はてなキーワード: リカちゃんとは
ブライスもいいと思うけど、持ってないし、あまり詳しくないので。
プーリップってなんだよ、と思ったならググってみてほしい。たくさんのお人形の写真が出てくるだろう。
いろんな衣装を着ていて顔にも個性があり、髪の色や形もたくさんあり、いちばん高い子でも(新品なら)諭吉3枚で手に入る。
高いなと思った? ならメルカリで検索かければ物によっては数千円で手に入る場合もある。中古とか気にしなければなおさら。
大きさは、全高30センチくらい。そんなに扱いに困る大きさではないと、思う。
ちなみにプーリップには彼氏のテヤンと、その妹のダル、その親友ビョル、あとはプーリップの弟のイスルという
俗に言う「プーリップファミリー」が存在する。リカちゃんみたいに設定があるのね。
(ヨルメやナムという子もいるんだけど、詳しくないため、今回は割愛させていただきます)
ここでポイントなのは、プーリップファミリーのなかにも、まぶたを持っていて、持ち主が自由に目を閉じたり開けたりできるもの、後頭部のレバーを押している間は目を閉じていられるが、手を離したら目が開いてしまうもの、そもそもまぶたがないので視線移動のみ可能(これも後頭部に専用のレバーが付いている)なものがある。
増田はお人形と一緒に寝ることを想像したとき、お人形には目を閉じていてほしいタイプだろうか?
だとすればプーリップの中でも2008年2月20日以降に発売された子を選ぶと良い。
この日に発売された「プーリップ 綾波レイ」から、手を離しても目を閉じさせておけるようになったらしい(諸説あり)ので。
後頭部のレバーを2本ともカチッと鳴るまで押し込めば、次にレバーに触るまで、その子は両目を閉じて眠った様な表情になる。
イスルも同じ。テヤンも多分同じ。(すみません、テヤンはうちにいないので、詳しいことはわかりません)
ちなみにダル、ビョルはまぶたがないタイプ。寝かせた時に目が開いていても気にならないなら、この子たちもかわいい。
(実は私の最推しドールはダルなので、いつかまぶた付きのダルが発売されることを夢見ている)
そしてお人形をお迎え(購入とか買うでもいいんだけど、界隈ではこのように表現する場合が多い)するにあたって一番大切なのは
その子の顔が、増田にとって、いつまで眺めてても飽きないなあーーーってくらい好きかどうか、ということ。
「人形は顔が命」とはよく言ったもので、どんなお人形だろうと、その子の命はズバリ顔、だと私は信じている。
リカちゃんでもバービーでもジェニーでもブライスでもミディブライスでもアイシードールでも、シルバニアファミリーでもミニスイーツドールでもシュガーカップスでも12分の1男子図鑑でもピコニーモでもピュアニーモ でも、アイリスコレクトでも小櫃制服計画の子でも、タイニーベッツィマッコールでも
スーパードルフィーでもドルフィードリームでも、パラドールでも、海外製キャストドールでもねんどろいどでもねんどろいどどーるでも、ぽぽちゃんでもメルちゃんでも、ワンダーフロッグでもモンスターハイでもモンストドールでも
顔が好き!!と思える子をお迎えしてあげてください。別に一人(一体)じゃなくてもいいんですよ、好きであれば。
なんか一冊だったら『人間 この信じやすきもの』をおススメするよ
何でこれをおススメするかと言うと単純に読み物として面白い本だからだよ
ああいうの信じちゃう人がいるけど、こういう理由だからだよと根拠を示しながら、ばっさばっさと誤認あるあるを切り捨てていく様は読んでいて痛快で楽しい
また、なんとなくあれって胡散臭いと思うけど、その理由が言語化できないなあってことを平易な言葉で説明してくれて、ぼくとしては腑に落ちる感じがすごくしたよ
一冊限りでこの本をおススメする理由としては、この本を読むことで他の本の説明が理にかなっているか考えることができるようになるからだよ
この本は誤認を認知的・社会的側面からとらえた本でしかないから、そもそも科学を科学ってだけで妄信していいの?って思う人には『科学哲学の冒険』がおススメだよ
『科学哲学の冒険』を読むと、文系でも科学とは云々が語れるようになるし、疑似科学と科学の線引きができるようになるよ
哲学って難しいって思う人もいるだろうけど、この本はセンセイと文系のテツオくんと理系のリカちゃんの会話形式で話が進んでいくのでとても読みやすいんだ
『チ。』っていう漫画が最近話題になってたけど、『チ。』の登場人物のセリフの中には科学哲学の考えを元ネタにしてるものがあるから、『科学哲学の冒険』を読むと『チ。』について科学哲学的な話題がだせるようになるかも
ぼく自身は『チ。』の舞台は中世なのに、登場人物が自分が思いついたこととして、1900年代のポパーの反証可能性っぽいことを言及することについていまだに上手く気持ちの整理がついてないよ
SYNODOSの、日経たわわ広告アンケート記事の感想にいくつか補足。
はてな記法は少しだけ使えるようになった。改行が足りなかったんだな。
ネット調査であることによる標本の偏りを指摘したトラバを見かけた気がしたけど、なくなってる?
確かに、インターネットでのアンケートに回答する人は、普段ネットを使わない人より広告に肯定的だろうと直感的には思う。田中氏の調査では10代以下の子供や60代以上の老齢者も対象じゃないから、日経新聞を購読してる層全体を見れば、実際はもう少し批判的になるのかもしれないね。
https://anond.hatelabo.jp/20220427084110
で、自分が気になったのは、9)性別役割分業志向と10)男性優先社会の認識だけどね。
本来ならこれは同じ方向をむく、というか合わせて「フェミニズム志向」と呼ぶべきものだろう。
でも実際は、10)男性優先社会の認識は明確に反対傾向があるけど、9)性別役割分業志向は有意じゃないけどどちらかといえば逆方向
ごめんこれ、何言ってるか分からない。9)性別役割分業意識は、「男性は仕事に専念してお金を稼ぎ、デートや食事のお金を負担すべきだ。女性は感情的で、女性らしい感性を持つ。仕事より育児に傾注するべきだ」に賛同するか否かの、保守的な男女観を持つかの傾向をみる質問だよね。
フェミニズムとは全くの反対だと思うが……。
この数字も有意ではないので、田中氏にはあっさり流されてるけど、どちらかといえば逆、つまり保守的な男女観を持つ方がたわわ広告に肯定的かもしれないのは興味深い。
SYNODOSの記事でたわわ広告を問題視しない人が着目されていない理由について、前の増田で「たぶん無関心」と書いたけど、違う理由も考えられる。可燃性がすごいんだ。
に並べて、
広告を問題視しない人が多いのは、未婚者、自分では絵やイラストや漫画を描かない非クリエイター、痴漢に厳罰を求めない人、フェミニズムに賛同しない人である。また、主に男性である。
と書けるか?自分なら恐ろしくてよう書かんわ。書いたけど。
記事で触れなかったのは何故か、何らかの配慮かもしれないが、本当のところは田中氏でないと分からない。ただ読者は、書かれてないことに気づき、その理由を考察できるはずだけど、増田の見た限りあまり言及している人はいなかった。
明示されない限り、何が伏せられてるのか気づく人が少ないのも、結構エグい、と思う。
透明性、無徴性の話にもつながるんだけどね。
前の増田では、「萌え絵」にカギカッコをつけて表記した。前提なしに使うにはふわっとしすぎてるんだよな。
田中氏は、
漫画やアニメ調の絵が電車や街角ポスターなどに大々的に出始めたのはおそらく2000年ごろ以降である。現在の20代の若年層にとって萌え絵は生まれたときから周りにある日常風景であり、抵抗が少ない。これに対し40代以上の人にとっては萌え絵の日常世界への大量進出は大人になってから体験した出来事であり、違和感がぬぐえないのではないかと考えられる。
と書いてるけど、漫画やアニメ調の絵=萌え絵 ってこと?それって自明かな?
40代・50代の男性も20代男性と傾向が全然違うなら分かる。慣れないから違和感があるんだなと解釈できる。けど、9%と12%~14%の差だよ。20代女性(18%)より50代男性(14%)のほうが「萌え絵」に抵抗が少ない要因を、電車や街角の日常風景の時代性だけで解釈するのは無理がないだろうか。
うる星やつらのラムちゃんや宇宙戦艦ヤマトの森雪は70年代のヒロインだし、少し前もはてぶは90年代のアニメで盛り上がっていた。
はいからさんが通る、ガラスの仮面、ときめきトゥナイト、ふしぎ遊戯、天使なんかじゃない、フルーツバスケットなど、女性たちに支持されてきた往年の少女漫画はないことになっているんだろうか?
同じ時代を生きてきた40~50代の男女でこれほど意見が違うならば、たわわ広告のような「萌え絵」とは、「漫画やアニメ調の絵」全般ではなく、「男性目線のいやらしさを含んだ漫画・アニメ調の絵」を言うんじゃないか?
田中氏の示した調査結果だけでは、年齢が意見に与える影響が「漫画・アニメ調の絵への慣れ」によるものとは言えないように思う。
男性全般の抵抗感の低さは、「萌え絵」(男のエロ目線を含んだ漫画・アニメ調の絵)への慣れに影響されているのかもしれない、とも思う。
男性には違いが分かりづらいらしい、一般の漫画・アニメ調の絵、例えば少女漫画の絵と「萌え絵」を、女性はどこで見分けているのか。
2000年代以降の漫画、たとえばハチミツとクローバーやカードキャプターさくらやとんがり帽子のアトリエはなぜ「萌え絵」扱いをされず、女性に受け入れられているのか。男性評論家か何かに萌え絵扱いされてるのは前に見たけどね。
これは増田の仮説に過ぎないが、肉体の生々しさの強調ではないかと思う。
顔や髪の毛の表現は似通っていても、衣服の布が体のラインをなぞり、皺や陰影で凹凸を強調する描写への念の入れ方が違う。
たとえばアツギの企画のメイン絵師なら、黒タイツから透ける脚や足の肉感の描写に並々ならぬこだわりがあった。
極端にいうと、リカちゃん人形の顔にリアルなセックスドールの身体がくっついているような感覚を、女性の45.6%と男性の22.5%は受けているのだと思う。
この仮説は田中氏の調査では検証できない。検証には、対象者にいろいろなタッチのイラストを見せて判定してもらうという方法などが考えられるけど、残念ながら増田には調査設計から実施、検証までやる余裕もスキルもない。興味のある誰か偉いひと頼んだ。
では、女性の43.9%、男性の68.2%はなぜ「萌え絵」に男のエロ目線を感じないのか?男の性欲が自分に与える効果のクリティカルさが大きいと思うし、クリエイターの反応が考察の参考にはなるけど、ひとまずおいておく。
なぜ女性は年齢が上がると、子供がいなくてもたわわ広告に批判的になり、男性は年齢が意見にそれほど影響しないのか?
これも増田の仮説に過ぎないのだけど、
女子高生の表象が、男性にとっては「性的なアイコン」であり、女性にとっては、子供だった頃の「かつての自分」だからではないかな。
田中氏の記事では統計的に有意ではない数字とされていたけど、中高生の娘がいると、全体で2.0%、女性のみでは-1.3%批判的に傾くことから、男性は中高生の娘がいる場合、広告にかなり批判的になるように見える。
おそらく女性は、自分に子供がいなくても、かつては自らも女子高生であったため、女子高生が10代の若い人間、子供に見えている。歳を取り、年齢が離れるほどますます女子高生が幼く見える。
男性は、自分に年頃の娘がいて初めて、女子高生が「性的なアイコン」ではなく、人間、子供に見え出す人が多いのかもしれない。
たわわ広告へのネットの反応を見ていたら、子供(未成年)に性的な視線を向けることを社会として許容しないでほしいという声が多く上がっていた。
増田も、新入社員や新入生がこの広告を見て、女子高生に向けられる性的な視線、男のエロ目線を感じ取り、いやな思いをしてほしくない、不安や怯えを味わってほしくない、と思ったのを、この増田を書いていて再認識した。
当の新入社員や新入生自身は、特に気にしていないのかもしれないけどね。
ただそれは田中氏の記事では分からないんだ。図2・図3には年齢別の詳細がないので、「広告として不適切とまでは言わないが、不快だ、いやらしいと思う」と感じる20代女性がどれだけいたかは、生データを見ないとなんとも言えない。
1.男性目線のいやらしさを感じる
4.はっきり言って不快
6.女の子が可愛くて素敵
については、1.思う、2.思う(日経新聞等、一般紙の広告として)、3.思う、4.思わない、5.思わない、6.思う(絵柄は好みの方)、7.「表現の自由」が出てくる意味がわからないので、どちらとも言えない。
たわわがヤンマガに連載されるのも、広告が日刊ゲンダイや週刊現代に載るのも、一般の書店で高校生が買えるのも、問題ないと考える。
月曜日のたわわというマンガ。ストーリーへの感想はともかく、性加害描写がないと評価する言説があった。いや、あるだろ。そこ否定してどうする。女から男への痴漢、同性間のセクハラと、かなり暴力的だと思った。
SYNODOS掲載の、田中辰雄氏による日経たわわ広告に対する調査の記事は、女性の反応しか見ず、男性の反応を無視してデータを解釈したことで、少し的を外した結論になっていると思う。
増田としては、
男性は(女子高生の表象を性的アイコンと捉えており、)「萌え絵」、つまり男のエロ目線を含んだ漫画・アニメ調の絵に慣れているため、違和感が少なく、「萌え絵」広告に容認的である。
女性は(女子高生の表象を「かつての自分」と捉えており、)男性ほど「萌え絵」に触れる機会が少ないため、違和感が強く、男性より批判的になる傾向がある。また、年齢が上がり、女子高生と年齢差が大きくなるほど批判的になる。
時間の経過とともに容認する人が増えるかはなんとも言えない。男性目線のいやらしさを含む「萌え絵」がより一般的になる(日常風景に溢れ、女性向けの作品にも肉体の強調表現が増える)場合は、男女とも慣れるので、現在よりは容認的になる。ただし、現在の若年層女性が将来、未成年を描く「萌え絵」に批判的になる可能性はある。と読むかな。
もちろん、追加の調査等で、田中氏の仮説と予想「若年層は漫画やアニメ調の絵に慣れているため萌え絵広告に容認的である。時間の経過とともに容認する人がしだいに増えていく」が正しかったと分かるかもしれない。田中氏は調査の生データを持っているので、記事には表れていない情報をもとにこう分析している可能性はある。
とにかく、これだけ面白い調査内容を無料で公開してくれたことを田中氏に感謝したい。萌え絵広告とその反応を考える上でとても貴重な記事だと思う。
日経は謝罪すべきか?というと、個人的には全く思わない。出してもどうせご不快メソッドだろ。
たわわと絡めず、「日経新聞社は未成年を性的に扱うことを認めない」というメッセージを何らかの形で出してもいいとは思う。社会の公器だかオピニオンリーダーを気取るなら、それくらいはね。
彼女の弟も子役上がりで、今は引退して早稲田大生になってる。一般人になったが今も顔出し実名でTwitterやってる
姉弟とも絡んでて特に母親であることは隠してない、どころか娘の名前で検索してはいいねつけたりリプしたり時に乱闘してたりした
母親はリカちゃんが好きでリカちゃんについてがメインの垢だった
リカちゃんの希少なグッズをメルカリで落としたと報告したことから母親のメルカリアカウントがバレた
リカちゃんグッズは実店舗限定品とか通販でも数分で消える希少なグッズとかがあり、この界隈でも転売ヤーは問題になっていて母親もよく転売ヤーを批判していた
「同じ種類の子3人お迎えしたら転売ヤーだって疑ってるみたいな顔された。失礼だなー」みたいな不満をTwitterで書いてたけどそのリカちゃんを売ってた
高校が進学校で東大合格者も出ているそうで、先輩に赤本もらったけど模試でD判定だったし無理だわーと書いていた
メルカリの商品説明には「息子が使っていたものです 受かりました」と書かれていた
母親は「東大に受かった」とは書いてない、早稲田に受かっているのだから嘘にはあたらないかもしれない
合格生が使ったありがたい赤本って情報つきの方が売れるという目論見があっただけの単純な話だろうか
母親は姉について触れている人のもとにシュバりまくっていて「有名人ですねすごいですね」という反応待ちなのがわかりやすかった
比べて異性である弟への関心は非常に薄い
早稲田に行っただけじゃ弟は自慢に使えないし芸能業もやめたのでそっち方向でももう使えない、でも嘘の中にいる「東大生の息子」は称賛を集められる、そういうことかなと思った
東大生を何人も輩出してる家系ならともかく両親は高卒だし、むしろ自慢になりそうなのに
姉が演劇科の短大行ったことは何度も取り上げてたのに弟は空気なの、我が子同士とはいえ格差がつくのはよくあることらしいがネット上でわざわざ披露してるのキツイ
みんなー!セックスだよ☆
つーわけで呪術見ました
0はあらすじは知ってるけどちゃんと読んだことはなく
本編も最初読んだのはメカ丸死んだとこあたりからたまに読みはじめて
これからの世界の話がなかなか始まらないあたりで興味持ちはじめて
シンウルトラマンの予告毎回観るけど本当に5月にやるんすかね?
いじめシーンがあることは知ってたからキツかったらイヤだなーと思ったらあっさりだった
つーか、全然泣くとこじゃないのに乙骨とリカちゃんが通じあってるとこで泣きそうになる
オッサンになったからなのか?昔は恋人が幽霊ってセックスできないから意味ないジャンって感じだったけど、今は心が通じあってるならプラトニックでええやんって…
事前に感想チラッと見たら、序盤はシンジ君だけど後半乙骨と言われてたが
マキさんアクションええなー
小学校のは面白かったけどちょっと唐突な感しあり、しかし尺の問題なので仕方ない
デフォルメも忠実に映像化するのはちょっと引っ掛かったがこっちが慣れてないだけと思われる
というかッス口調のキャラを見るとあさひと鯱山の顔が浮かぶっスやっぱ怖いスね猿の呪いは…
夏油がチラチラ暗躍してる感じ面白い
乳揉みは映倫で禁止スよねやっぱ怖いスね映倫は…でも揉み抜きにしてもエロかった(ニホンヘコサル並感)
禅院家ぶっつぶそーのあたりでその後の根切りシーン思い出して妙な面白さが
マキの血を踏んでも気にしないのは秘書が猿の血を避けてたのと対比スね
猿殺しは思想であって感情でヘイトしてたわけじゃないから素が出たとかですかね?
おにぎり先輩(シャケと聞くとU19の飯田くんを思い出す)の逃げろって呪言じゃね?思たけどそういや乙骨呪い耐性あったからそれなんすかね?
ぐちゃぐちゃにしてやるのあたりはもっとぬるっとした方が好みだけどあそこで乙骨が異常性出してきたら変になるのもわかる
乙骨パンチでふっとぶ夏油すき
その後のナナミンのシーンでアレ黒閃じゃんてなった
ミゲル、パーミッションで足止めしてたと思ったらガッツリ戦闘してて笑った
雑草より健闘しとるやんけ
不殺で加減してたとかもなさそうだし
純愛のとこ、流れは知ってたけど自分生け贄にしてたのは知らなかった
シンエヴァやんけー!
介錯されて死ぬ夏油いいっすねーこの後がアレだから変な面白さがあるのはよくない
個人的な好みでは呪霊してた時のがすきだが
天元編とかミミナナがダイジェストなのは演出としてはあり、ただミミナナが悪堕ち原因なのは知ってないと分かりにくくないか?といらん心配したり(説明がくどくなってもだめだけど)
取り急ぎ追記するが、排除とか多様性とか言っている人がいるが、では職場や居酒屋から水着のグラビアポスターがなぜなくなったのか教えてもらいたい。あれははてブでもセクハラだとして、なくなったことを喜ぶ声が大半だった筈だ。
さらには「私作る人、僕食べる人」以降、「ブレンディ 卒牛式」「志布志市 うな子」「サントリー コックゥ~ん!」「アフロヘア黒人女性 ツヤッツヤのサラッサラになりたい」「リカちゃん 個人情報暴露」など不適切として取り消された広告はいくつもあるのだが、それらは一切取り消す必要はなかったという認識で良いだろうか。もちろん今回の「仕事は、楽しみですか」も含む
それら全てが、本件とは全く問題が異なる事例ですね。(これらはこれらで個別に論点が異なりますが。)
私はこれらに全く興味が無いので、肯定的でも否定的でも、そちらは勝手に論じてくれれば良いと思います。
フィクトセクシュアルという言葉が社会学の論文に現れるようになったのも最近の話ですし、フィクションやキャラクターを性的対象としたり、イラスト・創作表現やアバターを介してファッションやジェンダー・エクスプレッションを表現する人々が確かに存在するということが発見されたのは、つい最近のことなんですよね。
それまでの間、私たちの存在はずっと周縁化され続けてきたわけです。対人性愛者の、対人性愛者による、対人性愛者のための論理によって、一方的かつ不当に断罪され続けてきたわけです。
私はフィクトセクシュアルですが、私にとって「私はフィクトセクシュアルである」というアイデンティティの中心は、「二次元キャラクターを性的対象としている」ことよりも、むしろ「人間を性的対象としない」ところにあります。空想のキャラクターを人間の人格と同様、あるいはそこに紐付ける論理、バーチャルなアバターを物理的な身体と同様、あるいはそこに紐付ける論理は、対人性愛を自明視した論理でしかありません。私たちは、キャラクターがキャラクターだから性的対象とできるし、アバターがアバターだからファッションとして消費できるのです。あなた方対人性愛者とは、全く異なる常識、文化圏に生きていることをまずは認めてください。「私たちの論理」を尊重してください。
そして、「私たちの論理」は、必ずしも、私のように対人性愛を一切持たないフィクトセクシュアルのみが共有しているものでもないでしょう。セクシュアリティはスペクトラム状の広がりを持ちます。実際のところ、譬えばバイセクシュアルのように、対人性愛と二次元性愛を両立させている人が大半でしょう。しかし、彼らがキャラクターやアバターを消費する時もまた、「私たちの論理」に即した消費が行われているように私には見えます。対人性愛者の論理と、「私たちの論理」が、ある程度適切に使い分けられているように見えます。(完全に無垢無謬とまでは言いませんが。)
あの程度の表現が、許容できないほどに「性犯罪を誘発する」「ジェンダーバイアスを強化する」と言うならば、「異性と結婚する」ことや「自身のジェンダー・アイデンティティに一致する服装・メイク」などの方が、よほど「性犯罪を誘発」し「ジェンダーバイアスを強化」するでしょう。このようなミラーリングは、先程述べたようなスペクトラムにいる人々にも受け入れ難いもののようですが。
対人性愛者の論理と、「私たちの論理」の使い分けは、時に未熟なこともあるかもしれません。だからと言って、その責任を私たちに押し付けるのはいい加減やめてください。「対人性愛者の論理に一括すれば、問題は起こらない」と、民族浄化しようとするのをやめてください。「私たちの論理」に一括するのではいけないのですか?野蛮で危険な対人性愛を一刻も早く卒業して、誰もがキャラクターのみをパートナーとし、誰もがアバターのみで自己表現を行うようになればいいと私は思います。「(俺たちの)常識に合わせろ」と言うなら、逆に、「私たちの常識」に合わせてくれてもよいのではないですか?
そういうヤリ部屋に裸にひん剥かれた女が届けられたことがあるらしい。
届けた怖い人が言うには、お前ら好きなだけその女とセックスしろ、
ただし絶対にその女から名前と身元は聞くな、名前はリカちゃんって呼べ
と命令されたらしい。
おそらくお嬢なんだろうなと馬鹿なヤリ部屋連中にもなんとなく伝わったらしい。
処女ではなかったらしくて嫌だ止めてくれと言いながらもまあ体は反応したらしい。
例の怖い人が戻ってきて、携帯電話を女の口元に持ってったらしい。
そしたら「〇〇か!大丈夫か!」と大声が電話口から聞こえたらしい。
女が何言ってんのかわからない声を出したところで怖い人が携帯を切った。
お前ら続きやってろと怖い人がいなくなったんだけど
しばらくしたら戻ってきて女持って帰るからって来たときと同じように
布団でくるんで持って帰ったらしい。
うんそうだよ、嘘松だよ。
幼稚園でも小学校でも工作が得意で褒められたし、中高の部活や行事でも山車だの実験装置だのつまらんおもちゃだの毎日夢中で色んなものを作った。
まあ勉強は嫌いだったので楽しくはなかったけど、ものづくりで安定して高い給料を貰うには工学系で院まで行くのが無難である。
どこで何の仕事させられんのかは知らんけど、なんか作る人か、あるいはなんかの技術を研究する人になるらしい。
今は就活終わったから同人誌出してーなーって思いながらまあオタク趣味を楽しんでる。
別にクリエイティブなオタクではないので大したものは生み出さないが、見たいものがなければ作るぐらいのことはする。
推しがアイドルみたいなブリブリの歌踊ってる動画ないかなーって思って探すんだけど毎回無いから、仕方なく自分で作る。
かっこいい系の動画は死ぬほどあるけど、馬鹿みたいなブリブリの電波ソング踊ってる動画全然ない。なんで無いの?存在してろ。
去年からずっと増えろ増えろと思いながら上げ続けてるけど、全然増えない。悲しい。
で、夜中に呪詛のようになんでねえんだよと愚痴りながら動画作ってて、ああ私欲しい物がないから作ってるだけであって、作ること自体は全然好きじゃないわって気付いてしまった。
いや、動画編集嫌いすぎる。めんどくせえ。10本作ってやっと気付いた。今までなんとなく踊ってる推しが可愛すぎるのと徹夜で作業しててアドレナリンドバドバなので誤魔化してたけど、冷静になってみたら私は全然動画作るの好きじゃない。
っていうか何かを作ること自体好きじゃない。推しカプの二次創作、pixivで検索しても1件しかヒットしないから仕方なく2本目書いたけど、小説書くのも死ぬほど嫌いだ。
男はいいなあ好みのAVがそこら中に転がってて。私の見たいエロはどこにもないから自分で書くしかないよ。
思い返してみれば別に子供の頃だって、おもちゃを買ってもらえなかったから自分で作っていだだけである。
本当は私だって自分で作った紙人形で友人集めて人形劇上演するより、かわいいリカちゃん人形でフルキャスト揃えたかった。
ワープロの使用済みインクリボンで作った車を走らせてたけど、本当はラジコンのブルドーザーが欲しかった。
紙で剣を作るの、学年で一番上手だったけど、本当はボタン押したら音出して光るライトセーバーみたいな剣の方が好きだ。
ビー玉を転がす立体迷路、図工で作ったら遊びたい遊びたいと男子が私の家に押しかけたけど、私はガキが作った迷路よりゼルダの伝説のほうが好きだ。ゲームを買ってもらえる家が良かった。
作ることは手段だ。欲しい物が手に入らないから仕方なくやっているに過ぎない。
ものづくりなんか嫌いだ。めんどくさい。作らなくて済むなら作らずに完成品が欲しい。
作ってる時間もできるだけ短縮したい。手順もなるだけ効率化したい。無駄を減らし楽して完成させたい。でも一番いいのはやっぱり作らなくても欲しい物が手に入ることである。
まあ、大嫌いなものづくりの工程を効率化して無人化したいという気持ちはあるので、製造業で働く分には別に困りはしないだろう。
ただ、好きだと思っていたものが嫌いだったのでかなり驚いた。
彼女はおしゃれやトレンドに詳しい今どき女子で、うちは田舎から上京してきたトレンドもおしゃれにも疎いいわゆるイモ女だ。
そんな二人が友だちでいるのもなかなか不思議なことかもしれないが意外と仲良くやれている。
いや。
やれていた。になるのか、、、
彼女はさりげなく蔑んでくるマウンティング女子的な一面があり、親しくなるほど酷さは増し露骨にマウントをとることが多くなっていた。
カースト上位の子と仲良くするとこういうコミュニケーションはよくあることなのかな?
なんてことを考えてモヤモヤでいっぱいになる日々が続いていた。
待ち合わせは決まって彼女の家で集まり、彼女のメイクが終わるまで待つのがいつもの流れ。
ただその日はヘアセットしていこうよと誘われ、その子の家で髪をセットしていくことになった。
あーこれとりあえずセルフでセットさせるやつかと思いながらYouTubeで巻き方を調べ自分で巻いてみる。
めんどくさいな~と嘆いていたその時だ。
YouTube Premium知らないの?
そして悶絶である。
一瞬にして動悸は激しくなり、過去に知らないおじさんとリカちゃん人形で遊んだキモイ思い出がよみがえり吐き気と憎悪に包まれていく。
彼女はずっとなにか話しているみたいだが全く耳に入ってこない。
てゆーかそんなことは知っているし、広告が無いのも確かに便利だとは思う。
でもたったそれだけじゃないか。
なぜそれでマウントをとってくるのだろう?
と心でぼやき、絶交することを決める。
そして、これからはもっと自分と同じ穏やかな人と仲良くなろうと心に誓う。
ああそうだ、その時からなんだか心が軽くなったんだっけ、、
その間ずっと当てていたアイロンによって髪は溶け
高いお酒飲んで、毎年海外とか行って、社交界か経済界かなにか知らないけど、ナンチャラズクラブみたいな会員になってパーティとか行くんだと思ってた
政治家と飲んだり、付き合いでゴルフしたり、休日は練習せなあかんのよ、とか言って打ち放しとか行くんだと思ってた
趣味の部屋とか作って、とびきり美しいアクアリウムとか飾るんだと思ってた
石垣島とかに行って船とか借りてでかいマグロとか釣るんだと思ってた
たまには甲子園とかに野球見に行って、そのへんで知らないおっさんたちと飲むんだと思ってた
職場の若い女の子に色目使われて、いやあ僕は妻を愛しているから、とか言って困るものだと思ってた
投資とかいっぱいして、優待とか配当金とかを、孫とか甥っ子とかあげたりするんだと思ってた
職場も付き合いとか何もないからゴルフもクラブも女の人がいる飲み屋も行く機会なんかなかった
転職して野球チームのない街に住むことになったから甲子園とかも行けなくなった
魚飼いたいけど妻にダメっていわれる
そして専業主婦の妻がいて子供が2人いるから自分が好きに使えるお金はあんまりない
36歳になってもお小遣いは昼飯代込みで2万5千円
結婚前は2万円の釣竿とか平気で買ってたけど、いまは子供の面倒見なきゃいけないし、休日は妻に休んでもらわなきゃいけないし、もはや釣りに行く暇もない
週末は家族でイオンにいって、連休は近県にたまーに旅行するくらい
結局、お小遣いは子供と遊ぶポケモンカード、switchのソフト、ウマ娘の課金くらいにしか使ってない
この前は1万3千円もするリカちゃん人形を独身時代の貯金から買ったのが最大の出費
小中時代に憧れてできなかったことって、大学生くらいになるともうそんなにしたくない人多いと思うし、結局おもちゃ大人買いとかしないと思うんだけど、小さい子供がいる父親になると、小中学生の憧れみたいなことを今更してる
でも冷や汗たらしてポケモンカード何パック買うか、箱買いしちゃうか考えている程度なので、そんなに憧れられはしないけど
転売ヤーのおかげでポケカ買えなくなったのは個人的には出費が減って助かる
switchのポケモンは知らない人と時間合わせたり待ち時間がひたすら長いゲームばっかさせられるからつまんなかった
原作が何なのかも知らなかったが1話冒頭の手描きライブシーンに釣られて最後まで見てしまった
男アイドル物なのに女アイドルがいるのかと思ったが男の娘だったし、男の娘だけど声優は女なのかと思ったら男だった
村瀬歩は声の幅が広すぎる
調べたところ原作はソシャゲだが初代の音ゲーは去年サービス終了しており、2代目のポチポチゲーは去年の10月を最後に新規イベント・ガチャが来ておらずそれ以降は復刻ガチャのみで延命されているという、すでに死んでいると言ってしまってもいいようなコンテンツだった
全体的なストーリーは新人アイドルが3か月でCDを3000枚売るなど非現実的ではあれど、手描きライブに釣られただけの自分が最後まで見れる程度の面白さはあった
原作主人公の女キャラはあまり絡んでこなかったが原作では一体何をしていたのだろうか
キャラクターに関しては人数が多いので掘り下げきれていないというのもあるが、正直なところ死ぬのもやむなしという感じだった
心ちゃんの出番がやけに多かったのが気になる
心ちゃんはアイドルに対してとてもストイックで真面目に取り組んでいたが、アイドルは全員そうあるべきなので、心ちゃん以外のキャラにもそういう描写を入れた方が良かったと思う
肝心の手描きライブは主人公グループ、心ちゃん率いる男の娘グループ、主人公が憧れている先輩グループ、そして最終回の全員参加ライブ(1話のライブのフルバージョン)のみだった
PAから知らない会社に制作が変更になるということで雰囲気の変化や作画の劣化が不安だったが、監督・キャラデザ・脚本などは続投で作画もPAの人が参加しており劣化は一切なく完全に杞憂だった
競馬についてはディープインパクトが強くてオグリキャップがすごい、あと武豊という人がいるぐらいの知識しかないが、1期同様王道スポ根として十分楽しめた
1期がスペちゃんとスズカメインだったのに対して2期はテイオーとマックイーンを中心にライスシャワーやツインターボにもしっかりスポットが当たり群像劇感が強くなったが、散らかった印象にはならず綺麗にまとまっていてとても良かった
2期とソシャゲでウマ娘を好きになった人にもぜひ1期を見てもらいたい
端的に言うと腐女子向けアニメなのだが、そういう要素抜きで今期一番面白かった
Freeの人工呼吸未遂やユーリの指輪のような直接的なBLシーンはなく、愛抱夢もギャグとして見れる
レキとランガはブロマンスの原義である「四六時中一緒にスケートボードをしているような関係」(出典:Wikipedia)そのままで、ジョーとチェリーが一番BL感があったが、今挙げたような腐女子をターゲットにしているであろう非BLアニメの中では一番BLから遠かったと思う
ちなみに自分のBL耐性はユーリを指輪のシーンで耐えられず切ったりだかいちがギャグとしても駄目だった程度
スケボーシーンはもちろん日常シーンも同じように力が入っていてボンズの作画力と内海紘子のこだわりを感じた
総集編があったが作画には万策感が表れておらず、総集編の内容も作中の設定と状況を活用しており、ミヤの出番を補っていて良かったと思う
でも万策しないのが一番良いし、ミヤの出番が少ないことに変わりはない
Freeの内海紘子とプリプリの大河内一楼と聞いてラストが不安だったが、特に大きな問題はなく綺麗にまとまっていた
毎回安定した面白さだった
最後にクロの過去話が来て綺麗な構成だったので原作からエピソードを入れ替えているのかと思ったら原作打ち切り(ポップコーンまで)→作者が1話をTwitterに載せてバズる→アニメ化&原作のみでは尺が足りないのでアニメ用に作者が追加エピソード描き下ろし&それをウェブ連載という異色の経歴を持つ作品だった
そのためアニメでカットされたエピソードは1本のみ、一部エピソード入れ替えがあったようだがかなり理想的なアニメ化だったと思う
ネタさえ思い付けばいくらでも続けられるタイプの作品でメインキャラの掘り下げもまだまだできそうだったので打ち切りなのは驚いたが、まともなアニメ化がされてそのおかげである程度正式な完結もでき、この世の打ち切り漫画の中でもかなり恵まれた作品になったのではないだろうか
こっちでも村瀬歩が女みたいな声を出していたが、アイチュウの心ちゃんとは違うタイプの声で、声優には詳しくないがすごいと思った
制作変更で作画は全体的に良くなったと思うがキャラデザはたいして良くならなかった
ニ乃はがらっと印象が変わり1期より好きになった
一花はこのあとフォローが入るのだろう
最初からゴールが提示されている作品なのでこの調子で最後までアニメ化してほしい
ポスト鬼滅と話題だが、男児に限って言えば鬼滅は幼稚園児~小学校中学年、呪術は小学校高学年~と住み分けできていると思う
オレンジの3DCGは相変わらず素晴らしく、しっかり芝居させているのが良い
ただギャグシーンもデフォルメができないので相変わらず苦手そう
YOASOBIは雰囲気が合っていて良かった
本編?前作?を知らないので回を重ねるごとに分からなくなっていったが、それでもまあまあ面白かった
沙都子はそんなに勉強したくないのか
ガラケーに時代を感じた、そこは改変しても問題なかったのではないだろうか
原作は結構長いようだがアニメは1クールということでおそらくカット祭りだったのだろうが違和感はなかった
シリーズ構成から原作者が失踪したあたり、内部で余程のことがあったのだろう
1期は未視聴だが2期放送前に1期範囲の原作が無料公開されていたのでそれを読んで2期に挑んだ
呪術などのように派手なアクションはないが堅実な作画でストーリーも面白かった
東映が深夜アニメを作るのは珍しいのではないかと思い調べたら正解するカドも東映だった
3期もあるとのことで期待
野島伸司のことは世代ではないのでよく知らないが、どういう作風なのかは理解できた
同じく実写畑の人が脚本を担当したグレプリと比較すると、グレプリはいつも通りに作った脚本にアニメ的要素を追加したのに対して、ワンエグはアニメ的要素を軸に脚本を作っていったという印象(実際どう作ったのかは知らない)
基本的に百合風味だが終盤のアカと裏アカについてはBLを感じた
SK∞同様万策尽きたわりには目立った作画崩壊はなし、ただしスケジュールはかなりギリギリだった模様
背動ありのアクションが見れて良かった
公式サイトの野島伸司のコメントに“いつからかドラマにも「コンプライアンス」が侵食して”とあったが、コンプライアンス的にドラマではできなくてアニメではできることというのはリカちゃんのおもらしぐらいしか心当たりがない
ただドラマでは役者が顔を出して演技する必要があるので確かにパパ活やレイプ・堕胎は役者探しも含めて扱いにくそう
パプリカのオマージュがあるらしいのでパプリカも近いうちに見ようと思う
6月の特別編が本来の最終回と思われるのでまたそのときに感想を書こうと思うが、その頃には本編の内容を忘れていそうである
1月に見に行った
作画は良かった
煉獄さんと猗窩座が戦っているところを遠くから炭治郎が見ている場面や、森に逃げていく猗窩座に向かって炭治郎が叫ぶ場面が、本当は真面目な場面なのだと思うが絵コンテのせいでギャグっぽく感じた
もともとシリアスとギャグの境界が曖昧な作品なのでもしかしたらそれらの場面も原作からそういう雰囲気だったのかもしれないが、どちらもシリアス真っ最中の場面なのでギャグっぽさを感じないようにしてほしかった
正直どのギャグシーンよりも魘夢が裸で無限列車と一体化しているのが一番面白かった
上映スケジュールの都合でIMAXで見たが普段そんなに映画館に行かないこともありIMAXのすごさはよく分からなかった
映画と言えばシンエヴァも公開されたが、恥ずかしながらTVシリーズしか視聴していないので今のところ行く予定はない
Kの頃から盗用の話は聞いていた
プレイタの傷にも盗用があると話題だがこちらは東京BABYLONのように原作がある作品ではないからか今のところ無視している模様
もう来年以降の企画も動いていると思うが今後はどうなるのだろうか
画面の独自性は面白いのでちゃんと更生してまたアニメを作ってほしい
のんのんびよりとゆるキャンは1期(のんのんは2期も)を見ていたので見るつもりでいたが1話を見ていまいち面白さを感じられず切ってしまった
前回少し触れたWAVEはSK∞とぶつかったこともあってかやはり放送しても話題にならなかったが、3月に始まったソシャゲが長期メンテしていたり作中で主要キャラが死んだらしかったりと死屍累々
朝の子供向け枠でひっそり放送と思いきやこんなことになって担当者は大変そう
情報のない制作だがアクションが描ける監督に問題無さそうな副監督とシリーズ構成とキャスト陣、そしてかっこいい音楽がついているので期待
はたらく魔王さまの2期は楽しみだがキャラデザが変わったので他の部分も不安
そしてアノス様2期が本当に嬉しい
今回は順調にアニメが消化できており、今もましろのおとを見ながらこれを書いている
言葉で説明するのが難しいけど、鏡で自分の真正面の顔を見るとして、
大抵の人間は顔の輪郭、顎と耳の角のラインからそれほど離れずに首筋のラインが下に伸びている
これで何が問題なのかというと、下からのアングルを描いたときに頭に対して首が細すぎてかなり違和感があるのである
違和感を感じないためには絵柄を変えるしかなく、例えばイデオンやダンバインの湖川氏のような絵では破綻しない
アニメ顔の原点は少女漫画にもあると思うのだが、最近でなくても松本零士のような絵でも女性の首は特に細すぎるのである
自由なアングルから描けないということは表現が制限されることに他ならない
最近話題のエヴァであれ何であれ、そのへんをどう記号で誤魔化すかというのも腕の見せ所であろう
エロ漫画でも女性が絶頂したときの記号として、顎しか見えないようなアングルを描き、
逆にいえば、中途半端に顎を上げたアングルを描くのは困難になってしまい、
鼻の穴側の面や、眼球も球体として強調しないとおかしくなる、
そして最初に述べたように首が細すぎるため顎と耳の角のラインとの間のスペースが目立ちすぎて、違和感を隠せない
それはバービーやリカちゃんのような人形でもMMDでも同じで、
首を細くすると正面顔は少女漫画的にも記号として成立し可愛く感じられるのだが、
MMDなどでカメラアングルが下からになると、人体としては奇怪に感じられ違和感があるようになってしまう
といっても、人体をリアルに描けば可愛気がなくなり、これはこれで日本では売れない絵になってしまう
どこまでウソを混ぜるか、その混合の比率みたいなのが問題のように思う
例えば、記号としてありがちなのとして、キャラクターの横顔のときは口が横に移動しているというのがある
こういったウソをどう3DCGで描くかは難しく、結局は人間が口の穴を横に空けることなどで対処していたりする
しかし、こういった記号のためにありえないパースのために人体を捻じ曲げたり、すべてのカットでやるのは面倒である
嘘パースは例えば初代ウルトラマンの変身シーンもそうらしく、パースのキツい人形を最初から作って対処している
この場合はカメラ、レンズの問題であるが、アニメはもっと表現が自由である、
どんな現実にはありえないパースだって面白ければありなのである
しかし、こういったアニメ的表現は著しく効率を落とすものであるとも言えるわけで、
そうなると視聴者には少しつまらなく思われるかもしれないが、手描きやCGにおける立体で破綻しないでありながら、
かつ、どれだけウソを混ぜるか、例えば目の大きさを現実よりどれだけ大きくするべきか、みたいなバランス感覚で、
後輩たちの理想になることは諦めた。
だからせめて、少しくらいは続くたくさんの後輩が働きやすくなるように。
本当は、性別なんて関係なく、なるべく多くの人が健やかに生きていける社会になるのが一番だけど、日本というジェンダーギャップが大きい国に生きる女のひとりとして、女性が輝ける社会になりますようにと願いたいと思う。
塩谷舞さんのnote記事を読んで、私も筆を執ってみようと思った。あんな風に前を向ける記事ではないけれど。(リンクのつなぎ方がわからなかったので気になる人は探してみてほしい)
小学校の時は、男友達とよく遊んでいた。一番仲良しだった幼馴染は女の子だったけれど、年の近い兄弟がいたせいか、外でフットベースやどろけいに明け暮れていたように思う。リカちゃん人形やたまごっちにはあまり興味がなくて、ハイパーヨーヨーとミニ四駆は持っていた。そして単純に身体を動かすことが好きだった、そういう小学生だった。
小学校4年生まではスカートが嫌いでズボンばかり履いていたし、つまるところあまり「女の子っぽくなかった」のだと思うが(そもそも女の子っぽいとかぽくないとか、そういうのが時代錯誤なのはさておき)、幸か不幸か男の子と仲良くしていても、とやかく言われずに済んだのは幸いだったと思う。男の子と仲良くしている女の子の中には男好きだと陰口を叩かれている子もいたのだが、「まあAちゃんだし」と言われて女子から目の敵にされることはなかった(と、思う)。今になって思えば、女の子たちから「女」と認識されていなかったのだろう。要は、あの子は恋愛対象にはならないからOK、ということだ。
お互いを好き合った男女がカップルになったりしていて(同性カップルもいたのかもしれないが、私の耳に入ることはなかった)、仲が良さそうな男女がいれば噂になった。そして私は相も変わらず休み時間は割と男友達と話していた方だったと思うのだが、「Aちゃんだし」という理由で特に噂の対象にはならなかった。おかげさまで僻まれることもなかった。
やっぱり、「女」ではなかったのだと思う。そしてそれは私としても自覚している。
そういう環境で育ったので、「男」だとか「女」だとか、そういうものには鈍感というより興味がわかないまま中学3年になり、進学先を決めることになった。私の出身都道府県には、今では珍しい公立の男女別学校があった。こだわりがない故に別学校を選ぶ必要もなかったのだが、当時私を可愛がってくれていた先生が、「あなたは絶対に女子高が合うと思う」と言ってくれたという単純な理由で、私は女子高を目指すことにした。
結論から言えば、私は本当にあの時にあの女子高を目指した自分を褒めてやりたいと思っている。
ギャルもヲタクも皆一緒に学校行事に参加して勉強で競い合って最高の3年間だった。楽しかったというのもあるが、何より変な気を遣う必要がなかったのだ。当時から制服はスカートとズボンが選べたし、当たり前だが誰と仲良くしていようと噂されることだってなかった。
強くて逞しい人が多かったから、比較して自分の小ささに凹むことはあったけれど、とても刺激を受けたのもまた事実だ。
共学校が駄目だと言いたいわけでも、男女別学であるべきだ!と思っているわけでもない。
ただ、あの3年間は間違いなく私の自立心を育てていて、「女だから」は理由にならないし、する必要がないことを学んだ。
日本という国において、絶対に、女子校が担っている役割は大きい。
そういう、とても私にとって意味のあった3年間を過ごし、大好きな分野の学問を学ぶため大学に進学し、こんなにも文理で男女差があるのかと驚いた。
高校では半々とまではいかなくとも、どの学年も大体文系の方が少し多いくらいで、理系の女子も多かった。(どうでもいい余談だが私はゴリゴリの文系である)自分も文系なのでとやかく言えないのだが、何で女子は文系が圧倒的に多いんだ?と不思議に思ったものである。
入学してから数日、久しぶりに皆で連れ立って食事をし、皆で一緒に次の教室へ移動した。
多分1週間も持たなかった。
一瞬で最初のグループからは離れ、ひとりで食堂に向かったら、浮足立つ新入生のグループが多い食堂で、明らかに新入生であろう女子が、ひとりラーメンを啜っていた。
そうだよなあ、好きにお昼くらい食べるよなあ、と安心し、少し離れたところで同じくラーメンを食べた。彼女とは今でも連絡を取る仲である。
女子高を卒業し、大学は学部もバイト先も女子が大半を占めるコミュニティの中で過ごし、たまたま男女比9:1の会社に就職した。
総合職を選んだ以上、男も女も関係なく業務に邁進するのみ!という心意気だったのだが、割と早々にしんどくなって泣いた。ひどいセクハラを受けたわけでも女を捨てることを強要されたわけでもないのだが、「男も女も関係ない」という自分の意識と、「圧倒的に男が多い集団の中にいる若い女子」である事実を上手く融合させることが出来なかった。
どうしたって「女」を上手く利用している子の方が可愛がられる。可愛がられたいわけではないが、「女を捨てる」ことも出来なくて(いやしなくていいんだけど)、何とも中途半端な位置になり、色んなバランスが崩れて勝手にしんどくなった。
男社会の中で女であることに甘えられない・出してはいけないのだというプレッシャーはあるのに、貴重な女子社員として意見を求められるという矛盾した立場にいて、「女」を肯定すればいいのか否定すればいいのかわからなくなっていった。
「女」が主語になるコミュニティで生きていると、自分の意識もそれに近づいていくのだと気づいたときが、一番怖かった。
「女は女に厳しい」「女は気まぐれだからやりづらい」「女は甘えればいいと思ってる」「女はすぐ子どもを産むからここから離脱する」「女は…」
前述のとおりあまり「女」としてカウントされない私は、そういう声もよく耳に入った。要は男性がそういう話をしている場面に出くわしやすいし、そういう話題を振られることが多かった。「Aさんは違うけど、」という枕詞を挟んだ上で、「女は…」と語られる。
今でこそ「それ、女じゃなくて〇〇さんでしょ(要は個人の話)」と言えるようになったけれど、しばらくの間は擁護をすれば自分もそう思われるのではないかと思うと怖くて、この手の話題が出た時に否定することが出来なかった。ずっと悔やんでいる。
会社の人が噂をする「女は…」に自分が入ることが怖くて、これは私を少しずつ蝕んでいき、この立場でこの仕事を続けながら「結婚」と「出産」を選ぶことは出来ない、と思うようになってしまった。
性自認は確かに女なのに、自分が女であることを肯定できなくなっていった。
もちろん、活躍している女性だっているし、今の現状に満足出来ている女性がいるのもわかっている。
自分が気にしなければいいのだとも思うけれど、30年生きてきていい加減わかっている。私は他人の声を気にせずいられるタイプではない。
いっそこの業界が嫌いになれたら良かったなと思う。
女性の採用も増えたけれど、まだまだ圧倒的に男が多いこの業界を飛び出していけば、もう少し気楽に働けるのかもしれない。
でも、会社のことは変だと思っているし、決して誰もが働きやすい会社ではないと思っているけれど、この業界が担っている社会的役割だとか、やりがいだとか、そういうのは好きなのだ。
だから、やっぱり続けたい。
優遇してくれとは思っていない。
ただ、男性と同じところに立たせてほしい。
男だってつらい、という声も聞くけれど、男優位に作られた社会で、女と同様男にも悩みがあるだなんてどうして言えるんだ。立っている場所が違うということをわかっているんだろうか。
結婚適齢期で子どもを持つ同期が増えた。「やっぱ子育てもしながらっていうのは大変だよ」と言った彼は、毎日残業していた。彼は優秀な同期で、残業しなければ終わらないような会社の仕組み自体どうなんだとは思っているけれど、彼が毎日残業出来るのは奥さんが子どもの面倒を見ているからだ。他人の家庭に口を出すつもりはないし、1人が稼いで1人が家事を行うと決めているのであればそれも良いと思う。
ただ、この状態の総合職(男性)が圧倒的に多いこの会社で、この人たちと同じようにキャリアを積んでいくには、同じように働くしかないのだ、と思うと、まだまだ社会的に女性が家庭を守るべきという風潮が強い中でそんなことが可能なのか?と絶望する。
「キャリアと子育ての両立に男だって同じように悩む」と言っていたけれど、本当に同じなんだろうか。
同じだったら何故男女でこんなに差が出るんだろう。
「女は昇進させない」というほどひどい会社ではない。女だってちゃんと昇進できる。ただし、子育てを優先せざるを得なかった人たちの昇進スピードが落ちるから、見渡した時に男女で差があるように見えてしまうのではないか。だって男で子育てを優先した人は圧倒的に少ない。子育てを頑張りながら同じように昇進していくことはかなり大変なのではないか。周りを見渡してそう感じ、夜中に大泣きするくらい悩んだ。悩んで、今はとりあえず結婚・出産は考えられない、と判断した。
男性も本当に同じように悩むんだろうか。
大多数の男性社員と同じようにキャリアを積めた女性の、独身・子どもはいない率に茫然とする。
きっとこの人たちも大変だった。この人たちはもっともっと苦労して、女性が活躍できる場を広げてくれた。
ただ、こうでなければたどり着けなかったんだな、と思うと、自分が思い描いていた将来とは違うのだ。
一緒に頑張ろうと言っていた同世代の女性が、何人も「もういいかな、仕事は。子ども産んで適当にやっていくよ」と言うようになった。あんなにたくさん将来のことを話したのに、もう話せなくなってしまった。そういう道を選んだ、というよりは、諦めたんだな、と思った。
幸いなことにと言えばいいのか、この会社は「子どもを産んで適当にやっていく」ことも出来る。制度は整っているし、相談すれば配慮もしてもらえる。
そうだ、確かにたくさんいる。でも多分、男性の同期と同じようにキャリアを積んだ人は少ない。
だって私は現時点で、お子さんがいる先輩方を結構な人数追い抜いている。
それでいい、という女性がたくさんいるのもわかっている。でも、それでいい、と思わせるような構造になってしまっていることが、そもそも問題なのではないか。
男は、子どもがいようがいまいがほとんどが同じようにキャリアを積んでいくのに。
気が付けば私も、昔の私がその姿を見て茫然とした人たちと同じように、仕事だけを取る方の道に進み始めている。
これだけ家庭と仕事の両立が叫ばれる時代に、家庭を持たずに道を進んでいくことは、きっと後輩たちの光にはなり得ないのだと思う。私が昇進したところで、私が思ったのと同じように「あの人独身だしな…」と感じるんだろう。自分も思ったんだから、自業自得なのはわかっているが、なんて地獄だここは。
男性諸君は、諸先輩方を見上げて、「あの人独身だしな…」と思うことがあるのか?女性の待遇が上げられないというのなら、いっそ男性も同じように悩む社会になればいい。
そういう呪いにも近い気持ちが渦巻いている。出さないように、細心の注意は払っているけれど。
後輩たちの目標にはなりづらいかもしれないけれど、せめて家庭と両立を頑張ろうとする女性たちが働きやすくなるように、手助けが出来る社員にくらいはなろうと思う。
そもそも平等に働くことさえ出来なかった時代に、女性の社会進出の場を切り開いてくれた先人のように、後に続く後輩たちのために粛々と働くのだ。
自分がラッキーなのもわかっている。男性優位な社会で、男が圧倒的に多い会社に、総合職として入れたのだから。
それなりに力がある立場になろうと思えばなれる。トップダウンと言われようとも、権力を駆使して変えてやりたい。大企業が変わることは、多分それなりに意味を持つ。
私の心がそれまでに折れなければの話だけど。
日本社会のジェンダーギャップを埋める、ひとつの駒くらいにはなれるように。
なれるかな。
なれたらいいな。
この国に対してくそくらえとも思うけど、たくさんお世話になった人もいるから。
少しでも社会がよくなれば、それが一番の恩返しになると信じている。
モデルは痩せている。
特に、日本は低体重やBMIが痩せすぎであっても問題なくモデルとして出ている。
そして、その異常な細さが好まれている。
異常としか言えない。
細ければ良いと思うか?否。
あんなに折れそうな棒脚を見せられたところで
「健康的」とは思えないし、本当に「マネキン」っていう感じだ。モデルとしては成功なのか?
幼いころはリカちゃん人形に憧れるとか言うが、私は憧れたことが無い。
本当にそれに憧れて細い足を目指しているのだろうか?
人形になりたいとか、少々怖い。そんな私は色気やオシャレよりも食い気だった。
花より団子、実に扱いやすいだろう。「産まれる性別を間違えたか?」と良く言われる。余計なお世話だ。
痩せすぎると拒食症になったり、貧血になったりと様々な問題があるが
一番の問題は「胸の肉が無くなる」ことだと思う。そう、おっぱい。
胸は何と言ったって脂肪なのだ。痩せるのは胸から、と言われるのは脂肪だからなのだ。
何でこんなことを書いたかっていうと、
モデルに憧れ、鏡で自分をチェックしては「もっと痩せないと」と言っていた。
細すぎて栄養の足りてなさそうなのを「標準」としないでほしい。
私は飽きっぽいイケメン大好き人間なので、ピンとくるイケメンと運命の出会いを果たした時にオタクになる。
1回目は中学生の時。
2回目は大学生の時。
そして3回目が現在。
中学生の時はSNSが普及していなかったしすぐにバンギャになったので別として、大学生でハマった時からムズムズすることがあった。
推しを「バブちゃん」と呼んで赤ちゃん扱いする文化と、ぬいぐるみを愛でる文化。ムズムズする。
これらがどうにも慣れない。同じような人がいないかと検索をしても、現れない。わたしだけでしょうか。
赤ちゃん扱いに慣れないのは推しには男らしくあって欲しいと思ってしまうからだと思う。男性キャラに男らしさを求めるなんてステレオタイプで令和に合っていない。わかっている。善処します。
それ以上にぬい遊びという文化がムズムズする。
キャラクターのぬいぐるみを着せ替えして遊んだり、シチュエーション毎に複数のキャラを並べて撮影して一つの物語に仕上げる。
女の子といえば着せ替えとお人形でごっこ遊び。それらを極めし大人の女の子たちの嗜み。
なのに私は慣れない。どうにもむずむずする。
ぬいぐるみ自体を持つことは平気だし、大きくてブサイクなぬいぐるみや、某うさみみパーカーを着た可愛らしいぬいぐるみを持っていたこともある。カフェにも持っていった。
なのに、友人がぬいぐるみを持って私のぬいぐるみに話しかけた途端、フリーズする。私も、私のぬいぐるみも。初めてぬいぐるみ越しに話しかけられた時はさながらスペース猫状態だった。
そういえばリカちゃん人形もシルバニアファミリーも持っていなかった。ぽぽちゃんは持っていたけどおもちゃのベビーカーに乗せて家の中を走り回っていた記憶しかない。
メイクができるのっぺらぼうのバービー人形の顔は、マッキーでお手製の目と鼻と口をつけてあげていた。
幼稚園児のくせに、どうやって遊んだらいいかわからなかった。今もわからない。
小学生の頃友人とリカちゃん人形遊びをしたとき、遊び方がわからず一言も発せなかったので無言で暴れる狂人を演じていた。友人たちはリカちゃんをピョコピョコ跳ねさせて可愛く会話していた。以降私はお人形遊びに呼ばれなかった。最初で最後のお人形遊びである。
そうしてお人形遊びをしないまま20代半ばになり、お人形で遊べなくて困っている。
ぬいぐるみは漫画なんかにも登場する。「ぬ〜〜」と喋っているし、セックスもする。
もう大混乱である。スペース私。
ぬい文化に慣れない人っているのでしょうか?
#大人っておもちゃ買うの というタグが流行った時、私はむきになった主張した。
私の若い頃は「何でもかんでも機械化」と嘆くおじさんがいっぱいいました。
そのころの左翼は正にメカオンチ右翼を先導した銃や車のオタクに対する迫害をしていた。連中の言う真正保守ってそういう事なのです。
あの時代は平和とエコの名の下に「男の子ってやぁね、鉄砲と自動車の話題でイキリまくり」が横行していたのです。
「自動車を買ったり管理したりするのは男性」というイメージはエコ界隈が作ったのです。真正保守は「車に頼るとは何事だ!!」
ゲームのせいで自動車が売れないという与太話が許されるのなら「今の時代すべてのおもちゃはデジタル」と言い切ってもバチがあたりませんよね?
履いていますよ。
ってのは置いといて。
アツギの炎上やリカちゃん人形やちょっと前だとラブライブのミカンや献血での騒動の時に擁護勢がいう言葉が必ず「自分たちはきちんと二次と三次の区別がついている」という言葉。中には?に思う言葉もあるがそれは批判勢も一緒なので置いておく。
んで、言いたいのは「わざわざ宣言してくれる人達、ありがとう」ってことなんだよね。
どういうことかというと。
そもそも構造的に女性は男性より力は弱いし、どんな細い男も女性を押さえつけることは可能なわけ。
性被害にあった女性が周囲からセカンドレイプで「なんで抵抗しなかった?」って言われるけどほぼ無理なわけ。
つまり、一般の女性は常日頃から「自分たちは常に被害者になる危険がある」と心のどこかで思っている。
男性は逆に「自分たちは常に加害者になる危険がある」と思っている。(だから男性の性被害が理解されにくいというのもある)
そんな常日頃見ず知らずの人に被害を受けてしまう可能性を考慮に入れている女性的にはそりゃ二次で女の人がひどいことされているもの見たら怖いよ。自分たちも同じようにされてしまう可能性があるんだもん。
それでチワワになった女性たちはその絵を批判するんだけど、その時に「二次は二次、三次とは違う」とわざわざ言ってくれる人、つまりオタクはそりゃありがたいよ。
わざわざ言ってくれるんだからね(嘘は別)
小児性愛者について書かれた「「小児性愛」という病」っていう本にはそういった二次絵がトリガーになり、実際に幼い子供に性被害を加える人たちが紹介されているんだけど、そうゆう人たちって「二次は二次、三次とは違う」って言わないじゃん。
そんな中でわざわざ「二次は二次、三次とは違う」と言ってくれるオタクは自ら「私はきちんとすみわけができています」って言ってくれているものじゃん。
ありがたいね。
そこでオタクも一緒に加害する人を責めてくれれば100点なんだけど、それを加害する人の味方にもならずチワワ状態の女性の味方にもならないのはまじで愚の骨頂だと思うね。