はてなキーワード: 内定とは
2週間前に付き合って(私26/彼23)、いやもうマジ毎日幸せで楽しくて仕方がない。すっげーいいやつ。超カワイイ。相性最高。かっこいい。好き。
だがその彼はヤるたびに「ナマでしていい?」と聞く。
私がダメだよって言っても結構食い下がる。最終的にはどうにかゴムつけて入れてくれるけれど。
初回に私、ナマでやらせては浮気と同じくらい嫌だから言うのやめてと言ったはずなのだけれど、それでも彼は毎回プッシュしてくる。
閨では強く断れないんだよ…。「だめだってぇ」みたいな否定になっていない否定を言うので精いっぱいだよ。頭のネジ外れているんだよ。彼のお願いはできるだけ叶えてあげたいって思っちゃうじゃん。
どうしてコンドームをつける必要があるんだっけ?避妊と性病予防のためだよね?
どうせお互いとしかやらないから陰性なら性病予防は気にしなくていいのか?それでも気にした方がいいのか?
保健体育の授業聞いていなかったの?ガマン汁にだって精子はいっぱいいるんだから、射精だけ外ですればいい訳じゃないの。
それとも妊娠してもいいと思っているの?まだ君院生なのに?今年就活なのに?負担は私にしか無いから?
いいのか…?妊娠してもいいのかな…?いや会社の予定的にあと1年は避妊したいよ私は…?
というか付き合って2週間ぽっちでもうそこまでいってしまうのはただの性欲の勢いでは…?何にも考えていないだけでは…?
やっぱりだめだよナマを許すのは、うん。やっぱりせめて君がちゃんと社会人になったら。ものすごく妥協してきちんと就活頑張って内定先を見つけたら。話はそれからだ、うん。決意表明。
話ずれるけど、あたしコンドームのことよく知らないんだけど、彼はゴムをつけるのを割かし毎回手間取っていて、正味1-2分くらいかかっているのだけど、こんなもんなの?もっと10秒くらいでパパっとつけられるイメージがあったのだけど。サイズ合っていないんじゃないの?よければ有識者教えてください。
という訳で、外出しは避妊の意味が無いので、ナマでヤるのはダメです。ということを強く主張できる強い彼女になる必要がある。ゴムつけてたって十分気持ちいじゃん。ふぇらちおも手淫も沢山してあげるから。苦しいけど喉奥で擦るのもやっていいから。だからナマはだめです。
そうかーゴムだけでも避妊には不十分か。確かに10-15%で失敗すると聞いたことがあるような…。
低用量ピルなぁ…。生理痛は別にきつくないので必要性を感じていなかったから、あまり気は進まないなぁ…。
ああでもPMSによる精神症状はそれなりにしんどいし、それが軽くなるのなら導入を検討してもいいかなぁ。でもお値段張るしなぁ。まあ検討します。ありがとう。
いつのまにトラバとブコメが増えていまして、皆様コメントありがとうございます。
やはり避妊の重要性と、こちらが強く出る正当性とを強く認知しました。あと彼はそのへんの認識がゆるゆるであるということも理解できました。ありがとうございます。
やはり彼にもう一度強く言います。増田のコメントたちが後押ししてくださったので、強気に出られます。
たぶん彼は「ナマで入れちゃうよプレイ」が好きなんだと思うんですよね。実際には入れないんで。でも私はそれすら嫌なので(彼の願いを叶えてあげたい私と妊娠したら困る私の天秤がしんどいから)、辞めてほしいということを伝えます。これで分かってくれなかったら信頼できる第三者に洗いざらい言ってそっちに強く伝えてもらいます。彼には皆に秘密にしたいとか言っていましたが、私は色々相談できる第三者が欲しい。
私は今まで自己主張をすることが苦手で、特に男女恋愛においてはそうで、これまでもそれが原因のひとつで色々破局とかトラブルとかしてきた。
私の願望をきちんと伝えて、理解してもらい、擦り合わせることが、関係の持続に重要だとの知識はある。
付き合ってすぐ、助教の先生に私たちが付き合ったことを伝えたとき、「彼は色々と幼いので結婚したいなら根気よく育てていく必要がある。そうじゃないとほんとに結婚するときに迷うと思うよ」と言われた。
ちなみに私は浪人により今M2です。来年就職予定です。彼はM1。これから就活。)
助教はそれから、「でも、俺は彼とあなたは合うと思うし、いつか付き合うんだろうなと思っていた。思ったより早かったね。」ともおっしゃいました。
だから私は根気よくコミュニケーションを続けるつもりです。自分の主張の正当性に自信がなくて、増田の皆様を頼ってしまいました。ありがとうございます。
あと面倒だと後回しにしていましたが、ピルなどコンドーム以外の避妊方法と、あと性病検査も、多少金がかかろうがきちんとやろうと思いました。何かあってからの方が余計金がかかりますしね。助言ありがとうございます。
追記の癖にべらべら語ってしまってすみません。まあ日記なのでね、好きに語ります。
ただの経過報告。
結局、「プレイのつもりだった。本気でナマでする気は全くなかった」とのこと。
あと低用量ピルを導入しました。トリキュラー28。月4000円。リマインダーをつけて頑張って飲み忘れないようにしています。結局自分で払っていますが、その他の金銭的手間的負担は彼の方が多いと思うので、まあ私が払います。毎週末ずぅっと彼の家に入り浸っているので、消耗品とか食費とか洗濯とか、なんだかんだ彼の方が負担だと思う。
悩みは尽きませんね。最近の一番の悩みは、シングルベッド狭くて休日に疲れが取れない問題です。多少寂しくても布団を持ち込むか…
もうかれこれ10年ほど前の話だ。
親の決めた糞つまらない私立一貫校に行かされたことを不満に思い、こんな学校には一秒たりともいたくないと帰宅部を選んだ。
だが、当時早熟だった私は部活に入らないことでコミュニケーション能力や上下関係、体力が身につかないことを恐れたため、帰宅部ガチ勢になることを決めたのだった。
まずは体力面。幸い近所にテニスクラブがあったため、祖父にお金を出してもらいスクールに通うことにした。これが週3回。自主練や筋トレもしていたので、テニス部連中と同じくらいには上達したし個人で大会にも出ていた。
次にコミュニケーション面。学校では部活に入っていないと人間関係が希薄になりがちだ。そこで、ピアノや書道など、学校で何かしら賞が取れそう&活躍の機会がありそうな習い事は継続し、年始の書初めで賞を取ったりピアノ伴奏をしたりと、そこそこ存在感をアピールした。
上下関係も学んでおかなければまずいと思ったので、
高校に入ってからはとあるチェーン店でバイトをした。団体競技がしたくなったのでテニスをやめ、ダンスを習いに行っていた。
大学でも似たような生活をしていたので、私は人生で一度も部活動をやったことがない。
就活では習い事を部活と偽ってエピソードを捏造したが、内定は貰えた。
だが、苦楽を共にした友達というものが学内に存在しないので、中高時代の友達で今でも仲がいい人は一人もいないし大学にもいない。
無駄に賑やかな街並み、わちゃわちゃ煩く節操もモラルも民度もない人達、クソみたいな自転車乗りと電車のマナー、やけに偉そう態度で若い従業員をいびる老人、図書館や美術館も静かに出来ず小声で喋る人達…俺は学生時代、運動部所属だったからガチガチの陰キャではないだろうしプレゼンとかも得意だが、それでも大阪という陽キャな街並みは俺の感性が拒絶している。そして住民票も未だに大阪に移してない。移したら人生の終わりだと思っているから。来年には東京行きが内定しているがそれ以降は余程の事が無い限り大阪には自分から行く事はないだろう。仮に関西に旅行するとすれば大阪を飛ばして兵庫まで観光しに行きたい。そんな気持ちだ。俺が大阪嫌いなのは今に始まった事ではなく幼少期からなので、恐らく母方の家系(福岡と山口に縁がある)の血筋だろう。小学生の時から大阪の修学旅行も真っ先に帰りたいと思っていた。実際大阪の人間とは馬が根本的に合わないし口論になる事も多い。余談だが祖母は祖父(血の繋がりはない。本来の祖父は恐らく関西嫌い)の大阪弁(佐賀県民で十三に在住経験あり)の大阪弁を悪意なく真似ていた。そしてタチが悪い事に本質的に好きという事でも無く「無関心」に近い嫌悪感なので、この先もまず好きになる事は無いだろう。大阪に居るのも残り僅かだが時間を無駄にせず俺にとっては「何の価値も魅力も無い下品で低俗な場所」ライフを楽しもうと思う。なお父方は京都がルーツの播州系でノリも関西的だから母方とは正反対。でも父方の人間が嫌いというわけでもなく(母親は嫌っている)兵庫や京都の人達を見かけると何となく親近感を持ってしまうし馬も合う。京都は片思いに近い感覚でもあるが。そんな面倒な人種が俺なのである
情報系の博士取得者だけど、自分の場合、内定式に出た後に内定を辞退して博士後期課程に進学した。
その身に起きたことを参考までに書く。
とある飲み会で博士に興味があるけれどでもしかで就職するような話を博士の先輩に話していたら、博士に進学することを強く勧められた。
親にそのことを電話で相談したら、応援する旨のことを言われた。
先生に話したら、「博士が100人いる村」のような話をされたが、同期で博士進学者が誰もいなかったからか比較的好意的だった。
学部の就職担当の先生に相談に行ったら、内定辞退をお願いするメールを一字一句指示された。(と言うべきだろうな、意見などを言える雰囲気ではない中、言われたことをそのまま書いて送れ的な感じだったので)
送ったところ、企業の採用担当者から呼び出しを受け、内定辞退したら3時間土下座させられた例もあるらしいと級友から脅されながら戦々恐々として赴く。
老婆心を装った嫌味を言われ、軽く説教されたが、内定式の時に渡された書類をお返しし、割と短い時間で話が終わった。
研究室の先生にも老婆心を装った厭味ったらしいメールが送られてきたらしく、先生はその会社の製品を買わないと憤慨されていた。
博士進学予定者だったからか、海外から来る客員研究員の出迎えなどを任される。
博士進学者は修士論文を英文で書くという不文律があるらしく、慣れない英文を頑張って書く。
修士で卒業する学友たちが卒業旅行に出かける中、ワークショップに論文を提出し、初の海外発表...自分の英会話力のなさを自覚する。
先生の助けもあり、一つ目の論文を査読ありのカンファレンスに出し、採択。
今思えば二つ目はある程度自分で研究を進めてほしいということだったのだろうけれど、自分でいろいろとテーマを考えるも研究が迷走して卒業の見込みが全く立たず、精神的に追い詰められていく。
博士進学を考えている修士の学生から「なんで進学したんですか?」と聞かれたときに「魔が差したから」と答えるほど病んでいた。
そんな夢のない話を聞いて進学する奴なんかいないので、その世代の博士進学者は0だった。
助手の先生ともいろいろと相談して一応別のテーマを設定し、査読付き論文通って最低限の要件を満たせたが、すでに10月を過ぎていて、採用活動はどこも終わっていた。
先生のコネで話をしてみて、とある会社に話を通してもらえることになった。
部長と係長の前で博士の研究でやったことを20分発表し、質疑応答して、その会社に採用された。
国内ワークショップでの発表などの場数を踏んだからか、PhDディフェンスを卒なくこなし、博士号を取得。4月から就職。
就職後は博士を持っている人が珍しく、博士をみんな取りたいと思っている場所だったからかとにかく博士というだけで風当たりが強かった。
職場の先輩にも博士なんだからそれぐらい自分で分かるでしょ?とろくな説明もなく業務をすることになる。
その割には係長からも先輩からも毎日ダメ出しをされるだけの日々でなかなか精神的に追い込まれる。
それを見ていた別の部署に行った主任から主任の部下として来ないかとさそわれて今に至る。
博士は精神を病まないと取れないみたいなことが言われていたけれど、それは割と本当だと思う。
博士を持っているとそれだけで少し下駄をはいた状態からスタートできるのも本当だと思う。
ただ、博士というだけで挑戦してくる人や無駄に突っかかってくる人などがいて、有名税みたいなのがあると思う。
進学するときは自分が楽ではなく快楽を求められるか(オメガトライブの読みすぎか...)、
先生に博士の指導経験があるか、家族のサポートがどうかなどを加味して決めたほうがいいと思う。
その辺がokなら、まあ、いけるでしょ。
修士は推薦で内定とってたけど辞退しD進、修了後は別の会社で社会人している。
月並みに言えば、その研究室が過去Dをコンスタントに出してるか、その後の進路で困ってないか。
あとは所属専攻で関連する業種でパッと思い付く研究所を持つ企業があるか。アカデミックに残るつもりなら教授のコネクション(他の大学との連携等)があるかどうか。
残念ながら進路は狭くなるのは間違いない。その後会社に入るなら敢えてこの道を選んでも得することはあまりないが、この先もおそらくは研究が続けられる。それが人生のモチベの主ならやってみるのも一興さ。
追記)
内定後辞退について、会社によってはネガティブなことは言われるだろうけど、進学が理由である、内定式前である場合はそこまで言われないかな。自分の場合はメール一本でことなく終わった。同じく論文通ってて、それで決心ついた、くらいの心境変化とか書いたかも。
ただ、その会社で来年の推薦枠が減らされることも考えられるので就職担当にはしっかり伝えること、あとは今後も含めて教授とも相談することだね。それで助けがないならいくと苦労するだろうし、その探りとしてもいいかもね。
M2です。
最近研究が楽しくて楽しくてしょうがなくてD進をしたくなってしまう。
もし会社と環境が許すならばこのままあと3年研究を続けたくなってしまう。
内定を取った後の今年の5月に、ずっと全く出ていなかった成果がポッと出てしまった。
めちゃくちゃ嬉しい。このままいけば論文化するが、今年で私が卒業するならFirst Autherは教授になるだろう。論文を書く時間が足りない。
成果が出てしまったものだから、続きでやりたい実験も膨大に出てきたし、頓挫させていたテーマも、これがうまくいくならいくんじゃない?と私が思い始めたから、また再開させたくなってしまう。
論文化するならば出さなければいけないデータもたくさんある。正直データ収集なんて面倒くさい作業は後輩にやらせたくない。全て私がやりたい。
そして新しい助教先生が本当に本当にいい人で、私に自己肯定感を植え付けてくれた。私は十分研究者の素質があるとの肯定感を養ってくれた。
あと助教先生は私に論文誌の読み方を教えてくれた(逆に言うと今まで教わっていなかった。)。論文誌というのは、雑誌なのだから、雑誌のように全部眺めて、気になった論文を読むスタイルが一般的なのだそうだ。助教先生に教わってから、JACSとAngewandteの最新号は全て目を通している。サムネしか見ていない記事も多いけど。そのうち1報は精読してA4 2枚に要約する作業を毎週行うことにした。楽しい。まだまだ読みたい論文がいっぱいある。時間が足りない。
時間が足りない。今でも時間が足りなくて週2で研究室に泊まっては実験したり論文読んだりしている。今日も泊まって論文の整理をしていた。
あと、研究室の運営的にも、ラボにドクターが一人はいた方がいいと思うんだよね。私がB4の時はドクターが4人もいて、メンバー全体のレベルが高くて、目標とできるロールモデルが沢山いて本当に有難かったのだけれど、今はドクターがいないから、後輩たちを引っ張る人がいなくて、可哀想だなと思うときが時々ある。
あと私一人だけ学年が上だと、色々と自由に過ごせてよい。
とまあまだまだ研究室にいたい理由は沢山あるのだが、懸念点も沢山ある。
まずさ、いまさら内定辞退するのは企業に悪いよなあ。とても好きな企業なので、会社にご迷惑をかけるのは避けたい。
あとDでもう一回就活するのが非常に嫌。というか今の会社に3年後D卒として入れたら理想なのに。
あともううちの大学の博士の入試は終わっているのでは?博士は遅めだからまだかな?いけるかな?
あと教授はいい思いをしないかもしれない。教授は、私に早く出てって欲しいいと思っているかもしれない。
あと後輩たちもいい思いをしないかもしれない。特にM1なんか出てって欲しいと思っているかもしれない。
あと、ちゃんと卒業できんのか?卒業の為には論文を3報出す必要があるが、出せるか?1報をArticleにして2報ならどうにかできるか?いやーーー結構厳しいのではないか?
諸先輩方は口を揃えて、「弊ラボでDに行くのはおすすめしない」「というかうちの大学でDに行くのはおすすめしない」と言っていたし、Dなんてやめるべきでは?
懸念点をつらつら語ったよ。
書き捨てなのに非常に真剣なご助言を頂いてありがとうございます。
助教にも軽く相談し、自分も考えましたが、やはり修士で就職しようという決意が固まりました。
しかし私が書きたいので、自分の中での整理も含めて、情報をさらに提供しておきます。
・専攻
専攻は有機化学です。細かく言えば構造有機化学・超分子合成分野の端くれで、その界隈でもかなりマイナーなおもしろ分子合成法の開発研究をしています。ド専門そのままでは就職先は無いでしょう。
しかし有機化学自体は学術領域の中でもかなり「食える」方の分野です。化学メーカーという大きな受け皿があります。医薬・農薬のような天然物合成方面か、樹脂のような高分子にまで食指を伸ばせば、働き口は多くあります。私の修士での就職予定先も樹脂系材料メーカーの研究職です。
私はこれまでに、人並みの有機合成技術は付けてきた自負はあります。弊ラボは構造有機化学の研究室の割には分析はちっとも強くないのですが、最近個人的に分析の知識をつけたくてその辺を論文を読んで勉強しています。
あと実験大好き、研究大好き。今まで誰も分かっていなかったことを知ることは嬉しいですし、研究上の課題に対して解決策をあくせく検討する過程はとてもやりがいがあって楽しいです。「この条件ならうまくいくのでは?あーキタわこれ勝ち申したわ今すぐやろう。これうまくいったらどうしちゃおうか、あれもしてこれもして…」(まあ実際は結構な確率で失敗するのだが)と夢想することは至上の快楽です。
事実を述べると、約15年の研究室運営において、私の知っている中で博士は6人出ています。
単純計算で、まあたまにいない期間もあるけど、ラボで1人くらいは博士がいたりするかな…?という感じの研究室です。外部から院生が来たり何人も博士やポスドクがいるようなつよつよ研究室ではないです。
そのうち私の知っている5人は、2人は3年で卒業し大手化学メーカーに就職、1人は3年で退学して公務員就職、1人は6年で卒業し特許系の会社に就職、1人は6年で卒業しおそらく研究派遣に就職、といった進路でした。
いわゆる教授のコネみたいなのがある研究室ではないです。こじんまりで好きに研究したいという教授ですし、企業と共同研究とかする分野じゃないし。進路自体は自分で探す必要があります。ただ先輩は多く出ているので、そこのコネが運よく使えなくもないかもしれない。
分野的にポンポン論文を必ず出せるという訳ではないので、頑張らないと3年で卒業は厳しいかな…というのが正直な感想。
アカデミアみたいな稼げない進路はとりたくないので、仮に博士を出ても企業就職がいいです。
就活を通じて感じたが、うちの大学は学歴で言えば「上の下」じゃないかな。
学年で各社1-2人くらいかな、三ケミとか信越とか超大手に就職する人だって全然いるから、十分「上」の学歴ではあるのだが、逆に我々以下の学歴の学生なんてほぼ見ないし、「上」の領域では一番下になるよな…といった感覚を、インターンの選考とかを通じて思った。
まあ以上余談。
私が「どうしても博士に行きたい」と言えば両親は許可してくれると思うんだよな…。
以下よしなしごと。
・日本のメーカーは博士をそんなに優遇しないし、やっぱり修士就職が一番コスパがいいよなという結論に達しました。
・狭い研究室で井の中の蛙をするよりも、社会に出て早く企業研究者となった方が、最も私のためになるだろうと考えました。
・あと半年思いっきり好きな研究して、満足して卒業すればよかろう。時間が無いとはいえ半年もあるので、まだまだやれることはあります。まあ終わらなかったら今後入ってくる優秀な後輩に任せましょう。
・ファーストオーサーで論文を書きたい欲は納めることにしました。ぶっちゃけ手間だしね。2-3番目の著者にしてもらえれば万々歳。その分の時間でデータをもっと集めます。
以上。