はてなキーワード: 皇紀とは
▼ 会社
▼ Xさん
そのグループウェアでは社員間でスケジュールが共有されていました。Xさんは、そこに以下の書き込みをしました。
・仕事が嫌いでさっさと帰る
…etc
「反省文を提出するよう伝えました。しかし、提出された反省文には...」
Xさんから提出された反省文には以下の内容が記載されていました。
「私は、今回の件について反省する事は全くございません。建前上の反省文を提出致します」
「但し、お忙しい中お時間を割いて頂いた関係各位には大変申し訳ございませんでした。また、最後のご挨拶にてメールを受けた方で、気分を害された方がいらっしゃったとの事で、その点については大変申し訳ございませんでした」
ちなみに、反省文の作成日には「皇紀2075年1月5日」と書かれていました。なんですかそれは。
▼ コラッ
会社はXさんに対して「けん責」の懲戒処分を出しました。コラッという注意です。
Xさんは、部内連絡会のスピーチで「勤務しているのは会社を辞めるまでの時間つぶし」と発言しました。
さらには、部内連絡会にパンダのぬいぐるみをかぶって出席。さらにパンダのぬいぐるみをかぶったまま社内を歩いていました。
会社はXさんに対して「社内ではぬいぐるみを着ないで下さい。社員が不快に感じたりお客様に失礼となったりするので」と注意しましたが、Xさんは文書で抗議します。抗議文には以下の記載がありました。
「個人としての尊重を侵害され、差別を受けたと感じている。パンダのぬいぐるみ等のかわいい物が心の安静を保つのに重要な存在となっている」
▼ 仮入門証への記載
Xさんは以下の記載をしました。部長のことがキライだったんでしょう。
・アホぶちょーがいるけんかい
▼ 社内で転倒
ある日、Xさんが社内の側溝で転倒しました。Xさんは救急車を呼び、課長に対して「会社側の安全不備です」と言い、大声でわめきました。
課長はXさんに対して「安全作業の心得の内容を知らないのですか」と質問したところ、Xさんは「知らないです」と答えました。
▼ 書き写し
そこで、会社はXさんに対して、安全規則の書き写しを指示しました。Xさんは4日間、書き写し作業をし、書いた枚数は306枚にのぼりました。
▼ 解雇
▼ 提訴
Xさんは「解雇は無効である」「筆写作業は私に肉体的苦痛を与える私的制裁としての意味しかなく違法な業務命令なので慰謝料100万円を求める」と主張して提訴しました。
やはり皇紀の方がよさそうだな!
不便だ非効率だとばかり言うお前らのその自己中心的な主張、俺は全面的に支持する
いやどう考えても現代じゃ実用性において西暦の方が便利だマジで
ただ西暦よりも和暦が便利な部分もあって、特に時代の区切りに関しては西暦よりも便利であることは明白だったりする
西暦をメインで使っている文化圏の場合、時代認識というのは10年、50年、100年で考えることが通例
友人のアメリカ人も日本の和暦の存在価値が理解出来ないと言うし俺もそれには同意しかないわけだが、アメリカ人へ和暦がなぜ存在するのか?という疑問へはいつもこう答える
「アメリカはなぜ地域をブロックで管理してるのに道路は名前で管理してるんだ?交差点基準でブロック管理したほうが効率的だろ」
そういうとたいてい返ってくる言葉はこうだ
「建物を聞かれてもストリート名を教えればストリートのどこかに必ずある」
そう返してくるアメリカ人はその瞬間に気付いてくれる
「なるほど日本の歴史の物事は和暦の区切りのどこかにあるのか」
「まぁ俺も西暦の方が便利だと思ってるけどね」
貴族から僧侶、市井の民までもが記録をするのが好きで、それが同時多発的に起きていたため社会の空気感や天候、天変地異などの情報が非常に確度高くわかると
特に檀家制度の始まった江戸時代以降は当時の世界水準として驚くほど正確で、都市部だけでなく小さな村落の出来事や人口まで把握仕切っているのは驚嘆に値することらしい
国会図書館デジタルコレクションの各国(地方の意)の暦(記録の意)を読んでると、よく過去を振り返り、例えば「天明では〜」などと過去の時代を参考にしたり反省したり貶めたり誇ったりしている
和暦はこういった記録好きの国民性に上手く合致しているのではないかと思う
当然ながら中央の治世的な思惑もあるのだろうけど、そんな上から抑えつける強制だけだったらどう考えても商人を中心とした民草の日記帳・帳簿は別の紀年法へ移行しているはずなので、何だかんだで気に入っていたんだろうなと思わなくはない
とまぁそんなわけでお前らもあんまり和暦を叩かないでさ、固定した連続カウントの紀年法が良いと訴えて、いつか皇紀を正式化しようぜ!