はてなキーワード: 「同級生」とは
ゲームだとバラエティがありすぎなので漫画で言うけど、少年漫画の多くが「主人公が問題を解決すると、女の子に惚れられる」というストーリーなのに対して、少女漫画は「主人公がイケメンを落とすと、諸問題が解決する」というストーリーでしょ。
男性向けでも島耕作みたいに「女を落としていると、諸問題が解決する」というストーリーはあるけど、あれは疲れたおっさんが脳死で読むものであってストーリー漫画の主流ではないし、
これをゲーム化するなら「同級生」フォロアーのエロゲーのフォーマットで、男性向けゲームの主流ではないけれど、女性向けなら乙女ゲーのフォーマットでむしろ主流と言える。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/ASCIIART_NOVEL/status/1535815192587948032
真島文吉 on Twitter: "作家は基本的にみんな仲間だと思っているけど、例外もいる。創作の闇の面の話で非常に不愉快なエピソードだけど、どっかで吐き出してえなあと思ってたことなので、そっとツイッターに放流するのである。"
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/ASCIIART_NOVEL/status/1535816168325656576
真島文吉 on Twitter: "私はゲームが好きで、昔から金があればRPGを買い漁っていたんだけども、それを知っている中学時代の同級生が、ある冬の日に一本のRPGをきれいにラッピングされた箱に入れて送ってきた。同封された手紙にはテンプレート的な挨拶文。同級生はゲ… "
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/ASCIIART_NOVEL/status/1535817092045635584
真島文吉 on Twitter: "知人友人に自分の関わったゲームソフトを進呈しているという話だったが、いくら有名ハードでも相手が本体を持ってるかどうか分からないのにソフトだけ送りつけてくるというのもどうなんだと思った。私はハードは持っていたが、何となくプレイするのをためらった。件の同級生とは、良い思い出がない。"
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/ASCIIART_NOVEL/status/1535818054839730177
真島文吉 on Twitter: "ソフト自体は何らかの続きもので、物語は過去作と関係しているが、過去作を知らなくても問題ないというレビューを確認。パッケージの絵が少し素敵だったので、迷った挙句プレイしてみた。 ゲームシステムは面白いし音楽も世界観も好みだった。ただ、脚本がなんだか鼻についた。"
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/ASCIIART_NOVEL/status/1535818724401623040
真島文吉 on Twitter: "主人公が無闇に辛い目に遭い、やることなすこと裏目に出て、誰も救えない。それに対して途中から登場したヒロインは強くて美人で、何をしても完璧で、誰にも咎められることなく、主人公をなじったり蹴ったりする。そしてヒロインを無視しては話を進められない。"
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/ASCIIART_NOVEL/status/1535819311583227904
真島文吉 on Twitter: "イベントで呈示される選択肢も、プレイヤーがヒロインを大事に思っている前提で組まれていて、ヒロインを守りきれなかったり見捨てたりするとゲームオーバーになったりバッドエンドになったりする。私は元々やり込み派だったので何周もして全エンディングを見たけれど、結局最後まで"
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/ASCIIART_NOVEL/status/1535819965496193024
真島文吉 on Twitter: "主人公は痛めつけられ、犠牲になり、ヒロインだけが幸せになった。趣味の悪いゲームだと思って、そのままゲームは片付けて、他のゲームを遊び始めた。 それから数年して、件のRPGの続編が出た。前作で結構ファンを得たようで、目にするCMの数を見ても売れ行き好調なようだった。"
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/ASCIIART_NOVEL/status/1535820970199482368
真島文吉 on Twitter: "同級生から手紙が来た。今度はソフトは同封されておらず、手紙だけが送られてきた。 「よう。新作のCM見た?ところで前送った前作の主人公、モデルはお前だから。新作には思い出話程度に登場するから感謝しろよな。死んじゃったから息してないけど」"
「棺の魔王」などで知られるライトノベル作家、真島文吉氏の以上のようなツイートが、ツイッターのみならずはてブでも大きな話題となった。内容を簡単にまとめると、
ゲーム開発者となった中学の同級生に、自分をモデルにした主人公がさんざんな目に遭うRPGシナリオを無断で書かれた上に、わざわざその事実を教える手紙まで送りつけられた。
というものだ。もし事実だとすればこんなにひどい話はそうそうなく、まさに「創作の闇の面」と呼ぶにふさわしいエピソードだろう。ツイッターでもはてブでも真島氏への同情と、「同級生」への怒りの声であふれていた。
しかし、真島氏の語ったこの出来事は、どこまで事実として信頼していいのだろうか。個人的に気になった部分を挙げてみる。
主人公のやることがことごとく裏目に出て失敗する一方、主人公を虐待するヒロインは不自然なほど優遇され、彼女を軽視するような選択はバッドエンドやゲームオーバーにつながる…
聞く限りでは、ここだけでもクソゲーまっしぐらになりかねない胸糞なシナリオだ。これほど特徴的な内容であれば、制作背景を抜きにしても発売当時に既に話題になっていてもおかしくない。コンシューマ作品で、TV?CMを打つぐらいの規模であり、さらに続編が出せるぐらいには売れた人気作というならなおさらだろう。ついでに言えば、インターネットの「女叩き」文脈とも、良くも悪くも相性がいい。
俺は特にゲーマーではなく、特に最近(2000年以降)のゲームにはまったく詳しくないが、現役ゲームファンが山ほどいるツイッターでなら多くの人がすぐに、ああアレね…とピンと来そうなものだ。
しかし、ツイッターでもはてブでも候補こそいくつか上がってはいるが、いずれも部分的な一致にとどまり、確定にまでは至っていない。そのためここではその具体的なタイトル群を挙げることは控える(はてブやツイッターをざっと見ればすぐに出てくるので気になる人は確認するといい)
(既に削除された上にブクマもしてなかったのでうろ覚えだが、真島氏のツイートの中には、引用RTで当該タイトルの名前を出しながらこれは〇〇だから違うよなと都合よく解釈してるファンもいる、と仄めかすような内容もあった気がする。候補の中に「正解」は既にある(ということになってる)?)
ttps://twitter.com/tekken8810/status/1536191522323828736
単純にゲーム名が気になる。僕の知る限りでは条件に当てはまるゲームは出てこないなあ / “真島文吉 on Twitter: "作家は基本的にみんな仲間だと思っているけど、例外もいる。創作の闇の面の話で非常に不愉快なエピソードだけど、どっかで吐き出してえなあと思ってたことな…”
ttps://twitter.com/tekken8810/status/1536210026804547586
書き方からしてけっこう有名な作品だろうと思うんですけど、条件にあてはまる作品がぱっと出てこないのが気になったんですよね。まあ単に僕が知らないか、特定避けるために細部は変えてるのかなとも
ねとらぼ副編集長であるゲームライターてっけん氏にも、思い当たるタイトルは無いようだ。
こうなると考えられる可能性は、だいたい以下の三つになるだろう。
1.真島氏の語るゲーム内容が不正確、もしくは一般的な解釈とかけ離れたものである。
2.不正確なのは、対応プラットフォームや宣伝形態に関する情報の方であり、実際にはもっとマイナーな作品である。
2ならまあ、全く問題なしとはいかないだろうが、そこまで大きな問題ではない(いくらマイナータイトルでもここまで拡散されて誰ひとり正解にたどり着けないのは考えにくいが)。そして3は身も蓋もなさ過ぎてそれで話が終わってしまうので、とりあえず1についてだけ考える。
まず、意図的にゲーム内容に虚偽を混ぜていた場合。はてブでも、特定を避けるためにフェイクを混ぜているのだろう、という意見はいくつか見られた。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4720897142797021634/comment/amakanata
作家なんだから、友人本人が特定されないように、それなりの誇張創作はしてるだろう。本当の作品では主人公は女性で、ヒロインと書かれているのは男とかかもしれない。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4720897142797021634/comment/timeismoney
特定を避けるためにフェイクを混ぜる、というのは増田でもおなじみの理屈であり、はてなの住民には受け入れやすいことだろう。
だがちょっと待ってほしい。真島氏が同情を集めているのは、「ひどいシナリオのモデルに勝手に使われた」ことが最大の理由のはずだ。たしかに俺の目から見てもあのシナリオ内容は、これはひどいと納得できるものだった。そこでもし仮に、真島氏の語る「ひどいシナリオ」の中身に何らかの「フェイク」が少しでも含まれているとしたら、話はだいぶ変わってくるのではないか。
(俺としては、たとえ扱いがどれほど良かろうと実在人物、それも一般人を勝手に作品のモデルに使うこと自体に問題があるとは思うが)
真島氏本人にとってはシナリオ全体の評価(=ひどい)には影響しない程度の細部を改変したつもりでも、他の人間にとっても同様であるとは限らない。そこだけで印象が一変する可能性もある。また、仮にフェイクを混ぜるにしても、それは最低限あらかじめ宣言しておくべき事柄だろう。
もちろんこれはあくまで、真島氏が「友人本人が特定されないように、それなりの誇張創作」をしていたと仮定した際の問題点だ。真島氏自身は今のところそのような事実は認めていない、はず(削除されたツイートの中にはあるかもしれない)
そして、真島氏自身は同級生製作RPGシナリオの内容を正確に説明しているつもりなのに、この世のどこにも存在しない架空のゲームを語っているかのような状態になってしまっている場合。
純粋に事実を語っているつもりで世間一般とここまで認識がすれ違うのだとしたら、これはもう根本的に事実を記述すること自体に向いていないのではないか。(ラノベ)作家としての一種の職業病なのかもしれないが。
(続く)
ネットスラングにおいて「地雷」とは、かつてはエロゲー用語のことだった。私の知る限りでは二十年ほど前から使用されていた。
ttps://anond.hatelabo.jp/20201209101046
当時のエロゲーは一本8,800円が基本で、タイトル名とパケ絵とエロゲ雑誌のわずかな情報だけで購入を判断していた。購入前情報と作品のクオリティに乖離が大きいこともしばしばで(端的に言ってクソゲーであること)、そうしたゲームを買ってしまうことを地雷を踏むと表現していた。次第にそうしたゲームのことを地雷ゲーム・地雷ゲー、あるいは単に地雷と呼ぶようになった。アニメは地上波放送なら無料で漫画やラノベは高くても1,000円なのに対して、エロゲーの価格が8,800円と高額であり、しかも購入しなければ内容がわからないことから、金銭的な損失のショックを地雷を踏むことに例えたのだろう。
地雷ゲームを防ぐにはメーカー名(ブランド名)や製作スタッフ(シナリオやCGのクレジット名)で判断をすればよい。しかし、新興ブランドの新作に対してはそうした戦略をとれないので、2ちゃんねる等の掲示板で感想を見てから購入を決めることが賢い判断だった。だからこそ、地雷の可能性があるエロゲーを予約するだの発売初日で購入するだのと宣言することは勇者として崇められたことだったし、感想が「〇〇は地雷だった」でもその情報は重宝されたのだ。
二十年ほど前のエロゲー業界では「はじめてのおるすばん」[2001年](以下はじるすと略す)が話題だった。発売元はビジュアルアーツ傘下のZEROというブランドであるが、ZEROは製作スタッフ名を伏せて実験的なゲームを発売することが多く、内容がクソゲーであることもしばしばだったので地雷メーカーとも呼ばれていた。当時、国際NGOが紛争地帯での地雷ゼロキャンペーンを推進していたので、それになぞらえて地雷ZEROなどと揶揄されていた。当然「はじるす」も発売前は目に見える地雷と評されていた。しかし、児童ポルノ法制定[1999年]から続く規制強化の論調に反発するかの如くに幼く見える女の子が18歳以上と言い張る公式ホームページによる紹介ページが大好評になり、エロゲー業界を超えた大きなムーブメントとなった。当時ネットサーフィン(死語)をしていた人は、「はじるす」紹介ページのパロディを見たことがあるはずだ。この「はじるす」、想定を超えたブームによる品切れが続き、なおかつゲーム内容がおおむね前評判通りでもあったので(メインヒロインがゲーム開始時に非処女であることに物議を醸したが)、地雷ゲームの汚名を返上するほどの人気作となった。発売後2~3か月ほどは、「はじるす」を求めて各地のエロゲーショップを巡回する「はじるす難民」が続出したという。今日でのネットスラングとしての「難民」の意味は、きらら系の癒しアニメが最終回を迎えることによって、アニメによる癒しに強く依存したファンが新たな癒しを求めて彷徨うことである。「ゆゆ式」や「きんいろモザイク(1期)」が放映されていたころに「難民」の用語が流行り始めたが、その元祖は「はじるす」だと思っている。
地雷の意味が変化したきっかけは、同じビジュアルアーツ傘下のイージーオーから発売された「うちの妹のばあい」[2003年](以下、うちいもと略す)であろう。当時のイージーオーは知名度は低く大きなヒット作を出していなかったものの、シナリオ・CG・システムともに一定以上の品質を保持していたので、知る人にはある程度の評価をされていた。「うちいも」は発売前の公式ホームページによる宣伝に力を入れており、なおかつ当時は妹ものブームだったこともあって大きな評判となった。しかし、イージーオーは「寝取られ」のジャンルで知られるブランドでもあったので、古参のファンと何も知らない新参者との間で大きな議論を呼んだ。「イージーオーのことだから、また寝取られ描写があるのだろう」、「いや、公式情報によると妹との純愛にしか見えないので、寝取られはありえない」という具合であった。結論を言うとバッドエンドルートでヒロインの寝取られがある。それも、ご丁寧に攻略ヒロイン全員分にだ。今でこそある程度の市民権を得た「寝取られ」だが、当時はまだ理解できる人が少なかった。純愛を望んだ多くのユーザーにとっては意図せずに「寝取られ」を見せつけられる結果になったので、作品としては不評や反感の意見が飛び交うこととなった。しかし、「うちいも」が「地雷」と呼ばれることはあまりなかった。と言うのも、「うちいも」は前作の「雨やどり」を超えるボリュームのシナリオ・CG量があり、バグや不具合もなかったので「クソゲー」ではなかったからだ。シナリオの内容についても、分岐によってはハッピーエンドもあり、そちらでは「寝取られ」も無く概ね好評を得ていたので、作品全体は「地雷」ではないもののバッドエンドが「地雷」と評されたり、「鬱ゲー」と呼ばれるジャンルを好むユーザーからはむしろ高い評価を得たりもした。これが「地雷」の用語がクソゲーを踏むことから変化して、ジャンルやシチュエーションがユーザーの嗜好と不一致することに対して用いられてきた最初の例だと思われる。ちなみに、イージーオーは「うちいも」の賛否両論の騒動を受けて、公式ホームページで「純愛宣言」をすることとなった。内容としては、今後リリースするすべてのゲームで「寝取られ」描写をしないというユーザーに向けての宣言である。しかし、イージーオーは失った評判を取り戻すことができず、ブランドは解散することとなる。
次に「地雷」がキャラクターに対して用いられた例も述べる。エルフの「下級生2」[2004年]である。エルフは今でこそ解散してしまったものの、かつては老舗の有名ブランドであった。「東のエルフ、西のアリス」と呼ばれ、業界大手のアリスソフトに匹敵するほどの人気があった。エルフは「ドラゴンナイト」シリーズや「同級生」シリーズで知られるブランドで、エロゲーをやったことのない人でもタイトル名だけは知っていることだろう。昨年アニメ放送された「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」も原作はエルフにより発売されたエロゲーである。「下級生2」の発売当初はエルフの人気シリーズ続編ということもあって当然多くの期待と注目を浴びることになった。しかしながら、「下級生2」も「寝取られ」(正確には寝取り?)が原因で不評を買う結果になってしまった。メインヒロインの「柴門たまき」は主人公の幼馴染だがゲーム開始時点で医大生の彼氏持ちという、学園ものの恋愛アドベンチャーとしては斬新な設定であった。「たまき」を攻略することは、彼氏持ちの女が幼馴染の男(主人公)と二股デートをすることと同義でもある。そして攻略を進めると「たまき」は二股がバレて彼氏に捨てられることになる。その後もシナリオを進めると、主人公との情事を重ねる際に「たまき」は医大生と肉体関係を持っていたので非処女であると告白するのだ。そのうえ、「たまき」は情事の内容をいちいち元彼氏と比較をするのだ。ゲーム序盤では、「たまき」は主人公の幼馴染でクラスのマドンナ的な存在として描かれていたにもかかわらず、その本性は性悪ビッチ女だったという展開にピュアな童貞エロゲーマーの精神が耐えられるはずもなかった。激怒したエロゲーマーは、エルフのファンクラブを退会しゲームディスクを真っ二つに割った画像をアップした。これが「たまきん事件」の顛末である。「下級生2」が「地雷」と呼ばれたことはもちろんだが、それと同じくらいに「たまき」も「地雷」と評された。これがゲームではなくキャラクターに対して「地雷」が用いられた最初の事例かと思われる。
ちなみに、00年代中頃になると地雷ゲームの呼称はあまり使われなくなってゆく。その理由としては、体験版や公式ホームページによる情報公開が進み、発売前からある程度内容を推測できるようになってきたからだ。さらに、アリスソフトの「妻みぐい」[2002年](定価2,800円)を契機に廉価ゲームが流行って、エロゲーは一本8,800円という常識が崩れたこともある。それにより、新興ブランドがクオリティの不明なエロゲーを8,800円で発売することもなくなったので、エロゲーマーが地雷を踏むことも無くなった。次第に地雷ゲームの言葉は廃れていった。さりとて、クソゲーが消えたわけではない。クソゲー愛好家の間ではHYPERSPACE(通称:超空間)というブランドのエロゲーは有名だが、「地雷」ではなく明らかな「クソ」なので地雷ゲームと呼ばれることはなかった。
なぜ「地雷」の歴史を長々と述べたのかというと、冒頭に述べた増田にて、同人界隈で腐女子が地雷という言葉を用いることを知ったからだ。今でこそ「地雷」は「下級生2」の例で述べたように、キャラクターや人物に対して用いられるのが常である。実在人物においては、合コンの相手・交際相手・風俗嬢などに対して使うことが多いだろう。しかし、腐女子は同人作品の受け入れられないジャンルやカップリングなど嗜好の不一致という意味で用いているのだ。これは「うちいも」における地雷の用法と同じである。そうした観点からみると腐女子が用いる「地雷」はむしろ原点回帰と言えなくもない。そうした意見を述べてみようかと思った。しかしながら、エロゲーとは関係ない文脈で「地雷」を用いている場で長々とエロゲーの歴史を語っても尋常者は嫌悪するだけとなるので、ツリーに表示されないようにh抜きでURLを張ってこのように長々とした文章を描いた次第である。
私は「地雷」用法は本来の意味に立ち返るべきだと言及するつもりなど毛頭ない。ただ単に、インターネット黎明期の頃から続くネットスラングが用いられた当初の時代の雰囲気を主張したくなっただけである。かつてネットスラングはエロゲーマーをはじめとしたヘビーなインドア男が生み出すのが常だった。インターネットは、現在のようにWi-Fiで楽チン接続するのとは訳が違った。高額で場所の取るデスクトップPCを用意し、プロバイダー契約にも金を払い、様々な配線を床や壁に絡ませて、頻繁にフリーズするWindowsで面倒なインターネット接続設定をする。このような芸当は、注ぎ込める時間と金の全てを家の中で消費するヘビーなエロゲーマーにしかできないことだ。手間暇をかけて接続したインターネットの利用方法はもちろんエロゲー情報の収集である。だから、当時生まれたネットスラングが現実では全く使い道の無い言葉となるのも当然のことだった。逆に、現実の言葉がエロゲーマーにとっては違う意味を持つこともある。2007年に月探査衛星の「かぐや」が世間ではニュースになったが、当時Googleで「かぐや」と検索するとエロゲーブランドの「アトリエかぐや」が最上段に表示されるというありさまだった。今では到底信じられないことかもしれないが、もしも日本のインターネット文化を構成したのが引きこもりエロゲーマーばかりだったらというおぞましい現実が、インターネット黎明期に実存していたのだ。
もちろん私もヘビーなインドアエロゲーマーだ。しかし、エロゲーから離れてもう十年以上も経つ。エロゲーとはもはや無関係の私が、「地雷とは元々エロゲー業界で用いられてきた言葉で…」などと述べたところで、誰の代弁にもならない無意味な話にしかならない。GHQ最高司令官のダグラス・マッカーサーは「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と演説したが、その言葉を借りれば「エロゲーマーは死なず、ただ消え去るのみ」と言ったところであろうか。しかし、職業軍人とは違い私はただの一消費者に過ぎず、しかもその趣味を現実世界では誰にも公言できないので、演説どころかこのような匿名ブログでしか述べることができない次第だ。それに、こうして長文を書くこと以外に自身がエロゲーマーであったことの証明ができないので、もはや消えていたも同然だ。
エロゲーマーは死なず、とうの昔に消え去っていたのだ。
現状ではただの周辺施設を表示する。「おもしろ」は主観的なものなのでまぁ難しいだろうけど、「ここ」が指し示す現在地情報と「15km」という位置情報を理解して、地図上から読み取るのは可能。だけど、これをできないのは単純に言語理解できていないから、もっというと「そういうコマンドが用意されていないから」と思われる。
現状の動作は未確認(音声は保存されるので)。「同級生」を知るにはユーザーの同級生を知る必要がある、OCRとか画像認識技術も発達しているので、原理的にはアルバム画像でも登録させれば覚えられるでしょう。そういったユーザーの背景を把握しておいて、「同級生」という言葉がそれら情報と結びついて、かつ、AVでは名前が変わっているので、ちゃんと顔で照合して、それらしい答えを見つける必要がある。
2019年のAIスピーカーは言語を理解していないので、音声->テキスト変換後、その文が事前に用意しているコマンドに合致している確率みたいなのを統計処理して、一番それっぽいコマンドを実行、って感じの処理をしてると思う。事前にどれだけ多くの「コマンド」を用意できるのかがAIスピーカーの能力の限界だし、これは直感的に使いみちが限定されるってのはわかると思う。当然「ピカチュウの顔が竜雷太になっている画像作って」みたいな、世界初の命令には対処できない。(たまたまそういう画像がネット上に存在すればヒットするけど)
どちらも、再現性のあるチューリングテスト合格が出来るようにならん限りできないので、10-20年以上先になりそう。でもディープラーニングみたいな技術革新出てきたらもっと早く出来る可能性もある。
と言うほど詳しくないし記憶と捏造で語る系譜だと最初に断っておく。
萌え絵の直接の親はアニメ絵である。なぜなら、80年代から90年代初頭くらいにはマンガ絵のイラストレーターというのはそれ一本で食っていくのは無理な状況というか歴史的にまだそういう仕事が確立しておらず、ゲームも含めイラストの仕事をやっていたのはアニメーター経験者ばかりだからである。マンガ家がイラストレーターを兼業していたのは寡聞にして知らん。
で、エロゲーの系譜と言うとまた古いのだけれど、グラフィック性能がそれなりになってちゃんとしたマンガ絵が最初に採用されたのはおそらく92年の「同級生」だろう。これもイラストピンの仕事であるので、アニメーターである竹井正樹が担当した。
しかし、これが萌え絵であったのかと言われるとやや疑問が残る。おそらく、その絵は今の人が萌え絵と言われて連想する絵とはだいぶ趣が違うはずだ。この絵はアニメの美少女絵であって、決してギャルゲー特有の絵柄ではなかった。
では、ギャルゲー特有の絵柄である萌え絵がどこから始まったのか?個人的にはなかむらたけし、CARNELIAN、みつみ美里、甘露樹のあたりが影響として大きかったのではないかと思う。彼らの絵は大きな目が特徴で、どちらかというとすらっとした体つきであった。
そこから樋上いたる、mooなどの丸みのある優しい絵柄も現れ、これらがミックスされて萌え絵のパターン的な絵柄が出来上がったのだと思う。
いわゆる、大きな目、低めの頭身、立体感があり、影には彩度が低い色を選び境界がボケた塗り方をする00年代オタク絵の王道パターンだ。
また、この頃になるとアニメーターがマンガ絵のイラストを担当するのではなく、マンガ絵イラストレーターという仕事が確立してくる。そこに萌え絵が導入されていくのもこの頃のことである。
そこからのマンガ絵イラストの進化は非常に早い。10年代に入ってくると、影の色に補色を加えた塗り方が隆盛し、目の大きさも00年代と比べると小さくなってきた。また、根本的な画力が足りない人たちはどんどん淘汰されていった。
これらを萌え絵として数えるかどうかは人によって変わってくると思うが、今のCGイラストで萌え絵の影響を受けていないものは探す方が難しいだろう。
大げさな言い方をすると、萌え絵は今のマンガイラストのデファクトスタンダードになった。
それどころか海外にも羽ばたいていき、アメリカでも萌え絵の描き方的な本が売られるほどになっている。俺がChristopher Hartの本を手にとって驚いたのはもう5年以上前の話だ。中国、台湾、韓国のイラストレーターも非常にレベルが高い。
を聞くといつも「終末の過ごし方」だの「同級生」だの「sense off」だの
もっとぐっちゃぐちゃにエロくて下品で増田達の精子を奪いつくしたそんな抜きゲーのオススメを聞きたいんだ俺は
教えてくださいお願いします
朝起きたら思った以上に教えてもらっていたので追記
民間正義会社2→この手のゲーム性が強めのエロゲーやったことなかったのでやってみます!
3Dカスタム少女orCOM3D2→パソコンの容量と相談しながら入れていきます!
へんし~ん!!!~パンツになってクンクンペロペロ~→あたまが悪いエロゲーは傑作の法則
1~イチ~→タイトルで検索がアレで微妙にまだ辿りつけてないのでちゃんと調べます
あゆみちゃん物語→それたしかめちゃめちゃ古いやつでは?X68なんちゃらの
痕→Leaf…!
純真無垢、天真爛漫、というキャラ付は、「ギャルゲー」だと割と早く「痛いキャラ」化してる
キャラの差別化がエスカレートしていった結果、純真無垢さは「無知」「世間知らず」を経由して「世間離れ」と一体化した
たぶん忘れてるだろうが90年代後半は語尾に「りゅん」とかつけるキャラが流行った
いわゆる葉鍵は、ギャルゲーでエキセントリック語尾祭りが華々しく打ち上げられた後
売上的には徐々に落ち込んでいく時期に差しかかった頃に流行が本格化(発売自体はもっと前)
コンシューマーギャルゲーも食っていくのが難しくなり、複雑な好感度システムで人件費かかりそうな恋愛ゲームから
「シナリオだけ書いとけばとりあえず体裁がつく」システム互換で量産可能なノベルゲーの時代に
今の視点だとギャルゲープロトタイプみたいに言われがちな葉鍵だが
シナリオも、それまでの売れに売れてた有名エロゲーやギャルゲーのアレンジやパロディの位置づけになる
(「To Heart」は「同級生」の超廉価エコノミーなゲームシステムだし)
既存のエロゲーやギャルゲーのキャラを皮肉り、過剰な方向にエスカレートさせてキャラ造形してった
ONEの頃はアリスソフトのシナリオとあまり変わらなかったと言ったら信じてもらえるだろうか
「天真爛漫な痛いキャラが人気だというなら、本当に知恵おくれ、障害のあるのキャラにしちゃる」という、けっこう毒の多いシナリオだったのである
当時の鍵の賛否両論には、この「既存のギャルゲーの感動的なヒロインを毒のある方向に皮肉る」という内容に対する
「俺の感動したシナリオをバカにしやがって」との口に出せない反発もあったりする
事情が特殊なのは、鍵がそういうパロディ的な面を評価される(エロゲーのシナリオはパロディ成分が多いのは当たり前)以上に
「感動的で泣ける、本格的な恋愛シナリオ」として評価されてしまい、ジャンル客を超えて反応が広がったことだろうか
「言動が痛いヒロインは本当に精神に色々と問題がある」という手法はギャルゲーの本流に取り込まれ、当り前になった
ever17についていえば、KIDは元々はノベルではない恋愛ゲームで色々と作っていたのが売れなくなり
ノベルゲームという廉価な仕組みに乗りかえたという流れがあって
コンシューマーギャルゲーの痛いキャラとノベルゲーの痛いキャラの両方の系譜を拾ってる上に
メインシナリオライターの文章自体がしばしばエキセントリックなので、ユーザーの時代感覚や年齢とはあまり関係なく
普遍的に痛いと言って構わない
それだけ読解力がないと日常生活にも支障をきたすレベルかと思うが一応解説するぞ。
まず「書いてた」のが、超越的な三人称書き手による語りなのか、それとも登場人物に擬した一人称語りなのか、それによって違う。
おそらく後者と判断するが、前者の場合「事前定義」という言い方でもいいが、小説で多く用いられる後者の場合、一見定義に見える地の文は実は一人称語り手自身の心情描写だ。
芝居のト書きで「この人物は主人公の単なる同級生である」と書いてあるなら「事前定義」だが、お前の友達が会話中に特定の同級生のことを話題にして「まあ、ただの同級生なんだけどね」と言ったならそれは「事前定義」ではなく彼個人の心情の表現だ。分かるか?
さらにそれが「散々書いてた」という。この時点でもう気付きたい。
「ただの一同級生に過ぎない」というのが真なら、その同級生のことばかり何度も言及するのは不自然であり、明らかに矛盾する。ゆえに「ただの同級生」という発言は偽。
だが、一人称語り手が積極的に偽の情報を語るモチベーションがない(示されていない)。よって「自分で自分の感情に気付いていない」ことを表現していると推察できる。
自分で自分の感情を押し隠す理由としては、恐怖、嫌悪や羞恥など自分が負と感じる状態に陥ることから自分を守ろうとしてあえて正視するのを避けている感情があると推測できるだろ。
「同級生を見て」「急に動悸が」と書いてあるんだから、「走ってきたせいやろ」という理解がいかに不自然で読解力に欠けた読みか気付こう。走ってきたなら
・走った→動悸がした→見た
だろうが。だが、
・走った→見た→動悸がした
とわざわざ書いてあるんだから、間の可能性をすっ飛ばして「走った」と「動悸」を結びつけるのが無理ありすぎるだろ。先の言及状況と併せて考えてみても、素直に「同級生」が理由と考えるべきだろ。
なんというか、増田個人が青春恋愛状態と距離を置くのは勝手だが、「そうあってほしい」という自分勝手な願望で周囲のさまざまなフラグを片っ端からへし折って読むべき文脈を全部無視してるだけだろ? 一般に存在する青春やら恋愛やらの感情からいくら目を背けようとしても、一般に理解できて当然な文脈とか行動が読めない人間扱いされて、この先社会との距離が開く一方だぞ。もう少し他人の感情や行動原理に興味をもち寛容になった方がいい。つーかそれ自分が非コミュであることから発生する問題が現代文の問題によって露呈しただけだろ。それを現代文の問題にすり替えたところで問題は何一つ解決してないからな?
初めに断っておくがノンケだし、腐男子というわけでもない。二年付き合っている彼女もいる。
そして彼女のおかげでBLに対する理解もあるし、漫画版の同級生は続編である「空と原」「OB」合わせて読了している。
男なんて9割は楽譜読めねえし躓いた拍子にキスなんてあってたまるかと感じた。
ただ同性と付き合う上での問題、そして葛藤。そのあたりの表現がとても綺麗に描かれていた。
『真正のホモはお前だけで、相手は男子校にありがちなアレで近くに女ができたらお前は捨てられるのではないか』
と、主人公が問われるシーンがある。そしてこの問いから生まれる主人公の疑念。
このシーンは素直に感嘆した。
このような「同性と付き合っている」という前提へ目を向ける同性愛を描いた作品が女性向けBLであるとは思っていなかったからだ。
もちろん、同性愛を描いた大衆向けの作品にはこのようなテーゼはよくあるものだ。
ただ僕の持つ女性向けBLは「男同士がイチャついてセックスしておわり」というAV的なものだったからだ。決して大衆向けの作品ではない。
これに関しては男性向けも変わらない。ゆるゆり、きんもざ、ごちうさ、全部「女の子がいちゃついて仲良くしているだけ」なのだ。
これらの二次創作でも「同性と付き合っている」前提に疑問を向けた作品はなかなかない。あっても人気が出ない。
だからこそ新鮮だった。女性向けBLでこのような作品があるとは思っていなかった。
そしてその作品がここまで人気が出たことに驚いた。
なぜなら「BLはHシーンが基軸でないと売れない」という記事を読んだからだ。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1443021659
知恵遅れで申し訳ないが、元記事が見つからなかったので容赦して欲しい。
BLに造詣の深い方にとっては当たり前のことではあるが、BLはもはやセックスシーンがあることが前提にある(らしい)。
18禁指定があろうとなかろうとセックスシーンは当たり前のように存在する(彼女談)。 (男性向けでもtoLOVEるとかあるけど)
そんな中で「同級生」はセックスシーンが無い。(漫画版にはあるが非常に少ない)
ともかくセックスシーンが非常に少ないにも関わらず人気がでたBL。その面白さは伊達ではなかった。
是非見ることをおすすめする。
余談ではあるが、僕が初めて読んだBLが「同級生」だったため、『BLってなかなか面白いな!?』と勘違いし、ほかのBL本を彼女から借りた。
「恋愛(シミュレーション)ゲーム」では、たとえばElf「同級生」が、「同じ夏休みの1か月」を何度もプレイしながら女の子を攻略していく…というゲームだったので、手法としてはずっと以前からあったと言えますが、それをゲームシステムの「面白さ」として意図的に取り入れた先駆としては、C's wareの「Desire」(1994)(マルチ視点による物語手法)に一日の長があると思われます。
そして、Elfが「マルチ視点による物語」をゲームシステム(というか進行上の必然)として取り入れたのは、「ドラゴンナイト4」(1995)であり、それらの集大成が「Yu-no」(1996)であった…という流れではなかったかなあと思います。
物語手法としてのこのような複雑さや完成度は、当時の同人ゲームにはまだまだ望むべくもなかったように記憶します。当時の同人ゲーは、もっぱら紙芝居で、内容面(公序良俗関係)において大手にはできないようなギリギリの表現や内容を突くのが精いっぱいだったような。
三十路を過ぎてから焦ってお見合いパーティや出会い系SNSで恋活・婚活をしている。
お見合いパーティは一度に10~20人前後、SNSは登録者数百人~数千人以上と、確かに知り合いになり得る機会は転がっている。
しかし、かわいい上に教養レベルと趣味が合う子となると、なかなか見つからない。
年齢が行き過ぎていたり、見た目が恋愛対象にならない子を外していく。
若くてかわいくても、高卒無職なんて子もいて戸惑ったり、趣味に「ヨガ・カフェ巡り」とある子はいったい何を話していいのか分からない。
そんな自己選考をくぐり抜けた子が見つかったとしても、大抵ライバルの男が多く、激戦のためマッチングしない。
自分の今あるステータスを棚卸しして人気の子に必死にアピールするもなかなか振り向いてもらえず、空しさばかりが増長していく。
「お見合いパーティや出会い系SNSは出会いの効率がいい」なんてことを聞いたが、やっていくうちに本当に効率がいいのか疑問に思えてきたとき、
http://anond.hatelabo.jp/20140720013419
という記事を思い出した。
同じ大学という時点で教養レベルフィルターをくぐり抜け、さらに同じサークルとなると、同じ趣味条件で検索に引っかかってきたのに等しい。
同じサークルの人はどうも馬が合うと思っていたが、世の中いろんな人がいると思い知らされた今、よく考えてみれば当たり前のことで、恵まれた環境だった。
婚活市場でこういった子を見つけるのすら大変なのに、自動的に希望条件をくぐり抜けたたくさんの若い子が毎年入学してくる訳だ。
いったい当時の俺は何をやっていたのか。タイムマシンがあったらしかりつけたい。
一方、サークル内恋愛を行うにおいては、「活動との折り合い」や「サークル内の目」と戦う必要があり、独特な別の難しさがあるだろう。
当時の私もその葛藤に悩んでいたが、サークル内で次々とカップルが誕生し、いいなと思った子も他の男に取られていく中、
嫉妬もしていたのか、最終的に「俺はここにサークル活動をしに来ている訳であって、恋愛をしに来ている訳ではない(キリッ!)」と硬派を貫き通すことにし、
どんな醜男でも彼女ができているという異常な状態だったそのサークルから、最後まで彼女を作らずに卒業した。何人か、自分のことを好きだったっぽい後輩もスルーしてしまった。
数年後、そのうちのいくつかのカップルは既に結婚し、子どもも生まれ、幸せな家庭を築いている。
一方の俺は、状況に絶望を覚えながら帰宅後や休日にパーティスケジュールや女性プロフィールの検索に余念がない。
「活動」や「サークル内の目」は4年で終わる。気を遣うのが間違いだった。サークル内で生まれた愛のいくつかは、これからも一生続くのだろう。
お見合いパーティや出会い系SNSを利用して、さらに気づいたことがある。
たまたまいい人が見つかってマッチングしたとしても、そこからこまめに連絡を取って仲良くなっていくというのも大変な労力で、至難の業だということだ。
所詮は赤の他人同士に過ぎず弱い結びつきのため、気を抜くとあっという間に疎遠となってしまう。
反面、「同級生」「同じ学校」「同じサークル」という動かせない事実の、なんという結びつきの強さか。
何年も会わなくても、会ったときにはブランクを感じさせないほどすぐ意気投合し、盛り上がる。
婚活サービス利用疲れをしていたある日、街中のとある場所で働いているサークルの後輩と偶然再会した。
相手も自分のことを覚えてくれていた。仕事中だったため、卒業後何をしていたのだろうとあれやこれや話したいことをいったん飲み込み、すぐ別れた。
http://anond.hatelabo.jp/20110417024015
現代社会では刑期を終えた犯罪者の額に消えない印をつけたりしない。人は変化するもの、更生するものということになっているから。
今のKが昔のKとは別人になっていたとしても許せないもの?
実際のところは本人に会ってみてもわからないかもしれないけどね。
個人的には、刑期を終えた犯罪者が本当に反省しているように見えて、すべての言動がそれを裏付けているように見えるなら、実は心の奥底で舌を出していてもかまわないと思う。そのことが絶対に永久にばれないようにするならね。
ってなんか話がずれちゃってるけど、罪と罰、更生についてそんなことを考えてる。
晒してしまえという声が多くてびっくりなんだけど、今のKが昔のことをどう思っているかを確認してからがいいと思うよ。
Kがこの「同級生」のように謝りたいと言ってきたらどうだろうか。
(だからがまんしろとか無条件で許してやれとか、そういうことを言いたいわけではないです断じて)
許す、というのは、そのことはそのこととしてお互い認めつつ、関係を再度構築することではないかな。
(略)