はてなキーワード: 小瀬甫庵とは
例えば織田信長なんかは、今生きている人は誰もその姿を自分の目で見たことがないはずであるが、実在していたことは疑いようのない事実であると認識している。
これがスティーブ・ジョブスだったりすると、ウェブ・テレビ・新聞など様々な媒体で目にしたことがあるので、実在していたことは疑いようがない。
しかしながら、だんだん過去に遡っていくと、文献など客観的な傍証でしか確認できなくなっていくはずである。
wikipediaを見てみると、天皇についても「実在を認められないか強く疑われる名が多い」とあり、どこかの段階で実在/非実在の線引きがなされている。
先程の織田信長の例だと、我々は例えば歴史の教科書に記載されていることを事実として受け止めているはずである。
しかし、その教科書に記載されている事実についても、何らかの客観的な文献等に基づいて事実認定されているはずである。
その辺りの判断について確認できるような資料や書籍はないだろうか(調べてない)
ここで問いたかったのは、哲学的・認知論的な観点ではなく、学術的な観点である。
歴史学の研究は「史料」に対して行われるということをコメントから読み取れたので、以下wikipediaの「史料」から引用する。
「一次資料」も参照
一次史料とは、当事者がその時々に遺した手紙、文書、日記などを指す[2]。記述対象について「そのとき」「その場で」「その人が」の三要素を充たした文献を「一次史料」と呼び、そうでないものを「二次史料」と呼んでいる[1]。代表的な一次史料に日記、書翰、公文書がある[1]。コインや新聞記事は通常、一次史料ではない。
二次史料とは、上記三要素を満たさない文献史料を指す。第三者が記した物や、後の記録が該当する[2]。二次史料は、一般に一次史料より重要性が劣るが、必ずしも信頼性に乏しいとは限らない。例えば、太田牛一の『信長公記』や小瀬甫庵の『信長記』はいずれも織田信長に関する二次史料であるが、前者が高い信頼性を有していると考えられるのに対し、後者は史料としての価値はほとんどないとされる[3]。
史料の中でも「そのとき」「その場で」「その人が」の三要素を充たした文献について「一時史料」と呼び、歴史的な情報に重要な価値を持つらしい。
ただし、一次史料自体が正しいかどうかの検証も必要(「史料批判」と呼ぶ)とのことである。
現在は、巷に溢れる情報をいくらでも入手することができる世の中になってきているが、陰謀論や似非科学など公衆衛生に対して有害になり得る情報が氾濫している。
どういった情報が信頼できるものであるかを判断するためには、史料批判のアプローチが活用できるのではないだろうか(調べてない)。