はてなキーワード: 随意とは
https://goldclinic.jp/ED/women/squirting
↑によれば
1.潮吹きの液体からは尿酸や尿素が検出される(また前提として、このいずれかが尿を黄色くしている)
2.尿に比べて黄色が薄い
2から1について尿酸や尿素は存在するにしても通常の尿よりも少ないと推測される。
そして1や2に対して3が、尿に関する成分全般が(おそらく等量的に)薄まったものだという推測を補強する。
つまり簡単にいえば、これは単純に尿「そのもの」がなんらかの分泌物によって希釈されたものである。
しかしそれは、尿失禁とは異なり勢いよく出るほどのある程度の量がなければおかしい。
つまり尿失禁で出て来る本来の尿+なんらかの液体が同時に最終的には同じ穴(尿道孔)から出て来る現象が潮吹きなのである(不随意という点も同じ)
それはどの腺から数値にしてどの程度の量が尿と同時あるい前後して出てきて尿を薄めているのか、謎はまだ解明されていないわけだ。
俺が知りたいのはそれがなんなのかということであるが、調べてもなかなか見つからない。
また上のサイトでは尿失禁として悩んでいる人をなだめるために尿失禁と潮吹きは別物だと簡単に結論付けてしまっているが、不随意かつなんらかの液体が混ざっているかどうかという違いだけなら、やはりどちらも意思の弱さによるおもらしに違いはないのではないかという気がしてくる。
(その謎の液体だけを出す(出しわけられる)ということがあるなら、おもらしとは言えなくなるかもしれない)
"随意雇用、at-will 雇用(英語 at-will employment, employment at will)とはアメリカ合衆国労働法(英語版)の用語であり、期間の定めのない雇用契約は雇用者・被用者のどちらからでも・いつでも・いかなる理由でも・理由がなくても自由に解約できるという原則のことである[1]。この原則を employment-at-will doctrine(日本語訳 随意的雇用原則)と呼ぶ[2]。
※フェイクや数字のボカしを多少入れてるので注意。自分たちが今私みたいな中小企業経営者だったらどうするか想像しながら読んでほしい
私は年商数億・利益数千万・社員20~30人の中小企業を経営してる。業態は身バレのために言わないが原価のかかるものを販売してる。
昨今のインフレの話もあり賃上げを検討してるのだがどうしても踏み出せない。
利益というものは季節変動や原価率の変動によく振り回される。最近では月単位で赤字に落ちる月もあった。
そんな中、日本では驚くほど人を辞めさせるのが大変だ。退職金を積んだとしても常に訴訟リスクがつきまとう。
そのため社員の人件費は一度積んだら下げられない、辞めさせられない。
私の会社では人手が必要な際は派遣や業務委託を駆使するようにしてる。
販売戦略計画のようなレベルの高い業務にもプロのフリーランス人材を業務委託として活用してる。
これらのフリーランス人材は半年以上ずっと業務を請け負ってくれてて社員とも仲が良く、社員と同等に扱われる。
さらにこれらのフリーランスは単価で月100万払ってる人もいるのだ。社員の月給に比べて明らかに高い。
なぜ私がこれらの業務委託・派遣人材を高単価で活用してるかというと答えは単純で、いざとなったら切れるからだ。
我々の経営においては彼らは「変動費」なのである。広告宣伝費のように市況に応じて調整弁として使えるのだ。
アメリカなどで給料が上がってる背景は絶対にこの点がある。アメリカでは即日レベルで簡単に人を辞めさせられる。アメリカの大手金融や大手ITが数千万円の給料を出せてる理由は変動費に近い扱いができるからだ。
もし日本が社員を辞めさせやすい法体制ならば私の会社でも社員にフリーランスと同じ月給100万の水準をもっと出したいし出せると思う。
「いつクビになるかわからないのは怖い」という意見はありえる。だが辞めさせるということは新たに人を雇うスピードも早くなる。回転率が上がる。
他社も同じ経営判断になっていくと、クビになった社員がまた仕事を見つけることはそこまで難しいことはないはずだ。
つどつど仲介料を取る人材市場もかなり巨大化しそういう経済効果もあるだろう。
なぜこの方向に社会が進まないのか?
私がこれを匿名増田で書いてる理由でもあるのだが、今の日本で経営者の立場で「人を辞めさせやすくしたい」と言うと必ず炎上しうるからだ。そのため経団連の人間たちも、パソナのように国にべったり癒着した人材企業ですらこれを実際に発言することは憚られる。
これは日本の多くの経営者がきっと頭の中ではわかってるが声に出せない日本救済のシナリオだ。
誰か権力を持った人間が勇気を出してこの方向に向くように扇動すればきっと日本は救える。
アメリカが人を辞めさせやすいという事を証明する法律はどこだと聞かれたので下記を読んで欲しい。
"随意雇用、at-will 雇用(英語 at-will employment, employment at will)とはアメリカ合衆国労働法(英語版)の用語であり、期間の定めのない雇用契約は雇用者・被用者のどちらからでも・いつでも・いかなる理由でも・理由がなくても自由に解約できるという原則のことである[1]。この原則を employment-at-will doctrine(日本語訳 随意的雇用原則)と呼ぶ[2]。
随意雇用のもとでは、解雇および辞職は即時に行うことができ、手当金や予告は必要とされない[2]。"
賞与についてのコメントがたくさん来てるが、賞与はもちろん出してる。だがそこまで賞与額は高くなく業績が良かった年に多めに出してる程度。
社員の家賃などの生活水準は賞与込みでは考えない。ボーナスはあくまでボーナスでありベース給与ではない。これはサラリーマンなら当たり前だと思う。
賞与の存在に甘んじてベース給与をおさえるパターンはあるがその状況は一サラリーマンにとってかなり不利だろ。
ブコメ増えてて驚いている。
・もう一度言うが賞与は多少出してるが、サラリーマンなら毎年賞与がある前提で生活水準を決めることはないだろ。
・毎年昇給も少ないがしている。できれば社員にはインフレ率を一定超える昇給してあげたい。だが売上は毎年変わるしITベンチャーのように急成長してる会社ではないから固定費増は避けようとしてしまう。
・私は別に優秀な経営者ではないから至らない点はたくさんある。私は中小企業、いや零細企業か、を細々と経営してるただの人だ。ブラック企業にならずに社員や自分が幸せで飯が食えるために努力してるだけだ。ただ世の中には私みたいな層がそれなりにいるとわかって欲しい。
・アメリカを引き合いに出したが欧州の労働法はそこまで詳しくない。ドイツなんかだと労組が異常に強いから労組経由での賃上げ圧力が強いという程度の知識しかない。ドイツでも労組の手が及ばない中小企業での賃上げ傾向がどうなってるのかは知らない。ブコメに欧州の話が多かったのでこれを機に勉強してみようと思う。ありがとう。
多寡は問題じゃなくて、どんなに少なかろうがそういう可能性が0ではないなら、観測範囲を広げていくための構えをとっていくべきだということなんだよな。
そういったことを踏まえると中野のあの店なら見つかるかもしれないというのは構えとしての一般化された方法論ではなく個別の事例を挙げてるだけなので分かってない。
ではあなたがその中野の店を発見するにあたって今までのどのような身の処し方が発見にプラスの作用をもたらしたと思うか聞きたくなるだけ。
これははてなに感度が高い人が書いてるブログがあるから登録すればいいというのと似ていて、じゃあその人はどうやって感度を高くしているのか、また別の人のブログを見ているのかと疑問が無限に遡って言ってしまうような回答なんだよね。答えるべきはその突き詰めた先にあるはずの、ブログを見るみたいな方法でない方法で感度をあげてる人がとっている方法として想定されるものだ。
そのうえこれはおそらく「中野 自費出版 書店」「神保町 自費出版 書店」と検索して見つけたんだろうなと俺でも察しがつく。その程度の方法論は既に身についているので得るものがない。
そういう意味では「本屋の月ごとの入荷リストを見て知らない出版社があったらマークしておく」みたいな意見の方が少しはましか。
でもこれにしたって行動範囲内にある書店に対しては既に行っていることだろう。
とうかそもそも独立系出版社なるものはごく数店としかやり取りせず流通させていないのがほとんど(とはいえ自費出版ではないのでコミティアで発表される可能性も低い)。
大事なのはそういうのと取引してそうな本屋を見つけるコツはなにかということ。そういう本屋がありそうな場所には特有の土地柄があるものなかとか、そういう探す上での特徴を踏まえた嗅覚を身につけたいというわけだろう。
行動範囲の書店で自分の知らない出版社を待ち構えるのはまだ偶然性に頼ってる部分が大きいことで、もう少し偶然性を排除して自分の意思で情報を掴み取っていくためにまだできることがあって、それがたとえばそういう嗅覚を身に着けるということなら、その先にもまだ何かやれる余地があるのか、それとももう天命に任せるしかないのか、という境界の、やれること側にあることで出来ることで、境界にもっとも近いところにあることまで指南してほしい、ということなんだな(説明下手ですごい悪文になってしまった…)
pixivコミックとかというのはそれを知った時点でその内側にある個別のコンテンツは知らなくても、その言葉を知った時点で観測範囲として輪郭をとらえたことになるというか、気が向いたらそこにあたってみればいつでも知らない漫画が引き出せるや、という感じで事足りているのだ。
そう、いざというときの探索範囲としてのそういう輪郭を拡張していくための構えが知りたいということになる。輪郭が広がれば広がるほどめぐり合わせにも恵まれるはずだから(やはり最終的には偶然性が絡むことは否めないがその偶然性に賭けるしかない手前にある、自分でどうにかできる範囲のこと、感度の上げ方が大事)。
一旦投資での金の稼ぎ方さえ覚えてしまえば取引市場がATMになるから金をため込む必要はないってのと同じかな。金=個別の知識。稼ぎ方=探索範囲の輪郭(とそれを随意に広げる方法,、ただし無限背進になるので他人の感度には依存せずに)(漫画が引き出せるという表現もATMとかけている。)
クソみたいな制度設計のせいで日本はもう安定供給ができる国じゃなくなりつつあるよ
再エネの開発は不要
以前三菱商事系が洋上風力を総取りした件で軽く騒ぎになっていたが、日本で主力電源化しつつある太陽光、風力はコストが低下し、新規の開発案件が日本だけでも目白押しとなっている。ただ、この中長期的なベース電源という言葉を忘れてしまって再エネ大正義の「限界費用」ベースの電力市場の趨勢のために、今まで2回(オイルショック、東日本大震災)しか出たことのなかった電力使用制限令が常態化してしまうレベルで日本の電力環境が本当にめちゃくちゃになりつつある現状は知られていない。太陽光、風力(まとめて変動性再エネ、以下VREと呼ぶ)の3つの特徴を踏まえた議論をしてみたい。
1. 限界費用が0
2. 出力が不随意に変動する
VREは限界費用が0なので市場には0.01円で入札されており(この理論はFITがある現状では額面通り受け取れないものの、概ねこの通りであると理解していただいて構わない)、実際日本でも晴れた日の昼には約定価格が0.01円となっている。これはまさに燃料の投入が必要ないVREの恩恵と言え、この時間にはスポット市場では火力の電気はコスト面で負けるため落札しない。しかし当然VREには発電しない時間がある(設備利用率は太陽光で最大15%、風力で20−30%出典)ため、夕方以降は火力が落札され、現在では資源価格の高騰もあり、15-20円/kWh程度での落札となっている。再エネ関連のトピックでは風力と太陽光は補完関係にあるという言葉でミスリードされることがよくあるが、蓄電ソリューションやバックアップ電源なしでのVREのみでは設備稼働率の低さと稼働時間が集中しがちになるため電力を100%保証することは絶対にできない。そのため現在の電力システムへのVRE導入は火力による調整が前提になっている(蓄電池などによる蓄電ソリューションについては当然後で言及するが、少なくとも今の電力システムではあてにできない)。
しかしながら昼間には火力の電気は落札しないため、当然止めることになる。結果として火力発電は設備利用率が低下するため、採算が悪化する。そのため、効率の悪い火力発電所は環境的側面というよりは経済的要請から廃止されていく。すなわち、現状のやり方でのVREの導入は火力の調整が前提なのに、VREそのものによって火力が市場から追いやられているのである。 加えて、現在電源の大部分を所有する旧一般電気事業者(JERA、関西電力など大手地域電力系発電事業者のこと)は「自主的取り組み」として限界費用での玉出しを強制されているため、この傾向は当面続くと思われる。
加えて言及しておかなければならないのが火力発電の燃料確保(主にLNG)における問題である。燃料には長期契約及びスポット調達の二つがある。長期契約は比較的長期間(およそ10年単位)LNGを買い続け、価格についても変動が大きくない。これは一見いいことに聞こえるが、LNG価格が低下したときも契約通りの値段で支払う必要があるため、近い将来VREの導入が多くなりLNG火力が落札せずにLNGを余らせた場合、LNGを転売することになる。しかしその場合(余るのだから安くしか売れないため)差損が発生することになるため、発電事業者としては長期で需要が見通せる場合のみ契約しようとするのは明白である。一方でLNGをスポットに依存すると、当然高騰した場合でも安定供給のためには買い続ける必要がある上に、いつも買えるとは限らないため、LNGのスポットへの依存の増加が電力市場の高騰に結びつく。JERAのカタールとの長期契約の終了のニュースが記憶に新しい(JERA社長、カタールとの大型LNG契約は更新せず-年末に終了へ - Bloomberg)が、現状の電力市場取引のシステムは発電事業者のスポットへの依存を招く構造になっているため、日本のLNGの長期契約が次々と失われている現状がある。これは欧州の脱ロシアの流れの中においてはLNGの安定供給を危うくすると同時に余計な国富の流出を招くため、政府として対処すべき問題であると付言しておく(参考:https://www.meti.go.jp/shingikai/enecho/shigen_nenryo/sekiyu_gas/pdf/018_03_00.pdf)。
なお、火力発電設備の撤廃に伴う電源不足という現在の課題は既に共有されており、2024年から容量市場が導入され、電源容量(kW)に価値をつけて取引ができるようになった。発電側としては資金回収の目処がつくため発電所の新設のハードルが下がる、と思われていたが、新電力に配慮したい政治的思惑もあって現在の水準は既設発電所の維持はできるが新設は難しい水準となってしまっている。加えて全く語られないので言及しておくが、九州電力管内においては初年度の2024年から既に不調な結果に終わり、供給信頼度が低い結果となっている(ざっくりいうと、九州電力管内は非落札電源はないので「物理的に」電源が不足する)。一体どうするのだろうか?2025年以降の電源容量の不足は全国的に波及しそうで、中長期的に日本国内での電源は決定的に不足している(参考:https://www.occto.or.jp/iinkai/youryou/kentoukai/2020/files/youryou_kentoukai_29_04.pdf)。
これは広く知られていると思うが、稼働できる時間帯の中でも風はいつも吹かないし、太陽は雲に隠れたりする。ただ、その変動にもスケールがあり、数分ー数時間程度の短期間の変動から気候の季節変化に伴う数ヶ月程度の長期間の変動がある(冬に電力が不足しつつある現状を思い出してほしい)。短期間の変動はご存じのとおり蓄電池が解決策になる上に、スポット価格が高くなる他のVREが発電しない時間帯に売電のタイミングをずらせるため、発電事業者には収入の増加も見込めるメリットがある。加えて蓄電池+VREでも既に価格競争力を持ちつつあり、詳しくは言及しないが今年から始まったFIP制度がそれのインセンティブになりうると期待されており、要注目であるのだが、今のシステム設計では、あえて蓄電池のコストを負担しようとする者はいないだろう。
一方、である。長期間の変動は一体どうするのであろうか?残念ながら蓄電池などの既存の蓄電ソリューションでは対応できない上に、将来的にも難しいため、やはり火力発電によるバックアップが必要かつ前提になるのであるが、既に言及したようにこの有様なのでどうしようもないのである。残念。再エネで作った水素で火力発電、という声も聞こえてきそうだが、電気で作った水素を燃やして電気をつくるというこの二度手間、つまり現状の火力発電の熱効率が高くても40%程度(高位発熱量基準)で電気分解で90%とするなら35%程度のエネルギーしか利用できないことを考えると発電に使うより車を走らせるべきでコスト面やエネルギー効率の観点からで圧倒的に不利になる。それならブルー水素の方が良い気もするが、再エネで水素を作れる時代になればわざわざ褐炭だの天然ガスだのの採掘にファイナンスがつくわけないので非現実的。ということで詰んでいます。現状の解決策はありません。どうするんでしょう。再エネのコストが低下しつつあるのは間違いないのだが、それはあくまで発電事業者にとってのコストであり、VREを主電源化するにあたっては社会全体で追加で負担しなければならないコストが発生することはよく理解していただきたい。
インバーターとは直流を交流に変換する素子のこと。VREは交流の発電機は直接利用せず一旦直流で発電してから交流に変えたのちに電力網に乗せるため、従来の電源(火力、水力、原子力)で利用される同期発電機という一定の回転数で稼働させる発電機は利用しない。昼間に晴れた時間帯には以前太陽光の出力制御が行われた四国電力管内の例で言うと6割程度がこのインバータ電源が占めていた。実はこの際に語られないが非常に大きな問題が発生する。と言うのも、インバーター電源には「慣性力が存在しない」のである。?となった方もいると思うので、大縄跳びに喩えてみよう。大縄跳びを飛ぶときは紐に合わせるのではなく、一般に人の声にタイミングを合わせて跳ぶ。このうち、同期発電機は声を出している人、インバータ電源はその声を聞いて飛ぶタイミングを合わせている人である。縄跳びがちょうど周波数に相当し、声が慣性力に相当すると考えてもらって良い。先ほどの晴れた昼間の例で言うならば、昼間は火力が系統から退出してしまっているので、声だしのできる人が減ってしまっている。そのため、仮に残った数少ない声だしのできる人が急に捻挫を起こして縄跳びから退出してしまった場合、声でタイミングを合わせていたインバータ電源は急に声が聞こえなくなるのでジャンプのタイミングがわからなくなり、大縄跳びが成立しなくなる(周波数の乱れが起こり、UFRの作動による停電)。お分かりいただけるだろうか。すなわち系統を維持するためには一定割合の同期発電機や同期調相機といった慣性力確保のための仕組みが必要なのだが、現状のVREの導入の仕方では不可能なのである(よく話題になる太陽光発電の出力抑制もこのインバーター電源の割合を抑える目的も持っている)。以前の3/18の地震の際に火力発電所の停止の影響で関東に大規模な停電が起こったが、あれは仮に昼間であった場合、脱落しているのはほとんど火力発電=同期発電機だったため、インバータ電源だらけになってしまい周波数の乱れが深刻になり、停電する地域がより拡大していた可能性が高い。復旧の際には系統投入は同期発電機から順に行っていくが、VREのほとんどは分散型電源のため司令所で気軽にオンオフもできないため、逆に復旧にかなり時間を要する可能性も高い。つまり野放図なVREの導入はその分散型電源としてのイメージとは裏腹に電力系統の災害時のレジリエンスをも低下させてしまうのである。昼間に地震が起こらないことを祈るばかりである。
この対策としては、慣性力をもつインバーターがまだ技術的に開発されていない上に、すでに導入されている太陽光発電の規模を考慮すれば、現実的選択肢としてはフライホイールや同期調相機としての同期発電機タービンのから回しなどなのであるが、このような施策を行えるのは大手電力のみであり、自由化で体力を奪われている彼らに期待するのは難しいだろう。このままでは晴れた日は出力抑制が続出するのに曇れば火力がフル稼働というあまりにも不健全な電力構成となってしまう。なお、送電線の強化は出力抑制の問題と絡めて語られるが、この問題の対策としてはあまりコスパが良くない。と言うのもJEPXのスポット市場をご覧になればわかるが、例えば東京電力管内で晴れている時には隣の東北電力管内でも晴れている場合が多く、その場合にはどちらの場合でもインバータ電源の割合が高いため相互に接続しても同期発電機の脱落に備えると言う観点からは(もちろん役立つこともあるが、)役立たないことも多く、この問題の解決策として優先度は低い。ちなみに、この件に関しては日本風力開発傘下のエネルギー戦略研究所の安田陽氏のコラム(No.275 慣性問題の基礎知識と最新動向 - 京都大学大学院 経済学研究科 再生可能エネルギー経済学講座)やこれ が参考になる。
VREは確かに素晴らしい特性を持つが、裏腹にその主電源化には発電事業者ではなく電力系統や大手電力会社の側で新たな投資が必要となる。そのため、発電事業者側から見たコスト(発電コスト)は「安い(≦10\/kWh)」のだが、電力系統全体で負担するコスト(統合コスト)は「高い(~20\/kWh)」(ちなみにこれは電力卸市場+VRE大規模導入をおこなっている国はどこでも直面している問題であり、Death Spiralなどの言葉で検索していただくと良いと思う)。以前統合コストを論じたエントリで太陽光に火力のコストが含まれていることを批判するブコメが多くみられた(例えば、これ)が、この増田で納得いただけただろうか。筆者自身としてVREの導入は避けられないと思っているし、また賛成でもあるが、責任ある立場の人々からこれらの問題を解決しようという風潮があまり見られないので非常に心配している。また、そもそもで言うならばこれらの問題の根源はVREではなく制度設計であり、限界費用の考え方のみで、VREの導入と電力市場の安定を両立させようとするのはどう考えても最初から無理だったと思う。(現在の最もあり得る)結果として安定供給が担保されなくなることと燃料費高騰という二つのツケを消費者に負担させるようでは現在の小売システムや脱炭素に理解を得るのは難しくなるだろう。しかも最も高い代償を払うのはエネルギー支出の割合が大きくなり、家に太陽光パネルを設置できない低所得者層である。SDGsとは一体何だったのか(「10. 人や国の不平等をなくそう」ってあるんだが)。 再エネ議連の皆様には猛省をうながしたいところである。
>欧米諸国をはじめ、現在の雇用は、仕事の成果に対価が支払われる「ジョブ型」が中心
これ大嘘
3 Types of Employment 雇用形態
3.1 For-Cause Employment 無期限社
3.2 At-Will Employment 随意雇用(米国特有、解雇が自由)
4 Types of Employment Contracts 雇用契約種別
4.1 Fixed-Term Contract 有期契約
4.2 Open-Ended Contract オープンエンド契約
「オープンエンド契約は、無制限の雇用契約であり、指定された契約終了日はありません
長期の雇用状況で使用され、永久契約、無期限契約、継続契約とも呼ばれます
近日,西诺(熊宪民)将去年9月30日纽约高等法院冻结郭文贵名下资产的命令在twitter上再次展现出来,诸位推友以为西诺老糊涂,实则是郭老欺末日已近、祸事不远。因为在9月22日,PAX法官签了个order,让郭骗子麻溜儿配合做手续,赶紧把十八楼业主BVI公司Genever的股权全部移交给PAX。就此,郭文贵就对PAX公司大发雷霆,扬言要将该公司聘请的律师送进监狱,甚至扬言PAX控制法官,法庭被蓝金黄。颠三倒四、胡言乱语,纯属是郭文贵急火攻心。遭遇八面来风,阴雨连连,郭欺行将不保了。
周知,郭文贵从2008年以属下公司名义向PAX借钱,实则是个人占有消费,久拖不还,PAX无奈被迫发起诉讼,从2017年4月,一直打到去年12月18日,前后花费了3千多万的律师费用。原本以为,旷日持久的PAX与郭文贵的孽缘,就此尘埃落定,该公司可以借助法治声威,携带着欠款轻松打道回府,不承想,针对法庭冻结的指令和终极判决,郭文贵始终毫不畏惧,被标签为抵押的十八楼、豪华游艇都一直处于游离状态,包括罚款、滞纳金和本钱利息在内的1.86亿美金至今分文未给,不仅如此,郭文贵此前还放下狠话,不会给PAX一分钱,这就是黑皮无赖、无知无畏的典型例证。毫无诚信、毫无法律意识,流氓无赖,有何信义可言?!郭文贵自己捅了自己的要命七寸,死期不远,却浑然不觉,活该!
但美国法律判决终究不是郭文贵随意拿捏的橡皮图章,早在去年9月30日,纽约高等法院就对十八楼、豪华游艇、郭文贵的私人飞机、康州豪宅、Genever在BVI公司的股份,以及空壳公司纽约金泉名下的1.3亿美金资产等等予以冻结,并声明不得转移。也就是说,自始而来,郭文贵就在纽约南区法院的司法视线之下,无法动弹。尽管LadyMay不遵法庭号令,私自从巴哈马长途奔突到西班牙的帕尔马港,如今依旧由郝海东掌控享受,但法律不容亵渎,据悉,从5月15日始,LadyMay因为滞留于外,每日判罚50万美金,目前已高达6千万美金之多。总之,只要郭文贵不会因为与外星人勾连,而白日飞升,脱离地球,则在寰宇之内,绝不会有诈骗犯其人藏身利己的好出处。随着10月14日双方的终极辩论的结束,想在法律面前摆造型,按照老旧思维过日子,郭文贵想多了!
所以,预感形势不妙的郭老欺,日前跑到了大提顿民宿,以避锋芒,躲清静去了。眼不见但心很烦,一边是SEC的5.39亿美金,一边是PAX案的欠款、利息、罚款。尽管郭老欺云山雾罩、神神叨叨,但依旧被诸位热心砸锅人士嗅出了味道,什么高级酒店,什么和世界级大佬密会都是扯淡。常言道,躲过了初一,跑不了十五,在森严法治面前,5.39亿美金,郭文贵还是低头服输交了。预计,PAX的借款本金、利息、滞纳金罚款,郭文贵注定也是逃不过。那么,后续如何突围解困,化解目前的财政危机,就是燃眉之急。于是,一而再、再而三的喜币,在郭文贵的嘴里,再度热乎起来。但无技术、无资金、无平台、无服务的四无产品的喜币铁定不能上市,臆想通过喜币来套取投资者的钱财已是难上加难。所以,日前,郭文贵自我画饼,声称已从喜币委员会那里弄到了4千万个喜币,给没有赶上机会的投资者,这就是郭老欺面对四面索债要命的隔空取钱。诸位瓜众,看看热闹甚好,千万不要被郭文贵花言巧语套住。
综而言之,美国法治不会被郭文贵牵着走,否则老欺也不会恶恨连连,痛斥纽约南区法院被蓝金黄;绝大多数投资者也不会是任人拿捏的软柿子,否则郭文贵也不会动辄劈头盖脸地痛骂受骗者们是特务伪类;跟着郭文贵意图过亿万富翁生活的大小骗子们,随着郭文贵逼仄日甚,树倒猢狲散的景象近在咫尺。日前,“007笑语”,那个号称对欺哥死忠的母蚂蚁已翩然割席,蚂蚁帮内人心浮动,可见一斑。
吃了我的给我吐出来,拿了我的给我送回来,欠了我的给我补回来,偷了我的给我交出来。如今,SEC的5.39亿美金尘埃落定,PAX案好事将近,此后,其他鸡系列产品的诉讼、法治基金、新盖特、喜币等骗局有望被一一打回原形。郭文贵一朝回到解放前的日子不远了,战友们加油啊!
俺は伴侶はいないがいい年で無修正AVもエロ漫画もそれなりに見て来た。
もっぱら床オナで抜いてたし床オナばっかやってると膣内で感じられなくなるということも知っている。
だからつまりは既に性交渉の経験がある人と同等以上の快感を俺は味わっているはずということで、もはやセックスに対する憧れも特にない。
たまに実母に「そんなんじゃ1人で生きていけないよ」と言われるのだが、それに対してはだいたい「俺が結婚できないとでもいうのか」と言い返す。
「いや自立できないって意味なんだけど。そもそも結婚したら奥さん養わなきゃだし『子供できたら』ってなったらもっとお金必要だし」
んでそのたびに「欲求不満じゃないの?」と言われる。「そーじゃねーから!(そんな中学生みたいなノリとっくに卒業してっから!)」
どうしたら笑わらないようにできるんだろう。逆に普通の人はどうやって笑わないようになっている?
デカルトといえば有名なのが「われ思う故にわれあり(コギト)」。ここから近代的自我が始まった。
自我というものの存在を確立したデカルトの三段論法は西洋に影響を与えまくったが、特に注意しなくていけないのは神の存在を使わなくても自我の存在を規定できるという点だった。
でも実際のところデカルト自体はコギトから神の存在証明を行っている。神の存在を証明する時代の要請があったのだけれどそれについては後で触れる。
時代は流れてフランス革命が起こり国民国家が誕生する。国民国家が誕生すると神が死ぬ。
どういうことかというと、それまでの王による国の支配がどういう理屈で正当化されてきたのかということを説明する必要がある。
「王権神授説」というやつだ。それまでの王族による支配権は神が王に与えた権利だった。
神がこの世界を作って人間も作ったのだから神には人間を支配する権利がある。王は神に権利を与えられたので国民を支配する権利がある。
中世の神学者たちが大真面目に神の存在証明に邁進した理由がこれでわかるが、
彼らは頭の体操をしていたのではなく、国家の礎として必要な公共事業として神の存在を証明し続ける必要があったのだ。ご苦労さま。
ところが、王が打倒されて国民が自分たちの代表によって自分たちを支配する国民国家が生まれると、神は必要なくなる。
そして神に変わったものは国民の自我と理性のみとなり、国民は唯一絶対なものであるそれらによって自分自身の足のみによって立つことになる。
これにて「近代的自我」いっちょあがりだ。
なぜなら人間が生まれてくるのは神が「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」といったからだし、日本で言えばイザナキ神が妻ともめて「いとしい妻よ。あなたが千人殺すなら、私は、一日に千五百の産屋を建てよう。」といったためだからだ。
なので神がいる前提だと反出生主義は成り立たない。
フロイトといえば精神分析だが、あとで精神分析の手法が全然間違ってたということがわかったせいで、その功績についても一般的には忘れられている気がする。
フロイトの偉大な功績は2つあって、1つ目は「精神を科学のまな板の上に載せたこと」それ自体。
フロイトは夢分析の過程で人間が表層意識には浮かんでいない、既に忘却している過去のトラウマに影響されて現在の行動を選択していることに気がついた。
患者自身は自分が理性的に考えて選択した結果だと思っていても実は意識に登ってきていない「無意識」によって人間の行動や症状が変化する。
これはすごい発見だった。それまでは人間の行動は意識、つまり自我がコントロールしているとされていたのだから。
フロイト的無意識の例で言うと、チャップリンの「ライムライト」という映画がある。
あの映画のオチでヒロインは忘れていた過去のトラウマを思い出し、それを乗り越えることで身体的な症状も克服する。
これはフィクションだし、ちょっとフロイト的すぎるので、もっと卑近な例を出すと、
犬が苦手だなあと思っていたら、実は記憶にないくらい小さな頃に犬に噛まれたことがあった、とか
梅干しの写真を見たら、「梅干しをこれから食べよう」と意識しなくてもつばが出るとか(パブロフの犬)。
映画の映像の途中で肉眼では認識できないように一枚だけコーラの写真を入れておくと映画館でコーラの売上がのびるだとか(サブリミナル効果)。
こういう感じで無意識が人間の行動に大きく影響を与えるということは、今では常識にまでなっているけれど、これを言い出した始めの人がフロイトというわけだ。
フロイトは原始的な欲望とかが無意識の正体だと考えてなんでもそれで説明しようとして失敗したわけだが、(夢分析の本とか何でも性欲で説明しようとしていてやばい)。フロイトの後続の研究者たちは無意識の概念をさらに発展させていった。
表層意識に上らないのに人間の行動に影響を与えているもの、といえば「不随意運動」だ。
たとえば、眩しい光みたら瞳孔が小さくなるとか、膝を叩いたら足が上がるとかが有名だけどそれだけじゃない。
心臓が動くのを意識して止めたり動かしたりできる人はいないから鼓動も不随意運動には入る。
呼吸も意識すれば止められるけど意識しなくても止まるわけじゃない。意識しているときは随意運動で意識していないときは不随意運動といえる。
ところで人間の意識は脳の一部である大脳新皮質で起こっている反応であることもわかってくる。
脳のその部分以外で起こっているこのと大半も無意識下で行われている。細胞の代謝とか。
さらにさらに、全ての行動に当てはまるわけじゃんないみたいだけど、「人間がある行動をとろうと表層意識で考える一瞬前に、既にその行動を取るためのニューロンが発火している」なんて話も出てくる。
さてそうすると、どうなるかというと、人間が自分の意識で自分の体をコントロールしているという考えは実は間違いで、人間の活動の大部分は無意識がコントロールしていることになる。
意識が肉体(無意識)をコントロールしているという従来の主従の逆転がここで起こっている。
ここまで来ると「無意識」を拡張しすぎて「無意識」ってなにって話になってしまう。細胞の代謝のことを「無意識」という言葉でまとめるのは違和感があるから。
ここでいいたいのは「表層意識下に上らないすべてのもの」みたいな意味であり、一般的な言葉の「無意識」とはちょっと違うものになってしまうので哲学者はこれに「エス」とかいう名前をつけた。
意識ではなくエスが人間の行動を決めるのである。というか人間が何を考えるのかもエスが決めているといえるのだとするとコギトがおかしなことになってくる。
「われ思う故にわれあり」ではなく、「われ思わされているゆえにエスがある。われはあるかどうかわからない」に修正しなければならない。
「生きるのは苦痛である。苦痛でない場合もあるが生んでみないと分からないのでいわばギャンブルである」
「生まれる際に両親は子に生まれてもいいかという同意を取っていない」
「よって生むのは無責任であり生むべきではない」
しかし人間の9割は無意識下の存在であることを踏まえて見ると、見え方が違ってくる。
第一の登場人物である「子」は産まされるという受動的な立場ということになっているが、同意を取るべきタイミングには意識が存在しない。つまり無意識である。
無意識の相手に無理やり生まれることを強制するのかと反出生主義者はいうのだが、これまでの議論で無意識(エス)こそが人間の大部分であることをこれまで延々と説明してきた。
で、重要なことはその「エス」自体は生まれてこようとする方向性を持っている、ということである。
今だに現代人は意識がなければ何も決定することはできないと思っているが、むしろ無意識が先にあって意識が後から形付けられたといえる。そして人間の肉体の不随意運動は生き残ろう、という方向で行動を起こす。
精子の蠕動だって不随意運動だし、卵子の排出だって不随意運動なのでこれらはエスである。
胎児は産道を通るとき自分の体をねじって頭蓋骨を変形させながら外に出てくる。生まれてこようとする意志がそこには感じられるが、もちろん意識も自我もない。
だがそれらの反射が自分自身ではない、というのもおかしな話である。
それらが全て生まれてこようという方向に方向付けられているのに、「本当は生まれてきたくなかった」というのはどういうことなのだろうか。
自意識、理性を過大に評価するのが現代人の病巣であってこれは単に、いまだにデカルトの呪いがとけていないのだと思う。
「生まれてこないほうがよかった」という人間だって、それはそれで大変な状況なのは間違いないのだけれど、ひざを叩けば足が上がるし、急に熱いものに触れられたら自分を守るために手を引っ込める。
生きたくないとか言うけど呼吸は止められなければ、心臓は勝手に動いている。
どう見ても肉体は生きようとしている。
やっていることと言っていることが違う。
でも不思議なことは何もない。自意識なんて人間のほんの一部でしかないからである。
自己の定義を自我に狭めるべきではない。それは単にその方が精神衛生上いいというだけの話ではなく間違っている。
エスの定義は自意識に上がらないすべてのものと書いたが、哲学者によるとこれはつまり「自我」以外の「世界全て」のことを指すらしい。
流石にそこまで悟ることは難しいが、自己の定義を自分の不随意運動、や無意識の習慣程度にまで広げておけばデカルトの作った罠にはまらないで済む。
一部の男性の性欲が日常生活に支障をきたすような苦しみであり、
性欲は定期的な射精によって解消することが可能であり、心地よく射精に至るための文化的装置がポルノやオナホである。
それは医薬品ではないが、自分ではコントロールできない強い生理的欲求を解消するという広い意味での医療に類する役割を担っている。
私は性欲が比較的薄く、オナニーの頻度も低いが、ある程度の期間オナニーをせずにいるとある日朝起きたらパンツが夢精でべっとり、ということはざらにある。
もちろんこれはPMSに比べれば苦痛の程度は遥かに小さいだろう。精液は血液と違って洗濯すれば綺麗に落ちるわけだし。だが、「勝手に身体から変なものが出てくる」という意味では、朝起きたらパンツが経血で真っ赤だったというのと同じことだ。どちらも自由意志でコントロールできるものではなく、ただただ不愉快な経験であることには違いない。
女性の生理と違うのは、男性の射精は、その過程で快感を感じることができるということだ。したがって、男性の性欲は「定期的に訪れる不随意の生理現象」であると同時に、「定期的に快楽の機会を提供するもの」にもなっている。これが男性の性欲が医学的に問題視されにくい理由である。強烈な空腹を美食で満たすことができるように、強烈な性欲は自慰や性交で満たすことができる。
人間社会は、食欲を薬によって解消可能な生理的欲求ではなく「快楽を感じる機会」と捉えることによって美食文化を発達させてきた。ゆえに「食欲を抑える薬」はない。性欲も同じで、男性の性欲は薬によってではなくポルノ文化を発達させることによって解消することが目指されてきた。ゆえに「性欲を抑える薬」はない。
もちろん性依存症というのはあるので、医学的な介入が一切不要というわけではない。過食症に対する医学的介入が必要なのと同じだ。だが、適度の性欲は、適度の食欲と同様に「そういうもの」だと捉えられ、「お腹が減ったなら美味しいものを食べよう」というのと同じように「性欲が溜まったなら良いポルノを見よう(風俗に行こう)」というやり方で解消するものだとされてきた。
ポルノに対する規制にやたらと反発する男性は、ある意味では、薬やレストランを奪われようとしているようなものだ。そう考えれば、彼らの執拗な抵抗も理解できるだろう。
繰り返すように、月経による苦痛を矮小化する意図はないし、男性の性欲による苦痛が生理による苦痛と同程度とも思わない。だが、それは「定期的に訪れる、自分ではコントロール不能な生理現象」であるという点では同じなのだ。普通の風邪とエボラ出血熱がどちらも「ウイルスによって引き起こされる感染症」という点では同列であるように。
風邪とエボラはどちらも感染症だと広く認識されている。「エボラは病気だけど、風邪は病気じゃない」「エボラ患者はこんなに苦しんでいるのに、症状が遥かに軽い風邪の患者と一緒にしないでほしい」なんて言う人はいない。でも、「PMSは自分の意志ではコントロールできない生理現象だけど、男性の性欲はそうじゃない」という言説はありふれているし、男女を問わず多くの人が漠然とそう信じ込んでいる。それは間違いだ。男性の性欲も、女性の月経と同じく抗いがたい生理現象なのだ。その過程で快楽を生じさせるか否かという点が違うけれど。
オーストラリアが中国報道官のTwitterの投稿に「偽造の画像を削除して謝罪しろ」と要求してる国際問題で、
ウェイボーで風刺絵の作者の烏合麒麟が、著作権問わず自分の絵は作者名を入れても入れなくても許可いらずに自由に利用できると投稿した。これは趙立堅報道官が作者名を消した画像を投稿したことに対する回答なのかな。ただ烏合麒麟の作品が全部一から描かれてるとは思えないので、素材となった兵士等や写真等の著作権はどうなってるのかが疑問。
置顶更新,再说一次我置顶这些图版权完全开... 来自乌合麒麟 - 微博
https://weibo.com/1566936885/JwAn5ljCt?type=comment#_rnd1606955885455
置顶更新,再说一次我置顶这些图版权完全开放,
トップアップデート、これらの写真の著作権は完全に公開されており、自由に使用でき、私の名前を使用することも、使用しないこともできます。メッセージを残して1つずつ利用を尋ねる必要はなく、図面もトップにアップロードされます。 、みんなハッピー
豪州政府の虐殺行為の調査発表の前には、こういう豪州メディアの調査報道があったわけで。
豪軍の虐殺容疑を捜査へ 崖から羊飼い落としたと報道も:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASNCJ35T1NCDUHBI00P.html
豪軍の残虐行為の可能性については、シドニーモーニングヘラルド紙や公共放送ABCが、反政府武装勢力タリバーンの関係者を捜索する際などに「羊飼いの男性を後ろ手に縛った状態で崖の端に連れていき、蹴り落として殺害した」「民家にいた男性と、その横で毛布にくるまっていた息子の少年を銃撃して殺した」「ヘリコプターから標的を銃撃したつもりが、死んでいたのは2人の少年だった」といった事例を報じてきた。
ここでは「羊飼いの少年」が殺害されたことを報じている。政府の調査ではそれは事実ではなかったと発表されている。メディアは政府発表をそのまま鵜呑みにしてスルーするつもりなのだろうか。
烏合麒麟以外のウェイボーユーザーもオーストラリアのモリソン首相の風刺画を投じるようになってる
战友,也算我一个一直画到莫里森满意为止... 来自钢铁时代2011 - 微博
https://weibo.com/1960518734/JwwAYaBsz?type=comment#_rnd1607087251004
仲間よ、私を一人として数えなさい。モリソンが満足するまで描きます。@乌合麒麟
「傑作」
ON LIE正在撒谎你不是唯一一个在战... 来自半桶老阿汤 - 微博
https://weibo.com/2169767811/JwS9Lja75?type=comment#_rnd1607087262733
「ONLIE 」[嘘][作揖]事件を聞いて非常に憤慨した@乌合麒麟はあなただけではありません。一晩と二晩、スケッチ。名前のない人々は才能があり、浅いです。諦めなければ、自分で取ることができます。
横からで悪いけど、つっこませてもらう。
まずその主張としての「コンテンツの評価を他人が決める」というのはハロー効果として昔から知られていること。
むしろ昔はその風潮が今以上に強かったほどで「偉い学者さんが言っているのだから本当だろう」ということでテレビで健康効果を謳った食品が次の日スーパーで売り切れるなんてことは日常茶飯事だった。
ただ主張していることには同意できる点もあって、”「作品に対してどう思うか」の感情を先導する人間が今後、より重要視される。”というのは同意もできるけど少し違う。
昨今は作品に求められている構造的変化があり、それはよりメタ的な観点における構造の変化。
つまり、これまでのコンテンツ作品(特に娯楽作品)は、その内容にはある種の欲求を満たすように作られていた。
たとえば少し前の時代に表現されていた勧善懲悪の存在などは、それが最後に「悪いこと」として排除されることによって社会的模範を示し、その示される善悪の基準に対して善に沿って生きている人間は「俺は善人だ!」ということをその作品を通してより自覚する。
するとそこで承認欲求が満たされる。
そして重要なのはこの部分の変化で、上記の例では承認欲求を満たす構造は自己完結型。
漫画などの場合は読者が作品を読み、その作品そのものから承認欲求を満たす図式となっていた。
しかし昨今この構造がSNSをはじめとするソーシャルサービスによって変化が生じ、一言で表せば「コンテンツによる欲求充足の構造が自己完結型から他人依存型に変容した」ことが挙げられるのだと思う。
つまりこれまでは作品それ自体から満たされていた欲求が、今後はメタ的、つまり作品そのものから満たされるのではなく、その作品を通じて他者とのつながりを果たすことで満たされることを目指す図式に変容しているのだと思う。
これは作品からの直接的な影響が薄まった、というよりかはむしろ、この増田の主張するように「作品の内容よりも感想の共有が重要だよね!」という風潮の中にあると思われる。何故かといえば、作品からの自己完結型の欲求充足は煎じ詰めればオタク以外にとってはどうでもいいことなのである。
一般人にとってはその内容如何より、作品を通じて他人とつながれる、その結果のほうがずっと欲求が満たされるからだ。
よって今後の娯楽メディアはより現実への透過性が強化されるだろう。
だがそれは増田の言うような個々の個性を殺すことには繋がらない。
増田の主張の問題点は文化的・社会的影響についてを言及していない点と(それと相関と因果の違いについても意識すべき)、”自分の感情が自分から発することがあるのだろうか?”という主張に対してはそこに含まれる随意性 ・不随意性への考察が不足している点(肉体からもたらされる影響を無視し過ぎ!)である。
まとめると「あれ?もしかして自分の感情やら感想って、全部他人に依存してない?」と主張するわけだが、そもそもそれら概念を他人にまったく依存せず表象できるのか?という話で、それはできませんよ、というのが今の科学の見解。
去年の今ぐらいだったか、脳梗塞をやって植物状態になってしまった祖母のお見舞いに行ったのは。節電で廊下の電気がついていなかったのもあって、白い、年数を感じさせる病棟内が西日に包まれていたのを覚えている。
病室に入ると今まで見たことがないほど痩せこけている祖母と、その口元には祖母の命を支える人工呼吸器。
人工呼吸器が空気を入れ込む度に強制的に身体も「がくん」と動く。その半開きの目は、そんな身体の動きを介さず中空を見ている。
人が生かされているという姿を初めて見た。
既に何度かお見舞いに来ている両親はテキパキと必要なものを補充したり、祖母に声を掛けたりとしている中、自分はそんな祖母の横に佇むしかなく。まだ祖母は生きているというを実感を感じたくて、俺は祖母の手を両手で握った。「おばあちゃん」と何度か声を掛けた。何か少し、握り返してくる力があるような気がした。さらに、腕にも痙攣のように明らか目に見える動きがあった。父親曰く、たまに僅かながら動こくことはあるが、ここまで動くことは初めてだと。
それはただの不随意な痙攣なのか。そして、いやむしろそうであってほしい。本当に、そう心の底から思った。
俺はもはや震えていると言っていいその手を握り返すことしかできなく。
半開きの目は変わらず中空を見ている。が、それだけだ。
ある、間違いなくまだ意識がある。それが意識と呼べるものかはわからないが、少なくとも俺を認識している。それを表現する術がないだけであって。
どうしようもない辛さが自分をえぐる。せめて、せめておばあちゃんが楽になればと、憂いなく安心して眠れるようにと、俺は、僕は大丈夫だから、と耳元で囁くことしかできなかった。
COST+flexicurity
「共同所有自己申告税」(COST)
柔軟な労働市場を整備して成長産業に労働力の移動をしやすくし、手厚い社会保障で労働者の生活の安全を守る政策で、特にオランダやデンマークなどの北欧で進められている。
労働条件(賃金・手当・福利厚生・職場訓練・企業年金)のすべてにおいて、フルタイムとパートタイムの同一待遇[2]
その結果、1970年代から続いてきた賃金と物価のスパイラル現象(スタグフレーション)の抑止に成功し、失業率の低下と経済成長を同時に達成することが出来た。この改革はオランダ・モデル(または、ポルダー・モデル)と呼ばれているとともに、世界初のパートタイム経済(ワークシェアリング)の国とも呼ばれている[2]。
現在のオランダはパートタイム大国となっており[2]、雇用者の36.9%がパートタイムで勤務する(2020年)[1]。不完全雇用パートタイマーの割合は低く、パートタイム労働への満足度は高い[1]。
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%8A%E3%83%BC%E5%90%88%E6%84%8F
ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A0%E3%81%AE%E6%89%80%E5%BE%97%E7%A8%8E
イギリスの億万長者54人の資産合計は18兆9000億円であるのにもかかわらず、
うち32人は所得税をまったく納めていない。
英国の高齢化社会への対応には富への課税を、シンクタンクが指摘
Tax wealth to pay for ageing UK population, says thinktank
ttps://www.theguardian.com/business/2022/feb/10/tax-wealth-to-pay-for-ageing-uk-population-says-thinktank
150,000ユーロ(約2,400万円)を超える
x.com/gpc_privatebank/status/1831815571576680816
「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」私有財産に定率の税(富のCOST)を課すと効率的な市場が生まれる
信賞必罰
解雇および辞職は即時に行うことができ、手当金や予告は必要とされない
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%8F%E6%84%8F%E9%9B%87%E7%94%A8
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3
解雇に際し、勤続12年以上は1ヵ月分、15年以上は2ヵ月分、18年以上は3ヵ月分
の給与を一時金として払わなければいけない。妥当な理由がなく解雇する場合、
被用者が解雇時に30歳以上で、勤続年数が1年以上の場合は最高3ヵ月分、10
年以上の場合は最高4ヵ月分、15年を超える場合は最高6ヵ月分の給与を一時
金として払わなくてはならない。また、休暇法に基づき有給休暇の買い上げをし
なければならない。
ttps://www.jetro.go.jp/ext_images/jfile/report/07000115/0908R3.pdf
ttps://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11201000-Roudoukijunkyoku-Soumuka/0000122770.pdf
ドイツ経済の勝因は 左派政権の「小泉改革」にあり KEYWORD 「雇用の流動性」 WEDGE Infinity(ウェッジ)
ドイツでは「解雇」をしやすくした結果、短期的には失業者が500万人を超えた。
ところが長期的には、雇用の流動性が高まり、逆に労働市場が拡大して失業者は減った。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry?url=https%3A%2F%2Fwedge.ismedia.jp%2Farticles%2F-%2F1422
「解雇規制を緩和したら正社員が増えた!」 イタリアで労働市場改革に成果、首相も自画自賛
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.careerconnection.jp/?p=15826
「解雇の金銭解決」が奏効したイタリアの実情 | 検証!ニッポンの労働
ttps://toyokeizai.net/articles/-/153024
労働契約法
(解雇)
第十六条 解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。
「かかと落としで上司のPC破壊し解雇」は無効 朝日新聞関連団体に東京地裁
ttps://b.hatena.ne.jp/entry?url=https%3A%2F%2Fwww.sanspo.com%2Fgeino%2Famp%2F20170331%2Ftro17033120010007-a.html
ttps://b.hatena.ne.jp/entry?url=https%3A%2F%2Fdiamond.jp%2Farticles%2F-%2F16733
解雇規制をツイッターにたとえると、「いったんフォローした人は、リムーブできません」
ttps://b.hatena.ne.jp/entry?url=http%3A%2F%2Fmojix.org%2F2011%2F07%2F27%2Fkaikokisei-twitter
プロ野球において、解雇規制で65歳まで解雇できない、不利益変更法理で年俸を下げられないとしたら、どうなるだろうか?
年功序列になる?
またの名を解雇規制
例えてみよう
プロ野球選手が終身雇用で解雇規制で守られてたら年俸は劇的に下がるだろうな。若手も入団できないだろうな。
ttps://twitter.com/T998654345674Tt/status/1389429939674431490
「裁量労働とか解雇規制を緩和したら正社員は皆年収300万円のフリーターに」
「あっちはプロですよ」
「フンガー!」
日本企業の給料が低いのは、社員を解雇できないから。「雇用」より「人」を守れ。
「日本企業は解雇が難しく、なおかつ不利益変更と言って急激な給与の引き下げも難しいため、業績が悪化した時の事を考えて給与の引き上げには慎重にならざるを得ない。」
「雇用調整を解雇ではなく低賃金や転勤、長時間労働で行っているのが日本企業ということになる。」
ttps://b.hatena.ne.jp/entry?url=https%3A%2F%2Fblog.tinect.jp%2F%3Fp%3D51515
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B4%E7%90%86%E8%A7%A3%E9%9B%87
「所有とは盗みである」
「共同所有自己申告税」(COST)
ttps://toyokeizai.net/articles/-/319184?page=3
ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀: 公正な社会への資本主義と民主主義改革 - エリック・A・ポズナー (著), E・グレン・ワイル (著), 安田 洋祐 (翻訳), 遠藤 真美 (翻訳)
ttps://www.amazon.co.jp/dp/4492315225
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ヘンリー・ジョージ
生産活動が重税に悩まされる一方で、私的利益が天然資源という限られた手段から得られるのは不正義の極みとして、かかる制度は奴隷制に等しいと主張した。
中略
とりわけカリフォルニアにおける鉄道建設により、地価や地代が賃金の伸び以上に上昇した事実に目を付けていた。
中略
土地単税
地代は私的所有よりも社会全体に分有すべきとの主張でよく知られ、こうした視点が最も明快に示されているのが『進歩と貧困』である。ただ、地代を社会的に共有しようとすれば土地を国有化した上で個々人に賃貸しする方式を採ることになり、地価税を高率に設定すれば地価が下落することになるが、ジョージは地主に補償を行う必要は無く、嘗ての奴隷所有者と同様の対応をとるべきとした。
ttps://hajimete-sangokushi.com/2020/04/26/ancient-greece-tax-2/
デモステネスによると、公共奉仕を課された人が自分よりも富裕だとみなす人を指名して、財産を交換するように申し立てられる「アンチドシス」という制度があった。指名された人は、奉仕の負担を受け入れるか、指名した人と全財産を交換するのかどちらかを選択しなければならない。
ttps://furuyatoshihiro.hatenablog.com/entry/2020/06/18/000000
Antidosis
ttps://www.oxfordreference.com/view/10.1093/acref/9780199545568.001.0001/acref-9780199545568-e-485
Only the richest ancient Athenians paid taxes – and they bragged about it
ttps://theconversation.com/only-the-richest-ancient-athenians-paid-taxes-and-they-bragged-about-it-147249
不随意でお尻触っちゃったとか