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はてなキーワード: メンタルヘルスとは

2022-04-22

社労士を使わずADHDのみで障害厚生年金3級給付が決定した

https://anond.hatelabo.jp/20200410224728

上記増田を書いたものです。

前職の年収が340万円、障害者雇用になるにあたり、呈示額を320万円として、

だいたい残業時間が月20時間だと聞いていたか残業代でカバーできるかと思っていたら、

実際は配慮されまくり業務量で残業がほぼなく、また、一般雇用のように役職がついて年収が上がる見込みも少ないっぽいので、障害厚生年金申請した。

ネット(というか主に5ちゃんねるメンタルヘルス板)では、

社労士なしの申し込みでうつなどの二次障害なしのADHDは、申請受理されにくいというのが定説だが、

増田は無事支給につながったので、ここに増田なりに気をつけたポイントを記しておく。

主治医には普段から自分の困りごとを言語化して伝えておくことが大事

障害厚生年金申請時には診断書必要となるが、そこで、障害認定日ごろの状況を医師に詳しく書いてもらう必要がある。

丁寧な医師であれば、診断書の記入にあたり別途ヒアリングをしてくれるかもしれないが、そこまで時間を取ってくれる人は稀かと思うので、

普段の診察で困りごとを言語化して伝え、カルテにそれを記載しておいてもらうことが重要だと思われる。

病歴・就労状況等申立書は大変だがなるべく詳しく書く

A3の用紙に手書きする形で提出したが、ADHD場合は急になるものではなく、生まれつきの脳機能問題であるため、幼少期から履歴必要である

めちゃくちゃ面倒くさかったが、受給につながるために手を抜いてはいけないとおもい、

・幼少期

小学校

中学校

高校

大学

就職

心療内科受診

の7つのパートにわけて、ADHDによって起きた様々なエピソードを列挙した。

パートを分けるにあたって用紙が足りなかったため、申立書(続紙)を使用した。

もし親との関係が良好な人は、自身の幼少期に何か定型発達児と比べて変わったところがなかったか尋ねたり、当時の成績表などを見せてもらうとよいかもしれない。

増田の具体的なエピソードとしては、

・中高の夏休みの宿題は最終日に徹夜をして終わらせていたこ

大学下宿時にダンボールゴミを出せずベランダに退去するまで放置していたこ

仕事によるストレスによりポスティングされたチラシを捨てられずためていたこ

などがある。

また、上記の申立書に加えてA4の別紙をWord作成印刷し添付した。

ここには、日常生活で困っていることを列挙した。

ピックアップすると下記のようなことである

・初めて行くお店や場所勝手がわからず、会計の順番を抜かしてしまうことがあること

・買ったばかりの数万円する靴を電車座席の下に忘れてきてしまたこ

・口頭で言われたことを覚えていることが難しいため、事務職必須とされる電話対応が苦手なこと

心理検査を受ける

診断される際にWAISなどの心理検査を受ける人も多いと思うが、増田場合簡単チェックシートに加え、日常の困りごとを訴えた結果診断に至ったため、心理検査を受けたことがなかった。

ただ、障害厚生年金診断書を書くに当たって医師より心理検査必要とのことだったので、違う医療機関にてWAIS-Ⅳを受けることになった。

検査は数時間有給休暇を取って臨む必要があったが、いざ出てきた検査結果や臨床心理士コメントを読むと、

より自分の発達特性俯瞰的に見られるようになったため、これは障害厚生年金申請の有無関係なしに受けてよかったなと感じた。

上記のような準備を行い、申請から2ヶ月後に無事支給決定の連絡が来た。

社労士に頼むお金は勿体無いけれど、ADHDだけでは通らないときいているし……と不安な方も、増田のような例があると知って勇気を出してみてほしい。

2022-04-19

anond:20220419085429

ストレス源について考えなくて良くなるほどの無に到れるのが運動。俺は中間管理職してたけど鬱って退職した後肉体労働に移行した上に不調時はためらわず休むようにしたのでメンタルはそこそこ良好。体にガタは来てるけどな(笑)体にガタがくるのとメンタルやられるのと、金とメンタルヘルスと。どっちも秤にかける必要もなく何も問題無く生きていけたら幸せなんだけどなあ。

2022-04-16

anond:20220415215353

>daitokai1980 メンタルヘルスが狂っている人を人として扱うからの苦しさ。

貴様、人では無いな?

2022-03-17

お母さんの顔

長くなるかもです。

なんだか最近母親の顔がシンプソンズっぽくなってきました。

調べてみたら「アデノイド顔」っていうらしいです。鼻呼吸を勧めたいんだけど、難しそう……

最近母親些細なことでキレやすくなったし、とても頑固で人の助言や意見絶対に聞かなくなってしまいました。

かと思ったら変に上機嫌な猫なで声で話しかけてきます。冷静な、「ふつうの」時間が無いみたいな印象です。

独り言も大きいし、何かに怒っているようです。いつも「バーカ!」とか「あーあ」とか何かに向けて叫んでいます。怖いです。

お父さんは母親に惚れているので母親が人としてありえないことをしても笑って何でも許します。母親もいい気になって楽しそうです。だから、何も直りません。もうここ数年、怒っているのは私だけです。疲れました。

母親性格が最悪になってしまったので、「老けた」というよりも「醜くなった」という表現の方がとてもしっくりきます彼女言動更年期障害範疇を超えていると思います

何かの病気でしょうか?

メンタルヘルス系の病院に一緒に行こう、と誘ってみましたがプライドを傷つけてしまったようです。

何を言っても突然不機嫌になるので、手がつけられません。しか時間差で不機嫌になります言葉がその場ですぐ出てこないのかもしれません。

話し合いも母親感情的になって成り立たないし、いつも同じ過去エピソードを持ち出して怒ってどこかへ消えてしまます

そうならないように、一つ一つの問題を順を追って言語化させ、理由も付けて説得すれば、一応自分の非を認めるのですが、決して反省しません。

10分後にはなんの関係の無い怒りで全て忘れてしまうようです。この繰り返しです。本当に疲れました。

自分がやられたこはいつまでも言い続けるのに、私たち家族にやってきた最低なことを全部忘れているのはおかしいと思います

この先母親をどうすればいいのか、少し不安です………

2022-03-10

anond:20220310213521

医療の発展が出来りゃ劇的に牌は広がるんだけど日本じゃ無理だろうな

それができるのは多分倫理無視できる中国だけ

老化や女性月経更年期出産の辛さを緩和、欠損した臓器の再生とかできたらめっちゃビジネスになるし働き方も変わるだろう

あと、メンタルヘルス分野は爆発的に伸びる可能性はある

でも多分無理だろうな

2022-02-18

増田メンヘラにとって救済をもたらすサービスであり続けて欲しい

私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。

そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館南条さんの本を借りた。当時私はリスカアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為きっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。

本には、南条さんという人物について、また彼女インターネット上に残したものについて書かれていた。


「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」

衝撃だった。

南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。


さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービスから推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能ブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。

二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である


私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身気持ち不謹慎でたまらなかった。

インターネットではブログサービスの代りに増田流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。

このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。


さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。

前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。



その日記は2001年6月13日水曜日から始まっている。

はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィーク旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしま入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。

ところで北海道運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである

私にとってそんな小学最後運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧気候の中で、小学生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。


2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやす説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである

私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロア中学生フロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。

4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度区切りを迎えてから日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。

2002年4月8日の月曜日二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。


2002年の3月末~4月初旬の彼女日記確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。

彼女文学部哲学科を卒業した後、編集者レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。


2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。

平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。

しかしその4月2日水曜日日記タイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事投稿したのではないかと考える。もしくは、職場PCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。


投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。

しか彼女複数回に及ぶブログ投稿現代増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。

さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本から引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人から手紙引用している投稿も見られる。


ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプ人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるかである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないときである。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitter思考の整理を行う。なぜなら自分自身脳内の回転及びそれによって生じる思考インターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。

そしてなぜあえてインターネット吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーション挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。


彼女本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手彼女自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。

ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分作品が残るとは、そういうことなのだと思う。


2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったか記憶している。休み時間には、情報担当教諭ヤフージオシティーズアカウント取得を手伝ってくれた。

やはり、当時はまだブログがそこまで一般的ものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナーハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。

私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。

やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitter複垢サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。


私は日本におけるインターネット内でポエム馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章ポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。

このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったか記憶している。


二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。

そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである


人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記ありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女ことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。


インターネット死ぬとはこういうことなのか。


断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。

冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。

しかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったかである


果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。

事実書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。


文中で軽く触れたが、私にとって増田思考の整理のためのツールとして役立っている。

私は物心ついた頃より、「この子ぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。


私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲相談をし、さら増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ

私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。


果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。

今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネット事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。

私はリアル社会の中で、絶望絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネット絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。


インターネット彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。

二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女日記のどこかで触れられているのかもしれない。  

しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。

しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者インターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。


相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。

私は自分自身人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。


自分自身とよく似たパーソナリティ人物言動思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報医療機関提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。

私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法アドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。


私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的自分自身の不幸を開示していこうと考えている。

増田には、メンヘラにとって永遠に救済をもたらすサービスであり続けて欲しい。

2022-01-26

自分に自信があると生産性があがる

自信を持つ、自信を持たせる、ということはどちらかというと「人間尊重」とか「メンタルヘルス」みたいな意義で捉えがちだが、もっと即物的生産性の向上という意義も高いのではないか、と思った。つまり自分に自信があると仕事がうまくいくようになるし、自信がある社員構成されていれば会社が儲かるようになる、みたいなことである

第一に、自信がある奴は目の前の仕事積極的に関わる。これは、逆にいうと、自信のない時は「これは私がやるより他の人がやってくれた方がいいから」みたいに身を引いてしまう(気配を消してしまう)。私の場合はそうだ。

第二に、自信のある奴らは、できない時に自然アクションに移れる。自分ができる、という状態普通だと思っているので、何らかの理由でできないときに、情報をとりに行ったりとか相談したりとか考えを整理し直したりとかという反応になる。これは、逆にいうと、自信がないときはあっさり諦める、ということである。私の場合はそうだ。

第三に、自信のある奴らは積極的意見を言う。相手発言が腑に落ちない場合は、相手説明不足や発言に非がある可能性を前提として、質問したりだとか意見したりをする。これは逆にいうと、自信がないときは、間違ったものに対しても訂正する気力が起きないということである。私の場合はそうだ。

2022-01-10

anond:20220110090944

無駄作業アウトプット自分品質確保につながらない作業とすると、ゲームを遊ぶ時間無駄時間にしてしまっている人が多いっていうのが正しいと思う

ゲームで学んだことを何かしらのアウトプットにつなげたり(ゲーム好きな人との人脈広げるだけでもアウトプットだと思う)、メンタルヘルスを整えることはできると思う

その場合ゲームをする時間無駄ではないと思う

ただ、実際はただゲームをするだけでアウトプットにつなげられなかったりゲームをする時間アウトプットする時間が減ってしまう人や、ゲームのせいで夜更かししたり、最近競争性の高いゲームが多いからむしろストレスになってる人も多いと思う

そうなるとゲームをする時間無駄だし、無駄どころかマイナスになるとは思う

俺は学生の頃はゲームをやることで友達を増やしたり、純粋に楽しんでストレス発散になったけど、大人になってからゲームを通じて人脈を広げる時間がなかったり、ゲーム競争性が上がって辛くなることの方が多くなったので無駄だなと思うことが増えほぼ辞めてる

2022-01-05

クズ担任人生を歪まされた話



小学生の頃、全校生徒100人切るような小学校にいた

小4の頃の担任のおばちゃんが糞だった

子供同士のトラブル

AくんがBちゃんにいらんチョッカイだした

ちゃんがAくんのチョッカイを嫌がって手で押した

Aくんが転んで怪我した

こんな、本来怪我した方が悪い、って状況なんて珍しくないと思うんだけど、

おばちゃん担任、騒ぎを聞きつけると手で押したBちゃんに対して

「Bちゃんはそんなことする子じゃないよね?お話全部ちゃんと聞くから、教えてくれる?BちゃんはAくんを押したの?」

と優しい声をかけ、Bちゃんが「うん、でも」とあったことを全部話そうとすると

「Bちゃん押したのね?認めたのね?Bちゃんが悪いことしたのね?なんて子なの!?Aくんを押すなんて!Aくんに今すぐ謝りなさい!」

こんな感じで話を聞くどころかいきなり感情ぶってヒステリー起こしてBちゃん断罪し始める

まりの剣幕にBちゃんが泣き出し、嗚咽で喋れない状態になっても

「泣けば済むと思ってるんでしょ!早く謝りなさい!早く!」と畳み掛け、

しゃくりあげながら懸命に喋ろうとして、でも喋れないBちゃん過呼吸を起こして倒れる、なんてこともあった

私のように神経図太い子は頑なに謝らず、先生が話をちゃんと聞くまでは謝らない!と反抗すると、即座に親呼び出し

保護者によっては先生の言うことだけを信じて子供を殴って謝らせるようなのもいた

私が先生断罪されたときは、母が縫ってくれた体操着袋を男子面白がって取り上げ、紐をつけたサッカーボールのように蹴られたか

奪い返すために男子の手から体操着袋をひった食ったところを担任に目撃されて私が断罪され、母呼び出し

我が母は「うちの娘が男の子一方的暴力奮った?ハッ、そんなことするわけないでしょう?」取り合わなかったため、私は特にトラウマとかはなかったが、

この担任のせいで一生性格が歪むようになった不幸な転校生がいた

の子は前の学校イジメられて不登校にまでなって転校してきたとのことだった

私達のクラスは良くも悪くも担任という絶対悪存在たから、クラスイジメ存在していなかった

だけどチョッカイをだす問題児男子はい

おそらく何かしらの発達障害があったんだと思うけど、その後中学性犯罪やらかしてるくらいのガチ問題児

転校生も早速チョッカイをだされて、何度も何度もスカートを覗かれたり、ズボンなら引っ張られて下げられたりした

ある日階段そいつが後ろから転校生スカートをめくり、転校生が「やめて!」と手で振払おうとして、運悪くかわした男子階段から転げ落ちた

周りで見てた誰もが「男子勝手に落ちた」と認識していたが、救急車で運ばれた男子が「転校生に押された」と言ったことで転校生担任ロックオンされた

転校生が突き落としたわけじゃないとはいえ骨折した男子の姿はなかなか衝撃で転校生のショックも大きかったため

一緒にいた私と友達転校生に付き添って担任面談

担任はいものように、優しく「何があったか教えてくれる?ゆっくりでかまわない、ちゃんと全部聞くからゆっくりお話してみて?」と声をかけた

私は転校生に「先生、話し始めると絶対ヒス起こすから」と話してはいたんだけど、

実際に転校生が話し始めて「手で振払おうとしたら」まで言ったところでこれまで見たことないくらいの勢いで担任ヒスってキレ散らかした

キンキン声で怒鳴り散らし、転校生のことをずっと人殺し呼ばわりした

私と友達も大声あげて人殺し呼ばわりするなと応戦したけど、担任ヒートアップは止まらない

担任感情が高ぶりすぎたのか、「いい加減にしなさい!」と手元に置いてあった花瓶を持ち上げ、机にダン!と叩きつけた拍子に花瓶が割れ

私も友達も一瞬それで殴られるかと思うような軌道で振り下ろされた花瓶は転校生の目の前で砕けた

転校生ワナワナ震えてそれ以上喋れなくなり、保護者呼び出し

転校生保護者は信じられないくらい気弱な人で、転校生の話なんか聞こうともせず、担任問題児男子にペコペコ頭を下げ続け、

転校生にも無理やり謝らせて頭を下げさせた

その日から担任転校生他人を加害する犯罪者予備軍として扱い、転校生ちょっとした言動に目を光らせて、難癖をつけるようになった

それから転校生は罪を認められない、謝れない子になった

例えば廊下の角で他の子とぶつかったとか、どちらにも悪いところはない不慮の事故でも、

ちょっとでも自分が責められると感じたら、黙りを決め込んで石のように動かなくなる

何かを喋れば担任から揚げ足を取られ続けた結果、それが転校生にできる唯一の防衛だったんだと今ならわかる

でも当時は転校生も私達も小学生、誰も理解できる子なんていない

転校生はみんなから嫌われて、「前の学校イジメられたのも自業自得じゃん」と言われるようになった

転校生は誰かから嫌がらせをされることはなかったけど、みんな転校生を避けるようになった

そして自然学校へ来る回数も減っていった

中学は1学年6クラスあるような学校で、私達の学年だけで小学校のころの全校生徒より多かった

だけどそれだけの人数がいながら、転校生の悪い噂はすぐに聞こえてきた

自分が不利になるとすぐ黙り決め込む」と

私も中学とき、一度掃除時間転校生からバケツ汚水をかけられて、対面して話したことがあった

小学校ときと変わらず、相変わらずの黙り具合だった

着替えるために保健室に行く私に転校生が黙ってついてきたんだけど

そのときに私は「自分が悪いと思ってるの?それとも何も悪くないと思ってるの?」と聞いた

責める感じではなく、なんとなく気になって世間話ふうに

5分、10分と沈黙時間が流れた

そしたらボソッと「私が悪い」とつぶやいた、そして深々と頭を下げた

顔は見えなかったけど、涙がポタポタ落ちていた

私はそのとき転校生気持ちがなんとなくわかった

悪いとわかってる、言葉にしなきゃ相手に伝わらない、でも言えない、言いたいのに言えない、どうしても言葉にできない

私は父親病気で亡くしてるんだけど、死の間際の父にひどいことを言っちゃって、でも父の死が認められなくて、謝りたくても言葉にできなかったことがあった

謝ったら父が死んでしまうような気がして、謝るまで父は待っててくれるような気がして

から転校生の、絞り出すような声を聞いたときに、その一言を言うのがどれだけ大変なことなのか私は理解できた

でも、どうしてあげられることもできなかった

友達転校生のことをひどく怒ってくれていたから、「ちゃんと謝ってくれたよ」と言うのが精一杯だった

転校生不登校になったりならなかったりを繰り返して、卒業後は別の高校に行ったからその後は噂でちょっと聞いただけ

高校もうまくいかなかったみたい

大人になると、本人の性格問題は本人だけのせいにされるけど、転校生大人たちに歪められた例だと思う

私達が学生の頃はまだまだメンタルヘルスって概念が浸透してなくて誰にもどうしようもなかったけど

人生のどこかで彼女が救われてたらいいなと思う

2021-12-25

TikTokモデレーター提訴、生々しい動画審査業務精神トラウマ

Bloomberg報道によると、TikTokティックトック)のモデレーターが、生々しい動画による精神トラウマ理由に、同ソーシャルメディアプラットフォームとその親会社であるByteDance(バイトダンス)を訴えたという。提案されている集団訴訟の中で、モデレーターのCandie Frazier(キャンディーフレイジャー)氏はこれまで、暴力学校での銃撃、致命的な転落、さらにはカニバリズムなどが映っている動画スクリーニングしたと述べている。「(結果)原告睡眠障害に悩み、眠れた時には恐ろしい悪夢にうなされています」と訴状には記されている。

問題さら悪化させているのは、TikTokモデレーターたちに12時間シフト制で働くことを要求し、1時間の昼食と15分の休憩を2回取ることしかさないことだという。訴状によると「膨大な量のコンテンツがあるため、コンテンツモデレーターは、1つの動画につき25秒以内の視聴しか許されず、同時に3~10本の動画を観ることになる」とのこと。

TikTokは、Facebookフェイスブック)やYouTubeを含む他のソーシャルメディア企業とともに、児童虐待やその他のトラウマになるような画像モデレーター対処するためのガイドライン作成した。その中には、モデレーターシフトを4時間制限することや、心理的サポート提供することなどが盛り込まれている。しかし、訴訟によると、TikTokはこれらのガイドライン実施しなかったとされている。

コンテンツモデレーターは、ソーシャルメディア掲載される生々しい画像トラウマになるような画像の矢面に立ち、ユーザーがそれらを体験しなくて済むようにする役目を背負っている。大手テック企業コンテンツモデレーター提供しているある企業は、この仕事心的外傷後ストレス障害PTSD)を引き起こす可能性があることを同意書の中で認めているほどだ。しかし、ソーシャルメディア企業は、心理的危険性を考慮して十分な報酬を支払っておらず、メンタルヘルスサポートも十分ではないとして、モデレーターなどから批判を受けている。2018年には、Facebookに対して同様の訴訟が起こされている。

フレイジャー氏は、他のTiktokスクリーナーを代表して集団訴訟を起こすことを希望しており、心理的傷害に対する補償と、モデレーターのための医療費支援基金を設ける裁判所命令を求めている。

やはりTikTokは非常に危険ドラッグのようなもの

とくに若者に対する悪影響が大きいと思う

いったんは停止しようとしたトランプ政権評価したい

その気づきと試みが人類にとって重要である

2021-12-17

3時くらいに目が覚めて寝れないまま今に至る。

はぁ

会社メンタルヘルスで2軸とも高ストレスだったが面談受けた方がいいんだろうか。毎年高ストレス出てるが今年は過去メンタルが終わってる。

2021-12-13

チラシの裏にでも書いておけ」は実際メンタルヘルス有効

アウトプットした上で破り捨てるんだと 人生案内心療内科医がそう言ってた

ネットで不幸自慢するよりはリスクが低いかhttps://www.yomiuri.co.jp/jinsei/20211210-OYT8T5003

2021-11-27

【簡約】コロナ後遺症そっくりな症状だったMERS後遺症の人のお話

コロナ後遺症のみなさん、ワクチン後遺症のみなさん、どうも。

ワクチン接種から4か月弱。相変わらず頻脈・動悸のほぼ寝たきりでやらしてもらってます

50ゴールドとひのきの棒すらもらえずに竜王の前に放り出された気分ですが、気持ちだけは前向きにフ~!

そんな中、海外掲示板redditにとても勇気づけられる投稿を見つけました。

投稿者のLadyBernVictimさんは2017年にMERSに感染していて、私たち後遺症者とまったく同じような症状が出ていたようです。

私も八割ぐらいの症状が一致しており、読み進めるたびに「あるあるwwwwwww」と相づちを打っていました。

LadyBernVictimさんはよくなるまでの12か月間をなんとか耐えて、今では100%回復したそうです

このお話をぜひとも共有したいなと思いましたので、稚拙ですが簡約したもの転載します。

(※本文中に栄養サプリ等が出てきますが、サプリメントの過剰摂取をすると重篤副作用が出る場合があります。必ず専門家相談してからご服用ください。)

投稿タイトル

こんにちはcovidlonghaulersサブレのみなさん! 私は2017年MERSコロナウイルス(疑い)で苦しみ、コロナ後遺症に似た症状が出ていましたが、対処をした結果100%回復しました! AMAです!

訳注サブレは5ちゃんねるでいう「板」。covidlonghaulersサブレは長期のコロナ後遺症に悩まされている人たちの板です)

訳注AMAは”Ask Me Anything”の略で、5ちゃんねるでいうと「〇〇だけどなんか質問ある?」といったニュアンスです)

本文

Hi!

すでにこのサブレで私の話を読んだ人もいるかもしれません。

でも、皆さんが質問できるようにAMA実施したいと思います

まず一つ目に、皆さん全員に知って欲しいのです。

あなた方がどれほど勇敢であるか、どんなに孤独だとしても、後遺症対処するためにひとりぼっちだと感じていたとしても、あなたは一人ではないのです。

そして、あなたがどのように感じているかを少なくともこの私はわかっています

二つ目に、「私は医者ではありません!」

私はフツーの人間ですからあなた身体問題があるのだと真剣に考えているのなら、ちゃん検査をして問題がないことを診断してもらうことが非常に重要です。

また、私がMERSの確定診断を受けていないということもお伝えしておきたいと思います

症状が出ていた時にCFS(訳注:慢性疲労症候群)の専門家の所に行った際、「初期の症状がCFSを引き起こす他のコロナウイルスのものと似ている」と言われました。

さらに、感染源だと思われる人の感染場所が、おそらくイスラエル又はアラブ首長国連邦だったため、その専門家MERSの疑いがあると言っていました。

もしそのような検査があるとしたら…ですが、MERSであったのか否かを確認するための抗体検査をいつか受けてみたいです。

だって私がこんなに重い症状になった答えは、まだ見つかってないのですから

こうしたこともあり、私は「自分になにが起こったのか」ということについて書いてみたいと思いました。もし、長くなってしまったらすみません

2017年、私は倉庫ビルの地下にある新しい職場に行きました。

マネージャーは二日前に休暇から戻ったばかりで、イスラエルアラブ首長国連邦旅行していました。

彼は飛行機で熱が出たと言っていたのですが、業務があったので病気が出ているにもかかわらず仕事に来てしまいました。

その結果、職場で私以外にも二人が感染しました。その二人については数日あるいは数週後にすぐ回復したようですが、私はそれほど運が良くなかったのです。

最初の症状は最悪の状態で40℃に達する高熱や、首と肩のリンパ節が激しく腫れたり(人生でこんなこと初めてです)、ちょっとした息切れでした。

私は毎晩恐ろしい寝汗をかいて、高熱は約ニ週間続きました。イブプロフェンを使っても37.2℃-39.4℃の間をいったりきたりしていました。

いちばん熱が出ている時は48時間ほど乾いた咳も出続けました。咳はやがておさまったのですが。

二週目の終わりに緊急治療を受けることになりました。医療関係者は「伝染する可能性があるぞ」と私にどなって、急いでインフルエンザ感染性単核症の検査をさせました(両方とも陰性でした)。

三週目にもなると、高熱がやっとおさまりはじめて、イブプロフェンで私の体温は平熱である36.1℃になりました。

それから一週間ほど経ってまた37.7℃ほどに上がった後、最後には高熱がなくなって気分が良くなったように感じました。

間違いなく「終わったんだ」と感じていました。ただ、それを説明することはできませんでした。

しかし、その後二週間が経過し、私の身体に向かって突風のように“奇妙な症状“という名の風が吹き始めたのです。:

  • 自分の脚に激しい筋肉痛や神経痛の波を感じ始めました。

痛みは時々出てきて、続くのも数分なのですが、その後私の脚は文字通りゼリーのようになりました。階段を降りようとすると膝が震え、歩くのが難しい。この「脚の弱点」はなくなりませんでした。

  • 視界はぼやけ、光に「とてつもなく敏感」になりました。

激しい頭痛を伴い、窓や画面のすべてを避けるようになりました。

fitbit(訳注:心拍数が測れるスマートウォッチ) を見ると、就寝前の臥床時には、140bpm(訳注:個人差はありますが「きついと思うレベルジムランニングし続けている」のと程度です)を計測していました。

いちばん悪い時には1〜2時間睡眠をとるだけで、たびたび動悸を起こし何回も目が覚めて不安になり、それが永遠にくり返されように感じていました。不眠症調子に波があり、「強いだるさ」と「アドレナリンの上昇で覚醒させられ続ける」という状態の板挟みで、倦怠感に押しつぶされていきました。

  • 私は背中に激しい痛みを感じ始め、夜中には叫びながら目覚めるようになりました。また、その直後から、足に「ピンと針」の感触を感じるようになりました。歩き回ったとき、足の底に燃えるような熱くて凍えるような冷たい感覚があったのです。
  • 血液が体の片側に「溜まっている」ように感じられました。

足や脚を交差させると、数秒以内に眠りに落ちたように動かなくなるという、循環器に関する奇妙な問題がありました。

  • 胃が食べ物を消化してくれなくなりました。

理由はよくわからないのですが、胃不全麻痺だったのではないか確信しています。その症状は非常に激しい便秘引き起こしてくれたので、2回か3回ほどERへの旅行に連れて行ってくれました(毎回何も見つかりませんでした)

  • 膀胱がいっぱいになってもわからなくなったので、いつ尿をすればいいのかが分からなくなりました。ずっと膀胱を空にできませんでした(神経系膀胱疾患)
  • 背中や胃のような妙な場所で、ピンと針を立てたような変な痛みがありました。
  • 瞳孔が光に正しく反応していませんでした。

また、片方の瞳ともう片方で瞳孔の膨張が均等ではありませんでした(これは本当に家族を怖がらせて、膨張が起こっているときには家族からよく指摘されました)。

私は他にも多くの症状がありましたし、身体システムほぼすべてになんらかの症状がありました。

ERにも合計3回行きましたが、次に記すこと以外には異常はみつかりませんでした。

検査一回目の時のかすかに高いDダイマー値(訳注血栓の凝固マーカー)

②非常に低いフェリチン(鉄不足)

③低ビタミンD

④高いEBウイルス抗体値(アクティブ感染を示している、かろうじて陽性になったIgMを含みます。緊急ケアを受けた時に、感染性単核症検査が迅速に行われて陰性だったのですが、EBウイルスの高抗体値はその二ヶ月後に発見されました)

⑤妙に低い電解質です。

それでもついに...、「私は100%回復しました!」

私の最初発熱から「良くなる」までは約十一か月から一年ほどかかりましたが、最初の数ヶ月は回復するためのことはほとんどせず、「答え」を求めて医者から医者へと受診してまわっていました。

以下の箇条書きがやったことです、

主に抗ウイルス性食品と抗炎症食品です。果物生野菜をほぼ毎日たくさん食べました。ブルーベリーキュウリセロリの茎など。また、病気になる前にすでにセリアック病(グルテンフリーダイエット)がありました。私は病気の時にもグルテンフリー食品を食べていましたが、そもそもグルテンフリー食品を食べていた状態で、私の症状が起きたわけですので、そこはご承知おきください。

アシュワガンダ、クルクミン(ウコン由来成分)、マグネシウム魚油の丸薬、ビタミンD、L-リジンラクトフェリンを混ぜた鉄(もし低鉄を処方されていた場合は、鉄のみを服用)。マグネシウム浴もやりましたし、粉末の電解質摂取しました。

  • 自身の「戦うか逃げるか反応(fight or flight)」に戸惑っていましたので、なぜ常に超不安状態にあるのか、その理由について多くの自己研究を行いました。

そして、「戦うか逃げるか反応」から抜け出してリラックスするためにできる限りのことをしました。病気になってから理由もなく不安状態にありましたが、以前はそんな人間ではなかったのです。私は「瞑想」をはじめました。ええ、多くの人がそのことを馬鹿にしていることを知っています。ですが、瞑想は体調を60%の状態から90%以上にするのにとても役立ちました。理由のない不安とやらは私の脳にレバーがあるようで、最初感染はそのレバーを「ノーマルから幻覚状態にして常に不安を引き起こす」に切り替えてしまうのです。レバーを切り替えるために、瞑想であったりアシュワガンダのような「リラックスサプリメントの組み合わせを利用する必要がありました。いかにして瞑想が脳を文字通り「再配線」してくれるのか、ぜひ調べてみてください!

私は自律神経系制御する脳や脳幹領域に、なんらかの神経損傷があったのだと強く信じています。重度の自律神経機能障害を抱えているのは間違いない状態でしたし、直接的(例としては胃痛を引き起こすような消化器系に関する自律神経機能の欠陥)にせよ間接的(例としては免疫システムを介するようなもの)にせよ影響し、私の症状の大部分のものをしめているように思われたからです。自律神経系免疫システムをある程度コントロールしているのだとすれば、身体に出ている症状は免疫応答が過剰に継続しているというシグナルだったのではないでしょうか。適切な栄養リラクゼーションを通じてこの自律神経の損傷を癒すことが、救いの恵みであったのだと真剣に信じています。そして、自律神経の損傷を癒すことは、すべてを「正常」な状態に戻すための、つまり交感神経による「戦うか逃げるか反応」から副交感神経による「休息と忍耐(rest and digest)」に切り替えることであったのではないでしょうか。

  • これから言うことはバカなことに聞こえるかもしれませんが、私は「定期的に笑うこと」を始めました!

私は、「日々笑うこと」についての研究を読んで、大笑いをする事は脳を「戦うか逃げるか反応」状態から切り替えて、副交感神経系を活発化させ、よりよい睡眠をとることを助けるという事を知りました。だから、毎昼食後、思わず笑ってしまうような面白い映像検索していました。私はそれを自分の美しい母親名前にならって、「笑顔シンディプロトコル」と呼んでいます。当時の私の彼氏(今は夫(良い意味で)になりました!)もまた、陽気な人だったので、この「笑顔シンディプロトコル」の手助けをしてくれました。

とにかく、これらすべてのことをしながら時間が経つにつれて、ゆっくりと良くなっていきました。

私の症状はひとつずつ治まっていき、症状について考える時間もどんどん少なくなっていきました。

慢性疲労症候群ウイルス後遺症についての「永遠」と続く恐ろしい物語のすべてから、私は抜け出したのです。

そして、今、私の状態はすべて良くなっています

から何でも聞いてください!

できる限りの力で、私はあなたたちを助けたいのです。

パンデミックが始まり感染者たちの症状がかつての私の症状と同じであることに気づきました(信じられないことに長期コロナ後遺症は私の症状と本当に本当に同じだったのです)。

からこそです。あなたたちを助けるために、私はできる限りのことをしたいのです。


追記(午後4時30分)

少し休憩を取ります

もう少し質問に答えます!どうもありがとう

このコミュニティは本当に特別で、タイムスリップして「あなた経験していることを理解してくれる人が、こんなにもいるんだよ。見て見て」と言うために、過去自分に見せてあげたいぐらいです。

すぐに戻ってきます!!!

追記2

私は明日日曜日質問もっと答えるために戻ってきます

追記3

私は一週間ずっとここにいます

続けてください!

追記4

数か月が経ちましたが、この記事が役に立つことを心から願っています

ただ、メンタルヘルスについてのことだけちょっと追記させてください(警告:自殺についての話になります)。

この最悪な状態ストレスによって、自らの命を断ってしまう長期コロナ後遺症者についての話があります。とても心が痛いです。

希死念慮がある場合は、誰かに相談してください。あなたには誰かがいます。友人がいます愛する人もいます、私のような見知らぬ人に対して手を伸ばすことさえできるのです。

私は、長期コロナ後遺症者のための医師たちの研究が遅れを取っていることを知っています(訳注:日本海外と比べても桁違いに研究費が少ないです)。

そして何人かの友人はあなたがかつての自分を失ったことについての悲しみを理解してくれないかもしれません。

ですが、このコミュニティあなた経験していることを理解してくれますし、私も理解しています私たちあなたを愛し、あなたのことを気にかけています

そして私は、あなたが良くなっていくと確信しているんですよ。

ソース

Hi r/covidlonghaulers! I’m the one who suffered a suspected case of MERS Coronavirus in 2017, dealt with long-hauler like symptoms and recovered 100%! AMA!

https://www.re〇〇it.com/r/covidlonghaulers/comments/loe10t/hi_rcovidlonghaulers_im_the_one_who_suffered_a/

参考

redditWikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/reddit

慢性疲労症候群

https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/26-%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%81%AE%E8%A9%B1%E9%A1%8C/%E6%85%A2%E6%80%A7%E7%96%B2%E5%8A%B4%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4/%E6%85%A2%E6%80%A7%E7%96%B2%E5%8A%B4%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

戦うか逃げるか反応(Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E3%81%86%E3%81%8B%E9%80%83%E3%81%92%E3%82%8B%E3%81%8B%E5%8F%8D%E5%BF%9C

待たれる実態解明、新型コロナ後遺症公明新聞

https://www.komei.or.jp/komeinews/p208406/

追記

「〇〇」のところは「it」を置換してください。

増田はいまだに「red〇〇t」がNGワードになってる・・・? ブクマでは直っていたような・・・

追記

redditURLが貼り付けられないぽい

2021-11-18

腕前代行でウデマエXになった

許されないことなのは分かってるけど正直やってよかったと思ってる。

ガチマもエイ練習プラべもない毎日がここまで自由で楽しかったんだなって驚いてるし、それによる犠牲があまりに大きかった。

合計35000円くらい払ってS+の中盤からS+9のあと一戦でXってところまで上げてもらって、最後試合だけ自力でやって無事Xになることができた。解放されて晴れ晴れとした気分だったし、一部他人の手だったとしてもやっと求めていたものが手に入った感慨でボロ泣きした。今はもうスプラ2を遊ぶ気も失せて、プレイ動画すら見るのもしんどくなってきた。

以下、なぜ代行を使うに至ったかつらつらと書いてみる。

最初のんびり一人で遊んでたけど、しばらくしたころに通話しながらやるリーグマッチ面白いと聞いて、ゆるくマルチでやるグループに参加してみた。そこは当然ウデマエS+やXの人たちばかりで、確かにワイワイ試合をしていくのは楽しかったけど自分はどうしても何もできず死んでばかりで足を引っ張り続けてて申し訳なかった。少しでもリグマで迷惑をかけないようにしたかったので、YouTube毎日ガチマに潜ると上手くなるって言ってた通り潜ったけど結局上振れてA-が限界だった。皆は大丈夫だよ~って言ってくれてたけどどうしても自分は納得できなかったし、過去ゲームが下手だったせいで友達にきつく当たられたり、執拗にいじってこられたのがフラッシュバックしてきて耐えられなくなってきた。それでも、好きなゲームで一度はどうしても上のレベル帯に行ってみたいとその時から思ってたので苦しくてもガチマはやり続けてた。

結局そのまま半年以上A帯から抜け出せないし、自分でもどうすればいいのか全くわからなくて毎日時間ガチマが苦痛になってきたころ、月額数千円の定期指導を見つけて入ることにした。この少し前の時期から自分の中ではウデマエの高さとウデマエXになることが全てになっていてリアルもそれ以外の趣味人間関係おざなりになりだしていたし、ウデマエXにさえなれるならどんな対価も甘んじて支払おうって構えだった。ウデマエが一つでも下がったらずっとそれが頭に残って他のことに何も集中できなかったし、B帯にでも戻ろうものなら泣いてしばらく動けなくなってた。定期指導契約して継続してみっちり指導を受け続ければ、半年くらいでXになってこの苦しみから解放されるかなと思ったけど甘かった。

入ってから丁寧な指導が望めると思ってたらそうでもなかった。エイ練習の習慣をつけましょう、というのはまだわかる。TPSの基礎的なところだし。問題はそのあとで、エイ練習の習慣がついたところでガチマの試合を見てもらったり直接リグマで指導したりもしてもらったけど、どんな動きをしても講師エイしか言わない挙句、ひどいと指導時間一言言葉を発さなかったり、人格否定も飛んできてメンタルヘルスが毎度荒れてた。ウデマエはエイム力が上がったからかS+にはなったけど、こんなこともできない自分が悪いってどんな理不尽で身にならない指導が続いても全部飲み込んでた。けれど、途中で追い詰められすぎて結局気持ちが切れてしまって、この指導はすぐ辞めた。そのあとは当時定期指導を一緒に受けてた仲間や、そこにいたウデマエXの上手い人たちに沢山スプラいろはを教えてもらって、いっぱい試行錯誤して振り返って、時にはタイマンにも付き合ってもらった。正直この時期の存在がこのゲームをやっていてよかったと思える理由だし、事実人生で明確に目標を設定してそれに向かって努力するって経験はこれが初めてだったのでこのおかげで趣味でも勉強でも何かとりあえず手をつけてみてPDCAを回すようになったと思ってる。ゲームが下手糞だからできないじゃない、何かをまずやり続けて試行錯誤することが大切なんだって身をもって学べたのは大収穫だった。この甲斐あってエリアのウデマエはS+8まで乗ってもうあと少しで望み続けたものが手に入るって思った。思い込んでた。

巷で言われている通り、スプラ2のオンライン環境や編成事故は酷いし勝率調整なんかもあるのかってくらい負けるときは負けるから、X目前まで行ったウデマエはあっという間にA帯まで落ちた。ここまでウデマエが下がると、ウデマエがこの時の全てだったからどんな時もウデマエが頭にちらついて何もできなかったし、毎日エリア時間をチェックして少しでも良いステージが来たらその時の予定も課題も全部キャンセルして全部ガチマにつぎ込んでた。当然夜も寝ずにガチマやってウデマエ溶かして泣いてしばらく動けなくなるのでメンタル生活ボロボロだったし、本気で自分は何の価値はないって思い込んでて、ヘラっても仲間には話せないし、周りの人もゲームで病んでるなんて理解してくれるはずがなく誰にも苦しみを打ち明けられなかった。

さらに悪いことに、このタイミングで同じくらいのレベルだった仲間たちもウデマエが上がってきて、ついに最初自分よりウデマエが低かった人たちにX行きを先に越されてしまった。本当にこの時は数日食事がのどを通らなくてなぜ自分はXに行けないのかって落ち込み続けてたし、使える時間は当然全てスプラ練習ガチマに使った。武器もZAPからプライムに変えて、他の有償指導に頼ってやっとS+には戻ったけどS+1より上には行かなかった。

そんな時に、どんな手を使ってでもXに乗りたいと思ってネットサーフィンをしていたら見つけてしまった。腕前代行。確かS+以上はウデマエ一つにつき数千円で本体を送ったらXP高いプレイヤーが指定のところまで代行してくれるという触れ込み。ちょうどSwitch品薄の頃だったので詐欺が怖かったけど、それ以上に毎日デマエで一喜一憂するのが苦しくて生活に多大な影響が出ていたし、リアルおざなりになりすぎて大学卒業できるかも怪しくなっていた。仕方なかった。

仲間に怪しまれるのも嫌だったので最初はウデマエをS+3まで上げてもらった。Switchがない間は試験期間だとか補習引っかかって課題やらないといけなくなったって周りにごまかしたし、S+の数字が多少増えるくらいならバレないと思ってウデマエ変動もそこまで報告しないようにした。ガチパワー1700帯だったのが連勝してくれたおかげで代行後には1900を超えていたので強い味方に当たり続けてあっという間にS+5のOKラインまで行った。ただ、そのあと勝率調整が入ってあっという間にS+4のピンチまで落ちてしまったので、すかさずまた代行を依頼。今度はS+6のガチパワー2000台で帰ってきた。代行による連勝のフィーバーに乗って今度はS+8まで戻した。けれどまた、S+6に戻ってしまって鬱になった。ここまでいけるならもう昇格しちゃっても怪しまれないかなと思ってついにS+9、ゲージ昇格寸前までで依頼した。

Switchを郵送して数日後、いつも通りウデマエだけ上がった状態できちんと帰ってきた。荷物を受け取った瞬間から心拍数がいつもより早かった気がするし、あと一戦だけ頑張れば夢にまで見たXなんだって、今まででは考えられないくらい気分が浮ついてた。そのあと無事に味方ガチャで当たりを引いて無事にXに昇格した。そのときは信じられなかったけど、ロビーに戻ってXP説明を受けてXポーズを取ったとき自然に涙が出て、大声で泣いてた。夢にまで見たXがこの手に入ったって感動もあったし、同時に作り物や他人の手のXでも嬉しいんだなって自分に少し自分に冷めてた。仲間に報告したら当然代行使用を知らないので自分のことのように喜んでくれたし、おめでとうのメッセージを沢山もらってついに解放されたって身をもって実感したし、やっと皆に褒めてもらえた満足感でいっぱいだった一方で騙しているのは確かなので心苦しくもあった。まだXに行けない仲間に何かコツある?って聞かれて無難な返事をしたけど、まさか代行なんて言えるはずがなかった。

そのあと、Xに乗った仲間たちはガチマに潜って今度はより高いXPを求めていたけど、ウデマエXを手にした感動が大きすぎたのか燃え尽きたのかでXPに全く興味が沸かず、その流れで試合をすることもほとんどなくなって、気が付いたらスプラ2を起動すらしなくなっていた。もうこれでオンライン対戦も懲りたし、Xのスクショは撮ったのでスプラは近日中に売ろうと思ってる。

毎日ガチマと練習がなくなって、改めて以前までやってた趣味が心から楽しいと思えるし、勉強もきちんとするようになってその面白さを感じてきたし、2年近く何もしていなかったのをかなり後悔した。あと、ウデマエのことが頭から消えたので友達や将来のこととも向き合えるようになって現状は代行でXを強引に手に入れたメリットの方が大きいと感じてる。

有償指導に32,500円、ガチマ代行に35000円、プレイ時間2355時間

このゲームプレイして得たものもあった以上、代行使用で全く後悔していないと言うと噓になる。

【2022 9/5追記

久々にログインしたらまさか自分気持ちの整理をつけてネットの海の遠くに流すためだけだった記事が誰かにまれているなんて思わなかった。

もう本当にスプラを含めたオンライン対戦ゲーからは足を洗っていて、3も購入予定はない。

そして代行は規約違反でその時当たったプレイヤーさんに迷惑をかけていたのは事実です、ごめんなさい。

しかし、そうまでしてラベルでもいいから欲しかったウデマエXを見届けて全ておしまいにして、狂ってしまった自分メンタル日常生活を立て直したり、次に進むために手切れ金を払ってよくない手段に出た情けないいちプレイヤーが何を思っていたのかいうことをただ書きたかったんだと思う。自分でも異常だとは思うけれど、そういった意図をくみ取っていただけたければ嬉しい。

2021-11-16

anond:20211116054553

「わかっているけど止められない」は明らかにメンタルヘルス案件

ギャンブルがやめられない、痴漢がやめられない、万引きをやめられない、と同じカテゴリ

2021-11-06

ツイッターアカウントの使い分け

Twitterアカウント、昔とったのが10個くらいある。メイン垢は置いといて、それ以外を何に使っているのかの整理のためにメモ。いくつかのアカウントは設定があるのでそれもメモプロフ欄には書かなくても設定があるんです。

プログラミング勉強

昔、Twitterボットを作るためのコード結構ばらまかれていたんでそれを拾ってきて色々やっていた。特定単語に反応するところまでは行った記憶が。

それが廃れた後は、ノーコード開発ツール天気予報を一日一回ツイートとかやってた。それもサービスわっちゃったんで放置

閲覧とメモ

鍵垢、誰もフォローしないしリクエストも来ない。非公開リストに気になったアカウントを片っ端からほうりこむという頭の悪い運用。気になったツイートはいいねメモ

海外旅行時にアカウント交換が必要になった時用

一年に一回は海外旅行してたので作ったが海外アカウント交換なんて、そんなことはついぞなかった。

仕事が忙しくなってしま海外旅行封印せざるを得ず、やっと時間ができたと思ったらコロナ

大学関係者設定のアカウント

家の近くに大学があるので、そこの関係者っぽい人でTL構築。あまり書き込んでない。アカウント作った時に高校生だった人(そこの大学入学直前)がいつの間にか卒業して就職して結婚していたりする。時の流れ…

私の設定:大学関係者先生職員大学院生かは決めていない

エロアカウント

女子大生OLの裏垢とかヤリマンお嬢様女医とかヤリマン小学校教諭とか露出趣味のある人とか爆乳好きナンパ師などでTL構築。

彼氏だと思ってたら既婚だったとか、ダンナモラハラDV男とか、ダンナ浮気したので裁判とかそういう話ばかりのTLになってしまった。あと小学校先生エロ話と真面目な教育学校の話を同じ垢でやるのでそっちの話題がTLでリコメンドされる。女医さんはコロナツイート激減。なんとか生きているようなので耐えてほしい。

私の設定:不動産所得があるので働く必要が無い。ヤリ部屋で毎日のように複数セフレをとっかえひっかえ。

投資セミリタイヤメンタルヘルス関係アカウント

私は正しい人間になれなかったので、収入がなくなった時にどうすべきか?をいつも考えている。情報収集用垢。FIREなんてフリーターブームと同じだよね。

メンタル疾患愚痴吐き用アカウント

鍵垢。フォローフォロワー一切無し。リストも無し。辛いことや追い詰められた時に起きたこと思ったことを書く。幸い最近開くこともない。

ゲーム配信アカウント

ゲーム配信ちょっとだけやってたし今後も細々とやっていこうと思っているので作った。配信自体軌道に乗っていないので放置

それ以外

うどん目的でとったのかすら覚えていない。というか自分がとったアカウント、把握しきれいいるか自信がない。

2021-10-19

エロい話ばっかり書いている人

マッチングに行けばいい

メンタルの事は

増田匿名ダイアリーであり

メンタルヘルスのお医者さんじゃないです

無料相談所でもない

読んでいると

元気が吸い取られるきがする

エナジーヴァンパイアばっかりなのかな




そろそろ

ここやめようかな

2021-09-22

無償の愛なんて存在するのか

今日からお金を預かって、振り込んで来て欲しいと頼まれた。

封筒の中に入っているから、振込用紙を窓口に渡せばできるから、お願いね」と言われ、ニートの私は空いている郵便局に行った。

郵便局で振込用紙を持って窓口でお金を支払おうとしたら、お金が足りず、急いで親に電話した。

「あ、そうなの。ごめんなさい。じゃあ一旦立て替えて後から返すわね」と言われ、自分の口座から引き出して振り込んだ。

その後、車に乗って、ふと考えた。もしかして、この立て替えた分を返してもらおうって思うのはおかしくないかって。

自分高校卒業して、大学に入り単位を1個落としたこと死ぬほど辛くて、そのまま学校を辞めてしまった。

その後親のツテで見習いとして会社に入ったものの、一向に作業が覚えられなくて、しんどくなって夜逃げした。

そのまま適当アルバイトをして食いつないでいたのだが、店長からグチグチと言われるようになり仕事が嫌になって1年も持たずに辞めた。

今は実家暮らしニート、親には「基本情報勉強するから」って言ったまま、参考書を開いたり過去問を解くより、エロ動画を漁る毎日

親に迷惑をかけた。いやかけ続けている最中だし、これからも多分かけ続けていく。もしかしたら一生ニートになるかもしれない。

今まで自分にかけてくれたお金を返していきたい気持ちはあるのに、5万円も親からまた貰うのか。もしかして、気づかないうちに自分が盗んだんじゃないかって思ってる。

何にも成果を出せずにただ一人部屋にこもって2ちゃんねるなんJ人生終わ部と無職板とメンタルヘルス板を書き込むことなく、ボーッと眺めるだけの毎日

ガチャがなんだ。喘息持ちの日光に当たって汗をかくと肌がただれるレベルの子供なんて子ガチャ大失敗じゃないか

不思議死にたいなんて気持ちも起こらずに今、こうして文章をカタカタしている。一人で生きる勇気もなければ死ぬ勇気もない。

そうですよね三上さん?と自分の中に居るもう一人の自分に問いかけてみる。三上さんは今迄の人生で苦しかった思い出をすべて受け持ってくれる。自分三上さんって感じ。(三上さんの風貌キャプテン翼の見上さん)

今日から貰ったらひっそりと親の口座に振り込んでおこうと思う。それでいいですよね、三上さん。

2021-09-01

転職1日目

メンタルヘルス相談室があるとガイダンスで聞いた。

 

前々職を鬱でやめてるから、再発しないか心配なんだけど、鬱やったことあるって面接で言ってないんだよな。

守秘義務があるとはいえ、少し心配

2021-08-02

メンタルヘルス板に書くとただの弱いものいじめなので増田に書くけど

就職できないもの仕事がうまくいかないのもぶっちゃけ発達障がい関係ねぇぞ

 

ワイトはテンションブチ上がると席に座っていられないレベル重篤さで

セキュリティ責任者だったにも関わらず、施錠キー・入館証を無くす・PC書類を置き忘れる

そもそも手持ちカバン持てないという論外レベルだが

人ってどうあってもマイナス特性だけじゃなくてプラス特性もあるじゃないですか

過集中でババッと短期間で課題解決することが出来る+長時間集中+長時間労働が苦にならないので

物量でマイナス面を押し切ることが出来る

 

 

じゃあなにが障壁になるかというと "人付き合い" ですよ

 

ほんでこの人付き合いもやっぱ発達障がい関係ない

 

無理をしてでも相手に好かれよう・取り入ろうって気があるかどうかだけなんですよ

 

一応、気を張り巡らせて会社メンバー顧客誕生日は把握するしすべての雑談記憶して

家族趣味や好みは把握しておくけど

雇用主・顧客以外に特別イベント打つ気は微塵も起きないンゴねぇ

ピザパとかバーベキューとか地獄イベントっすわ

 

役員にはまぁ気はつかうけどなにがなんでも取り入ろうみたいな気迫は微塵も湧かない

役員相手がそうなのだから一個上の上司ライバル視してくる同僚なんて言わずもがな

 

ただ部下や後輩には割と優しいと思います

2021-07-29

自分自身確認のためにADHD検査を受けたが思っていた以上に何も変わらなかった件

まず、診断内容をそのまま伝えても身内は相変わらず『気のせい』扱いだし、

(かなり重たい部類なんですけどね・・・)

 

薬は劇的に効果はあったけど副作用がすごいから薬に頼らずヒャッハーをなんとかしないといけないし、

(直後に血圧心拍数が下がる・ボーとするのはともかく、翌日も血圧心拍数が下がる+めまい+倦怠感)

 

精神科は直ぐに受診出来るが生活支援指導アドバイス支援半年待ち以上だし、

 

Twitterメンタルヘルス板を見ても自分と同じくらい重たい症状の人見ないし

どう見ても自分よりも症状が軽そうなのに働けないとか言っていて『???』ってなるし、

(普通に平均以上は稼げる)

 

いや馴れ合いしてるだけやん・・・・でもこの極端な弱さも含めて精神疾患なのか?って思ってたら

ヤバ過ぎる家庭環境 や 1年くらい風呂入れないとかの激重いの見て、そういう重た過ぎる話がキツ過ぎて増田たこと思い出したり、

 

とりあえず思っていた以上に何も変わらなかった件

 

強いて言えばヒャッハーの時にとりあえず薬飲んで寝るという選択肢

薬の副作用が強いので薬以外でヒャッハーをなんとかせねばという強い意志が生まれたのは良かったかもしれない

2021-07-28

anond:20210728195146

性格に難がある程度でメンタルヘルス問題がない女をメンヘラと呼んでるほうがよっぽど迷惑だよと当事者は思う

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