はてなキーワード: 正規とは
Xで話題になっている読売新聞の記事。それとX上の反応を見て暗澹たる気持ちになったので記す。
「投票所「夜8時まで」は立会人に負担…きょう4割で早じまい、経費節減も」
引用元:読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/20241026-OYT1T50085/
なお、これは今年基礎自治体から広域自治体に転職した1人の地方公務員の考え方だし、サンプルもn=1なのでそこは差し引いて読んでくれ。
しかも、選挙管理委員会に配属になったことはないので、ちょっとズレたこと書いてるかもしれん。
・こんなに大急ぎで違憲の解散選挙やって、自分達の旗色が悪いから「投票所早く閉めちまえ」って圧力かけた
→政党が全国の市区町村に直接「投票時間を短くしろ」なんて圧力かけるわけないだろ。
・まっとう感覚なら「急いだ日程で申し訳ありません」と言って投票所増やすとこでしょ。よりによって『経費削減』だよ。庶民に関わることは全部経費削減なんですよね。
→さんざん行政の効率化を、費用対効果を、民間意識を、って言ってきたのに、選挙だけそれの範疇外になる理由は何?投票所は日頃から市区町村選挙管理委員会が選挙人名簿に基づいて偏りが起きないように場所を決めてるんだぞ。選挙人の人数が変わらないのに増やす必要ないだろ。
・民主主義の根幹を揺るがす
→投票時間を1~2時間早めたところで民主主義の根幹は揺るぎません。平成9年頃までは期日前投票もなかったし投票時間も18時までだったけど、民主主義は崩壊なんてしてなかったぞ。
今回のことで話題になっていることに関連しそうな条文をピックアップするぞ。
2 投票管理者は、選挙権を有する者の中から市町村の選挙管理委員会の選任した者をもつて、これに充てる。
(~略~)
6 投票管理者は、選挙権を有しなくなつたときは、その職を失う。
(~略~)
第三十八条 市町村の選挙管理委員会は、各選挙ごとに、選挙権を有する者の中から、本人の承諾を得て、二人以上五人以下の投票立会人を選任し、その選挙の期日前三日までに、本人に通知しなければならない。
2 投票立会人で参会する者が投票所を開くべき時刻になつても二人に達しないとき又はその後二人に達しなくなつたときは、投票管理者は、選挙権を有する者の中から二人に達するまでの投票立会人を選任し、直ちにこれを本人に通知し、投票に立ち会わせなければならない。
(~略~)
4 同一の政党その他の政治団体に属する者は、一の投票区において、二人以上を投票立会人に選任することができない。
(~略~)
(投票所)
第三十九条 投票所は、市役所、町村役場又は市町村の選挙管理委員会の指定した場所に設ける。
第四十条 投票所は、午前七時に開き、午後八時に閉じる。ただし、市町村の選挙管理委員会は、選挙人の投票の便宜のため必要があると認められる特別の事情のある場合又は選挙人の投票に支障を来さないと認められる特別の事情のある場合に限り、投票所を開く時刻を二時間以内の範囲内において繰り上げ若しくは繰り下げ、又は投票所を閉じる時刻を四時間以内の範囲内において繰り上げることができる。
2 市町村の選挙管理委員会は、前項ただし書の場合においては、直ちにその旨を告示するとともに、これをその投票所の投票管理者に通知し、かつ、市町村の議会の議員又は長の選挙以外の選挙にあつては、直ちにその旨を都道府県の選挙管理委員会に届け出なければならない。
※ちなみに東京の特別区は第二百六十六条において市の規定を準用することになっている。
公職選挙法に記載のとおり、投票時間は市区町村選挙管理委員会が「選挙人の投票の便宜のため必要があると認められる特別の事情のある場合又は選挙人の投票に支障を来さないと認められる特別の事情のある場合」に、法律に規定の範囲内で時間を変更することができる。
例えば、開票時間に間に合わせるためには18時に出発する船に投票箱を乗せなければならない。そのためには16時に投票を締め切らなければならない。
では、今回の経費節減のための投票時間の繰上は「投票に支障を来さない」自由なのか。
個人的な見解だが、この程度も認められないのであれば、選挙制度は近い将来音を立てて崩壊するだろう。
このように法律で「市区町村選挙管理委員会」が投票時間の決定権を持っており、そこには国の役人や政治家が意見を挟む余地はない。
政府の圧力で投票時間が短くなったと声高に意見をする人がいたら、それはただの「陰謀論に騙されやすい人」である。付き合い方を見直すことをおすすめする。
件の記事で取り上げられていた宇都宮市の例を見てみようと思う。
https://www.city.utsunomiya.lg.jp/shisei/senkyo/1027895/1027904.html
グラフだけなので細かい数字は分からないが、令和3年度の衆議院小選挙区の時間帯別投票数を見ると、ピークの10~11時では20,000を超える投票がある一方、19時~20時は5,000を切っている。4分の1以下である。18~19時と比較しても半分程度の投票数である。
単純に考えて、時間帯によって投票所の運営コストが4倍以上かかっているということである。
自分が従事していた投票所もだいたい同じような状況だった。酷いときは1時間あたりの投票者数がピーク時の10分の1程度のときもあった。
事務の効率化、行財政改革が叫ばれている中、選挙だけが改革から外れる合理的な理由があったら教えてほしい。
ここでは立会人だけでなく事務従事者全体のことを考慮して記載する。
投票所における事務従事者は最低でも次に挙げる程度は必要である。
投票所によるが、だいたいこれらの人員が、準備片付けも込みで午前6時から午後9時まで15時間拘束される。
以前の勤務先では、選挙管理委員会職員と、選管応援の総務系職員を除いて、投票従事者と開票従事者は分けられていたので、これまたXで話題となっている「6時~27時勤務ののち、翌8時半から通常勤務」といったことは経験がない。
ただ、小規模自治体の話を聞いていると、投票事務と開票事務の兼務があるようなので、マンパワーが少ない自治体ほど厳しい状況に置かれてるのかもしれない。
以前の勤務先では15時間の投票所勤務をして、主事級の日当が3万弱~3.5万弱だ。これを多いと捉えるか少ないと捉えるかは自由だが、「この金をもらえなくていいから、許されるのであれば選挙に従事したくない」というのが市区町村職員の主流意見じゃないだろうか。同業者ニ意見ヲ求ム。
※自治体によっては日当じゃなくて時間外対応という神みたいなところもあれば、週休振替という地獄の煮凝りみたいなところもあると聞いた。
選挙事務は、市区町村の職員のほぼすべてが何かしらの形で関わる上に、派遣(アルバイト)も入れている。
このうち投票管理者は、投票事務をよく分かっている人でないといけないため、大抵は市区町村職員が割り当てられる。立会人は職員でもいいし、民生委員、保護司、スポーツ推進委員、自治会役員など、専門知識がない人でも構わない。まあ打診したところで断られるケースも多いんだけどね。
余談になるが、令和元年に専任要件が緩和され上記2つの職の要件が「選挙権を有する者」になった。それまでは選挙区内から投票管理者と立会人を見つけなければならず、勤務先市区町村に居住する者が割を食っていたが、この改正は大きかったなと思う。
令和5年度と、期日前投票が始まった平成15年度と比較すると、全国の地方公共団体の職員数は約30万人減少している。
一方で期日前投票の制度は年々充実してきており、事務負担は増える一方である。
投票所の運営なんてほぼ全てアルバイトだけでいいだろという意見もあるかもしれないが、ただでさえ人不足の中アルバイトだけでどれだけの人が集まるだろうか。
そもそも、投票数と投票用紙の数が1枚でも合わなかっただけで記者発表沙汰になるというのに、アルバイトに票数管理をさせるなど正気の沙汰ではない。
銀行が毎日の帳簿と現金のチェックを日雇いの派遣に任せるか?飲食店でシフトに初めて入るアルバイトにレジの締めを任せるか?
当たり前だけど、市区町村の正規職員が担うべき領域は外注できない。
これまで書いたとおり、現行の選挙制度は、市区町村職員の多大なる負担(犠牲と言ってもいい)によって成り立っている。
期日前投票所は年々充実しており、鉄道が通っている市区町村であれば、主要駅には期日前投票所が設置されているだろう。
期間も2週間設けているところが多いため、調整のしようはいくらでもあるだろう。
単純に投票時間を短くするのではなく、期日前投票所の拡大や移動式投票所の導入、その他さまざまな取組を行った上での投票時間短縮なのだ。
人口減少の局面において、今後市区町村職員は減少することはあっても増えることはないだろう。
市区町村職員の団体交渉権と争議権が制限されているからこその犠牲によって成り立っているだけであって、団体交渉や争議に発展してもおかしくないレベルのことを要求されている。しかも選挙のたびに、だ。
抜本的な改革をしなければ現行の選挙制度は2050年くらいには崩壊しているんじゃないだろうか。知らんけど。
バーで飲むウイスキー好きがすすめるシングルモルト入門ボトル5本のブコメへのコメント
タリスカー ラカヴーリン スプリングバンク ボウモアあたりでよろしくお願いします。最近飲んでないけど。ストレート一辺倒よりは、たまに加水したり、ソーダで割ってみるのも発見があって良いよ
タリスカー10年はもともとラフロイグ10年やアードベッグTENよりスモーキーさは抑えられているし、ちょっと前のラベル変更の際にさらに優しめの味になったように感じるので初心者にも良いと思う。
ラガヴーリンは16年が高くなって1万円ではほぼ買えないのが難点。数年前から通常ラインに加えられた8年はずいぶん前にしかも多分1回しか飲んでないので保留。美味かったように記憶はしているので16年より十分安く買えれば(飲めれば)良いのではないかと思う。
スプリングバンクは2024年10月現在10年についても入手困難でバーにも無いことも多いので今は初心者にはすすめられない。もっと安いときならスプリングバンク10年は今回のおすすめ5本を飲んだ後に買う1本にちょうど良かったと思う。
ボウモアは好きな蒸溜所なのだけど現行12年がやや樽由来と思われるえぐみを感じてしまうのですすめなかった。正規輸入でなく並行輸入だけど最近見かける9年の方がバーボン樽比率が高いのか飲みやすく感じられて初心者向きだと思う。
でも、そういう難しくて、ワンプレーごとにプレーが切れて、戦略性のあるゲームが日本人は好きだよね
野球で言えば捕手が座ってる位置あたりに木の柵があり、投手はボールをそれにぶつけて壊すことがゲームの根幹となる目的だ
打者は木の柵を壊されないように棒を当てて阻止する
つまり、柵に当たりそうなストライクゾーンに来る球は大振りせずバントのように確実に当て、ボール球のような柵に当たるリスクが少ない球を強振して打ちに行く
野球みたいに生還して1点という概念はなく、打者と、向かいにいる走者が互いにベース間を往復し続ける
2人がちゃんと進塁できれば1点だが、野球と違うのはバットに当たっても必ずしも走る必要はないため、野球だと内野ゴロになるような当たりも、走らなければファールのようにアウトにならない
もちろんタッチアウト、フォースアウトはあるため、無謀な走塁はリスクしかないためまず試みない
走らなければ進塁、得点もできないけどね
つまり、クリケットは柵を壊すまでにどれだけ邪魔されなかったかを競うゲームで、打って点を取るというより、柵を壊すまでの失点をなるべく避ける考え方だ
通常の球技はボールを持っているほうが得点する機会を持つが、野球は例外で、ボールを持たない側が得点する稀有な球技だ
それはこのクリケットのルーツ通り、柵を壊すのがメインのゲームだから、投手がしているのが攻撃なわけだ
野球になるとそれが逆転して、打つほうが攻撃で、投げるのは打つ機会を提供するためになってしまった
それに伴い変化したのが走者だ
が、野球のメインは走者を走らせることになった
ベースは安全地帯ではあるが、基本的に走者はいついかなる場合でも走ってよくなってしまった
本塁に帰れば1点となる
滞空時間の長いフライを打った時も走ってよければ、走者がめちゃくちゃ走れてしまうので、「フライウトの時は塁にいなければならない、いなければ帰塁しなければならない」という決まりはあるものの、それ以外はいつでも走ってよい
フライアウトになった時に帰塁していれば、その瞬間「いつでも好きなだけ走ってよい」状態が復活するため、ボールが戻る前に走者が進塁を試みるのがタッチアップ
また、走塁の時間が一番稼げる、打者への投球時に勝手に進塁を試みることが多く、これが一般的な盗塁だ
打者の出塁にのみ制限があり、「守備側がボールを保持していないこと」が走塁可能な条件だ
バットでボールを打てば、ボールはフリーになっているため走ってよく、三振したときも打席から解放されるが捕手が正規捕球をしていなければ守備側がボール保持をしておらず打者走者としては死んでいないため進塁を試みてよい、これが振り逃げだ
となると、基本的な考え方がどうであれ、観戦者は「打つのを見るゲーム」になってしまった
そうなった結果が、今のルールのわかりにくさだと思う
柵壊しから走塁へ、という流れが分かっていれば、野球のルールって、まあそうなるだろうって感じがする
というわけでクリケット見よう
自民党本部に火炎瓶ぶち込んだ件ではてブでは暴力による抗議は一切許されるべきではないという論調が強い
でも過去の多くの革命が暴力を伴って成し遂げられた理由というのは
権力を持っている側がそれを奪われないように制度化≒法の運用をすることができ
その枠の中では虐げられている者はずっと虐げられ続けることを避けられないからだ
雑な例だが頭がいい奴と体が強いやつの対決で常に知恵比べをさせられたら体が強いやつが負けるのは当たり前だ
同様に権力を握り利権を分配することで支配体制を築いている現状に対して
投票行動というものは法的には正規の手続きではあるが果たして正常な代表の選任行為として機能しているのかは疑わしい
これは自民党の良し悪しではなく日本人が権力を固定化させたことの帰結だ
これで何度目か。
二十歳の時に親がリストラされ、学費を払えないと言われ私立の大学を辞め、バイトで金を貯め+4で別の公立大学に再入学した。
教員免許を取って27歳から非正規で教員を始め、1年経つ頃に過重労働とパワハラでうつ病になり1年引きこもる。
その後寛解し非正規で様々な仕事するが結局教員に戻り10年くらい非正規で勤める。
採用試験は毎年受けて、模擬授業は得点開示でも高得点で休憩時間に他の受験者に質問攻めにされる事も有った。
実際に授業は生徒にも同僚にも評価されている実感が有る。
面接も論文も対策を重ねて目立った失点は無いハズだが、比重の大きい面接で毎度有り得ないくらいの低評価。
経験者は筆記試験が免除されるが、敢えて受けた年は8割以上の得点率だった(合格ラインは5割程度)
とにかく、受からない。
仲の良い管理職から「君の経歴だと余程じゃないと受からない」と聞いた事も有る。
酷い模擬授業をした新卒者が合格して、自治体の研究会で再会する事も多々。
自分と同じように前線で活躍する30代、40代で教員採用試験に落ち続ける人を数多く見てきた。
そうした人たちが教員を辞めたり気力を失って堕して行く姿も数多く見てきた。
自分はそうならないとどこかで思っていたが、もう自信が無い。
40代の非正規の教科主任が新卒者や再任用の爺さん婆さんのサポートをしている姿を見て、有り得ねーと思っていたが自分も近い内にそうなりそうだ。
1990年代に始まったバブル経済の崩壊以降、日本は「失われた10年」と呼ばれる長期的な経済停滞に突入しました。この停滞は2000年代にも続き、デフレが長期間にわたって持続しました。デフレ環境では企業の収益が伸び悩み、賃金の上昇も抑制されました。
日本の労働生産性の伸びは他の先進国に比べて低く、特にサービス業や非製造業の分野でその傾向が強いです。生産性の低迷は、賃金が上昇しにくい要因の一つです。
非正規雇用の増加が賃金の停滞に影響を与えています。1990年代以降、非正規労働者(パートタイムや派遣社員など)の割合が増加し、彼らの賃金は正規労働者に比べて低い傾向にあります。このため、平均賃金の上昇が抑制されています。
日本は世界でも最も高齢化が進んだ国の一つで、労働人口が減少しています。高齢化は経済成長の抑制要因であり、労働力の減少も賃金の上昇を妨げる要因です。
日本企業は内部留保を増やす一方で、賃金の引き上げに消極的です。これは、経済の不透明感や競争の激化に対応するためにコストを抑制し、安定的な経営を維持するための一環とされています。
日本企業はかつて世界市場で大きなシェアを持っていましたが、中国や韓国などのアジア諸国の台頭により、競争力が相対的に低下しています。この競争激化は、企業が賃金を上げる余力を失う一因となっています。
これらの問題を改善するためには、以下のような施策が考えられます。
労働生産性を向上させるためには、企業におけるデジタル技術の導入と効率化が不可欠です。特に、IT技術の導入やAI・ロボットの活用が、労働者の負担を軽減し、業務の効率を向上させることが期待されます。これにより企業の収益が増加し、賃金引き上げに繋がる可能性があります。
労働者が新しい技術やスキルを習得することで、生産性が向上し、賃金の上昇が見込めます。特に、IT技術やデジタルスキル、データ分析能力など、将来性のあるスキルに対する再教育プログラムを強化することが重要です。
非正規労働者の賃金や待遇を改善し、正規雇用に近づけることが求められています。これには、最低賃金の引き上げや、非正規雇用に対する労働条件の整備が含まれます。非正規労働者が増え続けると、全体の賃金上昇が抑えられるため、この問題の解決は喫緊の課題です。
非正規雇用者が正規雇用に移行できるよう、企業に対してインセンティブを与え、労働市場の流動性を高める施策が必要です。例えば、税制優遇や補助金の提供などが考えられます。
政府は、企業が賃金を引き上げるためのインセンティブを提供することが効果的です。具体的には、賃金を一定以上引き上げた企業に対する税制優遇措置や、賃金上昇に取り組む企業への補助金制度を導入することで、企業が積極的に賃金を上げるよう促すことが可能です。
最低賃金の引き上げ
政府が最低賃金を段階的に引き上げることで、底辺賃金の改善を図ることができます。最低賃金を適切な水準に引き上げることは、低賃金労働者の生活を向上させ、全体的な賃金上昇に寄与します。
ワークライフバランスの推進
過労や長時間労働を減らし、労働環境を改善することで、労働者の生産性を向上させるとともに、従業員のモチベーションを高めることが重要です。柔軟な働き方の推進や労働時間の短縮が、労働者のパフォーマンス向上に繋がります。
多様な働き方の支援
リモートワークやフレックス制度など、労働者が柔軟に働ける環境を整えることで、特に子育てや介護と両立する労働者の参加を促進し、全体の労働力を拡大できます。
女性が働き続けやすい環境を整えることが重要です。保育所の拡充や、育児休業制度の充実、職場でのジェンダー平等の推進により、女性の労働参加率やキャリアアップを支援することが、労働力の増加と賃金向上に貢献します。
高齢者が働き続けられる環境を整備し、定年後の再雇用や年齢に応じた柔軟な労働形態の提供を推進することで、労働力不足を補い、経済の活性化に寄与します。
新興産業の育成
成長が期待される新興産業(例えば、グリーンテクノロジーやバイオテクノロジーなど)への投資を強化し、経済全体の活性化を図ることが求められます。新たな産業分野の発展は、新たな雇用機会を生み出し、賃金の上昇に寄与します。
新技術やビジネスモデルの革新を支援する政策が、企業の競争力を高め、賃金上昇を後押しする可能性があります。政府はスタートアップ企業への支援や、研究開発への投資を促進する必要があります。
ワイの家は山奥にある。ヤマトで担当している宅配便センタはここから1時間ぐらい離れた町場にあって、いつもヤマトの配達の人はえっちらおっちらそこを来ては、配達してくれている。
ヤマトには通販専用の外部委託している便もあるが、あれもワイのところではやってこないため、宅配便の正規のドライバーが運んできてくれるという状況だ。
さらに、ワイの家はちょっとした坂を登ったところにある。歩くと5分ちょいぐらいかかる坂の上にあるのだが、なんとヤマトのおにいさん、そこを荷物を持って駆け上がってくるのである。
大変申し訳なく思っている。
ワイの家は、ミカン畑の岡の上のようなところにある。道はそのミカン畑の間を縫うようにつづら折りになっていて、舗装はされている(親父が若い頃、祖父と一緒に手練りでコンクリートを練っては、コツコツ舗装したコンクリート舗装の道である)が、2トン車までならギリギリ通れるだけの道幅しかなく、通常の一般道では考えられない急勾配なのであった。とはいえ、慣れていれば登れる、と言うようなところであった。
道を最後まで上がってしまえば、庭はあるので転回はできる。また、普通車どうしなら途中にちょっとよけ会える場所(農作業の時に軽トラを止めとく場所)はある。まぁ、トラックだとどちらかがバックしなければならなくなる構造であるのだが。
とはいえ、ミカンは木の高さを低く育てているために見通しは欲、登ろうとする坂に車がいるかどうかは見ればわかるし、その先にはワイの家しかないので、ぶちあうとしてもワイの家人ぐらいであり、もっといえば今では車を運転するのはワイだけなので何も心配は要らないのである。
と、言うことをヤマトの兄ちゃんに説明をするのだが、安全上のルールなんで!大丈夫です!といって、坂の入口の広い道に車を止めて、元気よく荷物をもって坂を登ってくるのである。
以前、通販で介護用の昇降椅子(80kgぐらいある)を買った時は、ヤマトホームコンビニエンスの家具便で届いた。この時は運転手と荷運び2名で来てくれるというが、流石に運んでもらうのは申し訳なく、坂の下に軽トラを用意して待ち伏せし、そこで移し替えて受け取ったりもした。
タワーマンションでは配達するのに30分かかり、能率が上がらないと言う話があった。それを言ったわワイのところなぞ、1時間かけてきて、さらに往復10分坂を登って、さらに1時間かけて帰るような立地であり、マジ申し訳ないと思うのであった。
まぁワイの家の近くには通販で商売しているパン屋さんがあり、そのパン屋さんは毎日ヤマトで大量のパンを発送するとか、平日には他にも工場があったりで集荷が必ずあるようではある。
仮に時間指定がされていてもサクッと無視して、だいたいそれに合わせて夕方に配達をしてくるので、ワイの家のためだけに来るわけではないのはもちろんなのではあるけれども。
いっそ、道の駅あたりにPUDOのような宅配ロッカーを設置してもらって、そこに取りにいくとかしてくれたほうが気が楽だなと思いながら、先ほどもついつAmazonでポチってしまった。
ひたすら冷遇されてきたのに、ここにきてクレーマーの大半が氷河期世代とか言われてたり、少子化の原因だと言われたり、氷河期世代を支援するより他に回せとか言われたり
今さら他の世代よりいっぱい優遇してくれとは言わないけれど、女子の就職は腰かけ扱いされたり一般職しかなかったり非正規前提の時代に正社員総合職で就職して、転居転勤ものみつつ非正規の夫を支えながら、納税もちゃんとして子供も産んだけど保育料は免除にならなかった世代。2歳までは働いた分がっつり保育料で持ってかれてた
ようやく夫婦二人とも正規になれて生活が安定しても税金は二人分だし控除も少ない。やっと子供に手がかからなくなったなと思ったら子供医療費の上限年齢がきて補助終了、児童手当も所得制限にひっかかり学費免除ももちろんひっかかる。そもそも子持ちなのにがんがん控除が減らされるのってなんなの? 未来の納税者を育ててるのに…
社会からの仕打ちに耐えながら頑張ってきたのに報われることなく叩かれる。今ぐらいいろいろやってもらえてたらもう一人ぐらい子供産んでたよ、でも当時は不妊治療の補助なんてほとんどなかったし保険適用されなかったじゃん。育児時短勤務であちこち頭下げながら働いて仕事持ち帰ったり夫に子供を頼んで残業しても子持ち様とひそひそされて、今は令和の子持ち様のフォローで残業してる。そら子供も増えないし今の若い子は子供産まないよ
がんばってもがんばっても年齢が上がってもずっと氷河期世代は恩恵からは弾かれる世代で厄介者扱いでしかないなんだな
【追記】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88
氷河期真ん中ぐらい(50歳付近)と今の若者(20歳付近)の人口は倍ぐらいの差がある
氷河期世代はヤバいやつばっかりって言及されるけど、人口の割合から考えたら「老人がヤバい」と同じような感覚で
そりゃ人数が多けりゃヤバいやつも目立つでしょうよ
モラハラパワハラは氷河期世代って言われるのも、そもそも氷河期世代はそれより上の世代からクソ酷いハラスメントを日常的に受けてきた世代
大人になっても女性はお茶汲みと雑用前提で同じ仕事してたとしても給与も出世も男性優位で氷河期の中でもさらに格差があって、人格形成期には夫からモラハラされてる古い結婚観に縛られた専業主婦の母親に育てられ、団塊から叩き込まれた古臭い日本の価値観と現代の多様性のはざまで必死で今に適応するために悩み苦しみ、でも政治や上の世代からは搾取され下の世代からは「これだから氷河期は」と蔑まれる
これ、彼女がどれだけ姉妹思いの綺麗な心の持ち主であろうが偽ブランド品を持ち歩く行動が痛々しくてみっともない事に変わりはないよ。
何故かって、有名ブランドの名前、デザイン、イメージを盗用し、権利を侵害している物を良しとしている事になるし、結果的にそういう詐欺行為ないし権利侵害の片棒を担いでいるんだから。
本人の内面がどうか、ではなくてその行動によって自分から発せられる社会的メッセージが何であるかを考えられないとダメだろ。ましてや、アラサーなんて「こないだまで学生でした」みたいな理屈で許される歳でもないんだから。
正規品を買ってあげればOKとか、姉の気持ちを慮っているからOKとかいう問題じゃなく、はっきりと「それは恥ずかしい行為だ」と教えて、理解できないような女性なら社会性に問題があるから結婚はやめた方がいいね。
元彼が誕生日プレゼントにくれたDIORのバッグが開けた時から怪しかったから調べたら偽物で(後で喧嘩になった時白状してたけどメルカリで買ったらしい)、そんな物持ち歩く訳にもいかないからすぐ処分した事を咎められて喧嘩の末別れた経験があるので、その違和感は真っ当な感情だと思うし彼女さん姉妹が無知過ぎる点も含めてどうかと思う。
そもそも、正規店舗で買えない人達がブランド品持とうとしたがるのがこういう詐欺蔓延させてる諸悪の根源なんだよね。分かってる人は普通見向きもしないような明らかな偽物に飛びついて買うんだから。
Copilot
それはかなり悩ましい状況ですね。自分が大切にしているものが実際には偽物だったりすると、その人の感情や信頼感にも影響が出る可能性があります。でも、この話をどう進めるかは慎重に考えた方が良さそうです。彼女の気持ちを傷つけずに、正しい情報を伝える方法を見つけることが大切かもしれません。
例えば、ジュエリーを一緒に見に行く機会を利用して、品質や正規品の大切さについて自然に話すのも一つの方法です。彼女がもっと知識を持つことができれば、将来的にはもっと良い選択ができるかもしれません。
でも、その前に彼女がどのように感じるかを理解し、彼女の立場に立って考えてみることが大事だと思います。どう思いますか?
この文章を書いた人は真実の出来事ではなくなんらかの意図を持って創作されたフィクションであると仮定し、その場合の書いた人の精神性は推測できますか?
フィクションとしてこの文章を考察するなら、書いた人の精神性についていくつか推測することができます。
まず、この文章の内容からは、ブランド品やその真贋に対する強い関心が読み取れます。これは、書いた人が社会的なステータスや他人の評価に対して敏感である可能性を示唆しています。また、他者の無知や価値観に対する批判的な視点も見受けられます。これは、書いた人が自分の価値観や知識に対して強い自負心を持っている一方で、他者の見識の欠如を許容しにくい性格である可能性を示唆しています。
さらに、文章全体にわたるフラストレーションや不満の表現から、書いた人が現状に対して強い不満や不安を感じていることも考えられます。これは、書いた人が自分の価値観や期待と現実との間に大きなギャップを感じていることを示しているかもしれません。
結局のところ、書いた人の精神性は非常に複雑で、多くの要因が絡み合っていると思われます。具体的には、自分と他者の評価に対する敏感さ、知識や価値観に対する強い自負心、そして現状に対する不満や不安などが感じられます。
高校総体が終わった後の日々は、あっという間だった。光陰矢の如しである。
そこまで熱の篭った思い出はない。ゼロというわけじゃないが。要約的に箇条書きにする。
T君の次の年次は、相応の強さだった。俺が赴任して一年目の頃は、てんでダメな一年生集団だったけど、自分で考えて動くようになってた。
中国大会への出場は最後まで叶わなかったけど、古豪復活の萌芽となったのは間違いない。あの学校は、今では中国大会の出場常連校になっている。
彼は、まあまあ何でもやる奴だった。学業成績はそれなりで、友人関係もそれなりで、恋愛方面もそれなりだった。なんとT君は、高三の夏頃から女子マネージャーの双子の姉の方と交際していた。T君は、高三になってからは格好よく柔道をする場面が多かった。人柄はよかったし、女にモテてもおかしくはない。彼は……なんというか、女のケツを追ってるんじゃなくて、夢や目標を追っていた。その結果としてモテていた。
彼の進路はどうだったか、必死で思い出した。確か、立命館大学だったと思う。もしかしたら、ブクマ家のwuzukiさんと学年が近いのかもしれない。
ただ、「柔道は大学ではしない」と明言していた笑 俺も、彼にはウェイトリフティングのようなスポーツが向いていると感じる。
この年の晩秋のことだ。俺は教頭ほか、指導的な立場にある先生方に呼び出しを食らった。要するにバレたのだ、マネージャーの妹の方とそういうことをしてたのが。あれから、都合3~4回ほど市内で会って、ホテルで性行為をしていた。
教員として悪い行いだ。当時の俺にすらわかる。突き付けられた選択は2つだった。ひとつは、懲戒免職及び警察のお世話になること。もうひとつは、諭旨免職の道だった。自分から辞めれば、学校としては何もなかったことにしてくれるという。
後者の道を選んだ。それで、その年の中国大会の予選が終わった頃に転職活動を始めた。まあ、辞めるのは嫌だったけどさ。しょうがないじゃん。人生の過程はコントロールできるが、結果はコントロールできない。柔道の試合と一緒である。
一応まだ、全日本の強化選手だった。学校教員をしながら国際大会への出場というのは困難であり、ひとまず3年間は籍だけを置いておく~~というコーチ陣との約束だった。またいつか、現役に戻ろうと考えていた。まだ20代半ばである。野心があった。
それで、スポンサーになってくれる組織を探して、探して、探しまくって、ようやく一社だけ見つけられた。縁があったのだ。選手としての扱いは最低ランクだったが、あと数年しか現役でいられない。ここで最後の花を咲かせようと思った。
でも結局、最後の花は……イマイチな出来だった。納得のいく結果じゃなかった。不満足だし、やり切れなかった。現役生活の最後は悔いばかりが残った。T君のように、清々しい気分で柔道生活を終えることはできなかった。
今は、四年制大学で柔道を教えてる。正規職員じゃなくコーチとして。業務委託みたいな感じだ。一応は都内である。独身だが、正直いい暮らしはしてないと思われる笑
これでも若い頃は国際大会に何度も出場してるし、国内大会でも結果を残してきた。自慢じゃないが、30才を過ぎて国民体育大会の県代表として選ばれたこともある。そんな実績を引っ提げて、いろんな大学のコーチの求人を探して、探して、探して、応募し続けたが……ライバルは手ごわかった。
名門大学だと、現役時代に優秀だった者が採用されやすい。俺の成績はそれなりだったが、超一流の連中には及ばない。ツテを頼って探すにしても、ピンポイントで大学のコーチ枠は見つからない。求人自体がないのだ。
それでも、何百校もの大学に直電と訪問を繰り返して、ようやく一校だけ俺を雇ってくれるところがあった。コンタクトを取った大学は200校を超えていた。
其処は小さい大学で、柔道部員も10人ほどしかいない。けど、いい環境だった。みんな柔道が好きである。当方の指導者としての実績は十分とは言い難いが、これまで長いこと続けられている。
今から半年前、メールで転職サイトの案内が来ていた。よくある広告のひとつだと思って開くと、なんでも求職者がキャリア登録をするだけで企業から採用面接の案内が来るという。俺には縁がないと思った。しかし、いろいろと求人企業を見ていくと……なんと、T君の姿があった。
ここ10年ほどで勢いを伸ばしているメガベンチャーだった。はてなユーザーの98%以上はご存じのことだろう。その組織の人事担当者として、T君の姿がサイトに載っていた。最初は人違いかと思ったが、餃子耳の跡が残っている。あれは手術で消すことができるが、痕跡はどうしても残る。
「ずいぶんと差がついたな」
と心の中で思ったが、同時に、彼が今のポジションで幸せにやっていけてるのかな、と思うと心が安らぐ感じがした。
ああいう人間には大成してほしい。T君は根性がある子だったし、何よりいい奴だった。あの瞬間には、年甲斐もなく涙が込み上げてきたよ。
人生の一部を振り返ってみたが、スポーツで生きていく道はハイリスク・ハイリターンである。決してお薦めはしない。例えば、俺は現役時代にインターハイやインカレといった花道で優勝したことはない。けど、神がかった強さで全国制覇を成し遂げた選手でも、大人になった今ではいろんな仕事に就いている。
俺と同年代の全日本強化選手だと……体力を生かして引っ越し屋とか、宅急便のドライバーとか、資格を生かして整骨院とか、正義感や根性を生かして警察官とか、あとはグレーな警備業とか。
実業団選手で、所属企業に十分な貢献をした場合だと、引退後もお払い箱にならずに名誉職のようなポジションで継続雇用されることもある。
最悪の未来を迎える選手だっている。詳しくは言わないが、野球だったら清原みたいにさ、あっちの方向にいってしまう奴だって当然いる。その点、俺は恵まれた方だ。努力を積み重ねる中で、いろんな人が助けてくれて、そのうえ運がよかった。だから、今こうして柔道でメシが食えている。
はてな匿名ダイアリーで、柔道をしている人の日記は少ない。珍しいものだったとは思う。俺自身が少し常識外れな部分があるから、読んでて苦しい人がいたのではないか。不快な気分になった人に謝罪する。
タイトル通り。
反AI絵師は、生成AIまわりをモラルの問題としてお気持ち表明して食って掛かったから、
本当は味方になり得たまともな法律家とか、メジャー漫画家とか、議員とか、公的機関とか、そういう層も遠ざけたり、あるいは敵にしてるんじゃない?って話。
AI推進派にやれ攻撃的だモラルがどうのこうの言ってるのとき、大体同じ穴の狢になってるんだけどさ。
そもそも自分たちの方がモラルあるって立場なら、良識ある振る舞いとして攻撃的な振る舞いは止めてさ?
さっさと正規のそれこそ法的手段やら書式のっとったパブコメに訴えれば、それでもっと多くの味方を引き込めたんじゃない?
ブロックしたり界隈できゃっきゃうふふと遊んでる場合じゃねぇだろって。新しい敵作ってる暇ないだろ食い扶持取られることに対しての抵抗活動なんだぞ。本気度全然足りないだろうが。
第三者の意見や中立って立場表明とかさ?人格攻撃しあって無理やり白黒つけて踊らされてるTLを見てるとさ。「モラル面じゃどっちもどっちだろ...」気持ちが強くなるし。
AIワードとかの言葉狩りとかAI使用罪とか遊んでる暇あるなら、モラル高くやるべきことやろうぜ。強迫みたいな手段じゃなくてさ。腫れ物って普通誰も触りたがらないだろ。
モラルやお気持ちとか界隈のステージで戦うな、法律とか行政とか社会のステージで争え
増田は絵師でもないけどAI関係はもうちょっと整備していく必要はあると思ってる。けど全部否定するのも何か違うと思ってるので、そういうのを前提として呟いたりしてた
で、いきなり泥棒とかモラルがどうこうとか脳がどうこう言われてフォロー先から無視されたり人格否定されたりブロックされたりってことがあったんだけど、そんなことするよりはるか前にもっと真面目に動けることあるだろ...って思ったって話
百済滅亡の報せが朝鮮半島全土を駆け巡るとき、そこには絶望だけでなく、わずかな希望が残されていた。それは、百済の地を追われた者たちが、遥か倭の国――大和への亡命の道を選んだことだった。
百済の都泗沘(しひ)が炎に包まれ、王族や貴族、そして多くの百済の民が散り散りになって逃げる中、一握りの者たちは東へ、海を越えて大和へと渡ることを決断した。彼らにとって、倭はかつて同盟を結び、文化や技術を共有してきた縁のある国だった。遠い異国ではあったが、そこに生き延びる希望があると信じていた。
夜の海は静かだったが、波は冷たく、命の危機を感じさせた。百済からの亡命者たちは、わずかな船団に身を寄せ合い、倭の地を目指した。彼らの目には、故郷を失った悲しみと、新しい土地での不安が浮かんでいた。
中でも、若き百済の貴族、武珍(ムジン)は、家族と共に海を渡ることを決断した一人だった。彼はかつて百済の王宮で官職を務めていたが、新羅と唐の連合軍が攻め込むと、命からがら国を脱出した。彼の目の前には、父祖の地であった百済が失われ、愛した仲間や民が散り散りになっていく姿が浮かび続けていた。
「いつか…いつか、この地に戻ることができるのだろうか」と、武珍は呟いたが、その声は波音にかき消された。
やがて、彼らの船は倭の大地に辿り着いた。彼らを迎えたのは大和朝廷の役人たちだった。百済からの亡命者たちが次々と上陸し、武珍もまたその一人として新たな生活を始めることとなる。だが、そこには異国の地での試練が待ち受けていた。
亡命者たちは大和王権に迎え入れられたものの、その生活は容易なものではなかった。彼らは、異国の地で自らの文化や風習を持ち込む一方で、大和の風土や習慣に馴染む必要があった。特に、故郷を失った哀しみが胸に深く刻まれている者たちは、再び自らのアイデンティティを見つけるまでに長い時間がかかった。
武珍もその一人だった。彼は大阪南部に割り当てられた土地で、新しい生活を始めることとなった。この地には既に百済からの移民が住み着いており、互いに助け合いながら新たなコミュニティを築いていた。大阪南部の河内平野は肥沃な土地であり、農業が盛んだったが、何よりも彼らにとって特別なものは、地名の中に「百済」という故国の名を残せることだった。
「ここは、我々の新たな百済だ」と、武珍は言った。
百済からの亡命者たちは、単に新天地で生活を始めるだけではなかった。彼らは百済で培った高度な技術や文化を大和王権にもたらし、その地位を高めていった。特に、天智天皇の治世において、亡命者たちは重要な役割を果たすこととなる。
天智天皇(大化の改新を主導した中大兄皇子)は、近江京を築いた際、百済からの亡命者たちを積極的に受け入れた。天智天皇自身が百済との強い同盟関係を保っていたため、亡命者たちの技術や知識を利用して、近江の地を発展させることを狙っていたのである。武珍を含む百済の貴族や技術者たちは、天智天皇の招きに応じ、滋賀県周辺へと移住していった。
「新羅に滅ぼされ、百済を失ったとしても、我々の技術や文化がこの地で花を咲かせるなら、それが我々の新しい故郷となるだろう」と、武珍は自らを励ました。
百済の技術者たちは、瓦や製陶技術、金属加工、建築技術をもたらし、近江京の発展に寄与した。その中でも、仏教文化や先進的な農業技術は、近江の人々にとって大いなる財産となった。百済からの亡命者たちは、大和王権の一部として取り込まれながらも、独自の文化を維持し続けた。そして、その痕跡は、現代の滋賀県に残る渡来系の遺伝子の多さにも反映されている。
時が経つにつれて、百済からの亡命者たちは日本列島に根を下ろしていった。大阪南部には「百済」や「加羅(伽耶)」といった故国の名を冠する地名が残され、滋賀県には亡命者たちの末裔が多く住み着いた。彼らの遺伝子は、日本列島の中で異質な文化を生み出し、後の日本文化に大きな影響を与えた。
武珍も、かつての仲間たちと共に大阪南部で新たな百済を築き上げた。そして、彼の子孫たちは、百済の血を引き継ぎながらも大和王権に忠誠を誓い、その技術と知識を後世に伝えた。
「故郷は失われたが、我々の血は生き続ける。我々の文化は、この新しい土地で栄え続けるだろう」と、武珍は亡命者たちと共に夜空を見上げ、倭の地で新しい未来を夢見た。
こうして、百済の亡命者たちの物語は、日本の歴史の中に深く刻み込まれていった。朝鮮半島を追われた彼らは、決して故郷を忘れることなく、新しい大地でその魂と誇りを守り続けたのである。
天智天皇が近江京を築いた時、百済からの亡命者たちは日本の地に根を下ろし、新しい生活を始めた。しかし、彼らの胸には常に故郷である朝鮮半島への想いが宿り続けていた。日本という国がまだ形成されつつある時代、その根底には、失われた「伽耶」や「百済」を取り戻すという強い願望が隠されていた。
天智天皇は、ただ単に新しい京を築いただけではなかった。彼の統治の下で、大和王権は次第に「日本」という国としての形を整えていった。しかし、その目標の一つには、かつて倭人が支配していた朝鮮半島南部――伽耶や百済の地を再び日本の手中に取り戻すという、壮大な夢が秘められていた。
朝鮮半島に築かれた前方後円墳の存在――それは倭人がその地を支配していたことを示す確かな証拠だ。前方後円墳は日本で発明された墓制であり、その巨大な墳墓が朝鮮半島南部にも点在している事実は、かつてその地が倭人にとっての故郷であったことを物語っている。
天智天皇の時代を過ぎても、この「朝鮮半島奪還」という目標は、日本の歴史の中で幾度となく浮上してきた。その後、豊臣秀吉の時代には、それが現実のものとして動き始める。
秀吉は、天下統一を成し遂げた後、自らの野望を東アジア全域に広げようとした。その第一歩として選んだのが、朝鮮半島への侵攻だった。1592年、秀吉は大軍を率いて朝鮮に進軍し、かつて倭人が支配していた地を取り戻し、さらには中国大陸まで征服するという壮大な夢を抱いていた。
「我が倭の祖先の地、伽耶、百済を取り戻す時が来た。朝鮮半島は、我々日本人の手に再び戻るべき土地である」
秀吉のその言葉には、単なる領土拡張を超えた、失われた故郷を取り戻すという深い信念が込められていた。だが、朝鮮戦役は厳しい抵抗に遭い、秀吉の計画は失敗に終わる。朝鮮半島の奪還は成し遂げられず、秀吉の死をもって日本軍は撤退を余儀なくされた。
しかし、この「朝鮮奪還」の試みは、単なる軍事的野心の産物ではなかった。それは、古代から続く日本人の潜在的な願望――かつての倭人の領土である朝鮮半島南部を再び自らの支配下に置くという、宿命的な思いの表れだったのだ。
大規模な侵攻が失敗に終わったとしても、歴史の中で日本と朝鮮半島との間には、常に緊張と抗争が続いていた。その中で、倭寇(わこう)と呼ばれる海賊集団が、朝鮮半島の沿岸部や中国大陸沿岸を襲撃する形で、奪還の意図を示し続けていた。
倭寇の多くは、正規の日本軍ではなく、小規模な武装集団だったが、彼らもまた、朝鮮半島南部をかつての倭人の地として捉え、そこに自らの足場を築こうとした。彼らの襲撃は、単なる略奪ではなく、失われた倭人の故郷を再び支配するための小さな試みの一環だったと言えるだろう。
倭寇の活動は14世紀から16世紀にかけて活発化し、朝鮮や中国を混乱に陥れた。特に朝鮮半島南部はその影響を強く受け、倭寇の侵略によって多くの地域が荒廃した。これは小規模ながらも、日本と朝鮮半島との長い歴史的な繋がりを象徴するものだった。
そして、最も大規模で決定的な奪還の試みが行われたのは、20世紀初頭の戦前日本だった。明治維新を経て近代化を果たした日本は、軍事力を強化し、再び朝鮮半島に目を向けるようになった。1905年、日露戦争に勝利した日本は、朝鮮半島への影響力を強め、最終的には1910年に朝鮮を併合することに成功した。
これにより、ついに日本はその「歴史的な故地」を取り戻すかのように、朝鮮半島を自らの領土として統治することとなる。豊臣秀吉が夢見た「朝鮮半島奪還」の夢は、この時に現実のものとなったかのように思われた。
しかし、この支配もまた、長くは続かなかった。第二次世界大戦の敗北と共に、日本は朝鮮半島から撤退せざるを得なくなり、再びその地は遠い存在となった。
イスラエルがユダヤ人にとって失われた故郷であったように、朝鮮半島南部は倭人――すなわち日本人にとっての歴史的な故地であり、その奪還は、古代からの目標であった。日本の前方後円墳が朝鮮半島南部に点在していることも、その歴史的なつながりを証明している。これらの墳墓は、単なる埋葬の場所ではなく、倭人がこの地に深く根を下ろしていた証拠だ。
天智天皇から始まり、豊臣秀吉、戦前日本、そして小規模な倭寇――いずれも朝鮮半島南部を取り戻すという潜在的な思いを抱いて行動していた。この「奪還の夢」は、日本の歴史の中で脈々と受け継がれてきた宿命とも言える。
現代においても、日本と朝鮮半島の関係は複雑でありながらも、歴史的な繋がりは消えることなく残っている。かつて倭人が歩んだ地、朝鮮半島南部――それは、日本にとって単なる隣国の土地ではなく、彼らの魂が宿る場所であったのだ。
必要ないかもしれないけど自分の情報:90年代後半生まれアラサー、都内居住、実家北関東
文章も読み辛い書き方かもしれないけど、読んでくれるだけでも救われるし内容によっては何か案をくれると本当に助かる
父は健康診断自体1年に2回ほど受けていたが、膵臓がんに罹っていたことが判明し諸々切除が難しい箇所への転移によりそのままという感じ
今まで漠然と自分より先は両親、両親より先は祖父母が先に逝くというイメージを持っている人が多いと、自分自身勝手に思ってる
父が他界したことによりそのイメージがより鮮明になったというか、父に次いで母がどうにかなったら自分はどうなってしまうんだという気持ちがずっと頭から離れなくて、何をするにしても思考に靄がかかる?ような感じ
両親がジジババになるまでずっと居ると思ってた自分にはどうにも耐え難く、ずっとこのモヤモヤを抱えながらこの1年過ごしている
20年来の友人(今でも関係は継続)たちも葬儀に参列してくれたが、上記内容を相談するにはどうしても重いだろうと思っているので本文は気持ちの吐き出しのようなものだと認識してもらえると助かります
どうしたらこの気持ちを乗り越えられる?一度考えるとそこから連想してどんどん思考が悪い方へ悪い方へといってしまう
未遂も実践も度胸も一切無いが、もうあの時の感情をまた受けることになるならどうにか自分が先に...って考えはどうしても浮かんできてしまう
その思考を上書きするように映画やゲーム、いわゆる趣味で、どうにか思考を持っていかれないように保つのが精一杯の状況なんだ
現在は正規社員として就業しているが自分の経歴はお世辞にもあまり良いとは言えないもので、実家に帰省するという選択肢もあるにはあるが、あっちで転職できるのかとか
自分の周りもまだ少ないが、ちらほら結婚出産といった話もあるので自分はどうするんだとか、色々考えることが多くて何もかも考えることがどうしても疲れちゃって本当にしんどい
どうすれば身内の他界を乗り越えられる...?
たくさんの案、ご意見等本当にありがとうございます
何名か想定していただいている通り、父はまだ定年前だったこともあり定年後に何をしようか~とか色々話を聞いていたので...
https://www.aozoracl.com/doxy-pep
Doxy-PEP(ドキシペップ、ドキシPEP、ドキシサイクリン曝露後予防投与)やDoxy-PrEP(ドキシプレップ、ドキシPrEP、ドキシサイクリン曝露前予防投与)を当院では以下の理由により行なっておりません。
推奨しない理由について
Doxy-PEP(ドキシペップ)やDoxy-PrEP(ドキシプレップ)の広範な使用により、性感染症を引き起こす細菌だけでなく、その他の細菌に対しても抗菌薬耐性が増加する懸念があります。
これにより、以前はこれらの薬剤で管理可能だった感染症の治療が困難になる可能性があります。
抗生物質の濫用は副作用があり、体の正常な細菌叢(例えば、消化管、皮膚などの元々いる細菌で体の中でバランスを保っているもの)を乱すことがあります。
これは性感染症の予防を超えて他の健康問題を引き起こす可能性があります。
Doxy-PEP(ドキシペップ)の使用に関するガイダンスは、地域や組織によって異なり、イギリスやオーストラリアなどでは抗菌薬耐性の懸念と長期的なデータの不足を理由にその実施を推奨していません。
情報元:aidsmap
日本でも以前に内服の抗生剤が市販されていたことがあり、容易に手に入れやすいということがありましたが、現在は全て中止されています。理由は薬剤耐性菌が生まれやすくなるためです。
今回は医師が処方するという違いはありますが、昨今自己輸入で抗生剤(正規の安全なものかどうかは不明)を購入することもできるようなので、そういう内服方法が正しいと誤解を与えるような流れを医療機関や医療者が作るべきではないと考えています。