はてなキーワード: 拍車とは
先に言っておくが私は少年キャラが好きだし女性声優が声を当てた少年キャラも好きだ。
でもさあ、いつ頃からかな??五年じゃきかないよな。十年?二十年?知らないけど。少年キャラが好きで追ってるとさあ、女性声優がいいとか女性声優がよかったとか、逆に男性声優が担当したキャラに対して『これだけは許せる』とかさあ、
ファンですかそうですか。いやいいよ、そりゃ個人の好みとして『このキャラはこういう声』っていうのはあるだろうさ。私もある。でも個人名で誰々にCV担当して欲しい、ならともかく、何でそこで分けてるの?????
高音可愛い女性声優さんもいるじゃん、低音素敵な女性声優さんもいるじゃん、高音可愛い男性声優さんもいるじゃん、低音素敵な男性声優さんもいるじゃん、テメエはその中で誰の、どのトーンがいいわけ???そんなイメージは特に表明せずに『女性声優がいい』だけ言うの、何???拘ってるフリしたいだけじゃないの??? 好きなキャラならもっと詰められるだろ。特に希望無いなら無いでいいよ、実際に聞かないとわかんないよね。そこだけ言うやつはマジでなんなんだよ。何がしたいんだよ。ていうかそんなに性別の聞き分けできるのかよ。
養成所に通ってる声優志望の人100人くらい集めて、少年声出してもらって、『少年キャラは女性声優がいい』って言ってるやつに目隠しさせて性別聞き分けさせてえ~~~!!!!
正答できたらもう何も言わんわ、お前が優勝だよ、ハワイでもどっか行けよ。知らねえよ何だよハワイ行けねえよ今。どっか遠く行きたいな~~!
本当のショタコンは女性声優ショタしか認めないみたいな風潮、マジで嫌!!!!!!
声変わりの判別そこでするとか何なん、キャラ一人一人を見て欲しいんだけど!!??
その発言主さんに関わるキャラは好きだからまあ一人がそう解釈してるならね思想はね自由だよねって流したいのにもう全然ジャンル関係ないキャラについて検索するだけでわんさか出てくるんだわ、何なの。
幼年期は女性声優が担当して成長後は男性声優が担当するプロジェクトが始まるらしいですね。拍車かかるじゃ~ん!!!やってらんねえ~~!!!!
ここで上げた誰にも罪は無いことなんてわかってるんだよ、でもなんかもうしんどいわ。
ってジャンルバイバイできたらいいんだろうけど、どこの作品でも見るんだなー!!これがなー!!時間が解決するのを待つしか無いのかな。でももう流行じゃなくて定着してない?笑う。
明日(2021/3/27)近所のカフェで妙なイベントが企画されており、近所に住む人間として非常に懸念していることを記しておきたい。
WeRise vol.2
http://www.werise.tokyo/about-werise-vol-2/
端的に言うと「現在の政府のコロナ対策は間違っており、PCR検査は無意味であり、
我々の自由は保護されるべきであり、マスクはしなくても大丈夫だ。飲食店と我々の生活を守れ!」みたいな主張をしているイベントだ。
これだけでも私の違和感は十分伝わると思うが、vol.1では武田邦彦氏・内海聡氏・ロバート・ケネディJr.氏らが講演をしたといえば言いたいことが伝わるだろうか。
上のリンクにはイベントの企画意図が書かれているのでぜひ見てほしいのだが、その主張は最初から最後まで都合の良い情報ばかりを切り取って集めたとしか読めなくて、断絶を感じる。
実は同サイトは昨年末にはてブですでに一定の注目を集めており、サイトに名を連ねる面々の異様さを指摘するコメントがついていた。
https://b.hatena.ne.jp/entry/www.werise.tokyo/declaration/
主催はイベントが開催されるカフェのオーナーか運営会社のようなのだが、明日の会場でもあるカフェは前を通るといつもノーマスクの客でにぎわっており、この世情においてはハッキリ言って異様な光景だ。
少し前に食べログを見たら「マスクしなくても大丈夫」的な案内を店が出しているという口コミがあった。今は削除されているようなので、ソースなしで申し訳ない。
東京の感染者数が徐々に増加しているこの状況下、マスクをしない人達が近所でワイワイ騒ぐというのはコロナを恐れる人間にとっては恐怖でしかない。
別に近づかなきゃいい話だろと思うかもしれないが、自分が普段買い物をするお店にイベント参加者がノーマスクで入店したり、
狭い歩道に面したテラス席をノーマスクの客が埋め尽くしている* 前を近所の人たちが通らなければならなかったりするということが、感染拡大に寄与することへの懸念は理解してもらいたい。
* カフェはわりといつもにぎわっているのである。何かイベントがあるとテラス席は表の通りに人があふれるほどだ。もちろんノーマスクで。
クラスターが発生したら目も当てられない。
せめて近所に住んでいる人が参加しないこと、別の地域からやってきた人が拡散するかもしれないウイルスを、この周辺の人たちがマスクでブロックできることを祈るばかり。
こうしたイベントを規制しろとまでは言えないのだが、明らかに非科学的で根拠のない主張をしてコロナ拡大に拍車をかけかねないイベントというのはいかがなものか。批判されるべきものだとは思う。
イベントに参加しようとしているか興味を持っている人で、この記事を読んだ人へ。
せめてこのイベントのvol.1で講演をした武田氏は新型コロナウイルスのワクチンについて、誤った情報をYouTubeで発信するような人物だということを認識してください。
https://www.afpbb.com/articles/-/3337279
【3月17日 AFP】米国のメキシコ国境に、何千人もの単身の未成年者を含む入国希望者が殺到し、批判が強まっている。これを受けてジョー・バイデン(Joe Biden)大統領は16日、移民に「来ないで」と呼び掛けた。
バイデン大統領はABCのインタビューで、移民に対し「はっきり言おう、来ないでほしい」「自分の町や都市、地域から離れないで」と要請した。
バイデン氏に対しては、ドナルド・トランプ(Donald Trump)前政権の対移民強硬策の転換により、移民の急増に拍車が掛かっているとの批判が集まっている。
15日には共和党下院トップのケビン・マッカーシー(Kevin McCarthy)院内総務が、テキサス州の国境沿いを他の共和党議員らと視察し、バイデン氏が「危機」を招いたと非難した。
しかし、バイデン氏は、2019年と20年にも移民の急増はあったと指摘し、批判を退けた。
バイデン氏は大統領就任初日の1月20日、物議を醸していたトランプ前政権の複数の移民政策を撤廃。国境の壁建設を中止した他、国内の不法移民約1100万人に市民権獲得への道を開く法案を発表した。(c)AFP
メキシコの壁を撤廃し、移民を受け入れるっていうからみんなバイデンさんに投票したんだよ。
まだ就任して二か月そこらでトランプみたいなこと言い出しちゃダメだって。
米国民、そして将来の米国民になる人々への裏切りにもほどがある。
自分が思っていることを口に出した時、その時本当に思っていることを出しているのにこれは自分の本心じゃないなと思う。
同じことに対して意見する時、それ以前に述べたものと違う意見が出てくる。どちらも自分にとっては本当の気持ちを乗せた意見で、でもどちらも上辺だけなぞった意見な気がしてくる。
他の人の意見を聞くと、それもそれで正しいと思うし、自分の意見も間違ってはいないと思う。けれどどちらか正しい方を決めろと言われたら、自分の考えの方がいいと思っても他の人の意見の方が正しいと言う。(単純に自分の発言に責任が持てないから逃げたいという気持ちも大きい)
そんなことを繰り返してると自分の発言は芯がなくブレブレなものになっていって、そんな自分に対する恥ずかしさだとか、失望だとか、諦めだとか、そういうものが募っていってどんどん嫌になっていく。
幼少期の抑圧により歪められた人格はその後も容易に治らないことはもっと広く知られてよいと思う。
子どもの頃にゲーム禁じられた、アニメ見られなかった、お菓子食べさせてもらえなかった、男女交際禁じられた、えっちなもの一切見られなかった、
このような抑圧は大人になって自立したときに必ずといっていいほど反動が起きる。
世界中のローマ・カトリック教会の聖職者たちが数千人単位の児童の性的虐待に関わっていた大事件があったけれども、もしキリスト教の教義が極度に性的な廉潔さを求めるようなものでなければ、司祭たちが抵抗のできない子どもに性的虐待を加えるなどというおぞましい行為に手を染めることはなかっただろう。
英語圏のポルノサイトを巡回していて気づくのは彼らのアナルとケモノに対する執着が東洋人よりもはるかに強いことだ。
後ろの穴も獣姦もキリスト教圏で育った人間にとっては強烈な禁忌であるがゆえに彼らはそれに一層の興奮を覚えるのだ。
それはさておき、一部のラジカルなイデオロギーをもった集団が社会から性的表現を排除しようと政治的圧力を務めているが、性表現の排除からもたらされるのは軽度の性表現にも興奮を禁じえない変態の大量生産だ。
あるいはラジカルな彼ら彼女らは幼少期より性的表現を排除されて育ったがゆえに軽度の性的表現にも異常に興奮してしまい、見るに耐えないものだから許せないと憤っているのかもしれない。
危険運転関係のマスコミ報道におけるアナウンサーやコメンテーターの発言は、全体的に当事者のみの責任を追及する傾向にあるが、ドライバーやライダーの気持ちを解っていないようで見るのが辛くなってきた。メーカーや公権力の頼りなさや見通しの甘さは確かにあるが、今、この深刻な社会問題が日本で起きている中で、マスコミがこぞってこういった後ろ向きな意見を流していている場合だろうか。どの報道番組を見てもどの週刊誌や新聞を読んでも右向け右。マスコミには日本全国に声を届けることができる力、大勢に影響を及ぼす力がある。もっと危険運転の怖さについて学び、それに対する社会の強い怒りを根気強く伝え、「あおり運転の蔓延は車離れに拍車をかけ日本経済をダメにする」「危険な運転の蔓延に国民が皆怒っている」「このご時世迷惑をかけるようなことをするな」など、基本的なことなどを前向きに発信して、国民の意識をリードすることが可能である。今こそマスコミの力を発揮すべき時。メーカーや公権力の批判は危険運転の鎮静化の後でもできる。
本当に誰も居ない感じがしていいわね。
本当に集中するとき言うけど、
なんか流行に乗った言い方してるみたいで逆にそういうつもりじゃないんだよって言うのもまた逆に恥ずかしいわ。
それはともかくとして今日は何の日だか知らないけどラッキー祝日なので
とりあえず建国を祝ってみるわ。
建国記念日の由来ってなんだか邪馬台国のイメージがつきまとうだけど、
それであってるのかしら?
邪馬台国の人のイメージの髪型の瓢箪が両サイドに付いたあのスタイルあるじゃない。
よくよく考えてみたら、
あのイメージを植え付けた人って誰なの?とも思うの。
なに発祥なのかしら?
あの由来を知りたいし、
いい加減に
元祖邪馬台国髪型と本家元祖邪馬台国髪型との争いもいつまでやってるの?とも思うの。
だいたいどちらも似た感じの髪型だし、
それぞれのなんか事務所的なところに行くと、
どちらがその髪型発祥でもいいじゃない!って世間はそんなに熱量高くないんだけどねぇ。
根拠ないじゃんと言うと共にだから今日は建国を祝う儀式なのかーとも思うのよ。
それはさておき、
今日こそは今日こそはなにかどっかに寄って焼き鳥でも食べたいところだけど、
ああどうしようって思うわ。
確定申告の準備をやんわりして、
うふふ。
喫茶店の本気の美味しい本域のコーヒーはやっぱり喫茶店で飲むべきである理由たる所以ね。
どうしても、
あの技が出せないのよあの技が。
そのままだけど。
よく見るピンクグレープフルーツとよく似た感じがまたより一層拍車をかけてくれるわ。
何の?って感じよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
去年の暮れにツイッター開設初期ごろからフォローしてくれた人以降Aにブロ解された。
ここ数年はお互いに違うジャンルに熱を上げていたが、何か面白い呟きをしたら互いに
私はブロックされる前日に「○○は△△の鏡のような存在」みたいな、
エログロや過激な表現が一切ない、ごく当たり障りのないツイートをしていた。
Aはその○○というキャラクターが大好き且つ私の解釈が違っていたのか、
ブロ解してしまったようだ。
実を言うと私はAのことを数年前からミュートして距離をとっていた。
Aの作品や解釈は好きだったが、Aのキャラクターに対する愛情のかけ方が
だけど常に視界に入れるのは少々きつかった。
内容には同意できてもそこまで言わなくても、と
少し引いていた。
いやかなり肩の荷が降りた気分だ。
ミュートしてると悟られないようにわざわざアカウント画面開いて
それから私にはもう一つAに対してしんどい気持ちを抱えていた。
私はAのことをずっと見下していた。
社会人としてそれはにだろ、といいたくなるようなことを
繰り返し転職を重ねている。
Aの仕事の愚痴を聞くたびにその職場の人に同情していたぐらい。
だけど私はAの振る舞いを助長してきた。
あなたは間違ってないよと、そのつど声をかけた。
ストレスの捌け口をツイッターや漫画、己の創作する作品に向かっていった。
Aの尖り具合は凄まじかった。
私が離れてしまうほど。
あぁ、Aが私から離れてくれてすっきりした。
昔のWeb広告はひどかった。バナー広告全体がGIFアニメでピカピカと点滅する演出があったり、ポップアップで表示されたりと嫌悪感にあふれるひどいものだった。アダルト表現も蔓延しており、Web広告は無法地帯だった。Webで動的コンテンツが普及すると広告も拍車をかけて、音を出したり映像が流れたりと煩わしさを増していった。
最近では、さすがにユーザーの意に反してアニメーションしたり音を鳴らしたりということは少なくなってきたが、それでも広告は煩わしいものだ。静的なバナー広告であっても、ただただ名前や特徴を強調するだけで色彩効果の強い広告は見るだけで不快になる。しかし、ビビッドアーミーにはそうした不快さは極力排除されている。
ビビッドアーミーの広告ではタイトル名やゲームの内容を強調することは無く、女の子イラストの可愛さを前面に出している。無機質な文字と写真だけで構成されたニュースや日記等のWebコンテンツに対して、広告で女の子の彩りを与えてくれる。そのくせ色彩効果で広告を強調することはない。仕事や勉強などで集中している時は広告は目につかないし、のんびりだらだらとブラウジングしている時は広告をついついチラリとみてしまう。しかも、種類がとても多いから、同じ広告を何度も見てうんざりということが無いのもいい。
学校や職場などから、Yahoo!ニュースなどのWebメディアにアクセスすることはあると思うが、広告枠に表示されるのがビビッドアーミーなら安心だ。暴力やアダルトやそれに類する表現も無いし、ネガティブな表現も無いので、自分が見ても人に見られても困らない。
ビビッドアーミーの広告にはゲーム内容とは関係ないパロディ仕組んでいることもあり、気づいた人はニヤリとうれしくなることもある。有名な広告だと、「誰も消防車を呼んでいないのである!」で有名な漫画のワンシーンのパロディがある。このように、名前や商品を売り込むことよりも、見る人を楽しませることを重視している点がよい。
コラボ広告も見ていて楽しい物が多い。今だと「バキ」とコラボしているが、ただキャラクターの画像を張り付けただけのような単純な広告は無い。「強くなりたくば喰らえ」などの原作の有名なセリフをパロディしたりと、ファンが思わずニヤリとしてしまう広告が多い。数々の広告から、広告制作者が「バキ」を深く理解していることがうかがえる。私が好きな広告だと、ビビッドアーミーの女の子から黄色い声援を受けた烈海王が頬を赤らめてしまう広告だ。一目見て、いかにもありそうだなと思ったし、コラボ度が高いのもいい。
ビビッドアーミーの広告に対して肯定的なことをブコメで書くと、私のIDが業者かと疑われてしまう(というより100文字では収まらない)のでここにトラバとして書かせてもらった。
ちなみにゲーム本編は5分ほどしかやっていない。面白くなさそうだし、広告の女の子はあまり関係なさそうなので、それ以上やるつもりはない。
https://anond.hatelabo.jp/20210130130504
(おしまい)
と、思ったらしまえなかったー!
伏線回収をまたしても忘れた!!
人数が多いゆえに、今や「箱推し」というブランディングが困難ないし不可能になっているにじさんじ。
その結果、運営も「選択と集中」を名目に、事実上ライバーを選別したマネージメントになってしまっている。
すなわち、コラボに強い一部のライバーにばっかりコラボや企業案件を投下したため、個人が全く伸びないという事態に。
しかも、昔あった1期2期ゲーマーズシードみたいな同期繋がりを撤廃したことが、逆にライバー同士の繋がりをわかりにくくし、これまた個人が伸びない状況に拍車をかけていると。
というか、本来はまず個人個人の「売れる」個性を伸ばし、そうやって尖ったキャラをコラボ等で発揮したり、海外ニキに目を留めてもらうなどして、最終的に箱に還元されるわけで。
しかし、今のにじさんじは人が多いせいでマネージメントはもちろん、仮にライバーの中に世話役キャラの人がいたとしても無理な相談と。
結局、売れるキャラの模索はライバー個々人の「自助」に委ねられてしまい、その自助でのし上がってこれたのは、最近だと西園チグサとその同期の北小路ヒスイくらいという体たらく。
ちなみに両名とも元々あまり空気を読まず、コラボや凸では自分をグイグイ押し出してくるタイプなのが共通点。
だから短期間で多くの人の目に留まって人気を伸ばした反面アンチも多く、特にコラボ相手側のファン等から少なからず不興を買っていたり。
とはいえ今のにじさんじのライバー同士の、弱肉強食感がハンパない環境で人気を得るには、面白さと不快感のギリギリを攻めるような厚かましさ・図々しさを発揮する以外に手がないわけで。
これまた人数が多いせいで「誰一人脱落者を出せない」インセンティブが弱くなった箱において、彼女らがいち早く自らの戦術を最適化させただけのことだろう。
僕の上司、報告してもほぼ否定の言葉しか返ってこないし、人の話は遮ってばかり。
報告の途中で遮られて長い説教が始まるので、必然的に僕は早口でまくし立てるような報告口調になってしまう。
それが気に入らないのか、いらついた調子で遮ってくる頻度が増加。
でも本人はそんな風には考えておらず、「他人に文句を言わせない俺は有能」「他人が気付いていないことを指摘できる俺は有能」と考えている。
つらい。
タイトルはさすがに言い過ぎかもしれないが、まあとにかく去年の夏あたりからろくに休んでいない。
職業はスタートアップのエンジニア。WebがメインだけどUnityとかオンプレのサーバーとかネットワークとかも仕事でいじる。
平日昼は普通に仕事、土日昼も平日の仕事が一向に終わらないから仕事、夜というか食う寝る風呂以外の空き時間は毎日、これから触るであろう技術の勉強である。
一種の強迫観念みたいなものがあって、勉強してないと不安になる。
コロナもありその傾向に拍車がかかっている。残業代はもちろん貰えていない。
スタートアップだし、メンバーとは仲良くやっているし、ストックオプション貰えそうとか嬉しいことも楽しいこともたくさんあるけど、ふとこの生活がいつまで続くのかと怖くなることがある。
約30年間自分の無能さ、凡人さに対して、必死で目をそらす事で保ってきた自我と精神がとうとう崩壊した。
今現在どうしていいかわからない状態なので吐き出させてほしい。
俺と同じようなタイプの人がいるかわからないけど、もしいたら反面教師にしてくれれば幸いです。
俺には少し年の離れた兄がいた。
その兄は色々あって10歳ごろで不登校になり、俺は常にそんな兄を反面教師にして生きた。
両親からは賢いと言われて育ったが、ただ異常なまでに俺を褒める教育方針だっただけだ。
それは所謂普通の人生から外れてしまった兄への当て付けであり、兄の教育を失敗した反省であり、
自分の子育てが間違っていない、自分の子供は優秀なんだと信じたい感情からだったと思う。
でもその教育方針は俺自身がなんとなく、他とは違う特別な人間で、なんとなく特別な事を成し遂げ、
人より素晴らしい人生を送るのだと思い込ませるのに十分だった。
自分は勉強も運動もできる、天才で特別な人間である、勉強ができなかったり学校にいけなかったり仕事ができない奴は
人間としてダメだという考え方が、この段階で刷り込まれていったと思う。
当時はなんとなく運動部を避けただけのつもりだったが、
今思えばチーム内での競争や、大会での結果で自分の平凡さに向き合う事を知らず知らずのうちに避けていたんだと思う。
吹奏楽部でも競争はあるにはあったが、男性の身体的なアドバンテージや、
大人数での団体種目という事でそれほど劣等感には向き合わずに済んだ。
勉強は隠れて死ぬほど頑張って、まあまあのレベルをキープし、そこそこの大学に入れた。
テストの前に全然勉強してないわーっていう典型的なタイプだったし、
志望の大学を決める時も、周囲には勉強しなくても入れるとこにしたと言い張った。
ハンカチ王子やまーくんと同世代というだけでなにか運命めいた物を感じていた。
運動については、運動部の人たちには到底敵わなくなり、勉強しなくても成績がいい天才なのだと信じ込んでいた。
兄とはたまに一緒にゲームをしたりしたが、基本的に部屋でずっとパソコンをしていたのであまり関わる事はなかった。
ただ、兄のようにならないように頑張ろうという軽蔑のこもった念を持っていたと思う。
俺が何か落ち込むような事があった時は、内心でこいつよりは1万倍マシだと言い聞かせたりもした。
大学に入ってからは、受験の時に陰で勉強しまくっていた反動で遊びまくり、成績はひどかった。
高校までの自分の理想像では勉強しなくてもできる天才の筈だったが、更に妥協する事にした。
学校の勉強なんて社会で役にたたないし、もっと本当の意味での賢さが自分には備わっている。
大学の勉強よりも、もっと価値のある事に時間を使っているし、その才能がある。という路線にしたのだろう。
そこからは、友達・人脈を増やす為に頑張った。まずは先輩に媚びて、可愛がられて、それがすごいと思ってた。
交友関係を学外にもどんどん広げていき、フェイスブックは顔見知り程度ならどんどん友達申請した。
そのうちに、ストリートアートの才能がある人物と出会って、イベントをやる事になった。
結果、そのイベントはそこそこ成功し、俺は何かを作りあげるクリエーターとしての才能があるのだと思うに至った。
実際は、自分では何も作り出す事ができず、ただ誰よりも彼の作品に憧れただけだったのに。
あげく、彼とはイベントの打ち上げで大喧嘩して仲違いしたきりだ。
絵を書かないお前の方が主役みたいだ、自分では出来もしないのに口ばっかり出してくるな、
自分以外はみんな馬鹿だというような態度をやめろ。そういう事を言われた。
同じ天才の仲間だと思ってたのに、急に梯子を外された気分になった。
彼が憤慨して帰った後、とりまきと彼の悪口を言いながら記憶が無くなるまで飲んだ。
二十歳を過ぎてからは六本木に入り浸って、色んな経営者やらとも知り合いになった。
知り合いと言っても、今思えば知人の女子大生を宴席に連れていくだけの、便利な愛人斡旋係だった。
そんな社長たちすら、ランクを5段階くらいにわけて下のランクの人達は馬鹿にしてた。
でもいざ同席している間はぺこぺこへりくだって、そのギャップから、家に帰って目眩がして吐く事もあった。
今日〇〇の社長とキャバクラだから。それだけを同級生に言っている間だけは自尊心が満たされた。
その人達ですら、自分で事業を作り上げて必死に改善して、本来は尊敬すべき人だった。
あまりにも授業に出なかったので、留年しそうになり、慌てて学生ローンで借金してインドで1ヶ月ワーホリした。
俺の行動のすべては、順調な人生に見せかけるための、ハリボテのアリバイ作りのためだった。
一浪した就活では、人材系大手のRから内定を得ることができた。
面接の時は自分の経歴を何百倍にも膨らませて、嘘もふんだんに織り交ぜて通過した。
今思えば入社前のこのタイミングが軌道修正する最後のタイミングだったように思う。
入社したRでは、退社した人材が起業したり有名企業の要職を務める事が多く、元Rというブランドができていた。
自分もそこで頑張って、起業すればそういうキラキラした何者かになれると思っていた。
そもそも自分の理想に対して、人材紹介のエージェントという仕事はあまりにもつまらなかった。
転職希望者の話を聞いて、内定がでそうな企業を紹介して日程調整をする。
当然転職希望者は培った専門性を軸に、次のキャリアを考えるが、その専門的な内容がさっぱりわからない。
そりゃそうだ。こっちは他で働いた事もない新卒なんだから。職種も全然違うし。
同期たちは努力やホスピタリティーやら自分の長所を活かして成長していったが、俺にはそれができなかった。
今まで努力や反省といった所からひたすら逃げてきたのだから、当然の結果といえばその通りだ。
自分の才能について信じていた”なんとなく”というのは、試行していないが故に可能性が潰れていないだけで、
何の成長性もなく、ただただ自分の現実と向き合ってないだけだった。
みんなが色んなチャレンジをして、失敗して反省して、試行錯誤をしていた時に、
自分の限界に挑戦しないから自分の能力がわからず、低いハードルを超えるだけで失敗しないだけだった。
周囲には、人材紹介はビジネスモデルが良くないから本気になれない
より良い新たなビジネスモデルでの起業の準備が忙しいのだ、と言い訳していたが、苦しかった。
アラサーと言われる年齢に近づいた頃、仕事でとあるクリエイターに出会った。
大学時代のストリートアートの彼すらも遠く霞むような、本物の天才だった。
その人は天才故にずっと苦労していて、話を聞けば聞くほど天才のノブレス・オブリージュみたいだなと思った。
高IQゆえの他者・社会との隔絶。そこから来る生きづらさ。それこそが天才の証明だったのだ。
天才は友達が少ない。それだけ普通とは隔絶し、突出した人間だから。
自分がいつか凡人だと気づく不安なんて感じたことはない。人と違う事で、恐れ、疎まれて来たから。
話を聞けば聞くほど絶望していった。中途半端に器用に生きてきた自分とは、真逆の人生だった。
自分はコミュ力と友達の多さを誇って天才だと吹聴してた。それが真逆で本当に恥ずかしかった。
意を決して、精神科を訪ね、IQの検査を受けた。IQ120弱くらいだった。
天才とメンバー間を通訳できる、いいリーダー・つなぎ役になれるという解説がついていた。
天才じゃないという死刑宣告だった。上位10%。クラスで3、4番目。それが俺の本当の実力だった。
だけどまだそれを信じる訳にはいかなかった。
天才だ特別だと言い張っていたのに、そうでない人生を今日から歩めと言われても飲み込む事はできなかった。
IQは一つの指標。そう考えるしかなかった。そうでないと生きて行けなかった。
検査の結果を聞いてから毎日、気が狂うほどの焦燥感が常に付き纏っていた。
本当に24時間何をしていても、少しでも気を抜いた瞬間に、
何かを成し遂げなければならない、特別である事を証明しなければならないという強迫観念が絶えず襲いかかってきた。
幸い、人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが非常に低かった。
同業他社と比べると、有料のオプションが1つ無料になる。程度の差別化だったが、
それを新しいビジネスモデルという事にして打ち出していった。
本当にちっぽけなしょうもないアイデアだけど、それに賭けることにした。
勝ち目なんて無いに等しいのはわかっていた。でもそれに全てを賭けるしかなかった。
特別な人間であるというアイデンティティだけにすがって、他者を馬鹿にし、虚構の優越感に浸り、
生き続ける為には、この道で食っていくしか無かった。
あると思っていたコネクションは、俺ではなく会社と繋がっていたのだ。
元々ないホスピタリティーは更に枯れ果てた。
余裕の無さが更に成功を遠ざける。
うまくいくはずが無かった。
どんどん追い詰められていった。
兄は学生生活こそうまくいかなかったが、こつこつとプログラミングの勉強をして実力をつけていた。
いくつかの現場を経験していたので、人脈もあった。それを使う事にした。
子供の頃から兄を馬鹿にするのが俺のアイデンティティの一部だったのに、その兄にすがって何とか生きている。
兄は優しかった。逆境に負けず、こつこつと努力を重ねられる強い人間だった。
でもそれもだめだった。三度、天才に打ちのめされることになる。
求職者が企業と面談をすると、3万円もらえるという転職サービスが現れた。
人材業界のビジネスモデルには問題があると先述したが、それについては紛れもない本心だ。
既存の人材紹介業は、求職者が入社すると理論年収の35%程度を手数料としてエージェントに支払うのが慣例だ。
年収600万円の人材を紹介すれば、200万円以上の手数料を払う事になる。
求職者を集めて求人を紹介し、履歴書を送って日程調整をする報酬にしてはあまりに高すぎる。
人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが低いというのは、それが由縁だ。
中小企業や、スタートアップ・ベンチャーがおいそれと手を出せる金額ではない。
加えて、エージェントはとにかく求職者が入社すれば高額な手数料が得られるので、
「求職者が望む転職になるか」「企業に本当に必要な人材か」を無視して、
「内定が出そうな企業」に求職者を押し込む事で、売上を伸ばす事ができる。
つまり、エージェントが売上を追求すると、求職者・企業の利益を損なうケースが出てくるのだ。
3万円もらえるという転職サービスでは、企業は面談時に費用がかかる代わりに、入社時の手数料はいらないらしい。
企業がエージェントに払っていた費用の大部分を、求職者が受け取る形だ。
これは、既存の転職市場・人材業界の諸問題を一気に解決し得るポテンシャルがあると思う。
このサービスを見た瞬間、正気を保ってられなかった。ケチの付けようがないすごいサービスだった。
転職市場・人材業界のパイの全てをテーブルごとひっくり返す、この上ない破壊的イノベーション。
最初は思わずネガキャンした。悔しかったから。でもどうしようもなく憧れた。
どうして自分がこれを考えつけなかったのか、今まで何に時間を使ってきたのか。
自分を責める事しかできない。感情はもはや支離滅裂でどうしようもない。
仕事を続けられる気がしない。全て終わりにして消えたい。ネガティブな感情が無限ループしている。
一番恐ろしいのは、ここまで書いた事全て、自分は薄々気づいていたという事だ。
それでも、特別な人間でなければ、優秀な人間でなければ意味がない、
という自分自身にかけた呪いからそれを絶対に認める事はできなかった。
ここまで絶望的な状況になって、認めるしかない現実が来て、やっと認める事ができた。
自分の心の中の薄々気づいていた部分は、こうなってしまった事をホッとしている気すらする。
このままどこまでも狂って、「コロナがなければ・・・」「精神を病まなければ・・・」
という言い訳ができればいいと、ただそれだけをずっと泣きながら祈っている。
真冬って感じの昨今、ついにまた始まってしまった緊急事態宣言下の自粛ライフ。個人的には、自粛を要請されるっていうのがどうも日本語として頭悪そうな感じがずっとしていますが、変異種の猛威とそれらを鑑みた上での感染リスクの最小化は、僕らのようなフリーランスで働く人間にとって(体調の不安と同じくらい)社会的風評に対する備えも大切だなと感じています。
そんな時こそ、狂いがちな食生活とどう向き合っていくかは大切だなと前回の自粛時に強く感じました。前回は序盤こそ作り置きしたりスーパーの食材を上手いこと使いまわして料理を頑張りましたが、すぐに息切れしてUber Eatsの誘惑に負けました。
否定するわけではないけど、外食って毎日食べ続けていると、ちょっと体に無理が来る。テイクアウトも然りなんですよね。お酒を提供するお店の料理は普通より味が濃いめだし、利益率を考えたら、どうしたって原価を下げるために化学調味料を使うことだってあるでしょう。決して外食が悪いわけじゃない。週に何度かお世話になるから、レストランの料理は幸せなんだと。
幸いにも引っ越して、より調理が楽しい環境に作り替えることができた僕は、かなりのペースで自炊をしています。基本的には自粛関係なく、特に引っ越してからは料理三昧に拍車かかりっぱなしなんですが、とても心身ともに調子がいいです!自分が選んでる食材だからか、自分が調理して責任を持って食べられる「美味しいもの」を追求できるから、余計な添加物を省き、食材本来の旨味を生かして作れる料理は純粋にとても味わい深いです。
普段、クリエイティブな活動をしているフォロワーの方も多くいらっしゃるようですし、今日は料理に限らず作ることが好きな皆さんに読んでもらいたい、僕の料理への想いやレシピを紹介します。基本的に調味料とか測って使うタイプじゃないので、量は適当に調整してください(笑)
真冬って感じの昨今、ついにまた始まってしまった緊急事態宣言下の自粛ライフ。個人的には、自粛を要請されるっていうのがどうも日本語として頭悪そうな感じがずっとしていますが、変異種の猛威とそれらを鑑みた上での感染リスクの最小化は、僕らのようなフリーランスで働く人間にとって(体調の不安と同じくらい)社会的風評に対する備えも大切だなと感じています。
そんな時こそ、狂いがちな食生活とどう向き合っていくかは大切だなと前回の自粛時に強く感じました。前回は序盤こそ作り置きしたりスーパーの食材を上手いこと使いまわして料理を頑張りましたが、すぐに息切れしてUber Eatsの誘惑に負けました。
否定するわけではないけど、外食って毎日食べ続けていると、ちょっと体に無理が来る。テイクアウトも然りなんですよね。お酒を提供するお店の料理は普通より味が濃いめだし、利益率を考えたら、どうしたって原価を下げるために化学調味料を使うことだってあるでしょう。決して外食が悪いわけじゃない。週に何度かお世話になるから、レストランの料理は幸せなんだと。
幸いにも引っ越して、より調理が楽しい環境に作り替えることができた僕は、かなりのペースで自炊をしています。基本的には自粛関係なく、特に引っ越してからは料理三昧に拍車かかりっぱなしなんですが、とても心身ともに調子がいいです!自分が選んでる食材だからか、自分が調理して責任を持って食べられる「美味しいもの」を追求できるから、余計な添加物を省き、食材本来の旨味を生かして作れる料理は純粋にとても味わい深いです。
普段、クリエイティブな活動をしているフォロワーの方も多くいらっしゃるようですし、今日は料理に限らず作ることが好きな皆さんに読んでもらいたい、僕の料理への想いやレシピを紹介します。基本的に調味料とか測って使うタイプじゃないので、量は適当に調整してください(笑)
コロナなんて老人しか死なないんだから、経済を回すことを優先しろ! 貧困で若者が自殺したらますます高齢化に拍車がかかるだけだ! って意見をよく見る。その意見自体は筋が通っているように思う。でもそれって老人を見捨てるってことにならんか?
今感染症指定病院のベッドはコロナの重症者で埋まってる。重症者の多くは老人だ。ベットが埋まってる病院は多くのマンパワーがそこに費やされるから、予定手術が回せなかったり他の病棟の入院も制限せざるを得なくなる。そうなると、例えば若者が怪我や病気した時にその人を受け入れられない。遠くの病院まで搬送されたり、手術できる時まで待機する羽目になったり。待機してる間に若者がうっかり死んじゃったら? もう働けない後遺症でも残ったら? ということで、経済回してコロナ増やして病院老人で埋めて、結局また損をするのは若者ということになりかねない。
そこで本当に経済を優先するなら、稼ぎ手の若者を助けて負担にしかならない老人を後回しにする、つまり選別が必要になる。重症者の中でも助かりそうな若者を入院させて、ベッドを空けて医療者の余裕も確保。80-90代はもちろん挿管しないし自宅でお看取り。70代だってベッドが埋まってきたら追い出される。
濃厚接触してても無症状者にPCRなんてやらないし、発症しても自宅待機も隔離もなし。味覚障害? 脱毛? 死にゃしねーよコロナ上等! で出かけまくりGOTO的な政策でどんどん金を使っていく。コロナになっても誰も責めたりしないし自粛警察の方が基地外扱い。店でクラスター発生しても誰にも謝罪も保証もすることなく翌日も残ったスタッフで元気に営業中。こうすれば経済も少しは回り出すんじゃないかな。
多分コロナは風邪派はこんな感じのこと考えてるんだろうけど、そういう人に上で書いた「老人を見捨てること」の是非を聞いてみたい。今はそれができないから経済も回らないし医療も崩壊してる。やっぱり見捨てるべきだ!って言うのかな。それともそもそも風邪なんだから誰も死なないとか言うのかな。政府が発表してる死亡者数自体を信じてないのかな。
5類感染症にしろ、ってのが一つの落としどころな気もするけど、そしたらあらゆる病院でクラスター発生して老人がぼこぼこ死ぬだろうから見捨てる政策と同じになりかねないしなあ。感染症専門医って建前なしで本音は「老人さえ見捨てられれば…」って思ってるのかな。聞いてみたい。
とにかく俺は物を無くす。その上無意識に物を持ち運んで無意識にどこか置く習性があるようで、不要なものは捨てて、自分の物は管理能力を超えない範囲で所有する事にした。(ミニマリストに近いかもしれない)これで私生活でものを無くしたりどこかに行っても探せばすぐ見つけられるようになった。
やった!勝った!物忘れ編完!!というわけにはいかず、社会生活が未だに地獄だ。
例えばオフィスのエアコンの清掃をする事になって小さい掃除機と換えのエアコンのフィルタを現地に持っていったとする。先にフィルタを全部交換した後に、換えのフィルタがない箇所を清掃するために掃除機を使おうとしたら用意したハズの掃除機が見当たらない。準備した記憶はあるが、現地に入ってから1度も使ってない。また無意識にどこかへ置いたのかと焦燥感に駆られ、今までたどった経路を遡り辺りを見回しながら探すが見当たらない。そもそも準備しただけで倉庫に置きっぱなしにしたのかもしれないと思い、倉庫に戻るがやはり無い。たしかに現地に持っていってるみたいだ。
その後1時間の清掃時間に対して2時間の掃除機探索をする羽目になったが、掃除機は出てこなかった。
どうすれば消えるのか、自分でもわからない。俺はものを消す天才なのか?頭がおかしくなりそうだ。
俺は過去に勉強ができない癖に(高校の偏差値38)1年ほど浪人して勉強したら地元の市役所に受かった。が、仕事の飲み込みも遅く、指示も取り違うはでキャパティシを超えるのに時間は掛からなかった。それに物忘れの拍車がかかり書類を紛失しすぎて、あまりにも周りに迷惑がかかり、自分の精神が限界にきたことがあった。親に相談したが「そんなの誰だってそうだろ」と横に流され、とうとう精神科に掛かってwais-3まで受ける羽目になるも「うーん、数値上は健常者ですね!一つ一つのことを丁寧にやっていきましょうねぇ!」と言われ、俺はとうとうメンタルを壊し仕事を辞めた。
なんかもう卓上から動かず、自分の管理能力を越えず、人並に生活出来るような仕事ってないんだろうか。
「ライ麦畑で捕まえて」でホールデンがしたがっていたライ麦畑で遊んでる子供が崖から落ちそうになったら止める仕事をしたとしたら、きっと俺はこども達をどこかに無くすんだろう。
脳機能が死んでるんだろうか。それとも、俺には特殊能力があって所有した物をランダムで亜空間に転送する異能力でもあるんだろうか?
ちなみに掃除機はまだ見つかっていない。
【追記】
反応いただけると思って無かったのでお返事嬉しいです。ありがとう。優しい表現に涙が出そうになりました。きっと、どれだけこの気質が理解されず辛く当られるか、わかってる方なんだとお見受けします。ありがとう。
私自身ADHDかADDを疑ったのですが、精神科医の厳密な検査の結果私は健常者みたいです。ちゃんと明記してなくてすみません。でも、優しい言葉がとても嬉しかったです。本当にありがとう。