2018-09-21

境界線上のホライゾン』表紙イラストは「意図せず描かれたステレオタイプ女性」だったのか

今回の件では、ラノベ批判する側も決して一枚岩でなく、いくつかのグループがありました。

そのうちのあるグループがこう主張していました、

エロい表紙だからダメ」でも「差別的意図があるからダメ」でもなく、

私たちに『差別的意図がある』と思わせたかダメなのだ」と。

ストレートに受け取れば単なる被害妄想です。

なかなか理解できずにいたところ、ふと思いついたのが、

差別的意図はなかったとしてもステレオタイプ黒人を描くのは差別」という論理でした。

差別的意図はなかったとしてもステレオタイプ巨乳女性を描くのは差別」。

なるほど、対応しているように見える。

同時に強烈な違和感も覚えます

いったい何が問題なのでしょうか?

意図的でない」の意味

なぜ「意図的でなくとも」なのか。

それは、差別的ステレオタイプを「無自覚に」支持していることがありうるからです。

とすると、これはむしろ意図的でなくても」というより、

意図的でないからこそ」と考えたほうがいいでしょう。

意図的にそのような表現をしている場合

そこからは作者の「意図」が差別的かどうか、という問題となり、

表層的な「見た目」の問題ではなくなるからです。

境界線上のホライゾンXI中』の表紙に描かれた、

葵・喜美というキャラクターの格好には、もちろん作者の「意図」がありますが、

その「意図」を評価するには、作品内容に踏み込まねばならないでしょう。

被害者差別的に感じればすべて差別」という論法が使われることもあるらしいですが、

これは「差別かどうか」を機械的分別しうる分かりやす基準が欲されているだけだと思います

当然ながら、「そこに意図はあるのか」「その作者の意図差別的か」といった判断思考放棄は許されず、

何らかの問題が起きるその都度に吟味する必要があるでしょう。

ステレオタイプ」の食い違い

「頬を紅潮させた半裸の巨乳女性」のイラストを見て、

男性への媚びや隷属、あるいは羞恥といったイメージを抱く人がいます

一方で、オタクには「エロい女は強キャラだ」というステレオタイプがあります

あられもない格好をして興奮しているようなキャラクターが弱いはずがない。

境界線上のホライゾンXI中』の表紙に描かれた、

葵・喜美というキャラクターもまた作中屈指の強キャラであり、

主人公も含め、多くのキャラクターが頭の上がらない存在でもあります

たとえば「ハーレム」というと男性優位をイメージするでしょうか?

多くのハーレムラブコメにおいて、男性主人公は情の深さと優柔不断を併せ持ち、

その性格がためにむしろ周囲のヒロインたちに奉仕する構図になりがちです。

(もちろん英雄好色を地で行く奔放なキャラも一つの類型として存在しますが)

ハーレムヒロインたちが恋敵ではなく戦友として結託して、

主人公をみんなで「管理」するような展開すらままあるのです。

言うまでもなく「いずれのステレオタイプが正しいか」と主張したいわけではありません。

ステレオタイプというものは意外に食い違っているものだということです。

女性の頬が紅潮しているのは男性への媚びである」が「黒人の唇は厚い」などと

同程度に共有されたステレオタイプであるのかは議論余地があるでしょう。

それは「女性」なのか

境界線上のホライゾンXI中』の表紙に描かれた、

葵・喜美というキャラクターはもちろん女性です。

(ちなみに境ホラⅤ下の表紙は男性です)

しかし、たとえばセリーナ・ウィリアムズカリカチュアライズして炎上した風刺画とは違い、

オタクにとってあのイラストは、あくまで葵・喜美というキャラクターの「真像」です。

これは、あのイラストを広く遍く「女性」のカリカチュアとして捉える人々との深刻な齟齬となります

特に、葵・喜美はキャラクターとして「ごく一般的女性」として設定されているわけでもありません。

シリーズに深く親しむファンほど、「女性」全体のイメージと結びつけるような見方に反発するでしょう。

キャラクター性を度外視できる「見た目の過激さ」についてだけではなく、

その意図差別性にまで踏み込んで議論するのであれば、

この認識の溝を埋める努力必要となってくるはずです。

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