はてなキーワード: cGとは
今月、突然アフガニスタンでの軍による民間人や捕虜虐殺の調査報告を発表したオーストラリア。
近年オーストラリアから香港、ウイグル問題や新型コロナについて苛烈な責めを受け、対立が深まっていた中国の報道官・趙立堅氏(インテリ眼鏡の人)は「俺たちのターン」とばかりにTwitterにてオーストラリア軍の虐殺を非難する声明を投稿した。
この投稿には、オーストラリア軍人がアフガニスタンの子供にナイフを突き立ててる様子を描いた画像が添付されていた。
この画像にオーストラリアのモリソン首相は「フェイク画像だ」と怒り、Twitter社に政府として削除要請しているという。
豪首相、中国外務省報道官の偽画像投稿巡り謝罪を要求 | Reuters
https://jp.reuters.com/article/australia-china-idJPKBN28A0E9
Lijian Zhao 赵立坚さんはTwitterを使っています
「Shocked by murder of Afghan civilians & prisoners by Australian soldiers. We strongly condemn such acts, &call for holding them accountable. https://t.co/GYOaucoL5D」 / Twitter
オーストラリアの兵士によるアフガニスタンの民間人と囚人の殺害にショックを受けた。私たちはそのような行為を強く非難し、それらに責任を負わせるよう呼びかけます。
コラかCGか分からないけど現実の写真とは違うことは丸わかりなので「フェイク画像」ではなく「風刺画像」ではないか。「子供は殺してないけど子供を殺してる絵だからフェイク」と言いたいのかな。まあはすみとしこの「風刺絵」だっていくら風刺目的でも問題ありありで風刺と受け取られることないしな(はすみとしこの「難民風刺絵」の問題と似ていると思ってる)
で、この画像を作ったのは、中国SNSウェイボーで活動している「乌合麒麟」というCG絵師で、「和平の師」という皮肉を込めたタイトルがつけられていた。
https://weibo.com/1566936885/JvgMubTWg?type=comment#_rnd1606719776846
このユーザーの画像をどっかで入手した報道官が、Twitterに投稿したらしい。
元投稿には画像に作者のアカウント名が入っていたのに、報道官のツイートの画像では消えてるのは何でだろうか。
「乌合麒麟」と彼のフォロワーは報道官のツイート、その後の豪首相の行動に興奮しているっぽい。
赵司威武!!抽他丫的!!给我破防!!![... 来自乌合麒麟 - 微博
https://weibo.com/1566936885/JwgDMh35J?type=comment#_rnd1606720312092
趙は凄い! 叩きのめしてやれ! 防御を破れ!
https://weibo.com/1566936885/Jwh3YyY4t?type=comment#_rnd1606720347874
モリソンは俺の絵に問題があるらしいな?
やっぱり豪州政府とモリソン首相は画像の「子供殺し」の部分についてフェイクだと言っていたみたいだ。
オーストラリア、「不快な」フェイク写真めぐり中国に謝罪要求 - BBCニュース
https://www.bbc.com/japanese/55127165
同国の公共放送オーストラリア放送協会(ABC)はこの画像について、オーストラリアのエリート兵がアフガニスタンで10代の子ども2人をナイフで殺害したという、立証されていないうわさに関連したものだと報じている。
ADFの調査の結果、このうわさを裏付ける証拠は見つかっていない。
しかし報告書では、違法な殺人が行われた「信用できる証拠」や特殊部隊に存在する「戦士文化」について指摘。下位の兵士らが「最初の殺し」として、非武装の民間人の殺害を強いられた例などが挙げられている。
豪州政府から削除要請受けていたTwitter社は、削除を拒否したそうです。
まあこれも当たり前で、仮に削除させようとするなら、これも前に例に挙げたはすみとしこの難民「風刺画」の時のように、「自分の作品がトレースされているから削除せよ」と著作権等で攻めるべきでしょう。問題の絵も豪州兵士の元ネタとか報道写真にありそうなので。
あと、この記事でも「事実に反する画像が使われており、本物の画像ではない」とあるけど、どの部分の何が「事実に反する」のか具体的に指摘せずに「本物の画像でない」とか書いてあって、誠実ではないよね
ウェイボーの作者のアカウント見たら、新作投稿してモリソン首相を煽ってた。
https://weibo.com/1566936885/JwulSerwN?type=comment#_rnd1606876273168
モリソンへ
ねーよw
https://ja.wikipedia.org/wiki/WETA%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB
学費メッチャ高いけどw
あとニュージーランドは医療費もバカ高いので国民でさえタイに旅行も兼ねて治療に行く
タイはまあピンキリではあるだろうけど日本より医療費は高くても日本よりまともで高度な医療が受けられることがある、らしい
歯科治療とか何周もかかる日本と違って短期集中でやってくれる、らしい
らしい、は伝聞
あとハリウッドだろうがどこだろうが、CGやコンポジット合成のスタッフなんかは当然作品単位の契約なんで、
だから、映画のCG制作を受託する企業に就職するとか、仲間を見つけてそういう会社を一緒に立ち上げるとか、会社にすることで、
映画だろうが、ゲームだろうが、スーパーのちらしだろうが、仕事をバンバン入れてかないとキツいと思う
YouTubeで無償でCGなどを駆使した高品質な短編映画を公開している人達がいるが、ああいうのも営業活動の一環だと思われる
日本で言えば、大手広告代理店やCM映画制作会社から声がかかるレベルならば食っていけるかもしれない
でもYouTubeのあの手の人達ってどう見ても金持ちのボンボンだよね
技術力はスゴいけど
打率は高め
会社にも入れるかもな
3位 転売
まあ、安定して稼げる
趣味かは知らんけどな
4位 ゲーム開発
だが、一つ作れば会社にも入れるかもね
一応経験者だけど、
5位 WEB制作
どうでもいいけどYouTubeでフロントエンドだけでイキってる動画がウザい
6位 なろう小説
当たるといいね
毎日書こう
7位 DTM
ニートが特技に上げがち
ん?
そんなことないぞ?
食っていけるほどの収入は難しいだろうけどあるぞ
これ書きながら、やっぱり普通に働くのが一番だと思うのでした
おわりー
まず、コンピュータゲームがほとんど巷に存在しない時代にPongが登場すれば、そりゃみんなゲームにワクワクしたはず
アメリカにアーケードゲーム筐体だってそのものがない時代なんだから
だからスティーブ・ウォズニアックだってApple IだのIIだのでPongの実装はやっていたはず
それもスティーブ・ジョブズは売りにしてたはずだ
Pongが動作すると、次はブロック崩し(Breakout)が作れる
プログラミングのコツの一つは他人のプログラムを改変することだ
Pongが動くなら、そこからドットやドットの塊をVRAMに描画することは可能だと気付くだろう
でも、単なる壁打ちや対戦ゲームだったPongのゲーム性を大きく変えることになる
日本のゲーム企業タイトーは、このブロック崩しをインベーダーゲームに「再々」発明した
これも実現可能であることは誰でも分かるが、ゲーム性を大きく変えることはある種の発明だと思う
ちなみに、孫正義はタイムマシン商法が得意で、このインベーダーゲームをアメリカに輸出し大儲けした
相変わらず、左から右、右から左に他人のものを移動して儲けるのが上手い(いや、本心から褒めてるんですよ
インベーダーゲームでは、ブロックは上から段々と降りてくることになる
また、ブロックが左右に動く、UFOは高速に動く、手前のバリケードがありドット単位で破壊される
プログラミングのコツの一つである、他人のコードを改造する、は本当に素晴らしい再発明を起こしてくれる
Pong → ブロック崩し → インベーダーゲーム → ギャラクシアン → ゼビウス → グラディウス → 斑鳩だの東方だの弾幕避けだの何だの
に繋がっていくわけだが、
この矢印での「パラダイムシフト」の段差が高いほど、ゲームに対するワクワク感が増すと自分は考える
つまり、ギャラクシアンのようなグラフィックからゼビウスが登場したときは、
安っぽい言葉で形容するなら一大センセーションというかエポックメイキングという感じだったわけだ
しかし、今の時代、2Dシューターにそんなにワクワクはあるだろうか?
というか、マニアでない奴が口を挟むな、と言うぐらいタコツボ化しているように思うのだが、
寧ろ、様式美とかお約束が守られてることがプレイヤーの安堵感につながる
2Dシューターができれば3Dシューターが作れるのも自明である
ただ、マシンのグラフィクスの能力が低かった時代にはリアルタイムでの3次元CGの実現が難しく、
アメリカではベクタースキャン、つまりオシロスコープやブラウン管テレビの走査線方式が主流だった時期もあったが、
アメリカではワイヤーフレームの3Dゲームが実現していた時代、日本はファミコンに向かっていた
自分にはハードウェアによるスプライトに固執し、束縛され過ぎているかのように今からすると思える
一方、ファミコンのスプライトの数はMSXと比べると段違いであったが、
ファミコンは2Dスプライトベースのゲームだけを前提としていた
つまり、ファミコンでブレゼンハムのアルゴリズムによる直線を引くとか困難だったのではないだろうか
自分はファミコンの開発はよく知らないのだが、ファミコン版のテグザーは酷すぎると思った
MSXの方がファミコンよりもトータルのグラフィック性能が劣るにも関わらず、
こうやってだらだら書き連ねてみると、
つくづくワクワクするのは何だってアーリーアダプターの段階であって、
そのあと結婚だって何だって倦怠期?ワクワクが減少する時期がやってくるのである
何もない状況にパラダイムシフトを起こす何かがやってくるとワクワクするのであるならば、
乳児はこの世界の何もかもにものすごくワクワクしていると思われる
乳児でなくなると、この世界の変化しないものは常識として脳に定着して、つまらないものにさえなる
でも、若ければまだまだ体験していないことはあるわけだ
若ければギャラクシアン → ゼビウスがどれだけスゴかったかなんて知らんし、俺も知らんw
でも、ギャラクシアンより先にゼビウス見た世代だけど、凄いなあとは思ったんだよな
だって、自分の場合はギャラクシアンを飛び越えてゼビウスだったんだから
逆にギャラクシアンの方を後から知って、古臭いゲームだなー、レトロだなーと思ったんだから
(ただ、ギャラクシアンの曲線的な軌道はゼビウスなんかより凄い発明に思うんだが。整数演算なんだよね?
ただ、レトロレトロとバカにする人はプログラマーでないとかなんだろうけど、
ゼロからコード書くって、何もないところから作ることを考えさせられるわけで、
それはゲームのプログラムを書くならば、ゲームの基本のPongから考えさせられることになる
例えば、ゲームプログラムを書くときSDLとかSFMLみたいなライブラリは使うかもしれないけど、
自分も何か新しいゲーム開発のライブラリとかフレームワークとか検証するときは、
から始めて、次に倉庫番、簡単なブロック崩し、テトリスを実装するとかやることにしている
そこで開発の大まかな進行とかフレームレートとか、色々分かってくるわけだ
ジョン・カーマックがどこで語ってたのか忘れたけど、最近のFPSは完全にMOD開発になっていて、
そのMOD開発の費用はどんどん膨らんでいっていると言ってた気がする
つまり、レベルエディットとかキャラクターだアイテムだとか、そういうコンテンツの緻密な開発だけが進んでいる気がする
GTAみたいなゲームもFPSとかで培った技術の集大成にすぎない
可視領域をどう区切るか?遠くの建物にLODを使うか?インポスターを使うか?とかそういったゲームエンジンの話は、
マシンパワーの向上やUnityなどのゲームエンジンの登場であまり議論する意味がなくなってきている感がある
もっとも、Unityなり導入すれば簡単に作れるという話ではないと思う
思うが、もうゼロからチマチマCのベクトル計算のコードを書く時代ではなくなっているのは確かだろう
カーマックはその高騰するMOD開発をマインクラフトは意図的に安価にしたと言ってた気がする
つまり、マインクラフトであれば子供でもゲームを改造する体験ができるようになる
それはマインクラフトの開発者であるnotchがそういうゲーム開発に対する思想を持っていたからだ
私はnotchはシンプルなものを積み上げるのが好きなように思っている
ただ、jsdo.itだかに投稿していたソフトウェアレンダリングのコードは北欧のメガデモっぽさがあって、
読もう読もうと思って未だに読んでいないことを今思い出した
文章書き直す気がないまま、だらだら書いてみたが、読み返して自己分析するに、
まず、ゲーム開発でなくてもそうだが、
まず何かがあって、それをコピー改造した何かが生まれる、この連続で物事は進化していく
手塚治虫があって、それを高橋留美子がコピー改造して新しい漫画が生まれ、
次に若い漫画は高橋留美子の漫画をコピー改造して、また新しいものが生まれていく
開発する側も消費者もワクワクするのは、この改造して新しい何かが生まれる、守破離の離のインパクトであろう
黎明期はその離のインパクトが大きいが、どんどんそのインパクトは小さくなっていく
そして、ありふれたものが溢れるようになっていく
これが成熟期と言える
しかし、その成熟期に溢れるものは様式美であり、お約束であり、マンネリズムである
あの時代は3DOが先行したがコケたり、ドリキャスも登場してコケたり、面白い時代だったのである
ただ、今の時代にああいう群雄割拠というか、戦国時代というか、そういう活気がゲーム業界にあるようには思えない
VR元年って毎年言ってない?というツッコミは分からんでもないが、まだまだVRは伸びると思う
物体を触れないなんてのはまだまだVR市場が伸びる余地があるということだと思っている
あと、FPSみたいに走るゲームだと自分も走るのか?ということになるけど、うーん、ルームランナー方式はなあ…
あと、これも自分は専門でも何でもないので、
というか、この文章自体がダニング=クルーガーなのは認めざるを得ないわけだけど、
敵というかNPCというか、今の時代だったら高度な汎用性のある人工知能をゲームでも実現するべきだと思うわけで、
そうすれば当然、同じセリフを延々と喋るドラクエの村人みたいなのは笑い話にしかならなくなる
ゲーム内に高度な人工知能が実現すれば、それらと会話したり、それらとマルチプレイと同様の感覚の連携プレイが可能になる
今までと同じことを繰り返しててもワクワクしないし、
Togetterで話題になってたシンゴジでもペパクラ開発者でも折り紙でも有名な三谷先生とか、
立体の伸び縮みする布をCGでどう表現するかって、まだまだ問題がないわけでもない分野ではないだろうか
MMDとかで風も吹いてないのに髪や布がビヨンビヨンしたり、足がスカートを突き抜けたり、
安易な拘束問題の解き方だったり、衝突判定が面倒だったりするわけで、
その辺は服関係のメーカーさんとかは色々な技術とかCADがあったりするんだろうけど
型紙はペパクラとはまた違ってくるし
でも、もうその辺の論文とかだいぶ前からあったし、もうどっかにそういうのあるんだろうなあ
タイトルの通りだ。私はミリオンライブが顧客として想定しているターゲット層から外れた。それを強く実感している。
新曲は刺さらないし、アニメ化は今更感しか感じなかったし、パチンコ化も結局ミリシタの流用かつ既存曲のみで起爆剤になりえないと感じる。ミリシタの展開の仕方にも魅力を感じられないし、これ以上触れていて楽しめないなと思わされることばかりだ。
ターゲット層から外れた要因は、ミリオンライブが年々弱くなっている点とそれ以上に単に私がコンテンツの顧客として必要とされていない、変化についていけなかったのが大きいだろう。
私は、2016年くらいからミリオンライブに触れていた。当時は高校生で課金などできず、グリマスはほぼやらなかった。今思えば無課金の範囲でもやっておけばと思うことがある。
その後、ミリシタが出て私も大学生になったことでライブに行けるようになった。CDは高校時代から少しづつ集めていたが、大学生になってから更に買うようになった。課金もバイト代の範囲でして、担当アイドルのイベントでも200位以内くらいまで走ったりもした。5th6thは(ライブビューイングも込で)参加できて本当に嬉しかった。
ミリオンライブが大好きだったので花ざかりWeekendでミリシタがバズって勢いが増したときはようやく報われた、これから更に楽しくなると思っていた。
私は(これは広く言われていることだが)ミリオンライブは楽曲とライブが高い評価を受けていたコンテンツだと思う。私自身ミリオンライブに惹き込まれた理由は楽曲にある。MTGも様々な方向性で楽曲が出て毎月楽しみだった。その後も更に強い曲が出て盛り上がるはずだと信じていた。
ミリオンライブというコンテンツ自体がここ数年停滞している、むしろ落ち目なことは明らかだろう。グリマス終了時の落ち目からミリシタ1周年辺りまでの伸びは中々目を見張るものがあったと思うし、実際ミリシタ1周年(実際は花ざかりあたりか)の頃はコンテンツの規模として最盛期だったと思う。当時はシンデレラガールズ程ではないにしても、勢いのあるコンテンツとしてこれからやっていけるのでは無いかと期待した。
その後ゆるやかに、そして確実に規模も勢いも落ちて行って1周年以降特に大きくハネたことはなかっただろう。MTGシリーズは出揃ってみると中々良かったシリーズだったと言えるが、現行のMTWシリーズには魅力を感じられずにいる。これが私がターゲット層から外れたということなわけではあるけど、しかし私の周囲も現在のミリオンライブの展開について満足している人はほとんどいない。元は私と同じようにミリオンライブを楽しんでいた人たちなので悲しい。
今年のライブが無くなったことも大きい。ここ数年ミリオンライブのライブは"新曲披露会"や"大規模リリイベ"などと揶揄されるほど新規楽曲の披露に枠を割いていた。1年分新曲披露がなされなければこれ以降ライブが再開されても、新曲ばかりの面白みのないものになってしまうのが残念だ。1年に1度大きなライブがあったことでつなぎ止めていたファン層がだいぶ流れたのではないかと思う。
クロノレキシカが悪いとは言わないが、これをミリオン版のアンティーカと言っているオタクを見た時は頭が痛くなった。それほど強くはないだろう。そもそもミリオンライブがある程度各々のソロにスポットを当てていただけに、ミリシタ以降のユニット推し(ユニット展開ばかりになった)自体にも疑問がある。MTGはともかくその後MTWでもユニット展開しかしないというのは、さすがに飽きが来るところもある。また、楽曲制作に色んな人を起用して新しい風を入れようとしているのは評価するが、完成物がそこまで強くない(個人的に刺さらない)。これは予想というか、ほぼ妄想の類だが、ミリオンライブの楽曲制作においてのディレクションの方向性自体が大きく変わったことが理由だと考えている。えいちPがいなくなって以降(MTW以降)、目立って私や周囲のオタクに楽曲が刺さらなくなったと感じている。ミリオンライブの楽曲に感じていた良さは変更前のスタッフによって生み出されたものだったのだなと勝手に考えている。本来の魅力だった楽曲の方向性が変わっていって、変化についていけなかった層はだんだんと気持ちが離れてしまったのだろう。
ただ、現状でも楽しんでいる層が一定数いることはTwitterを見ても分かるので、やはり私はミリオンライブのターゲット層から外れたのだなと結論づけている。実際もうCDを買っていないので文句を言う権利はあまり無いかもしれない(購買意欲が起きない曲を出すのが悪いとも思うが)
また、ミリシタ(グリマス時点からの場合すらある)初期からイベランを継続している層もいるし、それに関して私はよくもまあそこまでのやる気が続くものだと(これは皮肉や揶揄抜きに)心底感心してしまう。
彼らがいる限りはコンテンツとしてまだやっていけるのだろう。
2年近くモチベが低いままミリオンライブに触れ続けてきてしまったが、現在放送中のアイドルアニメに気持ちを切り替えて思い切りがついた。これからミリオンライブは私にとって昔好きだったコンテンツとして思い出に変わっていくのだろう。
今は放送中のアイドルコンテンツを楽しんでいる。かつてのミリオンライブと同じくソロ展開が中心で、各話丁寧にキャラクターが描かれていて素晴らしいと感じた。最初は「ミリオンライブで見たかったものが全部そこにあった」なんて冗談めかして言っていたが実際そうだった。
ミリオンライブにとって顧客になりえない私はそろそろ袂を分かち、別のコンテンツに行くべきなのだろう。お互いのためにも。
最後に、パチンコになることでコンテンツとしてもう一度勢いを取り戻すことを期待していたのだが、今回の新情報によってもう期待が持てなくなった。
私自身、パチンコでもなんでも新展開によってもう一度好きになりたいと思っていたが新曲が無いと言うならもう訴求する部分はないだろう。
アニメ化にも期待していたが本当にタイミングが遅い。今更感しか感じられなかった。(おそらく)フルCGであるというのも反応に困る。フルCGが絶対に嫌とは言わないが、フルCGの方がいい!とはならないだろう。アイドルコンテンツであるから余計にアニメにおいては手描きで可愛いアニメが見たかった。これは単に残念だなと思っていることだ。
私みたいなオタクが一応ミリオンライブのことを気にかけつつももうほとんど距離を置いている現実があるのは確かだ。この層を失うことがコンテンツとしての損失かどうかは知らないが、新規ユーザーも増えない中昔からの層がだんだん消えていくのはコンテンツとして大丈夫なのだろうか…。
ともかく、ミリオンライブには数年間本当に楽しませてもらいました。大好きでした。
私が今のミリオンライブに向いていなかったということが分かった、それだけの話でした。
久しぶりに実写洋画見た。
海外の役者が棒に見えたことないんだけど、それは俺が言語を理解できてないからだと思うんだよね。
つまらないわけじゃない
意識高い系の精神世界的描画とか展開と、画面ぐっちゃぐちゃがあいまって、すげー読みづらいんだ
西島大介並にしろとはいわんが、もっとあっさりした絵柄だったらもっとサクサクよめるのにな
目を凝らさないといけないくらいどっぷり集中して世界にはまるのすら作者の狙いなら大当たりだけど
まああっさりしたらドロヘドロじゃなくなるってのもわかるからビミョーなとこではある
今17巻読んでるけど驚くほど話の進みが遅いし
動きもわかりにくいときがあるからアニメ向きだったのかなCGだけど
アニメみてないんだよな
独特のギャグセンスとかは好きだし女もかわいいから好きなんだけど
フレンチ・カンカン、というかラインダンスとの出会いは、おそらくは文明堂のCMだ。それから「ドレミファソネットどしたらできるの」で有名なso-netのCMだ。なぜかこのCMではおじさんの脚線美を見ることになるのだがそれはさておいて、Youtubeで検索すると今でも天国と地獄に合わせて踊る動画を確認できる。
本題に移ろう。Can-can dressについてはウィキペディアではおおよそこのように述べている。ドレスは基本的に何層にもなった大量のフリルがついていて、当時の下着の上に縫い付けられていた。脚は黒いストッキングや網タイツで覆われていた。つまり、レオタード姿のソネットのCMはフレンチ・カンカンではないのである。足の動きの速さからしてまるで違う。
衣装ではなく、カンカンダンスそのものについては、日本語版のウィキペディアと英語版のウィキペディアで書いてあることが若干違う。おそらく英語から訳したときの版が違うのだろう。
両者の記述を比べてみたが、フレンチ・カンカンにおける見せパンの起源はかなり曖昧らしい。足を思い切り上げてスカートの中が見えてしまう動きは、ショーの場では1820年代にアクロバット的な動きで知られるCharles Mazurierがバレエの大開脚を取り入れたことにさかのぼるようである。初期のダンサーは娼婦やセミプロの役者だけであったのだが、1890年代になるとムーラン・ルージュではトゥールーズ・ロートレックの絵で知られるLa Goulue(食いしん坊さん、的な意味)やJane Avrilなどの高給を取るスターが生まれた。La Goulueのページでは当時の衣装とセットの見せパンが確認できる。これらのスターの生活は華やかだが晩年は不遇であることもあった。この二人もビジネスの失敗や大恐慌で財産を失い、寂しく亡くなっている。
さて、カンカンは足を高く蹴り上げるので、当然スカートの中身が丸見えになる。しかも、それや当時としてはよりスキャンダラスであった。というのも、当時の下着であるpantalettesは衛生上の理由からクロッチ部分が開いていたからである。要するに性器が丸出しになるわけである。もっとも。そのあとにこんな記述がある。カンカンのための特別な下着を用いていたという記録はないが、ムーラン・ルージュでは下着の露出は禁じられていたことになっていた、と。どうもこのあたりの記録は曖昧というか[要出典]をつけたくなる箇所が多い。ウィキペディアは普段は自然科学の記事を読むことが多いが、そこよりも曖昧な記述が多い印象だ。文体もなんだか違う。
ところで、今のフレンチ・カンカンとして知られる、大人数の女性が10分以上高度な振り付けを続けるスタイルは、1920年代にアメリカで人気が出たスタイルを逆輸入したものでそうである。
実際、19世紀末からに20世紀初頭にかけては女性の脚部を見せるということでかなりスキャンダラスなものとしてみられていた。また、陰部を覆う白い生理用(?)下着と黒いストッキングの対照もエロティックだとして見られていた。さらに、体を折り曲げてスカートを後ろからまくり上げ尻を見せる動作もあったという。先述のLa Goulueはこの芸で知られていたとのこと。また、前の席の客の帽子を蹴り飛ばすほど近づいて、スカートの中身を見せることもあった。もっとも、顔を思い切り蹴られる危険もあったのだが。
結論から言うと、当時のフランスに見せパンそのものであったかどうかはわからないが、パンツが見えることは覚悟の上だった、ということになりそうだ。女性器が見えていたかどうかまでは根拠が怪しい。もっとも、今ほど表現が自由でなかった当時のこと、そんなことを文学や絵画で記録に残せたかどうかは怪しいものだ。ちなみに女性器を堂々と描いて当時の偽善的風潮に反発したクールベの「世界の起源」が1868年、ヌードでスキャンダルを生んだ「草上の昼食」が1863年である。
パリにはいくつも有名なキャバレーがあり、それは近現代の芸術や芸能に多大な影響を与えてきた。たとえば、ムーラン・ルージュで活躍した人物としてFrank SinatraやCharles Aznavourがいる。それらのすべてをここで述べるのは大変なので、地球の歩き方に広告が載っていたと記憶しているものをピックアップして簡単に述べる。子どもの頃、トップレスの女性が旅行ガイドに載っているのを見てドキドキしていたものだ。もっとも、その女性の姿はせいぜい五ミリくらいの大きさしかなかったのだけれども。
学生時代にパリを訪れたときには、そこには寄らなかった。一日中美術館で過ごしてぐったりしていたし、まだ女性経験がなくて図々しくなれなかったからだ。今となってはいい思い出である。
赤い風車で名高いキャバレーで、ここを舞台にした映画は数知れず。トゥールーズ・ロートレックの作品群でも有名。著名なダンサーも多く、全員を紹介するのはとても無理だし、別のキャバレーにも出演していて、キャバレー別に紹介するとややこしくなるので端折る。
ところで、ウィキペディアだけからはヌードがどの程度ショーに盛り込まれていたかはわからないが、1893年の舞踏会に裸の女性がいたことがスキャンダルになったそうである。なんでもヌードモデルが活人画として周囲を歩き回り、裸の女性が深夜にテーブルに立っていたとのこと。一方、英国の劇場のように活人画、すなわち生きた人間で絵画を再現する目的としてならヌードは猥褻ではない、という意識もあったようである。例えば英国では劇場にヌードが現れたとき、当局が1930年代に裸の女性が動くことを禁じた。この禁令をかいくぐるために、モデルたちは活人画のように止まったままとなった(ストリップの記事を参照)。また、戦後日本でも「額縁ショー」と呼ばれるストリップのさきがけのようなものがあった。動かなければ猥褻ではないという謎理論がまかり通っていたのである。当時のGHQが何を意図していたのかはよくわからない。
これまたよくわからないのがゾラの1880年の小説「ナナ」では、ヒロインがヴェリエテ劇場でほぼ全裸を披露して観客を魅了するという場面があるのだが、実際のところどうだったのだろう? 本記事はカンカンについてなので劇場のヌードについては語りつくせないので、今後の課題としておきたい。
1889年開業、1915年に一度焼失するも再興し、ドイツ占領時代にも営業を続けて今に至る。
モネの絵画、「フォリー・ベルジェールのバー」の舞台としても知られる。また、黒人系の女性Josephine Bakerが活躍したキャバレーとしても知られる。バナナ型のスカート以外はほとんど身に着けていないエキゾチックな姿がオリエンタリズムの流行した当時ヒットしたのだが、後にその恰好が人種差別的だとされるようになり、そこからネグリチュード、黒人意識の発展にも寄与した。また、彼女は黒人の人権活動家としても知られている。最近、グーグルが彼女の生涯を記念するドゥードゥルをトップにした。
1869年に開業、1872年に今の名前になる。けばけばしい衣装で知られ、時としてヌードも披露されることで知られる。
映画「ファイアbyルブタン」で有名。セミヌードを含む映画の公式予告がyoutubeに上がっている。身体をやわらかな特殊素材のように扱ったショーは性欲やエロスの向こう側に行ってしまっており、すごいものになっているとしか言えない。リンクを貼ったら怒られそうなので検索してください。もちろん、そこまで独特なものではなく、もっとわかりやすいショーもある。
ユニークなのはそのショーの一部をyoutubeの公式チャンネルで公開していることだろう。かなり古い白黒のものまである。それと、公式ホームページ見ていたら驚いたのだけれども、リド自体には12歳以下の子どもでも入場できるそうである。ヌードやトップレスがないショーならOKなのか、それとも芸術のヌードならOKなのか。フランス映画、年齢制限がないやつでも割と普通におっぱい出てくるし、表現規制の国ごとの温度差を示す実例であるのかもしれない。
1946年開業。1920年代の人工的な砂浜をその前身とする。
「ストリップティーズ」の項目によれば1960年代に全裸のショーが行われた、とある。
現に、創業者であるアラン・ベルナルダンは芸術性を伴った女性のヌードショーを見せるという着想に至ったそうで、要するに最初から全裸である。
とはいえ、ただの全裸ではなく、巧みな照明技術により女性の裸体をキャンバスのようにとらえ、万華鏡のようなカラフルかつシャープな模様をダンサーの肌に映し出していることに特徴がある。ただ脱いだだけではないそうだ。1951年開業。
天国と地獄の曲を初めて聞いたのは文明堂のCMと、音楽ファンタジーゆめでだ。後者はCGの黎明期であったせいかサイケデリックな表現が多く、当時の感覚としても幾分薄気味悪いと同時に、今から振り返ってみると技術の未熟さ(失礼!)から来るアルカイック芸術のような独特の魅力があったように思われる。
ところで、この曲は地獄のオルフェとしても知られている。タイトルからすると、ギリシア神話のオルフェウスが死んだ妻を冥界から取り戻そうするとする話のはずだ。なのに、なんでこんな軽快な曲なのだろうと思って調べたら、ギリシア神話のパロディ的なオペレッタだからだそうだ。なるほど。
こうしたレオタード姿のラインダンスはカンカンではないと述べたが、それではこれはいつからあるのか調べたい。おそらく日本国内では宝塚歌劇団と関係している。また、バーレスク的なものとの関連について知りたく思う。そもそもバーレスクとは何か、僕はよくわかっていない。日本語版のウィキペディアのバーレスクの記事には、乳首と陰部に前貼りを貼っただけの姿でパフォーマンスをする女性の写真がある。リンクは張らないが、鍛えられたきれいな体だなあ、僕も筋トレ頑張らなきゃなあ、とは思う。しかし、欲望はそこまで感じなかった。隙がないのである。
2020年11月4日、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)の姉妹板、BBS PINKの人気カテゴリだった半角文字列板、半角二次元板、半角かな板、アイドル画像板、スポーツ画像板が閉鎖した。事前告知のない突然の閉鎖だった。
半角文字列板は、エロ画像やエロサイトのURLの情報を交換するための板だった。https://phoebe.bbspink.com/ascii/
半角二次元板は、半角文字列の二次元版で、アニメや漫画のエロ画像の話を扱う板。https://mercury.bbspink.com/ascii2d/
半角かな板は、アクセス分散のために派生した板である。https://phoebe.bbspink.com/ascii2kana/
アイドル画像板は、アイドルのグラビア画像を扱う板として誕生したが、今ではグラドルの情報交換スレとしてアクセスを集めていた。https://mercury.bbspink.com/girls/
スポーツ画像板は、スポーツ選手のエロ画像の話を扱う板。https://mercury.bbspink.com/sportgirls/
5つの板はすべて、画像の情報交換の目的で生まれた板である。どの板もTwitter全盛期の今でも新スレは立ち続けレスのやり取りは活発だった。
BBS PINKの管理者は、このタイミングでの閉鎖の理由をこう説明している。
81 名前:Ace ★[] 投稿日:2020/11/04(水) 14:29:01.76 ID:CAP_USER [9/16]
理由はですね、改正著作権法でリーチサイトの規制が厳しくなったのと、
まぁ、これだけエロ情報も豊富な状況なので、使命を終えた部分もあると思います。
83 名前:Ace ★[] 投稿日:2020/11/04(水) 14:31:19.09 ID:CAP_USER [10/16]
90 名前:Ace ★[] 投稿日:2020/11/04(水) 14:37:40.99 ID:CAP_USER [11/16]
その線引きが明確に出来ない限り、チキンレースはしたくないですね
pink秘密基地 質問・雑談スレッド28 [無断転載禁止]©bbspink.com
https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/erobbs/1595816212/
・画像をURLで交換するという形態がリーチサイト規制に引っかかるから
閉鎖の理由はこの3点だと言う。
創作を楽しむというのは理想や空想や思想をダイレクトに反映できる、人間だけに許された高度な知的遊戯だから、そんなふうに悪く受け取るのはもったいないよ。そして創作である以上、現実世界の物理的な制約にとらわれてしまう実写よりも、アニメやCGなどの手法を駆使した方が興味深い映像を作れるんだよ。清らかさの表現というのもその一種。3次元でリアルタッチで現実を描くとどうしても世知辛いものが滲んでしまうところが、2次元ならいい子ばかりの優しい世界を違和感なく表現することができる。二次元の愛好家は、必ずしも三次元の人間を嫌ったり醜いとか感じてるわけじゃないし、自分が醜いから二次元に逃げてるわけじゃない。実際俺も容姿はそんなに悪くないと思ってるしな。
もちろん年齢を重ねるのは素敵なことであり悪いことなどではない
とエイジズムへの配慮をしておいて、ああいう絵への拒否感そのものが老いたことの表れでしかないのは確かのように見える、
自分はいま30代入りたてくらいで、オタクなのだが、それでも拒否感を感じる人側の感覚のほうが分かる。
オタク的には好ましい絵だが広告には使うもんじゃねー。というかこれ女性向け商品の販促にはならんだろ、って感じ。
おそらくこの感覚の通じる最後の世代が自分たちなのだなという事が肌感覚としてある。
女のマンガ好きって岡崎京子とか矢沢あいとか、ああいうペッタリ平面、肉体を抑えたような絵が好きな生物で、封神演義とか好きな女は教室の端でおとなしくしててね、みたいなあの感じ。
この感覚そのものが90年代という古代の記憶で、それ以降の世代にあんまり通じない。
それ以降の世代は、骨格や筋肉をしっかりとらえつつ誇張も効いて、質感の表現にも長けた萌え絵こそ、自分たちが努力して模写とかクロッキーを繰り返して獲得した表現だ。みたいな意識がいっきに濃くなる。
でもああいう萌え記号のルーツはポルノで公共にふさわしくないだろ、そうした後ろめたさも自分の世代まではギリギリ共有してる。
萌え絵は、パソコンをダイアルアップでつないでガリガリやってたあの頃、当時アニメ業界とかですら萌えをうっすら下にみてる状態で
テキストウィンドウと少ない背景と立ち絵とエロCGだけのゲームの開発と、それを根性で3Dに造形してえっちなガレージキットとか作ってるような、特にキッショいオタク達の努力で発達していた。
その急激な進化具合を、オタクの兄ちゃん達すげーなーと鼻をたらして眺めてたのがだいたい自分たちの世代だ。
でも今のもっと若いオタクにそれをいっても、お前は奴隷の妾の腹からうまれた卑しいガキ共の血をひいた子供だ、という指摘くらい遠いもので
どっちの言い分も分かるなぁ、というこの感覚ですら、いま30のオタクの感覚なので
それより上の人たちからしたらもう信じられないほど破廉恥な事態なのだろう。
不買運動でもして実際に売上が激減とかしたらもとに戻るだろうし、いまは老人のほうが数も多いし、まだ老人側にも勝ち目はあるんじゃない?
バーチャル・リアリティの略称である。「仮想現実」と訳される。
英語のVirtualとは「事実上の」「実質的に」という意味なので、
つまり「本物みたいな感覚をいろいろ再現したらそらもうほとんど現実やろがい!」ということである。
現在のところ、コンピュータ・グラフィックスで仮想空間を作り上げて、
Oculus QuestやHTC VIVEといった魚眼レンズ付きHMDを被り、
オーグメンテッド・リアリティの略称である。「拡張現実」と訳される。
「現実に仮想空間を持ち込めば便利になるやんけ!」という感じである。
現在のところは、スマートフォンのカメラや、眼鏡型の透過スクリーンを用いて、
現実世界にコンピュータ・グラフィックスを重ねる方式が主流である。
たとえばCGで作った動物が現実の道路を走り回るように見せるとか、
自分の部屋に家具データを配置して大きさを確認する、といったことが当てはまる。
対となるのはAV。
オーグメンテッド・ヴァーチャリティの略称で、「拡張仮想」と訳される。
ARの逆なので「ほなら仮想空間に現実を持ち込んだらどうなるんや?」ということである。
現実の物体をセンサーでスキャンして3Dモデル化して仮想空間に表示するとかである。
MRとはつまり「現実と仮想現実をシームレスにつなげること」である。
「現実」、現実に仮想現実を混ぜた「拡張現実」、仮想現実に現実を混ぜた「拡張仮想」、「仮想現実」。
そういうのをわざわざ区別したりせずに一括で取り扱っていこうぜ!ということである。
MRは「ARやAVを組み合わせてシームレスにいろいろやる」という総合的な技術のことだが、
XRは「VRとかARとかMRとかSRとか『なんとかリアリティ』がたくさんあるからまとめてXRと呼ぼう」というだけである。
自分も少し書いてみたい。先に書くが身体に悪いもの使ってるとかは一切書かない。面倒だし少なくともウチの会社もコンビニも法律は守っている。
コンビニの弁当はチルドじゃない限りお客様が透明なパッケージを見て商品を買う訳だが、つまりコチラは『如何にしてコスパがよくて美味しそうに見せる』事に全力を注がないといけない。CMや外箱がある場合は楽だ。あらゆる手法を使って消費者を騙せばいい。しかし現物はCGもワックスもドライアイスも塗料もライトも使えない。真剣勝負だ。
作ってる側が言うのもなんですが、見分け付かないですよ。あんなに透明な部分多いからお客様は納得して買ったつもりになっちゃうよね。で見えないとこにカラクリがある。そりゃ怒ると思います。でもコンビニとかから来るデータ見ても不思議と影響無いんです。そうなるとコンビニもウチも「もっとイケんじゃね?」と思って、女性でも食べやすくなったり、片手で持ちやすくなったりします。パンとか専門外ですがえげつないですよね。切れ目浅くしてハミ出させるんだから。あれ、文句言っても「パンも合わせての商品」言うからね。アンコ少なくても外の皮があれば鯛焼きだと。自分は無理です。
勤めているからどうしても贔屓してしまいますが、やはり中身を見せてないとこの方が悪質だと思いますよ?確かに誤認させてますがお客様自身で吟味して買っているんだから。箱入りで騙すのは酷い。少ない情報で判断させて中身ショボいとかやっちゃ駄目。コンビニのチルドやPBのレトルトとか酷い容量のばっかじゃないですか。いくら美味しくても限度がある。あと駅弁。弁当業界の帝王。駅弁だから仕方ないの謎理論で許されていますが、サイレント値上げと上げ底と見本詐欺をコンビニ以上にやりまくってます。こっちから言わせてもらうと改善すべきは駅弁でしょ。大してこっちとルールも変わらないのに既得権益で守られててさ。正直、駅弁迷って買うなら駅前のコンビニで弁当と酒買った方が満足度は高いと思います。