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2018-03-20

anond:20180320155133

だって素人彼女がお気に召さないか風俗に行かれるんですよね?

妻の手料理が極上に美味しくてもたまにはラーメン食べに行きたい夫はいるだろう

妻がとんこつでもみそでもしょうゆでもラーメン屋顔負けのラーメンも作るというなら別だけど

 

性欲処理は食事と同じ

2018-03-18

相方って呼ばないで

30すぎて初めて「オタク女子」と呼ばれる属性女性と付き合った。

自分ゲーム好きなのもあって、話も合い一緒にいて楽しい

見た目は全然かわいらしい普通女子だし、

飯の趣味も会話の速度感なんかも心地よいし、

将来的には結婚しても良いかなあと思っている。

ただ、Twitterで俺のことを「相方」と紹介するのが、

どうしても解せない。

漫才コンビじゃないし、仕事を一緒にしてるわけでもない。

今日相方手料理晩御飯相方の作るパスタは絶品」

とか写真付きであげてくれるんだけど、

恋愛関係のない)同居人みたいに思ってるのかなと感じるし、

しかしたら「自分恋人いないですよ」ってアピールしてるようにも思えてしまう。

そうでなくても、(アニメの中でしか出てこないような)きもいオタクが言う

「拙者」みたいな感じで相当気持ち悪く感じる。

とってもモヤモヤするのでネットで調べたところ

彼氏って言うとセックスを匂わせるので恥ずかしいから照れ隠しらしい。

でも、むしろ彼氏という言葉自体性的意味見出しすぎてて

そっちのほうが気持ち悪くないかな。(事実バンバンセックスしてるわけだし)

最近彼女友達オタク)に俺を紹介されたんだけど、

相方増田さんです」みたいな感じで紹介される。

もうぞわぞわって来てサブイボ立っちゃうわけです。

すんごい嫌なんだけど、彼女呼び方強制して直させるのも

ちょっと違うかなと思ってる部分もあり、とてもモヤっている。

うまく傷つけないように伝えて、やめてもらう方法ないもんかな。

2018-03-09

眠れないか祖母の話をしたい

祖母は優しかった。いつでも私のことを可愛がってくれたし、私も祖母の前では良い子でいられた。怒られたくないというよりは、悲しませたくない気持ちが強かった。自分のことを、いつまでも可愛い孫だと思って欲しかった。

自分が嬉しかたことを伝えたら祖母も嬉しくなると思っていた幼い頃の私は何かある毎にすぐFAXを送ったし、すぐ電話した。手紙もいっぱい書いた。遠方に住んでいたから、とにかく自分存在を忘れられないように一生懸命だった。(今考えたら疎遠でもない孫を忘れるはずがないとは思う)

祖母手料理ほとんど作らなかった。作れなかったのか作らなかったのかは分からない。いつも祖父母に会いに行くときは2.3日しかいれなかったので、外食をすることが多かった。きっと子供から外食を喜ぶだろうと思ってたのだと思うけど、私は祖母の作るご飯が食べたかった。結局祖母手料理は1回だけしか食べられなかった。おにぎり。誰が作っても美味しいのかもしれないけれど、私は今でもあのおにぎりの味を覚えている。

祖母刺繍が上手だった。亡くなってから知ったことだけど、祖父母の家にあるのれんリュックポシェット額縁に入った布の作品すべてが祖母刺繍作品だった。少し大きい象の人形のようなもの祖母刺繍を施していた。本当は色々やりたかった刺繍があったらしいけど、段々と細かいものが見えなくなって諦めたらしい。やりたいのに出来ないってどんなに悲しいことだろう。

私が高校生になってなかなか祖父母に会いに行けなくなっていた。一般家庭におけるFAX文化も廃れ、電話祖父母のお誕生日敬老の日、お正月くらいに減っていた。それでもたまにする電話祖母は私がする話を嬉しそうに聞いてくれた。習い事を続けて頑張っていたことも褒めてくれた。

祖母は段々足が痛いというようになり、歩けなくなった。父と祖父母の3人で旅行した時、祖母はすぐ疲れたといい椅子に座っていることが多かったらしい。せっかくの旅行なのにごめんねと謝る祖母を見て、父は涙が出そうになったと言っていた。私は聞いているだけで胸が詰まり、お風呂で泣いた。

祖母は寝たきりになっていった。動くのがしんどいと言い、会いに行ってもずっとベッドで横になっていた。足の筋肉は衰えて、私の二の腕くらいになっていた。また私はこっそり泣いた。

祖母記憶をなくしていった。電話をした時、私のことを伯父と間違えた。話が噛み合ってないような気がしたけど、訂正することが良いことなのか悪いことなのか分からず誤魔化した。電話を切ってから父に気付かれないように泣いた。

祖母ものを食べることができなくなった。この頃になると祖母祖父以外の人を誰なのか判別できなくなっていた。新幹線に乗り久々に会いに行った祖母は、祖母だけど祖母じゃない別の人のように感じた。いくらしかけてもこっちを見てくれなかった。そりゃそうだ。毎日何も口にしていないから首を動かす力もないのだ。そこで急に祖母がいなくなることが怖くなって家族の前で泣いた。まだ目の前に祖母は生きているのに。

そして祖母は息を引き取った。祖父も父も伯父も家族みんな揃って最期を看取れたらしい。父は仕事柄頻繁に全国出張に行くので本当にタイミングが合った奇跡だったと思う。

通夜は次の日だったので、その日は普通に仕事に行った。上司に報告して、訃報連絡の書類などは自分で作った。みんなに全然悲しくなさそうだねと言われトイレで泣いた。悲しくないわけがない。

棺で寝ている祖母は安らかな顔だった。ガリガリになっていたから綿を詰めていたのがすぐ分かった。祖父が、棺に入れようと言って私がいっぱい書いたFAX手紙を持ってきた。中には祖父宛に書いたものもあったが、祖父は構わず全部入れてしまえと言った。ちょっとそれはないわと思って笑ってしまった。

祖母に送る最後手紙はいつまでも私のことを可愛い孫だと思ってもらえるような内容にした。天国で再会した時に可愛がってもらわなくちゃいけないから。

おばあちゃん、ご飯はいっぱい食べれてますか?私がそっちに行った時は豪華な手料理食べさせてね。

あと、おばあちゃん刺繍の本と糸もらったよ。1年かけてまだほとんど何も作れてないけど、一生の趣味にしたいんだ。おばあちゃんの血が入ってるから才能はあるはず。数十年後、私の棺に作品を入れてもらう予定だからその時にまた見せるね。

一周忌仕事で行けないような孫でごめんね。おばあちゃんいつまでも大好きだよ。

2018-03-04

anond:20161006232331

結局、就職先は完全に勤務地と商材と雇用形態(週休完全二日)で決めたなあ。

条件満たせばよくて、できれば大手(というか事業が安定してるとこ)がいいと思った。

大手企業の子会社で、規模は200人程度。

とにかく就活での活動コストをとにかく下げたかった(面接とかテストセンターとか嫌だった)から今の会社にした。

平均的な基本給で見込み残業代手取りに加算されてるけど、これが良いのか悪いのか。

あれ、私って中高一貫校で一流大学出てるのに給与は平均でよかったの???

ふと銀行HPで今後の人生にかかる費用シミュレーションしてから自分の将来がぜんっっぜん明るくなかった。なんでもっと金もらえるとこ志望しなかったのか。志望さえしてなかった自分失望

自分大学に入る前に浪人してる。目標に向けて頑張る力はその時身につけたと思うけど、いかんせん就職に関しては目標設定自体がうまくいってなかった。

結局は頭も良くなければ要領も悪く、先見性についてもこれまではゼロだった。他人忠告だって聞かない人間だった。そんで自分勝手に突っ走ってコケ馬鹿だなー、って思う。

具体的には大手メーカーとかでちゃんボーナス入ってくるとか、住宅補助あるとこにすればよかったな~と今更ながら思う。

なんだか年収自分能力とか価値を反映してるような気がしてつらい。

そんで自分でも馬鹿だと思うけど婚活はじめた。取り立てて魅力もない私に敏腕アドバイザーが放ったのは「男性女性の年齢だけ見てますよ」の一言

ここに来て、それか~

初産は28までじゃないと出産危険性が高まるって保健体育で習ったけど、これは確かに仕方ない。

精神的に未成熟人間結婚しても未成熟のままだし、そんな人間子どもを設けたら大惨事

だけど結局お金があればなんとかなる面もめちゃくちゃ大きい。

まあ自分がそうやって育てられたか自分もそういう風の価値観持ってる。父が癌で死んだとき、母がたまたま公務員だったか一家は路頭に迷わずに済んだ。

取り立てて子ども欲しいとも思わないけど、とにかく産んでから必要なのは金と体力で、産むなら早ければ早いほうがいい。

まあこうやって精神的に未成熟人間子ども作っても悲劇になるだけで、

今実際「価値基準価格ブレブレ取り柄ナシナシマン」の私は悲劇を生きている。

私はできれば子ども産みたくないとさえ思うくらい家族に関しては恨みがある。

端的に言えば父親モラハラDVだったからなんだけど、それを反面教師にできるほどバイタリティーがなく「無気力」「不信感」に繋がっている。

恋人いるけど、恋人経済的あんま自立してないし将来も兼業主夫希望してる。

頭が良くて、手料理がおいしくて、大好きだ。できる限り相手尊重したい。

だけど、将来の家計についてシミュレーションしてみたら、お金って私そんなにこだわらなくていいの?って少し思うようになった。

結婚するまでに自分が納得して結婚できる人と30人くらいは会っとかないといけないなと思う。そんなに会社見ずに就活終えてから後悔するみたいに、結婚だって後悔する。そんな事で大切なを巻き込んだら駄目だ。

きちんと条件と期限を設定して、その中で最適なアウトプットを出すように努力しないといけない。

今度の誕生日で私は24になる。出産適齢年齢を28とすると25くらいで結婚しないとマズい。

1年半は交際したいから、1ヶ月で3人くらい「結婚見込み」の人と会って今年のクリスマスには結婚を前提としたお付き合いができてないと駄目だ。

2018-02-05

anond:20180205114635

子どもの頃、しょっちゅうその質問されたけど、正直苦痛だった。確かに食べ物好き嫌いはあったし、母もそんなものは十分承知していたけど、母が本当に相手の食べたいもの作ってご機嫌とりたい相手は父だったんだよね。今みたいに簡単LINEとかメールとか送って「今日晩ご飯何がいい?」って聞ける時代じゃなかったのと、子どもが食べたくないものを作ってしまうとあまり食べなくてめんどくさいから私とか弟にも聞いていたんだと思う。

今は母の手料理を食べるのが週1回あるかないかなので、「あんたの好きな○○にしといた」とか「野菜あんまり食べないだろうから鍋にしといた」とか言われて素直にありがたいと思えるけど、当時の母は鬼気迫る感じで怖かった。晩ご飯作りにそんなにも気と手間を使わなければいけない主婦という仕事をイヤだと思った。過去記憶のせいなのか、単にめんどくさがりなのか微妙だけど、未だに料理は嫌いでほとんど自炊してない。料理が好きとか楽しいかいう人が信じられない。義務じゃなくて気の向いたときだけ趣味として作るんなら楽しいのかも知れないけどさ。

2018-02-02

高校の頃、隣の家の家族のところに女子大生が移り住んできた。正しくは大学院生なんだけど。その夫婦の姪にあたる人で、院生になったのをきっかけに、より学校に近いそこへやってきたとのことだった。当時うちの母とお隣の奥さんは一緒に今でいうホームパーティみたいなものをやるくらいすごく仲がよくて、当然のように俺にも紹介されて挨拶した。高3の春だった。

しばらくして、受験生なのに全く勉強しない俺を不安に思った母親が「塾へ行こう」とパンフレットもって切り出してきた。家では全く勉強しないでゲーム三昧だったけど、学校ではそれなりに真面目に授業を受けていたので成績はまあまあ良くて、だから大学学力に見合った難しすぎないところに行こうと思っていて、塾なんてまったくやる気がしない。ずっと拒否っていたら、またしばらくして母が隣の家の女子大生を連れてきた。「バイト探してるっていうから、この子家庭教師してもらうことにした」ふざけんなと思ったが、もう家に上がっている彼女を追い返すわけにもいかいかと思いしぶしぶ勉強を見てもらうことにした。自分の部屋は汚すぎて入れられなくて、その日はリビング数学課題を見てもらった覚えがある。結局そのまま家庭教師として勉強を見てもらうことになった。

その人はすごく頭がいい上、人をその気にさせるのがすごくうまい人で、調子に乗った俺は家でもきちんと受験勉強をするようになった。成績も少しずつ上がり始めて、当時の志望校では少し目標が低いんじゃない?と担任にも言われるようになった。話も面白くて、週2回の彼女の来訪を心待ちにするようになり、模試でいい評価を取ると即メールした。

そんなこんなで、彼女を好きだと思うようになるのに時間はかからなかった。よくある話だ、高校生が少し年上の大学生に恋をする。(院生だけど)あまり読んだことないけど少女漫画の設定そのまんまみたいな状況すぎて、いやちょっと勘違いしちゃってるだけだろ、と必死にその気持ちに抗ってみたりしたけれど、もう会ってしまうとそういうの全部どうでもよくなって、少しでも成績上げて喜ばせたいと思ってしまうから秋ぐらいにはもう諦めた。

そしてその人が通っていた難関大学志望校を変えた。両親も担任も、そして彼女も喜んで応援してくれた。一層勉強に身が入り、必死勉強した。


次の春、晴れて俺は彼女の後輩になることができた。学部は違ったが、ものすごく嬉しかったし、ようやく同じ土俵に立てた気がした。当然そんなわけはないんだけど。向こうはその大学内でも屈指の偏差値を誇る理系学部院生で(院生から学部おかしいか)俺は文系比較偏差値が低い方だ。

それでも毎日なんとなく嬉しくて、タイミングがあった時は一緒に登下校したり、学食で一緒に飯食ったりした。夏休みに入る少し手前、初めて二人で出かけた。向こうはどう思っていたかしらないけれど、デートのつもりで誘ったか約束をしてからその日までずっとそわそわし通しだった。親にバレるのが嫌でわざわざ駅で待ち合わせて、彼女が行きたいと言っていた水族館に行って食事をして、お互い家に帰ってからメール告白した。「ちょっと表出て」って喧嘩吹っ掛けられるみたいな返信が返ってきて、それからマンションエントランスで話して、付き合うことになった。


それから彼女卒業するまでは本当に楽しかったし、俺も彼女に見合う大人の男になろうと必死だった。プレゼント背伸びして、百貨店に売ってるようないいアクセサリーを用意したり、デートでもなるべくお金出させたくなくて、少ないバイト代を精一杯はたいて奢ったりした。結局最終的に割り勘くらいになるように向こうに調整されていたけど。喧嘩しても大人ぶって先に折れて謝った。嫌われたくなかったというのもある。

冬が過ぎ、また春がきて、彼女就職して隣の家を出ていった。移り住んだアパートはうちから1時間近くかかるところだった。

学生の頃に比べると、格段に会える日が少なくなってしまい、些細なことでの喧嘩が増えていった。それでも最初の1年くらいは、彼女の家に泊まりに行って手料理を振舞ったり振舞われたり、ちょっと遠くへ旅行へ行ったり、何とかその壁を乗り越えようとがんばった。どうしてもその人を手放したくなかったから。大人な振りをして、ずっと背伸びし続けていた。

それがダメになったのは付き合って1年と少し経った頃、俺が大学2年の冬だった。

箱根に泊まり旅行にいって、旅館で夕食を食べているときだった。もうほとんど覚えていないような些細なことで、ふっと怒りがこみあげて、その勢いのまま机を殴りつけて怒鳴ってしまった。言った瞬間にすぐ我に返った。しまったと思った時には彼女は萎縮しきった顔で「ずっとそうやって我慢させてた?」と問いかけてきた。何も返せなくて、その日はもう会話もなくなって、朝起きたら彼女はいなくなっていて、携帯には「別れよう」というメールがきていた。

本当に大好きで大切な人だったのに、ずっとずっと彼女に見合う「大人な男」になりたくてなりきれなかった。悔しいのと情けないのと喪失感とごちゃごちゃになりながら一人で帰って、それからしばらく大学にもいかず家に引きこもってずっとオンゲをしていた。無心でレベル上げしていてもすぐに彼女のことがちらついた。もうしんどくてたまらなかった。

それでも時間は過ぎて行って、大学の成績通知を見ていい加減家を出なければと思った。単位結構取り落としていた。それからまた大学バイトゲームの繰り返しを毎日毎日やって、気づけば就活生と言われる年になった。

就職フェアみたいなやつに同期と出向き、彼女就職した会社ブースを見つけた。彼女がいないことを確認して(そもそも研究職だからいるわけないんだけど)説明を聞いてそのままエントリーした。運よく選考が進み、そして内定を勝ち得た。

そこで流石に一度我に返った。こんなストーカーじみたことして、どう考えてもおかしいしやばいそもそも入社してもし社内ですれ違ったりしたらなんて声を掛けたらいいんだ。もう一度会いたいとは思うけれど、向こうはもう俺のこと忘れてほかに相手いるかもしれないし、年齢的に結婚している可能性もなくもない。内定はあともう1社あった。期限は迫ってくる。悩みに悩んで俺は彼女に連絡を取ることにした。我ながらどうしてそうなったと今にして思うのだが、その時は考えすぎて頭が完全に煮詰まっていた。

電話番号は幸い変わっていなかった。電話で全部話した。まだ忘れられないこと、まだ好きなこと、それから同じ会社を受けて内定が出たこと、今行こうかどうしようか悩んでいること。付き合っていた頃の俺とは全然違って、本当に情けなかった。いや、付き合っていた頃だって決してちゃんと決まっていなかったかもしれないけど、それでも精一杯ずっと物分かりが良くて包容力があって大人な俺を演じ続けていたから、それはもうキャラ違うレベルだったと思う。彼女は静かに全部聞いた後、「うちはまあまあ大手だし、労働環境も悪くないから来るなとは言わないけれど、もう一社とよく比較して考えて」と言ったあと、「私のことは気にしないで」と言った。

突き放された気がした。それが余計悔しくて、勢いで「わかった。じゃあそっちの会社に行く」と即答した。するといつかみたいに「ちょっと表出て」と言われた。もしかしているのかと思って慌てて家の外に出たが、だれもいない。「どういうこと?」と聞いたら「そのまま駅まで行って、〇〇駅まで来て。私も今家出た」と言って電話を切られた。マジかよ。時間はすでに22時過ぎだった。〇〇駅は彼女の最寄り駅じゃなくて、うちと彼女の家の中間あたりで、付き合っていた頃よく一緒に飯に行ったところだった。こんなに長い30分があっただろうか。走って駅までいって、電車に乗っている間も落ち着かなくて、ずっと立ったままだった。電車から飛び降りて改札を出て、きょろきょろしながら電話しようとしたら、同じく携帯を片手に小走りで改札を抜けようとする彼女と目があった。


そんな彼女明日結婚します。

2018-02-01

インスタ映えしない飯画像

他人んちのごはんが食えない…とまではいかないけど、なんかしょうもない皿に不味そうに盛り付けられてる飯画像を見るのが苦手。

予防線張るわけではないが、出されて食えないとかではない。実際見たら嗅覚とか、作ってくれた人の気持ち?とかでいろいろ補正がかかって美味そうに見えるものだ。実際食ったら美味いことの方が多いし。

何がダメかというと、その家庭的で見た目のよくない飯の写メをわざわざ撮ってSNSに載せるやつ。手料理を載せてるとかなら本人もなんとか美味そうに見せようと工夫してる場合が多いから許せるが、おかんの飯とか彼女の飯とか称して載せられる不味そうな画像を見ると気分すら悪くなってくる。

いかけの飯画像とかも無理。お洒落な飯屋の飯だけと「ひとくち食べちゃった笑笑」みたいなのはいやだ。撮るなら食うな、食うなら撮るな。

わかってくれる人いない?

俺がおかしいのか?

以前今これ食ってるっつってぐちゃぐちゃに盛り付けられた茶色物体写メをわざわざツイッターのリプで送りつけてこられたときは思わず不味そうって返してしまって喧嘩になった。こっちからしたら、なんで食いさしの飯の写メ撮ってわざわざ@つけて飛ばしてくるのかわからんのだけど。

見たいものだけを見せる世界けがいいとは思わないけど、SNSでくらい綺麗なものを見たいと思う。

2018-01-24

私の舌レベルは最下層らしいが、とっても幸せだ。(1/24追記)

私の舌は受け入れ範囲が広い。

きっと、足りない物質は舌が補っているのではないだろうか。

すき屋味噌汁美味い。

松屋味噌汁美味い。

吉野家味噌汁美味い。

思い返せば、「くっそまずい」っていうご飯を余り食べたことが無い。

焦がしすぎて苦いものとかならマズイと思うし

味が薄すぎる場合は「うーん?」とは思う。

でも「メチャクチャマズイ!」「不味くて食べれない!」ってのは特にない。

私の舌が良い子でよかった。幸せだ。

人が「不味い」と言ったものも美味しく感じられることがあるし

人が「美味しい」って言ったものも美味しく感じられる。

世界一幸せ者かもしれない。

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同意してくれる人が多くてビックリした。仲間だ!

ざっくり追記してく。

●「鼻大丈夫耳鼻科

⇒鼻や舌、耳 すべて正常だよ。

 鼻つまってないし、耳鼻科いっても問題なしだね。

 ただ、去年から花粉症になったかもしれない。

 

●「分かりみが強い。ただし手料理披露するとき我々の種族は最弱になる 」

⇒私の場合、意外とこれは大丈夫な様子。

 他の人が「美味しい」ってものを食べ続けると

 「他の人が美味しいと思うのはこの味付けだな」って分かってくる。大丈夫だ、問題ない。

 

●「チェーンやコンビにの弁当は美味しく作られている」

⇒その通り。

 セブンイレブンカルビ牛丼美味しい。なぜあんなに値上がりしてしまったのだろうか。

 (ごめん、これ書いたら「あれは美味しくない」って美食家が言うかもしらん)

 そして、最近セブン冷凍食品コーナーに出てきたんだけど、毎回売り切れてて悲しい。

●「値段見て不味いと認知する舌の持ち主もいるようなので、その状態が最も不幸かと。

 他人disる精神性も付随するし。 」

⇒わかる。そういう人居たなぁ。

 前に、そういう人の為にチェーン店料理を「1000円だ」と言って盛り付け変えて出したら

 「美味い!」って言って食べだしたから笑った。

 別日に「チェーン店のだよ」って言って出したら「まずい!こんなもんお前食うのか!?バカだな!!」って言う。

 もしかしたら、高いものを食べる=ステータスなのかもね。

●「私もそう思っていたがな、イギリスアメリカ行って自分も神レベルの舌を持っていることがわかって、長期滞在がつらいのじゃ 」

アメリカに行ったことあるけどどれも美味しかったな。

 さくらんぼ味?の綿菓子とか、シャンプーみたいな味のするゼリーグミ?みたいなのあったよ。

 「面白いな」って思って食べた。イギリスはまだないなー。 日本調味料Amazonさんとかで頼むのだ!

●「まぁ本人が満足ならいいけど健康には気を付けて。 」

ありがとうジャンクはあまり食べないようにしてるんだ。

 どちらかと言えば薄味好みで、自炊するときは薄味だよ!

 料亭みたいなところで出る和食も美味しいよね。

●「俺、○○も△△も食べたけど、やっぱり吉牛豚汁が一番だわ、ってドヤ顔できる○○も△△も食べていない 」

⇒食べ比べできるほどに舌が持続してくれるか疑問。

 ってか近所に3店舗ないよねw

●「「貧乏舌だから?」つっていちいちエクスキューズ入れるのやめてくれる? 」

⇒えっと、はてなを抜けってことかな?

●「ふつーじゃないのかね。情報で喰ってるバカは脇に置いておけ。 」

⇒たまに居るんだよね、「まっず」って声に出して言う人とかさ。悲しいなって思う。

●「謎のチェーン店信仰コンビニ、安いお総菜、冷凍食品、チェーンの外食から一度離れ久しぶりに食べた時、味の濃さと旨み・出汁の薄さに愕然とするぞ。万人向けの味ではなく、販売価格と原価第一だろうに。 」

⇒1年くらい、外食をやめたことがあったんだよね。

 全部自炊出汁取るところからやってたけど

 私の舌は強化されたからか、どちらも美味しいと感じるよ。

 味の濃さは確かに違ったけどね。

●「幸せ許容範囲が広いって最高だと思う。お金物質的充足度と幸せとの関係全般に言えること。」

⇒ほんとうに、幸せだと思う。 何事も一回は挑戦してみるべきだよね(?)

●「一度ステーキガストカットステーキ食べ放題行ってみなよ」

⇒行ったことあるよ!噛みごたえ抜群だったね!(褒め言葉)

 私もパートナーも噛み応えのある肉が好きなんだよね。前世犬だったのかも。

 

 別な話だけど、柔らかくて溶ける、甘い肉汁を出すA5ランクサーロインを食べたことがあるけど

 肉の脂が出すぎてすぐにおなかいっぱいになったよ。あれは甘いね

●「自分自身幸せ供給力と、幸せ感度の話。贅沢を知れば感度は鈍くなり、供給力を高める必要に駆られる。感度を高いままに留めるのは重要ライフハック。 」

⇒声に出して「美味しい」っていうこと。笑って食べること。そして環境大事

 楽しい、笑いたくなるような環境で食べるとご飯も美味しいよね!

 20くらいまで、ピーマン苦手、しいたけ苦手、ブラックコーヒー苦手だったけど

 社会人になってから普通に食べれるようになったし、美味しいと思えるようになった。

 挑戦することって大事だね。

 未だに苦手なのはビールかな。あれは苦い。

 喉越しを楽しむものらしいけど怖くてグビグビいけないのが問題だと思ってる。

●「セブンイレブン大概なんでもウマい!(幸せ) 少ない!(悲しみ) 」

⇒わかるww

●「 ほんとに最下層の舌のやつに高くてうまいもん食わせると、変な味っていうことがある。数万のディナーと最新コンビニお菓子、両方美味しく感じられるのが幸せ。 」

⇒あー、私はそこまでの最下層では無かったということかな。

 確かに何万もするディナーもコンビお菓子も美味しい。

●「ウチの家内食はカチカチに乾燥して冷え切ったご飯とか、冷凍庫で何日も保存したご飯に、おかずは納豆だけとか出てくるので、我が舌を持ってしてもまったくもってフォロー不可能地獄。」

納豆大根おろし入れたり、卵入れたりするのも良いねぇ。

 ご飯はお茶漬けにして食べるのがベスト

 冷凍3日くらいは美味しく食べれると思うんだけど、何日目なんだろう?

●「そんな幸せ物の増田意識他界ラーメンを食べたとき感想をコウカイしてみてほしいの。 」

⇒読み返して誤字に気づいて修正しちゃった!ごめんね!

 東京にあったりするかな?あるなら行ってみようと思う。

●「何でもかんでも不味いで済ませる貧相な語彙のほうが問題だよな 」

⇒まぁ、そうだよね。

●「美味しい物を食べる=幸せ、ってのはテレビ洗脳だよ。味よりも健康な体を維持する方が重要。 」

⇒そうかな? 美味しいものを食べているとき幸せ気持ちになったりしない?

●「分かる!そんな私の口ぐせは「普通に美味い」 」⇒わかる。

●「高いものしか美味しく感じられない人の方が偉そうにしてるよね。 」⇒わかる。

●「たまに一人で牛丼屋に行くのが幸せな私が通りますよ。目当ては松屋ネギ牛めしカレーである。」

⇒美味しいやつや…

●「チェーン店味噌汁って味を誤魔化すために馬鹿みたいにしょっぱくしてるんで、あれが美味いと感じるなら高血圧に注意した方がいいと思うよ。 」

⇒しょっぱいかな? 血圧問題ないよ。

●「強いて不便なことは、あそこは美味い、ここは不味いって話題に乗れないことか 」

⇒「ここは不味い」っていう話には参加しないなぁ。

●「土の味のオランジーナとはなんだったのか 」⇒なんだったんだろう。飲む前に砂ペロってしたかな?

●「私は違いがわからないくて、ちょっと寂しい。 」⇒区別がはっきりしている人とご飯食べに行くと良く分かるよ!

●「幸福のしきい値を低くすると世界に『幸福を感じることが出来る物』が増えるので幸せになりやすいと思う。」

⇒それね。みんな小さな幸せを見ようともしないのよ。そもそも食べれることが幸せ

●「こういうのが洗脳なんだろうな 安いもので済ませるってのは本来経済的安価みえ牛丼カップ麺食う事(実は高い)じゃなくて、面倒だが素材買って家で作って食べることだからな 」

洗脳? 安いもので済ませる=チェーン店に行く ってことはしてないよ!

 基本自炊だよ~

●「味覚の主な役目は「飲み込むとヤバげな毒物」の検出で、美味いもん検出じゃないからな…。食うと美味いもの検出は視覚嗅覚の役目。人間視覚全振り生物なので結局見た目重要。 」

⇒だよね~! 見た目の美意識が高いのかな?

●「うんうん、馬鹿にしてくるやつは幸せになってる奴を妬んでるんだよ?。 」

馬鹿舌って言われても気にならない! そう言ってくる人より幸せな自信あるよ!

●「なら、本当においしいものを食べるともっと幸せになれる。他人の財布なら余計に。 」

⇒もう、何倍にもなって美味しいよね。もう幸せすぎてほっぺた落ちるよね。

●「好き/嫌いでなく、おいしい/まずいという客観的判断が下せる人ってすごいと思う。自分が好きな味でも「おいしい」という絶対的判断を下す自身がオレにはない 」

⇒「(自分的には)おいしい」で良いんじゃないかな? そもそも、そういう味覚判断って客観的もの

 人に対して「美味しいよ!」とは自信をもったものしか薦めないし。

長くなりすぎちゃった。

anond:20180124095327

2018-01-21

俺27歳。彼女25歳。

彼女にずっとイライラしてる。会いたくない。

 

よく「俺君のこと大好き」「こんなに人を好きになったの初めて」とか言ってくれるし

抱き着いてきたりキスしてきたり誘ってきたりは、ほぼ向こうからなので

好かれてはいるんだろうが

時々元彼の影がちらついてキツイ

元彼と同棲していた部屋、元彼と一緒に選んだ家電、元彼がくれたお菓子

元彼と行ったデートスポット、そのときに着ていた服、元彼に開発された身体

彼女セックスとき腰骨触られるのがすごい良いらしい。ねだってくる。そんなとこ最初から性感帯な人いないし元彼に触られた結果なんだろうな

もうすぐバレンタインで、お菓子を作ってくれると言うが、まあ元彼に上げたものと同じレシピなんでしょうね。元彼と一緒に料理をしていた台所で作るんだね。

それを言うと「元彼とはもう別れたから。なんとも思ってないから、この部屋にいても何も思わないし、同じ料理作ってもつらくならないんだよ。あなた配慮はするけど、過去はどうにもならないよ、あなたにも元カノがいるでしょう?」と言われた

配慮をされてる気がしません

 

彼女と元彼は同い年で、5年付き合ってて、最後の1年は同棲していた。

同棲中に喧嘩して、そのタイミングで俺が飲みに誘った。そのまま奪った。

その流れを元彼は知らない。普通に振られたと思っている。

から逆に俺の知らないところで元彼と会うのもありえる。そういう女なんだよ。

 

こないだ彼女に「料理作ってよw俺できないからさw」と言ったら「私が一方的に作るのは嫌だな。一緒に作ろうよ!」と言われた。

彼女は元彼に料理作ってあげたことがないらしい。元彼が料理うまくて、むしろ作ってもらってた。

から俺は彼女の完全手料理を初めて食べる存在になりたかった。

なのに断られた。彼女は俺を元彼の後釜にしようとしてるのか?

 

彼女といると、彼女というより元彼のことを知るハメになる。

すごいイライラするし、彼女配慮がないと思う。

けど一緒にいないと不安だ。

2018-01-15

anond:20180115213944

「お袋の味」って。

お母さんが家族のために、手料理頑張ってる、というだけでしょ。

まぁレトルトとかじゃないって事なのかも。

「うちの味付け」的な。どこの家庭にもある平凡な幸せめいたもの

親元はなれるとありがたみが判るよ。

2018-01-09

お嬢様貧乏キャラの激安手料理を「こりゃぁ、なかなかいますわ」っていうシーン

「なかなかいける」の前提に「いつも料理してくれているコックのルドルフほどではありませんが」ってあるのに、庶民感覚理解するお嬢様って表してる感じがして好きじゃない。

 

追記

言葉遣いが悪いと言われたので、確かにこれはないなという口調を変更しました。

「うちの一流コックほどではありませんけど、オホホ」→「いつも料理してくれているコックのルドルフほどではありませんが」

2018-01-03

家事とかやってくれ過ぎるのもどうなんだろう?

うちの母はよく働く人だ。お正月といえば家の大掃除をして、おせちの準備をして、私はただ実家に帰って母の作った料理を食べるだけだ。片付けとかの手伝いもしない。今70歳なんだけど、もう少し歳をとって思うように動けなくなったらどうなってしまうんだろう?

私は昔料理基本的なことは教えてもらったし、一人暮らしを始めたときは多少自炊もしていたけど、最近はめんどくさくなって出来合いのおかずを買って帰って食べるばかりになってしまった。実家に住んでいるとき洗濯掃除もしなかった。今の家も洗濯は着るものがなくなると困るのでするけど、掃除は気が向いたときに水回りをちょっとするぐらいだ。

私も父も祖母(父方)も片付けられない人なので、実家はいろんなものが山積みになっている。年末年始も私が泊まるスペースがないぐらいだったけど、今回母が奮闘してスペースを作り、ベッドに布団を敷いてくれた。どうも私が実家に住んでいたころの布団を引っ張り出したようで、ホコリっぽい匂いがした。

母が一人で頑張っているのを見ると「大変だな」とは思うんだけど、どうしても手伝う気になれない。母には自分のやり方があって、その通りにやってくれないとイラっとくるみたいだし、要領の悪いのがぐずぐずやっているのを見ていられないようで、結局「私がやった方が早い」になってしまう。

よく「夫や子供家事を手伝ってくれない」みたいなぼやきを聞くけど、母みたいなタイプの人が家事をしない夫や子供を作ってしまうんじゃないかと思う。多少下手だろうが要領が悪かろうがじっと我慢して手を出さないようにしないと、「どうせやっても文句言われるだけだし」っていうことで余計やらなくなる。

あと、私はある程度お金がある場合外注できる家事外注した方がいいと思ってる。料理はまだ主婦プライドがかかっていて、かつ出来合いのものを買うと材料に何使ってるか分からないとか味が濃すぎるとか添加物が多いとかいうのがありそうだけど、レンジフード掃除に何時間もかけるのとか馬鹿げてると思う。そういうのをプロに任せればその分時間が浮いて、自分が手間をかけたいことに時間をかけることができるのだ。

母の母である祖母もそうだった。リウマチだんだん手足の自由が効かなくなってきたのに、数年前までは正月に行くと頑張って手料理を振舞ってくれた。今は歩けなくなって施設に入ったけど、それでも共有の台所で、ちょっとした自炊はやるつもりらしい。まぁそんなにやることがあるわけではないので、負担にならないレベル料理ならいいけど、家事の習慣がしみついている人とそうでない人の違いは凄まじい。ちなみに父方の祖母特養に入っていて、認知症が進んでいるので、日々ぼんやり料理掃除もお風呂施設の人にお任せで生きているようだ。実家に住んでいたとき家事はすべて母まかせで、トイレに行くのも一大事だったか特養に入ってくれて本当に助かったけど。

ということで家事でも何でも頑張る人とそうでない人の格差がすごいというのと、頑張りすぎる人が頑張らない人を助長させているというのが結論。話がうまくまとまってなくてすまんです。

2017-12-25

同担拒否も好きの形

他人の好きを否定して攻撃してはいけない」と言う人ほど、私たち同担拒否攻撃してくる。

彼らは萌え尊重され共有されるべきだと声高に叫ぶが、ひっそりと恋を育みたいと願う私たちの「好き」は尊重してくれない。

彼はみんなの物なのに同担拒否なんて気持ち悪くて頭がおかしいから石を投げても良いのだと、

同担拒否あいつらは皆必ずいつか攻撃してくるのだから先制攻撃を仕掛けて潰そうとしても正当防衛なのだと主張してくる。

よくわからないものは怖くて気持ち悪くて邪魔から攻撃しても良いのだ。


私たちは無邪気にぶつけられる石で出来た痣をコンシーラーで隠したら、

彼のためのメイク、彼のための髪型、彼のための服で自分を飾り、彼のための笑顔を貼り付ける。

彼の恋人でいたいから、彼に相応しい女性でいられるよう努力する。

彼は素敵な人だから他人の恋を嘲笑う人に好かれても嬉しくないと思うのだ。


他のファンがなんと言おうと、私と彼は恋人同士だ。

昨日はイブだったから、お洒落して彼とデートに行ってきて、昨夜彼はそのままうちに泊まっていった。

今日の昼食には、練習していた手料理披露して2人で食べた。

写真を撮ってSNSにアップしたら、彼の友達と付き合っている女の子たちからイイネが付いて、

それを彼と一緒に見ながら「他のカップルも良いクリスマスを過ごしているみたいだね」と微笑みあった。

彼がいつ来てもいいように一生懸命綺麗に保っている私の部屋で、今も彼が寛いでいる。

恋人たち幸せクリスマス

幸せだ、幸せだと言いながら、本当はもうずっとボロボロだ。

それでも幸せな夢に浸っていたい。

「私の夢の中でもあなたたちはカップルだよ」と言ってくれる人達と、小さな世界を守っていたい。


他人の好きを攻撃してはいけないのなら、私達の恋を攻撃しないでください。

彼の良さは私が一番よく分かっていたいと思っていますから

素敵な彼が色々な人に好かれてしまうのも当然だと理解しています

私の恋人を、彼の同性の友人に犯させて皆で鑑賞したいという貴女欲望を、私は見なかったことにしています

理解出来なくて気持ちいから当然サンドバッグにしていい」なんて考えを、彼はきっと好まないから。

2017-12-13

anond:20171213134231

手料理振る舞うとか、家事全般が得意と言うのが「女性男性アピールすること」と言う認識は古いかと。

今時女性向け創作の中だと、女性男性料理振る舞われて惚れてまうわーとか

家事が得意な男性を褒め称えるとか割とありがちだし、

現実でも女性理想男性を聞かれて「料理家事が得意な人」ってのはよくある答えだよね。

実際料理が得意で女性相手に振る舞ってくれたり、家事が得意でやってくれる男性がどれほどいるのか、ってのは置いとくとしても

女性が考える理想男性ステレオタイプ」の一つにはなってる。

BL好きの腐女子は、攻=自分・受=好きな男、とみなして攻に自己投影しているタイプが多いか

「受が攻に料理を振る舞ってもてなす」のは「自分も受みたいな男に料理振る舞って貰いたいわーと言う願望の現れ」と考えたら別に自然でも何でもない。

そういう人が「女であるお前が料理振る舞う側だろ」と突き付けてくるような古い「異性愛規範」は嫌い、ってのも矛盾しない。

自分が嫌な事を他人押し付けるのかよ、ってのも、所詮創作の中の話だし。

anond:20171213011936

母さんの手料理でいつもゲイリー君なゲイリー増田さん。

他人手料理より、恐ろしいのは貴方のネナベママンじゃないのん






やはり性格遺伝一子相伝

2017-12-07

ギリギリ人権を許されてる底辺から、安物が美味しいのだ

ブラック企業運営するチェーン店のクソ安い粗悪品の中華ファストフード牛丼が美味しい

お前ら人間様は嫁や家族愛情たっぷり手料理や、高級レストランオサレ料理食ってるんだろうね

でも俺はこの食品もどきがご馳走なんで

anond:20171206231538

せめてお見合いに至った経緯と結婚を決めた決め手くらい紹介しろよ。

それもそうかw 経緯は、ウチの母親の紹介だった。私が30歳になって全然結婚以前というかパソコンとかマンガばっかりだったので心配していろいろ電話したらしい( あなたの所の誰々ちゃんはもう結婚されましたか?的な)

で、その頃、嫁さんはウェイトレスだったりで質素で変化のない生活だったので、お見合いでもしてみるかな、という感じだったらしい。彼女とは高校が一緒だった。当時はもちろん付き合ってない。隣町くらいの距離

私の方は非モテだし、何するのかよくわかんないが、とりあえず何事も経験だしって事でお見合いしてみた。

嫁さんが連絡先を聞いてくれたので、これは脈があるかもー!(気が早い)という感じで、交際スタートした。この辺って、今では出会ツールや機会はできてきてるし、交際スタートするまでは割としやすくなってるんじゃなかろうか。私の頃(10年以上前)は社内恋愛政治的に正しくないし、そもそも社内の女性からは下に見られやすいし... どうやって出会うんだよ、という感じであった。

決め手っていうと、別に悪くないというか、この人でいいや!って感じだったなぁ。お見合いも1回しかしてないし。

いやだって絶世の美女って訳ではないが、話は聞いてくれるし、彼女の家に花を持っていった時とかに出された焼きうどんが美味しかたことかなぁ。ささっと手料理が作れる人、尊敬する。その頃の私といえば、吉野家すき家なか卯ヘビーローテーションちょっとまずい状態で、焼きうどんの中のキャベツが美味しかったのを覚えてる。

素敵な異性は沢山いる。いるのだが... 別に結婚する訳じゃないしなぁ、僕はこの人でいいや!、って決めた。

それから10年くらい立つんだけど、嫁さんの料理だんだんうまくなってしまった。私も一応、お返しのように頑張りたいと思ってる。

2017-12-05

https://anond.hatelabo.jp/20171205154634

人は普段しないことほど語りたがるんだよ。

普段みすぼらしいメシ食ってる奴ほど外食行くと写真撮りたがるし

普段育児してねえやつ程ちょろっとガキ構うだけでツイートしたがるし

普段料理しない奴ほどショボい手料理を自慢したがるし

交友関係が狭いやつほどフォロワーやら友達の数を気にすんだよ。

わかるだろ?

2017-11-28

朝弱い私の半生【追記あり】

朝に弱過ぎる私の半生について語りたい。

幼稚園時代

朝に弱い傾向は覚えてないが、この頃から超面倒臭がり屋。

確か、年長くらいまで母に着替えさせてもらっていたと思う。

母に、「こんな年になってお母さんに着替えさせてもらってるのなんてあなたくらいよ」と言われるけど、平均的な園児の平均的な着替えのスピードなどは分からない。

小学校時代

基本的に間に合わない、起きれない。

小学1年生頃くらいまではまだちゃんと登校班に間に合うように行っていた気がするが、学校が好きではない事もあり、徐々に「登校」に燃え尽きていく。小学6年生になる頃には、半分以上登校班に間に合わなかった。そういう時は、1人で走って学校へ行った。夏休みの朝のラジオ体操は、2回くらいしか行ったことがない。毎日行っていたという人がいるが、私とは全く別の種の人間だと思う。

中学校時代

ギリギリ登校。遅刻をする人がクラスメイトから悪口言われているのを見て、頑張って登校するが、やはりギリギリ。早く起きれないから、女子で仲良く登校しているグループに入れなかった。

無理やり身体を起こして、半分寝ぼけたような顔で学校に来るから、よく笑われた。髪とかも、ボサボサでみっともない事が多かったと思う。体力がなくて部活は辞めてしまった。夏休み冬休み部活練習も、行く気になれなかった。中3になり、受験で塾に行くが、せっかく授業料払っているのに疲れて寝てしまう。勉強したいのに、身体がついていかない。ここら辺から学校に行けないことが増えて行く。遅刻も増える。このあたりでうつ病っぽくなってしまった。志望校には受かったものの、おそらくこの時期に大きく心と身体を損ねてしまったと思う。

高校時代

眠い。授業に全く集中できなくなった。登校は、良くてギリギリでほぼ毎日遅刻。遅刻する自分が嫌で、遅刻する事に何か言われるのも嫌で、自己嫌悪もひどくなっていくし、登校日数すら危うい。学校生活に支障を来していたので、この頃から心療内科に通う。夜眠れる薬をもらったが、効きすぎて翌日さらに眠かったり、元気を出す薬も効きすぎて躁転したりした。本で発達障害のことを読んで、私はADHDではないか医者に言ってみたら、やはりADHDだった。しかし、当時はリタリン規制されてしまった時期で、ADHDの私の症状に処方する薬はなかった。

死にそうになりながら、受験シーズンがきて、やはり塾に通う。先延ばし傾向の強い自分は、塾に行かなければ勉強しないと思った。しかし、やはり言われたことをできない。夏期講習も、参加して勉強したいのに、起きれない。勉強のできる男子が、私のことを批判して、本当に辛かった。詳しくは書かないが、彼の言動は何年もトラウマになり、私を苦しめた。結局学校自体の成績も悪く、偏差値も伸びず、私は浪人してしまった。

浪人時代

再び、眠い。勉強しようにも、様々なトラウマが蘇る。しかし、週2で予備校に通っていたものの、週5回毎朝起きて、学校に通うという習慣がなくなったのは良かった。予備校は夕方だったから。元々面倒くさがりな私が浪人で勉強するわけもなく、よくネットをやっていたので、家族から批判された。しかし、座ることさえ苦痛になった私が、せめて熱中できるのが、ネットと本だった。

英語の音読はとりあえずやっていたが、私が早稲田慶応マーチにも受からないことは明らかだった。そもそも、この状態では社会人にとしてやっていけるかさえ危うい。「社会人になったら大変だよ」「社会に出たらそんな事は許されない」みんな言う。今でさえ大変なのに、これからもっと大変なのか。私は、本を読んだり、知識を頭に入れることが好きだ。だから大学には行きたい。しかし、その先、働いたとしても、上手くいかないのではないか

いつでもベットと本があった浪人生活。こんな風に、生きていけたらなあ。

昔は大学卒業して無職で家にいる女性は「家事手伝い」と呼ばれ、それなりにいたらしいが、今の世の中だとそれでは「ニート」だし、聞こえも悪い。家族も私の将来を心配するだろう。

もう一つ、大学卒業後「家でゆっくりする」生活を手に入れるとしたら、それは専業主婦になることだ。そして当時、婚活、という言葉が流行り始めた。結婚できない女性が増えているらしい。そして、奥さんが専業主婦できるくらいの年収の男性も減っているらしい。ならば、早いうちに準備しなければ。稼げて、かつ、生涯を共にしてもいいと思えるほど愛せる人など、きっと何年かに一度しか会えない。私は、こんな私をバカにし、理解しない家族や、嫌な思い出のつまった家を早く出たい。新しい家族が欲しい。幸い、私はまだ若く、容姿も良い。私の最大の武器

志望校は、早稲田慶応も受けたが、もちろん撃沈し、あとは男ウケの良さそうな女子大を受けて、その中の一つに合格する。この頃から婚活意識して志望校を選んでいた。(本当は高学歴学校に受かるのが一番良い。優秀な男にたくさん出会えるから。)

大学時代

受かった女子大は家から遠く、やはり朝がキツかった。2限より前の授業に遅刻せずにいけたことなんて、数えるほどしかないと思う。お嬢様で育ちの良い女子大生たちは、ほとんど授業をサボらず、皆真面目だった。服も髪もメイクも、本当にみんな綺麗。その中で遅刻しがちで、寝ぼけた顔で大学に行くのが嫌だった。相変わらず、どうしようもなく朝が苦手だった。もう、遅刻することとか、何か色々言われるのが嫌で、大学ではほとんど友達を作らなかった。

サークルには入った。音楽が好きなので、軽音サークルボーカルギターをやった。先輩になってくると、バンドを組んで、バンドリーダーという立場にもなった。歌とギターが上手くなりたくて色々頑張ったこと、人前で大きな声で歌ったこと、ギターソロができるようになったことは自分の中で大きなプラス経験になった。ここで、念願の優秀な彼氏もできた。男子校育ちでモサかったので、そこは私が磨いた。彼氏にもメンタル的に支えてもらい、いろんな事に挑戦するようになった。飲食店バイトギターを習う。ボランティア読書会浪人してしまったが、やはり大学には行って本当に良かったと思った。

就活

大学3年生の終わり、就活の時期がやってくる。ここでまた、私の朝の弱さと先延ばし傾向が炸裂した。

まず、ESが書けない。面倒くさい。要領の良い人は、「一応受けとく」レベルの会社でも、さーっと書いてさっと出す。私は、書けない。やりたくない。夜、書こうと思ってPC開いたは良いものの、書きたくなさすぎて朝になる。会社説明会は4割くらい遅刻。自己嫌悪で自信がなくなり、また受からなくなる、できなくなる。

結婚の話もちょくちょく出ていた彼氏は、やはり私が就職しない、というのは嫌らしい。旦那の親から見ても、優秀な息子の彼女が就職できず無職というのは、今の時代恥ずかしいのではないか。優秀な彼氏にふさわしい妻になる彼女として、どうしてもどこかに内定をもらい、就職しなくてはいけない。

自分が、社会に対して何ができるのか。今まで、私が褒められた事を思い出す。私は容姿が良く、友達は少ないものの、コミュ力には問題ない。元気で礼儀正しいと言われたこともある。ブラック低賃金と名高いが、販売職で明るく物を売ることならばできるのではないか椅子に座ることが苦手だから事務職視野に入れなかった。

確かに、彼氏もこの世の中、彼女が一度も社会人経験なく専業主婦になる、というのも不安だろう。ある程度社会を知ってから結婚した方が良さそうだ。

最後の方は一ヶ月に一回、会社を受けるというペースで、私はなんとか販売職に内定をもらった。

販売職時代

数年前炎上したブログに、「社会底辺の人とは関わってはいけません」https://ameblo.jp/akky-0829/entry-12188216276.htmlというのがあったけど、販売職はまさにこういう世界だった。いや、このブログはさすがに極端すぎるけど、残念ながら、大方賛同できてしまう。私はここで、巷で噂される「若くて可愛い子に嫉妬して悪口を言うおばさん」を初めてみた。一日中、イライラしている大人を初めて見た。それでも、人が足りないからと言う理由で彼らは雇われているのである。私は遅番が多く、昼から出勤が多かったから、朝の弱さは軽減された。しかし、基本的ギリギリ出勤ではあった。基本、先輩よりも遅く来た。出勤が昼とはいえ、30分も早く売り場にいることが生理的に無理だった。ある日、私の評価をつける人が、「店の準備」の評価項目にCをつけた。毎日商品の埃を払ってフロスなどを熱心にかけているのに、なぜここがCなのか。上司に聞いてみると、ギリギリ出勤だからだと言う。おいおい、そういう準備も、規定就業時間の中に入っているんじゃないのか。ギリギリでも、時間内に来てるんだから、せめてBでしょ。会社に、強く不審感を抱いた。

一方で、私は働く楽しさも感じていた。私は、よく売れる販売員となったからだ。それは、私の容姿愛嬌コミュ力のおかげだ。また、商品提案のための勉強も進んでした。そして、若い私は男性社員からも気に入られた。しかしそこがまた、先輩から気に入られなかった要因でもあった。いじりとしても、先輩からキツイ言動が増えた。その頃からまた、私は心療内科に通うようになった。当初の予定通り、専業主婦になって辞めればよかったが、人手不足の中、辞めて良いものかわからなくなっていた。まだ若い私は、色々なことが経験不足で、判断がつかなかった。

色々あって、ああ、もう、キツイなと思った時、退職を考えた。このころあたりに、結婚した。職場に行くのもキツくなったときに、休職し、傷病手当をもらって辞めた。旦那に養われながら、傷病手当をもらいながら、ゆっくり休むことにした。この頃、ストレスでガリガリになっていたが、念願の専業主婦になる夢がやっと叶った。

専業主婦時代

本を読む。RPGのゲームをする。ジムに行って、身体を鍛える。ギターを弾く。散歩する。

ささやかな、やりたいことを色々やった。この頃あった友人に、「なんか綺麗になったね」と言われた。

しかし、念願の専業主婦になったにも関わらず、私の中にはある思いがあった。

「このまま、20代半ばにして専業主婦で過ごしていて良いものか」

他の同年代はみんな働いている。そして、私はどうも、仕事ができない方じゃない。子供を産んだら、子育て中心の人生だ。それで良いのか。私は、働けばお金になるのに。

そこで、転職活動を始めた。しかし、職歴販売職のみ20代半ば既婚、いつ妊娠するか分からない私はなかなか良い職に受からない。しかもここでまた朝弱いが発動、面接もしばしば遅刻してしまう。

やっぱり私はダメなのかな。

そう思った矢先、親戚の保険のおばちゃんに声を掛けられた。正直、保険営業に良いイメージはなかったので断った。しかし、給料も販売よりずっとよく、女性が働きやすい環境で、福利厚生もしっかりしているという。とりあえず、面接だけは受けてみないか。そう言われ、とりあえずで受けに行くと、トントン拍子で面接が進み、あっさり合格。保険営業には抵抗があったが、他に受けた企業よりは条件が非常によかったため、挑戦してみることにした。

保険屋時代

最初は、毎日16時帰りで研修をした。保険についての授業を受ける。保険を売るための試験に受かったら(みんな受かる)いよいよ営業活動である

相変わらずのギリギリ出勤だが、このころ、やっと安定して朝9時の出勤時間に間に合うようになる。20代も後半に差し掛かり、やっと。

しかし、本格的に営業が始まると、やはり体力的にキツかった。荷物も重い。大抵の保険屋の女の人は、バッグを二つ持っている。一つは財布やポーチなどを入れるバッグ、一つは資料お客様の提案書など、書類を入れるバッグだ。自分が保険屋になると、他の保険屋が分かるようになる。保険屋さんって、いっぱいいるんだなあ。

1週間のうち1日は、出勤だけして、疲れて何もできない日があった。そう言う時は、カフェ図書館時間を潰して、適当報告書を書いて一日が終わった。情けないけど、この一日があったから、私は今まで続けられたと思っている。

数字の方だが、私は順調な方であった。しかし、その順調な数字も、多少無理して働いた結果であった。週1日は休む日を作っているとはいえ、疲労でキツイ日も多かった。それでも、1年は続けようと思った。保険営業でやっていけたら、他のこと何でもできるような気がした。自信がつくと思った。確かに1年は、私は頑張った。しかし、段々とまた、身体が弱っていった。風邪を引きやすくなったり、頭痛や腹痛も増えた。

私は愛嬌保険を売っていたと思う。愛嬌で近づき、仲良くなり、アポをとり、上司が提案する。しかし保険知識があるかと言われると、あんまりだ。形が見えない商品は、イメージしづらく、正直あんまり興味が持てない。飛び込みも、営業先の企業で知らない人を呼び止め名前と生年月日聞くのもキツくなってきた。

この仕事を続けて2年。同じ時期に入った同僚が半分以下になる中、私はよく頑張ったと思う。

今月、私は上司退職したいと申し出た。

最近は会社も休みがちになってしまい、今日も会社を休んでこの増田を書いていた。

私が今、会社を休みがちになってしまったのは、朝弱いにも関わらず、無理矢理にでも9時に出勤し続ける生活をして、また壊れかけてしまったのだろうなと思っている。

はいだって、他の人とは違うと言うコンプレックスに苛まされていた。普通になりたい、普通になりたいともがき続けた。一日中、寝っ転がって本を読むような生活だってしたかった。でも、誰かの役にも立ちたかった。いろんな思いがグルグル回って、色々やり続けた。

私は今、27歳。昔よりは色々落ち着いて、大人になった。自分のこともよく分かった。

ひとつ、これはもう辞めようと思ったことがある。それは、週5のフルタイム労働だ。体力的にキツイし、学校でも、会社でも、週5で何かして良い結果を残したものはない。幸い、旦那高収入から基本的には週5でフルタイムで働くことはなさそうだ。しかし、人生何があるか分からいから、お金を稼ぐ手段は手に入れたいと思っている。

いや、それにしても、私は生きてきた。思うに、色々やっていれば、人の能力は年々高まって行くものらしい。朝9時出勤も、ずいぶんできるようになったし、寝つきの悪さもかなり改善した。仕事終わりにササっと美味しい手料理を作り上げた日など、旦那からはあまりの変わりように「お前は誰だ」と言われたものだ。

欠点があっても何とか色々頑張ろうとがむしゃらに生きた結果、今があるのだと思う。

誰がこの増田を読んでいるかからないけど、読んでくれた人、ありがとう


【追記】

書いた当初、自分としては力作に関わらずあんまり反応がなかったので、残念な気持ちになっていたのですが、昨日夜見たら色々反応があって嬉しかったです。

反応をいただくのは何でも嬉しいですが、「読んでよかった」「人の半生は面白い」「頑張ったね」などの言葉は特に嬉しかったです。

ありがとうございます普通の人が普通にやっている事が私にはとても辛く、例えできたとしても世間では「当たり前」ですから、自分が頑張っていることが認められていない気がしていたのです。本当に、ありがとうございます

元増田が能力が高い、勝ち組、若くて容姿の良い女はイージーモードだと言う声について

まずは、ご意見ありがとうございます

あの記事は、また会社を休みがちになってしまい内面的にもグダグダになり、誰かに自分がADHDであり、朝が弱く、辛い人生を送ってきたと言うことを誰かに急に吐き出したくなり、衝動的に書いてしまったものです。

匿名ダイアリーからこそ、自分は実は発達障害で〜などと秘密にしていることも話せるように、「私は若くて容姿が良い」など、現実世界ではちょっと言えないようなことも吐き出すことができます。普段人に言えないようなことがかけるからこそ、魂の叫びのような記事を読めるのも、増田醍醐味だと思います

知り合いには誰にも見せない日記から、私の良いところも、悪いところも正直に書きました。日本謙遜する文化から、はっきりと「私は容姿が良い」などかくと、自慢に聞こえてしまったかもしれませんが、私の人生を語る上で、これは重要ファクターでした。

正直、私は発達障害者にしては恵まれている方だと思います。しかし、これはあくまで「発達障害の中では」と言う話であり、やはり人一倍辛い人生を送ってきました。

この記事コメントにも死にたい、とありましたが、死にたい、と思って死ねる人なんてほぼいないと思うのです。私は小学校低学年の時から死にたかったですが、結局、人間苦しくてもよっぽどのことがあっても死ねないのです。死ねなかったら、生きるしかないじゃないですか。それも、なるべく苦しくないように。

から、私は自分が持っているものを、最大限使おうと思いました。その事実を書きました。

自慢したかったのではなくて、「そうやって生きてきた」と言いたかったのです。

あと、ちなみにイージーモードではありません。

美人からと言って何でも許される訳じゃないんです。

それに、遅刻はするわ色々ミスするわなのに、「可愛いから」もしくは「イケメンから」という理由でモテてたり、かわいがられる同性の同僚がいたら、ちょっと嫌じゃないですか?なんか悪口言いたくなりませんか?私だって、そんな人が周りにいたら、少し黒い感情が湧きます容姿の良さが仇となることもあるのです。

・そこまで朝弱いのは起立性調節障害や低血圧では

血圧は十代のころから低めでしたが、目立って低い訳ではありませんでした。

大人になって、疲れやすいと言うことで甲状腺の病気を疑い、検査したりしたのですが、結果は到って健康でした。正直、体のどこも悪くないのです。

しろ今の会社の上司が、女性営業職10年と言うことでかなりバリバリ働く人なのですが、健康診断の数値で低血圧で引っかかっています。しかし、普通にバリバリ働いています。本人曰く「気合い」だそうです。体の色々な数値よりも、結局「気」と言いますか、生命エネルギーのようなものの方が大事そうです。私には、それが足りないようにも思います

起立性調節障害については確かに、十代の頃、親が調べてくれればよかったな。。。肝心の母は私が朝全然起きれないことを母の母(つまりおばあちゃん)に愚痴ってた。。。私が発達障害な事もあんまり認められない感じだったし。父母共に優等生だった故か。もう過ぎた事だけど、書いてて悲しくなってきたわ。もうフルタイムでは働かないって決めたから、もう治療する気もないけど、子供の時に親がもっと色々やってくれればと言う思いは確かにある。学校が辛くても、せめて家庭だけでも私を受け入れてくれたら。子供の時の記憶は、悲しい事ばかりです。

・朝の時間を守ることを以上に重要視するせいで道を踏み外す人が結構いると思う

私もそう思いますそもそも人には色々リズムがある訳で、全員朝9時出勤と言うのも無理があると言うのも同意です。遅刻する人に対する嫌悪も、「自分は周りに合わせてこの時間に来ているのにお前はゆっくりしやがって」という嫉妬なのかもしれません。

あと、大学の授業でやったのですが、日本人はとても均等性を重視するのだそうです。なので、その観点からも、遅刻をする人は「均等を乱す」ため、好かれないのもしれません。

・朝起きれないのは自己肯定感の低さが原因だった

自己肯定感が低いと、全てにおいてレベルが下がりますよね・・・私も、旦那暮らしから急速に成長したように思います。これから私はしばらく子供も作らず好きに生きる予定ですが、それは自分の自己肯定感を上げるために、必要な期間であるように思います

・小規模な会社なら増田の働けるところがあるかも

そうですね・・しかし、周りの人たちに聞きますと、大企業より中小企業の方がブラックなところが多いようで、就職先として探すのは尻込みしてしまいますコメントをくれた方は人を雇う立場なんてすごいですね。何かのご縁があり、あなたのように寛容な人の元で何かしら活躍できればそれはとても素晴らしいことだと思います

2017-11-25

自分を偽って彼女を作った。

タイトル結論自分語りだ。読まなくても良い。

たぶん、オチもない。

高校大学とずっと振られっぱなしの人生だった。

人と話すのが上手じゃないのに、性欲だけは人一倍

惚れっぽいからすぐに好きになって告白しては玉砕

ちょっと可愛い子であれば簡単に惚れてしまものから

周りの女性から

「こないだは○○ちゃんが好きだったくせに、もう××ちゃんに告白している」

と、評判は最悪中の最悪だった。

女子の噂はすぐに広まるのだ。

頭を掻きむしり、悶えてみても失恋は繰り返すばかり。

の子なら付き合ってくれるかも?

セックスできるかも?とランクを下げてみても、

だれにも相手にされない青春を送った。

自分の美醜を呪い、整形する費用までバイトで貯めてみたが

結局勇気がなくて手術はできず、

恋愛工学に手を出してみては、益々もって女性に嫌われた。

就職活動東京にある某IT系会社に潜り込んだ。

田舎大学出身自分には、びっくりするくらい

綺麗な女性ばかりの職場

右見ても、左見ても綺麗な人ばかり。

仕事で話してお願いされるだけでも胸がときめいた。

会社部活動も非常に盛んで、自分ボードゲーム部に入部した。

楽しい飲み会女性ゴミカスのように見られていた過去自分

ここにはいなかった。

俺は、入社する前に心に誓ったことがあった。

「どんなに心がときめいても会社女の子告白しない」

「優しい良い人な同僚として、性欲を徹底的に隠す」

ということを決めた。

もう二度と女性からまれるような目で見られるのが嫌だったから。

ボードゲーム部はインドアの遊びをするだけではなく、

脱出ゲームをみんなでしたり、イベントにいったりする

結構アクティブ部活だった。

飲み会も多く、俺は自然とそのメンバーの中に溶け込んでいった。

半年を過ぎたころ、A子という新しいメンバーが入った。

A子は中学のころ初めて好きになった子にそっくりだった。

松井玲奈のようなアーモンド形の目をしていて、

笑うと溢れる八重歯が、とても可愛かった。

俺は一瞬で恋に落ちた。

いや、正確に言うと会社の他の人も好きになったのだけど、

彼女は違った。もうどうにもならないぐらい、

身体が熱くなるのがわかった。

毎日しかけたり、LINEを送りたい気持ち我慢して

先輩として振る舞い続けた。

なんども夢に彼女が出てくるほど、俺は虜になっていた。

それでも、告白したら彼女から虫けらのように見られると思い、

死ぬ気で食いしばり、他の人と変わらないように接した。

毎週1回の活動日以外は、個人的な連絡は絶対に送らない。

チームを組むときは、その子と組みたがるような素振りを出さない。

目で追いかけすぎない。

部活の前は、俺はあくまで素敵で優しい先輩だと、

彼女に会う前にトイレ自己催眠をかけてから向かった。

ある休みの日、部長の自宅でボードゲームをすることになった。

部長の奥さんと子供がちょうど実家に帰っているということで、

からまり夜8時くらいまで、ひとしきり遊んだ後、

部長手料理飲み会が始まった。

今日ゲーム反省やなんだかんだとワイワイしていたら、

あっという間に時間が過ぎ、遠くの人たちは終電で帰って行った。

家が近く、お酒も好きな俺、A子、A子の友達部長の4人が残った。

どうせタクシーでも大した金額じゃないから、

2次会をこのメンバーでしようということになった。

お酒が入れば色恋の話がはじまる。

最初部長結婚の馴れ初めなどを聞いていたが、

俺に番が回ってきた。お酒を相当飲んでいたが、

それでもA子の事が好きだということは言わず

「ずっと彼女はいないんだよね」

とだけ伝えた。

A子は

「へー。そうなんですね。意外ー。優しいかモテそうなのに。」

と言って「私も半年前に別れてから居ないんですよね」と言った。

俺は、元彼との別れ話など全く聞きたくなかったが、

表情に出ないように、必死で相槌を打ったりしていた。

深夜1時を回っていたと思う。

見るとA子の友達ソファーで寝ていて、

それに気づいた部長は「毛布もってくるわ」と部屋を後にした。

その刹那

増田さん好きー」

とA子が抱きしめてきた。

俺は何が起こったのか全く理解できなかった。

酔っ払って、抱きしめ癖のあるのかなと思った。

いや、それにしてもメチャクチャ甘い匂いがする。

しんどいくらい股間が硬くなって、

もうクラクラして意味がわからなくなった。

(今思い出しても夢なんじゃないかと思ってる)


「え?まじで?」

と俺が間の抜けた返事をすると、

だって増田さん私のこと好きでしょ」

と言ってきた。俺は死ぬほど好意がばれないように

皆と同じように接してきたつもりだったが、

A子には筒抜けだったようだ。

「私も好きだよ」

とにっこり笑って、キスをした。

俺はファーストキスだった。

その日は、友達を送るといってタクシーで二人は帰って行った。

俺は部長好意で朝まで停めてもらった。

翌朝、やっぱり夢だったんじゃないかと思って携帯を見たら

おはようLINEが来てて、現実だと認識した。

それから初デートで俺らは付き合い始めた。

後々聞いてみると、俺のA子への態度は他の人へのそれと全く違ってたそうだ。

それでも一生懸命紳士的に接してくる姿に胸を打たれたらしい。

もし、恋愛で誰かを好きになってしまったら、

かっこいい上司、素敵な先輩、物分りが良く理解の早い後輩など、

好意を持ってもらえる役を演じると良いと思う。

奥歯が割れるのではないかと思うほど、性欲を堪えて本当良かった。

2017-11-19

私には、仕事がある。

だけど、それに付随した同行業務何となく続いている。

車で送って言われて車を出して助手席に彼を乗せ、運ぶ。

ご飯食べよ、って言われたら一緒に食べて、誘われたらカラオケにも付き合って。

彼の奥さんの手料理を一緒に食べたこともある。

  

たまに、家に送り届けて旅行の準備も手伝って。

新幹線の乗り継ぎや飛行機ホテルの手配。

報酬は変わらない。

だけど、一生懸命にやらなきゃ契約継続されない。

普通だよね。

  

別に、いい男を紹介して貰えるわけでもない。

それなのに、君もいい年をしてるんだから結婚するしないは自由だけれど、子供だけは産んでおけ。出来れば40手前なんて、言われる。

  

彼と彼の部下とも一緒に、会社研修を受けたこともあった。

ハラスメントコンプライアンスの件だ。

オンラインでも、オフライン講師から説明も聞いた。

  

彼は、自由特殊から、変化は望めない。

他人の考えなんて、半日ぐらいの外部講師研修で変わるのだろうか。

  

彼の部下が、一人。

私も仲良かったけれど、体調崩して、お休みすることになってしまった。

総務・人事の方に報告をして、彼からハンコを貰って。

お元気でって、メール書く。ゆっくり休んで下さいねって。

  

そしてまた、彼の部下が復帰すると、また、別の人が休職

そして、今度、3月には同時に3人の人が辞める。

契約社会から

  

今いるポジションよりも、上に上がるのでオメデトウの人もいるんだけれど、なんとなく、いつの間にか、辞めることが決まっているしてる人もいる。

ちょっと淋しいけれど、新しい人も受け容れることになるよ。

  

権限で、一人の人間によって、簡単に人は切れないけれど。任期制職場だと、ああ契約終わりなので、と言われて終わる。だから一見するとしかるべき手続きを踏んでいるので何が彼の周りで起きているのか、考えているのかって見えてこないよね。

  

私は、契約を切られたくないから頑張るよ。

頑張ってるよ。普通ものね。社会人なら、これくらい。

2017-11-14

anond:20171114161457

わかるよー。

うちは母親のみがいつも体がカッカと温かくて血色がよく、冷えや肩こりとは無縁の体質(更年期?)。

母の作る食事はいつも妙に冷える料理ばかりで

決して不味いわけではないんだけど、母の手料理が実は苦手だった。

冷え性の父も稀に食事を作るんだけどそっちの方が口に合ってた。熱々の肉うどんとか。

実家にいた頃は慢性的にだるくてやる気のない自分だったけど

家出自分好みの自炊始めてからはすこぶる体調が良くなった。

体質による食べ物の好みの違いってあるよね。

2017-10-29

人生で初めてセフレができた話

皆さんにはセフレいたことはあるだろうか。

私にはいたことがない。正確に言うと、数週間前まではなかった。


先日職場の後輩Yとたまたま恋愛の話になった。彼女は同僚の男性半年ほど片思いをしているらしかった。

そして、それとは別にセフレがいることを教えてくれた。

「お互い好きにはならない」という約束で、付き合わずセックスだけする関係

Yはそのセフレについて、セックスの相性がいいだけでなく、顔がかっこいいことや自分が唯一素を出して甘えられる存在であること、そしてセフレという関係がとても便利であるということを語ってくれた。

私はその話を聞きセフレも悪くないとは思ったが、自分には縁のない話だと感じていた。


今月の初めごろに職場飲み会があった。私はいつになく酔っ払ってしまい、あっさり終電を逃した。

二次会が終わる頃には私以外の女性は皆帰ってしまい、最後に残ったのは男性数名と私だった。

その日の飲み会職場の近くで行われていたが、私の家は職場から遠くとてもタクシーで帰れる距離ではなかった。

私は近くに住む友人に泊めてもらおうと連絡をとろうとしたが、一つ下の後輩Aくんが泊めてくれると申し出てきた。

男性の家に泊まるなんて…と思ったが、Aくんはおっとりとして優しく、とても夜中に襲ってきそうなタイプには見えなかったので(あと酔っていて判断力も鈍っていたし正直友人に頼むのも面倒だった)、泊めてもらうことにした。

彼の家で寝る前におしゃべりしていると恋愛話題になり、酔っていたからか話が発展してどんなセックスが好きかという話になった。

やけに盛り上がり、Aくんが自分の好きな体位説明するため私にポーズをとらせたりしてふざけているうちに(まあ予想はつくと思うが)本当にセックスし始めてしまった。私の予想に反して彼は情熱的で、普段のおっとりとした様子から想像もできない激しいセックスに驚いた。

そして私は彼にハマってしまい、結局その後も数回彼の家に行ってセックスしてしまった。

1回目はうっかりしてしまったという感じだったが、2回目からはお互い「セフレ」として認識していたと思う。

初めてできたセフレに、正直私は浮かれていた。Aくんは見た目もなかなかイケメンセックスも最高に上手だった。

それだけでなく、二人で会う時の彼は職場で会う時よりもユーモラスで親しみやすく、話していても楽しかった。

そして家に行く度おいしい手料理を振舞ってくれるのもかなり気に入っていた。


Aくんの家に3回ほど行った頃に、例の後輩の女の子Yと男性の先輩と3人で飲みに行くことになった。

職場の話をする中で時折Aくんの話にもなったが、私は彼との関係がバレないよう慎重に会話した。

その後、恋愛における男女の違いの話になった。話しているうちに議論ヒートアップし、先輩が女性2人と男性1人では意見バランスが悪いから誰か男性を呼び出そうと言い出した。

そこでYがAくんを呼ぶと言って彼に電話をかけ始めた。

目の前でYがAくんと電話で話すのを見ていると、何か違和感を感じた。

YがAくんと仲がいいのは前から知っていたが、何の躊躇もなくいきなり電話をかけられるものだろうか?

彼が近所に住んでいるとはいえ、22時を回った夜中に今から来いという電話を。それも先輩に言われたわけでもなく自ら進んで。

そしてなにより、話し方がやけに親しげ…というか甘えている。

私は突然ピンと来て、先輩に少しだけ席を外してもらうようお願いした。

電話を切ったYに私は聞いた。

「あのさ、Yちゃん、Aくんと…した?」

「え?えっと……はいしました」

「前に言ってたセフレって、Aくんのこと?」

「えへへへ、そうです。なんでわかったんですか?」



 セ フ レ か ぶ っ て た 。



その瞬間私の脳内で数々の記憶フラッシュバックした。

仕事中、数分間だけ席を外して戻って来たYが「今日セフレと会うことになりました」とこっそり私に伝えて来たこと。

職場女性の中で誰がタイプかという話をAくんとした時、どう見てもかわいい部類に入るYについてAくんが「かわいくない」と評して不思議に思ったこと。

AくんがYの片思い相手について「Yちゃんが○○くんのことかっこいいって言ってた」とうっかり私に言ってしまい慌てていたこと(その時私はすでにYから聞いていたが知らないふりをした)。

その後私がYに、Aくんが彼女の同僚への片思いに気づいていることを伝えた時、Yが特に驚いた様子もなく「Aくんにはけっこう色々しゃべってるんです」と言ったこと。

そしてついさっき、飲み会の途中、Yが「Aくんは料理が上手だから」と言っていたこと。

すべての点が突然私の頭の中でつながり線になった。

AくんはYとも私ともセフレ関係を結んでいたのだ。



その後飲み会が終わるまで私がまったく会話に集中できなかったことは言うまでもない。

2017-10-16

美人で透明感のある美乳で華奢なボブが似合う声が可愛くて文化部系の気が利くけどおっとりして天然で人見知りだけどちょっと変態カメラ料理趣味のお姉さん的な彼女がほしい

休みの日は彼女手料理食べて、カメラ持って散歩して、彼女かわいい顔ばかり撮影して、「また私の事撮ってるの」とか言われてふざけあって、お家に帰ったら、まったりいちゃいちゃして、そのうち彼女物欲しそうに変態プレイだってくるので、そのままヤっちゃう

って妄想をして、自分キモすぎて我に返ったアラサー童貞であった

この世から料理なんてなくなればいいのに

息子ができてから、妻の機嫌が悪くなることが増えた。

あれほど穏やかだった妻ですらこうなるのだから子育てとはかように過酷ものなのかと実感する。

日常の様々なシーンの中で、特に私が気を使ってしまうのは食事の時だ。

家事育児に追われ、時には子供の泣き声をBGMにしながら、それでもなるべくきちんとしたものを貴重な30分や1時間を費やして用意してくれる。

それは本当にありがたいと思っているのだが、私は食べるのが比較的早いほうで、作るのにかかった時間の何分の一の時間食事を終えてしまう。

できるだけ感謝気持ちは表すようにしているつもりだが、それでも体調が万全でなかったり子供の世話がいつもよりかかった日などは、

こいつ私が大変な思いをして毎日作っているのを当たり前のような顔して平らげやがって、と思われていないか不安になる。

でも私としては、それを妻に強要しているつもりは一切ない。

いくらでも手抜きをしてもらっていいし、何なら毎日手料理でなくとも構わないとも思っている。

そもそも食事とは単なるエネルギー補給手段であって、呼吸や排泄と同じように、生きるために必要不可欠だから仕方なくやっていることではないのか。

動物だって、肉食なら狩りのために動く必要があるが、獲物が手に入れば後は肉を食らうだけだし、草食動物はそこら辺に生えている草をのんびり食べて生きている。

なぜ人間けが、わざわざ余計な時間と労力をかけて調理などというまどろっこしいことをして、そのために心の余裕を失わなければならないのだろうか。

そのことが私はいつも不思議でならない。

からしばらく前に、カプセルを飲むだけで栄養源が取れて食事をしなくて済むソイレントという画期的商品が出てきた時は本当に心が踊った。

そういうものがあれば、私たち食事を作る手間と片付ける手間が省ける上に、消化に無駄エネルギーを割かなくても済むようになる。

それが人類スタンダードとして市民権を得ていけば、日々料理に拘束されている膨大な時間を開放することができ、まさに革命的な出来事になるだろう。

まだ商品としては不完全なようだが、今後の開発が進んで実用的なものになってくれることを待ち望んでいる。

そうなれば、料理なんてものは好き好んでやりたい人間けがやるような高尚な趣味に置き換わっていくはずだ。

レシピを考え、必要食材吟味して調達し、それを加工するための器具を揃え、熱や電気を使い、時間をかけて調理し、きれい盛り付けテーブルに並べ、食べ終わったら後片付けをする。

しかも、この一連の膨大な作業は、料理スキル一定以上なければまずいものが出来上がるだけで全て無駄になってしまう。

冷静に考えて、日々生活の上で必ずしなければならないこととして、料理はあまりにも過剰な負担と言うべきなのではないだろうか?

最近はクラシルなどという新しい動画レシピサービス広告を見るが、あんなに楽しそうに料理ができる美人主婦なんて空想上の生き物、完全にファンタジーだと私は思う。

なのにどうして私たち料理から離れることができないのかと言うと、それが社会通念上健全日常生活の一風景として規定されているからに過ぎない。

しかし、時代が変われば暮らしも変わる。

今は昔のように、男が稼いで女は家のことを黙々とこなすという生活様式ではなくなった。

から私たちの考え方もそれに合わせて変えていく必要があるのだと思う。

例えば料理スキーと同じように考えてみればいい。

わざわざ寒い冬を選び、高速を飛ばして都会から離れた山まで行き、年に数回しか活躍の場がない用品の手入れをして、お金を払ってリフトに乗り、怪我や最悪遭難、転落死などのリスクを抱えながら、わずか数分の滑走を楽しむ。

興味のない私からすると、準備の困難さから時間の経過まで、まるで料理みたいなもんじゃいかと思ってしまう。

そういうことを、私たち日常生活の中に組み込んでおく必要性がどこにあるのだろう。

人間が生きるために必要なのはエネルギーであって、料理のものではない。

美味しいものが食べなくなったらレストランに行ってお金を払えばいい。

そういう考え方が広まれば、生活がずっと楽になると思っているのは私だけだろうか?

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