はてなキーワード: 反省会とは
2年半前の「先日、うっかり結婚した話」の続き。
https://anond.hatelabo.jp/20141206172120
結婚した時からどこかでは、その可能性も0ではないと感じていた。
その度に元夫は「そんなことないよ。君はいつも考えすぎなんだよ。」と言って、丁寧に淹れたアールグレイを差し出してくれた。
「僕が不安にさせているのならごめんね。でも安心していいからね。僕には君しかいないんだから。」と言って、抱きしめてくれた。
これが私の日常だった。これがずっと続くのなら、人生の最後の日にも後悔することなく、満足して死ねると思った。
最大の理由は、彼が転職して夜型の生活になり、付き合う人たちが変わったこと。
結婚したときには想像できていなかった、働き方と人間関係の変化。生活時間帯の不一致。経済観念のズレ。人が変わってしまったように、一方的に自分の主張ばかりする彼。
そして私は日常生活が壊れたことで、仕事でのアウトプットの質がどんどん低下して、働く時間がどんどん長くなって残業ばかりで、しまいにはパワハラを受けてしまったり。
こんな現実の問題を「愛」とかいう無形物を根拠に乗り越えられるとは、到底思えなかった。
この先に子育て、親の介護、住宅の購入…とライフイベントが重なって、その度に同じように悩むのなら、私は耐えられないと思った。
週末に日当たりの良いリビングで紅茶を出されても解決できない不安。
「夫婦のことはその夫婦にしかわからないから、誰も人のことはいえない。
ただ相手の喜ぶことができないまでも、相手が嫌がることを改善しあえないなら、一緒にいて幸せなの?」とは、悩みを相談していた友人の言葉。
抱き合って泣きながら結婚生活の反省会をした、離婚届を出す前の夜。
嫌いになったわけではなく、ましてや憎たらしいわけでもなく、歩む道が違ったんだなというまとめ。
私は思春期の数年を海外で過ごし、大学入学とともに帰国した、いわゆる帰国子女だ。
そしてたぶん、機能不全家族育ちだ。
色々あって、自分がわからなくなって、人と会話が難しくなった。
世の中の帰国子女といえば自信に溢れてきらきらと活躍している人が多くて、自分との格差にどんどん自信を失っていく。
相談しようにも、相談できる人も、同じような境遇の人も、そういったことを専門にされている方とかも見つからなくて、誰かいないのかなと思ってすこし書いてみることにした。
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インターネット上で、機能不全家族とか毒親というワードをよく目にするようになった。専門家の方が書いた本を読んだりネットで当事者の話を見ている中で、自分の生きづらさの正体が分かってきた。
海外赴任などで家族で移住する場合、子にとって家族の関係が良好であることはすごく重要だ。学校生活が完全にアウェイな状態から始まるのだから、心の退避所たる家庭が安定していることに越したことはない。
私の家庭はたぶん機能不全家族で、家の中での母国語のコミュニケーションもままならないのに、海外に行った上に現地の学校に入学してしまったものだから、家の外でも言語的に孤立してしまっていた。
家では母国語でOKだが健全なコミュニケーションが少なく、外では言語が不自由でコミュニケーションに苦労した。
苦労して、挫折したのだけれど、親は放任主義であまり助けてはくれない。というかそもそも私の家族には会話が少なく、「相談する」という文化もなかった。日本にいた時から学校での出来事を聞かれることもなかったし、話そうと思うことも少なかった。「授業はわかる?」とか、「先生はどう?」とか、親の側から声をかけてもらうことがなくて、それが当たり前だと思っていた。
最悪なのは車社会で学校も遊びも親による送迎で行動しなくてはならなかったこと、ビザの関係でアルバイトも出来なかったこと。金銭的にも自由がなくて、意識を外に向けることが出来なかった。ひたすら学生として最低限の通学と勉強だけをして、帰国を夢見ていた。帰国さえすれば、昔の友達に会って、働くことも出来て、言葉の心配もいらなくて、、
外国でひとりで外を出歩くのは危ないと思い込んでいたし、学校⇔家のガチガチに固まったループから抜け出したいという思いをもつことも悪いことのように思えていた。
今あの時の自分と話せたら、「外はそれほど怖いところじゃないし、ネットで調べてどこにでも行きな!やりたいことやっていいよ!」とか言ってやりたい。
滞在中は「このつらい滞在を耐えて日本に帰りさえすれば楽しい日々が戻る」とひたすら思っていたのだけど、いざ日本に戻ってきたらコミュニケーション経験が乏しすぎて浮いてしまい、それを気にして自意識過剰になり、鬱になり、家族関係が悪化し、なんとか取り戻そうと情報を集めたり考えたことをノートに書き留めたり新しい場所に飛び込んで沢山人と会ったり通院したりカウンセリングを受けたりしてみたが、どんどん悪くなるばかりで帰国後10年近く経った今 ほんとうに人と会話ができなくなってきてしまった。マズイ。
なんだかもうよく分からないのだけど、本当にコミュニケーションが上手くいかない。
返答が思いつかないし、思いついてもしっくりこないのだ。
人との会話で、些細な雑談でも一言ひとことの返しに「適切さ」を求めて、すごく考えてしまう。
海外生活の中で外国語で発言をする時「どういう表現をしたらいいんだろう?」とか、いちいち考えながら喋らなくてはいけなかったのも一因かも。
「こう言われたらこう考えてこう返すべき、というパターンがある筈なのでそれを探して返さなくては」、っていう思考に取り憑かれてしまった。
正解のパターン候補として幾つかの振る舞いのパターンが脳裏に浮かんで、その是非を検討する。
「教科書通りのような会話ならこうかな?(自信はない)」「憧れのAさんだったらこうするだろうけど私がそうしたらこの人はびっくりしてしまうな」「この間同じような場面でBさんはこうしていた」……
自分に素直になりたい!とは思うんだけど、自然に浮かぶはずの「自分のきもち」がなかなか出てこない。
「ありがとう」「ごめんなさい」「恥ずかしい」くらいは出てくるんだけど、どうしても咄嗟に無難な答えを作ってしまう。
加えて帰国後は、帰国子女いじりを気にしすぎたせいで、「普通ならどうするか」、「相手がどんなことを期待して接してきているのか」を考えるようになっていった。また、母国語で考えている時と第二言語で考えている時で性格がすこし変わってしまうことに気づいてから、日本語でも外国語でも口にすること全てが自分の本心ではない気がしてきて、ますます自分がどういう人間なのか分からなくなってしまった。
この表現力の問題は鬱になってからさらに悪化した。頭が回らなくなって、少ないながらも以前は使えていた語彙さえも出なくなったし、とっさの逃げ道の冗談なども思いつかなくなった。
いまでは相槌を打つのが精いっぱい。
人と話す時、フルオートでにこにこしてしまうし挨拶くらいは出来るので第一印象は良いらしいけど、味気のない相槌しか打てないし話題も振れない。たまに話せても的はずれなことを言っていたり、浮いたことを言っていたり、無理してる感じがしてたり、そんなつもりは無いのに帰国子女感のあるドヤ顔発言みたいになっているみたいで脳内反省会が白熱してしょうがない。
だれとも一線を引いた付き合いになってしまって、どんどん孤独になっていっている。
この文章もかなり絞り出して、可能な限り本心に近づけて書いた。自然に出てきたものではない。
こういう人いない?いないの?
こういうのってどうやって解決していったらいいんだろう?
ネットにいる機能不全家族とか毒親持ちの方は何だかんだで結婚されていたりして、自分の居場所ができていて羨ましい。
私もなんとか実家は出て経済的にも独立したけど、家族と距離を置く中でいよいよ社会から孤立してしまった感じもする。
しかし、これを書いていて改めて思ったけど、自信のなさとか心の弱さは生まれつきな気がする。
海外生活なんて貴重な経験させてもらったのにな。なぜ活かせなかったのか。
早く安心したい。
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ある場所での会話について考えたこと。
私+男女2人(A男とB子とする)で話していた。
高笑いしながら他人の口にチューブわさびをねじ込むようなことをする。
そこまでの流れは省くが、B子の見た目の話になって、彼女自身が
「私の顔って平安顔」
みたいなことを言い出した。いわく、化粧をしないと能面みたいな状態らしい。
それを受けて、A男が
という発言をした。
そこで私が
と言ったところ、A男から
「お前後で殺されんぞw」
と言われた。
B子がけなされたと受け取って僕を殺すかもしれないという意図だというのはわかる。
その場ではあははみたいな感じで会話は流れていったが、帰宅後以下のような反省会を始めた。
なるほど確かに、平安時代なら、という枕詞を付けたのは失礼だったかもしれない。
しかし、自分の顔面sageをしだしたのはB子自身だし、私は褒め(フォロー)こそすれ、けなす意図で発言したわけではなかった。
さらに私を腑に落ちなくさせているのは、この一連の会話を別の場所で聞いたC男から
「失礼だろw」
と一刀両断されたこと。そんなに失礼だったろうか。
平安時代ならモテにモテると言っているわけで、現代でモテないとは一言も言ってない。
「だから現代でもてないんでしょうね」とでも発言していたなら話は別だが、けなすような内容の発言を私は一切していない。
それとも、平安時代ならみたいな反実仮想をしだした時点で、褒める意図の「モテる」っていうのは効力を失って、結果的にけなす意図に取られるものなのだろうか。
う-ん。
ある場所での会話について考えたこと。
私+男女2人(A男とB子とする)で話していた。
高笑いしながら他人の口にチューブわさびをねじ込むようなことをする。
そこまでの流れは省くが、B子の見た目の話になって、彼女自身が
「私の顔って平安顔」
みたいなことを言い出した。いわく、化粧をしないと能面みたいな状態らしい。
それを受けて、A男が
という発言をした。
そこで私が
と言ったところ、A男から
「お前後で殺されんぞw」
と言われた。
B子がけなされたと受け取って僕を殺すかもしれないという意図だというのはわかる。
その場ではあははみたいな感じで会話は流れていったが、帰宅後以下のような反省会を始めた。
なるほど確かに、平安時代なら、という枕詞を付けたのは失礼だったかもしれない。
しかし、自分の顔面sageをしだしたのはB子自身だし、私は褒め(フォロー)こそすれ、けなす意図で発言したわけではなかった。
さらに私を腑に落ちなくさせているのは、この一連の会話を別の場所で聞いたC男から
「失礼だろw」
と一刀両断されたこと。そんなに失礼だったろうか。
平安時代ならモテにモテると言っているて、現代でモテないとは一言も言ってない。
「だから現代でもてないんでしょうね」都でも発言していたなら話は別だが、けなすような内容の発言を私は一切していない。
それとも、平安時代ならみたいな反実仮想をしだした時点で、褒める意図の「モテる」っていうのは効力を失って、結果的にけなす意図に取られるものなのだろうか。
う-ん。
ある場所での会話について考えたこと。
私+男女2人(A男とB子とする)で話していた。
高笑いしながら他人の口にチューブわさびをねじ込むようなことをする。
そこまでの流れは省くが、B子の見た目の話になって、彼女自身が
「私の顔って平安顔」
みたいなことを言い出した。いわく、化粧をしないと能面みたいな状態らしい。
それを受けて、A男が
という発言をした。
そこで私が
と言ったところ、A男から
「お前後で殺されんぞw」
と言われた。
B子がけなされたと受け取って僕を殺すかもしれないという意図だというのはわかる。
その場ではあははみたいな感じで会話は流れていったが、帰宅後以下のような反省会を始めた。
なるほど確かに、平安時代なら、という枕詞を付けたのは失礼だったかもしれない。
しかし、自分の顔面sageをしだしたのはB子自身だし、私は褒め(フォロー)こそすれ、けなす意図で発言したわけではなかった。
さらに私を腑に落ちなくさせているのは、この一連の会話を別の場所で聞いたC男から
「失礼だろw」
と一刀両断されたこと。そんなに失礼だったろうか。
平安時代ならモテにモテると言っているて、現代でモテないとは一言も言ってない。
「だから現代でもてないんでしょうね」都でも発言していたなら話は別だが、けなすような内容の発言を私は一切していない。
それとも、平安時代ならみたいな反実仮想をしだした時点で、褒める意図の「モテる」っていうのは効力を失って、結果的にけなす意図に取られるものなのだろうか。
う-ん。
http://www.gentosha.jp/articles/-/7124
これはこれで一人の女性の実体験に基づく描写としては構わないし、とても面白く読んだのだが、やはりさるころさんにはとても違和感がある。元夫さんタイプの人間として一言いいたくなった。
だいたい元夫さんがすごくつまらない人間、ダメ人間に描かれている。「元々そういう人間だった」とか「川の水」とか言われているし・・・。なんでこんな人と結婚しようと思ったのかが、さっぱりわからない感じになっている。結局弟さんの口を借りて、「そもそもダメな人だったからいいんだ、べつにアタシのせいじゃないんだ」という結論になっている。当然イイところがあったから結婚したはずなのだが、それがさっぱりなかったことになっている。
あまり一般化してはいけないが、女性は別れた夫や彼氏を過剰に悪し様に言うことが多いと感じる。男からすると一度でも好きになった人をなぜという違和感があるのだが、「こんな男を一瞬でも好きになった自分の情けなさに腹が立つ」のかもしれない。だから、元夫さんによかった点などなかった、という思い込みに基づく描写になってしまっている。
顛末はあまりにわかりやすい話で、結婚にあせったアラサー女子が、ようやく結婚してテンションをあがりまくっていた最初は、夫のために家事でも何でも喜んでやっていたが、テンションがさめてくると次第にしんどくなり、そこで家事とかを次第に任せようとしたら、全然出来ないし、やっても中途半端で、ますますイライラがたまり、次第に夫自体がいやになってくる・・・。まさに現在家事でネット上で文句を撒き散らしている妻たちが直面している問題のテンプレートそのものである。
男の立場からすると、「今までみんなやってくれたのになぜ?」「いきなり言われてもやりかたがわからない」「やったらやったで文句を言われる」ということになる。今まで普通にやってくれていた家事をいきなり嫌だといいはじめ、だんだんと不機嫌になっていく理由が分からないので、困惑するしかない。たぶん元夫さんは、「家事がしんどいというより、オレという存在自体が嫌になってきたんだろうな」と感じていたはずだろう。だから離婚する時も驚くことなくあっさりとそれを受け止めたのだろう。
「約束」というのが何度も出てくるが、おそらく元夫さんは今の事務仕事をコツコツやりつづけて、高望みせず好きなゲームをしてのんびり生きたい、というだけの人だったのだろうと思う。元夫さんは「約束ね、わかった?」とさるころさんに迫られて「うん」とは言ったのだろうけど、所詮は内発的なものではなく、既に仕事をして生活に足る収入があるわけだから、やる気が出るわけもない。
もちろん、さるころさんからの視点としてウソはないのだろうけど、元夫さんからの視点を読みたいと思った。読めることはないだろうけど。
2月 | 前作の売り上げ分析、反省会 |
3月 | 新番組会議 |
4月 | 企画書承認、監督決定 |
5月 | 新コンセプト完成 |
6月 | キャラデザ、BGM発注、声優オーディション |
7月第1週目 | キービジュアル完成 |
7月第2週目 | テーマ曲、エンディング曲、メインBGM完成 |
7月第3週目 | 設定資料完成 |
8月第1週目 | 玩具向け音声の吹込み |
8月第2週目 | シナリオ発注開始 |
8月第3週目 | テーマ曲、エンディング曲の歌手オーディション |
9月第1週目 | 中国に玩具試作品発注 |
9月第2週目 | スマホ向けアプリ発注 |
9月第3週目 | webサイト発注 |
10月第1週目 | テーマ曲、エンディング曲録音 |
10月第2週目 | エンディング曲ダンス振り付け発注 |
11月第1週目 | 2月発売の玩具量産開始 |
11月第2週目 | 第1話パイロットフィルム完成 |
11月第3週目 | 12月下旬発売雑誌向け原稿入稿 |
11月第4週目 | ダンスDVD撮影 |
12月第1週目 | 小売店向け説明会 |
12月第2週目 | 第2話完成 販促DVD、印刷物の発注 |
12月第3週目 | 第3話完成 |
12月第4週目 | 第4話完成 |
12月クリスマス商戦後 | 新シリーズ発表 |
1月第1週目 | 声優発表 |
1月第2週目 | 第5話完成 |
1月第3週目 | 第6話完成 |
1月第4週目 | 第7話完成 記者会見 |
2月第1週目 | 本放送スタート |
数合わせなのか気まぐれか分からないが、同僚から合コンに誘われた。
俺にとって初めての合コンなので、気合を入れて2万円くらいで上下の服を揃えて臨んだ。
いざ合コン当日になって4人の女の子と会ってみると、かわいい雰囲気のある子達だった。少し場慣れしている感があって残念な気持ちになったけど、一人でもデートに誘えればいいなと思った。
A子B子C子D子とすると、A子は上品さが溢れていて、B子C子はアウトドア系、D子はかわいい服系?よく分からんがこんな感じだった。第一印象ではA子が一番良かった。
幹事の同僚が少し洒落た居酒屋へ7人を誘導する。料理の味はそんなに良くなかった。しかし同僚が反省会で言うには、味は関係なく、雰囲気が最重要らしい。
男と女がそれぞれ一列になってテーブル席に座った。間接照明がある居酒屋はなんだか居心地が良かった。女の子達もリラックスしている様子だった。
しかしいざ話し出すと、様子がおかしい。女の子達から俺たちへの興味が感じられなかったのだ。
幹事の同僚は盛り上げ上手ではあるものの、少し奥手で実は半分くらい人見知りな面があるらしい。仲良くなるにつれて居心地が悪くなると言う意味のわからないことをボヤいていた気がする。
それに気づいたのか分からないが、女の子達も次第に笑顔が少なくなっていく。こうなってくると、残りの男3人で盛り上げなくてはならなかった。
しかし俺は、盛り上げるということが分からなかったから、ひたすらテンションで乗り切った。何回もウェーイと言った。黒歴史とはまさにこのことだろう。
しかしそのテンションのおかげか、A子のラインはゲットすることができた。不幸中の幸いだ。
しかしまたもや、A子からは素っ気のないラインが返ってくる。俺への興味がまるでなく、およそ1時間ごとに送られてくる返信に、俺はゲンナリした。
恋愛とはなんと面倒なことだろうと思った。デートに漕ぎ着くことすら遥か先にあって、霧がかかっていた。もはやゴールがどの方角かすら分からなかった。
この時期多いであろう忘年会という名の無礼講、クリパという名の寄せ集めバカ騒ぎに辟易としている全ての人々に捧ぐ
結論としては、もう俺は誘われたからといって安直に飲み会参加を決めないことにした。
周りがうざいからとかじゃない。うざいときもあるけどほぼ問題は自分なのはわかってるからそこについて。
俺はコミュ障だ。それはとっくの昔に自覚済みで、コミュ障改善のため学校やバイト先で頑張ったり本読んだりしてきた(好きな子とかパリピみたいな奴と汗かきながら話した後は通常の五割増でコミュニケーションが上手くいく気がする)。
そのおかげかわからんけどかなり友達も増えたし中学の頃よりはよっぽどまともになったと勘違いして最近調子に乗ってたんだと思う。
こないだ少し早めの忘年会ということで、元バイト先の飲みに誘われた。
メンツはよく知っている人もいる中で、あんまり話したことない同期とか年が離れた先輩とかもちらほら。
呼んでくれた先輩は俺みたいなのにも気さくに接してくれた人で、まあその人いるし、仲良い人もいるにはいるから余裕だろと謎に過信して参加することにした。
で当日、
参加者は結局10人を超え、ワ○ミになだれ込んだ俺たちはテーブル二つに分かれて座ることになったんだけど俺の座った方が地獄。
静かすぎる地獄。俺、あんまり話したことない先輩、あんまりryその2、仲良い同期、とっつきにくい同期という布陣に俺は何をどう話したらいいか分からず地蔵になった。
みんな自分から何も話さない。空気がこわばり、それに呑まれたのか俺は心理的にもう何もできねえなこれと諦めた。
他の面々は探り探りといった感じで主に沈黙。
隣のテーブルに主催者の先輩をはじめ盛り上げ上手な人が固まってしまい盛り上がり格差が生まれてしまった。
で、隣がワッと沸くたびに気まずい雰囲気が流れ、あまり話したことない先輩1,2が気にしてません風でこっち静かだねえと笑う。
そこから話が誰かに振られ、ようやくたどたどしくも会話が始まり、そのまま盛り上がることもあれば鎮火していくこともあった。
俺は本当にどうも出来ないままサラダ食ったり他の人の発言に笑ったりジムビーム飲んだりしてやり過ごしつつ、どうしてこうなったと脳内緊急反省会を開き、自分のコミュニケーション力のレベルを棚卸しした。
現状不自由なく出来ることは
・笑う
・話の流れで質問
・自分の話
この程度が自分の本当の実力だと整理した。
俺に出来ることは、全部他人ありきの受け身か、
すごく優しい人が聞いてくれるという安心感があった上でする自分語りだけだった。そもそも今まで上手く行ってたように思ってたのは、面白くて心優しい友人たちのおかげだったのだ。
最初にコミュ障改善しようと思ったときは上に書いたことさえもできなかったゴミだったから成長はまあしてると思う。
ただ自分と同じく受け身の人間の集まりでは手も足も出ないんだなと。
そこまで把握して脳内会議は打ち切って、後半のマジで話すことなくなってたまに皆が斜め下ってかテーブルを見つめる空間が生まれるような地獄の極みを乗り切り、
なぜか俺は、疲れていたせいか少しだけ泣きながら家に帰った。
例えば、この全員コミュ障のテーブルの中に1人か2人普通にコミュニケーションがとれる人間がいたら俺も何とか戦えたかもしれない。
成長は自分の能力よりも少しだけ上の環境でやるのがいいと思う。
それかものすごい達人ばっかりがいるところ。今日みたいな不毛地帯に花畑を作るようなところ、俺にはとてもじゃないけど力不足。
それができないと辛くなるだけ。まあ今回は気づけたから良しとして、次からはメンツと自分の力量を見極めてから行く。
でももう俺疲れたよ!!!飲み会行ってよくわかんない別に話したくもない奴と頑張って話して何になるんだよ!!というかそんなに人にわざわざ話すことなんてねえわ!!!そんな時間あったらポケモンやりたいの俺は!!!!!
あーー人里離れた山奥でひとり暮らしたい。誰にも会わず、誰とも話さず生きれたらどんなにいいだろう。傷付くことなく本読んで勉強してさ。
こんな自分なりに頑張ってみてもコミュ強は生まれたときから強い。積んでるエンジンが違うからどこまで走っても追いつけねー、はあ。もうどうしたらいい。人生辛い。絶対変な人って思われた。死にたい。
ってことでした。まとめるつもりなかった。
とりあえず生きるよ
・未だに夢に出てくるトラウマを成仏させるために退職エントリ書く。
・某広告代理店ほどひどくないけど、振り返ると相当ひどい。
・できるだけ事実に即して書く。けど信じるか信じないかはおまかせ。
・目的の気持ちの整理、なのでわかりやすくもない。だいぶ前の話なので時系列もバラバラ。
・もし書いてる人がわかっても、そっとしておいてください。もう関わりたくない。
・PRは上手くメディアに頻繁に露出していたが、採用関係は実情と離れすぎて社員の評判は冷え冷え。現場とのギャップが常にあった。
・やたら某社の役員ばっか入ってくるけど、だいたい半年~1年以内で辞める。そのたびに現場が振り回される。
・オフィスが汚い。新品を買うという発想が総務にない。
・苦労して獲得&戦力化した新卒が3年で半分辞める。
・新卒の給与が他の会社より低いのをあの手この手でごまかしてた。
・採用ページでただの「不安定」を「常にチャレンジングな環境」と言いたがる。
・自分も含め、日曜出社が常態化していた。社長は知ってたけど黙認してた。
・↑の事実認識が甘い役員がGPTW(※働きがいのある会社ランキング)でトップになりてぇと言い出すも、
アンケート結果で会社の惨状が露呈。会社全体のテンションが下がる結果に。
・社長は社会起業家とかいわれる。この界隈の経営者はインテリヤクザ、まじでヤクザ。
・無表情で威圧&高速の罵倒で精神力を削ってくる。いいのは外面だけ。
・絶対ムリな予算立てる。案の定達成できなくて社長が毎回会議でキレる。でもインタビューでは何か美談になってる。
・担当者の休日出勤が確定してる毎週定例作業が4年間くらい放置されてた、IT企業のくせに。
・自分の上司が3ヶ月に1回変わった。指示も全部違うものだった。
・パートさんを深夜2時近くまで働かせていた。はっきり言ってどうかしてる。
・上司と話してると汗が止まらなくなった。その様子を笑われた。
・上司に詰められているとき、涙が止まらなくなりもうダメだと思った。
・お前みたいなやつは殴られても仕方ないみたいなことを遠回しに言って来た。
・パートさんが定期的にヒステリーを起こす。なぜか自分が上司から怒られる。人間不信になった。
・パワハラが横行しているが、誰も指摘できない。社内通報制度なんてものはない。
【人事・労務】
・3年目に総労働時間計算したら400h/月超えてて、労務にどうしたらいいですかって言ったら、上司に相談してくださいといわれただけで終わった。基本労務は何もしないんだなと思った。
・精神を病んで会社に行けなくなり、人事にメールで休む連絡をしたが無断欠勤にされた。
・面談と称して最寄りじゃない駅の喫茶店に呼び出される。2時間説教されて終わり。
・退職面談の時に↑の話をしたら、自分にできることはなかったか考えろと説教された。
(くたばれと思った。)
【自部署】
・一次会⇒仕事の話、上司がやたら熱い(笑)夢とか語っちゃう。
・二次会⇒ゴシップ(特に恋愛系)、会社/特に上司の愚痴しか言わない
【営業】
・ナチュラルにルールを無視。なぜか強気&謝らない。(これで営業嫌いになった)
【開発】
・コードかけるエンジニアが社員にほとんどいなかった。ほとんど技術派遣だった。
(やめてから知った)
・よく聞く入社理由:ビジョン、成長できる環境、ソーシャルビジネス
・よく聞く退職理由:給与が低い、仕事のレベルが低い、想像以上に動物園(会社が)
・新卒の人は、基本起業、独立考えてる人じゃないとベンチャーは辛いと思う。
・8時半集合に対して両日とも相方が遅刻してきた(自分はちゃんと起きて待ってた)
・ネットプリントでポスター(A3サイズ)作ってきたら2日目に相方が真似してポスター作ってきたけどいざコンビニで印刷したらL判
・季節柄、ハロウィンモチーフのグッズがよく売れたのだけど2日目に相方が真似して私の絵を丸パクリしたグッズを作ってきた
・↑しかも色抜けはみ出し構図なにをとっても普段よりもひどい(そりゃあ一夜漬けの突貫工事じゃなあ…)
・ていうか一晩で一枚絵上げられるなら他のグッズの締切落としてんじゃねーよクズ
・私の出展物に対して相方の出展物が全く売れないことに対して、相方、言い訳という名の現実逃避をひたすらし始めた
・そんな中相方、「昨年の画風のほうが良かった」と言われて2日目にはその昨年の画風で作った作品を何点か持ち込み。とにかく媚び売ってるようにしか見えなくて、自分の好みの画風とか自分の方向性は大事にしないのかなと思った。
・ブースに来る人の「相方の知り合い率」がめちゃくちゃ高い(顔広いなぁ。羨ましい。私、蚊帳の外w)
・↑そんな中、身内票が入りまくる相方の販売物vs身内が全く来ない私の販売物がほぼ同数(むしろ、私のほうがちょっと多いくらい)売れたのでちょっと勝った気になってる。
……うーん。後日反省会を開く予定はしているのだけどどこから突っ込めばいいだろうか。
これ全部言ったらただの嫌味だしなぁ。あーやだやだ。
(ブログを書くと文章力上がってプログラミングうまくなるって聞いたから)
最近不眠だったり、会社から帰ってきてすぐに寝てしまい夜中に目が覚めてそのまま朝に~ってことが多かったのだけど、ゆうべは久しぶりにいい時間に眠りにつけた。(と言っても結局入眠したのは2時頃)
たぶん一昨日眠れなくて貫徹したからだと思うけど。
とにかく本当に体調が良くない。今日も11時半ぐらいに出勤。道中、ずっと吐きそうだった。お昼ごはんも本当は何も喉を通りそうになかったけど、無理やりパックゼリーを流し込んだ。上司はいつも「無理すんなよ」と優しく言ってくれるものだけど、自分自身は罪悪感でいっぱい。ちなみに、前期休みすぎて今期分の有給を支給してもらえていないので、休めば休むだけ給料が減る。今月の給料は(1万円の通勤手当を含めて)5桁だった。多分来月もそれぐらいになるだろう。
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10/1のイベント合わせで友人と共同作業していた原稿がゆうべ11時頃にやっと入稿できた。当初、締切を9/18と取り決めていたのだけど、自分が早々に原稿を仕上げておいただけに、まさか約1週間も遅らされるなんて思いもしなかった…。
「8日間仕上げ」と書いてあったのでまだ間に合うだろう…と思っていたが、同人印刷所によくある「イベント合わせ締切」のページ。それを見たら9/21AMだったんだって。笑っちゃう。元々の9/18締切を遵守できていたら、入稿用データへの変換込みでも余裕で間に合っただろうに。でもきっと、あそこの印刷所は優しいから指定納入日に間に合わせてくれる。以前自分が営業事務をしていたときに、顧客要望の規格外の納期に困らされていたことが幾度となくあったので、それをよもや自分(たち)がやってしまうなんて、胸が痛む。「短納期で申し訳ございませんが宜しくお願いします」なんて謝罪文を入れても、業者の窓口担当者の神経を逆撫でするだけなんで、何も書かなかった。
イベント当日に向けて、まだまだやらなくてはいけないことが山積みだ。他に作るグッズは缶バッジ2種、缶バッジ型のボトルオープナー、ポストカード、ダイカットステッカー、トートバッグ、フリーペーパー。あとそれから、展示ブースを飾り付けるためのポスターを何枚か。
人の心配ばっかりしてしまう。ただでさえカレンダーの納期を1週間も遅らされたんだ。上に書いたグッズ類の原稿データは、まだ友人はほとんど完成していないだろう。特に気をつけなくてはいけないのが缶バッジ系のグッズとトートバッグだ。
缶バッジはこれも印刷所への発注が必要で、納期が4~5日かかる。友人は上記のものに付け加えて缶バッジミラーも1種類作りたいという。ぶっちゃけ57mmサイズの350dpiなので原稿サイズはそんなに大きくなく、作成は困難ではないと思うけど… 日曜までには入稿するから間に合わせてくれ、と連絡し、自分は3種中の2種ゆうべのうちに終わらせておいた。今日帰宅したら残りの1種も完成させ、他のグッズ原稿に取り掛かるつもりだ。
それから、トートバッグ。友人の希望で合作イラストにしたいという。これは業者への発注ではなく、自分達で無地のトートを購入してアイロンで転写する方法で製作するのだが、材料が何も用意できてない。原稿イラストも、合作するならするで個人で作るものよりも早めの話し合いが必要だと思う。今日まで全く話題に出していないけど……。
それ以外でも、各自家で印刷できるとはいえど結局それぞれ原稿データを作成しなくてはいけない。果たしてこんな物量が当日までに間に合うのか?
最悪、間に合いそうに無ければ自分が手伝うと声もかけてあるし、助けることも出来るが、なにせ自身の状況(忙しいとか、体調がどうとか)を話してくれないし、どこかで言及しているわけでもないので、手の差し伸べようがない。
昨日も似たようなことをしたけど、こうして現状を書き出してみると改めて危機感を持てるので、相方のケツ叩きもできるし自分の筆も乗ってくる。相方から見えない場所ではあるけど、毎日進捗をまとめてみようか。
2日に渡るイベントが終わったら、一緒に晩ごはんを食べながら反省会をしよう、なんて死亡フラグみたいな約束をした気がするけど、増田に書いてることをやんわりと伝えてみようか。その前に、フラグ回収して本当に死ななければいいんだけど。
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