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はてなキーワード: チャイムとは

2017-03-12

今日音楽

夕方に流れるチャイムって地方によっては季節ごとに変わるらしいよ

2017-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20170227114417

20暮らしててガラの悪いNHK勧誘員に難癖つけられた経験は一度もない」だの

「よく通販を使うが配達員チャイムを鳴らさずに不在票だけ入れてった経験は一度もない」だの抜かすのんきな連中が跋扈してる増田の「一度もない」に何の意味があるというのか

2017-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20170226124719

自身荷物待ち受けててチャイム鳴ってないのに不在票突っ込まれてたことあって不可解だなとは思ってたけど

あれって配送してる本人には何の益があるの?トラックに積み込み忘れたとかなの?

世間を見てるとぼんやりして聴き逃したとかチャイム壊れてたとかっぽいのを差し引いても希少な事例でもないようで不思議

2017-02-14

1人で初ラブホテルに行った

 初めてラブホテルに行った。ただし1人で。理由興味本位。聞いた話では、ラブホ内装の豪華さや部屋の広さはビジネスホテルの比ではなく素晴らしいという。しか価格ビジネスホテルとさほど変わらず、宿泊せず日帰りなら「休憩」という扱いでさらに安くなる。豪華で安いとは、それだけで興味を惹かれるではないか。そんな素敵な施設たちが、どれも性行為のために建てられているというのもまた興味をそそる。では実際に行ってみようと思ったわけだ。(恋人を作って2人で行ったほうが楽しかろうということは承知しているが、恋するアテがないので1人だ。)

 まず地元ラブホ検索してみたが、どれも市街地から離れていて微妙に行きづらい場所にある。車があれば簡単なのだが、そのためには親の車を借りねばならない。行き先を親に尋ねられては面倒だから、やっぱりバスで行こう。早速バスに乗り、30分くらいして降りた。それからラブホまで1km以上歩く。遠い。これ、せっせと歩くのが私だけだから良いけど、もし恋人を連れていたらきっと文句を言われるんじゃないかラブホの一部屋のためだけに、何もない山道を進むデートプランなんて無理がある気がするぞ。地方住みの人間にとって車は大事だとよく聞かされるが、その理由の1つがデートか、と納得した。

 しばらく歩いて目的地に到着した。いざホテル看板を前にすると羞恥心が出る。いやしかしここは山道だし、人通りは極めて少ない。今は誰も見てないから、さあ入ってしまおう。18禁マークが描かれたドアをえいと開けた。中は薄暗く静かで、フロントにすら人影がない。営業時間外か?いや営業しているはずだ。私のスマホの画面によると、○○号室と××号室は今現在使用なのだから。(ホテルのWebページで、何号室が利用中かをリアルタイム確認できるのだ。「今この部屋で誰かが性交してます」という情報一般公開するシステムが真面目に運用されていると思うと、何だか笑ってしまう。)さてフロント付近には、ボタンの付いた大きいパネルがある。これが噂に聞いた部屋選択パネルか。よさそうな部屋を選び、ボタンを押す。するとパネル上の部屋を示すライトが消える。…それだけ?特に音は出ず、案内もなく、これで本当に入室手続きが出来たのか不安になる。私よ安心しろ、事前に調べたとおりだ、と自分に言い聞かせる。ボタンを押し、部屋に行くだけ。フロント係が姿を見せないホテルも珍しくないと聞いたではないかパネルライトが消えたのは、部屋の状態が空室から利用中に変わったということだろう。緊張しながら部屋に向かう。急な階段を登り、角を曲がると、目的の部屋のドアが見える。ドアの上のランプがちかちかと点滅しているのは「ここに入室してください」のサインらしい。しかし人の気配がないのが不気味だ。暗く狭い廊下で、誰一人見かけない、誰の話し声もしない。時々遠くからドンッと重い音が聞こえるが、何の音か判別できない。防音性能が良すぎるゆえの不気味さか。点滅するランプだけが唯一の歓迎の証だ。これを信じてドアを開ける。いざ入室。

 入室すると靴を脱ぐ場所があり、そのすぐ前にまたドアがある。二重扉、防音は安心できそうだ。2つ目のドアを開け、部屋を目にした瞬間に驚いた。広い、そしてオシャレだ。同価格帯のビジネスホテル2部屋分はあろうかという広さ、2人どころか3人は悠々と座れそうなフカフカソファガラス製のモダンテーブル、でかいテレビ、控えめに流れるイージーリスニングのBGM、マッサージチェアウォーターサーバーまで。照明の雰囲気もとても良い。部屋の数の多さ、広さのために照明は沢山あるが、どれも暖色系の色合いで統一されている。照明自体に飾りがあったり、間接照明を多用していたりと、部屋の上質さを演出するために様々な工夫がされていることがわかる。部屋のデザインは豪華だが落ち着いていて、いやらしくないどころか上品さすら感じる。さて目立たない場所自動精算機がある。これは部屋の鍵と連動していて、一度部屋に入ると精算機にお金を投入するまで出られないと聞いている。玄関のドアを確認すると、確かに開かない。不払いを防ぐ見事なシステムだ。それから風呂場も見てみようと重い、別のドアを開けるとまた驚いた。そこは風呂場ではない、脱衣所だ。顔を洗う用の蛇口と鏡、その横に大量のアメニティが並んでいる。タオル歯ブラシは当たり前として、マウスウォッシュ化粧品が5種類、整髪料が2種類、ローションなどなど。これ全種類使っていいのか…豪華だ。この部屋からトイレ風呂場に繋がっている。バストイレ別だ。風呂場も広い。ビジネスホテル風呂場3つ分くらいの広さはありそうだ。(こんなに広い空間を何に使うのか疑問だ。マットプレイをするにしても、もっと狭い場所で良さそうなものだが。)さてメインの部屋に戻って、周りを見渡してみる。一見すると上品な部屋でも、よく見ると性行為に関連するグッズがたくさん置いてあることが分かる。ベッド脇にはコンドーム、大きなジュエリーボックスのような箱の中には電気マッサージ機があり、テレビ台の中の自動販売機にはピンクローター、ローション、バイブ、まむしドリンクなどが売られている。洒落テーブルの上にあるファイルは、グッズのレンタルの案内だ。コスプレ衣装やマットプレイ用品などを借りることができる。レンタルは1つまで無料…って本当に?安すぎるのでは?しかし1人でコスプレをする気分ではない。他にはアロマディフューザーレンタル…これは私でも楽しめそうだ。せっかく無料から頼んでみよう。ベッド脇の受話器を取り、フロントコール相手はおばさんの声だ。

 「はいフロントです。」「アロマお願いします。」「お持ちします。少々お待ち下さい。」

 この声を聞いて、ようやくホテルスタッフ人間であることを理解した。今までスタッフの気配を全く感じなかったから、自立型ロボット運営していると言われても信じてしまうくらいだった。しばらくすると部屋のチャイムが鳴った。玄関のドアは開かないはずだが…向こうから入ってこないということは、こっちから開けろということか。試してみると、ドアは普通に開いた。目の前にはサービスワゴンと、そこに乗ったアロマディフューザーしかスタッフの姿が見えず、声もしない。ラブホスタッフは客との接触を最小限にしていると聞いてはいたが、まさか物品の受け渡し時ですら姿を隠すとは。恐らくスタッフは客の気を散らさないよう、柱の影に隠れているのだろう。私は廊下の暗がりに向かって「ありがとうございまーす」と声を掛けながら、ディフューザーを手にとってドアを閉めた。しばらくするとガチャンと音がした。ドアがまた施錠されたみたいだ。うーん、まるでサービスワゴンがひとりでに動いて来たみたいだ。やっぱりロボットなのでは…?

 アロマを試してみると、普通に良い香りだ。でも機械の音が大きいから、性交時には使いにくいような気がする。

 レンタルの次に気になるのは、やはり電マだろう。実物を手に取ったことはないから、どのようなものなのか興味が湧く。ベッド脇に置いてある大げさな箱を開けてそれを手に取る。意外と重い。形はよく見るタイプ(見るといっても液晶や紙の中でだが)で、細長い取っ手とテニスボール大の先端部からなる。コンセント差しダイアルを回す。これがあの振動か。先端部を握ると手が痺れるほどの強さだ。さらにダイアルを回すと電マはけたたましい音を上げ、最大の強さにするとかつてないブルブルが私の手を襲った。先端部を握った手は重いパンチを受けたかのように力が抜け、強く握っていられない。これほど強烈だとは…どうりで有名グッズになるわけだ。ところで、電マの箱には注意書きが書いてある。「使用時はおもちゃゴムを付けてください。」そのようなゴムがあるとは知らなかった。よく見ると箱のそばにはゴムらしきものがある。製品名は「トイラップ」と書かれている。「コンドームではありません」という表示のとおり、普通スキンよりも分厚くて固い感触をしているが形状はコンドームと同じだ。説明書きによると、このゴムを内側から指で広げて電マの先端部にかぶせるらしい。なるほど面白いせっかくだから使い方を覚えていくことにしよう。さっそく試してみるが難しい。コンドームを広げてテニスボールにかぶせるような動作といえば難しさが伝わるだろうか。すんなりとは輪っかが広がらず、無理に装着しようとしたら摩擦で破れてしまった。

 しまった。もう一度挑戦したいが、そのためにはフロント電話して替えのゴムを持ってきてもらわないといけない。これをお願いするのはかなり恥ずかしいが、それでも好奇心のほうが上だ。新しいアイテムの使い方を知りたい。意を決して受話器を取った。若い男性の声が電話に応答した。

 「はいフロントです。」「トイラップ?っていうやつの、替えを持ってきてもらえませんか。」「トイラッ"ク"?えーっと…」「いえ、トイラッ"プ"を…」「トイラップ…?ですか?」

 おかしい、相手に伝わっていない。電マにかぶせるやつだと言えば一発で伝わるだろうが、電マなんて恥ずかしくて言いたくないぞ。

 「試そうとしたら破れちゃったんで、新しいのを持ってきてほしいんですけど」 「破れ… ああ!あれですね。あの、で、でん…、電…」

 お前が恥ずかしがってどうする。スパッと言ってくれないと、こっちまで恥ずかしくなってしまう。とはいえ、「でん」の2文字があれば意思疎通ができたことは分かる。

 「そう、それです。」「分かりました、お持ちします。」ガチャリ。

 思わずベッドに突っ伏した。想定よりも恥ずかしい会話になってしまった。お互いが「電マ」と言えないのに、電マに関することを伝えなければいけなかった。とはいえ、これでもう一度あのアイテムに挑戦できる。しばらく待機すると、またチャイムが鳴った。玄関のドアを開けると、やはり人がいない。目の前のサービスワゴンには小さなゴムけがちょんと乗っている。奇妙な光景だが、人がいなくてよかった。もしこれを人から手渡されたら、さらなる羞恥を味わうところだった。「どうもー」と言いながらゴムを取り、ドアを閉めた。しばらくしてまた鍵を閉める音がした。

 

 さて再トライだ。トイラップをかぶせる前によく広げるのがコツなのだろう。ちょっとした試行錯誤の末、装着に成功した。これで電マの先端部はカバーされ、局部に当たる部分が衛生に使えるようになった。しかし取っ手の部分まではカバーされない。ここにも他人の愛液なり精液なりが付くと思うのだが…まあ見た目には汚れはなく、ベタベタするわけでもないので衛生問題はさほど気にならない。ただ潔癖症の人は使用を嫌がるかもしれない。とにかく、これでようやくトイラップに関する私の好奇心は満たされた。

 

 さて、まだ部屋にはアイテムがある。部屋の隅、目立たない場所にある額縁の中には「命を守るために。売上の一部は日本赤十字社寄付されます。」カップルで命を作るついでに命を守る…面白いシャレだ。ベッド脇の分厚いファイルの中にはコミュニケーションノートがある。過去にこの部屋に宿泊した客が、思いの丈を書き記したノートだ。見るとただのノートではない。情事を書き記すために作られた記入欄がある。例えば「今日の想いに○をつけよう。彼女記入欄: 今日望むプレイは? ハードに・やさしく・ちょっとだけ・さわらないで  彼氏記入欄: 今日は何回がんばる? 彼女の望むだけ・3回・1回・もう帰る」といった生々しい質問がズラリ。そこに律儀に回答している沢山の恋人たち…。1人で冷静に部屋を観察している私と、熱々なノートの温度差が心にしみる。「好きすぎてやばい」「素敵なデート」「愛してくれてありがとう」 愛の記述パレードラブホテルが人々の幸せに大きく貢献していることが分かった。どうぞお幸せに。

 次はテレビでも点けよう。このホテルにはVODがない。(ネット口コミレビューが言うに、「今時ラブホでVODがないなんてありえない」らしいが。)見れるのは地上波といくつかの有料放送。BS、CS、アダルトチャンネルが3局など。しかし興味を惹かれる番組はない。食事を頼んで映画を見ながらまったり、といった楽しみ方はまた別の機会にしよう。

 

 さて色々部屋を観察していたら、いつの間にか2時間を過ぎてしまった。料金プランの休憩2時間コースは超過し、代わりに休憩5時間コース適用されるはずだ。5時間コースで今帰宅するのは勿体無い。もう2時間くらいは部屋にいよう。しかし何をしようか。食事も頼めるみたいだが、お腹は空いてない。とりあえずベッドに潜り、ダラダラとスマホを見た。うーん、他に楽しいことがあるような気がする。周りを見渡すと、私のそばに電マが横たわっている。そういえば先程のゴムの挑戦のあと、ベッドの上に放り投げたのだった。2回も挑戦した甲斐があって、先端部はしっかりとカバーされている。私はしばしそれを眺めた。さて。ベッド、私、電マが、飾り付き照明に照らされている。私はおもむろにそれを手に取る。ここから割愛

 結局、休憩5時間コースを目一杯に利用してしまった。シャワーを浴び、服と荷物を整え、精算機に対面する。想定通りの料金になっているだろうか。何かの間違いで宿泊料金になっていたらどうしようか、と緊張する。「精算」ボタンを押して表示された金額は、よかった、想定通りだ。千円札を何枚かガーッと吸い込ませると、玄関のドアが解錠される音がした。さあ帰宅しよう。

 

 「帰路」の案内に従って進むルートは、入室時とは別になっていた。他の客とすれ違わないようにするために、別の廊下を準備するとは驚きだ。出口の扉を開けると、入った所とは違う場所に出た。もうすっかり夜だ。公道に出た私を待っていたのは、闇だった。そういえば忘れていたが、この山道には街灯がない。目を凝らさなければ道路が見えないほどの闇の中、バス停まで1km以上歩かなければならない。ああ、これが2人デートじゃなくてよかった。恋人にこんな怖い道を歩かせていたら、興ざめなことこの上ない。このリア充界では車があるのが当たり前で、徒歩での移動は想定されていないわけだ。私は世のカップル達との温度差を感じながら、闇の中をせっせと歩いた。

 

 バスに乗り安心したところで、今日の出来事を振り返った。美しい場所だった。内装の美しさ、性の美しさ、人と会わずサービス提供する奥ゆかしさ。そのような場所に初めて足を運んだのは大きな冒険だったが、次は気軽な気持ちで利用してみたいと思った。旅行時にコスパの良いホテルとして使えるし、コミケに参加した後で薄い本に没頭したい時にはうってつけの場所だ。設備があるホテルなら、映画食事カラオケでダラダラするのも良い。きっと1人でも、様々な使い方ができるはずだ。さあ、今日は新しい経験をした。このことは詳しく日記に残そう。私は帰宅して間もなくパソコンに向かい、この文章を書き始めたのだった。

2017-02-03

オタクの俺を守ってくれたヤンキー

ヤンキーDQNはよく漫画ドラマなどで正義存在として描かれる。

ヤンキーの時点で、どう考えたってただの悪者しかなく、それを正義存在として扱って美談とするのは、ちゃんちゃらおかしい。

という論調ネット上、特にはてなにおいては顕著だろう。

学生時代真面目に過ごしてきた奴にとって、ヤンキー存在など邪魔しかなかったろう。恨みも相当あると思う。

俺も学生時代スクールカースト底辺非モテキモオタ層にいたので、散々ヤンキーイジメられた。

なのでヤンキーに対する恨みは相当ある。ただし、一人を除いて。

俺の通った中学は、2つの小学校に挟まれているために、その中学入学するということは2つの小学校統合されたような感覚になる。

俺の通っていた小学校は真面目な生徒ばかりの、いたって普通学校だったが、何故か向こうの小学校は荒れていることで有名で、ヤンキー揃いの学校だった。

ということは、もちろん中学なんか荒れも荒れていて、地元じゃ忌み嫌われているような中学校だった。

それが嫌で、わざわざ遠い中学に変更する奴がいるくらいだ。

どれくらい荒れてるかって、中学校毎日パトカーが来る。そこに通う俺も何があったのかまでは知らないが、とにかく毎日から夕方まで学校前にパトカーが停まっている。教師パトカー理由を問い詰めても一切答えない。

授業中も、どこかしらガシャーン!と窓が割れる音が学校中に鳴り響いているのに教師はそれを無視して平然と授業を続け、生徒たちは誰も授業なんか聞いちゃいない。

机に足を乗せて無駄口くっちゃべってるのに教師はそれを一切注意せず、

ヤンキーたちが教師に向かって「つまんねーぞ!」「てめー教師資格ねーんだよ、死ねよ!」と野次飛ばしてはゲラゲラ笑い転げているのに、一切反応せず無表情で授業を続ける。「24ページの5行目は誰に読んでもらおうかな…じゃあ、安部!」みたいに、教師が生徒を指すということも一切しない。

ただ淡々教科書を読み、黒板に説明を書く。誰も見ちゃいないのに。

チャイムが鳴れば「じゃあここまで」とだけ言ってさっさと帰っていく。

もはや、この教師人間ではなく、感情の無いロボットなのではないかと思うほどだ。

どの教科の教師も皆この調子だ。

日中ずっとこんな環境なので、ああ、俺の学生生活は最悪だな…としか思えなかった。

それなのに教師たちは揃って「このクラスは素直だし、みんなちゃんと言うこと聞いてくれるから最高だな!この学校始まって以来の良いクラスだ」とか言う。バカなの?死ぬの?

まあ、授業中ガラス割れる音が頻繁に鳴り響く学校なので、他のクラスは授業中は勝手教室を抜け出し、校内の至るところで暴れているのだ。

授業中、教室から生徒が抜け出さないのはうちのクラスくらいらしい。

(俺は目撃したことは無いが、授業中に校内を歩けばいろんなとこでセックスしてる生徒を見るという。

休み時間ともなれば、廊下教室、いろんなところで人目も憚らずベロチューしてる男女がいっぱいいた。

ロチュー程度じゃ教師も見てみぬふりだ。)

もう、中学校じゃなくて動物園。チンパン動物園

下校時なんか、ヤンキーたちが学校の近くのスーパーコンビニ中古車屋に展示された車、なんなら一般住宅に停まっている車に投石して歩く。どんだけガラス割るの好きなんだ。猿かよ。

毎日学校に周辺住民やお店から激怒電話があったようだ。学校側が賠償をどうしてるのかは知らない。

もちろん、周辺のお店の万引き被害も相当なものだろう。

投石で捕まる奴はいなかったが、万引きがバレてさっきまで学校にいたのに急にいなくなる奴がけっこういた。

あ、それで毎日学校パトカー停まってたのか?

信じられない人もいるだろうが、その中学校に通っていた俺にとっては紛れもない事実だ。田舎じゃよくある話だと思う。

そんな学校だ。とにかくヤンキーであればあるほど地位が高く、

こっちの真面目な小学校の生徒で、小学校時代は俺と仲良くしていた奴等も感化されてどんどんヤンキー化していき、俺をいじめるようになった。

女子の間ではヤンキーと付き合うことがステータスである。こっちの真面目小学校出身の真面目女子たちも、ヤンキー男子を次々渡り歩くヤリマンと化した。スクールカーストから蹴落とされまいと必死だったんだろう。

小学校ときは優しかった真面目女子たちでさえ、俺を蔑むようになった。

お前ら、あれだぞ。今で言えば、広瀬すずみたいな、男の言うことをなんでも聞いてくれそうな、いかにも童貞が憧れるタイプの清楚な童顔美少女ほど残酷だぞ。清楚な見た目して中身は酷いぞ。そういう女ほどDQNしか眼中が無いぞ。まだギャルっぽい女のほうが可愛げあるぞ。

まあ、とにかく中学入学するなり今までの平和だった環境が激変。えげつないほどイジメられまくった。

この当時のイジメられ体験談他人に話せば、「よく自殺しなかったね」と言われる。それくらい壮絶を極めた。

俺と仲良くしてくれる奴なんて、一緒にイジメられてるカースト底辺のどうしようもない男たちだけだ。

そんな壮絶な環境を、カースト底辺男子たちでどうにか耐えてサバイブし、中学2年生になる。

中2になると、クラス替えがあった。このクラス替えが俺たちカースト底辺の壮絶な環境またまた激変させる。

正義ヤンキー大西の登場である

大西というヤンキー男が俺と同じクラスになった。

大西はこの学年のカースト頂点である女子の大半が大西に憧れ(大西彼女ともなればこの学校で一番偉いと言っても過言ではない)、同級生なのにも関わらずヤンキーたちは「大西くん」と呼ぶ。おそらく、呼び捨てしたらブッ殺されると思ってるんだろう。

上級からは、くん付けこそされないものの、恐れられていた。下の学年の連中を好きなようにコキ使うくせに、大西だけは一切手を出されない。

とにかくヤンキーから恐れられていて、地元ヤンキー大西名前を知らない奴はいないと聞く。

この大西、なぜか俺たちカースト底辺のどうしようもない男子生徒が呼び捨てするのを許した。

同級生ヤンキーが「大西くん」と呼ばなければならないのに、俺たちは平然と「大西」と呼び捨てした。この爽快感たるや!

俺たちカースト底辺クラスの隅っこでコソコソしてると、大西が「何話してるの?」と笑顔で入ってくる。

最初こそ俺たちもビビったが、あまりにも笑顔なので恐怖感がない。

当時は「アニメを見ている」と言うだけで迫害される時代だったが、俺たちがハマっているアニメの話をすれば「俺も見てみたい!」とか言う。DVDを貸せば、「俺もハマっちゃって続き気になるから、次も貸して!」とか言う。なにこの大西かわいい。もちろんDVDも返してくれる。

俺たちのくだらないオナニー談義にも参加して、一緒にゲラゲラ笑う。

大西、ぜんぜん怖くないじゃん。

ヤンキーたちは一体大西の何に怖がっているんだ?

そんな調子から、俺たちも大西!と気軽に会話していた。

もちろんそれをヤンキーが黙って見ている訳はない。大西のいないところで、「テメーラ大西くんナメてんだろ、チョーシ乗ってんじゃねーぞ」と突っかかってきた。

ああ、また地獄のようなイジメが始まるんだなあ、と諦めかけた瞬間、

大西がすかさず現れ「俺の友達になんか用あんのか?」と言い放つ。

それ以来、あの地獄のようなイジメピタッと治まったのだ。

これを正義ヤンキーと言わずしてどうする!

このときの救われた感は一生忘れられない。

大西のおかげで中学2年生期は平和に過ごせたのだった。

俺らカースト底辺と仲良くすれば大西とお近づきになれると思ったのか、それまで散々俺らをゴキブリどころか汚物のように蔑んでいた女たちが掌返して「こんど一緒に遊ぼうよ!」とかほざいてきたが、こちとら腸煮えくり返ってるもんでガン無視ですよ。喜んでお断りさせていただきます。(大西が裏で俺らと仲良くするよう指示した説を唱える人もいるかと思いますが、それは絶対に無いですー女が腹黒いだけですー)

教師が中3になったらまたクラス替えするとほのめかしだして、大西に守られた平和がまた覆されるとヒヤヒヤしたが、無事クラスそのままで中3へ進級。

大西のお陰で、2年3年は無事に過ごせたのだった。

ということは、中1の頃は俺と大西は別クラスだったが、もちろん大西クラスだけはカースト底辺弱者いじめることは無かったみたいで、

とにかく大西弱者に優しい(というか対等に接する)ので、俺らだけではなくカースト底辺の連中は大西を怖がる素振りは無かった。

ただ、俺らが平和に過ごせた中2中3期でも他のクラスではイジメがあったようだ。大西が本気を出せば全クラスイジメを無くすことができたと思う。それが惜しい。

大西がここまでヤンキーに恐れられているということは、何を仕出かしているのかは知らないが、おそらく本当に極悪非道、稀代のワルなんだろう。

ただ、大西は俺ら弱者には一切そういう面を見せなかった。

弱きには手を出さず。そういう信念があったと思うし、

普段ヤンキーの中にいる時は気張っていなければならないぶん、俺たちの前では気を緩められたのだろう。束の間の休息のようなものだと思う。

そのへんのヤンキーが俺らと仲良くすれば舐められるだろうし、カースト頂点にしか出来ないことだ。

そんな大西のお陰で平和に過ごせた中学卒業

中学卒業式大西沖縄成人式並みのド派手な紋付き袴で現れ、教師に参加を阻止され式の最中ずっと職員室に監禁されていた。特効服で来たヤンキー連中も一緒に監禁。)

大西も同じ高校に来ればこんな都合の良いことはなかったが、

やっぱり田舎のワルらしく、大西中学卒業後、進学もせず職にも就かず、フラフラ遊んでいるようだった。

俺はカースト底辺らしく、また高校ヤンキーイジメられるようになった。

イジメられるのが日常になったある日、街中で偶然遊び歩いている大西に会った。

「おお!久しぶり!またイジメられたりしてないか?」と聞いてきた大西に、

俺をいじめてきて一番嫌いなリーダー各の名前を伝えた。

大西が「そうなのか。わかった」と言って別れた次の日、そのリーダー各が学校を休んだ。というか、そのまま3日ほど学校に来なかった。久しぶりに学校に来たなと思いきや、顔がパンパンに腫れていて、「階段から転げ落ちた」という。

そう、みなさんの想像通り、大西は俺と別れた後、ヤツを呼び出すとボコボコにし、

ちょっとここでは書けない鬼畜所業をして差し上げたらしい。(便器で…川で…ああ恐ろしい恐ろしい

大西は何をやったかを俺には一切教えてこなかったが、

階段から転げ落ちたのは嘘で、大西にやられたと専らの噂になっていた。

奴はすっかりリーダーの座を奪われ、大人しくなってしまった。

やっぱり大西極悪非道の大キチガイですわ!

それ以来は大西とは会っていない。大人になった今、大西は何をしているのだろうか?

大西の今を知る同級生は一人もいない。

2016-12-28

遅刻って許せないよな

義務教育の頃から嫌って言うほど、登校時刻やチャイム時間を守らされてきたのに、なんで大人になると途端に時間を守れないやつがたくさんでてくるわけ?

大学か?

大学が何かを狂わせるのか?

2016-12-27

男を犯罪者として気を付けないといけない社会が疲れる

小学生向けの番組で、エレベーターで男と二人きりになって痴漢された再現ドラマを交えて

エレベーター大人の男の人と二人になったら「あっ」と言って忘れ物をしたふりをしてすぐに降りよう、そうすれば相手男性に失礼じゃないぞ

エレベーターではボタンの前にたってすぐに逃げられるようにしよう

変質者は人に見られるのを嫌がるから逃げる途中でチャイムをならして扉を叩いて助けを求めよう

みたいな注意喚起をしていて、必要教育ではあるけど小学校低学年から痴漢危険に備えてこれだけ気を付けないといけない社会に本当に疲れる

性犯罪場合小学生被害者でも犯人擁護がおきて被害者が叩かれまくったりするしマジでろくでもねぇ世の中だ

2016-11-29

初めて芸能人に会った日の話

土曜日の朝、小学3年生の僕らは大いに興奮していた。

まだ週休2日制ではなく、土曜日学校に通うのが当然だった時代。朝、突然に級友のしんちゃんによってもたらされた衝撃的なニュースに、クラス中が騒然となった。

  

今日公民館テレビに出てる芸能人が来るんだってよ!お笑い!!!

  

大事である人口1万人にも満たないこの小さな町に、演歌歌手以外の芸能人が来るのだ。帰ったら急いで家族にも伝えないと!あと、色紙だ!色紙以外にサインを求める事はマナー違反だというのは田舎小学生でも知っている。家に色紙があるか確認しなければ。その日は授業の内容など全く耳に入らなかった。僕としんちゃんは開演時間も入場料もわからないそのイベントに、何故か参加出来るという確固たる自信を持って、下校後のミッションを練り上げていた。

  

「じゃ、30分後に公民館前に集合な!」終業のチャイムと同時に僕らは散開した。

  

公民館前に到着すると、そこはもう沢山の人であふれ返っていた。昼間からこんなに人が集まるなんて、芸能人ってやっぱりすげー!!興奮する僕の横で、しんちゃんがぽつりと言った。

  

「あれ?何か大人ばっかりじゃね?」

  

言われてみれば確かに大人がずいぶん多い。大人8に対して子供2くらいの割合だ。しかも、中高生ほとんど居ない。子供小学生幼稚園児が大半だった。そして次の瞬間、唐突に思った。

  

「これ、僕たち中に入っていいのかな?」

  

今更である。もちろん入場料やチケットの類は持っていない。田舎小学生現金を持ち歩く習慣など無い。持っているのはマッキー1本と色紙1枚のみ。少しずつ不安が大きくなり、入り口から中の様子を伺っていると、親戚のおじさんと目が合った。おじさんはこちらに気付くと手招きした。どうやら入っていいらしい。

  

「早く場所とれ!座るところ無くなっど!(笑)

  

おじさんの明るい声に背中を押される形で僕らはホールに足を踏み入れた。

  

暗いホールにぎっしりと並んだパイプ椅子。席はほぼ埋まり、少し蒸し暑かったステージには演台と大きな花瓶。左手司会者と思われる女性資料を持って立っている。

  

「何か校長先生とか出て来そうだなw」

  

しんちゃん言葉クスクスと笑いながら、僕達はその時を待った。これからここにお笑い芸人が来る!面白い事が起こるんだ!!!

  

定刻となり、司会者挨拶からその会は始まった。何人かの偉そうなおじさんが代わる代わる話をした。その話は校長先生の話より退屈だったけど、僕達は芸能人への期待で何とか持ちこたえていた。子供の興味と集中が途切れそうになる間際、司会者が高らかに宣言した。

  

「さぁ、それでは皆様お待ちかね、本日スペシャルゲストをご紹介しましょう!!」

  

僕らは背もたれから背中を引き剥がしステージの右側を凝視した。

  

次の瞬間、そこにはスーツに身を包んだ一人のおばさんが立っていた。薄いピンクスーツ。左の胸にはブローチがキラりと光っていた。にこやかに手を振ってステージ中央へ進んで行くおばさん。挨拶をして、さっきまでのおじさんたちと同じような話をするおばさん。突然泣き出すおばさん。泣きながら微笑むおばさん。誰かに感謝しているおばさん。拍手喝采を受けるおばさん。深々とお辞儀をしてステージを後にするおばさん。

  

僕らは最後最後まで期待していた。笑っていいともバラエティー番組で見せる、女の人があまりしちゃいけない様な格好から繰り出すギャグを。トーク番組披露するような、面白いエピソードを。きっと、どこかで、必ず、会場を沸かせるギャグ披露してくれることを。

  

公民館を出てしばらくしてしんちゃんがぽつりと言った。

「…面白いこと、1っこも言わなかったな。」

「うん…。」

僕は手に持った色紙とマッキーを見つめながら何となく相槌をうった。

朝、学校で感じた胸の高鳴りは何だったのだろう。僕はどうしてあんなに必死になってお母さんに色紙をねだったんだろう。

横を見ると、しんちゃんの悲しそうな顔が目に入った。朝一番に「芸能人が来るってよ!」と教えてくれたしんちゃん。あのときキラキラした瞳の輝きを思い出すと胸がチクリと痛んだ。

  

「俺知らなかったけど、芸能人ってテレビに出てない時はけっこう普通なんだな!!」

しんちゃんは、この沈んだ空気を打ち消そうと、精いっぱい明るく言った。その明るい声が、なおさら僕を悲しくさせた。

  

しんちゃんさ…」

「ん?」

「今からしんちゃんちでファミスタやろうよ!!!

僕も精いっぱい明るく言った。

  

「いいよ!!でもピノ禁止な!!」

しんちゃんキラキラした眼で答えた。僕らは全速力で駆け出した。

  

これが、僕が初めて芸能人久本雅美に会った日の話。

2016-11-09

[][]先生遠藤さんの上履きがありません! 3

http://anond.hatelabo.jp/20161108120656 の続きです。あと2回くらいで完結しそうです。

ケン

大丈夫だ。何も心配はない。昼休みチャイムが鳴ってから10分。人の移動がなくなるのを待って、俺は行動を開始した。

簡単だ。昼休みの中頃、1人で下駄箱のある玄関に向かう。昼休みには外で遊ぶやつと教室に残るやつがいるけど、外で遊ぶやつは休み時間が始まったらすぐに出て行くからそいつらがみんな出て行ったあと行けばいい。教室を出て行くところを目撃されても怪しまれる恐れは全くないし、校庭で遊んでいるやつらはいちいち玄関に誰がいるかを見たりしない。あいつらはただボールを投げたいだけだ。

万が一下駄箱の前にいるところを誰かに目撃されても、そこにいるというだけでまさか女子上履きを取ろうとしているなんて思う訳がない。女子下駄箱と男子下駄箱は隣り合っているから、立つ位置が多少ずれるだけで、遠目から見れば全く不自然なところはない。もし誰かに見られても、何事もないふりをして自分の外履きに履き替えて校庭に走って行けばいいだけの話だ。

幸いにして教室は一階だから目的上履きさえ取ってしまえば、あとは事前に決めた隠し場所に素早く置き去りにすれば良い。ここが唯一リスクが大きいステップだけど、所要時間は十数秒。見られる確率は十分小さい。それに、もし誰かに見られても、口止めする手段はいくらでもある。

完璧だった。何もかもがうまく行った。誰にも見られることなく、俺はヒロミ上履きを、玄関を挟んで教室の反対側に置いてある熱帯魚水槽に、入れた。

ポチャン」という音がして、水が跳ね返った。シャツに水滴がかかったが、この程度なら目立つことはない。

休み終了のチャイムが鳴って、ヒロミが校庭から戻って来れば、彼女自分上履きがないことに気がつくだろう。

このまま教室に戻ってもいいが、万が一ということもある。ドッヂボールをしているタカヒロたちに合流しよう。一緒にドッヂボールをしていたという記憶さえあれば、それで十分アリバイになる。人は誰と一緒に遊んだかは覚えていても、誰がいつ来たかということは簡単に忘れてしまう。俺が途中からたことなんて、誰も気に留めることなく忘れてしまうだろう。

いつものように外履きに履き替えて、タカヒロたちのいるところへ走って行った。



放課後先生がまたいつも通り、言うはずだ。

遠藤さんの上履きがなくなりました」

計画通り。あまりにも思い通りにいきすぎて、笑いがこみ上げてくる。

「じゃあみんな伏せて」

助かった。笑いを堪えるのに必死だったんだ。伏せていれば、笑いを隠す必要はない。

「心当たりのある人は静かに手を挙げなさい」

心当たりのある奴なんている訳がない。俺は誰にも見られていない。俺を疑う奴なんて誰もいない。

「残念ながら、名乗り出てくれる人はいませんでした。前にも言いましたが、悪いことをしたら、隠していると一生後悔します。でも、それでも名乗り出ないということは、仕方がないのでまたみんなで探します。見つかるまで、家には帰れません」

いよいよだ。ただ、ここで真っ先に水槽に向かったらダメだ。あまりにも迷いなく見つけると、最初から知っていたんだと疑われるかもしれない。まずは誰でも思いつきそうな場所を『探す』。男子トイレに入って、個室を順番にチェックする。洋式トイレが詰まっている以外、おかしなところは何もない。

男子トイレから出て、いかにも「どこだろう」とでもいうように辺りを見回す。これ以上もたもたしていると他の奴が偶然見つけてしまうかもしれないから、カモフラージュはこのくらいでいいだろう。

先生!あった!」



遠藤さんの上履きが見つかりました。水槽の中に入っていたそうです。園田君が見つけてくれました」

ヒロミのほうにちらと目をやってみたけど、こっちをみてはいないようだ。まあいい、俺が彼女上履きを見つけたということさえわかってもらえれば……

「全部あいつが隠したんじゃねえの?」

耳を疑った。

「そうだよな、3回とも見つけられるなんておかしいよな」

自分で隠したから、見つけられるんだ」

「私知ってる!そういうの、ジサクジエンっていうんだってママが言ってた」

違う、俺は……。

「俺が隠したんじゃない」

「じゃあなんで毎回お前が見つけるんだよ。超能力でもあるっていうのか?」

「違うって言ってるだろ!」

恐怖で気が狂いそうだった。



ケンジ、朝ごはんできてるわよ」

俺は自室のベッドの上にいた。土曜日の午前1020分だった。

2016-10-28

教育困難校って、そんなに困難なの?

以下の記事悲惨に書きすぎだと感じた。

教育困難校の「英語の授業」で見た悲惨な現実 | 学校・受験 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

普通科高校教育困難校は知らないのだが、最近まで、子供通信高校学習センターに行っていた。(下参照)

学習センター (高等学校通信教育) - Wikipedia

上のwikipediaには色々問題点、書いてあるけど、私の子供がいっていたところは、同級生の親のほとんどは、学習センターにとても感謝してた。普通高校に何らかの理由で行けない子供ほとんどなので、平均的な学力教育困難校レベルだと思う。子供プリント見ても、「えっ、こんなんでいいの?」みたいなレベルだった。それでも、先生たちは学力ない生徒たちに、50分間飽きない授業をつくるのに一生懸命だったし、先生たちは、自分たちのそういう努力にむしろ誇りを感じているように見えた。

時間はかかるが、教師がワンセンテンスごとの英文和訳文、注意するポイント等をチョークで色分けし、記号も使って見やすく書いていき、生徒にそれを丸写しさせるほうが、効果的とわかった。手を動かして、ノートに書き写させる作業が、生徒の精神安定上にはいちばん良いようで、ほとんどの生徒は何とかやろうとしてくれる。結局、教師自己教科書ガイド、いわゆる「虎の巻」を毎時間作って生徒に示しているような授業になっている。

教師が奮闘しているうちに、授業終了を知らせる待望のチャイムが鳴った。「今日は、教科書10行も進んだ、よく頑張った」と、少しの満足感とともに教室を去る。

これ、多分、私の子供の学習センターでも同じだったと思う。というか、学習センターでは、教科書さえつかわなかった。毎回、先生がつくったプリント教科書がわり。どの教科も。教科書の内容をそのまま教えることは、先生たちは最初からあきらめてたと思う。学力的にそうしないとだめな生徒さんが、すくなくとも何割かは教室にいたんだろうと思う。でも、この記事の前回のやつみたいに、授業が崩壊することなんかなかった。

くりかえしになるけど、この学習センター全然悲惨でなかった。親のほとんども学校感謝してて、保護者会なんて、どんだけ中学校まで、学校に苦労させられたり、子供のことで大変だったか、お母さんたちが順番に泣く告白タイムにかならずなる。(あ、先生がへんな誘導していたわけじゃないよ)それで、ここ来て、子供毎日学習センターへたのしく行ってて、とってもよかった、みたいな話になる。あと、この学習センターでも子供がひきこもったままになっている親御さんをみんなでなぐさめたりもしてた。授業も崩壊したりせず、先生と生徒はだいたい仲良しだった。

卒直にいえば、卒業後の進路はそんなに明るくないよ。すごくがんばってて、仕事のしいです、お目目キラキラみたいな卒業生もいたけど、世間的には中卒に毛がはえた程度とみなされる。あんたらがFラン大学卒業生になげるような視線あびつつ、仕事さがすわけだ。大学行く生徒さんほとんどいないみたいだったし。

でも、多くの生徒にとって学習センター楽しいところで、親も学習センター先生信頼できていた。どうも、上の東洋経済記事よむと、勉強できないこと、指導要領どおりの進度で授業すすまないことと、生徒や学校の荒廃とか不幸とかを直結して書いているように感じてしまう。生徒のほとんどが勉強できなくても、そんなに不幸じゃないように、学校が荒廃しないですむようにすることは、ちょっと工夫すれば、普通学校でもできるんじゃないか。そうでなければ、学力以外で、不幸の原因があるんじゃないかと、元学習センターに通う子供の親は思うのです。

2016-10-23

定時退勤が導入されて名ばかり管理職残業増えたよー!

うちの事業所だけど定時退勤が徹底されるようになったら、名ばかり管理職が増えて、その人たちが残業するようになったよ。

時間管理者は定時でとっとと返されるけど、そのあとはうじゃうじゃいる管理職でこなしてる。そもそもこなさなきゃなんで、定時で帰る人たちの仕事限定的になりがちだし、そもそもの時間管理者がうちの事業所にやってくる人数も減ってきた。

非生産的な?内勤だからね、そんなもんなんだろうけど、形ばかりの定時退勤のチャイムとか、名ばかり管理職担当との壁とかいろいろあってねぇと。

2016-10-07

とても不愉快な気分なのに理由些細なものである

腹痛がひどいながらも仕事ノルマをこなした

自己満足できる程度に出来も良かった

今日は遠方の妹宅に泊りがけで遊びに行くことになっている

手土産でもとスーパーを覗いていたところに電話がなった

電話携帯電話通信会社営業だった

携帯と自宅回線で割引になるという、自宅がその会社通信回線を使っていなくてもらしい

急いでいるのに甲高い声のお姉ちゃんは後に後に話を続ける

それで進めてくれ、というも確認が後からから続く

耳障りな甲高い声はうるさいのに外での通話では非常に聞き取りづらい

5分10分話しただろうか、契約のためにもうしばらく電話必要だという

予定があるから今日は無理だと断ったところ、次にかけてよい日時の確認

そして窓口である電話番号と窓口担当である自身の連絡とで、やっと切れた

急いで自宅に帰る

風呂に入ってからでかけようと服を脱いだところで、玄関チャイムがけたたましく鳴る

慌ててとりあえず上を着て玄関に出る

いつもの宅配便の兄ちゃんだ

通販で買った箱を受け取る

その後シャワー簡単に済ませて今に至る

なにかすごくイライラしている

理由は本当に些細な事だ

なのにすごくイライラしている

出来事に比べてのイライラが、まるで割に合わないと思う

バランスおかし

しかしとりあえず書いたらスッキリした

さっさと出かける用意をして家を出なければ

2016-08-16

未就学児と身体障害者についての個人的な思い出【追記有】

せめてプリキュアコスプレゾーニングして欲しい、というお話

http://prehyou2015.hatenablog.com/entry/cos

上記エントリブコメにいくつか障害者について言及したものがあった。

fujixe 「難しい話をするハメになった」と言うのは、機会が無ければそんな話をするつもりは無いということだろう。説明が大変なので幼児のうちは障害者を見せてはいけない、というのと何が違うのだろう。

oskimura 子供がショック受けるからゾーニングって理屈を許すと、同性愛者やトランスセクシャル障害者ホームレスなどをゾーニングして公共空間から追い出せって話にもなるぞ

それを見て、未就学児時代出会った「マジョリティではない人」のことを思い出したので書いておく。

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そもそも私の故郷田舎だ。

3~5歳くらいのころは、近所に住んでいる子供の家に遊びに行くのと同じように、

近所のおじいさんおばあさんの家に遊びに行くことが珍しくなかった。

本人も把握しきれないほどたくさんの猫を飼っているおばあさんがいた。

まだ囲炉裏のある家のおばあさんは、怖い話の名手だった。囲炉裏のある部屋は広くて天井が高くて変な人形があった。

特に何にもなくたって、単に近所だという理由でよく遊んでもらった。

朝ご飯を食べてにこにこぷんが終わったら、一人で外に遊びに出て、おばあさんと遊んだり近所の子遊んだりして、お昼と夕方チャイムで家に帰った。

私が特別放置されていたわけではなく、地域性時代問題だと思う。近所の子供もみんなそんなもんだったから。

「ごめんください」という言葉はその頃にもう覚えていたと思う。


Aおばちゃんはそういう、「遊んでくれる近所の大人」のうちの一人だった。

Aおばちゃん、と呼んでいたが、おいくつだったのか今となっては定かではない。

Aおばちゃんは、足が深く曲がっていた。片足はしゃがんだ時のように曲がったままで、片足は真横にぴんと伸びたままだった。

から子供私たちと目の高さが同じくらいだった。

家の中では、曲がったほうの足を踏みしめ、伸びたほうの足を引きずって移動していた。

家の外では車いすに乗っていた。なんかでかくてかっこいいやつだった。

一度、Aおばちゃんて足どうして曲がってんの、と聞いたら、河童につかまって曲げられたのだと言っていた。

私は彼女の足についてそれ以上の理由を知らない。

何をして遊んでもらっていたのかは、今となってはよく覚えていない。

ただなんとなく遊びに行って、子供のおしゃべりに付き合ってもらったり、おばちゃんちで他の子と遊んでいたりした。

アルプス一万尺」を友達のなかで私だけ知らなかったときに、教えてくれたのはAおばちゃんだったかもしれない。

それだけだ。特に足にまつわる特別な思い出も感情もない。

今思えば彼女身体障害者だったのだが、そもそもそういう概念さえなかった。

猫を山ほど飼っているおばあさんがいて、怖い話の名手のおばあさんがいた。

Aおばちゃんは、近所の、河童に足を曲げられてしまったおばちゃんであった。

小学生になるとさすがにほいほい遊びには行かなくなったが、冬休みはAおばちゃんちの雪かきをした。

地区子供会というのがあって、近所の子供でかわるがわる当番を決めて毎朝やっていた。

特にボランティアとか障害者の方のためにとかそういうお題目があった覚えがない。

なぜ自分達がやるのかという疑問もなかった。

1年生のころからそうしていたから、そういうもんだと思っていた。

おばちゃん来たよー、といって、家の前を雪かきして、じゃあねーと言って帰った。

そんなもんだった。

特にこの話から結論はない。

ただ、自分がどうだったかな、というのを思い出したので書いた。

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【追記】

watto こだわりを持たなかった子どもが、やがて成長して、なにごとかを察して離れていく瞬間が、一番つらいだろうな。

上記ブコメがなぜかスターを集めているようだが、少なくとも私は「なにごとかを察した」記憶など全くない。

近場でしか遊べない幼児の頃はAおばちゃんを含め近場の大人によく遊んでもらったし、

次第に行動半径が広がる小学生になるとその機会が減っただけのことだ。

Aおばちゃんはふつうにいた。

あなた方の近所のおばちゃんと同じように。

2016-07-31

ぼくのかんがえたさいきょうのおひす

  1. 一人ひとりのデスクパーティションに区切られてて周りの雑音に悩まされない。
  2. パーティションと言ってもその場で筋トレや反復横跳びを十分にできるくらいのスペースがある。
  3. みんなで隣り合って作業することもできる。不慣れな人が居るチームではこの形態採用されることも多い。
  4. 空調もパーティションごとに変えられる。暑がりでも寒がりでもみんな快適。
  5. 休憩時間になるとチャイムが鳴る。みんな即自分時間を満喫し始める。
  6. 休憩時間中や始業前に働いてる人はおもいっき馬鹿にされる。社内チャットの「今日奴隷」という部屋でボコボコにされる。もちろん冗談みたいに叩くがそれが続く場合みんなほんとに心配してくれる。
  7. 好きなキーボードマウスを使っていい。既成品ではないピーキーな特注品でなければ原則会社が購入する。
  8. から近い。歩いて10分以内に自分の席に座れる。
  9. みんなが使って良い冷蔵庫がある。みんなが好きなだけ使っても大丈夫なくらい大量の冷蔵庫がある。
  10. 掃除掃除屋さんが来る。デスクのホコリ取りもしてくれるが嫌な人は事前に言っておけば掃除されないようにもできる。飾ってるフィギュアだけ掃除しないでとかも指定できる。
  11. お昼は毎日違ったコックさんが料理を作りに来てくれる。近所にうまい・安い・健康的な食事をとれるレストランもいっぱいある。
  12. 私服勤務可は当たり前。髪型自由。お客さんを相手にする場合でもその格好のまま会ってOK。お客さんもこの社風を理解してるのでピンク髪やモヒカンにしてる人は写真とか撮られて大人気。
  13. みんなどうしたらみんなで楽しく仕事できるかばかり考えてる。

2016-06-12

人類最後の日、の夢を見た。

隕石が落ちて、人類最後の日になる夢を見た。

  

札幌かどっかに家族旅行中で、もうすぐ隕石が落ちますアナウンスがあった。

どうしようもない。いきなりすぎる。

状況設定としては、リゾート用のコテージで、客が300人くらいは泊まれ施設だろうか。

外はまだ夏なので雪もないがやや涼しい

  

その旅行メンバーは。

母(60近い)、父(50近い)、俺(アラサー)、弟(1個下)。

おばあちゃん(母方)

おば(母の妹)

というメンバー

  

父は、自己中なので、すぐにどこかに行った。

車はそのままなので、体一つで、どっか行ったんだろう。

俺と母に厳しい顔で、ウンウンってうなづいて、どっか行った。

一人で死ぬ気なのかなーって思った。

あるいは、家族仲が微妙なので、父はここにいるべきじゃないと父自身判断して、そういうやさしさで消えたのかもなって思った。

たぶん、父は散歩中に死ぬ感じだろうなー。

  

弟が、家族挨拶する。湖に行きたいとのことだ。

どうやら、周りの家族でも、最後子供と遊ぼうと湖に行くらしいのがちらほら居る。

湖には、小さい子供向けにサッカーボールフリスビーなどがおいてあり、そこそこ遊べる。

弟が何しに行くのかわからない。

おとなしくて優しい奴だし、絵をかくのも好きだから、湖を見たり絵を描くんだろうか?

  

弟を見送ったあと。どうするか。

母と、おばあちゃんと、おばちゃんは、たぶんコテージの部屋に帰るだろう。

そう思ったが、俺はどうするか。

俺は、弟を追いかけることにした。

家族挨拶して、駐車場へ。

弟が自転車で湖に向かうのが見えた。

車で行こうかと思ったけど。俺も自転車にした。

  

湖では、子供たちがボール遊びをしており、それを眺める家族が何組かいた。

なんと、弟は子供たちに交じってボール遊びをしていた。

俺は、それを見て安心した。弟は死に場所を見つけたみたいだ。

俺は実は、弟と仲がよくない。あったらすぐけんかする。それは俺の性格が悪いし俺が人生鬱屈してるのをぶつけてるわけだけど。

はっきりいって、弟も俺が嫌いなはずである

うんうん、最後くらい弟の邪魔をするのはやめるか。と思った。

  

俺は、湖からコテージに帰り、母とすごすことに決めた。

ふと、叔母の子供2人の状況が気になる。叔母とその2人の子供は仲がよくない。

叔母が完全にADHDで家をごみ屋敷にしてしまうからなんだけど。

でも、叔母は子供たちに会いたかっただろうなあと思う。

母はどうだろう。母も、俺と弟が大好きだから、俺が行ったら喜ぶかなと思う。

  

俺は、コテージに帰る。

意外なことに、母、叔母、おばあちゃんはそれぞれ別の部屋に居た。チャイムを押したら、1部屋ずつ、一人ずつでてくる。

部屋で、4人でお茶を飲むことになる。

ここで、俺の中にもう数分で死ぬだっていう感覚が湧く。

the world is mine』というマンガでも世界の終末が書かれるんだが、そこでのキャラの1人が、家族5人で抱き合って死ぬ場面がかかれる。

その風景を思い出す。

俺は、その場で土下座して、泣きながら、「今までお世話になりました。とても幸せ人生でした。皆さまの深い愛情のおかげです」と言った。

叔母 「増田君は小さいこから勉強が好きでねえ」

俺 「はい、たくさん勉強できて幸せでした」

っと、おばあちゃんが、全員に1万円札を渡した。

おばあちゃん 「少ないけど、地獄の沙汰も金次第っていうし、ね。」

そうなんだ。

俺たち一家金持ちなんだけど、基地外ばっかりで、家族としてはぎくしゃくしていた。

最後、金でつながるってのもあるなあと思った。

隕石衝突まであと1分くらいか

気持ちとしては、老後にもなか食いながらお茶してる気分で、家族のつながりを感じていた。

  

このへんで夢から覚めた。

ほー人類滅亡とは、夢の自分が消えて、本当の自分が始まることでしたかー。

って感じ。

今書きながら泣いてる。

2016-06-05

国民生活基礎調査が来た!

対象となった世帯には、封筒に入った調査票が配られる。

連絡先は、市区町村の「保健センター 統計担当」。

収入世帯構成健康状態についての質問があり、回答を調査票に記入する。全部で10ページほど。

封筒調査から手渡しされ、その際に調査についての説明がある。

不在の場合封筒と共に「連絡票」がポスト投函される。

連絡票には、厚生労働省実施している調査であること、指定の期日に調査票を受け取りに再訪する旨が書かれている。

回答期日は配布から半月ほど後。

隣家調査対象となっていたので、地域ごとにある一帯を調査の標本として選んでいるようだ。

記入した調査票は、回答期日に調査員に直接手渡さないといけない。

インターネットまたは郵送での回答は不可。こういう時のためのマイナンバーでは無いのか?

夜7時に受け取りに来ると書いてあったのだが、チャイムが鳴ったのは何故か午前中。

たまたま在宅中だったので無事提出できたが、不在の時はどうするつもりだったのか。

謝礼は、地域商品券が300円分。

自治体ごとの裁量で内容を決めているものと思われる。

2016-05-30

カジノで働いていた頃の思い出 第1話 池袋の地下にも3年

 今となっては昔のことなのだが、20年ほど前俺は池袋西口の地下にある大きなカジノバー(以下Rとする)で働いていた。当時はFromAやanなどのアルバイト情報誌に裏カジノディーラー募集がごく普通に載っていた。池袋のハコは俺にとっては3軒目で、この店が摘発された後、新宿歌舞伎町の小さなハコで店ぐるみイカサマに関わったりもするのだが、その話はまた別の機会にして今回は当時の一般的非合法カジノの話をしたい。

 当時はカジノブームが起きていて、表向きアミューズメントを装っているが実は換金しているカジノ新宿渋谷池袋横浜などの都市はいくつかあった。一般人可能な非公営賭博としてはパチンコパチスロけが有名ではあるけど、「ゲーム喫茶」と呼ばれるポーカーゲームカジノブーム以前から今も続いている。「10ゲーム」などの看板を出して換金できるポーカーだ。裏カジノ業態ゲーム喫茶に近いと思う。

 客はチップ$100=1万円で購入する。大体10万ずつ買う人が多い。好きな台で遊んだあと、チェックすると黒服から換金場所を教えてもらって換金しに行く三店方式の店が多かった。自分が当時遊びに行った渋谷新宿の店はそうだった。Rでもそうだったと思うけど、黒服最後までディーラーには換金場所を教えなかった。摘発された時にディーラー善意第三者であるという建前を守ってくれてたんだね。まあケーサツにそれは通用しないんだけど。前にいた赤坂の小規模な店では黒服が一緒に店外までいってその辺の人目のないとこで換金してた。換金率は100%だったり90%だったり。大きな店は客が入れば儲かるのでここで渋る必要ないと思うんだけどね。

 種目はバカラルーレットブラックジャック(以下BJ)の3種。BJのお客さんはカジノ初心者が多かった。トランプルールを知ってるからかな。バカラと違って客対ディーラーになるので、バカラ疲弊した人がBJ息抜きをしたりもする。Rではルーレットの盤面は超ゆっくり回すので、ルーレット大好きな常連さんも結構いた。盤面をグルグルン回すと完全な運ゲームになってしまうが、ルーレットにはボールの落ち始める斜面に4つのピンがあり、どこに当たって落ちるのかを予想しながらやると面白い。盤面は店のオープン前に水平器を使って調整しておくんだけどどうしても日によって傾きが出てしまい、当たりやすいピンが発生する。ディーラーベル大音量で鳴らしたりこっそり空気吹きかけたりして客の裏をかこうとする。こうなってくるとただの運ではなくなって来て俄然面白くなる。バカラは要は丁半博打で昔から日本人には大人気。でかい盤面が立つのバカラ。受けてくれる相手さえいればどんどんベットできるので、俺がさばいた中では最高で1ゲーム200万かけた人もいる。元ヤクザ親分でその日は大負けでヤケになって有り金全部で450万くらい入れようとしたんだけど、受ける相手がいなくてバランス見てカットして200万、顔真っ赤にして怒鳴り散らしてたのにその勝負には勝って微妙な顔をしてた。

 普通カジノタバコアルコール簡単食事無料が多かった。これはゲーム喫茶もそう。ただRはアミューズメント気取って大々的にやってたせいか、この辺は厳しくって$10チップ一枚もらってた気がする。もちろん太い客にはタダで寿司とったりしてたけどね。

 大きなハコにはだいたいバニーガールがいた。ウェイトレスじゃなくてバニーガール。いわゆる黒いウサギの格好じゃなくて、3ヶ月おきくらいで衣装が変わってた。Rはバニーレベルが高くて、CMにでてたりグラビアに出てたりするような子が何人かいた。読モなんてこのバニーの中では平均以下レベル。あとお客さん、というかお客さんが連れてくる女の子元アイドルの子がいて、当時まだ芸能活動してて写真集とか出してたんだけど初見では本当に見とれるくらいかいかった。芸能界可愛いだけの子ならいくらでもいるんだろうけど、こんなかわいい子でも大して売れないんだなあって思った。

 ディーラーをやってるとイカサマを疑われることがよくあるんだけど、大きなハコで店ぐるみイカサマをすることはない。どのゲーム確率でいけば胴元が儲かるようにできているので、とにかく客がいっぱい入って場が立っていれば店がマイナスになることはないからだ。危険を犯してまでイカサマをする必要が無い。小さな店とか、大きな店でもディーラー個人がイカサマすることはあって、Rではとあるディーラーが客にチップ横流ししてヤクザに追われる羽目になった。SさんとN村くん、元気にしてるかなあ。

この店が摘発される数週間前、黒服に呼ばれてディーラーの大半がとある居酒屋に集まった。なんでも某月某日に警察の手が入るらしい。黒服には派閥があって別の派閥の人はこのことを知らないらしい。警察と仲がいい人に連絡とって確認したけどそんな情報はないと言われたが、まああっても俺に言うわけ無いだろうし、この事で逆に警察に「情報漏れてるから予定日を変更する」と思われたかもしれないな。

 Xデーはみんな無断欠勤すると言ってた。俺は大事をとってその週ずっと休みにしてた。Xデーの前日が給料日で、俺は休みだけど給料だけ受け取りに店に行った、というか店の上のゲーセン格ゲーしてたんだ。そしたら黒人黒服たまたま俺をみかけて「イマミセイッチャダメー、ゼッタイダメネーイ」え?彼はそのまま逃げていった。

 うーん、まあ最悪客のフリすればいっか、と思いエレベータに乗った。店の前で降りると警察に「今ダメだ、帰れ帰れ」と追い返された。しょうがないので店の外で待ってみた。護送車とパトも来てる。チーフディーラーKさん(大阪人・みんなの人気者)が出てきた。踏み込まれた瞬間に裏口から逃げてきたそうだ。内偵チーフだということがバレていたらしく警察は「KどこだKはー!」って連呼してたらしい。この人は大阪ヤクザに追われて東京出てきて「もう大阪には帰れない」って行ってたんだけど、別働隊に自宅前見てもらったら警察が張ってるし部屋にあるハッパも見つかるだろうから大阪戻るかあって言ってた。何年も経ってるし警察よりはマシだろって。

 別のディーラー今日休み給料取りに来たらしいが、裏口ももう塞がれてるとの事だった。しばらくして客が少しずつ出てきた。中で簡単質問をされたらしい。ある老人客と一緒に中国人の女ディーラーが出てきた。警察が来た瞬間に私服に着替えて客と腕を組み、愛人面してでてきたのだ。頭の回るやつだ。彼女中国国籍なので捕まって国外退去とかになると確かに面倒だ。俺のタイムカードにも「チーフ」と書いてあったが、Kと違って制服も皆と一緒だし特に探されもしなかったようだ。

 ついでバニーガールウェイトレスも出てきた。夜中になってディーラーも続々出てきた。みんな名札下げて正面と横の写真をとったらしい。いやー貴重な体験うらやましい()黒服全員と、たまたまその時大きな盤面で撒いてたディーラー護送車で連れてかれてしまった。しかもかれはまだ入店1ヶ月くらいなのに。その卓はKか俺かその彼くらいしかまかないので、タイミング次第では俺だったかもしれない。ちなみに可哀想なことに21日+α拘束されていた。

 Kは友人宅に一泊して翌日大阪に帰るってことでみんな1時頃解散した。俺の部屋は店から徒歩圏内なんだが、夜中3時ごろにチャイムがなった。警察なら俺も捕まるのか?俺は普段部屋に鍵をかけない、ドアノブ回されたら終わりだ。物音を立てないように静かに覗き窓を見たが誰もいない。エレベータはまだ俺の階で止まってる。エレベータで来て階段で帰ったのだろうか?それとも俺が出てくるのは張ってる?家に帰れなかったディーラーなら入れてあげたいがケータイ番号知ってるはずだ。ただ当時はまだケータイは普及してなくて、俺が持ってたのもPHS、大半はポケベルだったから俺の部屋に来たことがあって番号知らないやつもいたかもしれない。

 その後音沙汰はなく俺は無事で済んでよかった。給料は後日路上で支払われた。拘束した彼は拘束料上乗せされるべきだと思うんだけど、金がなかったのか逆に少なかったらしい。ひどい。

 赤坂の店でのヤリチン韓国人の純情な話とか、歌舞伎町の小さなハコでのイカサマの話とか、10年後にイカサマっぽい店に遊びに行った話とかいろいろ書きたいことがあるんだけど、今日はここまで

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増田匿名性があるから面白いこともあるとあるけど、続き読むのに不便かなと思ってカクヨミニストになりました。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881140549#table-of-contents

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給料を払ったのはこのメンバー集めて次にカジノを開く予定があったからかな。あとコメントリンク先に手入れ三回目で閉店って書いてあるけど一回で閉店してるしそのデイーラーをつかって数カ月後に池袋で中型のハコを開いてるので、別のハコと勘違いされてると思います

あと沼ってのはカイジすみません未読です。福本伸行さんは大好きで、特に西原理恵子に「カッコ良かったんだけどあんな頭が絶壁のキャラ書く人が売れるなんて誰も思わなかったかモテなかった」って言われてるところが好きです。

2016-04-29

9時出社。コーヒーを淹れに給湯室に行くが派遣のお姉さん方の社交タイム。なかなか空かない。カップとコーヒーパックを起き、自席に戻る。

9時半。給湯室がそろそろあいたのでコーヒーを淹れにいく。

以降、11時半ごろまで給湯室は比較的空いている。

12時。昼休みチャイムが鳴ってから給湯に行くと、いつもの男性弁当レンジで温めている最中

チャイム直前に抜け駆けすんなと思いつつも味噌汁を入れる。

12時5分、少し遅れると人でごった返す。うっかり遅れてしまった時は諦めて1220分頃まで待つ。

12時30分以降にトイレにいくと歯を磨いてる人が多く手を洗うのに若干わずらわしさを感じる。

トイレに行きたくなったら12時半前に行っておくようにする。

また、12時半を過ぎて給湯に行くと、高確率弁当箱を洗う人が専有している。

水道が使いたい場合12時半前に。

食事後、昼寝。

13時。午後の業務開始。

開始直前・直後は派遣のお姉さん方の社交タイムトイレも給湯も人が多く使えない。この時間は避ける。

13時20分。まだ喋ってやんの。30分。まだ喋ってんの?!と思っていたらようやくいなくなった。

派遣のお姉さん方の給湯室トークはネガティブな感じの話題であることも多く、居合わせると非常に気まずい。

14時。トイレにいくとシャコシャコと歯を磨く音が。混雑時を避けて歯磨きをする人の時間

同じ会社の子によく出くわす。

15時~15時半頃。トイレにいくと混んでる、くさい個室であることが多い。昼食を消化する時間なのだろうか。

17時半。業務終了で給湯が多少混む。トイレも化粧直しの人で多少混む。

18時以降。トイレ比較的に満足に使える。

22時。たまに入った個室でトイレットペーパーが切れかけてて冷や汗をかく。

遅い時間トイレはペーパーのストック確認を忘れずに。

業務終了。

2016-04-24

http://anond.hatelabo.jp/20160423185525

1 旦那と別れる

2 用事を無くす 人間関係を断つ

3 チャイムの音を変える

4 チャイム指紋認証に変える

5 旦那を外出させない

6 旦那トラウマになるチャイムエピソード募集する

7 戸建を買う

8 旦那ホームセンターチャイムを買ってあげる

9 何を質問されようと玄関に立つ

0 全てをあきらめる

どれかできないの?

2016-04-23

http://anond.hatelabo.jp/20160423185525

チャイム鳴らす前に携帯コール入れさせれば。

不要な癖が1つ増えるくらい当然問題なくやれるだろう。

夫が帰宅時にチャイムを鳴らすのが紛らわしい

我が家マンションなのだマンション全体のインターホンと個室ごとのインターホンの音が共通になっている。

そのため音を聞いただけだと自分の部屋の前に人がいるのか下の共通玄関インターホンが鳴らされたのかが分からないのだ。

これ単体ならあまり大きな問題ではない。

チャイムがなったら受話器にあるランプを確認してそれがどちらで鳴ったのかを確かめれば解決するからだ。

しかしここに我が夫の奇妙な生態が加わると問題が複雑化する。

夫は何故か帰宅時にチャイムを鳴らしてしまうという性癖がある。

そのため夫が帰ってくる時間チャイムがなるとそれが本当に用事のある人間なのかただ帰宅してきただけの夫なのかが分からなくなってしまう。

一見すれば大した問題ではない。

夫がチャイムを鳴らそうが鳴らすまいがインターホンで誰が来たのかを確認するのは変わらないからだ。

だが実際にこれをほぼ毎日やられると結構キツい。

チャイムの音を聞いて慌てて用事を一時中断してインターホンの受話器の前に立った途端に玄関ガチャリと音が鳴って夫が出てきて「そんな所で何をしてるの?」という顔をしてくるのだ。

平日ならまだ大まかな時間が分かるからまだいいのだが休日に夫が出かけるといつ帰ってくるのか全くわからなくなる。

これはもはや身内の手によって毎日ピンポンダッシュを受けているようなものだ。

毎日1回のピンポンダッシュ

大したダメージではない。

しかしほんの少しだけ毎日ストレスが増える。

やめて欲しいと言ったがなぜやめて欲しいのか理解できないからやめる必要を感じないと返された。

せめて何でそんなことをするのかを教えて欲しいと言ったが特に理由はない癖になっているだけだと返される。

本当に何なの。

2016-04-14

保育園うるさい、保育園うるさいって言うけどさ

自分の育ってきた人生を思い返してみると、小学校とか中学校高校の時の方がうるさかったよね。

小学校ではもうはちゃめちゃに騒ぎまくってたし、中学校高校では部活の時にそれはもう

雄たけびみたいな声を上げてた。運動会の練習の時だって全校生徒で大声で歌ったりさ。

そんなわけで各学齢別でどれくらい騒音だと言われているものなのか、と。

保育園 騒音」の検索結果:約 519,000 件

幼稚園 騒音」の検索結果:約 539,000 件

小学校 騒音」の検索結果:約 545,000 件

中学校 騒音」の検索結果:約 467,000 件

高校 騒音」 の検索結果:約 443,000 件

大学 騒音」 の検索結果:約 1,430,000 件

アッハイすみません大学うるさいですよね、すみません

ちなみに検索結果をざざっと見た限りだと、

保育園 幼稚園

 ・子供の声がうるさい。

 ・音楽の授業がうるさい。

小学校

 ・登下校の音楽チャイムがうるさい。

 ・朝礼のマイクの音がうるさい。

 ・運動会の練習がうるさい。

中学校

 ・部活動の声がうるさい。

 ・吹奏楽の音がうるさい。

 ・運動会の練習がうるさい。

高校

 ・部活動の声がうるさい。

 ・吹奏楽の音がうるさい。

 ・運動会の練習がうるさい。

大学

 ・部活動の声がうるさい。

 ・深夜に花火をやっていてうるさい。

 ・飲酒を伴う宴会をやっていてうるさい。

うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。

人間はいくつになってもうるさい生き物なんですね。

ちなみに

ライブ 騒音」の検索結果  :約 534,000 件

クラブ 騒音」の検索結果  :約 2,420,000 件

マンション 騒音」の検索結果:約 3,110,000 件

だったりします。

大人になっても、いろんな騒音に悩まされるわけですね。

個人的意見ですが、各論大事だとは思うのですが、騒音に関していえば総論的な対処

・うるさい可能性のある施設の近くの居住地には補助金を出す。

もしくは

・静かさが保障されている居住地には課税をする。

といったやり方がよいのではないかと思います。もちろんきちんと測定した上で。

私はあんまりうるさいのとか気にならないタイプなんで、仮にお金がもらえるのであれば

率先してうるさい地域に住みます

2016-04-12

所詮オタクリア充もいかにコミュニケーションが出来るかが問題

拝啓、桜が葉桜になり散りゆく風景が美しい。

自分はしがないオタクで絵を描いている者です。俗に言う絵師と呼ばれる人、だが自分では絵師と名乗るのはおこがましいので名乗りませんが。

この度、毎日のように描いてきた絵を描くのを一旦辞めようと思いまして。語る場が無いので、此処で身の上話をしようかと思い書き込みをしております

長くなりますが、この駄文に御付き合いして頂くと嬉しいです。

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自分が絵が好きだと思ったのは、幼稚園から小学校低学年の頃。本当に好きで好きで堪らなくて、ノート意味のわからない棒人間が楽しく遊ぶ様を描いたりしたものです。

友達から「何を描いているの?」と言われ、「分からない」が常套句。けれど宛もなく描くのが好きでたまらなかった。

三年生の頃に転機が訪れた。兄が通っていた絵画教室に通うようになる。その絵画教室基本的自由に描き、時には粘土ロウソク作り方など芸術の幅広いことをする夢のような場所だった。勿論、教室なのでちゃんと技術も教えてくれた。絵を描く楽しみが増えた。

名前はいえませんが、夏休みに描いた絵がとあるコンクール入賞や金賞を取るようになった。学校先生や皆が拍手する感覚、正直アノ時はよく分からなったが、皆が喜んだり親が褒めたりする事は良いことである事はおおよそ分かった。

以来、絵は個人だけで楽しむだけじゃない事を学んだ。

同時期、もう1つの転機が訪れた。夢中になる漫画や本との出会いだ。

自分とあるジャンプ漫画出会った。幼稚園の頃から好きだったモノを題材に、かっこよくて憧れるような内容で描いていた。キャラクターは皆魅力的で、特にボスキャラは強さとかっこよさを兼ね備え尚且つ絶対的存在は読んでいて惚れ惚れした。

小学生ながら、初恋はそのキャラだ。

それが、自分オタク人生の始まりだった。

以後、学校休み時間など空き時間にそのキャラを思い思いに描いたりした。好きなキャラを、好きな絵で表現する。凄く楽しくてたまらなかった。

結局その漫画それから連載が終わったが、今まで兄のお下がりで暇だから読む漫画が、自ら買って楽しむ漫画へと姿が激変した。


それからは激動の時代に入った。漫画だけではなく、小説ゲームにもハマった。中学休み時間は専らオタク仲間と絵を描いて過ごしつつ、部活は大好きな絵を極めたくて美術部に入った。

休みの日は好きなゲームをし、そのキャラ絵を描く日々だった。

ここまで描けば幸せ学生生活だが、中学の頃から少しずつ狂い始めた。小学校の頃にいじめてきた奴が中学の時に再会し、以後3年間イジメを受けた。

美術部は自分の代は1人。友人と喧嘩となり、両親はいつの間にか異常なまでに勉強熱心になった。

それでも、絵は描き続け、何とか無遅刻無欠席で通い通した。

結果、高校に入ってすぐに不登校になった。

受験して努力して入った高校、ただ、苦しい気持ちでいっぱいだった。勉強熱心な親と難しくなった内容により授業が苦痛になり、友達の作り方が分からず「仲間意識が強いから友達ができる」と思って入った美術部以外の部活は更に苦痛になり、弁当誘われた人達の話がよく分から孤独感に苛まれ、遂にはトイレ弁当を食べている方が落ち着いた。

高校通ったのは実質半年。以後不登校になる。中学で疲れきった身体と精神に、高校地獄しか無かった。

それでも、絵は描き続けた。苦痛を和らげてくれたから。描いていて落ち着いたから。

この頃、自分同人誌即売会個人サイト出会って更に絵の道を輝かせていた。好きなキャラを好きな絵柄で好きな内容の漫画を描く人達が、その頃の憧れであり希望だった。


高校通わなくなった頃、絵やオタク関連以外では最悪の時代だ。毎日親と怒鳴り合いし、傷つき傷つけられてわけも分からず。徐々に友人も減り、何時しか独りが普通になる。先の見えない人生が怖く、自身の辛さを分からない周りの人達が嫌で独りが心地よく感じた。

そんなある日、高校を辞めた後も会うスクールカウンセラーから心療内科を勧められた。両親は嫌がっていたが、自分にとってそれは「一か八かの賭け」に思えた。もしかしたら……これで違っていたら本当に終わりだと。

結果、新たな肩書きが出来た。「広汎性発達障害」、所謂自閉症スペクトラム」や「アスペルガー症候群」だ。

凄く、嬉しかった。


思えば小学校の頃から思い当たる節があった。チャイムが鳴ってもと図書室で本を読み、じっとしていられなくて足をバタバタしていた。皆の話す言葉が訳の分からない呪文に聞こえ、机の中と部屋は常に汚かった。

そこに名前がつくと言うのは、長年探していた謎の答えが提示された事。嬉しくて涙が溢れた。

それから人生は少しだけ良くなった。カウンセラー自分の良き理解者になり、同じ障害仲間も出来た。高校も通い直し、アルバイトも始めた。

何もかもがうまくいく。そう思っていた。

その頃から自分も憧れの人達のように絵をネットにアップするようになった。まずはTwitterpixivにも登録した。絵画のような絵だけではなく、イラストについても学んだ。好きな漫画、好きなアニメオリジナル作品も描いたりした。

だが、何故だろう。ネットアップするようになってから少しずつ絵を描く意味が変わってきた。楽しくて、自分が好きだから描いていた絵。次第に、皆も楽しんでくれるような絵を描こうとする。

他の人と比べて下手だと思い始め、技術研究して上手く描く努力をした。色んなシチュエーションや絵柄、「イイね」と呼べる絵を描くにはどうすればいいかを考えた。

毎日毎日色んな絵を描き、好きなキャラで尚且つ人が喜ぶ絵を目指した。

次第に小さいが反応がつく。僅かな点数と1人以上のお気に入り、そしてちょっとだけ増えるフォロワー。やっとだ、やっと自分にも来た!嬉しくて堪らなかった。

が、それが絵を描く楽しさのピークだと知ったのは後々だった。

絵を見るのも好きで、Twitterpixivで好きな絵師様をフォローする事はよくあった。彼等はとても上手くて魅力的な絵を描く。そして同時に、お気に入りフォロワー数が高い。

絵が上手くて魅力的だから、それ相応の反応が来るのは当然だね。そう思っていた。

けれど、フォローして見ていて段々妙な感情が湧き上がる。何故、自分の絵と憧れの人の絵はこんなに反応が違うのか。

試しに自分ではなく皆が好きなものを描いてみた。いつもの反応、同じ評価だった。なら自分を好きになる人を探してみよう。タグフォロワーを稼ごう。あまり反応がない。

もっと技術を上げて研究を重ねよう。きっと技術力不足から皆「下手な奴に興味無い」と思っていた。

毎日毎日、いろんな絵、いろんなキャラを描いた。pixivの講座も見て参考にした。アンケートで描いて欲しいものを聞いたりした。

毎日努力は報われる。絵を描くのが好きでやっている。好きなキャラがこうやって動く様を描きたくて描いている。全員とは言わないが、少しでも多くの同志が出来たらなー少しでも自分の絵を喜ぶ人が増えたら。その思いで描き続けた。


だがそれは、間違いだと知る。結果的に、状況は変わらなかった。誰も見向きもせず、ただただ流れゆく自分の絵。

一方で、自分が本気で描いた絵より何気ない落書きレベルの絵が百を超える反応をもらう。この差はなんだ?アレ……なんか訳が分からない。

自問自答を繰り返し、また研究宣伝を重ねる日々。段々、好きで描いていた絵に無駄な着色が増えてゆく。何か違う。何が違う?これ描いて載せて喜ぶかな?きっと喜ぶ人居るはずだ、気づいていないだけ……。

何故絵を描くのか分からなくなってきた。

そんなある日、試しに友人にその事を相談してみた。

すると返ってきた言葉は意外なものだった。

pixivTwitterも身内が盛上げてくれるから沢山の反応が来る。結局、魅力的な絵や上手い絵が反応を貰うのではなく、友達や仲間がいかに多いかなんだ」

唖然とした。そして絶望した。

自分はお世辞にもコミュニケーションが上手くない。いや、それどころか人と話す自体感想を述べたり空気を読むといった基本的ものが出来ない。アスペルガー症候群からもあるが、中学の頃を境に話すことが苦痛になっていた。故に、※友達の作り方が分からなかった。

ネットは顔見ないから話すことぐらいできるのでは?と言うかもしれないが、自分にとってネットリアルも同じ人間との会話と思っていて変わらない。


※今いる友人は、カウンセラーの紹介により集まった障害仲間と小学校同級生だけである。数え切れる数しかいない。

ハハハ、なんだ。リア充オタクも変わらないのか。何がオタクコミュ障だ!!結局魅力的な絵でも上手い絵でもなく、描いている人が魅力的だから人気なんだ。所詮、人望や人脈が全てなんだ。考えてみれば、オフ会同人誌即売会出来る人はコミュニケーションが出来る人だ。

本当にコミュニケーション障害の人は、絵を描いて載せても無意味なんだ。そう考えた途端に、今まで描いてきた絵や握ってきたペンタブ画材、そもそも絵を描く行為が嫌なものに変わった。


好きで描いていたなら何故嫌いになる?そう思うならネットにアップするな?そうだね……その通りだね。やってきたこと全て間違いだったんだ。ほんと、後悔が込み上げてきた。なんで……もうあんなに熱心に描いていたのか分からないよ。

今も漫画アニメゲームも好きだが、これからファンアートや好きな絵を見る目が変わるのだろう。自分別に絵を仕事にしたかったわけではなく、趣味として好きなものとして最大限に楽しみたかった。ただそれだけ。


コミュニケーション障害の人に配慮して欲しいとかはいりませんし、絶対に言わない思わない。何故なら、コミュニケーション障害公表している有名人は多々いるから。自分コミュニケーション努力を怠った為に痛い目を見たのですから

ただ、人望や人と楽しむ事に全力なリア充を叩くオタク所詮リア充なわけで。

それに早く気づいたのは不幸中の幸いです。

ここまで、駄文を読んでくれてありがとうございました。

最後一言、絵の技術だけは努力しただけ伸びる。それだけは確かです。

では、失礼しました。

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