はてなキーワード: 屋根裏とは
町内会の掲示板になにか動物の写真が貼ってあった。また迷い猫かと思って通り過ぎざまに覗くと、『ハクビシンにご注意!』と書いてある。写真の画質は荒く、暗闇に目を光らせたひょろ長い動物が写っている。住宅街でも屋根裏に住み着いて、糞害が発生するらしい。
ああ、こいつか、と思った。
去年から木造の平屋に住んでいる。昭和初期の建物だと不動産屋は言っていた。立地のわりに家賃が安かったので借りたが、毎日、夜になると寝室の天井裏で何かが走り回る気配がする。ベッドに入って電気を消すと、狙いすましたようにどたばたが始まる。
こんな音をたてるネズミって、どんな大きさだろう。「きっと子犬くらいの大きさに育ってるよ」と彼女が答える。ベッドに横たわったままこちらを見ず、眼の白い部分だけが潤んで光る。この種のやりとりは毎晩寝る前の儀式みたいになっていた。どちらかが黙ったらもう寝るという合図だ。
ハクビシンの画像をiPhoneで見せた夜。「かわいい。ねえこれ見たい」と彼女は言った。
板を外して天井裏を覗いたら、ハクビシンの糞だらけかもしれない。野生動物は勝手に捕まえちゃいけないらしいから、見つけたところでどうしようもない。とは言ってみたが結局、週末にホームセンターへ脚立を買いに行くことになった。この興味と意欲はどこから来るのか。彼女はこれほど動物好きの人物であったか。一緒に暮らしてみたところで、知らないことの方が多い。
思えば、天井裏のどたばたが始まった頃から、彼女は籠もるようになった。夕食後の片づけが終わると無言で寝室に行き、鍵をかける。自分はダイニングテーブルで国語の小テストを採点していると、壁の向こうからベッドのきしる音が聞こえる。はじめのうちは思い出したように間を置いて聞こえるきしりが、次第に規則正しく、小刻みになる。聞いているだけでこちらも緊張感の高まりを感じるが、寝室は隣なので聞かないようにすることもできない。
「さ」と「ち」が逆になっている答案を赤ペンで直したりしているうちに、ベッドのきしりは神経質なほど小刻みに高まってから突然止む。ほどなくして彼女は裸足でやってくる。顔は風呂上がりのように上気して赤く、目はどろんとしている。冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに注ぐと一息に飲む。まるで今日は一滴も水を飲んでいなかったように、喉を鳴らして飲む。飲み終わるとキッチンのシンクにそのままコップを置いて、椅子へ逆向きに跨がり、背もたれに肘をついて、髪をくしゃくしゃにつかんだままじっとしている。こういうときには話しかけてもだいたい返事は返ってこない。
土曜の夕方、ホームセンターへ行ってアルミ製の脚立を買った。二つのはしごを留める部分が赤く塗装してあり、なんとなくレトロな感じが気に入った。二人で車に脚立を積み終わると暗くなっていたので、どこかで何か食べてから帰ることにした。
国道沿いのドライブインに寄った。入口の上にメガラーメンと大きく書いてある。プラスチックの板を一文字ずつ切り抜いて貼ってあるらしいが、左端の一文字が剥がれ落ちて読めない。店内は他に客がいなかった。テーブル席に座ると店主らしい人が出てきてメニューを置いていった。「ラーメン」と一行だけ書いてあったので頼んだ。
出てきたラーメンは真っ黒で甘辛かった。スープの表面が灰色になるくらい彼女はコショウの瓶を振った。そんなに入れて辛くないのか聞いたが、これおいしいと言いながら彼女は丼を飲み干した。
帰宅して寝室に脚立を設置すると、彼女は滑らかな動きで昇った。脚立を支えながら見上げると、彼女は天井の板を外し、頭を入れて覗き込んでいる。何かいる?と聞くと、わかんない、もっとよく見ないと、と言いながら天井裏に入っていった。
「ああああああああああ、めっっちゃくちゃ生えてる、生えてるよ?」
何が、と聞いた瞬間、天井の穴から何かが大量に、雪崩をうって落ちてきた。完全に埋められてしまったので手でかき分けて頭を出し、ひとつ拾い上げてみると、それはピンポン球大の茶色いキノコだった。つまむと弾力があった。見たことがない種類だったので、食べてみる気にはならなかった。寝室を埋め尽くしたキノコを少しずつポリ袋に入れ、燃えるゴミとして出す作業はそれなりに大変だった。
ということがあったのが去年の秋口なので、そろそろ半年になる。
寝室に置いたままの脚立をどこかへ片づけようかと思うこともなくはない。が、彼女が戻ってきたときに降りられなくなると困りそうなので、当面の間はそのままにしている。
高校生の時の彼氏が母子家庭だったんだけど、普通に金持ちだったんよな。
祖父は医師で個人病院をやっていたらしいがとっくの昔に亡くなっていて、元教師の祖母と薬剤師のお母さんと3人で暮らしていた。家も大正に建てられたトトロみたいな洋館付き住宅。広い庭には苔の生えた石とか盆栽。玄関には祖母が生けたでっかい胡蝶蘭。座敷の床の間に刀と甲冑と束帯着たご先祖様の書かれた掛け軸。長屋門に蔵もあった。
彼氏は洋館の部分を使ってて、一階にはベーゼンドルファーのグランドピアノとコントラバスとヴァイオリン。屋根裏が彼氏の部屋で高そうなアンティークのベッドに机に脚付きの本棚。ピアノとバイオリンとテニスを習ってて予備校にも通ってた。大学は現役で私立医学部に入って東京で一人暮らし。
私の生活圏にいて付き合いのあった母子家庭が彼氏だけだった(他にもいたかもしれないが)こともあり、「母子家庭は生活が苦しい」みたいなのが全くピンとこない。うちが姉と弟がいる子供3人ってのもあるだろうけど、両親共働きの私の家より普通に裕福だった。
結構な知識がないと満足に建てられない家って何なんだよって思ってしまう。
これに加えて土地探しもしてたけど、長くなるので割愛する(地盤シールドマップは役に立つよ!)
みんないい家建ててね。
いろんなYoutuberいるけど自分で家を建てたことないやつ、買ったことのないやつの動画は基本見なくてもいいと思う。
“ダクト内部を自力で掃除できないので、空気が汚い” 業務用エアコンのタイプの全館空調は空気清浄もするからダクトは汚れないし空気も綺麗。水道管直結で加湿できるタイプもある。メンテも楽。
いくらフィルタの掃除してもダクトは汚れちゃうんだよねー。カビなんて生えたらもうどうしようも無い(気づくことはできないけど)。あと加湿タイプってどうなんだろ、よく知らないけど結露が心配。
結構気になってコメントくれてる人がいるが、地鎮祭には大工の安全を祈願する目的もあるし、終わった後は営業と近隣住民に挨拶回りもある。地鎮祭がなくても営業が挨拶回りはしてくれるらしいが、施主が次に近隣住民に挨拶するのは引っ越した後だから、だいぶ間が空いてしまう。工事中に何かあったら最終的には自分も関わってくるので、一応早めに挨拶しておいた方が良いかなと思った。
ここだけ文章のテイストが変わっているけど、あまり深い意味はないです。ちなみに地鎮祭をやっている人は全体の半分ぐらいらしい。
あと自治会には入ってないです。
この手の人の、更に後悔ポイントを集めて建てたが、それでもなお家造りは難しい。まあ、何千万もかかるのだから当然の話で、面倒なら賃貸にしといた方がいい。中間層、角部屋以外、複層ガラスで十分な断熱環境だし。
結局のところ最適解は個人で大きく変わるので、めんどくさいのが嫌なら賃貸でもいいと思う。巷では「家は3回建てないと満足しない」と言われてるけど、ちゃんと勉強すれば1回で80点は取れると思います!
賢い買い物する為にはちゃんと知識つける必要があるって事なんだろうな。 “結構な知識がないと満足に建てられない家って何なんだよ”
その通りです。高い買い物だからこれくらい調べて当たり前と思いがちだけど、マンションとか建売はあっさり買っちゃう人が多いんだよね。多分だけどああいう人たちの優先度は、土地(立地)が一番高いんだろうなと思う。
一戸建ては趣味の世界なので、お気に入りの建築家に発注する注文住宅以外はアホだと思っている。まずは一流の建築家と知り合え。
庶民には無理だと思うなー、コスト的に。出会ったとしても一般住宅を建ててくれるかな?ヤマダホームズに一流建築士が建ててくれる商品があった気がする。
「今日の昼は1日中晴れていたが、日中はエアコンなしで行けた」住んでる地域、県によりそうだけどどこ住みなんだろ 差し支えなければ教えて欲しい
関東1都3県のどこかです。ちなみに夜中の12時に21度のリビングのエアコン消しても、朝9時に16度までしか下がってなくて(前の家はもっと下がっていたと思う)、そこから太陽の光でまた気温が上がっていく感じです。
家を建てる=性能のいい箱を作る方法ばかりになるのがはてなっぽい。もちろん大切だけどこういうの以外にも大切な要素はたくさんあって家づくりは楽しい。
やっぱりショールームは楽しいよ!家を建てたあともエコカラット選びでまたショールームに行きました!性能にこだわるのは普段からそういう仕事をしてるからかもと思ってました!
どうしてYoutuberのことをみんな信用してしまうのだろうか。年間数棟レベルの工務店がやってる住宅系Youtuberよりも、何万棟も建ててるメーカーの言うことを信用してあげればいいのに。
鉄骨メーカーの営業が気密の話を自分からする訳ないんですよ(木造に比べて構造上どうしても気密は劣ってしまうので)。
なのでメーカーのしがらみなく公平に評価してくれる人の方が信頼できるんですよ。
もちろん契約してからは正直ベースでガツガツ自分の知識をぶつけて行った方がいいとは思います。
ちなみに参考にあげたYoutuberもいわゆるYoutuberだけじゃなくて、一級建築士さんやハウスメーカーやめた元営業とかもいるので、出身母体を調べて満遍なく見ていくのがいいと思う!
これはブクマカもな。ドヤ顔でサッシばっか叩いてるけど殆ど何も知らん奴が大半やろ。 "自分で家を建てたことないやつ、買ったことのないやつの動画は基本見なくてもいい"
ホントそう思う。
いちいち引用はめんどくさいので箇条書きで。
いくつかのバンドはそのうち完全に忘れてしまいそうなので書いておく
なんか嘘書いてるかも
初めて行ったライブハウスが渋谷屋根裏で、神聖かまってちゃんを見に行った
UStream かなんかで下北沢駅前でポイフルを配る配信をしていて、実物見たいなと思ってライブハウスに行った
https://www.youtube.com/watch?v=qVz7xN8Pimc
https://www.youtube.com/watch?v=ZRRCrC5kvww
# Mr Freddie Mercury
後に Mr.Freddie&The Mercury devil に改名してたけど当時は Mr Freddie Mercury だった気がする
このバンドは神聖かまってちゃんを見るために初めて行ったライブハウスに出演してて最終的に神聖かまってちゃんよりもハマった
ベースの人が全裸で出てきて人前に全裸で出てきていいんだって思った記憶がある
それ以降頻繁にライブを見に行った
下北沢DaisyBar が多かった気がする
毎回異常に盛り上がっていた
夏の魔物にも行った
ミイラズと戦ってたやつ
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14140713964
https://www.youtube.com/watch?v=9WWwx_2_CKg&ab_channel=mamyu01
ライブ見に行ったら新町ばっかり10回くらいやってたような気がする
そのライブでめちゃくちゃ酔っ払ってる女の人に「オワリカラのボーカルの人ですよね!!」って声をかけられた
特に似てない
「ひぐらしの鳴く頃に」という曲がアルバム出る前は違うタイトルだった記憶がある
多分デモとかだと思うんだけど全く思い出せないので誰かわかる人いたら教えて下さい
https://www.youtube.com/watch?v=Wnmlib_K240&ab_channel=acidlandcolor
https://www.youtube.com/watch?v=z9gEimPVIDU
# THE BOHEMIANS
THE BOHEMIANS も確か渋谷屋根裏の同じライブに出てたはず
その時は全然ピンと来なかった
衣装にお皿みたいのついてて衣装にお皿ついてんのかっこいいなとだけ思った気がする
その後好きなバンドを見に行くとボヘミアンズが出てくることが多くて結局好きになってしまった
「私の家」「ロックンロール」が好きだった
屋根裏を整理してたら古いパソコン(といっても2006年頃)が出てきたのでブラウザの検索履歴をサルベージしてみた。
当時自分が何にハマっていたのか思い出されていろいろ懐かしい…
パラ様 生え際
ホケマクイ
ブッチーン 灯花
ぶっこぉすぞー
るくしおん しびれるぜ、鋼の
ティプトリー・ショック
「デストロイがいいね」と君が言ったから六月二十四日はUFOの日
わたるが死んじゃう
琵琶湖タワー
猫いらず 口の周り 光る
尸条書
立方晶窒化炭素
ドーマン法
ひだまりスケッホ
空飛ぶ冷し中華
セーラー戦士が全員ブルマーだったら、アニメ史を変えていたと思うね
34歳児
実はまだ2階に
アリオク
緑はいらない子
そうです。あのコが僕の畏敬する天使様なのです
おかしとか食べる
T-34が倒せない
さあ牛だ
セノバイト
omegaの視界
ぽこにゃん
だぞなもし
倒福マーク
ボッキアウト
フムン
ユープケッチャ
目なき顔のジールバ
やったー+1 シヴィライゼーション
ルロス ロルス
玉音盤奪取
ハレとケ
もえたん 06話
路肩のピクニック
白楽電の詩
ガッシボカ
聖なんとか女学園
クートニアン
お脱ぎなさい
グンニョキ
強さ激しく変動
南斗聖拳108派一覧
みなぎる力がみなぎるぜ
力こそパワー
重い生理が来たみたい
4ひえた
ムーミンパパ海へいく
チャンパーノウン定数
見知らぬ国のデイトリッパー
紫暗号
いざり
比留間 京之介
この娘、最後死んじゃうんだよね
旧神なんていないよ
棒シムーン
S級だけどめどいんでB
オレモダビール
"オナホさん"
アントノフ 積載量
黄金の真昼
Let's Beginning to Look Alot Like Fishmen
けいせい出版
共生るんです
ガネッコ
莫迦め 死んだわ
スコープドッグ 装甲厚
かみそり半蔵地獄攻め
クンデラ 不滅
如意棒 重さ
ちびくろサンボ 枚数
俺のケツをなめろ
大胖女人
大司令症候群
gunyoki
グンニョキ
おしつおされつ
どうしてエレクチオンしないのよぉぉぉぉ
こぐにっしょん
虹作戦
燕山夜話
ドラ28
中国人の部屋
エロ イッカイヅツ
菊屋橋101号
システムショック
ゲバルト・ローザ
完全黙秘
唸るコカトリス亭
みずずちん
なんてこった 死の宣告
アンダーダーク
ロンゴ・ロンゴ
ゲオルギウス
毒薬仁
まじかるぴゅあソング
だいす☆くえすと
つめたく冷えた月
フンカーリート
Shang-Du
水エタノール噴射
願望機
舟に棲む
rom ヘッダ 削る
長靴いっぱい食べたいよ
陣形技 閃き
ハリマオ
ぺちんぺちん
カタリナ おそるべし
野月まひる
マライア 多摩
素敵医師
相沢 祐一 最強
みなみおねいさん
あまぞn
夢のクレヨン王国 SONGBOX
振武刀
クリントワン
ロイさーん
レムコレクション
カードゲーム テケリ・リ
グレゴール・ザザ虫
きみはホエホエむすめ
東方夢終劇
ファミソン8BIT
生きなさいキキ
dwarvish mattock
蟹工船 光線
パラシュート部隊 突然に
ゴクイリイミオオイ
アウト・オブ・眼中
モルディギアン
納骨堂の神
ヴェクナ
パラシュート部隊 突然に
情無用ファイア
末期 少女病
唸るコカトリス亭
アカディネの泉
ショスタコーヴィ
ジャック ケッチャム
シャノン 情報理論
ガロアの郡論
ルルスの術
ラヴォアジエ
宇津田さんの死
レムコレクション
佐保姫 信太の森
ころがる石のような俺の生き様
はしれぐずども
紫暗号
白い神兵
火のバプテスマ
清家理論
サールクラフト
lycanthropy
某研究者
アナ姫さま おげんきですか
オナホ 2番目
宇宙麻雀
電戦トリオ
乳ロマンサー
私は痛みだ
くやしい、でも ビルケナウ
グレゴール・ザザ虫
新藤幸司 CV
Chante キミの歌がとどいたら 先生
開路に時限のある リレー
Drizzt
ちんぽ生やして出直して来い
男根 恐ろしいまでに
コロラド撃ち
HEARTWORK
誠ぉっ そこにいるんでしょ
ずっとオレのターン
ぼくはぼくであること
おれがあいつで
アラバハキ
幻影都市
わたしこそ しんの ゆうしゃだ
クトゥル スペースジョッキー
フラッシャー付自転車
神よりも弱いただのオセロ
おがわみめい
水無神知宏
CARNIVAL 小説
じゃこつばばあ
生と死の境界 安置
うぉ、まぶしっ
ゼロで割る
ココロン
有尾人 フィリピン
子供達を責めないで
圧力計 連成計 BV
エドガー ダケェ
おびんずる
にこにこ商事
ひろ
世界とどこかでつながっていたい気持ち。でも完全につながっているんじゃなくて、安全なところに隠れて、そっと伺い見るような、そんなのを望んでいる。誰かが話しかけてきたら逃げてしまうだろう。いや、そんな気取られることすら嫌だ。そっと、屋上の物陰とか、屋根裏の隙間からとか。
ぼくは出て行っていいのかな。挨拶をしたり、話しかけたりしていいのかな。ぼくのような出来損ないが。
【LIVE】東京・新宿駅前ライブカメラ Shinjuku, Tokyo JAPAN - YouTube
あの新宿南口は、何度も行ったり来たり出たり入ったりしたところ。高校生の頃からおなじみの場所。予備校の帰りとか、入試日のチキンライス弁当とか。
受験の弁当を駅の西口コンコースの階段の広い踊り場にある売店で買って、いつも唐揚げとチキンライスの弁当で。30年以上前のこと。
ほんとうに、ぼくはどうしてこんなに無駄に回り道ばかりしているんだろうか。それとも回り道じゃなくて彷徨っているだけなのか。目的地すら知らない。もしかしたらずっと東の彼方に見える海峡の向こう、もしくは夜の黒い平原の彼方の光の粒に向かっているつもりなんだろうか。
降る雨が窓ガラスに降りかかり、細く開けた窓枠の横の隙間から右手を肘まで出して、手には何か棒状で平らなもの、たとえば定規とか持って、バスのワイパーになったつもりで動かす。扇形に。5歳、6歳のぼくだ。
あの頃、目的地なんて知らなくて、そんなものなくても平気で。でも、毎日親から叱られるのは嫌だった。脚を持たれて逆さにぶら下げられたり、床の上を引きずり回されたり。お母さんはいつも寝ていて、話しかけても叱られるだけで、そして仕事から帰ってきたお父さんに告げ口して、同じことでお父さんから叱られて、それも毎日1時間、2時間、立ちっぱなしで。晩ご飯を食べながらお父さんは叱り、食べ終えても叱り。
知らないおじさんおばさんのくせに。
家の前の石段で苔の盛り上がりを撫でたり、側溝の流れに揺れるご飯粒と、白くなったミミズの死骸の生臭さをかいだりしていた頃。自分のつま先よりも大きな石が転がる砂利道を歩いて、道端のコンクリ製のゴミ箱の中をのぞき込んだりしていた頃。台所の電灯の笠のスイッチを回す「キュッ」という音で夜がやってきていた頃。
ぼくはずっとあの町で過ごしたかったのに。あそこが一番素敵だったのに。寝台特急とサンドイッチと、そして車窓から射し込む朝日とコーヒーの匂いで騙されるようにして、知らない町、知らない大人のところに連れてこられた。そして、学期途中から入った幼稚園の初日、園庭の遊びの途中に他の子に触られて吃驚して、ぼくはその女の子を叩いて、そしてぼく自身が泣き出した。
通園バッグのパイピングは、ぼくの噛み痕ですぐにぼろぼろになった。ワイシャツも、吊りズボンも、蝶ネクタイも、カンカン帽も嫌いだった。
小学校も知らない町だった。卒業するまで、両手指は深爪のままだった。だって、通園バッグを噛むわけにはいかないから。「よくできる真面目な子」が通り相場だった。十本の手指だけでは足りなかったが、幸いなことに体は柔らかかった。ニ十本で何とかなった。
中学校は友達のいない遠くの私立で、中高生で友達も出来ず、大学受験は宅浪で、でも共通一次は頑張った。しかし、それをお父さんは認めてくれなくて、国大で最底辺の遠くの学校しか許してくれなかった。入学しても受験勉強して大学を受け直せとお母さんには言われた。
そんなぼくに、何ができただろう。
靴は指を丸めて履くんだと思っていた。だから、駈けっこはいつでもビリだった。中学生になるまで、両足指の関節は丸くタコのようになっていた。靴は指を伸ばして履くもんだと知ったのはいつだったろうか。
うん。
中高生のとき、ぼくは何をすればいいのかわからなかった。大人は「テストで点をとれ」とばかり言うだけで、それにはどうすればいいのか、そんなことは一言も教えてくれなかった。「勉強しろ」としか言わなかった。勉強って何? 何をどうすればいいの? という質問すら思いつかず、おそらく思いついたとしても質問自体が禁じられていただろう。「そんなこともわからないからダメなんだ」って叱られただろう。もしかしたら物を投げつけられたり、殴られたりしたかもしれない。教師は笑って相手にしてくれなかった。
勉強する、身につける、試験でそれなりの成績をとる――そこへ向かうには、幾重もの疑問や課題や障害や不安をひとつずつ解決していかねばならないというのに、それを一気呵成にぶち破れるような幻想を抱かせる言葉しか手許にないとしたら、夢の中に暮らすしかないじゃないか。
そして、ぼくは夢の中に逃げ込んだ。
東の窓。黒い平原。地平線の光の粒々は未来都市、宇宙港。ほら、横切る点滅は惑星からの到着便だ。低く流したAMラジオ、ハチミツたっぷりの紅茶。大学ノートに青インクの極細サインペンで思いつきを書きつけていく。お手本は稲垣足穂。
そうか、40年も同じことを続けているのか。
大したもんだ。
夢の中に40年間も暮らしている。
おかしくもなる。中も外も。
ぼくの人生は復讐か。復讐する相手は、もういないけど、居る。だから、ぼくは自分自身に復讐する。
道理で苦しいわけだ。
息子には味わわせたくない。
清廉なこころのあり方と幻想的な描写、というイメージで語られることが多い作家だと思うが、まだあまり作品を読んだことがない人で、このぐらいの理解でいたら、損をしていると言いたい。
宮沢賢治の良さは他にも、観察眼を突き詰めると対象への愛情とともに冷徹さを伴う好例のような、少し寒気がするほど容赦のない描写や、人を食っているとしか思えない異様な会話劇があって、これはサンドウィッチマンの文字起こしされた漫才を読んでいるのと同じくらい笑える。みんな読んだらいいと思う(『気のいい火山弾』『毒もみのすきな署長さん』がおすすめ)。
…
さて『ツェねずみ』だ。
これも宮沢賢治の短編で、ある種の人間とそれが引き起こす不幸のことを、他の文芸作品では触れた経験がないぐらい明らかにしており、衝撃だった。
…
ツェねずみは要領が悪い一方で欲が深く、性格がねじ曲がっているので、誰かから親切を受けても、「もっと自分のためになるように優しくすることもできたのに、それを怠った」という考え方をするため、みんなから死ぬほど嫌われていた。
本来なら恩を受けた時点でプラス(という表現もアレだが)のはずが、工夫次第でもっとプラスにできたはずのことを、そうしなかったので実質マイナス、というのがツェねずみのロジックだ。
ツェねずみが自分の理屈をどう考えているのかは書かれていない。
宮沢賢治がここに意識的に言及していないのかはわからないが、明示されていないことが実に効果的だと思う。俺は、「最初は自分でもムチャな理屈だと思っていたが、言い続けているうちに世の中がこれで渡れることがわかったので、次第に正気を失ってきた」と読む。
…
そんな中で、唯一ツェねずみに優しく接するものがいた。「鼠捕り機」だ。
宮沢賢治の作品では、物体でも機械でも平気で人格を持って話し始めてしまう。木の柱だとかバケツだとか、そういうものだ。
他の物体がツェねずみに嫌気がさして付き合いをやめていく中、鼠捕り機だけはツェねずみと仲良くしようとする。
その理由は、鼠捕り機が(宮沢賢治の時代でさえ)人間社会にはもう不要、という扱いになっており、邪魔者とみなされていたので、鼠捕り機も他に親しく付き合える相手がいなかったからだ。
鼠捕り機は自分に仕掛けられた魚の頭やハンペンを、あえて罠の扉を閉めないことで、ツェねずみと交流を持つ。本来的には殺される者と殺す者という構造であったはずが、ねずみの強欲(と狂気)、鼠捕り機の孤独によって、いびつな友好が成立する。
…
悲劇は、ツェねずみの尊大さに制限がかからなかったこと、そして、鼠捕り機の忍耐が特別優れていたわけではなく、通常の寛大さしかもたなかったことで生まれる。
ツェねずみは、相手が機械の本分を放棄して食べ物を与えてくれているという、ある種の奇跡が自分に起きていることに気づかない。この幸運をどん欲に消費し、さらに良い物を鼠捕り機に求める。相手をののしることさえする。
あるとき、鼠捕り機はののしられて一瞬われを忘れ、罠の扉をおろしてしまう。ツェねずみは閉じ込められ、お互いは本来の、殺される者と殺す者の関係に戻る。
…
鼠を殺さない鼠捕り機、という存在は非常に奇妙だ。まともに生きにくい変わり者であると同時に、現代社会風で言えば「意識が高い」「キャラクターが立っている」という考え方も、できなくはない。
ただ、自分が変わっていることを自覚して、それを生きる上での背骨にしてやっていこうとすると破滅が起きる。
変わり者は、自分が変人だと知ると、まるでこれが一種の才能と考えたくなりがちだが(個性が重視されるはずの現代ではなおさら?)、実際は関係がない。世の中的には本当はなんの意味もないことだ。
なので、「変わり者として生きていこう」という目標は基本的に破綻するさだめにある。
社会からは、なんでもいいから普通にやってくれ、と要求されるし、より強大な理由としては、変わり者自身の中にもちゃんと「普通」の部分があるからだ(鼠捕り機でいう罠としての本分)。
社会と自らの内側の本性によって、人間は結局、まともに生きていかざるを得ない。鼠捕り機でいえば、優しかろうが意識が高かろうが、罠は罠らしく獲物を殺して生きていくしかない、ということだ。
…
対象が親しい人間でも漠然とした世の中全体でもいいが、基本的に自我というのは、幸運をあり得ないものとして感謝するのをおこたりがちで、むしろそれを平時のベースとして、さらに豊かなものを求めようとする。
要求する相手が生身の人間だろうと、社会という概念だろうと、いずれにしてもこんなことはいつまでも続かないので、いつか破綻を迎える。
自分の望むものが度を過ぎていたので客観的には不幸でもなんでもないが、こういう「幸福を幸福として認識できないバグ」が心理に埋め込まれていることが、別の意味で「不幸」ではあるかもしれない。
…
おそろしいような気がすることとして、ねずみと鼠捕り機のカップリングは、ある種の人間関係として、友人・恋人・家族同士の間で、思いのほかこの世で多く起きているような気がする。
たぶん社会のあちこちで、「自分には特別な才能があるから少し変わった生き方でもやっていけるし、罠としての本分を超克して目の前のねずみと生きていける」と錯覚した鼠捕り機と、「まあこれぐらいは相手に要求しても飲むだろう」と思い込んだねずみが、ある日双方のブレーキとアクセルをぶっ壊して悲劇を生んでいる。
また、俺が自分で感じたように、一人の人間の中にも、ねずみと鼠捕り機の両方が住んで同居している場合がある。宮沢賢治の『ツェねずみ』を、俺は『気のいい火山弾』と同じでサンドウィッチマンとか千鳥の漫才の台本とおなじくらいのつもりで読み始めたが、人間の本性と世界との関わり方の運命的な破滅についておそろしく冷徹に書かれていて感嘆した。すげえと思う。
…
難しいのはねずみと鼠捕り機の関係で、鼠捕り機は自分の忍耐が切れて相手をとって食ってしまう前に相手から距離を置いた方がいいと思うが、人間という存在の希望も美しさも、鼠捕り機が自分の本性を乗り越えたり、周囲から押し付けられた役割を放棄して世の中を意識的にサヴァイヴしていくことで描かれがちだということで、実際それに成功した人は素晴らしいと思うし、この辺は正直どうにもならんのかな、と思っている。
今日は「世界の終わり」について、僕の体験を共有したい。アルゼンチンの最南端、ウシュアイアという街がある。南アメリカの最南端に位置するため、「世界の終わり」と呼ばれている。
日本からの時差は12時間、飛行機を乗り継いでほぼ丸一日かかる場所は一体どんな場所なのか、知っておいて損はないだろう。君がもし、誰かに追われて逃げに逃げ、日本から最も遠い場所に逃げた時にたどり着く場所であるし、現実逃避をして今いる場所と真逆の場所に行こうと思えば辿り着く場所だからだ。
僕はウシュアイアについて、Airbnbでもっとも安い部屋(1泊800円程度)を1週間借りた。小さい家の屋根裏部屋で、鍵はなく、固い布団が敷かれている部屋だった。僕にはとても居心地が良かった。
ウシュアイアに夜はなく、いつも空は明るかった。夜遅くに仕事が終わっても空が青空だったら、きっと気持ちは違うだろう。夜中になっても空が明るいといつ寝たらいいか分からないだろう。
外には猫と犬とウサギがたくさんいた。街中をそういった動物が遊んでいる。街ごとドッグランみたいな様子だ。フンがあちこち落ちていて若干汚いが、遊んでいる動物を見るのは楽しい。
そこには特に何かがあるわけではない。街があり、道があり、時々店があるだけだ。
僕はウシュアイアに滞在している間、クレジットカードが使えなくなり、持っていたわずかな現金で水とチョコを買って、部屋に引きこもっていた(遊びに行く金が引き出せなかった)
普段何をしているのか、どこからきたのか、日本人は挨拶で抱き合ってキスをしないのか。僕は日本から来ていて、プログラマーだから仕事の場所を選ばないと話した。キスは拒んだ。
仕事に関しては羨ましがられた。彼女はこれから12時間勤務らしい。
お金が引き出せないことを話したら、明日車を出して遊びに連れて行ってくれると親切に言ってくれた。断ったがすごい強引だったので、ありがとうございますとお礼をした。