はてなキーワード: 私大とは
就職氷河期を経てリーマンショックの後、30歳未経験でSI業界に入って7年。
文系私大卒だったからか英語読めるだろという理由でCOBOLerとして送り込まれ、
都内某所で数十年前からあるシステムのエンハンスを主とする仕事をしている。
システムの性格的に多分あと四半世紀は関わることになるだろう。
前述の理由から仕事に特に思いはなく、食っていけるだけでありがたいものだと感じている。
75歳位までほそぼそと糧を得れればそれに越したことはない。
そんな意識の低いCOBOLおじさんなので、ホッテントリに上がってくる技術情報達を別の世界の事のように眺めている。
時流に乗った新しい知識や技術を身に着けて、仕事に活かしたいとも考えるが、
COBOLと組み合わせると言うような情報はネット上には少なく、
さて何をしたものかと少し悩んでいたりする。
地方創生とか、都会と地方の学歴格差とか、地方の高齢化…とか言うなら、
各都道府県に満遍なく、偏差値60程度の大学を作ってください。
そしてそのまま戻ってこない。
私の地元でいちばんいい大学で、偏差値52~54程度の国立大学。(医学部の続)
高校を卒業してから地元で学びたくても、偏差値60を超えるような大学がなく
卒業後に戻ってきてもせいぜい1~2割程度。
そこに予算費やすなら初めから若者が流出しないようにしましょうよ?
東大に行くくらい優秀なオーバースペックな人材に戻ってきてくれと言う話ではなくて、
一度都会に出た方が経験がつめるとかそういうのはさておき、
そこそこ、そつなくできる層だけど、地元にいることを望んでるという人まで、
地元で自分のレベルにあうところがなくて、進学で県外に行かざるを得ず、
都会と往復しながらの学業と就活の両立しにくさで、結果、都会に就職…
と言うケースになったのを、
必死に取り戻そうとしたって、時すでに遅しでしょうよ?
立派な白い墓標(おっきい美術館とか図書館)とか作るお金があるなら、
優秀な若者の居場所である、まともな大学作ってくださいよ!!!
偏差値52以下の人しかいないとわかってる地元にわざわざ帰って
できない人たちと一緒に仕事をしなきゃいけないと思うのもげんなりするので
帰りたいと思えません!!
以上!
私は35の主婦で、平均よりやや下くらいのIQで、平均的に老いていると思う。学生時代はド文系で数学と理科はとことん苦手で、一応最後までネバって勉強はしたがダメで私大に逃げたレベル。
最近、時間ができたのでパートタイムで塾の先生をすることになった。それで、なんとなく数学の青チャートを見ているときに、異変が起こった。なぜかはわからないが、私にはそこに載っている問題が新聞に載っているクロスワードパズル(常識で解けるやつ)のようにおもえた。数学はとてもじゃないが各種定理、定石、その他モロもろなんてあやふやでちっとも頭に入ってなかったくせに、なぜか私はそういったものをすでに完璧に知っていて、本当に惰性でクロスワードパズルをとくように、簡単に問題を解き導くことができた。たまたま易しい問題だったのかと思い、他にも十文くらい、章末問題を中心に見てみたが、やはり簡単に解けた。おかしい。青チャートなんて手が出なかったはずだ。たまたま易しい問題ばかり選んだか、青チャートが編集されてレベルが下がったのか?そう思い、私は塾の本棚から東大の赤本を取り出し見てみた。さすがに青チャートのようにはいかず、やはりなと思いながら、問題文からどういったことが起こっているのかを、こうなっているのか、と確認していくと(確認できていること自体前の私ではありえないことだった)いつの間にか私は時間も忘れて没頭していて、本当に信じられないのだが、運良く解答を導くことができた。
それからいろいろ自分を実験してみて、なぜか数学の能力が桁違いにアップしていることに気づいた。高校数学程度はなぜか生まれる前から知っているような気がするし、大学数学も解説を聴けば理解できる。明らかな異変だ。
夫の趣味に影響されて模型趣味をはじめたとき、空間を捕える作業がからきし苦手だったのに、何故かすごく得意になったなあとは思っていたが、何か夢でも見ているようで怖い。怖くなって脳腫瘍でもできていないかと心配になって診断予約を入れた。18歳当時から今まで頭を打ったことはない。転機といえば出産くらいだ。大げさすぎるのかもしれないが、本当に怯えている
現在私大の4年生。無事大手に就職が決まり、残すは卒業だが結構単位が残っている。
大学4年間のなかで得てきたものが特にこれといってない。サークルは1年の時に入ったけど2年の途中にはフェードアウト。
ゼミにも入らず、大学の授業も真面目に受けていなかったせいで何を学んだのかを説明することもできない。
2年続けたフィットネスのアルバイトだけが楽しい思い出となっている。
ただこの4年間で身につけたスキルがない。
せっかく4年間一人暮らしをさせてもらって不自由なく暮らしていて、親には迷惑がかかっているのに。
この4年間は楽しいこともあったけど今持っているものって就職以外何もない。
自分の中途半端な向上心と怠惰な性格のせいでなにか頑張ろうって思っても結局長く続かない。
自分がだめだなってすごく思う。
世の中の学生ってこんなもんなんだろうか。
本当は頑張って何か達成するのが良いんだろうけど、この気持ちから楽になれる考え方ってなにかないですか?
教えてくださいインターネットの皆さん。
個人の雑感に反応していただいてありがとうございます。
拝見していていくつか気になった事を。
>高校の少人数化について
正直なところ、教員からしてみても高校の授業内容は万人に必要なものではありません。
むしろ、中学レベルのことがしっかりできていれば社会に出ても困らないと思います。
しかし、現状では中学レベルのこともままならないまま高校に進学し、
高校の内容などとてもついていけないという状況が、下位校といわず中堅校でもままあります。
個人的には中学に留年制度を設けて、中卒認定統一試験を設ける方が
学力向上には効果的だと思っており、高校や大学の進学率も今の半分でいいと思います。
そうすれば、高校と大学はおのずと淘汰され、そこに投下される予算が
高校の少人数化や高等教育無償化などに回すことができるでしょう。
また、中卒で働くことが一般化すれば、労働力不足の解消にも寄与すると思います。
ただ、そうなっていくと、戦前の旧制高校のような超エリート養成コースと
義務教育修了コースの間で格差が生じるので、その点、給与体系などに一考の余地があります。
もちろん、生徒たちにとっては最大の行事ですが、
昨今はホテルの予約合戦も熾烈で、生徒の入学時には動き出さないと間に合いません。
業者に見積もりをとり、行程を精査し、事前学習の準備だけでも重い負担です。
また、現地に行くにも教員の集合時間は早いので自腹で駅や空港に前泊することもあります。
いざ現地に行けば、生徒の体調不良や負傷、他校や現地の方とのトラブルに神経をすり減らします。
現地で他校の先生方を見ると大変苦労されているご様子です。
また、以前は夜の飲酒くらいは認められていたようですが、昨今は深夜の体調不良対応などもあり、
飲酒も禁止です。24時間体制での勤務が4日、5日続いて本当に辛いです(苦笑
昔の感覚ですと楽そうな仕事ですが、昨今は一般企業の出張よりも厳しいでしょう。
休日の出勤には手当が出ることもありますが、1日勤務して2~3000円程度です。
以前、私よりも給与の高い管理職が冗談半分で時給換算したら1カ月平均が時給300円ということもありました(苦笑
>授業の動画化
これは簡単なことではありません。
最難関校から指導困難校まで同じ教科書を使っていても指導内容はまったく異なります。
また、同じ学校の中でも習熟度が必要なくらい授業内容は異なってきます。
そうなると、授業動画は10段階や20段階の世界では無く相当細分化して制作する必要があります。
例えば私は社会科の教員ですが、私大志望者と国立志望者では授業内容を大幅に変えています。
また、年度によって生徒のレベルにも差があるので、その都度、レベルを調整したり、
映像教材や演習、雑談の比率まで変えてカリキュラムを組みます。
そうなってくると教科書会社の統一動画と言うのはかなり非現実的になってきます。
蛇足ですが教科書会社というのは大手でも本当に少人数でやっていますし、
執筆している大学教授の方はあくまで研究者なので授業がうまいというわけではありません(苦笑
このあたりを踏まえると実現は難しいかもしれません。
時の政権の意向で全国の学校の授業内容をすべて統制できるというのは極めて危険です。
右でも左でも偏った考え方の授業が全国で画一的に行われるとしたらそれは民主主義国家の根幹にかかわると思います。
長くなりましたがご意見を拝見した上で私見を述べさせていただきました。
もし、ご不明な点や指摘事項がございましたら是非拝見して、今後の仕事に生かしていきたいと思っております。
長文失礼いたしました。
高2の1月、友人と大好きな男性アイドルユニットのコンサートを観に都内へ出かけた。
日帰り出来る距離ではあるけれど、地方都市在住の私達には大冒険だった。
数年経ってからコンサート目的だったことをカミングアウトしたら、『そんなの分かってたわよ』と言われたが。
まあ、そうだよね。見抜かれるよね。
元々は12月末の公演に申し込んでいたが、届いたチケットは1月の追加公演だった。
12月公演だと学校の全員参加の冬期講習と被っているので、追加に回ってかえって良かったねーと友人とのんきな事を言っていた。
今思うと、当初は冬期講習をサボって行こうとしていたんだから怖いもの知らずというか何と言うか・・・。
親は学業だけには厳しかったので、バレた時の事を想像すると今でも背筋が寒くなる。
とにもかくにも、1月の公演参加が決まってからは友人とどんな服を着ていくのか、どの電車に乗るのかなど、色々計画を立ててその準備期間さえもめちゃめちゃ楽しかった。
座席はブロック名に数字やアルファベットが付いていなくて、位置を特定出来ない名称が書かれていた。
なので、チケットが届いた当初は位置がいまいち分からなかった。
そんな話を教室でしていたら、他校の友達がその会場での他ユニットのコンサートに行ったというクラスメートが、「そのブロック前の方らしいよ」と教えてくれた。
そして迎えた当日。
どのくらい前なんだろうね、とワクワクした気持ちと、都心へ向かう緊張感が入り混じりながら会場に着いた。
係員さんに聞きながら座席に向かったら、2列目のドセンで放心。
コンサートが始まったらはしゃぎまくって、真冬だというのに半袖になった。
初めて観る、本物で生身で至近距離の彼ら。
何度もテレビで見ていて、参加したかったコールアンドレスポンス。
東京近郊のファンは番組観覧や公開収録に行くチャンスもあるだろうけど、我々には叶わないので、余計に楽しかった。
あまりにも夢みたいで、テレビを見てるみたいだな、とも思った。
終演後、夢見ごこちのまま公式グッズショップに行って写真を買い込んだ。
憧れのMILK本店にも行った。
地元のセレクトショップでも扱ってはいたが、本店に行くことに意義があったのだ。
お店の全てが可愛かった。
何か買ったのかは覚えていない。
高校生のお小遣いでは大物は買えないはずなので、買ったとしたらカットソーか何かかなと。
外観だけみて「ここが〇〇大かー、都会だなー」と言いながら数分で後にした。
「ちゃんと大学見たし、親に嘘はついてないよね」と友人と笑いあった。
なんと能天気なことか。
推しの主演ドラマが始まった時期で、期間限定で壁画が出来ていたのだ。
都内の高校生には普通の休日でも、私達には大冒険でキラキラした1日だった。
もうすぐ高3になる時期だったので、勉強頑張って夏休みに1日だけコンサートと併せて東京に来たいな、とモチベーションを上げた日にもなった。
都内を移動中、どこかのショップで当時大流行していた香水を試しに嗅いだ。
友人はそれを買ったような記憶。
充分過ぎるほど大人になった今、誰にも気兼ねする事なく(チケットさえ取れれば)好きなコンサートやお芝居を観に行けるし、好きな洋服も買える。
でも、この高校生の時のようなキラキラ感はない。若さ特有のものだったのか、地方都市在住だった事による特別感だったのか。
余談をいくつか。
高3の夏休み、最後の1日に念願叶ってコンサートに行く事が出来た。
この話はまた近いうちに書きたい。
そして、この男性アイドルユニットは今も現役だ。第一線にいてくれている事が嬉しいし、感謝している。
最後に・・・『特設の会場』、『壁画』などのキーワードでこのユニットを特定出来た方、同年代ですね!
楽しくて、キラキラしてましたよね。
あの頃、4年後に控えた就職活動で失敗することが怖くて仕方なかった。
大学生の就職率は90%まで落ち込んでいて、これからもっと下がると言われていた時代だ。
1割の人間が路頭に迷う、そう聞かされてその1割は自分だと確信していた。
幼稚園の頃からクラスで浮いていた自分は、自分こそが社会に出られない人間なのだと思い込んだまま10年以上も生きてきた。
そして就職市場がリクルート達によって壊されていく中で、吹き荒れる「コミュニケーション能力」という曖昧なフレーズに怯えて生きていた。
高校に通っている間、ずっと毎日不安で、どうせ自分は大学まではなんとか誤魔化せてもそこから先で人生が終わるのだと信じ切っていた。
根本的に人として間違っている自分が頑張っても無駄だという言い訳の元、勉強もロクにせず毎日をネット見てオナニーして寝て過ごした。
学校には一応通っていたが、通っている理由は勉強のためではなくて、レールから外れるよりもレールの中にいた方が楽な気がしたからだ。
レールの端っこでギリギリ吹き飛ばされない程度の所にしがみついたまま高校を卒業し、当然のように浪人した。
浪人したあとも、どうせ大学に行ってもその後の就職活動で失敗するんだからと諦めきったまま、ロクに勉強もしなかった。
そうして滑り止めの三流私大に入った。
同時に、それより少しだけ偏差値の高い学校の試験が全く解けないということに対して、如何にここ数年分の勉強だけが全く身が入っていなかったのかを理解した。
自分への失望はいよいよ高まり、その状態でフラフラと大学に通い、就活シーズンを迎えた。
実験のレポートを書こうとすると、内容が1回生の初めに習った事しか書けなくなっていた。
その段階の学習で要求される内容は、授業が全く頭に入ってないから説明されても理解できなかった。
自分は、勉強の仕方を忘れたまま大学に入ってしまったのだとようやく気づいた頃には全てが手遅れだった。
勉強でいちばん大切なのは、それで自分がどうなりたいかをイメージすることだ。
自分はそれを失っていた。
勉強をしても、無駄だというリクルート教団の洗脳に浸った脳は全ての学習を後ろ向きに否定した。
頑張って勉強をして、頑張るほどにもっと頑張ることを要求されるのだから、手を抜いて手を抜いてどんどん手を抜くべきだとすら思い込んでいた。
何をやっても評価されない。
そんな気持ちのまま4年生になり、ふと何もかもが嫌になり、就活を3社ほどで切り上げて、内々定のまま退学した。
そのまま何年も引きこもって、社会に出てからふと気づいた事は、やっぱりさっさと死ぬべきだったのだなということだ。
終わり。
私大教員になれば30代で商社、メガバン並みのお給料はもらえるようになる。
ただ、なるための難易度は段違いなので、研究者が不遇というのはまぁ間違いではない。
でも、商社、メガバンはきちんと稼いで僕らにたくさん配当金をくれているからね…。多少の給料は仕方ないとも思う。
構成員の能力という点でみると、商社、メガバン、外資金融、戦コン、官僚、研究者、このあたりになると同じ階層の人たちという感じで、層は重なり合ってる。
どの分野でもダメな奴はいるし、優秀な人もいる。優秀な人は、それぞれの領域で順調に階段を上っていく。
ある程度階段を上った立場から言うと、理系が不遇なのは階段の最初の部分。院生~ポスドククラスの時期だ。
階段を上った後はそこまでひどくはない。
全員が登れるわけではないけれど。
年収は低い
移民は受け入れず国内の労働環境の改善で労働力を確保すべきだしそれができない事業者は市場から退場してもらって一時的に廃業や倒産件数が増えるかもしれないが過労死よりはマシだと考える
生活保護は必要な制度だと思うしセーフティネットはこれまで以上に拡充すべきだ
高齢者の年金問題は金持ってる高齢者から税金取ればいいと思っている
原発はゼロにすべきだがその過程は議論の余地があると思っている
少子化対策は結婚可能年齢や成人年齢を下げるとともに子供を産むほうが経済的にメリットがあるような制度にすればいいと思う
教育無償化は大学まで含め貧困層に限定して行えばいいと思うし私大助成金は廃止すればいいと思う
消費税は今は上げる時ではないと思う
夫婦別姓や同性婚も別に問題ないと思うのでやりたい人ができるようにすればいい
政教分離の国なのだから信仰を持たない人への逆差別になっている宗教法人制度は廃止して黒字なら税金を払わせろ
さて今回はどこへ投票すべきかねえ
A→
そこから転職し、またもや誰もが知ってる大企業の一般事務職になる
薄給だがほぼ定時上がり
B→
新卒時は華やか(美容とかファッション系)だが、薄給で長く続けにくい仕事についていた
私→
私とABは3人ともアラサーの女で、全員独身彼氏なしだ。そしてABは2人とも可愛い。
特にBは今まで男が途切れたことがないくらいモテる。今は疲弊してフリーになった。
先日Aと2人で飲んでいるとAが言った。
「Bはさ、若い頃に『いつかは男が養ってくれるだろう』っていい加減に生きてきたから、今いろいろうまくいってないんだろうね」
確かに最近上司からの仕事の無茶振りの多かったBは、少し愚痴が多かった。
しかし、仕事の愚痴はある程度働いていればそれなりにあるものだと思っている私からしたら、Bの愚痴は一般平均の範囲内だと感じた。
「そうかな?B、うまくいってないかな?私はそうは思わないけど。」
私は反論したが、Aは腑に落ちていないようだった。
「うーん、会社辞めてニートになっちゃったりとかさ、ちょっと後先考えてなさすぎじゃない?」
Bは新卒で入った会社が多忙薄給すぎたために、心身を病んで辞めてニートになった過去があった。
Aは重ねて言った。
しかし、Bは努力家で、業務時間外に当時は技術職だったため勉強や練習をしていた。
そしてかつBは要領のいいタイプではなく、自分でもそれを分かっていたので体の悲鳴に対して逃げる選択をしたのだと思われる。
私にはそれが間違いだとは思わなかった。
そして、Aが知らないのか思いもつかないのかは分からないが、Bはニートを脱して再就職した今の会社でも、セミナーに参加したり本を買って家で読んだりとても勉強をしている。
仕事の進め方も、どうやったらプロジェクトが滞りなく進むか日々工夫しており、私(元IT企業のプロジェクトマネージャー)に質問をしてきたり、未経験で入社した当初よりもいろいろなことができるようになったと聞く。
一体Bの何が「うまくいっていない」のだろうか。
しっかりとスキルを日々身につけているBならば、もし会社が倒産をしても同業で彼女を欲しがる企業があるだろう。
実際、私の知人の社長がBととあるプロジェクトで一緒になったとき、彼女の仕事をとても褒めていた。その社長がお世辞を一切言わない人にもかかわらず。
「会社の偉い人に気に入られててよく飲みに行くの。」
と言っているが、偉い人と飲んだところでAが偉くなるわけではないし、そんな大企業の偉い人ならばお酌要員でただ手頃な若い(といってもアラサーだが)を呼んでいるだけでは?と思ってしまう。
そして、その時間を使って勉強をしているBの方が揺るぎないものを手に入れていっているのでは?とすら思う。
なんでAがBを馬鹿にするのか。
気づくと私は、
「じゃあAは後先ちゃんと考えてるの?そんな風に言えるくらいに。Bはとても真面目で努力家だ。男がいつか養ってくれるからとかではなく、好きだから新卒もそう言う道を選んだ。だから実際、その当時もとても努力をしていた。確かに休憩期間はニートだったけど、人のキャパシティはそれぞれだ。今、とても努力して着々と前に進んでいるならそれでいいじゃん。」
と、怒っていた。
「真面目の基準が違うのかもね。Aは、世間の常識からズレないことが大事って考えてるのかもしれないけど、それよりもお客さんやクライアントに良いものを提供するにはどうしたらいいか、とか、そういったことへの向き合うスタンスで、私はいい加減とか真面目とか判断するから、Aの言うことがよく分からない。」
家に帰って私は泣いた。
あんなに頑張っているBを、零細企業にいるからなのか、外見がちょっとチャラついているからなのか、レールから外れた生き方をしているからなのか、結局明確な答えは分からなかったが何故かAがバカにしていると知ってしまった悔しさ。
そして、それを言い返す時に「これってもしかして私もAをどこかバカにしているのでは」と気づいた悲しさ。
泣きに泣いて、眠っては泣いて、そして三連休が終わった。
昔は3人でたくさんバカなことをした。
だから今でも会えばいつでも笑いあえると思っていた。
でも、少しずつ違っていった価値観はズレにズレていつかは大きな溝になるのだと感じた。
そんな、三連休前日の夜だった。
http://bunshun.jp/articles/-/3929
「ドラム日野ビンタのダウンタウン松本さんと爆笑問題太田さんの意見が真逆すぎた」
http://www.kansou-blog.jp/entry/2017/09/04/073456
「日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャズミュージシャンが考えてみた」
http://k-yahata.hatenablog.com/entry/2017/08/31/日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャ
https://www.daily.co.jp/gossip/2017/09/01/0010515517.shtml
正直、他人の出番を無視してドラムを延々と叩いてた子がビンタ食らっただけでこれだけ喧々諤々の議論が巻き起こるのはうらやましいし、近年ネットで体罰動画などが拡散され、教師が処分されている事等を考えるとネットという存在が体罰への抑止力として働いているのは確かで、ろくでもないものも多いネットのもたらした大きなメリットのひとつだと思う。
で、僕がこれからするのはそんな便利なアイテムが普及してない時代のろくでもない体罰という名の暴力の話だ。
舞台は96年の東京高田馬場にある保善高校。偏差値でいえば55前後、昔ラグビーの名門で花園に出た以外に特に語る事のないパッとしない私立高校だ。
ちなみにお隣には後年某ブラックチャイルドな有名バスケマンガのモデルになった偏差値70台のエリートな高校があり、お隣だが近所の早稲田大学への距離は全く違うと言われていた。
我々が入学する前、この高校の理事だかなんだかわからないが、お偉いさんが「このなんの特徴もない学校をお隣みたいな超進学校にしよう」等とドラゴン桜みたいな事を考えた。
目的のみをみれば「少子化を見越し、進学校としてブランド価値を持たせる」という戦略は悪いものではないのかもしれない。
だが、彼らにドラゴン桜のような「外部の優秀な講師を招いて生徒の学力をup!」という策などあるわけがなく、結果としてできあがった保善高校特進クラスは地獄になった。
「三年の間に偏差値55前後の人間を普通に早慶受かるようにしろ」そんな無茶な目標を与えられた現場の教師達は大混乱しただろう。
それはそうだ。彼ら教師のほとんどが一般的に二流と言われる大学を出てこの高校に教員として努めている人間であり(文系だった我々のクラス担任は獨協の英文科卒だった )、当然だが中堅高校の生徒をトップレベルの私大に合格させられるノウハウといったものを持っていない。
そんなこんなで上に対して自分達が頑張った事をアピールしつつ、失敗しても責任を回避できるだろうと考えた彼らがとった方策は授業時間を8限までにするという手段だった。
そして入学してからその事を聞かされた特進クラスに選ばれた我ら生徒達は当然反発する。
部活を目当てにした生徒も多かったし、そもそも強制で8限までの授業なんて受けたい人間はいない。
正直、ここまでなら大人になった今になって考えると教師達に同情の余地がないでもない。
上の無茶に対してかかる現場への圧力のつらさは、それなりの歳になり、上と現場の板ばさみになってから嫌というほど知った。
現在の自分が負担をかけてしまっている現場の人達にひたすら頭下げたり、飲料を差し入れ、それでもイラつかれるように保善高校の現場教師達には我々生徒が分かりえない上の人との板ばさみのつらさがあったのかもしれない。
だが、我々の反発を抑えるのに担任教師が使った方法は頭を下げるでも飲料を差し入れるでもなく、「嫌ならやめろ」と暴力のセットだった。
そして出来上がった授業自体も適当なやる気ないプリントを配ったりするくらいで、正直これを8限聴くくらいなら予備校の授業1限聴いた方がはるかに有益なんじゃね?となる受験にはなんの役にも立たない内容だった(事実、自分は浪人して予備校通ってた時期に英語の偏差値がグングン上がり、今までやらされていた勉強がいかに非効率かを知った)。
結果的に我々は3年間に渡り、ほぼ毎日の様に殴られ、22人いたクラスメイトの内、3人は部活も自分のやりたい事もできない状況を受け入れられずに自主退学に追い込まれ、残った19人も相当に精神を病んだ。
正確な因果関係を立証する事はできないが、卒業時の我々の精神状態を鑑みると、遺族が因果関係を否定するならともかく、当時の保善の教師達が「関係ない」等とほざく事は許さない。
ここまで読んで何人かの人は「なんで体罰に対して対策をとらなかったの?通報するなりいくらでも手があるだろうし」と思われるだろう。
今にして思えば何故自分自身、当時の自分がなんら手を打たず、3年間、殴られるままでいたのかが理解できない。
現在の30代半ばの自分で、今の時代であれば同じ状況でもいくらでも手が打てる。
「教師が生徒を殴ってるのを動画なり音声をを記録し、youtubeに放流」「動画や音声を教育委員会や区議会に送りつける」「動画や音声をもって弁護士のところへ行き、教師を退職に追い込み、学校からは金を引き出し、なおかつ現況の改善する」「逆にこちらから暴力で制圧する」等。
だが残念だが、我々の時代には便利なものはなかったし、他の手段をとる勇気もなかった。当時の時代でも打てる手はあったのかも知れないが、結局我々は何も打てる手がないままひたすら3年間を暴力に耐え続けて過ごした。
他の教師に相談しても「君達の事を思ってあえて自分でもやりたくない事をなさってくれてるんだから」と黙殺されるし、「嫌ならやめればいいだけ」と常に脱落への恐怖を感じさせられ逃げられなかった。
それが事実だ。
今の自分のみならず、多くの人達当時の自分は怠惰に写るのかもしれない。
いくらでも打てる手があるし、場合によっては金にもできたのに何故なにもしなかったのかと。
言った瞬間、発言者を糞馬鹿認定する言葉では「公共の福祉」と並ぶ「自己責任」という言葉を使いたくなる。
だが、異論=即暴力&否定という立場に置かれるのは当時の10代の子供にとっては逃げ道のない牢獄で看守に見張られているようなものなのだ。
常に暴力や脱落の恐怖に晒される状態で冷静な判断ができるかと言われれば今の自分でもこころもとない。
現在自分内最高漫画を更新し続けてる「パンプキン・シザーズ」で主人公は8巻で町ぐるみの人身売買に巻き込まれ、結果共犯者になった住人を慰める為に「人間は新しい環境に放り込まれた時にまるで即興劇に放り込まれた役者のように本能的にその舞台を壊さないよう行動する」と言っていたが、結局我々はその舞台から3年間逃げ出す事ができなかった。
昔、自分はナチス、ソビエト、クメール・ルージュだのに属して上の言うままに行動する人々を笑えたが、この保善高校の体験を通して以降、全く笑えなくなった。
さて、色々回りくどい事を言ったが、ここら辺で私怨タイムにさせて頂く。
曳地利秋、お前はガチな屑だな。お前は三年間俺達の担任教師だったわけで、その間お前を「センセイ」と呼んでたが、お前を教師だとも尊敬する人間だとも思ったことは一度もなかったよ。
平賀が自殺して少しは反省したのかと思ってたが、仕事で出会った8歳下の保善のOBの人に聞いたらお前はあの後もなんら反省せず、特進クラス以外でも生徒を殴り続けてたらしいな。
もっとも俺達以前にも暴力を奮ってたろうし、「口答えする特進クラスの生徒」というのはお前にとって殴れる大義名分を更に与えただけだったろうが。
お前は殴る相手が反抗すると「いつか社会に出れば俺に感謝する時がくる」とかいってたが残念ながらそんな時は来なかったよ。
社会を知れば知るほどわかるのはお前という人間が対等な立場では殴り合い一つできない生徒に対し、能力でも人格でも統率できず、自分が殴られない立場に甘えて一方的に生徒を殴ってた屑である事。
それだけだ。
お前は教師でもなんでもない。
お前が定年退職したかどうかは知らないが、現在、学校でも塾でもあらゆる教職に関わってない事を心から祈ってるよ。
残念ながら俺やクラスのみんなに対しての暴行への公訴時効は過ぎてるんでお前に刑罰を与える事ができず、こういう形で書いたが、お前がこれを読んで反省するとかかけらも思っちゃいない。
原国の片山、お前は俺達が曳地に毎日殴られてると度々訴えたときも「曳地先生は生徒のためを思ってるんだ。甘えてるんじゃない!」とかほざきやがったな。
お前も曳地の同類の糞虫だよ。
そして96~98年に保善高校にいた教師達(現在在籍の確認がとれるのは地歴科の近藤八朗、数学科の三河一雄、公民科のト部昌次)お前ら俺達が散々殴られて助けを求めていたのを知りながら、無視、罵倒を対応にしてたよな。曳地も含めてお前らが全員地獄に行ってくれる事を心から願ってるよ。
ここまで書いといてなんだが、「抵抗できない相手を一方的に殴るのは保善高校の教師達と同じ」という心の声が聞えたんでこっちの身分もそっちに対して分かる範囲で明かしとく。
96年~98年に在籍し、文系特進クラスで正面二番目の列にいて、その後一浪経て法政大学に進学した生徒。それが俺だ。
そこから俺の名前はgoogleでたどれるようにしてあるし、そこからくれば答えるし、名誉毀損で訴えたいならばいつでもどうぞ。
・体罰、何も伝わらなかった 「殴られた」生徒語る - 朝日新聞デジタル http://t.asahi.com/9v
【田村剛】私立保善高校(東京都新宿区)の男性教諭が、男子生徒に暴行した罪で今月4日に罰金30万円の略式命令を受けた。被害者の生徒と、その友人で「同じ教諭に殴られた」と主張するもう一人の元生徒が、朝日新聞の取材に応じた。「もっと早く周囲の大人に気付いてほしかった」と訴えた。
2人によると、1年生で同じクラスにいた2011年の1学期ごろから、空手部の顧問でもあった担任の40代の男性教諭から、校内で平手打ちなどの暴力を受け始めたという。
携帯電話を学校に持ってきた▽読書感想文の本を忘れた▽授業中のおしゃべり……。さまざまなことがきっかけとなった。この生徒(17)は「高校では暴力が当たり前なのか」と思い込んだ。他の教諭も止めに入ってくれなかったという。
2年生になって登校できなくなり、休学した。親に話すうちに普通ではないと気付き、警察に届けた。
学校側は謝罪のため生徒宅を訪れ、暴行の理由も説明した。それでも、殴られなければならないとは思えなかった。「ただ苦しかった。先生の言いたいことは何も伝わってこなかった」と振り返る。この教諭は、この生徒を複数回にわたって平手打ちをするなどしたとして、略式起訴された。
もう一人の元生徒(18)は、暴力を受けても「先生の言うことを聞きなさい」と話す親を前に、学校に行きたくないと言えなかった。「誰にも相談できず、どこにも行き場所がない感じだった」と語る。
耐えられず、昨年5月に退学。一時はうつ状態になって精神科に通った。「同じことをしたらこうなる」という周囲への見せしめが、暴力の目的だったと感じている。「次は自分ではないか」と、他の生徒がビクビクしているのが伝わってきたから。
「自分はたまたま自殺せずに済んだ。でも、親や周囲の先生にはもっと早く気付いてほしかった」。大阪市立桜宮高校の教師による体罰で生徒が自殺したことが問題になり、そう思う。
同校の青木繁副校長は取材に「教諭が何度も暴行したという認識はない。生徒らの話は過大で、学校が把握する内容と大きな違いがある」としている。教諭の暴力については「許されないことだが、2人の就学姿勢を立て直すという思いがあった」と説明する。
という記事が出てきた(元記事は既に消えてるが)。当時の自分達の気持ちをそのまま表している記事だった。お前ら、90年代にあれだけやらかしたにも関わらず、何一つ反省してなかったんだね…
正直、我々の時代に体罰という理不尽な問題を取り上げ、裁判なりで戦って「教師が生徒を殴らない」という当たり前の権利を勝ち取っていれば彼がこのような目に合う事はなかったのかもしれない。
そういう意味では我々抗議の声を上げなかった人間も彼の目からすれば保善の教師と変わらないのかもしれない。
だが我々には声を上げる知恵も勇気もなく、結局、放置し、自分と同じ、もしくはもっと酷い状況を10数年後に後輩に味あわせた。
そして偏差値は51~58と我々がいた当時と何ら変わらない状況。
「進学校にするため」という大義名分で我々に奮われた暴力は結局何の意味もなかったのだと脱力するしかない。
保善高校の理事だの教師だの糞虫ども、正直お前ら全員死ねばいいと思うよ。
お前らは教育者でもなければ、経営者としても糞だ。お前らには何一つ敬意を持てるものがないし、何一つ美しいと言えるものがない。
「質実剛健」とか本当に笑えるわ。
とりあえずこの記事呼んで保善高校への受験を辞める人が増え、一人でも保善高校の犠牲者が増えない事を元生徒として祈っている。
・追記 保善高校の13年の空手部の体罰に関してはオンラインの記事は消えているが朝日新聞2013年2月24日の日曜版38頁、2014年7月4日の社会面の記事で確認ができた。体罰を受けた生徒は除籍処分にされたらしいその後、両親と共に保善高校及び同校を運営する学校法人保隣教育財団に550万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしたらしい。その後の顛末はネット上を探しても見つからないが、彼にとって良い方向に事態が動いていた事を祈っている。そして22人のうち後に退学に追い込まれた生徒3名、後に自殺した生徒1名を出し、何の成果も残さなかった保善高校初代文系特進クラスの生徒の一人として、彼がとった勇気ある行動に心から敬意を表したい。
胸くそ悪い一日だったのと、他の人がバイナリーオプションに関連した詐欺まがいに引っかかって欲しくないのでまとめておきます。
自分の紹介をするとしたら、ごく一般的な都内の私大に通う学生で別に全くお金持ちでもなんでも無いです。
とある日に、試験などでとてもお世話になった大学の友人に「是非聞いて欲しい話があるんだけど話を聞きに来てくれないか?」と前々から誘われていて
あまり気乗りはしていなかったけど、試験の際にはとてもお世話になったので断れずに誘いを受けた。
いざ当日に呼ばれた場所(渋谷の某高級ホテルのカフェ)に行ってみると1000円以上もするアイスコーヒーを注文する羽目になった(学生にはキツイ)
渋々注文した後にお会いする約束をした10時に友人と私でホテルのカフェで待っていたところ、中々オプザイルは現れず「忙しいから待ってほしい」とのことで
結局14時頃まで待っていた。
本当は寝不足だし帰りたかったが、友人がいる手前帰れずに4時間位経ってやっと
株式会社カグアマ?のトヤマと名乗る男が現れてきて、詫びもなく現れて名刺も無しに話が始まり、録音をスタートし
外部にこの話を口外しないよう約束するよう言われ突然人生設計や今後のライフプラン、投資の大切さを訴えてきた。
そしてもっともらしい事を早口で一通り紹介し終えたら、今度は怪しいツールの紹介を始めた。
・MT4でパッチ?を当ててチャート上に矢印が出た時にエントリーするだけ
・勝率は80%以上
・オプザイルはコレで億を稼いでいる。友人もメチャクチャ儲けているらしい。
他に色々と話していた気がするけど眠すぎて忘れてしまった。
散々言われたのが
「今の生活を変えよう」
みたいなことだった。
ツールの値段を聞いてみたところ、どうやらそのツールが入ったUSBが50~60万位するそうだ。
予想では20万位で売りつけてくるのかなと思っていたら予想を遥かに斜め上をいっていてドン引きしてしまった。
どのユーザー年齢層がこのツールを購入しているのか聞いてみたところ、20代が多いとのことで基本的にはネット等で販売はしておらず、リファラルでしか紹介していないためらしい。
余談だけど、オプザイルの営業を聞きながらやっと終わりかな?と思っていたら、途中で電話で席を外すねと言われてオプザイルが1時間帰ってこなかったことに怒りが半端なかった。
友人とオプザイルが必死にツールの素晴らしさと人生が変わる事を話されやっと終話を迎えて、夕方頃に帰れると思ったのがつかの間、友人がほぼ同い年のトレーダー仲間が近くのカフェにいるから
会ってみてと言われ、寝不足と怒りに耐えながらまた一緒に行くハメに(帰れよ)
実際にそのトレーダーと会った際に、「ツールの値段がとてもポンとお金をだして買えるような値段では無いと思うが、どうやって購入したのか?」と聞いたところ
「学生ローンで2社くらいから留学と偽って60万位借りた」と話していた。
元々買う気はなかったが、ココからが怖いなと思ったのが「60万なんて安い。今すぐつまらない人生を変えたいなら明日にでも金を借りてきた方がいい」と散々言われ
挙句の果てに「借りるのが怖いなら明日俺がついていってやるから」と散々言われ、私の明日の予定も気にせずグイグイと消費者金融に次の日に連れて行こうとした。
「ごく普通の学生が60万も突然借金をするのなんて荷が重すぎて無理」と伝えたが
・すぐに60万なんて返せる
・親にバレない
などと色々と説得してきたが、ほぼ就活も終わりこんなふざけた話に振り回されたくなかった。
帰ろうとしたら「社会人のマナーとしてお礼のメールを送ったほうが良い。今すぐ」と言われ
「忙しいのかもしれないけど、約束した時間に4時間も遅れて詫びも無ければ名刺も渡してこない社会人がどこにいるんだよ」と
まぁ何を言いたいかというと、友人がこの詐欺に加担していた事がショックだったのとオプザイル共の詐欺にこれ以上他の人が引っかかって欲しくないと思ったのでココに残そうかと思い書いてみた。
口外したら紹介してくれた友達との信頼関係に関わるからと散々釘を差されましたが知りません。
余談だが2つ目のカフェに行った時に、か弱そうな男の子がオプザイル2人に全く同じような話を吹っかけられてて「最近この手の詐欺、流行ってるのかな」って思いました。
完
確かに紹介してくれた友達の羽振りが良いなと感じていたけど、実際どうなんだろ。バイオプで儲けた金なのか詐欺って儲けたのか・・・仲が良かった友人なだけに残念
【追記】
先程はてなのIDを取得した足で投稿する。ここについては匿名でチラ裏できる場所という程度の認識しかない。
あわよくばニコニコニュースで取り上げられたり、有名な「保育園落ちた日本死ね!!!」みたいな壮大な反応を貰えるかもしれないという希望のみでこれを書く事に決めた。
俺の唯一の情報発信源、Twitterではフォロワー数293。社会問題等に対策を発案したりと、どれだけ社会に一石を投じた気になっても誰もリツイートなんかしちゃくれない。
俺の悩みは実は結構なサイレント・マイジョリティではないかと思う。現代の若者の代弁者のつもりで一筆書かせていただく事にする。
俺は漫画家志望歴13年目を迎える20代中盤の非正規雇用者だ。今の職場はホワイトだが持病のせいで来年も居れる保証は無い。
確かなのはどんな職に就こうがクリエイターへの憧れを捨てきれないだろうな、という確信のみである。
だが実の所、そんなに創作活動をしている訳でもない。産みの苦しみというのはイライラするし、むしろ創作は嫌いなのかもしれない。
いつも作品の断片的なものを妄想しては創作した気分に浸って床に就いている毎日だ。最早俺は、老後のように生きる目的を失っている。
大学に入った。漫画に専念するためにあえて地方のバカ私大を選んだ。そして漫研の部室に籠りっきりの青春を送った。
当時から薄々感付いてはいたが、それに気付きたくはなかった。数こなせばどうにかなると信じていた。要するに、俺は要領が悪過ぎたんだ。
どんなに描いても上達しない。不器用過ぎて何を描くにも時間がかかり過ぎる。結果、かけた時間の割に何の成果も出なかった。
どれくらい下手かというと、昼間は彼女を小脇に麻雀三昧、夜は彼女とよろしくやってるような半端な志の後輩にも劣る程だった。
何度か持ち込みの経験もさせてもらったが、結局俺は在学中に漫画家デビューする事はできなかった。
1年のフリーター期間を経て、俺は体よく上京するために今の職に就いた。詳細は省くが、サーバー室でPCをカタカタやってる仕事である。
これが見事に向いてなかった。業務は煩雑だしどれもこれも似通っていて覚えきれない。メモを取る余裕も無い。一度は教えてくれた先輩も今や辟易している。
自律神経をやられて奇行が出始め寮の先輩にもどやされる毎日。慰めてくれる彼女もいない。自分の存在価値を疑うようになる。自殺一歩手前の精神状態だった。
そんな折に思い出した。そうだ俺は漫画家を目指していたんだ。漫画家にはなれなかったけど、これまで伊達に頑張って来た訳じゃない。
たとえリアルが悲惨でも、ネット上ならばこの力でひと花咲かせられないだろうか。これが俺の唯一の生きる希望になった。
当時から俺の情報発信手段はフォロワー250そこそこのTwitterのみである。目標としてはこの10倍は欲しい。
最初は仕事の愚痴ばかりだった。とにかく同情して欲しかった。だけど誰も相手にしてくれなくて腹が立った。その怒りをツイートに込めても一向に反応は来なかった。
一方で職場環境が一変する。勘違い上司による一喝で俺は精神的にノックダウン、しかしホワイトな社風に救われ、雑用係的なポジションに転属となった。
考えようによっては余計に存在価値を疑う業務だが、とりあえず創作活動を行うだけの精神的余裕を確保した俺はTwitterへ作品の投稿を始めた。
確認させてほしい。画業10年以上の中の人によるTwitterアカウントである。フォロワー数、ふぁぼ、RTの期待値は如何程であろうか。
勿論俺はそれ程の期待をしていたし信じていた。リアルが悲惨な反動がネット上で大ブレイクを巻き起こす。そんな一発逆転ストーリーを世のダメンズたちに届けたかった。
結果は2である。これは俺が投稿した絵に対するRTやふぁぼの中央値である。もう一度確認させてもらうが、画業10年以上のアカウントである。
働かない言い訳にクリエイターを目指してるニートのアカウントではない。これほどに無情な事があってたまるものであろうか。
俺は偏屈なオタクなのでひとつのマイナーな界隈に居続けているが、それでも絵師と呼ばれる連中はフォロワー数に関係なく100ふぁぼくらい余裕で集めていた。
つまり期待値100ある界隈で、たったの2しか得られないのである。俺の10年間は何だったのか。職場での臥薪嘗胆の日々は何だったのか。
憤慨していると、TLにまるで俺を煽るかのように、神絵師様の作品が3桁の成果を引っ提げてRTされてくる。何様のつもりなんだ。
俺はお前と違って趣味で楽しくお絵かきしてきた訳じゃないんだ。背水の陣を敷いて死ぬ思いで描いて来たんだ。正当な評価を寄越せ!
どいつもこいつも成果成果というがこちとら出せる力の全てを出している。これ以上どうしろと言うのだ。改善点があるならば受け手の問題だろう。
青春の全てを捧げて、親に凄まじい出費をさせて生きてきてこの成果である。世の中何のために生きているのかわからない糞野郎がのうのうと暮らす中、
大志を抱いて身も心も削って来た俺にはこの仕打ちなのか。いや、怒りをぶつけるべきはこの十数年間全く成長できない自分なのか。
でも知った事じゃあない。俺はベストを尽くしたんだ。その片鱗を見出せない衆愚を恨むべきか。
もう全部が狂っている。俺は経歴相応の実力を発揮すべきだし、絵師はその席を譲るべきだし、ロム専は作品の本質を見抜く目を養うべきだ。
それが社会で活躍できない俺みたいなのに対するせめてもの対価だと考える。クリエイター職は一般社会に適応できなかった連中の一発逆転の最後の砦であり、
才能溢れる天才が技術をひけらかす場であるべきではない。そういう奴はそもそも生まれ持っての器量があるんだから絵なんか描いてないでネクタイ絞めてろ。
去年、俺はADHDの診断を受けた。社会人としての才能が無い証明と、芸術家としての可能性を秘めている証明である。
こんな人間にワーカホリック用の仕事を押し付けたって無駄である。いいから絵の仕事を寄越せ。それが世の中に一番貢献できるんだ。
俺はこれでしか世のために尽くせないんだから、絵師は黙って身を引いてビジネスマンとして1千万でも2千万でも稼げばいいさ。
なんて長々とかいたが結論。『いいね寄越せ』それがこのネット社会における第一の願望だ。
ひい爺さんみたいに戦争で死にたくはないし爺や親父のように会社に出て家族を守るだけのアリみたいな一生を送りたくもない。
目立ちてえんだ。あわよくば法外な金が欲しい。だからその訳のわからねえ絵師様にいいねする暇があるくらいなら、俺にも寄越せ。それが全てだ。
※※追記※※
コメントくれた方、ありがとう。2chでボコボコにされた事とTwitterで無視を決め込まれた事しかないから、もっと死ね死ね言われるものだと思っていた。
そうであっても反応を貰えるという事自体が破格の待遇であった中、建設的なアドバイスや率直な感想をいただいけて幸せ者です。
ニュースサイトに紹介される程の記事でもないだろうけど、積りに積もってた鬱憤を吐き出せてこれはこれで満足した。
まあ、今後も似たような投稿をするだろうけど、これはもう十数年間積りに積もった事なのでいただいたアドバイスをすぐにフィードバックさせるのは難しいかもしれない。
こんな奴もいるんだなというファンタジーをみるつもりで見守っていただければ幸いに思う。