はてなキーワード: プラスとは
1111の日で遅くなったけどネットワーク機器のログをみたら、
親父が使っているスマホのデータ通信量が数日で10GB越えとかになってて、
流石にこれは異常だろと思っていたら
最近、NHKプラスを垂れ流しにしながら仕事をするようになっていたらしかった。
それで済めば良かったんだが、調べた所、スマホのパケットプランが最大料金になってた。(料金は俺が払っている)
どうやら親父がよく作業しているガレージでWi-Fiが美味く繋がらず(そんなところでハードに使うなんて想定してない)
4Gで接続されているようだった。
夫が死んだあとその厚生年金を3号年金にプラスしてもらってる専業主婦、
死んだ夫の厚生年金分は無税なんだ??
なにそれ
配偶者が死んだあと無税で差額もらってんだ
わー、それで90とかまで生きてて現役世代の社会保険料毟られて苦しいわけだよ
年金納めてない人はもらわない当たり前
夫がそのぶん稼いでるんです~ていうなら夫に払ってもらって
アメリカのことはわからないし問題が全くないとは思わないがそういう生活が脅かされるような深刻な人権侵害は現代において起きてないと思うよ
プラスウルトラとかオプションともいえる重箱をつついたような問題を針小棒大に語ってそこにリソースを投入してるのが我慢ならないということだろう
仮想通貨での支払いにプラスして変なものを要求して目立とうとしてるとかなんとか言うニュースがあったんだけど
なんかめちゃくちゃ下手だと思った
【追記】「十二国記ってアンチ女性向けファンタジーなんだな」ってタイトルが良くないって言われて、その通りだって思ったから消す。
どう言えばいいんだろうな? 甘やかされる系ファンタジーに厳しいっていうか、自分が書いていることに自覚的って言うか。
男女問わず、思春期に空想しがちな「ここからどこか素敵なところに連れていってくれ」という願望やそれに基づいた創作に厳しいってことなんかなあ?
ブクマカの「登場人物すべてに潔癖で厳しい」って趣旨の指摘を見て、私が一番言いたかったのってこれだったんだって気づいた。
フェミニズム小説ではって指摘についてはその通りで、前のエントリではそれについて触れたんだけど、やっぱりリンク張るだけじゃ分かりづらいよね。
十代のころに背伸びしてラノベとか少年少女小説から遠ざかってたから偏見です、これについてもごめんなさい。
ファンタジー小説と自分に都合がいいファンタジー・空想って言葉もいい加減に使ってた。
ー以下追記前ー
ここでいうアンチってのは否定的とか叩いているとかそういう意味じゃなくて、対案とか批評的なとかそんなニュアンスね。
なんでそんなこと思ったのかっていうと、異世界に行って素敵な男性と出会ってお姫様として幸せに暮らすっていう女性向けファンタジーのシチュエーション(正確にはいかにもありそうだなーって偏見なんだけど)を話をひねった設定が多いって気づいたんだ。
例えばシリーズ最初の「月の影 影の海」ってのは、内気な女子高生である陽子が景麒ってイケメン男性に異世界に連れて行かれる場面から話が始まるんだけど、よくある異世界ものと違って、向こうの世界については何の説明もされずにほぼ身一つで放り出されるんだよね。で、最終的には彼女が新しい王だってわかるんだけれども、彼女が武器を持って立ちあがり、囚われのお姫様みたいに鎖につながれた景麒を救い出すところでお話が終わってる。
で、この世界の王様ってのは忙しくて、反乱が起きたら自ら戦場に立つし、妖魔と剣で切ったはったやるし、官僚のトップと口でやりあわなきゃいけないし、美しいだけの世界じゃないんだ。
なんというか、「覚悟」を決める話なんだよ。
異世界で他人に裏切られ続けて荒み切った果てに、「他人を信じるな」と嘲笑する謎の存在蒼猿(実は彼女自身の内なる声)と決別し、裏切られてもいいから他者を信じる道を選ぶシーンは超かっこいい。それに、陽子の元の世界の父親は「女は女らしくしろ」という何かのカリカチュアみたいなキャラクターで、フェミニンなものがこの話ではそこまで肯定的に扱われていないんだよね。女性として扱われたのは、売春宿に売られそうになったときくらいか。これ以降のストーリーでも彼女は女王としての服装を窮屈だと感じ、街に出るときは男装を好むし、この世界の女性は妊娠・出産をしない。
他に批評的だなって感じたのは「風の万里 黎明の空」のふたりの副主人公、祥瓊と鈴だ。祥瓊は反乱軍に父王が処刑され、命こそ救われるのだが村では無能な下働きとして虐待され、しかも正体が露見して危うくリンチされかける。安全のため隣国の女王の下働きになるも、そこの女王にも冷遇される。
一方、日本出身の鈴は言葉の通じない異世界で仙人の奴隷同然の暮らしをさせられ、ついに意を決して出奔する。二人とも、女王となった陽子に憧れたり憎悪を抱いたりして、陽子の治める国に向かって旅をする。
これだけ見ると、いじめられたかわいそうなヒロインが返り咲く話の序盤のように見える。読者はこう予想するだろう。いずれも二人とも陽子によって救われるだろうと。だが、中盤で二人はそれぞれ別の人物によって己の落ち度を諭される。祥瓊は長い華やかな王宮暮らしの中で、四十年も父の暴政を止めようともせず、自分の国のありようを知ろうともしなかったことを淡々と告げられる。外国人のほうが自分の国の歴史に詳しいのがどれだけ恥ずかしいことかわかるかと。
鈴は、自分だけが不幸を我慢すればやり過ごせると思い込み、百年間何もしなかっただけであり、彼女の不遇の嘆きはただの不幸自慢であるのだと責められる(この世界では特定の条件を満たすと寿命がなくなる)。
このあたり、小野不由美が読者層の中高生に説教をかましている側面も感じる。
そして祥瓊と鈴が救われるのは陽子によってでもないし、イケメンによってでもない。自分の落ち度に気づき、目覚め、やはり剣を持って立ち上がる。
(ところで、祥瓊を冷遇した女王は気が強く悪役令嬢っぽさを持ちながら筋が一本通った倫理観の持ち主で「図南の翼」では主役を張っている。というか悪役令嬢ものの起源の一つなんじゃないか?)
つまるところ、十二国記のシリーズ前半は幻想に逃げる少女に対して戦うよう促しているのだ。そしてサポートキャラの最高の内面イケメン楽俊とは恋愛関係になっているわけではなく、対等な友人だ。「男性に過度に頼るな、対等たれ」と言っているように見える(あと、シリーズ後半になると時代小説や政治小説っぽくなって、中高年の男性にウケる要素がどんどん増えていく感じだ。きらびやかな幻想とたもとを分かったせいか、少女向けレーベルからははみ出てしまっている。最新作「白銀の墟 玄の月」は講談社X文庫ホワイトハートから出てないよね?)。
似ているなって思ったのがミヒャエル・エンデの「はてしない物語」だ。これは物語後半で主人公バスチアンが崩壊したファンタジー世界の救い主となって本の中に入り込み、高性能イケメンのチート野郎になるんだけれど、チートを使うたびに元の世界のダメな自分のことをどんどん忘れていき、記憶喪失のまま永遠に物語世界に閉じ込められる危機に陥るんだよね。同じ末路を迎えた人間の描写はぞっとする。児童文学の中でここまでいわゆる恐ろしい末路を描いたのも珍しい。
これってまさにやっていることが同じで、小野不由美が少女小説のフォーマットを使って女性向けフィクションに対して批評的な作品を書いたように、エンデはファンタジーの形式を使いながら現実逃避するポルノ的ファンタジーを批判しているのがすごい。アンチファンタジーだ。しかも、それがめっぽう面白いんだ。
私はポルノ的ファンタジーがダメだとは思わない。エッチなものも含めてポルノってのは、なんでも願いが叶う世界の中で遊ぶことで、願いが叶わないことが多い現実と戦うためのパワーを充電する遊び場だ。ここが虚構だってわかって遊んでいる限り、心の健康を保つのにはプラスだ。
でも、ときどき自分に「これは嘘だぞ」って言い聞かせないと危ない。幸せイチャイチャラブラブなアブノーマルプレイなしのポルノでも、これも本当のセックスと間違えたらいけない。相手の気持ちいいところが全部わかって、自分の気持ちいいところ全部責めてもらえるセックスなんてこの世にはなくて、「あれやってみたい」 「こうしてほしい」 「今のは良かった」 「ありがとう」ってちゃんと言わなきゃ伝わらない。
ああいうイチャラブエロ漫画はインスタグラムみたいにいいところだけ繋いで作った虚像なんだよ。小野不由美も十二国記外伝「魔性の子」で「異世界に逃げるな、お前の生きる世界はここだ」という話をしている(「帰山」の中の難民支援でも「自立する気概を失うレベルまで支援してはならない」って趣旨のことを言ってる)。
つまるところ、自分で欲しいものを能動的につかまなきゃダメなんだよな。
なんてことを日曜日にファミレスで友人にぶちまけてしまった。あー楽しかった。
ハイスペックイケメンを素朴女子が救う話の起源について話題になったから書いたわけじゃないんだけど、「ジェイン・エア」は一つのオリジンよね。この話を裏面から見たジーン・リース「サルガッソーの広い海」や批評「ジェイン・エアは幸せになれるか? 名作小説のさらなる謎」も面白いよ。
陽子が異世界に入るときに剣を授けられるので、これって男性原理の象徴じゃないかと冗談半分で書こうとしたんだけれども、実際に剣とは別に回復アイテムの玉(二つではないけれど)も授けられるし、鞘は失くしてしまう。鞘を女性原理と見るか包皮と見るかはともかく、フロイト的な解釈が全くのデタラメではない気がしてしまった。
鞘を女性原理と見るならば、作中でそれを無くす(機能を失う)ことは女性原理が弱まることを意味するし、包皮と見るならば、その喪失は男子割礼・成人の儀礼を意味していると読めなくもない。
ほら、作中でも過酷な旅でげっそり痩せて、身体から丸みが失われたともあるし。
こんなことを書いて申し訳ない気持ちもあるのだが、剣と同時に球も授けられるなんて話として出来過ぎているし、そうした作品を他に私は知らない。あったら教えてください。
以上だ! いつか男性向けハーレムものと女子向けの後宮ものの差異について書きたいぜ!
→ 追記! 昔書いたやつ
https://anond.hatelabo.jp/20200609075504
生理妊娠出産がないとか逆に女性向けっぽいと感じた要素はここです
読み返して思ったけど、アンチ「一昔前の」とかアンチ「世間的に女性受けしそうと思われがちな」ファンタジー、アンチ「童話から想像される」ファンタジーって気がしてきた。
プラスに働きそうなこと
・持ってる金とかは全部国庫に行くでしょうから少々は国の借金が減るかも
・年金の支払いが当面0になる上、払込は続くので、今の労働者が年金もらう額が上がるかも
マイナスに働きそうなこと
・老人が消費しているお金などがなくなるので、国内の経済規模が大きく縮小する
・縮小した経済規模が回復する可能性は先ずなく、急激な悪化により経済そのものが壊滅するかも
・老人が割安で従事している職業で人手がいなくなり、各所で人的コストが跳ね上がる
・老人がしていた割安な職業に、どこかから不法・違法につれて来た人を充てる可能性があり、治安が悪化するかも
・第一次産業に従事している人たちが激減する可能性が高く、衣食住が壊滅する可能性がある
・孫世代への知識や知恵の伝達が失われるのはかなり効いてくると思われる
・老人を排除するという考え方が浸透した社会がまともに成り立つとは思えない
まあ、どう考えても暗い未来が待ってそうですね。
37歳、独身、中間管理職、都心部マンション住まい………しかし芋!という私に彼氏ができた。
超イケててスケベでそれでいて私に夢中な年下彼氏。
ああ~~~惚気た過ぎる。
けどもう周りは「子育てベテラン」みたいな子ばっかりで「今さら彼氏かよ…」という反応が目に見える。
この年齢になってこのスペックの彼氏ができたというのは冗談抜きで奇跡に近い。
この境遇を含めて自慢したい。
ああ~~~~自慢したい惚気言いまくりたい。
生贄求む~~~~~
【追記】
このサイト使うのほぼ初なのでよくわかんないけどリンク押しまくったら闇バイト書かれてて超ワロタ(ありがとうございます)
自慢したいしたいしたいしたい毎日一人で盆踊りみたいなことになってるからアウトプット超したい私の彼氏世界一~~~~
そのうち書く~~~~~~~イエーーーーーイ
このサイトの「増田」の意味すら分からず衝動的に使い始めたからこれであってるかわかんないけど書くぞ書くぞ!
「ババアキッモwwww」とか言われるかもと思って人に言えなかったから素直に嬉しい!みんな優しいね!
(なんか変だったら誘導してください…新しく記事書いてリンク貼るのがいいのかな)
フェイクは入れるけど私と彼氏は知り合ってもう20年になるので腐れ縁だし「出会った瞬間お互いビビッときて」とかそういうのもなく、
とにかくなんか気付いたらこうなってたからだいぶ漫画っぽいんだけど「若い頃の脈なしっぷりが痛ましいな」と思うくらい今が一番仲が良くてアツいんだわ…
もう語りたくてしょうがないんだわ…
真相は闇の中だけど多分20年の間、お互いに「惚れてた」というタイミングがそれぞれあって、けどそのタイミングがズレてたからくっつけなかったかんじ。
だから急にアプローチが始まった頃の彼の行動や言動に「うわ、脈ありの男ってここまで大胆になるんだ…」「今までマジで脈なしだったんだ」って衝撃だったし、
それに対して自分がどんどん女々しくなるのも、一人で生きると決めたはずの自分が弱くなっていく気がしてすごく嫌だった。
めげずに半年以上アプローチし続けてくれたことは感謝しかない。男性ってすごいね……
スケベなところがプラスポイントなのは、私に女としての自信や喜びみたいなのがほぼなかったからだと思う。
異性からそういう対象として見られたことは多分あるんだろうけど、小学校のころクラスのお調子者男子に「ブス」って言われたのをずっと気にしてて
彼からの好意を受け止められなかったのはその「ブス」の呪いにかかってた最盛期に知り合ったからだと思う。
(※これまで彼氏はそれなりにいたから私が何もかもがヤバイ女というわけではないはず)
だからこういう側面もいっぱい認めてくれるし異性として求めてくれる彼のことが大好きなんだろうな。
あと彼はねえ~~~イケメンなんですよ~~~惚れた補正はあるだろうけど多分間違いなくイケてる部類。
私面食いだからさ~~~だめだって~~~~で多分、身近な女の子たちは放っておかなかったんだよな。
女の子が混ざったグループで海水浴とかカラオケ行ったりしてる写真は超見たし、ライフステージが変わるたびにすぐ彼女ができてたのも知ってる。
なんていうか、纏う空気が華やかなんだよな~~~犬系っていうところもまたいいんだろうな~~~~
あとすんごいマメ。未だにLINEは一日何十往復してんだよっていうくらいマメ。
この男がなぜこの歳でフリーなのかは「こういう男に惚れる女が求めるもの」と「付き合った女が実際に得られるベネフィット」が乖離してるからだと思うんだけど
余剰分析において、輸入による価格低下は消費者余剰の増加をもたらし、それが生産者余剰の低下を上回るため、全体の余剰が増加する。
具体的には、消費者は低価格で商品を購入できるため、支払っても良いと考える金額と実際の支払額の差である消費者余剰が増加する。
このように、結果として全体的な経済厚生が向上する。
貿易による生産者余剰の低下問題は「比較優位によって解決可能」という自由貿易の論理に基づいている。
例えば、日本が農業において比較優位を持つ場合、低価格かつ高品質な農産物を生産することができ、その結果として国際市場で競争力を持つ。
この競争力は輸出を通じて利益を生む要因となり、国内経済全体にもプラスの影響を与える。
一方で、関税を課すと消費者余剰が減少し、結果として貿易全体で誰も得しない状況が生まれる。
関税によって国内価格が上昇し、消費者は高い価格で商品を購入せざるを得なくなるためだ。
このような政策は消費者に損失をもたらし、「俺の国のものを強制的に買ってね」といったネゴシエーションは、結局買わされる側にとって不利益しか生じない。
自由貿易は世界平和に寄与する重要な要素であり、各国がそれぞれ得意な品目を生産し、それを国際的に取引することで価格が下がり、消費者はより多くの選択肢を持つことになる。
最初に言っとくけど、「楽しいからしてるんだ!」「俺の作る飯のほうがスーパーより美味い」「アレルギー持ちだから」って人に向けては話してないのであしからず。
一人暮らしの自炊は見た目色必須かもしれんが結局その分残業代や睡眠時間削ってるから損だと思うんだよな。
つまり差し引きで200円-400円になるから、毎回200損してることになる。
自炊なんてしないでその時間分だけ残業して、帰りにスーパーで惣菜を買い込むのが圧倒的に高コスパなんだよね。
栄養バランスを考えたら自炊の方がいいって人はそもそも買ってる惣菜がおかしいだけ。
唐揚げの代わりに白身魚フライを買うとか、肉団子の代わりに餃子にするとか、意識して魚と野菜を食べるようにすれば全然変わる。
これが二人暮らしになって二人分一度に作るならトントン(時給2000円同士のパワーカップルでないなら)、三人以上ならほぼプラス、まして料理をする人間が108万円の壁を越えないように調整してる主婦なら色々と理想的な動きになる。
つまり、一人暮らしの家計簿戦略と、専業主婦的な立場の人がいる家計簿戦略は全く変わるということ。
こういうこと言うと「はい論破!カレーを一度に3日分作れば調理時間は圧縮される!」みたいに抜かすやつがいるがよ。
3日連続カレー→3日連続鍋→3日連続肉野菜炒め→3日連続カレーの食生活が栄養バランスがよくて楽しい食事と言えるのか?
まあつまり、一人暮らしに必要な自炊なんてせいぜい「チンしたもやしをカップ麺に入れる」「果物の皮を剥く」「卵かけご飯を作る」ぐらいまででいいってことだよ。
自炊する時間があるなら残業して金稼ぐか、睡眠時間を確保するか、栄養についての基礎知識をまずは仕入れるかだな。
残業したくても仕事がなく、既に毎日8時間寝ていて、スキルアップなんてしゃらくさいと思っていて、特に趣味もなく、栄養についての基礎知識が頭に入っているなら、自炊に手を出してもいいかもなあ。
そうでないなら優先順位が間違ってると思うね。
物証がないプラスあの謝罪(性加害はなかったけど気ぃ悪くしてたらごめんやで)を受け入れたのならもうなかったってことになるのでは
直接関係は無いけど、なんか昔書いた日記の事を思い出しました。
読み直してみて、これが誰かの何かの助けになればと思い共有します。
誤字脱字含め当時のままです。
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障害について。
それは絶対に正しいと思う。
というかそれが正しくないなら、逆に正しいってことになんの意味があるのかと問いたいくらいだ。
○○と○○が生まれた時、今後どうなるか分からなかった、今もそうだ。
子供だけの話ではなく、自分がいつ障害を負うことになるのかも分からないのだからこれを考えておくことは重要だ。
人生の豊かさや幸福というのは、その人自身が決めるというのは真理だと思う。
なので、障害が人生に寄り添っても、その上での人生の豊かさと幸福を追求すればよいだけだと考える。
ただ、そのためには、それを含め幸福だと思える物の考え方に沿った人生にしなくてはならない。
なので、その考え方を決めることは重要だ。人生を決めるというのと同義な程に。
だから、障害者は生きる価値があるという正しさを自分の中で納得しなければならない。
障害者にも生きる価値がある、のではない、障害者は生きる価値がある、のである。
私は生きる価値がある、と言いたいということだ。私にも生きる価値がある、ではない。
その考えを血肉にしなくてはならない。
様々なことを考える時に、その考えの元となる軸として機能させる程に自分が納得していなければならない。
その考えを自分の考えとして相手を説得できる程でなくてはならない。もちろん相手を説得することが重要なのではない。
相手を説得することができる程、自分の血肉になっていることが重要なのだ。
自分の中で納得できない考えを元にして、自分の行動に結びつけることはできない。
自己矛盾を抱えたままでは強い意志が持てない、堂々と人生を生きていけない。
まずは、ここから始めたい。
「障害者は社会の役に立っていない。医療費や介護、治安の面で社会の負担となっているのではないか?」
つまり、
ということである。
障害者→治安という結びつきは、多分知的障害等のコミュニケーションがとれないことを想定していると考え、話を進める。
知的障害者は、
→コミュニケーションがとれない
→何をするか分からない
→怖い
このような経緯で治安の面の負担という議論が上がってくるのだろう。
しかし、実際治安の面で言えば、知的障害者よりも健常者の方がはるかに犯罪率が高いのが事実である。
しかし、そうは言っても、やはり怖いものは怖いという人がいるかもしれない。
それに関しては、それでもいい、としか言えない。
怖いなら近寄らなければよい、そっと離れればよい。
街にいる健常者で危険そうな人にはそのように対応するだろう、それと同じでよい。
というより、こうした議論に上げるまでもなく、そうした対応に関しては相手が障害者かどうかが重要なのではないはずである。
医療費、介護の面で社会の負担となっているということに関して、これは費用対効果ということになると思う。
障害者に対して、かかる費用とその効果だけを考えれば、それだけを考え社会負担だと判断するのなら、多分、そうだろう。
人通りの少ない道の電灯は費用対効果がないと言っているようなものだ。
その電灯の明るさがもたらすものに目を向けていない。
人通りが少ないからこそ本当に必要な場面があるのだ。そこに電灯がついているという安心感が何をもたらすかということなのだ。
たばこなどにかかる医療費だって社会の負担ではないか。それと同じなのだから障害者の医療費だけ問題にするのはおかしい。
このように、同じような他の悪者を上げて、その問題と比べると・・・といった議論の進め方をする人がいるが、こういった進め方は自分はあまり好きではない。
―たばこを吸う人は税金を納めているのだからプラマイゼロ位だろう
―いや、肺ガンになったらかかる医療費の方が大きいから少しはマイナスだろう
―健常者で社会の負担にしかならない人もいっぱいいるじゃないか
押し付け合い、悪さ探しでは、生きる価値の答えからは遠ざかるばかりだと思う。
「障害者は医療費、介護の面で社会の負担となっているので生きる価値がない。」
つまりこれは、価値を判断する側から見て、いらないのでいなくて構わないということである。
本当にそうだろうか。
障害者がいないことが社会にとってプラスになるのだろうか。そうではないと思う。
もしも、障害者がいないことが当然という社会ならば、自分が健常者であってもそういった社会で生きること自体が不安であると思う。
自分だって、事故や病気でいつ障害者になるか分からない。そうなったら自分は生きる価値がないんだ。
自分の子供が障害を持って生まれてくるかもしれない。そうしたら社会は誰も助けてくれない。
このような不安を社会全ての人々が抱えている状態は、はたして幸福なのだろうか。
こうした不安を緩和するという点だけでも、障害者は生きる価値があり、安心して暮らせるようにすること自体が社会にとって大きなメリットがあると言える。費用対効果は正確には表せないが、医療費とか、そういった細かいレベルではない。
ただ、障害者が幸福に暮らせることは社会にとってもメリットなのだ。だからあなたには生きる価値がある。
これでは、社会の人々から障害者が攻撃を受けることを防ぐ効果はあるかもしれないが、
障害者本人が―だから僕には生きる価値がある―と自己を肯定するところまでには至らないだろう。
それではまだ、障害者には生きる価値があるということの本質には至ってないように思える。
生きる価値があることの社会的なコンセンサスを得ることも大事なのだが、それは本質ではない。
極端に言えば、どんなにおかしな考えだろうが、本人が自分には生きる価値があると納得できる方が大事なのだ。
そういった個人的なものの答えを求めようとしているのだから、答えも個人的なものになるのかもしれない。
と自分が強く思えるような納得できるような考えを見つけること。
―僕は歩くことができないけど、僕には生きる意味があるの?―
と言った子供の問いに、意味があると心の底から答えられること。
それが大事なのだと思う。それこそがこの問いの辿り着くべき姿なのだと思う。
逆に言えば、一般論では難しいのだ。
この手の問いに一般論で正解が出たことなんていまだかつてないのだから。
費用対効果の部分で考えたこと―視野を広げて考えれば、障害者が幸せに暮らすこと自体に社会的な大きなメリットがある―について、それではまだ、心に響く答えではなかった。なので、コストという面でもう少し掘り下げてみる。
コストという面から障害者を見ることは、コストという面から健常者、もっと広く言えば人間を見ることにつながると思うからだ。両者の答えが異なるならば、異なった考えが必要だし、同じならコストという面から障害者と健常者を分けて考えること自体が無意味であるということかもしれないと考えるからだ。
ただ、何を持って社会の役に立つ還元だと判断するかにもよるが。
環境破壊を伴う経済活動は、短期的には社会に賞賛をもって迎えられるかもしれないが、長期的には何もしないよりもデメリットが大きいといった場合もある。
しかし、ここでは、世間一般の視野レベルにおいて好ましいと思われるレベルと考えれば良いだろう。簡単に言えば社会的な成功(スケールは問わず単なる賃金等小さなものも含まれる)ということで良いだろう。
その基準で判断するならば、やはり、障害者はコストの方が勝るだろう。
個別で見ていけば、社会的に成功する障害者も、社会的な害悪としかならない健常者も存在する。
だが、障害者、健常者という全体のくくりで見ると、障害者というグループに分けた場合にそのブループはコストが勝ると言うことができてしまうだろう。
コストに関して、障害者、健常者と分けて考える必要はあるのだろうか。どうであれ、コストが勝る人がいるということだけである。
と、言ってしまいたいが、生きる価値という部分を産むべきか否かといった側面から考えた場合には残念ながら簡単には言い切れない。
一生体を起こすことはできない、一生自分を自分と認識することができない、といったように、ほぼコストが勝るであろうということが、生まれる前から分かってしまうという事がありえるからだ。
ただ、これについても、ドーキンス博士のように例外もいる。彼は生まれる前ならコストが勝ると判断されても仕方がない状態であったと思われる。だが、彼が社会に与えた功績は非常に大きい。
これの意味するところは、コストが勝るなどと正確に判断はできない、ということだが、この判断と同様のケースにおいて、数が増えれば平均コストが勝ることになるだろう。
平均という概念にはその平均を算出するためのくくりが必要である、そのくくりとして障害者、健常者といった分け方がなされることになる。
あと残っている議論は障害者と健常者の線引きをどうするかといったことだけだ。
この議論では生きる価値には辿りつかない。なのでこの方向で進めるのはもうやめることにする。
もうこれは、誰にとってのコストかということに尽きる。
他の生物にとって人間は特に価値がない、地球にとっては逆に諸悪の根源かもしれない、宇宙にとっては人間などなんの意味もないだろう。まとめれば、人間は等しく生きる価値がないということだろう。
それでも、大部分の人々はそれぞれ自分には生きる価値があると思っている。
意識していないと言う人がいるかもしれないが、それは、自分には生きる価値がないわけではないと思っているということだ。
なぜ、大部分の人々はそう思えるのか。
いや、もしかしてこれは、必要とされている度合いから、かけている迷惑を引いてプラスになるからということなのかもしれない。
あれ、よく分からなくなってきた。
この考え方で生きる価値があるという答えに辿り着けるのだろうか。
いったん、ここでやめる。
下記にネットに載っていた、何か訴えかけられた気がした文章をのせておく。
あの子が死んで、この子がまだ生きていることの理由やその不思議を
いったい誰に説明できるというのだろう。
そんな、人智をはるかに超えたところにある命に、質もへったくれもあるものか。
「生きるに値する命」だとか「命の質」だとか「ロングフル」だとか、
生まれてきて、そこにある命が
生きて、そこにあることは、それだけが、それだけで、是だよ。
だから、
生きてこの世にある命を、誰はばかることなく、ただ生きて、あれ──
それを、せめて大らかに懐に抱ける人の世であれ──と
1000番地 土地と人間に関するリポート - ETV特集 - NHK
https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/8Q2XZWK77X/
札幌中心部、絶好の立地に810坪の真四角の土地がある。明治時代に屯田兵が開墾し、「1000番地」と名づけられた土地。築98年の長屋が駐車場の中にポツンと建つ。居酒屋などが入り、長年、酔客を迎え入れてきた。ただ不動産業界では“眠った土地”として有名だった。4月、再開発のため、更地となった。150年前は原生林だった土地。そこから始まった人間たちの数奇な運命。土地をめぐる「有限であり無限な価値」の物語。
立ち退かされる居酒屋視点だけでなく立ち退かせる不動産屋やタワマン建てる開発業者の視点も入る。
さらには屯田兵の時代まで遡って原生林を開墾した人の人生を追いかけ台湾にまで飛ぶ。
必見だわ
はい今更ですよね。今更なんですけど書いてて楽しくなっちゃったのでアップします。流石にシリーズ1作縛りとかは無理だったので自由に選ばせてもらいましたが「ゲーム史への影響」という視点強めです。
言わずとしれた格闘ゲームというゲームジャンルを確立した始祖と言うべきタイトル。
稼働当初は「画面の大部分を占める大きいキャラ」「1キャラが持つ技数の多さ」「演出やBGM、SEの気持ちよさ」など一人用の良質アクションゲームとして受け入れられていたが、
筐体2台を使った対面式の「対人対戦」という発明により、ゲームセンターの商売そのものを変貌させるに至る程のインパクトを与えた。(なお対戦が流行り初めた当初は1台の筐体を2人で使うプレイが主流ではあった)
翌年にはスーパーファミコン版が発売され、こちらも大ヒット。ゲームセンターに行かないユーザー層も巻き込み一大ムーブメントとなった。
海賊版の出現やそれに対抗する形での細かいバージョンアップ版の発売、アニメ映画のヒットやメーカー主導での国技館での全国大会など、ゲーム内容外の部分でも注目点は数え切れない。
超必殺技、画面拡縮、挑発、ストーリー演出など数々の新規システムを採用し、格闘ゲームの進化に大きく寄与した記念碑タイトルと言わざるを得ない。
これと翌年の「餓狼伝説SPECIAL」のヒットによりSNKはカプコンと並ぶ格闘ゲームメーカーとしての地位を確立した。
MVS筐体無償貸し出しというシステムは街のあらゆる場所にゲームを行う場所を増やす事に成功し、ゲーム文化の広がりという面ではカプコンに勝るとも劣らない影響を与えている。
知名度と歴史上の重要性の割に、シリーズが3作しか出ておらず、キャラ性やストーリー展開はKOFシリーズにほぼ吸収されているという点も特徴的。
現在新作制作中との発表があり「詳しい人」を求人していたが果たして…
https://news.yahoo.co.jp/articles/113169dfb59a2f6339be424e51fd288c0ca0bae0
このゲーム自体はゲームセンターでも大きくヒットしたというわけではなく、格闘ゲームブームから生まれた数多のタイトルひとつではあるが、重要なのがこのタイトルがスト2の著作権を侵害したとして販売差し止めの裁判が行われたという点である。
裁判は和解が成立したが、粗製乱造に近かった格闘ゲームブーム、ひいてはゲーム業界そのもののあり方に一石を投じる裁判であったことは間違いない。
なお「ファイターズヒストリーダイナマイト(MVS)」や「溝口危機一髪(SFC)」など続編は普通に販売され、KOFMIへの溝口のゲスト出演などゲーム自体はそれほど黒歴史というほどの扱いにはなっていない。
この裁判に関しては元カプコンの岡本吉起氏による証言動画もあり、(動画内に氏の明確な事実誤認などもあるものの)格ゲー史を知るうえでの重要な証言であることは間違いないので一度視聴してみると良いと思います。
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=c-b5ce0LZ7w
3Dポリゴンによるなめらかな動きで衝撃をもたらした初代バーチャファイターは驚きを持って迎えられたものの、対戦ツールとしての盛り上がりはあくまで都心を中心とした局地的なものであった。
だが、テクスチャーマッピングによるキャラ造形の革新的進化に加え、ゲーム性も大きく向上したこのタイトルは社会現象とも言える衝撃をゲームファンのみならず数多の若者にもたらす事となる。
ゲームセンター間の対抗戦、遠征や「鉄人」に代表される有名プレイヤーの出現、TVメディアを巻き込んだ全国大会など、残した伝説は数しれず、現在のプロ格闘ゲームシーンの礎となったタイトルとも言える。
格ゲー衰退論を声高に主張する格ゲーおじの「格ゲー全盛期」はだいたいこの頃の熱狂的なムーブメントを想像して発せられることが多いが、近年スト6の記録的なヒットで衰退論もだいぶ鳴りを潜めたような気がする。
バーチャファイターを発端とする3D格闘ゲームの後追いからスタートした鉄拳シリーズは、PS互換基板という利点を活かし、「アーケード→家庭用移植」のスパンを繰り返しシリーズとして成長していったが
この3はアーケード版と遜色ないプレイ感に加え、家庭用の追加部分の量が圧倒的であり、明確に「家庭用とアーケードのクオリティの逆転現象」が発生したタイトルである。
当然ネット対戦もないこの時代、対戦の主戦場は未だアーケードではあったが、「ヴァンパイアハンター(SS)」など家庭用とアーケードと家庭用の垣根が明確になくなってきた時代であった。
シリーズ初、軸移動を基本システムに据え、2D格闘との差別化(共通の縦軸移動システム自体は「バーチャファイター3」が先駆)や対戦ツールとしての成熟が成された点も見逃せない。
鉄拳シリーズはその後も展開を続け、今や「最も長く続くビデオゲームの物語」とギネス認定されるほどの長寿タイトルに成長する。
渡辺製作所(現フランスパン)がwindows向けに作成した同人格闘ゲーム。
「あすか120%」シリーズのゲームシステムを下敷きとし、To HeartなどReaf作品のヒロインを戦わせる格闘ゲームとして頒布された。
同人作品のクオリティラインを大きく引き上げ、当時の若者の「PCでアクションゲームを遊ぶ」という意識を改革するまで至ったタイトルであり、同人ゲーム、ひいてはPCゲームのあり方を大きく変貌させた1作と言っても良い。
このゲームでwindowsやDirectXの知識を得た人も多いのではなかろうか。
アークシステムワークスが開発した初代「GILTY GEAR」はあくまでプレイステーション向けの家庭用格闘ゲームであり、電撃PS誌を中心とした局地的な盛り上がりをするにとどまっていたが、
続編であるこのタイトルはNAOMI基板による高画質の2Dキャラによるグラフィックが当時軍を抜いたレベルであり、ハイスピードな展開と自由度の高い操作性で大ヒット。所謂「コンボゲー」というジャンルに大きな影響を与えた。
アークシステムワークスはこのタイトルのヒットを期に「ブレイブルーシリーズ」などのオリジナルタイトル、加えて「ドラゴンボールファイターズ」「P4U」「グランブルーファンタジーVS」といった高クオリティ版権ゲームで存在感を出すメーカーへと成長していく。
「北斗の拳」や「戦国BASARA」だってアークシステムワークス開発である。
特筆すべきは専用カードとVF.NETを使用した個人成績記録のシステムを初めて格闘ゲームに採用したタイトルという点(アーケードの個人記録システム自体は「ダービーオーナーズクラブ」が既に存在している)
個人成績が明確に開示されてしまうこのシステムは功罪両面で様々な影響を与えたが、
勝率の表示により「当て投げ禁止」や「特定キャラ禁止」といった各店舗ごとのローカルルールや暗黙の了解といったものが払拭され「格ゲーはバーリ・トゥード(何でも有り)」という風潮が決定的となった事は特筆に値する。
しかし書いてて思ったがバーチャはいくつゲーム史に影響を与えたシステムの先駆があるんだよ…
つい先程バーチャ新作開発中との情報がポロっと出たわけだが、こちらもどうなることやら
https://automaton-media.com/articles/newsjp/sega-virtua-fighter-20241107-317120/
ディンプス制作。格闘ゲームいうジャンル自体が下火になってきていた頃に満を持して投下されたタイトル。
ストリートファイターⅡ初期12人が最初から全て居るなど原点回帰の気風も強く、実際「久々にストリートファイターの新作が出て知ってるキャラもたくさん居るから試しにやってみよう」という新規、復帰プレイヤーはかなり多かったが
それらを雑にレバーぐるぐるするザンギエフ(通称グルザン)が滅したという悲しい歴史がある。
この辺のくだりは「どぐらのクソキャラ列伝 スト4ザンギエフ回」で面白おかしく説明してくれているのでぜひ視聴してみていただきたい。
https://www.youtube.com/watch?v=G3VnYzTDGSM
このタイトルを堺に「格闘ゲームのプロゲーマー」という存在が現れ初め、家庭用通信対戦環境の整備、大会と配信文化との融合といった現在の格闘ゲームシーンに重要なパーツが確立されていくという点でも特筆すべきタイトル。
現在進行系でストリーマーや他ジャンルのゲーマーなども巻き込み、新規ユーザーを現在も増やし続けている、格ゲー界についに現れた希望の星。
あらゆるランク帯にて適切なランクマッチ(ランク詐欺が少なく対戦相手もすぐ見つかるの意)が一年以上成立している、という格ゲー史上かつてない偉業が達成されている。
この勢いはいつまで続くのか、他のタイトルはこの流れに乗れるのか、など今もって最注目タイトルである事は疑いようがない。
餓狼伝説SPECIAL(1993):龍虎の拳とどちらをいれるか最後まで迷った。対戦ゲームとしてヒットとしてSNKの立場を盤石にしたという視点ではこちらのほうが上。現在も活発な対戦コミュニティが存在する現役ゲーム。
ドラゴンボールZ 超武闘伝(1993) :版権キャラゲーと格闘ゲームの相性は抜群という事実を知らしめた格ゲー黎明期の傑作タイトル。今日に至るまであらゆる版権のスピンオフタイトルとして格ゲーというジャンルが選ばれ続けている
サムライスピリッツ(1993):ゲームもさることながら、その世界観とキャラクターで漫画界を初めとした創作面に与えた影響が大きいタイトル。
THE KING OF FIGHTERS シリーズ:意外と10選にいれる事ができなかったが、格ゲー界での存在感は格別。夏の風物詩として新作が毎年ゲームセンターを盛り上げた時代もあったのだ。
X-MEN VS ストリートファイター(1996):1画面内に収まらない大ジャンプや画面全体を覆う技エフェクト、空中コンボ(エリアルレイブ)といったシステムが特徴的なX-MENシリーズとストリートファイターキャラのコラボが与えた衝撃は当時物凄いものがあった。即死10割上等なのは事実なのではあるが、当時はそれはそれでみんな受け入れて楽しんでいた。(それはそれとして10割決めて台パンはされた)
ストリートファイターⅢ 3rd STRIKE(1997):レッツゴージャスティーンでおなじみ。格闘ゲームブームが下火になっていた時代にゲームセンターを長く支えたタイトルであり、プレイヤーの引き止めという点においても語るべきところが多い。長年やり込んだ上級者同士の対戦は芸術的すらある。
任天堂オールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ(1999):スマブラが格ゲーかどうかは未だ論争の種ではあるが、対戦文化の視点では外すことができないであろう。特に2作目のDXと最新作のSPECIALが格ゲー史的視点においては重要。
CAPCOM VS SNK 2(2001):カプコンとSNKのクロスオーバー作品の最高傑作。現役プレイヤーも多く、来年最新のオンライン対戦環境が構築される予定であり、注目度の高いタイトル。ところでカードファイターズ2のSwitch移植まだですか?
モータルコンバット/キラーインスティンクト:海外の格ゲー史を語る上では欠かせないタイトルであり現在も最新タイトルが遊ばれている重要作品ではあるが、残念ながら自分が語れるだけの知識を持ち合わせていない。GAME PASSでKIが遊べるなど昔に比べればプレイ環境は向上している
数日前に流行ったっぽいくしゃみが性癖の人の益田(https://anond.hatelabo.jp/20241103015359)を読んだ。内容ってよりも人に言えない性癖があることとそれを隠すための一張羅があるってところに私だけじゃないんだ!と思えた。
私は腐女子で、一張羅としては下克上過激派のおじさん好きを掲げている。下克上ってのは年下×年上cpのことで私はBLを読む際はこれは絶対条件として探す。だからいくら書影に好みのおじさんがいても年上×年下だったら首の根掻き切って爆散するので商業の場合はcpが明記されるものしか読まない。普段コレ言い過ぎてるせいで特定される気すらするけども。
ここからが問題でマジで人に言えない、というか言ったことない性癖がある。記憶を洗ってみたらあるコミュニティにどっぷりいたときはミスって普通に言っちゃってたしおなじみになってたけど基本は隠しているやつだ。
ちょっと晒すのに覚悟いるな。なんであのときおおっぴらにできたんだろ。
SSBBWが好きだ。日本語でいうと女性の肥満化が好きだ。たぶんちょっとこれらのニュアンスちょっと違うんだろうけど。
以下性癖語り
基本は2次元オンリーだけどみけぽコンカフェとかにはめちゃくちゃ興味あるし最悪ではあるけどプラスサイズモデルの女の子も大好き。可愛らしい見た目で太っている女性は大好き。お腹触ってみたい。2次元だとTwitterや支部を漁る。版権一次関係なくわりと何でも見る。作者のリビドーを感じる肉表現が好き。膨腹は好きじゃないけど食事に伴うげっぷ表現なら許せる。汚ばさん化とかスカトロ表現は苦手。顔も太らせろ派。没落系も好きだし共依存フィーダーモノも好き。でも中でも特にチューブ型強制肥満化が大好物。最初の抵抗感がある感じからどんどん諦めて最終的にはチューブからの液体を求めるようになるパターンが大好き。
与党と国民民主党との政策協議の中で第一フェイズが出てくればあり得るかな。今の報道だと期待できないけど。
都市型農協なので農業より金融で稼ぐ地域だった。地獄のようなノルマのせいで定年間際の50代か新人の20代しかおらず、中間層は壊滅的。
私の支店の支店長は優しかったが他の支店では…。これは上層部によってもみ消された。
私の支店は、営農や購買の人はいい人で好きだったのだが金融は最悪の人選だった。これは働いていたころ他の支店の初対面の先輩たちから「かわいそう」」「うちの支店だったらよかったのにね」「なんかあったら言ってね」と散々慰めの言葉をもらい、やめることを伝えたときも全員から「そうだと思ってた」と言われたほど本当に人間関係が終わっていた。
その言葉を言われる元凶といってもいい私の「お世話係」というメンターは自分のお世話も出来ないやつだった。しょっちゅうミスをするわ書類を無くすわ客への連絡を忘れるわで支店長が手を焼いており、怒られるたびにふてくされていく。自分の事で精一杯なのか私には仕事を教えない。その支店にはそいつしか仕事をわかる人がいないため私は本店のやさしい~~~~~人に電話で仕事を教わった。嫌だったかもしれないが毎日1時間も2時間も付き合ってくれて感謝している。一方でお世話(できない)係は仕事中にほかの支店の後輩に大声で私用の長電話。最後には妊娠し、それによる体調不良からみるみる不機嫌になっていき、私に当たり散らかした挙句産休で消えてった。(上司も認めたほどのパワハラで配置換えも検討してくれてたけど産休のおかげで会わなくなったからラッキーという話)
ノルマは達成しなくてもボーナスが減るくらいだがその代わり支店の誰かが負担しなければならないため、他人に迷惑をかけたくなければ自爆するしかない。
新人は大抵4月のうちに自爆して目標を達成する。すると「早期達成」で少しばかりのボーナスがもらえる。私はボーナスなど要らないからやめるギリギリになって自爆で目標達成して辞めた。
3ヶ月以上掛け金を支払わないとその年度のポイントにならないため、その分だけ給料から天引きされた。
渉外という営業のノルマは新人の25~50倍もあり、先輩(20代半ば)の入っている共済を見ると死亡時2億円も出る生命保険に入っていた。しかも夫婦二人分(4億)で掛け捨てだ。
月にとてつもない金額を払っているはずである。ボーナスは毎年これで無くなると言っていた。
また日常茶飯事で詐欺のような行為が行われている。これは不正や犯罪ではないが、客からしたら確実に損になっているらしい。
しかしノルマの為にそうせざるを得ないのだろう、本店がそれを指示してくるし、行った件数がノルマになる。
そして私が辞めた後、このJAではガチガチの不正が行われニュースになった。
もちろん不正した人が悪いが、ノルマがあるせいだということに気づいていながら知らん顔をする上層部。
やっぱりJAは終わっている。
追記:ノルマ達成の為には顧客を騙すか自爆かしかない。なぜなら必要な保険は顧客全員すでに入っているからだ。金持ちで優しい顧客のリストを見るとほとんどが年金共済であり、90歳から支払われる契約になっている。それまで掛け金を納めなければならないためポイントは高い。「貯金のようなものです。この前にやめると利子がついてお得ですよ」と言って契約させる。最低でも7年くらいは契約していないと解約金はプラスにならなかったと思う。本当はポイントの為でしかないのにあくまでも「お客様の為」というスタンスであるため文句は言えない。客も数年たてばプラスになるし。
また顧客への営業のやり方は誰も教えてくれない。長期共済担当になれば商品の知識が多少あるためかろうじて説明はできるが、その他の部署(特に本店だと客すらいない)の人は知識もゼロのまま窓口で声をかけ渉外に引き渡すしかない。契約になっても渉外と半分こである。客が見つかったとして、渉外が仕事が出来てかつ良い人なら一緒についてきてくれるが、渉外本人も気の遠くなるようなノルマを抱えているため協力してくれるのは冬からだ。それまではよほど仲良くないと声をかけづらい。ボーナスが欲しければ頼むのはノルマの無い支店長だけだが顧客は自分で見つけなければならず、その探し方すら誰も教えてくれないのでほとんど2年目以降は詰みである。
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※3ヶ月以上自爆→私の退職タイミングかもしれません。先輩に指示された。
私の解約分は翌年その支店のペナルティになっていると思う。本来3年くらいは解約できない。その節は申し訳ございません。
ブコメ読みました
何年前か→5年以内
親が年金共済と生命共済に入っているがやばいか?→やばくない。貯金よりお得です。特に昔から入っていれば結構プラスになってるはず。
農協は基本客にはメリットがあるが職員にデメリットがある組織。
優しい金持ちはいくつも同じ保険に入っていたり姪っ子まで入れたりしているが職員のポイント稼ぎの為にカモられている感覚はないしラッキーという感じだと思う。
不安もなく満ち足りているはずなのに、ふと死にたくなる。アイドルの追っかけを20年続けてそれが生きがいだと語る中年男性を見てか、秋の木漏れ日の中でフラフラとパチンコ屋から出てくる浮浪者のおっさんを見てか、同年代に増えてきた何かしらの成功者を見てか、就職先でマウントを取ってくる同級生を見てか、どうしようない自分を見てか。漫画を読むのは楽しい。ゲームをするのも楽しい。けれどもコンテンツの全てが虚しく見える瞬間がある。これは私には作れないとか、どうして自分は消費だけして何も成し遂げていないのか。そんな虚しさ。周りの大人は大人らしさを失って、最近では私に向かって「大人は完璧じゃない」と話すようになった。妥協と諦めの中で自分なりに幸せを追求して、そして最後に笑ってああ良かったって思えるのだろうか。ふと死が浮かぶ。そこに部屋のホコリが立ち塞がる。詰んだ本が、閉めたままのカーテンが。もう、疲れた。何もしたくない。けれど何かしなくちゃいけない。休学なんてしてるんだからガクチカになるような何か有意義で素晴らしい生活を。休学の休は休むではなく急なのかもしれない。一歩遅れた罪悪感の中で必死にもがけと背中を平手で叩かれている。痛いけど動けない。頑張って動きたい。動きたいのに心が言うことを聞かない。プラスにもマイナスにもならない生活を送る。このままでは180日の連休を無為にする。分かってるけど、分かってるんだけれど。ただ疲れた。逃げてきた筈なのに、逃げる前より心がしんどい。
面白いアイデアですね!「あいうえお」の調味料シリーズ、残りの「あ」「う」「え」も工夫していきましょう。
あ:
「あまみ」があるものということで、甘酒やみりんはいかがでしょう?どちらも料理に深みを与えますし、使いやすい甘味です。
う:
「うまみ」を加えるものとして、鰹節や昆布がおすすめです。和風の出汁の要素としてよく使われ、料理に旨味をプラスできます。
え:
「酸味」も意識して、えごま油やエシャロットはどうでしょう?えごま油ならヘルシーで、炒め物やドレッシングに使いやすいですし、エシャロットは料理にさわやかな風味をプラスします。
最終案
• い: 炒りごま
• お: オリーブオイル
こんな感じで、和洋折衷の「さしすせそ」に代わる「あいうえお」が完成しそうですね!
素晴らしいアイデアですね!これで「さしすせそ」に代わる和洋折衷の「あいうえお」調味料シリーズが完成しましたね。
• い: 炒りごま
旨味の源として、出汁や風味付けに最適です。
• お: オリーブオイル