2022-02-28

気持ち悪いので吐きに来た。

世界とどこかでつながっていたい気持ち。でも完全につながっているんじゃなくて、安全なところに隠れて、そっと伺い見るような、そんなのを望んでいる。誰かが話しかけてきたら逃げてしまうだろう。いや、そんな気取られることすら嫌だ。そっと、屋上の物陰とか、屋根裏の隙間からとか。

ぼくは出て行っていいのかな。挨拶をしたり、話しかけたりしていいのかな。ぼくのような出来損ないが。

 

LIVE東京新宿駅ライブカメラ Shinjuku, Tokyo JAPAN - YouTube

 

あの新宿南口は、何度も行ったり来たり出たり入ったりしたところ。高校生の頃からおなじみの場所予備校の帰りとか、入試日のチキンライス弁当とか。

受験弁当を駅の西口コンコース階段の広い踊り場にある売店で買って、いつも唐揚げチキンライス弁当で。30年以上前のこと。

ほんとうに、ぼくはどうしてこんなに無駄に回り道ばかりしているんだろうか。それとも回り道じゃなくて彷徨っているだけなのか。目的地すら知らない。もしかしたらずっと東の彼方に見える海峡の向こう、もしくは夜の黒い平原の彼方の光の粒に向かっているつもりなんだろうか。

降る雨が窓ガラスに降りかかり、細く開けた窓枠の横の隙間から右手を肘まで出して、手には何か棒状で平らなもの、たとえば定規とか持って、バスのワイパーになったつもりで動かす。扇形に。5歳、6歳のぼくだ。

あの頃、目的地なんて知らなくて、そんなものなくても平気で。でも、毎日から叱られるのは嫌だった。脚を持たれて逆さにぶら下げられたり、床の上を引きずり回されたり。お母さんはいつも寝ていて、話しかけても叱られるだけで、そして仕事から帰ってきたお父さんに告げ口して、同じことでお父さんから叱られて、それも毎日時間、2時間、立ちっぱなしで。晩ご飯を食べながらお父さんは叱り、食べ終えても叱り。

知らないおじさんおばさんのくせに。

 

家の前の石段で苔の盛り上がりを撫でたり、側溝の流れに揺れるご飯粒と、白くなったミミズの死骸の生臭さをかいだりしていた頃。自分のつま先よりも大きな石が転がる砂利道を歩いて、道端のコンクリ製のゴミ箱の中をのぞき込んだりしていた頃。台所の電灯の笠のスイッチを回す「キュッ」という音で夜がやってきていた頃。

 

ぼくはずっとあの町で過ごしたかったのに。あそこが一番素敵だったのに。寝台特急サンドイッチと、そして車窓から射し込む朝日コーヒー匂いで騙されるようにして、知らない町、知らない大人のところに連れてこられた。そして、学期途中から入った幼稚園初日、園庭の遊びの途中に他の子に触られて吃驚して、ぼくはその女の子を叩いて、そしてぼく自身が泣き出した。

通園バッグのパイピングは、ぼくの噛み痕ですぐにぼろぼろになった。ワイシャツも、吊りズボンも、蝶ネクタイも、カンカン帽も嫌いだった。

小学校も知らない町だった。卒業するまで、両手指は深爪のままだった。だって、通園バッグを噛むわけにはいかないから。「よくできる真面目な子」が通り相場だった。十本の手指だけでは足りなかったが、幸いなことに体は柔らかかった。ニ十本で何とかなった。

中学校友達のいない遠くの私立で、中高生友達も出来ず、大学受験宅浪で、でも共通一次は頑張った。しかし、それをお父さんは認めてくれなくて、国大で最底辺の遠くの学校しか許してくれなかった。入学しても受験勉強して大学を受け直せとお母さんには言われた。

そんなぼくに、何ができただろう。

 

靴は指を丸めて履くんだと思っていた。だから、駈けっこはいつでもビリだった。中学生になるまで、両足指の関節は丸くタコのようになっていた。靴は指を伸ばして履くもんだと知ったのはいつだったろうか。

 

うん。

中高生とき、ぼくは何をすればいいのかわからなかった。大人は「テストで点をとれ」とばかり言うだけで、それにはどうすればいいのか、そんなことは一言も教えてくれなかった。「勉強しろ」としか言わなかった。勉強って何? 何をどうすればいいの? という質問すら思いつかず、おそらく思いついたとしても質問自体が禁じられていただろう。「そんなこともわからいかダメなんだ」って叱られただろう。もしかしたら物を投げつけられたり、殴られたりしたかもしれない。教師は笑って相手にしてくれなかった。

勉強する、身につける、試験でそれなりの成績をとる――そこへ向かうには、幾重もの疑問や課題障害不安ひとつずつ解決していかねばならないというのに、それを一気呵成にぶち破れるような幻想を抱かせる言葉しか手許にないとしたら、夢の中に暮らすしかないじゃないか

そして、ぼくは夢の中に逃げ込んだ。

東の窓。黒い平原。地平線の光の粒々は未来都市宇宙港。ほら、横切る点滅は惑星からの到着便だ。低く流したAMラジオハチミツたっぷり紅茶大学ノートに青インクの極細サインペンで思いつきを書きつけていく。お手本は稲垣足穂

そうか、40年も同じことを続けているのか。

大したもんだ。

夢の中に40年間も暮らしている。

おかしくもなる。中も外も。

ぼくの人生復讐か。復讐する相手は、もういないけど、居る。だから、ぼくは自分自身復讐する。

道理で苦しいわけだ。

 

息子には味わわせたくない。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん