2017-09-18

私は吹奏楽部に入部希望なんて出してなかった

小学四年生の時の話である

必修であるクラブ活動に参加するにあたり、入部希望届を提出するようお達しがあった。

その用紙には、第三希望まで書くための欄が設けられていた。

私の第一希望バスケットボール部。第二、第三希望に何を書いたか覚えてはいないが、吹奏楽部ではなかったことは確かだ。

だが、私の参加する部活吹奏楽部に決まった。

バスケ部は入部希望者が多かったらしいと噂に聞いた。

他の吹奏楽部入部者である友人らに話を聞くと、第一希望バスケ部だったという。

第二、第三希望まで書かせておいて、それすら加味してくれず、興味もくそもない吹奏楽部に入れられたことが納得いかなかった。全くもって面白くなかった。

おかげで私は真面目に練習に取り組まず、譜面通りに演奏することができなかった。顧問特別赤線を入れ、簡易バージョンに直してくれた譜面をひとり、県大会で吹いた。

楽器マイナーだったのも面白くなかったんだよな。トランペット希望出したら、ユーフォニウムになったんだよ。吹奏楽に興味ない小学生ユーフォニウムしらんかったよ。チューバほど目立たず、トロンボーンほど華やかではなく、なんか地味。だから、十数年を経て響け!ユーフォニアムを見たときはすごくうれしくなったのを覚えている。ありがとう京アニ題名のない音楽会五嶋龍が、ユーフォニアムって楽器を今まで知らなかったみたいなことを言ったとき、くっそ!ほらな!って思ったさ。

さぼりはしないけれど練習に打ち込まない私の意識が変わったのは、東北大会に出場したのがきっかけだ。

大会で一番の成績を収め、隣県で行われる東北大会に泊まりがけで参加。

林間学校にも修学旅行に行ったこともない小学四年生には、年上のお兄さんお姉さん、同級生たちとの旅行はとてつもなく楽しかった。

そこからは、結果出してまた泊まりがけで大会に出たい!と練習に打ち込み始めた。譜面から赤線はなくなった。

五年生でも六年生になっても、東北大会に進んだ。

私が小学四年生だった年、新しく赴任してきた先生吹奏楽部顧問就任していた。

前の学校でも吹奏楽部指導していて、次に赴任した小学校でも吹奏楽部指導して、そして今でもどこかの小学校吹奏楽部顧問をしている。その先生が来れば、その学校吹奏楽部は県で一番になれる。当時は知る由もなかったけれど、そういう顧問だったらしい。

から私は、私の友人たちは、入部希望届に吹奏楽部と書いてもいないのに、吹奏楽部に入れられたんだと最近思い立った。

みんなスポーツが得意で、今で言うスクールカーストの上位の方で、タフだった。私以外。私以外に譜面赤線を入れられていた友人はいない。

強い顧問が来るのなら、それに見合った児童必要だったんだろう。希望届が関係なくなるくらいに。

吹奏楽部のことは、最後には好きになれた。中学校で続けはしなかったけれど。

でも未だに、顧みられなかった入部希望届に対し、第一、第二、第三希望真剣に考えた私の思いは返して欲しいと思っている。

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