「ミクロ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ミクロとは

2015-09-25

シュタゲなんていうレベルの低いアニメを見てるとバカになる

アメリカ人が考える!死ぬまでに見ておきたい日本アニメ10本」って記事シュタゲだけ賛同できない。シュタゲパクリなんてバカなことを言う信者を作るアニメが見るに値するワケがない。代わりにlainノエインを推薦する

僕が大して見てもないのに、シュタゲを(腹の底では)バカにしてる理由は「だが男だ」が出て来ちゃったから。…あれだけでもう嫌になった。頼まれるか、よっぽど暇か、好きなクリエイターに薦められない限り見ないと決めてる。岡田斗司夫ハルヒ見た時の感想じゃないけど「あれ見るとバカになる」と…。女の子の亜種か、女装か…こればっかりは魅力がわかってる人に聞かないとわからんところだけど、ブームきっかけになったシュタゲの「だが男だ」の人を見た限りは女の亜種だと思う。だから、「バカじゃないの」と思ってこの話をした

まどマギシュタゲに関しては「別のキャラブーム」を作りたいだけに思いますね。実際消費者はそう取ってる部分もございます既存記号からは確かに脱してますが、新しい記号(わかりやすさ)を持ったアニメがやっぱりあふれる時代になるのかな?と。(テレビ以外の)各媒体面白い・つまらないを論じるときマクロな要素が多い。ところが、共有と記号化が進みすぎて普通コンテンツ評価台に帰れなくなり、ミクロなところをとっかえひっかえする本質まどマギでも踏襲されて記号からは抜け出せてなく感じますらき☆すた辺りから記号化」されたアニメ属性っていっぱい出てきたけど、あの時って中身がまだあったじゃん。でも、記号しかないことに何の負い目もないアニメラノベが登場しちゃった姿を見ると「結局、声優キャラなんだね」の気分になる。

2015-09-10

世界いちばん遠回りな世界一周

もう誰も覚えていないと思うけど、3年ほど前、ここに、"Hello world!"というタイトルエントリ投稿した。あの話の続きをしようと思う。

※このお話はたぶんフィクションです。実在の人物や団体とはあんまり関係ありません。

※前回のあらすじ:高校中退工場派遣プログラマホームレス自立支援施設プログラマ海外放浪職業訓練世界一周アプリを作る


あれから3年、いろんなことがあった。またプログラマとして働いたり、またホームレスになったり、福島除染作業員をしたり、本当にいろいろあったけど、 今回の主題にはあんまり関係ないのでざっくりはしょる。今回の主題世界一周についてである

はいつか世界を巡る旅をする。10年くらいかけて。わりと本気で。その計画を立てるためのアプリケーションも作った。でもそのアプリ正式リリース以降、開発が頓挫している。開発を進めるにあたって、致命的な問題があることがわかったからだ。それは、開発者である自身が、この世界について何も知らないに等しい、という問題だ。

開発者は、システム化する対象に関して、誰よりも精通していなければならない。業務用アプリケーションの開発なら、 その会社の業務フローについて、社内の誰よりも詳しくなくてはいけない。システム開発とはそういうものだ。そして今度の対象世界だ。すべての国だ。それを僕自身が知らなくてはならないのだ。

しかし世界は巨大で、そして複雑だ。

国連加盟国は現時点で193か国。それぞれの国の下に州や省や県があり、その下に市区町村があり、そういった階層的な行政単位以外にも、歴史的背景から自治区になっているところや特別行政区連邦直轄領もあり……。

そういや連邦ってなんだろう。なんとなく知っているようでいて、詳しくはわからない。王国共和国ってどう違うんだろう。国の形ってなんでこんなにいろいろあるんだろう。いやそもそも国ってなんなんだ。どうすれば「国」になるんだ。

国連に加盟していればいいのか。いや国連非加盟の国もあるじゃないか。国家の三要素(領域人民主権)を満たしていればいいのか。しかしそれを満たしていることを誰が認定するんだ。他国から承認があればいいのか。その他国は誰が国だと承認したんだ。政治的問題から国なのか国じゃないのかはっきりしない地域だってたくさんある。国とか国じゃないとか最初に言い出したのは誰なのかしら。

それは世界一周アプリの開発中に国データをちまちま作っていたときにも思ったことだ。もしかして「国」というのは、僕が思っていたほど絶対的で、はっきりしたものではなく、相対的で、曖昧ものなんだろうか。

からない。わからないことだらけだ。こんなもの本当にシステム化できるのか。複雑ってレベルじゃねーぞ。これが仕事だったら「うんこー☆」とかいいながら全力で投げ出しているところだ。しかしこれは仕事ではない。これは仕事ではないので、真剣に取り組まなければならないし、投げ出すわけにはいかないのである

だけど、 どうしたらいいんだろう。世界はあまりに巨大で、複雑で、茫洋としている。何かとっかかりが必要だと思った。基点が必要だと思った。人でも物でも事柄でもいい。それをとっかかりにして、基点にして、少しずつ裾野を広げていけばいいのではないか。そう思って、自分記憶を探ってみる。僕の基点、時間軸と空間軸の原点、それは子供のころ、ブラウン管の向こうに見た、落書きだらけの大きな壁だった。


1989年11月ベルリンの壁崩壊した。僕が9歳のときだった。ニュースは連日連夜、この話題で持ちきりだった。興奮気味に壁を壊す人たち、全身で喜びを表現する人たち、泣きながら抱き合う人たちもいた。世界中が大騒ぎになっているようだった。僕はその映像を、意味もわからずただぼんやりと見ていた。

それからしばらくして、社会科教科書世界地図が大きく書き換わった。ソ連という国がなくなり、新しい国がたくさんできたのだという。国がなくなる? 国が新しくできる? その意味もまたよくわからなかった。

時間軸は一気に飛び、ベルリンの壁崩壊から20年以上たったころ、僕は生まれて初めて日本を出た。半年かけて海外放浪した。特に目的もない旅だった。だからその場所に行ったのも、ほんの気まぐれだった。

ベトナムホーチミン市にある戦争証跡博物館ベトナム戦争記憶を後世に伝える博物館だ。旅の途中にふらりと立ち寄ったそこで見たものを、僕はいまでもフラッシュバックのようにありありと思い出せる。

銃器、対戦車地雷、その他さまざまな武器弾薬が「こうやって使われていたんだ」といわんばかりに、実際に使用している場面の写真と並べて展示されている。銃を突きつけられて悲壮な顔をしている男性、道ばたで血まみれになって死んでいる子供、虫の死骸のように雑多に並べられた人の死骸、そんな凄惨な写真がこれでもかと並ぶ。

何か、自分の中で価値観が急速に書き換わっていくのを感じた。頭の中がぐちゃぐちゃになって、いろんな言葉が浮かんでは消えていく。

資本主義

共産主義

イデオロギーとは何だ?」

そのとき同時に頭の中に浮かびあがってきたのが、子供のころに見たベルリンの壁崩壊ニュース映像だった。あれから20年以上たってようやく僕は、あの人たちがどうしてあんなに泣いたり喜んだりしていたのか、少しだけ理解できたのだ。


あの博物館で僕がもっとも強く感じたのは、「戦争悲惨だ」という事実ではなく、「どうしてここまでのことになったのか?」という疑問だった。人が人を虫けらのように殺す、その理由が知りたい。そこには絶対にそれなりの経緯があるはずである。東西冷戦とは何だったのか、僕はまずそれを知らなければならない。

しかしこうなるともう最初から世界史をやり直したほうが早いんじゃないかと思った。よし、時間軸を一気に人類歴史の始まりまで巻き戻そう。

まずは大河流域で文明がおこる。チグリス・ユーフラテス川ナイル川インダス川黄河。うわー、すげー懐かしい。そして農耕が発達する。食料を安定して収穫・保存できるようになると権力が生まれる。そこから世界各地で似たような権力闘争が延々と繰り返される。

特に印象深いのが「カノッサの屈辱」だ。十代のころ、学校でこれを習ったとき意味がわからなかった。この人たちは何をそんなに必死になっているんだろうと思っていた。いまならわかる。目的は、権力そのものなのだ。人の頭を踏みつけること、人を思い通りに動かすこと、それ自体が目的であって、権力によって得られる富や名声は二の次なのだ。それは自分の経験を振り返ってみてもわかる。ヤンキー世界でもエリート世界でも、どんな場所でもどんな階層でも、人間が集まれば、始まるのはいつも頭の踏みつけあいである。それが直接的か間接的か、下品上品かという違いはあれど、やっていることは同じだった。だから世界史に記されたこのくだらない争いの数々も、いまは実感を持って理解できる。

そして絶対的権力者である神によって凍結されていた歴史が、ルネサンス以降、急速に動き始める。宗教改革名誉革命フランス革命。それまで聖職者王侯貴族が持っていた権力が少しずつ引き剥がされていく。そしてフランス王国フランス共和国に。ああそうか、王国共和国の違いって「王様」がいるかいないかなのか。さらに現代の「国」という概念国民国家というのも、このころに生まれてきたもののようだ。人類歴史から俯瞰すれば、ここ200年くらいの「流行」にすぎないのだ。

しかしフランス革命って華々しいイメージだったけど、こうして改めて調べてみると、革命政権恐怖政治によって何万もの人間が処刑されていたり、何度も王政に戻っていたり、混沌としすぎていて、華々しいなんてとてもいえない血まみれの革命だったのだと気づかされる。

そんな混沌の中、産業革命を経て、歴史さらに加速する。権力のあり方も変わる。聖職者王侯貴族に変わって資本家が台頭してくる。資本主義が加速する。貧富の差が拡大していく。賃金労働者悲惨労働環境で搾取され続ける。暗澹とした空気の中、社会主義共産主義という思想が台頭し始める。ロシア革命が起こる。世界初社会主義国ソビエト連邦誕生する。

いままで社会主義ってあまりいいイメージはなかったけど、こうして順序立てて成立の経緯を追っていくと、歴史の中での必然性がわかる。みんな、もう誰も頭を踏みつけあわずにすむ世界が欲しかったのだ。だから既存の権力や富や労働のあり方を強制的に変える。そしてそれが国の形を変える。そうか、国の形ってこういうふうに決まるのか。

しかし計画経済ってなんだろう。どうしてそんなもの必要になったんだろう。と思って、初心者向けの経済学の本を何冊か読んでみた。めちゃくちゃおもしろかった。経済ってこういうものなのかと思った。市場経済では必ず景気は好況と不況を繰り返し、いつかどこかで恐慌を引き起こす。そんな繰り返しをさせないために、計画経済では政府の計画にしたがって商品を生産する。そうか、そんな経済の形もあるのかと思った。ずっと現代日本で生きてきた僕にとっては、市場経済があたりまえすぎて、市場自由がどうの規制がどうのといわれても、これまでピンとこなかった。「あたりまえ」のことは、対比されるものがないと、それを知覚することさえできないものなのだと知った。

その市場経済へのアンチテーゼとしての計画経済は、しかし破綻する。いつ、どこで、誰が、何を、どのくらい欲するか、なんてことを計算し尽くすには、リソースが足りなさすぎたのだ。結果が出ているいまだからいえることなのかもしれないけど、少数の頭のいい集団演算能力よりも、多数の平凡な人間無意識的な分散コンピューティング見えざる手)のほうが演算能力は遥かに高いのである

そして社会主義自体も破綻する。ソ連型の社会主義では一党独裁必要とする。しかし絶対的な権力は絶対的に腐敗する。それは歴史証明している。独裁政権必然的暴走していく。これも僕は経験として知っている。「いじり」がいつも「いじめ」に発展するのと同じだ。他人おもちゃにできる、自分の思い通りにできる、これは権力である。そして「いじり」は場の空気によって正当化されるので抑制がない。抑制のない絶対的な権力は暴走する。だから 「いじり」はいつも「いじめ」に発展する。企業内のハラスメント家庭内虐待も同様だ。人間は好き勝手にできる状況に立たされたとき、好き勝手振る舞うものなのだ。そうか、チェックアンドバランスってそのために必要なのか。絶対的な権力は絶対に生み出してはならない。権力は絶対的に抑制されなければならないのだ。三権分立を唱えたモンテスキューさんマジパネェすわ。

こうして自由主義資本主義矛盾への疑問から生まれた社会主義共産主義は、自身内包していた矛盾によって自壊していく。そして時間軸と空間軸はまた原点に戻る。冷戦象徴であり、永遠に世界を二分し続けるかのように思われていたベルリンの壁が、ささいな行き違いからあっけなく崩壊する。ほどなくしてソビエト連邦から次々に構成国が離脱し(国が新しくできる)、連邦は解体される(国がなくなる)。

天秤の片方から社会主義共産主義が脱落したことにより、その後、世界はまた自由主義資本主義へと大きく傾いていく。混合経済社会主義的な部分が次々と取り払われていく。その結果が、派遣法改正だったり、リーマンショックだったりするのだ。そしてそれらは僕の人生にも多大な影響を与えている。そうだ、これはひとごとではない。遠い昔にあった「歴史」でもない。僕がいま生きている「現代」の話なのだ

そうか、世界ってこういうふうに動いていたのか。少しずついろんなことがわかってきた。国とは何か。イデオロギーとは何か。なぜ法の支配必要なのか。なぜ憲法必要なのか。しかしそれよりも何よりも、ひとつ重大な事実を確信した。それは、世界のすべてを知ることは絶対にできない、ということだ。

ミクロ領域――個人の感情や行動、これはわかる。マクロ領域――世界市場や情勢、これもわかる。しかし両者がどのように関連しているのか、個人の感情や行動が、どのように影響しあい、どのような力学が働いて、世界市場や情勢を動かすのか、逆に、世界市場や情勢が、個人の感情や行動にどのような影響を与えるのか、それを計算し尽くすことは、誰にもできない。それは人間演算能力の限界を遥かに超えているからだ。

「俺は世の中の仕組みをわかってる」「裏の論理まで知ってる」と嘯く人にはたまに出会うけど、そういう人が本当に世界の仕組みを知っていたことは一度もない。本当にただの一度もなかった。陰謀論マクロミクロの間にある巨大で複雑な回路をショートさせただけの反知性主義にすぎない。僕はそんなチートに興味はない。僕は真正から正攻法で、その回路を解析したいのだ。そうでなければ意味がない。

ああ、そうか、経済学とは、それを解き明かそうとする学問なのだマクロミクロの間にある巨大で複雑な回路。それを解析するのが、経済学や、その他の社会科学なのだ。僕はそれを、もっと深く学ばなければならない。

進むベき方向性は見えてきた。しかしここからどうするか。独学ではもうこのへんが限界のような気がする。つぎはぎだらけの学習じゃなく、もっと体系的に学びたい。でもどうやって学べばいいのかがわからない。僕はまず、学び方を学ぶ必要があるのだ。それには、どうしたらいいのか。

頭の中に浮かんだのは、「大学に行く」という選択肢だった。


大学に行く。どうしてそんな選択肢が浮かんできたんだろう。これまで僕の中にそんな選択肢は存在していなかった。そのはずだった。これまでずっと金も時間もなく、ただ日々の生活に追われるばかりで、そんなことを考える余裕は一切なかった。そんなことを考えるくらいなら明日の飯の心配をしたほうがいい。ずっとそう思って生きてきた。

何より僕には自信がなかった。自分みたいな中卒の人間高等教育を受けたところで何の意味もないと思っていた。そんなの僕にはまったく関わりのない知識階級人間世界だと、大学なんて僕にはまったく何の関係もない、別の世界に存在するものだと思っていた。

でも思い返してみれば、その認識は少しずつ変化していた。いろんな仕事をしたり、あとさき考えず旅に出たり、プログラムを組んだり、文章を書いたり、そしてそれを不特定多数の人の目に晒したり、ずっと何かに追われるようにそんなことを繰り返してきたけど、その過程で、僕は何か大切なものを拾い集めてきた気がする。それはたぶん、自尊心と呼ばれるものだ。幼いころに失い、ずっと欠けたままだったそれを、僕はこの歳になって、ようやく取り戻すことができたのだ。

からいまは自分高等教育を受けることに意味がないだなんて思わない。大学が別の世界に存在するものだなんて思わない。ああそうか、だからいま、このタイミングで、「大学に行く」という選択肢が、僕の前にあらわれたのか。

あとはこの選択肢を選び取るかどうかだ。

いまの時代大学に行くなんてそんなにたいしたことじゃないのかもしれない。だけど少なくとも僕にとってそれは、とてつもなく勇気エネルギー必要なことだ。ホームレスになることよりも、右も左もわからないまま海外に飛び出すことよりも。

現実的問題もたくさんある。資金、学力人生の残り時間。いろいろと考え始めると、解決しなければならない問題が多すぎて、わけがからなくなってくる。もうどうでもいいじゃないかと投げ出したくなってくる。でも僕の中の何かが、そうさせてくれない。僕の中の何かが、そうじゃないだろうと責め立てる。

これには覚えがある。この熱には覚えがある。これは、あの旅の途中、自分の中に発見した、マグマのような熱量だ。感情になる前の感情。行動になる前の行動。名前なんてつけようもないほどプリミティブな衝動。僕はいままさに、それに直面している。そしてその熱量からは、どうあがいても逃げられない。それだけは確信できる。

だったらもう、覚悟を決めるしかない。本当にもう、そうするほかどうしようもない。

僕は大学へ行く。

そうやって覚悟を決めてみると、ものすごく気が楽になった。気分が軽くなった。

ああどうしていままでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。その想いはずっと自分の中にあったのに。

僕は、「大学へ行きたかった」のだ。

続き→http://anond.hatelabo.jp/20150910220232

離婚された、中くらいに可哀想子供の話

をする。第三者視点

この手の話をはじめると、決まって「継父の虐待」とか「シングルマザー境遇では進学させられず...」とかの

キャッチーで酷い話ばかりになる。しか実態はもう少し中庸だ。


まず、いくら劇的な離婚劇があったとしても、近年結婚した夫婦子供の大部分は劇的に貧しくはない。

世にでる離婚サンプルは目に余るものばかりだが、国やコミュニティの自負自尊心をくすぐる例しかメディアに載らず

売文できる離婚例以外は基本表には出てこない。


で、

慰謝料養育費のやり取りが(満額とは程遠くても)5~10年ぐらい続き

親権放棄した親と最低限面会する機会もあり

③両親の離婚過程を、ある程度余裕をもって観察することのできた子供は多く実在するが、

特に耳目を集めるものではないので可視化されない。

別に法的責任道義的責任も果たす両親を見ているし、戸籍上断絶した祖父母や親類との繋がりが残ることだってある。

情緒文化経済資本面で負い目を感じる子供もいるだろうが、

外のコミュニティ代替物にしてふんばるぐらいのリソースはある。キャリアを積み、家庭も築く。

離婚によって子供が置かれる状況など、陳腐のものである


~ここまでがギリギリ物語メッセージとして一般人に通じるライン


ここからがツライ。

引き続き、子供が成人するまでに両親とはそれぞれ緩やかな関係が残るわけだが、

下限がしれたものなら上限だってしれた程度のものしかならない。

ミクロで見れば努力精神論の入り込む余地があって、父母を反面教師にした自立への美しい物語ができあがるが、

マクロで見れば自身ルーツや幼年期の愛着否定されて摩滅するしかない期間である

特に両親の愛着関係客観視したとき、そこには幼稚さを気まぐれと醜い打算ばかりが残る。


種々の責任を果たした両親を前にして取り付く島もなく、自身も成長し”こじらせた”子供として振る舞うことができない。

喜怒哀楽の大きな起伏を呼び起こすような局面特になく、いい大人が長い期間をかけてすり減るのである

そこには貧しさも激しい葛藤もない。

とりたてて筋が通った話にもならず冗長だから、ひたすら消耗する。

http://anond.hatelabo.jp/20150909234028

そもそも、女性育児願望ってのが眉唾なわけで。

何で待機児童数が爆発してると思ってる?育児したくない女が多いからだよ。

育児するより、子は保育園に預けて仕事した方が楽だからだよ。楽な上に給料まで貰えて世間体も良いんだから、そりゃ皆保育園に入れて働きたがるわ。

「女は皆育児したがってる」って前提が、頓珍漢な少子化対策を生じてるんだよなあ。

「多くの女が育児したがってない」って前提で考えないと。

というと俺の知り合いの女は育児したがってるもん!って言うかもしれないけど、そんなミクロの話してないから

そりゃ個人単位ならいるだろ。でもそれが多数派かっつーとね。

考えてもどうしようもないんだけどね。保育園やすにしても金銭的にも人的にもリソース不足してるし。

保育士不足も「保育士という仕事をしたくない」女性が増えたって話なんだけどね。

育児が多くの女がやりたがる仕事なら、例え最低賃金だろうと保育士人材確保には困らない筈でしょ。

皆がやりたがる仕事なら給料安くたって人は集まる。でも現実はそうじゃない。

現実を見据えないと。いつまでも育児してるだけで幸せ理想ママンを夢見てないで。

2015-09-01

岡田斗司夫愛人になった彼女とならなかった私」を読んだ

http://papuriko.hatenablog.com/entry/2015/08/31/173033

読んだ。ちょうど最近読んだ本と関係ある話だったのでこの機会に紹介しておく。紹介したいのは「岡田斗司夫愛人になった彼女とならなかった私」だ。

良い意味タイトル詐欺だった。岡田斗司夫関係の話はこの本のメインではない。それよりもかなりまじめに社会学チックな話をしてる。そもそも岡田斗司夫界隈に関わろうとする時点ですごいバカか逆に非常に意識の高いというか貪欲な人間なのだろうと思っていたがどうやら後者のようだ。単に岡田斗司夫事件レポートすることを目的としているというよりは、このチャンスを利用して最大限己をアウトプットしようという気概を感じる。岡田斗司夫女性一方的搾取たかのように感じるひともいるだろうが、どうもしっくりコなかった。それよりも、岡田斗司夫んに群がった女も、一方的にくわれるだけではない、あわよくば彼を逆に食い物にしてやろう、転んでもただでは起きないぞ、というしたたかさを持った人間揃いでないか、という可能性は念頭においても良いと思われる。

さて本書で問題となっているのは、主に男性の、異性に対するコミュニケーション能力経験の衰えと、それに反比例するかのように膨れ上がる恋愛に対する欲求だ。恋愛ベタになっているのに、恋愛に過大な期待を抱くようになっていき、ギャップがどんどん大きくなっているらしい。現代が男の性的欲求を満たすためにあまりに高度に発達しすぎたせいで、男たちは現実女性恋愛するコストリスク負担する合理性を見いだせず、それでいてバーチャルでいろんな刷り込みをしているか現実への恋愛に強いあこがれを持ってしまう。コストリスクをかけず、ときメモのように自分を鍛えることもせず、それでいてバーチャル世界のようなめくるめく恋愛体験性的体験を求めるというモンスターゾロゾロまれてきている、と。分析だけにとどまっているのが学生っぽいなという印象はあるが、なかなか読ませるつくりになっている。

本書は男性を中心に話を展開しているがこれは女性にも当てはまる話であろう。男女問わず二次元にはまるオタクや、アイドル貢ぐブームは地続きなのかもしれない。個人的には艦これやら、とうらぶにはまってる人たちについてさすがに気持ち悪すぎると感じていて、そのあたりもわかるかと思ったがこの本を読む限りここでの話とはちょっと違うようだ。オタクの話は部外者には本当に難しい。

また、どちらかというと本書はマクロな話よりも、ミクロ世界としてサークルクラッシャーやオタサーの姫などに関する分析に力を入れており、この部分が面白いのでぜひ読んでみて欲しい。

2015-08-08

人間』には期待せず、『その人が作ったもの』に感謝する

俺は、他人に期待するのはおかしいと思っている。同じ人間からさ。

それに、たとえばプロピアニストがいい演奏をしたからって、その人の人格がクソだったら、なんだいやだなとは俺はなりたくない。だって、そんな演奏のためにすべてをかけたなら、幼い性格とか、他が幼稚とか、あるいはまったく発達してないとか、普通にありそうだもん。

から他人を見るとき、その人の中身を見ない。

たとえば、居酒屋で出てきた枝豆。これのおいしさをもって、感謝する。

たとえば、工芸品、これを見て、『その人はこれを作った能力があるんだな』と感謝する。

  

この考え方は、別に俺が思いついたんじゃなくて、国語問題で出てきた文章での考えを発展させたもの

確か、人格のよさってのは、「その人が成し遂げたもの」って感じの。東大だったかな。そこらあたりの論説だったと思う。

  

で、他人に期待しすぎるのはよくない。ほどほどでいい。

中身がいいとか、性格がいいとか関係無い、1つだけ、その人が誇れることがあったり。ってか、生きてるだけでいい。

ヒーラ細胞っていう、特殊なガン細胞があって。これ無限に増殖できるんだけどさ。これをもってた人は普通の人だけど、このヒーラ細胞のおかげで、世界中研究むちゃくちゃ進んでる。ただ生きただけの人がこれだけ貢献できる。努力人間性も関係無い。

こういうのあるし。たとえば血管の走行なんて、一人ひとり違うし、そういう超絶ミクロ奇形も含めれば、個性の無い人はいない。ただ、それを分かりやす人間に蝕知できるレベルで説明はされていない。

  

そんな感じで、一人ひとりに尊敬すべきところあるし。アル中DVしてるやつでも、秋葉原で車で突っ込んだ加藤君も、皆皆いい人だと思ってる。

正確には、その個人には期待してないが、それぞれが生きてるだけで、いいよねって思っている。

2015-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20150802144531

電磁気学ミクロ領域では成り立たなかったか量子論が作られた

初めて知った。

その「電磁気学」って何?

2015-08-02

http://anond.hatelabo.jp/20150802133403

ええ?いや、ニュートン力学が高エネルギー領域では成立しなかったり、ガリレイ相対性原理電磁気学矛盾したりしたか相対論ができて、

同じようにニュートン力学電磁気学ミクロ領域では成り立たなかったか量子論が作られたのはもう100年は前の話でこれは常識として話をしたんだが…。

2015-07-10

「まほうのみず」へ 学校保健室から消える消毒液 「傷の治り悪くする」 (西日本新聞) - Yahoo!ニュース

http://b.hatena.ne.jp/entry/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150709-00010008-nishinp-soci

出ないもんは出ないんだよ。|北斗晶オフィシャルブログ そこのけそこのけ鬼嫁が通る Powered by Ameba

http://b.hatena.ne.jp/entry/ameblo.jp/hokuto-akira/entry-12048388770.html

丁度ホッテントリ対照的なのが並んでいたけど、はてブの反応が矛盾しまくってるよなこれ。

上では「まほうのみずなんて誤魔化さずちゃんと正しい事を教育すべき」が大勢なのに

下の「自分の子ミルクでも問題なく育ったと言うミクロな話を元に『母乳の方が優れている』と言う正しい教育否定」は支持するという。

上の態度を取るなら、下も「ミルクより母乳が優れているのは医学的・科学事実なんだから誤魔化さずちゃんと正しい事を教育すべき」とならないとおかしいし

下を肯定するなら、上も「消毒液やまほうのみずを使ったら何の問題もなく傷が治った」と言う大量にあるであろう事例を元に

「消毒液やまほうのみずに文句つけんな、正しい教育など必要ない」となるのでは。

(まほうのみずでいいだろつってる人もいるけどね)

2015-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20150704173302

貧乏人の経済学は名著だね。

元増田とあんま関係ないけど、

アフリカ貧乏人は10人子どもがいたら、一番出来の良いやつに教育を全額投資して、

そいつが将来出世して養ってくれることを期待している、他の9人はその日をやり過ごす日銭稼ぎに使うという話が印象的だったな。

マクロレベルで見ると、先進国工場とか招致しようとすれば、アフリカ人スーパーエリートが数パーセントいて後は文盲よりも、

全員が小学校レベルの読み書き計算できる方が魅力的だけど、

ミクロレベル、各家庭レベルで見るとそれなりに合理的投資の仕方なんだよね。

アフリカ援助ってのは頭の痛い、大変な仕事なんだな。と思った。

2015-06-26

負の効用は逓減する?

ミクロ教科書とかで負の効用は追加すると逓増するように考えられているみたいだけど

長期で考えるとむしろ負の効用は逓減していく気がするんだけどどうだろうか?

ふたば増田に聞けといわれたので反応ください!

2015-06-25

Fate SN UBW 20メモ でもにっしょん

昔、ある出会いがあった。

おそらくは、一秒すらなかった光景。

されど。

その姿ならば、たとえ地獄に落ちようとも、鮮明に思い返すことができるだろう。



その先が地獄だとしても前に進むと決めた士郎と

その先が滅亡と知っていても王になると決意したセイバー

やっぱりこの二人は似たもの同士だと改めて思ったなあ



本編のアーチャーの詳細の中で「なんのペナルティもなく固有結界を使いこなし」という一文があったが、本当に消えかかった身でも発動可能なくらい消費が少なかったんだな

わりと初期の頃このペナルティがどれくらいのものなのかと議論されていたがまさかこんなところで結論が出ようとは



HAの『たとえ地獄に落ちようとも思い返すことのできる光景』をまさかUBWで見れようとはなぁ………

アーチャーが契約した“かつてのセイバー”に対する思い入れ出会いの強さがしんみりと来たぜ

……だからこそ、歯痒いものを感じる

セイバーの聖杯に対する願望、そして自分の内にある鞘の存在を知るほどの関係に至っていたのに、なんで彼女を救えなかったんだ馬鹿野郎………!!



この世界の士郎は先にアーチャーを見たからこそ、アーチャーの様にはならないんだろうな。

守護者の立場が確定したアーチャーはもう抜け出せないけど、後悔だらけの自分とは違う道を示す自分を見たわけで。

本人にはもう救いはなくても、可能性を感じられるだけマシ、なのかなあ。



問おう、貴方が私のマスター

カットが入っててまたいいわ。あのシーンて確か本編士郎じゃなくて

本編アーチャーの過去編だったよね。

セイバーの表情もとても良かった。



そういえば士郎はよく「借り物の理想に執着してしまった愚かな男」って言われてるけど、どっかの誰かさんが言ったように「借り物の理想を持たない人間はいない」んだよな。そして自分も元だけど「借り物の理想」をもった人間に該当する。

何年か前、ある人の実況動画をみて、その実況者がプレイしたゲームの素晴らしさに憬れて、自分もそのゲーム製作者のように素晴らしい作品を造りたいと思うようになったのよ。

でもいつからだったか覚えてないんだけど、自分の抱いた理想が「そのゲーム製作者のように」ではなく「自分だけの、自分にしかできない作品を創りたい」という理想に変わったたんだ。

つまり何が言いたいかっていうと、全ての理想に対するanswerは「他人から受け継いだ借り物の理想を借り物の理想のままに終わらせるか」と「借り物の理想を自分だけの理想に変えられるか」という二つの結論に帰結するんじゃないかなといいたいんだ。



新規の人のコメントで「袖がないアーチャーの服は『涙を拭くことができない』ことを表していると思った。」っていうのを見てめちゃくちゃ納得した。



一晩たって落ち着いて考えてみると、この一番大事なシーンを時間の制限ついたアニメにしっかり合わせて分かりやすく構成してると感心するわぁ…

原作やったのがだいぶ昔でアーチャー言葉にひたすら対抗して打ち合ってたイメージあったけど、ちゃんとその苦しみを理解してその上で対峙するって段階を丁寧に丁寧に描写してたのがほんとよかった、特に同情なんてしないけど心が欠けそうになるってシーン。

あと原作やった時は二人にしか目が行かなかったけどセイバーさんめっちゃ辛そうだな



挿入歌の「傷だらけの硝子の心が」の部分でボロボロの士郎が映って、「忘れかけた熱をともす」でアーチャーに切り替わってるんだよな

偶然かもしれないけど、なんか感じるところがあった



ある意味では士郎にとっても(桜関係や横暴なところを除けば)そういった持ち味を持った慎二も愛おしい日常象徴だったんだな。だからこそHAでの殺し殺されるっていう緊迫した感じや魔術に対する毒気が抜けて、これから間桐家から出て一般人として再出発しようと語る慎二と士郎のやり取りは(セイバー&桜√で死んでることを考えると)胸にくるものがある。もしHAが映像化したらぜひ入れて欲しい。



理想に執着しているのであって助ける相手に執着していないと言っているのだと思う

衛宮士郎幸福のために邁進する者ではなく、もっとあいまいなものを守ろうとしているに過ぎないと

だから誰を救うのかも定まらない

それは特定の誰かを助けるために必死になれる人間(たとえば士郎のために真剣に怒った凛など)に比べれば動機が弱い

自分の欲望ではなく願いのために戦うから薄っぺらいんだとエミヤは言いたいんだと思う

じっさいは薄っぺらいどころか士郎は折れる気配すらないと悟るんだけど



今思えばアヴァロンって必ず誰かを救ってくれる要なんだよね…士郎の命が切嗣によって救われただけじゃなく切嗣自身も士郎と出会い救われたし、SNでは後にセイバーが士郎と忘れられないあの夜に出会って彼女自身が救われるきっかけになったしさ。皆の架け橋のような存在だよね。

数ある宝具の中でも、特にアヴァロン(全て遠き理想郷)は尊いものに感じるな。



エミヤに「その先は地獄だぞ」と言われた後の士郎の微笑みが素晴らしかった。

自分の理想の根底にかつての自身の願いがあったことに思い至っての、自身の理想が空虚な借り物でなかったことへの安堵、かつての自分と同じようにたとえ未来自分から進む先が地獄だと告げられてもその道を進むことをやめようと思わない「自分」と言う人間の性への苦笑、そしてこれからも理想を追い求めていくという決意、それらがあらわれた絶妙な表情だった。

「士郎は人間の振りをしたロボット」とよく言われていたけれど、実は士郎も自分自身のやりたいことを追い求めたれっきとした人間だったんだな。



士郎の始まりは切嗣との出会いでも「正義の味方」という借り物の理想ではなく大災害の地獄の中で願った「誰かを助けたい」という思いだった

今回の話は視聴するまで不覚にも自分ですら忘れていた事柄を士郎と一緒に再確認させられたエピソードだった

これまで士郎は「人間のフリをしたロボット」や「士郎が人間になれるのはHFだけ」っていう意見が多かったし、自分もそう思っていたところがあったけど

今回の回想を見て、改めて以前にきのこが語っていた「士郎という人間は大災害に遭わなくっても最初からああいう人間だった」や「士郎は成長しない主人公」という言葉通り、士郎は最初から士郎以外の何者でもないと改めて気付かされた

今回のUBWはアーチャーが忘れてしまった大切な事を思い出す物語であると同時に、視聴者が「衛宮士郎衛宮士郎という一人の人間である」っていう原作をした時には分かっていたことを思い出す話じゃないのかな?

そういう風に思わせてくれるufoときのこの演出は本当にすごい

ある意味ではこれまでのfateの総決算ともいえるの名エピソードでした 



Fate/stにおいては近くにアーサー王がいるとオートリジェネが入る便利装備

もう一つ便利機能があるがこれは別の話

アーサー王物語にて、策略でアーサー王決闘させられたある騎士がすんでで相手の正体に気がつき

鞘をアーサーに返却、同時に鞘の加護が消滅してしまい、治癒しきっていなかった致命傷が元で死亡してしまった

と、本来なら死亡しているであろう傷でも命を繋ぎとめてしまう能力がある

もう一つの便利機能、害意判別といいアーサー王物語におけるエクスカリバーの本体はこっちなんじゃないかとの声も



上手く言葉に出来ないけれど、ダイバーのようだった。

忘れてしまったモノを思い出す為に記憶(うみ)に潜り、あの地獄、あの原初の光景の中にある大切なモノを手繰り寄せる。

Fateは偉大な英霊同士のバトルが目玉なのはよく分かるし、派手だから目に付きやすいし当然だと思う。

でもやっぱり、こういった『人間の想い』を丁寧に織り上げる物語こそが、Fate真骨頂だとPC版をプレイした時からずっと感じてた。

次話の『answer』もだけど、これから終局まで続く怒涛の展開に期待!



ユニクロ士郎は前編通してやるともうこれしかねぇって感じになるからね、仕方ないね

個人的に士郎のユニクロについては、端的に士郎の特徴を現してる気がする。

服装って現代では(昔からそうではあるが)自分をよりよく見せたいとか人と異なる服装をして自己個性を出したい、または同じ服装をすることで一体感を味わいたいといった意味で使われると思う。でも、士郎にはそういった人より優れた自分を見せたいという“自己”には乏しい。士郎がユニクロ着てることからそういう風にも読み取れるんじゃないかなぁと自分は思ってます。



凛の「アイツはああでなくちゃいけないって、ああいうヤツがいてもいいんだって救われてる。」

20話視聴後の感想はまさにこの心境だった

衛宮士郎というキャラクター創作物の中でも一番好きなキャラかもしれん



違うアーチャーも言ってただろ

「助けたいから助ける」そこに理由がないから偽善だって言ってる

普通の人は大切な人だからとか誰かを助けるに足る理由存在する

でも士郎は見ず知らずの人すら命がけで助けてしまう

でその理由を挙げるなら死にそうな誰かを助けたいという理想しかないんだよ

間違ってない願いだけど人間として致命的に欠けている



総てを見通す魔術師は、選定の剣に手を掛ける少女に忠告した。

「それを手にする前に、きちんと考えたほうがいい。それを手にしたが最後、君は人間ではなくなるよ」

地獄を見てきた男は、荒野を目指す少年忠告した。

「おい、そこから先は地獄だぞ」

剣を抜くカットもそうだけど、この辺りもまた対比になってるなぁ



元から、「今、願ってる主体」が士郎以外の誰かだったことはないよ原作でも。

切嗣への憧れから始まってるから「所以が」借物だってだけ。

これ、普通物語なら「始まりがなんだろうとこれは俺の心だー!」になるんだけど

そこで、「もう借物だとか自分の心だとか、理想が理想である前には超些細ですし」

までぶっとぶのがUBW。

「笑いたかっただけ」みたいな話は、普通キャラにとっては深刻なんだけど

衛宮士郎二人にとっては、自分が偽善呼ばわりされるなんて大した話じゃないから

話さくさく流れて理想の話になっちゃうんだよね。

「笑いたかっただけ」は作中である意味投げっぱなしだから

そこを凄い脳内で拡大してる人が出たりする。

それこそ、「士郎は切嗣の行動をなぞってるだけ」とか。

原作にそんな描写どこにもないんだけど。



士郎は切嗣に「憧れた」わけだけど、

それはつまり、「ああいうものに憧れを抱く、善しとする価値観」を

士郎が元々持っていないと始まらない。

それを考えると、もうちょっと複雑なんだよねその辺り。

アーチャーの「幸せそうだったから憧れただけ」を真に受けるのはナシだしな。

「実は贖罪」もそうだけど、UBWであいつが殊更露悪ぶって口にする言葉

鵜呑みにしたって始まらない。

それよりは

>「―――覚えてる。俺を覗き込む目とか、助かってくれと懇願する声を。

> その淵で思ったんだ。自分が助かった事じゃなくて、助けてくれるヤツがいる事は、なんて」

> 素晴らしい、奇蹟なんだって事を。

の辺りを読み込んだ方が未だヒントになりそうな。



UBWの荒野は、アーチャーが辿り着いたものの象徴だから

 どうやら相手は、自分の記憶を流し込まれているらしい

→じゃぁもっと決定打になるものを見せてやろう

っていう意味じゃないか? UBW展開は。

「お前の辿り着く先はこの不毛の荒野だ」を文字通り目に物見せると。

あと、演出的には、Ufoはアーチャーと士郎を背負う空(特に雲)で表すそうだから

多分answerが凄いことになる。

UBWは心象世界だから、心象のぶつかりあいをビジュアル化する装置になりうるんだよ。

まさかここにきて、「アーチャーのUBW展開はローコスト」という設定が

演出上の最強のカードになろうとは。



某動画サイトでのコメントアーチャーセイバーを間接的にdisってるwwって解釈してるから違和感ある。

あそこのシーンのセイバーアーチャー言葉に傷ついてるわけじゃなくて自分と同じような道を歩んだ士郎の成れの果てのアーチャーを痛々しく思いながらも自分と似た願いを持つアーチャーを否定しきれない葛藤も持ちながら二人の問答の答えがどうなるか見守ってるんだと思う。



ホントそれ。そもそも願いが間違いなだけでセイバーの在り方自体はFateの全編を通して否定しえないものとして書かれてる。

SNから入った人はセイバー√で初めにそれを理解するんだけどそれをZeroで盛大に全否定したもんだから

そこから入った連中はセイバー=否定される、していいキャラとして認識してるから大問題。

虚淵のネームバリューもあって被害は甚大よ。



士郎って、熱血少年ぽいパーツそろったデザインだし、

たまに絵に起こしてもらうと、ゲームのCGイベントは戦闘だし、

パッケージイラスト起用でも戦闘系だしで、

「いかにもうおおおおおとか言いそう」なとこが対外的には押されがちだったけど

基本「己と向き合い自分の心を形にする」人間だから

実は「動」だけじゃなくて「静」の面も強いんだよね。

しろ「静」が本質って気もする。

その「静」に支えられるから熱さもあるって感じ?

今回の、内面でのアーチャーとの静かな対峙で

「静」の面が凄いクローズアップされたと思った。

自分はこれが見たかったんだよね。



とりあえず、「以前の記憶がない」は「ほほをつたう」と矛盾してると思う。

士郎、思い出に浸るのを自分に禁じただけで、普通に記憶はあるぞ。

> 何もなくなった場所にいって、有りもしない玄関を開けて、

> 誰もいない廊下を歩いて、姿のない母親に笑いかけた。

> ……あの日の前に戻れて。

> 何もかも悪い夢だったのだと、そう目が覚める日を待ち続けた。

一度心が死んだってフレーズが印象的なんで、

マジで大火災が0才状態と思われてたりするけど。

士郎って割と元々ああよ。



衛宮士郎アーチャーと士郎に分かれて真剣に自分の将来を模索するお話まじ熱い

アーチャー自分が辿った選択ではろくな道筋にならないと力説する

士郎は自分が進む未来は「選べる道」ではなく「選びたい道」を進もうとする

幾度の面談を経て衛宮士郎は見つけづらい険しい道筋を見つけて答えとする

自分会議(物理)は死ぬほどストレスたまりそうだけどその分効率の良さが半端じゃないな



今回のエピソードは、アーチャーの月下の誓いに対する「呪い」という言葉

あまりにそのまま伝わり過ぎていることに対する反論的な意味もあるのかな……と思った。

余人から見れば呪いととられかねない歪なものなのは確かだし、発言したのが未来の士郎と

いう点もあって、「信憑度が高い」と取られても仕方がない部分はある。

だが、そうじゃない。そんなものは、アーチャーレトリックに過ぎない。

「月下の誓いに至るには、大火災のさなかで救いを求める自分がいて、生存者がいないと分かりながらも

助けようとした切嗣がいた。だからこそ、救われない人間をこそ救おうとするエミヤが生まれた。呪いなんて、忘れてしまったアーチャーの後付だ」というように。

ここら辺、原作やってても勘違いちゃう人間がいるし。これをより説明的にしたことを指してデチューンと言ってたのかもね。

なんだかんだ分析してるが、初見じゃもうボロボロ涙でて凄かったよ。そうだよ!そうだよ!と絶叫しちまった。



価値観っていうと語弊があるのかもしれないが

とにもかくにも「心」はないと憧れも発生し得ないってところは

押さえておいてもいいのではと。憧れって心の働きなので。

災害中の描写から、衛宮士郎連続性を断つ描写は作者したつもりないと思うんだよな-。

っていうか、原作描写をそう読まれちゃったことを踏まえて再構成したのが

今回アニメ描写って気もする。



んー、言いたいことは分る。確かにもっともだ。

だが、「心が死んだ」「ゼロの状態で切嗣から新規に心を貰った」だと

極論すると、士郎以外の誰であっても

上記二条件を満たせば、士郎の如き人間になるってことだろう。

実際問題、それは非常に考えづらくないか?

なんで士郎がああまで凄まじい人間になっちゃったのかって言ったら

やっぱり元々「何もできないのに謝って楽になるのはだめだ」と

涙を呑んで歩き続けるような真っ当すぎて真っ直ぐすぎる子供だったからで、

そういう心をベースに憧れが発生したからだろう。

「心が死んだ」「ゼロの状態で切嗣から新規に心を貰った」

を強調し過ぎると、なんっかその辺拾えてない印象になる。



VSって原作時からして情報量凄い上、

大事そうな話をよく読むとさっくり投げっぱなしにしつつ

「え、そこ?」ってとこに落ち着くのな。

よく考えたら何故その話が理想に落ち着く、みたいな。

読み甲斐があるといえばそうなんだけど、お陰で

「借物」が「心がない」と誤解されたり

「笑いたかっただけ」が一人歩きしたり、

ある意味衛宮士郎の誤解の発祥源でもあったわけだが

今回、物凄い分かり易くバッサリまとめてきて、色々衝撃だった。

始まりは憧れ、でも根底に在るのは願い って、きのこだなぁおい



思い出したよ、くっそながい文章アホみたいにぶっ通しで昼夜読み続けてここの所で「なんて尊い大馬鹿野郎どもだ」ってボロボロ泣いたの。

嗚呼、あの当時原作プレイした俺は幸福だった。



今回は素晴らしかった。

なんというか、エミヤシロウというキャラクターの魅力を再確認できたよ

人間なら誰であれ死に絶えるような地獄の中で意味もなく切り捨てられる小さな命をこそ守りたいと願った少年が、その地獄の希望をくれた人から受け継いだ理想によって、その最も救いたかったものを切り捨てて大多数を救うものになってしまったんだからやるせないよなあ

士郎が本当に凡人なら、途中で折れるんだろうけど、地獄の道行を後悔なく駆け抜けることができてしまった心身の強さに物悲しくなる



一応補足しとくけど、兄貴ディルでは置かれた状況が全く違うから

兄貴ディルを比べてディルをけなしている人はそこらへんを忘れているし、あえてどちらがより酷いかといえばディルの方が遥かにひどい状況だったんだよなぁ

そりゃ恨み節の一つも吐きたくなるだろって納得するくらいに

仮にディルが戦闘続行を持ってて、セイバーと切嗣を倒してケイネスたちを救えた後に消滅したなら恨み節は残さなかったろうし

もし兄貴ディルと同じ状況だったら、恨み節はともかくとしてやはり憤怒の形相で怒っていたんではなかろうか

それに主君に忠を尽くすってディルの願いも、強い奴と全力で戦いたいっていう兄貴の願いも自分本位な願いという意味では同じだからディル兄貴同様、立派なケルト英雄だと思うけどなぁ



士郎が人助けをしたいのに、元々法政志望してたことが昔から疑問だった。救急隊とか医者とか、もっとわかりやすく人助けできる仕事があるのに、と。

でも、きっと士郎はそんな自分の手の届く距離だけに留まるミクロ人助けではなく、社会の仕組み全体を変えるようなマクロ人助けをしたかったんだろうな。

そう思うと、世界と契約したのも、膨大な力で社会全体をよりよくできるという期待を持ってたのに、実際は何の権限もないただの末端の処刑人でしたっていうオチに涙せずにいられない。

なんて愚かで、なんて愛おしいんだろう。大人しくレスキュー隊にでもなっていれば良かったのに。でも身の程を超えて、それより上を、人類の幸福の根源を求めてしまう士郎だからこそ、愛せずにはいられない。

大河になってアーチャー馬鹿馬鹿って言いながら思い出してくれるまで思いっき抱きしめたい



俺もそんな風に思っていたけどFateを深く考察するようになってちょっと考えが変わった

士郎が最も助けたいのは苦しみ足掻いてなお幸せになろうとする人なんだよね

だからもしかしたら罪を犯しても尚幸せになろうと苦しんでいる人をこそ助けたいと思っていたのかも

分かりやすい消防隊員や警察官を目指さないのは

本人に自覚が無くても無意識にそう感じていたのかな?と思った

だからあのゲリラ少年を始めとする人々はアーチャーにとっては助けたい相手だったんじゃないかって

指導者はともかく実際に戦っている人達は思想に関係なく自分家族が食べていく為だったりするし



>>「(幼士郎の)この地獄を覆してほしいという願い」

>原作ではこう

>>自分では持ち得ないから、その尊さに涙した。

>>いけないのか。自分気持ちではないから、それは偽物なのか。

それ、別に矛盾しなくない? 

士郎は元々恐ろしく真っ当な子供で、「『誰か』この地獄を覆してほしい、みんな助かってほしい」

っていう願いを持ってた。

でもそれは、救いのない、誰も彼も死んでいく現実をつきつけられて

意味をなさなくなった(これを「心が死んだ」作中では表現する)

そして、その地獄にあって未だ生存者を探す、

「『自分で』地獄をどうにかしようとする」切嗣に会って、

士郎は、「助かりたい」「助かってほしい」という情動すらボロボロになった己の心では

抱けなくなってたその思いに涙したわけだろう。



SN切嗣では強すぎて物語にならないのは分かるけどだからといってケイネス一人に原作で語られた外道戦術使うのはちょっと弱体化させすぎやな(せめてもう一組くらい・・・

会話の制約があったとはいえ、セイバーをあからさまな無能騎士道中にしたり、切嗣に明らかにおかしい戦争は英雄のせいだ論を抱かせるのもちょっとな(過去編から考えても切嗣が恨むようになるのは魔術師のはずだし、セイバーがあんなに騎士道大好きなはずもないから、明らかに話の都合のためにそうなったようにしか見えない)

これはもうちょっとやり様があったのじゃないかと思ってしまう

後やっぱりなぜ切嗣は火災の犯人になったのだろうか?

虚淵さんが言峰大好きだったから変えたんじゃないよな流石に

ナタリアとの別れによる正義への絶望故郷での事件等の過去編がよかったから余計にそこらへんの矛盾や弱体化が気になってしまうな



横からだけど、「士郎は正義の心を元来から備えていた」と思われる描写は今回、原作、前回のアニメでも見えたりしてるよ。

・泣きながら災害のなかを歩いた。その時、周囲から「助けて」 と声が聞こえてきた。止めてくれ、オレにはそんな力はない。という感じの描写

・そして今回の顔。泣いてはいるけど、泣き顔ではない。

「誰か助けて」ではなく、「助けられないのに助けを求められることに対して謝りながら、歩き続けた」

スマホからだと書きにくいな…



俺は

「たしかに、始まりは憧れだった」

「けど、根底にあったものは願なんだよ」

「(幼士郎の)この地獄を覆してほしいという願い」

「(切嗣)誰かの力になりたかったのに、結局、何もかも取りこぼした男の、果たされなかった願いだ」

って解釈した

根底にある願いは切嗣に会う前から持っていた



コメントを見て思ったけど、確かに「こんな地獄を覆して欲しい」っていう表現は、今まであの手この手を尽くして地獄を覆すために努力してきた切嗣の願いとしては受動的すぎるかなって思うんだよね。だからこれはやっぱり地獄を前に何も出来なかった子供士郎の願いなんだと思う。



車の傍の死体

暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。

トンネルの中の死体

暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。

荒野の木の周りの死体

暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。

世界との契約

暗転[赤い画面に黒い文字で]――いずれ辿る、地獄(りそう)を見た。

という事?



そうじゃなくて、

地獄を見た。

地獄を見た。

地獄を見た。

――いずれ辿る、理想(地獄)を見た。

ってこと。



いや、原作ではとてもそうは見えなかったけどな。

実力的には1/10しか戦闘能力出せない状態でも圧倒的に士郎<アーチャー

そして勝負のついた最後の一刀もアーチャーなら余裕で防げた。けれど防がずに士郎の攻撃を受け入れたってちゃんと理解出来る用になってる。

セイバーも「アーチャー…何故……」って疑問を口にしてた筈だし。

だからこそDEEN版でそこが分かりづらくて不満点になってるんだし。




セイバーが辛そうなのは士郎達が殺し合ってるのに見てる事しか出来ない辛さだと、思うけどな。

彼女はずっと士郎の生き方は危ういと言ってたし、実際に破滅したアーチャーが士郎を殺そうとしてるんだからそりゃ辛い。

士郎とセイバーは似たもの同士だから士郎やアーチャー気持ちセイバーは理解できるだろうしね。



挿入歌にあるSTARDUSTって星屑もそうだけど「夢を見るようなロマンチック気持ち」という意味もあると知ってショックを受けたよ。星屑はまさに「願い」の記号だけどそれだけじゃなく、地獄と知っていても夢を掴みにいく士郎の熱い気持ちも表しているようでAimerさん、なんという言葉を選んでくれたんだ。ついでに、

Dustは赤く燃えるStardustから零れる欠片=士朗

Ashは色も熱も失った灰塵=アーチャー

Judasエミヤシロウを最後には殺してしまう裏切り者=理想

として歌詞を見ると本当にアニメ映像とリンクしていてもうこの歌が大好きになってしまったよ。本当になんてすばらしい物をつくってくれたんだこの人たちは。



士郎自身は無自覚だけど、彼の行動がひたすらトライアンドエラーを繰り返して道を探すやり方だからじゃないかな?

普通の人は Permalink | 記事への反応(2) | 14:43

2015-06-21

小学生スポーツ指導者や親って、なんであんなに精神年齢が低いの?

指導健全な発達のために叱られることはすばらしい!」という名目で、自分のおもいどおりにならない子供をどなってるだけじゃん。きちんと感情コントロールできるようになって、理想の状態がどうあるべきで現状がどうだからダメなのか伝えられるスキル身につけてから子供指導しろよ。

あと、「大きい夢をもて!」と連呼して盲目的な努力美談にするのもそこらの界隈にありがちだよな。それで大成するのは才能ある子供だけ。理想現実乖離のせいで人格をこじらせ、ぼんやり人生送る子供を増やしてるだけだよね。「大きい夢をもて!」とセットで必要なのは、そのために達成すべき過程がどれだけあるか。中目標や小目標が達成できれば、自尊心にもつながるし、ダメなら改めて大目標について考える指針になる。

たとえば小学生なら「全国大会まで進めるように頑張る」「そこまでは難しいなぁ、でもこのチームで地区大会3位以内に入れるように頑張ってみよう」「そこまでやると中学ではどこかのシニアクラブチームに入れるかもな」「それも難しいなら、思いきってこのスポーツやめるのもありかもな」くらい一緒に考えるべきだと思うんだけどな。ただぼけーっと大きい夢とやらを夢想してる子供を見てあーすばらしいなぁと感動してるのって、おまえの自己満足のために子供人生けずってるようなもんからな。現実見ろよガキ。ガキに育てられるガキってほんとに可哀想

知り合いの子育てを見ながらこういうことを考えていて、その考えをもとに子供を育てた結果、アメリカ高校留学を決めるわ、スマホアプリ制作して自分でこづかい稼ぐわ、優秀になりつつあるので嬉しい。この間、知り合いにどういう子育てをしたのか聞かれてオブラートにこの話をしたら「今からそうするようにしたいが、スポーツ指導者だけでなく公立学校教師もだいたいそんなもん。子供価値観汚染されちゃうんだよ」と寂しそうな顔をしながら言われた。私立しか知らないので公立教師が本当にそうか、俺は知らん。ただ、そこら中にガキが溢れてるらしいので「ガキに自分の子供を任せないように気をつけろ」と、いずれしっかり教えたいと思う。

以下コメント返し

自分をすごいと思ってるとか、アメリカ高校留学が優秀なんて薄っぺらいとか言われてるようだが、それを言ってる人たちは、冒頭に書いている人たちの精神年齢が低くてもっとマシな教育しろという点には同意してくれるのかな?同意してくれるならそれでいいよ?俺よりもはるかに優秀な人たちだから、俺がバカに見えるんだろうね。ブクマページ覗いたらほんと優秀で笑みがこぼれたもん。

②優秀になってくれたら嬉しいってのは、作品がよくできたじゃなくてきちんと幸福目標がなにか自覚しながら、それをつかんでいける人間になってくれそうなのが嬉しいってことね。そういう意味で、子供に何も選ばせてないという意見は間違い。子供子供なりに勝手に考えてるだろという意見も含めて、子供と一緒になって考えず、純粋自然のままでいさせるのが善だと信じるのは虐待と言っても過言ではないよ。忙しいのはわかるけど、飯を食わせておいて好きなことやらせておけば勝手に育つ、みたいな考え方は絶対にすべきじゃない。

③そのときの決めつけ良くないって言うけど、そうやって夢をむりやり追わせて成功する人よりも失敗する人のほうが多いよね、しかも決めつけではなく中くらい小くらいの目標を達成できるかという指標を持ってるわけだよね、いないと勝てないという言葉はそのチームで頑張るかどうかの指標の一つにはなるけど、長いスパンで考えて必要かどうかということを思考停止していい理由にはならないよね。

決めつけでうまくいったいい例としては、大学でも球拾いだった上原や長友が挙げられるけど、あれってごく例外から感動する訳だよね?それを親が感動の側だけ持ち出して強調するのはクズすぎるでしょ。むしろ例外だということをきちんと強調して現実理解させた上で選ばせるのが大事というだけ。一緒になって感動したい!という考えこ子供をモノとしてしか扱ってないよね。子供の育て方は自由だ!って言うけど、それラクしたいだけじゃん。一緒に何も考えないで育てるからきちんと考え方を身につけた子供が育ちにくいんじゃないの?ミクロで見れば子供のためだし、マクロで見れば社会的投資を受けてる義務のためということを考えずに、ぼけーっと育てられる感覚がまったく理解できない。

子供と話し合って、思考のやり方を教えながら考えさせるのが「子供が主役じゃなくなる」「子供自由を奪っている」「親の目標を押しつけるアイムホームキムタクみたい」という意味不明理屈はなんなの?不安定化した社会では、なにもしない方が立派な虐待だという認識を持つべき。ほんと子供可哀想

坂口安吾とか退廃的で一般からは程遠く、教師時代エピソード読んでも教育者には向いてないのがまるわかりな人の発言ドヤ顔で言われても困る。太宰の自意識Disったという文脈理解してるのかな。具体的に言語化してるだけ、まだマシだけどね。

2015-06-17

ミクロマクロ経済学を扱った基本的な2単位講義があったが、

ミクロの内容は、産業組織論経営経済学の両方の前半とほとんどかぶってたんだよな。

単位とるのは楽だったけど。

なんか一つ削ってマクロだけの2単位講義があったほうがいいんではないかとか思ってた。

あー労働経済学もちょっとぶってたな。

2015-06-14

30代同士の結婚

http://anond.hatelabo.jp/20150614100601




http://anond.hatelabo.jp/20090622091939

体験談説得力ありすぎる。

18歳から28歳の一番いい時を吸い尽くされた元嫁さんはどんな相手と結婚するんだろうね。

俺だったら、子どもを育てるためだけにそんな女と結婚したくないな。






異性の価値若さ人間価値経験10から30代まで付き合ってみて

http://anond.hatelabo.jp/20090622081819

自分は、元増田を読んだ瞬間に全面的同意したので、

真っ向から批判するコメントブクマコメントが多いことにすごくびっくりした。

そんなに触れちゃいけないタブーだったのか。

 

■女の価値は「若さ」だと思う本当に

http://anond.hatelabo.jp/20090621154203

 

自分は、2歳年下の嫁と18歳~28歳までの期間つきあった。

もっと言うと、結婚して5年で離婚したんだけど。

 

同じ女性と、10から20代という変化の多い10年を共にすごした経験から言わせてもらうと、

「女の価値若さ」というのは、一面的ではあるが絶対的真実だ。

 

もちろん逆説的に言うなら、「人間価値経験」というのも真実である

10代のガキよりも、30代のお姉さんの方が、深い話をするなら絶対面白い

でも、それは人間として、なんだよね。

 

恋愛対象の異性、という、センチメンタルかつ性的ニュアンスを含む場合

やっぱりピークってのは、10代後半から20代前半なんじゃないかと思う。

デートのドキドキ感などは、新しい相手と付き合えば、確かに毎回味わえる。

でも、若い時にしか経験出来ない人生イベントってのは間違いなくある。

そのイベントの多くは、若さ恋愛セックス微妙に重なり合った部分にある。

 

もちろんセックスへの貪欲さも、感度の良さも、開発された30代の方が素晴らしい。

でも、初々しさから貪欲さへの飛翔、好奇心と恐れの板ばさみからの脱却、肌の手触りの変化、

現在進行形で育って行く身体、セックスの成長を共に味わうこと、などは10代の処女時代から30代近くの

成熟する時代までを、1人の(もしくはそれぞれ同年代複数の)女性と共にすごさないと、味わえない。

女性の変化のダイナミズムを味わうなら、10代後半から20代後半の間だと思う。

 

かいことは省くが、圧倒的な真実としてひとつだけ言いたいのは、肌の手触りの変化。

元嫁が20歳になってしばらくしたある日、肌の感触が今までと明らかに変化したのに気づいた。

それまで、しっとりと吸い付くようだった肌触りが、べつに吸い付かなくなった。

最初は体調かなんかのせいかと思ったくらい、ある日突然起こった劇的かつ不可逆的な変化だった。

 

これは、女性自身の方が良くわかる感覚なんじゃないだろうか、例えばシャワーの水が

肌で玉になって転がる時代があったということに。

 

異性として、より生物的な価値もっと言えば恋愛市場での商品価値としては、

圧倒的に「若さ」が重要になってくる。

この傾向は、男性よりも女性の方が顕著だと思う。

何故なら男性は金や権力で、恋愛市場での自らの商品価値を引き上げることが

出来るが、女性にはそれはかなり難しいから

 

 

自分と元嫁とは、お互いの若さに惹かれて付き合っていたんだと思う。

元嫁は、夢を語り、追いかけ、実現して行く俺の姿に惹かれていたと思うし、

俺は、色んなことを吸収して、日々変化し、成長していく元嫁が魅力的だと思った。

そして、セックスも存分に楽しんだ。お互いの若い身体をむさぼった。

お互いの若さを消費して爆発させた10年間だった。

 

でも、色々なことを経験し、色々な人に会って、若い時と目線が変わった今は、それぞれが

別の道に歩き始めるようになったし、人生の伴侶となる異性に求める条件も変わった。

 

人生におけるマクロ価値観と、ミクロ生活感覚が近いかどうか。

違っていたとしても、お互いに認め合い、尊重し合えるかどうか。

それが30代以降の結婚には、必要なんじゃないかと思う。

 

元嫁とは今も仲がいい。

でも、マクロ価値観も、ミクロ生活感覚も、10年の間で徐々にその差が開いて行った。

人生の中でももっとも劇的に変化する10年を超えた時に、お互いの人生立ち位置

同じままってのは、本当にありえない奇跡なんじゃないかと思う。

自分たち場合は、それが少しづつ変化して行った。バンドなら、音楽性の違い、だ。

から、別々の道を歩むことに決めた。

 

たぶん、子供を産んで育てれば、半強制的にお互いの立ち位置は同じになる。

世の多くの夫婦は、意図的にせよ、無意識的にせよ、その道を辿る。

それは、凄く正しくて良い事だと思う。

 

自分たち場合は、20代ではそれぞれの夢を優先させていたので、あえてそれをしなかった。

周囲の友人を見ても、子育て人生中盤以降の最大のやりがいであり、楽しみだと思う。

個人的にも、自分人生でその最大の楽しみ(苦しみも)が残っているのは、凄くわくわくする。

そもそも結婚って制度は、子育てをしないと何のメリットも無いし。

 

結婚ではなく、出産育児で、今までの人生ってのは一度リセットされるんじゃないかと思う。

でも厳密に言うならば、夫婦間で「若さを消費する恋愛」の経験に大きな差がある場合

それを後から埋めるのは結構難しいんじゃないかとも、ふと思う。

だって、それは人間価値を決める「経験」の圧倒的な差でもあるわけで。

若さ」という万人に等しく与えられた資産を、適切に自己投資して来なかった人なわけで。

 

それは、無駄嫉妬劣等感ルサンチマン浮気不倫出会い系風俗スワッピング

ロリコンへの傾倒や韓流ドラマブームの原因になるんじゃないかと思う。

ここらの暗いパワーを、持ち家のローン返済や子育てへの前向きなパワーに変換出来れば、

幸せになれるのかも知れないけど。

 

まあ、長くなっちゃったけど、一番言いたいことは。

若い身体は素晴らしい。成熟した精神は素晴らしい。」ということ。

そして、もうひとつ

若い時の経験が違いすぎる人同士は、結婚しない方がいいと思う」ってこと。

 

いまさらそんなことにこだわるなんて馬鹿馬鹿しいことだからこそ、

逆に誰にも相談できずに悩むんじゃないかな。






http://anond.hatelabo.jp/20090621154203

外見だけの話じゃない。

20代で散々遊びほうけてスレ切った女が、30代40代になって理想とする男は、遊ぶことを自粛してきた高学歴高収入の男。

全く反吐が出るわ。

高学歴高収入の男は極力若い女性結婚したほうがいい。

そして思う存分若い女と遊べばいい。

30代40代年寄り女を相手にする必要性は全くない。


(長い! でごまかすババア続出!w)

2015-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20150604100548

ああ、これくらいやってくれれば、すごいすごい、嬉しいよ\(^o^)/

私はね、なんの具体的理由もなしにお前はバカだとか言ってくる人とか、

自分存在したことのある社会しか物が判断出来ない人が嫌いなんです。

うーん、まぁ別にスラングとかもあるんだから、こんなネット書き込みでそこまで言うのはむしろ

日常友達と話す機会がないのか、と思ってしまうのですがいかがですか?

なんか突っ込みがすごい君の独断なので言い返しますね。

頭のレベルの違い。

偏差値70以上を何かしらの科目で大学受験模試で取ったことのある人。

このような人は、マクロミクロ視点で大きな視野を持って、何かを勉強したことがあるので、

思考を深くした経験があるから、理性があるように思う。

受験勉強なんか将来役に立たない、とバカにしてくるような人を理性のないバカ定義するよ。

足切りのある会社

学歴フィルターのある会社公務員試験のような努力しないと入れない組織のことです。中小だと高卒短大卒のだらけの会社とかありますので。

思想対処

何これ揚げ足?別にいいじゃん。色んな考え方がすることで、人生想定外局面対応できる。

これが勉強や遊びなど、多くの経験をして学んでいくべきことです。

自分が頭が良い

一応、人から評価されてる範囲なんだけどなぁ。

公務員国家一般模試論文試験が5500人中20位だったし、

プレゼンテーションしたらルソー哲学でもわかりやくてすごい、と評価されて成績よかったし。

観察したり研究したことを多くの視野から考察し、それを自分言葉表現するという意味では人より

優れていると思うけど、

あなたみたいに、専門知識はないからこのような指摘を受けてしまうのかな、と思いました。

論文でもないのに、口語表現の何がいけないのか、私にはわからない。

最大多数に伝わればいいから、こんなfacebookとかでありそうな日記文体にそんなこといって、

あなたが慣れてなかったのではないですか?と思う。

それを日本語おかしから外国人文章だ、なんて言う方が自分世界からしか社会を見ていなくてバカだと思うよ。

2015-06-02

赤の他人に怒れるということ

私が思う、たいていのネット民が好きな話題と言えば、刑法厳罰化だ。

殺人・過失致死事件において死刑未満の判決が下されれば「死刑しろ」と騒ぎ、少年法はすぐに廃止するか、厳罰化すべきであると思っている。

死刑未満の判決には、被害者感情という当事者以外にはわかるはずもないものにしがみついて、今回の判決では到底満たされるものではない、と騒ぐ。

死刑の是非や抑止力など、専門的なことについては良書に譲るとして、今回私が主張したいのは、なぜ赤の他人についてこれほどまで怒れるのか、というものである

赤の他人が殺し、赤の他人が殺されただけであるのに、ついさっきそのニュース容疑者または被告名前(と簡単なプロフィール)を知っただけなのに、なぜそこまで怒れるのか、感情移入ができるのか、私にはわからない。

殺人の罪に問われても、被告は例え死刑でなくても10年以上は懲役を受けることが多く、服役が終わるまで私たちが生きている保障はない。そんな被告が、次は自分の命を襲うというミクロの可能性を信じるあまり死刑にしてほしいと思う側面もあるのだろうが、私はそんなことは思わない。出くわす可能性が低すぎる。

私には生憎日常生活以外で起こる事柄に対して激しい感情を持てるほどの気力はないし、私が気が狂って殺人してしまったときには、なるべく受ける罰は軽い方がいいと思っているので、できれば死刑はなくしていただきたいと思っているし、刑法39条心神喪失の不処罰を定めた規定は残してほしいと思っている。

厳罰化を求めるネット民は、そもそも「私は未来永劫犯罪を起こすことはない」と決めつけてかかっていることが理解できない。だから厳罰化を訴えるのだ。これについては、生活保護バッシングについても同じことが言える。「私は未来永劫生活保護を受ける境遇に落ちることはない」と決めつけてかかるから生活保護拠出される税金無駄に思えるのだ。私はその自信が羨ましいくらいだ。

2015-03-26

日銀コピペ

ハゲルドンが僕に降りかかってきた!! ~

ある日突然電話がかかってきて日銀人間と会うことになりました。OB訪問ということで日本橋喫茶店で待ち合わせました。

待ち合わせて出てきた日銀マンは竹中直人を遥かに凌ぐ頭の砂漠化

「うへー、随分年季の入った人が出てきたな、、、。」と尻込みしたのを覚えています

しかし、話を聞くとシッカリと若手でした。見た目と実際の年齢とのギャップ日銀の激務を物語っているのでしょう。

この日の日銀マンとのやり取りは人生でもワースト3に入るべき悲劇でした。

OB訪問ということで仕事の内容をもっと深めようと意気込んでいたのですが、いきなり「君は何がしたいの?」から来ました。

(おいおい、説明会とかないからよく分からんぜ)

まあ、世間一般でいう日銀任務をこたえて、その中で自分特質からこのような業務に携わっていきたいと他社と同じように答えると以下のように日銀マンはのたまいました。

物価の安定って何?」「安定って経済学的に説明してよ。」

マクロ経済の本は何冊読んだ。」(適当教科書の本を挙げました)

「そんなレベルの低い本を読んでいるのか!?

「他にもマクロ読んでいるんだろ。」

「えっ、たった2冊!!」(本当は1冊も読んでおりません)

「じゃあ君はミクロの本を読み漁ったのね。」「ISーLM曲線についてちょっと説明してみてよ。」

日銀マンはこちらの発する言葉の一つ一つを全力で分析して言葉尻をたたいてきました。日銀考査を恐れる民間金融機関の心の痛みが辛辣理解できました。

さらに追い討ちをかけて、

「君は本当に経済学部人間か?」「何で君は慶應に行ったの?」

慶應なんて採用してもせいぜい優秀なほうから3人だよ。」

「君は慶應ベスト3に入っていないのか?」

「大体なんで君はそんなゼミに入ったの?」

「うちには超優秀な人間しかいないのだから採用する学生も超優秀じゃないと話にならないよ。」

もはや人間として狂っているとしか思えませんでした。僕にとっては革命的な出来事でしたよ。ハルマゲドンってゆーかハゲルドンに襲われた気分。

こんな連中が・・・と思うと日本銀行券が憎たらしくて仕方ありません。

(いつか絶対物々交換時代に逆戻りしてやる。)

そんなにおまえらが優秀なら日本の景気をよくしてみろってんだ!

2015-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20150216003205

サイズによる分類にどういう意味があるのかちょっと良くわからないけど、

俺は理論物理勉強したことをふんだんに応用して仕事してるよ。

ミクロだろうとマクロだろうと、more is differentではあるが、

物事線形であるとか、それから外れたとき摂動的な補正で辺りを調べることができるとか、

そういう基本的概念に変わりはない。

数学は本人の考え方次第であらゆる応用が効く。

博物学的な分野はその辺相当困難だろうな。

2015-02-04

http://anond.hatelabo.jp/20150204001647

からそもそもミクロとしてじゃなくて対象を個人の人生として見た場合

プロスペクト理論は使える理論じゃないから

↓消しちゃった返信のための追記ね。

プロスペクト理論ライフサイクルを追っているわけではないだろうに。

限界効用の低減は、個別商品と個人との関係においてはまず成り立つんだよ。

2015-02-01

フリージャーナリストのみなさんへ

フリージャーナリストのみなさんへ。

アイドルの密会写真を撮ってください。

ボランティアのみなさんへ。

実家の門掃きをしてください。

どこかに書いてありましたが、マクロミクロパッチワークではありません。

空爆で街は壊滅状態です」「子供たちがこんな目にあっています

いくら報道しても、テロリストには効果はありません。

ニュースは時事やAFPの垂れ流しで十分です。

現地リポートは要りません。

戦争報道ベトナム戦争で止まっています

フリージャーナリストのみなさんへ。

シリアへは行かないでください。

二番煎じで殺されて、扱いも小さくなります

ボランティアのみなさんへ。

日本で困っている人はいませんか。

テレビ局のみなさんへ。

今すぐコナン再放送を始めてください。

そのほうが数字が上がります

2015-01-24

離婚された、中くらいに可哀想な子供の話

http://anond.hatelabo.jp/20150122024751

をする。第三者視点

この手の話をはじめると、決まって「継父の虐待」とか「シングルマザー境遇では進学させられず...」とかの

キャッチーで酷い話ばかりになる。しか実態はもう少し中庸だ。


まず、いくら劇的な離婚劇があったとしても、近年結婚した夫婦子供の大部分は劇的に貧しくはない。

世にでる離婚サンプルは目に余るものばかりだが、国やコミュニティの自負自尊心をくすぐる例しかメディアに載らず

売文できる離婚例以外は基本表には出てこない。


で、

慰謝料養育費のやり取りが(満額とは程遠くても)5~10年ぐらい続き

親権放棄した親と最低限面会する機会もあり

③両親の離婚過程を、ある程度余裕をもって観察することのできた子供は多く実在するが、

特に耳目を集めるものではないので可視化されない。


別に法的責任道義的責任も果たす両親を見ているし、戸籍上断絶した祖父母や親類との繋がりが残ることだってある。

情緒文化経済資本面で負い目を感じる子供もいるだろうが、

外のコミュニティ代替物にしてふんばるぐらいのリソースはある。キャリアを積み、家庭も築く。

離婚によって子供が置かれる状況など、陳腐のものである


~ここまでがギリギリ物語メッセージとして一般人に通じるライン


ここからがツライ。

引き続き、子供が成人するまでに両親とはそれぞれ緩やかな関係が残るわけだが、

下限がしれたものなら上限だってしれた程度のものしかならない。

ミクロで見れば努力精神論の入り込む余地があって、父母を反面教師にした自立への美しい物語ができあがるが、

マクロで見れば自身ルーツや幼年期の愛着否定されて摩滅するしかない期間である

特に両親の愛着関係客観視したとき、そこには幼稚さを気まぐれと醜い打算ばかりが残る。


種々の責任を果たした両親を前にして取り付く島もなく、自身も成長し”こじらせた”子供として振る舞うことができない。

喜怒哀楽の大きな起伏を呼び起こすような局面特になく、いい大人が長い期間をかけてすり減るのである

そこには貧しさも激しい葛藤もない。

とりたてて筋が通った話にもならず冗長だから、ひたすら消耗する。

2015-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20150122105715

そもそも比較するものが間違ってるんだよ。

車を持っている「だけ」で便利になるってことはあり得ない。

車を持って便利になるってのはその社会設備が車を持ってると便利になるように設計されてるからなんだよ。郊外型のショッピングモールとかがその最たるものだね。

全く同じように、車をもたないでも便利に暮らせるってのはその社会設備がそのように設計されてるからだ。緻密な地下鉄ネットワークとかスモールシティとかがそうだ。

車型のライフスタイルは、車型の社会施設地域必要とするし、非車型のライフスタイルはそういう社会施設地域必要とする。

ある地域(例えば田舎)は前者だから、全員から一定の金額を吸い上げて、そういう社会づくりを目指す。この金額っていうのは税金に限らず、例えばモノの価格なんかにも転嫁される。大型ショッピングモール価格には広大な駐車場管理費などが反映されてる(駅前店舗を立てるよりも街道沿いの大きな土地のほうが安いため、転嫁後も安くなるということはあり得るけど、反映されているというのがここでの論旨)。んで、この郊外社会において、車を持たずに生活する人(たとえばショッピングモールの隣に住んでるとか)は、価格面では不必要負担をしていることになる。彼にとっては駐車場は不必要だけど価格考慮してくれない。

単純化すればそれだけなんだ。

自分の住んでいる地域社会において、自分多数派か少数派か?」 これは地域と車属性によって反転する。

自分の住んでる地域社会において多数派は益を受け、少数派は負担をうける」 ってだけ。

いま、日本少子化人口減、人口都市部集中などの「以前とは違うさまざまな波」がきて状況が変わってきている。かつて多数派だったものでも、今後多数派であるとは限らない(移り変わるとしてすでに予告されている)。

「車を持つほうが有利か」「車を持たないほうが有利か」そんな問いの答えも、地域ごとにも違うし、あるひとつ地域にしたって今後10年でガラッと変わる可能性が高い。

車の有無っていうのは皮相でミクロな問いであって、地域デザインが今どうであるのか? 今後どうすべきなのか? ってのが問うべきものだと思う。

2015-01-18

みんな大好き

#毛の壁 氏について。

人格的なことは触れないとしても、みんな思うのは、「どうして色々読んでるっぽいのにああなれるのか」ということだと思うので、ちょっと考察してみた。

恐らく氏は、センテンス、辞書の項目くらいの長さのものの把握には長けている。ただ、文脈を読むとか、全体像を把握するとかそういう能力が欠如してる。多分、話の筋に展開があるとセクション単位のものも把握できない。

そのため、ミクロ理解のみで全体を捉えようとするから認識現実齟齬が起きる。また、一見同じ形をしているが、論じるべき階層がそもそも異なるようなことを混同してしまう。もちろん物事の体系的な理解も出来ない。そうなると多分いわゆる構造化が必要レベルソースも書けない。形式的定義証明理解も怪しいのだろう。

そう考えると、関数型プログラミング遅延評価だと思うのも、評価戦略としての遅延とライブラリレベル提供される lazy/force を混同するのも、S式Lisp 構文を混同するのも理解できる。アカデミックな体系的学習必要haskell, ML に手が伸びないのもわかるし、数学的基礎と言っておきながら基礎論が全く出てこないのも分かる。ラムダ計算を知らないとすると、Lisp のあのへんてこな改造(?)もうなずける。局所的なスコープクラスモジュール単位アクセス制限の話で揉めてたのは、多分モジュールクラスをまともに扱ったことがないからなのだろう。それは github珍妙コードからもなんとなく推測できる。

全く無駄時間を過ごしたが、なんかある意味未知との遭遇で楽しかった(小並感

これが氏の発するカリスマオーラなのだろうか。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん