を定めたのは、唐帝国に対し、小なりとも自ら帝国として立とうとする意志であったことも間違いない。

実際、「日本国」は「蛮夷」を服属させる「中華」として自らを位置づけ、「文明」的と自任するその国制を、周囲の「未開」な「夷狄」におし及ぼし、国家領域を拡げようとする強烈な意欲を、その発足当初は持っていたのである

[中略]

このように、朝鮮半島に対しても圧力を加えて、朝貢を強要する姿勢を示す一方、「日本海」をこえてたびたび使者を送って交易を求めてきた渤海については朝貢国として扱うなど、「日本国」は自らを「中華」とし、帝国として四方に臨もうとしていた。しか東北侵略を止めた9世紀に入ると、こうした「帝国主義」的な姿勢列島外の世界に対する積極的な動きはしだいに退き、十世紀になれば、ほとんどそれは表に現れなくなっていく。

  

網野善彦日本の歴史00巻 日本とは何か』

日本が置かれている立場としては、唐への朝貢という屈辱外交をやめるためには、遣唐使派遣を中止するしかないわけです。しかし、日本は唐と断交して敵対的にのぞむ国力も、その覚悟もありませんでした。

いっぽう、遣唐使は唐の皇帝から賜った国書日本国王へ勅す)を持ち帰るわけにはいきません。日本が唐に朝貢していると認めることは、天皇の威信を傷つけることになるからです。

こうなると、実際には日本が唐に朝貢していることが明らかなのに、国内での建前としてはそれを否定してみせる必要が出てきます。要するに、「遣唐使派遣は朝貢ではない。天皇が唐に臣従しているという批判は当たらない」という建前をでっちあげ、国内的にはそれをゴリ押しすることで、この矛盾を乗り越えようとしたのです。

  

私がこのエントリ題名に「白紙に戻せぬ遣唐使」と付けた由来は、多分みなさんもご存知の、894年に遣唐使が廃止されたことを指す語呂合わせ「白紙に戻そう遣唐使」です。しかし、日本がほんとうに、この"遣唐使"的なるものを白紙に戻せたかというと、それは甚だ疑問です。為政者国内国外で異なる顔を見せたり、外交姿勢の実態と建前を使い分けているというのは、室町時代に明に朝貢して「日本国王」となった足利義満に、ほとんどそのまま適用できる視点だと思います

それに、このことは現代外交問題についても、重要示唆を与えてくれます。例えば政府国内に向けて愛国心ナショナリズムを煽っておきながら、それと同時に国外に向けて国際協調アピールをするというチグハグな状況は、まさにこの延長にあるんじゃないでしょうか。

あるいは唐側の視点で見ると、日唐関係はこんな見方もできるかもしれません。唐は日本がおとなしく朝貢するかぎり、細かいことに目くじらを立てなかった。唐としては蕃国をヘタに刺激して事を荒立てるより、多少その尊大なふるまいを黙認しておく方がメリットがあった。すなわち唐は日本と妥協しあって、朝貢関係があるとも無いとも、どちらとも言える状況を作りあげた。――こういう分析がどれだけ妥当か分かりませんけど、2国間に争いがあるとき玉虫色の決着をつけ、両国政府がそれぞれ自国民の耳に心地よい解釈で説明をしているというのは、これまた現代によく見かける話でしょう。

  

  

  

教科書の読み比べ

遣唐使についての解説が長くなりすぎましたが、じゃあここから、各社の教科書の読み比べをしていきます

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

遣唐使船はふつう「よつのふね」とよばれ、1隻に100人まりが乗りくみ、多い時で約500人の大使節団であった。

悪くはないですが、遣唐使について普通説明があるだけです。

おもしろい特色がありません。

無理に良い所探しをするなら、「よつのふね」という文学的呼び方を紹介し、その規模がいかに大きかったかを強調していることです。

華々しく飾り立てた大使節団というのは、それを送りだす側も、それを受け入れる側も、両国にとって国威発揚イベントになったと推測できますもっとも、沈没行方不明になることも多々あったので、華々しさとはかけ離れたのが実態だったかもしれませんし、どうなのでしょう?

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

  

……って、今回はここで文字数制限なのか。

引用をしていると、あっというまに文字数が膨らみますね!

つづきを書きました→ http://anond.hatelabo.jp/20170611234459

2017-03-14

残業100時間未満の安倍首相裁定記事へのブクマ攻撃最近の流れの解説

http://b.hatena.ne.jp/entry/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170313-00000093-jij-pol

はてなユーザーって、もしかしてニュースとか見ないのかな?(いきなり主語デカ批判

>未満と以下とか分単位しか差がないのでは…

本当に100時間と99時間59分の差だとしたらそもそも経団連側も争わないしニュースにならないって思わないのかな

想像力が 足りないよ(ヒガナ

わかりやす説明すると今回のニュースに至るまでの過程として、まず最初に繁忙期の残業時間について

"「100時間基準値とする」"

っていうクソみたいな玉虫色合意経団連連合があったんよ。

そして経団連榊原会長連合の神津会長安倍首相に報告にいったのね。

ソース

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170313/k10010909711000.html

で、安倍首相が「ま、まてまてーーいwww」ってなって突き返したわけですよ。

だってそんな便利な日本語使われたらね。

「おっ100時間基準値か 君119時間からまぁギリギリセーフってかんじかな。今忙しいから来月も繁忙期やけど頑張りぃや」

「おお勇者よ死んでしまうとは情けない でもこれ過労死ちゃうな!」

ってなってまうもん。

でもここで100時間未満って言葉がきちんとあるとさ どうなると思う?

自殺した○○さんは労使合意の100時間を超えて○ヶ月連続で勤務していたことがわかりました』

って報道されちゃうんだよ。これめっちゃ企業にとってリスクかいよ。

今までって特別条項付き36協定あれば90時間でも110時間でも別に対して変わらなかった所、明確な閾値が出来たわけだからね。

『100時間基準値とする』と『100時間未満』の差は本当に本当に大きいよ。

大企業側としても、繁忙期であっても100時間絶対に超えないように仕事調節しよ、とか人増やそ?ってなるって思わない?

今回の件は非常に重要合意で、最近悪いニュースが続いてた安倍ちゃんGJ案件だと思ってる。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS14H13_U7A310C1EAF000/

ここからがらっと話が変わって、今のこの世間労基法改正の流れ 

http://jp.reuters.com/article/overtime-idJPKBN1320X5?sp=true

みんなどこから来てるか覚えてる???

奴隷の命ひとつやふたつでは犬死に・・・だが東大卒美女大企業新入社員、この三つが揃い、届いたっ・・・!!王の首に刃っ・・・!!社長辞任っ・・・辞任・・・!!社畜の屍、ついに電通の王を刺すっ・・・!!』

って(今は消えてる)ツイートがあったけど、既に上司書類送検とか社長が辞任とかそういう次元を超えてきている。

http://www.sankei.com/politics/news/170221/plt1702210046-n1.html

いろいろバタフライエフェクトめいてはいるけれども、一人の女性の悲しい死が労基法、ひいては国を変えようとしている歴史の転換点にいるってことははてなユーザーのみんな、覚えておけよ。

最初から最後まで主語デカかったな。でかいはいいからさ。

2017-01-27

主張したいことがないと論文かけないなら博士課程なんて辞めてやる

だって大学院入ったばかりの頃はもうちょっと希望に溢れてバリバリがんばるぞ!とか思ってたはずなんだ。

工学部機電系就職も恵まれてたのにそれを捨てて理学系に来たんだ。当然そのつもりだった。

研究室セミナーで数々のマスハラをうけても、進捗報告で「それは違う、君の言ってるここはおかしいでしょ!」って毎回のように炎上しても、それでもちゃんと耐えていられると思ってた。

甘かった。

いつ頃からか、毎週の報告会が近づいてくると脈拍がおかしくて胃がひっくり返りそうな感覚で何度も嘔吐するようになってた。

たぶん酸蝕のせいか前歯が欠けていることも、言われて初めて気がついた。

精神安定剤睡眠導入剤は一度それに頼るようになると増えることはあっても減ることなんてない。

ただでさえ立派な肩書きのついたおじさんってだけで私にとっては威圧感を感じるのに、私のためだけに一対一で圧迫面接を毎週やってくれるのだ。こんなに効率的に削られる環境もそうそうないだろう。

処世術を身につけた私は、報告会の時にはなるべく断定的なことをいって詰められるより、ボスの気分を害しないよう曖昧な返答に終始するようになっていた。

詰められるかわりに今度は「何言いたいの?意味がわからないんだけど。」と言われる回数が増えていった。

でもあからさまにマスハラ受けるよりはそっちの方がずっとマシだ。ボスよりずっと私のことをよく知ってる友人たちにもよく言われてることだし、たぶん自分でも言ってる意味がわかってないことのほうが多いから。なんで間違ってるか自分でもわからない詰められ方してる時より、そうだよなあやっぱりわかんないよなあ、って自分でも納得できたから。

D進するかどうかは悩んだけど、親類縁者で理系大学院にいくのなんて私が初めてで両親はそんな私を誇りに思ってくれてた。研究テーマが決まってなくて学振すら出せなかったけど、それでも両親は支援してくれた。まだいける、まだいけるはず。

療養のために半年休学したりもしたけど、なんだかんだで3年乗り切ってきた。幸いなことに後輩の卒研指導などの役割分担からは外されていた。自分のことだけで精一杯な現状に引け目を感じつつがんばって、なんとかようやく原著論文投稿にお許しをもらった。レフェリーコメントが帰ってきた。introduction からなかなcriticalな指摘がきてる。進捗報告の時に改定案を見せなきゃ。

見せたところで帰ってきた返事は「言ってる意味がわからない、つまりどうしたいの?」。いつものことだ。昔の私じゃない。こういう時はどうするか?ボスがどのように理解したがってるかなんてこっちは知ったこっちゃない。こちらが取りうるほぼ唯一の戦略はどうとでも取れる玉虫色の返答をジャブとして繰り出して、相手の出方に応じて適切な返答を作る。即興ながら官僚の作る国会答弁問答集にだって負けないぞ!私の頭はキレッキレだ。

いつものこと、どう返事したかなんて細かいことは覚えてない。その代わり、呆れ返った声で彼が返した言葉はジャブどころか私に向かってストレートに投げつけられてきた。

「あのねえ、◯◯さんがこの論文でどういう事を主張したいのか、まずそれをはっきりさせてくれないことにはこっちだってアドバイスしようがないんだよ」

なんで今更そういうことを言ってくるんだ。私が何を主張しないべきかだけはあれだけしっかりわかってるくせに。辛い。苦しい。私は何を主張したいべきなんだ?わからない。わかってたらもっとはっきり自分意見を今までも言えてきたはずだ。でも私が知ってのは、ただただ「私は何をしないべきか?」。それだけだ。

「何をしないべきか」を彫刻刀で一つづつ削っていったら、版画みたいに「何をするべきか」がネガとして浮き上がってくる、そううまくはいってくれなかったようだ。

私は何をしたいべきなんだろう??最初論文の主張の話だけだったはずなのに、考えれば考えるほど、この問いに人生のものまで絡め取られていってる気がする。

何をしないべきか?逃げ出すことが敗北なのはわかってる。ボスだけじゃなく共著者みんなに対しても無責任なことだ。中退なんて高校だけでもうたくさんだ。でも、いくら「何をしないべきか」を潰していっても、どこからも「何をするべきか」は浮かび上がってこない。あとどれだけ「何をしないべきか」を潰していけばこの暗闇の中から一筋のネガが見えてくるんだろう。

疲れた。来週もまた研究室に行ける気がしない。レフェリーへお返事書く期限もたぶん間に合わない。「何をしないべきか」だけははっきりわかる。もっと別のことを私はわかりたかった。とにかくもう疲れた

2016-10-21

http://anond.hatelabo.jp/20161020151952

訴えるとしたらとりあえず出場停止撤回名誉回復なんじゃね?

出場撤回で言えば勝てる見込みは薄いと思う。休場届けを出さなかったというのがあるので。

ただ、三浦九段は辞退表明していないという主張なんでそこはどうかな。

裁判に出れば詳らかになるので分からないという感じか。

直接的にカンニングしたという形で処分されてなくても、渡辺竜王などのインタビュー名誉傷つけられた

かいうことで名誉毀損で文集と竜王を訴えることは可能だと思う。

正直この場合三浦九段が実際にやってたかどうかという話でも無くなるので。

逆に三浦九段が白か黒かは。連盟判断せずにいるのに(別件で出場停止にして)

一方で文春や竜王情況証拠だって言ったら、実際黒でも名誉毀損になるんじゃないかと。

個人的には将棋連盟公益財団法人なので、玉虫色の決着をするのは許されないんじゃないの?ってスタンス

将棋世界論理常識だけで済ますわけには行かないでしょう。相撲だって色々な封建的制度があったけど

公益財団法人として優遇制度がある中で、八百長イジメ問題では相撲界の論理だけでは許されなかった。

将棋界も一緒なのじゃないかな。

想像ですが、内偵していた週刊文春記事にすると圧力かけられて泡くって繕おうとしたのが

今回のわけわからん状況に発展していると思うんだが。

将棋ファンの一部に「渡辺竜王は自ら将棋界を守るために対応した」とか

将棋界のためには仕方なかった」とトップ棋士将棋連盟擁護する意見も多いけど

臭いものにフタをしただけで問題問題だと思うんだよね。

私としては三浦九段が白か黒かはっきりして、それをもってで名誉回復なり永久追放なりされることを願うし

ちゃんと外部の人も含めて改革する姿勢を見せて欲しいかなと。現時点では思います

2016-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20161020122421

棋譜検証した判断では99.9%までクロとは判断できるが、100%にするには物証必要

100%のクロか、三浦九段が自供する証拠がないと、やっぱり玉虫色処分するのは

三浦九段名誉を毀損してますし、法廷に行ったら勝てないでしょう。

スポーツ八百長だって、プレーを科学的に解析して疑いがある試合とかを特定することは今でもやってるんだけど

最後は動かぬ物証か、最低でも自供が得られない限り処分というわけにはなかなか行かないでしょう。

本来はグレーで押して12月だったか施行されるスマホ禁止外出禁止措置まで逃げ切るはずだったんだよ。

から文春の圧力があったんじゃないかなとか思ったりするけど。(これは推定

あと本筋とはずれるが、そういう意味棋譜しか判断できないはずの橋本八段が

「1億%クロ」とか言ってるのも腹立たしい。

三浦九段が嫌いだったという話はあるけど、将棋以外では脊髄反射しかできないのかと思った。

2016-09-06

二重国籍の話の、テクニカルなところ解説

友達二重国籍のやつがいた。

たぶん周りにもいると思うよ。

中国国籍意味深)とか、アメリカ国籍はわりとメジャーだし。

たいてい二十歳になると「日本は多重国籍みとめてないから、日本国籍にするか選べや」ってなんのね。

問題は、日本国籍を選ぶ場合に、方法が2種類あることね。

  1. 外国国籍離脱する
  2. 日本国籍選択する(&外国国籍放棄するって宣言する)

これ、法務省バリッと2つの手段があるって書いてんの。

(1) 日本国籍選択する場合

外国国籍離脱する方法

日本国籍選択宣言をする方法

http://www.moj.go.jp/MINJI/minji06.html

なんで、多重国籍は許しまへんでーって強制されてねぇのかなーって当時思って、調べたのよ。

要するに多重国籍を許す国は結構世の中にいっぱいあって、さら離脱を許さない(離脱を想定してない)国もある。

有名なとこだと、ブラジルね。

だもんで、法律はちゃんとそういうのをカバーしてる。

国籍法十四条 外国国籍を有する日本国民は、外国及び日本国籍を有すること

    となつた時が二十歳に達する以前であるときは二十二歳に達するまでに、そ

    の時が二十歳に達した後であるときはその時から二年以内に、いずれかの国

    籍を選択しなければならない。

   2 日本国籍選択は、外国国籍離脱することによるほかは、戸籍法

    定めるところにより、日本国籍選択し、かつ、外国国籍放棄する旨

    の宣言(以下「選択宣言」という。)をすることによつてする。

(略)

   第十六条 選択宣言をした日本国民は、外国国籍離脱に努めなければな

    らない。

http://www.moj.go.jp/MINJI/kokusekiho.html

めんどいからどうせ引用したって読まないんだろうけど、ようは

  1. 22歳までにどっちか選べ(20歳以降で外国国籍を得たなら2年以内に)
  2. 日本国籍を選ぶなら、「外国国籍離脱」or「日本国籍選択外国国籍放棄すると宣言
  3. 選択放棄を選んだやつは、国籍離脱努力せよ

ってことね。ブラジル場合は、努力したけどムリッスってことでOK。

まあ、フツーの感覚だと、日本国籍を選んで外国国籍放棄宣言したら、放置することが多い。

だって選択放棄宣言したら、そこで終わりだと思うジャン。日本役所としてはそこまででオッケーだし。

国籍法第十六条努力義務は、強制意味合いが薄いから、運用でどうにかしてねって玉虫色の感じになってる。

たまーに、日本国籍を選んだのに、アメリカ国籍持ってるヤツがいるのは、違反っていうより努力義務を怠ってる感じ。

アメリカは多重国籍を許容するスタンスなので、別に問題になることないし)

というわけで、今話題の多重国籍の話をするときには、この「努力義務違反してた」ってのは覚えておくとドヤ顔できるぞ!

……まあ、友達ってことにしたって匿名で書くしかないんだけどねこ話題

蛇足

出自だの国籍だの話題にするのは品のない行為だとみなされるので、飲み屋でも出さないほうが無難

上司に振られたらあいまいに笑っとけ。

大抵の「国籍条項」と言われる「制限事項」は、「日本国籍を持っているかどうか」だけが問題にされる。

外国人公務員になれない、みたいなやつね)

から、多重国籍者に対してうかつなこというと、ワリと面倒なことになったりする。

その手のこと言われて絶対許さねぇ的なスタンス訴訟慣れしたオッサン面倒だぞ。

蛇足蛇足

外国国籍」を持っていることがNG職業も実はある。

外務公務員法七条には、『国籍を有しない者又は外国国籍を有する者は、外務公務員となることができない』っていう欠格事由が設定されてる。

国家公務員試験を受けられるかどうかの規定にも、ちょい狭い範囲でほぼ同じ制限がかかってる)

この外務公務員ってのは、平たく言って大使とか公使とかで、

日本国政府代表して、特定目的もつ外国政府交渉し、又は国際会議若しくは国際機関に参加し、若しくはこれにおいて行動する権限付与された者」とか。

まあ、法律趣旨としては「外国国籍持ってるやつが、日本代表として外国交渉するのはヤベエだろ」ってことだろうな。

法の不遡及大前提として、テクニカル意味では、多重国籍者国会議員やってても問題は無い。

努力義務違反の追及って、どの程度できるかな?程度)

たーだー、外務公務員法の第七条意味鑑みると、まあ穴は塞いだ方が良いかもしれないかなー

俺は国籍複数持ってても良い派なんだけどね。そういう国も増えてるし。

こればっかりは各国スタンスが違うから難しいやな。

2016-05-03

「新しい憲法を制定する推進大会」の記事を読んだ。

https://www.buzzfeed.com/satoruishido/kaiken-genjitsu

壇上のいちばん右に「日本の歴史文化伝統香り高い憲法をつくろう」と書かれていることで、もうお里が知れているようなものだ。彼らが言う「日本の伝統」とは、たかだか100年ちょっと前の明治時代を指しているにすぎない。

実際、渡部昇一は「基本は明治憲法かえること」と言って、その意図を隠していない。しかしそんな短期間(それも欧米列強に追いつこうと蒼白になっていた一時代)を取り戻そうなんて、イヤなこったというしかない。

彼らにとって明治時代が「日本」であって欲しい理由は、それがオッサンたちが大いばりできた時代であったからであり、さらに言えばお国のために有用人材になれと励ましてくれた母親へのノスタルジーだ(偉大なるマザコン評論家江藤淳イデオロギーを信じ込んでいる人もいる)。

自民党改憲PR誌に「この70年で女性地位は向上した。でも個人の自由が強調されすぎて…」と書かれているように、改憲=オッサン権力闘争という側面は否定できないだろう。

本当に「日本の歴史文化伝統」を学んだうえで言うのであれば、周りを海に囲まれ地理的条件を踏まえ、海外からの「舶来物」を換骨奪胎して取り込む融通無碍日本を、その本来的な姿と考えるべきではないのか。

そういう節操のなさを日本本質だと考えれば、アメリカから押し付けられた憲法をいつの間にか自分の都合のいいように玉虫色解釈して使っている現状こそ、日本お家芸披露しているようなものだろう。

もしこの部分の矛盾放置するのが難しいとしても、基本コンセプトとして「明治にかえれ」は戦略的にもお粗末だ。明治とはモーレツ社員以外を排除して成立したブラック企業であり、社畜天国である。それは現代日本にも脈々と引き継がれているが、いずれ超克すべきものだ。

江戸以前に遡れば、混浴だの男色だのが謳歌されていた伝統日本にはあり、LGBTどころの騒ぎではない多様なアジア世界が展開されていた。そういう歴史文化を学んだ上で、「伝統」という言葉を使ってもらいたいものだ。

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