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はてなキーワード: 水飲み場とは

2024-10-16

anond:20241015183540

俺はキノピオカフェで「水ください」って言ったら「あそこにキノピオ達が集めた水が出てくる水飲み場があります!」って嘘つかれたよ。ただのウォータークーラーじゃんって思った

2024-10-11

柔道選手の回想を聞いてほしい 4


トイレ付近水飲み場でT君に声をかけると、「負けちゃいました」と呟いた。

「よくやったな。今はどうだ、悔しくないか?」と聞いたら、T君は「いや、ないです。悔しくないです」と答えたっけ。

これでいいのだ。その人が本当に努力をして、最後までやりきったとしよう。そんな時、悔いの念は湧いてこない。全力でやり切ったからだ。逆に、全力でやれてないと悔いが残る。

結果の良し悪しは関係ない。その人にとっての天命である。どう足掻こうと必然だった。だから、どんな結果であれ、挑戦は終わったのだと、それまでの自分道程を認めることができる。

ただ、悔いの念はないけれど、人によっては……。

先生。今までありがとうございました」

T君の目に涙が溜まっていた。

先生。これ、悔し涙ですかね?」

「多分違う。そういうのはな、あの練習をしてればよかったとか、あの場面でああしてりゃよかったとか、そういう空虚なのとは違う。そうだろ?」

はい。なんか。自分でもわかんないです」

「T君はな。自分を認めることができたんだよ。諦めずに、走り続けてよかったって、そういう自分を認めてるんだよ。そんな自分になれたのが嬉しくって、だから今、お前は涙を流してる」

「じゃあ、先生はなんで泣いてるんですか?」

「これ? ああ、これね。これは……」

ミキプルーンの苗木」と言いかけて俺は、「お前が凄かったから感動したんだ」と伝えた。それで、碌にT君の顔を見ずに振り返って、試合場に帰った。恥ずかしかった。

ここでまた、例の漫画(拳闘暗黒伝セスタス)の場面が脳裏に浮かんできた。確か、試合に負けたセスタスを、師匠であるザファルが鼓舞するシーンだった。おそらく序盤の方だ。未読の人の楽しみが減るから、具体的にどういう場面かは書かない。気になる人は探して読んでほしい。

T君が得たものは大きい。勝っただの負けただの、結果にそこまでの価値はない。一生懸命やって、試合で全力を出し切って、結果を受け止めたんだろ? 高校生でそこまでやれたら十分だよ。

T君よ。今は幸せにやってるかどうかわかんないけどさ。俺、君を教えることができてよかったって、マジで思ってるよ。またどこかで会えたらいいな。

ちょっと休憩してから試合場に戻ると、柔道畳のすみっコのところで、T君とN君が談笑してるのが見えた。N君の肘が、T君の腕のあたりを突いていた。どちらも、にこやかに笑っていた記憶がある。

それから、あのN君だが……周りを寄せ付けない強さで県大会優勝を果たした。手元にある当時の「全国高等学校体育連盟柔道部 研究調査報告」によると、N君は全国大会で4勝して第三位に入っている。



大会が終わって、T君は時間に余裕があるようだった。昼に営業してる隠れたお店で飲み食いして、広島城の通りをブラブラ広島駅まで歩いて行った。T君はずっと田舎ちらしい。目をキョロキョロさせていた。

最後に、福山行の新幹線に乗って帰途についた。T君は、親が福山駅前に迎えに来てるようだった。彼を見送ると、大会の旅程をすべて終えた。

ところで、この日のことで、もうひとつ記憶に残ってることがある。あれは福山駅の構内だった。アパートに帰ろうとして時刻表確認すると、微妙時間帯だった。

アパートまでは、あと二駅だった(高校のすぐ近く)。歩こうか、それともローカル線を待とうか、はたまた……今日はいい気分なので、夜になったら少し吞んでいこうかなど、いろいろ考えていた。

印象的な出来事があった。

結局、国道沿いにある居酒屋で呑もうと思って、一旦自宅に帰ることにした。福塩線ホーム電車を待っていた。すると、そこに中学生女子がひとりで居た。制服姿だった。どこの学校かはわからない。俺、元々は広島市民だしな。ただ、部活大会帰りなのはわかった。日曜日スポーツバッグを持ってるのはそういうことだ。

の子スポーツバッグにストラップを付けてた。2つ。手のひらサイズの大きいやつだ。それが気になった。リラックマのやつだった。

ちょっと声をかけてみた。「ねえ、あなた」と言って、その子がこっちを向いたところで、「それ、かわいいね!」って指さしたんだよ。その茶色い熊と、黄色い鳥のストラップを。

の子は一瞬固まってた。何言ってるかわからない、という様子だった。俺は、もう一度「それ……」と言うと、その子ストラップを見た。「かわいいね」ともう一度伝えたら、その子は目をギョッと開けて、俺の肩口の方を見てきた。顔じゃなくて。

それで、何秒間もずっと目を大きく見開いている。声は出さなかった。よほど驚いたのだろうか。

別の方から、「あの、ちょっとあなた!」という男の声が聞こえた。30くらいの男性だった。恰好はそんなに覚えてないが、ジャージ姿で恰幅があった。何かスポーツをやってそうだった。

その人が、俺に声をかけたのだ。『あーそうか、部活の引率の先生なのかな』と思い、そいつの方に歩いていった。

「俺がどうかしました?」

「いえ、うちの生徒に声をかけていたので。気になって」

「それで?」

「どういう関係かなと」

「全く知らねー間柄ですけど」

「そうですか」

「全く知らない間柄だと、声をかけたらいけないんすか?」

「いえ」

「そんな法律あるんか、オイ?」

「いえ、それは……」

「そんな法律があるんか、答えろやオイ! お前チンピラか」

「いえ、ないです……」

「じゃー、あなた対応って失礼とちゃうんですか? 俺、これでも学校先生だよ。私立だけど。あんたと一緒」

「えぇ、そうなんですか。すいません……全くそうは見えませんでした」

「俺、傷ついたよ。責任とってくれる?」

「いや、その。すいません」

すでに距離が近かった。声色と態度でわかる。こいつは萎縮してる。初めは語気があったが、俺が近づくと萎縮した。ビビった声色になってる。

わかるんだよな。男同士だったら。雄としての『格』の違いが。こいつは自分が格下だと認めていた。自分で言うのもなんだが、普通の男だったら俺が街中を歩いてると道を開ける。

当時、福山駅のあたりの居酒屋で、若い連中がさ。冗談女子店員おっぱいとか、お尻を触ったりしてたんだよ。それで、俺が「兄さん。そういうのはいかんよ」と声をかけると、途端に目を伏せて――何もなかったかのように酒を飲み始める。基本は、犬や猫だってそうだろう。強い雄には道を譲る。そういうものだ。

ひるがえって俺は、またその子に声をかけた。

ビビらせてごめんな。それがかわいいなって、それだけ言いたかった」

「……ありがとうございます

「どこまで帰るの?」

川野辺まで」※よく聞こえなかった

「へー。俺はそれより前の駅だと思う」

「そうなんですか?」

「もし今度、あの先生がいない時にどこかで会ったら、話とかしない?」

「いいですよ!」

約束な」

はい約束です!」

の子と一緒の電車車両に乗ったけど、喋りかけたりはしなかった。空気を読んだ。

アパート付近にある駅で降りると、家でちょっと支度をして、夜になると自転車に乗って遠くの国道沿いにある飲み屋街に出た。書いてるうちに思い出してきた。あれはサンキューランドだっけ。

当時は、お酒を飲んで自転車に乗るのはセーフだった。そういえば、毎年18才の大学新入生が歓迎会お酒飲み過ぎて、毎年死んでたっけな。そういう時代だった。

それから、その子と会うことはなかった。確率的にありえないとわかっていたが、ニアミスくらいはしてるかもしれない。



中学生で思い出した。今これを読んでいるあなたが男か女かはわからないが……中学生セックスしたことはあるだろうか? 俺はある。

あれは、まだ中学二年生の時だった。ひとつ年上の、女子柔道部の先輩がいた。柔道にひたむきな人で、めちゃくちゃ強くてさ。小学生の頃の俺はまったく敵わなかった。中学に上がってからガチ柔道部に入ったので、男女で組み合うことはなくなった。

そんな彼女は、全国中学柔道大会ベスト8に入って、広島市内にある公立の名門高校スポーツ推薦で合格してた。

子どもの頃から柔道が好きだった。朝鮮学校じゃなくて、一般中学校を選んだのもそれが理由だ。その中学校は柔道部が強かった。ハーフの俺でも入部を断ったりしなかった。それが理由だ。朝鮮学校柔道部の方が強かったら、そっちを選んでいた。

その先輩のことが、俺は好きだった。だって自分の道に真剣なんだぜ。ほかの中学生と比べて大人だった。52kg級で背丈は小さいけど、当時の俺だって油断したら投げられてた。

その先輩が中学卒業する年、俺の家に来ることがあった。学校帰りだった。

その日、家族はまだ帰ってなかった。俺の部屋の中で座って、コーヒー飲んだり、マンガの話をしたり(幽遊白書……電影少女……BOY……まだ実家本棚にあるだろうか)、くだらない話をしてた。詳しくは覚えてない。

ある瞬間だった。先輩が、俺の制服の奥襟をふざけて握ったのだ。俺も反動で、奥襟を握り返した(反応するのが癖になってた)。それで、グイっと手を引いたら、先輩の顔が近くにあった。それで……思わず抱きしめてしまった。

先輩は縮こまってたけど、やがて俺の肩を押した。抵抗してた。「先輩、好きです」と言ったけど、「彼氏いるから」だってさ。すると、先輩が無理やり立ち上がって、部屋を出て行こうとした。

まっすぐ追いかけて、先輩が部屋を出る前に腕を捕まえた。ヨイショッと体全体を掴んで、そのまますくい投げのように抱きかかえて、ベッドにまで運んで転がした。

そして、上に乗っかって、先輩の顔を見詰めていた。どんな表情だったかは覚えてない。「好きだ!」と大声で叫んだのは間違いない。

先輩は固まってた。俺は覆いかぶさって、そのままキスをした。手首とか指を掴んで、そこからはアッという間だった。先輩も抵抗はしなかった。ただ、ずっと受け入れていた。最後までいった。

最後までやった後、ベッドの中で先輩の体を抱きかかえて、「彼氏と別れろ!!」って求めた。何度も。何度も。三度は言ったと思う。先輩は悩んでたけど、最後には「はい」って返してくれた。それから口づけをして、ずっと体をくっつけ合っていた。あれは、あの瞬間だけは、本当に受け入れてくれたんだと今でも信じてる。

それから、何度か食事をして、デートにも行った。本当に数回だけど。子どものうちって、こんなもんだよな。

残念ながら、先輩が高校に進んでから柔道試合会場でしか会うことがなかった(当時、携帯電話大人嗜好品だった。子どもが持つものではなかった)。試合場で俺が声をかけると、前と同じように笑ってくれた。

高校からは、柔道をやってる男女の距離は離れてしまう。物理的にも、精神的にも。まるで違う存在になったみたいだ。先輩も俺も、柔道の名門高校に進んだこともあって疎遠になった。でも、どっかでまた告白しようと思っていた。



あれは、先輩が高三になる年の、大会名までは覚えていないが……先輩は、規模の大きいローカル大会に出場していた。全国から有名校が集まってくる。俺も出場していた。

その日先輩は、団体戦の時に、投げられた拍子に首から柔道畳に突っ込んでしまった。それでひどいことになった。

そのシーンを見ていた。相手選手は、先輩を背負いで投げる時に、もうちょっとで投げられるって思ったんだろうな。自分の頭を柔道畳にダイビングさせて、その勢いで先輩を垂直に転がそうとした。しかし、最初に畳についたのは先輩の頭だった。それで、頸部を痛めて試合中に意識を失った。

先輩は、頸椎損傷で意識不明の重体になった。あれは今でも覚えてる。救急隊員がタンカを運んできて、柔道から大急ぎで先輩の体を運び出していくのを。

意識は戻ったが、先輩の体は動かなくなった。脊髄がやられたらしい。もうすぐ高三になるタイミングだった。

柔道はできなくなったし、学校にも通えなくなった。先輩は、公立高校スポーツ推薦で入学していた。柔道できないとなったら肩身が狭いだろうし、そもそも卒業できるか怪しかった。

結局、卒業はできなかったんだっけ。病院から出られないんじゃ、しょうがないけど。俺、その頃は高二だったけど、先輩の病室に月に一度は音連れた。

今の状態のこと、いろいろ話したっけ。首から下の感覚がなくて、手足がまったく動かせないわけじゃないけど、お風呂に入っても温度とか感じないんだってさ。

俺が高三になる頃には、病院から出て車椅子生活できるようになっていた。自宅で療養してたけど、脊髄以外にも問題があるようだった。合併症で、呼吸とか循環とか消化とか、そういう機能にも。

大学進学で東京に出たら、先輩には会えなくなったけど、メールはしていた。今でいうガラケーである。当時は最新鋭の機器だった。中高生が見るようなバラエティ番組で、ケータイPHSコマーシャルが流れていた。先輩とのメール内容は思い出したくない。少しは覚えてるけど。

大学の長期休み帰省時、先輩に会いに行っていた。先輩、いつも普段着で、オシャレができないのを気にしてたっけ。俺はもちろん、そんなことは気にならなかった。ずっと先輩に会いに行っていた。

大学三年生の終わり頃だった。先輩が自宅で亡くなってから携帯電話とか、誕生日プレゼントとか、一緒に撮った写真とか、先輩との思い出ごとゴミに出した。今では取っといた方がよかったと思うこともあるが、やはり捨てといてよかったと思い直す。

せっかくの機会なのでメールを思い出してみるが、本当に部分的である脈絡なくて意味不明だし、記憶改ざんが起こってる可能性大である。お許し願いたい。

いつも大体、俺からメール送信していた。先輩とのメールは何十回も見返したか記憶にこびり付いてる。

「今度帰省する時、お土産なにがいい?」

東京ばな奈」

「あれ、前も食べなかった?」

「また食べたい」

リハビリとかしてるの」

「してない」

「どうして?」

無駄だし」

無駄じゃないかも」

「体が動かない。自分でどうにもできない」

車いすで動くのは? また一緒に外に行こうよ」

「恥ずかしい。あれで外出たくない」

今日学内リーグ戦で優勝した」

「やったじゃん」

「次の決勝リーグで負けたけど」

一年生でそれならすごいじゃん」

「次は勝ちたい。俺がレギュラーなったら、試合見に来てくれる?」

「え。親がお金出してくれるかな」

「出してくれるよ、きっと。だめでも説得する」

「  くんは彼女いるでしょ?」

「いないよ。できたことない」

うそ

「嘘じゃない」

「今年の春、私に結婚したいって言ったの覚えてる?」

「うん」

約束守れる?」

「うん。自活できるようになったら迎えにいく」

「じゃまだからやめた方がいいよ」

邪魔じゃない」

「じゃまだよ」

「俺と結婚するの嫌?」

「ううん。  くんと結婚したい」

「よかった。自分もっと信じて」

ありがとう団体戦がんばってね」

「俺の力だけだと、どうにもなんないけど笑」

「  くん。体がイタイ…」

大丈夫?」

「うん。痛い。けどがんばれるかな」

「できるよ」

「呼吸も苦しい」

電話する?」

「できない。息ができない」

「今度の春休みに会いに行く」

「きてほしくないかも」

「なんで?」

「どうしても」

「  の気持ちはわかったけど、また帰省した時に行くから

「歩けるようになりたい」

「なれるよ。絶対

「なれるかな」

「うん」

ありがとうね」

「  。今、何をしたい?」

さわりたい」

「何に?」

「  くんに」

「俺も  にさわりたい」

「ほんとうに?」

「本当だよ」

先輩は自宅で亡くなった。先輩の両親は言わなかったけど、後に自殺だということがわかった。

その時分、大学三年生だった俺は、国内でも国際でも大きい大会があったから、お通夜にも葬儀にも行けなかった。納棺日に間に合わなかった。お骨も拾えなかった。

それから今に至るまで、本当に好きな人っていうのができたことはない。年齢を重ねることで、恋愛する能力が落ちているだけかもしれないが

墓参りはずっと行ってたけど、近年は行ってない。夢の中に先輩が出てきて、「もう来なくていいよ」と言われたのだ。夢の中だったけど、信じることにした。朝起きたら、涙が出ていた。

ありがとう先輩。先輩のこと覚えてる人間、俺が人類最後になれるよう祈っててほしい。

次です(最後

https://anond.hatelabo.jp/20241011192841

2024-07-13

anond:20240713183344

じゃあ白人だけで水飲み場バスを使いたい白人お気持ちはどうしてくれるんですか

2023-10-13

近所の神社の猫の思い出

実家の近くに少し大きめの神社があった。そこそこ大きいが人はそんなに多くなく遊べる薮や野原の駐車場コンクリ広場もあって良い遊び場だった。

そこによく猫が捨てられていて地域猫まではいかないものの皆がダンボールや毛布や餌を持ち寄っていた。多くて10匹くらいの大人の猫がいたかな。

猫は比較的人馴れしていて触らせてくれるやつが多かったがやはり野良なのか性格が荒いやつもいた。

きっかけは遊び仲間のリーダー格の奴がその荒い猫に引っ掻かれた時だった。リーダー格はその猫の子供で少し大きくなっていた若猫をいきなり蹴りあげた。皆がえっ?てなったのを覚えてる。

でも馬鹿なので「サッカーだぞ!」ってリーダー格が叫んだら皆こぞってその若猫を蹴り始めたよね。自分も3回くらい蹴った。ふにゃついてて全然飛ばないのよ。ボールじゃないからそらそうだけど。

もちろん死んじゃって、リーダー格は菓子ゴミと一緒にゴミ袋に入れて普通にゴミ箱に入れて神社水飲み場で手を洗って終わった。

なんだかその日から猫=好きにしていい生き物ったなったんだよね。

紐で木から吊り下げてボクシングの真似して殴ったり。目やケツの穴や鼻を瞬間接着剤で塞いだり。ケツの穴にアイスの棒何本入るか試したり。生きたまま土に埋めたり。ライターで燃やしたり(猫って火をつけるだけじゃ燃えないのはその時知った)生まれたばかりの子猫を潰してキャットフードに混ぜて親猫に食わせたり。

子猫を狙って遊んでたおかげか猫の数が多くて全然バレなかったな。木を隠すなら森の中ってやつ?

その内自分達はゲームに夢中になって神社には行かなくなったが自分達の後輩にそれが引き継がれていたのは覚えてる。

神社だしバチ当たるかな?と思ってたけど今年38歳で進学も就職結婚も滞りなく過ごしている。子供健康のものだ。

すっかり忘れてたけど子供かわいいねーって言いながら野良猫の尻尾引っ張ってるの見て思い出した。時効は3年。

あの時命のおもしろ…いや大切さを教えてくれた猫達ありがとう

2023-09-21

手洗い場で手を洗うやつ、最高

化粧室で化粧するやつ、最高

水飲み場で水飲むやつ、最高

踊り場で踊るやつ、最高

2023-08-02

地方在住ファミリーディズニーランドに行ってきました

子供小学校入学し、最初夏休みに入り「夏休みどっか行きたいところある?」「ディズニーランド」となり、日曜日出発の2泊3日、地方在住の俺・妻・子供2人(姉小1、弟5歳)ファミリーディズニーランドに行ってきた。特に目新しい情報はないし、内容も日記としてありふれたものになるが、備忘録も兼ね残しておこうと思う。

●1日目(自宅~ホテル

地方在住なので、移動は新幹線に乗る必要がある(他の移動手段もあったが、新幹線利用は妻と子供希望)。

未就学児は膝上であれば料金はかからないが、暑いだの狭いだの騒ぐことは予め分かっていたので、お金はかかってしまうが、素直に4人分の指定席を取った。

3座席を取って子供を間に2人座らせるというプランもあったが、子供が2人同時に「窓側がいい」とか言い出すと死ぬので、その予防策として2座席2列とした。

2座席であれば大人のスペースは実質1.4~1.6人分ぐらいになり、ゆとりができるのもよい。

東北新幹線で午前中に乗車したので、昼時に上野駅で降り、某ファミリーレストランで早めの昼食。

日曜日ということもあって「普段こんなに並ばないよね?」という店もそれなりに行列が出来ていたりした。家族で(子供は初の)東京ローカルグルメに舌鼓をうつ

昼食後は駅に戻り、山手線東京駅まで。上野駅構内ではプラレールの展示などをしており、地方との経済力格差を改めて目の当たりにする。

東京駅に着いたので、移動で疲れた子供ガス抜きもかねて、東京キャラクターストリート散策する。日曜日に行ったので、まあまあの人だかりであった。

娘と妻のお目当てである「ちいかわらんど TOKYO Station」に至っては入場制限すら発生している始末で「ただ商品を見たいだけ」すら敵わずあきらめる。

このあたりから子供疲労を訴えはじめる。初の東京駅で人だかりに酔ってきたのだろう。適宜おんぶなどでやりすごす。

改札口から京葉線ホーム間の徒歩移動、これが今回の行程における最難関であるといってよい。

大人でも初めて行くとまあまあ遠いと実感するぐらいの距離で、普通に歩くと疲れるし、それでも普通に歩くしかないというところがつらい。

途中「動く歩道」があるのでまあまあやり過ごせるが、地方在住で車慣れしていると、この5~600mの距離ですら、えらくしんどく感じる。

行きはまだ子供が「動く歩道」にハマっていたので、完全おんぶ移動は免れた。

京葉線東京駅から新浦安駅まで移動する。最初舞浜駅で降車しイクスピアリに行き、そこからシャトルバスホテルへ行くことを予定していたのだが、思いのほか子供の疲れが早く来てしまったので、いったん新浦安駅至近のイオンスタイルで休憩がてら時間をつぶすことにしたためだ。

イオンスタイル日曜日にしてはあまり客がおらず「都会のイオン」にそれほど慣れていない地方在住ファミリーにとっては十分楽しめる空間であった。

ぼちぼち時間をつぶしたため、路線バスで某ホテルへ向かう。

シャトルバスではなく路線バスなので、乗車している客はほぼ「近辺に住んでいる人」で構成されており、各バス停でまんべんなく降りていくような具合だった。

明海付近団地はいつ見ても壮観で、子供も大いに興味を示していた。

個人的には今川団地を見ると「ああディズニーランドに来たな~」という実感が湧くのだが、共感してくれる人があまりいない。

ホテルは目立って可もなく不可もなくだが、コインランドリーが少ないのと、近辺にも単独コインランドリー存在しなかったため、洗濯にそれなりに苦労した。

大人だけであれば洗濯なぞせす、着替えも好きにすればよいが、子供が居るとなんだかんだで不意に汚したりすることもあり、いくら着替えを持っていっても足りない。帰宅してから大量の洗濯物と格闘するのもそれはそれでおっくうである荷物は予め送っておいたので移動する手間がなかったのは幸いだった。

子供を先に寝かせ、大人明日の準備などをし就寝。

●2日目(ホテルランドホテル

朝食会オープンと同時に即朝食を済ませる。朝食メニューは和・洋と極めて平均的な感じだが、スタッフが多く、ホスピタリティは高かった。

子供向けのバイキングコーナーもあり、やはり子供用なのと、夏休みということもあってほぼ戦場と化していたが、ああいうのも子供としては嬉しいのだろう。

嬉々として子供用のチーズフォンデュをこしらえて食べていた。

身支度を整え、シャトルバスディズニーリゾートへ向かう。

ちゃっかりパートナーホテルに泊まってしまったので、シャトルバスは「きょうリゾートを去る人」か「これからリゾートへ行く人」でバッサリ二択となる。

日曜日に前泊したのでランドへ行ったのは月曜日だったわけだが、それでもまあまあ「これからリゾートへ行く人」が多かったように思う。

子供休みなのはともかく大人が平日月曜日とあればそこまで混雑はしないのでは・・・という予想をしていたが、甘かった。

子供休みであれば大人休みだろうし、そういうタイミングを狙って来ている人も決して少なくはない。

このへん、地方に居ると「わざわざ感」が高くなってしまい、感覚としてわかりにくいところである

シャトルバスに揺られ、ランド横のバスターミナルで下車。

BGMやゲート前の雰囲気で、一度行ったことのある大人なら否が応でもテンションが上がる瞬間だが、子供はいつもよりも早く起床したせいで「眠い疲れた」などと言ってくる。

「もうすぐ楽しいのがいっぱいあるよ」など、抽象的な言葉で期待を盛り上げつつ、なんとかゲートを通過。

年齢が年齢ということもあり、ランドでの滞在の半分をほぼファンタジーランドトゥーンタウンで過ごす。

40周年記念プライオリティパスは「プーさんのハニーハント」に利用したが、朝9時の段階で17付近の案内になっていた。人気なのは分かってたけど、すごいな。あくまで平日ですよこれ。

ファンタジーランドの「キャッスルカルーセル」や「アリスのティーパーティー」などは、正味ほかの遊園地でも体験できる類のアトラクションではあるが、ランドであえて乗る、というのも年齢が年齢でないとやらないものではあるので、そういう意味での新鮮味はあった。

トゥーンタウンではたまたまタイミング良く、短時間で「ミニースタイルスタジオ」と「ミッキーの家とミート・ミッキー」を楽しむことができた。

気持ちミニーの方が混雑していたように思う。ミートミッキーはもうみんなだいたい体験したのであまり並ばないのだろうか。

昼食は「クイーン・オブ・ハートのバンケットホール」で頂くことにしたが、ちょうど昼食の時間帯にぶち当たっていたせいで、30分ほど並んだ。

少し早めか遅めにすれば良いのだが、きりの良い時間でなかなかアトラクションを諦めきれないというところに、ランド飯の難しさがある。

子供はお子様セット、大人スペシャルメニューを堪能し、妻と「やっぱりランド飯はなんだかんだでうまい」と感想を交換し合う。

席は500席と多いのだが、子供連れが一挙に押し寄せてくるのもあってか、ほぼ満席だった。平日月曜日でこれなのだから休日の混在ぶりは想像に難くない。

なんとなくだが、この店は食事というより、お茶休憩などのニュアンスで利用したほうが間違いないかもしれないと感じた。

・・・とは言いつつ、お子様メニューがあるのでどうやっても混むのは仕方ないのだが。

昼食後はワールドバザール周辺をぷらぷらと移動しつつ、近隣のワゴンポップコーンを買ったり、アイスを買うなどして、夜のパレードまでやりすごす。

気温は34℃上半身が汗でビッチャビチャになっていつつ、1時間に1回は自動販売機に足を運ぶような勢いだったが、あの暑さでも徹底して自動販売機しかPET飲料で4種類くらいしかない)でなんとかせよという感じになっているので、コンセプトの揺るぎなさは流石だなと思うなどする。まあ売り切れることはないと思われるので、その点は心配なさそう。

ちょっと前は大人用と子供用で高さの違う水飲み場ランド各所にあった気がするが、自分が探した限りでは、ワールドバザール南西のトイレロッカー横にしか見つけられなかった。コロナ禍を経たせいでなくなったのだろうか?

PET飲料は持ち込み可とはいえリュックパンパンに詰めてランド内を歩くのはあまり現実的とは思えないので、もうちょっと簡単飲み物が入手できるようになってくれると嬉しい。

日中様々な場面で並んだが、行列から聞こえてくる会話のほとんどが外国語だったのは、ある種の驚きがあった。

日本語ほとんど聞こえないなと思ってはいたが、ここまでインバウンドがすごいことになっているとは思わなかった。

特にトラブルはなかったが、外国にもディズニーあるんだから少なくとも本国の人は本国ランドに行っといてくれと思うのは俺だけだろうか。

めちゃくちゃディズニーが好きで、特に日本しかない何かがあるとかだったらわからなくもないが。キャッスルカルーセルとか別にみんなで並ばなくてもよくない?

ここで唐突だが、筆者個人の「ファミリーから見た、ディズニーで嫌な気持ちになるゲストベスト3」を発表する。

3位は「スーベニアショップ一角占拠して写真を取り続け、自分たちの世界に入っている謎の男女ペア

2位は「似たような格好で6~8人1組になってイモムシのように移動・徘徊し、トイレなんかもその単位で入る女子集団

1位は「周りを全く見ずに列を乱したり乱入したりする男女混合の大学生らしき集団

お土産は安定のグランドエンポーリアム。正直ディズニー土産といえば、ここかボンボヤージュぐらいしか知らないというのはある。

面積がデカいので俯瞰して見れるのはよいが、時間があれば他のショップも回ってみたいなとは思った。

個人的にはホームストアやマジックショップあたりが好きなのだが、時間的な都合で行けず。

持って帰るとつらい量になってしまったため、日通配送サービスを使うことにし、ゲート付近プーさんに遭遇するなど、嬉しいハプニングもあった。

「一日でミッキーミニープーさんに会えるなんて、かなりイケてるぞ」と言うと、子供は喜んでいた。たぶん。

経験上、エレクトリカル・パレードの手前あたりでウエスタンランドに移動しておくと、パレード見物でわりと良いポジションが取れるということは記憶にあったので、夕飯はハングリーベアレストランカレーとんがりコーン(ただのシンプルとんがりコーンだが、この「ただのシンプル感」が敢えて良い)を食す。

カレーはお子様用もあるし、なによりハングリーベアレストランは席数が690席とアホみたいに多いので、よっぽどでない限り座れないことはない。

なによりメインメニューカレーなので、提供スピードもめちゃくちゃ速い。

エレクトリカル・パレード鑑賞を目的としていないのであれば他の選択肢でもよいが、そうでなければ個人的にはハングリーベアレストランを推す。

食事を済ませたあとは、ウエスタンランドファンタジーランドの境目あたりに着席する。

早めに行くにこしたことはないが、あのあたりはそこまでがっついて前に陣取らなくても、そこそこ山車の迫力あるムーブが楽しめると思う。

19:00時点で子供はかなり眠そうにしていたが、ピクニックシートで仮眠したのち、エレクトリカル・パレードでは大いにエキサイトしていた。

LEDのお陰で終始めちゃくちゃ明るく、子供は「全部すごい」という大雑把な感想であったが、一度行った大人的には最後提供車(日本ユニシス、今だとBIPROGYですね)を見送ったあとのサウダージ感が「まさにこれ」という感じで、なんとも言えない懐かしさで満たされた。

パレード後は流石にお土産を買う気力もなかったので、シャトルバスに転がり込み、ホテル風呂を浴びて速攻で寝る。

パレードが終わった直後あたりの時間を使ってお土産とかうまく買えそうな気もするが、子連れだとなかなかそうもいかなさそう。

●3日目(ホテルイクスピアリ帰宅

前日のパレード見物の疲れもあってか、ダラダラと起床し、ダラダラと朝食を頂く。

もう帰るとなると準備などにもあまり身が入らないが「最後イクスピアリ行くよ」と子供に伝え、身支度をさせる。

シャトルバスランド手前まで行ったのち、ぐるっと回ってボン・ボヤージュとイクスピアリへ。

ボン・ボヤージュでは(ランドで買えば日通で送れてよかったのに)下の子ベイマックスぬいぐるみにドハマリしてしまい、どうせあとは帰るだけだから気合で持って帰るか!となってつい購入してしまったため、帰り足はエコバックから顔だけを出したベイマックスらしき物体ファミリーに加わることとなった。

イクスピアリでも色々と見たかったが、さすがに2日間歩き通したのもあってか「もう歩けない~」となったため、早めに舞浜を後にする。

地元にはない3COINS+plusとかついでに見たかったんだがやむを得ず。

京葉線ホームから新幹線構内まではまた地獄の長距離移動となったが、ベイマックスを使いながらなんとか鼓舞した。

これだけでも買ってよかったと言えるくらいには、頑張って徒歩移動したと思う。作品もまだ見たことないのだが、ありがとうベイマックス。今度観ます

東京駅ではグランスタで遅い昼飯を調達し、新幹線ホームの休憩所でヌルッと休憩するなどし、無事乗車して帰宅の途につく。

東京駅は座る場所ほとんどなく、特に子供を連れたファミリー層に優しくないことこの上ないのだが、あれはもうちょっとなんとかならないだろうか。

とにかく座る場所がないので、子供は頻繁にしゃがみながら移動していた。おんぶしようにも大人の体力も無いし、だいいち前が見えなくて危ない。

新幹線改札口横にロッカーがあって、一旦そこに荷物を預けたのち、駅構内を移動できるとか、そういうのができるだけでもだいぶ違うんだが。

帰りの新幹線爆睡・・・という感じでもなく、遅い昼食を食べたり、買ってきた小さいお土産遊んだりした。

子供休みながら移動していたのであまり眠くなかったようだ。

さな、ありふれた旅行ではあったが、子供の成長を実感した旅であった。

追記 2023.8.3)

上野で降りたんなら、日比谷線に乗って八丁堀京葉線に乗り換えると、東京駅回避できたのに

最初それもちょっと考えたんですが、できれば東京キャラクターストリートに行きたいとなったので止むなく・・・でした。

>まだ小さいから連れてってつて言われないけど正直今のディズニーの値段は日帰りでもキツいわ

自分場合は、コロナ禍で3年くらいどこにも行けてなかったので、3年分積み立てていた旅行貯金を崩したような感じでした。

ただそれでも高いは高いですよね。

道中頻繁に「まあ、ディズニーだし、それなりに、な!」みたいなやりとりを妻としたりして、物価高を痛感した旅でもありました。

>「都会ではこれが楽しいんだ」と教えてやりたい

田舎だとなかなかできない「人がいっぱいいるゆえにどうにもならないことがある(アトラクションで並ぶとか、電車で座れないとか、店が混んでるとか)」を、ギリギリ楽しい」とのバランスを取りながら体験できるのが、ディズニーランド旅行なのかなと思いました。人馴れしてほしいというのも確かにあります

ただ、あんまり小さいと覚えてないかもしれないというのも、わかります。姉はたぶん覚えていると思いますが、弟はどうかな・・・

新浦安イオンまさか地方から行く人がいると思わなんだ

目的であるディズニーリゾートから一番近くて一番デカイオン、という感じで行きました。

ゲーセンGiGO)とかあるし、急に子供の何かが必要になってもデカイオンがあれば大丈夫かなと。

最初イオンモール幕張新都心へ行く計画も立ててたんですが、今考えてみると無謀すぎますね。

>「車でまとめて移動してホテルにぶち込んで後は勝手やらせる」方式家族旅行しかしたことがない

個人的には(地方在住ということもあり)車の方が良いんですが、妻と子供が圧倒的に「公共交通機関での移動スキー」なので、そこで折れました。

めちゃくちゃ疲れましたが、体験としては悪くなかったかなと。

電車で移動すると旅先で酒が飲めるというのが逆に新鮮で、そこだけちょっとしかったです。

追記 2023.8.4)

>ちいかわの店は開店と同時位にいかないとなかなかしんどい

やっぱりそのくらい人気なんですね。ちいかわ人気は地方に居てもそこそこ実感してたんですが、東京キャラクターストリートともなると混雑具合は別格ですね。

東京駅アクセス至便というのが、一層難易度を高めている気がします。

>4人2泊3日でコミコミでおいくら万円

往復の電車賃(新幹線)、食費、ホテル代、入園チケットの合計で10万円付近でした。

(実際にはお土産とかもあるのでそれを超えましたが・・・

Permalink | 記事への反応(7) | 22:58

2023-07-18

朝の公園臭い

家の近くに大きめの公園がある。区が契約してると思われる公園整備の人たちが入ってるので、ゴミどころか落ち葉も落ちてない。

でも、朝の公園がくさい!!!

おしっこのニオイ!夕方〜朝にかけて散歩した犬のおしっこ臭いが夏の熱気で蒸されてすごい臭いになる。

そのニオイの中を散歩できる犬好きは鼻がおかしくなってるに違いないって確信できる臭さ。

ずっと思ってるんだけど、コンクリートの道でおしっこさせるのなんで?

横に草むらあるじゃん道路歩かせてて、コンクリートの道しかないなら仕方ないかもだけどさ。ここ、少し踏み込んだら草むらじゃん。

おしっこに水かけたところで何も変わんないよ。排水溝なんてないでしょこの道。てか、水少ないな!

犬が吠えてくるの押さえつけてくれてありがとね。でも、あなたが水で薄めたおしっこが私の靴につきそうなことについては気にならないんだね。ここ坂道から少ない水でも周りに広がるんだわ。

あと、この公園幼児が多くて、水たまりがあると走って触りに行く子が多いみたいだよ。

少なくとも水飲み場の周りでおしっこさせるのはやめさせられんか。

たくさんの犬のおしっこ薄め水が集まって水道の近くの道がびちゃびちゃだから水遊びした水だと勘違いしてる子供がたくさんいるっぽいぞ。

犬も生理現象でやめられないし、コンクリートだらけの街で犬のおしっこどうにかしろって言われても難しいかも知んないけどさ、夏場はきついわ。

この前ペットシーツおしっこ吸ってから水かけてた人いたよ。それでどこまで軽減できるかわかんないけど、気を使ってますって言う姿勢は見せて欲しい。

ちょろっと水かけたらOKって思ってる人たちは全員無理。やるならもっと薄めてくれ。めちゃくちゃ薄まった水が靴につきそうなくらいなら、こっちが100歩譲るわ。

だって散歩しないといけないもんね。

でも水とおしっこ1:1はほぼ変わらんて。こっちも譲歩できないわ。

2023-05-22

キノピオカフェ店員「この水はキノピオたちが森の雫を集めて作ったものなので美味しいですよ!」

という割には、水を入れるコップはなく、その水が出る水飲み場しか飲めない

とんだぼったくりカフェだよ!

それ以外は良いカフェ

2023-05-15

anond:20230515231317

ChatGPTにぶん投げた質問の例(※1. 抽出には気をつけたが増田で見かけたことがあるのが混じってたらそれは俺だスマン ※2. 質問や回答が面白かったというわけではない):

2023-05-06

anond:20230506161932

いつか「溜めたお湯に順に入るなんて不衛生」ってなったら浴槽にお湯を張るのは無くなったりして。あるいはかけ流し

勿体無いけど、たとえば今じゃ駅の水飲み場を使わず自販機で水を買うように、勿体ないという意識もなくなるかも。

2023-04-24

こういうアホな反復作業やらせると君は輝くな

具体的なことは何も言わないので結局よくわからないがとにかくすごくよかったらしい

ラーメン屋のべた褒めレビューを100文字程度でお願いしま

「今まで食べたラーメンの中で一番だった!素晴らしいスープと麺の相性、そしてトッピングボリューム感に感動しました。

店内の雰囲気も良く、スタッフの方々もとても親切でした。また必ず来たいと思わせる、最高のラーメン屋さんでした!」

具体的なことは何も言わないので結局よくわからないがとにかくすごくよかったらしい

公園水飲み場のべた褒めレビューを100文字程度でお願いしま

「この公園水飲み場は、何度来ても心地よい水の美味しさに感動します。冷たくて清涼感があり、口当たりもとても滑らかです。

水飲み場自体も清潔で、水道の水とは思えないほどの高品質な水を提供していると感じました。

この水を飲んでから運動散歩も一段と気持ち良くなります地元の方に愛される水飲み場として、ぜひ一度訪れてみてください!」

2023-01-14

anond:20230114203216

動物水飲み場うんこしないのは「ここでうんこすると水が汚れて自分も飲めなくなる」と感覚にわかってるから

成獣が落ちてるうんこを食えるかもって口に入れたりしないのと似た感じ

2022-07-23

猫の話

いつか、もしかしたら。今の悲しい気持ちが消えてしまうんじゃないかと思うとゾッとするので、どこかにしかった証拠を残したかった。

私は27歳。職業はある国家資格を使う仕事手前味噌だが世間的にはまあまあ立派な職業だと思う。

猫を飼っていた。先月死んでしまった。17歳だった。人生の半分以上をこの猫と過ごした。

毛先が黒色だけど根本が白い、不思議な色をした雑種の猫だった。誰よりも私のことを考え、誰よりも私を愛してくれたと思う。

祖母実家地域でやっていたお祭りで、ドブに捨てられていた子猫がいたって騒ぎがあった。実は祭り一年くらい前に母が飼っていた猫が亡くなっていた。直感で飼った方がいいと思った。まだ小学生で金がなかったため、祖母と母に土下座して飼いたいとお願いした。

今までで土下座したのはあの一回だけだし、やってよかったと思う土下座ももうあの一回だけなんだろうなって思う。

実を言うと親とは仲良くない。親は兄弟を殴ったし、作る料理はまずい。

猫がいなかったらとっくの昔に私は死んでいたし、家には帰っていなかったと思う。

中学時代は本当に幸せだった。友達も多く、学校が楽しかった。そのこともあり学業は非常に伸びた。しか高校では吹奏楽部というブラック部活に入ってしまい、週7日部活だった。先生は怒鳴るわ、洗脳じみたことはするわ、テスト近くても大会があれば部活するわで最悪だった。びっくりするぐらい成績が落ちた。今思うとあれは鬱症状だったんだと思う。泣きながら登校し、血尿を流し、声が出なくなるときもあった。あの時は猫の世話を疎かにしてしまうこともあった。本当に申し訳なかった。それでも猫がいたから首を括らずに済んだと思う。

偏差値は低めな大学だが、なんとかして特待生として合格することになった。引っ越しにも猫を連れて行った。実はこの猫5回も引っ越しに付き合ってくれた。猫は犬と違い、基本慣れない場所ストレスを感じる。それでも連れて行かさせてくれて感謝しかない。

大学では成績は上位をキープすることができた。勉強する私の膝には大体猫がいた。猫と一緒に1人暮らしする時もあり、本当に幸せだった。この時点でまあまあ猫はおじいちゃんである尿路結石になった。まだ車を持っていなかったがなんとか獣医に連れて行った。食事ちゃんと選んで買った。

国家試験が近づくたびに、お願いだから国家試験の時には死なないでくれとお願いした。叶えてくれた。そして無事に留年することもなく一度の試験合格することができた。

就職した。今も同じ職場にいる。就職も見守ってくれたことに感謝しかなかった。自由に使えるお金が手に入り、猫にはおもちゃを買ったり少しお高めの餌を買ったりした。

帰宅すると猫が待ってくれていて、頭を撫でると嬉しそうに鳴いた。

朝起きると猫が腕の中にいるか、近くに座っている。平日は私を叩き起こすのに、休日はそっと寝かせてくれた。本当に優しかった。

お昼寝する時は額を寄せ合って寝た。

食い意地が張っている猫なので、私のご飯を欲しがった。味が薄めで猫が食べられるものは少し分けたりもした。

尿路結石食事に気をつけたり、水飲み場を工夫したりした成果か、死ぬまでの5、6年再発しなかった。だから油断していた。

就職から一年たった。仕事も覚えて来て、後輩指導を任され、大変なことも多いが順風満帆だと思った。思っていた。

猫が食事を食べなくなった。といっても全く食べないわけではなかった。通常猫は貰った食事を少し残すが、食い意地のはっているうちの猫は毎回すぐに完食していた。

この時点でおかしいか病院に行こうと思って、平日なんとか定時で帰って病院に連れて行った。末期慢性腎不全だった。もう年齢のせいだろうと、無理に治療するより看取りに入った方がいいだろうと言われた。獣医によると、これから吐き気が出てご飯が食べられなくなるから無理に食べさせないこと、水はたっぷり用意すること、いつもと違う匂いがし始めたらそろそろだということ、死ぬときは苦しまないで高カリウム血症でぱたっと亡くなることを聞いた。

家に帰って泣いた。ものすごく泣いた。鼻水めっちゃ出た。ご飯は食べられなかった。でもそんな私を見て、猫は私を心配そうに私を見ていた。どうしたの?って顔で私のそばにいた。猫自身の方がしんどいくせに。

次の日、猫は箪笥の奥に入るようになった。死ぬ前の猫は普段行かないような暗くて狭い所でじっとする。共倒れだけは避けないといけないと、無理矢理ご飯を食べた。それでも私は2週間で4キロほど痩せた。猫はいもの餌を食べなくなり、死ぬ2日前にはちゃおちゅーるも食べなくなった。ちゃおちゅーるの封を切って差し出す私に悲しそうな様子を見せていた。

猫としてのプライドを守ろうとした。猫本人の意思でもある。ふらふらになりながらも出来るだけ粗相したくないと自分トイレ自分の足でいこうとしていた。水飲み場は、すぐ飲めるように引きこもる箪笥入り口付近にも作ったが、それよりも遠いいつもの水飲み場で水を飲んでいた。

なんとか歩けるようにとペットシーツを部屋全部に敷き詰め、持っていたヨガマットはこけた時のクッションになるだろうと、切ってよく通るところに並べた。お気に入りヨガマットに爪研ぎされた時にはあんなにショックだったのにおかしい話だ。

獣医に行ってから2週間後。早朝に亡くなった。有給を取っていた朝だった。猫は死ぬ日まで気を遣ってくれた。徹夜してそばにいようと思ったが、看取られたくない、そっとしてほしいという猫の様子に任せた。

その日のうちに火葬した。昼ごろに火葬の予約を入れて、その時間まで久しぶりに猫と添い寝した。葬儀屋の人には、こんなに骨が太く残っていて、腸あたりに食べ物の跡が残っているということは、飼い主と猫本人が最後まで頑張った証だと言ってくれた。会ったばかりの葬儀屋の人の前でもドン引きレベルで泣いた。

火葬して遺骨は粉骨にし、手元供養しようと考えていた。2週間も猶予をくれた猫のおかげで考えはまとまっていた。

もう少しで月命日。一か月毎日泣いている。四十九日が悲しみの折り合いらしいが、四十九日が過ぎても泣いていると思う。100か日が四十九日の次の目安だ。この間に猫はこんなに立派でしたと閻魔様に証明する必要がある。猫のお陰で取れた資格仕事をし、泣いたり偲んだりすることで証明できるのではないかと思って、今生活している。100か日を過ぎたら猫を追いかけようか悩んでいるところだ。ぐちゃぐちゃの文章だが、記録を残せて良かったと思う。

2022-06-24

anond:20220623181046

わかる…ただこれは住んでる地域小学校によって当たりはずれもすごいある。

北海道体操着っちゅーもんがないので体操着ゼッケンのあれやこれやは無い(服、持ち物、全部に細かく記名なのは一緒だ)

水筒もよっぽど暑い日じゃなければ持ってく持ってかないは子の裁量に任せる。「重いか水筒持ってかない、学校水飲み場で飲む」というタイプの子場合、盛夏以外はそんなに水筒準備してない。

子の小学校では、

コロナ禍以降の毎日の検温あり、

プール授業の検温あり、

給食袋は月曜に持っていき金曜日に持ち帰って洗濯

タブレットPCも月曜に持っていき週末持ち帰り。(小1からやらされてた)

月曜日の教科によっては 

教科書フルメンバータブレットPC給食袋+図書館の本

とかってなって物理的にランドセルに入らない。

さらに雨が降ってたらカッパだ傘だ長靴だってなってもうなにがなんだか。

マスクは持ち物として必須だけど家ではしないから家を出る直前に持たせる、ゆえによく忘れる。

あと北海道冬になったら雪が降るから外套も厚着だしスキー学習スキースキー靴を自力で持ってくし(低学年は親が付き添う家庭もある)

子の学習荷物以外にも、火曜日に持って帰ってきたお便りの返事を金曜までに名前書いて提出してくれとか。あるある案件の「明日使うのでラップの芯持ってきて」とかはさすがに翌日指定は今のところ無くて1週間後とかだけどそれもタイミング合わないとほんときつい。学童行ってた時は学童用の連絡ノート帰宅時間とかお迎えする一人で帰るお便り入れました懇談会の参加希望日返事くださいとか。

ほんと小学生の持ち物についての話題は尽きない

2022-04-14

睡眠時間が短くなる増田危機気の出す丸鳴くか地味眼科人観椅子回文

おはようございます

今週は睡眠時間短め昨日なんか5時間切っててアラートよ。

今は便利よね。

スマートウォッチ

睡眠時間が計れるんだから

でも人間がいつ寝た判定どうやってるのかしら?って

床に入った時間睡眠に入った時間とでちゃんと別れてる時があったりするので、

そんで、

夜中にふと目が覚めた時刻も刻印されているか

なかなかたいしたものだわって

このテクノロジーのことにはただただ驚愕するわね。

便利だわ。

そんで毎日睡眠時間も計れちゃうから

今日は早く寝なくちゃ!ナウ!ってつぶやいてから寝ることが出来るのよね。

前に使っていたスマートウォッチ睡眠測定は

レム睡眠状態だとか

もっと詳しく見れてたんだけど、

つの間にかスマホとの連携が切れちゃって、

それ以降使うことがなくなってしまった時期があって

知らなかったんだけど、

その後他のスマートウォッチでも睡眠計測出来ることを知って試してみたら、

それこそ睡眠の質のレムなのかノンレムなのかまでは判定は出来ないけど

概ね私が納得する計測結果を叩き出してくれるので新記録よ!

気持ち的には鳥人間コンテスト

対岸まで飛べていけるような結果を叩き出してる感じが気持ちいいわ。

あれって実際に対岸まで行った記録ってあんのかしら?

カービィグライダーになって飛ぶシーンがあって、

すごい爽快でマジで風気って飛んでいる感じの気持ちよさと一緒だわ。

あのシーンだけを切り取って飛び回って楽しめるゲームがあってもいいぐらいよ。

まあ記録的には

毎晩好タイムを叩き出しているんだけど、

今週は短めなのが気になるわ。

なんとか踏ん張って乗り切りたいところね。

これのバランスが崩れたらきっとまたなんだか調子不調効果気味よろしく

日中眠たい加減がたまらなくとまらないのよ。

から絶対日々の6時間は守死して死守したいところだわ。

今日はまあ忙しくなるので、

早く帰れるように願っておくわ。


今日朝ご飯

今日は外出するかも知れないので、

朝無くても良いかと思ったけど、

草餅だけ食べときました。

いつランチにありつけるか分からないぐらい

ナミビアのさばくの水飲み場ライブ映像ダチョウ赤ちゃんたちがやって来るかどうかなぐらい

からないので、

最低限朝これだけは食べておくわ。

デトックスウォーター

私の最近お気に入りグレープフルーツ炭酸ウォーラーが売り切れで

売り場の棚になかったのがショックだったので、

代わりのレモン炭酸ウォーラー

今朝は乗り切ったわ。

からちょっと暑いわね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2022-01-11

3歳の息子と8歳の少年公園にて。

3歳の息子を昨日、公園に連れて行った。

たまの祝日ものんびりしてられないのが

子育て世代の辛いところだ。

いつも行く近所の公園ではなく、

歩いて15分ほどの方に行くことにした。

さな公園で、遊具ブランコすべり台だけ。

しかし息子のお気に入り公園なのだ

公園につくなり、テンションがあがった息子は

「あそぼーーー!」と大きな声をあげた。

それは父親自分への発言だったのだが、

声が大きすぎた。一人で滑り台で遊んでいた

少年が「いーいーよー!」と言いながら

こっちに向かって走って来る。自分への

呼びかけだと勘違いしたのだ。

小学2〜3年生くらいだろうか。どうしよう、

ちょっとヤバい子かもしれない…と心配していたが

彼はとにかく良い子であった。

ブランコでも滑り台でも先に息子に遊ばせ、

息子が上手にできない時は自分がやって手本を見せ、

遊んでいる中で息子が電車が好きだと分かるや、

足で地面に線路を描き電車ごっこを始める。

とんでもないサービス精神の持ち主である

最終的にはぐるぐると追いかけっこするだけの

遊びとすら言えない行為に延々付き合ってくれた。

自分は一つしかないベンチに

腰掛けて、ずっと二人を眺めていた。

しばらく追いかけっこをすると

少し疲れてしまったようで、少年

自分の隣に座った。息子は少年と遊ぶのが

よほど楽しかったのか、余韻を楽しむように

まだ一人でぐるぐると走っている。

はいくつなの?と聞くと

7歳。でも、来月に8歳だと言う。

小学2年生であった。初見の時の

読みはだいたい当たっていた。

本当はこっちから声をかけようと思ったんだけど

コロナでそんなことしたら怒られちゃうかもと

思って声かけられなかったから、声かけてくれて

しかったと話してくれた。いや、それは

君の勘違いなんだけど…とは言わなかった。

小学校2年生って言うと、学校入ってから

ずっとコロナだね、と聞いてみると

そう。だから、こうやって遊んだ

あんまりできないんだと答えてくれた。

しゃべりながら遊んだりしちゃダメな感じが

あるんだと。それは大変だねと返事して

なかなか二の句を告げられずにいると、

喉乾いたから水飲もうと言って

少年はベンチからすっと駆けだした。

ねえ、君も水を飲みなよ、と彼は息子を

水飲み場に呼んでいる。

走る彼の背中を見ながら、

ああ、随分と長い間彼のような子たちに、

我慢経験喪失を味わわせているんだなあと思い

胸が傷んだ。そうして我々が手にした物は、

小学生のみならず

10代の若者たちに2年間もの期間を

無為に過ごさせてまで

手に入れる価値本当にあったんだろうか。

そんなふうに自問してしまう。

あと2か月もすれば春になる。

次の新学期には、せめて若者たちだけでも

これまでどおりの生活ができるように

してほしい。めいっぱい

しゃべって、遊んで、楽しんで

日々を過ごしてほしい。そんなことを思いながら、

夢中で遊び続ける二人を見ていた。

お昼ご飯も食べぬまま1時をまわり、さすがに

少年より先に息子と公園を後にすることにした。

二人でさよなら挨拶をして帰ろうとしたら

もう一度バイバイしてくると言って

息子は少年のところに駆け戻り、随分と長い間

バイバイしていた。ようやく戻ってきて

二人で歩き始めると、振り返る度に少年

手を振っている。曲道で僕達が見えなくなるまで

彼は手を振り続けていた。

2021-12-18

水飲み場

動物水飲み場ではケンカしないというのは本当なのか?

人間は酒飲み場でよくケンカしてるけど

2021-03-05

バカカバ

ここはアフリカの広大な草原帯のどこか。よく、サバンナとかサバナとか呼ばれたりするところ。

あっちにはキリンの長い首が何頭か見え、その近くにはシマウマ達が群れをなし、色々な鳥達が木々で羽を休めて、囀りあっており、そして草むらをよく見ると、草食動物を虎視眈々と狙う肉食獣が何匹か身を潜めている、長閑に見えて実際には緊張の走るところ。

 

そんなに様々な動物達が一望できるのは、そこには大きな水溜り、ちょっとした池のような沼にも見える動物達には欠かせない水分補給の場があったからだ。

そこで最も支配的だったのは象達だった。

象達はとても頭がよく、身体も大きく、意外と俊敏でもあり、肉食獣に狙われることはあったにせよ、肉食獣にとっても沢山の肉が手に入る敵ではあったものの、できれば避けたい相手でもあった。

それ故、象達は仲間の何匹かを見張りにつかせつつ、悠々と水飲み場一等地占有していた。

一等地というのは、まず水があまり濁っていないことであった。濁っている水は不味く、病気になることも多いと象だけでなく他の動物達でさえ知っており、濁りの多い場所は閑散としていた。

 

そして、象達から少し離れた、一等地ではないものの、そこそこ水の綺麗な場所を陣取っていたのは、カバの群れだった。

カバは象ほどは賢くはないし、体は大きいものの、象ほどには身軽ではなく、獰猛さを見せることもできたが、象には敵わなかった。しかも、カバ水飲み場を移動するという行動をほとんど取ることができなかった。

それがカバの生態であるから仕方がなかったが、カバにとって大事大事水飲み場、象に一頭地を占有されるのは仕方ないとしても、それでもその水飲み場から離れることはできず、二等地とも呼べるその場所を死守していたのである

 

そのカバの群れは30頭ほどと言ったところだったが、そのカバの群れの中でも身分のようなものがあった。

その身分は、いわば利口さのようなもので決まっていた。

から、利口なカバほど水の澄んだ場所を選ぶことができ、そうでないカバほど汚れた水の場所しか選ぶことができなかった。

なぜなら、一等地の象達は、そこが一等地であるが故に、水の汚れを気にする必要ほとんどなかったが、カバ達の場所は水の流れなどで汚れた場所が日々変わり、利口なカバほどそのことをよく知っていたので、常に水の状態意識して生活していたかである

しかし、利口でないカバはいつも汚い水の場所で水を得なければならなかった。そういうわけで、汚い水を選択せざるを得ない利口でないカバ病気にかかりやすく、死ぬことも多かった。

しかもそれ故にも、汚い水しか飲めないカバ病気持ちのカバと思われることが多く、仲間内からも蔑んだ目で見られており、あまり相手にされることもなかったのである

 

そんな利口でないカバの一頭であった彼を取り敢えず、カバ九郎と呼ぶことにしよう。

カバ九郎は最初は確かに利口ではなかったので、いつも汚れた水の場所しかいなかったが、しかし、実際には他のカバ達に比べそれほど利口ではないということもなかった。

単に、性格が違っただけだった。カバ九郎にはある種のずる賢さがあったと言えよう。

カバ九郎が汚れた水の場所しかいないのは、最初こそ仲間の利口さに負けたからだが、ずっとそこにしかいないのは実際のところは理由が他のカバが考える理由とは違っていた。

実は、汚れた水の中には魚がいっぱいいたのである

カバは草食ではあるものの、完全な草食動物ではなかった。草食が主体ではあっても、肉を食っているカバがいることは近年になってよく知られるようになった。

カバ九郎は、汚れた水の中にいる魚達がとても美味しいことを発見し、他のカバにはそのことは決して言わず自分だけで独占したのである

所詮は池・沼地に過ぎないので、ちょっとでもこのことを教えたら自分は魚をあまり食べられなくなってしまうから

そして、その魚を食べ続けたことが影響したのかどうかわからないが、カバ九郎は全く病気にかかることもなく、それどころかどんどん栄養が満たされて太り、肌も艶艶で、どう見ても、汚れた水にいるカバのようには見えなくなっていったのである

そしてカバ九郎は、他の利口なカバ達が苦心して綺麗な水のところを探す努力を心の中で笑い物にし、本当に利口なのは俺だ!と奢るようにさえなっていったのである

 

最初にそのカバ九郎の異変に気がついた仲間の一人をカバ太と呼ぼう。

(どうしてアイツは病気にならず、それどころかどう見ても他のカバより健康そうなんだろう?)

カバ太は、カバ九郎に近づくと他の仲間からカバ九郎と同一視されて蔑まれしまリスクも分かっていたが、どうしても気になってある日、カバ九郎に直接聞いたのである

「なぁなぁ、カバ九郎、どうしてそんなに肌が艶艶なんだ?何か秘訣でもあるのか?」

カバ九郎はよほどのことが無い限り、仲間からしかけられたことはなかったので、吃驚したものの、嬉しくなった。だから、他のカバ達には絶対に教えたくなかったが、つい秘密カバ太に教えてしまったのである

絶対に、秘密にしてくれるか?」

「ああ、絶対秘密にする。その秘訣をぜひ教えてくれ」

「実はさ、ほんとに誰にも言っちゃいけないぜ、この汚れた水の中には魚が……」

その日から、汚れた水のところにいるカバカバ九郎とカバ太の二頭になった。

 

カバも人も同じである。一度知ってしまった秘密はどうしても外部に漏らしたくなるのである

絶対誰にも言うなよ……」

と、ついに群れの半数以上のカバが汚れた水の場所生活するようになってしまったのである

すると、事態カバ九郎の予想したとおりになってしまった、食える魚がどんどん減り、酷い日には一匹も食えない状態にまで陥ってしまった。

最初は、カバ九郎もどんどんと自分の仲間が増えて、有頂天になって、汚れた水場にいる仲間からはまるで殿様のような扱いを受けていたから、そのことの方が嬉しくて、リスクは知っていたものの、事態悪化を見過ごしてしまったのだった。

だが、とうとうカバ九郎も堪忍袋の尾が切れたか、そんな事態我慢できなくなり、ブチ切れた。

 

「てめーら良い加減にしろよ! ここは俺の水場だ! てめーら出ていけ!」

 

第一カバ戦争勃発である。……そんなことはどうでもいいが、その日以降、汚れた水飲み場カバ達は毎日のように争い続けるようになり、魚達はカバに踏み潰されることが多くなってしまい、とうとう一匹の魚も寄り付かなくなってしまって、汚れた水飲み場にいたカバ達の群れは、カバ九郎一頭を残して消えてしまったのだった。

そして、魚を食えなくなったカバ九郎の肌の艶もどんどんなくなり、日頃、そんなに草食地で餌を探す苦労もしてなかったものから、いっつも他のカバ達に食い荒らされた草地に言って残り滓を食べる以外に方法がなくなってしまい、汚れた水場ばかり利用していたのでとうとう病気になって、痩せ衰えたのもあり、あっさり死んでしまったのである

 

その群れのカバ太は仲間にぽつりと漏らした。

「なぁ、カバ九郎って利口だったのかな? 利口じゃなかったのかな?」

すると、その言葉を聞いていた群れのリーダーがこう言った。

カバなんてのは全員バカなんだよ」と。

2021-02-06

成功した小市民はどこに向かえばいいのか

多分ほとんどの人に共感してもらえない悩みを吐露したい。

40代 妻と中学生を筆頭に子供3人 と犬。

いろんな幸運が重なり事業成功役員報酬を毎年1億円に設定しても会社は安定するぐらいにはうまくいっている。

TDBもかなりいい点だ。

現在報酬は2500万円程度。

持ち家も買い、高級車を買い、子供小学受験中学受験を潜り抜けいわゆる有名な学校入学できた。

体も健康


仕事プライベートも十分満たされている。

外形的には幸せなんだろうが幸福感が一つもない。

不幸ではないが幸福を感じ取れない。


お金はあるが使っても幸せに結びつかない。

子供のころから最低限の用を成すなら安ければ安いほどいいという価値観で育てられた結果、贅沢ができない体になってしまった。

日常生活業務スーパーで安い輸入肉を買い、ちょっとした日用品も少しでも安いものを探す。

家具ニトリイケアヤフオク殆ど

今日の昼めしスーパーでお惣菜助六寿司で600円。(個人的感覚としては散財した。)

これぐらい罰は当たるまいと買った高級車も満足度より居心地の悪さの方が勝ってしまう。

いつか行こうと思っている家族ハワイ旅行なども罪悪感が先に来るんだろうな。


まり自分は金で幸せを感じられないようだ。

それなら、何のために我を殺して重い責任を背負って会社を率いているのか。

仕事は上の立場になればなるほどマネジメントが中心になり、手ごたえを感じられる実務はほぼノータッチ

昔はそういう立場に憧れたがいざそうなってみるとしんどい

ノーカタルシスノーライフ。


年々会社は大きくなり、それに伴って責任も大きくなっていく一方でカタルシスは何もない。

唯一の慰みである報酬もあまり意味をなさないなら、俺は一体どこに向かって生きていけばいいのか。


若くして成功した人が人生後半で道を踏み外す気持ちが正直すごくよくわかる。

目標はないが金はある、誘惑も多い。外面は保たないといかん。

そりゃクスリ宗教にはまるわな。


そういえばマツコ・デラックス芸能界引退の噂があるらしいけど引退した後どうすんだろ。

数十億円通帳に入っててやることが無かったらまともでいられんぜ。

前澤さんの奇行正気を保つためにやってるように見える。


ああ、成功した小市民にとってのロールモデルが欲しい。



追記


一杯返事もらえた。嬉しい。ありがとう

冒頭にも書いたけど自分で不幸とも思ってないんだ。ただ幸福を感じられないことへの愚痴

従業員への還元は?…ハードな働きが必要だが給与同業他社平均は十分上回ってるので悪い会社ではないかと。ある程度以上の勤続年数の人は離職率ほぼ0。

早期離職者はいるけど入社前に会社ダメなところは必要以上に説明しているのでまあ一定量ミスマッチは仕方ないかな、と。もちろん会社としての改善余地があるのはわかってる。

個人価値観は置いといて、総体として利益が出ているなら世の中の役に立っているとは思う。(社会必須の業種だし)

社会奉仕…一時期ある分野に頑張ってみたけど、そもそもAという領域に肩入れしてBという領域を見て見ぬふりする事への折り合いを自分の中で付けられなかった。全てを助けるにはお金がなさすぎる。

ビルゲイツすごい。

無力感の結果、節税ほとんどせず毎年たくさん納税してる。これ以上の社会貢献があろうか。

・●●に金を使う…吝嗇化なので金を使っても罪悪感が先に来てしまう。そういう自分が嫌で高級車を買ってみたが(もともと車好きではあった)セレブ世界にはなじめなかった。

しかし高級車で業務スーパーへ行くことの愚かさも自覚している、その自意識幸せを阻んでいるんだろう。

旅行は?…国内出張であちこち行った結果興味がなくなってしまった。海外10か国ぐらい仕事で行ったが楽しさよりいろんなことが見えないわからない事への恐怖が先に来る。若いころは無鉄砲だったのに。ああ小市民

コロナが収まれ国内出張先で出会った美味しいお店に家族を連れてってあげたい。今ある具体的な希望はこれぐらい。

子育て…十分やってると思う。夫婦仲も良好で出張がない今料理は俺がほぼ毎日作ってる。

趣味を始めたら?…そんな元気が出ない


ココイチ創業者さんなんかはすごいなーと思うけど、あれをやれるほど会社は大きくなく、小市民自分にはそこまで大きな志もない。

でもやっぱりロールモデルはあの辺りなんだろうね。

ああ、でも書いてて思い出したぞ。

天皇陛下好きな妻の為に勲章を貰えるよう頑張るんだった。

それならもうちょっと頑張れそうな気がしてきた。



追記追記


思ったより叩かれてなくてほっとした。

経営者なの?…証明しようがないけど経営者よ。中小企業PERなんていかようにもいじれるのにそんな数字出してどうすんべ。売上数十億程度の地方中小オーナーならTDBかTSRっしょ。

納税…ここはねぇ、一般の人が思う以上に経営者は好き勝手できまくるんよ。合法的に数千万円を自分快楽に使えてその上法人税を安く抑えることは本当にできちゃう

そういうことをせずにおとなしく納税しているのってかなりのレアキャラなんよ?

納税なんて当たり前!っていう人はそういう立場になっても本当に節税せずにいられるかな。

・人を育てたら?…やれる範囲ではやってるけど最近気が乗らなくなってきた。「水飲み場に連れてくることはできても水を飲むかどうかはそいつ次第」というのを痛感してる。

シードステージ投資に近いことはやってるがイマイチうまくいかん。あいつらどいつもこいつもバランスが悪すぎる。

2020-08-09

anond:20200805204800

ブコメにあげられたものライオン『Navic』を除きYouTube確認した。

性的じゃありません風を装うものからパロディまで様々だが、チロルチョコは異色。

1979年オリンパス『OM10』

大場久美子水飲み場の立つ水栓から噴き出る水を口の周りに当て続ける間、連射されるシャッター音。

1991年ピップフジモトダダン』

池の中から飛び出してきた水着姿の女性が手を振り上げ「ダッダーン」胸を手で揺らしながら「ポヨヨンポヨヨン滋養強壮剤の壜の口から液体が噴き出す。

1994年チロルチョコフレーク』

ランドセル黄色帽子姿の3人の小学校低学年くらいの女子が「フリフリフレーク、チロルチョコ」と歌いながらお尻を振り続け、最後スカートをめくってパンツを曝け出す。

1998年ライオン『Navic』奥菜恵「奥まで気持ちいい」は確認できず。

1999年森永ICE GUY

伊東美咲アイスをくわえながら車の中で急いで服を脱ぐ。ビキニ姿になってアイスの中身を全て吸引「揉んでかじってさわやかソフト

2000年?、サントリー『H(アッシュ)』

釈由美子ビキニで腰を突き出すポーズ男性の声で「ウオオオ~」壜の口から液体が勢いよく噴き出す。「どこ見てんのエッチ」。テロップ“男は、Hだ。”

2005年P&Gハーバルエッセンス

夢で感じた快感で「イエスイエス、イエース」と叫びながらベッドに倒れ込む。

2005年?、マンダムギャツビー ブリーチカラー

本木雅弘男性ちょんまげが、網タイツ女性が脚を組み替えるとむくりと立つ。

2006年コカ・コーラからだ巡茶』数パターンある。

1.広末涼子「よし、出すぞ」涙を垂らし呼吸を荒げながら嗚咽、ゴクゴク「いっぱい出たァ」

2.膝立ちの女性たちが背をそらす姿勢のなか、広末涼子が空中の何かを握るように手を形作りゴクゴク「自分から出せるカラダへ」

3.広末涼子が「溜まっている間はご心配おかけしました」ゴクゴク。

4.広末涼子ブラジャーが透けるほど汗をかい最後っていつだろう」フラフープをして腰をふる。「もっと……出せるカラダへ」

2013年ホクト企業CM

キノコピアスをした要潤鈴木砂羽の後ろに立ち

要「奥さん口コミを入れるよ……」

鈴木「ああっ」

要「菌類の菌、他に何と読める?……キノコ

鈴木「あああっ」

崩れ落ちる鈴木砂羽蛇口から噴射される水。

2013年アサヒビールクリアアサヒ プライムリッチ

松下奈緒が「ねぇ、リッチしよう」と言うが、リッチの子音が聞き取れずイも曖昧で「○ッチしよう」に聞こえる。

2015年明星一平ちゃん 夜店の焼そば

広瀬すずマヨネーズを出した後、口から垂れた麺をチュルっとして「ぜんぶ出たと?」

2020年ボートレース

ライフジャケットを脱いでスポーツブラ姿になった女性が「抜いちゃった」うつろな表情で崩れ落ちる男性

2020-07-05

2日後に猫を見送った

anond:20200607214557

2日後の早朝、猫は旅立った。

5時に起きた時にはもう息をしていなかった。

猫の手足は冷たく固まっていたけれど、そっと抱きしめた細い細い身体は温かかった。

夫と二人で猫にがんばったね、お疲れさま、ありがとうと言って泣いた。

前日は猫と一緒に過ごした。

シッコをしたらペットシーツを替えて身体を拭き、数時間おきに寝返りをさせてマッサージをした。

鼻が詰まったらコットンで拭いたり、赤ちゃん用の鼻吸い器で鼻水を取った。

ごはんを食べる量が減り始めてから昔のように鼻を垂らす事が増え、薬を飲ませてもなかなか治らなかった。

猫の目は薄く開いたまま、静かにベッドに横になってゆっくり大きく呼吸をしていた。

顔をこちらに向けたり起き上がろうとしたりと意識はあった。

口をクチャクチャ動かしたらスポイトで数滴水を飲ませた。頭を支える私の腕に小さな手を乗せて満足そうな顔をして、時々ポロっと緑色の目から涙をこぼした。健気で強くて優しい猫だった。

猫に話し掛けてたくさん名前を呼んで撫でた。

夜になり、夫が猫の隣で寝ると言った。

猫の生活スペースの囲いを外し、敷き詰めていたペットシーツも全て片付けた。

19年前、猫を拾ったのは夫だ。鼻水を垂らして所々ハゲボロボロの子猫が近寄って来たのをそのまま連れて帰ったらしい。

夫は猫を飼った事はなかったけれど、猫に一目惚れだったそうだ。私が来たのは15年前だ。猫を保護して大事に育ててくれた夫には感謝しかない。

夫の膝の上や隣が猫の定位置で、いつも夫の隣で寝ていた。

猫のベッドの隣に布団を敷き、夫は猫の小さな手を握って寝た。夫の隣で寝る事が出来て猫も安心したのだろう。

私達が悲しむから、死に目は見せたくなかったのかもしれない。最期まで優しい猫だった。

亡くなった猫に手を合わせ、身体を拭いて毛がふわふわになるようにブラッシングした。

そっとベッドに寝かせた猫は穏やかに眠っているようだった。薄く開いた目もキレイに澄んでいた。今にも起きてこちらを向きそうなのに。

夫は猫に突っ伏して泣いていた。

猫が体調を崩してから、老猫介護や看取りのブログペット葬儀の事を少しずつ調べていた。

近くのペット葬儀をしているお寺に個別立会の予約をした。

棺は大きめのダンボール箱を買った。

猫は狭い所と箱が嫌いな猫らしくない猫だから、大きめで底の浅いものにした。

棺の底にペットシーツを敷いてベッドごと猫を寝かせ、ピンク色のタオルをそっと掛けた。

寒がりなのにごめんね、と言ってタオルを巻いた保冷剤を多めに入れ、断熱シートを被せた。顔を見たらどうしてもたくさん撫でて声を掛けたくなってしまう。

線香と棺に入れる花を買い、祭壇に飾る写真も用意した。

供養写真は何枚でも良いと言われたので、昔大判プリントした写真をメインにした。7歳くらいの健康的でモコモコのかわいい姿。

他にも何枚かPCスマホから探してコンビニプリントした。

スマホに変えてから写真が圧倒的に少なかった。いつでも撮れると思ってほとんど撮っていなかった。

猫の大好物の猫草も買った。ごはんだよと呼んでも来ないのに、草買って来たよーと言うと飛んで来る子だ。

6年前にごはんに見向きもしなかった時も、猫草を買って来たら大喜びでムシャムシャ食べていた。

猫草とちゅーるとお花の他に、思い出の物をいくつか棺に入れた。

夕方にお寺へ行く前も、葬儀の合間にも二人で何度も棺を覗いては猫の名前を呼んで撫でた。

亡くなったら触れないかもと思っていたけれど、とにかく愛しくて名残惜しくて、かわいい猫に触れたくなってしまう。

猫の毛の手触りを忘れたくなくて、たくさん撫でた。頬の下の毛が特に柔らかくてふわふわで大好きだった。

お坊さんは棺で眠る猫と写真を交互に見て、キレイ身体ですね、珍しい模様だと言っていた。

お経の後、小さなケースに遺髪を納め最期のお別れをした。

猫を見送り火葬が終わるまでお寺の休憩所で夫と過ごした。猫の思い出を話して時々二人で泣き、これからの事も話した。

の子は私達の大切な子で、たくさんの幸せと思い出をもらった。

火葬は辛いけれど、待っている間に次第に気持ちが穏やかになっていくから不思議だ。

よく晴れた日で、夕方でも少し蒸し暑いくらいだった。

猫と夫が出会ったのはたくさん狛犬が奉られている神社駐車場だった。

猫はなぜか大きな犬が好きで、ゴールデンレトリーバーラブラドールテレビに映るとうれしそうにじっと見ていた。

病院でも猫には無反応なのに、大きな犬が来るとキャリーの隙間から覗いて楽しんでいた。

性格も犬みたいな所があった。

猫はひょっとしたら狛犬神様の子で、神様の所に帰ったのかもしれない。

神様の所なら安心だ。甘え上手のとてもかわいい子だから、きっとみんなに好かれて幸せに過ごせるだろう。

二人でお骨を全て拾い、花柄の骨壺に納めた。お骨はとても立派だった。

腕の細い骨がしっかり残っていて、担当の人がこんなにキレイに残っているのは初めて見ましたと言っていた。

4月までは流し台に飛び乗れた、足腰の丈夫な猫だった。

白い布で包んだ骨壺を抱えひっそりと静かになった家へ帰った。

初七日を過ぎてから、小さなおりんと骨壺カバーを買った。

お寺から名前と命日や忌日の入った供養表も届いた。オプション遺影を入れてもらい、とてもかわいい供養表になった。近くに良いお寺があって良かった。

仏壇ガラス扉付きラックDIYキットをホームセンターで買って色を塗った。

四寸の骨壺カバーがぴったり納まる高さで、位牌と供養表、遺影の他に遺髪ケースとお守りの鈴や首輪毛玉を飾った。

気に入っているけど、手を合わせるといつも泣いてしまう。

毎朝仏壇ごはんと水をお供えしてお線香を焚き、二人で手を合わせる事が新しい習慣になった。

夫は必ず猫におはようと声を掛けている。

私は流し台と洗面所水飲み場の水を相変わらず毎日替えている。

お世話になった病院挨拶に行き、後日お悔やみのお花を頂いた。もう病院へ通う事もないのだろう。

猫のいない生活はとても静かだ。

そろそろ猫が起きる頃かなとふと思っても鈴の音や小さな足音は聞こえてこない。

特に実感するのは帰宅直後。ニャーニャーと急かして抱きついて来るあの子はいない。

いっぱい撫でて、かわいいねと言って名前を呼んで抱っこしたい。会えるものなら会いたい。同じ模様の猫はどこを探したって出会えない。

猫と一緒に過ごしていた毎日が当たり前ではなくなってしまった。

5月の初め頃、夜に突然猫がニャーニャー鳴いて居間で寝ている夫を起こそうとした事があった。

ニャーと呼び掛けながら片手で夫の肩を何度も掻いている。春頃から甘えた声で鳴く事が減って来ていたので、珍しいなと思った。

爆睡している夫にあきらめると、今度は私のお腹に乗ってニャーニャー言いながら片手で顎の下を撫でて来た。

猫がいつも私にする撫でろの催促で、爪を立てずに小さな手でチョイチョイと頬や顎の下を撫でる。肉球と毛が両方楽しめるとても幸せ感触

うれしくて猫をたくさん撫でた。

猫は満足するとまた夫の所へ行き、一生懸命起こしていたがやっぱり夫は起きなかった。

猫は思い出を作りたかったのかもしれない。

お別れが近い事をもっとから知っていて、少しずつ準備をしていたのだろう。

私達が気づくのが遅くて猫に辛い思いをさせてしまったのが本当に申し訳なくて、あの時こうしていたら今も一緒に居たのかなと何度も思う。1日でも元気に長生きして欲しかった。

小さい頃から家に猫がいるのが当たり前だったけれど、猫の死と直接向き合ったのはこれが初めてだった。

実家最初に来た猫とは仲が良くていつも一緒に寝ていた。ちょっと素っ気なくて「ニャ」と短く鳴く猫だった。

その猫は腫瘍が原因で13歳で亡くなった。最期は怖くて何も出来なかった事をずっと後悔している。

積極的治療緩和ケアもしなかった親を恨んだ。自分がもし世話をしたら親に何か言われるのが嫌で。とても幼稚だった。

動けなくなった猫が弱々しい声で何度も「ニャーー」と長く鳴いていたのが今でも耳に残っている。

その実家猫への思いもあって、最期まで悔いのないように看たかった。

猫がいない生活をするのは一人暮らしの時以来だ。その時も猫を保護して実家に連れて行った。

猫は欠かせない大事存在だ。見たいし触りたい。毎日一緒に過ごし、寝顔を眺めたい。

でもこの先、猫と一緒に暮らす事はないのかも。

いつか縁があったらとは思うけど、たくさんの幸せを猫からもらうほど別れが辛くなる。

今はネットニュース保護されて幸せに暮らす猫達の記事を読んで、猫ちゃんよかったねと癒されながら毎日過ごしている。

開封ごはんや猫砂やペットシーツをもう少ししたらどこかへ寄付しようと思う。

前の投稿ブクマブコメありがとうございました。猫は強く生きました。

みなさんの猫達が幸せ長生きできますように。

2020-07-02

投票中学校とか小学校に入れるのが好き

選挙のものはいろいろ思うところがあるけれど、中学校とか小学校かに投票に行くのはわりと好き

なんか小学校入り口の高さ低いなーとか水飲み場ってそういえばあったなーとか玄関下駄箱ってこんな感じだったなーとか、久しぶりに見る新鮮さがある

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