はてなキーワード: 中古車とは
まあ、今の若者が車買わないのって駐車場代が馬鹿になんないのが大きいんじゃない?
車自体は安い中古車だったらそんなにお金かからないし、実際、駐車場に困らない田舎だと18なったらみんな車買うじゃん。車じゃないとどこにもいけないから。
でも、都会に出てきてアパート借りて、さらに3万とか5万とかする駐車場とか借りれないよね。
で、昔は車庫証明ってもうちょっと今よりゆるくなかったっけ?バブル時代に学生やってたけど、当時の先輩とかけっこう雑に停めてた記憶がある。
ぶっちゃけ、嘘っぱち
昔は買えないけど無理して買ったんだ
今は無理してまで買わない
それだけ
昔、昭和の貧乏だった時代、みんなが車をどうやって買っていたかと言えば
学生は型落ち中古車と改造費やガス代を必死にバイトして稼いだりもしてたわけ
借金してまで買う物じゃなくなったのだよ
だけど高いだろ
25になって、ローン組んで200万の車ってどうだ?
アンケートされりゃ「買えない」って答えるかもしれんが
そりゃ買えない
そういうレベルに車は落ちぶれたのだけれど
そういう設問になってないから、答えは「買えない」になるんだよ
実際は
優先順位が激烈に低い車を買えるほどの余裕はない
程度でしかなくて
それは結局【買わない】なのだと思うんだよなぁ
自動車オークションを手がけるマンハイムのデータによれば、1月の米中古車平均価格は前月比で2.5%上昇。昨年1年間では15%下げていた。同社のデータは新車市場の先行指標ととらえられており、新車価格は下がり始めると消費者が最近まで考えていたことがうかがわれる。
マンハイムがまとめた中古車バリュー指数は1月に前年同月比で12.8%下げたものの、前月比では2カ月連続で上昇した。中古車はオークション価格が上がっているだけでなく、ショールームでの店頭価格も高い。強い数字となった雇用統計も相まって、インフレ沈静化にはさらなる取り組みが必要となりそうだ。
調査会社インフレーション・インサイツの創業者オメイア・シャリフ氏は「市場はインフレが天井を打ったと考えている」と指摘。「中古車価格の上昇傾向はそれとは違う方向に向かっている」と述べた。
中古車価格は消費者物価指数(CPI)コア指数の4.5%を占める重要要素だ。中古車価格の1ポイント上昇はインフレ全体を5ベーシスポイント(bp、1bp=0.01%)押し上げると、シャリフ氏は述べた。
インフレの緩和はこれまでのところ、主に財が率いてきた。米金融政策の焦点は労働市場のひっ迫が賃金とインフレに上昇圧力を与えるサービスセクターにシフト。CPIに算出されている中古車価格は過去6カ月で下げ、当局のインフレとの闘いを支援してきた。しかし、ここにきての価格上昇は流れが反転することを意味する。
米レンタカー大手ハーツ・グローバル・ホールティングスのスティーブン・シェール最高経営責任者(CEO)は、中古車オークションと店頭販売の両方で過去5週間に価格が急上昇したと話す。
「特にこの4週間の価格反発は著しい」とシェール氏。「価格の安定性がはっきりとし、上振れ余地が増えている」と述べた。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2023-02-08/RPRK38T0AFB601
[ファンダメンタル]
[テクニカル]
[予想]
事前に Philip が明確に署名したこの予測修正は、商品のディスインフレに関する Powell のコメントによるものではありません (ただし、1 月の米国中古車価格の 1 月の 2.5% 急上昇は、ある業界の指標であることに注意してください)。むしろ、FRB議長が現在の米国の労働市場のダイナミクスは「景気循環的というよりも構造的だと感じている」と述べたためであり、彼の最大の懸念は、住宅を除くコアサービスのインフレと、新たな外因性ショックの可能性です。
「構造」。市場にとって扱いにくい言葉があります。彼らは、「誰も予見できなかった外生的な出来事」のために厄介な循環的ショックがあったという考えに対処することができます。しかし、経済に恒久的な変化が起こる可能性があるため、金利を高く維持しなければならないという考えは、誰も考えていません。連邦準備制度を含む。インフレ率が 2024 年までに 2% まで低下し、同時に失業率がわずかに上昇するだけであると、彼らは他にどのように予測していますか? 内因性および外因性の面での構造変化は、18 か月で同時に解決しますか? どうやって?
関連して、寡占の専門家 @matthewstoller は次のようにツイートしています。自動車業界の巨人は、高い利幅に慣れており、需要を満たすために生産を増やしていません。」その見方は彼だけではありません。
2022 年 5 月、ボストン連銀は次のように結論付けました。チェーンの混乱と労働市場の逼迫。」2022 年 4 月、経済政策研究所は、「企業の利益が不釣り合いにインフレに寄与している。政策立案者はどのように対応すべきですか?1979年から2019年までの米国企業部門の単価上昇への貢献は、企業利益(11.4%)、非労働投入費用(26.8%)、および人件費であることを示すことにより、利上げではなく超過利益税を求めてロビー活動を行っています。 (61.8%) 対 2020 年第 4 四半期 – 2021 年第 4 四半期の企業利益 (53.9%)、非労働投入コスト (38.3%)、および人件費 (7.9%)。言い換えれば、集中した企業部門における供給ショックと「コストプラス」の価格上昇が、米国の価格を上昇させた(緩やかな財政政策の後)。今、構造的に逼迫した労働市場が上にあるかもしれません!
これは、バイデン大統領が一般教書演説で、「誰も置き去りにされない」「ブルーカラーのアメリカ」を構築していると述べると伝えられている通りです。(ChatGPTに簡単に取って代わられるホワイトカラー労働者は別として?) 賃金のプレッシャーは大きい!一方、FCC でのバイデンのリナ・カーンの任命は、企業の集中度をこれほどまでに高めたボルキアン革命のゆっくりと、痛烈な逆転を目の当たりにしている。 3年連続の「ブルーカラー」ホワイトハウス。
さらに、中国が国防総省から気球についての電話を受けることを拒否し、サウジアラビアが通貨が固定されているにもかかわらず、米ドル以外の債務を発行し、ベラルーシの大統領が自慢して、「世界はすぐに新しいものを見るだろう」という内生的な問題があります。新しい準備通貨を備えた強力な通貨同盟。」(繰り返しになりますが、これらの試みが機能したり、世界の平和や安定を提供したりするとは思いませんが、それは彼らが試みないという意味ではなく、西側の中央銀行の政策操作の余地を制限していません。)
たとえば、RBA の 25bps 利上げが予想どおり 3.35% に引き上げられた昨日の中央銀行の行動では、今後数か月でさらなる利上げが必要になるという声明が付随していました。言い換えれば、金利が 4% に近づくことはないだろうと言う地元の住宅に夢中になっているアナリストは間違っていました。
逸話的ではありますが、オーストラリアの一部で展開されているのは、住宅ローン金利が上昇しているのに、投資用賃貸物件を保有している人々は保有を売却していないということです。代わりに、彼らは家賃を上げて、痛みを感じないようにしています。そして、住宅不足があり、金利が上昇するにつれて建設される家が少なくなることを考えると、賃借人は支払うか、路上で生活する必要があります.
それは、より多くのお金が社会の底辺から、家賃を払っている社会層から資産階級の手に流れ込むにつれて、需要のデフレ崩壊を意味するかもしれません - これは新封建的な政治経済の資産ベースの政策が論理的に収束することです. (そして、マーティン・ウルフが最近フィナンシャル・タイムズで主張したように、地価税に関するヘンリー・ジョージの考えが論理的である理由.非常にタイトな労働市場で、彼らは得ることができます。
もちろんこれは予測ではありません。しかし、政治経済の構造を理解していなければ、経済を「ただ」正確に予測することはできないことを強調しています。これは、国際収支の危機とバランス オブパワーの危機に関して英国とユーロ圏に対して行ったばかりの地政学的モデリングの演習で行ったのと同じ議論です。
文字通り、経済サイエンス フィクションと現在の経済科学の事実、つまり Fed Funds は 5.5% に向かっており、6% のピークのリスクがあるものとを区別できるようにしたい場合は、より適切に議論 を構成してください。
https://www.zerohedge.com/markets/irony-if-higher-rates-mean-higher-wage-growth-and-higher-inflation
(1.23)追記に追記した。みなさん「仲介」という仕事をご理解されていない。そんなに難しいことは言ってないと思うんだが…まさかバカなわけではないよな?
売主と買主の間での情報非対称はそうなる。なので「仲介」が間に入って、情報の格差を埋める作業をするということだと思う。不動産屋(仲介)は売り手でも買い手でもなく、調整者であり交渉者。
何かを混同しちゃってるのかもしれないが、「商材が不動産」の仕事って結構幅広い。例えば、不動産(ハウスメーカー、マンションデベロッパー)の仕事はメーカーであり販売者だが、不動産(仲介)は仲介者だ。作る人と間に入る人はかなり違う仕事だと思うので、混ぜたら危険。
junnishikaw この業種が割が悪いなら悪徳業者は自然に去る筈でやはりボロい商売ではと感じられててその不透明な"何か"に対して皆不信なのかと。仮に全ての売り物件を閲覧できたとしても我らは判別できないが透明性の一助にはなる 書いてて自信ない 後で消すかも 中古車市場と思えば納
賃貸仲介専業の不動産屋を確認していると宅建番号(1)の業者がかなり多いので、参入障壁が低く生き残りにくい業種だと想像してる。しいて言えば唐揚げ屋とか。だから何度も何度も「業者を、選べよ、宅建番号見ればわかるんだから、あほか!」と言ってるんだがなぁ…。
中古車「市場」と中古不動産「市場」は似ていると感じる。が、中古車「屋」と不動産(売買の仲介)「屋」はかなり違う。そして賃貸の仲介屋はもっと違う。中古車「屋」の多くが自分の会社が買い取った車を別の所有者に売却しているが、不動産屋は「仲介」をしているだけで自分の持ち物を貸したり売ったりしているわけではないので、全然違う。
『仮に全ての売り物件を閲覧できたとしても我らは判別できないが透明性の一助にはなる』
上記のことも混同しているようだが、その様子で一覧を見て何が透明になると思うんだ?。価格については、これも何度も言ってるがスーモでも何でも見ればいいし、何なら公的指標のオープンデータもかなり充実してるぞ、不動産って。賃貸はさすがに動きが流動的すぎるから公的機関のデータはないけど、売買のデータなら国交省が検索サイト作ってる(https://www.land.mlit.go.jp/webland/servlet/MainServlet)
Lhankor_Mhy そもそも賃貸物件にレインズ登録義務はない(業法34条の2)し、レインズ情報は広告ではないので不動産広告規制がかからないため必須項目が埋まっておらず、SUUMO・HOMESと比べて情報量が少ない。
そうなんか、確か売買だと専任媒介契約した業者は登録義務がある、と、自分が家を売った時に説明されたが。じゃあ素人がレインズ見る意味なんて一つもないじゃん笑
ハテナに巣くってる人たちってビジネススキームが理解できない人が多いんだろうか。
追記終わり========================================
https://anond.hatelabo.jp/20230120002619 の追記
家賃の上限イメージ(手取りの3割、若者は4割)のところを間違って追記した。若者は手取りの1/4(25%)が相場の間違いでしたすません。なので、それを追記したついでに
賃貸専門不動産屋は店舗が多い、そして更にどんどん増えている。空中店舗化も進んでいて(ネット専業、UberEats専門店みたいなやつ)インターネッツの狡いお兄さんたちが山ほど参入していたりする。なので本当に、宅建番号の確認だけでも覚えて帰って。
不動産取引(売却、購入、賃借、貸借)は情報の非対称性が大きい、とよく言われて、これは本当に正しい。
不動産屋が悪人ばかりだから俺たち善良な消費者から情報を隠しているんだ!騙されるもんか!と思うだろうが、そういう悪徳業者ももちろんいるが、不動産は「現物」の取引だから仕方がない面もかなり大きい。仲介をする人間(不動産屋)にも知らされない(悪意を持って教えてくれない貸主、売り主だっていくらでもいる。自分が売りたい・貸したい時にはアラは隠したくなるのが人間)とか、所有者や住んでいる人も知らなかった情報もあるのが、めくるめく「現物の世界」。増田は不動産ではないが仲介の仕事をしていた(今は転職)ので、不動産仲介の「現物ならではの大変さ、厄介さ、一筋縄ではいかなさとリスク」について同情的である。
まあ、そういう「一筋縄ではいかなさ」を引き受けてるのが不動産屋で、まともな不動産屋ならめちゃ頼りになる。
一方で、お前ら善良な一般消費者でもすぐわかるのが相場だ、これはレインズなんて見なくても前述の通り、インターネッツでいくらでも確認ができるのだから確認しろ。したくないなら言われるままに金を払うしかない。それが資本主義だろ?
保証会社まあ高いよね、だから使ったことがないから何とも言えないが。聞くところによると保証会社も儲かってないらしい(つぶれてるところも結構ある)ので、使わないで済むなら使わずに何とか保証人を探したほうがいいし、保証人なんていないし保証会社に金も絶対に支払いたくないなら、保証人が不要なURなどの公営住宅を強く勧める。
保証人を不要にしろ、とは、伝え聞いた内実だと、ちょっと言えない。踏み倒しや、敷金をいくらもらってもどうしようもない、という不良店子、夜逃げ、亡くなった、なんて話はごろごろあるらしい。善良そうな人だったのに夜逃げしたなんてことは大家をやってる知人がたまに零したりする。人間は生きていれば色んなことがあるので、入居時点では善良でもその後どうなるか分からない。
保証人制度も含めて、だから不動産屋は嫌なんだ、という人も多かろう、そういう人はまぁURとか公社住宅とかを利用した方がいい。個人的にはURなどの公営住宅は大昔に建てられたものは別だが全般的に間取りが共産国のマンションみたいな固さがある(住まいが生活を強く規定するような固さ)ので好きじゃないが、ものによっては掘り出し物件もある。東雲のURはどの棟も素晴らしいが場所がなあ…。
■敷金について
敷金詐欺もよくネットで言われるが、おそらく「あいつら敷金詐欺だ」と言う真面目な人の一方で、黙って「俺はめちゃめちゃに使ってるから何とも言えねーな」と言う人もいるんじゃね?って感じだ。
敷金はルール化されたことで、首都圏では返金トラブルが極小化している。「東京ルールではどうなってますか」の呪文を唱えればいいだけの話で、いまだに引っかかってる方が間抜けだぜ。普通の不動産会社なら東京ルールに基づいたチェックシートを使って解約前の確認をしているし、そもそも、貸すときに東京ルールについて説明される(契約前にずらずら契約書を読んで聞かされるだろ?あの時に説明をする義務がある)。されないのなら、こちらから「敷金はちゃんと東京ルールでやってくれるんすよね?」ぐらい聞け。契約は双方平等なのだからどんどん聞け。そして自発的に説明してこないような業者を選んじゃダメ絶対。
■室内消毒について
室内消毒って、本来、大家と管理会社がやるべきことだ。賃貸借契約の条項に「入居時に消毒します、消毒は別途有料で入居者の負担です」とでも書かれてたら断れないかもしれないが、書いてある賃貸契約書は増田は見たことがない。契約書に書いてなきゃ断れる。契約書に書いてあるんですかね?と確認すること。書いてあったら…まぁその部屋を諦められないかどうかでそれぞれが決断することになる。契約書は条件の羅列なので飲めない条件が入ってる契約はしたらダメ。
増田は消毒料金を断ったことがあるが、「消毒料金3万を払ってまだGが出たら保証はしてくれるんでしょうか。してくれないなら不要」と言ったらナシになった。あとは「消毒しますか?しないですよね」と言ってきた業者もいたな。良心的なのか何なのかわからんが、これも過渡期なんだろう。敷金ルールと同じでなくなっていく気がする。まぁとにかく業者はちゃんと選べと何度も言っている。
というか、消毒やるやる詐欺をやってるのはだいたい賃貸専業仲介(ガス大爆発を起こしてる会社とか、他にもある賃貸専業のところ)なので、そもそも前述したとおりで、そういう業者に声をかけた方がバカだ。情弱がすぎる。
ブコメを見ると、そもそも売買なのか賃貸なのかも混在させて適当なことを言っている人が多いが、長い文章なので仕方ないけどちゃんと読め。賃貸の場合の話をしている。
で、ここでは売買中心の話。
売買仲介は賃貸よりももっと魑魅魍魎ではあるので、ますます「不動産屋を選ぶ目」が必要になる。いくつかのブコメにあったが、昔から地元でやっている不動産屋は安心感がある傾向にあるし、大手はやっぱり安心感がある。
「昔から地元でやっている不動産屋」の正体は、という話なのだが、いくつかあるが大別して「大家(=地主)が不動産仲介の店もやっている」ケースと、「大家(=地主)から委託を受けて地主の資産管理をしている」ケースだ。どちらにせよその土地に根付いており、かつ家賃収入(と家賃収入から得る管理手数料)を月々安定して得られる立場の人たちなので、悪い商売はできない(風聞が悪い)し、する必要がない(月々のインカムが安定してるから)し、地元の情報に明るい。つまり「昔から地元でやってる不動産屋」は賃貸も売買も安心感が高いといえる(ただし、代替わりしてアホが社長になってたりするとその限りではない)。
大手の仲介屋は安心感がある、という理由は、まぁコンプライアンスが多少はしっかりしてるから、ということもあるが、なにより社員数が多い=その会社に集まる物件情報の数が多い、というのがデカい。仲介の仕事はやっぱり情報の量が多いほど取引が成立しやすくなるし、まぁトラバや一部ブコメに言及があったが両手(売主からも買主からも手数料が取れる)取れる確率が上がるので、まぁ儲かりやすい。あとはもちろん資本的に安定しているからということは欠かせない。
■両手取引は悪か
これも売買の話。仲介時に得られる手数料が不動産(仲介)屋の利益源泉だ。仲介は、売り主と買い主の間を取り持って交渉する仕事で、それぞれ手数料を不動産の価格の3%上限でもらうことができる(上限なので値引き交渉もできる)。で、両手取引というのは、売り主、買い主双方の交渉人が同じなのでEvilだ、と批判される。まぁそれは割とかなり正しいと思う。みんなが知ってるタワーマンションの1室の取引で両手仲介しようとする業者なんてかなりいけずうずうしいな…と正直思う。分譲マンションの1室を取引するのはおそらくかなり簡単で、デベロッパーが作ったという品櫃保証がある(失敗マンションの場合もあるがそれも含めて「そういう品質である」という保証)し、価格水準も測りやすい(分譲時点の値段が分かっているし、同じサイズの同じ向きの部屋がたくさんあるから相場も比較しやすい)からだ。要するに1点ものじゃないから簡単。
一方で、両手取引はすべてが悪ではなく、むしろ必要なケースもかなりあるよな、とも思う。先に述べた「不動産はめくるめく現物の世界」だからだ。
取引において売・買双方の交渉が必要な項目は金額だけじゃなくて、対象の不動産の適法性や問題の有無の確認(嘘ついてないか、知らなかった瑕疵はないかなどのデューデリジェンス)、いつ支払いでいつ引き渡しか、どういう形で引き渡されるか、など決めなきゃいけない項目がたくさんある。交渉というよりも「売り買い双方で調整すべき事項」というイメージだろうか。まぁどちらかというと、善良な一般市民の買物じゃなくてBtoB、会社が工場用地を買う、閉鎖した施設を売る、とかそういうやつ。土地や古い建物は「現物」で、どんな問題が埋まってるか分からない(シロアリがとか掘ったら産廃がとか1筆だけ謎の所有者が?!とか)。いろんな法律も絡んでいるのでリーガルチェックも必要になるだろうし、確認したい項目は売り主側と買い主側で異なるだろうから。両方から確認を依頼されているわけだから両方から手数料取っても全然いいし取らないと逆に採算取れないんじゃねーかなと思う。
で、まぁ「あのみんなが知ってるタワーマンション」のイージーな取引と、今述べたような取引をどうやって線引きするのかというのが結構難しい。増田も、一般住宅の仲介については両手仲介は禁止、ぐらいはしてもいいんじゃないかなーと思うことはあるが、一般住宅でも古いマンションや一戸建ての場合は、やっぱり地雷が埋まってる可能性てあるよなーと思うので、線引きが難しくて現実的に規制するのは簡単じゃないだろう。
現実問題として無理じゃなかろうかと思う。極論だが、「その瞬間に空いている部屋をリアタイでデータベース化しろ」ってことで、検索したら首都圏の賃貸所有者の8割は個人らしいと考えたら、ますます無理だろうな。
そもそも、賃貸中(販売中)の情報をオープンにしたいか、逆に限られた人にだけ知らせたいと思うかどうかは大家(所有者・貸したい、売りたい側)のお気持ち次第なので、一般消費者が全量を理解するのは不可能。不動産屋にだって不可能だ。そして、たぶんそれ(情報を絞りたい大家や売主はけっこういる)がレインズ(=業者専用)の存在意義なんだと思う。大家と店子は利益相反関係で、大家(売買の場合は売り主)の利益を守る方が媒介に立つ不動産屋は儲かりやすいと予想できる。
こう言っては何だが「借りてやろうというのだからレインズ見せろ」「全量見せてみろそれからだ」とわめく輩は客ではないだろうな。「そういう面倒くさそうな人に自分の資産の詳細を教えたくない」と大家が思っていたらその情報は永遠にそういうアホに伝わることはない。
普通の取引と違って賃貸の場合は、借りる側の権利がとても強く(借地借家法)、貸す相手がエンドなのでくそ面倒なので結構面倒なリース業だと思う。不品行店子の追い出しとか未払い家賃の徴収とか結構大変だと聞く。貸す側はできるだけ質の良い店子に貸したい。運用状況が変わる空室情報を有象無象にオープンにしていては対応コストの方がかかってしまうだろうし、出来るだけ客筋の良い客を持ってる媒介者に任せたい、ということはごくまっとうだと感じる。不動産屋のせいではなく、大家の大家性(まぁ地主ってそういう生き物だ)と、まぁ借地借家法の借家人保護の強さからくるところだろうなーと。
話はずれるが、増田は野暮用で「東京の賃貸住宅の数はいくつあるのか」をちょっと調べようと思ったが、ちょっとで調べられそうにはなかった。統計情報はあった(国交省の住宅土地統計調査とか国勢調査とか)が、それが補足できる情報はそれも完全性がなく(例えば一時的に転勤中の家を貸している、というケースはオープンな統計では補足しようがなかったが、実際は万の単位はあるらしい)、そのぐらい「貸している家」の実態はつかみにくいと感じた。
しかしアホほど自分の頭の悪さを棚に上げて差別するんだな、一部ブコメにはドンビキ。
最後。
地面師(不動産詐欺)のやってることまで不動産屋が悪いと言ってるブコメは笑った。それは詐欺師でむしろ不動産屋をだます方だと思う。
でもモルカー2期はとても良かったと思うよ
主観だけど、1期は大きく
に分かれてて ①の回を先行してやったうえで②をやってたけど
話でいうと
までは①で、その後の
は②になる
(厳密には②には有名作品オマージュ回があるので全部が全部世界観の話ではない)
だから1期の時は4話までは「そもモルカーってなによ」ってなっている。
(そういう意味ではチョコ回が無かったのは微妙だった どっきりスッキリやミッションで一応のスポットは当たっていたが正直サブキャラの枠を出ない)
「よくわからんけどシロモかわいいわ」→「モルカーって太古の昔はモルモットだったんだ」みたいになる
もちろん②でも①のようなキャラスポットはあるんだけど、本質的に描きたいのは世界観の方ってのが伝わるわけ
この分類を使うと2期は
になりそう
ここで重要なのは本質的①があるところで、それが1期と2期の系統の違いになる
作中描写では
・飼い主がいない
・飛びぬけて無能でも有能でもない
という感じで
ラブレター回では就職教習みたいなことをしていたけど、そこでも特異な才能があるわけでない描写
2期で描写されたモルカーの世界観でペーターに繋がってくるのが
有能なモルカー→飼い主が付く でも 無能なモルカー→飼い主が付かない でも無いということ
ドゥーフ(ダメダメ)とシェール(あの子)は共にペーターの裏返しのキャラであり、
ペーターが教習をクリアできないとしても、ドゥーフのような幸せを掴める未来がある
・有能だから飼い主が付くわけでもない
ペーターが教習を完璧にできても、シェールみたいに飼い主確保に時間がかかる未来がある
というペーターのIFになっている。
ペーターの悪夢の描写を見るに、ペーターはビビりなだけで教習は真っ当にこなせている(掲示板のシール)
最終的にはペーターはドゥーフにもシェールにもならず、ビビりなだけで普通のモルカーのように卒業していった
つまるところ、ペーターの成長としてはありのままの自分のまま、苦手をちょっと乗り越えて学校を飛び出していき、
目標だった飼い主を無事確保した、というのがペーターの成長物語になる
この流れは②を経たうえで①で描写されている(ゲストキャラがあくまでメイン)
2期の感想でよく見るのが「教官の話が多い、出番が多い」ということ
ただこれは仕方のない部分があると思っていて
むしろ教官の仕事が多い→出番も多い、という流れになってるだけで
教習の面倒、飯炊き、イベントの主催と3役こなせばこの出番量になるのも納得できる
(飯炊きぐらいはお姉さんに分担させた方が出番的にも丸かったと思うが、まあこの時世では炎上リスクが上がるだけだろう)
2期は学園ものという狭い世界の中でやっていたため、どうしても世界観の説明が多くなるのだが
限られた制約の中ではこれがベストだろうなと思う
最期が卒業するという落ちである以上、早めにペーター回をやってもくどくなるだけだと思うし
観客からの制約としては大きく
・2期が早く見たい
・1期みたいな話をもっと見たい
で制作人の制約は
・1期で描写しきれなかった部分を書く(食糞、中古車、働く車、教習所、モルカーの個体差etc…)
であったと思う
特にファンサービスの部分はウケるところが詰まっていたので、個人的には非常に良かったと思う(ただし使いまわしという意見も分からなくもない)
ペーターの悪夢ではラストが渋滞のオマージュだったが、個人的にはあれが一番良かった
やはり2期は創意工夫を凝らして早く作ってくれたのが一番良かったとともに、一番課題にもなったと思う
世界観の描写はどこかで必ずやらなければならないので、2期はこの話は削れない、という箇所がたくさんあり、遊びが少なかったと思う
(1期ならミッションとか丸々なくても多分成立するが、2期はメインストーリーがあるため削れないところが多い)
ローズって何のためにメインキャラに昇格したのか最後までみても分からなかった
チョコと求められる役割は同じだと思うし、そのチョコも言うほど2期では目立ってないし
ローズじゃないとダメなんだってところは無く、むしろローズ枠で事前にドゥーフとシェールを出してほしかった
ローズが嫌いなわけではないんだけどね
スポットもそんなあたってない グッバイでようやく当たったレベル
特にひーはポテトに似てるところが、白塗りで張られた伏線をグッバイで回収しててとても良かったんだけど
ふーやみーはそんなに必要性を感じなかった
まあ必要性が一番大事なわけでもないけど、3人セットの意義は感じなかったな…
1期のメインキャラも削れないけど制約になった印象
ポテトシロモは持て余してた印象がある
2期って難しいなほんと
次も早く見たいんですよ。でも1期みたいな有名作品のオマージュも見たいです
だから制作ラインを2本にして3期4期を並行して作りませんか!?
マジでモルカー作るのってすげー大変だと思う
ニードルフェルトで売ってるモルカーキットやってみたんだけどバケモノが生まれたし
やっぱり売ってるぬいぐるみを買うのが一番いいな
貧しかった学生時代の名残だろうかと思いながら生活してきたが、30代になっても全然変わらない。それどころか使い古されたものの方が好きになってしまった。中古品には誰かの影が残っていて、耳を傾けるとものを言う。昔の何気ない日常を熱心に語る。そういうのを聞くのがすごく好きだ。
車も中古車だし、服も靴も半分は中古だ。椅子は中古のコンテッサ。パナの加湿器もモンベルのテントもクリステルの大鍋も中古。これは蓋が別売りなのだが、それも中古。鏡面仕上げの隅に磨き傷がある。その他に目立った傷はない。気軽にクリームクレンザーか何かでひと拭きしたところで、粒度が粗すぎたことに気づいたのだろう。
フェールセーフは機能したが、蓋を閉めるたびに自分のミスを突きつけられているようで我慢ならなかったのだ。ところが私は他人である。他人の些細なミスを引き受けるのは容易い。その蓋は「本来そういうもの」なのだ。少し奮発してぴかぴかの鍋を買い、うっかりから無用の傷をつけてしまったことにどうしても耐えられなかった。この悔恨の情が彼女の影を色濃くし、おでんを味わい深くする。
オーブントースターは知り合いの厨房のお下がりだ。ボロボロの佇まいが妙に魅力的で、もう使えないというのに無理を押して譲ってもらった。洗い場の棚にあったもので、戦場の罵声と泡まじりの飛沫にさらされ続け、2015年製とは思えない錆び方をしている。引き取るとき「グラタン用だったから...」と口を濁していたのが印象的だったが、電源を入れると漂うチーズの香りで腑に落ちた。私の好きな磯辺焼きがまずくなるため、しばらく使っていたのだが捨ててしまった。
正直にいうと中古の電気シェーバーを買ったこともある。先回りしておくが、いくらなんでも刃は取り替える。一応健康リスクという言葉くらいは知っている。だが日常的に使いこんだ道具には特別な魅力がある。いずれ中古住宅も買うだろう。割れた石畳が並び、炭酸カルシウムのこびりついた亀の子格子がついているといい。長く使われた板の間はゆるやかに窪んでいて、松の木は取り返しのつかないほど枯れているといい。秋めいてきて、私は出どころのわからない隙間風を止めるのに必死になる。これは懐古趣味が行き過ぎていると思う。
食器も中古の方が好きだ。それもできるだけ多くの人の手に渡ったものがいい。骨董屋も好きだが、掘り出し物を探しに行くというよりは単に古い食器を見に行く。欠けたり萎びたりしているもの、古いものほどよい。こういう目線も一つの美観だと思えなくもないが、その一方で品評基準や技術的なことはあまりわからない。開き直ったように、不完全な主観を甘やかしながらものを愛している。貴重性のようなわかりやすいものなら理解できるのだが、知れば物怖じの原因になるだけだ。かといって知らないまま使って台無しにしてしまっては寝覚めが悪い。人並みの道徳心が働く。したがって、ただ古いだけの日用食器が一番よい。器の前に座った昔の人々を想像しながら、手の中でくるくる回して欠けやひびに入った汚れを眺めるのが好きだ。あまり酒は飲まないが、熱い湯を李朝の徳利に移してから注ぐと、300年前の丸い赤ら顔がうっすらと蘇ってくる。底座はすり減っていないがヒビは濃く色づいている。清潔な卓の上で大切に使われていたに違いない。奥の間の文机には美しい硯が置かれていて...
状態が良い中古もまた良い。大切に扱われてきたものには独特の緊張感がある。タグが破れかかるほど繰り返し洗濯されているのに、型崩れもせずきれいに保たれている服。裏返しにしてネットに入れ、丁寧に洗って乾かしてもらっていたんだろう。自分は几帳面な人ではないので、几帳面の染み込んだ服は神々しくさえ見える。隅に手垢がつくほど読み込んであるのに、折り目の一切ない本を見たことがある。それは大正後期の本で、日焼けして小口にはポツポツとカビが生えていたが、中は一昔前のCGみたいに均一だった。人が何度も開いた本は湿気を吸ってごわごわしていくので、それとわかる。奥付に強い朱色で購入年月日が書いてあった。尾の長い達筆だった。日常生活を勝手に楽しまれるのは気味の悪いことかもしれないが、増田に書くぐらいはよかろと思う。
本は好きでも間の悪いことに古典や思想書が好きだ。浅学なので最先端の思想や技術を吟味するような知識はない。開拓された新天地を後から眺め、「おお」とのけ反ることしかできない。だから勧められて読むことはあっても新刊あさりをすることはない。死ぬまで教わる側だろうと思う。買うのは電子書籍を優先しているが、それはスペースが足りないからだ。遠慮なくびっしり引いた傍線や、付箋や、日付入の署名はいつでも恋しい。折り目もないよりはあった方が好みだ。
新しいものというのは、誰にも使われていないものだ。時代の御沙汰を経ていないものだ。自分には後世に残すべきものを見抜く目がない。最大多数の最大幸福というものが、わかるようでまるでわからない。誰かが作ったものに勝手な理屈でうなずき、あるいは名批評の情熱を譲り受け、誰かの生活を勝手に愛することくらいしか幸福に向けた積極性を持っていない。でも世の中の多くのものの価値は、そこにくっついた誰かの影ではないかという気がする。誰かの生活を愛する時間と時間の間に、それらの記憶と記憶の隙間に、ガスのように後の未来からゆっくりと幸福が満ちてくるのではないかという気がする。中古品を買い漁っているとき、この作用に期待しているという自覚がある。それらを構成するのは自分の記憶でなくとも良いのだ。
作った場所から直接やってきたものが、何か恐ろしい未知の存在に見えることがある。そこに何が宿っているのか、自分の目には判断がつかない。それはひとりでに明らかにはならない。誰かが指摘してはじめて、私達は宿るものの姿を見ることができる。ここまであえてこの言葉を使わずに来たが、どうしても気持ちが悪いので書いておく。私はこれが魂だと感じている。私が勝手にものの中に見出し、呼びかければ話し出す誰かの姿。恋人にもらったネクタイに宿ると感じるもの。死んだ犬の首輪に宿るもの。それに触れた子供の指に宿るもの。それを見た私の目に宿るもの。こうして文字にしたことでどこかのあなたの目に宿るもの。言葉と物とが受け継がれる中で、それは形を変えながら宿主を移り、誰かの指摘によって唯一性を獲得しながら無限に増えてゆく。歴史は生活の集合であり、魂の集合であり、決して失われない無限の価値だ。こういう虚構を片手に中古品を愛でている。あと中古品は安い。そこもいい。
自分は3ヵ月前に、https://anond.hatelabo.jp/20220620225630 というエントリで「トヨタのEV戦略は明らかにおかしい」(トヨタの主販売市場の動向や競合企業のロードマップと比較して、明らかに展開が遅く、投入車種も少ない)という指摘を書いた。当時は結構叩かれたが、今日ロイターから、トヨタがこの戦略の見直していることを示唆する報道が出た。
https://jp.reuters.com/article/toyota-exclusive-idJPKBN2RJ0NR
[24日 ロイター] - トヨタ自動車が電気自動車(EV)事業を巡り、戦略の修正を検討していることが分かった。基本設計のプラットフォーム(車台)も見直しの対象に含めており、2030年までにEV30車種をそろえるとしていた従来の計画の一部は既にいったん止めた。想定以上の速度でEV市場が拡大し、専業の米テスラがすでに黒字化を達成する中、より競争力のある車両を開発する必要があると判断した。
まとめるとこうだ。
・「2030年時点でトヨタの販売車種の1/3をEVにする」路線を撤回する(目標が低すぎて死亡確定なので)
・「EVはCVより安くクルマを作れる技術」という現状認識に基づいて、EV生産のコスト構造を抜本的に見直す
・そのために混流生産向けのe-TNGAは徐々に切り捨て、EV専用の新規プラットフォームを開発・投入する
・追撃のために、なりふり構わずテスラの先行技術を後追いする(ギガプレス、オクトバルブ他)
つまり、EV時代におけるトヨタの最初の敗北宣言である。おそらくこれからもこうした敗北が積み重なっていく。日本の自動車産業にとっては、技術競争力の低下という現実を次々と見せつけられる、暗く辛い時代がやって来る。
2021年の年末にトヨタがEV30車種投入発表会やったときは、ネット上に「トヨタは全方位戦略だからリスキーなEV一本足打法にしてなかっただけ」「トヨタがちょっと本気を出せばEV時代も横綱相撲を取れる」という奇妙なファンタジーがはびこった。来るEV時代でのトヨタの勝利を疑わずに多幸感に浸る連中がいっぱいいた。蓋を開けて見れば、1年も経たずにこの有様だ。
系列部品サプライヤーを束ねて膨大な構成要素を精緻に擦り合わせるトヨタのものづくりは、内燃系と電装系が複雑に絡み合うCV時代には良いやり方だったが、EVでそのやり方を延長しても性能×コストのバランスの最適解には辿り着けない。見た目と機能は似ていても、CVとEVは全く設計思想が違うからだ。テスラは多数の部品を高度にインテグレートするという路線ではなく、「大胆な手法で複雑な構造を単純な仕様に変えてしまうような」技術思想を全面的に投入している。たとえば導入当初は「大量生産車向けの技術じゃない」と批判されたが、今や新興自動車メーカーが次々導入を始めているメガキャスティング(ギガプレス)。たとえばバッテリと空調の熱制御と統合して、今までの自動車とは別次元の効率的なサーマルマネジメントを実現するオクトバルブ。どちらも圧倒的な部品点数の削減とコストダウンを実現する。そして上の記事は、トヨタはそうしたテスラの路線に(プライドを捨てて)追従する、と言っている。
e-TNGAは、EVとテスラがもたらした設計思想上のパラダイム移行は全く意識せず、ただ単に「CVとEVを可能な限り互換化し、安直に投入車種を増やせる手法」として設計された、いわば「過渡的なプラットフォーム」だった。その過渡的なプラットフォームで8〜10年ぐらいは持たせる計画だったのに、2021年の発表から1年足らずで、もはやその思想がEVをめぐる現実に追い越されている。未だに「トヨタのEV時代制覇」という夢を見ている人たちにも、少しずつこの現実を認識してほしい。
https://anond.hatelabo.jp/20220620225630
で書いたことは、以下。
トヨタのBEV戦略(2030年に車種の1/3を、販売台数の1/3をBEVにする)は、今の地域別売上からするとかなり奇妙な方針で、額面通りに受け取るなら間違った戦略だと思う。あのトヨタの発表が出たときは、ネットでは「EVでもトヨタが勝つる!」「30車種すげえ」「EU勢ざまあw」みたいな反応が多かったけど、個人的には「えっ、そんだけ?」としか思えなかった。系列企業への配慮などで、あえて低めの発表をしてる可能性があるとすら思ってる。
なにが奇妙かといえば、トヨタというグローバル企業の売上構成から考えると、2030年に1/3をBEV化する程度じゃ全然売るタマが足りないはずなんだよね。トヨタの自動車販売台数は、2021年実績で、日本国内が140万台、海外が810万台。海外を地域別に見ると、北米が270万台、欧州が100万台、中国が200万台。よく「欧米以外の地域には、今後もICEやHVのニーズが根強くあるから…」と言う人がいるけど、トヨタの国別販売台数は、この北米・欧州・中国の3地域で輸出市場の70%、全生産量の60%を占めている。つまり発展途上国と日本を足した「2030年頃にICEやHVを売り続けられる地域」の市場規模は、今の販売先の40%しかない。
「4割の残余市場に向けて、全車種の2/3でICEとHVを維持する」というのは、ポートフォリオ戦略としておかしいでしょ?
ちなみにホンダは「2030年に2/3をEV化」、GMは「2030年までに北米生産の50%をEV化」、フォードは「2030年までに40%をEV化」という構想。つまりトヨタは、ICE規制までまだだいぶ間があるアメリカのGMやフォードに比べてもEV化に対して慎重な(鈍重な?)動きになっている。
「規制が始まるまではICE・HVを売ればいい」という人もいるけど、一旦ICEの規制・禁止法制がアナウンスされれば、その実施時期に5〜10年先行してICEやHVの売れ行きは落ち始める。消費者は、一定期間乗った車を手放す時点(規制後)で、ICEの中古車価格がガタ落ちしていることを予期するから。今の先進国での自動車買い換えサイクルは、日本で平均8.5年、米国も7.3年、欧州はもっと長い。最近は日本でも「これが最後に買う内燃車かな、次はEVだろうな」なんつって自動車を買う人が増えてるでしょ。海外もそう。
最近の欧州車ディーラーでは一種のdisclaimerも兼ねて「EVのほうが下取り価格は有利です」と言われることが増えたけど、今後は先進国のどこでもこの傾向が加速し、おそらく2026年あたりから「EVか死か」の秒読みが始まる。そんな状況で、「2030年には、なんと全車種の1/3をBEVにしまぁす!」みたいな悠長なことを言ってて、まともに戦えるのかな、何らかの思惑含みのフェイクであってほしいな、というのが今の自分がトヨタに思ってることです。
車オタクからの知名度は無いものの、意外とマニアックなエンジンを作っていたのがドイツの巨人フォルクスワーゲン。
フォルクスワーゲンのスポーツモデル等には、VR6エンジンというV型6気筒エンジンが搭載されていた。このエンジンは挟み角が15度程度しかない鋭角V型エンジンで、V型エンジンにも関わらずエンジンヘッドは1つのみ。V6エンジンながら、擬似的な直6エンジンという、マニアックなシロモノだった。
このようなレイアウトを取ることで、エンジンの長さや幅を圧縮することに成功。フォルクスワーゲンは、六気筒エンジンをコンパクトに横置きすることに成功したのである。色物エンジンに思われるかもしれないが、合理的に設計されたエンジンなのだ。
このエンジンが搭載されたモデルの代表格といえるのが、フォルクスワーゲン・パサートR36である。3.6LNAのVRエンジンは約300馬力を発生。このパワーは6速DCTと、フォルクスワーゲンの4WDシステム「4モーション」でタイヤに伝えられる。スポーツモデルには見えない控えめなルックスと確かな動力性能を持つパサートR36は、まさに「羊の革を被った狼」と呼ぶにふさわしいモデルだ。
しかし、これだけでは終らない。フォルクスワーゲンはこのVRエンジンをベースに、W型12気筒エンジン(通称WR12型)を開発する。
このWRエンジンは、VRエンジンを直6エンジンに見立ててV型に配置したエンジンだ。Vが2つ連なるため、W型エンジンと呼ばれる。
このエンジンはアウディ・A8やフォルクスワーゲン・フェートン、ベントレー・コンチネンタルGTなど、複数のラグジュアリーモデルに搭載されることになる。しかし、このエンジン搭載車種で最も特筆するべきなのは、フォルクスワーゲンのフラッグシップSUVであるトゥアレグだ。
W12が搭載されたトゥアレグは、パサートR36と同様に控えめなルックスながら、その心臓はスーパーカー顔負けの450馬力を発生。まさに怪物そのものだ。生産された台数は全世界で500台。そのうち100台が日本に入ってきている。
ちなみに、このW12トゥアレグは中古車市場で200万~300万程度で流通している。国産車とあまり変わらない値段で、2000万超のラグジュアリーカーの質感を味わえるスーパーSUV、W12トゥアレグ。中古車市場が高騰する昨今で、狙い目の1台といえるだろう。
100万の中古車なんてどこに挟まってたん?
逆でしょ
50万の中古車購入の客を100万の中古車を挟むことでスムーズに新車購入の流れに乗せてる。めちゃくちゃ優秀な営業マンや
いきなり足元を見られている感があり、上手く新車を買う方向性へと誘導された感がある。いや、私ですらまんまと乗せられつつあるぞと気付くくらいなので、このディーラーさん、人柄は悪くなさそうだけど営業はあまり上手くなさそうだな、マジで近々辞めるんじゃね? と思ったが、
だいぶ前に、愛車のワゴンRがポンコツ過ぎて辛い、早く買い換えたいが、ワゴンRは愛車……というような愚痴とも惚気ともつかない文章を書いて増田に放流した覚えがなくもないのだが、最近やっと車を買い換えた。
愛車のワゴンRはあちこち壊れまくっていてどうにもならない状態だったので、廃車となってしまった。十五年ほど乗って、その間軽く擦ったり縁石にぶつけたりはしたものの、事故は起こさなかったので、故障は主に単なる老朽化のせいだった。
これがもし大衆的なワゴンRではなく、ちょっとした高級車で、大事に大事に整備して乗り続けた車だったらよかったんだけど、愛車と口では言いつつ乗り潰し上等な扱いを十二年ほどしてきてしまったために、ちょっと具合が悪いなと思って点検に出しても、整備士から「もう買い替えたらいいんじゃないすか?」と冷たく言われてほぼ何も治ってない状態で突っ返されて来る(消耗部品だけはちゃっかり交換されている)ような体たらくだった。
そんなんでも、自分の気持ちの中だけでは「愛車」だったのであり、仕事で嫌な事があって家にも帰りたくない時の籠城の場であり、子供達を赤ん坊の頃からあちこちに連れ回すのに使った車でもある、思い出のいっぱい詰まった車なのだ。
だったらただの足扱いせずに、ちゃんとメンテして車内の掃除もちゃんとせえよって話だが。愛とは思い込みではなく行動である……というのを車には適応して来なかったのだが、ひょっとすると自分の一事が万事それなんじゃ? といううすら寒さもありつつ。
ともあれ、約十五年ぶりの車選びをした。といっても、愛車()のワゴンRは自分で選んで買った訳じゃなくて、義父母の友人のディーラーさんが義父に頼まれて適当に見繕ってきた車だったので、今回は実質、人生初めての車選びだった。
義父の友人のディーラーさんはとっくの昔に定年退職をしていて、その後に担当を引き継いだ人はしぬほどやる気のない人だった。まあ、二年に一度の車検の時と年一の自動車保険の更新の時にしか用のない客なんて有象無象の糞客のうちの一人でしかないのだと思うが、あからさまにこちらをゴミ扱いしてきて、夫が出た時にだけあからさまに態度を変えて来るので、もう義父母の縁も時効だと思うし、販売店選びから自分でやろうと思った。
で、ネットで検索してレビューで女性客でも馬鹿にしない・中古車を買った客やちょっとした整備だけ頼む客でも見下さないという販売店を選んだ。家からは遠いけどまあ仕方ない。夫は近くのスズキの直営店に拘った(私がずっとボロいワゴンRに乗り続けていたので、よほどスズキの車が好きなんだなと思ったらしい)ので軽く揉めたが、結局買うのは私ということで、私の意見が通った。
で、私の選んだ販売店に出掛けた。受付で中古車を買いたいと申し出たら、若いディーラーさんが呼ばれてその人がそのまま担当になった。なんか若すぎて今にも辞めそうな人だなというのが第一印象で、でも愉快な人だった。
ディーラーさんは、今は店舗に一台も中古車がないので、車で10分の所にあるもうひとつの支店に案内すると言った。それでそこに行ってみると、その支店にも今ある丁度いい中古車は四台だという。お値段32万円以下で、諸費用込で50万円ほどになる車だ。現金50万で買える車っていったらどれ? ということで紹介された。見るからにパッとせず、しかも全部修復歴がある年式の古い車だ。
でも、それくらいのお金をポンと出せるとしたらこのレベルなんだけれど、もう少し出せればもっと良いのが買える。だがトータルで100万以下の中古車を、50万円を頭金にしてローンを組んでまで買うのも馬鹿らしいし、元より軽自動車を希望なのだから、いっそ新車をローンを組んで買ってみてはどうか? 納車がちょっと先になるけれど……と提案された。
いきなり足元を見られている感があり、上手く新車を買う方向性へと誘導された感がある。いや、私ですらまんまと乗せられつつあるぞと気付くくらいなので、このディーラーさん、人柄は悪くなさそうだけど営業はあまり上手くなさそうだな、マジで近々辞めるんじゃね? と思ったが、新車が買えるかもしれない!! という話に夫のテンションが上がってしまったので、とりあえず話にノッてみた。
紹介されたのはホンダのN-BOXだった。ワゴンRと運転のし心地が近く、低身長女性の私でも視界が良好。天井が高いので背の高い夫にも乗りやすい。そしてワゴンRよりもずっと内部空間が広々としている。一番下のグレードは179万円ほどだったか。今は軽でもかなり値段がつり上がっているという噂をかねがね聞いていたから、車体価格が200万もしないという事に驚いた。物価が上昇し続けている今日この頃なので、買うなら今かなーという気がする。
しかも納車時期はお盆休み前に注文すれば年末予定。今車を注文しても納車は一年後って、ネットにはよく書き込まれているが? 思ったより現実はシビアではないのだろうか。
だが、問題が一つある。我が家は義父が自営に失敗したせいで、一族郎党みんな貧乏。ローン審査が通らなさそう。
それと気になるのは、そもそも車を買い替えようと思った動機が、愛車のワゴンRがポンコツ過ぎて今にも壊れて動かなくなりそうということなので、納車時期が年末予定なのは思ったよりも早いとはいえ、ポンコツ車を使い続けてそこまで待つのはリスキーな気がする。愛車が壊れずに済んだとしても、気候が寒くなってくれば、しょっちゅうエンストされてイラッとするのは間違いないし。
まあ、でも。新車を買えるチャンスがあるならダメ元で挑戦するのもいいか。新車だったら、大事に乗れば十五年くらい使い続けられるかもしれない。十五年後といったら子供達も成人している。新車がボロボロになるまでの間に、大きな出費といえば子供達の進学関係が主で、車への出費はそれほどかからないとすれば、経済的だと思った。
で、どうなったか。ローン審査が通らなくて打ち敗れた。一族郎党、誰も保証人の審査に通らないという……。
ローン審査のあれこれで、人間、齢40を超えてそれなりに収入はあったとしても、資産を一つも持たないならば自動車ローンの審査に通るほどの信用はない、という知見を得た。若いうちに土地や家を買ってローンを組むとか、クレジットカードでお買い物をするとか、ほどほど借金を返済する経験が大人には必要なのか……。
そんな訳で、新車購入はディーラーさんをぬか喜びさせただけで白紙に戻ったのだが、私は最初から中古車がすぐに欲しかっただけの人だったのですぐ立ち直った。夫はしばらく立ち直れなかった。
お盆休み明けにまたディーラーさんに連絡を取って中古車を見に行った。丁度良いことに、お盆明けに沢山の中古車が入荷しており、広告も出したところだったそうで、平日なのに何人もの客が品定め中だった。
相変わらず、すぐ出せる金額は50万と言った私だったが、ディーラーさんはせめてあと10万プラスしてくれたらこの四台がおすすめ、と言い、ワゴンRに似たような形の四台を紹介してくれた。私は秒速で「これがよさそうです」と右から二番目の車を指差した。スズキのMRワゴンだった。謎に運命的な何かを感じてしまい、これしかない! という気分になっていたのだが、実は車選びを始めてからずーっと可愛い色の車は嫌だと言い続けていた(N-BOXもお安く低渋いシルバーを注文しようと思っていた)ので、あまり見かけない色合いの車を一目見て気に入ったと言うのはどうかと思った。チラッとディーラーさんを窺ってみると、やっぱり、マジかよ……、と顔に書いてあった。夫は、「でもこっちのも良さそうだよ」と隣のブラウンの車を指した。
とにかく多くの客がいて、展示されている車に次々と「売約済み」の札がかかっていくので、お目当てのMRワゴンが他の客に買われませんようにと思いつつ、夫がよさそうだと言った車と、その隣のもう一台を適当に見て、MRワゴンの所に戻った。
ディーラーさんの勧めてきた四台のうち、三台を見た訳だが実はMRワゴンが一番オプションが少なかった。しかも修復歴もある。ただ、交通事故を起こした訳じゃなく、車庫入れか何かに失敗して軽く擦った所を鈑金屋で直してもらったくらいだった。珍しい色合いの車なだけあって、塗装の修復箇所はそこだけ明らかに色が浮いている。仮に目立つ所を擦ってしまったら、二度と元通りにはならない(しかもドア一枚だけなんか違う色、みたたいな恥ずかしいことになる)という、けっこう大きめのデメリットがありそうだ。
年式は愛車のワゴンRと五年くらいしか違わない。だが、前のオーナーがあまり車に乗らない人だったようで、走行距離は三、四分の一くらいだ。
真面目に整備をして大事に乗ったとしても、子供達の進学に金がかかる時期に車の買い替え問題がまた浮上してしまうが、中古車を買うならどれを買ってもそんなもんだろう。
一応、グレードはちょっと高かったみたいで、ドアにシートと同じ材質の内張りがされていたりする。車体の色が珍しいのもそのせいだろう。オーディオがやけに良い感じだけど、他は鍵がスマートキーであるとか、アイドリングストップのON OFFが切り替えられるくらいしか特色がない。夫が良いと言った車の方が、すでにカーナビが着いているし、ステアリングやコントロールパネルにボタンがいくつもついていて、まるで宇宙船のコックピットみたいで凄かったのだが、私は自分の直感以外を信じる気にはなれなかった。なんだか知らないけれど、MRワゴンからは謎の縁起の良さと引力を感じたのだ。
そうして、ただの直感だけで我を通し切り、私はMRワゴンを無事に手に入れた。自動車保険代まで含めると、67万円ちょっとかな。全部自分の貯金から出した。
「実は僕、今月の25日付けで退社させていただくことになりました!」
と爆弾発言。あーでもなんか、今にも辞めそうな気はしてた……。
納車から1か月未満で担当のディーラーさんが別の知らない人に代わることに地味に不安はあるものの、新たな愛車の運転のし心地は良好で、満足感が高い。今度はディーラーさんや整備士さんに見放されないよう、真面目に手入れをして乗り続けようと思う。
しかし、自分の直感なんてあてになるものなのだろうか? 直感でこの人がいい! と思って夫と結婚した結果、赤貧に甘んじている私なのだが。でもまあ気に入った男との生活は貧乏でも満足感はかなり高いからいいけど。
ちなみに、夫は私が「やっぱりスズキの車が異様に好きな女」であるという確信を深めた模様。
【追記】
車の修復箇所は、後部の、トランクの縁辺りのとこ。
今のとこ、走りに問題はなさそう。思えば恋しいワゴンRも買った時点でトランクがちゃんと閉まらなかったし、まあなんとかなるんじゃないの……と思いたい(買ったMRワゴンのトランクはちゃんと閉まる。)
もう何度かの「ご縁がありませんでした」のメールを受け取りました。
かれこれ2年ほど婚活をしており、2か月に1人のペースで会っていきました。
初回はクリアできる、2回目も会える。でも3回目がない。
2回目あってる途中で今回も無理そうだなと察せられるような能力だけ身につきました。
今は地方に住んでおり、就職でこっちへやってきました。こちらは自然も多く、食べ物もおいしくて心地よいです。
20何年過ごした東京は、人が多く、物は高く、人が住みよい環境ではないことに気が付いたからです。
でもこちらの雪深いことには参りました。冬の間はどこに行くにもひと汗かいてからです。
高校まで共学でしたが、男友達と遊ぶのに夢中で女性など眼中にありませんでした。
もっとも、話しかけられる度胸と服装と話題を持っていなかったので眼中になかったのは僕の方かもしれません。
大学はもうほとんど男子校みたいなところでしたので、もちろん女性の影はありませんでした。アルバイトも特にしていなかったので当然です。
そのまま大学院まで進みましたが、ますます女性と話す機会はありませんでした。
この時彼女がいれば東京に残るという選択肢もあったのでしょうか。
両親に買ってもらった中古車は飽きて1年でドイツ製の新車に買い換えました。
うれしいことにボーナスがなかなか出る会社だったので、すぐに買える原資ができました。
でも肝心の女性がいません。職場には、職種的なものもあってか、適齢期の女性がいませんでした。
年齢も若いですし、年収ももらっている、顔もまぁまぁと来れば、まぁ会えるだろうと思って意気揚々と登録しました。
実際会えました。でも続きません。理由は女性を楽しませることができないから。相手の心をとらえることができません。
僕は女性を楽しませる方法を知りません。四方山の女性との会話本を読みましたが、活かせません。
温泉旅行が趣味なので連休ともなれば車中泊しながら巡ったりするものですが、こちらの人はそんなに長距離移動する趣味を持ちません。
アニメ漫画とインドアな趣味も持っていますが、当然向こうはそこまでオタクではありません。幼女戦記なんて読みません。
女性が喜びそうな話題って何ですか。台湾カステラかかき氷の話が必要ですか。
それで次につながるならいくらでも取材します。甘味も好きですし。
自分の趣味のことを話していると気持ちが良いので、お相手も多分そうだろうと思って話させたいです。
質問をいっぱいしますがうまくいきません。自分でも尋問のようになっていると理解していますが、直せません。
面白い会話になっていないんでしょうね。キャッチボールは時々あられもない方へ飛んで行ってそれを笑いあうのが醍醐味だと思います。
でも僕はピッチングマシンなんです。一定のペースで決められた球速が正確なところへやってきてはキャッチボールの面白みがありません。
僕の心はお相手の話で動かないので、相手にとったら楽しいのかつまらないのかわかりませんし。
世の中には自分のパートナーにそんなひどいことをする人がいるのか!と憤慨しますが、僕は人にひどいことできません。
毒にも薬にもならないのでしょう。心穏やか、人当たりもよい好青年である僕は誰も特別扱いすることはありません。
店員さんにも感謝とお願いを忘れず、当然、他人であるお相手にも大人として優しくします。
食事も男のマナーとして可能な限り奢っています。ですが、物足りないのでしょうね。
0から1に生み出すのが難しいのは大学院や社会人になってからよく身に沁みました。
関係を作るのにも同じくらい難しいことが分かりました。僕はどうやったら女性が喜ぶのかわかりません。
でも相手はきっと僕よりも多くの関係を作っています。恋愛市場において女性は女性というだけで極上の価値を持ちます。価値の化身です。
相手は今までの男性と僕を比較するでしょう。僕の提供する価値は完敗です。
逆に1を2にするのはそこまで難しくありません。もう一度同じ価値を提供してやればよいのです。
僕はスタートラインに立てない。そう痛感するばかりでした。
オ前達ノ父母兄弟ハ國賊トナルノデ皆泣イテオルゾ。