はてなキーワード: カウンセラーとは
診断に行ったけどADHDじゃないって言われて惨めな気になって終わった話。まぁでも学ぶこともあったので、同じような気持ちの誰かの参考になるかもと思ったので書き留めておく。
仕事が何も上手くいかなくて落ち込んで、もしかしたら自分は軽度のADHDなんじゃないだろうかと思った。なので、とにかく一番近い病院を予約した。
診断でADHDじゃないと言われるのは怖さもあった。けど毎日苦しすぎてとにかく誰かに助けを求めたかった。例え結果がADHDではないと言われたとしても、鬱屈した気持ちを抱えたままよりかは、専門家に何かしら助けを求めた方が良いと思った。
一応ネットでその病院がADHD相談を受け付けているかどうかは確認していたが、検査まではやっていなかった。
予約した時点で聞いておけば良かった。完全に自分が悪いのだが、惨めな気持ちになって自己嫌悪が深まった。
検査はできないが話は聞いてくれるようなので、診察は受けることにした。
最初にこんなことを聞かれてたので、仕事でミスをしていたことと、今は出社できていることを伝えた。
素直な気持ちを言うとショックだった。全然深く聞いてくれないうちから言われても、お前に何がわかるんだと言い出したくなる気持ちだった。
先生としては問題なく出社できていることと、席を立ったりせずこうして診察を受けれていることからADHDではないと判断したみたいだった。
その後、軽い質問があったが「仕事に慣れなくて疲れが溜まってるんでしょ?」「出社できてるなら大丈夫だから」と言われた。自分の欲しい答えがもらえなかった自分は、もう先生の言葉を素直に聞けなかった。
自分の状態を決めつけのように話されているようにしか感じなくてその場で泣いた。泣きながら早く帰りたいと思った。
なんでもいいから早く終わってほしくて、全部「そうですね、そうだと思います」で返した。もう悩みを話す気になんてなれなかった。
診察時間は10分かそれに満たないぐらいだったと思う。会計で2000円ほど払った。
別にADHDじゃなくても良かった。それきっかけでなにか相談のとっかかりになればいいと思っていたが、結果は何もなかった。
非常に惨めでしにたくなったが、今冷静な頭で振り返るとまぁ学びはあった。
・まず診断を受けたいと思ったらちゃんと予約時点で診断をやっているかどうかを聞くこと
・おそらく診断を受けた方がよい人というのは、薬の力を借りないと日常生活が難しい人のこと。
→精神科と心療内科とカウンセリングで何やら色々違うらしいと後から知った。病気に対する治療が必要なら診断を受けた方がいい。
逆に私は会社に出社するという日常生活はできているので、治療よりも誰かに悩みを聞いてもらうカウンセリングというものの方が必要だったのかもしれないと自己分析した。
何もかも嫌でとにかく楽になりたくて病院に行ったが、診断書を貰う目的を何も考えていなかった。
私は日常生活をなんとか送れているので、相談できる人が欲しいと思っても、診断書が必要なサービス(障害者雇用とか薬とか)を受ける必要はない。ここに気付けたのは良かった。
なので、セカンドオピニオンは受けなくてもいいかなと思っている。次は診断ではなく、どこかのカウンセリングを受けたいと思っている。
もし自分はADHDかもしれないと思っている人がいれば自分は診断書が必要かどうかを一度考えてみるのも手かも知れない。思いつきで診断に行ったって惨めな気持ちになって終わるだけだから。
【追記】
勢いのまま書いた文章に反応ありがとう。思ってたよりも人に見てもらえてびっくりしている。
いろんなコメントを貰って自分の中の視野が広がったので本当にありがたい。
最後は尻切れトンボのように雑に終わらせてしまったのでちょっとした補足と、貰ったコメントへの返信をしたいと思う。
→これは本当に心を救われた。大人のADHDに対する理解は想定してたよりも世間で進んでなくて、みんな通る道っぽい。そんなもんなんだと苦しさが小さくなった。ありがとう。
ちゃんとした知能検査を受けてADHDではなかったとしても自分の特徴を知って対策を練れるのはいいなと思ったので、めげずに検査できる場所を探すのもありかも知れないなと思った。
→個人的な感情を正直に言えば碌に話を聞いてくれなくてむかついたのだが、医者としての判断は正しかったんだろうなとは思う。
働けてるのに「病人」になって働けなくなったら元も子もない。薬についてはまったく詳しくないが、副作用の話などもよく聞くのでそれで出社できなくなるのは確かに嫌だ。医者が患者を増やしてどうする的な。
それはそれとしてヤブというコメントを見て感情は幾分かスッキリした。先生すまんね。
→これは本当にそう。今考えると冷静じゃなかった。
仕事で滅入ってる時にたまたまADHDの話を見て、もしかしたらこの辛さはADHDだからなんじゃないか?そうに違いない!という思い込みというか、縋るような気持ちで検査を受けてみたいという発想に至った。
(ネット上にいっぱいあるセルフ診断を受けて可能性があるという結果だったのも一因)
後、これは完全に自分の甘っちょろい考えなんだけど、例えADHDじゃないと言われても「ADHDな気がするんです」→「結果は違いますね。ですが、増田さんに困り事はあるのは事実なので、別の方向で一緒に考えていきましょうか」みたいな流れでなんとかしてくれないかなと思ってた。漠然となんとかなりたいって気持ちだけで持っていって後は丸投げなんだから嫌な患者すぎる。
→これは今回受診して初めて気付けたことだった。医者はあくまで薬という手段で治療を手伝ってくれる相手であって慰めてくれる相手ではない。慰めや相談が欲しいならまずカウンセリングなどを受けるべきだったと思う。
今後大事にしたい考えとしては「目的を持って受診をしろ」ということだ。
本文にも最後に書いたが、この目的意識に関する話をコメントでも多く貰った。
漠然となんとかしてくれるなんて気持ちで受診するのはよくない。
(これは自戒なので否定的に書いたが、助かりたいと漠然とした気持ちでも誰かに相談するのも悪いことではない。しぬよりはマシだし、相談する一歩を踏み出せるのは偉いと思う)
どこかの本でも書いてあったが、診断をもらったとしてもそこがスタートであってゴールではない。診断書を貰って障害者雇用に回ったりだとか、薬を飲んで社会生活に戻りたいだとか、そういう具体的な未来像がないといけない。手段と目的をすり替えていた。
改めて今後の自分としては、カウンセリングでまず自分が何に悩んでるのかを具体化して、その悩みが努力だけでは解決できにくいようであれば、セカンドオピニオンに行ってみようと思う。
発達障害のコミュニティなどがあることもコメントで教えてもらえたので、そういった場にいくのもあり。
自分と同じように「ではない」判定を貰ってる人も沢山いるだろうから、この話がなんらかの手掛かりになれば嬉しい。厳しい道だけどお互いになんとかなろう。
ちなみに川で泣くの割と良かった。家だと布団に引っ込んで出勤までの時間があっという間だが、外だと時間がゆっくりでいい感じ。外出るの大事信者の言い分が分かったわ。
「増田!お前それはADHDだよ!」と同意を貰いたい訳ではなかったので省いていたが、自分がかも知れないなと思った要因を書いておく。似てる人はあるある〜ぐらいにでも思ってくれ。多分不注意が強いタイプ。
・締め切りがあるものをギリギリまでやらない。夏休みの宿題は最後まで忘れましたで通した
・「次は〇〇の作業をするぞ」→PCのフォルダ開く→「何しようとしてた...?」(しばらく考えたら思い出せる)
・上司から指示を受けている途中、後ろで誰かが話しているとそっちの会話を拾って上司の声を拾えなくなる
・議事録の作成で何度も見返すのだが、上司チェックを通すと誤字が見つかる(しかも直した筈の箇所が直ってなくてアレ?になることもある)
・人の前では多動っぽい症状はでないが(親に昔怒られたので)、一人の時はつま先を揺らしたり手首揺らしたりなんらか動いてる。人前でも感情が昂ると揺らしてしまう。
・優先順位がつけられない。新しく仕事を頼まれるとそれに集中して、それまでやってた仕事を忘れる。(備品整理してる途中に別の仕事任されたんだけど、床に備品出しっぱにしてて怒られた)
・自分はADHDだ!と思ったら、その日の退勤後に即病院に足を運ぶ。ワンチャン予約なしで見てもらえないかなと思った。そんな訳ない。(思いつきと衝動)
他にもあるけど大体こんな感じ。
基本的に自分はやらかすと思っているので、その前提で動くことでなんとかギリギリクビになるような大ポカはやらさずにすんでいる。
部屋出る前に部屋を一望する(物を出しっぱにしてないか)、帰る前にポケットに手を突っ込む(会社の物を持ち出してないか)とか。
そんな感じでなんとかやってたんだけど、ここ最近は特に上手くいかないことが多くて悩み、一番上に戻るという感じ。
構ってもらえたのが嬉しくて長々と書いてしまった。
見てくれてありがとう。
【最後の補足】
このまま締めようと思ったんだけど、書き方が悪かったのでこれだけ補足しておく。
今は自分がADHDであるかどうかということは考えていない。一旦棚上げしてる。
ADHDじゃなくて鬱とか他の症状なのかもしれないし、普通に仕事がキャパオーバーで落ち込んでるだけかも知れない。
なんでこんなに辛いんだ?っていうのをカウンセラーと話して見つけてくるよ。
ASDとして言うけど、ASDの世界に逆ギレという単語はあまり存在しない。
ASDとしてはその時点でかなり不信感・信頼関係の減衰・不快じゃないかな
感情によって相手を操作したり事実関係より気まずさの解消をコミュニケーションに採用するのは典型的な定型思考すぎるし、ASDの行動としてはかなり不自然なような?
ASDに対して逆ギレという感想を今あなたが持っていること自体がもう既にASDに対する理解のなさ、ASDをとりまく環境の悪さを想像させるかな。
そんな感じだから、蹴らざるをえないほどの状況や憤りを招いているのではないかと
執着の特性があるなら、すぐに病院かカウンセラーに相談して執着の強さを相談してあげてほしい。ただの怠けや不真面目じゃない。
でも本当は執着の強さは、優れた生存能力そのものなので本当なら邪魔せずそのまま残してあげてほしいし社会の方がASDに適応するべきと思ってる。修正させるような定型都合に合わせた定型社会でごめんとせめて謝罪してほしいよね
ASDの感じるプラスの感情はほとんどが作業興奮だし、興味の範囲が極めて狭い。
引き離されるのは自殺を考えるほどにあまりにも辛いんで、元から集中力が限定的で、しょせん集中力じゃなくて他人との愛着形成で飯食ってる定型が、無神経に気軽に邪魔していい話じゃないと思う。
君たち魚じゃないから泳げなくても平気だよね。君たちは泳ぐのを制限されても大したことないでしょ。魚が泳げなくさせられるのは本当に辛いよ。定型だって人から常に嫌われ見下され言葉を制限される呪いをかけられたら死ぬほど辛いんじゃないか?あまりにも他人に対する共感性がないよ
Q.そもそも『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』の何がアカンかったの?
A.タイトルも内容も可燃性が高すぎた。特に内容は原書が米国で問題しされており、差別や偏見を齎すのでは?と指摘されており、所謂エセ科学本と同じ扱いを受けていた。
『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』、この本のタイトルを読んだ際に何を我々を思うのだろうか。
現在、先進国に済む我々はこのようなサイトを見ている時点でSNS漬けである。
そして、SNS漬けであるがゆえに、こう思った人は少なくはないだろう。
「は?性転換ブームなんて来てないんじゃが」
コレがまずX(旧Twitter)で本書が盛大に燃えた一つの要因であろうと私は考えている。
なにせ、薄っぺらいタイトルテンプレ小説みたいな事を言っていて現実とのたまっているにもかかわらず、そのような事を我々が認識できる現実範囲内ではほぼ観測できないのである。
それに、トランスジェンダーについてはツイフェミ諸氏であるとか、昨今の教育だとかで非常にデリケートかつナイーブでセンセーショナルな単語となっており、ツイ廃と呼ばれるような人間は非常にその単語について敏感であった。
タイトルにどこで、どう話されたか書いていないため「身近で起きたのか?そんな事ないよな?」が「デマだ!嘘八百書きやがって」に変わり、内容を知らないままに刊行中止運動に参加した方はそれなりにいただろう。
せめてタイトルに米国だとかアメリカだとか、この本が執筆される国の名前程度は入れるべきであった。
少なくとも、それで「遠い場所でおきた出来事だから」でタイトルだけを見た人間が刊行中止運動に参加することはなかっただろう。
おそらく、米国に情報網を貼っていた正しい辞書通りの意味のフェミニストや、セラピスト、トランスジェンダーの方々は、この本について最大限に警戒していたと思われる。
それくらいにこの本の内容は駄目なのである。
内容を簡単に言えばカウンセラーとトランスジェンダーの会話の盗み聞きであったり、トランスジェンダーの子に絶縁された親へのインタビューである。
大問題である盗み聞きはもうこの時点でアウトとして、トランスジェンダーの子に絶縁された親へのインタビューについてははっきり言ってエモーショナル・コア、共産主義、無神論者、日本のアニメ・ゲーム、ファーリー(要するにケモ)などへの偏見とヘイト、責任転嫁が見受けられるトンデモインタビューがたくさん載っている上、トランスジェンダーの子供本人へのインタビュー記事は一件がほんのちょっぴりしかないのである。
簡単に言えば平等、生きやすさの表現の一種であるトランスジェンダーを掲げるこの本は偏見と憎悪に満ち溢れた不平等な内容にほかならない。
さらには本書には海外掲示板のログのURLが注役として記載されていたり、どの章も結局トランスジェンダーへの拒否と拒絶に執着していたり、トランスジェンダーは感染するとかいう小学生のいじめ並の主張も書かれており、本当にコレ出版社が刊行を許したの?となる。
その上で、内容の順番自体が保守派の伝統的な家族観への誘導に溢れており、読んだ人間を反トランスジェンダーへと誘導する悪意に満ち溢れている。
正直に言って、文芸ノンフィクションとして刊行すれば、きっとあのとき以上の大炎上が起こることは想像にかたくない。
この本の刊行中止は所謂エセ科学本の一冊が水際で刊行中止になったのと同じ事であり、欺瞞と憎悪と偏見に満ちた書籍が一冊KADOKAWAからこの世に産み落とされることがなくなっただけである。
これが私がこの件について出した答えだ。
出版社はどの本を出版するか選び、あるいは拒絶することが出来る。
拒絶された本は他の出版社へ持っていってもいいし、個人で印刷なりデータなりで販売することが出来るし、KADOKAWAも版権関係をちゃんとするなら普通に「自由にしていいよ、ただしウチからは出さない」程度の扱いだろう。
つまりこの本の刊行のチャンスは失われておらず、決して消されたわけではない。
なので焚書となったわけではないと私は考えている。
なのでそのうち「某社で出版拒否の問題作!」みたいな帯を装着して書店に並ぶ未来も存在するのかもしれない。
この本がなぜ出版中止になったのか、その疑問を持っている方はその未来を待つか、一足先に英語版を読んでみるのもいいだろう。
・今更なんでこんなの書いたの?
「今更」になったタイミングなので言いたいこと言ってスッキリしたかったから
・ニューヨーク・タイムズが支持してるで
あそこジェンダー関係でなんかやらかしてなかったっけ・・・そもそも最近の主張がものっそい偏ってるのでそこの支持の時点でお察し
最近LGBTだのなんだのと話題になってるけど、個人的にどうでもいいじゃんってなるんだよな。
推進派は非科学的なイデオロギーを撒き散らすだけだし、反対派は身体面での医療面しか見てねーし、目くそ鼻くそ。
くだらねーな。
しかもレスバをやってる奴らの年齢層を見てみたらだいたい、推進派が30〜40代、反対派が40後半から50、60代ばっかだぜ?
こんなんばかりが意見を出して法整備ダー、人権ガー、子供ガーとか言ってんの……もう日本は終わりだわ。
その中にLGBT当事者とか居るワケだけど、だいたいデカい声出してるの男ばっかじゃん。
ときたま女居るけど、どっち側にしろそのコミュニティに属してる名誉男だろ、くだんね。
どちらにも溢れている俺にはどちら側に付いてもメリット無いんだわ。
だってアイツらが掲げる【ホントーに困っている当事者】はガン無視なんだもんよ。
LGBT推進派は、各々の性自認が最優先って言って身体面でのリスクを度外視するよな?
何言ってんだって、ホルモン剤の使用や性別移行手術が身体に良いワケないし、簡単に戻れるワケねーだろ。つか戻れねぇよ。
じゃあLGBT反対派の意見は正しいか?っつったらそうでもねぇよ。
アイツらはホルモン剤や手術の前にカウンセリングとか勧めるけど、現実的じゃない。
カウンセリング料って保険きかねぇんだから、高くてとてもじゃねーが継続的に通えねーよ。
性自認が揺らいでいる時期はずっと通うのか?
無理だろ。特にガキはよ。
推進派はメンタルしか見てない、反対派は身体面のリスクしか考えてない。
もうこれ議論にならねぇよ、アホくさ。
視点違いすぎ。
推進派の言う通りにしていたら問題解決するのか?って言われたらそうでもないし、絶対に将来的に健康面で影響ある。
反対派の言う通りにしていたら問題にはならねぇの?それも無理筋だろ。だってアイツら身体の健康面しか見てねぇもん、それだとメンタル拗らせて最終的には社会不適合者まっしぐらだろ。
そう言う奴良く見るしな。
どっちも極端なんだよ。
いかに自分達の資材を確保するかがLGBT論争の影に隠れてる感じする。
この資材ってのは言い方悪いが女子供の事な。
推進派は女子供にLGBTは多様性だ、認めない奴は差別主義者だ!
反対派は男を女スペースに入れるな!女スペースを守れ、子供にホルモン剤?とんでもない!
ただし性転換手術済は女スペースOK。
一般女「……え?」
…………もうなにも言えねぇ。
聞いたとしても、どっちも名誉男の女ばかりのだろ。
バカらし。
例えば推進派はGにも子供を持つ権利がある!だから代理母認めるべきとか言うじゃん?
ガキ欲しいならLGBTコミュニティの身体女に頼めば良いだろ、なんで一般人まで巻き込む?
なら反対派はって言うと産めない奴がなんでか、少子化が〜、子供産まないと日本滅びる〜とか言うんだよ。
これを30代からもうほとんどガキ産む機会が無い60代の奴や元々産めない性別の奴らが日々レスバしてんの。
現在を生きる20代とかの一般女の意見なんか聞かねぇの、不毛すぎだろ。
政府がやってる少子化対策とかもそうだけど、どいつも産む女の事考えてねーわ。
資材くらいにしか思ってないし、女の意見も鬱陶しい!なんだよな。
黙って子供産め。
これで資材じゃないならなんなん?
ちと話が逸れたが、LGBTとそれに絡んで来る話ってとにかく他人の女や子供の意見を空気化するんだよ。
無い事にしたあげく、双方の発言のケツをふかされるのは他人の女子供じゃん。
意味ねーよ。
この論争に参加するメリットってなんだ?
推進派にしろ反対派にしろ自分に都合良い事しか話さねぇんだからメリットなんてねぇよ。
推進派は身体に害がある事しかしねぇし、反対派は精神的に害がある事しか言わねぇ。
互いの主張から溢れていく人間達のアフターケアを一切考えてないんだよ。
良く見る話だと子供にジェンダー肯定医療はやるべきじゃないって意見あるけど、じゃあ性違和で苦しむ子供どーすんの?
思春期はジェンダーなんて決まらないものって放置するけど、それを拗らせたのが今のLGBT推進派だろ。
利権でやってる奴だけとか言うが、たまにガチもんな奴居るじゃん?
子供が抱く不安とか反抗期とかキチンと解消してやらねーとあぁなるじゃん。
スクールカウンセリングを受けさせろって言うが、この間、スクールカウンセラー足りませんってどっかの団体が声明出してなかったっけ?
じゃあ反対派の意見を通すか?それって女が大嫌いな家父長制だろ……ますます今の女が議論に参加なんかしないし、参加してるのは家父長制の中で生きて来た名誉男の女だけだろ。
……うん、くだらねー、参加する価値無し。
双方から大ブーイングを喰らったキ〇シーの方がまだ中立に見えるぞ。
俺はこれからどれだけ犠牲が出ようとLGBT関連は見てるだけにする。
特に意見とか言わないし、推進派反対派共に距離を置く。めんどくせぇもんアイツら。
ごちゃっとしたが、10代20代の女子供はこの先の身の振り方考えた方が良いぞ。
LGBTがどちらの方向に進むにしても、ソイツらのやらかしのケツを拭くのはまったく関係無いお前らになる。
これだけは確実に言える。
これだけ残して、俺はログアウトするわ。
大抵の男性は子供ほしさで20,30代前半を狙うそうだが、自分は同年代を希望。子供が大学に行く頃に自分定年してるじゃん。気軽に子供欲しいとか言える?
自分の結婚に対するモチベは、誰かと一緒にいて楽しいとか、帰ったら家族がいる安心感とか、そういうのが幸せの単位だと思うから。
でも、「一緒にいて楽しい」をよくよく考えてみると、趣味が合わなくても話していて楽しい人もいるし、でもそれだと時間が経つと話すことも減って、つまんなくなるのでは…。
お互い高め合えるというか刺激のある関係だといいのだろうけど、果たしてそれでいいのか。
何回か会って、最初は箸にも棒にもかからないけど、段々喋るようになってくれて楽しく話せる人もいるし。
どう進めていいのかちょっと分かんなくなってきた。
色々ぐるぐる考えて結局は、
・なぜ結婚したいのか
・結婚に何を求めているのか
をきちんと見定めないといけないのかな、と思ったりしてる。
自分の場合、上に書いた理由で子供を絶対に望んでいるわけではないけど。
カウンセラー氏に相談もしてるけど、何だかうまく考えがまとまらない。
お見合い申込みは結構来るからお見合い自体は簡単に組めるのだけど、
https://www.quora.com/What-are-some-risks-of-marrying-a-Japanese-woman-from-Japan
・アメリカやイギリスに永住してくれるかは、難しいだろうと思ったほうがいい
・日本人女性はあんまり旅をしないが、自分の友達、食べ物、老いた親のために帰国したい、とプレッシャーをかけてくる。
・思っていることを言ってくれない。本当の思いを言っているのか、確認しないといけない。コミュニケーションが鍵。
・そうした夫婦間の関係性の空洞化が生んでいる、結婚してるのに夫は夜の店、妻は不倫、というナゾの現象
・困ったな、と思って夫婦カウンセリングを受けようと思ったがカウンセラーがオン・ザ・ジョブトレーニングしか受けてない。
・子供にインターナショナルスクールにいかせてあげられるお金がない場合は、子供が日本語しか話せず、親子で話ができなくなってしまう。すごく真面目に日本語を勉強しなければならない
・離婚後共同親権制度が存在しないため、子供に会えないまま養育費を払い続ける羽目になることも。父親の権利は離婚と同時に消滅してしまう
・結婚すると、モンスターマミーになるか、虎マミーになるか、結婚後は夫は子供に席を譲らざるを得ない、子育てと妻の今の生活を維持するためのATMマシーンにならざるを得ない
・年を重ねても美しくすごくお肌綺麗!
「日本ガー!!日本の男ガー!!」と言うわりに海外でも同じことして批判されてるやんけ!
akulog どうでもいいけど、なんでセックスをしない権利を認めてもらえないのか
この人に限らず、こういう人いるよね。
なんで「セックスレスで悩んでる」と相談するだけで「セックスしない権利を踏み躙られてる!!」って勘違いしてキレる奴ら一定数湧くんだろうな????男女関係なく湧くよな。
お前らみたいな、パートナーの優しさによって得た既得権益を無邪気に享受し続けあぐらかいてる呑気で頑固で傲慢な楽天家に、今更カウンセラーが「セックスした方がいいよ」なんて言ってもどうせしないするわけない折れるわけがないことは誰もが知ってるから。
お前らレスりは「セックスせずに家族にありつく権利」を手放す気がない厚顔無恥の非人で、話など通じないし話してわかることもないというのは人類皆知ってるから。
だからレスりは「離婚される覚悟くらいは持っておけな、裁判では負けるので」か「外注を認めてあげな」くらいしか言われませんよ。安心しろって誰もお前らのぬくぬく生活笑を脅かす気はないから。笑
それにしても、お前らの「セックスしない権利」が認められているからこそ、パートナーの「セックスする権利」が踏み躙られて、レス問題が生じていることに、なぜ気づかないんだろう??????
配偶者が少しレスについて悩むだけで「ボク/ワタシの権利を認めろ!!!」と逆上してしまう方の当事者、
頭悪いにしても限度があろうよ。
・全体的に眠かった
特に劇のくだり
本当に伴侶と出会って子育てして幸せで〜の価値観、世間一般として「正解」なのはわかるがじゃあ共感して自分もやりたいかと言われるとピンとこないのでひたすら眠かった
・上から吊るされてくる神様の顔がキモくてさすアリ〜(さすがアリ・アスター監督だぜ)ってなった
あの屋根裏のくだりも何?あのモンスターは何?おじさんは何?つまりPTSDニキは奥さんが言ってた通り(結果的には)ヒーローだったってこと?暗喩なんだろうがわからん
・腹上死ネキの遺体が硬直してるからドア通す時若干角度工夫されてるのおもろ
お母さん訃報→入浴→上におじさんの一連の流れ目茶苦茶ハジけてた
あの街は更生?街的な感じなの?
・かわいそうなボウ
・医師夫妻がいい人すぎていつ裏切るんじゃ…とビクビクしてた
アリ・アスター監督のヘレディタリー的な「終点はすでに決まっててそれに向かって進んどるのじゃ…」感を端的に感じされられてGoodだった
・あの暴挙達が押し寄せた後の部屋のミキサーの茶色い中身、不穏 顔をしかめてたのがまた
・カウンセラーの好々クソ爺の顔つきよ
・女子の会話って内容とか声色とかこええよな…
・でも目的→ポリコレでなく、監督の「家族」へのネットリしたマイナス感情を煮詰めた映画だったのでよかったです
クリエイターの自我は知りたくないけどここまでなるアリ・アスター監督の家庭環境とは…?となる
アジアのアイドルとかマンガ絵が「イカしてる」価値観の欧米人ヤング世代…!と
・上映時間3時間の映画で頭からお尻までちゃんと面白かった映画、
某映画しかなかったから無理して長くしなくてもいいんじゃ…?と思った
他者の賞賛が必要な何者病の子が必要なのは、基本的に精神科医やカウンセラーのアドバイスか親との和解だと思うけど、
最近、推してるアーティストが『何者にも〜』+『地を這う感覚が消えない』って言ってるのとか見て、
確かにアーティストの場合は、有名になって、とにかく聴いたり・見たりしてもらわないと、何も始まらないので、
何者かになりたいと熱望するのはそりゃそうだなって思いました
でも、自分の作品を知ってもらうために、本業とは違うことして仮に大成功収めても、果たして幸せなのかな?って思う
ヒカキンなんぞ、もう常人の10周分以上のお金稼いでるのに、『僕って何者なんですかね?』とかやってるぞ
うちも危なかったけど、こういう女同士でいわゆるメンヘラと依存されの組み合わせはよくあるんだと思うよ。増田以前ツイッター+noteのアカウント持ってた?相互だったんだけど状況がちょっと違うから別の人だとして、うちと増田とその人でもう3件。そんくらいこういう女同士のケース割とあることなんだと思う。
まず最初に、メンヘラになったんじゃなくて、増田にとって共依存相手がいなくなっちゃったってことじゃない? 増田は侵犯が親密だと誤解してる。精神的身体的(金銭的は大丈夫?)侵犯をしてくれるのが彼女だったってことだと思うよ。
夜中電話してきたり試し行為するのは症状。相手の生育歴とメンタルに問題があるのがわかってて相手のことを思う気持ちがあったら、症状に巻き込まれることじゃなくて自他境界を立て直させて人生をやっていける方向に向けることが相手のためでしょ。親密な中で境界線を引く最初の練習台をやってやるべきだったんだよ。
それは多分増田にとっても夜中の電話に耐えることよりキツい内容になるはずだったと思うよ。増田は泥沼にいる彼女を大切にしたり守ったりしたんじゃなくて、同じ沼地にはまってた。だから、彼女にあげられたものは増田が思ってるほど、そして健全な関係が相手にあげられるものほど大きくはない可能性はだいぶある。それを踏まえて、彼女にあげられたことベースで自分の本気とやらを考えてみなよ。
他の男性について健やかなる時はいいけど病める時は一緒にいたくない程度の魅力しかないのが事実かもしれないけど、そうだとしても、病める時も一緒に生活をやっていくのと侵犯を許すことは違うんだよ。
苛立ちをぶつけるとかの暴力的侵犯はわかりやすいだろうけど、愛の言質を取ろうとするのも結局はそうだね。愛されている「実感」は彼女の課題なのに、それが要求になる。応え続けてもその人のためにならない。彼女はいろんな苦しみを抱えてそれが行動になってるのは増田にもわかったと思う。でもそれは彼女のもので、様々な行動化に一緒に振り回されるのは彼女と一体化してしまうということ。それは健全な関係ではないし、なにより彼女がやっていけるようになるために必要なことではなかったんだよ。
偉そうなこと言ってるけどうちもやばかったし、カウンセラーの支援がなかったら潰れてたかもしれない。夜中の電話は3年くらい続いた。1ヶ月毎日連続の睡眠中断はさすがに参った。でもODしてたり人格交代みたいになってるパターンが混ざってる可能性もあるから必要な対処もあるじゃない。そういうのは体力次第なところもある。でも割けるリソース量を決めるのはあくまでも私ってところをお互いわかってないまま2人で彼女の症状に振り回されてるのはそれはやっぱり境界が溶けちゃってる。他にも書けないような泥沼に2人で沈んだこともあった。
自分は価値がなく罰せられるべきという信念からくる行動や話をそうではないと言い続けてきたけど、究極的には本人がそれを信じられるようになるまで待つことしかできない。病める時に一緒にいるっていうのは他者である自分の限界を受け入れるのが第一歩で、それがとてもしんどい。増田が病めるパートナーにしてやれることはまず自分についてのことだよ。
まあ彼女の人生考えたときに適切じゃない関わりだったからといって必ずしも悪影響というわけではなくて、一時の親切とか不適切だけどいろいろ危険ではない関係で息継ぎしながら人生をやっていって、時間経過でよくなったりなんか満たされることがあったりが期待できるので、その息継ぎを提供したんだと認識しておけばいいと思う。いわゆる生きづらい女性のエッセイ漫画に出てくる精神がやばかった時代の回想としてちょろっと描かれる元彼ポジションだよ増田は。彼女はもう次のコマで別のやらかしをしてたり治療してたり理解ある彼くんと出会ったり、ともかく昔のままではない。彼女は彼女の人生をやってる。でも増田と付き合ってなきゃ駅とか高いとこで衝動に負けちゃったかもしれないし、もっと危ない人を掴んでもっと悪くなってた可能性は結構高かったと思うので、自分でよかったと思うのがいいよ。
で、増田の現状とかこれからについて、絶対おすすめなのはカウンセリングを受けること。バウンダリーについていろいろ読んでみるのでもいいけど、やっぱプロに聞くのが手っ取り早い。私が経験を書くことで一番言いたいのは、こういう関係は他にもいるし、カウンセリングで話しても大丈夫ってこと。オンラインでもいいから臨床心理士とか公認心理師に話すといい。
残念ながら、そうなるのに理由があろうと境界侵犯は他人との関係をよくないものにするし、溶けてる人は完全な受け入れが達成されないと怒るモラハラタイプとか単に食いやすいから狙うやつとかが寄ってきやすいのでなんとかしておいた方がいい。誰かと付き合おうとするなら、そして付き合いの中で「大切にする」ことの価値に重きをおくならなおさら。
筆者は臨床心理士と公認心理師(心理士/師 と記します)の資格を有し,会計年度任用職員であるスクールカウンセラーとして働いていた時期があるが,現在はある行政機関で働いている。
この日記に記すような考えを持っていることは,名前を添えて発信することはとてもできないので,初めて匿名ダイアリーをお借りします。
行政の観点は持つものの,あくまで行政を専門とするわけではないので,誤りについてはご容赦ください。
(1)スクールカウンセラーについて
スクールカウンセラーは,「会計年度任用職員」として都道府県及び政令指定都市に任用され,小中・高等学校,特別支援学校,教育センターにおいて,
児童生徒の相談に応じるほか,教員や保護者への助言,研修等を行い,もって,児童生徒の支援にあたる。
令和2年3月以前は,特別職非常勤職員として「スクールカウンセラーを委嘱」されていたが,同年3月以降は,「会計年度任用職員に採用」されることとなった。
財源は「いじめ対策・不登校支援等総合推進事業(スクールカウンセラー等活用事業及びスクールソーシャルワーカー活用事業)」による国の補助が1/3,
都道府県及び政令指定都市が2/3を負担する。文部科学省による令和6年度要求・要望額は90億円。
参考:tps://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1328010.htm(スクールカウンセラー等活用事業)
tps://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/2190fb02-e55a-4041-a510-f98183ca6a8b/ae2f9d28/20230908_councils_ijime-kaigi_dai1_03_1.pdf
(いじめ防止対策に係る取り組み状況及び令和6年度概算要求について)
会計年度任用職員は,令和2年4月に施行された「地方公務員法及び地方自治体の一部を改正する法律(平成29年法律第29条)」により導入され,
地方公務員法第22条の二によって任用される非常勤職員である。
基本的な考え方として,会計年度任用職員としての任期終了後,再度同じ職に「任用」される(「再度の任用」という)ことはあるが,これは「更新」とか「任期の延長」,「同一の職に再度任用」
されるのではなく,「あくまで新たな職に改めて採用された」と整理されるべきもの。
なお,事務処理マニュアル及びQアンドAにおいては,繰り返し同一の者を任用することは長期的計画的な人材育成への影響等の理由から留意が必要と示されているほか,
国としては,公募によらない再度の任用は可能であるものの平等取扱いの原則及び成績主義を踏まえ,公募によらない再度の任用は連続2回までとするよう努めていることが示されている。
これらの文言をうけて,スクールカウンセラーについては,例えば,「公募によらない再度の任用は4回まで」と回数を定める自治体が多く認められる。
参考:tps://www.soumu.go.jp/main_content/000853430.pdf(会計年度任用職員制度の導入等に向けた事務処理マニュアル)
(3)雇い止め
『「雇い止め」(更新拒絶)とは、有期雇用契約において、雇用期間を更新せずに契約を終了させること』(東京弁護士会HPより引用)
なお,今回の問題について「解雇」と記す記事があるが,「再度の任用」をしないことは「解雇」には当たらないので,誤りである。
引用:tps://www.toben.or.jp/bengoshi/soudan/work/yatoidome.html
2 スクールカウンセラーの雇い止め(事実の記述)
東京都の会計年度任用職員であるスクールカウンセラーが,4回の「(公募によらない)再度の任用」を終える令和6年度に向け,公募による募集に応募したところ
鈴木都議によるXへのポストによれば,「今回契約延長を求めた1100人の現役のスクールカウンセラーのうち、およそ15%程度が不合格となった」とのこと。
参考:tps://www.tokyo-np.co.jp/article/307027(東京新聞)
tps://www.jcp-tokyo.net/2024/0212/90022(東京民報)
tps://twitter.com/Retsu_SUZUKI/status/1757670551433453730(鈴木都議によるポスト)
(1)スクールカウンセラーの雇い止め問題について
次の点から,今回多くのスクールカウンセラーが再度任用されないことは,何ら問題なく,むしろよいことだと思う。
ア スクールカウンセラーが再度任用されないこと(雇い止め)は,法律にそった対応であることから,何ら問題ではない。
イ スクールカウンセラーの入れ替わりが促進されることから,資格取得後間もない若手にも活躍の場が与えられ,心理士/師にとってもよいことである。
ウ 今回の問題を機にスクールカウンセラーは会計年度任用職員にそぐわないことがよく理解されれば,常勤採用につながるきっかけとなる。
ア 再度任用されないことは問題であるという論調の記事等では,例えば次の理由(というかご意見)が挙げられていますが,再度任用されないことを問題とする根拠とは言えない。
(tps://www.tokyo-np.co.jp/article/307027 より)
・雇用継続されたが,いつ自分も切られるか不安 ➡︎ 多くの労働者は同じ不安を抱えて生活しているので,不安であるというだけで,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
(実際にそのとおりかどうかは疑問が残るが,不安の中では相談において十分な能力を発揮できないからスクールカウンセラーは
・駒のように人を代えられるのは納得がいかない ➡︎ 職員の入れ替えがあるのは教員も同じであるので,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。駒のように,というのは受け止め方の問題である。
・児童生徒,保護者に来年度の不在を伝えることが大変気が重い ➡︎ 教員も異動等で変わることがあるものであり,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
(別れもまた成長の機会であるのだから,児童生徒の成長につながるように交代の話をしてほしい,と言われそうな印象。)
・これまでの経験や成果が全く考慮されず,残念 ➡︎ さらなる活躍が期待できる人の応募があればそちらを採用するものであるから,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
・評価がAであるにもかかわらず補充任用でした ➡︎ 現場の評価と面接での評価が一致しないこともあるのだから,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
・向き合っているのは人の生死。現任者を切るやり方は,児童生徒に不利益を与える ➡︎ 現任者の交代によりどのような不利益が生じるのか明らかでないので,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
(この意見の伝え方は,必要以上にエモーショナルで,一般的には受け入れられにくいだろう)
(不安定な状態で継続的な相談に応じている中で交代することにより相談の一時的な停滞が想定される,という主張であれば,もとよりスクールカウンセラーの相談は長期間の継続を想定しておらず,
継続相談を要する場合は,その判断があった時点で近傍医療機関へ紹介されているべき,という反論がありうると思います。)
イ そもそも,この問題は,再度任用されないことは問題なのではなく(問題として扱えないレベル),スクールカウンセラーが会計年度任用職員にそぐわないことにあると思います。
そのあたりの整理ができないまま,再度任用されないという個人的な不利益について児童生徒を持ち出して訴えるので,話がややこしくなり,また理解されづらくなっていると思います。
(3)今後の方向性について
ア 上に記したとおり,スクールカウンセラーが会計年度任用職員にそぐわないことが問題なのであり,スクールカウンセラーを自治体や教育委員会の職員とする等,他のあり方へつなげることが,
そもそもの狙いになるのではないでしょうか。
そのためには,東京都や総務省に対し再度任用されないことを問題として訴えても話にならないのであって,主管である文部科学省との間でスクールカウンセラーは会計年度任用職員にそぐわないこと
について話をしていかなければいけません。
ただし,この時,ではどういう採用をしてほしいのか(立場は?人数は?財源は?)という案まで考えた上で伝えていかなければいけません。
一緒に問題を解決するという立場で,むしろ自分で自分の問題を解決するという姿勢で,行政に働きかけていかなければいけませんし,できることならば政治の問題として取り上げて行く方が望ましいです。
イ そのように,行政に働きかけ政治の問題としていくためには,職能団体としてしっかりまとまらないといけません。
(案のまともさは前提として)この案は全スクールカウンセラーの総意です,というものをもって行政に働きかけていけるよう,皆んなで先生を応援しますのでよろしくお願いしますと
頭揃えができるように,職能団体としてまとまりを持つ必要があります。
ウ さらに,このような働きかけをしていくとしたら,また,ニュースにあるような声を上げるということ自体が,他の会計年度任用職員の存在をおざなりにしていることを自覚しなければいけないと思います。
事務処理マニュアルにおいては,スクールカウンセラー以外にも,保育士,看護師,掃除作業員,医療的ケアのために置かれる看護師・言語聴覚士・作業療法士・理学療法士,スクールサポーター等
多くの人が,スクールカウンセラーよりも安い賃金で,同じ不安を抱えながら生活していることを理解し,会計年度任用職員制度そのもののあり方を問うて行くことが必要だと思います。
そういった俯瞰的な視点を持たず,スクールカウンセラーの雇用についてだけ声を上げるというのは,社会的な支持を得にくく,何も成果をもたらさないと思います。
個人的には,そういう視点が持てなければ(持てていないから),スクールカウンセラーは会計年度任用職員止まりなのだと思います。
(4)自分たちの総括について
ア スクールカウンセラーの専門性は外部性である,という意見をよく聞きます。外部の立場だからこそ,客観的なアセスメントができるものである,等の意見です。
果たしてそうでしょうか。ここで議論することではないので何も触れませんが,外部性を訴える以上,会計年度任用職員以上の常勤職には,外部性と相反することから,なれないでしょう。
そもそもどうして外部性というアピールが生まれたのでしょうか。本当に,非常勤でなければ客観的なアセスメントができないのでしょうか。常勤職につけない正当化であった可能性はないでしょうか。
イ 公認心理師ができても常勤職は少なく,会計年度任用職員という非常勤ポストすら奪い合いの状況です。
学会を見ても,多くの理事の先生方はとうに65歳を過ぎておられ,若手に席が回ってきません。
ベテランの先生は退職しても開業されますので,開業カウンセリングの市場も奪い合いです。みんなが食べられる状況ではないことは明らかです。
大学院生はどんどん修了し,供給だけが進みます。大学院での学びを活かし,心理士/師として働くよりも条件が良い仕事,働きがいのある職場はたくさんありますよ。
ウ スクールカウンセラー全員が学校に歓迎されているわけではありません。ニュースになった事件もありました。
予算執行調査でも,「SC等の資質向上は最重要事項」と言われています。
これは,若いスクールカウンセラーの資質向上という意味ではありません。ベテランのスクールカウンセラーでも,何も言われなくても,イマイチと思われていることもあるのです。
また,税金を投入する以上,本当に効果があるのか,どの程度の効果があるのか,という問いからは逃れられません。
曖昧模糊な言葉で訴えるだけでは,カウンセリングの重要性を理解してもらえません。予算レベルでは,文科の担当者の方が頑張って財務省と話をして予算をとってくれるわけですが,
自分たち自身も,日頃,スクールカウンセラーやカウンセリングによってどういう効果があるのかを,専門家でない人でもわかるように説明できるようにならないといけないと思います。
とにかく大切だとか,命に関わることだとか,そういう説明では,その場はそうですよねと言ってもらえますが,実は理解を得られません。
また,言葉で訴えるだけではなく,定量的な指標で効果を示せることが必要です。
参考:tps://www.mof.go.jp/policy/budget/topics/budget_execution_audit/fy2021/sy0309/11.pdf(総括調査票)
エ スクールカウンセラーも心理士/師も,社会で働いています。
そのため,組織に関する行政は,ある程度理解する必要があると思います。今日リンクを貼った文科のHP等は最たるものですが,見ているスクールカウンセラーはあまりおられないでしょう。
社会の中での位置付けを抜きにして,児童生徒とスクールカウンセラーとの関係はあり得ませんので,ある程度行政での位置付け,行政での扱われ方も理解した方がいいと思います。
カウンセラーは社会性がないとよく言われます。個人のカウンセリングだけではなく,社会にも目を向ける必要があると思います。
4 最後に
スクールカウンセラーは,楽しかったですし,良い仕事だと思います。今の心理士/師としての仕事も,楽しくやっています。
ただ,心理士/師には難しい人も多く,これから国民にとってアクセスしやすい存在になるにつれ,問題も表面化していくと思います。
これからどうなるのでしょうか。明るい業界であってほしいと思いますが,明るい業界を作り出せるかどうかは自分たちにかかっている中で,地に足のついた議論は乏しいようにも思います。
この日記が,心理士/師業界の発展につながり,ひいては国民の福祉と健康につながる一助となればとても嬉しいです。
ありがとうございました。
ボーはおそれているを見た
本当ははてな匿名ダイアリーに書こうと思ったのだが、初の試みすぎてどこからいけば入力ホームに飛べるのかも分からなかったので、こうして一旦自分のエディタに向かって書く。ちくしょうめ。
お前たちがこれを見ているのなら、どうにかうまいこと投稿できたんだろう。
あのミッドサマーを作った、嫌な人間関係を描くことでお馴染みの男アリ・アスターの作品だ。
彼の妙に女側の鬱憤描写に自信がありそうな感じは、まあきっと他の人が論じることだろう。
以下は、ボーと同じく母子関係に問題のある増田がどのようにボーと旅をしたかの備忘録である。
物語は、ボーが母親の誕生日パーティをドタキャンしたことから始まる。
ボーはいつも恐れていた、母親の機嫌を損ねることを。傷つけることを。
わかるぞ、ボー。
女手一つで息子を育てるというのは、どんなに大変なことか。
大人になればなるほど、それが途方もない献身の末にあったことが身に染みるようになる。
そんな彼女の気持ちを裏切るのは、いつも最悪な気分になった(これは増田の話)
それにボーは、母親の経済的援助の元にある(はっきり書かれてはいないが、増田はボーのカードは母親名義のものだと推測している)
就職先とか全部潰されてきたりしたのだろう。
アパートで鍵を奪われたりしたのは、なんだったんだろうな。
母親は誕生日パーティのドタキャンを受ける前から、ボーに試練を与えるつもりだったのか。
それとも、母親の一味の中にボーに害意を持つ者が個別にいたのだろうか。
あるいは、「お前はこれで終わりだ(うろ覚え)」と語りかけてきた男は、ボー自身の破滅願望だったのか?
ともかくここからボーの辛い旅が始まる。
家にたどり着くまでのやつは割愛しよう。
あれはほとんど昔話で言う「三回正しい行動をしたものだけが生き残れる」みたいなお約束パートに見えた。
その中でも、医者の妻や森の痩せた男など、ボーに同情的な人々は少し居た。
彼らはどんな気持ちであの寸劇をやっていたのだろうか。
あの医者の家の娘、その気の毒さ。
突然やってきたボロボロの中年男性に、居場所を奪われるのは苦しかっただろう。
もしかしてあのペンキを急に飲んだのは、ボー母からの内密な指令だったのかもしれない。
例えば誰も逆らいようのないボー母から「ボーと恋人関係になれ」などと命令されたなら(もちろんもし従ったところで、きっとボー母は彼女を始末しただろう。ボーにセックス禁止の呪いをかけていたわけだし。つまり、彼女が本気でボーを誘ってボーがそれをちゃんと断るところを見たかった。試したのだ)、あのヤケクソも理解できる。
ティーンエイジャーがそんなことを強いられれば、死にたくなったって仕方がない。
(追記:最初の推測は上の通りだが、よく考えて「ボーを本当の息子として扱え」が命令だったのかも)
個人的な推測をさらに進めるなら、ボーの母は彼を裁くに足る証拠を集めたかったのだろう。だから彼が罪を犯すチャンスをたくさん与えた。
そういえばボーの居住地区の治安が終わってるのも、母の采配なのだろう。
彼女はボーが自分を愛していないことを、確認したかったのかもしれない。
ペンキ自殺をきっかけに、ボーは次のステージへと追い立てられる。
舞台の筋を書いたのは母親だろうから、母の愛(鎖)を断ち切ったところで幸せにはなれないという話だったのだろうか。
結構序盤からボーの妄想劇場っぽかったから、あれは単に彼の内心の探索だった説の方が強そうだが。
そういうお母さんの話(舞台)を途中から流すようなところが、母をイライラさせていた可能性はある。でもあのお母さんイライラ範囲デカいからな…。
セレモニーが終わってみんな帰った後っぽかったのは、フェイクだったからだろう。元々死んでない葬式なうえ、目的はボーのリアクションを確かめることだ。
弔問客がいっぱいいたってノイズになるばかり。
クルーズで出会ったあの子(たぶんボー母がセックスに至る前に追い出した)が、葬式に現れる。
彼女はボーと可及的速やかにベッドインするし、死んだ母親のアクセサリーとかもいじくり回す。
絶対このタイプの女、ボー母は嫌いだもんな。明らかに遺産目当てだし。
あのおっかない母親が死んだ今、ボー一人を籠絡するのは楽勝だと思って現れたのだろう。
でもこういう金目当て女に易々とハマるのは、ボー母の責任だ思う。
お前がボーに恋愛(セックス)を禁じて、免疫を得るチャンスを与えなかったから……
そしてボーは母親に言外にしかし固く禁じられていた射精を、彼女の中で果たした。
ボーが母親に決定的な不信感を覚えた瞬間だと思う。
あの外観を与えたのはボー母であるし、自分の中で射精した瞬間死んだみたいなエピソードもそれっぽい。
ボーを宿したあの瞬間までで夫の物語を止めて仕舞えば、美しい話で終われる。
隙を見せたお前が悪いので自分語りをするが、私も過去に浮気をされたことがあり、ボー母のこの気持ちはよくわかる。
ある一瞬以降の「あいつ」を死んだことにしてしまえれば、どんなによかっただろうか。
ここに関しては、ボー母は自分のやりたいようになったことだろうから、少し羨ましくもある。
アリ・アスター監督は女のこう言う感傷部分への理解が異様に深い。
私も無限の金があったなら、昔の男のことは好きなだけボロボロにした上に殺したと思う。
なんでもできるが故に、諦められない。
彼女にとってどうしようもできないのは、人の心だ。
父親の心も、ボーの心も彼女は全く思い通りにできなかったのだろう。
一度、彼女の側に立ってみてボーを見る。
多分父親に似ていたのだろう。
今度こそ自分を一心に愛する男に育てようと心を砕いたのに、ボーは何度でも「私」を裏切る。
男友達と一緒に自分を貶め、自分以外の若く美しい女と寝ようとする。
自分に愛しているという口で、カウンセラーには不満や憎しみを言い募る(聞いてる母が悪いのだが)。
愛しても愛しても(少なくともそのように認識していても)、男は決して満足のいく愛を返してくれはしない。
可愛さ余って憎さ100倍ということわざが向こうにもあるのかは分からないが、そんな心境だったろう。
父と息子を混同するの、やめた方がいいよ。
「私」をとうとう完全に裏切った「あなた」なら、安心して殺せるから。
正直言って母の父への憎しみはわかるものの、「子供」としての増田はボーと共にある。
経済的援助を受けていたやましさ。
日記帳を覗かれていたおぞましさ。
母を拒否した時の、たとえようもない罪悪感。
他にも色々あるが、ボーにシンパシーを受けるのはこの辺の過去があるからだ。
私の母は経済的援助についてはもちろん恩を感じるべきだというし、
日記帳に関しては母の愛だったのだから、私が許すべきだと主張する。
そして彼女の様々な誘いを拒否すると、哀れっぽく嘆いて見せるのだった。
これは、このタイプの母を持つ人間にしか分からない強制力だろう。
特にお前が母親に「自分はあなたの死を悲しんでた、超泣いたし」みたいな言い訳してるとこすごい分かったぞ。
自分でも嘘なことはわかってるんだけど、悲しめない自分に罪悪感もすごいしそれが母にバレた日にはすごいことになるから、とりあえず口先だけで母親想いをやるんだよな。
昔は金と罪悪感のコンボで割とコントロールされていたものの、最近すっかり距離を取るようになった。
物理的に距離を開けたのもあるし、一念発起して母に直接様々なわだかまりを伝えたからもある。
まあ全然分かってはもらえなかったのだが、幸いにして私の母には100人の狂った部下はいないし、経済的自立も今のところ果たせている。
このままボートには乗らず、本物の葬式でしか近づかないつもりだ。
ボーよ、お前には全然選択しなかったと思うけど、こういうオチもあったよ。
映画自体は徹底的にバッドエンドだったし、スタッフロール中にも転覆したボートを延々映し続けて終わる最悪さだったが、その後のことは私が勝手に想像してもいいだろう。
ボーはあの後、きっとボートの中にあった空気で助かって、うまいこと脱出できた。
観客席のみんながはけた後、最後に残った私のところにボロボロで泳ぎついて、私は「よく頑張ったなあ」ってボーの手を掴んで引き上げる。
そのあとは小汚いボーを連れてその辺でホットドッグとか買って齧って、公園で「いやお母さんやばいね」みたいな話をして、話も尽きたし寒いから私は普通に家に帰る。
ボーはお母さんの手から逃げることはできないだろうけど、まあなんとかトボトボ暮らしてお母さんが死んだら、遺産とかもらって急に派手な暮らししたらいいよ。頑張ってお母さんより長生きしな。
人より苦しい時間は多かったかもだけど、もしかすると本当にもしかすると、その苦労に見合った価値のある時間がいつかくるかもしれない。
そういうのって、生き残ってみなきゃわかんないから。
ボー、恐れるな。
私もついてるし、意外と似たような境遇のやついっぱいいるからさ。
な、しぶとく行こう。
刑務所には臨床心理士のカウンセラーと精神科医がいて精神疾患の患者は治療させられる
医療刑務所ではないものの労働と精神治療がルーティンに組まれる受刑者の1人だったということ
アンガーマネジメントは必要に迫られる課題だったはずで認知行動療法が適応されるケース
服薬効果の限定的な患者にカウンセリングをさせない医者を想定するほうが難しいのでは?
出所後は特別調整患者に指定されて自立支援施設を経てナマポ訪問看護を受けていたとのこと
かかりつけ医の病院所属の臨床心理士カウンセラーという選択肢だけでなく
無料で臨床心理士のカウンセリングが受けられる地域精神医療センターという選択肢もある
地域精神医療チームが組まれてた青葉にカウンセリングを受けさせなかったと考えるほうが不自然よ
30代後半で出会いもなくてもうどうしようもなくて、老舗の婚活サービスに登録しようと銀座のセンターに出かけて行った。
そこでアンケートに延々答えて、その結果からカウンセラーの診断みたいなのを受けて、お値段とか期間とかセックスしちゃダメとか色々交際ルールの説明をしてもらって、「では最後にもう一度規約をご確認いただき、ここにサインをお願いします」というところまできて、いや、やっぱりやめますと席を蹴って帰ってきた。
理由は、自分が単なるデータのフローになってしまうように感じたから。
自分は仕事で、市場データやセールスフォースの取引データなんかを見て、この商材はどんなターゲットに売れるか、だとか、案件の成約率を増すにはどうすべきか、だとか、そんなことばかりやっていた。いまこの場でアンケートに答えて分析された自分というのは、まさにそのデータのひとつだった。個人ですらない。様々な属性の集合体。この属性とあの属性はマッチ率が高く、別の属性情報を加えるとスコアがこうなって……という感じで、自動的にプロセスされていくだけの存在。
そして会場の隣の部屋では、まさにそのプロセスの実体化みたいな「婚活パーティ」が繰り広げられていた。男女が5分間隔ぐらいで顔を合わせて、話をして評価する、そんな仕組み。
「寂しさ」、「人恋しさ」、「誰かを好きになりたい」みたいな動機が根本にあってここに来たのに、なんでバラバラのデータとして処理されるんだ。
40手間になってすごく青臭い感じだが、怒りが湧いてきた。これはちがう、人間として人間を好きになろう。次に会った人を好きになろう、ダメならそういう人生だ。そんな風に思い込んでその場を離れた。そして、その後これは本当にラッキーなことに、自分と同い年の女性とたまたま、少し会話する機会があった。呪文のように「この人を好きになろう」と思い込んで、えいやでLINEを聞いて、「今度上野の美術館で絵を見てみようと思うんですけど、興味ありますか?」と声をかけてみた。
彼女は、正直自分の好み(だと思っていた)のルックスとは対極だったし、稼ぎがあるわけでもないし、性格も色々難ありだと思えるところもあった。でも、不思議なことに「好きになろう」と思い込んでると、その人の良い面の方が常に上回って感じられるようになった(と、振り返って思う)。同時に、自分にも難があるのが次々にわかった。マンスプしがちだし、気が付くと洗濯や掃除をやらせちゃうところがあったし、喧嘩して泣かせるようなこともあった。そういう自分が凄く嫌で、次は変えよう、好かれようと思った。そう思ってる自分が不思議なぐらいだった。
で、結婚して5年経って、いまでも朝出かけるときにキスするぐらいの仲の良さではいさせてもらっている。
出会いはラッキーだったが、結婚まで持ってくことができたのは、婚活サービスへの怒りが原動力だったのかなと今でも思う。それに、お互い40手前で後が無かったし。
担当カウンセラーといろいろ話して、他人との接し方や自身が極度の寂しがりであることについて、母に対して寂しかった思い出がたくさんあることが影響してると言われ、腑に落ちたところがあるので、寂しかったこと嫌だったことを書き出してみる。
母は優しいけど、お母さんみたいな感じではなく、性格も子どもっぽくて面倒見も良くなかった。
保育園のお迎えはいつも遅くて、しーんと静かになった教室で先生とお迎えを待っていた。
小学校の時間割を一緒に揃えてくれたことはなかった。勉強机は買ってくれたけど、「勉強机は必要ない。居間のテーブルで勉強すれば良い」と言ってたのを父が説得して買ってくれたらしい。
彫刻刀は学校からのチラシで選んで買えば良いのに、「3本くらいあれば良い」という理由で市販のものを買ってきた。結局、それだけでは足りずに買い足すことになった。恥ずかしかった。
小5くらいから歯並びが気になり出して、母に矯正したいと言ったけど、矯正させてもらえなかった。
中学生のときインフルになって休んでて、最後のぶり返しみたいなので嘔吐したことを言ったら「長く休んでるからそうなる」と言われた。
高校生のとき、大学受験が上手くいかなくて落ち込んでたら「落ち込んでても仕方ない。前向くしかない」と言われた。落ち込んでること、少しでも受け止めてほしかった。
社会人になって、仕事が忙しくて勇気を出してそれを相談した。「完璧な職場なんかないよ」と言われた。なんで、この人は何も受け止めてくれないんだろうって思った。
現在は一人暮らし10年目で親からも自立してるけど、寂しがりやなので精神的に自立してるのかは分からない。
寂しかったこと、受け止めてほしかったことたくさんあったし、20代前半のときは昔を思い出してモヤモヤしてしまうことがたくさんあった。最近は、それも許せるようになってきたけど、幼少期の寂しい思い出はずっと心のどこかで引きずってるんだと思う。
この先も。