はてなキーワード: 昭和歌謡とは
たとえばギターのギュインギュインってのを「アーミング(Armstrong)」って呼ぶらしいことを最近知った。
どうもギターには棒みたいなのがついててそこを腕で思い切りグリグリすると音がフニョ~~~ンってするらしい。
俺は小中高で12年音楽を習ったし小学校時代はピアノを習っていた(右手の小指と薬指はバラバラに動くけど左手の薬指と小指は半分ぐらい繋がっている)が、全くそんなの知らなかったぞ。
1 クラシック(電子楽器とかチャラチャラしたボーカルがない)
2 ポップ(ロックだろうがメタルだろうが昭和歌謡も含めて全部コレだ)
ビートルズはロックらしいが、ビートルズっぽい歌い方をしてる日本のアニメソングがJ-PoPでいいのかロキノンなのか分からんしぶっちゃけロキノンはなにがノンなのかも分からん。
まあそれでも全く困らないと思っていた。
たとえば俺が好きな曲に「 allegro cantabile /SUEMITSU & THE SUEMITH/のだめカンタービレ OP」と「グルッポ/茶太/Like a Butler OP」があって、この2つは音楽の感じか俺の中では似てるんだが、そもそも音楽ジャンル的に似てるのか、コードが近いのか、技法が近いのか、ぶっちゃけパクリに近いのか、そういったことさえ何も分からん。
ピアノ習ってたんだろ?って言われそうだけど俺の先生はとにかくコンクールに向けて丸暗記しろ以外のことはほとんど教えてくれなかったし、俺も親の趣味に付き合っていただけで微塵も興味ないし「いや~~俺もスターウォーズとかやりってっすわ~~」といった提案さえしなかったのでマジで「鍵盤叩くと音出る!頑張って覚える!」で全部終わってたからマジで何も分からんのだ。
音感は生まれつき皆無だったし、ピアノ教室に通っている最中も「鍵盤叩けば音出るんだから俺が知ってる必要あるか?」状態だったのでこのコードはこの音階でって言われてもマジで分からん。
なまじピアノやったせいで俺の中にある音楽の感覚が「右手でピロピロしつつたまに左手でペチッペチッと別の音を出す」の世界で終わっているし、それも和音が「よくわかんねーけど必殺技」レベルの感覚で人生に強烈に残ってしまったから、和音の一部を曲の屋台骨として使っていくなんて感覚がねーんだ。
生兵法はジッサイアヤウイと古事記にも書いてあるように、俺の音楽感覚は結果として楽器に半端に触れないで暮らしてきた人間と比べて最悪な形で歪んでいるからマジで音楽が分からねえんだ。
どんな楽器にどんな音の出し方があるのか、それがどういう効果として使われているのか、クラシックの名曲でどの楽器がメインなのかも分からん。
G線上のアリアでさえそもそもああいった音が出てるのが弦楽器だと認識できずにピアノの曲だと思っていたぐらいだ。
だって弦楽器ってギターみたいにギュイーンギュイーンだと思うじゃん?
それでどうやって普段音楽聞いてんだよって言われても俺にとってはそれが当たり前なんだ。
たとえば小学生がゲームやってて「あー当たり判定の設定が見かけよりデカイけど雑に四角形で取ってんのかな・・・それならこの辺が端か~~よっしゃよっしゃ有ってるっぽい」とか「ライティングの仕方がうめーな。マシンパワー節約しつつ程よく室内感出してんわ~」とか「あのNPCの視界判定がフラグになってるからそこ迂回したら良かったわけね~~~」みたいな感じの独り言いいながらゲームしねーけど普通に遊べてんだろ?
バンドの編成とか、どんなコードとか、どこから影響受けてきてるかとか考えてなくても曲って聞けるんだよ。
昭和のおばちゃんはTVの仕組み分かってねえしハンダなんて素材も知らなくても叩くと接触不良が治る可能性があることを直感と経験で知ってるのと一緒だよ。
でもそれだとどこかで限界が来るんだよ。
もしもハンダを知ってたら中の基盤ちょっと抜いてちょっとずつグリグリして抜けてる場所見つけて付け直したら終わったような修理でも諦めて捨てるしかねーのと一緒だよ。
でもおかしくねえか?
12年あって、俺はなんでそういうの知らねえんだ?
モーツァルトの名曲は「アイネクライネナハトムジーク」でライバルとの確執が演劇や映画になってなんかめっちゃ有名になったということは知っているけど、それがどういう曲なのか思い出せねえし音楽的にどういう意味があったのかは分からないままで「モーツァルトは、天才です。ウィーンはオーストリアです。オーストラリアじゃないです」だけを機械のように答えられるようになっただけで!終わってんだよ!それが音楽を聞く人間として何の意味があるんだよ!
結局はここ。「人殺すかラッパーになるか!」とかホザいたクズは問題外だけど、ライブを感染対策万全でやるなんて無理だよ。
どこからだれが来るか把握できるはずの世界最大規模の運動会でも無理だったんだから。
出来るとすればクラシックとか、昭和歌謡とかの客層がもう騒ぐ気ゼロなイベントぐらいでしょ。
じゃあライブで食ってる人たちの食い扶持どうすんの?税金で保障するの?いつまで続くか分からないのに?
旅行業界をみんなの命のために見捨てたくせに、娯楽だけ救うの?それとも今まで見捨ててきた業界もみんな税金で救うの?
補償の正当性はどう担保するの?申請内容に不備がないか1件ずつ調べるの?誰が?
補償付きの行動制限を、なんて簡単に言うヤツ居るけど、正気を疑う。
財源はどうするの?国債発行?マイナス金利の国債発行額は需要低迷でどんどん減ってるから、
国債で賄う場合は普通にプラス金利で後世にツケを回すことになるんだけど、本気?俺は老い先短いからそれでもいいけどさ。
いい加減現実見ようや。「感染者がどこにいるか分からない」状態を放置してどうにかするのは無理だよ。
「偽陽性」とか「偽陰性」とか、下らない言葉遊び止めようや。今はもう、我慢の限界来てて偽陰性100%なんだよ。
2年近くも「お前ら全員感染者扱いするから我慢し続けろ」なんて馬鹿げてるにも程がある。
何人検査をすり抜けるかを問題にするんなら、今現状大半の無症状感染者を野放しにしてる現実を問題視しろよ。
少しでも検査拡大して、野放しにするはずだった感染者を確保して治療しろよ。
それらの施設間の移動のための感染対策した移動手段がないなら、便数減りまくりな長距離バスを借りろよ。
そのために緊急事態宣言の強権があるんだろうが。施設の確保や緊急の体制整備のための権限じゃねぇのかよ。
そうやって仕事を失った人たちに仕事させてりゃ税金使う理由にもなるだろ。感染拡大防止のためなんだからさ。
飲食業界や娯楽業界を締め付けるための印籠としてしか使ってねーじゃん。バカかよ。
緊急事態って言いながら通常と変わらん体制のまま乗り切ろうとするの止めようよ。
無理に決まってんじゃん。
緊急事態なのはしわ寄せが来てる現場だけで、上の体制何も変わってねーじゃん。
いつまで緊急事態の元になった感染力の強いウィルスの診療をその他の診療に混ぜて対応させてんだよ。
1年以上前に専用の診察、治療設備を緊急事態宣言の権限で作っとかなきゃいけないレベルだろ。
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他にも行ったが遠いのであまり行っていない。
以上。
最初、音がごちゃごちゃしていてうるさくってナルシスティックでなんて気に触る曲だろうと思った。
でも音の抜き方が絶妙でおしゃれでどうしてもやるせなくてかっこいいと思ってしまった。
ベスト盤を借りてきてひと通り聞いてその一枚で充分で、ほかのバンドと同じようにそのまま記憶の隅に眠ると思った。
それでも他のデータがウォークマンの残り容量を食っていってもたまに取り出しては聴いて、私は椿屋四重奏を消せなかった。
彼らを見つける前の話をする。
もし音楽に物心がつく時があるならば私の場合志村正彦に出会った時だ。
シンプルなのに予想と異なり期待を上回る音が大好きだ。だからこそ限られた曲をすべて聴く勇気が今でも出ない。すべてが予想通りの志村正彦の音楽になってしまうのが恐ろしくて堪らない。
必死になって代替品を探した。彼のルーツ、好きだと話した音楽、同年代の音楽。分かったのは私はロックがあまり好きではないということと同じものはないということ。
閑話休題。
月日は経ちひょんなことからノイジーな音楽が入り用になった。私のウォークマンの中で一番うるさいのは椿屋四重奏だった。周りの音を掻き消せば事足りた。
深紅なる肖像、薔薇とダイヤモンド、TOKYO CITY RHAPSODY、CARNIVAL。
アルバム一枚分ずつ椿屋四重奏がウォークマンを侵食していった。彼らは欲しい音を激しい音も穏やかな音も確実に鳴らしていった。
孤独のカンパネラを鳴らせ、一枚だけが残っても躊躇はなかった。その名の通り椿の落ちるような鮮やかな解散はただただ美しく見えた。
椿屋四重奏が残した映像はあまりにすくない。音も画面もバキバキでみにくかったが中田裕二の歌だけは際立っていた。ナルシスティックに聞こえた歌は、つぎはぎだらけの架空のかっこよさではなくそのまま彼から出ているものだということを数年ごしに知った。
もっとその声が欲しくなってしまった。中田裕二は生きているから。怖々と私はソロの楽曲を試聴した。椿屋然とした曲は最初なじまなかった。それでもやわらかであでやかさを増した楽曲達は椿屋四重奏よりもずっと好みだった。
椿屋四重奏と同じ数だけのアルバムがウォークマンに収まる頃には私は椿屋四重奏よりもむしろ中田裕二に魅入られていた。
いつから手遅れになったのだろう、とたまに思う。
ギターの弾き語りだとその声がよく引き立つことに気がついた時から?
école de romantismeのさみしさを孕んだうつくしさに聞き入ってしまったから?
ライブごとに曲のアレンジを変えた最高の状態で演奏しつづけるさまを見せられたから?そもそも椿屋四重奏をきいた時からだろうか。
春あたりに一年に一回のペースで出るフルアルバムとそれに伴うバンド編成によるツアー、全国での弾き語り、年によってはトリオなどのトリッキーな編成のツアーをこなされたらほかに気がうつる暇もない。去年はひまだからなんていって二作品もアルバムを出してしまった。
ワイン、ウイスキー、日本酒と忙しなく熱を注ぐのを見てしょうがない人だなと思う。調味料の話します!と話してもの足りなさそうに切り上げるのを見て面倒な人だなと思う。
でも、アルバムが出るたびライブを見るたび、何度でも魅入ってしまう。最高の演奏の後、これからも好きなようにやりますとへらへらと笑っているのを見たらお願いだから好きなようにやってくれと心から思うのだ。
まるで炎のように常に揺らめいて姿を変えて魂ごと取り込まれてしまいそうなほど、見入ってしまう。
血を吐き出すようだった椿屋四重奏という季節に囚われないでいい。
でもたまに歪んだエレキギターをかき鳴らすのも聴きたい。
おだやかなPredawnも激しい群青も全部等しく愛している。
カネの暴力で全部解決してしまいたいが、甲斐性なしでは好きな相手と幸せになるのも難しいネっていうのを
以下、便所の落書き。
惚れた腫れたと、この先一緒にずっといるっていうのは、別のことだとわきまえていたつもりで
結婚を前提としてお付き合いをしませんか。と伝えたときには、このあたりのこちらの認識は共有していたつもりだった。
お相手は、詳細は伏せるが国の難病指定はもらえてないが、実際難病くらいつらい症状で、定職についていなかった。
だけど、可能な限り症状と向き合いながら、なるたけ早い内に自立できるようになりたいと
その前向きな姿勢に感銘を受けて、支えてあげたいと思い、お付き合いを申し出た。
実際、性格があうとか、一緒にいて楽しいとか、恋愛的な話はクリアしてのことである。
相手はまだ定職についておらず、近年の情勢もあるが、自分の収入は特段伸びず、自分以外の人間をそっくり養えるだけの金銭状況にはない。
時折将来の話をすると、ムッとされたり、今はその話をしたくないなどはぐらかされて、イマイチ具体的な話に進んでいかない。
少々差別的思想であるが、これが健常者相手であれば、怠けるなと罵ってやったり、ひったててハロワにつれていくなりしてもいいくらいと思っている。
ただ、相手には身体の事情もあるため、無理強いは出来ないし、可能な限りしたくない。
自分は自分の収入でほそぼそとくらし、相手は生活保護を受けて、離れて暮らしている。
月に数度会うが、それもどちらかといえばこちらが経済的時間的に不利を許容している状態だ。
自分は現在の仕事に誇りを持っており、幼少から憧れていた職業でもあるため
結婚相手や子供のために、職業を変えて収入を増やして、全て自分がなんとかするぞ!という部分までには至れない
これははっきりいって、ワガママといわれても仕方のない部分ではあると思う。しかし曲げるつもりはない。
副業をしているが、これについてもほそぼそとした貯金を補助する程度のものであり、
どれだけ考えをひねっても、宝くじ一等でも当たらない限り、相手にも月に数万円だけでもいいので、なんらか収入を得てもらわなければ
これから一緒に暮らして、子供をもうけて、まともな教育をうけさせて…という、フツーの幸せは望むべくも無いだろう。
(なお、これは自分が考えるところのフツーの幸せであり、幸せとはなにか、という議論をしたいわけではないのはご留意いただきたい。)
お互いの趣味をやめる。好きな職業も捨てる。金を暮らしと次世代のことのためだけに使う。
こういう選択肢をとれば、生きていないこともないが、それは果たして幸せなのだろうか。昭和歌謡の世界でもあるまいし。
そんなことを話し合いたくて、ついこの間も些細な話題のきっかけにやりとりをしたが、結局暖簾に腕押しであった。
ここまでの経験から、これは怒ってこちらを無視しているのではなく、鬱症状で他者とのコミュニケーションを断っている段階だということは知っている。
というか、怒って言い合いになるならまだいいものの、塞ぎ込まれてしまって、ちっとも話し合いにならないのだ。
正直言って、まるで10代の若者と交流しているかのような、不安定かつ計画性の無い生き様に、ココ数日でほとほと愛想が付きてしまった。
ガラスよりも脆いそちらの気持ちを気遣って、真剣な話をするのは今ではないとか、今だとか、そんな愚にもつかない思慮に脳のリソースを使いたくない。
というか、そういうタイミングを待ちつつ、すでに年単位で停滞した時間を過ごしているのである。
いっそこの書き込みを見て、自分のことだと確信して、悔い改めなくてもいいから、
こちらを悪口いいの人でなしと罵り、きっぱり縁を切るきっかけにでもなればいいと思う。
結局自分としても、ここで相手を直接的に傷つける言葉を使って、
自分たちには将来がないからコレ以上は時間の無駄だ。別れよう。
こういったことをこちらが切り出して、罪悪感を抱えたくないというのも、踏ん切りをつけられないことの一因なのだと思う。
収入面を除けば、素直でいい人なので、誰かオカネモチの方はあの人を幸せにしてあげてください。
ドレスコーズも好きですがマリーズ時代の曲もやっぱいいよね、ってことで今もよく聴いてます。
あんまり周りに知ってる人(≒興味ある人)いないからここでツラツラ紹介させてください。
早速まずは第10位から。
10位は「VELVET GOLD WAY」です。
イントロ&歌い出しの「甘い日々だったようだった〜〜」の一節がカッコいいので好きです。
終始勢いがあって約4分があっという間に過ぎます。
勢いの中にもなんというか、抜け感みたいなものも感じられます。
9位は「ダンデライオン」です。
ラストアルバムは初期の頃の曲とは対照的に優しい雰囲気の歌が多いんですが、
その中でも特に優しい雰囲気で王道?ラブソングな感じの曲です。
ブランネルサンズの意味を分からずずっと聴いてましたが、イギリスの町の名前みたいですね。
普段あんまり歌詞を気にして曲を聴くことがないんですが、この曲の歌詞はすぐに覚えられました。
それくらい歌詞が良い曲なんでしょうね。
8位は「センチメントがお好き?」です。
デル・シャノンの悲しき街角オマージュな間奏がメチャカッコいいです。
7位は「「ジャーニー」です。
「Keep on 不安定 さらば安定」って歌詞がマリーズらしくていいですよね。
6位は「ラプソディ・イン・ザ・ムード」です。
これは優しいというか、少ししんみりしたムードの曲ですね。
昭和歌謡を彷彿させるメロディと志磨さんの歌い方が相まって聴き心地がいいです。
ロックバンドの出すこういう感じのスローテンポなポジションの曲って名曲多い印象です。
(毛色は違いますがBlack SabbathのChangesとかいいですよね)
バンドの幅というか、可能性を感じさせる1曲でアルバムを通しで聴いていると先の展開が
5位は「悪魔も憫む歌」です。
収録順だと最後の曲でかなり落ち着いた曲で、志磨さんの優しい歌い方が好きです。
元ネタはストーンズの「Sympathy For The Devil(タイトルのみオマージュ)」。
ちなみにSympathy For The Devil収録アルバムのべガーズ・バンケットも好きです。
志磨さん曰く「物憂げ系」ラブソングとのことですが、まさにピッタリなキャッチフレーズです。
浅川マキさんの訃報をうけて作成された曲らしいので、なるほどなと感じられますね。
東京をテーマにしたアルバムなのでどことなくハイカラな雰囲気も漂ってるところもオシャレで良いです。
3位は「ジ・エンド」です。
ラストアルバムの最後の曲なのでまさにマリーズの集大成的位置付けの曲だと思ってます。
ゆっくりした出だしから、一転してロックな感じに切り替わる瞬間がメチャ痺れます。
歌詞もまさにジ・エンドって感じで、解散前最後の曲にふさわしいと思います。
初期の頃の荒々しさはなく、綺麗にまとまった1曲だと思います。
2位は「上海姑娘」です。
大人しい曲が多いラストアルバムの中で異彩を放つ騒がしい曲です。
何が良いか、というと何となくイメージで持ってる「中国っぽい感じ」を
しっかり音に落とし込んで曲として成立させているところが単純に凄いな、と思いました。
ただただ中国っぽい感じな曲なだけではなくて、普通にカッコいい1曲なんですよ。
ラストアルバムのしんみりムードもこの曲のおかげで暗くなり過ぎずに済んでると思います。
そういった意味でもかなり貴重な1曲。
1位は「BABYDOLL」です。
4枚目のアルバムであり、メジャーデビューアルバムから1曲です。
この曲は不動の一位ですね。
全体通して凄いキラキラしていて、凄い元気がもらえるので好きです。
以上、ベスト10でした。
10曲に絞るのかなり大変でした。
これで興味を持ったり、思い出したりで聴いていただけると嬉しいです。
アップフロントチャンネルにアップされている、今年のハロプロのコンサート「Hello! project 2020 The Ballad」を映像を見ずに聴いたら
新しい発見があった。
私は多分ライトなファンで(モーニングが一番好き)、一回だけライブに(くどぅーの卒コン@武道館)行って、一回だけ20周年記念アルバムリリースに後楽園に立ち寄った程度の人。
あとは無料で見られるYouTubeの各種コンテンツを見て、時々インスタやブログを見て心の中で応援している。
とはいえ、ハロプロのメンバーは多分、読みだけならフルネームで全部言えるし、研修生もだいたいわかる気もする。
(正しい漢字の変換が大変なときはひらがなで書くのはご容赦を。)
(初めに書いておくが、みんな大好きなので批判する意図はないです。みんな成長して元気に頑張ってほしいと思っているファンの1人です。)
・まーちゃんの声と橋迫りんちゃんの声質が似ている。声のコントロールが甘めのまーちゃんって感じた。セーラ服と機関銃はナイス選曲。
・アイドルらしい声だなと思ったのが、ゆはねちゃん。よくも悪くもザ・アイドル。
・甘い声3は岡村ほまれちゃん、西田しおりちゃん、岡村美波ちゃん。岡村美波ちゃんって声を作ってるのかな。彼女ならもっとパンチを効かせたり大人っぽく歌えるポテンシャルがあると思うのだが。。。
・うたのちゃんは決してうまくはないのに聞いていたいと思えるふしぎな歌声だ。何でだろう。
・工藤ゆめちゃんの手紙が自分の声と音響のバランス悪いのか転調しまくってた。ちょっとかわいそうで聞いてられなかった。ジュースの新メンバー2人は当然うまいと思ってたので、ちょっと残念だけどこれからに期待。
・まりあやかなともは一瞬聞いてすぐ誰かわかるな。。まーちゃん、たけちゃん、うえむーあたりも。かみこも。かりんちゃんも。ふくちゃんも。段原ちゃんも。
・ももひめ、きしもんあたりは好みの声ではないが、流石の歌唱力。細かく歌おうとしているている感じがする。ももひめ元気になるといいな。
・りあいちゃんはいつでも余裕な歌声だな。もっと本気が見てみたいけど。
・選曲もあるだろうけど、島倉りかちゃんのスローモーションは最高。まちぶせも。昭和歌謡に限らず、りか様のバラードはめっちゃ良い。もっと知れ渡って欲しい。総合力ナンバーワン級なのでは。
・かみこの声は発声に無理もないし、才能だな。。。癖がないので、ファンでない人から見ても嫌味がない。
・他に聴いて誰かわからなかった人:ももな、一岡ちゃん、江口さやちゃん
・前ここの低音一瞬平井ちゃんかと思った。低音出る子いいよね。平井ちゃんは声質もいいし表現がうまい。飽きない声。
・さゆき&おださくは期待値が高いだけあって驚きは少ないかも。おださくはやっぱアニメの歌手が合う気がする。。
・つばきは、もっとうまくなかったっけ?と思ってしまった。きしもん、おのみずは結構よかったけど。ビヨーンズは平均点高いな。。。
・かえでぃーの月光
はゾッとするくらいよかった。特にあかねちんはバラードがこんなに良いとは思わなかった。声質も相まって切なくてよかった。(この曲、他に2人が歌っているのを聞いて、意外と難しい曲だと思ったのでなおさら)ふなっきの月光より好きだったほど。かえでぃー上手くなったなぁ。
・逆にチェルはリズム感の強いモーニングの曲のほうがいいんだなと。
・りおちゃんはただただ器用に細かく歌っていてさすが。あまり個性のある声という感じではないかも(ブラインドで聞いてわからなかった)。良い先生に習ってもっと化けて欲しい。
・めいちゃんはハロプロ楽曲に比べるとあまりハマってはないけど、選曲によってはとてもハマるなと思った。想い出がいっぱいはよかった。手紙はあまり。
・ほまれちゃんの声は個性的なのでバラードは合わないかなと思ったけど、聞いてみると切なさ満点でとても良かった。どう変わっていくか楽しみ。
・えりぽんとか横やんとかは良い発声のプロがついてくれると良いのにと思ってしまう。
・まーちゃんってすごいな。。。どんだけ曲について考えて歌ってるのだろう。
※私はみんな好きですがあえて言えばチェルを推してます。一番外見が好きなのが、えりぽん。(素材が好き、薄いメイクのえりぽん好き)
なので贔屓目はあまりないはず。
もちろん正確には人間だったんだけど、なにせガタイがよく、振る舞いもゴリラのようだったので、生徒たちには「北ゴリ」と呼ばれて親しまれていた。
北ゴリは草履を履いて生活し、機嫌がいいといつのものか分からない昭和歌謡を歌い、毎日マウンテンバイクで隣県の家から学校に訪れては、日が暮れるまで体当たりで子どもの相手をした。すべてが風変わりなゴリラだった。
北ゴリの授業は自由だった。彼はゴリラらしく、われわれ小ザルにもわかる作法で勉強を教えてくれた。
算数で体積を習った日の宿題は、いっぱいに張った風呂に頭まで浸かって、減った湯の深さから自分の体積を計算するというものだった。
比率の授業には、醤油と酢と油を持ってきて、一番おいしいドレッシングの比率を計らされた。
円周率を初めて知る日には、コンパスで引いた円に沿って糸をなるべく正確に張りつける遊びをして、その糸の長さがほとんど円周の計算通りだったことにびっくりした。
音の伝わる速さをはかる実験をやったこともある。その時は学校を出て近くのでっかい原っぱに行って、各班が豆粒に見えるぐらい離れてから、端っこの班が大声を出し、それが聞こえたタイミングでそれぞれの班が手にした箒を振り上げる、という遊びをした。端の班から少しずつタイミングがズレて箒が上がっていくのが不思議で面白かった。
雪が降るのが珍しい地域だったので、大雪の日には授業がなくなってぜんぶ雪合戦になった。
朝刊で「近くの原っぱで珍しいフンコロガシが見つかった」と報道された日も、やっぱり授業がなくなって、みんなでフンコロガシ探しの旅に出た。(誰もフンコロガシを見つけることはできなかったが、変な動物の骨は見つかった)
あとは、「もしも日記」っていう遊びもあった。一度「何でもいいから”もしも”で始まる日記を書いてみろ」と言われて、その日はみんな自由にケーキ屋さんになったり魔法使いになったりした日記を書いたが、そのあと社会の授業で「もしもこの時代に生きていたら、で日記を書いてみろ」と言われた時にはずいぶん頭を悩ませた。その時代に生きていた人や暮らしを知らなければ書きようのないものなので、がんばって想像したり調べたりしないといけなかった。
北ゴリが突飛な授業を始めた時、小ザルだった私は得てしてやれやれ顔でそれに付き合った。でも、今にして思えば結構わくわくしていた向きもあったのかもしれない。20年近く経った今も、こうして授業の内容を詳細に覚えていることがその証拠だ。
北ゴリの授業は学力に直結するものじゃなかったかもしれないが、学ぶことの根源が好奇心にあることを教えてくれた。そのおかげで、大学を出て社会人として生きる今も、面倒なインプットの前にはまず好奇心をくすぐろうとする習慣がついている。
今の時代は、北ゴリのような教師には少し生きづらいものになっているかもしれない。北ゴリのような授業を今やれば方々から懸念の声が来るだろうし、なんなら当時ですらゴリラは度々怒られていた。それでも、この愛すべきゴリラ教師が、ゴリラの志が、絶滅せずにどこかで生き延びていることを願わずにはいられない。
もとよりアイネクライネをはじめとしてLOSER、ピースサインなど若者を中心に認知はされていたけれども、Lemonがこんなにも幅広い年代に聴かれる曲になるとは思っていなかった。音楽といえば昭和歌謡で止まっている私の母でさえもCDで何度も聴きライブDVDを繰り返し観た。その母よりもさらに流行りに疎い父でも、とりあえずは「米津玄師」の名を知っているというほど、Lemonは彼の存在を世に知らしめた。
そして8月5日、米津玄師の3年ぶりとなるアルバム『Stray Sheep』がリリースされた。Lemon、flamingo、馬と鹿など数多の人気曲を引っさげた「最高傑作」と評価されたアルバムだ。
当然私も買った。そして全曲聴き終わった後、脱力してしまった。「みんなのものになってしまった」と、ほんの少しの絶望と寂しさを感じたのだ。
私は彼の大古参ファンという訳ではないが、それでもハチ時代の曲はそれなりに聴いてきたし、米津玄師の名でメジャーデビューしてからはずっと彼を追いかけていた。ボカロPとしては伝説級の人物で、ボカロ全盛期と言われたあの時代を生きた人間にしかこの感覚は分からないと思う。多分この感情を持っている時点で、これからの米津玄師についていける人間のふるい落としにかけられていた。
「ハチ(ボカロ)の曲をバカにしていた友人が米津玄師の曲を褒めているのを見るとムカつく」というのはLemon以前、もっと言えば一回目の転機になったであろうアイネクライネ以前から応援しているファンの中でのテンプレ感情である。「応援してたインディーズバンドがメジャーデビューしてちょっと寂しい現象」と似たものなんだと思う。かくいう私もLemonが大ヒットを飛ばしている最中、自分の事のように誇らしい気持ちの裏にどこかそれと同じ感情を抱いていた。それを拗らせに拗らせた結果がこのブログだ。(そのようなテンプレ感情を患わせた古参米津オタクのみんなにはなるべく新規ファンに優しくしてくれることを祈る)
ただ、それはある種仕方の無いことだ。ハチから米津玄師初期、アルバムでいうとdioramaやYANKEEあたりの曲と、BOOTLEGやStray Sheepの曲の雰囲気はまったく異なるから。新海誠で例えると『秒速5センチメートル』と『君の名は。』くらい違う。
それでも私はあからさまに変わった彼の音楽に対して感じる寂しさを拭えきれなかった。
音楽の専門的なことはよく分からないので「この曲のこの音が〜」などと詳しい話はできないが、単純に昔の彼の音楽が大好きだった。好みの別れそうなおどろおどろしいサウンドや、少し毒々しい歌詞、名前も付けられないような感情を代弁してくれたような優しい歌詞も。米津玄師は私にとって、教室の片隅にちょこんといる人間を、誰も知らないアミューズメントパークにこっそりと連れ出してくれる魔法使いみたいな存在だった。そこで集まったみんなは似たもの同士だった。一種の選民思想的なものさえ感じていた。
だけど今では「好きなアーティストは米津玄師です」と言うのがはばかられる程の人気者になった。好きであろうと嫌いであろうと、とにかく新曲の情報が入ってくる。そんなポップアーティストとなった。
「米津玄師」の名のついたものはなんでも売れる。それくらい、彼は彼自身のブランドを築き上げた。もう小学生が適当に作った曲でも、米津玄師が製作と銘を打てば売れるんじゃないかって、そんな意地悪なことも考えたりするほど。
そして彼を好きであることはアイデンティティでもなんでもなくなった。
みんなが彼の曲を聴くから。彼の音楽が大衆文化として消費されるようになったから。純粋に彼の心地よい魔法にかかっていたのが一変、彼の噂を聞きつけた野蛮な人間に土足で村を踏み入られたように感じられて、なんだか居心地が悪くなった。
米津玄師は度々インタビューで「普遍的なものを作りたかった」と語っていた。そしてそれがLemonであった、と。
その言葉を聞いたときに、「みんなの歌」じゃなくて「私たちの歌」を作ってよ、と叫びたくなった。しかしそれと同時に勘違いしていたことに気づいた。私は勝手に自分のエゴを押し付けていたのだ。彼を自分の代弁者だ、「こっち側」だ、と祭り上げていた。彼が見ている世界は、そんな小さなものではなかったのに。だけど、どうしてもそれが、置いていかれたみたいで嫌だった。
よくよく落ち着いてみると、こうして純粋に彼の曲を楽しめなくなってしまったのは、私が本当に好きだったのが「あの頃の米津玄師」ではなく「あの頃の米津玄師を好きな私」だったからかもしれない。それはそれでかまわない。
どれだけ私が寂しがったところで、彼はこれからも素敵な曲を書きもっともっと愛されるアーティストになっていくだろう。コンサートで「誰一人この船から落としたくない」と語ったように、これからも米津玄師という船は正しく真っ直ぐ平等に、より多くの人を救うような、より多くの人が楽しめる方へと舵を切っていくのだ。
彼の素晴らしい旅路に祝福を。無惨にもその船から零れ落ちて溺れ死んだ人間から、ささやかな反逆心を持って言葉を送らせてもらう。
(4)
転叫院さんの批判に対する宇野さんのレスポンスはなされませんでした。この時、宇野さんは何をしていたか?
406 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2006/09/10(日) 00:11:01 ID:1CS5n8Ba
本業が多少忙しいんだろ
(コーナーの量からしてとてもそんな忙しそうには思えないが)
ライター業の仕事が増え始めて忙しかったみたいです。ウェブで読める「宇野常寛」の仕事はこんな感じ。
ところで転叫院さんがメンバーを抜けてこんな余波が。
429 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2006/09/13(水) 22:09:03 ID:knDGDuU2
あとがきのところで「新訂惑星開発大辞典」を作ることを言明してるな
立ち上げ当初から惑星開発大辞典を全面改稿すると宣言していたのですが、今もそれはなされていません。メンバーズリストによると転叫院さんが新訂大辞典を担当するとなっており、おそらくは転叫院さんの脱退によってお蔵入りになったのでしょう。
ライターとしての宇野さんの仕事が確認できるようになると、某掲示板のスレッドではこんなことが書かれます。
82 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :2006/11/26(日) 20:55:33 ID:o7u55b6O
つまらないんだよな。
サイゾーの大月Pへのインタビューも、惑星では作品を(エヴァで
なくてナデシコだが)腐したくせに当たり障りの無い阿るような内
容だったな。
まあ、現実社会では無力な宇野が惑星開発委員会のノリで行こうと
思ったら、とたんに干されてしまうだけだろうけど、大月Pのような
95 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :2006/11/28(火) 10:35:42 ID:xVa/bnZz
「昭和歌謡の復権をもくろむ22歳!イケメン俳優・半田健人の素顔」
「「宇宙的に正しい」世界のためにSUGIZOが届ける愛のメッセージ!」
それに対する某掲示板の反応。
170 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :2006/12/20(水) 03:36:22 ID:KuoUp39d
171 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :2006/12/20(水) 12:19:09 ID:MWlXtQcI
172 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :2006/12/21(木) 04:56:38 ID:TCkkxLa4
ライターって大変なんだなあ
年を開けてから2006年を総括した惑星開発大賞を発表しますが、更新も減りこんな風に書かれます。
45 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2007/03/21(水) 19:04:07 ID:pBOezhAt
昨年からの惑星開発委員会の失速は、客が望んでいない木更津キャッツアイ
3月の更新は「大学生よ、サークル貴族を目指せ!」のみ。サークルクラッシュ人間学なる文章も載せていきますが更新が縮小した感は否めず……。「プライベートが忙しい」とは何なのか? それが明かされるのが2007年5月になります。
「PLANETS」第三号の告知し、そしてついに5月25日発売のSFマガジンで連載「ゼロ年代の想像力」が始まります。この連載によって初めて商業誌での「宇野常寛」の文章に「善良な市民」の名前で展開していたオタク煽り、現状批判などの主張が盛り込まれていきます。この連載は初回から東浩紀批判が繰り広げられており、さっそく東浩紀さんも自身のブログで反応しています。
宇野さんはこの原稿のなかで「東浩紀の劣化コピー」という言葉を使っているのですが、最近の僕はまさに、彼がそう呼んでいるであろうひとたちの言動にウンザリして、批評家としてのエネルギーを失いつつありました。宇野さんの原稿は、そんな僕に久しぶりにやる気を与えてくれました。こういうエントリを書くと、また変な業界読みをするひとがいるかもしれませんが、もはやそんなのもどうでもいい。単純に嬉しいので、ここに記しておきます。
あとは連載を楽しみにしています。
私は学生時代の頃から自分自身が『オタク』または『ヲタク』と呼ばれる存在であることを自負していた。
アニメはリアタイ視聴が当たり前、その翌日にはオタク仲間と共に語り合ったりSNSで感想を述べたりするからだ。
PC美少女ゲームは秋葉原のソフマップから、今は亡き紙風船に買い物に行って、神ゲーからクソゲーまで一通り触ってきた。
一時期は本気でシナリオライターとして食っていけるのではないかと夢見る時もあったが、今ではなぜか普通の社会人になってしまった。
学生を卒業して早七年……あの頃、本気でヲタクをやっていた自分がいなくなっている気がした。
翌朝六時から出勤しなければならない事が多かった日々、私が心の支えにしていたのはアニメだった。
その当時、何を見ていたのかはハッキリと思い出せないが、とにかく忙しい日々には通勤途中で見られるVODが超優秀で、スマホから月額400円相当で過去作も含めたアニメが見放題だった。
仕事に忙殺されていたせいか、SNSも頻繁に見ることもなくなった。そのために何人かネット上の友人を失ったが、なぜか全く後悔していない。
その程度の関わりだったと、どこか気持ちが切り替えられていたせいなのだろう。
当然ながら、リアタイ視聴にこだわっていた自分は、気付けばどこかに消え去ってしまっていたのだ。
などと、好きなブランドや絵師の名前は一通りチェックして回る日々も忽然と姿を消してしまった。
新作の量はソフマップが圧倒的だが、旧作だが超名作がぞろりと揃っている『紙風船』が閉店していることを知ったのは今年に入ってしばらくしてからだった。
流石に閉店を知った時にはショックだったが、何よりも驚いたことが『その情報を察知していない自分』だったのだ。
正直に言えば過去の名作をプレイしておらず、自室の押入れに何本か積んでいる時点で、新作を買う気力があまりないのだ。
早く消化したいと思う気持ちと、一週間に一日しか無い休みに美少女ゲームを立ち上げようものなら、何もかもを放り出して没頭する自信がある。
それよりも翌日にまで支障が出てしまう可能性もゼロでは無いのだ。
そう思ってから未だに一本も消化できていない時点で、自分は本当にヲタクだと呼べるのか、という自信が薄れつつあった。
職場の人に「休みの日は何してるの?」「趣味ってなんかやってる?」と聞かれる事が増えてきた。
「いやぁ、趣味という趣味は無いんですが、読書とカラオケぐらいですかね〜」
私はへらへらと愛想笑いを浮かべながら答える事が多くなった。
当然カラオケが趣味と言っても『ヒトカラ』が当たり前である私だが、社会人ともなると「友達と行くの?」と勝手に都合の良い質問をしてくれるので、肯定するだけで「社交的な自分」を伝える事が出来る。
まぁ、学生時代の友達と一緒にカラオケに行けばアニソン縛りが当たり前、ヒトカラでは上司にもウケるように昭和歌謡曲などもフォローしている。
誰かと歌う事が当たり前だから、一人でもカラオケに行って練習するという習慣が、学生の頃と比較すれば異常なまでに人との関わりを意識してしまっていることに気付かされる。
学生の頃は誰かと歌うのが面倒だから、自分一人で自由気ままに振る舞えるヒトカラが良かったのに、今では予行演習じみたカラオケになっていた。
読書だって、ラノベしか読まない私からすると『ビジネス書』『一般文芸』など読むはずが無いジャンルも、上司や取引先との会話の中で趣味の話題になった際「この作品って知ってる?」というフリに対し「芥川賞を受賞された作品ですよね。私も読んでますよ」という返しが出来ればポイントが稼げるのだ。
仕事で後輩が出来た際にも、ビジネス書の受け売りを酒の席でわざとらしく言ってドヤ顔もしちゃったりできるのだ。しまいには「もっとアンテナを広げた方が良いよ」なんて言っちゃったりするのだ。
でも、意識高い系の後輩が出来た際にはバッチリ効果が出てしまって、ちょっとだけ成績が伸びてしまったもんだから読書も幅広く読むようになってしまった。
私が学生時代の時は『アニメはリアタイ』『ゲームは好きなジャンルから総なめ』『SNSで情報共有』が当たり前だった、陰キャ街道まっしぐらだった人間。
性格などに関しては変わることは無いのだが、友人を見ると『好きなジャンルを深掘りしているタイプ』であるのに対し、私は非常に浅い。
その代わり、あまりにもニッチな話題でなければ、ある程度の話題に関してはコメントで打ち返せるほどのボキャブラリーは充実している。
アニメをたまにしか、好きなジャンルしか見ない人間もヲタクと呼べるのか。
ゲームも今は一切しないが、昔やってた経歴からヲタクを自称できるのか。
予め言っておくと、オタクを自称したいとか、オタクのプライド云々が言いたい訳では無い。
そんなもの、そこらの犬にでも喰わせてしまえば良いと思っているくらいだ。
私が言いたいことは自分でも名乗れないほどに『ヲタク』というアイデンティティが失われてしまうことで、自分は一体何者なのだろうか、という疑問が残されてしまう。
別にオタクであろうとなかろうとどうでも良い。ただ、友人たちの目からは『ヲタクである自分』というフィルター越しに私が見られている気がしてならない。
もうとっくにそんな姿は存在しないと言ったとしても、私はいつまでも『ヲタクである自分』で物事が進んでしまうのだ。
仮に『ヲタクである自分』が手放せたとしても、今度は『ヲタクではない自分』がどんな存在なのか、皆目見当もつかないのも空恐ろしい。
結局、私がヲタクであることを証明できるように、自らの手でヲタクという生き方を捨てきれないだけなのだと思った。
本当にヲタクであることを辞めてしまったら、どうしようもなく薄っぺらい、何も無い人間になってしまうような気がして怖いだけなのだと思う。
息子が3歳になった時、勢いとノリだけで通いだしたヤマハ音楽教室
幼児科だけは何がなんでも卒業(その先はその時考えればいいや)を目標に
私は楽しく全力でお歌を歌うストレス発散と
子育て力向上を目指して通ってる。
元々斜に構えて世の中をみる、捻くれ者の性格なので
ヤマハはやたらに入会金・教材費・授業料やら高い。お教室ママカーストありそう。
無駄に教材買わせて最終的に高価な楽器までセールスしてくる怖い場所。位な考え。
しかし、いまでは全力でヤマハ信者。小さな子を持つお母さんに「ぜったい入ったほうがいいっ!」と
ごり押しするくらいの信者になった。まさかここまで自分がどっぷりはまってしまうとは想像していなかった。
子供に任せきりにしない。親も責任を持ってとりくむ教室である所。
例えば、教室でのお歌。親が全力で楽しんで歌わないと子供も楽しんでくれない。
親の熱量がそのまま子供に伝わる。今日は疲れてしんどいから適当に手を抜いて
レッスン行こう。なんて思うとそれがそのまま子供に伝わる。そして
どうやって声をかければ子供のやる気を失わさせず
楽しいレッスンにしていくか。瞬時に判断しなければいけない対応力。
仕事と同じ様な感じ。クライアントにプレゼンや打ち合わせをする時も
思ってもらう様努力する。ような。
そして、宿題があるところも良い。
家庭内での反復練習を自然に(そして強制的に)習慣づけてくれる。
教えてくれるのでヤマハメソッドに素直に従えばあとは本当に親次第。
親が今までのぐうたらな生活習慣を見直して血がにじむ様な努力をする。
子供は親の態度を素直に吸収する。
あたり前な事を当たり前に地道にこなしていくことがいちばん大切。
それをヤマハに通って改めて学んだ事だった。
果てはエレクトーンの使い方講習会まで開いてくれるヤマハ音楽教室。
もう素晴らしすぎて感動。
子供の成長=親の成長
子供がどう成長していくのか。はもちろん大切だけれどそれだけではなく
自分自身が親としてどう成長していくか。
(窓口の対応はもう少しどうにかならないのか…と思う事は多々ありますが)
しかし、宗教みたいだけど宗教にハマる感覚ってこういうのかな。。。
。
。
。
追記
あとは達成感の喜び。スランプに陥ってもへこたれない粘り強さ。
あぁ、これは はてな読み過ぎの私の偏った妄想かもしれません。
レッスン代は施設費という謎の項目があり
月3回/50分で6500円
…プライスレス …習い事ってそんなもんなんですね(´・_・`)
今ヤマハ音楽教室は
(何度もチクチク言うけど)受付窓口の対応は
見たことある人は知っての通り大半は1960~70年代の、下手をすればそれ以前の昭和歌謡大全集みたいなものだったりする。
本音を言えば、当時の流行を知って、世代である職場の上司や父と話を合わせるのにはいい。
いいが、それ以上に価値を見いだせない番組だとしか思っていない。正直当時のセンスは自分の好みではない。
ハッキリ言えばダサい。うすら寒い。カッコよくない。←ここ重要
世代間での感性の格差、あくまで一個人の感想なので目くじら立てないで欲しい。
父は御多分にもれず昭和歌謡の全盛期を経験した世代で、当時の特集が組まれると録画をするくらい好きだ。
録画された番組を見ては家族に当時の思い出話や歌手の素晴らしさを説いている。
その姿は実に楽しそうだが、時折無言になっては番組をジッと見ている時間が必ずある。
その背中を眺めると、懐かしさにとらわれているのかもしれない背中だと思う。下手をすれば哀愁すら漂ってくる背中だと思う。
その背中を見て、ふと気付いた。
新しい時代だと、素晴らしい音楽だと信じた過去に寄り添うばかりの、懐かしさに依存するだけの残骸なのだと。
面白いものは面白いと言いつつも、結局自分の経験した青春を引きずるだけの残滓なんだと。
そう思うと背筋が寒くなってきた。