はてなキーワード: cGとは
現在ネットで大注目を集めているアニメ(*1)、それは「EX-ARMエクスアーム」である。(以下「エクスアーム」と記載する)
本作は集英社で連載していた漫画を原作としたTVアニメであり、本来2020年7月より放送予定であったが、新型コロナウイルスの影響で2クールの延期を行い2021年1月より放送開始となった。
なぜ本作が話題になっているか、それは2021年のものとは思えないCGのクオリティの低さで、PS2初期のゲームのCGだと言われても納得してしまう。
そもそも公式PVが公開になった時点で腐臭を漂わせていた本作であるが、いざ放送が始まると(クソアニメ)愛好家たちの期待を裏切らない内容であった。
※追記
上でPS2の発売日が2020年3月4日になっているのは2000年3月4日の誤りです。
ユルシテ…
このようなことになぜなってしまったのか。
スタッフロールに海外の名前がずらっと並んでいることから中国製の限界と切ってしまうのも簡単ではある。
しかし、現在多くのアニメ作品で中国への外注を行っており、中国アニメーターの能力も上がってきている。
(それゆえに新型コロナウイルスで中国ラインがストップした影響を多く受けてしまったのだが)
昨年劇場公開された「羅小黒戦記」を見にいって、ストーリー的には目新しいものはなかったが、背景は細やかな一方でキャラはシンプルでくっきりした線で描かれていてバランスが良く、アクションも見ていて満足できるものであった。
そのため、正確には「エクスアームは中国の低レベルな制作現場に仕事を任せてしまった」と言うべきであろう。
そこで、今回本記事では「エクスアーム」の失敗の要因を製作委員会という観点から検討していきたい。
ちなみに、私は業界の片隅にいる木っ端のような存在であるため、認識の誤りがいくつかあるかもしれない。
もし誤りを見つけたらご指摘願いたい。
(*1)これを書いている時点で「PUI PUI モルカー」に話題を取られてしまっており、もはや注目もされなくなってしまうかもしれない…。
まず大前提として、「エクスアーム」製作委員会はどのように構成されているのか。
エンディング映像のラストには「集英社 YTE ロイヤルリムジン クランチロール ビデオマーケット MAGNET ビジュアルフライト 日本コロムビア BSフジ」が製作として挙げられており、この9社が製作委員会メンバーであるのは間違いないだろう。
多くの場合、製作委員会の並び順は基本的に出資金額の順番になっている。
それぞれの役割としては
・集英社
おもな役割としては原作としての製作協力のほか出版に関する窓口を担当していると考えられる。
例えば「エクスアーム」に関するムック本などの製作の話が持ち込まれてきたら集英社が取りまわす、ということである。
・YTE
他アニメでの事例を見る限り、国内番組販売・海外番組販売を取りまわしているのだろう。
各種グッズの商品化の窓口もここだと思われる。
というよりここ以外にできそうな企業が思いつかない。
(あって日本コロムビアだろうか)
特に窓口等を担当しているわけではなく、謎コラボの兼ね合いで出資しているのだろう。
コロナで大量解雇のニュースを見た記憶があるが、こんなことしている余裕はあるのだろうか…?
他の例を見る限りこのようなコラボでの出資は多くても10%といったところだろう。
一般的に海外へは一定期間の配信権を与える形でアニメを販売しているが、委員会メンバーであるため他の配信サービスより優先的に、かつ購入なしで配信ができるということである。
クランチロールで触れたものの国内版で、他動画サイトよりも先行で配信が行える。
・MAGNET
この「エクスアーム」企画の言い出しっぺという認識で間違いない。
パチンコメーカーの京楽の一ブランドであるが、この事実は次に触れる会社にも重大な関係があると思われる。
一番の謎。
本アニメの制作を行っている…が、過去にアニメ制作を行った経験がないようである。
一応設立は2007年となっているので何らかの仕事をしていた企業ではあるのだが(「SEKIRO」などにタッチしているようである)、なぜそんな企業が制作を行っているのか。
ビジュアルフライトについて書かれたページ(https://bangumi.tv/person/39967)を見ると、業務内容に遊技機と記載があることから、パチンコ関連の仕事をこなしてきたのではないだろうか。
その中で京楽との関係が深くなり、今回MAGNETプロデュースのアニメの制作を任されたのだと考えられる。
その結果はこれである。
(実力がわからない制作会社を初めて使うのであればCMなどから試してみてというのが定石であるが、なぜこんな冒険をしてしまったのか。これがわからない)
円盤の販売もここじゃないかと思われる。というかここ以外にできる企業がなさそう。
・BSフジ
放送局。
委員会メンバーであるならば一定回数まで無料で再放送が出来たりする。
ビジュアルフライトを連れてきている点を見るとMAGNETが取り仕切っているのかもしれないが、このレベルの企業に幹事企業が務まるだろうか…?
(ただ、MAGNETが幹事会社をやっているからこのようなことになったと言われたらまあ、そうなのかもしれない)
これを見て気になる点としては、集英社が製作委員会の筆頭にあることである。
というのは、あくまで集英社は出版社でありアニメ事業を中心に据えた企業ではないため、アニメ関連の取り回しは基本出来ないと考えた方がよい。
例えば「鬼滅の刃」を見てみると製作委員会はアニプレックス・集英社・ufotableの3社で構成されている。
この3社の役割を考えると
アニプレックス(円盤販売・国内海外番販・円盤販売・商品化・幹事)
と、アニプレックスが多くを担っていると思われる。
「呪術廻戦」製作委員会を見ると構成企業は東宝・集英社・MAPPA・サムザップ・MBSの5社になっていると思われるが、こちらの役割は
サムザップ(ゲーム化優先)
といったところだろうか。
結局、集英社がいかに力のある企業であってもアニメという分野においてはアニプレックス・東宝といったアニメを本業とする企業の協力がないと厳しいのである。
そしてその多くの役割を担うアニメ企業が多くを出資することになる。
※話がそれるが、「鬼滅の刃」にしても「呪術廻戦」にしても製作委員会構成企業が少ない。
これはそれだけ多くの費用を出資することを経営陣に納得されることのできるタイトルであったためであろう。
「YTE、スクウェア・エニックス、KADOKAWA、MUSE、博報堂DYミュージック&ピクチャーズ、日本コロムビア、AT-X、ショウ・コーポレーション、ブリッジ、ドコモ・アニメストア、BSフジ、叶音、日本ナレーション演技研究所」の13社で構成されている。
これは大きな出資の稟議を通すことが出来ず、細かい出資をかき集めて何とか成り立ったのかもしれない。
そういう意味ではエクスアームも出資集めに苦しんだ結果のロイヤルリムジンだと考えられないだろうか。
話を戻すが、
本来のアニメ企業が多くを出資するべきであるがそのような企業が存在せず、集英社が筆頭になってしまうのが「エクスアーム」である。
これは全体を取り仕切ることのできる能力を持ち、その責任を背負うことのできる企業がいなかったということで、ある種の烏合の衆のような状態になってしまっているのではないだろうか。
また、本企画の予算面は最初から厳しく、その低予算で引き受けてくれる企業を探した結果、MAGNET(京楽)が関係のあるビジュアルフライトを連れてきた、という見方もできる。
そう考えると、ビジュアルフライトもある種の被害者と言えるかもしれない…。
ちなみに制作総予算は流石にわからないが、「エクスアーム」の出資を勝手に推定してみると
集英社 30%
YTE 20%
MAGNET 5%
日本コロムビア 5%
BSフジ 5%
これで合計100%といったところか。
長々書いていて疲れたので今回はこのくらいにしておこうと思う。
ラストに一言だけ、「エクスアーム」1話を見たときは「けものフレンズ」1話を見たときと同じくらいのワクワクを感じたので、最期まで頑張って放送してほしいものである。
必見。野島伸司という大御所脚本家が原案・脚本を手掛け、それを新人監督がアニメ化するオリジナル作品。スタッフの布陣が面白すぎる。
監督の若林信は22/7のキャラPV「あの日の彼女たち」で才能を見せつけた気鋭の演出家だし、コアアニメーターに「エロマンガ先生」の『紗霧アニメーター』小林恵祐 、音楽はDÉ DÉ MOUSE・ミトとか、知ってる人にはたまらん並び。
イクニ作品くらいいろいろ考察が捗る系のやつなので、とりあえず1話だけでも
「堀さんと宮村くん」を作画・構成を新たに再コミック化したものをアニメ化するというややこしいメディアミックスだが、とりあえず見やすいラブコメなのでそんな説明は別に重要じゃない
OP・EDでめっちゃオシャレな演出をすることで有名な石浜真史が監督なので、とりあえずOP映像だけでも必見。
加えて本編もキャラクターの心情がめちゃくちゃオシャレに演出されてるので質の良いアニメを満喫したい人には無条件におすすめ
とにかく曲だけでもチェック。田中秀和・オーイシマサヨシ・kz・Q-MHz・沖井礼二・北川勝利・清竜人とかいろいろよく集めたなという布陣。これを神田沙也加・スフィア・TrySail・ミュージックレインの新人が歌う。
1月に入ってから1週間以上が過ぎもう成人の日の連休中だが昨年自分が書いた増田の中で気になったものをまとめておきたい。
僕は他人に自分の話を聞いてもらいたくて増田を書くことが多い。
聞いてもらいたいといっても大層な主張ではなくてくだらない話が常だ。
しかしくだらない話題であっても小難しく単純明快とはいかなかったり重箱の隅をつつくような珍妙な話題だったりで、雑談の中に織り込むのは憚られるような自論や疑問である。
そういう特定の人間には面白いかもしれないが一般的な感覚ではつまらない話を増田に投下している。そして何らかの反応があることを期待している。
ブクマカやトラバ増田は玉石混淆だが、たまに自分では思いつかない気づきがあってそういうことは強く印象に残る。
そして傲慢といえばそうかもしれないが期待したものの全く箸にも棒にもかからないことも当然多い。
印象深い増田も惜しい気持ちがある増田も毎年溢れるほどあるが、読み返して募った気持ちを供養したいので、この場を借りて列挙し読み返して思ったことを書き連ねておく。
いわゆる腐女子長文にぶらさげたトラバ。当時はけっこうウケると思った。その気持ちが寒い。
"前田建設ファンタジー営業部という映画がオススメ "(https://anond.hatelabo.jp/20200213214854)という増田に下げたトラバ。
まごうことなきクソリプ。のちのち有名になるがあの豪邸の大部分はCGという事実を省みるとアイロニカルな気持ちになる。
いまでも何してんだって思うよ。
ものすごーく湾曲的に現在連載中の作品Mを揶揄してるんだけど、書いてあることが馬鹿すぎて誰にも相手にされなかった。
「筋トレで自己肯定感が上がる」とかいうの、結局自己満足じゃないですか。ある程度絞れた体見て主観で「オレスゴイ」って言ってるわけで、それができる奴はもともと自己肯定感高いはずなんですよね。
俺からすれば漫画のキャラになりきって周りにお構いなく生活してるのと変わらない気がする。自分がそうだと信じて憚らない人いるでしょ?右手に邪神が宿った奴とかヒーローとか魔法少女とか猫の化身とか…
そういう痛い奴、中二病、精神病者たちとどう違うんだってどうしても考えちゃう。
多分、自分のフィジカルを客観的に評価する視点があればトレーニングも尊敬できるんだと思う。明確な数値目標があったり試合とか大会とか結果が問われる環境に身を置いたり。
実際に俺はボディビルダーとかすげえなって思ってるし、オリンピックとかも存在意義はあると思うタイプ。
でも筋トレで精神面がー生活の質がーとか言い出す人ってだいたいはちょっとランニングしたりストレッチしたりって程度でしょ?個人でやる分にはいいけどそれをアピールしたり人に勧めたりされると鬱陶しい限りで、それでお前より人間が出来てるって調子でマウント取り始めたときなんてもう耐えられないね。
暇つぶしで体動かしてるって次元じゃなくて、意義のあって何らかを生み出すレベルに達してる筋トレって絶対何かが犠牲になってると思うんだよね。
それに費やした金銭や時間を別に回せばあり得た未来を惜しんだり、鍛えすぎて却って体に負荷がかかったり精神的に追い詰められたり。
そんなこと考えずお気楽にやってる程度なら、ラーメン味わったりゲームしてケタケタ笑ってんのと何が違うんだろう。
やってほしくないとかやるのはおかしいとか思わないけど所詮個人の趣味なんだから、正義面したり他人からの賛美や協調を無理強いしたりは辞めてほしい。だまって粛々とやっててほしい。
今のアイコンになってからちょっと苦手になったのって俺だけかな。
純粋にWikipedia見てて気になった。和泉元彌ってみんなにとってどういう人だったの?
あらすじ紹介系Youtuber
語り口調がなんかやらかしてるな。2か月くらいまえにネットニュースとかでこの話題ちょっとバズってて、やっぱりみんなそう思ってたんだってちょっとホッとした。
言いたいことが元増田の内容と少しずれてたり、ブクマカ受けを意識して変に煽り口調や極端な断言をしたせいでやや支離滅裂になってしまった。
要は「カラオケの精密採点で競い合うバラエティ番組みたいな評価軸が海外の文化にはなくて、それよりもアドリブで尺を埋めたり即座にハモったりする様な表現力が評価される」
「これがオリジナリティでもあるけどJ-popはコード進行に対する拘りが強すぎて曲に拡張性がない。今は二次創作的なリミックスでヒットを広げる時代で、その都合上全世界的にポップスがアレンジしやすいループミュージック主体に変わってきてて日本もいずれそういう流れになるかも」
「『メロディを考えること=作曲』『メロディを考えてからアレンジャーが細部を考える』という認識が変わってきてて、ビート(バックトラック)ありきでメロディを考えるというヒップホップのやり方で他ジャンルの歌ものも制作されるようになってきてる」
ってことが書きたかった。
反対にお洒落のつもりでMegan thee stallionの下ネタな曲流してる服屋とか見かけるとちょっと笑っちゃう。
Megan thee stallionはヒロアカのミルコっぽくて好き。
無駄に長いし書くのが遅い。
吹き替え版TENET観たいなー。
これも煽ってやらかしてるやつ。なんとなくあの時ノイタミナと幾原作品についてちょっと書きたくなったんだと思う。
当たり前だが三文ゴシップ誌に書いてあるような、作風がどうだとかそんなんで企画が通ったり製作に関わったりが決まるほどテレビ局の事情は単純な話ではない。
はてなの、それも増田でジャニーズアイドルの話をしてもせせら笑われるのがいいほうで、「カイト」にしても増田では米津玄師に幻滅したというファンのエモい心情が何回か吐露されただけだった。
俺は「カイト」という曲が好きで、それはオリンピックやアイドルの活動休止といった一市民の生活に直接は関係のないことを意識的に取り扱いながらも、あらゆる人にとって共感できる曲として昇華されているからだ。
そしてあの「パプリカ」と通底するポイントがありこの二曲を同一世界だと捉えることでイマジネーションが広がる壮大なストーリーに一人感動した。
裏世界ピクニックの原作が好きだ。洒落怖が好きだし、百合も好きだ。勘違いだと分かっていても「私のために書かれた」と思えるくらい自分の好みにストレートだった。
コミカライズも好きだ。『スパイラル』、『天賀井さん』の水野英多だ。さすがに原作に比べると……と思いつつも、おおむね満足できるものにしてくれている。
この先はただただアニメ版の内容について罵倒しているので、どうか原作を5巻まで買ってから読んでほしい。というか、原作だけ買って、この日記は読まないでください。
https://www.amazon.co.jp/dp/B08RHTTWFD
https://gyao.yahoo.co.jp/title/5fe5aa72-7dda-40e2-8b9b-d79a5f694f5e
原作は電子版の1~4巻の合本が1月17日まで1375円(1冊340円!)なので今すぐ読んでください。
https://www.amazon.co.jp/dp/B08QCS76K1
空魚が「人間!?」と口パクで喋る。何かおかしいな、と思った。
原作に当たると、“不意を打たれて、言葉が出なかった”とある。別に原作の一言一句まで覚えているわけじゃなく、「声を出して反応ならぬ反応をする、しかもその際頭が動く」というシーンに違和感があった。心理ネームを口パクで処理するのはアニメ的な演出ではあるので、目くじらを立ててとやかく言う場面ではないけど。
「人間です」というおうむ返しも微妙。人語を介しているなら人間だし、あるいはそうでなかったとしても判別はできないので、原作のとおり「生きてます」の方が自然。
私はなんとなく、人間、かかし、ヒトガタ・ニンゲン、ムーミンの「ニョロニョロ」辺りを混ぜたような見た目を想像していた。が、アニメだと『ハルヒ』の神人のようなデザインになっている。
自分の解釈が唯一の正解だ、などと驕るわけではないのでそれ自体は別にいいんだけど(神々しすぎて田んぼにいそうじゃないなとは思うけど)、『ガンバ』のノロイみたいになるのが残念すぎる。くねくねの怖さって、「不思議なものがいる」「不意に見てしまい、見続けてしまう」「その結果、壊れる」というものであって、「攻撃的な見た目の『敵』に攻撃される」というものではないと思う。『不安の種』みたいな「気持ち悪い」であって、「怖い」ではあってほしくなかった。
見返していると、冒頭から違和感に気付く。1カット目が「ウルトラブルー」なのだ。くねくねに当てられたファーストカットは、無力なまま死んでいくことへの恐怖が描かれているはずだ。それを「裏世界の深部」と表現するのは誤っている……というか、情緒を理解していない。
ここもひどい。原作にはこうある。“止まらない目眩の渦に呑み込まれるように意識が落ちていく。”
アニメでは、水たまりが突然深くなり、そこに溺れていくさまが描かれる。溺死ではなく、地面に足がつかず溺れるような描写はまだ、イメージ映像として理解できるけど、その次のカットが鳥瞰で、水たまりには誰もいない。つまり、本当に「落ちた」と表現している。
鳥瞰のカットに鳥子がいないのは、カメラ的に丁度切れているんだろうけど、切る意図が分からない。目の前で沈んだのなら助けられるけど、人がいることが見えないまま水たまりに呑み込まれても、動けないだろう。
このシーンは、完全なギャグだ。原作だと、「うえっ」と言い、舌を出すにとどまっている。今まさに敵に襲われている、という場面で、二人して背を向け、四つん這いになって吐き真似をしている(もしくは、ギャグ的な演技だが実際に吐いている)。リアクションが大げさすぎて、真実味が削がれている。
OPがCHiCO with HoneyWorksであることからも、また「ハヤカワ・ジュニア・ブックス」という新レーベルで原作1巻を刊行することからも、子供向けアニメとしての側面があることがうかがえるので、この「翻案」を悪いと言ってしまうのはよくないのだろう。
モノローグが少ないのもこのためと思われる。『鬼滅の刃』がアニメであそこまで子供から人気を得たので、子供向けに焦点を合わせるという売り方は間違ってはないと思う。それが裏世界ピクニックでやることなのかは疑問だけど。
これは原作を読み返して気付いたのだけど、原作だと水たまりに嵌りそうになっている。これは最初から嵌っていた空魚との対比であり、ある種、「助け合うことでイーブンになった」と読み取れる。
アニメでは崖から落ちるよう改変されている(一応、その下に水たまりはあるのだけど)。何故こう改変したのかというと、「滑る」「滑り落ちる」ことを分かりやすくビジュアル化したかったのだろう。子供が見ると定した場合、アニメ版の描写の方が分かりやすいだろうし、これに関しては一概に悪い改変とは言い切れない。
ちょっと、絶望的な始まり方だった。まんま原作と同じ流れだ。小説は受け手の想像力に依存するのである程度場面を飛ばしても問題がないけど、映像化するのならその辺はちゃんと補完してほしかった。
前述のとおり(というのは私が勝手に思っているだけなので見当違いかもしれないけど)、モノローグが大幅にカットされているので、余計に理解しづらくなっている。
六面体のアップ→OP→走る二人という唐突な場面転換ののちに、埼玉の大宮のロケーションが映し出されるが、不自然に人がおらず、そこが表世界なのか裏世界なのは判別がつかない。無意味に確定できない情報は視聴者を不快にさせるので、アバンからAパートをまともに繋ぐ気がないのなら、せめて人の営みを描写してほしかった。
私が1話で一番引っ掛かったのはここ。そもそも私は「くねくね」を「怪談」だと思っていない。実話怪談(洒落怖)については原作者自身が単行本で記しているので譲るが、少なくとも、「怪談『くねくね』」と演目のように言うようなものではないと思っている。
リッチなアニメだったなら、くねくねの紹介の際にイメージカットではなく、書き込みをそのままアニメ化とかしてくれたのだろうけど、それを望むのは贅沢すぎか。
空魚は「私たちだけ映っていない」と述べる。
アニメでは、アバンの最後とこのシーンで二回、六面体を描いている。その二つの場面で模様(?)が違うので、映像的に語れたと判断したのだろうけど、「鏡面なのに私たちだけ映っていない」くらいは言ってもよかったのでは。ほんのり光っているし、CGを貼りつけて背景を描画し続けているわけでもないし、一見して鏡面だと分かるのかな。「自分たちが映っていないことを除けば何の変哲もないキューブ」と原作から読み取っていたので、ちょっと違和感があった。
緊張感がない。空魚は棒立ちで、ゲートに無頓着。そのまま次のカットに移るが、今度は空魚が茫然自失で立ち尽くしている。アニメなのだから、ここは「大慌てする空魚」と「扉が開いて=ゲートが消滅してしまい憮然とする空魚」で対比させてもよかったのでは。
扉が開いても、前述のとおり商店街に人がいないので、現実世界に引き戻されたという絶望感もない。
空魚のモノローグが削られているので、この時点で裏世界が空魚にとって特別なものだったと、視聴者には分からないのに、次のカットではいきなり鳥子が空魚を慰めている。極力モノローグを排除したいのなら、ここでこそイメージカットを使うとか、原作どおりに進行させるのではなく回想なりを入れるとか、空魚に鳥子に対して語らせるとかしてもよかったのでは。ただ原作をそのままなぞってアニメにするのは、誠実な仕事とは思えない。
アップで画面を映して、点滅しているだけなので、「ちょっと調子が悪いときのスマホ」くらいにしか見えない。もうちょっと引きで撮るとか、平常時の画面をフラッシュバックさせるとかしないと、どんな異常が起きたのが分かりづらい。
六面体もそうだけど、裏世界のもの・裏世界に触れたものをやたらと発光させるので現実味がなくなってしまっている。日常が侵食されていくふうには演出できなかったのかな。
うーん。いやあ、まあ、そういうこともあるだろう。「こいつ、後の話で出てくるんだぜ!」って、知ってたら自慢できるだろう。オッドアイ前の空魚と偶然出会っていた可能性もあるだろう。これは……ねえ。別にそんな、全然あれじゃないんだけど。遊び心だし。なんか、変に必然になっちゃったというかさ、ねえ。
金銭についての会話が丸々カットされている。あくまで空魚は打算で動いた、という建前があるからこそ、二人の関係は成り立っているのではないか。
「終電、なくなっちゃったね」は別に事実を口にしているわけじゃなくて、「帰りの足がなくなったから、ここで泊まるのも仕方ないよね」ということだ。大金に目がくらんだからあの危険な裏世界にまた行く、初めて会った人間と行動を共にする、そういう言い訳があるから空魚は動いたんじゃないのか。
アバンで授業料や奨学金の話をしているのに、ここでリアリティのディティールである携帯電話の修理なんかをカットして、主人公の動機づけができていないのは問題だ。
「空魚ならそんな話、聞いたことあるんじゃない?」に対して、原作では返答しているが、アニメでは無言で、頷きもしない。くねくねについての知識があるのなら、ここでも語るのが自然……だけど、モノローグを使いたくないから無視させたのかな。
5階で乗り込もうとしてくる人物は、くねくねのビジュアル以上に残念。このシーン……というより類話の怖さというのは、「何の変哲もない人間」というのが肝だと思っている。あくまで日常の範疇に、怪異的存在が侵食している、というのが怖いのであって、発光して明らかにお化けですって面した化け物が走ってきても、それは全く怖くない。
心霊写真だ、と言って渡されたのに骸骨が浮かんでいたら笑ってしまうだろう。一見すると普通の人なのによく見たら首が180度捻じ曲がっていた、という不和が怖いのだ。
個人的に、怪異同士や無関係な神話群を結び付けて考えるのが好きなので、ここがカットされたのは悲しい。私は裏世界の怪異たちを「人間の意識をハックした結果、最も効率的に恐怖を感じさせるものが洒落怖だったので、そのテキストを抽出し、対象に見せている」だと思っているので、その場合だと「くねくねの正体」なんかを考えても何にもならないから、カットしても問題ないんだけど。
くねくねのせいで目眩や倦怠感がある、ということだと思うんだけど、アニメでは空魚が銃声に驚いて身をかがめ、鳥子は銃が効かないことでへたり込んだように見える。くねくねと「目」が合った瞬間に空魚をアップにするとか、くねくねの特性を分かりやすく描写したカットが欲しかった。
現状把握のシーンでは、二人にくねくねが迫ってくる。くねくねって別に直接的な接触で攻撃してくるわけじゃなくて、「遠目で見ていたらいつの間にか気が狂っていた」というものであって、原作にある遠近感が狂うというのも、アリス症候群的な話なんじゃないのか。悠長に二人で会話している間に攻撃的な見た目のくねくねが直接襲ってくるという、よく分からない絵面になってしまっている。
原作を読んだ限りだと、オカ板の書き込みと「わかった! わかった! わかった! わかった!!」は、空魚が実際に声に出している。アニメではどこまでが心理ネームでどこからが発声しているのか分かりづらい。
ただ、ここは私が原作で特に気に入っているシーンなので、過剰に意識しているだけかもしれない。錯乱した感覚、脳を内側から侵食されていく不安定さが、テキストで表現されているのが好きだったので、映像化するとその辺の演出が変わってしまうのはしょうがない。
鳥子の「打ち上げってしたことないんだ」がアニメではカットされているが、冴月-鳥子-空魚という関係性で鳥子の処女性を描いているので、百合的にはここがカットされたのは残念。
打ち上げがギャグとして処理されてしまっている。非日常である裏世界との対比として、表世界はリアリティを保たなければならないのだけど、商店街のシーンといい、配慮が足りていない。
OPでは普通の作画で打ち上げが描かれているし、「ファイル5」では中間領域のために必須の場面なので、おまけとして、意図的にギャグで崩しているのだろう。
前述のように子供向けアニメとして作られたという私の読みが正しかった場合、このコーナーの存在も理解できる。『鬼滅の刃』も本編とは関係のないギャグ風の次回予告をしているからだ。
引きの絵がCGなのは何も言わない。『ラブライブ』はライブシーンで作画とCGを組み合わせていたのが特徴的だったし、『裏世界ピクニック』もそういうアニメ、ということなのだろう。
アニメ監督の川崎逸朗氏によると“2021年のアニメ新番組(中略)その全てがコロナ禍で作業されてきたもの”とのことなので、何なら、今後もこういった形式のアニメは増えていくのだろう。
https://twitter.com/itsuro_k/status/1346667359788879874
空魚と鳥子、声逆じゃない? 別に不満とかではないんだけど、空魚の方が高音で鳥子の方が落ち着いた感じだと思ってた。そりゃまあ、オーディションなりあるわけで、そこで逆パターンもやって結果こっちになったんだろうけど。これは完全に私の好みです。
さすがに私でも知っている。ティーンのことはよく分からないけど、これはいいことなのでは。
オフィーリアと土佐衛門はいいアニオリだと思う。ただ、汚い例を先に出して、「オフィ―リアと取り繕ってみたけど本心では土左衛門呼びしている」の方がよかったと思うけど。
ウダウダと書き連ねてきたけど、アニメ化に際してこうやって実際に子供に原作を読ませているだけで満点なんじゃないかな。子供、ネットロア知らんでしょ、と思ってたんだけど、どうやら普通に知っているようでよかった。「日本のおかしな現代妖怪図鑑」なんて本も出ているらしく、妖怪や都市伝説と同じくらいの認知度があるんでしょうか。
https://www.hayakawabooks.com/n/n194591ad11e3?magazine_key=m109bc51b7ac7
原作を読んでいるので不満が爆発したけど、初見だと楽しめるのでは。洒落怖をベースにした創作なんつーものを広めていいのか(面白さが理解してもらえるのか)とは思うけど、アニメ化で間口が広がるのはいいことだと思う。
所詮私はツイッターで騒いでる人なので、全然、みなさんは原作読んだりアニメ見たりしてください。裏世界ピクニックは最高に面白いので。
https://togetter.com/li/160009
実際のところCG-HUBやArtStationのような、本当にガチな人だけがトップに躍り出る場所が日本には不足している。
交流で適当によろしくやってる下手な人がトップツイートに躍り出る環境は絵にとって害悪だとは思う。
日本の絵事情は複雑で、ファンアートが大半なのでトップ層はファン心理のみで絵描きを押し上げることができる。
だからこそ上手なオリ絵師<下手な二次創作、という状態が頻繁に散見されることになる。
下手な人も参加してもいい。ただ、下手な人が注目を浴びるのは間違っている。ツイシブはともかく、他にそういうガチ勢だけが集まる場が必要だ。
技術的には例えばCG技術、これはもう欧米と日本では現代と昭和ぐらいのレベルの差がある
映画ファイナルファンタジーとかやってた頃はまだマシだったが、
その後、ハリウッドなどは毎年毎年凄まじい数の映画用CGを作り続けた一方、
日本は美男美女をアップにしとけば良いわという安易な映画しか撮らなかった
結果、今更日本の技術でCGバリバリ使ったSFだのファンタジーなどやっても、もはやギャグレベルのショボいものしか作れない
また日本は国家として20年間デフレで緊縮の衰退国家になってしまったので、
結果としてエンタメ産業にも金が落ちなくなった。
金が落ちてこないので映画制作にも予算を割けず、またチャレンジングな企画も通らなくなった
その結果、日本では、美男美女の俳優をアップにして背景セットのしょぼさを誤魔化すという
50年代、60年代のクロサワをはじめとした日本映画と見比べてみればわかる
彼らには巨額の予算と世界最先端のセットを作っているという自信があった
それが映画に現れている
制作会社がMAPPAになった途端に作画クオリティがガタ落ちしてしまったが、ストーリーは時系列のおかしな改変がなくて、だいぶ分かりやすい。原作既読勢は、原作どおりだなーと思うだろうし、初見の人は、これまでの話を知らなくても、なんとなくストーリーを追えることだろう。
という点をいいところとして挙げるのは、3期ではその辺りがどんだけ酷かったのかってことの裏返しなんだよなぁー。
3期は、映像的な面白さの枝葉末節に拘り過ぎて、他の全部がダメになった感じだった。原作既読者が観たって、何が起きているのかよくわからない、残念な脚本だったのだ。シリーズ構成の小林靖子氏はすごくいい脚本を書くひとで、私も『どろろ』とか結構好きだったんだけど、この人、何でか時系列を大事にしないんだよな。何の前触れもなく時間が進んだり戻ったりして、訳わかんねー。1期はわりと普通に観れたから、2期以降は監督との相性かなんかなのかなあ。ま、進撃の場合原作のストーリーがしっかりしてるので、独自色の強い靖子節などは要らなかったかもね。
なんて、4期の感想というより3期の悪口になってしまったな。4期の話に戻ろう。
オープニングとエンディングが、アートっぽくてすごく良い。アニメのOPやEDのお約束をぶち破る、斬新かつとても進撃らしい映像と音楽さいこう。
ストーリーの方はというと、筋書き通りに進んではいるものの、原作で随所に仕込まれていたギャグシーンが総スルーされているのが悲しい。そんな真面目にやんないでいいのよって思った。会議実は青空会議は、笑うとこだよ!
声優さんの演技は大体全部いい。特にガビの元気溌剌さと高慢ちきさのバランスがグッド。子安さんは子安さんなんだからもっとふざけて欲しいけど。せっかく、ジークなんだし。
映像については、CGの多用は仕方ないにしろ目立つんよ。ガビのお父さんの頭とか動きがふわふわし過ぎだよ。ライナーに注目が集まるシーンでドローンで追跡していくみたいにライナーが徐々に大写しになる場面は、凄いんだけど作画があんまりよくなくて。
まだ2話なので言えることはあまりないのだけど、結構悪くない感じ。
ネットスラングにおいて「地雷」とは、かつてはエロゲー用語のことだった。私の知る限りでは二十年ほど前から使用されていた。
ttps://anond.hatelabo.jp/20201209101046
当時のエロゲーは一本8,800円が基本で、タイトル名とパケ絵とエロゲ雑誌のわずかな情報だけで購入を判断していた。購入前情報と作品のクオリティに乖離が大きいこともしばしばで(端的に言ってクソゲーであること)、そうしたゲームを買ってしまうことを地雷を踏むと表現していた。次第にそうしたゲームのことを地雷ゲーム・地雷ゲー、あるいは単に地雷と呼ぶようになった。アニメは地上波放送なら無料で漫画やラノベは高くても1,000円なのに対して、エロゲーの価格が8,800円と高額であり、しかも購入しなければ内容がわからないことから、金銭的な損失のショックを地雷を踏むことに例えたのだろう。
地雷ゲームを防ぐにはメーカー名(ブランド名)や製作スタッフ(シナリオやCGのクレジット名)で判断をすればよい。しかし、新興ブランドの新作に対してはそうした戦略をとれないので、2ちゃんねる等の掲示板で感想を見てから購入を決めることが賢い判断だった。だからこそ、地雷の可能性があるエロゲーを予約するだの発売初日で購入するだのと宣言することは勇者として崇められたことだったし、感想が「〇〇は地雷だった」でもその情報は重宝されたのだ。
二十年ほど前のエロゲー業界では「はじめてのおるすばん」[2001年](以下はじるすと略す)が話題だった。発売元はビジュアルアーツ傘下のZEROというブランドであるが、ZEROは製作スタッフ名を伏せて実験的なゲームを発売することが多く、内容がクソゲーであることもしばしばだったので地雷メーカーとも呼ばれていた。当時、国際NGOが紛争地帯での地雷ゼロキャンペーンを推進していたので、それになぞらえて地雷ZEROなどと揶揄されていた。当然「はじるす」も発売前は目に見える地雷と評されていた。しかし、児童ポルノ法制定[1999年]から続く規制強化の論調に反発するかの如くに幼く見える女の子が18歳以上と言い張る公式ホームページによる紹介ページが大好評になり、エロゲー業界を超えた大きなムーブメントとなった。当時ネットサーフィン(死語)をしていた人は、「はじるす」紹介ページのパロディを見たことがあるはずだ。この「はじるす」、想定を超えたブームによる品切れが続き、なおかつゲーム内容がおおむね前評判通りでもあったので(メインヒロインがゲーム開始時に非処女であることに物議を醸したが)、地雷ゲームの汚名を返上するほどの人気作となった。発売後2~3か月ほどは、「はじるす」を求めて各地のエロゲーショップを巡回する「はじるす難民」が続出したという。今日でのネットスラングとしての「難民」の意味は、きらら系の癒しアニメが最終回を迎えることによって、アニメによる癒しに強く依存したファンが新たな癒しを求めて彷徨うことである。「ゆゆ式」や「きんいろモザイク(1期)」が放映されていたころに「難民」の用語が流行り始めたが、その元祖は「はじるす」だと思っている。
地雷の意味が変化したきっかけは、同じビジュアルアーツ傘下のイージーオーから発売された「うちの妹のばあい」[2003年](以下、うちいもと略す)であろう。当時のイージーオーは知名度は低く大きなヒット作を出していなかったものの、シナリオ・CG・システムともに一定以上の品質を保持していたので、知る人にはある程度の評価をされていた。「うちいも」は発売前の公式ホームページによる宣伝に力を入れており、なおかつ当時は妹ものブームだったこともあって大きな評判となった。しかし、イージーオーは「寝取られ」のジャンルで知られるブランドでもあったので、古参のファンと何も知らない新参者との間で大きな議論を呼んだ。「イージーオーのことだから、また寝取られ描写があるのだろう」、「いや、公式情報によると妹との純愛にしか見えないので、寝取られはありえない」という具合であった。結論を言うとバッドエンドルートでヒロインの寝取られがある。それも、ご丁寧に攻略ヒロイン全員分にだ。今でこそある程度の市民権を得た「寝取られ」だが、当時はまだ理解できる人が少なかった。純愛を望んだ多くのユーザーにとっては意図せずに「寝取られ」を見せつけられる結果になったので、作品としては不評や反感の意見が飛び交うこととなった。しかし、「うちいも」が「地雷」と呼ばれることはあまりなかった。と言うのも、「うちいも」は前作の「雨やどり」を超えるボリュームのシナリオ・CG量があり、バグや不具合もなかったので「クソゲー」ではなかったからだ。シナリオの内容についても、分岐によってはハッピーエンドもあり、そちらでは「寝取られ」も無く概ね好評を得ていたので、作品全体は「地雷」ではないもののバッドエンドが「地雷」と評されたり、「鬱ゲー」と呼ばれるジャンルを好むユーザーからはむしろ高い評価を得たりもした。これが「地雷」の用語がクソゲーを踏むことから変化して、ジャンルやシチュエーションがユーザーの嗜好と不一致することに対して用いられてきた最初の例だと思われる。ちなみに、イージーオーは「うちいも」の賛否両論の騒動を受けて、公式ホームページで「純愛宣言」をすることとなった。内容としては、今後リリースするすべてのゲームで「寝取られ」描写をしないというユーザーに向けての宣言である。しかし、イージーオーは失った評判を取り戻すことができず、ブランドは解散することとなる。
次に「地雷」がキャラクターに対して用いられた例も述べる。エルフの「下級生2」[2004年]である。エルフは今でこそ解散してしまったものの、かつては老舗の有名ブランドであった。「東のエルフ、西のアリス」と呼ばれ、業界大手のアリスソフトに匹敵するほどの人気があった。エルフは「ドラゴンナイト」シリーズや「同級生」シリーズで知られるブランドで、エロゲーをやったことのない人でもタイトル名だけは知っていることだろう。昨年アニメ放送された「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」も原作はエルフにより発売されたエロゲーである。「下級生2」の発売当初はエルフの人気シリーズ続編ということもあって当然多くの期待と注目を浴びることになった。しかしながら、「下級生2」も「寝取られ」(正確には寝取り?)が原因で不評を買う結果になってしまった。メインヒロインの「柴門たまき」は主人公の幼馴染だがゲーム開始時点で医大生の彼氏持ちという、学園ものの恋愛アドベンチャーとしては斬新な設定であった。「たまき」を攻略することは、彼氏持ちの女が幼馴染の男(主人公)と二股デートをすることと同義でもある。そして攻略を進めると「たまき」は二股がバレて彼氏に捨てられることになる。その後もシナリオを進めると、主人公との情事を重ねる際に「たまき」は医大生と肉体関係を持っていたので非処女であると告白するのだ。そのうえ、「たまき」は情事の内容をいちいち元彼氏と比較をするのだ。ゲーム序盤では、「たまき」は主人公の幼馴染でクラスのマドンナ的な存在として描かれていたにもかかわらず、その本性は性悪ビッチ女だったという展開にピュアな童貞エロゲーマーの精神が耐えられるはずもなかった。激怒したエロゲーマーは、エルフのファンクラブを退会しゲームディスクを真っ二つに割った画像をアップした。これが「たまきん事件」の顛末である。「下級生2」が「地雷」と呼ばれたことはもちろんだが、それと同じくらいに「たまき」も「地雷」と評された。これがゲームではなくキャラクターに対して「地雷」が用いられた最初の事例かと思われる。
ちなみに、00年代中頃になると地雷ゲームの呼称はあまり使われなくなってゆく。その理由としては、体験版や公式ホームページによる情報公開が進み、発売前からある程度内容を推測できるようになってきたからだ。さらに、アリスソフトの「妻みぐい」[2002年](定価2,800円)を契機に廉価ゲームが流行って、エロゲーは一本8,800円という常識が崩れたこともある。それにより、新興ブランドがクオリティの不明なエロゲーを8,800円で発売することもなくなったので、エロゲーマーが地雷を踏むことも無くなった。次第に地雷ゲームの言葉は廃れていった。さりとて、クソゲーが消えたわけではない。クソゲー愛好家の間ではHYPERSPACE(通称:超空間)というブランドのエロゲーは有名だが、「地雷」ではなく明らかな「クソ」なので地雷ゲームと呼ばれることはなかった。
なぜ「地雷」の歴史を長々と述べたのかというと、冒頭に述べた増田にて、同人界隈で腐女子が地雷という言葉を用いることを知ったからだ。今でこそ「地雷」は「下級生2」の例で述べたように、キャラクターや人物に対して用いられるのが常である。実在人物においては、合コンの相手・交際相手・風俗嬢などに対して使うことが多いだろう。しかし、腐女子は同人作品の受け入れられないジャンルやカップリングなど嗜好の不一致という意味で用いているのだ。これは「うちいも」における地雷の用法と同じである。そうした観点からみると腐女子が用いる「地雷」はむしろ原点回帰と言えなくもない。そうした意見を述べてみようかと思った。しかしながら、エロゲーとは関係ない文脈で「地雷」を用いている場で長々とエロゲーの歴史を語っても尋常者は嫌悪するだけとなるので、ツリーに表示されないようにh抜きでURLを張ってこのように長々とした文章を描いた次第である。
私は「地雷」用法は本来の意味に立ち返るべきだと言及するつもりなど毛頭ない。ただ単に、インターネット黎明期の頃から続くネットスラングが用いられた当初の時代の雰囲気を主張したくなっただけである。かつてネットスラングはエロゲーマーをはじめとしたヘビーなインドア男が生み出すのが常だった。インターネットは、現在のようにWi-Fiで楽チン接続するのとは訳が違った。高額で場所の取るデスクトップPCを用意し、プロバイダー契約にも金を払い、様々な配線を床や壁に絡ませて、頻繁にフリーズするWindowsで面倒なインターネット接続設定をする。このような芸当は、注ぎ込める時間と金の全てを家の中で消費するヘビーなエロゲーマーにしかできないことだ。手間暇をかけて接続したインターネットの利用方法はもちろんエロゲー情報の収集である。だから、当時生まれたネットスラングが現実では全く使い道の無い言葉となるのも当然のことだった。逆に、現実の言葉がエロゲーマーにとっては違う意味を持つこともある。2007年に月探査衛星の「かぐや」が世間ではニュースになったが、当時Googleで「かぐや」と検索するとエロゲーブランドの「アトリエかぐや」が最上段に表示されるというありさまだった。今では到底信じられないことかもしれないが、もしも日本のインターネット文化を構成したのが引きこもりエロゲーマーばかりだったらというおぞましい現実が、インターネット黎明期に実存していたのだ。
もちろん私もヘビーなインドアエロゲーマーだ。しかし、エロゲーから離れてもう十年以上も経つ。エロゲーとはもはや無関係の私が、「地雷とは元々エロゲー業界で用いられてきた言葉で…」などと述べたところで、誰の代弁にもならない無意味な話にしかならない。GHQ最高司令官のダグラス・マッカーサーは「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と演説したが、その言葉を借りれば「エロゲーマーは死なず、ただ消え去るのみ」と言ったところであろうか。しかし、職業軍人とは違い私はただの一消費者に過ぎず、しかもその趣味を現実世界では誰にも公言できないので、演説どころかこのような匿名ブログでしか述べることができない次第だ。それに、こうして長文を書くこと以外に自身がエロゲーマーであったことの証明ができないので、もはや消えていたも同然だ。
エロゲーマーは死なず、とうの昔に消え去っていたのだ。
写真を趣味にしているので、中国の写真SNSや写真集を漁ることがある。
マクラーレンに乗っていたり、高級そうなビルの高層でフェティッシュな写真を撮っていたりする。
攻殻機動隊で政治家の人が集まるフェチなお店が出ていたが、そんなお店で撮影していたりしたのもあった。
日本だとドローンを飛ばすのも難しいと思うが、映画撮るようのREDなどを載せる大型のドローンを個人で使って使って撮影していたりする。
ライティング機材も本格的だったり、ロケーションに制限があまりないのか、色んなところで撮っている。
写真のために日本の鎌倉にまで来て撮影するといったのも普通に行われている。
そういうのが20代っぽい人だったりする。
日本だと街中で写真を撮るのも大変だし、田舎の方に行っても写真は撮れない。
日本の写真展に行くと、新しい表現は見当たらない。映っているモデルのクオリティを競ってるくらいになっている。
そりゃ通行人をいきなり撮るストリートはもうないだろうと思うし、鉄道写真の三脚をどこにでも立てるなどがあって、
今の日本のような状況になっているわけだが。
新聞やテレビやネット界隈で言っている表現の自由は、政権批判に対する言論の自由は確かに日本の方があるだろうが、
写真や動画に関しては表現の自由はあまりないように感じられてならない。
YouTuberが自宅でずっと撮影しているように、自宅以外で自由な場所がないのではないか。
NeXT時代、ジョブズのオフィスとジョブズ以外の社員が働くオフィスを分離させたの笑える
同じオフィスで働くと、ジョブズがオフィス内を歩き回り、働いている社員に直接思い付きで命令を下すようになる
でも、お金は払ってくれるしカリスマなので、でも迷惑なのでオフィスごと分けたとか笑える
Pixar時代も買収したジョブズはCGの技術とかRenderManとか、どちらかというとハードウェアにご執心だったらしいけど、
現場の技術者や社員はもうCG関連のハードウェアなんて勝てなくなるだろうし、(その読みは正しく今のNVIDIAとかに勝てなかっただろう
これまで研究畑でやってきたことからインハウスツールみたいなものはお手の物だったわけだ
しかし、ジョブズはディズニーの真似事とかバカじゃないの?みたいな反応しかしなかったので、
結局、現場でこっそり強行するようなスタートでトイ・ストーリーが完成した
はっきり言って、スティーブ・ジョブズに先見の明もクソも感じないのだけど、運が良いのか彼が関わる現場の現場力は高いのである
今月、突然アフガニスタンでの軍による民間人や捕虜虐殺の調査報告を発表したオーストラリア。
近年オーストラリアから香港、ウイグル問題や新型コロナについて苛烈な責めを受け、対立が深まっていた中国の報道官・趙立堅氏(インテリ眼鏡の人)は「俺たちのターン」とばかりにTwitterにてオーストラリア軍の虐殺を非難する声明を投稿した。
この投稿には、オーストラリア軍人がアフガニスタンの子供にナイフを突き立ててる様子を描いた画像が添付されていた。
この画像にオーストラリアのモリソン首相は「フェイク画像だ」と怒り、Twitter社に政府として削除要請しているという。
豪首相、中国外務省報道官の偽画像投稿巡り謝罪を要求 | Reuters
https://jp.reuters.com/article/australia-china-idJPKBN28A0E9
Lijian Zhao 赵立坚さんはTwitterを使っています
「Shocked by murder of Afghan civilians & prisoners by Australian soldiers. We strongly condemn such acts, &call for holding them accountable. https://t.co/GYOaucoL5D」 / Twitter
オーストラリアの兵士によるアフガニスタンの民間人と囚人の殺害にショックを受けた。私たちはそのような行為を強く非難し、それらに責任を負わせるよう呼びかけます。
コラかCGか分からないけど現実の写真とは違うことは丸わかりなので「フェイク画像」ではなく「風刺画像」ではないか。「子供は殺してないけど子供を殺してる絵だからフェイク」と言いたいのかな。まあはすみとしこの「風刺絵」だっていくら風刺目的でも問題ありありで風刺と受け取られることないしな(はすみとしこの「難民風刺絵」の問題と似ていると思ってる)
で、この画像を作ったのは、中国SNSウェイボーで活動している「乌合麒麟」というCG絵師で、「和平の師」という皮肉を込めたタイトルがつけられていた。
https://weibo.com/1566936885/JvgMubTWg?type=comment#_rnd1606719776846
このユーザーの画像をどっかで入手した報道官が、Twitterに投稿したらしい。
元投稿には画像に作者のアカウント名が入っていたのに、報道官のツイートの画像では消えてるのは何でだろうか。
「乌合麒麟」と彼のフォロワーは報道官のツイート、その後の豪首相の行動に興奮しているっぽい。
赵司威武!!抽他丫的!!给我破防!!![... 来自乌合麒麟 - 微博
https://weibo.com/1566936885/JwgDMh35J?type=comment#_rnd1606720312092
趙は凄い! 叩きのめしてやれ! 防御を破れ!
https://weibo.com/1566936885/Jwh3YyY4t?type=comment#_rnd1606720347874
モリソンは俺の絵に問題があるらしいな?
やっぱり豪州政府とモリソン首相は画像の「子供殺し」の部分についてフェイクだと言っていたみたいだ。
オーストラリア、「不快な」フェイク写真めぐり中国に謝罪要求 - BBCニュース
https://www.bbc.com/japanese/55127165
同国の公共放送オーストラリア放送協会(ABC)はこの画像について、オーストラリアのエリート兵がアフガニスタンで10代の子ども2人をナイフで殺害したという、立証されていないうわさに関連したものだと報じている。
ADFの調査の結果、このうわさを裏付ける証拠は見つかっていない。
しかし報告書では、違法な殺人が行われた「信用できる証拠」や特殊部隊に存在する「戦士文化」について指摘。下位の兵士らが「最初の殺し」として、非武装の民間人の殺害を強いられた例などが挙げられている。
豪州政府から削除要請受けていたTwitter社は、削除を拒否したそうです。
まあこれも当たり前で、仮に削除させようとするなら、これも前に例に挙げたはすみとしこの難民「風刺画」の時のように、「自分の作品がトレースされているから削除せよ」と著作権等で攻めるべきでしょう。問題の絵も豪州兵士の元ネタとか報道写真にありそうなので。
あと、この記事でも「事実に反する画像が使われており、本物の画像ではない」とあるけど、どの部分の何が「事実に反する」のか具体的に指摘せずに「本物の画像でない」とか書いてあって、誠実ではないよね
ウェイボーの作者のアカウント見たら、新作投稿してモリソン首相を煽ってた。
https://weibo.com/1566936885/JwulSerwN?type=comment#_rnd1606876273168
モリソンへ