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はてなキーワード: 内定とは

2021-07-16

木屋町にあるキャバクラ黒服仕事をしていた その3

 この体験を経て、私はある理解を得た。「正しい戦略は、その時々の環境文脈空気によって異なる」ということだ。世の中にはいろんなルール常識、慣習があるけれども、それらをストレート適用すべき場合もあるし、必要ならばかなぐり捨てないといけないこともある。

 アブラハム・マズロー欲求の五段階ピラミッドの人)の『完全なる経営』にこんなことが書いてある。

‟彼らの心理学によると、最善の思考や最善の問題解決ができるかどうかは、問題を含んだ状況を、期待や予想、憶測などを交えることなく、この上なく客観的な態度――先入観や恐怖、願望、個人的な利害などを交えない、神のような態度――で見ることができるかどうかにかかっている。…(中略)…解決すべき問題とは目の前に存在する問題であって、経験によって頭の中に蓄えられた問題ではない。頭の中に蓄えられた問題は、昨日の問題であって今日問題ではなく、また、両者は必ずしも一致するものではない‟ p.129-130

さら範囲を広げれば、家庭生活、すなわち妻や夫や友人たちとの関係についても、この方法を当てはめることができる。各状況における最善の管理方法とは、各状況において最もよく機能する管理方法のことだ。どの方法が最善であるかを見きわめるためには、予断や宗教的な期待を排した、完全な客観性が求められる。現実的な知覚は現実的に行動するための必要条件であり、現実的な行動は望ましい結果を生むための必要条件なのだ。‟ p.132

 マズローは、物事ありのままに見つめて、現実的に考え、行動することが成功への鍵だと言っている――と私は解釈した。

 イケメン先輩は結局、条件付きの免職処分になった。黒服が嬢と付き合った場合の店への罰金50万円と、Tちゃん彼氏への慰謝料として50万円、計100万円を返済したら辞めるという処分だ。店長は、翌日のミーティングの席において、みんなの前でイケメン公言した。「約束を破ったら組に売る」と。店に対する裏切り行為は許さないという態度を明白にしたのだった。

 これと、上の引用文がどう関係あるのかというと……この後すぐ、私と同学年のアルバイトの子が、S店の備品を盗んでいたのが判明した(立命館大学に通っていたので、以下リッツとする)。定期的に、ヘネシーなどの高級酒(そのうち廃棄される飲みかけ。キッチンに置いてある)や、午後の紅茶炭酸水チーズその他をくすねていたらしい。その犯行を見つけたのは、皮肉にもイケメン先輩だった。

 そのリッツは、イケメン先輩の時と同じく、閉店後に一番奥の席につかされた。最初の数分は、あの時と一緒だった。坦々とした、もの静かな事情聴取だ。その近くにM主任が座っていたのも同じだ。

 違ったのは、私も主任と一緒に丸椅子腰かけいたことだ。リッツ普段の行動に関する参考意見を述べることになっていた。

 別にリッツは、良くも悪くもない、普通の奴だった。口数は少なかったけど、まあ真面目かなという印象だった。サボっている様子はないし、店の女の子に声をかけるなどの御法度もないし、当日遅刻や欠勤もなかった。

 でも、人間とはそういうものなのだ。裏で何をしているかからない。人間言葉ではなく行動で判断すべきという金言があるが、それでも不十分だ。どんな人間にも裏がある。

 10ちょっとが経過した。私の供述も上の通り述べていた。その間、盗んだ物の確認と弁償代の話をしていたように思う。お店で無くなったとわかっているもの時価8万円相当(私の個人的計算では3万円~4万円相当)とされて、ほかにも盗まれた物があると仮定して、倍額の16万円を1か月以内に弁償すれば警察被害届は出さないという内容で決着した。

 最後店長は言った。「リッツ君。今日最後の勤務日だ。もう来なくていい。けど、ほかのお店に情報共有とかしないから、働きたかったら別のキャバで働いてもいいよ。今回は残念だったけど、また成長したあなたの姿を見たい。それで、いつかまたお客さんとしてうちに来てくれたら嬉しい」という言葉でお開きになった。

 当時の私は、「おかしいのではないか!?」と思った。当時のS店の黒服に課せられる罰金額は、記憶の限りでは以下のとおりだ。

・当日遅刻 5,000円

・当日欠勤 10,000円

窃盗その他の犯罪 250,000円+被害

・嬢と交際した場合 500,000円

・店の売上に影響するトラブルを起こした場合 時価(これが上記慰謝料

 リッツ規定どおりの罰金を科されなかった。被害額のみだ。しかし、イケメン先輩は規定どおりの罰金のうえボコボコにされている。

 当時の私は腑に落ちなかった。後に推測したことだが、店長には以下のような思考順序があったのではないか

リッツを殴って、25万円+16万円を請求したうえで脅す(イケメンと同じ対応

リッツ立命館大学学生課もしくは先輩もしくは親に相談する

相談先が交渉の窓口になる

罰金は減殺される可能性が高い。警察通報されたら逮捕リスクあり。

 上記①~④が成り立つならば、リッツに対して甘い対応をするのが正しい。そう読んだのではないか

 店長は、自他の権益に対してストレートな人だった。取れるモノはきっちり取っていく。悪く言えばがめつくて、善く言えば組織のことを考えている。

 今回の件だと、警察被害届を出してもS店には一銭も入らないし、リッツ問題行動を起こしたことをほかの店に情報共有するメリットはないし、彼がほかの店で問題を起こしても当店には関係がないし、リッツが負い目を感じていれば社会人になってからS店でお金を使うかもしれない。

 ※社会人になった今では、このような考え方は極めて短期的かつ自己本位的なものだと感じる。木屋町風俗営業を行うすべての店の利益を考えれば、リッツ警察に突き出すべきだったし、他店にも情報を共有すべきだった。こうした当たり前のことができないほどに、風俗業界というのは生存が厳しい世界なのだ

 憶測だが、店長には過去に痛い経験があったのかもしれない。16万円でも十分に得をしているからそれで済ませる。そういうことだ。

 一方で、イケメン先輩は、いわゆる「身分がない」タイプ社会人だった。だからルールに則った対応を採る(暴力のうえ正規罰金を課す)のが正しかった。

 私は今、地元広島地方公務員をしている。この仕事は、公平とか中立とか平等が叫ばれる業界ではあるが、確かに市民企業を公平に扱わないことが正しいケースがあるのだ。例えば、地元を盛り上げる活動をする部署が大きいイベントを開催する折には、成功キーパーソン及びその所属団体に対して相応の便宜を図る。近年の例だと、「全国菓子大博覧会」や「広島てっぱんグランプリ」といったものだ。

 上記の「成功キーパーソン及びその所属団体」について、関係者を良好な立地に出店させたり、相応の額の契約を用意したり、行政組織要職に就けたりする(教育委員など)。

 一般市民企業不公平に扱いたいからやっているのではない。公平に扱うのが長期的には一番正しい戦略なのはわかっている。これは、組織目的を達成するために必要不可欠な過程であると上の人間下の人間も判断たからそうなっている。

 反対に、戸籍課や税務課や医療課などの住民対応を行う部署においては、「融通が利かない」などのクレームをどれだけ食らっても、ひらすらに法律や要領に従って仕事をやり続けるのが正しい戦略ということになる。特定の人をひいきしても自治体にとってのメリットは薄いし、逆に訴訟リスクがあるからだ。

 キャバクラでの仕事は正直キツかった。嫌なお客さんには絡まれるし、たまに一気飲みを要求されるし、人が殴られるのを見ることがあるし、ホールに立ちっぱなしで足の裏が痛いし、キッチンものすごく忙しいうえに鼠とゴキブリだらけだ。

 でも、勉強になった。夜の歓楽街での仕事が、今の地方公務員としての自分の糧になっている。あの時、求人情報誌を開いてよかったと今では思える。



大学回生

 この春から時給は1,800円になった。昇給の際、店長からは、「お前以上の時間給をもらっている大学生は木屋町にも祇園にもいない。お前を評価している。就職活動中もシフトに入ってくれ」と言われた。※多分これが目的で時給を上げたのだと思う。これまでと違い、昨年比で増えた仕事もないからだ。

 この辺りからシフトに入ることが少なくなった。これまでは、週に4日、たまに5日という具合だった。でも、公務員試験勉強もしないといけないので週に3日の勤務になっていた。

 時間はあっという間に過ぎていって、夏が終わる頃に内定を得た私は、「自由だあああぁぁ!」とばかり、夜の街で遊びまわるようになった。

 私には小さい名誉があった。木屋町先斗町のいろんなバーに行ったが、S店で黒服をしています、付け回しの仕事を任されていますと言うと、大抵の店員さんや夜の街の常連の顔つきが変わるのだ。「こいつはやばい奴だ」という顔をする人もいれば、軽蔑した視線を向ける人もいれば、逆にすり寄ってくる人もいた。

 バーにはよく行ったが、キャバクラにはほとんど行かなかった。S店で働いているとわかったら追い出されるリスクがあったからだ。それに、私はKFJ京都風俗情掲示板)のお水板において、当時木屋町で№1とされていたS店で何年も働いている。お客さんに「おごってやるから来いよ」と誘われて他店に行ったことはあるが、なかなか満足がいかなかった。S店の子接客されたことはないが、それでもわかる。歴然とした『差』があった。

 今思えば、承認欲求というやつが足りていなかったのだろう。シロクマさんの本で言うと、「認められたい」というやつだ。当時は、自分をスゴい奴なんだと思いたかった。実際はぜんぜんそうではなかったし、逆に、本当にスゴい奴ほど自分を大きく見せたがらない。

 そういう人は飽きているのだ。ちやほやされることに。褒められることに。子どもの頃から自分パフォーマンスの高さを周りに認められるのが当たり前だった。だから調子に乗ったり、偉ぶったりしない。それだけのことだ。

 11月になった頃だった。M主任退職することになった。時期は来年の3月。田舎に帰るらしい。

 トラブルを起こしたわけではない。円満退職だ。夜の業界で7年も働けば、体はボロボロになる。普通は3年もてばいい方だが、M主任はそこまで働いて、十分すぎるほどの結果を出していた。私は「今までありがとうございました」と、お店の終わりに2人だけになったところで伝えた。

 この時のM主任言葉脳裏に刻んであるし、忘れた時のために日記にも取っている。重ねて言うが、この記事でところどころの描写がやたらと詳細なのは大学生当時の日記ベースにしていることによる。

 以下、M主任言葉になる。

「おう。〇〇ちゃん、お前もな、元気でな。ええけ?(※方言が入っている。いいか?の意味)〇〇ちゃん仕事ができる奴になれよ。仕事ができんかったらな、人間は終わりやぞ。どこに行っても生きてかれんようになる。仕事だけはな、ちゃんとやって一流になれよ。お前もこの店で何人も見てきたんやないけ、どうしようもない根性なしの連中を。ええけ? お前は悪い奴じゃない。でもな、どっか気が抜けて、間抜けなところがある。そこが好きなんやけどな。とにかく、仕事ができるって言われるようになれ。俺からお前に言えるんはそれだけや」

 呑みに行きましょう、と誘うつもりだった。でも、誘えなかった。私の中で、M主任はそれだけ偉大な存在だった。神だった。神を呑みに誘うことはできないのだ。

 その翌日。営業時間中の夜10時くらいだったか店長ともう1人、灰色スーツを来た人が紙袋を携えてS店にやってきた。「ちょっと時間あるか」と、上の階にある事務所に連れて行かれ、その人から名刺を渡された。

 このS店の母体である芸能事務所の人だった。取締役ナントカ部長だった。ソファに座らされてからの話の内容は端的で、「私を社員として採用したい」という話だった。

 部長の話には説得力があった。説得力要諦とは、ロジックにあるのではない。本人が持つ、その考えや判断への自信や信仰、そして意見を伝える際の胆力や粘りの強さが、本人の口を通して迫力となり、相手に伝わることで説得力生まれる。

公務員はこれから厳しい時代になる。お金問題ではない。本質的意味で割に合わなくなる。

あなた就職する自治体初任給は16万円だ。うちは基本給だけで26万円出す。

・S店での働き次第では本社に来てもらう

日本芸能界を盛り上げる一員になってほしい。それだけの才がある。

・お客さんも仲間もあなたを支持している

 今思えば典型的リップトークだ。なぜかといえば、上の内容の半分以上は私をほかの人に置き換えても、ちょっと修正するだけで通用するからだ。

 でも、当時の私は大学生だった。この時すっかり、S店で働こうか、それとも地元公務員になろうか迷い始めていた。もし、これが公務員試験を志す前であれば、この会社で働いていたかもしれない。

 特に最後にやつ。あれにはやられた。部長ソファの脇に置いていた紙袋から手紙を取り出した。十枚ほどの。小封筒に入った、そのひとつひとつを私の前にゆっくり差し出すと、それが――すべて嬢から手紙であることがわかった。

「〇〇君。試しにひとつ開けてみて」

 ある嬢からの簡潔なメッセージが入っていた。「これからも〇〇さんと働きたい」「〇〇さんに店長になってほしい」「卒業してもいなくならないで」。こんな言葉が認められていた。

「もうわかるね。〇〇君はみんなに慕われている。社会あなたを認めている。こんな大学生、ほかにいないよ」

 部長はA4サイズの用紙をボールペンとともに手渡してきた。

 『雇用契約書』とあった。裏面には雇用条件的なものが書いてある。これを片手に取って私は、ボールペンを握りしめた。

 右上に日付を書いて、ずっと下の方にある住所欄に個人情報を書き始めようとする。ボールペンをあてどなく前後に振って、書くのを静止しようとする脳と、書くのをやめたがらない右手が小さいラリーを繰り返していた。

 私は思い切って、ボールペンを紙面に押し付けた。そして、インクが紙に付いた途端――心臓から流れ出た血が、冷たい何かとともに押し戻されて、再び心臓へと逆流するのを感じた。私の指先は動くのをやめた。

 その場で立ち上がって私は、「残りを読んでから決めます」と告げて、手紙を抱きかかえてS店に帰ろうとしていた。事務所の扉を開けて出る時、舌打ちのような音が響いた。

 手紙ほとんどはテンプレートだった。ひな形がきっとあって、嬢はそれらを真似ている。そういう罠だった。手紙はぜんぶで11枚あって、その中でテンプレでないのは3通だった。そのうちひとつを挙げると、ヘタクソな文章で、私のこれまで4年間の行動や仕草がつらつらと書いてあった。

 私に対するポジティブ言葉も、ネガティブ言葉もあったけど、この3通の手紙には共通していることがあった。「地元に帰っても頑張って」。そんな内容だったかな……? 初めに読んだ1通はTちゃんからだった。

 彼女ハーフで、日本語がそこまで上手くはないのだが、それでも一生懸命な筆跡だった。何度かミスって修正液で消した跡があった。Tちゃんらしくて、不器用だけど愛が籠った手紙だった。

 一昨日それを読み返した時、ふいに涙が零れた。

 あの部長姑息な手を見抜いてから一週間後、私は2月末でS店を辞める旨を店長に告げた。残念そうにしていたけど、これは当然の結果なのだ

 私は地元公務員として働く道を選んだし、芸能事務所だって私が本当に欲しかったわけではなく、おそらくはM主任の代わりとしてだった。もし本気ならば、大学4年生の春までには声をかけている。

 最後の勤務日は静かだった。普通職場だと、辞める人には花束贈呈とかがあるんだろうけど、S店にそういった慣習はない。ただ普通に、最後の客が帰って、照明の光度を上げて、ホールキッチンを片付け始めて、嬢がみんな帰って……。

 最後に、このS店に初めて来た時に見た、この分厚い扉を閉める際に、「お疲れ様です」と小さく呟いた。私は、夜が明けてほんのりと水色の空が見える河原町通りへと歩みを進めていった。

(次が最後です)

 https://anond.hatelabo.jp/20210716220545

2021-07-14

本多氏のどこがここまでの非難処罰に値するほど問題なのかわからん

立民・本多氏を党員資格停止へ 不適切発言処分

 

立憲民主党は13日の常任幹事会で、性交同意年齢の引き上げを議論する党会合不適切発言をした本多平直衆院議員比例北海道ブロック=への対応協議した。

発言は「党の名誉、信頼を傷つけ、党運営に著しい悪影響を及ぼすもの」として、1年間の党員資格停止とする処分案を党の倫理委員会に諮ることを決めた。

本多氏は既に次期衆院選北海道4区公認内定しているが、処分が確定すれば取り消される。

会合後、福山哲郎幹事長は記者会見で「性暴力被害者の皆さまを大変傷つけたことについて、心からおわび申し上げたい」と陳謝した。

本多氏は5月10日の党会合で「50歳近くの自分14歳の子性交したら、たとえ同意があっても捕まることになる。それはおかしい」との趣旨発言をした。

その後、本多氏は発言謝罪撤回福山氏は本多氏を口頭で厳重注意したが、与野党からは「極めて不見識」(公明党山口那津男代表)などの批判が噴出したため、立民は「ハラスメント防止対策委員会」で発言内容の調査をしていた。

一方、本多氏は「党内議論の決定を待って、一日も早く説明の場を設けたい」とするコメントを出した。 

そもそも性交同意年齢は現在は13歳なんだから、「50歳近くの自分14歳の子性交したら、たとえ同意があっても」ってのは合法なんだよ。それ忘れてない?

しか個人的には13歳は低すぎるだろって思うけど、人によって考え方は違うんだから年齢引き上げに異論を唱えたら即アウトってのはありえないだろ。

法改正のために合意形成をしようって話なんだから合意形成過程でいろんな意見が出てくるのは当然で、それを「あってはならないこと」って言うんだったらすでに合意形成は終わっていないといけないでしょ。

(たとえ合法であっても倫理的にアウトなことってのはあるよたしかに。でもそれはやはり倫理的にアウトであるっていう合意形成必要なのよ。)

外国では常識とかって言うけど、日本では常識じゃなかったか法改正が遅れてたんで、それを常識にするための合意形成をやっていこうって話じゃないの?

それなら異論を唱える人間排除したり社会的抹殺するんじゃなくて、ちゃんと順序立ててていねいに説明して納得してもらうべきなんじゃないの?

「ここでいう「同意」っていうのは日常語じゃなくて同意能力のことを言っていて、14歳がたとえ外形的に同意してもそれはかくかくしかじか理由同意とみなすことはできない、と考えるのが妥当だ」「この法改正法益そもそも性犯罪に対して「同意があった」という言い逃れが多すぎる問題改善するために~」とかってちゃん説明すればよかったんじゃない?

これ、大人ローティーン性交したい、とかいう単純な話じゃないよ?同意能力はいかなる概念か、とか、本件の法益は何か、とか、刑罰による人権侵害を含む不利益法益とのバランスは適切か、とか、自己決定権尊重と性被害防止とのバランスは適切か、とか、難しい問題がたくさんあるんだよ。議論すべきことはいっぱいあるんだよ。そんなに簡単はいかない。

たとえばさ、性交同意年齢を28歳にしようぜ、って話が出たらどうする?

でさ、どっかの議員が「50歳近くの自分が27歳の子性交したら、たとえ同意があっても捕まることになる。それはおかしい」って言ったとして、それに対して今回みたいなリアクションはまず無いよね?

なんでかって、それは「50歳近くの自分同意の上で27歳の子性交する」のはまあ本人同士がいいって言うならありなんじゃね、っていう合意があるからだよね?

28歳は極端だけど、20歳、19歳、18歳って下がっていくと意見分布がどんどん変わっていくよね?

「ありなんじゃね」から場合による」になって、「まずありえない」になるよね?

「16歳」って年齢についてそういう合意をこれから作っていこうって話じゃないの?

「いや50歳と27歳だってキモすぎるから党員資格停止しろ」っていうならもう同意年齢、60歳にしちゃえばいいんじゃない

2021-07-13

anond:20210608114355

続報でたなぁ

立民・本多氏を党員資格停止へ 不適切発言処分

7/13(火) 17:49配信

 立憲民主党は13日の常任幹事会で、性交同意年齢の引き上げを議論する党会合不適切発言をした本多平直衆院議員比例北海道ブロック=への対応協議した。

 発言は「党の名誉、信頼を傷つけ、党運営に著しい悪影響を及ぼすもの」として、1年間の党員資格停止とする処分案を党の倫理委員会に諮ることを決めた。

 本多氏は既に次期衆院選北海道4区公認内定しているが、処分が確定すれば取り消される。

 会合後、福山哲郎幹事長は記者会見で「性暴力被害者の皆さまを大変傷つけたことについて、心からおわび申し上げたい」と陳謝した。

 (中略)

 一方、本多氏は「党内議論の決定を待って、一日も早く説明の場を設けたい」とするコメントを出した。 

https://news.yahoo.co.jp/articles/61601f44fee82ccb542d8d2a3544f77a7d3fa033 (時事通信)より引用

「1年禊すればいい」は教職暴力犯罪者再就職禁止からみると短すぎるとおもいますしもうちょっと重くすればいいとおもう

「(立憲民主)党の中でならみんな味方してくれる」へえ~そうなるのかな

2021-07-12

プログラマ向いてない

SESで4年、自社開発の会社で2年目

年収400万

プログラミングはもともとそんなに好きじゃなかったんだと気付いた

プログラマになる前にちょろっとVBA触るくらいなら楽しかったんだけどな

今では立派なコピペコーダーです

今の会社提供してるサービス全然興味持てない

内定がなかなか出なくて焦って決めちゃった

やってれば業務に興味わくかと思ったけどそんな事なかった

もし自分スキルが伸びたら本番障害対応に駆り出されて深夜に電話かかったりするっぽいのもマジで

基本いい人が多くて人間関係は悪くない

最近仕事が嫌で仕方ない

サボりまくって迷惑かけて死にたくなる

辞めたいけど新しいプロジェクトが始まっててそこそこ仕事量があるので辞めにくい

ぶっちゃけ俺いない方が早く進むのではって感じだけど…

あと貯金もないし次の仕事を決めれる気がしない

30すぎてるのに何もスキルがないヤバい

全然違う仕事がしたいけど怖い

職業訓練を調べ始めている

溶接とかやってみたい

給料は下がるだろうし、そもそもコロナ仕事あるのかな

31歳未経験転職できるのか

仮に仕事見つけても続くかな

怖い

さようならサンドバックのあなた

就活が終わった。

想像していたよりずっと良さそうな会社に滑り込むことができた。

何よりもこの就活を支えてくれたのは、私にベタ惚れで就活中ずっとサンドバックになってくれた人だった。

かのぼること2年、私はバイト先の偏屈な先輩に興味を持った。

バイト先で店長によく怒られているけどなんだかんだ長くこのバイトを続けているようだった。

この環境が好きなのかと思えば、全然他の人となじまない、バイト終わりに皆でご飯とか誘っても来ない。

最近彼氏マンネリで、バイトゼミに追われてストレスまみれだった私は、ストレス発散にその先輩を落としてみたいと思った。

ちなみに私の顔は可愛いとかではない。よく言えば能年玲奈のすべての顔パーツを半分ぐらいのサイズにした顔。

ただ、先輩はいかにも女に免疫のなさそうな感じの人で、理由もなく私にも行けると思った。

どうやって近づいたかとかはあまり覚えてない。

バイト先で怒られるたびに慰めてみたり、無邪気なふりして近寄ってみたりしたんだっただろうか。

面白いぐらいに仲良くなっていき、簡単に落ちた。

私に惚れた先輩は、私を可愛い好きだともてはやし、苦学生らしいのにご飯やらお酒やらをおごってくれた。

バイトも忙しい、ゼミも忙しい、でも誰も褒めてくれない、先輩のちやほやが私の自尊心を満たした。

酒の勢いで寝たりもした。

一度そこら辺が崩れるとそこら辺の貞操観念はぐちゃぐちゃだった。

だんだん私もほだされてきて、彼氏と別れて乗り換えるべきか?とか考え始めた。

しばらくして、先輩が大学卒業して都会へと引っ越していった。

先輩のバイト最後シフトの日は、寂しくて泣いた。

でも、これを良い機会だと思って、さよならお元気でと言った。

先輩がいなくなった状態で、私の就職活動が始まった。

とにかく地獄のようなスケジュールだった。

財布の都合でバイトシフトは減らせない、何なら地方学生だったので、移動費がかかる。バイトは休めない。

ゼミゼミ課題が山積していたし、教授就活理解がなくて、まったく融通を聞かせてくれなかった。

その結果、0時までゼミで頑張って資料をまとめ、朝の4時までESを書き、2時間だけ床で寝て風呂に入り、7時台の新幹線に飛び乗って、自由席が空いていなかったらデッキで座って寝落ちした。

体力は限界、そこに次々に飛んでくるお祈りメール

祈りが来ないことなんてザラで、みん就で「連絡来たー」みたいな嘘か本当かわからない投稿で、ああ落ちたんだとわかって心をえぐられた。

心も体も限界で、先輩に連絡を取った。

ちょうど私の就職活動先と先輩の家が近くだったので、ホテルの代わりに毎週のように先輩の家に上がり込んだ。

全然就活ゼミもうまくいかないんだと、またバイトから早く戻らなきゃと、愚痴を言っては慰めてもらった。

先輩は卒業後も私を覚えていてくれたようで、再現なく私のわがままに付き合ってくれた。

全てのストレスをぶつけて、自傷的に先輩と寝る日々。

就活がうまくいかないと、この世に必要とされていないような気がして死にそうだった。

今思えば不幸に酔っていたとも思うんだが、その当時はすべての空白を先輩で埋めようと必死にもがいていた。

6月のある日、ダメ元でエントリーしていた会社から内定を得た。

私の就活が終わった。

その瞬間に、一気に先輩への興味が失せた。

そんなことにも気づかずに、私のご飯の誘いを入れて来る。

不快まりなかった。

内定を手に入れてメンタルが無敵状態になった私のとって、先輩はただの人生の汚点になった。

そのタイミングで、就職が決まったことを機に、彼氏プロポーズをしてくれた。

「私やっぱり彼氏のところに戻るわ」と、LINEで一文送ってブロックした。

その後、もう会ってない。

私が就活中に生きていられたのは、まぎれもない先輩のおかげだ。

先輩には私のことなんて忘れて、さっさと幸せになってほしい。

いつかきっと私は報いを受けるのだろう。

さようならサンドバックのあなた

就活が終わった。

想像していたよりずっと良さそうな会社に滑り込むことができた。

何よりもこの就活を支えてくれたのは、私にベタ惚れで就活中ずっとサンドバックになってくれた人だった。

かのぼること2年、私はバイト先の偏屈な先輩に興味を持った。

バイト先で店長によく怒られているけどなんだかんだ長くこのバイトを続けているようだった。

この環境が好きなのかと思えば、全然他の人となじまない、バイト終わりに皆でご飯とか誘っても来ない。

最近彼氏マンネリで、バイトゼミに追われてストレスまみれだった私は、ストレス発散にその先輩を落としてみたいと思った。

ちなみに私の顔は可愛いとかではない。よく言えば能年玲奈のすべての顔パーツを半分ぐらいのサイズにした顔。

ただ、先輩はいかにも女に免疫のなさそうな感じの人で、理由もなく私にも行けると思った。

どうやって近づいたかとかはあまり覚えてない。

バイト先で怒られるたびに慰めてみたり、無邪気なふりして近寄ってみたりしたんだっただろうか。

面白いぐらいに仲良くなっていき、簡単に落ちた。

私に惚れた先輩は、私を可愛い好きだともてはやし、苦学生らしいのにご飯やらお酒やらをおごってくれた。

バイトも忙しい、ゼミも忙しい、でも誰も褒めてくれない、先輩のちやほやが私の自尊心を満たした。

酒の勢いで寝たりもした。

一度そこら辺が崩れるとそこら辺の貞操観念はぐちゃぐちゃだった。

だんだん私もほだされてきて、彼氏と別れて乗り換えるべきか?とか考え始めた。

しばらくして、先輩が大学卒業して都会へと引っ越していった。

先輩のバイト最後シフトの日は、寂しくて泣いた。

でも、これを良い機会だと思って、さよならお元気でと言った。

先輩がいなくなった状態で、私の就職活動が始まった。

とにかく地獄のようなスケジュールだった。

財布の都合でバイトシフトは減らせない、何なら地方学生だったので、移動費がかかる。バイトは休めない。

ゼミゼミ課題が山積していたし、教授就活理解がなくて、まったく融通を聞かせてくれなかった。

その結果、0時までゼミで頑張って資料をまとめ、朝の4時までESを書き、2時間だけ床で寝て風呂に入り、7時台の新幹線に飛び乗って、自由席が空いていなかったらデッキで座って寝落ちした。

体力は限界、そこに次々に飛んでくるお祈りメール

祈りが来ないことなんてザラで、みん就で「連絡来たー」みたいな嘘か本当かわからない投稿で、ああ落ちたんだとわかって心をえぐられた。

心も体も限界で、先輩に連絡を取った。

ちょうど私の就職活動先と先輩の家が近くだったので、ホテルの代わりに毎週のように先輩の家に上がり込んだ。

全然就活ゼミもうまくいかないんだと、またバイトから早く戻らなきゃと、愚痴を言っては慰めてもらった。

先輩は卒業後も私を覚えていてくれたようで、再現なく私のわがままに付き合ってくれた。

全てのストレスをぶつけて、自傷的に先輩と寝る日々。

就活がうまくいかないと、この世に必要とされていないような気がして死にそうだった。

今思えば不幸に酔っていたとも思うんだが、その当時はすべての空白を先輩で埋めようと必死にもがいていた。

6月のある日、ダメ元でエントリーしていた会社から内定を得た。

私の就活が終わった。

その瞬間に、一気に先輩への興味が失せた。

そんなことにも気づかずに、私のご飯の誘いを入れて来る。

不快まりなかった。

内定を手に入れてメンタルが無敵状態になった私のとって、先輩はただの人生の汚点になった。

そのタイミングで、就職が決まったことを機に、彼氏プロポーズをしてくれた。

「私やっぱり彼氏のところに戻るわ」と、LINEで一文送ってブロックした。

その後、もう会ってない。

私が就活中に生きていられたのは、まぎれもない先輩のおかげだ。

先輩には私のことなんて忘れて、さっさと幸せになってほしい。

いつかきっと私は報いを受けるのだろう。

2021-07-10

anond:20210706022633

プライド高かったけど結局望む内定が出なかったので仕方がなく内定出た会社に行って、同じ辛さを乗り越えたと思うから書く。

ストレスレスエンジニアとしてやっていくのに必要なのはストロングポイントもつことというか、精神安全地帯を持つことだと思った。

やっぱり深い造詣のないライブラリとか手法を使うと自分もハマるし、熟練のはずの先輩たちもハマったりしてる。

でもだいたい、「まあ代わりにアレ使えば多少泥臭くても要求を実現できそうだし、それには〇日で出来るだろうから、今確保できてる余りの工数ちょっと挑戦してみるか」ってノリで新しいものチャレンジできる。

多分そういう「安全地帯」みたいなものがないから、未踏領域チャレンジするのつれぇってなるのではという感じがした。

もちろん会社から要求されることが全て自分経験済みのジャンルとも限らないので、畑違いのことを振られたら業務時間外とかで学習したりするんだけど、大抵のことは業務を抜きにすると楽しいし、業務抜きにある程度習得しちゃえば、業務も楽しくなる。

から今は年収より、日々降ってくるタスクをどう実装するかに関心があるし、関わってきたプロダクトにも愛着あるから転職は考えてない。

そういう意味で、年収にこだわるプライドを捨てられた気がしてる。

インターンいくまでそんなにプライドが高くなれるくらい自習できてたのなら、自習ならそんなに苦じゃないタイプに見える。

ひとつ何か自信があるジャンル見つけてあらかた習得して、それが仕事として金になる経験をしたら案外解決しないだろうか。

2021-07-09

会社、潰すってよ。

解散だそうで、夏ボと退職金(払えるかわからんらしいが)出して全員解雇ですって。

コロナなんたらでよくある話だとしても、最後までちゃんとしようとしてくれてんのはわからんでもないので良い会社だったんじゃないかなあ…。

しか転職回数が2桁なってからまだまだ伸びるな…

そしてリーマンやら、世の中の変化で事業縮小部署やら、一昨年はコロナで潰れかけ会社から別に辞めるつもりはないが辞めざるを得ない状況が続いててなんかダメっすね。

それはそれとして正社員転職ってこんなイージーモードなのか…

40過ぎてやべえなといろいろ頑張って正社員なったけど、書類通る率あがったし面接での対応がなんか人間扱いされてる感じある。

派遣から正社員目指してた時のあの「ふーん派遣ね」なやつ何だったんだろうな…

正社員なり、向こう20年この会社でやってくんかあ…世の中大丈夫かなあの前に大丈夫じゃなかった。うける。

次も大丈夫な気がしない。内定いくつか出てて選ぶのも人生の岐路。どないしや。

最終手段実家に帰るもあるけど帰りたくねー田舎やだー!都内オリパラ考えると住んでられるかこんなとこ!俺は出ていく!つってゾンビの序盤でミンチになるやつだろ…どうしべな…

を踏まえての内定の一つが九州地方移転とかマ?みたいなこの年でエリア変えて心機一転ってどうにかなるもんなのか(どうにかなるだろうけど)

生きるために仕方なく働いてんだよなあ…

2021-07-07

日記

水曜日

今日は頭がいたいので休もうと決める。

院試勉強したくはないけどこのまま内定先に就職するのも嫌だ。

もうすこしちゃんと考えて就活すればよかった。

;;

イキってたら現実見せつけられて目の前の景色が歪む経験

ややもすると、人はそういう苦い記憶をしばらく経てば無かったことにしてしまものらしいので、戒めとしてここに個人的経験を書き記すことにする。






地方の県下NO.2の公立進学校合格

→当然、地帝に現役で受かるものだと思っていたら、学年平均層は関大立命館地元駅弁受かればかなり頑張ったほうで、限定ではほぼ全員同志社も落ちると聞かされ絶望

実際、そうなってた。

関関同立×、駅弁×、地元私大〇で浪人一浪で関関立〇、駅弁◎というのが黄金パターンだった。





地帝への院ロンダ成功したことが幸いし、早朝に体操をやるという某大手メーカーに見事内定。圧倒的勝利確信する

産近甲龍卒の高校同期が入社した大手子会社従業員1000人足らずのノンバンク)と給与水準が変わらなかった。なんなら、課長までの年収なら若干負けてた。





地帝院卒で泣く子も黙る巨大企業に勤める20代なら婚活女子入れ食い状態だろう

→「凄いですねー!尊敬します( ^ω^ )」で終わり、一切お付き合いに発展しない。

どうやら結婚願望ある女子でも、学歴とか年収とか会社名とかの外形的肩書き

「それだけ揃ってるならお付き合い大歓迎!」

という婚活イージーモード突入の決定打とは全くならないようだ。

たとえ相手派遣社員でも30代女性でも「で、肩書き除いたあなたはどんな人間なの?」と自分を安売りせず冷静に値踏みしてくる。



以上、戒めでした。

2021-07-06

クソザコITエンジニアだけどSIer辞めてマジでよかった

※以下、「エンジニア」と書かれている場合には「ITエンジニア」と読み替えてください

社員1000人超のユーザSIerWeb事業会社転職して半年が経過したので所感を残しとく。いわゆる転職エントリってやつ。

Webエンジニア転職エントリって大体つよつよエンジニア情報しか出てこなくてウッってなったから、自分のようなクソザコエンジニアの事例をネットの海に放流しとこうと思った。

みんなブログだと当たり障りのないことや技術的に意識の高い内容しか書かないからさ、パンピー本音ベースでの不満や転職活動の内容ってなかなか見つからんのよね。

文章の感じとかで分かると思うけど、ほんとに意識スペックも低い人間です あと一定以上の長さの文章書くの苦手だから箇条書き多いけどゆるして

バックグラウンド

前職では何をしていたの

入社して1か月はコンプラ研修とかビジネスマナー研修とか受けてた。

そのあと3か月くらいF士通のプログラミング講師みたいな人からIT研修を受けた。教科書に書いてある通りにLinuxコマンドポチポチしたりJavaコード写経するだけだった記憶

研修が終わり晴れてインフラ系の開発運用を行う部署に配属されたんだけど、やっていたことは下記の通り。

業務ではコードを書くこともターミナルコマンドを打つことも全くなかった。ひたすら溜まっていくユーザーや開発側からの問い合わせへのメールを返信する存在だった。

配属された部署たまたまそういう場所だったというわけでもなくて、同期の話を聞く限りアプリ部門だろうがQA部門だろうが似たような感じぽかった。

なんで転職しようと思ったの

これってITエンジニア仕事なんか?事務職かに近くね?という疑問を抱きながら1年半くらい過ごしてた。

自分イメージしてたITエンジニアっていうのは、スタバ私服でようわからん真っ黒な画面に向かってプログラミングしたりサーバNWをいじってる人のことであって、ワードパワポエクセルにらめっこしながらスーツおっさんとおしゃべりして一日を終える人じゃなかった。(多方面に怒られそうな表現だけど...)

あとは、

全体的に、仕事関係ないクソどうでもいいことにこだわらないといけないのが嫌だった。「もっと技術コミットしたい」みたいな、エンジニアとして正しいであろうモチベはあんまりなかった

どうやって転職したの

現職について

さいごに

別に自分にはソフトウェアエンジニアリングを通して実現したい目標があるわけじゃない。三度の飯よりプログラミングが好きってわけでもない。

SIer、っていうか古き良き日本大企業エンカウントする嫌なことから距離を取りたい、というモチベだけで行動した結果Webエンジニアになってた。

ただ、どうもWebエンジニアっていうのは技術が好きで好きでしょうがない人間がつく仕事っていうパブリックイメージがある気がするんだよね。なんでだろう?

そんなに技術きじゃなくても、Web業界の成長のおこぼれにあずかる程度のエンジニアになることは難しくないと思う。あんま知らんけどエンジニア数十万人単位で足りてないんでしょ?

俺はほんとクソザコだし、はてなに常駐するようなつよつよエンジニアからみたら関わり合いになりたくないタイプ人間であることは自覚しているけど、表に出ないだけで俺みたいな人結構いるんじゃねって思ってる。

2021-07-04

34歳のエアポケット

私は34歳・男性独身地方都市一人暮らしをしている。なんだか最近、何もする気が起こらない。1年前のちょうど今ごろは転職活動エネルギーを注いでいて、おそらくそのせいで体調を崩した。医者に診てもらったら「病気ではないが」との注釈つきで薬を処方され、今も飲んでいる。転職を考えたのは端的にいって待遇が良いとは言えず、先が見えなかったからだ。

私は大学卒業する直前、就活の波に乗れず、今思えば視野が狭かったと思うが「経済至上主義社会に入っていくのは嫌だ」みたいなことを心の中で叫びながらふらふらしていて、とある業界の小さな個人事務所に出入りするようになり、そこに拾ってもらった。当時はその業界仕事がやりたいと思い込んでいたが、今思えばその事業所ボスに憧れていたのだと思う。「人とは違う道」を選んだような、優越感に似た感情もあった。おれはみんなとは違う。月給も一般的大卒初任給よりもべらぼうに安く、健康保険自分で払わないといけなかったが、当時は気にならなかった。それよりも「自分のやりたい道を選んだ自分」に酔っていた。しかしいざ勤め始めてみると、色々と問題があった。有給で働くスタッフが極端に少ない環境で、ボスとは基本的に2人で仕事をすることになる。学生時代に面倒を見てもらっていたので最初のうちこそ「先輩-後輩」という関係性に近かったが、やはりそこは「仕事」としてやる以上「上司-部下」という関係性に変化していく。色々なことの積み重ねでボスと私の関係はどんどんこじれていき、最終的には雑談をするのも苦痛状態になっていた。受診はしなかったがうつ状態に近かったと思う。もう限界だと感じて、数年でそこは辞めた。辞めた時点で次のあてはなく、とりあえずしばらくふらふらと過ごした。転職活動もしてみたがどうにも乗り切れず、とりあえずしばらく休むことにした。

しばらくして、知り合いか仕事を紹介してもらい、そこそこの規模の会社で働くことになった。ただし雇用形態非正規。以前勤めていた業種での経験を買われた専門職という立ち位置だったが、有期雇用だ。賞与も出るには出るが、正規職員とは待遇全然ちがう。それでも最初に勤めたところと比べれば条件は良かったし、なんなら当時は「お試し」で組織で働く、という感覚もあって有期雇用というのは気楽だった。最初の数年はよかった。新卒時代とは違って「組織に守られている感じ」がある。健康保険も半分払ってくれるし残業代ちゃんと出る。安い部屋を借りて一人暮らしも始めて、生活コストを抑えながら、わりと楽しくやっていた。

けれど任期満了の年が近くにつれて「この先どうするのか」という考えが頭をもたげるようになる。この頃には「安定した職に就きたい」という欲求が出てくるようになっていた。いちおう専門職という立場だったが、その「専門性」は公的資格などによって担保されたものではなかった。所属する組織がその「専門性」を本当に必要としているのであれば、もっと優遇されてもいいはずだという憤りも感じ始めていた。そして何より自分自身がその「専門性」で食っていこうという気持ちになれなかった。むしろ、そういうところから離れて、いわゆる「正社員」というマジョリティが歩んでいる道に乗っかりたい、そんな思いを抱くようになっていった。

そんな経緯があって去年、転職した。以前と業界は同じだが、まったく異業種。専門職ではなく、総合職型の正社員だ。内定が決まった頃は嬉しかった。これでマジョリティの道に乗っかることができる。乗っかってみて合わなければまた考え直せばいい。そんな風に思っていた。勤め始めて1年弱が経つが、「正社員になった」からといって根本的な問題解決したという感じがしない。もちろん収入面では以前よりもよくはなった。けれど新卒で今の組織に勤めている同世代と比べればかなり差があるだろうと思う。加えて、「キャリアプラン」みたいなものイメージがわかない。人事部提示する「キャリアプラン」によれば、新卒から複数部署経験して自分に合った分野を見つけて、ゆくゆくは管理職を〜みたいなことが書かれているが、自分はもう30を過ぎた平社員である。同年代人間はたいてい役職つきになっていたりして、なんというか「キャリアプラン」と言われてもピンとこない。このまま働いていて大丈夫だろうかみたいな不安もある。同じ部署の定年間近のおっさんはいわゆる「逃げ切り組」なのだろう。今の心境では「定年まで勤め上げて〜」みたいな感覚になかなかなれない。定年はどんどん引き上げられるし、年金支給額は目減りしていくし、あと30年以上も続けるのか…?今の仕事を…?となる。同世代のみんなはこのへんどう折り合いをつけながら働いているんだろうか。いや、同世代なら多くの人はもう部下がいたりそれなりの立場になったりしていて、仕事をめぐるメンタリティもずいぶん私が書いているようなものとは違うものを持っているのだろう。では自分のように、マジョリティルートに乗ってきたわけでもなく、それでいてマジョリティルートに適合しようと動いてみたもののあまりしっくり来ず、うっすらとした不調を薬の力を借りながらごまかしつつ働くような人間は、今後どんな見通しをもって働いていけばいいのか、と思う。

ちなみに、よく「毎日決まった時間に同じ場所に行くのは苦痛」とか「私は組織でやっていけない人間」という人がいるが、私はどちらかというとそういうタイプではないと思う。毎日同じ時間に起きるのは生活リズムが安定するし、周囲の人間とうまくやっていくのは苦手ではないほうだと思う。ただ、少し前からよく耳にする「HSP傾向」があると思うので、周囲に気を遣いすぎて疲れる傾向にはあると思う。コロナ禍で在宅勤務になったときは心底気楽でよかった。できることなら家で仕事したい。そしてできることな労働時間を少なくしたい。

なんだかエアポケットに嵌ってしまっているような感覚がずっとある。35を超えると転職が難しいとか聞くけれど、たとえば今から転職したとしてもまた根本的には同じような不全感というか「しっくりこない感じ」を抱えていくのだろうという気がする。少し前は過去に使っていた「専門性」を補強するような資格を取りなりなんなりして、こっそり副業でもしながらゆくゆくは独立など…と想像して情報を集めたりしていたが、情報を集めるのも学ぶのにも時間と体力がいると痛感している。金にもならない好きなことをしてストレス解消したり心身の健康を保つことも重要で、そうなると「何もする気が起きない」みたいな状態になる。どう生きていきましょうかね。

2021-06-29

コミュ障なのに営業になった

日常会話がわからない」

学生時代友達と一緒にゲーム内輪ネタしか話してこなかった。

最初から話が合う人としか、そして合う話しかしなかった。それで十分だったし充実もした。

そして訪れる学生人生の終わりの時、就職活動の始まり

特にやりたいこともないし、なんなら働きたくないからとりあえず学校企業説明会に来てた印刷会社に受けてみた。書類の一次面接が通ってzoomでの二次面接

面接官は一人、就活生は僕を含めて二人

開始時間の前に、緊張をほぐすために面接官がいう

面接官「いやぁ今日暑いですねぇ室内とはいえ背広だと苦しいでしょ?」

出た、なんも生まれない会話。もっと直接的に「リラックスしていいから」くらい言ってくれよと思いながらも返事をする

僕「そうですね〜(笑)

はいこの話終わり、さっさと面接してくれ

そう思ってたらもう一人の就活生が口を出す

「今週いっぱいは続くらしいですよこの暑さ」

面接官と会話のラリーが始まった。

朝の天気予報の話だけで5分も話すんかと思った。

僕はその話二人の会話をひたすら聞いてるだけ。疎外感を感じた。でもそれ以上に「あぁ”コレ”が社会の一員になるってことかぁ」と納得そして何より感動した。

オタク漫画によくある「じつは最強です」とか「じつは面白いです」みたいなのにハマる理由はその「じつは」の部分を出せるタイミングが分からない僕みたいな奴らが「僕もやりゃ出来んだけどね。キッカケが無いだけで。」みたいな気持ちで読めるからなんだろうな。キッカケを作れないか雑魚なのに。

というか今までそういう返しを知らなかっただけだし、天気の話くらいなら僕にもできそう

てかカッコいいな、話ができるやつ。僕もカッコよくなりたい。

そうだ、営業マンになって会話できるようになろう。その後に好きなことみっけて転職でもなんでもすりゃいいべ。営業ってなんかコミュ力ありそうで転職やすイメージあるし

給料業務内容、残業時間を見ずに営業職ならガンガン応募

その甲斐あって内定ゲット

日常会話を話せない営業の男が爆誕した。

2021-06-28

このまま勤めるべきか退職すべきか

現職の会社雇用トラブルがある。もしかしたら継続で働けるかもしれないんだけど、

いくつかの労基法違反もあり、会社として信用できないので継続となっても退職すべきか迷ってる。

給料はいいほうだけど馬車馬のように働かされる。その代わり技術的には高く勉強にもなる。

すでに転職考えて面接行ってるけど、雰囲気よさそうな会社があった。

業界的には経験があるけど、一人社内SEになりそうで技術的な部分若干自信がない。そこまで複雑なことはやらないみたいだけど…

まあまだ内定貰ってないので何とも言えないけど、1次でいい感じと思ったところは大体受かる。

給料トントンくらいかも。

それからもう一つ心配な点は、今後妊娠する可能性が大いにあること。

そもそも正社員で働くべきか?というところから迷っている。

何もなければ今のところで子供が出来るまで働いて転職しようかと思ってた。

転職エージェントさんへ

正社員無理だって言ったよな。

正社員内定貰えたぞ。しかも2社だよ。しかもそこそこ給料良いぞ。

たかボケ

失業しろ

2021-06-24

朝敵ちゃんアスリートを加えろよ

みんな朝敵IOCだのネトウヨだの言ってるけど、

一番加えなきゃいけないのは五輪に出たいとのたまっている代表内定選手だろ

結局ムキムキのマッチョにはビクビクしちゃう陰キャの集まりじゃねぇか

ちゃんと池江に五輪辞退を要求する北 守(埼玉工業大学非常勤講師/批評家)のほうがマシだわ

anond:20210623232413

twitterで喚いたりプラカード掲げるくらいしかしない反五輪勢もなぁ

五輪内定選手に直談判する奴とか一人くらい現れないの?

2021-06-23

anond:20210623180756

しょーもない片田舎の大きくない企業に申し込む

当然内定が出るのでそれで自尊心を育てる

どこか納得のできるだけところに入る

就職活動10年目、内定0の俺にアドバイス

セミナー参加してほぼ10就活したが全部無理だった

2021-06-22

父親と45歳離れてるんだけど、思い出話の端々から「この人、昔の人なんだなあ」というのが感じられる

新卒会社入って最初に配属された部署部長陸軍士官学校

国立受験共通一次というものがなかった

・思い出の青春ソングザ・ピーナッツ

あさま山荘事件リアルタイムテレビにかじりついて見てた

・「大洋ホエールズ日本一燃えた」

・常に鼻水垂らしてる奴とか寝巻で登校してくる奴とかが結構いた

大学の成績が良ければ良いほど、面接では硬い志望動機を暗唱すれば簡単一流企業内定できた

就活したくない

大学4年

4月から就活を始めたがまだ内定は出ていない。

5月第一志望の企業を落ち、就活のやる気をすっかり失ってしまった。

どれくらいやる気が無いかというと今まで面接したのは一社書類で落ちたのは二社といった感じである。親には到底言えない。

興味のない企業説明会を受けているが、応募する気にすらなれない。内定は待っていてもやって来ないというのに。

普段同人活動をしており、イベント完売するなどまあまあ軌道に乗っていた。しかコロナコミケ等がすべて中止。

唯一の趣味すらコロナで奪われた。

その時私は思った、漫画を描くのが好きというより同人誌を発行するのが好きなのではないか?と

それからは絵もあまり描かなくなってしまい、大学オンラインになったのでスマホをいじる日々に。

自分の唯一の特技である絵も描けなくなったら本当に自分価値というものがわからなくなった。あと人と会わない生活で会話の仕方がわからなくなり、もとからあった被害妄想癖が肥大化、不規則生活リズムになり戻し方もわからない。

期待して入った大学ゼミだが、技術的な指導もなく、「大学デザイン勉強をする」という目的までなくなってしまう。しか真面目系クズなので卒業は余裕でできそう。

あとついでに親が会社解雇された。だれか金くれ

これから唯一興味のある第一志望の企業と同じ業界会社を受けるが、ここも落ちてしまったら本当に人生どうしようといった感じである。人に迷惑がかからない方法で○にたいが、そんな勇気もやる気もない。

今更漫画で食っていくのは不可能漫画家になりたいとは思うが覚悟が足りない。それではプロの方々に失礼だ。

読んでいてわかると思うが、文章力もない、コミュ力もない、得意なこともない。ないないづくしの自分を見ていて恥ずかしい。就活のことを考えたら消えてしまいたくなる。なんもやる気が出てこない。とりあえず早く寝るしかなさそうだが「早く寝るために頑張る」のも面倒くさい。ここに書いたらちょっとすっきりした。

2021-06-20

ものづくりが好きだと思って工学部進んだけど嫌いなことに気付いた

小さい頃からものづくりが好きだった。

幼稚園でも小学校でも工作が得意で褒められたし、中高の部活行事でも山車だの実験装置だのつまらおもちゃだの毎日夢中で色んなものを作った。

当然、大学工学部に進学した。

まあ勉強は嫌いだったので楽しくはなかったけど、ものづくりで安定して高い給料を貰うには工学系で院まで行くのが無難である

で、最近就活が終了し、まあ製造業技術採用内定が出た。


どこで何の仕事させられんのかは知らんけど、なんか作る人か、あるいはなんかの技術研究する人になるらしい。


今は就活終わったか同人誌出してーなーって思いながらまあオタク趣味を楽しんでる。

別にクリエイティブオタクではないので大したものは生み出さないが、見たいものがなければ作るぐらいのことはする。

推しアイドルみたいなブリブリの歌踊ってる動画いかなーって思って探すんだけど毎回無いから、仕方なく自分で作る。

かっこいい系の動画死ぬほどあるけど、馬鹿みたいなブリブリ電波ソング踊ってる動画全然ない。なんで無いの?存在してろ。

去年からずっと増えろ増えろと思いながら上げ続けてるけど、全然増えない。悲しい。

で、夜中に呪詛のようになんでねえんだよと愚痴りながら動画作ってて、ああ私欲しい物がないから作ってるだけであって、作ること自体全然きじゃないわって気付いてしまった。


いや、動画編集嫌いすぎる。めんどくせえ。10本作ってやっと気付いた。今までなんとなく踊ってる推しが可愛すぎるのと徹夜作業しててアドレナリンバドバなので誤魔化してたけど、冷静になってみたら私は全然動画作るの好きじゃない。

っていうか何かを作ること自体きじゃない。推しカプの二次創作pixiv検索しても1件しかヒットしないから仕方なく2本目書いたけど、小説書くのも死ぬほど嫌いだ。

はいいなあ好みのAVがそこら中に転がってて。私の見たいエロはどこにもないか自分で書くしかないよ。


思い返してみれば別に子供の頃だっておもちゃを買ってもらえなかったか自分で作っていだだけである

本当は私だって自分で作った紙人形で友人集めて人形劇上演するより、かわいいリカちゃん人形フルキャスト揃えたかった。

ワープロ使用済みインクリボンで作った車を走らせてたけど、本当はラジコンブルドーザーが欲しかった。

紙で剣を作るの、学年で一番上手だったけど、本当はボタン押したら音出して光るライトセーバーみたいな剣の方が好きだ。

ビー玉を転がす立体迷路、図工で作ったら遊びたい遊びたいと男子が私の家に押しかけたけど、私はガキが作った迷路よりゼルダの伝説のほうが好きだ。ゲームを買ってもらえる家が良かった。

作ることは手段だ。欲しい物が手に入らないから仕方なくやっているに過ぎない。


ものづくりなんか嫌いだ。めんどくさい。作らなくて済むなら作らずに完成品が欲しい。

作ってる時間もできるだけ短縮したい。手順もなるだけ効率化したい。無駄を減らし楽して完成させたい。でも一番いいのはやっぱり作らなくても欲しい物が手に入ることである

まあ、大嫌いなものづくり工程効率化して無人化したいという気持ちはあるので、製造業で働く分には別に困りはしないだろう。

ただ、好きだと思っていたものが嫌いだったのでかなり驚いた。


いやびびるわ。多分もう同人誌は出さない。私は何かを作ることが大嫌いなので。

まあ、誰も出さなきゃ私が出すしかないんだけど。読みたいから。

2021-06-18

人生ガチャである高卒年収850万の研究である私が保証する。

現在自分ステータスは次の通り。

年齢:43歳

職業半導体ケミカル研究職、専門はエポキシ・アクリル樹脂組成

勤務先:電子材料大手

実績:日本特許出願数15(内筆頭12)権利化6、海外PCT出願数10(内筆頭8)

年収:昨年源泉740万、今年見込み850万

学歴高卒普通高校

自分は非常に人生ガチャの運が良い。

この時代に生まれたのは良いのか悪いのか分からないが、少なくとも父親ガチャSSRである某国大の教授だった。しか学会長を歴任した等、経歴的に素晴らしいレベル教授で、専門分野ではとても有名人だったと後で知った。もちろん上級国民である

母親ガチャはNで、こっちがR以上だったらもう少し上に行けたかも知れない。色々と私の人生の脚を引っ張ってくれた。父の知り合いの米大教授斡旋してくれた留学許可しなかったし、家庭内不和を招いたのも常に母親だった。私は非常にこの母親を憎んでいる。あまりにムカついたので、父の退職離婚させた。今はナマポ生活しているようで、いい気味である

私は努力が大嫌いだ。ゆえに勉強も大嫌いだ。なので、大学はどこにも受からなかった。父は「お前は日本教育が合わないのだろうからアメリカにでも行け」と留学させようとした。結局それも叶わず高校卒業と同時にニートになった。時折バイト等してある程度収入はあったし恋人も出来たが、そこから13年あまりニートを決め込んでいた。

しかし私が英一郎されなかった理由人生ガチャだ。転換期が訪れたのは父の退職が切欠だった。それまでは父の家族カードで月に20万円程度遊びに使い、なかば英一郎状態だったが、退職してしまってはもうそんな生活は出来そうにない。そこで私は親コネでの就職を考えた。父は産業界には疎いタイプだったので、「俺が現役時代だったらもっと良い企業を紹介出来たのに惜しい」などと言いつつ、何社か紹介してくれた。それらをすべて受けてみて、唯一内定したのが今勤めている企業である。この企業の主力商材について、父はまったく何も知らなかった。ゆえに私も一切知らなかった。電子材料というのがどれほど強いのかを嫌というほど知るのは入社後の事である会社ガチャ文句なくURだ。

コネなので、高卒バカがいきなり正社員技術採用になった。商品開発部の課の一つに配属された。当時からアホのように儲かりまくっている会社だったため、周囲は温厚な人物ばかりで、遅刻しようが無断欠勤だろうが大して怒られもせず、ボーナスちょっと減るくらいのペナルティで済んでいた。が、客先でケンカになった事だけは重く受け止められ、アイツを社外に出すのはマズイ、というような話になって研究部門へ転属になった。

この研究部門はチームで何かをやるという発想がそもそも存在せず、すべて個人で考え計画し実行し結果を残すという、実績評価の1人屋台状態だったことが幸いした。配属ガチャSRくらいだろう。私は、周囲の技術部等の人が、時間がなくて出来ない研究を片っ端からやっていった。その結果、エポキシ樹脂組成物、アクリレート樹脂組成物においての知識力は社内で指折りという研究者になった。まさに門前小僧習わぬ経を読むだろうか。

電子材料業界において樹脂組成物の研究者というのは希少価値の高いキャリアであるため、ヘッドハンティングオファーはそれなりに来るし、外資に移れば4桁万円プレイヤーになるのも容易である。今の立場の方が色々と楽なので、特に考えてはいないが、まかり間違ってこの会社左前になったとしても、転職はいくらでもあるだろう。

コロナ騒ぎで、電子材料業界は空前の好景気となった。私がそれを知ったのは昨年5月の狂気じみた受注量によってであるインサイダーにならないように少し外れた関連銘柄を買い漁って、平均4倍程度になった。売却益で新車1台買えた。

私は別に努力して今の立場になったわけではない。単に親ガチャ就職ガチャ会社ガチャSR以上引きまくっただけだ。故に、人生とはガチャである確信している。人生を決める最大の要素は運だ。

ちなみに嫁ガチャはNだった。家も買ったがRくらいだった。クルマもNだろう。子供は居ない。生活ガチャはあまり良くないようだ。

スタートアップ

内定が出た。

 

楽しそう。

 

でも、不安お金持ちだったらよかったのに。

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