2015-08-08

人間』には期待せず、『その人が作ったもの』に感謝する

俺は、他人に期待するのはおかしいと思っている。同じ人間からさ。

それに、たとえばプロピアニストがいい演奏をしたからって、その人の人格がクソだったら、なんだいやだなとは俺はなりたくない。だって、そんな演奏のためにすべてをかけたなら、幼い性格とか、他が幼稚とか、あるいはまったく発達してないとか、普通にありそうだもん。

から他人を見るとき、その人の中身を見ない。

たとえば、居酒屋で出てきた枝豆。これのおいしさをもって、感謝する。

たとえば、工芸品、これを見て、『その人はこれを作った能力があるんだな』と感謝する。

  

この考え方は、別に俺が思いついたんじゃなくて、国語問題で出てきた文章での考えを発展させたもの

確か、人格のよさってのは、「その人が成し遂げたもの」って感じの。東大だったかな。そこらあたりの論説だったと思う。

  

で、他人に期待しすぎるのはよくない。ほどほどでいい。

中身がいいとか、性格がいいとか関係無い、1つだけ、その人が誇れることがあったり。ってか、生きてるだけでいい。

ヒーラ細胞っていう、特殊なガン細胞があって。これ無限に増殖できるんだけどさ。これをもってた人は普通の人だけど、このヒーラ細胞のおかげで、世界中研究むちゃくちゃ進んでる。ただ生きただけの人がこれだけ貢献できる。努力人間性も関係無い。

こういうのあるし。たとえば血管の走行なんて、一人ひとり違うし、そういう超絶ミクロ奇形も含めれば、個性の無い人はいない。ただ、それを分かりやす人間に蝕知できるレベルで説明はされていない。

  

そんな感じで、一人ひとりに尊敬すべきところあるし。アル中DVしてるやつでも、秋葉原で車で突っ込んだ加藤君も、皆皆いい人だと思ってる。

正確には、その個人には期待してないが、それぞれが生きてるだけで、いいよねって思っている。

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