2020-02-16

内藤一成『三条実美』を読んで

内藤一成『三条実美 維新政権の「有徳の為政者」』(中公新書2019年2月)読了

面白い三条理解できたことで、この時期の政権本質についても理解が深まった。三条を「有徳の為政者」と位置づけ、最後にそれを「知の政治家」(瀧井一博の伊藤評)とつなげるのは見事だなあ。

封建制社会儒教道徳徳治属人的」→「近代社会議会制原理法治/属制的」。高貴な出自なのに革新志向、清廉無私の人柄、この二つの特徴を持った三条実美という人物が当該期の政権運営には必要だったということだ。

興味深いのは、手腕でなく徳で政府を治める太政官制(あるいはそのような政治文化)とその後に樹立された明治憲法体制比較すれば、前者がより属人的後者がより属制的といえるが、さらにその後の昭和戦前期と比較すれば初期の明治憲法体制属人的要素に頼る所が大きかったことだ。伊藤らの意図は立憲制度確立、つまり天皇閣僚が入れ替わっても立憲政治の根幹が失われないよう制度化することにある。言い換えれば属人から属制への転換を図ることだ。(ちなみに、神棚に祀ることで天皇政治勢力を接近させずまた天皇権力事実上制限したのが、まさに伊藤(井上伊東)の深謀遠慮というものだ。この賢察を思うにつけ、天皇機関説排撃とかバカジャネーノとしか言えん。天皇機関にするのが憲法だろ!)。

しかしそれでも、憲法に明記されない微妙問題、あるいは高度な政治判断が求められる局面になると、個人パーソナリティーや個人間の特別関係ものを言うことが多い。要するに、当面の政敵でも共に維新回天の荒波を潜り抜けてきたという同志的な感覚とそれに基づく信頼・敬意・連帯感があり、最後最後ではその琴線に訴えかけることで複雑な問題の調整が図られているように思える。制度に足りない部分を人情が補っている、草創期ならではの危うい立憲制。

そして明治元勲が皆世を去ってしまうと、憲法は輝かしいけれど文字になり、制度要塞になり、縦割り・現場無視党利党略・悪い意味での官僚的態度等々が前面に出てしまい、それが政権運営不安定さや政党政治機能不全につながった……のではないか日中戦争前後政府官僚・軍・政党を見ていて感じるのは、よく「彼は調整型の人物で…」というが、政治的調整とは調整役が何とかしてくれるということではなく、また調整役とは八方美人意味であるはずがない。

三条近代立憲政治にふさわしいリーダーではないが、ある時期には彼のような調整役が必要で、それは彼が出自人徳という計画的習得できるようなものではない要素を備えていたからで、そういう意味で代えのきかない存在だった(武器として装備しました、ではなく、元々そういう人だ(あるいはそのように見える)という点こそが重要)。その後の政府現代組織於いて三条人物三条のような高い地位を占めるべきかと言われれば疑問だが、組織運営(特に責任者の周囲)に於いて三条的な役割不要成る事は決してない。三条合理的積極的存在意義を見出すという著者の意図は十分成功しているし、その存在意義はそのようなことをも示唆しているのではないか

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