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はてなキーワード: 新左翼とは

2023-06-11

※長めの追記あり

けっこう忘れ去られてる事実かもしれないが、ちょっと昔は、左翼は「不謹慎万歳」だった。

ポルノ体制の抑圧に抗する人間性解放象徴だとして称揚していた。

「不健全表現存在してはならない」なんて、宗教右派特高警察かみたいなこと言ってる現在とは正反対だ。

「昔の左翼はえらかった」などという話ではない。だってあんまりメンツ入れ替わってないからな。共産党の主たる票田は昔も今も団塊世代だろう。

いか左翼正義が何にでも結合するのかということだ。無農薬野菜にも反原発にも、エログロにもポルノ廃絶にも、アニメにもオタクバッシングにも、反戦にも戦争賛美にも、宗教にも宗教弾圧にも、何にでも取り憑いて寄生してしまう。

ブコメ読んで思ったことなど

まあそれはそうなんだけど。もっともな動機に根ざした暴走こそタチ悪いというのもあるし。

のもその通り。

いわゆる保守体制側は、締め付けるにしても緩めるにしても風向き次第・エライサンの胸先三寸というところが元来有る。

本邦において左翼に期待される役割は、そういうヌルヌルの動きに要所で釘を刺すことのはずだ。

保守伝統と呼ばれる暗黙知ベースに共有してる(ことになっている)からなんとなくで動いてもいいんだ。

左翼はそうであってはいけない。理屈で動かないと意味がない。でももう「戦後ももはや「歴史」になり、左翼にもなんとなく感覚的に依拠できてしまう「伝統」が生じてしまったんだろうな。

もちろんここで左翼とか保守とか雑語りしてるのは「敢えて」なんで、細かいツッコミ無視で。

結局のところ「日本社会って変だね」という話ではある。ウヨサヨ相克史という切り口からはむしろその変さは整理できないだろう。

ところで「けしからん表現の取り扱い」については欧米もたいがいわけのわからない紆余曲折を経てきており、それが本邦の国内状況に混乱を添えている。

そこで保守に期待される役割は「うちにはうちのルールがある」という毅然たる態度のはずだがおとうさんもうふにゃふにゃだからな。

その辺のディテールは言わなくても知ってる同士(というか世代)での書き方しかしてないからな。ちなみに78年生まれ愛のコリーダだののリアタイ世代ではない。

表現規制とかセックスジェンダー関係の話ってウヨサヨヘイトプロレスネタとして消費されやすい。

別にただちに生き死にに直結する話でもなし、まともな人は火の粉をかぶらないよう距離をとることが分別ではないか基地外と踊るべきではない、そのように受け取られがちだ。

でもそうじゃあないんだね。こういうのをグダグダのままにしておいたら我々はクソみたいな「戦後」の文化言論空間をどこまでも(団塊の死後も)ズルズルひきずることになる。

2023-04-04

anond:20230403180139

今の日本リベラル学生運動時代新左翼と言われた層が主な源流になる

こいつらは経済発展目覚ましい日本左翼活動を始めたので、そもそも経済問題は重視していない

新左翼以前の左翼世界では資本主義では労働者は豊かになれないと考えられていた。

なぜなら労働者搾取されてしまうから

から共産主義はみんなが平等に豊かになれて素晴らしいと思われていた。

まり資本主義vs共産主義は旧左翼にとってはどっちがみんなを豊かにするかの戦いだった。

ところが新左翼が台頭し始めた60年代の終わり頃にはもう資本主義でもみんながそこそこ豊かになり始めていた。

こうなると資本主義ではみんな搾取されて貧乏なっちまうぞ!という脅しは大衆通用しなかった。

仕方がないので新左翼環境とか男女平等とか心の豊かさとか、

経済的豊かさ以外のところに体制批判ネタを探し始めた

こうした新左翼活動思想がさまざまなチャンネルを通して脈々と受け継がれて今にいたるのが日本リベラルってわけ

奴らは非正規貧困とか経済問題になんてその出自からしてそもそも興味がない

2023-02-12

共産党が「今」批判を浴びているのはなぜか?

日本共産党が今、党首交戦制を公に主張した党員を除名した件で各方面から激しい批判を浴びている。

批判道筋もっともな内容であるけれど、日本共産党がそういう組織運営を行ってきた政党であることは、多少知識のある者なら昭和の昔からみんな知っていることだ。

それが朝日新聞東京新聞まで批判論陣を張る大きな流れになっている。

なぜ、今になってにわかにここまで問題視されるに至ったのか?

結論から言うと、広範囲左派リベラル圏の主導的地位をめぐる大綱引き合戦が起こっているのだろう、と思われる。

戦後左派ムーブメントは大きく、共産党系と非共産党系に担われてきた。朝日などが推す左派リベラル系の運動は、どちらかと言えばより間口の広い非共産党系人脈に軸足を置いていた。共産党場合によっては共闘相手にもなったが、新左翼などにとっては不倶戴天の敵だった。要は本流じゃなくクセの強い独自路線の傍流だった。

それが今、左派リベラル圏の軸として期待されてきた立憲民主党あたりがどうもあてにならなくなって、その分共産党系比重が増してきている。そんな状況に対して、非共産党系の支持者から左派リベラル全体を仕切りたいなら、党内体制どうにかしろや。今のままじゃ認められん」という声が起こっているのだろう。

共産党がこれに応えるとは思えない。要は「民主や立憲みたいになれ」ということだから

2023-02-06

共産党民主主義理解について考えた。

日本共産党民主主義的な変革を通じて、ゆくゆくは社会主義を目指している政党だというのは知っていた。

ソ連中国方向性に異を唱え、社会主義の前に、まずは民主主義確立を目指すという意味では、共産党憲法擁護者であったし、自由議会制民主主義擁護者としてふるまっていると思っていた。

そういうことを知っていたつもりだったけれども、このたび、異論を許さない態度で党首公選制を訴えた党員を除名処分にするニュースはあまりにも自由民主主義の考え方と乖離する、という違和感が強い。もちろん、50年代60年代に、ブントからさまざまな新左翼党派が生まれた経緯を反省すると、党の結束重視、分派につながる動きへの警戒は理解できるものの、なんとなく民主主義擁護している風の皮をかぶりながら、やっぱり統制好きな人たちなのか?という印象はぬぐえない。


そこで日本共産党綱領民主主義というキーワードがどういう文脈で使われているかを改めて読み直してみた。

まとめると、以下の特徴が読み取れた。

民主主義的な変革(革命)は専制政治覇権主義との闘いであ

・変革(革命)の担い手労働者、勤労市民、農漁民中小企業家、知識人女性青年学生からなる統一戦線である

民主主義が達成されたのちは社会主義を目指す


民主主義設計された所与のプラットフォームというより、【変革】により戦った【主体】が勝ち取る動的な運動認識されている。その主体定義されリスト化されており、その【統一】には社会構成員全員が含まれているわけではない、というのも注目に値する。はっきり書いてないが打倒されるべき悪しき存在匂いがぷんぷんする。昔よりマイルドになったとはいえ人民が戦って勝ち取るぞ的な歴史観がすごい。

綱領最後に、現在日本社会必要とする民主的改革の主要な内容として、国の独立安全保障外交の分野から憲法民主主義の分野、そして経済的民主主義の分野で目指すべき方向性を示している。

この中には安保破棄といったおなじみのものからジェンダー平等など最近になって共産党自身認識を改めたものも含まれている。

経済的民主主義の分野においては、労働規制食糧安保などが強調されているが、自由主義経済擁護はやはり、というか、やっぱり記載がなかった。

憲法民主主義の分野の記載で、もうひとつ特徴的だと思ったのは、民主政にとって、ある重要メカニズムが全く記載されていないことだった。

それは言論表現の自由記載だ。

ははあ、と腑に落ちたところがあった。なぜ民主政にとって、もっと重要概念が抜け落ちてしまうのか。

共産党の考え方では、民主主義は、戦いと表現されることから象徴されるように、そもそも主体的に、イデオロギー進歩として達成されるべきもの認識されており、しかもそれは社会主義革命に至る途上の段階とされる。

民主主義革命に向かう運動理解され、この革命担い手主体」がキーワードになるんだな、と改めて気が付かされた。運動主体が【統一】されるべきである、という共産党員の自画像が、今回の件で、党外発言攻撃とまで罵る背景にあるように思えた。

というのは、いわゆる自由主義社会においては、「主体」について全く異なる理解をしている。多様な主体のもとで、社会が進展するという考え方のほうが支配的だからだ。

広い意味でのリベラリズムでは、リバタリアニズムレッセフェールなど完全放任まで幅があるものの、経済社会進歩は、特定イデオロギーによって達成されるのではなく、優れたもの自然選択されるという淘汰圧客観的社会ダイナミズムとして理解されている。

表現の自由についていえば、特定イデオロギーの正しさは、歴史自然に結果を出すものであって、教会政府が真理として押し付けものではない、というのがヨーロッパでもアメリカ政治体制でも共通の前提となっている。

そのような認識の下では、多数の目から一見すると正しくない言論や行い、考え方についても、その考えが社会存在することを排除しないのが美徳となる。

差別的言論しかりであり、正しくないと思えるもの一定程度、社会蔓延するのを認容する、というのは、長い目でみて、社会進歩するための副産物と考える。

したがって、雑にまとめれば、自由主義社会制度設計では、ブルジョアプロレタリアートといったイデオロギー的な主体覚醒必要とされないし、イデオロギー的な主体覚醒人民の団結を呼びかけるような政治体制は、資本主義的な搾取構造以上に、暴力装置である、というのがリベラルからみた共産主義問題点といったところだろう。自由主義では、イデオロギー的に多様であっても、そして無自覚であっても成立し、発展しうる社会設計を構想しているのに対し、共産主義では、変革の主体が強く意識され、その主体統一戦線)されることが変革のキーだと考えられている。

翻って、共産党綱領を拾い読みすると、文脈としては

民主という言葉が登場するたびに、それは専制によって奪われてきた歴史であり、覇権主義との闘いであり、それに抗い変革を進める担い手が強調される。

そして、ひとたび担い手に注目するやいなや、担い手気づきというか覚醒が求められる。革命は待ってても自然には起こらないということだ。

これは共産主義独特の進歩史観だ。ここに、担い手教育し、同じ価値観イデオロギーを共有させようとする契機がある。

これは、党首公選制を唱えた者を破門する、という最近みられた動きと表裏一体ということになる。

綱領言論自由記載が一行も存在しないのも納得である言論自由もつ社会ダイナミズム理解しつつ、イデオロギーを啓もうすることは自己矛盾だ。

というわけで、社会の変革にとって、イデオロギー共鳴する主体醸成を重視するか、

それとも自由ダイナミズムを重視するか、ここに分かれ道がある、というありきたりな結論に至ってしまったな。

政治体制言論自由進歩史観プレイヤー
自由主義どちらかというと放置蓋然的客観的多様性重視
共産主義どちらかというと統制的必然的主体一体性重視

みたいなイメージになった。


しかし、共産党の皆さんに是非、戦後世界歴史をもう一度振り返ってもらいたいと思うのは、

例えば、黒人差別撤廃をめぐるダイナミズム

言論表現の自由がもたらす社会不協和音暴力という副産物をある程度社会が許容できたからこそ、社会運動が大きく広がった。

この運動はもちろん差別と闘う社会変革の主体抜きには語ることはできないが、過激言論民主主義副産物とする社会プラットフォームがあることによって、運動価値昇華された。

暴力性という点では労働権の暴力性(争議権)も社会改革の進展のかぎだ。今では自明性に埋没して疑いもしない労働者という言葉、実は【労働者概念】とその暴力性は、革命概念と地続きり、出自はもちろん自由主義ではありえない。

異なる出自もつつの権利争議権言論自由は、社会変革のダイナミズムに伴う暴力という意味では実は共通項だ。

他者危害原則が基本の社会において、なぜ規範からの逸脱という暴力、そして異端存在を、広く多様性という価値を認めて、一定程度、許容する仕組みを自由主義社会は構想しているのだろうか?同一コミュニティに閉じている限りは進歩進化もない、という、それはやはり、進化プロセスに対する直感が働いているといわざるを得ないだろう。

争議権というのは、学校が停止したり電車全面的に止めたりと経済に甚大な被害を与える超暴力的な行為を時に伴うが、そのような痛みを社会が許容することによって社会改善することがある。自由主義社会はこうした社会変革に伴う暴力一定コントロールに置いたうえで社会進歩を進めてきたといえる。

ちょっと余談になるが、日本での社会権の受容はGHQ改革に始まって、やや独特の経緯をたどって欧米とは異なる展開となった。

敗戦直後、それまでの動員される勤労者から主体的な労働者へ突然、主体の変換が起きた。その結果としての、労働者階級の過剰な希望、そして暴力に伴う社会的な混乱は、失望社会秩序維持へのさらなる圧力を生み、やがて国労新左翼けが残った。そして秩序を乱す奴イコールテロリスト、という空気蔓延した。

日本国労新左翼と一緒になって調子に乗りすぎた結果、争議権は骨抜きになった。日本では社会秩序と暴力が明確に対立概念となり、争議はなれ合いとなり、労使協調という言葉象徴されるように、労使間の秩序模索にすぎなくなった。ただ一方、ヨーロッパではそんなことはなく、社会権の潜在的なラディカリズムが広く受け入れられている。病院だろうが航空機だろうが、誰が困って死のうがストが決行される暴力性が顕在なのだ。なんなら革命政府転覆させるぜくらいの勢いで。

ともあれ、自由主義社会社会主義的な発想でラディカルな主体の考え方を一部取り込んでいる、という動きは、自由主義VS社会主義と単純に括ることができないことを示している。

絵画トマト投げみたいな環境急進主義しかり。ヨーロッパになぜあれほどラディカリズムがパフォーマンスを繰り広げられる余地があるかというと、そもそも自由主義社会社会変革の萌芽を言論統制などによって政府の力で摘まない社会設計になっているからだ。彼らはヨーロッパニュース上ではResistantと表現されてもテロリスト表現されることは少ない。それは「労働者」という主体を仮構したうえでの争議権の意義とパラレルなのだ

なんなら、「LGBTしかり、なのだ共産党は実は、長い間、同性愛者を差別してきた歴史がある。かつては「労働者」という概念が主役で争議権という武器社会変革上、最重要な部分だったので性的マイノリティに考えが及ばない時代だった。LBGTというイデオロギー的な主体の意義に気が付き、公式に考えを修正したのはつい3年前の2020年のことだという。

https://www.sankei.com/article/20210706-L4MJ2RSGZFLHJLGW2LWKXILBGI/

LGBT存在に気が付き、こうした修正可能になるのは、自由主義社会が、ラディカリズムも含めて、多様な言論放置できる社会からだ。そのくせ日本共産党LGBTをあたか自分たち応援団かのように仲間に入れようとするのは、労働運動が退潮し、運動屋台骨が骨粗しょう症のようになってしまった日本文脈を思い起こすと、図々しいという気もする。皮肉なことにこの記事執筆した元板橋区議の男性も、党本部から除名処分を受けている。

結局のところ、共産主義においては、社会変革のための主体を重視し、その統一をもとめるがゆえに、主体のもの議論決定論的なものになってしまい、議論されにくい。

その結果、主体自身の変革は阻害される、というジレンマというか自己矛盾はらんでいるといえるだろう。社会を変革したがるくせにね。これはある意味自らの正義の禍々しさに苦悩するヒロイズムジレンマだ。自由主義社会ダークヒーロードラマ映画プロット西部劇の昔から最近ではジョーカーに至るまで一定需要があるのは変革の萌芽は必ずしも正義によって見出されるものではないという世界観の違いに由来する。

でも、自由主義社会にいる日本共産党としても社会の変化にも気が付かざるを得ない。

その過程で、弱体化した【労働者】を補完するべく、新興の主体、LBGTグループ統一戦線の一員として、ちゃっかりと追加したりする、ということが起こったりするわけだ。

変革主体の変遷は、共産党自画像の変遷でもある。

であれば、社会主義革命を目指す共産党においても、内なるノイズをある程度、コントロールしつつ許容し、社会変革への考え方をより確実にする、という方向性もありうるんじゃないだろうか。その結果、やっぱ内ゲバコントロールできなくなって、この調子じゃ人を教育して主体構成を前提とした社会主義化って無理じゃね?となって解散するならそれもよしなんだよ。


今回の除名騒動を受けて、党内で議論すべきことは党内で、というのが統治の基本、という主張が共産党から強調されているようだ。

一見正論だが、しかし、俺はちょっと違うと思う。それは、つまり寄り合い】だ。

なぜなら、そのようなガバナンスの考えこそが組織の硬直化を招来し、日本労働運動が労使間の秩序模索堕落した一因であるし、日本組織風土に風穴があかない最も大きな要因だからだ。寄り合いといえば、かつて日本農村漁村調査した宮本常一は、寄り合いによる時間をかけた合議の意思決定を観察し、他者の信頼醸成のプロセス共同体のしきたりにない、外部社会の新しい事柄の受容のキーとなっていることを見抜いた。宮本はまた、共同体を飛び出し、放浪の旅を経て戻ってくるようなアウトロー存在を外部の知識をもたらす【世間師】として共同体が受け入れる様子も描写している。寄り合い的なコミュニケーションにおいても、異物を内部化するプロセスはあるということだ。

民主主義という視点に戻ると、言論価値、そして、争議という変革の手法組織どころか社会迷惑をかけることを前提に行われることの意味をもう一度振り返ってもらいたい。

そうであれば、組織内の問題に対しても、規範からの逸脱に対する寛容度はかわってくるのではないかな。

以上が、今回の件を機に、日本共産党綱領を読み直した感想だ。

anond:20230206114703

統一教会創価学会新左翼と同じく大学構内で偽装勧誘やってる連中なのになんで嫌われてないと思い込んでるのか本当に不思議だよな

2023-01-29

鈴木邦男と朝まで生TVネット団塊叩き、三島切腹関係

鈴木邦男が亡くなってしまった。ご冥福をお祈りする。

鈴木陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである

また風桶式に鈴木が居ねばネット団塊叩きも無かったんであるちょっと説明しようと思う。

 

新興宗教2世六本木道場

鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動学生運動に身を投じ、全共闘左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題宗教二世だったのだな。

この道場乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6

今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。

日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後右翼運動胎盤みたいな場所なんである安倍政権日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会安倍政権日本会議関係問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。

この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家教祖谷口雅春の著書を出版して思想教義を広める為に設立された出版社だ。しかフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。

 

余談だが防衛庁(当時)の庁舎2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである六本木赤坂物価より安い上に生長の家道場防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。

ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者売店使用することは出来なくなった。

六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格パンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。

 

盾の会と森田必勝

1970年三島由紀夫市谷駐屯地東部方面総監部占拠割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。

この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞退職してしまう。(デモでの狼藉解雇されたとの話)

鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。

 

余談だが、小泉政権時代男性女性判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女学生時代右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動プリンス立場だった森田との交際の噂もあったとの事である

1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。

 

黒塗り街宣車軍歌最初に止める

鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれ新左翼に対抗する為に生まれ政治権力癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手新左翼自体が、日本共産党暴力路線放棄する事に反発して生まれもので、要するに暴力vs.暴力

最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車旭日旗日章旗軍歌を流すというスタイルが定着した。

鈴木代表を務める一水会も黒塗り街宣車軍歌を流して通行人威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。

という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バス国防色止めたのも同じ動機だ)

すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。

 

ただ、話を聞いて貰えないスタイル流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くとき相手が折れてやり易い訳だ。

更に活動費というのは支持者の寄付機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。

するとシノギ手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼スタイル模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンバスの方がいい。こういうのを警察用語右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。

 

激突全共闘新右翼から朝生

鈴木はこういう威圧じゃなくて議論対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。

そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である

 

この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想ポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。

 

そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。

そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。

それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗テレ朝に持ち込んだ企画朝生だったんである

当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNN放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。

 

こういう経緯だから最初の頃の朝生体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原最近朝生は最早保守左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘新右翼討論会成功で行けると踏んだのが朝生なのだから

そしてこの討論会鈴木の左右を超えた交流議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから鈴木存在朝生を産んだと言って差し支えないんである

 

元気になった全共闘上がりへの反発

こういう風に鈴木活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立て必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書である

この動きに対し、同世代松原隆一郎文藝春秋社の雑誌諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者全共闘叩きをする記事を寄せた。

まりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代増田もそう)の日本支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイル確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人プライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代わがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。

 

些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。

 

鈴木赤報隊

最後現在統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件赤報隊に関して。

1990年代新右翼を名乗る男の脅迫柳美里サイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木SPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。

すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである赤報隊情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊情報は二度と官憲提供しないと書いてそれきりになってしまった。

結局赤報隊鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである

 

ヤクザ人権デモ

ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介鈴木ヤクザ人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトロー人権とは笑止」などと言われてしまった。

2023-01-11

JRって昭和残りすぎ

JR東京葉線千葉)の60代車掌が乗務中に電子タバコ吸って、乗客に指摘されたとか。

60代ってあたりがもう終わってるなーとか、動労千葉か?中核派のお友達案件か?とか思ったりするけど、

新左翼とか関係無かったとしても、こういう安全意識ゼロの奴が未だに少なからず居るあたりJR組織的に終わってる。

そんなのが、組合運動安全がー、平和がーとか言ってるの頭おかしい。

anond:20230109120646

アンフェ、ミソジニーたちから差別だ! 党派性など関係ない!

ハッシュタグ #colaboに連帯します 

現実から目を背け必死抗うのも痛々しいし、「連帯」というワードも気になる。


連帯とは

連帯カトリック社会教説においても重要概念であり、したがってキリスト教民主主義的な政治理念の中核となる概念である

おっ東京都新宿区西早稲田かな?

google:東京都新宿区西早稲田2-3-18


革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会の出す機関紙名称

[wikipedia:革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会]

革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会(かくめいてきろうどうしゃとうけんせつをめざすかいほうはぜんこくきょうぎかい略称解放派全協)は、社青同系の日本新左翼党派の一つ。1980年から1984年にかけて革労協狭間から分裂して結成された。別称は労対派。警察極左暴力集団マスコミは「過激派」と呼んでいる。

[関連項目]

























真っ赤やないか..........

2022-12-18

表現の自由の話が出たら『共産党宣言』を思い出すようにしてる

インターネットでは日夜いろんなところから「こんな表現は許されるのか?」みたいな話が出るけど、この手の話を見かけたら必ず『共産党宣言』の存在を思い出してる。

共産党宣言』ってそれなりの規模の本屋に行けばほぼ確実に置いてある本だけど、あれに感化された人間がやったことは凄まじい。共産党非合法時代はいろいろやらかしてるし、新左翼に関しては言うまでもない。

これだけの規模と数の事件を起こした共産主義を広めた本なんて発禁にされても文句は言えないだろうに、今でも販売されて続けている。

このことを思い返すと、不愉快になったくらいで本などの様々な表現正当性を考えること自体、その価値基準適当さに笑えてきてしまう。

2022-12-16

anond:20221215205853

でも「共産党新左翼は仲が悪いんだああああ!!!」つったって、結局五輪反対デモとか個別話題になると、そいつらが混ざってることは全然問題になりゃしねえわけじゃん

祝電ひとつでズブズブとか言うならあんたらだって同じことでしょ

anond:20221216175616

ワイは横からまとめに来ただけおじさんやで まとめただけやからワイに事例を言えと言われても困るやで

まぁ一応かつての内ゲバ殺し合いとかを、どの派閥否定的に総括してはいないわけで、

赤軍派革命左派が一緒になった連合赤軍が山岳ベースリンチ事件起こしとるし(あれは教条主義からの争いとはまた違う気もするが)

新左翼好きな人間ほどあいつらが手を結ぶとは思えんのや

もう弱り過ぎて背に腹は代えられん精神で手を組んでるとしたら、ものすごく悲しいんやで……

2022-12-15

anond:20221215163547

運動系譜という意味では、4トロ太田竜指導立場だったというのが重要な点なんだよね。

太田は、東アジア反日武装戦線1974年三菱重工爆破事件を起こす)の理論的支柱であり、要するに、「一般市民差別に関しているので敵、それと戦ってる俺たちはマイノリティ側で正義」って思想根底に流れている。

4トロ含めて新左翼1970年華僑青年闘争委員会から「お前らマイノリティをいい様に使ってる差別者だ」って糾弾されたこと(華青闘告発)を受けて、マイノリティ側に立つことで、一般労働者側に立つ既成左翼日本共産党)と一線を画す「血債主義」に走ったんだけど、太田竜特にその中でも極まってる感じのアレ。

そんな4トロが、ABCD問題という内部でのレイプ事件を起こして自己批判することになり、この「血債主義」が猛烈にドライブする形でAPP研が生まれて、キモオタ20年来敵対することになったという歴史があるんだよね。

さらに、1991年ソ連崩壊からグローバル化が進んだ結果、先進国労働者階級が没落して労働組合も弱まった結果、「一般労働者側に立つ既成左翼」というのが維持できなくなってきて、日共なんかはそれまで適当にあしらってきた外国人問題女性問題にグッと肩入れするようになった。

さら女性問題は、反ポルノという意味で(宗教保守派相乗りするという部分があって、これが問題さらにややこしくしている感じ。

anond:20221215205853

元増田です。ブコメで「お金貰えるなら多少の思想の違いは許容する」「なぁなぁにネゴってるメンバーがいるんじゃないの」とか言われてる点について補足。

あのですね、そんなことして党員や支持者になんて言い訳するつもりだと思ってるのですかね?

対立している「反革命党派と裏でコソコソ手を結んでたなんてことは絶対に許されないですよ。もしそんなことをやってると知った内部の党員ただちにこれはどうなんだという意見書を全党回覧に出したり、内部告発的に暴露するでしょうね。関係する党員みんな抱き込むなんてこともよっぽど小さい党派でないと不可能でしょう。

現代では新左翼なんて化石扱いされてるので仕方ない面はあるにせよ、彼らを舐めすぎですね。新左翼党派の中でトップクラス排他性が強い革マル派ですらそういうところはちゃんとしてますよ。最近革マル派(探究派)なる分派ができて活発に情報発信してますね(しかはてなhttps://tankyuka.hatenablog.com/ )。それぐらい正しさにこだわりが強い界隈だということです。ブコメで言われているような金のための謀略なんてできません。

暇空氏による共産党新左翼にまつわる陰謀論

暇空茜

@himasoraakane

ナニカはブントとか日本革命的共産主義者同盟(第4インターナショナル資金源みたいですね

公安ーーーーーーーーーーーー!

こーーーーーあーーーーーーーーーーん!!!

https://twitter.com/himasoraakane/status/1603049340142227456

↑これの話

まずそもそも論として、代々木(日本共産党のこと)と新左翼はめちゃくちゃ仲が悪く、お互いに反革命ということにしているんですよ。常識だけど。

で、暇空氏曰く「共産党と強いつながりがある」colaboを中心とした「ナニカ」グループ新左翼資金源になっていると。

うん、まあこの時点でおかしいんだけどさ…… もうちょっと深堀りします。

まずブント一口に言ってもたくさんあるんだが、例えば現代まで生き残っているブント諸派のうち統一委員会戦旗派を例にあげると、彼らは三里塚闘争(成田空港問題)では中核派解放派(現代グループ)と一緒になって空港反対同盟北原派を支持しているんだけど、その北原派と対立している反対同盟(旧)熱田派を支持しているのが第四インターなんですね。

で、この北原派と熱田派の対立っていうのはけっこう激しくて、分裂当初には中核派第四インターを襲撃したりしてるので、お互いに手を取るとかはありえないわけです。

しか代々木運動の初期に三里塚から追放されてる。

なのにブント第四インターが一緒になって「共産党と強いつながりがある」colaboを中心とした「ナニカ」グループ資金源にしてるって?冗談言っちゃいけませんよ。三里塚闘争新左翼アイデンティティにも関わるくらいの一大マターであって、そこで対立してるのに他所では仲良くしてるなんてことは絶対にありえない。

いちおう書いておくと、代々木新左翼が同じ「行動」に参加してるくらいのことはあるわけです。総がかり行動とかね。もっと言えば現場活動家同士が顔見知りくらいのことはあるでしょう。だけど、資金源を一緒にするレベル連帯して行動するなんてのはないですよ。

もし代々木ブント(どこの?)と第四インターが一緒になってcolaboとつるんで資金源にしてるなんてことが本当にあるとしたら、仁藤氏がとんでもないバケモノ歴史に残るレベル革命家なんでしょうね。まあその場合彼らはもっと表立って連帯して活動するはず(革マル派以外の党派は影で手を結ぶような陰謀的な行動を好みません)なので、どっちにしろありえないですがね。

こんなこと言ってるようじゃ「暇アノン」呼ばわりされても仕方ないですね。

## 追記

ブント戦旗派について荒派と西田派が逆になってたので修正しました。すいません。指摘していただいた方ありがとうございました。

空港反対同盟熱田派に第四インターと一緒になってついたのは荒派で、こう書くと第四インターブントにも矛盾のない繋がりがあるじゃないかと思われるかもしれませんが、荒派はずいぶん前からブントであることをやめており「アクティオ・ネットワーク」なる組織になっていますもっと言えば暇空氏が↓でツイッターに出してるのは統一委員会HPですから、つまり北原派についているブントの話なわけで、結局ありえないということですね。

更に↓のツイートについて補足すると遠藤良子氏の名前が出ているのは「闘う人士、闘う仲間からの年頭アピール」ということで、これはブント党員というわけではなく組織的に仲のいい団体メンバーくらいのことでしょうね。

暇空茜

@himasoraakane

もう一つの推薦団体くにたち夢ファームJikka代表遠藤良子は共産主義者同盟所属

http://bund21.org/message/message2008/message2008-1.html

やばすぎるっぴ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

https://twitter.com/himasoraakane/status/1595409880370024449

## 追記2

ブコメなどを見ると三里塚闘争が昔の話かのように思われている方がけっこういらっしゃるということで、これは現代まで続いてる話なんですよというのをひとつ

農地死守へ臨戦態勢 天神峰カフェ 全学連先頭に決意固く

http://www.zenshin.org/zh/f-kiji/2022/12/f32730103.html

これは中核派機関紙前進」のHPの直近の記事ですが、三里塚現地で無農薬農業をやっている市東さんという方のところに強制執行が来そうだということで、反対同盟北原派と支援党派は臨戦態勢なんですね。

今でも中核派学生メンバーなんかはそれなりにいて、三里塚闘争にもコミットしているということで。

左翼というのは「合法組織」と非合法活動をやる部隊にわかれている

https://anond.hatelabo.jp/20221215163547

これちょっとわかりにくいと思うので説明しておくと

新左翼セクト革共同第4インターナショナル所属している森田成也らと結成した研究団体ポルノ・買春問題研究会」(APP研)を源流としている。

このAPP研メンバーに加え、外部のメンバーを加え結成されたのが「ポルノ被害と性暴力を考える会」(ぱっぷす)

左翼っていうと全員がヤバイように見える人もいるかもしれないが

実際は「まじでやばいやつ」「やばい組織だけど表向きはまともな活動してるやつ」「ただのシンパ」の3つで構成されている。

で、まずTwitterでくちゃくちゃやってるのは「ただのシンパ」。

次にこういう「PAPS」みたいなのは上の増田が言ってることが本当である場合は真ん中の「合法組織」にあたる。

なので、PAPS自体は直接法的に一発アウト、なことはたぶんしてない。 

新左翼集団はだいたいこういう構造を取ってる。

本当にやばいやつは非合法の連中にやらせて、やばいやつが捕まったらトカゲのしっぽ切りをする。

警察側も、とりあえず側からやばい奴を差し出せば合法組織についてはある程度お目こぼしをするという構図になっている。

なにそれヤクザじゃねえかって思った人、半分正しい。

非合法過激活動をありとしながらそれでも何かあったとき一網打尽にされて壊滅しないように、と考えたら必然的にそういう仕組みになっていくのだ。

そういった人たちが裏で支えながら、さらに上澄みの人間政治世界に送り出していく。

から、どうしても国は「共産党非合法組織である」というくくりを外すことができないのである

anond:20221215174701

いや新左翼系ってだけで比較するまでもなくやべーやつやん

ぱっぷすはTERFが組織の中心にいる団体です

追記 colaboと比較しているわけでは無いという指摘があったのでタイトル修正しました

最近騒動でcolaboだけではなく、同じモデル事業を受注した他の団体にも注目が集まっているようだが、その中ではぱっぷすがかなり問題のある団体だ。

まずこの団体は、福島大学にいた中里見博が、身内での性暴力問題https://ja.wikipedia.org/wiki/ABCD%E5%95%8F%E9%A1%8C)で組織が分裂した新左翼セクト革共同第4インターナショナル所属している森田成也らと結成した研究団体ポルノ・買春問題研究会」(APP研)を源流としている。

このAPP研メンバーに加え、外部のメンバーを加え結成されたのが「ポルノ被害と性暴力を考える会」(ぱっぷす)だ。中里見はこの団体設立から一貫して現在まで副理事長を務めている。

この2団体の間ではうっすらとした役割分担(APP研研究活動、ぱっぷすは運動被害者救済活動)といったものがあったが、最近になってAPP研積極的運動をするようになってきている。

また2団体の間で共通して役職を務めているのは中里見だけではなく、後述するキャロラインノーマも国際顧問を務めている。

そしてこのAPP研が抱えている問題は例えば草津の件、AV新法の件などいくつもあるが、特に悪質なのはトランスジェンダー差別問題だ。

この団体はいつ頃からか、トランスジェンダー女性に対しあからさまな差別扇動を繰り返すようになり、トランス医療大企業オープンソサエティ財団などと結びついているという陰謀論を主張するにまで至った。

https://translogs.org/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%BB%E8%B2%B7%E6%98%A5%E5%95%8F%E9%A1%8C%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A

twitterアカウントhttps://twitter.com/appjp_kokusai/)の投稿RTは、もはや半数近くがトランスジェンダー差別扇動するようなものとなっている。

APP研アカウントを誰が運用しているかは判然としないが、中里見本人もトランス女性女子トイレ利用を否定する声明https://sites.google.com/view/no-self-id-japan/)に賛同しており、トランス排除姿勢を明らかにしている。

また先述のキャロラインノーマも、twitterアカウントhttps://twitter.com/carolinenorma76)では反トランス情報積極的に発信しているだけではなく、

トランス姿勢を取っていることを理由に、参院選維新政党・新風から立候補した橋本久美を支持している。(https://twitter.com/CarolineNorma76/status/1548657429348761600

このように母体団体及び会の中心となる人物公然トランスジェンダー女性排除を主張している団体がぱっぷすという団体である

ぱっぷすは東京都から若年女性保護事業受託しているが、このようにトランスジェンダー排除を主張する人物が中心となっている団体がそのような事業受託するのは果たして適切なのか?

保護対象となる女性トランス女性であった場合、この団体は適切な対処を取ると言えるのか?

2022-12-06

anond:20221206230442

昔はそういうのは

糾弾会における差別主義者!』(部落差別

『総括における反革命分子!』(新左翼

って言ったりしたよね。

レッテルを貼って完全に降伏するまで叩き潰すやり方

あの界隈の伝統なんじゃない?

2022-11-20

なんだっけ。忘れないうちにメモ


最近ゴッホ絵画など芸術作品トマトスープをかけたり、ウォーホルアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激抗議活動が耳目を集めている。

ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。

もちろん許されない犯罪として国内外報道されているわけだが、しかし、海外メディアでは、テロという表現ラベリング)は少なく、抗議団体自称するCivil resistance市民抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道ニュートラルに構えているのだろう。

そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285

しかそもそもテロという認識日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。

https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/

そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代人権歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。

この問題は二つの視点から興味深く、注視している。

ひとつは、抗議のコンセプトの抽象性。

もうひとつは、抗議運動市民社会的な価値

抗議運動抽象性について。

https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャストストップ・オイル活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイル選択した理由を次のように説明する。

「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たち優先順位絶対的おかしいということを言いたいのです。アートに美を見出しギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」

アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である

この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。

アリストテレス時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。

これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。

そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。

しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。

おおざっぱにいうと、日本人経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉定義からまり指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人自分からみると)。

組織でも、経験常識が共有できていないと不安なのが日本人

一方、構造化された概念ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモ過激運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念オルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。


そのもうひとつ理由が、市民不服従という考え方や人々の認識の違い。

日本人社会迷惑をかけるのがとにかく大嫌いなのだ

欧米では、恐らく日本人想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体価値社会変革のダイナミズムとして認めている。

それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動趣旨理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。

この違法性というのは、実は重要視点。それを理解するには、市民社会根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。

近代から現代20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。

日本学校では昔から社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。

しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。

他者危害禁止近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗暴力性を認める市民権が存在する。

考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命トリガーになりかねないボトムアップ暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府おかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚絶妙バランスで持たせる機能果たしているともいえる。

マルクス時代、そしてワイマール憲法時代社会権を育んできた思想運動社会歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗暴力資本主義社会のなかで、たまたま労働キーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマシステムビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日SDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。

なので、抵抗暴力労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメント市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。

ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。


一方日本では。

労働」というキーワード戦後日本ははじめて市民不服従権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈

GHQの五大改革から。勤労者から労働者への主体認識の転換。

しかし、その権利過激行使は、1950年代から60年代大衆の心を猛烈にイラつかせた。

日本高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。

民間では、1960年三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争ストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。

国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれ暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識支配的になるきっかけだったんだろう。1973年最高裁は、それまでリベラル保守裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。

ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。

その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。

例えば、正規雇用非正規雇用ギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップ非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法さらメタ視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。

歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタ視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権普遍性憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法思想根拠はと問われたときフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションオーナーシップの違いとも思える。)

欧米環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。

既存規範に書いてないものであっても、新たなムーブメント意味真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。

そのムーブメント暴力性を違法認識しつつも、時代ダイナミズムとしてとらえようとする、というか。

繰り返すと、

・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。

憲法など国の根本的なシステムアップデートするのに必要社会ダイナミズムへの関心の低さ。

この二つをひとまとめにして、斎藤平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。

2022-10-07

新左翼馬鹿やって以降は基本的に人気ないんじゃないですか>デモ

2022-09-27

anond:20220927215323

ネトウヨ統一教会をもちろん嫌っていて実際色々あったようだけどあんまり知られてないよね。自分もよく知らないけど。

共産党新左翼の違いがどうこうみたいな話に興味もたれず「要は反日だろ」って雑すぎる処理されるみたいな話と似てるかもしれない

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