はてなキーワード: 反省会とは
盆休み最高だった。
某所でNNしてきた。
NF後のNN。
しかし2回ほどスルーして見た目がめちゃめちゃカワイイ嬢のところに入った。
22歳で化粧濃ゆいがめっさ可愛かったんだが、某所は始めてだったので緊張してあまり喋れなかったので、楽しいあれには至らなかった。
可もなく不可もなく、オレが気持ちよく終わっただけだ。
その後反省会→友人と一緒にウロウロする、を1、2時間して、いざ帰るところだったんだが、
あまり楽しめなかったのと、ビビッときた嬢のところに入っていないという心残りがあり、
途中で引き返したところ
いるではないか!
「いたら行く、いなかったら清く帰る」
これを決めて向かっていたので半ば奇跡だ。
何度かスルーしていた時は「おにーさーん!!はーやーく!きーて!」とすごい必死っぷりだったので
「ん・・そんなにお前人気無いのか・・・。」と思っていたが、多分俺のことを気にってくれていたのだろう(脳内お花畑)
この思い出は忘れないだろう。
ありがとう姫よ。
(後で読み返したら気持ち悪いことこの上なしだろう。)
(病気になっていないことを祈るよ)
あの大阪の某所でNNした。しかも嬢から。これは武勇伝だろう。
「ずっと待ってたんだよー!交換もあるから表に立てないこともあるし!」「おれもずっと行こうと思っていたんだよ」
(あれ・・・?NFしてくれるんだ・・・。ん!NSでもOK!?・・・やや!!NNでもいいの!!!!)
いい思い出をありがとう!!大阪!!エロい愛情表現だと思って受け取りました!!また行きたいな!中の人ってこの投稿から個人特定できるのかな!やだな!!!
今回の抜k……見どころはオッパイとロリです。……今回“も”ですね。
青葉ちゃんの下着姿を拝めるシーンがあるんですよ。
彼女の胸、よく発育しておりました。
巨乳、いや適乳とでも言いましょうか。
豚さん向けに誇張されたオッパイではなく、リアリズムに徹した乳です。
しかしですね、制服もといスーツ姿の彼女からは窺い知れない大きさなのですよ。
青葉ちゃんに負けず劣らず幼女でして、まるで前述の乳損失を埋め合わせるようなロリ要員です。
二人は一緒に映画を観に行くのですが、映画館の人に子ども扱いされたり、観客のチビっ子に子ども扱いされたり、二人で互いを子ども扱いしたり、激しいローティーン推しが続きます。
最近、アグネスの名前聞きませんね。おい、生きてるか? どうして都知事選出馬しなかったの?
青葉にちょっぴり難しい仕事が振られ、彼女の成長譚のような小話があります。
非ロリコンで、ブラを見せられても下半身が動じなかった紳士たちなら記憶に残るくだりかと。
具体的にどんなエピソードか? よく覚えてませんね……
あぁ、「がんばるぞ」っていうセリフがあったあった来た見た勝った。
「ぞい」ではないぞい。
学生気分が抜け、青葉ちゃんは社会人として一歩成長したのでしょう。ネタの鮮度を見極めての“卒ぞい”ではないと信じています。
可愛くない。KAWAIKUNAI.
漫画版のキュートなフォルムは少しも見受けられなくて、誰得な下半身デブのクマさんなんですよ。
ヤヴァいよ。
二児の母。人との会話が本当に苦手。
世間話をするのも話題を探すのにまず疲れる。相手にあった会話をパッと思いつかない。そして話が続けられないことに疲れる。
会話をしていても、自分がパッと思いつく返答はどうもズレているらしく、おかしな顔をされることもよくあるので、自分の返答がちゃんとしているか、ズレてないかが気になって気が気でない。
会話しながら食事なんていうと、会話で精一杯で、食事の味がわからない。
そして、相手と別れたあとは、自分の対応を思い出してひとり反省会。ダメなところばかりが思い出されて自己嫌悪ばかり。
最終的にどっと疲れる。
特に保育園ママとのお付き合いに神経がすり減ってしょうがない。
これまでは仕事に忙しくしていて朝早く夜も残業で遅いので、ママたちとは顔をあわせることが少なく、挨拶程度しか交わしてこなかった。
でも最近二人目を産んで育休に入り、いろんなママたちと園や習い事で顔をあわせるようになった。
保育園ではそんなに情報交換しなくてもいいけど、小学校になると持ち物や学校行事の対応など何かと情報交換が必要と聞くし、母親同士の付き合いが子供に影響してはいけないので、子供のことを思うとママ付き合いをあまり無碍にもできない。
赤ちゃんを育てる大変さより、今はこのことがかなり自分のストレスの多くを占めている気がする…
人付き合いがうまくなりたい。
せめてズレておかしなことを言うのをなんとかしたい。
ストーリーぶれ杉内。ピントぼけぼけのトイカメラクオリティーですよ。
ワンテーマに絞るのは作劇の基本じゃないですか。
A・Bパートそれぞれで別の対象にフォーカスすることはあっても、物語の構成要素を4つも5つも盛り込むのは瑕疵というほかありません。
冒頭ははじめと青葉がWelcome to ヨドゥバシカメラする話です。
ボーイッシュなはじめの可愛らしさが中心に描かれるかと思いきや、アニオタ媚び媚びの青葉のあざと可愛いカットが何度も挟まれます。
どちらかのキャラを中心に据えるべきでしたね。
というか、あまりにも青葉が父性くすぐる幼女キャラ全開なので、はじめが噛ませ犬化してて号泣してしまいました。
はじめ&青葉の掛け合いのあとは、ゆんのお話に移るような移らないような。
コウとはじめが職場のエアコンの温度を乱高下させるなか、唐突にゆんが「痩せなきゃ」とか言い出すのですよ。
むっちゃ腰くびれてるし、ぷにぷにの二の腕が気になると言われても長袖で隠れて見えないので豚さんたちとしてはリアクションに困りますしおすし。
で、何をとち狂ったのか「エアコンの設定温度を上げれば汗かいて痩せられる」と思い温度を上げ、コウに怒られます。
次に続くのはコウにまつわる話。
コウがかつては寡黙だったこと、以前から仕事に全力で取り組んでいることが主としてりんの口から説明されます。
寡黙だったことは初出ですが、だから何という感じで他のエピソードに繋がるような展開にはなりません。
しかし上述のように各キャラのネタてんこ盛りで、この場面でもりんの惚気が発動したり、直後からひふみんの快進撃が始まったりでコウのキャラクターが印象的に表現できているとは言えません。
今回、彼女の出番はほとんどないのですが、ラスト数分でアフターバーナーを最大出力で吹かし、いきなり中心的な存在になります。
コウの知られざる(知ってるよ)人となりが明かされたあと、私も(?)イメチェンしようかなとひふみんが逡巡し始めます。
それだけです。他のことはしません。
この手の超展開に疑問を感じてはいけません。
何度でも声を大にして言いますが、日常系・空気系と呼ばれるジャンルの作品はとにかくおにゃの子が可愛く描ければそれでいいのです。まんがタイムきらら空間というのはそういうものです。
短い尺の中で赤面、困惑、笑顔、驚き、長門的無表情というふうに、ひふみん好きの前立腺を十六連射するようなサービスカットがサブリミナルされます。
出せば必ずオタクが喜ぶキャラなので、今後もストーリーとは全く関係なしにバシバシしこしこ登場するでしょう。円盤を売るぞい。
第5話の猛省箇所は以上です。
ええと、すばらしい場面が一つだけありました。
はじめと青葉がヨドゥバシでお買い物するシーンですよ。
背景が必要以上に書き込まれてまして、誰か特定人物の執念を感じます。
観る人は常に視線が背景に吸い込まれ、時折りアグレッシブに攻めてくる青葉の可愛らしさに気を取られているうちに、いつの間にかお買い物が終わってるのではないでしょうか。
やっぱりはじめは当て馬だったんだよ南無南無。
もう薄い本が厚くなって、二人が主人公の公式スピンオフ作品が爆誕してもおかしくないレベルでLGBTしてます。
第1〜3話までが登場人物と物語舞台の紹介、そして今回から各キャラクターが順繰りにフォーカスされるんですかね?
今期ナンバーワンオナペットひふみんの回がわたし気になります!
既に前回まででも、下半身にクルひふみんのシーンがちょくちょくありましたが、商業主義とオタの俗情がバーストリンクしちゃうのかな?(ゲス顔)
コスプレ衣装購入という全く隠す気のない伏線が出てきたので、きっとまたひふみんでシコれるぞ安心しろお前ら。
すいません取り乱しました。
話を第4話に戻し……ません。
まんがタイムきららを煎じ煮詰めたような作品なので、もうこれといって語るべき内容ゎなぃょぅ。ストーリー? そんなもの犬にでも食わせておきなさい!
前述のレズカップルは温泉と岩盤浴キメてるし、幼女も姫もオナペットも社会のぬるま湯でふやけきってる(剣振り回してる娘はよく分からん)。
もうプライベートで何度も言って盛大にオタ友を失くしているんですが、私は労働に蹂躙されるおにゃの子が見たいのですよ。
これ読んでる同人作家さん、夏、間に合わないなら冬、もしくはオンリーイベントでお願いします。
たぶん常識的に考えれば竿役は職場の男やゲームユーザーなんでしょうけど、裁量労働制で頭おかしくなっちゃったキャラが破廉恥極まりない所業に奔るみたいな話は描けそうじゃないですか。描けますよ。描いてください。
もう今回公式でショーツ姿のコウとりんが愛情を確かめ合ったのですから、あと一枚脱ぐくらいエロ同人ならわけもないはずです。その折はひふみんでよろしこ。
婚活パーティーに参加。当然無理だろうが、だいたい自分のレベルが分かるはず。
ここで女と仲良くなるのは難しいだろうが、男同士なら、普通に飯とかいけるんじゃなかろうか。
②モテない男同士でなかよくなる
飯でも食いにいって反省会。できれば共通点なんか探して趣味で盛り上がれれば。
③街コンへ
酔ったあたりで「出会いないですよねー街コンなんてどうなんですかねー」とモテ無い友達に話題振る。そして街コンへ。
街コンってのは、どうやら2対2の合コンをしまくる感じらしい。これならいけるんじゃないか?
モテ無い同士で行く。
街コンで出会った女の子から経由で合コンとかどうかなー。俺医者だから、医者合コン呼べるよーみたいな感じ需要ないかなー。
④友達の紹介
まとめると、女とイキナリ知り合うのはハードル高い。
HAARPのことを何で報道・放送しないのかと言っている人がいたけど、イッちゃってる陰謀論者をわざわざ煽る必要はないだろう。
もしも「人工地震 HAARPとは?」なんて解説する夕方のニュースなんかが流れたら、たとえ陰謀論だと解説する内容だとしても人工地震陰謀論者界では大盛り上がりになるだろう。
人工地震陰謀論者A「おい、マスコミが人工地震のことやってるぞ!!」
人工地震陰謀論者D「マスコミの扇動には乗らないぞ~」(ワクワク)
人工地震陰謀論者E「放送終わった。。。反省会するぞ!!マスコミの偏向報道を検証だ!!!」
こんな風に、彼らは全力で反応してくれるだろう。
「キチガイ」という言葉が放送禁止用語になったのは、テレビの前のキチガイが俺のことかと暴れるからという話を聞いたことがあるが、それと同じだろうな。
昼を食べるタイミングを逃しつつ、ジム帰りの空腹を抱えて駅前のガストに飛び込んで、オムライスを食ってるんだが、目の前の四人掛けのテーブルで、説得口調の男が朗々と話しているのが広くはない店内では結構目立つ。しかも真ん前だし。
奥に座ってる白シャツの男二人と、朗々男の隣にはもう一人スーツの男。もう一人のスーツ男はちょっと威圧的。
洗脳か詐欺かうざい上司かなーと思って様子を伺ってると、神様とか仏様とかが出てくるので、宗教勧誘らしい。
威圧的な男は話が下手くそで、朗々男がすかさずフォローに入る。威圧男はこれ二人勧誘すると威圧男にポイントが入るのかな。
勧誘されてる側の白シャツその1はさっきからトイレに立ちすぎで、そのまま帰っちゃえばいいのに。白シャツその2は、苛立っていたり、論破しようとしているけど、なかなか話がうまく回ってない。
というか、苛立ってるし話聞きたくないとか言ってるのになんでこの場に来ちゃったんかね。
おっ、その1が、電話に立って、上司から急に電話がかかってきて急用ができちゃって行かなきゃと切り上げにかかった。
震災の話。震災があっても信じてるひとたちはみんな助かった。生命は永遠だから。
その1はシステムが近々リリースするのでもうしばらく時間が取れないので会えないと。
新聞読んだ感想を聞きたいと朗々男。大事な話だから。人生の話だから。
白シャツ2人退席。
スーツ男反省会。いやー、引っ張っていけると思ったんだけどな…、ほんとに帰っちゃうと思わなかった…と威圧男。
あんなに真剣に聞いてたんだから、と慰め肩を叩く、相手の反応なんか見ちゃだめだ、一切無視、心の底ではもう動いてるんだからと駄目出し。
スーツ男もきっちり割り勘。2人も退席。
一部始終(途中からだけど)見ることなかなかないから貴重な経験でした。
お疲れ様でした。
すごく良いこと書いてあったのですが参考にしようとしたらサイトが消えいたので、魚拓から転載。
働・学・遊・美をミックスしましょう
計画は役に立たないが、計画することは不可欠だ。
by ドワイト・D・アイゼンハワー(第34代アメリカ大統領)
人を最もダメにするのは「全体像」を見せずに「部分的なこと」をずっとさせること。
これ続けてると何も考える力のない指示待ち人間ができあがる。こわいこわい。
by 外尾悦郎(スペイン、バルセロナのサグラダ・ファミリア主任彫刻家)
腹が立ったら自分にあたれ、悔しかったら自分を磨け。
神は細部に宿る。
by ミース・ファン・デル・ローエ (建築家)
放っておくと会議の時間の九十五%は「コメントの交換」に使われている。
by 「ケッヘル」(中山可穂)
重要なことは、正しいか、間違いかではない。うまくいくか、いかないかです。
マネジメントとは、そのようなものです。
by ピーター・F・ドラッカー(マネジメントの神様)
やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず
あなたに幸運の女神が微笑んだのであれば、プロジェクトは無事に完了し、幸せになれます。とてもとても幸せになれます。多くの人々は、自分では何の失敗もしていないのに、ここまで到達することができないのです。豪勢な夜を計画してください。どんちゃん騒ぎをして散財してください。そして、その時のことをいつまでも語り継げるようにしてください。
by 「アート・オブ・プロジェクトマネジメント」
この50人時間の差が大規模で長期間のプロジェクトの場合に大差を生む。
20人のチームの場合。
この4人分の差が大規模で長期間のプロジェクトの場合に大差を生む。
ミーティングと同じようにコストを意識する。読む人の時間をムダに奪ってはいけない。
反省会は、社内グループウェアのメッセージ機能を使って、こんな感じでやってます。
ファイアープロジェクトに助っ人参戦した場合にどうするか。原因のほとんどはマネジメントもしくはコミュニケーション。
20人程度のチームならこれらを1~2日で終わらせて雰囲気を一新する。あとはふつーのマネジメントへ。
TV/Web会議をはじめとしたITによるコラボレーションツールがこれだけ充実・高度化した現代でも、人は出張する。理由は明確で、物理的に現地にいる必要性はなくならないからだ。面と向かって討議しなければならない込み入った話であったり、現地での署名や式典など儀式的な意味合いがあったり、または「わざわざ日本からそちらに行く」ということで事の重要性を訴えるパフォーマンス的なニュアンスを含んでいたり…と、その必要性はさまざま。
特に中間管理職の場合、出張には大きな投資とリスクが伴う。投資とは、移動や事前の段取りなどの時間的なもの。リスクとは、日本の仕事から一時的に離れなければならないところ。
この内、後者については信頼できる部下さえいればさほど心配すべきことではない。だが、自分が不在時でもその部下に日本での仕事を任せきることができるのであれば、そもそも自分は日本必要はない。ダブルで管理体制を悠々と構えさせてもらえるほど会社も甘くはなく、常にギリギリで回せという体制図になっていることがほとんど。
そのため、自分が日本の仕事から離れるというリスクは、前述の時間的な投資で軽減を試みることになる。王道は出張期間中の部下の仕事を可能な限りTo-do、つまり「やるだけ」の状態にする。その上で発生する問題は、極力部下たちで自律的に対応・解決してもらう。ワークフローシステムなどの「型」が必要な承認以外は、彼等に決めてもらう。ただし気を付けなければならないのは、このTo-do化をやりすぎると部下は「そんなに心配(=私達を信頼してない)なんですか?」と思われること。だから部下の部下にまでは指示はしない。「だいたいこんな感じで!あとは頼んだ!」程度。ここで結局のところ問われるのは、当本人が部下に寄せる信頼に裏打ちされた「任せる勇気」なのかもしれない。
このように「自分は本当に出張に行って大丈夫か」を確かめるのと並行して、出張自体の段取りに入る。
まずは航空券。会社によっては決まった代理店を使うことが多い。これはアシスタントや秘書がいたら任せるのもいいが、自分でやったほうがよい。出張のスケジュール詳細と航空券の調整を並行するのが一番効率がいいからだ。出張中の打ち合わせ>その他の人と話す時間(公式の会議とは別の声掛けや激励)>日本の状況を気にする時間>自分の作業時間(まとめ/ラップアップ資料作成など) の優先順位で、発券期限ギリギリまでスケジュールを綿密に詰める。ゆるいスケジュールだといたずらに出張期間が延び、狙った成果も出ない。そうは言っても、夜は必ず空けておく。大抵なんらかの誘いは来るし、自分の作業時間がつぶれた場合のバッファにもなるからだ。
はじめていく会社、またはお客さん/クライアントではファシリティ面も注意したい。作業場所、Wi-Fiなどの兵站系は向こうでバタバタするほど無駄なことはない。数回行っている拠点/支社なら、総務・情報システム系の人と仲良くしておきたいところだ。それ以降、直接的にトラブルシューティングもお願いできる。
ここまでは、誰しも部下や後輩を持ちながら出張する人なら普通に考えていること。ここからは部下のみならず上司もいる、中間管理職特有の話。
中間管理職は、誰か偉い人の右腕的なポジションで出張に帯同することもある。でも基本、他の誰かで済むならこういう出張は断る。その断り方はその上司との関係にもよるが、自分の場合「絶対行けないわけではないですが、たちまちアノ仕事がこのくらい遅れそうですね、あとコノ仕事はこれくらい質が下がりそうですね」とか返している。「うわ、なんかめんどくせーこいつ」と思わせたら勝ち。回避した後「ご一緒できなくて残念です点帰ったら色々お土産話聞かせてください、帰国日にどこか日本食でも予約しときますよ」とした上で、自分の身代わりとして犠牲になった人もあわせて誘っておくまでがセット。2次回はその犠牲者とサシで。テンプレだとバレていても、断ったことに見合う仕事を日本でしっかりとして、帰国後に彼等をねぎらえばいい。
上司帯同型の出張には、上とは逆に、自分の出張に上司がオマケでついてくるというパターンがある。本当に必要なときはこちらから言うのに、「ここは俺がいないと始まらんだろう」と言わんばかりにしゃしゃり出てくる。バンコクや一昔前の広東地方など夜の世界が充実している地域に行くときはとくにそう。さすがにこれは向こうからオファーしているので、「いえ、来なくていいです」などと無碍に断りにくい。それがゆえにこのケースは本当に面倒くさい。とはいえ、それ逆手にとる方法もある。ややこしい会議、言い換えれば程度権威をもって場を制することが必要な会議を予定にねじこむ。そしてそこだけに意識を集中してもらう。当然シナリオもこっちで用意する。使えるものは「親」でも使うスタンス。
だがこれには大きな代償がつきまとうことが多々ある。経験上では、しゃしゃり出てくる上司に限って、出張に不慣れなことが多い。移動中やたらと街中で立ち止まって写真を撮りたがる。反スパイ法がいまだ絶賛プロモーション中だと考えられる中国ではやめてほしい。安全面もそっちのけ、南米なのに財布がポケットから見えてたりとか…。たまに今夜は別行動で…とか言うと怒る/すねるのも勘弁してほしい。出張に来ると毎晩飲み会だと思ってる。じゃあ日本で毎晩飲み会してるのか?と。昨晩の夜の世界での出来事の反省会をオフィスでやるのもやめてほしい。
こういう上司は、頭のどこかで出張≒旅行と捉えている。発想からして狂っている。また、こういう上司は最上部に書いた部下の仕事は全然ケアしてないから、社内クレームがひとつ下の上司に、つまり自分にやってくる。そして出張前の各種調整なども日本と現地のアシスタント同士に任せっぱなしだから、いざ現地についてあたふたする。挙句の果てには文句を言いだす。フライトが朝早いだの、空港ラウンジが遠いだの。
もちろん、これはすべての上司がそうというわけではない。あくまでひとつの傾向。だがかなりの割合でこうなのも事実。対応は唯一、現地の駐在員をお土産で買収する。出張前にリクエストを募り、それを現地到着時に進呈する際、「じゃあ夜はあのおっさんの面倒頼んだぜ」とする。夜のアテンドは現地駐在員はお手の物、餅は餅屋。
よく本などでは「上司は部下の下僕」と言う。こんなこと書いている本は読んで理解はできるが、体現するのは難しい。だから自分がそういうポジションになったとき、少なくとも部下の足を引っ張るような存在にはならないようにと、上記をメモっておこうと思う。
紆余曲折あって好き合い始めて早2ヶ月。
その中で誰しもが1度は憧れる事にチャレンジしてみた。
つまり「がんばれ♡」と応援してもらいながら女性乗位でやってもらうあれだ。
勿論現実で伊東ライフックスをするには様々な困難が付きまとうわけだが、いくつかのパターンでやってみた。
## 通常 (がんばれ♡と言ってもらう)
暫く試した後に彼女曰く、「クソだな.....」だそうである。
割とやる気なさげに言われながらだったので、これはこれで良いものだというのが正直な感想だが、これ思いのほか好みが分かれる可能性があるなーとも思った。俺は好き。
## 逆 (がんばれ♡と逆に言う)
逆に俺自身が「がんばる♡」と言いながら腰を振ってみた。悪くない。彼女曰く「天才か」だそうである。
即ち、「がんばれ♡」と言ってもらったあとに「がんばる♡」を繰り返す。
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数年前の話になる。
友人に連れられ初めて風俗へ行った。
それまで金の無駄だと思っていたが、酒の勢いで行くことになったのだ。
そして偶然にもあたりを引けたのだ。
なにより、しばらく彼女もいなかったため、久々の人肌だった。
そして同僚との飲み会の時にその喜びを話した。
同僚もおもしろがって話を聞いてくれた。
それもあり「いやー本当によかった、今日行っちゃおうかな〜?」なんて冗談を言った。
同僚も「遊びなれてるな〜、今から案内してくれよ!」と笑ってくれた。
楽しく酒も飲めて満足していた。
しかし、裏切られた。
大体行こうと言い始めるのは、一人で行けないから「増田いきたいんだろ?しかたないな〜」という先輩だ。
この先輩こそ、噂を広めた張本人だ。
2、3度も行けば、初めての時が当たりだったことに気がつく。
始めは付き合いかと思ったが、次第に頻度が増えてきた。
毎週どころか週3で連れてかれていく時もあった。
そして、「いや〜増田が行きたいって無理にいってさ〜」と噂を広める。
時には自分が行ったことを棚にあげ、俺だけが行ったと噂を広める。
その噂は当時気になっていた女性同僚の耳にも入り、
マイクを回すは先輩になり、気になっていた女性同僚と先輩が楽しそうに話す。
出汁に使われているだけだ。
なぜ?
先輩が一番風俗好きなのに。。。
だが好きというわけではない。
仲間とワイワイどの嬢を選ぶか話すのが楽しいのだ。
外れたとしてもネタになる。
そう言った楽しみがなければ、風俗のプレイ自体なんて当たりが引けなければ金の無駄だと考えている。
そして極力ギャンブルなんてしない性分。
この楽しみは仲間内だけで共有できればよい。
仲間だから共有したいとも言える。
だが仲の良い同僚と行ったら、速攻で先輩に伝わっていた。
信頼していた同僚にすら裏切られた。
同僚も自分を棚にあげ、俺だけが行ったように先輩に話していた。
また噂を広められる。
言いたいことは題名の通り。
「自分は○○な人間だから、もし不愉快なことがあっても『ああそういう人間なんだ』と思って許してね」
例えば、後輩にこんな奴がいる。
そいつは人を傷つけたり、不愉快にさせてしまう言動を繰り返しとってしまう。もちろん本人には悪気はない。
しかし、かわいそうなことに本人には『人の気持ちを抉ってしまった』という自覚がある。
だから彼は飲み会の後や、会議の後、そして喫煙所の雑談の後ですら深い後悔にさいなまされることになる。
そんな後輩が初対面の、特に自分より弱い立場の人に必ず言う言葉がある。
「俺は口が悪くてびっくりすることもあるかもしれないけれど、ホントそうしたくてやってるわけじゃないから。
もしそういう時がきたら、『俺さんってそういう人間なんだ』って流してね」
おそらくこれは本人にとって精一杯の自衛。
『人を傷つけてしまう』という一面を、他人に許してもらいたいという気持ちの顕れなのだろう。
自分はその欠点を許しきれなくて、繰り返すたびに自分を責めて、責めて辛いんだ。
人を傷つけてしまう自分の良くないところ、自分はよく分かってるから。反省だってたくさんしてきたから。
……それを君も分かってよ。 分かってくれるよね? だから、許してね☆怒らないでね☆
といった具合に。
そんな風に心を守ろうとする行動は分からないでもないが、ひとつ言っておきたい。
不愉快な思いをさせられた人の負の感情はどこに行くのか考えたことはあるのか。
可哀想な『傷つけられた人』は、最初に魔法の言葉で釘を刺されているから、後輩みたいな人間を攻めることが難しくなっているのだ。
「あっ……そうか、この人って『そういう』人間なんだけ……」
もやもやは残り続ける。
傷つけた方の人間は、他人から攻め立てられることもなく、今まで通り自責の念にかられてベッドの中で反省会を行うだけ。
毎回、毎回その身にならない反省会は行われる。そして相手方の気持ちを知ることはないから欠点は永遠に改善されることはない。
魔法の言葉は『当事者意識』を奪う魔法を、唱えた本人にかけるのではないか。
卑怯。
◆◆◆
「俺って怒ると、つい手が出ちゃうんだよ。
でもお前のこと嫌いなんじゃなくて……ほんと、自分でも止められないんだ。
俺はお前のことほんとに好きなんだよ。だからさ、俺のこと怒らせないでよ。ね?」
◆◆◆
そういうときはフォークしてカスタマイズして使ってるんだけど、いじくってるうちに不要なコードとか気になりだして気づいたら一から作ってしまうことが多い。
せっかく良かれと思ってissueを投げてきてくれた人に答えることができないから公開したくない。
issueを無効にすることも出来るけどpull requestでコメント送信できちゃうのがつらい。
学生時代はクラスメイトに無視をされてきたので、関わってくる人を無視することに抵抗がある。
言葉の壁で相手を傷つけたくはない。
超が付くほど人間関係を大事にしているわけでもなく、いきあたりばったりでおちゃらけで人と関わっているけど、無視をするということだけは譲れない。
英語を学ぶ気力がない。
休みは月3日、一日14時間労働、その後は反省会という名目の飲み会で毎日+2時間拘束されると気力が弱っていく。
偏見まみれのクズが自分は論理的に判断できるという理性主義をぶちあげて他人に対しては偉そうに説教する一方であいもかわらず偏見を垂れ流して平気なツラしてんだからまぁ笑えるなー
つーか、クズネタとは縁切ろうと思って村反省会に参加しましたーとか平気で言って他の参加者にクズネタから離れられないかのような印象うえつけるの失礼だろわざわざドヤ顔して宣言するくらいなら最初から来んなよバカ黙ってクズネタから離れれば済むだろっていうねー
偏見を元にひたすら自分の価値観で裁いて他人に押し付ける瞑想おじさんと議論の目的無しにただひたすら自分の心地よい正義のために言葉を捏ねくり回して粘着して根負けさせるサイトーの元弟子をフュージョンさせたはてな村最悪モンスターなんだよなぁヤツは
洗面器の寿命について 19users
人生初増田。男性目線の文章を書いてみたかったので増田を選びました。
実体験だけど文中の彼女がわたし。「印象に残る」とブコメをいただき、飛び上がるほど嬉しかった。
私の中のwattoさん 105users
共感してくださった方が多くて泣きそうになりました。
私の中のwattoさん(続) 27users
読み返すと自分でも引きますね。その後実際に食べたチョコホイップパンケーキはおいしかったです。
吉野家の七味 203users
再び男性目線でチャレンジ。文才があるなんて書いてくださり照れてしまった。
はてなブログで「この人の記事おもしろいな〜」と思っていた人とオフパコをしてきた。
気の利いたブコメをつけ続けていたら、
細々とやっているツイッターに「一回飲みませんか?笑」とDMがきた。
ははん、オフパコだな、と思い、承諾した。
飲み屋は気の利いた和風の居酒屋で、3時間くらいはてなの話をした。
「こういうふうに煽れば炎上するから笑」「へ〜いろいろ考えているんですねえ」
と話をしているうちに、だんだん相手からの距離が近づいてきた。
パコりおわったあと、あらかじめ用意しておいたホワイトボードで、
・前戯が短い
・早漏なのでは
・爪を切れ
という点を書かせてもらった。
相手からは
・喘ぎ声が象に似ているのでは
・胸が小さい
・「なるほど〜!」と喘ぐのをやめろ
ということを書かれた。
彼は私が文字を書くたびにキレていたので、もう2回目はないだろう。
安保法案をめぐるここ一連の流れは、今まで日本という国と国民が先送りしてきた諸々の問題が噴出してきた感がある。それは安全保障だけでなく、日本の行政機構の構造の問題や、ともすると太平洋戦争に至る過程・戦中の流れ・戦後の総括についての話題も含まれるようだ。
先に、これを書いている私個人の意見を述べておくと、憲法違反の疑念の問題を除けば、安保法案に消極的賛成だ。「後ろ向き」賛成ともいう。
たぶん、この3点は、程度の差があれども(で、程度の差によって意見が分かれるところだろうけど)、普通の日本国民の誰もが感じていることではないだろうか。
安保法案に憲法違反の疑念がある問題は、安保法案が主題としている安全保障とは別のところで、大問題だといえる。
乱暴に言えば、「オレオレ憲法解釈」で物事を進めてしまうことは、「オレオレ『コーランの解釈』」で物事を進めているISISと似たようなものだ(「オレオレじゃない『コーランの解釈』」=イスラム法)。ISISを非難できなくなってしまう。
本来は、安保法案を進めたいのなら、憲法を改正すべきなのだ。だが憲法改正に関しては、また別の、根の深い問題がある(後述)。
憲法違反の件を無視するなら、安保法案で示している内容には、傾聴に値するものがある。
それは「俺は殴るつもりはなかったし、むしろなだめようとしたんだけど、興奮した相手が殴りかかってきて……」というケースにどう対応するか、という問題だ。
基本的に、戦争なんて損ばかりだ。人道的にも、財政的にも、経済的にも問題がありすぎる。戦争せずに済むなら、その方がよいのは当然だ。
太平洋戦争を経て日本が学んだことは、第一に「自分から殴りかからない」ということであり、第二に「とりあえず、まずは話し合いをこころみる」ということだ。この2つをまとめると「揉め事には『大人の対応』で臨め! ガキじゃあるまいし、すぐに殴ろうとしなさんな」となる。
(まあアメリカも、「ABCD包囲網での締め上げ」とか「蒋介石にカイロ宣言で『無条件降伏』を要求させちゃった」とか、火に油を注いだところが結構あるのだが)
とはいえ、揉め事は自分だけでなく相手もいるから生じるもので、相手が最初から殴る気で仕掛けてきたら……と考えると、少なくとも護身はできないとマズイ。
この辺のバランスが、(当時の国際政治の状況やら何やら事情があったとはいえども)自衛隊の誕生の一端にある、といえる。
問題は、東アジアの各国が経済成長にともない軍事力も増していることと、経済成長により他国との摩擦が表出してきたことと、世界的な不況の影響で各国国民の不満がたまっていることと、その不満が経済成長による他国との摩擦で高まってきたナショナリズムの気運に流れ込んでいることと、そんなナショナリズムの高まりを各国政府が制御しきれるか否か、である。今の東アジアは、第一次世界大戦前夜のヨーロッパ並みにキナ臭い。
個人的には、政府の戦略として反日を主導している今の中国や韓国よりも、何らかの要因で政府の力が弱まって下からの突き上げを抑えきれなくなった場合の中国や韓国の方が怖い。戦前の日本にもそんな感じ(=下からの突き上げ)があっただけに。
しかも他国の軍事力が増加しているため、自衛隊との相対的な差が縮まることで、相手から「くみしやすい(殴っても問題ない)」と思われてしまう可能性もある。
日本の場合、四方が海で、防衛すべき範囲が広い。海上自衛隊か海上保安庁はともかく、今よりも備えを厚くする必要はあるだろう。現実問題として、離島地域では中国漁船の違法操業の問題があるし、竹島や尖閣諸島のような離島地域での領土問題も抱えている。
備えを厚くする場合、方向性として「自前で全てそろえる」と「仲間を呼ぶ」の2つが考えられる。安保法案は後者の「仲間を呼ぶ」の流れを汲んでいる。
実際のところ、日本の経済状況的に「海上保安庁や自衛隊を拡充して、日本全土を自前の軍隊で守る」というのは厳しい。先に書いたように、四方が海であるために、防衛すべき範囲が広い(というか広すぎる)。また、例えば対中国で考えると、装備や錬度でカバーするのが難しいぐらいに「数」の差がある。
ここで従来のようにアメリカと組むとして、アメリカ軍が度々行われてきた軍縮で縮小していることに留意する必要がある。この影響は、少なからずアメリカ軍の軍事力を頼りに軍縮していた同盟国に影響を与えている。日本も例外ではない。
あと安保法案の話で「自衛隊がアメリカの都合で起きた戦争に駆り出されたら――」的な批判がなされるが、同様の批判はアメリカ国内にもあるだろう。すなわち「他国の都合の戦争に、自国(アメリカ)の若者を送り出すって、どうなのよ?」ということだ。アメリカ軍を引っ張り出したいなら、アメリカ国内が納得する「(アメリカにとっての)大義やメリット」が必要だ。選挙のこともあるだろうし。
安保法案は、いわば「規模を縮小したので一度にカバーできる範囲が狭くなったアメリカ軍の協力をとりつけやすくする(アメリカから見た優先度を上げさせる)」ためのものだ。こうしておくことで、「ワイの後ろには○○の代紋があるんやで」効果で相手を怯ませることも狙えるだろう。
繰り返すが、戦争せずに済むなら、その方がよい。その一方で、万が一への備えそのものは必要だ。
(再三ならが、憲法違反の件を無視するとして)安全保障の点で、安保法案が示す内容は、良し悪しは別として、ある意味で現実路線と言える。
いえるのだが、しかし、実際に日本国民として安保法案に直面して感じるのは、「これ、悪用されずに適切に運用されるのだろうか?」という心配である。
私はとりたてて再軍備主義者ではないが、日本が再軍備化すると仮定した場合、重要になる点を1つだけ知っている。
一言で表すなら、それは「空手の有段者になれ!」ということだ。空手の有段者は強いが、強いからといってむやみに周囲に殴るかかることはない。むしろ、普通の人よりも強い自制が求められる。
仮に日本が再軍備化するとして、再軍備化したからといってすぐにやたらと殴りまわったら、それはガキの態度だ。大人ではない。軍隊を持つ平和路線の他の国家と同様に「(鍛えてますけど、むやみに殴りかかりませんよ。だって)大人ですから……」という方向が望ましい。
民主主義国家において、このような態度をとるには、第一に軍隊自体の暴走を防ぐためのシビリアン・コントロールが必要であり、第二に軍隊を統帥する政府の暴走を防ぐための「国民による政府の監視と、選挙による適切なコントロール」が必要であり、第三に「国民自身の自制」が必要となる。
日本の再軍備化を進めるなら、国民はまず自省して、過激な排外主義を排除しなくてはならない。排外主義は他国や他民族とのいらぬ摩擦を生み出し、火種となってしまう。これは大人の態度ではない。排外主義は排除されるべきだろう。軽挙妄動は許されない。高い倫理観を持つべきだ。
また国民は、日常的に政府の動きを監視し、選挙直前の動きや宣伝に紛らわされることなく、観察した記録にもとづいて投票を行い、政府の暴走の要因となりうる人物を当選させないように努めなくてはならない。
残念ながら、今の日本では、まず選挙による政府のコントロールが効いていない。例えば安倍政権の安保法案の一件は、2014年の選挙の時点で囁かれていた話だ。だが、結果はどうだろうか? 選挙の時、我々は直近の出来事にとらわれて投票していなかっただろうか?
次に、日本では政府の暴走の歯止めとなる公的機関が存在しない。例えば憲法裁判所がないため、憲法違反の疑念がある法律であっても、一度可決・公布されてしまえば、何か具体的な事件が起きて誰かが提訴しない限り、違憲性の審査は行われない。
最後に、行政・立法・司法の三権のどの分野でも構造的問題が指摘されているにもかかわらず、何の変化もないため、三権に対する不信がある。
例えば、仮に日本に憲法裁判所があったとして、安保法案に違憲の判断を下すことができるだろうか? 日本の裁判官の大半は実質的に最高裁判所の裁判官に任用されている。最高裁判所の裁判官は内閣によって任命されている。そして最高裁長官の任命過程においては、内閣の意向が少なからず反映されている。このような流れの中に憲法裁判所があるのならば、暗黙のうちに内閣の意向に影響された判決がでても不思議ではない(ことに、内閣の意向を受けた最高裁判所の裁判官の胸三寸で出世も更迭も決まってしまう一般の裁判官の身ともなれば……そして、内閣の意向によって出世の頂点(最高裁の裁判官)に立てるか否かが決まる最高裁判官の候補や、下手すると引き摺り下ろされかねない最高裁判官ともなれば……)。
行政・立法に関しては、外部から見て、どうにも組織に自浄作用があるように思えない。例えば何か問題が起きた場合、大抵はトップの更迭で済んでしまう。何が問題であったか分析し、具体的で効果のある改善案を提示し、改善を行い、その結果を問題分析や改善案を含めて広く公開する……というPDCAサイクル的なものが、組織外部の国民の目にはみえない。
そもそも我々日本人は、失敗を恐れすぎる。もとより人間は失敗する動物だ。何も考えずに突っ走って失敗するべくして失敗するのは、さすがにどうかと思うが……しかしある程度成功確率を高めたなら、その時点でチャレンジしてみて、失敗したならしたで反省会を行い、次に生かすべきなのだ。
だが実際には、なぜか最初から失敗を許さない雰囲気が強いし、失敗するとすぐに責任問題を言い出す(本来は、反省会で色々と分析した上での「責任問題」のはずだが……)。人格攻撃になることもしばしばある。そして早すぎる責任問題に決着がつくことで、本来開かれるべき反省会はなされず、有耶無耶に終わってしまう。
悪いことに、日本社会は失敗に厳しすぎる。一度更迭されたら、ずっとそのままだ。このような環境では、皆失敗を恐れるし、失敗したら隠そうとする。なぜなら、失敗したら、そして失敗したことが発覚すれば、この先一生どん底だからだ。
行政や立法の構造の問題は、この日本社会の「失敗への厳しさ」が悪い方向に作用しているために生じている気がしてならない。誰だって自分の身はかわいいものだ。少なくとも私はそうだ。あんただって、そうだろ?
ともかく、日本国民には少なからず三権への不信があるうえに、政府をうまくコントロールすることもできていない。この状態では、どのような法律であっても、適切に運用されるか否かの疑念が生じる。
特に、安保法案をめぐる安倍政権や自民党の動きはマズかった。政権による強引な進め方や、一部議員による乱暴な発言は、国民にとって「国民が政府・議会をコントロールできていない」という印象を与え、不信を高める結果となった。またオレオレ憲法解釈を持ち出してきたことで、安保法案そのものについて「将来、オレオレ『安保法案の解釈』を持ち出して、滅茶苦茶なことをやらかす政権がでるのではないか?」という疑念を与えてしまった。
「安保法案=戦争法案」と揶揄される背景には、その内容の難解さだけでなく、「誤った運用がなされるだけでなく、将来、拡大解釈して無茶なことをやらかすようにならないか? そして誰にも止められないのではないか?」という三権への不信が見え隠れしている。
蛇足だが、安保法案を通すには、本来は憲法改正が必要だ。だが日本国民には憲法改正へのアレルギーがある。なぜか? 「あいつら絶対に余分な変更(=改悪)も入れてくるから」という政府・議会への不信があるからだ。自民党の憲法改正案は酷かったし、派遣法の改正もアレだった。こんな実例が山ほどあるのだから、不信が高まって憲法改正アレルギーになるのも無理はない。
日本国憲法に関しては、そもそも押し付け憲法論がある。個人的には、押し付けだろうとなんだろうと、ネズミを捕るのが良い猫だと思うのだが……。
仮に押し付け憲法だったとして、ではなぜ世界でも稀な憲法九条が存在するのか、という点を考えてみることは重要だ。世界的には、平和路線の国家でも(規模の大小はあれども)軍隊を持っているものだ。
要するに、大日本帝国は、当時のアメリカに「キ○ガイ」だと思われたのだ。あいつらに刃物を持たせたらあかん、何やらかすか分かったもんじゃねえ――ということだ。
例えば、現在生きている日本人たる我々がニュースで目にする自爆テロを理解しがたいように、当時のアメリカ人は特攻という行為を行う日本人を理解しがたかったのではないか? また国体維持のためだけに南方戦線で損耗率7~8割という無茶(現代戦では損耗率3割で全滅判定)をやらかしたメンタリティーも理解できなかったのではないか?
理解できないことが、恐怖をあおる。戦略的には、特攻も南方戦線での戦いも、大日本帝国の政府にとっては裏目に出てしまった。日本は軍隊を持つ資格はない、とんだキ○ガイだと認定されてしまったのだ。
しかしこれは、裏を返せば「まともな国になったなら、まあ、軍隊を持ってもええんじゃね?」ということにもなる。まともな大人は刃物を振り回しません、ということだ。
さて、「安保法案=戦争法案」と揶揄される背景をもう少し考えてみると、興味深いことに気づく。それは、日本国は未だに「キ○ガイ」ではないか、という疑念だ。これは中国や韓国の主張(実際に彼らの言っていることから類推すると、そういうことになる)のことではなくて、日本国民から日本国政府ならび議会への疑念のことだ。
というのも、「安保法案=戦争法案」という構図には、どこか「また『特攻』や『ニューギニア戦線での地獄』が繰り返されるのでは」という不安があるからだ。
これは、太平洋戦争について国民と国家をひっくるめた反省会(失敗の原因の分析、具体的な改善案の提示、改善案の適用)が行われなかった弊害だろう。
そもそも太平洋戦争は大失敗だった(戦争に懲りたということは、つまり、失敗だったということだ)。大失敗だったからこそ、三権と国民を巻き込んでの大反省会が必要不可欠で――もしかしたらどこかで行われていたのかもしれないが、残念ながら私は寡聞にして知らない。
国民と国家自らによる反省会(総括)が行われて、落とし前がついていたなら、ここまで疑念は膨れ上がらなかったはずだ。でも反省会無し・対策も無しなら、「またやっちゃうかも」という心配は残ったままとなる。
戦後に反省会が行われず、そのまま70年が経過した。その間、残念ながら三権への国民の不信が高まった。そしてここ20年ほどの政府・議会の混乱や暴走ともとれかねない動きは、国民に「政府と議会=我々がコントロールできない代物」という印象を強く与えてしまった(仮にも民主主義国家だというのに……)。
再度繰り返すが、戦争せずに済むなら、その方がよい。その一方で、万が一への備えそのものは必要だ。
必要だが、しかしまた「キ○ガイ」のごとく暴走してしまわないか? やむをえない自衛のための戦争ならともかく、暴走して要らぬ戦争を起こしてしまわないだろうか? 三権への根深い不信と、国民が政府と議会をコントロールできていないのではないかという疑念ゆえに、日本国民は、日本という国が「キ○ガイ」のままではないかという恐怖を感じているのだ。
私は憲法違反の疑念より安保法案に否定的であり、安全保障の面では安保法案に Permalink | 記事への反応(1) | 18:20