はてなキーワード: 齟齬とは
韓国でも日本の最近の「現代知識で活躍!」はしられていて、言葉は悪いですが「日本終わったな、なにあれ」とあざ笑われています。特に漫画ですが最近エルフに「味」教えたりする作品がネタになり、「ああ、これは『足』というモノだ。これで歩くんだ」日本語の台詞を直訳した台詞で遊んだりしますが— 손지상 (@doskharaas) October 29, 2018
「ご愛読ありがとうございます!読んで頂き非常に嬉しく思います。韓国発のサブカル作品を私も楽しく読ませて頂いております」だコノヤロウ!
「どうやら本件は韓国という言葉と距離の大きな違いから日本サブカル界でいうところの『現代知識無双』に理解の齟齬がありようなので今回僭越ながら私が解説しますのでどうかよろしくお願いします」だチクショウめ!
発祥は諸説はあるがサブカル用語のいわゆる「萌え」が成立したと確信的に言えるのは1990年代に入ってからだ。
この愛情とも好意とも何とも言えない心の震え、喜び、熱さを表現する用語として「萌え」の発見はサブカル界においてパラダイムシフトだったことは間違いなく、今日のサブカルには無くてはならない概念である。
萌えの発見から10年間、日本サブカル界隈は様々な萌えるキャラクターやシチュエーションを次々と考案、表現をし「萌え」の創作に努めてきた。
しかしながら世に萌えが溢れすぎているということに気付いた日本サブカル界隈は「萌え」を体系化する必要性に迫られた。
それまでは「管理人さん」や「セラムンの○○」「藤崎詩織」「姉」「妹」など「萌え」に対してキャラクター固有名詞や家族属性で表現されていたキャラクター属性を日本サブカル界隈は体系化するという一大事業へ手を出したのだ。
それこそが「ツンデレ」を端に発する「萌え属性」「新ジャンル」である。
「新ジャンル」は創作を楽しむと共に既存キャラクターの傾向を洗い出しシンプルにした記号体系化を果たした。
この一大事業の成果は大きく、今日のサブカル作品キャラクターは数多く生まれた「新ジャンル」作品のいずれかに該当するほどだ。
そして「萌え属性」では漫画・アニメ中心に髪型や身体的特徴・口癖によるキャラクター属性の記号化などの試みも行われ代表作には「金髪ツインテールツンデレ」「短髪貧乳ボーイッシュ」「やれやれ系主人公」などある。
日本サブカル界隈は萌えの記号体系化という一大事業を完了し次のテーマを模索した。
現在の日本サブカル界隈で席巻しているのは「主人公」という言葉としては単純明快ながら考えれば深すぎるテーマを掘り進んでいる。
このブームの火付け役は「とある魔術の禁書目録」シリーズであろう。
「とある魔術の禁書目録」シリーズの主人公は一人ではない。ストレートに解釈するなら主人公は「上条当麻」であるが、少しでも“とある”を知っていたり、そのファンは「主人公は上条当麻や一方通行、御坂美琴など多数居るし、むしろ1ストーリー毎に主人公が居ると言っても過言ではない」と訴えるはず。
日本サブカル界隈はこの「とある魔術の禁書目録」を読んで衝撃を受けたのだ。
何故なら1990年代から2000年代まで日本サブカル界隈がやっていたことはヒロインの開発であり、主人公は開発が停滞していたと言っていいほどほぼ手付かずだったのだから。
もちろん日本サブカル界隈には1990年代から2000年代にも魅力的な主人公は生まれた。しかしながらヒロイン開発以上の成果があっただろうか?
ここで考えてみて欲しい異世界転生モノ、現代知識無双モノでフォーカスされているのは誰なのかと。
確かに作品によってはご都合主義過ぎて呆れるものもあるだろう(超ご都合主義の場合は大抵は細かいことを無視したギャグ作品であることが多いが)。
しかしながら多くの異世界転生モノ、現代知識無双モノでの共通点は「順風満帆な異世界生活を保障していたチート能力の無力化」だ。
そのときに主人公は窮地に立たされ成長が促される。例えば元の世界でダメ人間だった自分と決別し真の意味で強くなったりする。チート能力じゃない強さを手に入れたりするのだ。
異世界転生モノはヒロインメイン作品ではないんだ。異世界転生モノは主人公メイン作品なんだ。
金髪ツインテールはツンデレだよと伝えるように、主人公メインの作品だよと伝えるための舞台が異世界なだけなんだ。
など、主人公へフォーカスしたものや実質的に複数の主人公が居る作品がテキトーに挙げても目立つとはずだ(テキトーにパッ思いつく限り挙げたらジャンプに寄っちゃってしまった)。
日本の同好の士たちよ「2000年代アニメはパンティアニメがメイン」とか言われたら反論したくなるだろうが!(一部は事実だけど!)
この話に関する最も愚かで、最も多い人種の説明は、全単射だのヒルベルトホテルだのを持ち出して的外れな解説をした挙げ句、「人間の感覚が裏切られる数の性質のひとつ」などとのたまうアレである。本質をまるで理解せず、明らかな矛盾や自らの違和感を深く追求することもせず、権威を前に思考停止して、自分よりは深くものを考えている人たちが納得できずにいるのを見て優越感に浸る真性のゴミカスである。
頭の働く人であれば、無限集合の「大きさ」の定義は一般的な定義とは違っており、表題のような混乱を招かないため新たに「濃度」という語が定義されている、ということを明言するだろう。この話ではそもそも言葉の定義が知識と違うのだから齟齬が生じるのは当然だ。この再定義を経ずに表題の結論に至るとしたら、間違っているのはそちらの方だと言ってもいい。受験レベルの数学的帰納法でも偶数が自然数より少ないことは証明できるだろう。これが感覚であるなどと、よくもまあ言い張ったものである。
参考までに、次のロジックなら誰もが納得できるだろう。『2つの無限集合において集合の全ての要素が1対1で対応するとき、「2つの集合は大きさ(濃度)が同じである」と言う。無限集合A={1,2,3,...,n,...}と無限集合B={2,4,6,...,2n,...}は各要素が1対1で対応するため大きさ(濃度)が同じである』。これは数学的にも直感的にも何ら欠陥の無いロジックだ。
さて、定義を改めればひとまず納得することはできる。だが逆に言えば、一般の定義で見た場合に明らかな誤謬が生じているという事実は残っている。集合の要素が1対1で対応するのであれば同じ大きさである、というのは一般的にも間違いなさそうに見えるからだ。真理を冒している論理の誤りがどこにあるのかを明らかにしてこそ、この問題を十分に考え抜いて理解したのだと言えよう。
違和感がどこにあるかは、おそらく誰もが直感的に分かっている所だろう。すなわち、仮に集合Aを100までに限ると、集合Bは200までの偶数となる。一方では100を上限としながら、もう一方では102~200までを考慮してもいいのだろうか。普通、自然数と偶数と言われてこのような解釈をすることはまずありえない。この矛盾感が、無限集合という言葉を盾にされても看過しがたいものに思えているのではないだろうか。その直感は何も間違っていない。それこそが核心である。何故なら「正の偶数は自然数に含まれなけれなければならない」からだ。要素を1対1で対応させようとすれば集合Bは必ず集合Aに無い要素を含む。そのため自然数に含まれるという本来の定義を満たすことができない。集合A={1,2,3,...,n,...}を自然数、集合B={2,4,6,...,2n,...}を正の偶数の集合、とすることは各々では正しくとも、偶数の定義に自然数が関わる以上は両者の定義上の関係性を改めて保証する必要が生じていたのだ。かくして表題のような誤謬が生じたわけである。
まず勘違いしないで欲しいのは、個人的に内心怒ったりキレたりしてしまうだけで周りに迷惑は一切かけていない。
すっげーどうでもいいことだけど、僅かだけど時間のロスに繋がっていることがどうしても許せない。
内心相手にキレている場合もあるが、殆どの場合は自分で自分に対してキレている。
本当に腹が立ってしょうがない。
キレるのと同時に脳がびっくりしているのを強く感じる。
時間の管理をちゃんとしようと思って、仕事中にきっちりタイマーで時間を測っているのが良くないのだろうか?
1時間で終わらせると決めた仕事が終わらなかったときのストレスは半端じゃない。
めちゃくちゃキレてしまう。
ふざけんな、と思ってしまう。
自分に対して。
業務委託・在宅作業なので、早く終わらせればそれだけお得なのだ。
逆にいうと時間がかかるとそれだけプライベートの時間を損しているということだ。
耐えられない。
でもいちいちキレていたら身がもたない。
昔はこんなことなかったのに。
内容云々よりか、叩く人間は情報番組というものを、そもそもまったく理解していないよね。
叩く人々はニュース番組などにおける、コメンテーターが何の為に居るのか知っているのだろうか。
あの人たちの役目は単に、ニュースの詳細を解説することじゃない。
それは、一面的な見方を排除するために居るのであって、ニュースを見る人々へ多面的にも物事を考えることを促し、熟考してもらうために存在している。
故に本来のコメンテーターとは一種の天邪鬼的役割を必然的に背負う必要があって、朝のニュースや昼のワイドショーにおいて、世間一般の声と同様のことを意見しそれで満足しているコメンテーターなどこそ、本来の役割を果たしていないのであり、存在価値は皆無。己の保身に走って、叩かれ炎上することを恐れて月並みのことを言い、市民の感情を我が物顔で代弁する。そんな奴は糞だ。
思考における余裕とゆとりを持たないことは洗脳されていることに変わりなく、自分と違う考えや世間の意見との相違には「はい、あなたは異常です」なんていう社会はディストピアといって齟齬はない。
例の自殺に関しての、被害者を攻め立てるようも聞こえる松っちゃんの論説は、なるほどなかなか刺激的ではある。
しかしそこには確かに真理性が感じられるし、寧ろ頭の回転がよい彼ならば、このようなことを言って「批判され、炎上するだろうな」ということがわからないはずもなく、当然それがわかった上での発言であるように感じる。
すると炎上も恐れず忌憚なき意見を発したその姿勢こそ、咎めるべきではなく褒めるべきでは?
AIの仕組み自体は人間の能力を遥かに超えたものかもしれないし、それによって社会の利便性を更に向上させるものであるかもしれないけれど、そのAIを設定するのは人間だということ。
その人間が男性優位社会で育ってくれば当然男性優位AIが爆誕するんだし、
リンクしたアマゾンの採用AIの件を含めて、機械学習の仕組みを理解してるとは思えない。AIに対する現状の理解として、この表現はありえない。
id:fujii_yuji 機械学習の仕組みをご存知ないようですね。Amazonのは過去データからそうなったのであって、設計者の思想が反映されたのではないでしょ。 > "当然男性優位AIが爆誕する(略)AIは一握りのエリートに偏ったエリート優位AI"
id:fujii_yuji さんは、概要を理解しておられる様に思える。ブコメを見る限りで言えば、はてなーの理解度は1割程度といった感じがするけど、本当はもうちょっといるかも。
機械は未だに設計に従って自発的に成長し新たな発明を行う様な、いわゆる、ひらめきは獲得していない。今のAIと呼ばれているものは、学習したデータを参考にして、入力されたデータに対して最適な分類を行うことが出来るという程度の物。
モーリス・コンティ: 直感を持った人工知能が生み出すすごい発明 | TED Talk
例えば、この動画を見て欲しい。オブジェクトを設計するコンピュータが行うのは、与えられたアルゴリズムに従って答えを出す事だけだ。どんな形にしたいのかという目的、どんな材料を使うのかという制約、それを与えられると、高い強度とより少ない重量で目的を達成しろという最適化問題を解く。結果として、その答えが人間が持つ常識を裏切る答えを出した事に対して「直感を持っている」と言っているにすぎない。アルゴリズムを作成した研究者には、常識的な設計を裏切る答えも、理解できるものであり納得のいく答えでしかなかったはずだ。
将棋の人工知能が行う計算とは何か?既存の棋譜を大量に予め学習し、現在進行中の将棋の盤面上で起こり得る可能性のある駒の配置パターンを1手1手進めながら、棋譜と照らし合わせ、一手ごとに勝ちやすさがどの程度高まっていくか?を計算する。研究者は、盤面に表れる駒の並びを、どの様に評価するのか?駒を動かすごとに増えていく全てのパターンから、どこまでを用いて、何を捨てるか、評価と選択を行うアルゴリズムを機械に与える。その結果として現れた奇想天外な一手も、研究者にとっては蓋然性の高い答えでしかない。(あくまで一般的な人工知能の話だが)
完全に想像でしかないが、アマゾンの採用AIは、10年分の採用者の履歴書の中から、学歴や経歴、職務内容、スキルなどの性別に依存しない情報と採用後の実績を学んだのではないか。研究者は馬鹿ではないから、初めから性別情報など使っているとは思えない。これまで採用した人物に男性が多かったことは間違いなく影響があったという事は言えるが、可能な限り男女ごとのサンプルサイズの差に引っ張られる事なく、性別には中立な結果を出すように、用いるべき学習データとアルゴリズムを設計していると予想する。それでも、性別を隠されたある個人の履歴書から採否を判定した時に男性優位の答えを出したのは、活躍する社員に男性が優位になる傾向があったということ。その現実がポリコレとの間で齟齬をきたした場合に、計算結果としては蓋然性の高い納得できるものでありながらも、不誠実な結果と言われてしまった研究者の悔しさはいかばかりだっただろうか?
女性が優位になる様にアルゴリズムを作り直すときに、自分は科学者として真実に背を向けた事を理解したはずだ。にもかかわらず、どれほど女性優位のバイアスをかけてもAIが正しい答えを求める以上は男性優位の結果は覆らない、とマネージャーが判断して、非難を避けるために開発を停止した時の、その悔しさは想像するに余りある。
この件で、改めて、ジェンダー論は滅びろと心から思った。科学者には、政治的正しさではなく、真実を追求させてくれ。科学とは時に残酷なほど正しいものだ。
steel_eel 日本語のニュースで書いてたか知らんが、英語の方でみたが『××女子大学』『女子××部部長』とかを低評価してたみたいで、わりとダイレクトに性別を他の手がかり(というほどでもないか?)から判断して下げてた模様。
情報ありがとうございます。徹夜明けでして、ソース未確認で書いてますので、適当な事をいいます。すみません。
もしも学習データに、女子○○部長、というデータが入っていた場合にマイナスにする様なアルゴリズムを入れていたとは考えにくいです。というのは、そうであれば性別そのものを負のファクターにする方が早いです。ですので、他の素因でマイナスにせざるを得ない(不採用だった、あるいは解雇したなど)人物と女子○○部長の情報が結びついてしまったのでしょう。つまり、現実の採用では女性である事をマイナスに評価せざるを得ない様な学習データになっている、それを修正しようと思うと、女性のデータそのものを学習データから除外するしかないですが、そんな事をすれば、アマゾンは女性の居ない世界を仮定しなければ女性は採用できないという、矛盾にぶつかってしまいますね。
これではなく、入力情報に女子という単語が入っている場合に直接マイナスした場合。前述の理由で性別そのものをマイナスにしたのと同等でしかなくなります。これなら修正は容易ですので、そうではないでしょう。おやすみなさい。
http://dlit.hatenablog.com/entry/2018/10/10/080521
https://anond.hatelabo.jp/20181010122823
私もこの流れに賛同したので続きます。私は博士課程の学生なので、多少間違いがあるかもしれませんが、大筋は合ってると期待します。身バレしない程度にざっくりとした纏めにとどめますが、誤りがあった場合の修正については諸氏にお願いしたい。他の研究者の諸事情を聞くのは面白いですね。
というようなモノになると思います。各分野を横断する様な複合的な研究も多いのですが、大雑把にというところでお許しください。最も著名な研究者は現在はドワンゴリサーチを主幹しておられる西田先生でしょう。
国内ですと画像電子学会、VCシンポジウムといった会議や雑誌に投稿しますが、国内への投稿はあまり重要視されていないという現状があります。では、どこへ投稿するのか?といいますと、Siggraph (Asia) 、 Eurograph、Pacific Graphics などの主要な総合会議になります。主要会議については、インパクトを重視する面もあるのですが、各ジャンルで、例えばレンダリングではEGSRなど、主要な国際会議と同等レベルの難易度とみなされる会議があり、これらの専門ジャンルの分派会議は総合会議よりは多分に理論的な研究が発表される傾向があります。最も評価が高いのは主要三会議ですが、それらでの採択が無理なら、再実験や修正したのちに、ランクを落として投稿し、より注目度の高い会議での採択を目指します。
CGの論文は、ACMのデジタルライブラリーに公開されるほかは、殆どの場合は著者の一人がプレプリントを公開する慣習があります。ACMのみですと会員登録をしていない実業界の人の目に触れにくいという事情が影響しているのかなと。SiggraphとEurograph及び主要な分会を除いては、基本的には国際会議で発表された論文は、Proceedingになります。基本的にはというのは、その中の優れたもの何報かはジャーナルに採択されることもあるからです。またジャーナルに直接応募する事も出来ますが、ジャーナルへの投稿は会議への投稿よりも時間を要する事情もあって国際会議へ投稿する人が多い様です。当然ですが、これらは全て査読されます。何度もリジェクトされます・・・。
https://www.eg.org/wp/eurographics-publications/cgf/
https://www.siggraph.org/tags/tog
一般的な論文のページ数は1ページ両面印刷 2段構成で10P程度です。とても短いですが、短い分だけ綺麗に纏める能力が問われる事になりますし、一言一句と言えども無駄にできない厳しい調整を繰り返して執筆します。
主要会議は下記のリンクに纏められています。リンクから論文も見れますので、ご興味があればどうぞ。
http://kesen.realtimerendering.com/
CG業界における最高峰の雑誌は、ACM Transactions on Graphics で、IFは 4,218となっています。
次いで重要なのが、
IEEE Transactions on Visualization and Computer Graphics でIFは 3.078。
Computer Graphics Forum でIFは 2.046。
ieee computer graphics and applications で、IFは 1.64と続きます。
残念な事ではありますが、CGではIFが1.0を超えるジャーナルは少ないので、研究者の多さに比較して掲載枠は少なく競争は非常に激しくなっています。これもジャーナルよりは、それと同等に評価されるトップカンファレンスの proceedingにする理由かもしれません。
学位の取得難易度は、理工学系では高くない方だと思います。博士を取る過程で要求されるのは、雑誌ないし高レベルの会議のproceeding 2報というのが観測範囲での相場です。国内会議への投稿や、査読なし投稿、講演資料などを含めると5本程度はある感じになるのではないかと思います。博士を獲得するまでにかかる時間は3年となっています。それより長くかかる人も、短く終える人もいます。アカデミックなポストは常に足りない状況にあり、非常に優秀な研究者も結構苦労してるように見受けられますが、産業界に就職する場合は非常に簡単です。
CGをやる上で必要になる数学と物理は、基礎科学分野では学部生時代にやる様な初歩的な数学や物理です。最適化問題を解くことが多くなる関係で最適化数学についてはよくやっておいた方が良いようです。この辺りはジャンルに関係なく一通り勉強しておく必要があります。数学や物理の勉強量は、基礎科学分野よりも多くはない分、情報系のアルゴリズムに関する基本的な理論やプログラミングによる実装能力が問題になります。研究の為には比較対象となる研究を数本程度自分で実装したりする必要がある上に、バグを出せば致命傷になるという点が実装力の高さを要求する理由です。優秀な学生は、そこらの社会人よりも優秀という事は珍しくなく。プロコンでレッドコーダー(日本で20人程度らしい)を持っているという様な人もいます。
一本の研究を終えるのに読みこむ論文は、20~50、自分で実装する研究が 1~3、という量になると思います。斜め読みするものまで入れると、その倍くらいでしょうか。物理学と比べると明らかに楽ですね。
CGでは、どのジャンルを選ぶかで博士の取り易さに差はないように思えますが、レンダリング分野は先鋭化しすぎていて、既存の研究をキャッチアップして実装し、自分の研究を行うまでの間に膨大な努力を必要とする上に、光学的にみて正しいのか?(追記: 実際に物体に光を当てた場合に得られる画像ないしデータは、計算によって得られた結果と等しい物になっているのか? )という様な厳しい評価を受ける傾向があり、(CG系の)他分野に比べて業績を出すのが大変だと思います。研究者の中には10年以上に渡って育てて来たレンダリングエンジンをベースに研究を行う為に新参との差が大きいのです。そういう意味で優れた研究者に師事する事が非常に重要と言われています(師匠がエンジンを持ってますので)。最近は深層学習との組み合わせも増えてきているので、勉強量は非常に多いジャンルだと思います。その分、ゲームや映像分野で花形であり就職の際には引く手あまたになります。
近年、流体シミュレーションや弾性体シミュレーションは、新規性を出すことが難しいジャンルの一つと言われていて、トップカンファレンスでは採択本数が多くはありません。テーマ選びが難しい分野だと思います。リアルタイムなシミュレーションが難しい分野なので、ゲームなどでの応用を狙ったリアルタイム化の研究などが学生には人気がある様です。リアルタイム化すると理論的には正しくない、という様な齟齬が生まれる事が難しく、その折り合いの付け方に肝があるようです。レンダリング同様に就職に強い技術でしょう。流体力学や有限要素法などの知識を特に必要としますが、定型化されている部分があるのでキャッチアップはレンダリングよりは容易と思います。
モーションとはどんなものか?というと、ゲームや映画などで使われるキャラクタの動作=アニメーションの事です。行われる研究はすぐにでも実用化できそうな研究が多く、実際に企業(ディズニーなど)での研究成果が発表されることも珍しくはありません。髪の動作の研究なども、モーション研究のテーマの一つです。これも就職するなら強い分野です。特定の数学や物理に依存せず、基本的な数学の知識全般を必要とします。例えば衝突を考慮するならば力学を使うというような感じです。
かつてはCADなどで流行りのジャンルだったのですが、CADの研究が下火になったこともあり、現在は傍流の研究です。ただ形状解析の研究は、テクスチャ展開などCGに必要な技術を支えるものではあるので、現在も一部の研究者によって行われています。ゲームや映画で使うLODを作成する技術も、この分野の成果の一つです。他にはMRで赤外線センサーから取得した点群を形状に変換するといった場面で研究が役に立ちます。就職という観点から見ると、企業からの需要は少ないかもしれません。微分幾何と一部は位相幾何が特に必要となる知識です。
画像処理は画像認識系の会議へ行く事も多いのですが、近年、注目を浴びているのは、深層学習と組み合わせることで、ラフな線画をプロが書いた様な鮮明な線画に自動的に置き換えたり、また無彩色の画像に彩色する様な研究です。特に必要とするものはなく広く知識を必要とします。部分的には、色空間を多様体と考える様な研究もあったりするので、位相幾何学をしっていないとというような事もあります。伝統のある研究ジャンルだけに、問われる知識も広範です。画像認識系の研究にも精通している必要がある為、論文を読む量は多いでしょう。
基礎科学系では疑問視されることはないと思いますが、学科としての歴史が浅くかつ実業に寄った分野なので、論文の評価はどうなってんの?という疑問があるかと思い追記します。
査読の際に問われるのは、手法の妥当性です。先行研究との比べて何が改善されているか?理論的にそれは正しい計算なのか?といった事を主に問われます。情報工学のCG分野も科学ですので、先行研究との比較もデータを集め、解析的に、何がどの程度良くなっているか?を記述します。また、各研究が基本的な知識として使っている基礎科学系の知識にそって、理論的に研究手法が正しいものであるかも厳しく見られます。査読によって疑問を示された場合、一定の反論期間を与えられます。
研究者は査読を通過するために、動画やプログラムコードなど、再現性を示す資料を合わせて提出することで、査読者を納得させる工夫を行います。時には論文そのものよりも追加提出資料のボリュームが大きくなるという事もあります。というか、それが常でしょうか。
自身の研究も含めて既存の研究は、後発の研究者によって実装され検証されます。上手くいかなければ質問を受けるし、疑問を提示され、後発の論文で批判を受けることもあります。そうならぬように、実装したものを公開している研究者もいます。親切な研究者であれば、比較に使うと言えばコードや実験に用いたデータをくれることもあります。
以上のような仕組みによってCG系の論文は研究としての質を保っています。地道で厳しい基礎研究ではなく、実業に近い応用的な研究なので、すぐに企業で使われる事も多く、それも研究の妥当性を証明する一つの手段となっています。
sisopt 結構誤りあると思う。SIGGRAPH(Asia)論文はTOGに自動的に載るし、TOGに載った論文はSIGGRAPH(Asia)での発表権が与えられるからそれらは同等
これはその通りです。誤った情報を書いてしまい、失礼しました。業績要件については私の知ってる方を含めての狭い観測範囲ですが、なるべく高いレベルで 2報という方が多いようです。全大学ではないことはご了承ください。ご指摘いただきありがとうございました。
社会学は、自然科学で多く用いられているクロスチェックによる正当性の評価方法が採用しづらいゆえに弱いようだ。
社会学が人や集団を相手にする以上、倫理的に問題のある行為はできないし、再現性も後になってみないと分からないものも、検証のしようもないものもあるだろう。
では、フィルターがまったくないかというとそうでもないようだ。
「比較しろ」って簡単に言いますけどね――質的調査VS量的調査 岸政彦×筒井淳也
https://synodos.jp/society/19195
上記の記事中では、特に質的評価と呼ばれる手法が、評価しづらいという指摘がされている。
そのなかでもフィルターに近い作用は以下の文章にあらわれている。
「質的調査にも、いわば「社会問題の共同体」みたいなものがあると思うんです。そこには、研究者だけではなく、当事者、活動家、行政、メディアだったり、いろんな人が緩やかにつながっている。もちろん共同体といってもみんな仲良しという意味ではぜんぜんないですよ。その内部には葛藤や亀裂もあります。ただ、いずれにせよ、そういった人たちが論文を読むことはまれですから、たくさんくだらない論文や報告が出てくるんですが、そのままそんなことを続けていると、後から別のところで叩かれたり、調査が出来なくなっていくんじゃないか。ひとりの質的調査者の研究が、当事者や関係者たちとの関係性のなかで批判されて、広い範囲で、長いスパンでフィルターが効いているんじゃないかとは思っていますね」
まさに今炎上中の社会学者は社会との齟齬によって淘汰されつつあるのだと思う。
とてもウェットな世界のようにも思う一方で、自然科学の世界でも似たりよったりのようにも思う。長く残る人の中には、その人柄であるとか、昨今低くなっているという論文の再現性が高いとかの個人の信頼みたいな、業績としては評価されにくい隠しパラメータが高い人も結構いる。
https://blog.goo.ne.jp/toyodang/e/1316a8dad8d53aef57063e651b0763cb
そういう人でもテニュアのポジション取るまでは苛烈な性格だったとか結構あるけど。
脱線したので話を戻す。現在はTwitterによって市民の目が届く範囲に社会学が降りてきてると言えるのかもしれない。市民の目による監視も完璧なシステムではないと思うが(人気投票的で、長期間での研究価値とは別の軸で評価されやすいなど)、大学の中だけで閉じていくよりは新しい評価軸の発生は概して好ましいことではなかろうか。
昔、当時の大学のゼミの中で最も優秀だった女性が「女の脳の限界を感じることはある」と証言していたことがある。
彼女は本当に優秀で、そこらのバカな男には絶対敵わない知性の持ち主だったが、その当の彼女はやっぱり自分は論理を組み立てるのが男に比べて苦手だ、と思っていたようである。わたしはどのみちそういう方面で人には敵わないので、性差のせいだとか思ったことがないけれど。しかし彼女がそう言っていたことは、やっぱりそうなのかなあ、と印象に残っていた。
もちろん「論理的な男/感情的な女、という分類はウソ」という話は知っている。
しかし、筋肉は男のほうがつけやすいように「論理力がつきやすい男/論理力がつきにくい女」という現実はたぶん存在するのだろう。と思う。あの彼女が実感していたくらいだから。繰り返し念を押すがこれは私の感想であって、論理力のつきかたに性差はない、という話が証拠があるのなら是非とも教えて欲しい。わたしが間違っていたほうがいいのは確かだ。
なんでこんなことを書いているかというと、今やっているフェミニズム関連の炎上を見て、やっぱりそうなのかあ、とかまた思っているから。炎上して注目を浴びているとか、粘着している人たちがいるとか、それを差し引いても、隙の無い論理を扱っているようにはとても見えない。
大学のゼミは文系だったから、フェミニズムの授業で、昔は女性が「学者に向かない」と言われていた話が差別の実例として紹介されていた。今は数々の女性科学者の活躍でそういう風潮は減ってきたのだと思う。でももしかして、本当に女性は「学者に向かな」かったのだろうか。女性にも論理力を鍛えている人はいる。かつての彼女のように。でも女性だけで作られたフェミニズム学者のコミュニティが、平均的に論理力に欠けるのだとしたら、こんなに悲しい事は無い。
……とここまで書いて、保存しておいて、読み返してから、論理力の定義が分からないとか、論理力が学者に必須なのかが判らないとか、そういう齟齬に気付くわけである。
わたしが人に敵わないのはどうやらかわってないようだ。
JapanTaxi(全国タクシー)について書いた元エントリ(anond:20180927184434)に知らないうちに結構な反応があり、驚いている。要旨がよく分からないというコメントもあったが、要は「会社は乗務員に清貧を求めすぎだ」「アプリで無線配車の回数が増えた」ということである。字数制限で書けなかった。この記事は元エントリの補足が中心で、今伝えたい要旨はない。
乗務員一人だけの車内では、混雑時に無線が来る度に「おい!こんな無線よこすなよ!」「長距離だ!キャンセルするなよ!」という具合で阿鼻叫喚。しかし、短距離だろうが長距離だろうがお客様は皆、何らかの事情があって弊社のタクシーを利用していただいている。お客様と対面するときは、笑顔でやっている。サービス業にありがちなことだが、やはりあまり裏表があるのは望ましくない。
日本交通は、乗務員が心からの笑顔でお客様をお迎えできるような待遇を、乗務員にしていない。別にサービスを売りにしている訳でもない会社とあまり変わらない待遇である。これがよくないのだ、というのが私の意見である。
サービス業に限らず、どんな業界でも、上と現場の間で齟齬は起きているはずである。日本交通におけるそれが、無線配車と運転手の関係だ。もちろん私達もお客様のために必死。お互いが気遣い合って、一度一度の乗車を気持ちよく完了させられれば、もっとこの業界も良くなるはず。運転手にかかるストレスが少なくなれば、お客様が感じるストレスも減っていくかもしれない。
そこで、アプリをよく利用される皆様のために、双方のストレスを軽減できそうな裏ワザっぽいものを紹介する。注文の段階になると「場所詳細」というボタンが現れ、そこに色々書くことができるということは元の記事でも伝えたが、これを利用する。
実際にこのメニューを開くと「建物名」「付け場所」と出てくるが、別にそれ以外のことを書いても大丈夫である。ここでは、電話予約の際に無線センターがお客様から承った依頼を乗務員に伝える際の言い回しを紹介する。ただし、記入欄1つにつき、字数制限は15文字。
こういう時は「乗降時ドアサービス不要」もしくは略して「DS不要」と書くのがよい。全角なのがミソ。やり方は色々あるだろうが、自分がタクシーを呼ぶときは迎え先の欄に「車内待機」、目的地の欄に「DS不要」と書いている。
お客様が来るまで車外待機し、お客様の乗降時にドアを外から開け閉めするサービスは、日交のマニュアルで指定されている。これを社内では「ドアサービス」と呼んでいるが、実際は降車時にお客様が「中から開けてください」と言ってくれるのを期待している乗務員がほとんど。
アプリに表示されている時間はアテにならない。15分とか20分とか表示されていても、実際は行こうと思えば10分以内で行ける。そこで、「時間調整不要」「時間調整禁止!」と書くと、よほど混んでいない限りはアプリで表示された時刻より5~10分くらい早く来てくれる。乗務員にとっても、時間のロスが減るため、かなりありがたい要求である。
実際の所、指定された時間より早く来てもほとんどのお客様は指定された時間(もしくはそれより後)にしか出てこないため、乗務員はそこら辺を遠回りするか、コンビニに寄って飲み物を買ったり車内を片付けて時間調整をすることが多い。お客様の方からそれをせずにさっさと来てくれ!と言っていただければ、乗務員も喜んで急いで行く、という訳である。
配車のアルゴリズムがどうなっているかは知らないが、実感として自分がいる場所と同じ町内には呼ばれないことが多い。例えば、「新宿区新宿」を流している車には、「新宿区大久保」や「渋谷区代々木」からの配車依頼が飛んでくる。空車が少ない地域では100mも離れていない場所から呼ばれることもあるが、レアケース。
https://i.imgur.com/yGMi2rt.jpg
↑の画像でも分かる通り、情報ひとつはカギ括弧の中に収められ、全角カンマで区切られている。これを利用すれば、車載器に自然に反映されるようになる。もちろん、気にしない人は分かるように書いて頂ければそれで大丈夫。
例えば、「新井薬師前駅」に「南向き」で待機してもらい、かつ「ドアサービス不要」「時間調整不要」ということを伝えたいのであれば、2つある欄のそれぞれに
新井薬師前駅」,「南向き
と入力すれば、車載器には4つの情報が送信されてきたように見える。もちろん1つの枠につき15文字の制限は守る必要がある。
https://i.imgur.com/v49tBy5.jpg
アプリ配車だと伝えられる事項が限られるが、電話配車だと↑の画像のようなこともできる。
パターンは様々あるが、建物の色や入り方(バック入庫が必要な場合)、寝坊してしまったときの対処など、細かく注文したいときは、電話で無線センターのオペレーターに伝えた方がいい。どんなに長々とした要求でもしっかり車載器に届けてくれる。
たぶん新型車(ジャパンタクシー)に乗りたい人が多いと思われるが、アプリだと「黒タクのみ」「黒タク優先」となぜか「プリウス」の3種類しかない。これ以外の選択肢は電話でしか指定できない。
ちなみに前述の場所詳細欄に「ジャパンタクシー希望」と書いても意味はない。ジャパンタクシーを指定したい場合は、無線センターに電話で連絡することになる。自分も何度か電話予約のジャパンタクシー指定無線を受けたことがある。ワゴン車(エスクァイアかアルファード)も電話でしか指定できない。
荒技として、「JPN TAXI以外は代車要請」と詳細欄に記入する方法もあるが、代車要請をするとアプリに正しく車両の位置が表示されなくなる(らしい)上、朝はいつまでも車が決まらなくなるため、要注意。代車要請とは車載器のメニューに表示されているボタンの名前で、その名の通りたらい回しされるものである。基本的には事故などどうしようもない状態の時に押すもので、何もないときに押すとその乗務員はクビになる。
何もしなくても無線は黒タクに多く回されるシステムになっているのだが、多少時間がかかってもいいから黒タクに来て欲しいというときは「黒タクのみ」「黒タク優先」のいずれかを選ぶ。車両そのものは色が違うだけで何か特別な設備があるということはないが、乗務員の質が違う。
日本交通を多く利用されるお客様はご存じだと思われるが、社内で基本的な研修とはまた別のサービス研修を受けた乗務員が黒色の車両、すなわち黒タクに乗ることができる。つまり、サービスレベルがより一層高く、ドライバーが新人であれこれ説明しなければいけないということもない…はずなのだが、黒タク資格を得られるかどうかは勤続年数よりも日頃の行いや本人の希望に依るため、乗務経験が1年程度の人が黒タクに乗っていることもある。
ちなみにジャパンタクシーは全て黒(紺)色の車体だが、行灯の「桜にN」の図柄が金色のものが黒タク扱いで、青色のものが黄色と同じ扱いである。つまり、黒は黒でも行灯が青のジャパンタクシーには新人が乗っている可能性があり、目的地を告げた瞬間に「大変申し訳ございません!新人でございます。道のご案内を…」と元気よく告げられるかもしれない。クラウンやセドリックは、黒タクでも行灯の図柄は青色。
別名「四社カラー」。日本交通グループ以外では、km(国際)、大和、帝都も同じ色。いわゆる普通のタクシーである。何も特別なものはない。前述の通り、ジャパンタクシーのうち青行灯の車両も黄タク扱いになる。これをわざわざ指定する理由はないが、無線センターに言えば指定できる。新人ならではのフレッシュさを味わいたい方はどうぞ。1年未満の乗務員は後ドア横に「新人」のステッカーを貼っている。
ちなみに、この車に乗っている乗務員が全員新人かというとそういうわけでもなく、黒タク資格を持っていても車両繰りの都合で黄タクに乗せられることがある。あとは、黒タクならではの縛りが面倒という乗務員は、何年勤務していようが会社から後押しされても固くなに黒タク資格を取らない。
この選択肢があるのがよく分からないが、たぶん一時期のプリウスブームに乗じた物だと思う。実は去年までいっぱいいたのだが、ジャパンタクシーが登場してから急激に台数が減り、グループ全体を見渡してもプリウスはほとんど残っていない。つまり、これを選ぶと高確率で配車に失敗する。自分が把握している限り、プリウスは三鷹営業所とグループ会社の東洋交通に数台ずつしか残っていない(いずれも黄タク)。同じくグループの春駒交通には黄色のプリウスαがいる。
ちなみにプリウスは四隅のサイズが無駄に大きいため、乗務員からの評判がすこぶる悪い。
別に、これでアプリを利用するお客様が萎縮する必要はない。乗務員に良い無線・悪い無線というカテゴライズをさせる会社が悪い。ぜひ、今後も通常通り使って頂いて欲しい。短距離でごめんなさい…と思う必要は別にない。実際は短距離の方が多いし、乗って頂けるだけでありがたいのだから。さすがに無線で410円とか570円は辛いけど。
どこからを長距離とするかは乗務員によっても違うが、4000円(10キロ)を越えると長い部類に入る。10000円を超えると「万収」と呼ばれ、営業所に帰ったあと他の乗務員に自慢できる。
お客様が来るまでにどうやって行こうかな~というのをじっくり考えられるため、心理的負担が少ない。無線のシステムはカーナビと連動しているため、新木場営業所の乗務員が二子玉川まで来て、そこで無線を拾ってしまっても、目的地が設定されていればワンタッチでカーナビをセットできるため、お客様に延々と道を聞き続けて手間をかけさせてしまうようなことはなくなる。短距離でも許せる。
別に長距離に限らず、空車で延々と走るハメになりそうな状況を埋めてくれればいいのである。いま流行のライドシェアの真髄もここにあるのではないだろうか。
例えば、23時頃に銀座から竹ノ塚までお客様にご乗車いただけたとする。比較的長距離なので嬉しい。しかし、0時を過ぎて竹ノ塚から都心への帰り道でお客様が手を挙げそうな場所はそうそうなく、下手すると上野かどこかまで10キロ以上空車のまま帰ることになる。これでは都心で1000円前後のお客様に何度も連続してご乗車いただいたのとあまり変わらない。(そんな時でもお客様を見つけるのがタクシードライバーの腕の見せ所ではあるけれども)
そんなときに西新井→千住と、千住→浅草の無線を立て続けに引くことができれば(そんなことは普通ないが)、それぞれ2000円も行かないかもしれないが、空走りの距離を減らすことができ、結果的に効率は上がる。なぜか世田谷区でよくある。
あくまで代表的な例であって、大泉以外にもこういう場所がたくさんあることは認知している。日交のタクシーは都心に集まるが、例えば世田谷区や目黒区は都心から直接乗り付けてくる人が多いため、アプリで呼ぶとそこから都心に帰ろうとする車が捕まることが多い。しかし、大泉を始めとする練馬区西部は都心からタクシーで乗り付けるとかなり高額になるため、そうでもない…ということである。
大泉近辺でタクシーが集まるのは吉祥寺だが、吉祥寺でも遠いし、あの辺はあの辺で忙しい。日交グループの車もそんなにいないため、JapanTaxiアプリだと捕まらない。
そもそも日本交通は乗務員に都心で営業することを勧めている(実際に都心で営業した方が売上はいい)ため、郊外ではJapanTaxiアプリではなく、東京ハイタク協会の「スマホdeタッくん」を使った方がいいかもしれない。日交は営業所が千住だろうが三鷹だろうが都心にガンガン出ていくが、中小は郊外ローカルで気ままにやる人が多いのが背景にある。
以前ある乗務員から聞いた話では、三鷹営業所では「世田谷番」を設定し、都心に出ずに世田谷区内を中心に営業する乗務員を日ごとに決めていたそうだ。これで需要が多いにもかかわらず日交の営業所がない世田谷区内の需要にもくまなく対応できいたが、営業補償があったかどうかは知らない。ただ、世田谷に営業所を置く飛鳥交通が東京無線から日交にのれん替えしたため、今はないと思われる。
底上げ給を設定してくれるのであれば、一日中郊外の特定地域に居座っていた方が乗務員にとっても気は楽である。都心のピリピリした雰囲気に巻き込まれず、営収を追う必要もそんなになくなり、駅まで・病院までの短距離乗車だって笑顔でこなせる。銀座の金持ちを狙うばかりがタクシーの社会的責任ではない。
配車アプリでUberの進出を防ぐという目標があり、それをタクシーを生業とする自社の社員に担ってもらうのであれば、こうでもして各地域まんべんなく配車が成立する確率を高め、より一層お客様に満足していただけるよう取り組むのが筋ではないか。
アプリを開発したJapanTaxi(株)は、日本交通の100%子会社で、アプリ以外にも無線システムや車載器、あるいはクレカ/電子マネー決済機を開発している会社である。どちらかというとITベンチャーの部類に入る。なぜこの会社が優先配車の980円をもらっていくのかは謎。アプリとお客様は悪くない。会社が悪い。
似てると思いませんか。
ドジでマヌケな主人公とその周囲にいる魅力的なキャラクター、ストーリーのあちこちにある矛盾を、その場その場の盛り上がりと勢いで押し切るところが。
まぁ、永野芽郁ちゃんをブタと間違えて捨てられたガーリック臭い超人と一緒にするのはどうかと思いますが、キン肉マンといえばやっぱり
「カッコいい超人や面白い超人がいっぱい出て来る」のが良いのであって、「半分、青い」についても秋風先生を筆頭に周囲のキャラ立ちが半端ないし。
あ、律がミートくんでユーコがテリーマン?あとは…秋風先生が悪魔将軍とか。
ストーリーの矛盾については両方とも言うまでもないことなんですが、カッコよければOKの少年漫画、超人プロレスと違って、恋愛の要素が入ってくる中であまりに前後に齟齬が
「チッ、ウォーズマンのうすのろ野郎」とか言ってた人が次の巻で正義超人のリーダー的存在になってたりするのはいいけど、お互いやり直そうとしてた感じが次の週でナレ離婚
はなーんか許せない感がある。
で、「半分、青い」で一番キツいのは「主人公が全然成長しない」とこ。なにやっても上手く行かない、いつまでたってもカメハメ師匠に48の殺人技教わる前のキン肉スグルなと
ころなんですよね。鈴愛ちゃんにとってのキン肉バスターが、漫画でも五平餅でも幸せな結婚でもなくて、ようやく扇風機かと思ったら明日最終回かよ、と。この辺のカタルシスの無さに
ホウレンソウとは元々は今現在「おひたし」と呼ばれている部分を指す概念だった。
報告・連絡・相談が積極的に行われるような職場環境を作るために、職場環境への影響力が強い人間の側が積極的に情報交換が行われるような心理的安全性の高い空間を作りなさい。
そういう教えを元々は「ほうれんそう」と呼んでいた。
それがいつの間にか、報告・連絡・相談は全てが部下の裁量と責任によって実行・申請されるものであり、そこに生じた齟齬は全て部下のコミュニケーション能力及び業務遂行能力の不足によるものである、という真逆の内容に書き換えられていった。
何故こうなったのか?
権力の強い者が責任を下のものになすりつける事を繰り返してきた成れの果てである。
責任を取るから強い権力を持っていたはずが、いつの間にか権力を持っていればいるほど責任を逃れやすくなるという逆転現象が起き続けた結果の成れの果てである。
唾棄すべき状況が積み上げられ続けた結果だ。
それによって誰が幸福になったのだろうか?
誰もが不幸になったはずである。
その責任は誰がとるのか。
その状況に流石にこれではみんな損をするだけだぞとようやく気づいて、今更になって車輪を再発明して産まれたのが「ほうれんそうのおひたし」だ。
だが恐ろしいことに「ほうれんそうのおひたし」はあくまでも「ほうれんそう」の発展概念として扱われているものなのである、未だに。
逆なのだ。
それなのにいつの間にか「ほうれんそう」があってそれから「おひたし」があるのが普通となり、その状態は今なお続いている。
間違ったままただ全てが突き進むよりはマシなのやも知れぬが、それでも私は「ほうれんそうのおひたし」などという言葉はやはり好きになれない。
だがもっと好きになれないのは、今「おひたし」と呼ばれている概念を無視し、権力者の責任逃れの為に作られた「ほうれんそう」を今なお振り回し続けている人種である。
今回の件では、ラノベを批判する側も決して一枚岩でなく、いくつかのグループがありました。
そのうちのあるグループがこう主張していました、
「エロい表紙だからダメ」でも「差別的な意図があるからダメ」でもなく、
「私たちに『差別的な意図がある』と思わせたからダメなのだ」と。
なかなか理解できずにいたところ、ふと思いついたのが、
「差別的な意図はなかったとしてもステレオタイプな黒人を描くのは差別」という論理でした。
「差別的な意図はなかったとしてもステレオタイプな巨乳女性を描くのは差別」。
なるほど、対応しているように見える。
いったい何が問題なのでしょうか?
なぜ「意図的でなくとも」なのか。
それは、差別的なステレオタイプを「無自覚に」支持していることがありうるからです。
そこからは作者の「意図」が差別的かどうか、という問題となり、
『境界線上のホライゾンXI中』の表紙に描かれた、
葵・喜美というキャラクターの格好には、もちろん作者の「意図」がありますが、
その「意図」を評価するには、作品内容に踏み込まねばならないでしょう。
「被害者が差別的に感じればすべて差別」という論法が使われることもあるらしいですが、
これは「差別かどうか」を機械的に分別しうる分かりやすい基準が欲されているだけだと思います。
当然ながら、「そこに意図はあるのか」「その作者の意図は差別的か」といった判断に思考放棄は許されず、
男性への媚びや隷属、あるいは羞恥といったイメージを抱く人がいます。
一方で、オタクには「エロい女は強キャラだ」というステレオタイプがあります。
あられもない格好をして興奮しているようなキャラクターが弱いはずがない。
『境界線上のホライゾンXI中』の表紙に描かれた、
主人公も含め、多くのキャラクターが頭の上がらない存在でもあります。
たとえば「ハーレム」というと男性優位をイメージするでしょうか?
多くのハーレムラブコメにおいて、男性主人公は情の深さと優柔不断を併せ持ち、
その性格がためにむしろ周囲のヒロインたちに奉仕する構図になりがちです。
(もちろん英雄好色を地で行く奔放なキャラも一つの類型として存在しますが)
言うまでもなく「いずれのステレオタイプが正しいか」と主張したいわけではありません。
ステレオタイプというものは意外に食い違っているものだということです。
「女性の頬が紅潮しているのは男性への媚びである」が「黒人の唇は厚い」などと
同程度に共有されたステレオタイプであるのかは議論の余地があるでしょう。
『境界線上のホライゾンXI中』の表紙に描かれた、
(ちなみに境ホラⅤ下の表紙は男性です)
しかし、たとえばセリーナ・ウィリアムズをカリカチュアライズして炎上した風刺画とは違い、
オタクにとってあのイラストは、あくまで葵・喜美というキャラクターの「真像」です。
これは、あのイラストを広く遍く「女性」のカリカチュアとして捉える人々との深刻な齟齬となります。
特に、葵・喜美はキャラクターとして「ごく一般的な女性」として設定されているわけでもありません。
シリーズに深く親しむファンほど、「女性」全体のイメージと結びつけるような見方に反発するでしょう。
これは「PCデポの記事についてヨッピーさんにあれこれ聞いた話(後編)」の続きです。
https://anond.hatelabo.jp/20180902034446
ヨッピーさんから、入れると言った注釈が入っていないと指摘を受けました。
確認したところ、死ぬほど長いメールが途中からばっさり省略されているのを見落としていました。
すみませんでした。
一応経緯を説明しておくと、貰ったメールをGmailで開いた所、本文の下に折り畳まれている部分が3つあったので、それを開いて内容を確認しました。
最初から表示されていたのは、ヨッピーさんからの注釈(の後編で記載した部分)だけでした。
畳まれている部分を開いたところ私の文章がずらっと表示されたので、注釈は見えているものが全部だろうと早合点したのが原因です。
省略されるような長いメールを受け取ったのが初めてだったというのもありました。
省略されていると、最後に[メッセージの一部が表示されています]というのが出るんですね。
これを見落としました。
さて、本題に戻って、残りの注釈を引用しつつコメントを入れていきます。
なれたはずです。
しかし、身分証を提示する意思がなかったのであればノーチャンスでした。
ヨッピー注
先ほどの注(筆者注:これは後編の文末に動かしました)でも書きましたが、ケンヂさんがT部長に「では自分の身分証を出せば父親を連れて行かなくてもいいのか」と確認した所、それでもやはり「書類は本人にしか渡せない」と言った、との事ですのでケンヂさんが父親の代理人になる事は不可能だったのではないかと思います。それにケンヂさんが身分証、例えば免許証を出した所で父親との続柄は「名字が同じだな」くらいしかわかりませんのでそれをもってケンヂさんを父親の代理人とするのはそもそも正当な手続きとは言えないのでは。
私の元の文章でも触れましたが、8/19のアポ取りの際、T部長は最初お父さんを連れてくるように求めていません。
ケンヂさんがゴネた結果出てきた話です。
それを最初からT部長がその態度だったかのように言うのはおかしいです。
正当な手続きと言うのであれば委任状、親族である証明であれば戸籍謄本を持ってこいという話になると思いますが、それこそケンヂさんは断るのではないでしょうか。
また、これも元の文章で触れましたが、PCデポ側はそれまで一度もケンヂさんの身分証を確認できていません。
お父さんとの関係が確認できないとしても、少なくとも手続きに来ているケンヂさんの本人確認をするのは当たり前ではないでしょうか。
また、お父さんが認知症で老人ホームに入っているという事情を鑑みて、せめて書類をというケンヂさんの希望に沿うような対応をしたのにそれが批判されるのであれば、PCデポは書類の受け渡しを断るのが正解になります。
それがケンヂさんの望んだ事でしょうか。
ヨッピーさんは、話がこじれた理由はT部長が話をコロコロ変えるからだ、と言いました。
しかし、詳細に追ってみると、実はそれほど変わっていません。
(中略)
言っている事が変わっているように見えるのは、ケンヂさんが当たり前の手続きをスキップしようとしていたからです。
ヨッピー注
「T部長が話をコロコロ変えるからだ」という事については、前述の2回以外にもあります。記事中にある追記1と追記2がそうです。該当の記事を書いた時に、契約内容についてはすべて店頭でT部長に「つまりリース契約ってことですね?」ってな具合にとひとつずつ確認を取って進めたのですが、記事を公開してから「実は違ったから訂正してほしい」と後から指摘が入ったという事実があります。この二つを入れると4回にわたって「言う事がコロコロ変わってる」ので僕がT部長に対して「話をコロコロ変える」という印象を持つのは自然ではないかと思います。まあ2回でもアレなんですけど。
8/20に話がこじれた理由がT部長が話をコロコロ変えるからだという話で、8/21以降の記事確認の話をカウントするのはおかしいです。
また、ケンヂさんの心象が悪くなったという話なのになんでヨッピーさんの感じた印象が出てくるのでしょうか。
そもそも、記事の事前チェックはそういった「後から確認したら違った」というのを潰す意味合いもあります。
(もちろん最初からちゃんと理解している人が出てこいよ、という突っ込みはあるとして。)
ヨッピーさんは広告案件の記事でも同じように、クライアントから訂正依頼を受けたら批判するのでしょうか。
実際にあった2回というのも、ある程度理解できる背景があるというのも元の文書で書いています。
例え勘違いでも、ケンヂさんがメディア対応したと怒っているところに「社長との面談にライターを連れて行くんでよろしく」って言われたら警戒しない方がおかしいと思うんですが。
なんでケンヂさんはよりによってそのタイミングで言ったんでしょうか。
これだけの経緯があって、お父さんを店頭まで連れ出したのを「PCデポの要望」でまとめてしまうのは問題があると思いますし、問題がないと思うような人にはこういった問題を論じる資格はないだろうと思うわけです。
(本当に)長くなりましたが、以上です。
ヨッピー注
「何を書いていなかったか」という部分について突っ込みを受けたので最後に書いておきたいと思います。僕は当事者であるケンヂさんから「PCデポに父親本人を連れてこいと言われた」という証言を得ており、かつその証言を信じておりましたので、店舗に行く前日、19日にケンヂさんとPCデポの間で行われたやりとりについて細かい部分まで聴いておりませんでしたし、そのことを記事に書かなかった事は事実です。そもそもその流れが重要であるとの認識もなかったので。ただし、その上でこの「独り言にて」さんの文章において「書かれていなかったこと」について書きたいと思います。
僕は記事を書き上げた段階で、PCデポ側に「事実関係に間違いがないか確認してくれ」という事で原稿を送っております。その時のPCデポからの返答は「公平な視点でお書き頂いたことお礼申し上げます(原文ママ)」というもので、事実関係の齟齬について指摘はありませんでした。ただし、「あれは違った」「これも違った」という事で、若干の修正が入っております。追記の1と2がそれに当たります。ただしそれ以外について事実関係において訂正が入っておりません。
つまり、記事中の「今回ケンヂさんが父親を同行したのも『契約者本人を連れて来て欲しい』というPCデポの要望によるものです」という記載についてPCデポ側から訂正が入らなかった以上はPCデポ側も事実として認めたものである、という認識をするしかありませんし、それが自然ではないかと思ってます。ケンヂさんの証言だってありますし。先ほども書いた通り、ケンヂさんが身分証を出した所でそれをもって代理人とするのが正当な手続きだとも思えませんし。
僕としては事実関係について、現場に同行し、現役のPCデポ社員の証言を集め、裏を取り、その上で批判されている側にも事実関係の確認まで取ってから公開した記事について、「保守速報やリテラのようなアジテーション作文」とまで言われるのは心外だな、と思っております。以上です。
「T部長に確認しているから問題ない」という反論はメールのやり取りの最後の方で何度も行われており、最終的には、記事で抜けている事実関係の重要性についてどう考えているのかを聞いてもそれしか帰ってこなくなりました。
「どう考えるか」まで答えてもらえないようになったので、潮時だと感じてやり取りを終えました。
ここで大事なのは、ヨッピーさんは記事において、重要な背景をすっ飛ばしてPCデポを批判したという事実です。
8/19に揉めたという事実をT部長は知っているので、それを踏まえて「公平な視点でお書き頂いた」と言ったのは、ヨッピーさんの書かない事で印象操作するテクニックに騙されているか、ただの社交辞令です。
また、前日に揉めた事を知っており、それが書いていない事を分かった上でOKを出しているわけです。
この一事だけでも、「T部長から訂正がなかったから事実関係は全て正しい」と捉えるのは無理があるだろうと思います。
実際、事実関係に抜けがある事はヨッピーさんも認めているわけです。
抜けている部分の価値評価については人によって変わるかもしれませんが、身分証の提示を求められて怒ったという内容が、今回の内容で重要度が低いとは思えないのです。
あと、これも繰り返しになりますが、「書いてある事」に「間違い」はないんです。
ある視点で見れば、正しいんです。
ただ、背景を無視しちゃ駄目なのでは、というのが私の指摘です。
ヨッピーさんのブログ(http://yoppymodel.hatenablog.com/archive/2018/09/02)にも反論があったので、こちらにも触れておきます。
僕&ケンヂさん
「PCデポから父親本人を連れて来ないと書類は渡せないと言われたので連れて行く羽目になった。当然PCデポに責任がある」
ケンヂさんの「私一人で来るなら身分証明書を、本人が来るならいらないとの話でした。で、本人を連れていったのです。」というツイートとの整合性はどうなっているのでしょうか。
ヨッピーさんは「分かりにくいかもしれませんがこっちが正しいです」みたいな説明をしていましたが、どう読み替えてもそうはなりません。
「私一人で来るなら」って、どう考えてもその選択肢が提示されているじゃないですか。
独り言にてさん
「ケンヂさんが身分証出して代理人になれば書類を受け取れるはずだったのに、それを拒否したから父親を連れて行く必要が出来た。だからケンヂさんに責任がある」
というか、これヨッピーさんとやり取りする前の私の主張じゃないですか。
今は「ケンヂさんが身分証の提示を拒んだので、PCデポはお父さんを連れてくるよう求めざるを得なかった。だから間接的にケンヂさんに責任がある」です。
PCデポ側が連れてくるよう求めたという事実はない、とは言ってません。
・認知症の父親を店舗にわざわざ連れて行く羽目になったのは、やっぱりPCデポのせい
このくだりですが、やっぱりケンヂさんに不利な所をカットしています。
ブログでは「PCデポから自分の身分証の提出を求められて拒否した事は事実だが」となっています。
しかし、正しくはT部長がケンヂさんに身分証の提示を求め、ケンヂさんは前に解約した時にはいらなかったじゃないか、と怒って口論になった、です。
背景を説明しているのに、なんで実質「本人確認なしで書類を寄越せ」という主張で怒り出した事をカットしているのでしょうか。
私は背景に触れないで誤った批判をしているからデマだ、と書いたのですが、その反論でも都合の悪い所はカットしているわけです。
それってどうなんでしょう。
「本人確認のために父親の身分証が必要なのは常識でしょ?」みたいな意見がありますが、それを事前に周知するのは契約のプロであるPCデポ側の責任でしょう。
えーと、ヨッピーさんは携帯の機種変をしに行く時、身分証を持って行かないのでしょうか。
言ってもらわないと分からないというのは、大人としてどうかと思います。
もちろん事前に知らせておく方が親切なのは間違いないですが、アポを取る時にケンヂさんは理不尽な怒り方をしてますし、その上で至れり尽くせりじゃなかったと責めるのは酷ではないでしょうか。
それに、ケンヂさんはそもそも不要であると勘違いしていた節もあります。
繰り返しますが、ヨッピーさんは記事において、重要な背景をすっ飛ばしてPCデポを批判したという事実があります。
後から判明したのであれば当時そう書いてしまった事は仕方ないとしても、今なおそれが正しいと主張するのは違うのではないでしょうか。
今回判明した背景は記事の該当部分の論調に影響しないと主張するのであれば、「いや影響するだろう」という批評は甘受すべきではないでしょうか。
ツイッターでやり取りしていた時もそうなんですが、ヨッピーさんの説明は時系列がおかしい、背景をカットするといったやり方が多いです。
いちいち指摘するのは時間の無駄なので、事実関係に対してに誠実になってほしいと思います。
保守速報とリテラを引き合いに出したのは「部分的に切り出した事実関係で煽る」という同じような手法を使っているという意味なので、心外というのであれば正しく事実関係を書いてほしいな、と思う次第です。
我ながら酷い言い様だとは思っているので、事実関係と経緯をきちんと書いてくれるのであればいつでも撤回します。
最終的に、「なぜPCデポはお父さんを連れてくるよう求めたのか」についてはあいまいなまま残ります。
ヨッピーさんもこれに対する答えは持っていないわけですが、PCデポには改めて確認しないんですよね。
もちろん強制はできませんし求めてもいませんが、ヨッピーさんが1本メールを出せば解決するんじゃないの、という感じではあります。
私が問い合わせても答えてもらえるわけないじゃないですか(ヨッピーさんに自分で聞けと言われたのでやりましたが)。
憶測と言いますが、全てケンヂさんが身分証提示を断った事を前提にすると当然そうなるという事の積み重ねです。
8/19にケンヂさんが身分証の提示を求められて怒った(断った)、そしてお父さんを連れてくるよう求められたという時系列が、私が説明された経緯です。
ケンヂさんに対して本人確認ができないのであれば、お父さん以外誰に本人確認ができるのでしょうか。
また、お父さんを連れて行く事そのものに疑問はなかったのであれば、それをケンヂさんが態度を硬化させた要因としてあげているのはおかしくないですか。
お父さんを連れて行くのは本人確認のためだと認識していたのなら、なおのこと身分証を持って行かなかった事が不可解です。
うっかり忘れたのならまだ分かりますが、それなら「聞いてない」と反発する理由がありません。
お父さん本人が行ったからといって身分証の代わりになるわけがないじゃないですか。
ケンヂさんはどんなつもりでお父さんを店頭まで連れて行ったのでしょうか。
契約書類を取りに来たという二人が、片方は身分証の提示を拒否し、もう片方は身分証を持ってませんとなったら、「何しに来たの?」って思いません?
PCデポに連れてくるよう求められた(からPCデポの責任だ)という話は非常にふわっとしていて、なぜそうなったのか具体的な説明がありません。
それどころか、ケンヂさんが身分証提示を拒否した事との関係も説明されていませんし、それを巡ってケンヂさんが怒りだして揉めたという経緯もカットして説明しています。
そして私の主張への反論は「T部長に確認しているから問題ない」ですから、納得する要素がありません。
最終的に「認識の食い違い」で話が終わるのであれば、ヨッピーさんに私の主張を飲んでもらう必要はありませんし、私の主張を撤回する必要も感じません。
改めて書いておきますが、私がデマだ保守速報だと言っているのは8/20の経緯と評価についてだけです。
以上です。