2021-09-18

恋人が「恋の奴隷」なら、家族は「愛情奴隷である

私は他人と、主人―奴隷関係にはなりたくないと思っている。

これは現代人権意識に照らし合わせても、妥当なことだと思う。

そうなると、私は家族も作りたくない、つまり結婚したくないのである

それは、家族というものタイトルに示した通り「愛情奴隷」そのものからだ。

家族を作ると、配偶者子供と呼ばれる人々に、やりたくもない様々な行為をさせることになる。しか無償で。

適切な金銭保証もなく、配偶者には家事や果てには夜の営みまでを強いて、子供には学業や果てには社会歯車となることまで強いる。

これらを「奴隷」と呼ばず、何をそう呼ぶのだろう。特に子供は出生しなければ、そんな苦労をしなくて済んだのだ。

そして、そんな行為強制という理不尽さは「愛情」という一言で片付けられる。まさに「愛情奴隷」とでも呼ぶのがふさわしい。

しかし、私はそれらの行為希望しないし、それらの配偶者子供となる人々をかわいそうだと思う。

から、そのような過程を望まない。それだけなのである。未婚率の増加も、ひとつにはそういうことだと思う。

まり他人奴隷化することを快く思わないから、結婚を望まないのだ。

  • こんなこと言ってる奴に限って労働の奴隷だったりする

  • 「恋の奴隷」って 凄いな―昭和歌謡

  • 「無償の奉仕」 と 「永遠に求められないことへの苦痛」 どっちがいい? もしくはどっちがまし?

    • どちらも自分には縁のないもの。 奉仕は無償有償を問わずする必要ないし、永遠に求められないことは誰にも束縛されず自由を望む私にとっては快楽である。

      • MGTOW「ミグタウ」とリベラルに極振りしてる感じか。 まぁ楽しいよね。

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