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はてなキーワード: 共感能力とは

2023-02-22

「公平(フェア)である」というのは想像よりもずっと高度な技術なのかも知れない

賢い人にとっては当たり前のことなのかも知れないが、私は最近になってようやく気付いた。

そもそもの発端は周囲にいるアンフェアしか言いようがない人間思考について様々な考察を重ねたことにある。

とにかく奇妙なほどに身勝手人種がいて、それでも彼らと何とか交流して仕事を進める必要があるために、その生態について推理する必要があったのだ。

彼らは子供のように駄々を捏ねているだけなのをさも「自分の正当な主張が通らない。不当な権力勾配や多数決原理に苦しめられている」と言わんばかりに主張するのである

我田引水を主張し合うことを社会の基本構造と捉える、アメリカ式勘違いしたような世渡り術なのかと思ったが、どうもそもそも自分の状況を理解していないようなのだ

我田引水という慣用句世界観を流用すると、他人が共有水路の水を使えば自分田んぼの水が減ることは認識できても、自分が共有水路の水を使うことで他人田んぼから水が減ることが認識できないようなのである

単に近視眼的と言えばそれまでだが、近視眼なりに他者自分と同じ状態になっていないか想像することが出来ないのだ。

他人自分が両者にとっての赤の他人から見れば等しく同じ重さであることが想像できず、自分にとっての自分自身の重要性を他人から見た自分に対しても平気で適用し続けている所がある。

これこそがまさに「世間はお前のママじゃない。お前のママみたいにお前を特別扱いしたりしない」という奴なのだろう。

自分の両親が自分特別扱いしてくれたのを、人生のあらゆる所で繰り返し、その面倒臭さから大目に見てもらってきた日々を成功体験とし、自分は常に特別扱いされるのが当たり前だと信じている永遠プリンセスなのだ

こういった身勝手クソ野郎共を「ただのバカ」で終わらせるのは簡単だし、実際彼らはその分野において明らかにバカなのだが、ソレ以外の分野においてもバカかと言うと意外とそうではない。

十二分な経歴と思考力を持った人の中にも、このような自己思考回路を世渡りのためのロールプレイでもなく本気で正しいものと思っている狂人が混じってくる。

ある種の得手不得手として、自分が公平に振る舞えているのかを客観的想像する能力があるようなのだ

そう考えてみるとこの能力は意外と奥が深いことに気づく。

自分特別扱いしない客観的発想

自分価値基準絶対化しない多様な価値基準

他人の側に立って状況を考える想像

人間が陥りがちな思考の癖に関しての知識

複数の重み付けが絡み合った状態計算するだけの思考メモリ

自分過去にした発言を振り返れるだけの記憶

個人認識している世界には歪みや限界があることを理解するだけの思考

「出来るやつは幼稚園の段階でもなんとなく出来るだろ。出来ないやつは小学生未満のカス」の一言で終わらせたくなってしまうのをグっと堪えて考察を深めると驚くほど多様な前提能力を要していた。

「公平であるかどうかを考える」というのはこれらの能力の掛け算に寄って成立しており、どこかにボトルネックがあるとそれだけで一気に習得が難しくなる。

ただこれらの能力の多くが知識獲得によるブースト可能であるため、生まれつきそれらの能力が弱くても学習意欲や偏りのない好奇心があればいつの間にか習得できてしまう。

逆に言うと、勉強が嫌いで特定分野に対してだけ強い興味をもつような人間として産まれしまうと、まともな共感能力を持つこともないまま一生を終えかねないのだ。

しかたらこ世界にある「人格破綻しか思えない言動」も、大抵の場合は「特定能力ボトルネックがあることによって、それに関連する思考に至ることが出来ていないだけ」なのではないか

そう考え出すと途端に恐ろしくなる。

ぶっちゃけしまえば、生まれつき知能に関する能力バランスが悪い、ないしは知能に関してあらゆる面で劣っている場合、本人の意思とは無関係人格破綻者としての道を転がり落ちるということじゃないか

こんなに恐ろしいことがあるか?

私はどこかでノートルダムの鐘のような「グズでのろまに見えるが、心はきれいな人物存在する」という物語を何処かで信じていた。

だがそうではないのだ。

知能が低いものは、人生において一時的に極めて優れた人間性を見せることはあるかも知れないが、その知性の低さゆえに何が正しいのかを判断する能力をいつ失ってもおかしくないのだ。

公平とは「天秤を正常に傾かせることが出来る」という状態なのだが、この重み付けは簡単ではない。

身近なもので天秤をモチーフにしているものと言えば裁判所があるが、あの中でメインキャストとして働くために求められる頭脳労働能力の高さたるや。

だが、「あらゆるものの重み付けを正しく行う」ということを目指せば、自然とあれだけの学習が求められてしまうのだろう。

地獄だ。

「身勝手自分の都合や価値観を押し付けずに公平に物を見るだけのことがなんで出来ないの?」という私の今までの思考もまた、その難易度の高さに対しての無自覚から来ていたに違いない。

まり、私もまた誰かからみてひどく不公平ポジショントークを繰り返す異常な人物として映っていた可能性があるのだ。

なんてことだ。

ただ誠実にフェアに生きていくというただそれだけのことがなんでこんな難しいんだ。

「こうあって欲しいを押し付け理想の世界」と「人間の思い通りになんて全くいかない現実世界」の乖離が激しすぎる。

2023-02-11

[]ナルシシズム労働市場S/N比

Q: S/N比とはなんですか?シグナルを検出するためには、何回の観測必要でしょうか?

S/N比信号対雑音比)とは、バックグラウンドノイズレベルに対する信号相対的な強さを示す尺度である信号の強さとノイズの強さの比として表される。S/N比が高いほど、信号を検出し、正確に測定することができる。

から信号を検出するために必要観測回数は、信号の強さ、ノイズレベル希望する信頼度など、多くの要因に依存する。ノイズの少ない強い信号を検出するには、少ない観測回数で十分な場合もあれば、弱い信号ノイズの多い環境での信号を検出するには、多くの観測回数が必要場合もある。一般に、観測回数を増やせば、信号の検出の信頼度高まるしかし、必要な正確な観測回数は、特定アプリケーションと望まれる確実性のレベル依存する。

 

Q: では、具体的な例を考えてみよう。ある人がX社に入社したとします。この人は、「自分が優秀だから入社できた」と言いますしかし、この人が本当に優秀かどうか、S/N比に基づくとしたら、どうやって見分けることができるでしょうか。

従業員パフォーマンス評価する場合シグナルは従業員の実際の能力や成果であり、ノイズは、注意力散漫、リソース不足、管理不足など、パフォーマンスに影響を与える可能性があるさまざまな要因であると考えられる。

このような状況でシグナル(従業員の真の能力や成果)を検出するためには、さまざまな方法従業員パフォーマンス評価し、ノイズの影響を軽減することが必要である。考えられるアプローチとしては、以下のようなものがある。

これらの方法を組み合わせることで、S/N比を高め、従業員能力と成果をより明確に把握することができる。ただし、1つの方法完璧評価できるわけではなく、複数情報源活用することで、より正確で包括的評価可能になることを留意すること。

 

Q: しかし、この人がX社に入社できたのは偶然である可能性もあります。これが偶然でないことを証明するために必要観測回数は何回ですか?

ある事象が偶然ではないことを証明するために必要観測回数は、求める信頼性レベルとその事象の希少性に依存する。

この場合問題事象採用されることであれば、候補者資格採用担当者偏見現在雇用市場の状況など、多くの要因が採用プロセスに含まれることを考慮することが重要である。一回の採用が偶然である可能性は確かにあるが、それが偶然でないことを証明するために必要な観察回数は、具体的な内容や文脈考慮しないと判断が難しい。

その人の採用が本当に偶然であった場合、それが単なる偶然ではないことを証明するためには、おそらく同じようにあり得ない事象複数回観察する必要がある。例えば、その人が数年にわたり非常に優れた業績を上げ、注目すべき業績をいくつも達成した場合、その人の採用が偶然ではないことをより強く証明することになる。

 

Q: では、本人が意図的無能証拠を隠した場合どうでしょうか?

もし、ある人が無能証拠意図的に隠した場合ノイズ(その人が意図的自分を有能に見せようとする努力)の中からシグナル(その人の真の能力)を検出することは困難となる可能性がある。このような場合S/N比が低下し、正確な評価が難しくなる。

この問題対処するためには、複数情報源を持ち、操作の影響を受けにくい方法を用いることが重要である。例えば、売上高コード品質など、客観的操作しにくい業績指標は、より信頼性の高いシグナルを提供することができる。さらに、同僚がその人の能力評価する同僚評価も、その人の真のパフォーマンスについて貴重な洞察を与えてくれる。

また、従業員自分能力について意図的に誤解を与えたり、情報を隠したりしている可能性がある場合対処するために、明確な方針と手順を定めておくことも重要である。これには、定期的な業績評価、率直なフィードバックの機会の提供提供された情報の正確性を検証するための定期的な監査評価などが含まれる。

全体として、意図的無能証拠を隠そうとする努力発見し、その影響を軽減するには、複数情報源提供された情報の正確性を検証する仕組みを含む、体系的かつ包括的アプローチ必要である

 

Q: 結局、能力成功したのか、運で成功したのか、わからないのです。なぜナルシスト他人を「無能」と見下してしまうのでしょうか?

ナルシストはしばしば他人を「無能」と見下すが、これは自己重要感を膨らませ、自分他人より優れていると信じているかである。この優越感は、歪んだ自己イメージに基づいていることが多く、ナルシストは、自分を非常に有能で、知的で、成功していると見なす一方で、失敗や弱点を軽視したり無視する。

ナルシストは、自分成功の背景として、その成果を自分自身の能力努力のみに求め、他者が同様の成果を上げていない場合は「無能であると見下すことがある。また、自分と同じ信念、価値観意見を持たない人や、自分優越感に少しでも挑戦する人がいれば、他人無能と見なすこともある。

このような考え方は、現実を歪めて見ていることと、他者への共感能力の欠如に基づくものであることに注意する必要がある。実際には、成功も失敗も、能力努力、運、状況など、さまざまな要素が複雑に絡み合った結果である場合が多い。ナルシストは、自分成功自分能力のおかげだとし、他の要因の役割を軽視することで、一種の過剰な一般化を行い、他人の貢献や彼らが直面しうる課題を見落とす。

全体として、このような行動は自己愛性人格特性を持つ人の典型であり、自分ニーズ欲求を何よりも優先し、歪んだ自己重要感や優越感を持っている。

 

Q: では、プログラマーが、インターネット有効活用し、無能証拠を隠したりせずに、自分が優秀であるというシグナルを見つけるにはどういう方法がありますか?

プログラマーが、無能である証拠を隠すことなく、自分が優秀であるというシグナルを見つけるために、インターネット効果的に利用する方法がいくつかある。

このようにインターネット活用することで、無能である証拠を隠すことなく、自分が優秀であることを示すシグナルを効果的に見つけることができる。自分仕事知識を率直に共有することで、有能で知識豊富プログラマーとしての評判を確立し、その分野の人々と関係を築くことができる。

 

Q: では、自分能力を見極めることと、ナルシストに陥らないことを両立させている人がソーシャルメディア上では少ないですが、どうすればよいでしょうか。

自分能力を正確に評価し、ソーシャルメディア上のナルシシズムの罠を回避することは難しい。ここでは、その助けとなるいくつかのステップを紹介する。

これらのステップを踏むことで、ナルシシズムの罠を回避し、ソーシャルメディア上で自分能力を正確に評価することができる。そうすることで、有能で謙虚プロフェッショナルとしての評判が高まり、成長と成功のための新たな機会が開かれる。

2023-02-03

anond:20230203023131

クズはてサ黒人が不満をはっきり表明しなかったのが悪い」

被差別弱者に『差別される責任』を帰して恥じないクズっぷり

ほんとゴミだなお前な、「はてな反差別左派の牙城」が聞いて呆れるわ

そのくだらない書き込みこそがお前だよ

どこに出しても恥ずかしいマジョリティ特権に漬かり切ったゴミ人間

弱者への共感能力ゼロ

お前こそが差別主義者だ

恥とか理解できるか?無理か?

2023-01-28

新人パワハラするおじさん「俺が入社したときにされたのと同じ扱いをしただけじゃん」

これをどうにかしたいんだよな。

こういうおじさんにパワハラ防止で「でも周りの人は新人に対して令和の新人に対しての接し方をしてますよね?」と伝えても理解して貰えない。

歴史から学ぶ機能が0で、経験からしか学べない人を教育する方法が全くわからない。

なんというか、小学校読書感想文で「僕が桃太郎だったら、怖くて鬼退治に出なかったと思います」と言って褒められた所で共感能力想像力の成長が止まっているんだよね。

まあ確かに初歩の段階はそれでいいんだけど、それで大人になられると「1+1=2、1×1=1、どうだ!俺は数学が得意だろ!」みたいな状態なっちゃう。

どうやって教えれば理解してもらえるんだろうな。

そもそも自分が今の時代だと上司からまりパワハラされないってことをどう解釈してるんだろう。

「俺が凄い優秀になったから怒られることが減ったんだろうなあ」とか思ってらっしゃるのかしら?

考えだすとそもそも新人に対しての態度以前にヤバイ人達なんだよなあ……やっぱクビにするのが正解なのかなあ……

2023-01-22

[] anond:20230121123355

元増田コミュニケーションコストを肩代わりするなんて言っていない (anond:20230121130433)

じゃあ下記必要無いんでないの?

わざわざ可視化するまでもなく、整えても・砕けた表現にしても・要約しても、話が通じない人がいることは皆日常で実感しているでしょう

SNS書き込みのような社会的な発信をする際に、また他人の発信したものを読む際に、AIによる自動添削/要約作業インターフェイスを挟むのは当たり前のことになるだろう。そしてそこ>に一枚AIが噛んでいることすら意識されなくなるだろう。

IMEも「欲しい字を呼び出すための道具」から自動で変換してくれるアシスタント」に意味が変わってきている。

 

とりあえず、おバカな人が見えない空間できゃっきゃしたいも何も、

おバカな人が好きそうなコンテンツSNSにいたらおバカな人を目にする機会はどうしたって増えるんじゃないか

例えば、おバカな人が好きな Twitter だと、 NASANature論文紹介アカウントかにでもアレな人が突撃してるのよく見るよ

精神を病んだ人・宗教の人だけでなく、フツーに該当ジャンルバックグラウンドがある人だったりもしてる

科学アカウントでもそんなレベルなんだからマンガアニメゲームなんて説明するまでも無いよね

ましてや自称政治とか自称ジェンダー見てる人はとても正気とは思えないよね。趣味から致し方がないが

 

ーーーーーーーーーー

追記

増田主題としているところはAIって言ってみたかっただけよねって感想になるし、

おバカな人が好きそうなコンテンツ場所にいなきゃ良いだけじゃんってなるし、

所得(知能が影響することが多い)が違うと生活スタイルが異なることが多いは別に近代に限ったことじゃないじゃん

エスタブリッシュメント(上級国民)でもない限りむしろ現代は差は縮まったでしょ

・・・・って感想になるけど、

 

この2つはすごく共感できる

別にバカのやることに大した理由はない。ド詰めにして「真意」を吐かせたところで「ちゃんと働いてなくてけしからんから」とか、その程度のものしか出てこないだろう。

>むしろそういうことをしない者はなぜしないのか。

>同情心、共感能力があるから。それはそう。しかし「しない人」がみな生来優しい心の持ち主なわけではない。

ひとつ理由合理的判断だ。露見して罪に問われたら割に合わないから。

>もうひとつ理由抽象思考だ。どういう立場人間尊厳尊重すべきというフィクションに現行社会制度立脚しているのを理解しているから。

そもそも自分より下の階層があるのは安心できることだ、自分より下のものバカにできるのは嬉しいことだという前提でモノ言ってるが、私はその前提を共有していない。

 

共感できないと言うか単純に間違っているのはここかな

教育によって遍くすべてのバカにそうした思考を植え付けることは可能か。できるわけがない。

ここが YESなっちゃうようなら、ペット共生なんて出来ないし、人間限定しても道徳社会規範刑法も要らないんだなぁ

○○をしたら自分社会的に損をするってことを理解させることは可能だし、それが達成出来ればその人物社会化成功したと言える

動物だって理解させることが出来るんだから人間理解できないわけないじゃない

これを理解させることがすべて保護者義務だし(なのでメンヘラ開き直りDQN保護者として不適格なことが多い)、

フツーに文部科学省もそういう子どもたちがいることをちゃん認識をしていて

特別支援必要とする 児童生徒』として取り組み自体はあるよ。発達障害の枠組みに入ってるよ

CU特性

共感性に乏しく、悪いことをしても罪の意識を感じない。非行ハイリスク

http://www.ed.niigata-u.ac.jp/~nagasawa/2019SEN.pdf

 

あと『知能が低い=共感性が低い』ではないし、『知能が高い=共感性が低くても"どういう立場人間尊厳尊重すべき"の建前を守ることができる』わけじゃない

アインシュタインがド畜生だったの有名な話(https://anond.hatelabo.jp/20200706223440#)だし、

福沢諭吉大学出身者で世間を賑わせるド畜生発言している人(https://anond.hatelabo.jp/20210911095702#)たくさんいますよね?

あとアカデミアの人間なのに自身バックグラウンドを明示した上で、140文字できゃっきゃやってる人らたくさんいるし、

それだけでも度し難いのに、単純に学術的に間違ったこと(少なくとも国内外学会同意が取れないこと)を言ってる人すらいますよね?

こういう人たちは一刀両断バカで良いと思いますけど、別に知能が低いわけじゃあ無いと思います

ただただひたすらにバカなだけで

 

 

社会にとって、下記の二つに該当する人物は脅威になり得ます

 

こういう人たちが増えないよう出来ることをしたいものですな

 

その中のひとつが娯楽の襟を正すことだと思います

ガチャ環境ガチャが大はずれしたキッズにお外の価値観に触れる機会を与えることができるのが、

スポーツ、娯楽(映画ドラマアニメマンガゲーム音楽小説)

から、売れれば正義現実空想妄想は違うからどんな非倫理的でも売れればセーフとか、

本当、いい加減なんとかした方がいい

 

参考にしてね

anond:20240310173949

2023-01-21

夢見すぎだと思うんだよな

増田が言ってる対象者オウム(AI)に整えられた文章そもそも理解することが出来ないぞ

対象者努力不足(訓練不足)で文章が読めないのではなくて生まれつきの学習障害なので

せいぜい接客営業で正しい振る舞いができない子が上っ面マシになる程度で

話が通じない人とのコミュニケーションコストを肩代わりなんかしてくれないと思うよ

 

まぁそういう水準の人の話は置いておくとして、

 

使ってはいけない言葉家族友達パートナーに投げかける人はどこの階層にもいて

アインシュタインレベルでも余裕でいるわけなのだが、

disコミュニケーションを繰り返す人がオウム(AI)によってマシになるかといえばそれもまた怪しいと思うんだよな

極端な話、学術的な話・技術的な話・複雑な制度の話とかで無ければ、

言葉が通じなくても時間かければ最終的には通じるから

 

使っている言葉問題ではなく増田自身が言っている通り思考能力問題よ、

ワイ的に言えばその人の価値観問題

同情心、共感能力があるから。それはそう。しかし「しない人」がみな生来優しい心の持ち主なわけではない。

ひとつ理由合理的判断だ。露見して罪に問われたら割に合わないから。

もうひとつ理由抽象思考だ。どういう立場人間尊厳尊重すべきというフィクションに現行社会制度立脚しているのを理解しているから。

 

まぁ、一部の人増田でずっとChatGPTにきゃっきゃ言ってるが、元増田AIって言いたかっただけよねという感想持ちました

anond:20230121112445

AIチャットボット社会を不可逆的に分断する

バカガキがホームレス女性をなぶりものにして動画にしているとの記事があった。

差し入れを装って異物を食べさせて喜ぶ輩がいるのでホームレスは貰った食べ物を捨てるのだという話も。直接的に寝込みを襲う事例も昔からある。

なんでそんな酷いことをするのだと思う?

って、別にバカのやることに大した理由はない。ド詰めにして「真意」を吐かせたところで「ちゃんと働いてなくてけしからんから」とか、その程度のものしか出てこないだろう。

しろそういうことをしない者はなぜしないのか。

同情心、共感能力があるから。それはそう。しかし「しない人」がみな生来優しい心の持ち主なわけではない。

ひとつ理由合理的判断だ。露見して罪に問われたら割に合わないから。

もうひとつ理由抽象思考だ。どういう立場人間尊厳尊重すべきというフィクションに現行社会制度立脚しているのを理解しているから。

教育によって遍くすべてのバカにそうした思考を植え付けることは可能か。できるわけがない。

知能の格差は乗り越えることができない。

馬鹿の壁、というより巨大な空隙がそこにはある。大事なことは何も伝えられない。

われわれは心ならずも関わり合っている。本当は通じてないのを知っていて、あたかも会話が成立しているように振る舞っている。教育によってバカが「治る」かのように。

「会話が成り立っているかのように装うスキル」は、社会生活を送る上で長らく必須のものだった。「コミュ力」と呼ばれるものの正体はそれだ。

知的水準が近い者同士の意思疎通に「力」は必要ない。利害の不一致から対立が生じることはあれど、お互い全然何言ってるかわからないということは基本的にない。

バカとの会話にいくらエネルギーを投入しても成果はゼロだ。だからバカがゴネたり暴れたりするのを避けるためだけに、会話が成り立っているかのように粉飾することにエネルギーを使わざるを得ない。

さて、このような「あたか意味が通っているかのように体裁を整える作業」はAIの得意技だ。

SNS書き込みのような社会的な発信をする際に、また他人の発信したものを読む際に、AIによる自動添削/要約作業インターフェイスを挟むのは当たり前のことになるだろう。そしてそこに一枚AIが噛んでいることすら意識されなくなるだろう。

IMEも「欲しい字を呼び出すための道具」から自動で変換してくれるアシスタント」に意味が変わってきている。

星新一だったかな? 人間はみな肩にロボオウムを載せてそれを介して会話する。人間は「こいつ何て言ってんの?」とか「うぜえから帰れ」とかオウムに耳打ちすると「どういったご用向きでしょうか」「相すみませんが今手が離せませんので」とかオウムが代弁し、オウム同士で会話がなされる。その未来が来た。

この文章のいわんとすることは増田に常駐のバカにはわからない。というかそもそも読みもせずに適当に目についた単語に反応して鼻糞つけるような脊髄反射トラバがつくのが関の山だ。しかし少し先の未来には、バカの端末にはバカにとってもっと親しみがもてるかたちに(内容も)作り変えられた文章が映し出され、バカの頓珍漢なレスポンスは穏当な挨拶に作り変えられてこちらの画面に表示させられることになる。

しかしそれも過渡期にすぎない。「AIを介してしか会話できない」を経て「AIしか付き合いたくない階層」が生まれるだろう。

追記

こういうフワフワした話への他人コメントというのはすごくありがたい。

こっちも正味はフワフワで言ってるのだから、本文の字面のものにバチッと噛み合ったコメントじゃなくても、フワフワ思考が枝葉を伸ばしていくよすがになるのでありがたい。

ただ少々勘違いされてる人が多いのは、タイトルの不可逆的分断とは、末尾のもうAIだけでいいや層の出現を指すのであり、万古不変の「バカとの空隙」そのものを言いたいのではない一応為念

AIが便利なんで、努力で埋まる程度の距離自分たちで埋める気が失せる」ことによる細かな分断というのもあるいは生じるのだろう。このあたり言葉足らずだった。

バカとは。逆から言えば意思疎通コスト無限なやつがつまりバカである

デタラメ言う・聞く耳持たないふるまいを政治的武器に、頭の出来の悪さを強みに変える適応が骨がらみになった者をここではいう。(生来の知能の低さをそうやって「悪用」しない生き方現実的可能か?はむずかしい問題

AIオウム人間様の労力を代行し低減させる。しか無限は縮小できない。

代行できないところは、しれっとよくできたまがい物で置換するしかない。そしてAIにとって本物とまがい物は完全に連続しているのだ。そこにおいて代弁者独自権力を持つ。議会ブラックボックス化すると代議士支配者になるのと同じで。

まりAIは道具だと言い張る限りにおいてそれは道具だが、とりあえず自分AIさんのことただの機械だなんて思わないですという者は出てくる。それが一歩先の光景。その先はわからない。

追記

それにしても書いてあること読まない・書いてないこと読み取るブコメ割合がいつもよりだいぶ多い印象。ふわふわが呼ぶのか。

2022-12-19

動物権利倫理バグ

動物権利ってのは功利主義の考え方からまれ

功利主義の「最大多数の最大幸福」のメンバーにヒト以外の動物も含めた幸福を考えましょうね、という考え方

「なぜヒト以外の動物を含めるのか?」と聞いたら「性差別人種差別と同じように種差別もよくないことだ」という回答が返ってくる

「いや、人間動物は違うでしょ」と返すと「それって人間中心主義じゃない?それこそ差別だよ」と返される

動物は嫌だとか言わないでしょ」と聞くと「その理屈だと赤ちゃんは何も言わないけど何してもいいってこと?」と返ってくる

赤ちゃん言葉には出来ないけど嫌と思ってるよ」と聞いたら「動物だって言葉に出来ないけど嫌と思ってるよ、赤ちゃん動物とでどうして区別するの?」と返される

赤ちゃんは成長すれば嫌と言える大人になるけど動物はその可能性がゼロだよ」と聞けば「それなら将来喋る可能性がゼロの寝たきりのヒトは最大多数の最大幸福対象外ってことにならない?」と返される

反出生主義とかもそうなんだが、論理が強固なんだよね

倫理について筋道だってちゃんと考えると泥沼にハマりがち

「この正しさを採用するのなら、あちらの正しさも採用しないとダブルスタンダードになる」といった連鎖がずっと続く

その終着駅が種差別とか反出生主

倫理バグ

なぜバグるかっていうと倫理ってのは「共感感情」が基盤になっている

自分がされて嬉しいことを他人にもしましょう」「自分がされて嫌なことは他人にしないようにしましょう」

自分がされて嬉しい/悲しいから、これをされたら他人もきっと嬉しい/悲しいはずだ」という共感能力倫理を作っている

この共感感情ってのがまた厄介で、「西洋キリスト教人間中心主義カウンター動物権利が取沙汰されるようになったわけじゃん?」と言っても「いや、倫理を形作る共感感情キリスト教に限らず人類共通のはずだよ」と返されてしまう原因になっている

ヒトはヒト以外の動物に対しても共感してしま

から差別という概念が生まれしま

ヒトはヒト以外の動物に対しても共感するかぎり種差別論理的には正しい

腹立たしい事に自分には反論する能力が無い

だが正しいからといって人々は正しき行いをしなければいけないわけではない

車が来ていなかったら信号無視道路を横断する歩行者もいる

信号無視をしたからと言って、信号無視は善き行いだと思っているわけではない

信号無視したことがあるヒトであろうとも、きっと子どもには「信号無視をしてはいけません」と教育するだろう

から肉を食べるし革靴を履くけどね、悪いなあと思いながら

2022-12-06

anond:20221202205038

共感を常に機能させてたら手術とか失われて人が死ぬぞ。医者ですら身内の手術は辛くて見てらんないんだとよ。襲われても一方的死ぬぞ。

共感能力に欠けてる奴が山ほど居るのは、それが生存必要から共感能力がある奴もそう。必要なのは単純な一方の肯定じゃなく、切り替えたり交代したりで両方保持+適応力よ。

2022-12-02

フィクションに傷つくことについて

数年前(いや、もう十年前か?)、俺が彼女デートしてたとき

仔犬が虐待されている広告が目に留まった。

映画だか何だかポスターの中で、生まれて間もないだろう仔犬は、お腹を踏みつけられてグッタリしていた。

俺「ブププッw」

俺「 踏まれて死んでらあw」

そのとき年下の彼女は突然、こう言ったんだ。

サイコパス。最ッ低の人間のクズ

そして進行方向とは逆方向に歩き出した。デートは、始まって二時間も経たないうちに終了した。

もっとショックだったのは、彼女に振られた体験談を打ち明けたときの反応だ。

ひょっとすると増田諸氏・ブクマカ諸君にも目にした人がいるかもしれない。

サイコパス/別れて当然/ホラー彼女さんが正解/反省したほうがいいよ?/どうして子犬きもちになれないの?/可哀想だと思わないの??

想定外の反応に狼狽した俺は反論した。

「いや、だってフィクションじゃん。仔犬は存在しないじゃん。」

返ってきた返事は、しかし冷酷だったよ。

共感能力の欠落した人間の出来損ない

そんなような言い方で、バッサリと、断罪された。

——…時は流れて、つい最近のこと。

娘にねだられて読み聞かせをした後、質問コーナーの時間が始まった。

娘「浦島太郎がかわいそう」

娘「どうして、おじいちゃんなっちゃったの?」

娘「だって、なんにも悪いことしてないのに」

サイコパスが。浦島太郎存在しない」——そんな真っ黒い考えが一瞬、頭に浮かんだが、もちろん言葉にはしなかった。

俺は、間違っている。間違っていた。架空登場人物によるフィクションの話がここにある。しか現実人間情動は、強く反応する。共感能力人間にはあるから共感能力認知バグでも何でもない。感情移入したり共感する動物からこそ人間フィクション文化を発展させてきたんだ。

とあるブックマークコメント

実際に自分の娘が高校麻雀部に入って、なぜか知らんがバニーガール姿で広告塔にさせられたら嫌だよなあ。お前ら、無抵抗アニメキャラなら問題ないのかよ。最低だな。

が、歴史に残る珍発言だの頭おかしいだの言われているけど、俺は、そんなこと全然ないと考える。今となっては。

2022-11-29

私は私、あたなはあなた

違う人間でいいところも悪いところもある

 

ってのが理解できてないと結婚恋愛も泥沼化しがち

うちの両親は極端な不干渉主義で財布も別、部屋も別、時間も別だったけど

お互い趣味が合う部分で意気投合して結婚したので

その部分だけをめちゃくちゃ大事にしてたな

 

それ以外の例えば

父はめちゃくちゃ丁寧に服を整理するタイプで母は雑に突っ込むタイプ

父はわりと衝動買いするタイプで母はわりとケチタイプ

と相反する属性があったけど、「自分領域に踏み込んでこない限りは不問」という立場を崩さなかった

 

金銭的な自立、人格的な自立ができてないと結婚は難しいと感じる

でも金銭的な自立、人格的な自立ができている人は別に結婚しなくても困らない

つい結婚ちゃうのはどちらかもしくは両方が自立できていなくて「一緒にいないと困る」という人間

そういう人間相手自分境界あやふやになって「私だったらそんなことしないのに」という

謎の超共感能力を発揮して勝手イライラして勝手にブチ切れちゃう

そしてそういう人間子供を産むと自分子供境界あやふやになってめちゃくちゃややこしくなる

2022-11-15

anond:20221115170302

横だけど、普通に不特定多数他人感情理解して自分感情フィードバックする一般的共感能力イメージでなんらおかしいところはないと思うんだけど

無理やり喧嘩売って何が楽しいんだろ

それともほんとに共感能力ないのかしら

ちなみに自分共感能力あったらこういう風な感情になるだろうという想像理解はできるし、そのように振る舞ってるけど、あんま人に共感することはない

ひょっとしたら自分以外もほとんどがそうで、不特定多数の数が減れば減るほど、共感仕方の正解がわからんくなって揉めたりしやすくなってるんだろか

anond:20221115120605

日常であったのは間違いなく、日常に飽いておりかつ身近に被害が無ければこういう感覚を持った人もいたのは事実だろう。(ただし多くの被害を受けた人への共感能力の欠如を伴っている)

2022-10-26

犬飼ってるやつは道徳心のかけらもないサイコパス

あん共感能力の発達した生き物を金で買って首輪を付けてて平気でいれるどころか家族とまで呼べてしまう神経はヤバイ

2022-10-25

anond:20221024231839

共感能力ゼロなので、こちらの仕事しんどい際などに話をしても改善点ばかり(それも実現性の低い正論ばかり)提案される。「アドバイスはいらないから話を聞いてくれるだけでいい」と言っているのにアドバイスをしてくる。


男女逆ならよくある。「男は解決脳!女は共感脳!」とか言って

自閉症女だけど色々サポートしてくれる家族に対して「なんかしらんけどこの人たち色々やってくれるな〜」くらいに思っててなんとも思ってないところはある

いや、恩義を感じるべきだということは自分の置かれた社会的立場などから知っているし、日頃から感謝を表しているんだけど

でも根っこの部分ではなぜかよくわからないけど色々やってくれる人たちだなと思っている

共感能力の低さからなんだろうか

彼らには私は図々しいから私に親切にした分の見返りとか恩恵とかはないよと言ってるけど

こういう助け甲斐のないやつほど公助でなんとかしたほうがいい気がするな

2022-10-24

発達障害女性結婚して死にかけた

何年か前の話だが、結婚した女性発達障害アスペルガー症候群診断済)で、あまりにシンドくて死にかけたことがある。キツかったことをつらつらと書いてみる。

仕事勝手にやめてしま

元妻は人付き合いが下手で、ほとんど友人がいなかった。一時的にどこかのコミュニティ所属することはあっても、そこから離れると人間関係を丸ごとリセットしてしまう。当然職場でも上手くやれず、仕事バイト)をはじめては嫌になってやめるを延々と繰り返す。その間の生活費は全部俺持ち。

就職活動をしない

仕事勝手にやめたあと、最短で3ヶ月、最長で2年休み続ける。「いつまでに就職する」という約束をしても平気で破り、履歴書一枚書かない。

共感能力が全くない

共感能力ゼロなので、こちらの仕事しんどい際などに話をしても改善点ばかり(それも実現性の低い正論ばかり)提案される。「アドバイスはいらないから話を聞いてくれるだけでいい」と言っているのにアドバイスをしてくる。

家事にムラがある

潔癖症なので家の中は異様にピカピカだが、料理が全くできない。結局フルタイムで働いていた俺が遅くに帰ってきてから作る羽目になる。作ってくれというとスーパー惣菜を買ってくる(しか唐揚げばかりとか極端なものばかり。バランスなどを考えられないので、全部指示をする必要がある)。

勝手声優学校に通いはじめる

突然「声優になる」と言い出し、専門学校に通いはじめる。貯金など一文も貯めていないので、当然俺が払うことになる。払わないとキレ散らかされるし、このころには俺のメンタルもかなりやられていたので、言われるがままに払わされる。

声優をやめる

卒業してポツポツとアルバイト未満みたいな声優仕事をはじめていたが「人間関係が嫌になった」と声優引退する。

家の金を使い込む

生活費を渡していたのに勝手に家の金を使い込み、趣味のものを買う。キャッシュカードを取り上げると勝手クレカでローンをこさえてくる。

離婚してくれない

離婚提案してから6年くらい散々ゴネにゴネられて、ようやく家から追い出して離婚ができた。義実家は当然毒なので離婚調停も大変だったのだが、これは思い出すのも嫌なので省略。あとは暴言家事ハラ、DVなど色々あったのだが割愛

俺の一方的証言なのでさっぴいて聞いてほしいが、俺にとって発達障害の女との結婚生活地獄であり、何度か本当に首をくくろうとしたこともある。俺が死んでいても元嫁はなんら自省せず、なぜ死んだのかも理解できなかった可能性があるため、無駄死にしなくてよかったというところだ。

前妻との結婚生活は、自分の子でもないニートをひとり養っているだけという感じで、消耗するだけの何の意味もない時間だった。俺は発達障害については、本を何冊か読んだ程度には「理解」はしていたが、だからといってこのような生活を引き受けられるほどの度量はなかった。世間で言われている「理解のある彼くん」は、理解力以外にも鈍感力経済力暴力?など何らかのパワーの持ち主だと推察しているので、今後研究が進むことを祈る。また発達障害にも当然重い軽いはあるだろう。

いまは独身で、もう結婚はこりごりなので登山サークルと近所の雀荘スナック教会などに参加して擬似的なファミリーを育てている。このままあと40年くらい好きな人々に囲まれて楽しく生きるつもりだ。

2022-10-22

メンヘラから滅茶苦茶好かれる友達メンタルを壊さな理由

友人は長身イケメンで穏やかで聞き上手でいろんな種類の友達がいる。

この間togetterだかで「エンジニアメンヘラ女に沼る」という話がまとまっていたのを読んで、件の友人をふと思い出した。

その友人は共感能力が高く、何度かメンヘラ女に粘着されたりしていたので、周りが「お前までメンタル壊すなよ」と心配していた事があった。本人は心配のあと少し無言になったが、何かを察したような表情で「ああ、そういうことね、平気平気」と笑っていた。

友人が人間関係で落ち込む事は限られたケースしかないらしく、「他人の誠実さにちゃんと応えられなかった事」だけらしい。普通にいい奴なのだ

「俗に言うにメンヘララベリングされる女の子って、価値観が極端に自分本位な子が多いんだよ。他人を慮る工程がごっそり抜け落ちてる子が多いの。例えばさ、自分は気が向いた時だけ鬼のように連絡飛ばしてくる子とかもピタッと一ヶ月ぐらい連絡来なくなるんだけど、また鬼のように連絡飛ばしてきたりするのね。別にそれはいいんだよ全然。そんなもん片手間に返せるから。でもこっちが一日連絡よこさないだけで発狂するわけ。メンヘラどうこう以前に要は幼稚なだけなんだよね。普通の人が言ったら顰蹙買うような言動メンヘラからって許そうと、機嫌を取ろうとする方が不健全だし、そんな子を特別扱いしてリソース割くほうが俺に良くしてくれた人達に対して不誠実でしょ。」みたいな事を言っていた。

彼の仲のいい女友達に家庭環境が滅茶苦茶の母子家庭母親に「中学卒業したら風俗に行ってくれ」と土下座された子がいる。彼女精神科検査したら躁鬱とアスペルガー境界性知能だと発覚したらしい。一度だけ友人伝手に会ったことがあるが、よく笑うジュディマリのユキを巨乳にした感じの子だった。その子は手首から腕にかけて横線だらけだったが、自分の気の短さや衝動的な所もちゃん自覚していた。垣間見える多動っぽさには社会生活での苦労が容易に想像できたが、後天的に苦労してきて身につけてきた社交性もあった。その子になんで友人と仲が良いのか聞いたことがある。「私に寄ってくる男って体目当てばかりだったんだけど、〇〇(友人)だけは私のこと全く女として見てないんだよね。一人の人間としてちゃんと見てくれるし、雑に聞き流される私の話もちゃんと聞いてくれるの。私の男友達の中で一番仲良いんだよ。旦那も〇〇のこと好きなんだ」と楽しそうに笑っていた。

の子大分類メンヘラとしてあつかわれる子ではあるが、友人が言うにはこの子は連絡が遅くなっても相手の都合を理解する努力もできて、ちゃん身の回り人間を大切にできる子らしい。

恐らく彼のメンヘラへのドライ感性は、この子と付き合いの背景が下支えになってる部分があるんだろう。メンヘララベリングされる子の中でも、ただただ幼稚な上に自分の行いに対するフィードバックが上手く働かないタイプと、普通の人よりも多く苦労をしながら少しずつ修正していけるタイプがいるんだろう。

彼は、メンヘラ女達の中に宿る誠実さだけに目を向けて誠実に対応してきた。彼にとってメンヘララベリングなぞ、どうでも良かったのだ。

普通の人が彼と同じようなことをするのは難しいかもしれないけど、メンヘラ女に悩む人の参考になればと思い残しておく。

2022-10-17

anond:20221017084628

元増田だけど、共感性を測るASDに関するテストなんてものは無いし、また別の問題だよ。精神医学的にも、共感の欠如は発達障害じゃなくてサイコパスとか反社会性パーソナリティ障害の人に見られる特徴。


共感って能力は「他人の心の動きを自分のものとしても感じる能力」と言い換えることが出来ると思うけど、その意味での共感能力については定型と差はないんじゃいあかな。


違うとしたら感性面。ASDは「有名であること」や「社会的地位があること」に無頓着な人が多い。だから有名人握手してもらえたんだー」的なことを言われたとして、ベースが違うから「そうそう」と思うことが難しい。だから共感するフリは出来ても「なんで有名なことにそこまでこだわるんだろう」とか思う人もいるだろうし、「フリ」が出来ない人に対して「共感能力がない」と定型から見えることはあるかもしれない。

当事者から見た発達障害への誤解

追記:言いたいことがふわっとしてしまたかもだけど、ASDカミングアウトしたりプロフに書いてる人はここで書いてるような「擬態」をやって来てる可能性が極めて高いので、概して普通にコミュニケーションは取れるし、妙な垣根は設けて欲しくないかなとは思う。

 最近は、一般書はもちろんのこと色々なWebページ発達障害について書かれるようになってきたので、これを見てる人のほとんどが発達障害については聞いたことがあるだろうし、なんなら身近にそういう人もいると思う。ただ、当事者としては発達障害特にASD旧称アスペルガー)については発達障害専門でもない医師などによる誤解が蔓延してて、ひどくめんどくさい。てわけで、当事者目線から見たASDへの誤解について書いとこうと思う。一応、正式な診断はないけどWAIS-IV知能検査は受けてて、ADHDよりはASDの方が傾向強めという感じで言われたくらいだとは書いておく。



 幼い頃って意味ではかなり正しいんだけど、結構多くのASD思春期辺りで「あれ?俺ってなんか浮いてる?」てことに気づいて「擬態」という形で定型発達の模倣をするようになる。成人して社会に溶け込めてる発達当事者擬態をかなりの精度でやってのけるから字面のまま受け取るタイプASDは存外少ない。むしろ擬態うまいタイプ相手言葉をかなり疑り深く分析してることも多い。発達当事者の多くは擬態をやってることに自覚的「擬態」の他にも「ASD修正パッチ」、「模倣」とか色々な言葉表現するのだけど、近年の発達障害研究でようやくこの模倣行動が知られるようになったみたい。参考: https://www.city.himeji.lg.jp/bousai/cmsfiles/contents/0000020/20708/zidou3.pdf ここで「カモフラージュ」て書かれてるやつのことね。カモフラージュ行動が記されるようになったのは発達研究でもかなり新しいらしく、まだまだ当事者にとっては当然のことでも知られてないことが多いと感じる。


 性質が悪いのは「ASDへの配慮として」字面通りに受け取ってあげましょうとか、率直に言ってあげましょうみたいなマニュアルが一部で出来上がってることで、思春期から訓練してむしろ字面通りに受け取らないように」してるタイプにしてみればそういうマニュアルで行動されるのはたまったものじゃない。TwitterプロフASDと書いてる人に「字面通りに」伝えたり、相手言葉を受け取ったりして当事者の神経を逆撫でするなんてのも見たことがある。



 前述の擬態を過剰にやるタイプだとむしろ、(たぶん)定型だと普通やらんだろってくらい相手意図深読みしたりもする。人間って案外その時点での感情意識してないことが多いのだけど、このタイプの人は滅茶苦茶深い精度で理屈で考えて他者感情を読み取るから、すっごい気遣いさんになることも多いし、頭いいタイプASDだとこの予測精度は定型より高いことも多い。



 知る限りでは、これは全く事実に反しているのだけど何故かそう思ってる人は多い。もちろん、共感能力が低いASDも少なくないけど、むしろ極めて高いタイプもいて、弱者に対して普通以上に思いやれる人も多い。それゆえに普通そこまでやる?くらいの自己犠牲型になることもあったり。この辺は今だ未解明ではあるけど、ASDであるかどうかと共感能力については直交概念じゃないかなあ。

 もちろん、「傾向としては」そういうのが見られる人も多いんだけど、それはASDの症状というより成長過程社会不適応に気づけなかった結果として現れる感じ。

 じゃあ、ASD本質とは何よって言われるとこれはまだ研究途上で色々難しいんだけど、「物事パターンで把握したがる」傾向じゃないかなあってのが個人的な仮説。ゆえに、



 みたいなのが表面上現れる感じ。ただ、これも擬態してる人は元来の傾向を理性で巧妙にセーブしてたりするからそもそも発達当事者と気づかれないことも多い。周囲から見た時に、「なんかこの人、毎日同じような行動をしてるなあ」とか、多人数での飲み会なんかだと無口になってたり消極的になってたりして「ちょっと人付き合いが苦手なのかな」程度に見えることも多いってのが実感。

 他の問題として、知的障害発達障害がしばしば混同されるというのがある。知能が一定水準を切るといずれにせよ「空気が読めない」ので外から見ると発達障害区別がつかないのだろうけど、とある発達当事者精神科医ツイートを見る限り、このケースは結構多いらしい。実際、巷で「発達」「アスペ」と呼ばれてるタイプの人(こういう蔑称は好きじゃないけど)は知的能力が低いというか境界知能じゃないかレベルのケースが散見されてて、それが発達障害特にASDへの偏見を増す結果になってるなあと思う。

 さらには、精神疾患発達障害混同パーソナリティ障害発達障害混同なんてケースもある。これは発達障害のせいでイジメや親から虐待を食らってその結果精神疾患を患ったみたいなケースもあるので、あながち無関係とも言えないのだけど、二次的な障害と元来の傾向による苦労が混同されるのもややこしいことだなあと。

2022-10-08

anond:20221008231533

清潔感なんてふつうの事ができてれば良いだけでしょ。

何が清潔感かすら分からない人は共感能力が無さすぎ。

発達障害なの?

2022-10-05

anond:20221005151228

たまに出しているけど売れないんですよね。

「たまに出すだけだと売れない」は子供主人公でも同じことでしょ。だから大量に出してその中からヒットを生みだそうとしてるわけでさ。

全体の数が少ないからヒットも少ないだけで「小学生に人気の大人主人公作品はいくつもあるんだから大人主人公からヒットしない」とは言えないよ。

共感能力物語理解能力の成長度の問題で、小学生ぐらいか主人公年代自分に近い作品を好むようになります

アンパンマンなどの擬人化作品小学生ぐらいになるとウケなくなり、年齢が上がるほど人間主人公作品を好むようになります

なりません。

小学生低学年ではまだまだゾロリやおしり探偵は人気だし、高学年にもなれば逆に呪術チェンソくらいなら普通に楽しんでるよ。

ラノベつばさ文庫比較で言うなら、つばさ文庫のほうが多く図書室に入ってるし、言葉遣いも易しいからでしょ。

特撮はおおむね幼児向けだからです

反論になってないし、そもそも小学生にも特撮は人気じゃん。

一旦人気になってテレビでずっと放送するようになってからの話と、最初から大人で作って人気なるかどうかとは関係ないですよね。

から人気なら、大人主人公でも小学生が楽しめるようになるの?

じゃあやっぱり小学生がそういう作品にたくさん触れるかどうかが問題で、

主人公大人子供かというのは理由じゃないってことじゃん。

数え年15で元服時代からタイムスリップしてきたのかわかりませんが、現代日本では17大人とはみなされません。

でも小学生高校生主人公を楽しめないんでしょ?

そう言ったのはあなたですよね?

17歳は高校生なんだから小学生ルフィ共感できないはずですよね?

なんでONE PIECEは人気なんですか?

ONE PIECEデフォルメされていない」と主張されるならどうぞご自由

で、ヒロアカ・ブラクロ夜桜・アンデラ・マッシュル・サカモトとかはデフォルメされてないの?

anond:20221005150031

製作者側が君みたいに「幼児向けなら主人公幼児にしないと!」と思ってるだけでしょ。

って君が思ってるだけだよね。

製作者の内面エスパーで無根拠に断言されましても。

たまに出しているけど売れないんですよね。だから及び腰なんですよ。

小学生になったら急に自分と同年代主人公じゃないと楽しめなくなるの?

共感能力物語理解能力の成長度の問題で、小学生ぐらいか主人公年代自分に近い作品を好むようになります

アンパンマンなどの擬人化作品小学生ぐらいになるとウケなくなり、年齢が上がるほど人間主人公作品を好むようになります

実際に児童の嗜好はそのような傾向にあります

小学生には中高生向けの、中高生以上が主人公ラノベより、小学生主人公のみらい文庫つばさ文庫がよく売れています。どちらも手に取れる状況にあるのに。

特撮なら大人でもいいけどアニメだと何故かダメになるの?

特撮はおおむね幼児向けだからです

DBZから入った子供も大量にいるでしょ。グッズもほぼ全て大人悟空だし。

脇役に子供がいればOKなら「主人公子供じゃなきゃダメ」じゃないじゃん。

論旨が崩壊してるぞ。

一旦人気になってテレビでずっと放送するようになってからの話と、最初から大人で作って人気なるかどうかとは関係ないですよね。

 

さっきは「主役が高校生だと流行らない」って言ってたけど17歳はセーフ?どういう基準

あなたが「ONE PIECE主人公大人」と発言したことに対する反論です。

数え年15で元服時代からタイムスリップしてきたのかわかりませんが、現代日本では17大人とはみなされません。

 

デフォルメされてるかどうかなんて、君の主観次第なんだから何とでも言えるじゃん。

ONE PIECEが非常にデフォルメの強い絵柄であるのはごく一般的感覚だと思いますのであなたエキセントリック感性ONE PIECEデフォルメされていない」と主張されるならどうぞご自由

君、ずっと脊髄反射でなんか言い訳してるだけで、何の根拠もないし何の反論にもなってないよね。

そっくりそのままお返ししま

2022-09-08

男性が受ける差別とは、警戒されることと、信頼という名目で粗末に扱われることです

男性が受けている差別として重要だと私が思うのは、警戒されることと、信頼という名目で粗末に扱われることです。

男にも女にも、男は警戒すべき存在だという感情がうっすらとあります

同時に、男性だったらほっといても大丈夫だろう、という肯定的な信頼の形をとって、男性のことをろくに気遣う必要はないとされがちです。

から世間話でもマスメディアでも、男性への警戒や、過度の信頼による雑で粗末な扱いが平然と行われています

それが積み重なった結果として男性は、敬遠されて孤独人生になりやすく、自尊心も低く、自分たち男性自身への嫌悪も生まれ自分の事すら粗末に扱い、次世代男性もそのように扱うので引き継がれる、などの被害を負っています

保護と抑圧は地続きなのでバランスが大切だ」という話をよく目にしますが、同じように、信頼と放置も地続きなのです。

家父長制は、自立したい女性にとっては抑圧という差別だけれど、自立を望まない女性には保護を受けやすいというメリットとしても働く。

それを裏返したように、男の自由放任は自立できる強者男性にとってはメリットだけれど、弱者男性にとっては助けてもらえないし悲鳴無視される差別として働いています



若者が遭遇しやす実例として、バイトサークル活動が長引き、夜になってしまった場面を考えましょう。

男性は帰り道の安全心配されることは少ないです。

これは、男性の方が不安心配事が少なく、お節介干渉もされず自由に生きやすいというメリットととらえることは確かにできます

しかし同時に、「襲ってくるとしたらたぶん男だ。男を警戒すべきだ」「男の自分は、夜道で女とすれ違う時に怖がらせてしまうだろうから気を使わねばならない」「男の帰り道を気遣ってやる必要はない、男は粗末に扱っていい。自分も男だから自分の事も心配せず粗末に扱うべきだ」という認識を強めることにもなります

実際は、男性でも深夜に一人で帰ることに恐怖を感じる人がそれなりにいるのですけどね。

でも、女性の帰り道は心配されるが男性はそうではないという現実と向き合うたびに、「ああ、俺の夜道への恐怖は認識すべきでない感情なのだ。むしろ俺は怖がる側ではなく怖がらせる側なのだ」という方向へ矯正され、やがて本当に自分でも自分不安や恐怖に気づけなくなります

しばしば指摘される中高年男性自分語りの下手さや、困りごとをうまく伝えられずかんしゃくを起こす傾向などは、彼らが自分苦痛不安認識する能力社会破壊されているからでしょう。まして適切な言語化などできるわけがありません。



他にも色々な場面で、不安を感じてないことを前提とした粗末な扱われ方を重ねて、男性自分に対しても他人に対しても鈍感にさせられていきます

たとえばトイレ

男だったら道端で立ちションしても大目に見られがちという自由は、性器露出し排泄を見られたくない感情を気遣ってもらえないという粗末な扱いでもあります。(道端は許されないと思うならハイキング海釣り森林浴を想定してください)

不安羞恥を感じていた男児も、「その辺でおしっこ済ませてきな」と言われたり、仕切りのない小便器や、女性が清掃に入ってくるトイレを使ううちにその弱さを鈍麻させ忘れてしまます

たとえば「男の人がいれば安心だね」という言葉

この言葉はおおむね好意や信頼の表れですが、同時に「男の人は一人でも不安になる必要はないよね、あなた自身が男の人なんだから加害者である男と戦えるもんね」という扱いでもあります

一人で行動しても口を挟まれない自由の反面、一人は心細いという男性感情最初から考慮されていない。

このような扱いに触れ続けることで、「俺は男だから不安になる必要はないんだ」と自分勇気づけ、痩せ我慢することが癖になります

そうならなければまともに社会生活ができませんから

夜道にせよ、トイレにせよ、一人行動にせよ、成人男性に直接聞いてもたいてい「いや全然平気だが」と言うだけでしょう。

最初から平気な男性と、鈍麻し平気にさせられた男性と、本当は平気じゃないが痩せ我慢している男性区別することは本人にすら困難です。

この論法は「たとえ当事者男性差別否定しても、それをそのまま受け取るべきではない。男性差別存在する」という無敵論法っぽくなるので好きではないロジックですが、そう言わざるを得ない。

ネットでは、男性セルフケア能力が低い、まずは自分を大切にすべきなのにそれをしようともしない、などという話も多くなっていますが、男性セルフケア能力の低さは数十年にわたる「男性自由に行動してよい反面、粗末に扱ってよい」という経験の積み重ねによるものであり、決して男性個人に責を負わせるべきでも、自己解決を求めるべきでもありません。

セルフケアに焦点を当てるならば、社会によって損なわれた男性個人セルフケア能力を育て直すため、社会反省して手厚く協力してあげよう、という話になるのが妥当でしょう。

しかし現状の男性セルフケア論では、セルフケアというスローガンと丁寧な暮らし雑誌は与えてやるのであとは自分で(せいぜい弱者男性内部で)上手くやって成長しろ社会は手を貸す気はないぞ、という正反対の切り捨て論になっています

男同士で友人を作っても、それは楽しさや得意分野を分かち合うには向いていますが、弱みを見せ合い癒し合うことには向いていません。「今日はパーっと遊んで嫌なことは忘れちまおうぜ」のような会話がその典型です。



男性が警戒され、気遣ってもらえない原因には合理的理由がある、という反論はできるでしょう。

ホルモン文化的影響による男性の特徴は色々あります

腕力の強さ、性欲や暴力性の強さ、外見の悪さ(体毛が濃く皮脂が多く禿げやすいなど男性ホルモンが外見に与える悪影響は多い)、コミュニケーション能力共感能力の低さ、など。

しかし、そのようなある程度の合理性があったとしても、統計的差別であることは間違いありません。

統計的差別はどの程度まで許されて良いか、というのは難しい問題なので、別に論じる必要があります

そして、フェミニズム弱者男性論の共闘が難しいのはここが主な原因でしょう。

性犯罪男性から女性への加害が多い(犯罪全体では男性が被害者になる方が多いですが)」「腕力が強くて制止が困難」「妊娠リスク」など様々な事実に基づき男性に対する統計的差別をどの程度認めるべきか、フェミニズム弱者男性論は真っ向から対立しています

統計的差別は一切許されるべきでないと言い切る人も時々いますが、それはどの陣営であっても非現実的でよくないと思います

もっとも「社会運営するにはマクロ視点統計的差別必要なことは認めるけれど、その加減を考えましょう」とかぬるいことを言ってると、確かにそうだね考えなきゃねとは言ってもらえても実態現状維持が続くだけであり、統計的差別を一切許すな!と極端なこと言って圧を掛ける方が新規分野の社会運動としては実を結びやすいんでしょうけどね……。



今までも男性差別については、男性加害者として認められやす被害者として認められづらいという内容でしばしば語られてきましたが、たいてい注目されるのは女から男への悲惨セクハラ暴力事件がほとんどです。

それも由々しき問題ですが、男性差別根底にあるのは、もっと日常的でうっすらとした「男ならまあ平気だろ。ほら、やっぱり平気だった」という日々の積み重ねではないでしょうか。

特に、「男性なら大丈夫」という信頼により粗末に扱われる場面は見過ごされやすいと思います

フェミニズムでは、「女を自立した人間と信頼して放任しろ、家父長制で口を出してくるのやめろ」というアプローチが行われていたため、その逆である、過度の信頼による放置という男性差別問題視されづらいのです。

女子供は弱いか保護して指示してあげなきゃね」という慈悲的差別に対して、男性が受けやすい「男は大丈夫だろうから心配する必要もないし勝手に自立しててくれ」という扱いは、信頼的差別などと呼べそうです。



この記事は、これまで弱者男性論で強調されてきた、人間関係恋愛経済ジェンダーロール面の困難や、弱者男性存在自体不条理否定される、などの論点対立しません。

警戒されつつ粗末に扱われることは、親しい人間関係恋愛関係ハードルを上げます

経済的貧しさについては、一般的貧困問題に加えて、男性公的にも私的にも助けてもらいづらいし、そもそも助けを求める能力社会により破壊されている点に、男性特有の困難があります

男性ジェンダーロール問題とくくられるような、男なんだから泣くなしっかりしろと言われるとか、責任を負わされるとかは、「信頼の名目で粗末に扱われる」部分です。

弱者男性自体があまり聞く耳を持ってもらえないしミソジニストとすら言われることや、困ってると認めてもらえなかったり、困っててもそれは受け入れるべき部分だと言われることなども、「信頼してるという名目で粗末に扱われる」の一種ですね。



また、「男性にも弱者がいることは分かったけど、結局どうなることを求めてるんだ、要求を出してくれ」という問いがありますが、運動として歴史の浅い弱者に、的確な要求をする強さをいきなり求めないでください。

現時点では、「どうなったらいいかを、男性に肩入れしつつ一緒に考えてくれる人が増えるのが望みです」としか言えません。

少なくとも私は、男の乳首露出NGしろとか、男性トイレもすべて個室にしろとか、芸人ちんちんポロリシーンやハゲネタダメだとか、「男の人がいると安心」はハラスメントから許すなとか、そういう短絡だったり個別的すぎる議論にはしたくありません。

男女平等に近づけることには合意されるとしても、男性女性くらいに保護する方向と、女性男性くらいに放任する方向では、目指すものは大きく変わるでしょう。

細かな調整が必要問題ですから、今はまだ最終要求を問われてジャッジを受けるほど議論が深まっていません。



あくまで私の主観的意見としては、消極的自由を重視して積極的自由には疑問を持っているので、保護よりも放任安全よりも可能性を男女ともに重視する方がよいと思っています

人間に限らず生物が「男性的な物、強そうな物、醜い物」へ抱く警戒と嫌悪は途方もなく根深いので、男性ケアされる男女平等の実現可能性は絶望的であり、女性も雑に扱われる男女平等の方がまだ実現可能性があるだろうという予想のせいでもあります

エントリの書き方だと皆が保護される平等を求めているように見えるかもしれませんが、私個人はそれが実現しそうにないと絶望しているので、皆が放任される平等を目指した方がマシだと感じている、ということです。この絶望感をぬぐえるならぬぐっていただきたい。お前にサン(son)は救えるか!



追記

母親と妻、そして「女をあてがえ論」についても書きました。

男性が母と妻にだけ弱さを晒そうとするのは、皆に原因がありますanond:20220909191646)』

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