はてなキーワード: 一部の人とは
なにしろ九州が未曽有の大災害に襲われている渦中であるから、ひっそりとしか報じられていない印象だが、
安倍晋三が、今日から始まる靖国神社の春の例大祭に真榊を奉納したというニュースが流れている。
参拝は見送ったとのこと。
例のごとく、なぜ参拝しないのか、特亜に配慮なんかするな、戦没者の慰霊がなぜいけないのか、などと
最近はなんだが「マスゴミはなぜいちいちこんなことを報道して騒ぎにするのか?」などという発言も見られるが、
まあ「取り上げれば騒ぎになること」をとりあげるのはマスコミの仕事なのだから、取り上げてあたりまえである。
自分は、靖国神社の存在について、神道の伝統にしたがえばきわめて特殊な神社であると思う一方、
なにかと「首相の参拝実現を!」と叫ぶことには反対の立場である。
というか、首相などということよりも、もっともっと先に実現すべきことがあると考えている。
英霊たちは、岸信介の孫のパフォーマンスなんぞより、今上陛下の御心を待っているはずだ。
先帝陛下は、先の大戦に敗れて以降も、定期的に靖国に親拝されておられたが、1975年11月を最後に靖国を訪れることなく崩御された。
先帝陛下は、その大御心を無視して靖国神社がA級戦犯を合祀したことに対して不快感を持ったれており、
それが親拝されなくなった理由だという説がある
今上陛下がなぜ親拝されないのかということについては、現在の陛下のお立場から考えて、
少なくとも陛下のご在位の間には決して明らかになることはなかろうが、
「もし、今の状況で陛下が靖国に親拝されたりしたら、ハチの巣をつついたような騒ぎになる。
そんなところに、陛下がいかれるわけがない」と答えた、という話を読んだ記憶がある。
となれば、現在、行政の最高責任者である安倍晋三のなすべきは、
自らが「最高権力者でござい」という顔をして陛下を差し置いて靖国に赴くことではなく、
陛下が親拝されるとなれば、やれ軍港主義の復活だのなんのと騒ぐ輩が内外からでてこようが、
それは間違っている。
たしかに、先帝陛下は昭和20年まで大元帥として軍を統率されていたが、
敗戦によって軍服を脱がれて以降、荒廃する日本の各地に赴き、親しく国民と接せられ、
「四方の海 みな同朋(はらから)と 思う世になど波風の 立ちさわぐらむ」という明治大帝の御製を引かれて
その御心を示された方である。
軍服に威儀を正した大元帥陛下でおられるよりも、スーツとソフト帽の姿で民衆に手を振る象徴天皇でおられるほうが、
望みだったのではないかと、畏れ多くも推察する。
もしかしたら、庶民的な君主であろうとしたが故に、君側の奸に疎まれ、挙句は若くして病に倒れた父君
国籍や民族を問わず、先の大戦の悲劇を語り継ぎ、その犠牲者を慰霊することを
自らの責務として精力的に活動されていることは、近年の海外への慰霊の旅の数々をみれば、言うまでもあるまい。
先の大戦に敗れて「象徴天皇」という立場になって以降、日本の天皇というのは
英国の王族などは、軍務につき、結婚式では嬉々として軍服に身を包んでいたりするが、
現在、我が国の天皇はじめ皇族方は、けして軍服などという野蛮な服装に身を包むことなく、
我が国の事実上の軍隊である自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣であるから、その地位にあるものが靖国神社を参拝すれば
現行憲法下で今上陛下が靖国に参拝することが、軍国主義の復活につながるとはとても思えない。
もし、そのことで国内外に誤解があるのならば、その誤解を解くことこそが、首相の仕事であろう。
首相自身が靖国に行かないことで近隣諸国の懸念を防ぎ、陛下の親拝実現に一歩でも近づくのであれば、むしろそうすべきだ。
にもかかわらず、無用に近隣諸国との緊張を高め、陛下を差し置いて自らが靖国に行きたいなどという首相がいたならば、
それは、本当の意味で皇室を敬愛しているのでもなかれば、我が国のことを思っているとは、到底思えないのである。
そもそも現在でも陛下は、伊勢をはじめ、各地の神社や天皇陵を親拝されているし、
宮中では、日夜、神道の形式にのっとって、我が国の安定の民の幸福を祈っておられる。
もちろん、それは「象徴天皇」の「国事行為」ではなく、天皇家の私的な行事としてであって、
その区別は厳格にすべきだろうが。
皇室を敬愛する愛国者のふりをして、近隣諸国へのヘイトスピーチをばらまきつつ「首相の靖国参拝実現」を声高に叫び
結果として陛下の靖国親拝への道を遠ざけ、英霊の御霊の安らかなるを妨げるものは、
愛国者のフリをした不逞の輩というべきであろう。
http://anond.hatelabo.jp/20160420150416
おまえバカだろ。
何千回と言われてることだけどさ。
「集団で私刑にしよう」などという考えの人間はそんなにいないんだよ。そういうのははてなスター欲しがりのごく一部の人間だけ。
お前の線引をなんでこっちが共有しなきゃいけないわけ?
そもそもお前はどこからどのラインまでは批判しても許されると思ってるわけ?
そういうのを全然示せてないんだよ。
それを示せずに、俺の感覚が正しいって喚くだけのやつはお呼びじゃないんだよバーカ
お前は木を見て森を見ない典型例で、自分のことを賢いと思っているけど仕事できないやつだろ。
お前はフミコフミオの悪意の部分だけ指摘しておきゃよかったんだよ。
すごく残酷なことを言うけど、男のスクールカーストよりも、女のスクールカーストの方が逆転が難しいのよね…。男の場合、得意なスポーツだったり、流行りのゲームだったりが巡り巡って「この時だけは頼りにされる」みたいなのがあるけど、女の場合それが…かなり減るのよね…うん
インターネットって結局はスクールカーストの延長にある世界だから男の場合は「時代が回ってくれば、カーストの上位に返り咲ける」ので、ネットという趣味に没頭できる。
でも、女の場合はそれが限りなくイバラの道でかつ、趣味ができても尊敬されないから、結局は港区のOLが勝つ。
女の子の不幸なところは、女同士で群れることをやめてカーストの外に出たとしても、男の輪の中で「女であること」を求められ続けること。
だから、女であること自体が苦手だった人にとって、男友達の輪に入ること、ネットなど男の多い趣味に入ることは現実逃避ではなく、現実の延長になってるわけだ
いや、言い方を厳密にするために分けると「女の子の割合が圧倒的に多いけど、マニアしかいないからコミュニケーションは限らなくとらなくていい趣味」に逃げるしか女の子が現実逃避する方法ってないんだけど…そんな趣味は男の俺から見るとほぼほぼ存在しないように見える。だから、しんどそう
前にも書いたけど、ブログの世界で、化けてかつ長続きしている女性の大半は外資系OLか、港区でOLしてる圧倒的強者。完全に現実逃避的にネットやって人気のある女性は、はしごたんぐらい?すこし範囲を広げても堀内みきさんぐらい。「女にとってネットは現実の延長」と僕が言う理由
すごく残酷なことを重ねると…少なくともネットのような男の多いところで、現実逃避的に女性がのめり込む・チヤホヤされる位置に行くのは無理。できても、茨の道。ネットは女性にとっては港区でOLできる人が勝つ世界。つまり現実の延長。それでも、勝とうとすると精神的リストカットに陥る
いや、的確な言い方に落としこむと「精神的売春」か?女であることを病んだ形で表現し続けないと評価されない(と思い込んだり、それでちやほやされた感覚、そういうイメージで呼び込んだ客から離れられない)状況はリスカというより売春か…
@tm2501 ごく一部の人間を当てはめて女性とひとくくりするのやめたほうがいい
@icy_camellia うーん…一応、4・5年ぐらいブログ関係を見てきた上での話ですね…。顔や声といったもっと性別がわかるものが見えてしまうとさらに「現実の延長」になると読んでますが…こっちはそもそも1つの文化が長く続いたりしてないから、「数」を調べにくいんですよ…
僕から見た、北条かやって、ネットが現実の延長だからしんどいという感じなんですよ…。社会学者路線できっちり線が引けたらよかったんですが、こじらせ女子として舞い戻ったり、ブログではオタク色を出したりしちゃったから…あれは「精神的に女を売ってるんだなぁ」と。…所感ですが
@tm2501 でしたらせめてネットというよりブログって言ったほうがよかったかも。あと似た性質の人やモノが集まるので大体はそれが全部ではないですしね。交流する分にはネトゲやらSNSもありますし、ネトゲもまあ病んでる人から普通の人からガチのOLまでいましたしねえ…
「ごく一部の人間を当てはめて女性とひとくくりするのやめたほうがいい」ってわざわざ問題点指摘されてるのに「僕はちゃんとやってるよ!」っていい返すの話咬み合わなくてすごい。
「オタクの一部の人は」と攻撃されないように表現には気をつけていても、ツメが甘いので明らかにオタクを十把一絡げに扱っている文章を書いてしまう。
正確な問題提起をするためでなく、反撃をかわすためでしかないのを見透かされる(というか「オタクと呼ばれる人苦手」とはっきり書いてたりする)。
そしてオタクを十把一絡げにするわりに「オタクって曖昧なもんじゃん」と、攻撃対象をぼかしてごまかそうとする。
だいたい、オタク批判して反応するのがオタクだけというのがそもそも間違った認識、甘い想定である。
手厳しい反応が帰ってくると「反撃してくるのはオタクだけ」みたいな判を押したような言い訳をする。
百歩譲ってその通りだとして、だからなんだというのか。
反撃するかしないかはされた方の自由だし、違うカテゴリからの援護射撃も自由だ。
いろいろ言われて言い返さないのは、ものわかりがよく印象悪化を避けるため、とは限らない。
単純に反撃の方法を知らないか、そもそも攻撃を感知してないか、批判されようがしったこっちゃないガチクズかのどれかだ。
オタク全般を雑に叩くことへの批判を、マナー違反や犯罪行為の擁護にすり替える手口も見飽きた。
自浄作用ジジョウサヨーと言われても、そんなものはとっくにやっている。ジャニオタだって同じだ、自浄作用働かせてアレなのだ。
彼らは、ただその卓越した運動能力や技術だけを切り売りしているのではない。
厳しい練習や上下関係に耐え、競技で活躍する人間は、それだけで優れた人格の持ち主でもある、
というイメージを売っているのだ。
実際、オリンピックで金メダルを取ると(客寄せパンダではあるが)政治家への道が開けたりするし、
ついでに言うと顔が多少アレでも異性にモテる。
もちろん、それは幻想に過ぎず、素行の悪い体育会系を挙げていけばキリがないのだが、
そんなのは一部の人間だけという理屈で、とりあえずトータルとしてはプラスということになっている。
そして、学校や企業がカネを出してでも彼らを雇い入れるのは、そのプラスがあるからに他ならない。
好イメージを利用すれば相乗効果が狙え、経営上割に合うとみなされているからである。
都心のキャンパスから離れた場所にある寮に住まい、大学にもろくに通うことなく大学生を名乗ろうが、
午前中しか働かなかろうが、経済的に割に合う限りは、何の問題もなく受け入れられているのだ。
要は、ドル売りをやっている声優みたいなもんである。よくは知らんけど。
そういう路線を取る限り、声だけでなく、アイドルに準じた資質と言動も当然に求められる。
まあ、普通に考えて彼女らが恋愛してないわけがないのだが、してないことにしてないと、
商売上まずいことになるのだ。
そして、アイドル路線をやめるのなら、気色の悪いファンから金をもぎ取ることは諦めねばならない。
スポーツと品性は関係ねえだろ、と言うのはたやすい。だが、実際はそんな単純な話ではない。
スポーツマンは人格面でも優れた資質の持ち主である、という危うい幻想の下にこそ、
スポーツビジネスはかろうじて成立しているのである。そうでなければ、誰もカネを出したりはしない。
その幻想を失った典型例が亀田ブラザーズである。一度悪いイメージがつくと、その先の凋落は恐ろしく早い。
イメージは虚像に過ぎずとも、それを裏切る行為は許されないのだ。
※タイムスリップ仗助説とは幼い日に仗助を助けたリーゼント男が実は未来から来た仗助自身だったという一部の人に信じられてる珍説です
http://anond.hatelabo.jp/20160408000358
お前のこだわりを押し付けんな
仗助タイムスリップ説は荒木先生によって明確に否定されています
http://www.nicovideo.jp/watch/sm23997261 (12:45頃からリーゼント男について)
北久保「ちらっとフリが有ったじゃないですか。仗助が過去の自分に会うとか」
荒 木「ああ、あれは関係ないです」
荒 木「あれはただの仗助の思い出ですよ」
このように荒木先生はリーゼント男が伏線などではなく単なる仗助の思い出だと断言しています
伏線だったけど回収を忘れたんじゃね?
そもそも、名もなき不良が何の見返りもなく子供を助けてクールに去ったからこそ良い話なのに
実は単に過去の自分の命がヤバそうだったから必死になって助けただけで
自分の勲章の学ランをためらいもなく車輪の下に敷いてズタズタにしたのも
もちろん、こんな原作者に否定されている同人ネタを公式コンテンツがやる心配なんて普通はしないんですが
こんな原作者に否定されている同人ネタを公式小説書に輸入した自称ジョジョ好き作家が過去にいたんですよ
別にファンが同人小説とかでタイムスリップ仗助ネタを書くとかなら全然かまわないのですが
公式コンテンツが原作者に否定されている同人ネタを公式に逆輸入とかやっちゃダメです
アニメは漫画と違って声とか出るので、原作者の意向に沿ってちゃんリーゼント男と仗助がはっきり別人わかる描写がされると良いな
子供の卒業式、入学式シーズンをどうにか乗りきって身内から知らされたことだが
スマートフォンやタブレットを格安品で済ませてる俺は一部の人から疎まれているらしい
俺のスマホは3万円強のエントリーモデルで、通信は千円以下のMVNO、二台あるタブレットはAndroid、Windowsともに二万円前半で、外出先での接続は前述のスマホのテザリングで済ませている(さすがに自宅は固定回線契約してと無線LANも導入してるが)
個人的に、安物でやりくりする姿を見られるのもみっともないので人前てはあまり端末を出さないようにしていたのだか、それが一部の人には嫌味に見えていたらしい
ぶっちゃけ、Facebookやるためだけに十万円を軽く越えるMacのノートを買うような人達にとやかく言われる筋合いはないと思ってるが、まあ世の中そんなもんなんだろう
前期のアニメは面白かった。僕だけがいない街、鉄血のオルフェンズ、灰と幻想のグリムガル、昭和元禄落語心中、亜人、DimensionWと、クオリティが高く面白いアニメが充実していた。この素晴らしい世界に祝福を はとても楽しかったし、無彩限のファントムワールドも最後まで見れば決して悪くなかった。しかしこれらのアニメ、このすば以外はあまり売れていないようだ。グリムガルはそれなりの売上だが、それでもこのすばの半分程度。オルフェンズも売上は下がり続けている。単純に作画、ストーリーのレベルは、このすばより他のアニメの方が間違いなく高い。なのに何故売れないか。
考えるまでもなく明白だ。アニメというのは値段が高すぎて、クオリティで買ってもらえるレベルを超えているのだ。アニメのBDを1クール全巻6本揃えると4~5万円かかる。この金額をゲームに費やせば、本体とソフト1~2本、もしくはソフトを6本は買えるのだ。僕街もグリムガルも確かに面白かった。面白いが、面白いゲーム6~7本に相当するほど面白いだろうか? …そんなことは有り得ない。もちろん1本のゲームになら匹敵するか、あるいは上回ることもできるだろう。しかし6本分より面白いのは不可能だ。世界最強の男でも、世界2位~7位の6人と同時に戦って勝つことは有り得ないようなものだ。要するに面白さという基準で考える限り、アニメというのは支払ったコストに対してリターンが少ない、全く割に合わない商品でしかない。面白いものが見たければ漫画・ゲーム・ラノベを買った方が良い。アニメを1本買う金で全部の原作が揃えられるのだから。
では何故アニメは売れるか。もちろん月に10万も20万も趣味に使えるブルジョワが、コストを考えずにガバガバ買ってくれる場合もあるだろうが、そんな人はごく一握り。大多数のそれ以外の人なぜ買うのか。それは『愛』という採算度外視の感情によるものだ。「俺はこのアニメを愛している。だから金は問題じゃない。この愛を示すために俺はこれを買う」そういう心情になって初めて、この全く割にあわない金が出せるのだ。
アニメで一番売れているのは、ラブライブ! と おそ松さん だ。だが「アニメで一番面白いのはラブライブとおそ松さんだ」というわけじゃない。そんなことを言われたら反論はいくらでも思い浮かぶだろう。面白いアニメなら他に幾らでもある。しかし、「アニメで一番愛されているのはラブライブとおそ松さんだ」と言われれば反論はできない。男オタクのラブライブへの、腐女子のおそ松さんへの熱狂ぶりを見れば、あれより熱狂的なファンを抱えているコンテンツはそうは思いつかない。今期のアニメでこのすばが一番売れたのも納得できる。オルフェンズも僕街も重厚で深い内容で本当に素晴らしかった。このすばは、面白さ自体はほどほどだった。しかしキャラを一番好きになったのは、めぐみん、アクア、ダクネス要するこのすばではないだろうか。要するには一番愛されたから一番売れたのだ。
このことから導かれる結論としては、アニメは今の高額を続ける限り、クオリティを追求しても売れない。クオリティを追求するならゲームの6倍面白く無いといけない。そんなのは不可能だ。
だったら愛してもらうことだけを目指した方がいい。可愛い女の子を出せば好きになってくれる男は居るはずだ。格好いい男を出せば好きになってくれる女は居るはずだ。関係性が面白ければ腐女子が食いつくはずだ。
そうして、売れもしないクオリティの高いアニメは淘汰され、最終的に一部の人に愛される萌えアニメだけが残ることにならないだろうか? そうなるなら、残念で仕方がない。
そうならない為に、アニメは値段を下げろと言いたい。「アニメは値段を下げても売れない。だから下げないのだ」と関係者は主張するようだが、本当にそうだろうか。かつてのアニメがマニアだけの趣味だった時代とは違い、アニメという趣味はすっかり一般化した。今オタクジャンルで一番活発で、視聴者が多いのは間違いなくアニメだ。TVで放送して、大勢が見て、大勢が熱中し話題にしている。ゲームより漫画より話題になっている。
なのに最大のヒット作でも10万本程度しか売れない。漫画・ゲームの1/10~1/100程度でしかない。これは明らかにコストとリターンが吊り合わない、商品として間違っているためだとしか思えない。アニメはせいぜいゲーム一本と同価格であるべきではないのか。
そう思っていても、実際値段を下げるアニメが無いので証明のしようが無かった。かつてNANAなどは値段の安かった1巻だけが非常に売れているが続巻はまるで売れていない。これは証明のようだが、GJ部は全話入り1万円となかなか安くても大して売れていない。確かにそこまでの話題作でもないが、これは明らかな反証だ。現在注目しているのが、6月に発売するひぐらしのなく頃にBOXだ。これは無印、解が全話入って1本7000円程度と、内容に見合うコストである。もしこれがこれが今までのBOXの歴史を塗り替えるくらい売れてくれれば、アニメの価格を見直す流れも生まれるかもしれない。そうなれば今後は好きなアニメDVD、BDが私のような低収入オタクにも手に入るわけで、非常に有り難い。逆に全く売れなければ、これまでくどくど語った提案部分は大間違いで、値段を下げてもアニメを買うやつは居ないという事実を証明する結果になるだろう。10年も前のアニメだから力がないのだ、ラブライブ等を値下げしたのとはわけが違う…なんて言い訳も思い浮かぶが、ひぐらしはGJ部より遥かに知名度のある話題作だ。これまでの私の主張が正しければ、欲しい、興味があったけれど高いから買っていない、というファンが大勢居たはずだ。これが値下げしてダメならアニメというのは値段を下げても売れないと判断できる。ならば逆に主人公の名前を貴方の名前に変更できるが、1千万円。などの超高額路線の方が生きる道になるかもしれない
宣伝のようになってしまったが、私自身は別にひぐらしをさほど好きでもないので買うつもりはない。ただ、結果を非常に注目している。
労働問題のホッテントリがあったとしたら、労働問題に詳しい人たちが数人いて、その人のコメントを読んでから
他のブックマーカーがコメントするからはてなブックマーカーがそれなりに知的に見えるだけなんだよな。
集合痴のコンテンツで、一部の人がそれぞれの分野で専門家がその知見を広く共有してくれるから
例1)
A:この店のラーメン美味しいよね!
B:逆にマズイでしょ。
例2)
B:いや、逆に明後日じゃない?
と、このように「逆に」は世の中に氾濫している。ときに何も逆ではないときにも「逆に」は使われる。
今やこの言葉は「なんか」とか「あの」とか「well…」の地位を奪おうとしている。「あの、このバスは〇〇に行きますか?」と言っていた人が「逆に、このバスは〇〇に行きますか?」と言いだすということだ。
以下は、「逆に」についての持論。あくまでも持論。
「逆に」は主にマウンティングの手段として用いられていた。つまり、自分が優位に立つためや相手の主張を否定する目的で使用されていたのだ。
例3)
B:えっ!逆に、今時テレビ見るんですね。
例4)
A:10代の頃は食べても太らなかったけど、今はほんとに太りやすくなったわ。
B:逆に、私はずっと太らないよ。
と、このように一部の人間たちがあまりにも逆に逆に言っていた。
というわけで逆に逆に言われた側が、「逆に」を使う人をちょっとバカにしようと思い始めたのだ。どうバカにするかというと、何も逆ではないところで「逆に」という言葉を使うのである。つまり相手の言葉を真似ておちょくるということだ。
例5)
A:昨日の夜はあまり眠れなかったなぁ。
B:逆に普段が寝すぎなんじゃないの?
もはやカオス。
しかし私が思うに、
現在「逆に」はかなり多くの人に受け入れられ、何も逆ではないところで敢えて「逆に」と言うのは面白いという地位まで確立しつつある。
そして、
普段イエスマンになっていてなかなか相手に自分の意見を言えない人が「逆に」と冗談めかして言うことで、波風立てずに反対意見を言うことができるという、超有効利用もされている。
このように「逆に」は人々の間に浸透していった。私たちの無意識下に入り込み、もはや意図せずして「逆に」と言ってしまうようになった人もいる。
攻撃として使われたり人を笑わせるために使われたり、忌み嫌われたり受け入れられたり、空気のように当たり前の存在になったり。
「逆に」は私の想像を上回る。
「逆に」の今後の躍進に、逆に期待している。
すごく良いこと書いてあったのですが参考にしようとしたらサイトが消えいたので、魚拓から転載。
働・学・遊・美をミックスしましょう
計画は役に立たないが、計画することは不可欠だ。
by ドワイト・D・アイゼンハワー(第34代アメリカ大統領)
人を最もダメにするのは「全体像」を見せずに「部分的なこと」をずっとさせること。
これ続けてると何も考える力のない指示待ち人間ができあがる。こわいこわい。
by 外尾悦郎(スペイン、バルセロナのサグラダ・ファミリア主任彫刻家)
腹が立ったら自分にあたれ、悔しかったら自分を磨け。
神は細部に宿る。
by ミース・ファン・デル・ローエ (建築家)
放っておくと会議の時間の九十五%は「コメントの交換」に使われている。
by 「ケッヘル」(中山可穂)
重要なことは、正しいか、間違いかではない。うまくいくか、いかないかです。
マネジメントとは、そのようなものです。
by ピーター・F・ドラッカー(マネジメントの神様)
やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず
あなたに幸運の女神が微笑んだのであれば、プロジェクトは無事に完了し、幸せになれます。とてもとても幸せになれます。多くの人々は、自分では何の失敗もしていないのに、ここまで到達することができないのです。豪勢な夜を計画してください。どんちゃん騒ぎをして散財してください。そして、その時のことをいつまでも語り継げるようにしてください。
by 「アート・オブ・プロジェクトマネジメント」
この50人時間の差が大規模で長期間のプロジェクトの場合に大差を生む。
20人のチームの場合。
この4人分の差が大規模で長期間のプロジェクトの場合に大差を生む。
ミーティングと同じようにコストを意識する。読む人の時間をムダに奪ってはいけない。
反省会は、社内グループウェアのメッセージ機能を使って、こんな感じでやってます。
ファイアープロジェクトに助っ人参戦した場合にどうするか。原因のほとんどはマネジメントもしくはコミュニケーション。
20人程度のチームならこれらを1~2日で終わらせて雰囲気を一新する。あとはふつーのマネジメントへ。
一部の人には今回のスキャンダルが本当にうれしかったらしく、LGBTの運動家がtwitterで「絶対体格的にとてつもないピストン しそう」とかド下種な事を書いてて、こういう時こそ気を引き締めないとと思うけど、それが出来る人って少ないんだよねぇ…
一部のラディカルフェミニストがピルや緊急避妊薬を蛇蝎のように嫌う背景には、「生殖の為に、女は有害な行為を受容させられる」「その過程においてコンドーム装着を受け入れさせることは、男への、女による影なる支配力の行使である」という、「男」へのマウント意識があるのではないかと思う。彼らにとって、生殖は選択不可能な苦行であり、反面、男への影響力を駆使するための手段でもある。そこに、産むことも性を謳歌することも万人に与えられた権利である、という意識はない。
一方、リプロダクティブ・ヘルス・ライツの整備に反対する保守層は、女性が人生に対する主体的な選択を行うことを、「ふしだらである」として忌み嫌うかたちで、その権利を奪おうとする。しかし、性教育の不徹底と、不完全な避妊方法である"コンドーム教"の盲信は、避妊失敗の社会的責任を、男性のみに背負わせる。女を妊娠させたとき、男は責任を取らねばならない。育児・出産によって労働の機会を失う女たちを「養う」ことで、男たちは権力を得る。生殖を巡るパワーゲームを維持するという構図において、彼らの利害は一致する。結果として、リプロダクティブ・ヘルツ・ライツの話題そのものを忌避する社会が完成する。
リプロダクティブ・ヘルツ・ライツを巡る議論においてのみ、本来なら敵同士であるはずの彼らの利害が一致する。この構図は、彼らのプロレスじみた対立が、本質においては「同じ権力構造の内部でマウントを取り合っているに過ぎない」のだ、という事実の証明に他ならない。男性のありとあらゆる性の営みを監視し・支配するラディカル・フェミニズムの主張は、結果として、敗戦と高度成長によって闇に追い遣られた「影なる支配者」としての女の復権に等しい。そして、一部のミソジニーをルーツとする保守主義者は、女性の社会進出を嫌う。育児出産が女の手に占有された世界において、女が労働によって金銭的自由を得てしまえば、男たちはパワーゲームに勝てない。男の欲望を受け入れ癒し、子孫を増やし育む機械である女と、女によって欲望を充足され、労働し、財を得て、社会を富ませる機械である男。どちらが権力を握るべきか。彼らの諍いは、どこまで行っても、同じ地点に収束する。
日本における家制度は、男尊女卑の見掛けを取りながら、男を肯定し、てのひらで転がし、そして扱き使う「女たち」の、影なる支配によって成り立ってきた。そうして労働力と構成員を吸い上げてきたのが、それぞれの時代における「社会」だ。人は社会に帰属し、「世間」の強制力は空気のように蔓延する。保守的な男女観に固執する限り、彼らは、どこまで行っても、彼ら自身を苦しめる抑圧から逃れ得ない。その事実を、このところネットで頻発する「アンチ・フェミニズム」の趨勢は象徴しているように思う。
リプロダクティブ・ヘルス・ライツへの問題提起は、女が生殖への主体性を手にするための運動だ。しかし、同時に、男が「自らの意思で」生殖、もっと言えば異性との利害を伴った関係性に踏み込んでゆくこ権利を得る活動でもある。二者間の合意によってパートナーシップを構築するとき、男は「働かなければ価値のない生き物」ではない。そして、純粋な利害関係に基づくパートナーシップが、男性による労働の社会的価値を損なうことはない。出産・育児と労働を天秤に掛けるとき、労働を選択する女性ばかりではないからだ。
一般に、「金のない男」が若い女と恋愛できないのは何故か。女が打算的だから、男に養われ、楽をしようと意図するから、ではない。現在の日本社会においては、生殖そのもののコストが女性側に一任され、経済的負担は男性の側に強く圧し掛かる。金のない男はその負担を負うことができない、と判断される。それは合理的帰結に過ぎない。
単独で家族を養うに十分な社会的資本を持たない彼らが、現代社会において異性と関係を結ぶためには、ハンデを飛び越えるに足る利害調整力と、自分の社会的な立場を見極める市場観察力、利害の一致する相手を見出し、交渉する主体性と行動力が必要となる。しかし、アンチフェミニズムを標榜する視点において弱者男性の問題が論じられるとき、男女関係における責任問題の現実的側面に目が向けられることはほとんどない。
彼らの世界に、「主体的に選択し、行動し、異性関係を構築する」という選択肢は存在しない。その選択肢を得た個人は、現代社会においてもはや弱者ではないからだ。保守的な男性の世界観においては、「男性としての名誉」も、トロフィーとしての女も、世間に従い、勤労し、地位を獲得することによって、主体なき「社会」によって宛がわれる。しかし、社会全体の資本が不足し、そして、かつて公共財であった女が人権を獲得してしまったこの時代、トロフィーを得るためには、生まれながらのステイタスと弛まぬ努力、そして大いなる運が必要となる。加えて、トロフィーを獲得しても、幸福になれるとは限らない。双方が主体的選択と責任意識を放棄して「規範」によってマウントを取り合う関係性、外的抑圧によって維持された家族関係において、性的抑圧は再生産され続ける。
セックスが「男女の問題」ではなく、「主体的な二者間の問題」であるとき、生殖に関与する両者は、二人の協力者である。
男性側のアクションとしての、コンドームに代表される避妊手段、女性側のアクションとしてのピルやIUDの使用、リスクヘッジとしての緊急避妊薬の存在、性病検査の徹底。生殖に参加する関係性の帰着を見据えた上で適切な手段を選択することで、初めて、両性にとっての「主体的な生殖の選択」は可能となる。この状況下においては、「全てのセックスはレイプである」という命題は否定される。その上で、生殖に前向きな人々が、意思以外の諸要因を理由に断念せざるを得ない状況を減らしてゆくこと、が、理想的な(あくまでも理想的な!)「少子化対策」と呼べる。このことは、シラク三原則が成果を挙げたことによって実証されている。
しかし、この「現実的側面に対して、現実的に議論する」こと、そのものが、世間の一部の人々には(蛇蝎のごとく!)忌避されている。フェミニストを名乗る、ミサンドリーに支配された「女たち」と、家社会、部族社会の論理に連なる男女関係を信望する保守主義者の人々、女によって自らの居場所と財産と名誉を奪われたと盲信する「男たち」。インターネットにおける緊急避妊薬を巡る議論への反応から見て取れる。彼らはひとの良心や想像力をも支配したがるのと並行して、パートナーシップを構築する二者が対話し、尊重し合うことを志向するというごくごく当たり前の幸福を、社会の構成員から取り上げるべきだ、と主張する。生殖の主体的選択が一般化したとき、救われるのは"望まぬ妊娠をさせられた女性たち""中絶を強制される女性たち"だけではない。男らしさ規範による、自尊心の欠損や経済的な搾取に苦しむ男性もまた救われることになるというのに、である。
リプロダクティブ・ヘルス・ライツを巡る議論は忌避され、遠ざけられる。問題提起を行えば、「フェミニスト」からも「保守主義者」からも袋叩きにされる。この風潮は、そのまま、日本におけるフェミニズム・リベラリズムの歪みの象徴であるように思われるのである。
GDPを上げるためには金を使ったほうが良い。でも俺達国民がガチ貧困でカネ使えないなら誰かが代わりに使わなくちゃならない。そこで正義の味方である政府の登場。公共事業と称して道路を新しくしたりなんなりすると。いやカネを使わなくちゃならんのは薄っすらと理解できるんだけど、これとバラマキでも同じだけのキャッシュを動かせば効果も同じなんじゃね?ッて思うんだけど、違うん?なんでバラマキは叩かれて公共事業は叩かれないの?公共事業やったからって俺の財布は幸せにならないけど、バラマキで政府から直接現金が届けば絶対お前ら使うべ?嬉しいべ?だったらバラマキのほうがいいじゃん、GDPが上がるという結果は変わらないんだし。一部の人が儲けるわけじゃなくて皆平等に儲かるじゃん。この考え方って間違ってんの?それともバラマキ批判てのは善人ぶってるやつか「俺はそんな小額いらないし」って気取ってるだけなん?
機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズはいい意味で泥臭い戦闘、主人公のキレっぷり、少年兵団の生き様と変遷という
ガンダムとしてのチャレンジングな要素がたくさんあって、そこでの描き方は楽しく見ている。
なんでかな?と考えたんだけど、思うに「組織」の書き方が納得できない&少なすぎる。
敵の少なさも正直よろしくない。
初代でいえば、ホワイトベースはシャア、ガルマ、ランバ・ラル、黒い三連星、マ・クベ、ドズルやその他エースパイロットを蹴散らしていった。
ガンダムOO1期でみるとUAE、ユニオン、人革の各部隊とサーシェス、トリニティ、アレハンドロである。
さて、鉄血といえば火星部隊、タービンズ、海賊、カルタ、ガエリオが挙げられる(チョコの人は除外)
戦闘シーンの少なさもちょっと話題になっていたけど、やっぱり敵の登場が少ない気がする。
様々な敵が出てこないと緊迫感は出ないし、ギャラルホルンから有名な敵部隊が出てきて
「ついに鉄血も目をつけられたか、やばいな」という焦りを視聴者に与える展開もない。
そこがギャラルホルンの組織の不透明さにも繋がってると思うのだ。
ギャラルホルンが腐敗じゃ腐敗じゃ言われてるけど、上層部連中が政治闘争に明け暮れてる様子とか
それに今のところ火星圏部隊とガエリオ部隊とカルタ部隊しか描写されていない。
地球圏で小競り合いがあってそこに兵力を割いてるわけでもないなら、ギャラホルはまだ戦力を温存しているはず。
結局一部の人間の小競り合いにしか感じられないのが、個人的に盛り上がらない理由だった。
ガンダムといえば宇宙と地球を巻き込んだドンパチが醍醐味だと思っている。
鉄血は少年兵の描写に力を入れすぎて「組織と勢力」を書くことが弱くなっている。
ギャラホル側の思惑とか政治とかね。
それでも鉄血は斬新な要素が多いし2期では「戦争」に発展するような感じもあるので
視聴を続けると思う。
よく考えてみよう。
全ての女性が18歳で結婚して、20歳で一人目を産んで、22歳で二人目を産んで、下の子が高校か大学行くまで面倒を見てから自分も大学に行ったり就職したりしたらどうなるか。
大学入っても女性陣はみんな母親と同年代ってか、へたすりゃ自分の母親とキャンパスライフをエンジョイする羽目になる。
会社の新人配属で入ってくるのも女性はみんな子育てが終わったおばさんだけ。
キャバクラや風俗行っても女子大生がバイト感覚でなんてのは皆無でおばちゃんかダークサイドに片足突っ込んだような人しかいなくなるわけだ。
確かに理屈で言えば少子高齢化の解決は必要だし、そのためにはなるべく出産適齢期に産んで欲しいってのはその通りだが、そう言っている人たちはそれによって世の中がどう変わるか想像できてるんだろうか。
社会を変えるってことは、一部の人に負担押しつければそれで終わりってのではなくて必ず自分の生活にも少なからず影響が出るんだが、当然覚悟の上なんだろうな。
あんまその女の強みっての持ってないんだわ多分
着信に応えるというか「仕事終わりそう?何時ごろになりそう?」という趣旨で連絡が来るので、一応終わってて時間通りには参加できるよ、とは答えてあげたいじゃない。
で、集合場所近くにお互いいるのならニアミスしてもおかしくない以上嘘つくのもどうだろうと。
お世話になります。
COJというアーケードタイトルに60万円以上使っているプレイヤーです。
3月18日に行われたカードランキングおよびオリジナルポイントの変更について思うところがありメールを送らせていただきました。
単刀直入に申しますと、オリジナルボーナスSデッキの使用率を下げるためだけの調整はやめて欲しいです。
今回新しくデッキオリジナルボーナス(以下、DOB)6pのカードが登場しました。
【変更前】
1-100位 0p
101-300位 1p
301-550位 2p
【変更後】
1~30位 0p
31~150位 1p
151~550位 4p
551位~ 6p
一見してDOBの高いデッキが組みやすくなったように見えますが、実際は違います。
説明しなくても調整した側の人間なら分かると思いまずがプレイヤーを馬鹿にしての調整だと見受けられるので、
ここで説明することでその認識をいい加減やめてもらいたいと思いあえて行っています。
【変更前】
S:80p~ (AP獲得倍率:2.5)
A:40p~79p (AP獲得倍率:1.8)
C:5p~19p (AP獲得倍率:1.2)
【変更後】
S:160p~ (AP獲得倍率:2.5)
A:80p~159p (AP獲得倍率:1.8)
B:40p~79p (AP獲得倍率:1.5)
D:0p~9p (AP獲得倍率:1.0)
この【変更前】の以前にはSデッキに関してのみAP獲得倍率を下降させる調整を行っています。
この時からSデッキに対する調整を入れていきたいという意向があったことは誰でも分かります。
次にDOBランクに必要なポイント数を満たすためにより少ないカード数で満たすとどうなるかを書きます。
【変更前】
S:80p
2p×40枚(残0枚)
A:40p
B:20p
4p×5枚(残35枚) or
2p×10枚(残30枚)
C:5p
2p×2枚+1p×1枚(残35枚)
【変更後】
S:160p
6p×26枚+4p×1枚(残13枚) or
4p×40枚(残0枚)
A:80p
6p×13枚+1p×2枚(残35枚) or
B:40p
C:10p
6p×1枚+4p×1枚(残38枚) or
これだけでも高いDOBを組もうとした際にCデッキより高いボーナスデッキは、
DOB確保以外のカードを組み込めるカード数が軒並み減ってしまっていることが分かります。
オリジナルデッキの制約というのは、DOB確保のためのカードを除いた自由に組めるカード枚数の数の増減です。
自分で好きに入れることのできるカード枚数が減ればそれだけ難易度は上がります。
従来の1p、2pであった現在の1p、4pの層が厚くなったため条件を満たしやすくなったかもしれませんが、
Sデッキに関して言えばより難しい条件になり、Aデッキに関しても自由に使えるカード枚数を増やそうとすると
新しい1p、4pを選択しやすくなった状況でより候補から外れやすくなった6pカード、
正真正銘の弱すぎて6pでも誰も使いたがらないようなカードをデッキに組み込む必要が出てきます。
つまり、1pと4pの層の拡大化により高いDOBデッキを組みやすくなるというのは見せかけにすぎず、
実際に使用率を集計して変化するDOBシステムにおいてはより難易度が上がっただけということになります。
DOBの高いデッキを作るために4p帯の使用率が上がれば1p帯とのループ的な入れ替わりを起こし、
今回の調整により、最下層である6pカードはさらに日の目を見ない層になりかねません。
なぜ、このような調整を思いついたのか。
なぜ、このような調整に誰も疑問を投げかけなかったのか。
なぜ、このような調整が通ってしまったのか。
誰かに余計な入れ知恵でもされたのでしょうか?
余計な口出しをされたのでしょうか?
Sデッキの使用率を下げたいがために他のデッキ利用者も巻き込む形で調整が行われてしまった。
そのようなことはプレイし始めれば早かろうが遅かろうが誰でも気づきます。
そのときに心に浮かぶことは運営への不満や疑問しかありません。
ここまでの文章を書くまでの間に何度も残念だという気持ちになりました。
Sデッキを調整したいという思いにはとやかく言うつもりはありません。
ですがSデッキを調整するために他のデッキを使う人間にも影響が出るような調整をしないでください。
Sデッキが運営にとって不満であるならばポイント帯を0、1、2、3、4として新たに作った3pに
4p帯が本当に誰も使いたがらないカードにする調整はできたはずです。
システム的な問題ならゲームシステムの根幹であるDOBにコストを掛ける正当性はあるはずです。
目先の調整や小手先の調整で回そうとしないでください。
無理をしないでください。
プレイヤーは、特にヘビーユーザーにとっては取って付けたような真新しさはそんなに望んでいません。
その人たちにとってはプレイ時間が短いために頻繁な更新をされてもついていけません。
だんだんと自分の遊び場ではなくなっていくコンテンツを遠巻きに眺めるようになり、
そうすると運営は躍起になって小手先の更新に注力して、火に油を注ぐわけです。
もうやめにしませんか?
更新して売上が上がるのはプレイヤーはクオリティを確認しようとしているからです。
決して更新自体にお金を払っているのではありません、確認するために課金せざるを得ないのです。
それがカードゲームです。
プレイヤー側全体は更新が起こるたびに「このゲームを続けていていいのだろうか?」という評価が発生しています。
しかしそうでないものを何度も行い続けると結果は目に見えています。
ゲームシステムを変えることなく、安全に集金することが可能です。
ユニットの絵柄を変えるコンテンツはずっと凍結されたままになっています。
あちらに力を入れて課金要素を追加してください。
できればフィールド上でも小さな変化があればいいかと思います。
RPを使用させるコンテンツを充実化させればプレイヤーは実際にプレイするほかありません。
プレイする頻度が高ければ高いほどゲームにのめり込むと考えてください。
なるべくプレイヤーをゲームさせるような調整がCOJの未来とファンを作ります。
また、Sデッキをしきりに警戒しているようですが、
大部分のプレイヤーにとって少し流行ったSデッキを使いランクを上げたとしても元々の実力がない限り維持はできません。
そしてランクの高さがゲームの終わりだとも思っていませんしランクを上げることにモチベーションを感じる層は全体のごく一部だと思います。
そういった一部の人間もランクが上がったからといってゲームをしなくなるというわけでもありません。
ランクの上昇は自分のゲームスキルの向上の一種の指標にしかすぎないという認識は多いと思います。
そもそも1対1のゲームのため分不相応のランクに突入しても自分が痛い目を見るだけです。
Sデッキを警戒しすぎておかしな調整を繰り返さない前に誤解をやめてください。
ここまで遊んできたのですから、COJよりも面白いカードゲームが登場するまでは最後まで遊ばせてください。
新しいカードが欲しいわけじゃないんです。
新しい調整をしてほしいんじゃないんです。
そしてそれができるのはゲームセンターにおいてセガゲームス以外には無いと思っています。
失望させないでください。
夢を見せてください。
以上です、どうぞよろしくお願い致します。
進化論は完璧には程遠いが今はこう考えるのがまだまともだとか。
資本主義は最悪のシステムだが他のシステムと比べたら一番マシだって話有るよね。
これにたいして、進化論に瑕疵があるから進化論は全否定するとか、
挙句にインテリジェンスなんとか理論だのスパゲッティ・モンスター説を唱える人ってバカだと思うよね。
ホリエモンってそういう感じじゃねえの?
https://newspicks.com/news/1443660/
で、それについて皆がすごいすごいそのとおりだという。
よく言ってくれたと褒め称える。
みんなさ、そこまではわかってると思わない?
でもなんだかんだいって今それが他の仕組みよりはましだって言ってんでしょ。
そんなに駄目だダメだというなら何か新しい仕組みの提案してくださいよ。
少なくともドワンゴの会長はなんかよくわからんことやったでしょ?
ホリエモンさんはそこんところどうなの?
そうなった時に、ヒッチハイクしろだの、俺はこうしてきただののすげえ非効率だったり一部の人しか成り立たない話するよね。
ただの自慢じゃん。
そういう話に対して、ホリエモンと同じことをできる奴が賛成するのはいいよ。
でもさ、できねえやつさ、ホリエモンを褒め称えながら結局みんなと一緒に就活するよね。
むなしくならねえ?
NewsPicksのコメント見てもさ、もう就活終わってそれについて真剣に考える必要が無いおっさんがさ。
で、それにたいしてLikesがたくさん付いてるよね。
あのさ。
ホリエモンの話聞いて何か役に立った?
そのあと何か自分のやるべきこと変わりそう?
なんかさ、就活をまじめにやってるやつをみて、あいつらより俺の方が問題点わかってて賢くなった、程度の意味のない優越感得られただけじゃない?
結局将来なにが変わるのか?
・・・みたいなことを考えねえの?
ホリエモンおよびその取り巻きのおっさんにも問題あるけどさ。いまこれ観客の質の悪さの話をしてんのよ。
役に立たない話されてるのにほめてるって自覚あるの?ないの?
割合で言うと、ホリエモンの話に賛同して実際ホリエモンがいうような形で会社に依存せず自立できるやつって多分5%くらいだと思うんよ。
そいつらがホリエモンを褒めるのは正しいよ。本人もそうするつもりなんだろうしな。
でもさ、残りの95%。
お前ら、ホリエモンに何求めてんの?
ちゃんと考えながら話聞いてる?
お前らは、結局就活するんだろ?
愚痴すらもホリエモンにアウトソースして、お前らはいったい何をするの?なあ。
俺な、ホリエモンは投資家であって社会評論家じゃねえと思うんだよ。
いろんなカネになるビジネスにちゃっかり入り込んでいろいろ投資してるよな。
ライブドアの時より儲けてんじゃねえのって思うわ。
それはそれで本当にすげえ人だなと思うんだよ。
でもさ、もうお金儲けだけやっててくんねえかなとも思う。
あともうとにかく有料会員の世界に入ってって、