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はてなキーワード: 小学四年生とは

2018-12-13

愛情愛着境界線がわからない

恋人は今までに二人できた。

そのうち一人とはまだ続いていて、来年2月で4年記念日を迎える。

彼のことはとても好きだ。デートもするし、セックスもする。結婚出産も、可能性はあるなぁと思っている。

どきどきはあまりしない。付き合って長いから、ではなく、はじめの頃からそうだった。むしろ、今のほうがときめきのような感情はこみ上げることがある。

から、私のこの気持ちは、恋愛感情とか愛情ではなく、愛着なのでは?と思ってしまう。

初恋女の子だった。小学四年生とき、その子彼氏ができた。あまりしかった覚えはないが、彼女を取られたようで嫌だったし、彼女と付き合った男の子は、私が少なから好意的に見ていた人だったので(ここからもう矛盾してるけど)結構気持ちがぐちゃぐちゃになった。 まぁ、6年後、その人が私のはじめての彼氏になるんですけども。 

人のことを並列に好きになってしまうのって乙女ゲーの中だけだと思って今まで生きてきたけど、意外とありきたりな話だったりするんですかね?

しかも男女。

自分性的なこともよくわからないままここまで来てしまったので、来年社会人になったらレズ風俗に行こうかと思ってるんですが、これって浮気になるんですかね?

2018-09-08

anond:20180827065533

お母さんのおっぱいではなく,おねえさんのおっぱいが気になるという小学四年生のアオヤ少年の語りは,それが将来的に性欲に繋がるとしても少なくとも作中では単なる知的好奇心として描かれているものであり,それを性的消費と呼ぶにはあまりにも不自然であるというか読解力足りないのではないかと思います

2018-02-04

時々ネット懐古の旅に出たくなる

ネットには小学校低学年の頃から触れてきた20代の女だ。

時々、何の拍子にかわからないがふと昔ネットで良く見てたサイトを思い出して「今あのサイトどうなってるんだろう…」と思う事がある。

記憶はあってもサイト名を覚えていなかったり、サイト自身が消えてしまっているのもあるが、未だに残っていたりするサイトがあったり、当時の画像や記録が残っていたりして今になって見ると中々懐かしくて面白い

こういった事を年に1,2回ほどしたくなる。それを私は「ネット懐古の旅」と呼んでいる。懐古と言ってもたかだか10年ほど前の事だが。

その思い出話をなんとなく残しておきたくなったので残しておこうと思う。

リヴリーアイランド

まずこういったバーチャルサイト自体が好きで大量に遊んでいたのだが、その中でも一番ド嵌りしていたのがこれだ。

2003年から3,4年はガッツリ嵌っていて、学校から帰っては遊んでいた。なんなら親に頼み込んで「G.L.L」という有料会員にも登録させてもらっていた。

リヴリーキャラクターも勿論だが、島やら家具やらのデザインが可愛らしくてその雰囲気がとても好きだった。リアル友達にこれやってみない?と誘った最初最後オンラインゲームだった。発売していた攻略本シール帳なども購入していたし本当にとても好きだった。

その後も時折やっては居たものの、いつからか餌をやりトイレをさせ金を回収するだけという日々が続き(これリヴリーやってない人から見たら意味不明なのではないだろうか)、そのまま有料会員も退会しログインしなくなっていった。

今調べてみると名前が多少変わり、未だに運営は続いているようだった。なんかLINEスタンプ出てたから懐かしさに負けて購入した。

しかし辞めてはしまったけどやっぱりリヴリー可愛い…可愛くない?私はクンパとケマリとオオツノワタケが好きだったんだよ…ラヴォクスも好きだったけどなんかアレはふわふわ女子しか飼ってはいけないのではみたいな謎のプレッシャーに負けて飼えなかった。限定種も未だに増えてるんだな~~~ラビネってやつ可愛くて好きだ。

プラスリンネオベルミンとかあったな~~~。オオゼキタクの恋オーラは私が初めて購入したシングルCDだった。淡いすごい淡いすれ違いのその後に~~残り香で気づくような~~~♪これ通じる人いる…?

滅茶苦茶覚えてるのがアナグラ亭事件。あれはね~~~本当に重かったよね~~~~。凄かった本当に。あまりに動かなくて私が何か悪いことしてしまったのかと勘違いして「お父さんごめんなさいパソコン壊しちゃった;;」って謝った記憶がある。

それと先程言った友達がdoodooくじで1等当ててモチダルマ持ってたのが滅茶苦茶羨ましかった。コンプ癖あるからこういうアイテムコンプリートが段々難しくなっていったのが離れた理由の一因だった気がする。今なら多少はそういう要素あっても仕方ないよねって思えるんだけどね。

ところで検索したら小学生だった当時の自分がやっていたリヴリーに関するブログが未だに残っていて読み返したら頭が痛くなってきた。しかパスワードを覚えていないので消せない。生き地獄!!!!!!

ピタコムやらその辺

なんか他にも似たようなサイトをいくつか登録していた。何だっけ…ミルキーコムみたいな名前のやつとサイバーコムみたいな名前のやつと後なんか青くて海か何かをテーマにしてたやつ…(情報が無さすぎる)

確か全部同じ会社だった気がするし全部やってた。一番嵌ってたのがハピタコムだったのでそれしか名前をはっきりと覚えていない。

この世界で使える通貨ログインすると貰える仕様だったため、私はログインしてはログアウトしを繰り返し通貨を貯めていた。(もちろん短時間に繰り返すと貰える額は減るのだが、0近くになるまでは繰り返していた)

つの間にか飽きていつの間にかログインしなくなったがいつの間にかサービス終了していた。ネットで調べてもあまり情報が出てこなくて寂しい。が、ミルキーコムじゃなくてミルタンコムだったことはわかった。ミルタンな!!よっしゃ覚えた覚えた!!!

ぱどタウン

上記のハピタコムと似たようなサイトだった記憶があるのだが確かこれは運営会社が違った気がする。私は泉州ぱくぱくタウンに住んでいた。

正直そこまで熱心にやっていたわけではないのだが今調べたら半年ほど前にサービス終了していて今とても悲しみに暮れている。嘘だろお前…一年前に懐古の旅に出た時はまだ生きてたじゃないかログイン人数0人だったけど…

ところでこういうバーチャルタウンって今だとAmebaピグとかニコっとタウン辺りが人気なんだろうか。いやその話はちょっと逸れるからいいや。

ふみコミュ

2005年前後小学校高学年~中学生辺りだったネットを楽しんでいた女性は一度は聞いたことのあるサイトなのではないだろうか。

無論私もその一人だった。私がガッツリふみコミュに入り浸っていたのは中学一年生の時の一年間で、大体「雑談ロビー」という他の掲示板とはちょっと雰囲気の違う掲示板毎日のように遊んでいた。後素朴な疑問板。

なぜかこのサイト使用していたHNをしっかりと覚えていて検索したら一部の書き込みログやら愛画()やらが出てきた。クソ懐かしいな愛画。他にもあるぞ、ちめこんやら裏雑やら雑ロリボンやら色々あっただろほれほ~れ。

個人的に滅茶苦茶記憶に残っているのが醤油一気飲み事件と巨大ウサギアイコン事件かな。分かる貴方は私と雑ロで会話したことがあるかもしれない。

ちなみにふみコミュはそこから数年経ってリニューアルし、雑談ロビーリニューアルされ、これを期に今まで雑談ロビーにいなかったタイプの方々が掲示板投稿するようになって段々アクセスしなくなっていった。

これがきっかけで「雑ロはこんなんじゃなかったのに;;わたしたちの旧雑ロを返してよ><ふええ」と抗議した旧雑ロユーザーが大量に発生したとかしないとか。(私はその内の一人でした)

そんなこんなでアクセスすることは無くなったが未だにふみコミュは続いているらしい。もう大分変わって何がどうなってんのか全くわからないが。

突然思い出したが素朴な疑問板で唯一覚えてるのが「嵐の『全身全霊なんとかヴェー 自分なんたらかんたらヴェー』って曲なんですか?」って質問だ。a Day in Our Lifeだよそれ!!!

夢小説

ウッ…頭が…っ!

2007~2009年辺りは私も例外漏れず見てましたハイ…。あのほら…何十個もあるランキングからパスワード集めたりとかさ…「入口はこちから→」の「こちら」をクリックしたりとかさ…なんか妙なトラップ仕込まれてるとこ多かったよね…。パスを教えたと見せかけた必読の下の方にスクロールしたら「本当のぱすは○○」みたいなの載ってたりとかもあったね…。

でも何から見始めたのか全然覚えてない。何がきっかけだったんだろうこれ。あとこれの影響で自分創作しない癖にお題サイトかめっちゃ見てた。

ハンゲーム

小学生の時よく遊んでた。当時母がパズル雑誌をよく買ってきてくれた影響でイラストロジックが好きだった。そして自分は年齢の割にはイラストロジックが得意なのではないかという謎の自信があった。

確か部屋の中には初心者ルーム上級者用ルームがあり、初心者ルームは対戦で勝っても負けてもその時やりとりしたゲーム通貨のような物は退室した時点でリセットされるのだが、謎の自信に満ち溢れていた私は小学四年生という年齢の分際でいきなり上級者用ルーム突撃した。即負けていくら通貨を失ってビビッて逃げた。上には上がいるものだと実感した時である

なぜか高校の時にはアパレルパレットというデザイン系のゲームに突然嵌り再び小学生の時のように毎日ログインしていた時があった。でもこのゲームもいつの間にかサービス終了していた。うそーん…

なんかアパレルパレットBGMが好きだった記憶があるのだけどサービス終了すると聴けなくなるのとても悲しいね…。




とりあえず今回ここまで懐古した。こういうのを探していると突然こんなのもあったな!って思い出す事もあるしその度に懐かしくなる。思い出補正だろうが、自分が一番ネットを楽しめていたのがこの時期だったのかもしれない。

2018-01-07

チョベリバとかの言葉って、当時本当に使われてたの?

ネットを見てたら「チョベリバ」の単語が目に入って、ふと思ったので。

96年くらいのコギャル文化で、チョベリバとかチョベリグ流行ったって認識だけども、当時の自分小学生だったから、テレビでこんな変な言葉流行ってますよーってのを聞いて、友人間ネタとして面白半分で使ってた記憶しかなくて、ガチな人がガチ意味で使ってるところを見たことは一度もなかった。

当時のこち亀ラッキーマンにもこの言葉は登場するけど、どちらかといえばネタ的な意味合いで使われてた感じ。

あと当時の『小学四年生』の雑誌に載ってた漫画で、とあるキャラチョベリバって言ったら、別のキャラが「そんな言葉キャバクラ通いのオッサンしか使ってないだろ……」って、突っ込んでたのが結構印象に残ってる。

実際のところ、当時の女子高生たちはネタ的な意味合いじゃなくて、本当に日常会話でナチュラルにこの単語が使われてたのか、今更ながらふと気になった。

最近だと「忖度」みたいにテレビ発の言葉は、日常的にはネタ的に使われることが多いけど、「インスタ映え」みたいに自然発生した場合だと、割とナチュラルに使われてることが多いから、チョベリバとかは果たして後者の方なのかどうなのか。

2017-12-11

そもそも死にたいって人間はどうしたらいいのか。

思い出せるかぎり小学四年生の頃にはすでに遺書を書いていたし、それ以前からもやんわりと死にたかった。

十歳の時点で死にたいって、なんだか親に問題がありそうだけどでも多分そんなことはぜんぜんない。いい親だった。いい親だったからこそいまなんとか生きていけてるような気さえする。でも家からははやく出たくて、高校は寮付きのところに行ったから15歳から家を出る形になった。いまとなっては、とくに父親にたいして申し訳なく思っている。(もう少し娘が家にいたほうが嬉しかたかなって)

不思議なのは死にたいんだけど、死にたいはずなのに、自分自身にはぜんぜん不満がないってこと。性別も顔も声も生まれ立場学歴職場もいまのままでぜんぜんいい。友達については特に、この人たちと友達でいられてよかったと瞬時に思える人間が四人もいる。(いわゆる親友というかたちで名指ししても全く問題ない関係性のひとが四人)ほかにも、学校コミュニティとか会社の同期とか、仲良くしてくれる人たちもいて、飲み会とか好きじゃないかあんまり予定は作らないけど、それでも週に一度はだれかと遊びに行くし、恋人同棲もしている。なんの不満もない。趣味読書手芸ものつくるの楽しい。(さいきんはどっちも興味わかなくなっちゃったけど)

なんだかぬるま湯の低温の希死感というか、死んでもいいのになあ、みたいな気持ち。昔は慟哭的な死にたさを抱えていたころもあったけど、あの頃と比べるとほんとマシになった。今は和らいでるから分かるけど、あのころは本当に本気でいつ死んでもかまわないと思ってた。いつまでこんな悲しいことが続くんだろうって思いながら、そのときそのときで、友達とか恋人とか、周りにいる人のおかげでなんとかうまいことやってきた。でもぜんぜん「死にたい」は消えない。一瞬いなくなったように思っても、気付けば身近にいる。

最近失踪するといいのかもなあって思ってる。貯金500万あるから、それもって3年ぐらい失踪して、そんで困ったら死ぬのってどうかな。って自分相談したい。あしたから行きません、ってメールたらみんな困るかな。いや困るっていうか、心配してくれるだろうし親に連絡してくれるだろうし、同期もおおさわぎしてくれるだろうし友達なんてどれほど深刻に心配してくれるかわからない。家族ことみたいにあわてると思うし、ショックも与えちゃうと思う。弟が絶望するんじゃないかと思うとこわい。両親にはただただ申し訳なくて、なんの落ち度もないふたりがそんなひどく悲しい思いしなきゃいけない理由なんてないし、だからぜったい出来ないと思うけど、でもそういう選択肢を考えるだけで気持ちがほんの少し落ち着く。たとえば、四歳のころから一緒にいる犬のぬいぐるみはぜったいスーツケースの一番うえに詰めて持っていこう、とか、やるはずない悪戯計画だけ立ててたのしくなるような感じ。

じつはもうすぐ誕生日なんだけど、友達ものすごくがんばって準備してパーティーひらいてくれた。ケーキも作ってくれた。わたしの好みにあわせた雑貨のお店探してくれてここで1万円まで買い物していいぞって言ってくれた。クリスマスパーティーも毎年してるしプレゼントなにがいいか早く決めてねって言ってくれる。父親のことすごく好きで尊敬してる。会社ではさいきん、若いのに周りが後押ししてくれてリーダーにあがった。料理上手な恋人がいる。ツイッターでは趣味の合う人と手軽に知り合えて話せて楽しい。初めて出したオリジナル小説同人誌が(極小部数だけど)完売したときは嬉しかった。去年よりも成長した部分だってあると思う。自分人生で変えたいところなんてひとつもない。何歳の頃にも戻る必要はない。そして、こんなに書き連ねてみてもだめ。毎年なぜか誕生日前はとくに死にたい。なんでだろ。

ほんとうにつらつら書いちゃったけど、ひとつだけ人のためになることが言えるかもしれない。「子供死にたいって言われた」って、ママさんたちの育児相談所みたいなところにそんな書き込みがあって、子供死にたいって言うなんてほんとうじゃないって、親を信用していればそんなこと言い出すわけないって、回答つけてる人がいた。そこまで批判的じゃなくても、もう少し配慮がたりないんじゃないかとか、善意アドバイスをしている人もたくさんいた。みんないい人なんだと思う。死にたいって思ったこだってあるんだと思う。でも、わたしのような人間けがそういうお母さんに言えることがあるとするなら、もしかしたらその子わたしの同種で、あなたにはなんの落ち度もないのにどうしようもなく「死にたい」のかもしれません。だとしたらごめんなさい。わたしは両親が好きです。感謝しているし、すくなくとも今は外からみたらそれなりにちゃんとやっている人間に見えると思うし、そして二人にはなんの落ち度もなかったと思ってます。これだけはほんとうのことです。

その相談所を見ながら、そうか、子供が生まれちゃったら子供のためにぜったい死ねなくなるんだよなあ、って、ぬるい絶望の種がまた心臓に落ちてくの感じた。

これっていつかなんとかなるの? そもそも死にたい」と一緒に生まれてきちゃった人間はどうしたらいいんだろう。

2017-12-09

キャンディーよりも大切なもの

 あれは小学四年生のころだったか、近所にある小さな学習塾に通っていた。当時は開塾したばかりで、生徒の数が少なかったから、自分の学年の国語クラス個別指導だった。先生若い女性。狭い教室に机を二つ並べ、教師と生徒が向き合う形になり、テキスト問題を解いては解説してもらうという流れで授業は進む。黒板は使わない。授業の内容はほとんど忘れてしまったけれど、毎回、先生キャンディーをくれたことはよく覚えている。とても優しいお姉さんだった。

 実を言うと、あれから長い年月を経てもあざやかに残っているのは、キャンディー記憶だけではない。というか、正直キャンディーことなんか今となってはどうでもいい。私がその先生を思い出す時、必ず脳裏に蘇ってくる光景がある。それは胸の谷間である先生は、私に教えるときに限って(そうであったと信じる)やや胸元の開いた洋服を纏い、こちらの目をじっと見つめながら、少し屈むような姿勢をとって、大きさとしては中くらいの柔らかそうなもの小学四年生の私にアピールするのだ。国語どころではない。鮮烈な刺激だった。私が今、女性の胸の魅力にとりつかれて離れられない原因の一端は、この時の経験にあるのではないかと疑っているほどだ。

 あの時、先生はどうして十歳足らずの男の子胸の谷間を許したのであろうか。私にはそれが長年の疑問であった。そういう特殊な嗜好があったのか。いや違う。少なくとも私の目に映る先生常識人だった。或いは、自分の谷間が露わになっていることに気付いていなかったのか。それも違う。一度や二度ならともかく、毎度となれば自覚しないわけがないだろう。今になって思うに、恐らく先生は、勉強に興味が持てず上の空になりやすい私の性質を見て取り、キャンディーを与えたり、谷間を見せたりして、なんとか集中してもらおうと独自努力をなさったのではなかったか。できたばかりの塾に入ってくれた生徒の学力をどうにかして伸ばしたい。その一心が生んだ彼女なりの行動だったのではなかったか。そういう風に考えてみると、感謝をせずにはいられない。先生は体を張って私のために尽くしてくださったのである

 最後にお会いしたのはたしか中学生のころだったと思う。学校からの帰り道、たまたま通りかかった先生とばったり出くわした。「あっ」とお互いにびっくりして声を発する。先生お腹は大きくなっていた。今では立派な母になっているわけだ。先生との思い出は、この時を限りに途絶えている。恐らくもうお目にかかることはないだろう。しかし若き日の印象はいつになろうと色褪せぬ。昨日、ふと思い出して、晩のオカズにさせていただいた。私も大人になってしまった。

2017-10-04

どうして衆議院解散したの?

小学四年生です。どうして衆議院解散したの?

2017-09-18

私は吹奏楽部に入部希望なんて出してなかった

小学四年生の時の話である

必修であるクラブ活動に参加するにあたり、入部希望届を提出するようお達しがあった。

その用紙には、第三希望まで書くための欄が設けられていた。

私の第一希望バスケットボール部。第二、第三希望に何を書いたか覚えてはいないが、吹奏楽部ではなかったことは確かだ。

だが、私の参加する部活吹奏楽部に決まった。

バスケ部は入部希望者が多かったらしいと噂に聞いた。

他の吹奏楽部入部者である友人らに話を聞くと、第一希望バスケ部だったという。

第二、第三希望まで書かせておいて、それすら加味してくれず、興味もくそもない吹奏楽部に入れられたことが納得いかなかった。全くもって面白くなかった。

おかげで私は真面目に練習に取り組まず、譜面通りに演奏することができなかった。顧問特別赤線を入れ、簡易バージョンに直してくれた譜面をひとり、県大会で吹いた。

楽器マイナーだったのも面白くなかったんだよな。トランペット希望出したら、ユーフォニウムになったんだよ。吹奏楽に興味ない小学生ユーフォニウムしらんかったよ。チューバほど目立たず、トロンボーンほど華やかではなく、なんか地味。だから、十数年を経て響け!ユーフォニアムを見たときはすごくうれしくなったのを覚えている。ありがとう京アニ題名のない音楽会五嶋龍が、ユーフォニアムって楽器を今まで知らなかったみたいなことを言ったとき、くっそ!ほらな!って思ったさ。

さぼりはしないけれど練習に打ち込まない私の意識が変わったのは、東北大会に出場したのがきっかけだ。

大会で一番の成績を収め、隣県で行われる東北大会に泊まりがけで参加。

林間学校にも修学旅行に行ったこともない小学四年生には、年上のお兄さんお姉さん、同級生たちとの旅行はとてつもなく楽しかった。

そこからは、結果出してまた泊まりがけで大会に出たい!と練習に打ち込み始めた。譜面から赤線はなくなった。

五年生でも六年生になっても、東北大会に進んだ。

私が小学四年生だった年、新しく赴任してきた先生吹奏楽部顧問就任していた。

前の学校でも吹奏楽部指導していて、次に赴任した小学校でも吹奏楽部指導して、そして今でもどこかの小学校吹奏楽部顧問をしている。その先生が来れば、その学校吹奏楽部は県で一番になれる。当時は知る由もなかったけれど、そういう顧問だったらしい。

から私は、私の友人たちは、入部希望届に吹奏楽部と書いてもいないのに、吹奏楽部に入れられたんだと最近思い立った。

みんなスポーツが得意で、今で言うスクールカーストの上位の方で、タフだった。私以外。私以外に譜面赤線を入れられていた友人はいない。

強い顧問が来るのなら、それに見合った児童必要だったんだろう。希望届が関係なくなるくらいに。

吹奏楽部のことは、最後には好きになれた。中学校で続けはしなかったけれど。

でも未だに、顧みられなかった入部希望届に対し、第一、第二、第三希望真剣に考えた私の思いは返して欲しいと思っている。

2017-08-25

精通経験した年齢

9歳(小3)10歳(小4)11歳(小5)12歳(小6)13歳(中1)14歳(中2)15歳(中3)からない/無回答
0.2%6.1%10.2%25.6%29.1%9.5%1.0%18.3%

オナニー経験者の年齢別割合

12歳(小6)13歳(中1)14歳(中2)15歳(中3)16歳(高1)17歳(高2)18歳(高3)19歳(大1)20歳(大2)21歳(大3)
20.0%15.1%30.4%48.9%69.5%83.0%89.6%92.2%94.9%93.8%


小学四年生は最低ラインからオナニーなのはおまえだけだよ恥ずかしい奴だな。

https://anond.hatelabo.jp/20170825131805

2017-07-29

主人公になると決めた

 僕はずっと、自分人生傍観者だった。

 この感覚自体理解出来ないという人が多そうだ。と言うか、そうであって欲しい。僕という人間世界中に一人しかいないと理屈では分かっているが、僕に対する僕自身評価が「その他大勢」だったのだ。世界主人公は僕以外の誰かで、僕はそうではない有象無象の一部だった。

 キモオタコミュ障で、学生時代教室の隅でキノコを生やしながら本を読んでいた。イジメの標的にされなかったのは、比較的育ちのいい子ばかりの私立学校ゆえイジメ自体が少なかったからで、公立に通っていれば悲惨学生時代になっていたと思う。

 本や漫画の好きな、いわゆるオタ友達ならいたのだが、彼らとも時々隔たりを感じていた。「普通高校生が異世界召喚されちゃう、みたいな話あるじゃん。もし自分がそうなったらどうする?」なんて話をしていると、僕は野垂れ死にする自分しか想像出来なかった。ファンタジー世界に行ったらこ属性魔法が使えそう、とか、さすがに王族に見初められる自信はねーわ、とか、そういうバカ話をする友達が眩しく見えた。彼らは自分主人公である世界想像出来るのだと知って、羨ましかった。

 仮に最初からファンタジーRPG世界に生まれ落ちたなら、僕には名もなきNPCがお似合いだろう。世界を救う旅をする主人公に話し掛けられて、「夕食の材料を買いに来たんだ」とかのどうでもいい話をする人。ゲーム攻略の手掛かりを提供することも、プレイヤーの心に残ることもない、そういう存在

 頭も顔もよろしくない僕が、器用に生きるのは無理だった。せめて真面目に勉強して、それなりの大学に行き、手堅い職に就こうと思った。そして当初思い描いていたレールと比べれば、多少の紆余曲折はあったものの、最終的には建築系の企業入社図面を書く仕事に辿り着く。

 この仕事は僕に合っていた。PCに張り付いてCAD操作をするのは得意だった。雑談が苦手でも、最低限の挨拶情報交換さえハキハキとしていれば「自分作業に没頭できる人」としてプラス評価を受けられるのもありがたかった。休み時間にも図面を書いて練習したり、参考書を読んで勉強していれば、そっとしておいてもらえた。人間関係の苦悩も、当面は食いっぱぐれの心配もなく、収入は安定していた。

 顧客の「こういうものを建てたい」という注文や、上司の「法に触れないように調整しておいて」といった指示を、PC画面上に反映させていく毎日。僕は自分意思を持たない、人の言葉PCに受け渡すだけの変換機みたいなものだった。仕事自体は好きでも嫌いでもなく、ただ毎日が過ぎていく。それでいいと思っていたし、僕にはそれがお似合いだと思った。

 そこそこ経験も積んで三十歳になったある日、僕は小さな建築現場事務所に配属されることになった。

 現場事務所にも色々あるが、僕が回された先は労働衛生基準法に照らせば真っ黒な、およそ人の働ける環境ではないという最悪の部類である間取り関係上、空調の効きが悪く、夏は暑く冬は寒い。窓はないため無風であり、日光は差さず、機械音だけがうるさい。

 環境改善要望無視され続け、僕のメンタル一年でイカレた。それでも一年間は問題なく務めたのだから、この人事は正解だったと言うべきだろう。最初からいた現場長以外の、僕の後任として入った人たちは、ほとんどが数日でダウンするか逃げ出してしまったらしい。退職間際、現場長一人で仕事を回しているので大変そうだ、と人づてに聞いた。

 そんなことを言われても、発熱眩暈、圧迫感、何の刺激もない時に突然涙が出る。労働どころか外出もままならなくなった僕は、仕事を辞めざるを得なかった。休職も出来ると言われたが、回復後に同じ環境に戻される可能性を考えると気分が悪くなったので、丁重お断りした。

 変換機として生きて行くことは、もう出来なくなった。

 かような経緯から、今の僕は三十路過ぎのニートである。なんと切ない響きだろうか。結婚どころか恋人もいない上、肉体と精神も損なってしまった。あとは失うものと言えば貯金残高と寿命だけ、というこの状況にあって、僕は一つの気付きを得た。

 職と健康を失ったことで、親には心配を掛け、友人からは「無茶しやがって……」とオタクらしいコメントを頂戴し、必然的に世話を焼いてもらう機会が増えた。それはとてもありがたく心強いことなのだが、申し訳ないことに、施される親切が僕の欲求とずれていることがある。たとえば今はさっぱりしたものが食べたい気分なのに、友人が手土産としてベイクドチーズケーキをくれる、というような。

 当たり前だ。僕の親しい人たちは、僕自身ではないのだから。彼らは彼らなりに、良かれと思うことをしてくれるのであって、僕の漠然とした欲求を察してくれるエスパーではない。友人は僕が「チーズケーキが好きだ」と言っていたことを覚えてくれてはいても、僕が今なんとなく食べたいものまでは分からない。

 ましてや職場において、僕が本当は日の当たる綺麗なオフィスで働きたがっているだなんて、誰が想像出来ただろう。ぼっちが平気で本さえあればゴキゲンコイツなら、環境が多少劣悪な現場でも耐えられるだろう、と判断されたのに違いなかった。

 僕の欲求を察して満たしてくれるヒーローなんて、どこにもいないのだ。

 ならば僕自身が、僕の欲求を聞いてくれるヒーローにならねばなるまい。主人公の座に戻らなければ。次はどんな働き方をしたいのか、どういう生活をしたいのか、趣味だって好きなだけ増やせばいい。一つずつ確かめて実現させて行く必要がある。

 今までは周囲に流されながら、手の届くものだけを掴んでいたけれど、本当は自分で水を掻いて行きたい場所に行けばいいし、欲しいものに手を伸ばしたっていいのだ。

 そういう風に考えて顔を上げると、空が今までよりも広く見えた。ごちゃごちゃと続く街並みを眺めるだけで、心が躍った。

 世間には「誰もが主人公」というメッセージが溢れている。その言葉自分には当てはまらないと、僕はずっと思っていた。

 だが今なら、「誰もが主人公」という言葉を受け入れられる。主人公とは、舞台の上で華々しく歓声やスポットライトを浴びる人を指す言葉ではないと気が付いた。演劇よりもゲームイメージした方が分かりやすいだろう。僕は多くの人にとっての「その他大勢」だが、物語の中で果たす役割が何であれ、僕は常にその人物を通して世界を感じ取り、考え、行動する。使用するキャラクターカスタマイズは出来ても変更は出来ず、人に操作を代わってもらうことも出来ない。生まれた時から死ぬ時まで、ずっと主人公であり続ける。

 だから、僕は主人公だ。非力でいいとこなしで、ステータス異常「うつ」まで付いてる始末だけれど、装備やスキルを工夫しながら目的地に向かうことを許された主人公なのだ。設定された座標を往復するだけのNPCじゃない。

 今の僕は三十一歳。自分がやりたいことを見極め、がむしゃらに夢を追い始めるには微妙な年齢である。夢を叶えようとしても、たとえば警察官になるには既に受験資格を失っているし、俳優を目指そうにもこの年齢の未経験者を入れてくれる劇団を探すのは難しい。

 僕の場合は更に厄介なことに、そもそも自分のやりたいことが分からない。趣味と言えば読書ゲームジョギングくらいで、人に誇れるものは何もない。小学四年生くらいまでは作家になりたいと思っていたが、三十一歳になった僕が小学生自分を参考にするというのも情けない話である

 しかし、うん、作家か。今も昔も、本が好きなのは確かだ。文章が書ける限り何歳からでも目指せる、年齢制限のない夢があるというのは悪くない。故に諦めを付けるのが難しいという、泥沼のような側面には注意を払う必要がありそうだが。

 他にもきっと、意識するより先に諦めてしまった「好き」や「やりたい」が山ほどあるのだろう。中には既に、年齢制限に引っ掛かってしまって叶わないものもあるだろう。それでも今の僕は、それらを探しに行きたいと思う。仕事でも、趣味でもいいから、傍観者をやめて、僕自身物語に介入したいと思う。

 それにしても、まさか三十路を超えた後にやりたいこと探しをする羽目になるとは。作家になりたいです!と公言するのは匿名記事ですら気恥ずかしいのに、年齢がそれに拍車を掛ける。若い人は是非、若い内にこの恥をかき捨てておいて欲しい。

 僕の物語ハッピーエンドである保証はない。夢を一つも叶えられないまま死ぬのかも知れない。そうだとしても、ジタバタもがいた後の方がきっと安らかに死ねると信じ、決意を固めるべくこの記事を書いた。デスクワークしかしなかった日よりも、気力を振り絞ってジョギングに出た日の方がよく眠れるのと同じように。

 三十一歳、無職独身恋人なし、病身。見事な詰みの現状から、この先何が得られるのか、少しワクワクしている。



追記:

 コメントトラバともありがたく拝読している。僕は個別に返信出来るほどマメではないので、かいつまんで書く。

 とりあえず、今の僕は既に心療内科のお世話になっていること、療養二ヵ月目でそれなりに落ち着いていることをお伝えしておきたい。

 この記事では「主人公」という、誰にでも通じるであろう言葉を用いたけれど、意味としてはゲーム用語の「プレイヤーキャラ」の方が適切だと思う。僕の自意識主人公のそれになっても、他の人から見れば立派なモブのままだ。

 ブクマコメで指摘されている、「これといってやりたい事が無さそうに見える」は、本当にその通りだ。自分のやりたいことを考えてみた時、小学生の頃の夢しか思い出せないくらいには何もない。

 最初から主人公としての自意識がある人には分かってもらえないかも知れないのだが、「お前は主人公じゃない」「どうせ何も出来ない」と自分に言い聞かせ続けていると、やりたいという気持ち自体が起こらなくなる。出来もしないことについて考えるのは、不毛無駄なことだから。出来る人を羨むのはしんどいから。心を守るために、「別に自分はやりたいとも思わないし」と思い込むようになってしまう。

 ずっとそんな風に生きてきた僕は、まずやりたいことを探すところから始めなければならない。言われてみれば、似たような筋書きの作品はいくつも思い当たるのに、僕は今まで何を読んでいたのだろう。本で読むのと、体で理解するのは別のことだということか。

 実は僕の状況は、詰みというほど悪くはない。失ったものは大きいが、得たものもまた大きかった。この記事に書いた自意識の変化が一つと、もう一つは人に恵まれていると実感出来たことだ。

 別地方勤務の同期が突然旅行で近くまで来てくれたり(うつ患者観光案内させるとか鬼か)、元上司が飲みに連れ出してくれたり(薬の関係で僕は飲めないのに)、オタク友達はここぞとばかりにDVD押し付けてくる(全部観ているとただのヒキコモリになってしまうからやめて欲しい)。

 盛大に人生をスッ転んだ結果、それでも助け起こそうとしてくれる数少ない人、僕が大切にすべき人たちをハッキリと見分けられるようになった。今のところ僕のやりたいことリスト最上位は、「この人たちに恩返しがしたい」だ。自分欲求とのバランスを取りながら、頑張ってみたいと思う。

 今はチーズケーキの気分じゃないとか言ってごめん。今度は僕が、自分で選んだ菓子を持って遊びに行く。

2017-07-16

祖父はもうボケていて祖母が死んだと聞かされても「そうか」とぽつり言ったと、ただ防腐処理のために連れ出される祖母を見てよたよたと歩いて出てきた

叔父と母は「わかってないのかもしれない」と言ったが祖父ボケていなくても祖母が死んだら「そうか」の一言で済ませる気がしている

感情表現の下手な一族だ、祖父介護必要になってから「君と結婚してよかったな」とつぶやいたと祖母からいたことがある、結婚して50年初めて聞いたと

告別式明日かと祖父に聞かれた、葬儀に呼ぶ親戚の話にも時折口を挟んでくる、祖父は私が小学四年生とき自由研究宇宙についてをまるまる書いてくれた、私は清書もせずに提出した

祖母祖父を置いて亡くなる心配を昨日も、亡くなる間際までしていた

祖母毎日つけている日記は昨日の日付で、ノートをちょうど最後のページまで使い切って終わっていた

2017-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20170528175740

ワイ、アラフォーやけど、小学四年生とか五年生あたりの雑誌性教育関連の漫画を連載してたぞ。それで覚えた。

2017-05-03

http://anond.hatelabo.jp/20170503112514

小学四年生を抱っこするなんて気持ち悪いとか言うけど

5月なったばかりだぜ?

こないだまで小学3年生だったわけで、そこまで気持ちいか

しかも息子だろ

娘ならどうかと思うが

2016-10-08

一家心中をはかる父親と夜通しの会話

スポットライトという映画をみた。

見終えたあと思ったのが、ずいしょさんが言っていた「複雑な世界」のお話だった。

宗教が生まれて数千年も続いていることから考えるに、人間が生きて行く上で不可分な領域なのだと思う。

からといって、作中のような行為が許されるわけではないけど、短絡的に宗教廃止していいわけもない。

どこかで折り合いをつける必要はあるけど、単純に0か100かにはできないんだなあ。


とかなんとか綺麗事を書こうと思ってたんだけど、

途中で眠くなって寝たら、とびきりの悪夢を見てしまった。

小学生の頃に義理の母にオチンチンを触られたことを振り返る夢だった。

夢だけど、本当にあったことなので、ただただ思い出がフラッシュバックしただけなんだけど、

ただただ気持ち悪くなってきた……

こう、昔の記憶が蘇ると連鎖的に色々思い出してくる。

ただ、この連鎖の終わりは、結局いつものアレになる。

いい感じに眠れないし、匿名日記だし少しだけ書いてみよう。

僕が小学四年生の頃。(小学五年生ときに両親が離婚して、その原因になった事件がこれだから、という推測)

まだ生物学上の父親母親と弟の四人で暮らしているときの話だ。

未だに事の始まり因果を知らないけど、どうやら父親商売がうまくいっていなかったらしい。

はいえ、2016年の今でも商売が続いているので、この話の後なにかしらの巻き返しがあったのだと思う。

はっきりいって興味がないので、誰かに尋ねた事はない。

(断片的な会話で、父親母親(僕から見たら祖母)が土地を売って何とかした、的なことを聞いた記憶があるので、そのおかげかもしれない)

いまいまの話はともかく、当時はうまくいっていなかったらしく、父親はとにかく荒れてた。


それが遂に爆発した。

何月のことかの記憶はないんだけど、

休み祖母宅でも父親は荒れていたこと、

正月休み祖母宅でこの事件母親父親を見切り離婚の話をしたこと、

から推測するに、夏休み冬休みの間の出来事だったと思う。

おお、つまりしかすると、ちょうど今頃の出来事なのかも、なんか気持ち悪いなあ。


で、なにがあったかだけど、

夜中に父親が酒を飲んで暴れ出して、

家族全員を車に押し込んで「もういい全員で死ぬ」と言い出したのだ。

一家心中というやつだ。

弟はまだ4歳で、よくわかってないし(誕生日付近から5歳かも、ってか僕と弟は誕生日が三日違いなのだけど、もし上の推測があっていてこのぐらいの時期だとしたら、兄弟誕生日付近にあった出来事可能性があるのか……)

母親暴力を振るわれたせいでもう茫然自失だった。

というか、この二人はこの車に押し込まれた後、特に登場シーンはない。


なぜか、僕が助手席に乗せられ、弟と母親は後部座席に、

そして父親運転飲酒運転だが今はそこをつっこまれても困る)を始めた。

父親は、その当時気に入っていた「山師が使うナイフ」(何を言ってるのかわからないが、今でもよくわからない、なぜか山師が使うナイフ収集していたのだ)を取り出し

「お前たちをこれで殺してから、俺は崖に向かって車で飛ぶ」的なことを言い出した。


そこからは、ただひたすらに、父親を説得するために喋り続けた。

会話が止まると本当に殺されるのだと思って、ずーーーーーーっと喋り続けた。

どれぐらいずーーーっとかというと、途中休憩所によりながら、

住んで居た三重県から、なんと四国に車で渡るまでの間、ずーーーっと喋り続けた。

いやおまえ、心中しようとしてるときに、なに悠長に休憩所よってるんだよって感じだけど、

その休憩所の間も含めて、朝になって四国に渡るまで、とにかく喋り続けた。

ちなみに、なぜ四国に行ったか理由は覚えてない。

とにかく何かしらの会話を続けるのに精一杯だった記憶しか今はなくて、

きっと何かしらの流れで四国に行くことになったのだろう。

具体的に何を話したかは、これまで書いた「出来事」とは違い、

父親との「会話」のため、あまり記憶に残っていない。

よく体験談とか過去の思い出話で「会話」を鮮明に覚えている人がいるけど、あれはすごい能力だと思う。

なんていうか、僕にとって会話は瞬発力がいるうえに、相手の考えとか理屈も加味しないといけないから、脳内再現ができないんだよね。

その、自分が喋ったことはまだ思い出せるけど、相手が何を喋ったかは、絶望的に思い出せない。

ただ「相手が何を喋って、自分が「どう思ったか?』」は思い出せる。

から、耳で聞いた音声ファイル再生はできないけど、僕の脳みそ解釈した相手の言い分みたいなもの自分言葉として再現できるかなあ。

あれ、なんか話が一般的な話になってきたから、戻すけど。

とにかく

「死にたくない」こと

「なにかしたいことがある」こと

など、とにかく自分の話をひたすらにした記憶がある。

今にして思うと、自分のことしか考えてない自己中人間のような気がするが、

小学生が、父親商売がうまくいっていない話を聞いて啓蒙かませられるわけがないので、しょうがなかったのかなあ。

この「なにかしたいこと」というのが何だったのか、今ではあまり思い出せないけど、

後の記憶から推察するに「プレイしたいゲームがある」と「読みたい本がある」の二つは最低でも伝えたのだと思う。

うーむ、僕は変わらないなあ。

で、橋を渡る頃には、父親は酔いも覚め憑き物が落ちたようだった。

そこで、朝ごはんだか昼ごはんだかわからない食事をして、そこの近くの商店で、たまごっちみたいなドラクエスライムおもちゃを買ってもらった。

メニューをなぜか覚えているな、卵焼き定食かいう、だし巻き卵とご飯と味噌汁だった)

その後本屋さんに行くぞ、と本屋さんを探し出したんだけど、徳島では本屋が見つからず、さっさと本州に戻った。

唐突徳島ディスることで、cider_kondoさんのブクマを誘いたいわけではない。当時はスマホもナビもなかったから仕方ない)


とまあ、記憶を辿るとこんな感じだ。

この後小学生徹夜はきつかったらしく、ぐっすり寝てしまい、そこから特に記憶に残っていない。


うーむ、こうして文章に書き出すと、冷静に見れるんだけど、

やっぱり、自分気持ちとしては、いまだに決着がついていないのかもしれないなあ。

別に今更父親謝罪して欲しいなんて気持ちは一切ないし、なぜああなったのか? を聞くつもりもないから、

自分自分のためにこの思い出に何かしらの点を打たないと、すっきりしないのかもしれない。


ただ、なにをどうしたら、この思い出に点がつくのかさっぱりわからないなあ。

冒頭のずいしょさんの言葉じゃないけど、

この複雑さを抱えて生きていけるよう頑張るぞいやなのかなあ……

はややんむきゅむきゅはてなにちわですわ。

2016-03-03

母親人生をぶっ壊された話。

母親人生をぶっ壊された話

創作だろ、と思うくらいで読んでくれれば幸いです)

幼い頃から一緒に暮らしていなかった母親は、

私のことを愛していると言った。

母親と会うのは、月に一度。

住んでいる場所は遠くはなかったが、なぜ一緒に暮らしていないのか、幼いながらにタブーだと知っていたのか、きちんと確認したことはなかった。

それでも母親わたしを愛していたらしかった。

小学四年生の頃の運動会では、全身を私のチームの色のジャージ手作りポンポンや旗を振り揃え、クラスメイト保護者たちの失笑を買っていた。

半年に一回の授業参観でも、私が発表するたびに「私の子です!」と周りに伝え、悪目立ちしていた。

クラスの子からも「変わったお母さんだよね」と言われていた。

私を愛していると言っていたお母さんは、私が高学年になったあたりから回数が極端に減った。

月に一度が、長期休みの間に一度と、年3.4回へと減っていた。

小学六年生の冬、丁度この頃に母親から電話があった。

「お母さんね、整形したの。」

突然の告白に動揺を隠せず、「なんで?」と聞いた声は震えていたと思う。

自分の顔が、嫌いだから。」

その日の電話は、とても長かった。

まり内容をハッキリ覚えていないけど、「お母さんがそうしたくて、そうしたのならいいと思う。お母さんが幸せになるならいいよ。」と返したと思う。

本心かどうか分からなかったが、唯一の肉親だった母親に嫌われたくないための、建前の方が強かったと思う。

母親が返した言葉は覚えている。

あなたのためよ。私じゃなくて、あなたのため。」

ところが、私の人生は一転する。

ある日、登校すると同級生の様子がおかしかった。

から距離を開けて、ひそひそと話している。

瞬時に「やばい。」と感じた。

少女漫画で見たことのある、いじめの始まりのシーンが自分の身に起きていた。

それまでの私は生徒会の一員で、友達も決して少なくない方だった。

そもそも、一学年1クラスしかないような小さな学校だったが、男女ともに仲が良く、学校生活は充実していた。

原因がわからず、一番の親友だった女の子に話しかけると「わからないの?!」と言われた。

怪訝に思っていると、担任に呼ばれた。

担任から聞かされたのは、自分の身に起きたとは思えない、現実味のない言葉だった。

あなたのお母さんがテレビに出て、クラス中で騒ぎになっている。」

その日は早退した。

帰って保護者だった人に担任から聞かされた内容を話した。

担任から電話があったらしく、私よりも詳しく事を把握していた。

当時放送された整形番組母親が出演したらしい。

番組では、母親がどれだけ容姿コンプレックスを持っていて、その容姿によってどんなに不幸な人生を歩んできたか

そして、番組内で整形手術をし、ダイエットをし、美しくなった。

後日、別の学校だった親友に録画してあった番組を見せてもらった時、母親が誰か分からなかった。

番組内では、母親がメインとして扱われ、美しくなり、大物タレントに「幸せになってね!」と励まされ、スタジオ号泣の美ストーリーだった。

自分の身内でなければ、第三者だったら、感動で泣いていたと思う。

でもその日から陰湿イジメを受けた。

番組内のVTRで流れた母親が受けた不幸エピソードを準えるようなものが主流で、傍観している生徒もクスクスと笑う。

小学校はその後すぐ卒業したが、中学校でもすぐに噂は広まり上級生がわざわざ私を尋ねて顔を見に来ては囃し立てるくらいだった。

しかけてくる子はみんな、二言目には母親のことを聞いてきた。

中には、母親のことを聞くことを罰ゲームとして、好奇の対象になった。

初対面で会う人が、みんな大嫌いになった。

初対面で会う人と、うまく話せなくなった。

自分の育った環境が特異的で、どうしても逃げられなかった。

部活動禁止携帯電話禁止、終業後はすぐに帰宅

友達を作ることもできず、何か別のことに打ち込むこともできず、転校もできなかった。

私のためだ、私を愛してるからだと言っていた母親も、住みにくくなり、すぐに遠くに逃げた。

東京で夜の仕事を始めたところまでは把握していたが、その後連絡を取ることを禁じられた。

怒る対象を失い、頼る友達を失い、安らぐ場所を見つけられず、中学時代孤独だった。

高校に入り、流石にいじめはほぼ無くなり友達もできたが、一緒に笑っている友達が、心の中では私のことをバカにしているのではないか、陰で笑い者にしているのではないか、好奇で一緒にいるだけではないかとずっと怖かった。

結局高校時代友達には、私の母親のことを知っているかなどハッキリ聞けないままだったが、心の中で抱いていた疑心を気にしなくなるくらい仲良くなれた友達もいた。

高校卒業し、就職した。

保護者だった人が、念のためと母親に私の連絡先を伝えたと言った。

「もう幸せ暮らして、私のことを子どもだとも思っていないんじゃない」などと冗談めいて言ったが、心の中ではそうに違いないと思っていた。

結果的に言うと母親幸せになどなっていなかった。

美しくなったはずの顔は、数年で元に戻ったらしく、段々と失われる美貌や居場所が原因で、重い心の病気になって入院していた。

母親から掛かってくる電話で「幸せ?」と聞いた時に「全然幸せになれなかった」と言われた時に、初めて明確な憎悪自覚した。

せめて幸せになっていてくれれば、母親を怒鳴り罵り、私がどれだけ嫌な思いをしたか伝えられた。

でも「幸せになれなかった」とハッキリ言う母親を、責めることなんてできなかった。

「そっか、私もだよ。」と伝え、その後母親から電話に出なくなった。

未だに、小学校時代人生が転落したあの日のことを夢に見る。

未だに、目の前にいるこの人は母親のことを知っていて、心の中では嗤っているんじゃないかと思う。

未だに、初対面の人とうまく話せない。

この先、結婚するような相手が出来たら、必ず母親のことは負荷になる。

母親が生きている限り、隠すこともできないだろうと思う。

事の顛末を聞いて、手のひらを返すような人はこちらとしてもお断りだが、結婚相手は受け入れても相手家族がどう思うかわからない。

出来れば、私の過去から消し去りたい。

「どれだけ親と仲が悪くても、産んでくれたんだから感謝しやきゃいけない」

という言葉を聞くたびに、虫酸が走る。

今では母親が近くに住んでいなくてよかったと思う。

近くに住んでいたら、危うく殺しかねない。

でも母親には幸せになって欲しいと思う。

私が一番楽しい青春時代を奪われた分、幸せになってくれなければ割に合わない。

美しくて、幸せに楽しく生きる母親に、自分をぶつけ転落させたい。

なぜ今これを書こうと思ったのかはわからない。

ちょうど10年が経ち、自分の中で一つのケリをつけたかったのかもしれない。

当時の知り合い以外に、自分からこの話をしたことがなかったから、他人見解を聞きたいのかもしれない。

私の考え方は間違っている、私の不幸の原因は母親ではなく私自身にあるのだと叱って欲しいのかもしれない。

つらかったね、頑張ったねと慰めて欲しいのかもしれない。

こうすればよかったのに、こうすればいいのにとアドバイスが欲しいのかもしれない。

お前より不幸な人間は他に五万といる、と鼻で笑って欲しいのかもしれない。

所詮自己満足である

私の人生は、私が身動きを取れない間に、唯一の肉親に壊されてしまった。

こう言って私は、この先もずっと母親を恨んで、母親に全ての責任転嫁し続けると思う。

お母さんへ、私のために幸せになってください。

2016-02-14

村井さんについての山本一郎からの総括ツイート


これな。しかジャフコロックアップなしだからもう売り抜けやがったしな。



思うんだが、マックスむらいが矢面にたつのやめれば話早いよね。

マックスむらい、本気で何が起きてるかわから小学生みたいなメンツ意識やまもといちろうと戦ってるんじゃないの?



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哲戸さんふざけすぎwww

2015-10-20

美少女になりたい

たまにネット上で美少女になりたい願望を語る人がいるけど

冗談だと思っていた。~は俺の嫁とかそういうノリでの美少女願望だと思っていた。

ある年、人事異動なんやかんやでめちゃくちゃ忙しい時期があって

休日は寝て過ごすような生活をしていた。

ふとyoutubeにあがっていたCCさくらを見始めて、その時私は心から美少女になりたいと思った。

友枝小学校に通う明るくて儚くて可愛い美少女になって

あの素敵な友枝町で暮らしていたいと本気で思った。

思うだけなら良かったんだけど小学四年生の友枝小に通う美少女になりきるために

女児用の下着を着けるようになった。もともと体型は小柄なほうだったので普通に履けた。

パジャマなんてずっと着てなかったけど前開きのTHEパジャマみたいなやつを買った。

美少女は多分ご飯とか残しがちだし、あとなんか洋食のお洒落な飯を食っているだろうという思い込み

すげー少な目の喫茶店モーニングかよみたいな飯を食うようになった。

必ず一口残した。←美少女ポイント

コーヒー党だったけど紅茶を飲むようにした。

かいくまのぬいぐるみを買った。レースハンカチを買った。

今までは香水をつけてたのを石鹸のかおりがする安いコロンに変えた。

下着だけでは我慢できなくなってとうとう服にまで手を出した。(160サイズ展開のものなら案外着れる)

多分半年くらい家の中でそういう生活をして暮らしていた。

結局少なめの飯がいけなかったみたいでぶっ倒れた時に部屋の中親に見つかって目が覚めて全部捨てた。

多分あのまま気付かれなければずっとやり続けていた。

結婚も出来なかったと思う。

あの時はおかしかったって今では思えるけど

でも凄く快感だった。辛い事すべて忘れられるくらい幸せだった。

もし許されるならもう1度、一日くらいやりたいと思う。

2015-08-17

tehu君 20歳誕生日おめでとう!

2015年8月16日、tehu君が二十歳の誕生日を迎えました。

今までは、彼が未成年という事で批判肯定もしなかったが、もう立派な大人なので、それもこれから解禁して、

彼のよろしくない点ははっきり指摘しておこうと思う。

tehu君個人というよりは、彼の周りにいる大人たちに伝わればそれでいい。

1.ここ数年のtehu君

彼の名が知られ始めた頃は、あどけなさの残るプログラマーだった。

日本語iPhoneアプリがさほどなかった時代中学生でありながら、健康計算機というBMI測定アプリApp Store登録し、

それが無料アプリランキングで3位を取った。

正直、言って、しょぼいアプリではあるが、中学生App Storeアプリ登録したんだから、これはがんばったと思う。

なかなか出来ることじゃない。

ここから、どんどん飛躍して、物凄いプログラマーに成長していくんだろうと考えた人も多いだろう。

しかし、現実はそうはならなかった。

自分で売り込んだのかそれともメディアの方が見つけたのかはわからないが、大人達の餌食になり始めた。

彼は様々な媒体で「天才IT高校生」「次代を担う若き天才」等々、それっぽい言葉形容されるようになってしまい、

現在に至るまで、思いっき調子に乗ってしまう。

いろんな大人と関わり、みんなが贈ってくれる社交辞令の称賛に彼は酔いしれる。

これが後の人脈自慢に繋がっていく。

灘高時代、様々な媒体取材を受け、高校生しからぬ忙しさのせいでプログラミングスキルもまるで上達しなかった。

いろんな物を吸収できる一番大事な時期に肝心な勉強ができなかったようだ。

結果、元々目指していた東大受験も断念し、AO入試SFCへ行くことになる。

本人曰く東大に行く意味を感じなかったようだが、実際はどうだろう?

彼はAO入試というとっても楽な道を選んでしまっただけなのではないか?

考えてみれば、当然かもしれない。

自分以上に頭がいい奴らがいる環境受験勉強するより、自分を褒めてくれる大人たちとお喋りしてる方が楽しいに決まってる。

かつての彼は取材でこう答えていた。

いずれはアメリカ留学してプログラマーの事がわかる起業家になりたい。

尊敬する人間ジョブズでありザッカーバーグで物凄く大きなことをやりたい。

とても素晴らしいし素敵な事だと思う。本当に。

しかし、そんな素敵な夢は現在進行形でどんどん遠のいている状態である

2.なりすまし事件

ここ数年でtehu君が話題になったことは、例の「小学四年生なりすまし事件である

衆議院の解散の正当性小学校4年生が問う という謎のコンセプトで企画スタートし、その制作にtehu君が関わっていた。

実際、どこまでtehu君が制作作業していたのかは謎は残るが、公開された物はお粗末なものだった。

小4という設定でありながら、サイト出来栄えが小4らしからぬ出来栄えだったり、小4でありながら、AWS(クレジットカード登録必要)を

利用していたりなど突っ込みどころ満載のサイトはすぐに炎上し、ドメイン情報画像データなどから主犯格青木大和とtehuの名前がすぐに判明してしまった。

この件については、各所で言われているとおり、実に下手くそなやり方で、騙すならもっと巧く騙せと思った人も少なくないだろう。

この事件きっかけなのかどうかは、わからないが、彼はWebサイト制作なども辞めてしまう事になる。

3.アイドルプロデューサーへと夢を下方修正

誤解のないように言っておくと、彼は自分プログラマーとしての才能がないと名言している。

そのため、彼はプログラマーエンジニアとしての道は早々に断念したようで、最近芸能方面へ進もうとしているようだ。

芸能方面と言っても、彼はアイドルとか芸能人プロデューサーとか仕掛け人のようなことを目指しているらしく、

堀江貴文との対談ではプチ秋元康自称しており、知り合った芸能関係者イベントに顔を出しては、何かイベントの手伝いをしているらしい。

どうやら、アメリカ行きはほぼ消滅したようだ。

かつては、ジョブズザッカーバーグを目指した若き天才目標秋元康シフトチェンジした様子(容姿は似てるけど・・・)。

いや、もちろん、秋元康だってすごい。しかし、上記の2名と比べると流石に劣る。

tehu君、どんどんショボくなってるよ。

とにかく、華やかな場所へ行きたいらしい。

しかし、華やかな場所って結構ブラック世界だったりするから、彼が耐えられるメンタルを持ち合わせているかどうかが非常に疑問だ。

4.現在のtehu君の評価

tehu君を評価する際、一体、何をどう評価すればいいのか非常に困る。

なぜなら、彼は何者なのかさっぱりわからないからだ。

彼は自身の事をプログラマークリエーターライターメディアアーティスト演出家プロデューサーなど様々肩書自称しており、

現在もその肩書は増えたり減ったりでよくわからない。

おそらくは、学生でありながらマルチ活躍する「天才クリエーター」というのが現在の彼の理想像なのだろう。

まり彼を悪く言いたくないのだが、

『なんかよくわからない肩書で着飾ってお仕事ごっこをしているイタイ大学生』にしか見えない。

5.tehu君の周りの大人たちへ

彼を潰すな。彼に勉強させろ。まだ二十歳だぞ。

6.tehu君へ

君の黒歴史の中にこんな発言がある。

校内校外を問わず、さまざまな依頼が舞い込んでくるようになった。デザインディレクションプロデュース記事執筆。会いたいと言ってくれる人も多くなっていった。

「まるでシリコンバレーピッチのように、いろんな方々が輝かしい経歴と共に自己紹介してくれました(笑)。その紹介が終わった後、僕は彼らに必ず『で?』と聞き返したんです。すると、8割方の人は黙ってしまいましたね」

しかし残りの2割の人たちは、「で?」と聞かれるとさらに続きを語ってくれた。面白いと思った人とだけ、交流を深めていく。

目上の人にそんな事しちゃダメだよ。芸能関係に進みたいなら尚更ね。

謙虚ライオン!今現在、君が見下しているであろう同世代の奴らは君より勉強してもっともっとスゴイ奴らになってるぞ。

勉強熱心なtehu君に戻ってくれ。

ネットの反応というのは現実世界の鏡のようなものだ。

君に対する厳しい指摘もおそらく、君に近しい人間が書いてる可能性が高い。

そう、今の君は残念ながら、笑われてる。これは嫉妬とかそういう類のものではなく、ガチで笑われてる。

頼むから気づいてくれ。

そして、誕生日おめでとう!

[追記]

tehu君については、この辺の指摘もあながち間違いではないと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20141216155325

http://anond.hatelabo.jp/20130925215736

tehu君 20歳誕生日おめでとう!

2015年8月16日、tehu君が二十歳の誕生日を迎えました。

今までは、彼が未成年という事で批判肯定もしなかったが、もう立派な大人なので、それもこれから解禁して、

彼のよろしくない点ははっきり指摘しておこうと思う。

tehu君個人というよりは、彼の周りにいる大人たちに伝わればそれでいい。

1.ここ数年のtehu君

彼の名が知られ始めた頃は、あどけなさの残るプログラマーだった。

日本語iPhoneアプリがさほどなかった時代中学生でありながら、健康計算機というBMI測定アプリApp Store登録し、

それが無料アプリランキングで3位を取った。

正直、言って、しょぼいアプリではあるが、中学生App Storeアプリ登録したんだから、これはがんばったと思う。

なかなか出来ることじゃない。

ここから、どんどん飛躍して、物凄いプログラマーに成長していくんだろうと考えた人も多いだろう。

しかし、現実はそうはならなかった。

自分で売り込んだのかそれともメディアの方が見つけたのかはわからないが、大人達の餌食になり始めた。

彼は様々な媒体で「天才IT高校生」「次代を担う若き天才」等々、それっぽい言葉形容されるようになってしまい、

現在に至るまで、思いっき調子に乗ってしまう。

いろんな大人と関わり、みんなが贈ってくれる社交辞令の称賛に彼は酔いしれる。

これが後の人脈自慢に繋がっていく。

灘高時代、様々な媒体取材を受け、高校生しからぬ忙しさのせいでプログラミングスキルもまるで上達しなかった。

いろんな物を吸収できる一番大事な時期に肝心な勉強ができなかったようだ。

結果、元々目指していた東大受験も断念し、AO入試SFCへ行くことになる。

本人曰く東大に行く意味を感じなかったようだが、実際はどうだろう?

彼はAO入試というとっても楽な道を選んでしまっただけなのではないか?

考えてみれば、当然かもしれない。

自分以上に頭がいい奴らがいる環境受験勉強するより、自分を褒めてくれる大人たちとお喋りしてる方が楽しいに決まってる。

かつての彼は取材でこう答えていた。

いずれはアメリカ留学してプログラマーの事がわかる起業家になりたい。

尊敬する人間ジョブズでありザッカーバーグで物凄く大きなことをやりたい。

とても素晴らしいし素敵な事だと思う。本当に。

しかし、そんな素敵な夢は現在進行形でどんどん遠のいている状態である

2.なりすまし事件

ここ数年でtehu君が話題になったことは、例の「小学四年生なりすまし事件である

衆議院の解散の正当性小学校4年生が問う という謎のコンセプトで企画スタートし、その制作にtehu君が関わっていた。

実際、どこまでtehu君が制作作業していたのかは謎は残るが、公開された物はお粗末なものだった。

小4という設定でありながら、サイト出来栄えが小4らしからぬ出来栄えだったり、小4でありながら、AWS(クレジットカード登録必要)を

利用していたりなど突っ込みどころ満載のサイトはすぐに炎上し、ドメイン情報画像データなどから主犯格青木大和とtehuの名前がすぐに判明してしまった。

この件については、各所で言われているとおり、実に下手くそなやり方で、騙すならもっと巧く騙せと思った人も少なくないだろう。

この事件きっかけなのかどうかは、わからないが、彼はWebサイト制作なども辞めてしまう事になる。

3.アイドルプロデューサー路線変更

誤解のないように言っておくと、彼は自分プログラマーとしての才能がないと名言している。

そのため、彼はプログラマーエンジニアとしての道は早々に断念したようで、最近芸能方面へ進もうとしているようだ。

芸能方面と言っても、彼はアイドルとか芸能人プロデューサーとか仕掛け人のようなことを目指しているらしく、

堀江貴文との対談ではプチ秋元康自称しており、知り合った芸能関係者イベントに顔を出しては、何かイベントの手伝いをしているらしい。

どうやら、アメリカ行きはほぼ消滅したようだ。

かつては、ジョブズザッカーバーグを目指した若き天才目標秋元康シフトチェンジした様子(容姿は似てるけど・・・)。

いや、もちろん、秋元康だってすごい。しかし、上記の2名と比べると流石に劣る。

tehu君、どんどんショボくなってるよ。

とにかく、華やかな場所へ行きたいらしい。

しかし、華やかな場所って結構ブラック世界だったりするから、彼が耐えられるメンタルを持ち合わせているかどうかが非常に疑問だ。

4.現在のtehu君の評価

tehu君を評価する際、一体、何をどう評価すればいいのか非常に困る。

なぜなら、彼は何者なのかさっぱりわからないからだ。

彼は自身の事をプログラマークリエーターライターメディアアーティスト演出家プロデューサーなど様々肩書自称しており、

現在もその肩書は増えたり減ったりでよくわからない。

おそらくは、学生でありながらマルチ活躍する「天才クリエーター」というのが現在の彼の理想像なのだろう。

まり彼を悪く言いたくないのだが、

『なんかよくわからない肩書で着飾ってお仕事ごっこをしているイタイ大学生』にしか見えない。

5.tehu君の周りの大人たちへ

彼を潰すな。彼に勉強させろ。まだ二十歳だぞ。

6.tehu君へ

君の黒歴史の中にこんな発言がある。

校内校外を問わず、さまざまな依頼が舞い込んでくるようになった。デザインディレクションプロデュース記事執筆。会いたいと言ってくれる人も多くなっていった。

「まるでシリコンバレーピッチのように、いろんな方々が輝かしい経歴と共に自己紹介してくれました(笑)。その紹介が終わった後、僕は彼らに必ず『で?』と聞き返したんです。すると、8割方の人は黙ってしまいましたね」

しかし残りの2割の人たちは、「で?」と聞かれるとさらに続きを語ってくれた。面白いと思った人とだけ、交流を深めていく。

目上の人にそんな事しちゃダメだよ。芸能関係に進みたいなら尚更ね。

謙虚ライオン!同世代の奴らは君より勉強してもっともっとスゴイ奴らになってるぞ。

誕生日おめでとう!

2014-12-07

想う亀の選挙

後ろを向き背中を眺めて見たら苔が付いていた。平穏。この平穏はいつまで続くのか。幻想だよなこれって。大地震でドカーン大津波とかでザバーンて。現実とか日常ってすぐこわれてしまう。いまはただただ穏やかだ。すごーく穏やか。曜日すら忘れてしまうよ。あ、雨が降る。穏やかな小雨で甲羅涼しい。むむ、痒い。痒いぞ。甲羅が痒い。そしてこの中は蒸せるし疲れる。出られない閉塞感もある。ああ、それはあるじも同じか。

あぁ今日は主はなにを考えているのだろう。たまには甲羅干しでもして欲しいものだ。いや、むしろ干せ。なに考えてやがるんだ。俺だって生きているんだぞ。甲羅干しの権利だっておれにはある。おれは権利だけを主張する亀とは違うんだ。人間様に飼われている義務があるんだ。ああむずかゆい。心も体もむずかゆい。そこで甲羅干しなんだよ。人間もお天道様浴びると健康になるだろ。ちなみにおれを含めた一般に見た亀は甲羅干しをすると背中微生物や細菌がいなくなってむずかゆい気持ちも晴れるのだ。これは一般論だ。例外はない。ともかく一度ここから出せ。おれは自由を感じとりたいのだ。自由は掴み取るものだ。いつか脱走してやるこの野郎甲羅干しをさせてくれ。むしろ自由から自由になりたい。自由を考えさせられるこの気持ちはなんだ。自由という概念をぶっ壊してくれ。

ああ、今日も雨。山ではヤマアジサイが満開だろうなあ。ああ、まだ世の中は七月でも梅雨梅雨だ景気が梅雨だって騒いでいるけど私は甲羅が気になって仕方が無い。甲羅が痒いのはまぁ置いておいて、世間では社会保障がどうとか税金がどうとか言われてる。おれは小学四年生の亀。年金健康保険も信用しない。政府を信用できない。安心したい。老後も悠々自適に暮らせる安心が欲しい。セーフティネットが欲しい。若いうちは安価労働力として使われていいけれどせめてセーフティネットはおくれよ。おれは政治とか経済とかを語る亀だ。日本政策形成過程統治構造なんかもわかってる。バレバレよ。とまぁ、ここで純文学踏襲するわけだ。ギミックよ。これギミックよ。セカイと世界をつなぎたい。とりあえずあずまんはまじリスペクト。あと補足だけどdisって言葉あずまんが誰かをdisってるとか半分以上がネタなんだぜ。あずまんまじ頭よすぎ。しか思想とか未来とかについて誰よりも真剣に考えていると思う。他に見たことがない。これだけ通信ツールが増えて言葉や物に触れる機会が増えたけどあずまん以上に考えていそうな人はあんまし見たことない。最近お金にうるさいけど。そして感覚的にだけど。とまぁ、こんな感じよ。まぁあれだ。いまは甲羅が痒いことが動物的に「ほんとう」は大事でいまその目の前の「問題」を解決することが一番なのかなぁって思っちゃうことってどうなのかなぁ。

甲羅果たしてどこまでが繋がっていてはたして体の一部なのか。そんなこともわからない。自分の体のことだってまったくわからないんだぜ。梅雨の時期は甲羅背中の間が蒸れるのだ。けっこう辛いのだ。甲羅の表面とさらには地肌と甲羅の間が痒いのだ。甲羅背中には間があるのかなぁ。痒い感覚はある。あるじは悠々自適ゴルフとかにいってやれ虫にさされ辛い辛いとか雑草アレルギーかゆいかゆい言うけれど私だって痒いのだ。甲羅干しネタでここまでつなげるとは思わなかったよおれも。甲羅干ししてくれよブラザー。ああ、いつもいつもあるじはわがままだな。早く1人で暮らせよな。結婚もしやがれってんだ。亀の私も1人こうやって天涯孤独でこのプラ舟の中でプカプカ浮いてる。わたしもあるじ同様守るべき家族もいないし依存するものもない。けっこうさみしいのだ。ただ気は楽だがな。ああ、餌をくれ。餌をくれたまえあるじよ。おなかすいた。

あいつ餌も忘れてやがるな。絶対に許さない。絶許。暴れてやる。あぁ、腹がへっては暴れられん。困ったもんだぜマイブラザー。全国のニホンイシガメたちよさぁたちあがれ(運動感)

そういえば最近あるじは血圧が高いそうだ。病気って怖いよな。最近放射能汚染が気になる。細胞分裂できないってまじやばくね?まぁ日常が失われるくらいならもういっそ死んでもいいけどな。疲れたよ。あるじは血圧で悩んでる。メタボだしデブだ。血圧が高いってことはいものを食べている証拠だ。動物を喰ってる。植物も喰ってる。スッポンも喰ってたな。鬼畜畜生だな。おれも喰われるのか…それにしてもあるじはわがままだ。ああ、甲羅が痒いし腹が減った。くそわがままあるじめ。まぁおれとほかの亀を見分けられたり、声かけてくれたり、たまにはいいやつだがな。でも嫌いか好きかといわれればどちらの感情もある。

でもおれはあずまんは好きだが古市は嫌いだ。

あ、そういえば、ついに選挙だなおまえら

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