はてなキーワード: 地理的とは
はてなーが馬鹿の一つ覚えで和歌山県知事なら、和歌山県知事ならって唱えてるけど
その和歌山で過去最多を大幅に上回る感染増加が起きてるのを知らないのだろうか。
【詳報】過去最多を大幅更新 新型コロナ、和歌山県で38人感染
https://www.agara.co.jp/article/117467
https://news.yahoo.co.jp/articles/38f71f40c2bf19419343a532939cd1b050562836
そして和歌山県は去年緊急事態宣言が解除された時に「和歌山県における自粛要請レベルの引き上げ基準」(https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/011900/d00204252_d/fil/hikiage.pdf)
を定めていて現在の感染状況はその基準を超えてるにもかかわらず、営業自粛の要請の話も出てないし、聖火リレーや祭り等も中止をしないようだ。
仁坂吉伸知事は7日の定例記者会見で「聖火リレーや普通のイベント、大会をいちいち、禁止したりやめていただいたりする時ではないと思う」と話した。
見物客の密集への懸念については「見に行った人はソーシャルディスタンスを取って、人がいない所で見ていただくのが望ましい。和歌山県はそんなにたくさん人口がいる所ではないので、むちゃくちゃ集まるとは思えない」と話した。
都合が悪いから定めた基準を有耶無耶にして適用しないというのはかなり批判に値するムーヴだろう。
自分がたまたま相反する諸事情を勘案した判断をする必要に迫られなかったから好きなように正論めいたことを言えただけ、となりかねない。
もちろんいい施策もうっているんだろうけど、地理的要因を考えずに単純な感染者の絶対数だけみて人口の少ない自治体の首長を過大評価しすぎだと思う。
大阪府の感染者が急増している。本日の感染者数は599人で、全国の都道府県で最多となった。今後も増加することが予想されている。
はてなブックマークのユーザーは維新の会に対して批判的な傾向があるので、ここぞとばかりに吉村大阪府知事を批判する人が多いが、この件に関してはそれほど正しいとは思わない。吉村知事がこのコロナ禍において満点の判断をしているとは思わないが、特に感染の広がりという観点においては、各都道府県の社会・地理的事情に依存するところが大きく、現行法においては知事権限では手の打ちようのない範囲も多分にある。そのため、現在の感染拡大の責任を知事にひとえに求めるのは無理があると考えている(以上は、大阪府だけでなく、あらゆる都道府県に対して言えることで、どの知事に対しても感染拡大の責任を強く求めるのは難しいと考えている)。
緊急事態宣言後の3月中は、大阪市内の飲食店等に対して時短要請が出されていた。同様の規制は第3波で感染者が300~400人/日台程度であった12月中にも行われ、このときは12月下旬まで横ばい~微減の傾向に持ち込むことができた。もしかすると、このラインを狙って、3月中の規制範囲が設定されたのかもしれない。
しかし、第3波では1月上旬に感染者が急増し、緊急事態宣言の発令へとつながっていく。一説には忘年会の影響があったとも言われているが、根拠が定かではない。しかし、3月も送別会シーズンであったので、この規制では足りなかったという推測も十分に可能だろう。
それでは規制をもっと強くしておけばよかったかと言うと、そうも言えない。なぜならば、現行法の規制が人々の自粛に頼る一方で、人々が自粛をしなくなり、規制が骨抜きになりつつあるからだ。
これまで、緊急事態宣言が出るか否かとは別に、感染者数が増えたら繁華街への人出が減る傾向があった。
しかし、この3月はそうならなくなった。携帯電話位置情報に基づく大阪・梅田の人出を見ると、この1年で最多の人出となっており、感染者が急増している現在においても人出の減る傾向が見られない。これは、感染拡大に応じて自粛を人々がしなくなったことを意味している。
大阪府の資料では年齢別の人出データも発表されており、若年層の人出が特に増えていることが指摘されている。これは、今回の「第4波」において感染者でも若年層の構成比が比較的高いことと噛み合う。
新型コロナウイルスの死亡率は年齢に強く依存している。感染したときのリスクと、貴重な青春時代が長期に渡って規制される、これらを天秤にかけたとき若者が前者に傾くのは想像にかたくない。「高齢者に広がったら…」というような正論を説いてももはや実効性はなく、本当に対処したいのであれば、若年層に対するベネフィットか、規制に対する法的権限を強くする劇薬のいずれかを用意しなければならず、これは国政の役目だろう。
大阪府で先に問題が顕在化しているが、これは大阪府だけの問題ではない。人々が自粛しなくなったことは、全国的に見られつつある現象である。宮城県や沖縄県で急増しているのは周知の通りだし、首都圏や中京圏においても感染拡大のきざしが見えてきているので、いずれ同じ問題に直面してもおかしくない。大阪府の状況は他県にとって他山の石ではない。
「人々の自粛」にフォーカスを置きたかったので今回は敢えて記載しなかったが、今回の感染拡大に関して「変異株」は避けて通れない問題だと考えている。
また、検査数の件や、まん延防止等重点措置の効果についても省略した。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/outflow-data/
昔のはてブだと、うだうだ議論している暇があったら手を動かせ、という意見はあったが、今は見ない。
プログラマ、デザイナー以外だと、100字くらいでは説明出来ないので長文で反論する感じだったが、もうなくなった。
キーワード登録してニコニコ大百科のような形でまとめていた人もいたはずだが、もうない。
ブックマークが多くされているのはヤフーやTwitterで話題になっているもので、特に差はない。
ブクマのコメントも議論する場ではないはずだが議論が起こっているし、最初の流れがそのままになり、
個々人の意見ではなく、サイト全体で何かしらかの意見を持った総体として捉えられてしまっている(はてサ、ネトウヨどちらもそうだろう)
サイトで盛り上がっていれば省庁や政府に意見が伝わると本気で思ってそうで、直接窓口に適切な手順を踏んで意見を伝えるということもしない。
弱者に優しいようでいて、身近な人達に優しいわけではなく、国境を超えた直接関係の無い人達に優しくする。
寄付で支えようという動きにもならないし、各々が正義を1文で表明して悦に浸り、世の中に影響力があると信じている。
ニュースメディアの報道には詳しいが、ちょっと堅い文章や公文書となった途端に興味がないのか調べることはしない。
限られた情報で思考が制限されているのにも無自覚だ。地理的に世界中のニュースに飛びついているので万能感はあるが、情報の確認手段を持たない一般市民でしかない。
223名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 0d16-WL/x [124.141.39.227])2021/03/16(火) 04:18:23.61ID:TH2wL4zi0
日本史学の研究者がああいった発言をしてしまったのって相当深刻な問題だぞ
224名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 0d16-WL/x [124.141.39.227])2021/03/16(火) 05:40:18.07ID:TH2wL4zi0
現代「日本」嫌いと中世「日本」嫌いということを同一視してたり、「政権」嫌いと「日本」嫌いを同一視してたりするのが滲み出てて何だかなという感じだけど、
より深刻なのは、そっから当然突っ込まれる「日本」概念の定義や内実をどう捉えてんのかって疑問をだいぶ粗雑で冷笑的な態度で扱ってたことだよなあ
そもそも「日本」とは何か?政府のことなの?それから「日本国民」とは何か?「日本史」と言うけどその歴史的・地理的範囲は?それらを近代的国民国家観から自明視できるか?ってのは立場をどう取るにせよ、およそ日本(史)研究者なら否が応でも真剣に向き合わざるを得ない問題かと思っていたわ
225名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 0d16-WL/x [124.141.39.227])2021/03/16(火) 05:55:06.32ID:TH2wL4zi0
多少なりともそういった問題提起が念頭にあれば(というか好むと好まざるとに関わらずそういう問題提起は抱かざるを得なくないか?)、「網野は左翼すなわち日本嫌いなのになんで日本史の研究してんだおかしーじゃん笑」みたいな雑な感想は出てこないはずだし、最終的に失言を一応は認めて謝罪するに至っても、本質的にはそういった問題提起が存在していることをまるで分かってなさそうだったし(そもそも平泉や網野の名前を持ち出す日本史研究者でありながら一度も念頭においたことがないのか?)
226名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 0d16-WL/x [124.141.39.227])2021/03/16(火) 05:59:56.92ID:TH2wL4zi0
ただの知識オタク的な歴史クラスタなら「まあそんなもんか」としか思わんけど、実写史学できっちり評価されてる研究者が、そういった研究対象に対する根本的な問いに無邪気に冷笑的な態度でいるのは、何とも不気味というか不可解というか
まじやべーなこの国
このしょうもないワークショップのお題を肯定的に捉えてみて、何かまともな議論ができるか考えてみる。
細かい制約や歴史的経緯は考えたり調べたりする時間がないわけだから、抽象化したレイヤーで考えるしかないだろう。
「創生」する必要がある地方の典型的っぽい課題を抽象的に並べて見るとこんな感じだろうか。
うーん、挙げて見ると結局こんなもんなのか。「場所が悪い」とかももちろんあるだろうけど、それはどちらかというと制約条件であって課題って感じじゃないよな。
「創生」された地方がどんなもんかと想像してみると、要するに「金があって人がいる」ということに尽きるだろうし、そんなに間違ってない気がする。
これらの課題のいずれか(あるいは全て)を解決していくアイデアが何かあるのかということで考えてみる。
というわけで全体としてはやっぱ企業誘致かな〜という気がしてきた。「豊かな自然の中で働く〜」みたいな生ぬるいこと言っててもダメで、めんどくせー国のしがらみをガン無視してやりたいことやれまっせ、くらいのパワーが必要だろう。保守的な地元住民の反対が大きいだろうけどまあ無視するしかないな。
ああいや、もちろんキラキラIT企業を誘致なんてそうそう無理だとは思う。エムスリーを誘致できんのかとかそういう。でもティアフォーやZMPとかならやり方によってはあり得るかも。あとはその地方の財政規模からだいたいどのくらいの税収増が欲しいかみたいなのが出るだろうから、それに合わせて規模感は小さくてキラキラしてないけど上手いこと統一感出しつつ誘致を進めていける業界みたいなのがもしかしたらあるかもしれないと思う。
別の大陸に行くとそこは魔法が発展していて剣とかで戦う人なんかほとんどいない
そのまた別の大陸では人々は石器時代みたいな生活していて恐竜に乗って移動する
みたいにさ、なんていうか、ゲームで街が変わるとまるで別世界くらいに変わってるじゃない。
例えば、日本は今の日本みたいだけど、アメリカはアパッチ族が普通に儀式とかして呪術っぽく生きていて、中国は今も皇帝がラストエンペラーっぽい感じで治めてて、ヨーロッパは貴族様が農民から搾取している。
オーストラリアはアボリジニがのんびり暮らしていて、でも船とかで普通に交流があるみたいな感じじゃない。
もし本当に世界がこういうふうになるとしたら、文明ってどのくらい離れてる(地理的にとか、制度的にとかね)とああいうふうになるんだろう?
先日も述べたように自分はポーの作品が好きではあるのだけれども、ミステリの黎明期は今でいうところの禁じ手を平気で使っているものが多く、純粋にストーリーを楽しもうとするとずっこけることがある。とはいえ、論理と推論をたどることによって面白い話を作りだすのを始めたのは彼なので、ミステリが好きなら読んでおきたい。確かに意外な真犯人ではある。
同じく、今でいえばお粗末な話も時折あるのだけれども、ホームズとワトソンの関係が好き。中でも「三人ガリデブ」でワトソンのピンチに思わず熱くなったホームズは必見。なんでこのシーンが好きなのかというと、聡明すぎてどうしても人を観察対象としてしまうホームズが、知的ではあるが彼ほどではないワトソンを心から思いやっているからだ。知的に対等ではない人間を愛することができるかどうかは、鋭敏な知性の持ち主にとっては人生最大の試練だ。女性人気が高いのもうなずける。
ルパンシリーズのこの巻だけ親が買ってくれたし、何度も読み返していたのだが、なぜか続きを読もうとは思えずに現在に至っている。ミステリというよりは冒険小説に近い気もするが知恵比べ的な面もあり、そこが面白かったのかもしれない。しかしそうすると、これをミステリ100選に入れるかどうかは迷う。ライトノベルの定義がライトノベルレーベルから出ているかどうかだとすれば、東京創元社か早川書房から出てはいるからミステリとしてOKかもしれないが。
自分は新世界の神になれると信じて殺人を犯したのに日和ってしまい、純粋なソープ嬢に救われる話。これも謎を解くというよりも心理戦を描いている。心理戦というかやっぱりドストエフスキー名物の神経質な人間の独白だ。基本、ドストエフスキーの登場人物にはまともなやつなどおらず、この作品も例外ではない。主人公の妹をつけ狙うロリコン野郎だとか、娘がソープで稼いだ金で酔いつぶれ、その罪悪感からまた飲むというどうしようもない親父だとか、神になり切れなくてプルプル震えている主人公だとか、そういうキャラが最高なのだ。これではまったらドストエフスキー五大長編を制覇しよう。ミステリじゃないのがほとんどだが、心配はいらない。ドストエフスキーの過剰な語りにはまった人間の前ではそのようなことは些事だ。
ちなみに高野史緒「カラマーゾフの妹」は二次創作小説として最高なのでみんな読もう。
こういう非人道的な植民地を持っていた王様の銅像だったら国民から倒されても文句は言えんよな、的なベルギー領コンゴをモデルの一つとしているのだけれども、これってミステリかね? ひたすら謎の人物を追いかけて、地理的にも深いところへ分け入っていき、目的の人物と出会うが彼はあっさり死んでしまうというあらすじは、神話的な単純さと力強さがあるが。クルツは何を恐ろしがっていたのかで語り明かしたい本である。
自分は育ってきた境遇上英米のわらべ歌(マザーグース、ナーサリーライム)は身近に感じるのだが、そうではない読者がどこまでこの趣向を楽しむことができるかどうかはわからない。
この作品で特筆すべきことは、探偵が犯人と対決するときの命を懸けた大博打だが、今の倫理的な読者はこの方法で犯人を裁くことが適切と考えるかどうかはわからない。ミステリにおける倫理(後期クイーン問題とかそういうの?)を語るなら読んでおきたい。
確かに単体で一番面白いのはこの作品だけれども、せっかくだからドルリー・レーン四部作は一気読みしたい。ただ、衝撃の真犯人といわれても、すっかりすれてしまった現代の読者からすればそこまでショックを受けないかも。そういう意味では登場人物の反応も大げさに見えてしまう。
個人的には「Zの悲劇」以来(テコ入れのために?)登場したペイシェンスという活動的なヒロインが女性史の観点から興味深い。当時としてはすごく斬新なヒロインだったんじゃなかろうか。恋人と一緒にパンツを買いに行くし。
クリスティはどれを選ぶか迷う。ただ、わらべ歌物の中ではなじみが少なくても楽しみやすいんじゃなかろうか。一人ずつ減っていくという趣向は非常にわかりやすい。謎を解く手記が多少不自然といえなくもないが気軽に読める。
ちなみに舞台版ではハッピーエンドに改作されているのもあるとのこと。
「チャーリーとチョコレート工場」など児童文学の作者としても知られる。児童文学ではスパイス代わりだった毒がメインディッシュになっている。
ところで、読者諸氏は年末に「岸部露伴は動かない」をご覧になっただろうか。ドラマ化されていないが、シリーズの中に命を懸けて賭けをする場面がある。あるいは、「ジョジョの奇妙な冒険」第五部でライターを消してはならないという賭けが出てくる。その元ネタとなったと思しき「南から来た男」が収録されているので、ジョジョファンは一読をお勧めする。オマージュや翻案とはこういうのを言うのか、って気持ちになる。なお、ダールは「奇妙な味」の作家としても知られている。
筆者はフィリップ・マーロウの良さがわからない。必要のない危険にわざわざ飛び込んでいき、暴力的な人間を挑発する。ただし、この作品が日本の文化に与えた影響は大きい。
ハードボイルド小説以外から例を挙げよう。一つは村上春樹のいわゆる鼠四部作だ。「羊をめぐる冒険」での鼠の足跡を訪ねてのクエストはチャンドラーの強い影響を受けている。あるいは「ダンス・ダンス・ダンス」の警官による拷問や親友の犯罪が明らかになるシーンの元ネタも見つけることができる。一度村上春樹の登場人物の系譜はどこかでまとめておきたいと思っている(村上春樹のヒロインをまとめていた増田と自分は別人)。
もう一つは「スペースコブラ」の「坊主… 口のききかたにゃ気をつけな… オレは気が短けえんだ!」「腹を立てるとなにをするんだ? うさぎとワルツでも踊るのか」の元ネタがあること。「……俺は頭が切れやすくってね」「頭が変になったら何をするんだい? 地リスとタンゴを踊るのか?」。どこがかっこいいのかは残念ながら筆者にはわからなかった。
エーコについては書きたいことがたくさんある。キリスト教と笑いについて問いを投げかけたこと、中世を舞台にしているようで当時のイタリアについての無数の言及があること、それから次の名言。「純粋というものはいつでもわたしに恐怖を覚えさせる」「純粋さのなかでも何が、とりわけ、あなたに恐怖を抱かせるのですか?」「性急な点だ」
しかし、この作品で一番深刻なのは、キリスト教文学であるにもかかわらず、主人公の見習い修道士以外の誰もが、誰のことも愛していないことだ。キリスト教とは愛の教えであるはずだ。弱いものに施したことは、神に捧げたことになるはずで、福音書にもそう書いてある。しかし、修道士たちは貧民を見捨てて権力争いに明け暮れ、異端審問官たちは民衆を拷問し、主人公を導くはずの師匠も人間を愛していない。彼が愛しているのは知識だけだ。
主人公は、言葉の通じない村娘とふとしたきっかけでたった一回の性交を行い、彼女に深く恋し、それでも魔女として告発された彼女を救えない。彼が村娘の美しさを描写する言葉がすべて、聖書からのつぎはぎなのが痛々しい。
勿論、知的な遊び心にもあふれている。主人公の不可解な夢の持つ意味を解き明かした師匠は「もしも人間が夢から知識を得る時代が来たら世も末だ」という趣旨の台詞を漏らすが、これはフロイトへの当てこすりである。同じく、深刻な場面で、とあるドイツの神秘主義者が「梯子をのぼったらその梯子は不要なので捨ててしまわなければならない」と述べたことが言及されるが、ウィトゲンシュタインに言及したジョークである。中世にこんなセリフが出てくるはずがない。
難解かもしれないが何度でも楽しめる。なんだったらあらすじを知るために映画を先に見てもいい。ちなみに、この映画のセックスシーン、村娘が修道士を押し倒すのだけれども、多感な時期にこんなものを見たせいで女性が男性を襲うアダルトビデオが好きになってしまった。そういう意味でも自分にとっては影響が深い作品。
人間嫌いだった筆者が最高に楽しんだ本。文明が野蛮に回帰していくというモチーフが好きなのだ。何を持って野蛮とするかは諸説あるが。大体、中高生の頃は自分を差し置いて人間なんて汚いという絶望感に浸りがちで、そういう需要をしっかりと満たしてくれた。舞台と同じ男子校出身だしね。
三部作の一冊目。実はこれ以外読んでいない。読んだ当時は、双子たちのマッチョ志向というか、とかく異様に力を手に入れようとするところだとか、著者がフランス語で書いたにもかかわらずフランス語を憎悪しているところとかが、何とも言えず不快だった。
今読み返したら、双子たちが過剰に現実に適用しようとする痛々しさや、亡命文学の苦しみに対してもっと共感できる気がする。個人的には頭が良すぎて皮肉な態度を取り続けるクンデラのほうが好きだけどね。「存在の耐えられない軽さ」よりは「不滅」派。
子供の頃より腕力がなくてやり返せず、口も回らずにいつも言い負かされ、片想いしていた女の子といじめっ子が仲良くなるのを横で見ていた自分にとって、自由と財産と恋人を奪われたことへの復讐を主題としたこの作品にはまることは必然であったと思う。とにかく面白い。特に、モンテ・クリスト伯が徐々に復讐心を失っていく過程が、非常に良い。
大人になって完訳版を読むと、ナポレオン時代の国際情勢を背景がわかってさらに面白かった。
犯人当てや宝探しなど派手な展開がてんこ盛りだし、犯人の動機の一部は自分が醜悪に生まれたことに端を発しているから、貧困とか弱者とか非モテとかそういう問題に敏感な増田にとっても議論の題材にできそう。
読んだからと言って別に正気が失われないけれども、チャカポコチャカポコのくだりで挫折する読者が多いと聞く。大体あの辺りはあまり深刻にとらえず、リズムに乗って楽しく読めばいい。スチャラカチャカポコ。
話のテーマは、基本的には原罪的なものだろう。自分が人を殺しているかもしれないという恐れ、親の罪を受け継いでいるかもしれないという恐れ、それから生きることへの恐れだろうか。
難解な雰囲気は好物だが、かなり自己満足的でもある。ヴァン・ダインの二十則破りまくりだし。言葉の連想テストで犯人を指摘し、余計な情景描写や、脇道に逸れた文学的な饒舌にあふれ、探偵があっさり暗号を解読して、事件の謎を解く。作者の知識の開陳を素直に楽しみましょう。ただ、これ読むんだったら澁澤龍彦の本を何冊か買ったほうがお得であると思うし、膨大な知識が注ぎ込まれているがリーダビリティの高い点でもエーコに軍配が上がる。
差別用語が出てくることで有名で、先ほど出てきたわらべ歌による見立て殺人の影響を受けている。
血のつながりによる犯行の動機や、実行の決め手となる偶然の出来事、その皮肉な結末が個人的に好き。自分は謎を解くことよりも、犯人たちの心理状態、特にその絶望のほうに興味を持つからだろう。
メタフィクションを個人的には愛好しているのだけれども、話が入り込みすぎていて結局どういう話であったか覚えていない。巻末の書き下ろしのおまけで、探偵が少年にパンツの模様を聞くシーンがあったことだけを覚えている。
とはいえ、癖のある登場人物から、大学の文学やミステリサークルの雰囲気を思い出して感傷に浸るのにはおすすめか。大体、小説を好きこのんで読む人間は大抵どこかこじらせているものだし、読みたいリストや他人にお勧めする本リストを作り出したらもういけない。そしてそんな奴らが僕は大好きだ。
以上。
日本人はよく無宗教と呼ばれるが、私はそれは当たり前だと思う。日本にキリスト教のような確固たる宗教が生まれるほどの素地もないし、その資格もないからだ。
宗教が生まれる素地とは、その宗教が生まれる土地の風土のことだ。風土とはその土地に住む人間の気質や文化の形成に関わる地理的、気候的環境のことである。
キリスト教のような一神教は自然の恵みの薄い中東の砂漠の風土から生まれた。そこでは神は人間の味方で、厳しい自然をも超越する。神の言葉である教典もその土地での生存戦略において合理的である。その信者は生活のありとあらゆる場面で神を拠り所にする。
一方で日本は伝統的にアニミズムという多神教の宗教観に依拠している。それは四季の変化や災害の多さ、生物種の多様さに起因していると言われる。そこで(沢山いる)神とはその様な自然環境の理由であり、アニミズムとはその中で人が生きる生存戦略である。故に日本において神とは必ずしも人間の味方ではなく、そこにあるだけの存在なのだ。神社が行う祭祀も神のご機嫌をとり、神と人間が共存共栄を図るための儀式である。
このような日本と中東の風土の差から、日本では信仰するに足る神様は生まれでてこないのだ。むしろそんな神が日本にいたらとんでもない憎き業を抱えた存在になるであろう(まあ、それを神と呼称することも無いであろうが)。日本には真の唯一絶対神は存在しえないのだ。それは仏教やキリスト教が伝来したときも変わらなかった。
無宗教というのは日本に外来の宗教が入ってきたときに、日本古来の習わしと共存共栄するための文化的産物であると思う。したがって無宗教は反宗教ではなく、むしろ宗教を維持する工夫であったといえる。そうでなければ仏教やキリスト教は今ごろ日本から排撃されていたかもしれない。
誤解なく言うと、私は日本において一神教の神を信仰することを否定したりとか、あるいは神道やアニミズム以外の信仰を認めなかったりするのではない。むしろ日本に住むどの人も何かしらの信仰を持つことを望んでいる。その時に同じ神を見ることは無いのだ。同じ所で安全に平穏に暮らしているその事実がより重要なのだからだ。
※あまりに不人気すぎてWikipediaよりこっちのほうが詳しいです。
帝政のヴァールハイトに新都が建設されようとしてた。この時期において帝国領内ではヘッドキーパーと呼ばれる武器密輸組織が暗躍しており、帝国兵は彼らの摘発に精力を注いでいた。帝国兵の新人、レオカディオ・ヴェーラーは着任して早々郊外でヘッドキーパーとの銃撃戦を経験し、その中で友人を失ってしまう。この友人を射ったのはヘッドキーパーではない一般人の配送業者、イヌマエル・グラウナーだった。イヌマエルはおかしな成り行きからヘッドキーパーの荷物を誤送してしまい、彼らに拉致された状態にあったのだ。指名手配犯となったイヌマエルは行きがかり上ヘッドキーパーメンバーに加入し、行動をともにする。
一方反政府組織の調査の一環としてヘッドキーパーになりすまして潜入した聖騎士の一人エルフリーデは、調査中にある研究施設の存在を嗅ぎつける。それは、帝都の議会派の一人、マリー・バルトが関わったとされる生体研究施設の存在だった。やがてヘッドキーパーの面々の中にいる支部長ジェイドが裏切り者であることが判明し、新都にてフリーレンの炎を制御する『ルミナスの種子』を利用しようとする反皇帝派の存在が判明する。上司ヘルマンの不正を見逃せず斬り殺してしまったレオカディオとヘッドキーパーは一時手を結ぶが、彼らの調査によってマリーバルトが反皇帝派であること、息子のヘンリー・ラドバウト・ヴァルコイネンが『ルミナスの種子』を使って人体実験を繰り返し、超人を作り上げようとしていたことが発覚した。全ての陰謀が解き明かされようとしていたその時、ラドバウトの凶行によって新都で制御されていたフリーレンの炎が全開放される。
帝都は炎の器『ゆりかご』の暴走により光に覆い尽くされ、街には超人未然の変異体が大量に跋扈することになった。やがて戦いの末に生き残り、人間の意識を取り戻した人造変異体イヌマエル。彼はレオカディオの身を案じる中、反皇帝派のクーデーターにより落ち延びた皇帝の息子、アーメントの身柄を身分を知らぬまま引き受けてしまう。
レオカディオはラドバウト曰くの覚醒者と呼ばれたが、ラドバウトは姿を消していた。そしてレオカディオたちはクーデーターに成功したマリー・バルトが待つ新都へと向かう決意をする。
●皇帝:ほとんど立憲王政状態で、現在は議会に政権が移行しつつある。ガーネットタブレットという先祖代々伝わる伝説が記された石版を重視しており、かねてより不審な匂いがしていたフリーレンの炎や『ゆりかご』について家臣に心象を吐露していた。
●シャルリーヌ:皇帝の后。マリー・バルトを首謀とするクーデターに遭遇し、母子ともども帝都から落ち延びるが、息を引き取った。
●アーメント:皇帝の子息。序盤では后の腹のなかにいるが、終盤の数分で生まれてのち母子ともども落ち延びている様子が映される。一期終盤でイヌマエルに引き取られる。
●ジェイド:ヘッドキーパーの支部長で、ゲイのような喋り方をする。好みの酒を土産にしないと機嫌を悪くするらしい。実はヘッドキーパー内に潜伏した帝国の間者であり、ヘッドキーパーメンバーに射殺された。
●シャアケ・グートハイル:ヘッドキーパーの実質的な隊長。赤髪のショートカット女。貴族の出身であり、現役の学生でもある。
●ミネルバ・グートハイル:牢の中にいた貴族の女。実はシャアケの母であり、反帝国派のヘッドキーパー、ジェイドに捕らえられて帝国側に売られていた。
●ロータス・グートハイル:シャアケの父。『ルミナスの種子』に関わり、実験に加担して村一つを吹き飛ばしたが、シャアケには内密にしていた。この秘密をシャアケが知ったのはゲオルグより伝えられてからである。
●レオカディオ・ヴェーラー:通称レオ。ダブルヒーローの一人。生真面目すぎる性格故に上司のヘルマンを討ち、心ならずもヘッドキーパーと同行することになる。
●コンラッド:レオ直属の上司であり、ガチガチの帝国兵というより明るく公平で善良な考え方をしている。レオとは大将的に、深刻な出来事を軽く受け流すような柔軟さを持ち合わせる。
●アルノルト・シュバルツ:黒人で髭の男。いつもハンチング帽をかぶっている。
●ベンジャミン・パヴァルド:密輸組織ヘッドキーパーの一員で、概ねアルノルトと一緒に行動している。ラテン系の浅黒い肌でまんまるの目が特徴。
●エルフリーデ:薄い金髪女。ヘッドキーパー所属で聖騎士団所属であり、ゲオルグの命でヘッドキーパーの草として潜り込むという二重スパイ活動をしていた。しかし探りを入れる中で帝国の変異体政策の場面に遭遇していしまい、ラドバウトに変異体化させられてしまう。彼女を仲間として認識できないヘッドキーパーらは彼女に攻撃を加えてしまい、彼女は瀕死の重傷をおいながらも帝国の秘密の断片を語って絶命した。
●イヌマエル・グラウナー:武器を配送させられた運転手。自らのみを守るために帝国兵を射殺してしまい、ヘッドキーパーと行動をともにすることになったばかりか、レオカディオの親友を撃ち殺したことでいらぬ恨みを買うことになった。レオカディオと合流した後はレオの認識も改まり、イヌマエルへの印象は和らいでいる。
●シセル:イヌマエルの妹だが、兄の不祥事によりヘルマンら帝国兵に連行される。
●イルマ:金髪ポニテのお調子者。運送と逃走ルート確保要因として控えていることが多い。
●ダミアン・サントス:ヘルマンに拷問を受けていたヘッドキーパーメンバーで、獄中にてレオと再開する。再三のレオへの協力を申し出るが見せかけであり、実際には裏切り行為を働いた。変異体となったヘルマンに追い詰められた際に自爆行動に出て死亡。
●ザイツ:ヴァールハイト帝国軍第零捌小隊に所属。一話のテロ戦闘に巻き込まれて死亡。この人物の死によってレオはイヌマエルを恨むようになる。
●ライカ病:重症化する流行り病。地理的条件によると一般には説明されている。フリーレンの炎によって病状は食い止められるが、変異体化が進行する。
●ギーゼラ:ヘッドキーパーメンバー。ライカ病を患っている娘がいる。
●ヘルマン:幼少期の頃、使用人の一家として奴隷のような生活を送っていたが、主人に母をレイプされた挙げ句殺されたことをきっかけに歪み、戦場で主人の息子を戦死にみせかけて殺した。更には憲兵となって主人までも逮捕するという復讐劇を遂げる。しかしこの件で彼は自己正当化を行うようになり、正義のためなら強引な手法もいとわない、という行動原理を不気味な心境とともに腹蔵するようになってしまった。このために無辜であるイヌマエルの妹シセルを手に掛けようとしたが、配下のレオカディオの手によって斬り殺されて絶命する。
●変異体ヘルマン:変異体化したヘルマンの成れの果て。その容姿は『バイオハザード1』のタイラントをオマージュしているものと思われる。
●聖騎士ゲオルグ・エステルハージ:エルフリーデに二重スパイの命令を下したが、ヘッドキーパーの中に造反者を見つけることはできなかった。やがて他のヘッドキーパーメンバーによって造反者を見つけ出すことに成功する。
●マリー・バルト上院議員:新都フィクシオンに着任した議員だが、造反の意思を持つ。
●ヘンリー・ラドバウト・ヴァルコイネン:マリー・バルトの息子で、『ルミナスの種子』実験施設に資金投入後に着任した。
■ガジェットなど
●ガーネットタブレット:伝説が記されたタブレットで、おとぎ話に過ぎないと思われていたが、記述にある滅びの炎、フリーレンの炎は実在した。
●フリーレンの炎:ライカ病のもととなるが、突然変異体の材料でもある。→覚醒遺伝子
●ゆりかご:フリーレンの炎を閉じ込める12本の塔だが、これだけでは機能しない。
●ルミナスの種子:フリーレンの炎を避雷針のように分散することで弱める性質を持つが、一方でこのルミナス種子の制御があまりに正確であるため、反皇帝派の一派がつけ狙うことになった。
●覚醒遺伝子:フリーレンの炎に適正を持つ遺伝子であり、ライカ病が発症するどころか各種能力が増強される体質を持つ。
●人工覚醒:フリーレンの炎に耐性のない人間にフリーレンの炎を浴びせると、特に女性の場合覚醒変異体とも人間ともつかぬ存在へと変貌する。
●人工覚醒による副産物:上記人工的な覚醒により発生した液体をライカ病患者に摂取させるとライカ病が一時的に停止する。つまりフリーレンワクチン=人造的に覚醒者を作り出すことに成功する。
日本には、パレスチナみたいな宗教紛争もないし、人種紛争もない、中東みたいな資源もない、地理的に国境を接している国もないですよね。
北朝鮮がミサイルを打ち込んでくることをさも前提のように書かれていますが、国際社会の力関係を学んでるなら北朝鮮が実際にミサイルを打つリスクも、もう少し根拠を持って予想できるのではないですか?(帝国主義の終わった時代に、北朝鮮が国際社会の非難を浴びてまで日本を攻撃する意味があるのでしょうか?中国韓国も同様です。日本は主要な貿易国ですね)
筆者の出来るだけ主観を排除して述べようという姿勢は尊重するけど、「北朝鮮の核攻撃を主要都市に受けた場合」を想定してそれを日本にとってのhigh politicsな課題とするのは短絡的な思考のように感じます。(国際関係学を学んでる方でさえその評価なのだとしたら、ネットで真実界隈などはもう救いようがないくらいそう言った想定を盲信しているでしょうね。)
「自民党が外交的・安全保障的に安定してるから」というより、「人間は本能的に仮想敵を作りやすいものであり、安全保障のリスクも過大評価しやすい。そう言った人間の欲望を「愛国」や「敵国」といった概念を使って上手く利用しているから」が適切な仮説なのではないでしょうか。
以下私の感想ですが、
保険屋がもしもの時の危機感を煽るのと一緒で、軍事関係の最先端の関係者は「今アジアが危ない」と言うでしょう
https://b.hatena.ne.jp/entry/4695878446399664770/comment/yujimi-daifuku-2222
こんな意味不明なスカタンコメントに100も星がついてるとかマジで謎。
へーそーなんだ。ふーん。そんなこと知らなかったし確認のしようがないんだけど、どこで確認できる?
ところで自分とこより状況が悪い国と数的比較することにどんな科学的に意義があるの?
人口も気候も地理的条件も政策も政治体制も文化も国民性も何から何まで異なる国同士で数字の比較して科学的になんか役に立つの?
東京都と岩手県の数的比較する人もいないけど、これも左派の陰謀カナ?
意図的に避けてるんじゃなくて、比較することにあまり意味がないから比較してないんじゃないカナ……?
日本はあんまりうまくやれてないけど、うちよりヤバイ国もあるから大丈夫!って言いたいのカナ?
フランスは6万人死んでます! 日本はまだ3000人も死んでません! 日本スバラシイ国デス!
っていうこと?
こんな比較、思想が極端にあっちのほうの人は喜んでしたがるかもしれんけど、それ以外の人(左に限らない)は何の意味も感じていないのでは?
悲惨な状況にある外国と比較して日本の状況が順調であるかのように楽観視しているのなら大間違いです。
念を押しときますが、今の日本の感染状況はほとんど毎日どこかしらで感染者数最多を記録していて拡大に歯止めがかかっていません。うまくやっているかやっていないかでいうと、ちっともうまくやっていません。比べる相手が悪すぎます。
3000を3001にしないために不眠不休でがんばってくれているたくさんの人達に失礼ではないですか?
コロナでてんやわんやになってる病院に行って、そこで働いてる人たちに「大丈夫!フランスでもイギリスでも6万人死んでるから!」って言ってみてごらんよ。あんたの言う「数的比較」なんてそんくらいの意味しかねーよ。
何というか。特に日本の感染状況が中国より深刻になって以降、意図的に中国と日本の現状との数的な比較を避ける人が右派に多いことがずっと気になっている。その態度は科学的なのですか?
■ 慶應閥
三田会という組織を中心に、秘密警察のように梅雨時のカビのように広がる。
大学の特性として、平均的には能力が高いものの、本物のポンコツが結構含まれている。
にもかかわらず依怙贔屓で上からの引っ張りがあるので、バカ上司死ねと思ったら慶應だったりする。
慶應閥が強くない会社でも、トップが慶應になったとたんに慶應閥がはびこりがち。
慶應閥がはびこった会社は、必ず滅亡への道を歩む。カネボウ、三越、東芝…
地方ベンチャーとかで元気よかったのに、二代目が慶應で没落というのもよく聞く話。
要は、大変たちが悪い。
■ 一橋閥
如水会という組織を根城に、ハイフライヤーって感じで勢力を伸長する。
慶應との違いは、2つほどある。
一つは、単に就職偏差値が高い程度の会社だと、一橋出身者は閥をなすほど入らない。非常に高い会社にのみ存在する。
もう一つは、平均的能力も高いのは言うまでもなく、明らかなポンコツはごくまれ。
それにしても上からの引っ張りは強力。
要は、相当たちが悪い。でも慶應ほどではない。なぜか。
一橋閥は能力が高いし、彼らは一橋卒といえども無能を嫌うので、慶應閥のように会社を潰すことは稀だからだ。
鞏固な結束を誇る一橋閥にしても、慶應閥にしても、結束力がむやみに強い理由は、本質的には一つしかない。
それは次で述べる。
■ 東大閥
個々の戦闘力では、ほとんどの場合慶應と一橋は東大には及ばない。
むろん、慶應・一橋のトップと東大のボトムを比べれば、前者が圧勝するのは言うまでもない。
しかし、慶應・一橋のトップが入るとこには、東大のトップが入り、やはり残念ながら、個々の戦闘力では勝てない。
東大卒は無能を嫌う。東大卒の無能を最も嫌う。一緒にするなと思うからだ。
東大閥が存在すると言われる組織はあまたあるが、実際には東大閥は存在せず、たまたま東大卒がたくさん入るというだけだ。
東大法学部は経済学部と教養学部をさげすみ、経済学部と教養学部は文学部をさげすみ、群れることは一切ない。
一人ぼっちのオオカミが群れているように見えるのが東大閥の正体だ。
ただし、彼らは無能をことのほか嫌い、有能を評価するが、その場合の有能の評価基準は、知的な情報処理能力の高さだ。
そして、その能力が高い人間は、結果として東大卒である場合が多い。
東大卒が閥をなすとき。これは、慶應か一橋か京大のいずれか2つが閥をなし跋扈している場合だ。
その場合の東大閥の腹黒さ、他を蹴落とす策略の陰湿さは他に例を見ない。
結果として、東大閥と慶應閥と一橋閥と京大閥が争った場合、ハルマゲドンが発生する。
このハルマゲドン、私は唯一例しか知らないが、メガバンクが一個、本当に10年足らずで吹き飛んだ。三和銀行である。
■ 京大閥
京大は、地理的な遠隔もあり、上の三者の中間的な立ち位置になる。
すなわち、関西にあっては東大のように振る舞い、東京にあっては一橋や慶應のように振る舞う。
しかし、東京にあっては数が少ないので、慶應や一橋のようなパワーは多くの会社で持っていない。
京大閥が跋扈する会社は、関西発祥だが東京で生き延びている、住友系の会社が主である。
なお、東大に官僚志向が強いように、京大も、官僚志向が存在する。
しかし、国家公務員は東大濃度が高すぎるので、大阪市役所あたりに隠然と力を蓄えたりしている。
が、ここ30年の大阪市の長期低落で、有能な才能がすべて無駄遣いされている。
東大卒や一橋・慶應閥の荒野の中で勝ち抜いた京大卒というのが時折トップになるのを見る。
ただ、そういうトップは、意味なく東大を排除したりするので、コンプレックスというのは度し難いと感じさせられる。
結果、京大卒のトップが、東大を排除した結果、一橋又は慶應が跋扈するという事態が発生するのは時折観察される。
某赤いメガバンクなんかそうなってるって聞くよね。
他にリクエストがあれば書くよ!
なんかちょうど思ってたこととホッテントリがちょっとだけリンクしてた。ちょっとリンクしてるだけで全然違う話だけど。
当方アラサー、例の地方転勤増田と身の上はほぼ同じ。まあ両親は地方出身で、私も生まれてしばらくは地方で育ったけど。東京は地方出身の街だというのはルーツとして理解しているつもりだ。
そんなわけで二十余年を東京で過ごしている。地元多摩の小中に通い、東京の高校大学に進学し、都内の企業に就職した。
新宿は大学の乗換えで通ったから迷うことはない。飲み会もよくしたし、ゴールデン街や歌舞伎町もライトに遊んだりした。下北と渋谷でライブを見たりバンドをやったりした。目黒や恵比寿は働き始めてから数少ないデートや合コンに行くような場所だった。品川から東京には仕事のお客さんがたくさんいて、ランチを色々物色した。多摩の実家からの通学、就職してからは家賃の安い東側に住んで柄の悪さにビビったりもした。地理的にほとんど千葉じゃないかと思った。谷根千は期待して行ったら普通の街でがっかりして、あとで知識が必要なんだと知った、田端や大塚には友人が住んでいた。千住や浅草や上野は同僚と飲んだくれる場所という印象がある。新大久保はコリアンタウンというよりは怪しいライブハウスのある場所だ。二十何年かの思い出のほとんどがあり、そして東京にしか記憶がない。
ターミナル駅の周辺を何気なくほっつき歩くと、あーこの路地数年前のあの時通ったなとか、ここはあいつとこういうこと話したなとかそういうことばかり考えてしまう。
いくばくかの友人は就職して地方や海外に行き、東京に残っている友人は地方から進学、就職や転勤を期に引っ越してきた面々だったりする。そんなはずもないのだが、こんなにひとつところに留まっている人間は私くらいではないかと、たまにそんな気分になる。
東京に住みすぎた。なんかもう少し他にもある気がする。とはいえ職場は東京だし、大手でもないから地方転勤などもない。さりとて転職するにしても、地方に地盤もないから転勤増田のように孤独に苛まれることにもなりかねない。
どうしようかなあ