はてなキーワード: 敗戦の日とは
自分は3ヵ月前に、https://anond.hatelabo.jp/20220620225630 というエントリで「トヨタのEV戦略は明らかにおかしい」(トヨタの主販売市場の動向や競合企業のロードマップと比較して、明らかに展開が遅く、投入車種も少ない)という指摘を書いた。当時は結構叩かれたが、今日ロイターから、トヨタがこの戦略の見直していることを示唆する報道が出た。
https://jp.reuters.com/article/toyota-exclusive-idJPKBN2RJ0NR
[24日 ロイター] - トヨタ自動車が電気自動車(EV)事業を巡り、戦略の修正を検討していることが分かった。基本設計のプラットフォーム(車台)も見直しの対象に含めており、2030年までにEV30車種をそろえるとしていた従来の計画の一部は既にいったん止めた。想定以上の速度でEV市場が拡大し、専業の米テスラがすでに黒字化を達成する中、より競争力のある車両を開発する必要があると判断した。
まとめるとこうだ。
・「2030年時点でトヨタの販売車種の1/3をEVにする」路線を撤回する(目標が低すぎて死亡確定なので)
・「EVはCVより安くクルマを作れる技術」という現状認識に基づいて、EV生産のコスト構造を抜本的に見直す
・そのために混流生産向けのe-TNGAは徐々に切り捨て、EV専用の新規プラットフォームを開発・投入する
・追撃のために、なりふり構わずテスラの先行技術を後追いする(ギガプレス、オクトバルブ他)
つまり、EV時代におけるトヨタの最初の敗北宣言である。おそらくこれからもこうした敗北が積み重なっていく。日本の自動車産業にとっては、技術競争力の低下という現実を次々と見せつけられる、暗く辛い時代がやって来る。
2021年の年末にトヨタがEV30車種投入発表会やったときは、ネット上に「トヨタは全方位戦略だからリスキーなEV一本足打法にしてなかっただけ」「トヨタがちょっと本気を出せばEV時代も横綱相撲を取れる」という奇妙なファンタジーがはびこった。来るEV時代でのトヨタの勝利を疑わずに多幸感に浸る連中がいっぱいいた。蓋を開けて見れば、1年も経たずにこの有様だ。
系列部品サプライヤーを束ねて膨大な構成要素を精緻に擦り合わせるトヨタのものづくりは、内燃系と電装系が複雑に絡み合うCV時代には良いやり方だったが、EVでそのやり方を延長しても性能×コストのバランスの最適解には辿り着けない。見た目と機能は似ていても、CVとEVは全く設計思想が違うからだ。テスラは多数の部品を高度にインテグレートするという路線ではなく、「大胆な手法で複雑な構造を単純な仕様に変えてしまうような」技術思想を全面的に投入している。たとえば導入当初は「大量生産車向けの技術じゃない」と批判されたが、今や新興自動車メーカーが次々導入を始めているメガキャスティング(ギガプレス)。たとえばバッテリと空調の熱制御と統合して、今までの自動車とは別次元の効率的なサーマルマネジメントを実現するオクトバルブ。どちらも圧倒的な部品点数の削減とコストダウンを実現する。そして上の記事は、トヨタはそうしたテスラの路線に(プライドを捨てて)追従する、と言っている。
e-TNGAは、EVとテスラがもたらした設計思想上のパラダイム移行は全く意識せず、ただ単に「CVとEVを可能な限り互換化し、安直に投入車種を増やせる手法」として設計された、いわば「過渡的なプラットフォーム」だった。その過渡的なプラットフォームで8〜10年ぐらいは持たせる計画だったのに、2021年の発表から1年足らずで、もはやその思想がEVをめぐる現実に追い越されている。未だに「トヨタのEV時代制覇」という夢を見ている人たちにも、少しずつこの現実を認識してほしい。
https://anond.hatelabo.jp/20220620225630
で書いたことは、以下。
トヨタのBEV戦略(2030年に車種の1/3を、販売台数の1/3をBEVにする)は、今の地域別売上からするとかなり奇妙な方針で、額面通りに受け取るなら間違った戦略だと思う。あのトヨタの発表が出たときは、ネットでは「EVでもトヨタが勝つる!」「30車種すげえ」「EU勢ざまあw」みたいな反応が多かったけど、個人的には「えっ、そんだけ?」としか思えなかった。系列企業への配慮などで、あえて低めの発表をしてる可能性があるとすら思ってる。
なにが奇妙かといえば、トヨタというグローバル企業の売上構成から考えると、2030年に1/3をBEV化する程度じゃ全然売るタマが足りないはずなんだよね。トヨタの自動車販売台数は、2021年実績で、日本国内が140万台、海外が810万台。海外を地域別に見ると、北米が270万台、欧州が100万台、中国が200万台。よく「欧米以外の地域には、今後もICEやHVのニーズが根強くあるから…」と言う人がいるけど、トヨタの国別販売台数は、この北米・欧州・中国の3地域で輸出市場の70%、全生産量の60%を占めている。つまり発展途上国と日本を足した「2030年頃にICEやHVを売り続けられる地域」の市場規模は、今の販売先の40%しかない。
「4割の残余市場に向けて、全車種の2/3でICEとHVを維持する」というのは、ポートフォリオ戦略としておかしいでしょ?
ちなみにホンダは「2030年に2/3をEV化」、GMは「2030年までに北米生産の50%をEV化」、フォードは「2030年までに40%をEV化」という構想。つまりトヨタは、ICE規制までまだだいぶ間があるアメリカのGMやフォードに比べてもEV化に対して慎重な(鈍重な?)動きになっている。
「規制が始まるまではICE・HVを売ればいい」という人もいるけど、一旦ICEの規制・禁止法制がアナウンスされれば、その実施時期に5〜10年先行してICEやHVの売れ行きは落ち始める。消費者は、一定期間乗った車を手放す時点(規制後)で、ICEの中古車価格がガタ落ちしていることを予期するから。今の先進国での自動車買い換えサイクルは、日本で平均8.5年、米国も7.3年、欧州はもっと長い。最近は日本でも「これが最後に買う内燃車かな、次はEVだろうな」なんつって自動車を買う人が増えてるでしょ。海外もそう。
最近の欧州車ディーラーでは一種のdisclaimerも兼ねて「EVのほうが下取り価格は有利です」と言われることが増えたけど、今後は先進国のどこでもこの傾向が加速し、おそらく2026年あたりから「EVか死か」の秒読みが始まる。そんな状況で、「2030年には、なんと全車種の1/3をBEVにしまぁす!」みたいな悠長なことを言ってて、まともに戦えるのかな、何らかの思惑含みのフェイクであってほしいな、というのが今の自分がトヨタに思ってることです。
今から書くことは、もしかしたら「あんなヤツはペンじゃない」って他の人にいわれるようなことかもしれないけれど、それでも書くよ。
私はあなたが反日でも構わないと思ってる。韓国人で反日の人って私たち日本人の思っている以上にきっといると思う。
韓国のアイドルが好きで、辛い食べものが好きで、コスメが大好き。旅行にもたくさん行った。そのときに「チョッパリ」って言われたこともある。
嫌な思いもした。どうして過去の人がしたことで今の私がこんな目に遭わなきゃいけないのって思ったこともある。
でも仕方ないよなって思ってた。これは国の政治が絡む話で、お互いに難しい問題を抱えている。
私が辛い思いをすることなんて本当に小さなことだし、じっとじっと我慢してたらきっと未来は少しずつよくなっていくんだって信じてたんだよ。
思想は自由だから、それは否定しない。でも、あなたプロだよね?成人してるよね?自分の影響力、分かってるよね?
分かっていてやったのかな。あのTシャツ。だとしたら悲しい。
例の件、「もうずっと前のことをなんで今更」っていう人もいるよ。
でも少なくとも私はそんな風には思えなかった。
私のおじいちゃんね、自分のお母さんが目の前で死んだんだって。広島で。被爆して体が溶けて、少しずつお母さんの姿じゃなくなっていったんだって。
前の日はおじいちゃんの妹の誕生日で、食べ物もないのにあちこちに頭を下げてお裾分けを貰って、白いご飯と、それから砂糖をなめてごちそうして、来年はもっと美味しいものを食べようねって約束した次の日が、あの8月6日だったんだよ。お父さんは戦争に行って帰ってこなかったって。戦争へ行く日、お母さんと妹を頼むぞって言われたのに、お母さんを守れなかったって言ってたよ。おじちゃんは幼かったから、「お国ため」がどういうことかは全然分からなかったけど、でもお母さんが死んじゃって、お父さんも帰ってこなくて、妹だけは守ろうって、必死で生きたって言ってた。妹の結婚の手配をしなきゃいけなかったから自分の結婚が遅くなって、私に会うのも遅れたっていってたの、覚えてる。
日本の敗戦はもちろん、あなたの国にとってはすばらしい出来事だったのかもしれないね。だから8月15日は私たちにとっては敗戦の日であなたの国にとっては開放の日になって、それが韓国で祝い事になることは別に否定しないよ。慰安婦の問題も双方の主張があるだろうから、私はその件に関してのあなたの国の意見を否定するつもりはない。
でも、原爆を祝うの?どうして?
なくなったのは、軍人でもない、ただのお母さんだよ。おじいちゃんやおばあちゃんや、子どもたちだよ。たくさんの無害な人たちが苦しみながら死んでいったことを祝うのはどうして?
あなたは例えば、今シリアで起きてる悲惨な事実によってたくさんのお母さんや子どもたちが犠牲になっていることを祝える?アメリカのトランプ大統領の不法移民政策によって引き離された親子を見て、「これは不法に移民をした罰だから、この親子が引き離されるのはすばらしいことだ」って祝福できるの?
「戦争はそういうもんだから仕方が無い」「不法移民をしているから仕方がない」という意見ならまだ許容するよ。でもそれを通り越して、祝うってどういう神経をしてるのかな。
あなたがやっているのはそういうことだよ。
2年前の敗戦の日ころにNHKのラジオで流していた五木寛之さんといとうせいこうさんの対談の冒頭部分の書き起こし。
誰かフルで持っていませんかね。
まぁ、僕はもちろん戦争体験の年代ではないのですけど、五木さんは?
とはいっても、戦場体験は、もう3つくらい上になるとあるんですけど
少年飛行兵とか
僕らの世代は、ちょっと前で、終戦のときは、中学1年生でしたから
平壌の一中に通ってました。
で、引き上げていらっしゃって
丸々太って引き揚げてきて、村の人が
出ていってときと別人のようでなんて人もいた。
インパール作戦とか
僕は国に対して、万斛の恨みがあるんですけど
そのままにしておきたい
方針があったみたいですね
僕なんかは、引き上げというよりも脱北ですね
脱北者として、逃亡してきた
今から70年になりますから、引き上げ者といってもピンとこない
あっ、帰国子女ですかと言われたりするんで、
棄民のようなかたち?
完全な棄民ですね。
平壌では、チョコレートがあったそうじゃないかみたいなかたちでね
上海では、ジャズバンドもあって、ダンスホールもやってましたから
そういう裏返しも、恨みみたいなものがあるから、余計なものが帰ってきてということで、
粗雑なお話になって、
あるいは美しい物語になってね
五木さんはそうではなかった
僕なんかまだいいほうでね
近くに入植した人たちが、軍に見捨てられて
デマが流れて、ピョンヤンに来ると列車があるらしいということで、
見るも無残な行列が
その人たちは、ありとあらゆる戦争の愚行というものの惨禍を受けてね
ひとことには絶対いえないですよ
それがもう伝わらなくなってきている
帰国子女だという人がいるということ
五木さんに今このお話を伺うことは、とても大きなことなのではないかと
今、話すのは無駄だと思っているんですよ。
虚無感というかむなしさの中で
沖縄戦のいろんなことを語り部として、修学旅行の生徒に語って聞かせるようなガイドの人たちは、もうだめだ。やめようと。
早くやめろとかね。その間みんなスマホを見ている、ぜんぜん聞こうとしない
僕は伝わらないと思う
言っても言ってもね、実感というのは伝わらない
僕はもう半ば諦めている
その人が
そうなるまでは、
物語化して伝わったり
そういうクッションを経て伝わるんだ
と、悪いんですけど、嘆いているんですよ
なんとなく、口ごもる
話の中にもその人が語りたくない
っていう感じが伝わってくるでしょ
本当のことは語りたくないわけでしょ
本当の自分に対してやましさを持っている人たちは
語りたくないんですよ
だから、僕も本当のことは語らない
ずっと今日までね、引き上げをテーマにした小説は書かなかった。
言われたら、とてもじゃないけど、申し訳ない
確かにそうですね。
以上の内容から読み取れることは、戦争体験は千差万別であること。
修学旅行で原爆資料館に行ったら、呉の軍港も見て、岩国の基地も見て、バランスをとっておくべき。
沖縄にいったら、ひめゆりの塔に行ったら、米軍基地も見ておきたい。
空爆でやられたところとそうでないところ。日本の都市部がなぜか軍需工場扱いされていた事実。
やられなかったところは、当時の日常の延長なんだよ。
赤紙がきて、動員された人。上を目指して、半島や大陸に渡った人もいた。
そういう事実の積み重ねの上、生き残った人が今を作っている。ただ、それだけ。