去年の今ぐらいだったか、脳梗塞をやって植物状態になってしまった祖母のお見舞いに行ったのは。節電で廊下の電気がついていなかったのもあって、白い、年数を感じさせる病棟内が西日に包まれていたのを覚えている。
病室に入ると今まで見たことがないほど痩せこけている祖母と、その口元には祖母の命を支える人工呼吸器。
人工呼吸器が空気を入れ込む度に強制的に身体も「がくん」と動く。その半開きの目は、そんな身体の動きを介さず中空を見ている。
人が生かされているという姿を初めて見た。
既に何度かお見舞いに来ている両親はテキパキと必要なものを補充したり、祖母に声を掛けたりとしている中、自分はそんな祖母の横に佇むしかなく。まだ祖母は生きているというを実感を感じたくて、俺は祖母の手を両手で握った。「おばあちゃん」と何度か声を掛けた。何か少し、握り返してくる力があるような気がした。さらに、腕にも痙攣のように明らか目に見える動きがあった。父親曰く、たまに僅かながら動こくことはあるが、ここまで動くことは初めてだと。
それはただの不随意な痙攣なのか。そして、いやむしろそうであってほしい。本当に、そう心の底から思った。
俺はもはや震えていると言っていいその手を握り返すことしかできなく。
半開きの目は変わらず中空を見ている。が、それだけだ。
ある、間違いなくまだ意識がある。それが意識と呼べるものかはわからないが、少なくとも俺を認識している。それを表現する術がないだけであって。
どうしようもない辛さが自分をえぐる。せめて、せめておばあちゃんが楽になればと、憂いなく安心して眠れるようにと、俺は、僕は大丈夫だから、と耳元で囁くことしかできなかった。