はてなキーワード: スポットライトとは
AtCoderというサイトでは毎週末競技プログラミングコンテストが行われてる。競技プログラミングは算数みたいな問題をプログラミングで解くスピードを競うってやつなので興味出た人はちょっとやってみてほしい。
で、ついさっきもコンテストがあったんだけどそこで色弱には判別が難しい図が出題されたんだよね。要するに2種類の点を移動したりすることで重ねることができるか?っていう問題なんだけど、問題文の後の例題にxy座標面に赤と緑で色別された点が配置されている図が使用されていて色弱の人にとっては若干不利になる問題構成となっていた。
自分自身色弱なのもあって、コンテスト中に件の図を見たとき「うわっ」とは思ったけど問題文しっかり読めば割と対応できる範囲の不自由だったんだよね。それでコンテスト終了後にTwitter覗いてみたら、今回のコンテストの一番の話題といってもいいくらいに”色弱”が取り沙汰されていたから結構驚いた。
中にはかなりブチギレている人もいて、「企業としてありえない」等の結構強めの発言が飛び交ってる。一方で運営側は「事前に気が付くことはできなかった、そういった全てのことへの配慮は難しい」というような主張でそれがまた追いブチギレを呼んでる感じ。
俺は今回のキレている人に聞きたい。本当に困った???????
色弱って先天的な機能の不具合、障害としてはかなり軽めの方だと思っていて、いわゆる色弱に当たる人のほとんどがそれで強い不自由を感じたことはないんじゃないかな。自分自身、高校で希望制の色の検査があったときノリで受けてその時初めて自覚したくらい。自分から見ると今回のひと騒ぎはマジで日常生活に支障が出ない”色弱”に数カ月から数年に一度のスポットライトが当たった結果、鬼の首を取ったように自分のアイデンティティとして主張したくなった人達の自己表現スピーチのように見える。言い方悪いけど。
そもそもこの手の障害っていうものは基準となる一般人モデルと比較して何かが足りてなかったり向きが違ったりという状態で、そうした基準モデルから外れた存在も平等に暮らせるようにしようという思想は素晴らしいし納得できる。ただ、基準モデルから外れた存在も基準モデルと同じ待遇を受けられなければならない、受けられるべきだという主張には個人的に納得できない。いまの時代そういった「基準モデルから外れたアイデンティティ」が何よりも強い時代だからこそ、余計にそう思う。
そもそも、今回の問題って”色弱を虐げている”のかな?足が無い人にジャンプしてみろよとか言うなら、それは明確な攻撃だけど、今日は東京武道館に集まった数万人の観客にコールアンドレスポンスでジャンプを要求してるわけでしょ。そのなかに足のない人がいたなら、謝罪こそするけど別に傷つける意図はなかったわけじゃん。今回のもそう。色弱ってのは一桁パーセントだけいる基準モデルから外れたステータスなんだから、そのマイノリティを100%カバーすることなんてできないわけ。だからこそ自分の考えは「マイノリティが共生できる社会を目指していこう」であって「マイノリティが暮らせなければならない」ではないわけ。今回の騒動で次回以降は多分対応してくれるでしょ。その色弱に配慮してほしいという要望を乱暴な言葉で、直接じゃなく多くの人の目があるところで声高に主張する必要はあったのかな?
あとここからは愚痴。競技プログラミングは数学や情報系の遊びということもあっで学問の道に興味がある優秀な人が傾向として多いんだけど、結構根っこの方は子供っぽいというか感情的な発言が目に付く。よく言えば、負けず嫌い、勝負事命みたいな感じで解けなかった問題が多い回とかはコンテスト自体に対しての文句が見受けられる。今日のコンテストは運営側の想定より難易度の高い問題が多かったこともあって、たまったフラストレーションがこの色弱問題に集中した感じもある。
当時私は24か25で、週末は友だちと会ったり、都心に買い物に行ったりすることが多かったんですが、なぜかその日は久しぶりに、父と自転車で西友に行くことになったのでした。買い物のためというよりも、恒常的に太っていた父の、運動のためだったかもしれません。
スーパーから家まで自転車で10分ちょっとの道、なんとなく父が先を走り、私が追いかけていく中で、自然と父の背中が目に入って、思ったんです。
あれ、パパの背中、思ってたより小さいんだな…と。
身長170cmちょっとに対し体重は90kg近くあり、どちらかというと「大きい」印象を与える父でしたが、背中を丸めてママチャリをこぐ姿は、食卓でビールとウィスキーと焼酎をちゃんぽんで飲んで管を巻いているときよりも、少し縮んだように見えました。
父はその頃60歳近いので、多少は本当に縮んでたのかもしれませんが、小さく見える理由はそれだけじゃないこともわかっていました。私が就職したことで、私のほうの見え方が変わっていたんです。
その頃はネットバブルと言われた時期の真っただ中で、私はそんな会社のひとつに、運良く入れていました。
そこは日本ではわりと大きな「ITベンダー」とか言われる会社の子会社だったので、親会社からエラい人が続々と天下ってきていました。でも当時まだ光ファイバーはおろかADSLすらほとんど普及してない時代、Windows 95が出てから数年って時代なんで、大手ITベンダー出身のはずのエラい人たちでも、じつはパソコンをほとんど使ったことがなかったり、せいぜいメールの読み書きができる程度だったりしました。そんな人たちがいきなり、ネットの会社の役員として送りこまれてくるわけです。しかも親会社はセミナーと称して顧客集めのイベントを開いて、子会社に送り込んだ役員を登壇させ、「ネットで御社のビジネスが変わりますよ」みたいな話をさせるんです。
そこで私がやってた仕事のひとつが、子会社に来て早々に付け焼き刃トークさせられる役員のために講演資料を作ることと、講演当日のカバン持ち(会場のプロジェクターにパソコンつないだり。当時はパワーポイントみたいな大きなデータを相手先に送るのも、容量制限でできなかったりしたのです)でした。私自身もその会社に入るまでネットにほとんど触ったことのないニワカだったので、資料作りといっても実際はもっとコアな先輩社員に依頼してネタ出ししてもらったりする、窓口的な役割です。
そんな、ニワカな私がニワカな役員をサポートする不安な構図だったんですが、講演はそれなりに(多分)好評で、親会社主催のものだけでなく外部のイベントに出張っていくこともありました。大きなホテルの「なんとかの間」とかの華やかな壇上で、スポットライトを浴びながらネットのビジネス活用を語る役員たちは、頭頂部が多少ハレーションしていても(だからこそ?)、いかにもエラい人っぽく見えました。エラい人「っぽい」だけでなく、ニワカであっても数百人を相手に堂々と話ができる、それは一朝一夕には身に着けられないスキルだと今でも思います。
大企業出身のエライ人たちはトークができるだけでなく、部下の扱いも丁寧で、いや私が若い女だからということもおそらくあったのですが、とにかくそういった講演サポート業務の後は、「お礼」と称して素敵なレストランなどに連れて行ってくれました。私はただ窓口になっただけなので、と言うと、じゃあネタ出ししてくれた人たちもみんなで、となり、ずいぶん大人数でごちそうになることもありました(それが会社のお金だったのかポケットマネーだったのかは不明)。
そんなわけで私の会社の人たちは、上司も先輩も同僚も、そこそこ大企業文化の中にいて、都会慣れしていました。「肩で風を切る」ってほどじゃないにしろ、少なくとも必要なときには背筋を伸ばして堂々と振る舞える、そんな人たちが、いつの間にか私にとっての「普通」になっていたのです。
それに対し父は、そんな平成っぽいスマートさとは無縁で生きてきました。そもそも、なぜ私が父を「パパ」と呼ぶことになったのかまったく理解できないような「おとっつぁん」的な風貌だし、人前で話す機会があるとしたら会社の朝礼か親戚の法事くらい、しかも話がムダに長くてつまらない、と家族の中で有名でした。素敵なお店なんか結界が張ってあると感じていたらしく、まれに家族旅行で伊豆のホテルに行ったときには、入り口から赤いじゅうたんが敷いてあることにおののき、「あのー、この、じゅうたんの上、歩いていいんすけ?」(いつも語尾がモゴモゴしている)と質問して失笑を買った、とか、ファミレスでアイスクリームを注文するときに、「フレーバーを選ぶ」という概念をまったく知らず、「えーこの、バニラ・チョコレート・ストロベリー・アイス、頼んます」と全フレーバーを読み上げたとか、そんなエピソードには事欠かない人なのです。
そしてその日も、うら若い娘とお出かけの機会だというのに、会社の作業服だか私服だかわからない、着心地だけが最高の服装で、ボロボロのママチャリに乗って、西友に行くくらいしかできないのです。
でも私は、だからといって、父の存在が恥ずかしいとか、引け目を感じるとかいうわけでもないな、とも思いました。
むしろ、その小さな背中にかかっているものの重さを、改めて感じたんです。
岩手県の奥地でだいたい10人兄弟の3〜5番めくらいに生まれた父(兄弟姉妹の半分くらいが子どものうちに亡くなってるのでいろいろ曖昧)は、中学校を卒業すると集団就職で上京し、小さな運送会社に入りました。最初は15歳で運転もできないので、助手として荷物の積み下ろしから始めて、18歳で免許を取って運転手になり、20代でその運送会社の社長の娘と結婚、30代で子どもが生まれ、それが私の姉と私になります。姉が生まれたあたりから、家族は会社のすぐそばに住むようになり、姉と私は毎日、祖父や父、社員の人たちが働く姿を見ながら育ってきました。
祖父の会社はオイルショックとかいろいろありながらも、高度成長期とバブル景気でそこそこに拡大、多いときは社員(「若い衆」と呼称)数十人を抱えるまでになりました。祖父は会社の仕事より、地元の運送業の顔役的なことをメインでやるようになっていたので、成り行き的に父が現場の切り盛りをしていました。
でも90年代、バブル崩壊以降は会社の業績が右肩下がりになり、銀行からも貸し剥がしを受け、頻繁に資金がショートするようになっていました。高度成長期に「若い衆」だった運転手さんたちも実際はもう全然若くなく、平均年齢50歳くらいになっており、お子さんがいる人たちもたくさんいました。2021年の今と違って景気は悪く、ネット通販からのドライバー需要も発展途上で、万一倒産した場合、ベテラン運転手さんでも簡単に次の仕事が見つかる見込みはありませんでした。
これがドラマだったら、私みたいなネット企業で多少の経験積んだ娘が家業に乗り込み、会社をITで立て直し、引いては業界全体を改革していく…となりそうなところです。でも、そうはなりませんでした。まず私自身、いきなり乗り込んで何か改善できるという自信がなかったし、何ができるかもわからないのに親のコネで会社に入るなんて、社員の人たちに申し訳ないと思っていました。また祖父や父には、私に苦労をかけたくないという思いもあったのだと思います。
なので私としては、今にも倒れそうな会社というボロボロの自転車を、とにかく倒してはいけない、続けなきゃいけないんだという思いで漕ぎ続ける父を、ただただ後ろから、見守ることしかできなかったのです。
高価なスーツを着てスポットライトを浴びることもなければ、お洒落なレストランに部下を従えていくこともない父だけど、私はどんなに誇りに思っていることか。
西友からの帰り道、緑道にかかる橋をのろのろと上っていく父の背中を見ながら、パパの子どもに生まれて本当に良かった、と思いました。
ホス狂とV豚が似てるみたいなエントリちらっと見たけど両方通って今V豚の人間からするとホストとVtuberはそもそもの形態が違うと思ってる
ホスクラって結局お店で楽しいだけにお金が発生してるわけじゃないんだよな
営業LINEとか店休会うとかアフターとかそういう境界線の曖昧になったプライベートも売り物で、定価の10倍以上する酒の中に溶けて見えなくなってるだけ
ホストというコンテンツがあるとしたら、それはお店でお金を払うことで初めて消費されるものだと思う
一方でVってこちらがお金払わなくたってコンテンツとして消費できるんですよね
スパチャに狂ってる人は配信=金投げる場所みたいな感じだしわたしもそうだけど、そもそもは無料でいいわけよ いくら投げたってあれはオプション
って考えるとそもそもスパチャに見返りを求めてることに疑問を覚える
なぜ不安になるか、焦るか、それは自分の個であるという立ち位置が脅かされるように感じているから
スパチャを投げる時、広い劇場の座席でひとりスポットライトを浴びているみたいな感情になるのかもしれないけど、実際はファンというレッテルを貼ったおおきな籠の中で光る蛍みたいなものなんだと思う そもそも
たくさんいるファンの中で個でありたい、特別になりたいというのは既に傲慢な願いであって、それを金を払うことでどうにか許してもらおうとしているんじゃないんですかね
好きな人の中で特別になりたいって感情を否定する訳ではないけど読み上げ云々自体がVの好意であって、そこに縋ったり甘えすぎたり過度に期待したりしてはいけないと思うんだよな
金払ったんだから!みたいなのが1番最悪だし
たとえば読み上げ普段してる人がたまに忘れたりやらなかったりした時に病んだり文句言ったりする人とか
あとたぶん自分:推しっていう構図を見ながらもどちらかと言えば自分:自分以外のオタクっていう構図の方をめちゃくちゃ見ていて、(同担拒否だったら)嫌いなはずの同担たちの評価をめちゃくちゃに気にしてるからなんだよな
これはオタクに限らずホス狂でもそうだけど、本人の挙動より同担の一言一句に気狂いがち
でもホストの客って多少痛い言動してても金出してる方が基本上に立つんですよね
札束で殴り合うという文そのものというか、自分の立ち位置を金で捻出し、叶えられる場所がホストということ
つまりホストの客とVのファンはそもそもの形態が違いすぎるんだよな
最終的に付き合うとかそういうことではなく特別であれるかという点で
ガチ恋が推しの中で差別化を図れる点って実際見える数字か(ワンチャン)顔面かみたいなところあるからそこに縋るんだろうなと思う
普通に今の界隈で月のスパチャ額いちばんかつガチ恋でもなんでもないからめちゃくちゃ楽しいなって思ってるけどそういう感情が混ざってくるとしんどくなるんだろうね 監視もまあまあいるし
ホストが手を伸ばせば掴めそうな距離感にいるけどどこまでも遠いことがコンテンツとしての形だとしたら、Vtuberはその逆なんじゃないですかね
それだけです
欧米の過激左翼の人達、トランス女が女子スポーツから排除されることにブチ切れがち。頭がおかしい人達が世界を牛耳っている。
そもそも女子が男子と一緒に競わないのは性差によるどうしようもない体格差が存在するからで、分けないと女子アスリートには一生スポットライトが当たらないからだ。例えば100m走の女子世界記録よりも男子高校生世界記録の方が速い。わざわざ女子を切り出しているのは女子アスリートにも脚光を浴びる機会を設けているからなのだ。
生物学的男が女子スポーツに参加するというのは、この大きな前提を無視し、最近流行りのLGBTQ+の権利のみを主張したワガママこの上ないことである。
大の大人が自分が15歳以下だと思うからとU-15に参加するのは不公平だ。無差別級のボクサーが自分は軽いと思うからと軽量級の試合に出るのは不公平だ。生物学的男が女子枠に入るというのはこれと同じことだ。いくら自分が女だと思っていても生物学的には女ではないという事実を受け入れるべきだ。
チ。という、地動説を扱った漫画があって、確かこのマンガがすごいでも2位を取ってた、面白い漫画なのだが。
天文に明るいインテリ増田もそういうのよくわからん普通の増田も楽しめるようになっていて、その3巻を読んだ勢いで日記を書いているのだが。
人間の命なんてものは世界の真理の前にはちっぽけなもので、それでも挑む手段として、意思のバトンを託していく。
このはてなの毎日読んでいるはてなブックマークも、最初にエンジニアが2005年に作ったものを、2009年に書き直して、2015年くらいにまた書き直して、そうやって別の人の手で書き直されて受け継がれて残っているもので、
そういう大きな流れに寄与できるというのは、とても素晴らしいことだと思う。
地動説のような崇高そうなものでなくとも、家族を作るとか、後進を育成するとか、その手の活動に敬意を感じるのは、人間のプリミティブな感覚なのではなかろうか。
なぜ人を殺してはいけないのかくらいプリミティブな感覚の話だと思うが、三大欲求やマズローのようなわかりやすいフレーミングがなされていないため、世の中的にそこまでコンセンサスはない気がするけれど。
個人の内面を尊重する流れで家族内や学校・会社内での文化の継承は軽視されがちだけれど、そこにカウンターとしてこういう作品にスポットライトが当たるのは、いいことだ。
演説中に誰かに質問を振り、その人が誤答したり分かりませんと答える事を利用して
流れとしては
「えっと…分かりません」
「知らないよねぇ?そうですよね。なんと○○は日本でn番目なんです!」
という流れ。
こういう人は質問をされて踏み台にされる側の気持ちを考えた事はないのだろうか?
目上の人間が目下にやる事とはいえ、さすがに失礼極まりない行為だと思う。
この手法はテレビ等のメディア出演者もよくやっているが、あれとはやり方が決定的に違う。
彼らは楽屋で挨拶したりスタッフ・共演者で打ち合わせしたりした上で
誤答役としっかり根回ししてやってるという事が分からないのだろうか。
色々な心の声をグッと我慢して「いやー分からないですね」とやっているが
内心はらわたが煮えくり返っている。
しかもこの手の人は、指名された人が正答すると非常に機嫌が悪い。
「増田ってあの程度のことも知らない奴なんだな」と便乗して貶してくる場面まである。
かといって周りにも分かるほどの「露骨なバカなフリ」だと「失礼だ!」という怒り方をされる。
どうしても茶番がやりたいなら「ここでこう言ってね」と前置きがあれば
こちらも心置きなく「おおー凄いですね!」と褒め倒すが。
個人的にこれは「親が人前でまるで謙遜するみたいに子どものことを下げて
子どもが内心親の言葉に傷ついてしまう」の事案に似ていると思う。
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最近、立て続けにこの手法を取る演説者に遭遇したので、つい書きたくなった。
厄介な事にほとんどの人はどうも優位に立とうとか貶そうという意図はなく、天然でやっていると見受けられる。
やはり私もサラリーマンであり相手は偉い人なので残念ながら直接言うことはできない。
昨日同僚にそれとなく漏らしたらどうやら同じ事を思っているようだったので、自分だけではなさそうだ。
シン・エヴァンゲリオンは私にとって完璧なエンディングだった。
言うべき人が言うべきセリフを言い切って、みんなが解放されたと思う。ただ一人を除いて。
女子校に通いアニオタ声優オタ腐女子として目覚め、それらを順調にこじらせていた真っただ中だった。
そりゃドはまりするわ。謎めいた舞台装置は厨二病をこじらせた根暗な女子にはドストライクだった。
はまって、はまって、毎週ダッシュで学校から帰ってきて、18時だったか18時半だったか、録画もしつつ必ずリアタイしていた。
(今思えばウテナと前後した放映で、よくよく当時のテレビ東京の夕方アニメ枠は頭おかしかった)
前半は惰性で見ているところもあったが、物語が進むにつれてのめりこむようになった。放映時のことは今もよく覚えている。
MAGIにハックしかける使徒とその迎撃は、PCなんて持っていなかった私にこんぴゅーたーかっこええ!と思わせるに十分だった。
バルディエルのぐっちゃーのシーンが放映された日、夕飯は焼肉でさすがにちょっときつかった。
ミサトさんと加持さんの例のシーンはぴったり夕食時で(夕食時に食卓で親の前でエヴァ見るなよ、と今なら思う)、
母親から冷たい声で「あんた、いつもこんなん見てるの?」と言われたトラウマは今も忘れない。あれが私の冷や汗デビュー。
高校の声楽の授業でヘンデルのメサイヤ歌った時は22話のアスカのことを思い出して最高に興奮した。
でも私がひそかに熱狂していたのは、個性の強いメインキャラやストーリーそのものではなく、オペレータの日向マコトの存在だった。
上記イロウルによるMAGIハックの回ではやや出番は多かったが、基本的にセリフも少ない。
マヤちゃんほどキャラが立っているわけでもなく、人柄を掘り下げられることもない。
(が、ロン毛の青葉シゲルよりはやや目立つあたりがまたいい)
そんな彼に一瞬強いスポットライトが当たったのは、24話。いわゆるカヲル君の回。
カヲル君がセントラルドグマに降下していき、管制室に緊張が走る中で当初のプランどおり自爆を考えるミサトとのやりとり。
ーーーーー
ミサト:初号機の信号が消えて、もう一度変化があったときは・・・
マコト:分かってます。その時はここを自爆させるんですね。サードインパクトが起こされるよりはマシですから。
ミサト:すまないわね。
ーーーーー
日向くんはミサトが好きで、そのためなら死んでも構わないと、すこし掠れた声で決意を伝える。
が、そもそもミサトは加持さんと付き合っているのはネルフ内でも自明で、つまり日向くんの恋は叶わないことが前提だった。
劇中で恋心はちょいちょい漏れていたが(そしてEOEで彼のLCL化を導く使者はミサトの姿をしていた)、明確に伝えたのはこの時だけで、
盛り上がるストーリーと逆に一瞬だけ静寂が訪れるこのシーンが、ミサトと加持さんの例の直接的なシーンよりも大人の世界に見えて、
14歳のあの時から今に至るまで消えない記憶として残っている。
私は報われぬ恋をしている日向くんに、ミサトではなく正面を向いてひとりごとのようにそっと告白する彼に、恋をしたのだ。
そんな日向くんは新劇でも登場はしたものの、TV版や旧劇で見せたミサトへの恋心を表に出すことはせず、
新劇だからあの片思い設定もなくなったのか、ま、尺の問題もあるだろうししゃーないな、と思いつつ見ていたところの、今回のシン・エヴァンゲリオンだ。
物語終盤で特攻するためにヴンダーに残るミサト。彼女を一人残して脱出ポッドに乗るクルーたちが映る。画面右に日向くんもいた。
そのシーンで残ったミサトを思い、自分も残る、と言ったのは、日向くんではなくQから登場した新キャラの長門っちだった。
いやいやいやいやいやいや、ちがうだろ、いや、ちがうだろ。そこは日向くんでしょう。そのセリフを言うなら日向くんでしょう。
画面にいるじゃん、長門っちの右にいるじゃない。いや、長門っちも思わぬ感じでいいけど、
でもそこに日向くんがいるのよ、なぜ彼がそのセリフを言わないの?
いや、新劇はTV版とも旧劇とも関係ないから、この世界線なら日向くんはミサトのこと好きじゃないしそんなセリフ言わない、ってことかよと一旦は自分を納得させた。
が、その後私を待ち受けていたのはTV版も旧劇も貞本漫画版すらもすべて包含した、完全なるエンディング。
繋がってるのかよ!!!!TV版と!!!!旧劇と!!!!!お帰り惣流の方のアスカちゃん!!!!
だったら日向くんの恋心はどこいったの?なぜ、彼にこそミサトのもとに残りたいというセリフを言わせてくれなかったの?
日向くんはね、ミサトが加持さんとの間に子供生もうがなにしようが、もうそういうのに左右されないんですよ。
そんなことはとっくに受け入れて覚悟して、仕事に生きるミサトを部下として支えていこうって決めて、ネルフからヴィレまでずっとついてきているんですよ。
彼女も作らず結婚もせず、日々仕事(というには壮大だな)に忙殺されながらも、ずっとそっとミサトを見守ってきたんですよ。
あのバイザーをつけて髪形を変えて自分を捨てて頑なに艦長として生きざるを得なかった14年間のミサトにずっと寄り添ってきたんですよ。
加持さんが死んでミサトは一人になったけど、そこに付け入るとかじゃなくてただそっと寄り添ってきたんですよ、メイ見たもん!!!
もうおっさんになってプラグスーツ着るの恥ずかしいだろうに、がんばって着ちゃうくらい覚悟決まっているんですよ。
(完全に余談だけど予告編でプラグスーツ着るシーン見て鼻血出たよね)
なのに最後の最後にすら、日向くんに思いを語らせてあげないなんて。そのシーンが無いならともかくあるのに!なんで!
見終わった後、エヴァがこんなに見事に完結した余韻と、その中で唯一成仏しなかった日向くんの恋心を思い、私は虚脱状態になった。
そしてこのエントリーを書くことでやるせなさを供養しようと思っていたのだが、はたと気づいた。
叶わぬ恋だからかもしれないけど、決して自分の気持ちを押し付けることはなかった。
だから今回、ミサトの意思を尊重して脱出することこそが、彼の愛をそっと示す行為だったのではないか。
一緒にいたいとかそういう意思表明をするなんて表層的なことではなく、もっと深い部分で愛しているからこそ何も言わず、指示に従い下船したのではないか。
14年前からこの時までの長い時が、彼の恋を愛に変え、その最終的な結実があのシーンだったのではないか。
「日向くんが何も言わない」というシーンを見せるために、敢えて他のキャラにセリフを言わせたのではないか。
日向くんの恋心は消えてなんかいなくて、ちゃんと成就したんだ。
私が好きだった、他の人を好きな日向くんは、ちゃんといたんだ。
【前提】これは刀ステのほぼ全演目を時にライビュ時に配信時に現場で見た上で基本的に末満さんとはセンスが合わないと思っているオタクによる悪口である
【おことわり】
・嫌なら観るなについて→刀剣乱舞のファンとして「今度こそは」の期待とか一度追いかけ始めたものから退却できないサンクコスト効果とかで引くに引けないんですよ
(1)長い。中だるみする。ちょくちょく挟まれる殺陣のせいで話が分からなくなる。
しょっぱなからアレですがこれは仕方ないと思う。上演時間ありきで脚本作るから。
殺陣については私のアクション適正が低い。アクションを見慣れてない人間って殺陣が始まると
・「とおけんだんしが敵とたたかってるー!がんばえー!」くらいにIQが下がる
・戦闘の背景にある対立構造、誰と誰が何故(何を賭けて)戦っているのか等の情報を認識できなくなる
刀剣乱舞を題材にしている上殺陣を特に売りにしてるステで殺陣を減らすわけにも行かないのも分かるのでこれも仕方ないとは思う。アクション適正上げてから来いってね。
(2)台詞が頭に入って来ない
末満さんの詩情が体質に合わない(完)
これに尽きてしまうとは思うんだけどもう少し悪口を。末満さんって滅茶苦茶台詞量多くないですか?一つ一つの台詞も長いし。青空のような人ってなんやねんいいこと言ったような雰囲気で無理矢理まとめんなて。
筆者は小説でも長い台詞や長いモノローグを嫌うのでマジで合わない。長台詞はここぞの一回くらいしか許されないと思ってる。心情の説明を台詞やモノローグに頼るのならもうそれは物語の形を取る必要はなくて増田で長文語りしとけよって思う。舞台で物語をやるのなら、物語の展開からキャラクターの心情を追えるように手を変え品を変え尽力するのが職人の仕事だと思ってる。
(3)複数ラインの物語を同時並行する割にそれらが交錯しない。一つの物語でやる必要あった?一時間の舞台二個やればよくない?って思う。
①秀頼と一期の「自分は誰であるのか」という物語…秀頼「自分は秀吉の作った天下の上のお飾りに過ぎないのではないか。自分が本当に秀吉の子であるかも定かではない。自分は本当に天下に立っていていいのか」→太閤から秀吉との繋がりを保証された上で「これはわしの戦だ!」・一期「弟がいてようやく成立する兄としての自己像以外に依って立つところがない」→「歴史を守るのが私の使命だ」(一期の物語誤読してるかも。すまぬ)
②弥七や真田信繁の「歴史に抗いたい」物語…しにたくヌェ〜〜ってやつ。序盤家康が「お前の知るわしがわしの全てではない」(物語は語り手の視点や恣意に影響され、ある事柄を完璧に語り尽くすことは不可能)からの諸説の可能性の提示からの決められた物語に納得いかね〜〜俺は後世のお前らの語る歴史のための駒じゃね〜〜俺の闘志を無かったことにすんじゃね〜〜ってやつ
関連性のない複数のストーリーラインが(殺陣や長台詞をガンガン交えて)同時進行するからま〜〜〜〜じで集中力途切れるし作品全体も散漫な印象になる
あと細々したところで家康の戦への欲求とかね。正直家康のあのキャラ付けは加州の見せ場作りと三英傑の物語やりましたってアリバイ作りのためとしか思えない。ちなみに戦への飢えについての話は義伝でもうやってんですよ……再利用かよ……
諸説に逃げて生き延びればそれで良いってなんか随分控え目だけどそれこそミュのみほとせの信康みたいにコソッと逃げればよくない?弥七が言ってた通り諸説の余裕があるならその余裕に自力で滑り込むことは可能では?史実を守る本能に導かれた刀剣男士にナイナイされちゃうの?そっかあ……
「生き残りたいポン!」「諸説に逃げるポン!」「俺らを助けるオリジナル刀剣男士作るポン!」「だから逸話集めのために刀剣男士斬るポン!」「だから派手にドンパチ起こして刀剣男士誘い込むポン!」って論理の飛躍を感じる。
(5)物語の恣意性、物語無き物の物語、無かったことにされた物語についての話はもうやってるんだよなあ……
ミュのむすはじとあおさくでやってるんだよなあ……
今作で特に別解を出したわけでもなく、ただ無かったことにされた物/者たちの憤りにスポットライト当てたところで終わってるし
三日月と山姥切国広と結の目となんやかやを巡る時空SFっぽいやつ
ようわからん(完)
基本、作中の本筋に関わらず、また作中で解決されない謎って作品鑑賞のノイズになると思うんですよ。ステはこの謎と三日月の行く末を全作品を通してのサブストーリーにしていますが。
ちゃんと考察しつつ追ってればワクワクするんだろうけど。いや連載モノなら○○編をやりながら全体としてはワンピース探したり黒ずくめの組織追ったりするのが普通なので別に刀ステが下手打ってるとは言い切れませんが。
ただね〜〜〜〜やけに難解だし時系列スターウォーズ形式だし末満さんは意味深キーワード大好きだしですっきりしなすぎて私にとってはノイズなんすよ。公式で解説本出してくれ。図解してくれ。
そもそも作中での情報開示渋ってファンの考察に委ねるのやめてくれ。本能寺再演で左右逆とかキャス変にも意図があるとかそういうのほんといいんで……そういう場外戦が許されるのはエヴァだけなんですよ……
まあ昨今はインターネットやSNSのお陰で場外戦が盛り上がりやすくなっているから、そういう作り方もアリ寄りのアリなんでしょうが……
ツイッターで考察読んでもいまいちわからんってか読む気も失せるのよ……結の目ってなんなんだよ……
「史実に存在してはいけないもの」を登場させたから物語内で回収しないといけないのは分かる。でも集団自決からの無駄死にって雑じゃね?てか登場させる意味あった?物語ある刀剣を遡行軍が回収したポン!って次作への伏線のためか?
これはどちらかというと過去作、悲伝や慈伝への悪口ですね。維伝以降大分気にならなくなった。登場されるためだけの登場シーンが多いし「このシーンは大般若じゃなくて小夜の方が当人の性格や来歴踏まえて相応しいだろ」(キャラは適当です)みたいなシーンが頻出してた。
今回はまあ……主人公の一期とそれを支え受け止める弟二振り、一期とシンクロしてアイデンティティに悩む秀頼、一期と秀頼に秀吉のことを話してなんかいい感じにする太閤、江戸の終わりに物語を持つ者として江戸を始めた家康に対峙する加州、今回の主人公ではないけどシリーズの主人公である山姥切国広という具合でそれぞれに役割があったかな。宗三は必然性に劣るけど、一振くらい作品中の葛藤から距離を置いて渦中のキャラを諌めたり助けたり話を進めたりするゲリラサポーターキャラがいるのは悪いことじゃない。
(9)加州顔濃ッ
ごめんて
ごめんけどキュートでけだるく飄々とした加州というキャラクターからキュートが抜け落ちてただのハンサムになってんだよな〜〜〜〜いや演技は良かったよ全然加州だった
ただ加州っぽい媚びがなかった。まあ主の前じゃないから当たり前だけど
ただただHandsomeになっていた
「愛されっこないよね」とか言われても「せやな……お前は多分愛する側やな……」って言いたくなるくらいハンサムだった
【よかったところ】
ステアラをよく活用してた。クライマックスの360度の戦闘を次々見せる場面はとても華麗だった。
弥七が健気でかっこよかった
「スポットライトを浴びる」というのは、元からそういうリスク込みの話じゃん
世界の誰からも全肯定されるなんていう方がなろう系の小説ばりに安っぽい
こいつもU25の奴もそうだけど、「有名になりたい」って承認欲求だけは一丁前のくせに、なんでそういうところの想像力がえれー貧弱なんだろう
もう呆れるほどに笑えちゃうんだよな
政治家だって誰からも支持されてるわけじゃないし、それこそアンチには人格否定と区別がつかないレベルで叩かれてるのに
まあ舞台に上がってもまともに踊れない奴が舞台に上がるべきではないというのは確かにその通りで、昔なら「身の程を知れ」の一言でその辺うまいこと回ってたんだろうけど、今じゃそういうわけにもいかないからな
まあそんなにそいつの世話が焼きたくてしょうがないんなら「お前の望みもブレブレじゃん」ってきちんと説教してやったらどうだよ
個人的にはあれ笑えねえわ
チケット80枚買ってスポットライトを浴びる何者かになる、という目標をものの見事に達成しちゃってる
その点で言えば「80プペルニキ」としてバズった時点で大成功なわけ
笑うなんてとんでもない、祝福しちゃうよ
そりゃまあ確かに笑う人も多くて、この注目っていうのはいわゆるネットのおもちゃみたいなもんなんだけど
ぶっちゃけ方向性の間違った努力がこれだけネタになったんだから、何も反応がないのに比べりゃ十分報われたと思うよ
それに世間から注目されるということがどういうことか、今ツイ垢に鍵かけてる件の人も、それがわかって本当によかったんじゃないかな
情熱を絶やさずにいれば、そのうち笑って振り返れる日が来ると思うよ
新型コロナウイルス感染症が猛威を奮っているさなかではあるけれど、これまでの人生で屈指の贅沢体験をしたので書いてみます。
まず、宝塚歌劇団雪組トップスター、望海風斗さんをご存知でしょうか。
妻がドはまりしている宝塚のなかでももっとも気に入っているスターのひとりでいま最もチケットがとれないと言われているスターです。その望海風斗さんの退団公演が今年の1月1日(正月!)からはじまっているのですが、退団公演ということもあって、ファンクラブに入会している方でもチケットをとるのに難儀しているそうです。妻もチケットをとろうとさまざまな経路で応募したり模索したなかで唯一、だめもとで応募していた旅行会社の宿泊プランとセットが2席分とれたというところから今回のはなしがはじまります。
うちには0歳児がいるので最初は自分が家で面倒をみて友達と行くのだとばかり思っていたけれどチャイルドルームに預けられるからということで一緒に行くことにしました。自分よりも強く観たいと思っているファンにも取れない人がいると思うと申し訳なさを感じつつも当代随一のスターの舞台を観る最初で最後のチャンスという思いです。
自分は大劇場は観劇するのは初めてですが(観劇する妻に同行してロビーで本を読んで時間をつぶしたことはある)、よくよく聞いてみるとこれがなんとSS席でかつ、セットになっている宿泊というのも帝国ホテル大阪。
帝国ホテルといえば、日本でもっとも格式の高いホテルのひとつ。一度、東京で間に合わせで日比谷の帝国ホテルのロビーにいたときはその異常な空間ぷりその場にいる人間の立ち居振る舞いから階層の違いを実感したのを憶えています
ちなみに、大阪帝国ホテルはまったく別で道頓堀そばのビジネスホテルなのでご注意ください。大阪帝国とは・・・。
そんなこんなで観た雪組公演「fff フォルティッシッシモ」はなかなかよい作品でした。
ストーリーは、音楽家ベートーヴェンは失恋や孤独、失聴に苦しみつつも、なぜ交響曲9番歓喜をつくることができたのか、というもの。そんなに構えずに観に行ったんだけれど、とてもよい人間賛歌でした。ネタバレになるので詳しくは書かないけれど、これは演劇でしか表現できないだろうという仕掛けがいくつかあっておもしろい。あるシーンでの2人のセリフは、Linuxをつくり世界を変えたリーナス・トーバルズの「それがぼくには楽しかったから」を彷彿とさせました。
シルクロードをテーマとしたレビュー(宝塚では、ストーリーの演目と合わせてストーリーがほぼないレビューと呼ばれるショーが上演されるのが定番なのです)は音楽提供を菅野よう子がつとめなかなか見ごたえ聞きごたえがある。これは、チャイナドレスのシーンがインパクトがあってすごかったのとグレーのサテン地の変わったスーツがかっこよかった。
そしてSS席ということで席が前から一桁列目。めちゃめちゃ近い。出演者をほんと間近にみることができてDVDでは気付けなかった衣擦れ音や舞台後方でのざわめき、スポットライトにゆれるミスト、また月並みだけれど息遣いまでも感じることができました。銀橋(という観客席に一番近い細い舞台)を通る出演者のライトを受けてきらめく装飾の細かさや顔の小ささなど、観劇に際して得る情報量がDVDとは桁違いです。ただ、近すぎるからか音響の問題か、声が逆に聞き取りにくいシーンもありましたが。
あと、近くのSS席の観客が何度か同じタイミングでサッとオペラグラスをとりだしたり、拍手タイミングがわからなかったり、幕間に泣いている方がいらっしゃたりと普通じゃない感がありました。
緊急事態宣言下でどうなるかはわかりませんが本公演については2月8日(月)に楽天TVでLIVE配信があるので興味があればご覧ください。
https://tv.rakuten.co.jp/content/366230/
そんな観劇中、我が子は4時間4千円で預かってもらったチャイルドルームにて機嫌よく過ごしていたとのことで安心。駐車場からも劇場からも近くたいへん便利です。しゅっとピックアップして、桜ノ宮の帝国ホテル大阪へ。
観劇後の夕食については0歳児がいる上に、新型コロナウイルスもあって外には食べに行けないので悩んだのですが、せっかく帝国ホテルに行くということとSS席で気も大きくなっているところ張り込みました。
ホテルには前首相の桜の会で話題になったあの久兵衛があるので握りをテイクアウトして部屋で食べようかと思ったのですが、参照していたネット上のメニューが古く握りの持ち帰りはしていないとのこと、さらに、一つしかない個室があいているとのことでここを予約。個室は最低でも16,500円(サービス料別)の握りのコースからということでしたが子がこれから動き回るようになると行けるお店も相当に限られるだろうことから自分を納得させて決行。
これは最高でした・・・。四畳半ほどの掘り炬燵で子がいても気にせず食べることができました。
特に、見た目も美しいさより、吸いつくようなすみいか、未知の味がした寒ブリ、直球のうに、味がする甘鯛(?)、ほっとするような煮はまぐり、異様な旨さのある大トロの炙り、謎のねっとりとした半生のえび、端正なカツオ、箸休めのダイコン、塩味の穴子もたれの穴子も充実。かっぱ巻きと鉄火巻もよい。
大阪府の要請で21時閉店とのことでややせわしなかったのですが、濃い時間でした。。ビールも日本酒もよい。
うっかり持ち帰りの太巻も頼んでしまってお会計は45000円を越えてしまいました。2人で食べに行ってのぶっちぎりの新記録です(次点は入籍した日に訪れたイタリアンで9000円のコースを頼んだものの妻がワインを飲みまくって3.3万円となった日でしたがこれは3-4時間くらいいたので時間別では圧倒的)。
さらに最後までお店にいたことで板前さんに家族写真も撮っていただけました。
ここの撮影の合図はめちゃめちゃ笑えます。久兵衛経験者の一部しか知らないだろうので心の中にしまっておきます。
そして泊まった帝国ホテル。チェックインして部屋に荷物をおいてすぐ久兵衛にいったのでよくみれなかったけれど、部屋もよいしフロントの方の対応もさりげなく素敵で気持ち良い。
頼んでいたベビーベッドもテレビの前に鎮座されているし布団もしっかりしていてよい。
お風呂も熱くて広くてよかった。妻は買ってきたビールを4缶ほどあけてご機嫌。
自分は泊まるところどこでもよいと思っていたけれど、ハイブランドなホテルはちょっと違う。分不相応感の居心地の悪さはありますが。
ちなみに、ホテルの案内で知ったけれど、ルームサービスでコース料理5,600円、久兵衛のにぎりも7,300円からあるので(それぞれサービス料が+10%)、なにかハレの日にコロナの影響を避けて非日常を過ごすのによいかもしれません。
朝食は11時まで、事前にお願いすれば部屋に運んでもらうことも可能だったけれど、混んでそうな時間をさけて10時半ごろにいきました。ゆっくりできて便利。オムレツが火入れも完璧なうえにケチャップが別添えなのが高得点です。ただ、パンとコーヒーは凡庸な印象。あとあと、すらっとしたカトラリーがよかったので調べると燕市のトーダイさんとのこと。チェックアウトも12時だったのでゆっくり過ごせました。
宝塚と帝国ホテルのセット券は妻のポケットマネーから支出されており、金額は教えてもらえていませんが24時間で異常な額のお金を使ってしまいました。ただ、充実した時間でした。新型コロナウイルス感染症と戦っている医療現場、行政のみなさま、経営や生活に大きな影響を受けている観光や小売りや関係産業の方々には悪いと思いつつの消費です。これが今年の贅沢納めかもしれません。しかし寿司がうまかった・・・。
ミュージカルは帝国劇場で行われるものを中心に、1公演平均3回程度の「にわか」です。
ミュージカル女優を夢見て上京したのにコロナに巻き込まれ、機会を損失してしまった
いいえ、私はあなたではないので「あなたの」気持ちをあなた同様にわかろう筈もないのですけれど。
私はミュージカルが好きです。
「レ・ミゼラブル」が「ミス・サイゴン」が「キャッツ」が「ウエスト・サイド・ストーリー」が「コーラスライン」が好きです。
舞台にあがる役者さんが、役者さんを照らす照明が、舞台転換のたびに目まぐるしく変化する大道具が、舞台を飾るオーケストラの演奏が、劇場が、案内をする人が、お土産を売る人が、劇場をメンテナンスする人が大好きです。
様々な人が登場し、恋にときめき、人生を呪い、笑い、そして時には運命に翻弄され命を落とします。
何が運命を分け隔てるのでしょう。
皆必至に生きていると言うのに。
『コーラスライン』という「線」を越えることが出来る人と、越えることが出来ないのは一体何故なのでしょう。
みんながスポットライトを、称賛を、磨いた技術と共に浴びたいと願っているのに。
どんなに望んでも、手に入らないものがそこにある。
どんなに悲しんでも、手の中に「あった」筈のものが失われることもある。
離したくない手が振りほどかれ、愛しい人の命が奪われる。
ミュージカルは何度もそのことを伝え、それでも「生きてゆくこと」の大切さ「生きてゆくこと」の尊さを、ミュージカルは伝えてくれるのです。
人生は思い通りにはなりません。
あなたがミュージカル女優の道を目指しているのなら、この苦難を是非「糧」にしてください。
若干炎上するような書き方になるかもしれませんし、受け入れ難いかもしれませんけれど、あなたは今まさに人生という名の劇場で、ミュージカルの舞台で起きているような波乱をその身で体験しているのです。
いつの日か舞台でスポットを浴びたとき、今、あなたが体験している苦しみや悲しみ、底なしの絶望が、あなたの演技に「深み」を与えてくれますように。
そしてこの苦難が1日も早く過ぎ去りますように。
あなたの「機会」を少しでも損失させないよう、私もまた協力します。
”
悔やまない 選んだ道が どんなにつらく
この日々が 報われず過ぎ去ろうと
泣かないわ 好きだからこそ 命燃やした
この日々に口づけして別れよう
ああ この愛を胸にいだき
明日を生きよう
躊躇わず思いのままに
すべてを捨てて
生きた日々に悔いはない
この道をひたすら
ああ この想い胸にいだき
別れ告げよう
(悔やまない)好きだからこそ
(命燃やし)すべてを捨てて
生きた日々に悔いはない
ひたすらに この道を
”
画質が良い。デカくて見やすい。12のデザインの方が好きだけど特に気に入らないところもないので指紋認証が出るまでは見送る。
もりもりにしたけど結局コロナ禍に入ってしまったので仕事で特に使えず。でも憧れのMacが手に入ったので何でもいい。M1より多分性能低いけどまあいい。
価格は覚えてない。サルサデラックスの赤の機内持ち込みサイズ、サルサデラックスのブラウンの4泊くらいのサイズ、チェックインの青を買った。旅行需要が下がってしまってか、かなりのお安い価格だったのでありがたい。
結構な潔癖症なので、他ブランドiPhoneケースは革製だったり布製だったりでアルコール除菌したら痛みそうだなーと思ったので結局RIMOWAにした。革製などに比べてかなり安かったし、iPhone11 Pro Maxのサイズが用意されてたのがありがたかった。
コロナが流行る前の1月にフランスに出かけた際に買った。手汗が気になるのでバンドー(持ち手に巻く布)も買ったけど、これも含めてかなり気に入ってる。今年はハイブランドが値上げ値上げの年だったので同じものが日本だと現在35万なので良い買い物をしたなーと自分では思ってる。
マグリットインスピレーションの中が青空の柄になっているパスケース。本当はバッグが欲しかったけども、冗談みたいな鞄に6桁後半は出せないので諦めた。
私が入る部屋の全部の窓にUVカットシートを貼ってもらって、自室の壁紙を張り替えて、ピクチャーレール引いて、天井に穴開けてライト5個増設してスポットライトをつけた。壁紙も最後まで悩んだけども本当に満足がいく出来になってずっと話を聞き続けてくれた担当者さんには感謝しかない。
8.Apple Watch Series 5(5万)
iPhoneと繋ぐとすごい便利!通知が腕に来るっていう一点のみに於いて最高に便利。
成人式のお祝いにもらったカルティエのタンクフランセーズが動かなくなったので正規店にての修理でこの値段。Apple Watch新しく買えるじゃんと思ったけども、こういう時計も1つはあったほうが絶対良いだろう…と思って修理代出した。
ジム通おうか悩んだけど、ジムではマスクをつけなきゃいけないって聞いて家に置けるスペースあったからいっそ買うか〜と思って買った。
貧乏性だからデパコスのボディクリームなんか買ったらちまちましか使えんわって思ってジョンソンのポンプ式のやつ。不可がないってだけでもう良い。
14.ANOVA (2万)
小林銅蟲先生が使ってるANOVA、ずっと家に居るからと思って思い切って買った。まあまあ良い。
15.コストコの会員権(1万)
コストコってやっぱりテンションあがっちゃう。チーズと牛タンブロックとキッチンペーパーが良かった。
1月にフランス旅行に出かけた時に買った飛行機のチケット。やっぱりめっちゃ快適で良かった。
来年もいっぱい消費していきたい。
なんかTwitterで呟くとフォロワーに感染症やばいのに劇場よく行けるなぁって思われたくないのでここに日記。
まず手と靴裏の消毒と検温と、劇場内私語厳禁(すごい厳しい)、最前席空け、ステージ近い人はフェイスガード、時間差退場、物販通販、で感染症対策はちゃんとしていたことを明記します。
かれこれテニプリにハマったのは今年の5月ぐらいの話で、テニミュに全く興味がなかったんですが、こんな時代に家にいる時間が増えに増えて見事にアラサーにしてテニミュ初参戦となりました。しかも新テニミュから……。
2.5舞台自体は何回か見ていて、テニミュといえば若手の登竜門だなぁと思っていたんですが、新テニミュはちょっと違った感じでした。高校生組と、特にコーチ陣がものすごい歌が上手い。テニミュかなこれ?別の舞台かな?ぐらい。新テニミュ新キャストさんたちも下手なわけじゃなく、どんどん上手くなってることを肌で感じることができるですよね。これだから舞台に通うのやめられない……。
新テニも連載が始まって長いので特にネタバレとかには配慮しないんですが、今回スポットライトが当たったのは大和vs手塚、入江vs跡部だったんじゃないでしょうか。自分のためにテニスを楽しむといういい意味で子供らしさを取り戻せた手塚と、それを導いた大和部長、劇中歌で互いのリスペクトが重過ぎてジンジンきました。しかし手塚が小さく見えるマジック。大和部長でっか!
一方前者に比べ入江と跡部の試合は全く爽やかではありませんでした。入江くんは中の人の関係でどうなんだろ〜凱旋が本物の中の人来ちゃうから……と思っていたらこれがその心配を覆すほどにすごい。入江の演技の演技、かわいさの中の圧の強さの表現、ものすごいです。もう一回見たい。入江の実力に対抗して進化を続ける跡部の跡部王国の完成、まさにドラマチック……泥臭く齧り付く跡部様が見たい人にオススメです。生の人間だとますます跡部様を応援したくなります。
負け組、黒ジャージ組も居たわけですが、え?!このキャラ出すの?!という人がちらほら……。なんだよ公式そういうの書いておいてくれ……。ボーイズ(バックダンサー)だと思うけどやっぱそれっぽく見える演技力すげぇ!ってなりす。真田いた。松明は持たなかったけど。一言で持っていった名演技。負け組の出演は一応お楽しみってことで伏せておこう。この日記誰も見ないだろうけど!
以外書き散らし
鬼ニキ超かっこいい抱いて
鬼ニキvs桃ちゃんの試合中に跡部の横でわさわさする金ちゃん(やや睨まれる)
極妻泣かせ そとみちおにいさん すげぇ
そとみちおにいさん「テニスに逆転ホームランはない」(当たり前体操)
クラウザーめっちゃ嫌がってたのにクラウザーの仇を討つ!って言い始める赤也くんは結構天使 あと尻が可愛い
白石のオサムちゃんの回想死んだ人みたいになってて一人で笑った(誰も笑ってなかった)
やや聞いたことのあるリズムのえっくしーの継承ありがとうございます
個人的に獅子学もっと掘り下げてくれ〜〜〜〜いいけど〜〜〜〜〜さ〜〜〜〜〜
スポーツマン狩りやるんだ…しかしなんてパワハラ(?)特訓なんだ こんなん仕事だったらやめてるぞ
金ちゃんの筋肉がタンクトップだから余計目立ってバキバキだった
三船コーチが桃ちゃんと金ちゃん両脇に従えてるの可愛かった 「顎」って言われてちゃんと顎乗せる金ちゃんはかわいい コーチも可愛いって言ってた かわいいね
いやクラウザーでっか……
徳川くんと対戦できて楽しそうなリョーマはかわいいし鬼ニキと対戦できて楽しそうな金ちゃんもかわいいので可愛がりたい気持ちがよく分かった
なんかまだある気がするんだけど思い出したら書きに来る
東京公演は12/24でおしまいで、これから彼らは大阪公演に向かうわけですが、本当に何事もなく終わって欲しい。東京凱旋もちゃんとできますように。G20が登場するの楽しみだなぁ
歴史について学んでほしい!知ってほしい!みたいな崇高な目的を持って描かれてるものじゃなく
まんが日本の歴史シリーズみたいに教科書代わりの役割があるわけでもなく
2chで見たけどあの国にこんな風習があるってマジ?面白w知らんけどwってノリで
ツイッターやpixivも影も形もない時代に個人が趣味で落書きして個人サイトに上げてネット民が勝手に見てた漫画で
歴史や国民性のどこにスポットライトを当てるか、どこを描かないか、どの国をメインにするかなんていうのも個人の趣味だから好きにすればいいし実際好きにやってることだったのが
商業展開した以上はそうも言っていられなくて責任みたいなのが出てきちゃうんだろうな
今は特に考証しっかりしないとデマを吹聴して煽動したみたいに言われるんだろうし
めんどくさいことになったな