はてなキーワード: 四方山とは
もう何度かの「ご縁がありませんでした」のメールを受け取りました。
かれこれ2年ほど婚活をしており、2か月に1人のペースで会っていきました。
初回はクリアできる、2回目も会える。でも3回目がない。
2回目あってる途中で今回も無理そうだなと察せられるような能力だけ身につきました。
今は地方に住んでおり、就職でこっちへやってきました。こちらは自然も多く、食べ物もおいしくて心地よいです。
20何年過ごした東京は、人が多く、物は高く、人が住みよい環境ではないことに気が付いたからです。
でもこちらの雪深いことには参りました。冬の間はどこに行くにもひと汗かいてからです。
高校まで共学でしたが、男友達と遊ぶのに夢中で女性など眼中にありませんでした。
もっとも、話しかけられる度胸と服装と話題を持っていなかったので眼中になかったのは僕の方かもしれません。
大学はもうほとんど男子校みたいなところでしたので、もちろん女性の影はありませんでした。アルバイトも特にしていなかったので当然です。
そのまま大学院まで進みましたが、ますます女性と話す機会はありませんでした。
この時彼女がいれば東京に残るという選択肢もあったのでしょうか。
両親に買ってもらった中古車は飽きて1年でドイツ製の新車に買い換えました。
うれしいことにボーナスがなかなか出る会社だったので、すぐに買える原資ができました。
でも肝心の女性がいません。職場には、職種的なものもあってか、適齢期の女性がいませんでした。
年齢も若いですし、年収ももらっている、顔もまぁまぁと来れば、まぁ会えるだろうと思って意気揚々と登録しました。
実際会えました。でも続きません。理由は女性を楽しませることができないから。相手の心をとらえることができません。
僕は女性を楽しませる方法を知りません。四方山の女性との会話本を読みましたが、活かせません。
温泉旅行が趣味なので連休ともなれば車中泊しながら巡ったりするものですが、こちらの人はそんなに長距離移動する趣味を持ちません。
アニメ漫画とインドアな趣味も持っていますが、当然向こうはそこまでオタクではありません。幼女戦記なんて読みません。
女性が喜びそうな話題って何ですか。台湾カステラかかき氷の話が必要ですか。
それで次につながるならいくらでも取材します。甘味も好きですし。
自分の趣味のことを話していると気持ちが良いので、お相手も多分そうだろうと思って話させたいです。
質問をいっぱいしますがうまくいきません。自分でも尋問のようになっていると理解していますが、直せません。
面白い会話になっていないんでしょうね。キャッチボールは時々あられもない方へ飛んで行ってそれを笑いあうのが醍醐味だと思います。
でも僕はピッチングマシンなんです。一定のペースで決められた球速が正確なところへやってきてはキャッチボールの面白みがありません。
僕の心はお相手の話で動かないので、相手にとったら楽しいのかつまらないのかわかりませんし。
世の中には自分のパートナーにそんなひどいことをする人がいるのか!と憤慨しますが、僕は人にひどいことできません。
毒にも薬にもならないのでしょう。心穏やか、人当たりもよい好青年である僕は誰も特別扱いすることはありません。
店員さんにも感謝とお願いを忘れず、当然、他人であるお相手にも大人として優しくします。
食事も男のマナーとして可能な限り奢っています。ですが、物足りないのでしょうね。
0から1に生み出すのが難しいのは大学院や社会人になってからよく身に沁みました。
関係を作るのにも同じくらい難しいことが分かりました。僕はどうやったら女性が喜ぶのかわかりません。
でも相手はきっと僕よりも多くの関係を作っています。恋愛市場において女性は女性というだけで極上の価値を持ちます。価値の化身です。
相手は今までの男性と僕を比較するでしょう。僕の提供する価値は完敗です。
逆に1を2にするのはそこまで難しくありません。もう一度同じ価値を提供してやればよいのです。
僕はスタートラインに立てない。そう痛感するばかりでした。
オ前達ノ父母兄弟ハ國賊トナルノデ皆泣イテオルゾ。
そして結局の所は、俺自身この件について心根ではどうでもいいと思っていたりする。
どうせ、このやり取りも今日だけで終わるんだ。
などと内心クダラナイことを考えていたが、実際この時の雰囲気を形容するなら大体そんな感じだったんだ。
しかし俺が迂闊だったのは、この日で終わるはずだった四方山の話を自宅でしていたことだった。
文化やマナーの話を持ち出したことも、箸の持ち方について言及したことも安易ではあったが、この点には勝らない。
なぜなら、自宅であるということは“弟が近くで聞き耳を立てている可能性”について見積もる必要があったからだ。
己の油断を嘆くべきなのか、弟の口の滑らかさに怒るべきか。
思春期だというのに、兄弟部屋を分けてくれない両親の教育方針を恨むべきなのか。
“後の祭り”の語源は、最も盛り上がる時間である“前の祭り”との対比からきているらしい。
そう考えると、ここからの展開はあながち慣用句ではないかもしれない。
「……なーんてことを兄貴たちが話してたんだ」
当然、弟のフィルターを通して語られているから話に繊細さなんてものはない。
「正直、俺はどうでもいいと思うが、ちゃんと箸を持てるに越したことはないよな」
「私、ちゃんと持ててないけど、うるさく言われたくはないわ」
「タオナケの言い分も分かるよ。でも、それを気にする人がいるってのも分かるだろ」
「私もそれは分かるけど、“気にする気にしない”と“善い悪い”は別でしょ。ちょっと箸の持ち方に癖があったとして、それでアンタに迷惑かかるわけ?」
「ちゃんと持ててないのに開き直って、気にする側を心の狭い人みたいに言うのは違うんじゃないか?」
「“みたい”じゃなくて、実際その通りでしょ。別に悪いことじゃないんだったら、それは気にする側の問題よ」
「おいおい、さすがにその言い草はないよタオナケ。ちゃんと箸を持てていない立場で、気にする方が問題とまで言ったら傲慢だよ」
「傲慢ですって!? 箸をちゃんと持てるのが、そんなに偉いの!?」
「そうだ! オレこそが最強の“ゴーマン”だ!」
「シロクロ、お前は傲慢の意味を誤解しているし、その持ち方はクセがどうとかいう次元を超えてる」
モメるのは決まっていた。
しかも、俺たちより年下で知識も語彙も少なく、コミニケーションの妙も理解できない同士だ。
そのグダグダっぷりは俺たちの時の比じゃない。